国際交友の記録2012年  


スタジオが完成した


森田富二夫さま、和佐美佐子さま、
楠見尚己さま、阪本ゆきゑさま、
安達正子さま、能登美津子さま、
心から感謝いたします!



すでに、松居陽によって、
マノボ族の伝統音楽や
ドキュメンタリー映画の作成が始まっています。
今後、このスタジオの果たす、文化的、創造的役割は、
未来に向かって大きく展開していくでしょう。
是非いらしてください。


  
 無題 3  松居陽

聞こえるのは、波の音、風の音、ココヤシの音。
イヤホンはあっても、音楽を聴く気にはならない。
生と死の詰まった、潮のにおい。
砂が足をくすぐり、塩が肌にべたつく。
実体のない波も、銀河へ続く水平線も、
目を据わらせてはくれない。
宇宙という意識に溺れたひと時。
夢みたい。と、人は現実に目覚めたときに言うのだ、
とお父さんは言う。
概念上の世界を現実だと思い込むと、
自然界を夢のように感じるのだと。
人声が静まり返れば、宇宙が無言で語りかけてくる。
人と自然の間に境目はないはずなのに、
僕も感じる、夢みたいだと。
あと何時間見させてくれるだろう。
もうすぐ夜が明けて、人が起き出す。
地位、財産、業績、またこの太りすぎたシステムが、
ますます重い足を引きずって、ぎくしゃく走り始める。
空気を吸いつくし、水を飲みつくし、大地を踏みつくすまで。
それとも、奇跡が起こって、
みな名も言葉も忘れて目を覚ますかも。
こんな夜は、そう星に願う。
朝が来れば、僕らは新たな目で互いを見つめあい、
そこに表現しきれない愛を感じるだろう。
言葉が出ないもんだから、みんないっせいに笑い出し、
抱き合い、声高らかに浜辺へ駆け出して、
赤ん坊のようにピンクの水平線に見とれるだろう。
泣き出す者もいるかもしれない。次々と海に飛び込んで、
水が肌を撫でる快感にうめき、身をよじらせるだろう。
でも、僕らがしないことがある。
それは、それを海と呼ぶこと。
それを美しいと呼ぶこと。
それを僕らと呼ぶこと。
もう、誰の振りもしなくていいんだ。
もう、上にも、下にも、右にも、左にも、
中にも、外にも立たなくていいんだ。
人間くさい、裸、生きている、一緒に、生々しく。
自然体を恥じることはない。
体で感じる情熱を、好んで否定することはない。
死が自制心からの開放なら、
今罪深い本性をさらけ出して、生きながらの死を祝おう。
どうせ、いつか気づきざるを得ないことだ。
心は変えられても、血は変えられない。
知能が平等を望んでも、
本能は支配したがり、されたがる。
頭は、体を指示するのではなく、体に耳を傾け、
その声を忠実に表現するために、
生まれてきたのではないだろうか。
沖に、小船の光がちらつく。
漁夫が、網を引き上げているようだ。
フィリピンの海や山に生きる、たくましい人々を見ると、
どこかやるせない無力感に打たれる。
僕は、所詮今経済と呼ばれているシステムに取り入って、
姑息に生きている人間だ。
容赦ない自然界に生かされる術など、
ほとんど持ち合わせていない。
それだけに僕らは心の奥に不安を抱き続け、
それだけに彼らは自由なのかもしれない。
何もかもをなくしても、自然の情けに命を許されるのだ。
おなかがすけば、魚を捕り、
調理する法を、人は受け継いできた。
病気にかかれば、治療する方法も。
そうか、言葉はやっぱり必要なんだ。
じゃあ、何でこんなに嫌気が差すんだろう。
小うるさい人間のドラマに、空っぽの言葉に。
今なら、永久保証、お買い得、愛!
言霊の嘆きが聞こえるようだ。
問題は、言葉が表すはずの本質が
見失われているからかもしれない。
情報は増えても、
その根源がいつにも増してあやふやになってきている。
体内に残った全ての声を、海にぶちまけたい。
波よ、さらっていってくれ!
この他愛もないおしゃべりを!













  


ミンダナオ子ども図書館支援方法
上をクリックしてください



パンダノン村と
ウオーターフォールの子たちに
茅野市の北部中学と
小樽ワールドフレンズから送られた
バッグと靴を届けた


車に乗っているのは
すべて、
ミンダナオ子ども図書館の
子どもたち。
土曜、日曜日には、
こうしたボランティアに
積極的に参加する。
自分たちも極貧で
しかも、
孤児や片親の子たちだけに
いろいろな思いを
感じるようだ。


イスラムの子も
クリスチャンの子も
先住民の子たちも
それそれ異なった地域や村で
読み聞かせをしたり
鞄や衣服や靴を届けたり。
今回は、茅野市の
北部中学の子たちから
送られてきた
バッグや靴を中心に配った。
(多くの方々から
送られてくるので
全てをサイトで
紹介できずに残念です)


日本製のカバンや靴は、
丈夫で長持ちし
こちらのはすぐに壊れるので
地元の子どもたちは大喜び。
ランドセルも好評です。


小樽ワールドフレンズから
送られた靴!

 


茅野市
北部中学校のみなさん、
小樽ワールドフレンズ
のみなさん、
ありがとう!

いつかいらしてくださいね

小樽ワールドフレンズ
http://otaruwf.web.fc2.com/rireki.html
  
ウオーターフォールの
子どもたち。
この村の状況は、良くない。
収入が無い故に、
わずかばかりの土地を
手放したり、多くの家族が
サトウキビ刈りの労働に行く。
家族で行くと、
子どもたちも働かされ
学校が2ヶ月以上停止する。
この写真のなかにも、
多くのMCLの
スカラシップの子たちがいる。
小学生が多いが、
(上の子たちもその一人で
父親がいない)
チャイルドレイバーの結果
ストップする子が
後を絶たない。
保護するためには、
MCLに住むしかないが
100名を超えていっぱいだ。


   


丹原美保さんが、
協力者と共に寄贈された
二つの保育所の開所式 

 バト村の保育所
本当は、イスラム地域の
カバサランに
保育所を建設し、
そこで開所式をする
予定だったが、
戦闘で危険で近づけず
訪問予定の一週間前に
次期候補の
バト村に変更した。
そんな理由で、
建設途中での
開所式になってしまった。


カバサランの方は、
現在さらに戦闘が
激しくなりつつあり、
建設も止まったまま。
隣の集落のバロンギスは、
宮崎さまからの
寄贈で、すでに
完成しているのだが
こちらも危険で近づけず、
開所式が延期になっている。
今後さらに戦闘が激しくなり
本格的な戦争になると
言われているが、
空爆などで、破壊されたら
作り直さなければならない。
それでも、こうした
建設の過程で
地元の人々と
心を通わせているので
たとえ戦闘になっても
救済の時に、
役立つことは間違いない。
本当に、戦争は嫌だ。
子どもたちが可愛そうだ。
 
 










こちらは
ロカトン村の保育所
ここに住んでいるのは、
バゴボ族がほとんど
本来は、この上の山の斜面で
山岳農業を営み、
集落を作っていたが
地滑りで村が崩壊し、
ここに避難して
避難民集落を作っていた。
それを市が気遣って
市長の指示で、ここに
新しい集落が出来た。



今回は、
わざわざ市長も出席された
気さくで庶民的な市長だ


愛子さん、二度目の訪問 
愛子さん、
二度目の訪問
下は、我が子のような
アンジェリカちゃん
山の集落、
マロゴンからさらに
道無き道を実に
一時間も登ったところの
一軒家に、
アンジェリカちゃんは
住んでいる。
今回は、
ミンダナオ子ども図書館に
招待しデパートで洋服も
買ってあげた。
新しい服の
アンジェリカちゃんと
いっしょに。
前回も、山を登って
彼女を訪ねた。
MCLの子どもたちと
みんなで滝のある
ウオーターフォール村
にもいった。

 

子どもたちにとって、
支援してくださる方と
会えることは、
特別な意味を持っている。
特に、母親や父親の
いない子にとっては
まるで、未知の
親のような気持ちだ。
あしながおじさんのように・・・
子どもたちは、
しょっちゅう私に
自分の支援者は、どんな人?
と聞いてくる。
ものすごい関心を
持っているのが
痛いほどわかる。
まだ支援者のいない
子どもたちも多い。
彼らは、
さびしい気持ちを持つ。
だから、言う。
「パパ友(私のこと)が、
君たちの支援者なんだよ」 
 

愛子さんといっしょに
山に滝滑りにいった。
初めての子もいて
興奮気味だ。
  
 

     

お茶の水大学修士になった理実さん
MCLスタッフになった、民希さんも大活躍 
 


民希さんは、本当に頼もしい。
限界をはるかに超えていた、
対日本の支援者への対応を
一手に引き受けてくれている
立正佼正会が、
寄贈してくださった
いすゞの四輪トラック、
エルフも
通関に時間がかかったが、
とうとう活躍し始めた!
子どもたちを全員乗せて
読み聞かせに
また、保育所建設の
資材輸送に大活躍!


マノボ族とビラーン族の調査へ 
 

この村から、山を越えて
キダパワンの方へぬけられる
いつかそれを計画している。
村々の様子をしるためにも・・・

 
 民俗楽器にあわせて、
土着の歌をうたう少女
クリスマスの時期になると、
彼らはダバオにパマスコに行く
パマスコとは、家の前で歌い踊り
日銭を稼ぐ、物乞いの延長のような風習

 

ダバオからアラカンのミヨカンへ 

拡大するバナナプランテーション
アポ山の斜面を
取り囲むように広がっている
本来は、ダバオの平地だったが、
高原バナナのヒットで、
高地に広がっている

 
この村の子どもたちも
奨学生に採用する予定。
行くとすでに彼らは、
ミンダナオ子ども
図書館の事を
知っていて、大喜びだった。
   
 
この地域が、MCLの
活動範囲に入ることで、
ミンダナオ子ども図書館は、
ほぼアポ山を一周する領域に活動することになる。
村人たちは、どこから聞いたのか、
すでにMCLの事を知っていて
今回は、ダバオに行った帰りに
村々の様子をチェックしたのだが、
大喜びで迎えてくれた。
しかし、MCLのスカラシップ支援者は、
まだまだ足りないので来年になるだろう。
支援者を見つけるのは、私の役割なので大変だ。
今は、息子の陽や民希さんも
手伝ってくれるので助かるが
村の事もたちの様子を見ると、
どうしても放っておけない気持ちになる。
 
プランテーションで廃棄されたバナナを
彼らは拾ってきてこうして刻む。
豚のえさにして売るためだ
 これらのバナナは、
ほとんどが日本や中国に輸出されるが
輸出の際には、洗浄されるので
農薬の問題は解消されるのだというのだが・・・
洗浄にたずさわっている女性たちの事もきになる。
鶴見良行の名著「バナナと日本人」(岩波書店)に
詳しく書かれている。
先進国の発展のしたで、作られていく貧困
   

思いがけなく、
いろいろな事実を
聞かされた
単に、極貧の子たちを救い
学校に行かせて
あげたいだけの事だが
NGO関係者に圧力がかかり
殺されることもある。
アラカンのイタリア人
ファウスト神父も
その一人だろう。

ビラーン族の奨学生と 
 


拓くん、訪問記 
吉田拓郎から父親がとって
名前を拓也にしたという。
みんなの前で、
吉田拓郎の歌を
歌ってくれた。
学校を出て、自衛隊に入り
今はそこを出て
世界を旅している。
ひとりで、中国から
チベットをぬけて
インドへも行った。
中国の印象を聞くと
いろいろと興味深く
語ってくれた。
実際に旅をした人の話は、
マスコミや学問だけの
人間の報告とは
ことなり、中国人に
対する偏見もなく
むしろ敬意を感じさせた。
感情的に、
中国敵対をあおっている
口先だけの言葉とは違う。
こういう若者たちが
日本にまだいることに
救いを感じた。
自分の目で見て
偏見無く物事を判断して
事実と真実を
つかんでいこうとしている。
 
 
拓君からのメール

電気のないという
現代では希な状況のなかでの
キアタオでの生活は
貴重な体験でした。 
村に至るまでの風景も
村の丘からの風景も絶景で、
しかも村自体は
とてもよく整備されていて
綺麗だったので、
表向きには貧しい村だとは
あまり思えませんでした。 
本当に
ありがとうございました! 
是非また
尋ねさせてください。 
明日からタイに行き、
インドビザを取得し
それからインドに
向かうことにします。
 
    
    

リグアサン湿原地帯へ 
    
イスラム地域の
リグアサン湿原にも行った
現在は、戦闘が起きていて
とても入れない地域だ。
さすがに世界を
旅しているので
もちろん、
イスラム教徒に対する
偏見もない。
この地域には、
大量の石油と天然ガスが
眠っていて、
それが戦争の原因だ。

 
 
   
   
    
 





ゴムの植林が始まった
日本の若者も交えた
植林体験

6月13日UP
 

 ミンダナオ子ども図書館から、ゴムの苗をトラックに

ミンダナオ子ども図書館の
敷地で、
農業スタッフと子どもたちが
一体になって
育てたゴムの苗を
奨学生の子どもたちが
トラックに運ぶ。
この苗が、山岳地で育ち
土砂崩れや下流の
イスラム地域での
洪水の被害を少しでも
少なくすれば・・・。
そして、貧困から
土地を手放しがちな
先住民族に収入をもたらし
自らの手で、
村の子どもたちを
学校に行かせることが
できれば・・・


これが、MCLの敷地内で、
子どもたちが育てているゴムの苗床

MCL自体が苗床
子どもたちが育つ苗床
 
ミンダナオ子ども図書館の敷地で
ゴムの苗を、
子どもたちが育てはじめた。
ゴムの植林プランは、
海外のプランテーションや移民政策の土地所有で
もともと自分たちが住んでいた土地を
失って山岳地に追われていった
先住民族に収入を保証し、
これ以上、土地を受け渡す必要が
無いようにするために
最も有効な対策の一つ。
ずいぶん長く考えつづけてきた
生活支援プラン。
ゴムの農園は、この辺でも多く
そのほとんどが、大地主によるもの。
そこで働けるのも小作たちで
先住民族は良くて日雇い
技術がないから、日雇いにも選ばれない
場合が一般的だ。
でも、MCLでは、
村の共同農園といった形で、
地元の人々と会議を開き
協同組合的な組織を作り
村人たちとMCLとが
協働で管理する方式を選んだ。
収入の70%は、村へ。
村の発展に使われる。
30%は、労働者へ。
労働者は、村の極貧家庭の
親や若者が選ばれる。
MCLは、完全ボランティアでかかわる。
ゴムの苗を育てているのは
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる若者たち。
彼らが、休日、ボランティアで
野菜栽培の傍ら、ゴムを育てる。
この体験によって、
将来、地元に帰って
農業を始めたとしても
農業技術を受け継ぐ事ができる。
やはり、農業は、ミンダナオの基幹だからだ。
家庭収入や農場主の利益を得るための
過剰労働は、チャイルドレイバーだが、
こうしたお手伝いは、地元に利益を
還元していくことによって
子どもたちに、将来生きていく自信と
夢をあたえてくれる大切なプロジェクト。

むしろ心配なのは、
日本の子どもたちの方で、
「お手伝い」という考えを、
日本の家庭は、失った?
「お手伝いなんかしなくても良いから
部屋で、勉強してなさい!」
そういわれて、部屋に閉じこもり
机の引き出しから
電子ゲームを出して孤独に一人遊んでいる?
本来子どもたちに必要なことは、
家族が、みんなで助けあい、
生活のためにも協力し合う事だろう。
家族だけではなく、
村でも協力し合い支え合う。
貧困にあえぐ、マノボ族の村には
貧しくても、そのようなすばらしい
家族の愛や、人々のつながりが生きている。
先進国の人々は、現地を深く見ずに
子どもが親を助ける姿を見て
チャイルドレイバーで子どもをこき使っている
と言うことがあるが
問題は、そんなに単純ではない。

 
 
 
 
 

学校教育で教わることなんか、
たかがしれている部分もある
競争原理のエリート主義の限界だろう。
ともに汗を流し、協力し合い
助けあって生きていくことを
お手伝いと遊びから学ぶことが、
生活の基本を作る?

夕刻に、苗が現地についた 
MCL本部のある
キダパワンから
目的地までのアラカンは、
先月の大雨のために
山道の各地が土砂が崩れ
ダバオ経由でないと
到達できない。
目的地までは
5時間の道のり。
その日は、山で宿泊。
MCLの下宿小屋で
泊まった。
このアラカン地域にも
沢山の奨学生がいる。
彼らが、積極的に
今回の植林を支援している。
MCLで古着を
渡しているので
ちょっとオシャレだが
電気も無く、
本当に貧しい地域だ。
こうしたボランティアに
積極的に携わり
村を子どもたち自身が
活性化していく
そうした体験の
意味は大きい。
下の写真のスカラーは、
ザイノディン君
キダパワンのMCLの
下宿に住みながら
大学に通っている
イスラム教徒。
今回も、イスラム教徒の
若者たちが
積極的に参加してくれた。
このアラカンの山から
流れ出す泥流が
鉄砲水となって、彼らの住む
リグアサン湿原地帯をおそう
その根本的な原因を知り
自らその対策に
のり出す体験に
大きな意味があると思う。

  
 
もちろん、MCLの奨学生
たちだけではなく
作業の根幹をなすのは
地元の人たち。
その多くは、
奨学生たちのお父さん、
お母さん、お兄さんや
弟姉妹たち。
「親の背中を見て育つ」
と言う言葉が、
そのまま通じるような
場面に良く出会い感動する。
親が楽をするために、
子どもに過剰な
労働を押しつけるのは
かなり大きな問題があるが、
親を助けて、
一生懸命手伝おうとする
子どもたちの一途な姿には、
先進(?)諸国には
見られなくなった
発展途上(?)国の美しさと
感動がある。
子どもたちが、
MCLのスカラシップに
応募してくる理由の90%も、
将来、大学に行って
良い仕事について、
親を助けたい!
兄弟姉妹を学校に
行かせてあげたい!
どんなに貧しくとも
自分の家族を
常に思って頑張り
食べ物が無く、
電気も無い村の不便な
生活でも、
いつも故郷が懐かしい!
ここでは、故郷という言葉、
家族という言葉が
ちゃんと生きている。
否、言葉が
生きているのではない
故郷があり家族がある。
そのようなミンダナオの
良さを失いたくない
むしろそこから学びたい、
ミンダナオ子ども図書館を
施設とせず
村の共同体とつながった
一体となった運営をしようと
考えてきた理由だ。

  








写真は、
奨学生のお父さん、
お母さんたち。
MCLとつながることによって
彼らの顔も明るく
希望に満ちてきた。





いよいよ植林が始まる 
いよいよ植林がはじまった。
当日は、さらに
多くの奨学生たちが
参加した。
他の地域から来た、
イスラム教徒の子
クリスチャンの子たちが
このマノボ族の集落に
集まってきた。
このように、
ボランティアに参加しつつ
別の宗教、別の種族、
別の地域の
人々の生活状況を見て
ただ見るだけではなく、
生活支援に積極的に
関わる体験をする。
その事が、将来どのような
仕事につくにせよ
平和構築、生活構築にも
意味がある事だと
つくずく思う。
まず大切なのは、
友だちになること。
友だちになって、
相手のことを
自分の事のように
思えること!
そうした気持ちを育てることだ。
植林には、MCLの
若者たちだけではなく
地元の子どもたちも
日本からの訪問者の
若者たちも参加。
村には、保育所があり、
そこの子どもたちも
保育所の先生といっしょに
植林に参加した。


諏訪淑子せんせい
寄贈の保育所



上の写真は、保育所の先生
日本の保育園の子どもたちも
先生といっしょに
このような経験が出来ると良いのに!
自分たちの村を、
自分たちの手で作っていく体験を・・・


こうした子どもたちの姿は、感動的だ! 
 
彼らは、ほとんど裸足で
山の斜面を駆け回っている。
お父さんやお母さんが山で
仕事をしているときに
親や兄弟姉妹の洗濯も
みんなで川でする。
お父さん、お母さんの
お手伝いを
友だちといっしょに
することの喜び!
自分たちが、
役に立っていることの
深い満足感と誇り。
それが顔にも表れている。  
要所要所で、
大人が指示を出して
教えてくれる。
村全体が、一つの家族だ!

このすばらしい
子どもたちの様子を
松居陽がビデオに収め
ドキュメンタリーとして
まとめている
是非日本の人たち
特に子どもたちに
見せたい、と。

 
 
 
よろしかったら、
マノボ族の村に泊まって
あなたも是非
植林に参加してみてください。

600本近いゴムの苗が
あっと言うまに
植えられていく。
最後に土をかぶせるのは、
お父さんや
お兄ちゃんの役割。
肥料を加えて
根が傷まないように押さえて
土をかぶせていく。

ゴムが収穫できるように
なるには8年かかる
しかし、その間に、
バナナなどを植えられる。
いったん大きくなり始めると
50年は、収入が約束される。
さらにその間、
沢山の種が毎年落ち
それを拾って苗を育て
さらに、自分たちの
土地に移植し
ゴム林を増やしていける。
MCLが、苗だけではなく
輸送代、肥料代、食事代
ときには、共同農場の
購入や費用を支払う。








 
お父さんといっしょに

まだまだ、無限に植林を
していかなければならない。
まだまだ、無限に木を育て
子どもたちを育てて
行かなくてはならない。
皆さん植林支援
よろしくお願いします。
村人の食事代、ガソリン代、
肥料代含む

植林参加したい方は、
事前に教えていただければ
スケジュールを合わせます。
一生の想い出に
なることでしょう!

  



父親やおじさんに教えてもらいながら
ゴム植林の技術を学ぶ若者たち 

夕暮れて、みんなでMCLが準備した
ご飯をお腹いっぱい食べました 
    
 
植林では、
最後に村人たちの
全員の食事も用意する。
仕事が終わって
みんなで食べる
食事の美味しいこと
 
僕らもお手伝いしたんだよ!
8年後、この子たちも
大きく成長しているだろう

ゴムの植林のための穴を掘った 
5月30日UP
洪水対策支援は、下流における
リグアサン湿原の洪水被害対策と
上流のアラカン地域における、
マノボ族の植林対策にわかれている。
下流で直接洪水の被害をうけた、
イスラムのリグアサン湿原周辺。
水は、軒下まで達した。
現地は、政府関係者でもなかなか入れない、
反政府地域であるだけに
その被害の正確な報告は不可能だろう。
たとえば、スイレンなどの水草で家屋が倒壊した結果
子どもなどの死者も出たという。
2000年、2003年の戦闘による被害も、
報道されたものと、現地で聞いた、
「死者を埋めることも出来ずに川に流した」
と言う話には、大きな隔たりがある。
報道関係者も容易に入れない
地域だなだけに、致し方ない。
今回の洪水対策は、すでにご報告したように、
リグアサン湿原地帯では、生活再建支援を重視した。
ARMM(イスラム自治区)は、水田がおおいので
ビニールシートを配布した。
これは、草屋根が腐敗して穴があいた家が多く、
雨のときに雨よけと同時に
湿原地帯故に、乾燥した土地が皆無で、
収穫した米を干す場所がない。
そうした意味では、ビニールシートは、
米を乾燥させるためにもおおいに役立つ生活支援だ。
ピキットサイドは、集落単位で漁網をしえんした。
集落に大きな漁網を3つと、木の舟を2艘ずつ配布。
女性グループを組織して、
女性たちの責任と管理で、利益を分配する。
しかし、下流の生活支援だけでは、
洪水の抜本的対策にはならない。
洪水の起こる大きな理由は、上流地帯にある。

1900年中旬ごろの急速なジャングルの伐採。
ラワンなどの多くの木々が、先進国、
とりわけ高度成長期の日本に輸出された。
純粋な原生林であるジャングルは、
ミンダナオの9%と言われている。
今も、不法伐採は続いているのだが、
こうして裸になった斜面には
低地をおわれた先住民が多く住んでいる。
ここに、森林を回復させない限り、
洪水の抜本的問題は解決しない。
それが、上流のアラカン地域における
ゴムの植林プランだ。

 
植林をするにあたって、
木の種類を選ぶさいに、
かなり検討をした。
ゴムに関しては、
最初は、わたしは否定的だった。
農業作物ではなく、
輸出に依存した工業作物であること。
ゴムを固めるために、
多少の科学薬品を使うことなど・・・。
バナナプランテーションに
比べれば少ないが・・・
しかし、長年ゴムを育てて、
土地を守ってきた実績がある
マキララ地域を見て
ゴムの良さも見直すようになってきた。
 1,下草を過剰に刈る必要がなく、
  プランテーションバナナのように
  大量の除草剤をまかなくてもよい。
 2,大量の殺虫剤も必要ない。
 3,野生に近い地バナナや
   山芋などを平行して植えられる。
   ゴムの成長には8年かかるが、
   それまでの収入源になる。
 4,いったん成長すると、
   長い年月、安定した収入になる。
 5,トッピング(汁をとる)作業に、
   多くの人々が関われるので
   収入を分かち合える。
 6,種が毎年落ち、
   それを家庭で栽培して苗を作り
   さらに自分の土地に広げられることにより、
   ゴム林を拡張していけると同時に
   他の家の収入に拡大していける。
 7,果樹にくらべて腐敗せず、
   メンテナンスや出荷が
   山岳地域でも比較的容易である。
こうして、ゴム園を広げていくことによって、
土地から収益が上がり
マノボの人々も、容易に土地を、
町の金持ちに買収することが無くなり
マノボの人々の生活を守る結果にもなる。
さらに、自身の収入によって、
わが子を学校に行かせられるようになる。  
ゴムの植林は、皆さんからの
寄付によって進められています。
最初に、アラカンのキアタウ
(訪問者でこの村に
泊まれられた方も多いと思います)
その下のケロハス、そしてカヨパトンとパコパコ。
すべて非常に貧しいマノボ族の集落で、
ここから多くのMCLの奨学生たちが来ています。
すでに、草刈りが終わり
(そのようすは掲載)ました。
今回は、ゴムを植え付けるための
穴掘り作業が行われました。
いよいよ、6月初旬には、
MCLの奨学生をまじえて
ゴムの植林が始まります。
今は、ゴム以外にも
カカオ、コーヒーも視野にしれています。
植林支援は、1ヘクタール 6万円で可能です。
全作業代とガソリンや食費込み。 
郵便振替用紙に、「植林支援」と書いて、
振り込んでいただければ幸いです。
振り込まれた方には、
季刊誌をお送りしています。
郵便振替口座番号:00100 0 18057  
口座名:ミンダナオ子ども図書館



 
 
 



グマイでの読み語り 
    
   
山のマノボ族の地域グマイ村
キダパワン司教区の
ピーター神父の
指導により、
バナナプランテーション化から
自らを守ってきた地域だ。
この村の中心には
巨大なマンゴーの
大木がある。
その木の下での読み語り。
わたしたちは、この木を
トトロの木と呼んでいる。
この木にはトトロが
住んでいて
彼が、保育所を
寄贈してくれたから・・・
マンゴーの木は、
とても不思議だ。
下の写真のように
枝の一つの葉が
ピンク色になる。
まるで花が
咲いたように・・・。
 
 
 
おおきなマンゴーの木の
すぐそばの保育所。
この保育所を
寄贈してくださったのはトトロ。
この大きな木に住んでいる。
この木には、
トトロが住んでいる。

 


 大晦日の夜
みんなで観覧車に乗った!
 
左は、陽が
ドキュメントを撮影中の
ストリートチルドレンたち
  
 
 

あこがれの綿菓子を食べた! 
    
  




北原良夫さんと娘さんが来られた 
 

この山の向こうサリンシン集落で
国軍とNPAの戦闘が起こり、
マノボ族が避難民化している 


 

北原良夫さんの
娘さんも日本から参加。
ご主人は、牧師さんで、
支援活動に詳しい
 
ここは、貧しいマノボ族のアマベル村
まだ、生活はよい方だが、この奥に
極貧のサリンシン集落があり、
そこから120名ほどの避難民が来ている。
サリンシン村は、右の写真の奥に見える
山々の中にある。本当に小さな村だ。

ここに立つと、遠くの山奥から、
ドーーーン、ドドーーンと大砲の音が聞こえてくる。
ヘリコプターからの襲撃もあり、
国軍が入っているので、
ときどきバラバラバラと機銃掃射の音もする。
なんで、こんなへんぴな所で、
戦闘などが起こるのだろうかと、
不思議でならないが、反政府軍の掃討作戦だという。
サリンシン村からは、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生も
採用しているので不安だ。
右の写真が、奨学生のインカル君。
マノボ族で、アマベル村に保育所を建設したときに、
彼が大きなバナナの袋を
頭に載せて来ている姿が印象的で声をかけた。
誠実で寡黙だけれど、一生懸命な姿が好感持てた。
「名前は?」と聞いてビックリした。
インカルという名字だった。
インカル家は、キダパワン市の
初代の市長の名前だ。
初代の市長は、マノボ族で、
ミンダナオ子ども図書館のあるマノンゴル村の首長。
MCLのある土地は、
インカル家の最後の土地だったのだ。
それを売ってくださったのは、
市長の娘のスーザン インカルさん。
とてもよい方で、ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバーをしてくださっていたが
数年前に亡くなった。
インカル家は、その後、どんどん土地を手放したり、
大学や学校に寄贈して、
一族は、山に山にと追いやられていった、話は聞いていた。
MCLのある、マノンゴル村では、
名前こそ名門だが、三食たべられないほど貧しく
子どもたちの数人は、
ミンダナオ子ども図書館で食べたり、
奨学生に採用したりしている。
話を聞くと、彼は、山に追われていった一族だった。
    
こうした集落に着くと、
必ず子どもたちの状況や
健康をチェックする。
 

至急、現状を調査し

上のサリンシン集落から、たくさんの家族が、
このアマベル村に逃げてきている。
ここには、親戚の家がある人や知人もいて
外で寝るような状態ではなく
ハウスベースといって、
親戚や知り合いの家に逃げ込んでいる。

しかし、親戚とても、
豊かであるはずもなく
一番困っているのが食料だ。
ただし、マグペット市の
福祉局に
事前に確認したところ、
とりあえず
副食の缶詰などを
渡すことがわかったので
ミンダナオ子ども図書館では
まずは古着と靴の支援を
することにした。
サリンシンの子どもたちは
極度に貧しく
しかも、置いてきた
古着などをとりに
村に戻ることも
許されていないので
着るものも大変だ。
まして、靴どころか
草履もない子が多い。

 
ミンダナオ子ども図書館では、
この村に保育所を建設しているし、
しばしば読み語りも行っている。
さらに山中のサリンシン集落には、
一時間以上かけて歩いて訪れ、
そこでも読み語りをしている。
人々は、MCLを良く知っていて、
それだけに救済支援に来てくれたことを、
心から喜んでくれた。
地元の福祉局が、
わずかな缶詰を支援しただけで、
こんなところに救済支援に来るのは、MCLだけだ。
しかし、奨学生もいるので
放っておくことはできない。


 
不平等な社会が原因で起こる貧困。
お金と利益を生むための資源を優先し
現地の状況を無視した開発が、力ずくで進む限り
こうした戦闘は、無くならないと感じてならない。
日本が戦後良かったのは、
教育の機会均等と、
農地解放による土地の配分の
均等化政策がとられたことが大きいと思う。
  

翌日 古着の支援をした
背後では、サリンシン集落に向かって撃たれる
砲弾の音が聞こえた
 
砲弾の音がする中、
子どもたちや親にも、
日本から贈られてきた
靴と古着を配った。
山奥のサリンシン村から、
150名ほどがこの村に
逃げてきている。
帰ることができず、
家畜も置き去りで
田畑も荒れたまま。
精神的にも、
落ち込んでいるが、
多くが親戚や
友人の家に滞在し、
たくましく生きている。
大砲におびえ、軍に脅されて
強い日照のなかに
2時間立たされても、
わずかばかり食物を採りに、
時給地に帰ろうとする。
数人は、死亡していている。
マグペット市の福祉局が唯一
缶詰などの支援を
しているが、足りない。
MCLが訪れたことで、
少しは元気に
なってくれたようだ。





















 
古着のはいった段ボール箱を
載せた4WDの後ろに
大勢の村人が集まってきた。
まず子どもたちを優先して、
一人一人古着を手渡していった。

こんなすてきな靴、
履いたことがない!

北原良夫さんの
娘さんも日本から参加。
ご主人は、牧師さんで、
支援活動に詳しい

すごい熱気が周囲を包む。
皆、大喜びだ!
  

こうした体験を、
多くの日本の若者や
中高年の人々と共有したい。
見ると聞くとは大違い。
実体験のすばらしさを、
毎回ひしひしと感じる。




MCLにテレビ東京が
撮影訪問

 1月4日の午後6時半、
『正月スペシャル・なぜここに日本人』
で4.50分放送された
なぜここに日本人
マノボ族の首長になった
日本人

映像を 見たい方は ここをクリック 
 映像を 見たい方は ここをクリック  
    
 
今回の取材は、本格的だった。
だいたいにおいて、
このような反政府地域の湿原や山岳地域に、
テレビカメラが入ること自体、初めてだろう。
今までも、取材は受けたが、
過去はほとんどが直前になって
ストップしていた。
理由は知らない。
協力しても、MCLの名前も出ない事もあったが・・・
長年テレビを見ていないし、
マスコミのことはわからないが、
ここまで取材するとは、驚きだった。
さすがに20カ国以上
取材してきたベテランだからだろう。
「20カ国以上取材してきたけど、
MCLのような暖かい歓迎の体験は初めてでした」
という言葉が忘れられない。
取材の途中で、涙を浮かべていた事も・・・
 
純粋なマノボの文化が、
テレビもない集落から
発信されるのも珍しい。
フィリピンでは
先住民族の文化が、
ショー化されて紹介されるのが
いつも不愉快だった。
文化は、
心と祈りと精霊たちに
満たされた世界だから。
 
 
マスコミの事は
わからないので、
記事は思い込みで
勝手に載せました。

戦時中に日本軍も司令部を置いた
ピキットの要塞跡で、初めての
平和の祈りの祭典を開催


  

MCLの若者たちによる、祭典が始まった  
 
  
戦争の絶えなかった
イスラム地域ピキット
その中央にそびえる
スペイン時代の要塞跡で、
平和の祈りをすることは、
長年の夢だった。
ここは、日本とも
深い関係のある要塞跡で、
第二次世界大戦の時に、
ここに日本軍の
司令部が置かれ
激戦が展開され、
多くの犠牲者を出した場所だ。
地下には、
防空壕が掘られているが、
未だに、調査は
されたことがないという。
この地で、私たちは、
子どもたちと一緒に
ミンダナオ、フィリピン
そして世界の平和を祈った。
カトリック(OMI)の司祭 マノボ族の首領 プロテスタントの牧師

ピキットの市長

ミンダナオ子ども図書館の若者たちが、
自らの手で企画した、
第六回平和の祈りの祭典!
ピキット市長、多くの村長、
そしてイスラムの聖職者、
マノボ族の首長たち、
プロテスタント教会の牧師、
地元カトリック教会、
オブレート会の神父も参加し
子どもたち若者たちと共に祈った。
スペイン軍が滞在した時代からはじまり、
第二次世界大戦のときの、
日本軍との激戦を経て、
さらにフィリピン政府軍と
イスラム反政府組織の
40年にわたる戦争で犠牲になった
多くの人々を想いながら祈った。

イスラムの踊りをおどった 
   
マノボ族の儀式もした 
  
   
  
 

みんなで平和の歌を歌って祈った 
    
 
りわけ戦闘の狭間で、死んでいった
子どもたちのために、心から祈った!
現在、フィリピン政府とMILF反政府勢力との
平和交渉が始まった事もあり、
本当の平和がくるように!
そして、隣国である日本や韓国、ロシアや中国、
インドネシアや東南アジア諸国と
平和のなかで隣人としての友情を結べるように、
さらに世界の人々と、平和のうちに
愛を分かち合えるように!
私は、集まった人々の前で、
日本人として日本軍が行った残虐な行為を、
心から謝罪した!
 
 

今回の平和の祈りに関して執筆した、季刊誌
ミンダナオの風37号を特別掲載しました。 ここをクリック(PDF)

季刊誌は、登録いただいた方に、自由寄付でお送りしています
 
 

イスラム地域、リグアサン湿原の村に
読み語りに行った

    
   

ちょうど結婚式に向かう舟に出会った 
 
テレビ東京のカメラが同行。
反政府組織の活動地域であるこの湿原に、
TVが入ること自体が初めてだろう。
少なくとも海外スタッフが・・・

 いよいよ、読み語りが始まった

「はらぺこあおむし」を
読むのではなく
語るのは、
イスラム教徒のアミンさん
 

妻のエープリルリンも語った 
 

最後にみんなで踊り、「おおきなかぶ」の劇をした 
   
 

建てたばかりの保育所がまぶしかった 
  
   

テレビ東京が同行して
アラカンのキアタウ集落で
マノボの収穫祭に酋長として参加 

 

ミンダナオ子ども図書館の奨学生たち

収穫祭の準備が始まった 

お祝いに欠かせない、豚の丸焼き
カエルもトカゲも沢ガニも、
とっても美味しい

周囲の村の酋長たちが
集まってきた
私もその一人

収穫祭の踊りが始まった 
   
    
 
    

収穫祭を祝っての食事 
    
    
  
    
 
普段は、ろくに
お米も食べられない
子どもたちだけに、大満足だ
 

収穫祭の前日
愛すべき村キアタウ 

  

繰り返し古着を
渡しているので
とても貧しいのだけれど
着ているものだけは、
とても良く見える
すべて、日本の方々からの
支援の古着だ。 
感謝!
 

前日、村人たちと一緒に、カサバイモを掘った  
村の酋長(首長)の一人で、
奨学生(右の子)のおじいちゃん
 
  

丸焼き用の豚 
   
   
 
私たちのために
パパイヤを採ってくれた
 
夜は、この村で泊まった。
希望者は、泊まれますよ!



 第3回自由都市・堺
平和貢献賞を受賞しました!

大賞がお二人、奨励賞が一人です
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_jinkenbu/heiwa_jyusyo3.html#shorei
詳細は、上をクリック
大賞

Daw Aung San Suu Kyi
(アウンサンスーチー氏)



1945年6月19日ヤンゴン市(旧ラングーン)生まれ。ミャンマー連邦共和国在住。
国民民主連盟中央執行委員会議長(中略)
同氏は、1945年、ビルマ(現ミャンマー)の国民的指導者アウンサン将軍の娘として生まれました。
1988年に民主化運動に参加、国民民主連盟(NLD)を結成し、総書記に就任しました。
しかし、1989年に国家防御法違反により自宅軟禁され、一時の中断を経て、2010年まで軟禁状態におかれました。
 このような中、同氏は1991年にアジア女性として初めてのノーベル平和賞を授賞されました。
 2012年4月には、議会補欠選挙の結果、アウンサンスーチー氏を含む関係者の政治参加が実現し、
ビルマ(現ミャンマー)では、民主化及び国民和解、持続的発展に向けた改革のきざしが見え始めてきました。
贈賞理由

同氏は、ビルマ(ミャンマー)の民主化運動を阻止しようとする軍事政権の圧力により、
1989年から長年にわたり、軟禁生活を強いられるという逆境にも屈せず、
自国の民主化、平和尊重に尽力してきました
2010年11月、同氏は解放され、本年、同国において選挙が行われるなど、
今後、同国の民主化への道筋の中で、重要な役割を果たすことが期待されています。
同国の民主化は、同国の人々の基本的な自由・権利の確保のみならず、
アジア地域全体の平和・安定にも寄与するものと考えられます。

台湾赤十字組織

1904年3月、上海万国紅十字会として設立、1933年、中華民国紅十字会と改称しました。
1949年、同団体は台湾に移り、1954年、台湾における法に基づく唯一の民間団体として、
現在も各国の赤十字と交流し、国内外の人道支援に尽力されています。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災においては、同団体は、台湾の人々から寄せられた支援金から、
ただちに約13億円を日本に送金、さらに約4億円を追加し、
合わせて約17億円が日本赤十字社を通じて被災地の緊急復旧作業の支援に充てられました。(後略)
贈賞理由

東日本大震災は、各地にかつてない甚大な被害をもたらし、今も避難生活を余議なくされる方も多く、
復興にはまだ多くの時間が必要な状況です。
 そのような中、我が国に対し、多くの国・地域から支援が寄せられました。
とりわけ台湾の人々からも、同団体を通じて多大な支援をいただき、
その規模はアジアの国や地域の中で最大のものでした。
 特に、同団体は、救援金を被災地の実情に即したきめ細かな支援に充てるため、
被災市町及び日本赤十字社と連携し、継続的な取り組みを続けています。
 これら同団体の活動は、被災地の復興はもちろんのこと、
今後の日台関係の発展、
及び広くアジア太平洋地域の平和・安定の構築に大きく寄与するものと高く評価します。


ミンダナオ子ども図書館は、奨励賞をいただきました! 
奨励賞

松居 友(まつい とも)氏

受賞者紹介

1953年3月2日東京生まれ。
フィリピン キダパワン市在住。
児童文学者、
ミンダナオ子ども図書館館長。

フィリピンでは、第二次世界大戦後、
南部のミンダナオ島で独自の文化・社会を築いてきた
モロ(イスラム教徒となった先住民族の総称)と
政府の対立が先鋭化し、
1970年には民族自決を掲げる
モロのゲリラと政府軍との戦闘がはじまり、
多くの犠牲者や避難民が生まれました。 
2003年には停戦合意がなされ、
断続的に和平交渉が続いてきましたが、
現在も不安定な状態が続いています。
2000年に偶然、ミンダナオ島を訪問した同氏は、
紛争により難民となり、
貧困により疲弊した子どもたちが、
笑みどころか表情を失っている光景を見て、
この子どもたちを救いたいという強い思いから、
島に残り、絵本の読み聞かせ活動を始めました。
2003年には、さらに活動を拡大するため
「ミンダナオ子ども図書館」を設立し、
小学校や保育所建設、医療支援、
奨学金の付与なども行っています。
現在も同図書館には、
貧困等で自宅からの通学が困難な、
言葉も宗教も違う約100人の
子どもたちが共同生活しており、
同図書館はこれまでに、
同図書館に居住する子どもたちも含め、
さまざまな事情を抱え、
学校に通うことが困難な約630人の
子どもたちに奨学金を付与してきました。
近年は、日本の不登校やひきこもり等の
課題のある青年たちを招き、
フィリピンの子どもたちとの交流を通じて、
生きる力をつけるための活動も行っています。

贈賞理由

宗教、民族間の争いが続くフィリピン、ミンダナオには、
貧困のため、十分な教育、医療を受けることができない
多数の子どもたちがいます。
同氏は、道路も十分整備されていない
山岳地帯などの村を訪ね、
絵本の読み聞かせ活動を通じ、子どもたちが、
自身の文化や民族の誇りを再認識する支援をするとともに、
訪問の際、医療が必要な子どもたちへの
きめ細かな支援を行っています。
また、同氏は、言葉や宗教の違う子どもたちが、
互いの文化を知り、違いを認め合い、
共同生活する同図書館運営などの中において、
一貫して民族、宗教の違いからくる対立の解消への取り組みを進めています。
同氏のこれらの取り組みは、個人の尊厳の回復、
同島における民族和解を促進し、
多様性を認め合う社会の実現に大きく寄与するものと評価します

授賞式は、10月25日、堺市で行われます。
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_jinkenbu/heiwa_jyusyo3.html#shorei
詳細は、上をクリック
ミンダナオ子ども図書館支援方法
上をクリックしてください






戦闘の合間をぬって
保育所の開所式を実施した


 
うっかり保育所の写真をスタッフが撮り忘れました。
保育所を支援してくださった、
中本山實相院発菩提心の会の
サンタクロースの皆さん、トトロの奥様
近いうちに保育所の写真を掲載すると同時に、
10月の季刊誌に同封して、写真をお送りします。
予定通り、ゆめポッケも配りました。
 
 
上記でピキットで戦闘が起き、
避難民が出た事を記した。
戦闘は、MCLが協力して建設した
ブアランと山岳部で始まったが、
MIFL側が、BIFFに、
政府との平和交渉の結果を待つように圧力をかけて
とりあえず治まっている、と書いた。
避難民が出始めたとき、MCLでは、
上の写真で載せたように、ビニールシートを届けた。
そのとき、ピキットで砲撃が始まり、戦車が向かい、
大砲の音が聞こえ始めた地域が
リグアサン湿原ぞいのこの地域だった。
まさに、二つの保育所を建設中だっただけに、
建設はストップし、状況次第となった。
実は、MCLでは、この地域が
戦火に近く見舞われることを予想して
カバサランとバロンギス集落に保育所を建設したのだった。
なぜ?と思われるかもしれないが、
今、戦火に見舞われそうなこの地域に保育所を建設し
いざ、大変な事態になり、
人々が困窮したときに駆けつけられるような信頼関係を
今のうちに築いておこうと思ったからだ。

 
事態は、思った以上に早く進展し、
まだ建設が終わっていないうちに戦闘が始まったが、
上記のような理由で
一時休戦といった状況に入った。
ピキットの福祉局や現地からの情報を集めた。
この休戦期間に、
ほとんど完成している保育所を建設し終えて
開所式を済ませられないだろうか・・・ 
イスラムのスタッフが動いた。
結果的に、保育所は完成し、
状況を見極めて、開所式を実行する日取りを決めた。
最悪の結果も考えて、
子供たちは同行させないことにして、
読み聞かせは、スタッフで簡単に行うことにした。
それと同時に、
たえず戦闘に見舞われているこの二つの村は
立正佼正会の方々から贈られてきた、
「ゆめポッケ」という
母親たちが、手縫いで作ったバッグに、
子供たちと選んだ学用品に
ぬいぐるみを加えたものを渡す予定を実行した。
http://www.ichijiki.org/does/goods/dream-bag/
(MCLは、non-rerigious sect
特定の宗派のもとで活動しないが、宗派を超えて
良い支援、心の籠もった支援のお手伝いは喜んでする。
ゆめポッケは、一つ一つ手作りで、
子供たちにとっても喜ばれている。)

今回もただ開所式のサインをするのではなく
子供たちに読み聞かせをすると同時に
ゆめポッケを配ることで、
子供たちがとっても喜んだ。
つい一週間前には、
砲撃音がしていた地域だけに
最初は、さすがに村人も
緊張した顔をしていたし
MILF側の警備も物々しかったが
学用品とおもちゃをもらって
子供たちが喜ぶ顔と、
読み聞かせでの歓声や笑い声で、
さすが村人たちも
つかの間の平和を感じていた。
ライフルを持った一人が曰く
「MCLは、他と違うなあ・・・」

 
 
 
 
 
カバサランとバロンギスに着いた 


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ここは、
軍は入れない地域だが
年月をかけて、
福祉局は入れる。
わたしたちも、
5年以上のお付き合いで
もちろん奨学生たちもいる。


わたしたちを
警護してくれているのは
MILFの人々だが、
いつも思うのは
いったい何から
守ってくれているのだろう?


川沿いに舟で行くと
子供たちも、
人々も最初はちょっと
緊張したような顔で見るが
MCLであることがわかると
大喜びで手をふってくれる。
下は、
奨学生たちもいる小学校、
子供たちも
MCLを知っている。


対岸は、
ARMMイスラム自治区で
同行した福祉局の職員たちも
緊張気味だが、
そこにもMCLの建てた
保育所もあり、奨学生もいて
人々が手をふるので、
あっけにとられている。
MCLは、
政府も反政府も関係なく
貧しく困難な状況にある
子供たちの所なら
どこにでも行く・・・
 
 



右は手の不自由な
奨学生のポールくん
大学で法律学を専攻し
弁護士になる
 

保育所の開所式
今回はスタッフが読み聞かせをした
 
 
渡辺さんご夫婦
ピーター ポールくん、
元気ですよ。
10月から、
ノートルダム大学に復帰して
弁護士をめざして、
法律の勉強を続けます。
大変困難な状況から来た
若者だけに
いろいろと迷いも
あったけれども
一歩一歩迷いながらも
しっかりと、
自分の人生を歩んでいく。
そうした成長の様子を
見ていくのも
この仕事の
楽しみの一つだろう。
 

かつて奨学生で、
大学で
マスコミュニケーションを
学んだアルベルト君。
京都暁星高校の皆さん
彼も元気で活躍しています。
ラジオ局の経験の後に
MCLにもどってきて
今は、役員もしています。


見事に、
「三びきのやぎのがらがらどん」
を語ります。
日本のみなさん、
日本語の絵本も
送ってください、
読めなくても、
自分でお話を作って
絵を見て語ることが出来る
想像力豊かな
子供たちだということが
わかってきました。


 
 

保育所のサイン式 

中本山實相院発菩提心の会の
サンタクロースの皆さん、トトロの奥様
10月の季刊誌に同封して、
写真をお送りします。

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立正佼正会から贈られてきた
ゆめポッケを渡した
    
  
右の二人の少女たちも
MCLの奨学生。
父親がいない子と
手が少し不自由な子。
でも、本当に
大喜びで駆けてきた。
ゆめポッケももらったし。


このリグアサン地域の出身で
舟に乗り慣れているはずの
スタッフのアミン君が
滑って川に落ちた?
実は、民希さんが
舟に乗るのを
手伝っているときに
民希さんが滑りそうになって
助けた瞬間
自分が川に落ちてしまった!



 



  
 

この地域は、
戦闘が絶えないだけではなく
本当に貧しい。
10月には、
本格的な戦争が
この地域で
起こると言われている。
戦争だけは
起こして欲しくない。
何よりも子供たちが
かわいそうだ

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もしも、こうした子供たちと、
日常的に出会い
長年にわたって
関係を持つことが無かったなら
戦争勃発に対して、
これほど神経質になり
トラウマ状態になったりはしないだろう。
我が子のように愛する子供たちが
半年から一年近く、
避難民生活を余儀なくされ
表情も失われていく過程を
見ているがゆえに
極度の悲しみから、
トラウマが起こりはじめる。
 


訪問者の記録2011年
スタディーユニオン寄贈の
保育所開所式

3月17日


関 浩成さんと
立命館大学・同志社大学
の若者が参加

保育所が建つ村をしってもらうために奨学生の家を訪問


この家の子を奨学生にとっている


この家の子も奨学生に
同志社大学の若者は、
朝日新聞社に内定している、
ともに、将来有望な若者たち。
スタディーユニオンは、起業家も含め、
将来の日本を背負っていく
若者を独自に教育している。
若いときに、ミンダナオで様々な経験をし、
頭だけではなく、全身を使って
独自に物事を考える人間に成長してほしい


読み語りもした
スタディーユニオンの関さんは、
二度目の訪問
前回は、ボートで、勇敢にも
イスラム地域のナブンダスの
保育所を訪問された


同志社大学の青年は
朝日新聞への入社が
内定している
優秀なカメラマン

学用品を届けると同時に
小学校から高校への選考を開始

3月16日
小学校から高校に上がる
子たちの選考を開始

今度、高校に進学する子の
英語と国語の理解能力を調べる

ここスマヤホン小学校の子たちは、
皆合格、今度高校一年生に進学する





地震と津波の
ニュースに
子どもたちは
心を痛めています

地震と津波のニュースに、
子どもたちは心を痛めています。
支援者の人々は、大丈夫だったか?
津波のニュースを見て、泣き出す子たちも・・・
原発の爆発は、今後の日本を考える上で、
おおきな試練かもしれません。
でも、天災に対して、
一致団結できる日本人の良さを今こそ発揮して
コミュニティーをとりもどすために、全力をあげましょう。
フィリピンからも、子どもたち共々、応援します。



日本から荷物が届きました! 
ありがとう

同志社小学校 様 港ユネスコ協会 様
大沢 ミカ   様 鳥海 武夫 様
柿本 るみ子 様 Yuki Oguro 様
栗原 めぐみ 様 子どもの里 様
柿本 けい子 様 湯沢 正樹 様


送られてきたお人形が、大好評!
もう、うれしくてうれしくて・・・
引っ張りだこです

MCLに滞在した、
長谷山文香さん、
佐藤知美さん
からのお便り


長谷山 文香さんからの便り


友さん

こんばんわ。パソコンの調子が悪く、
連絡が遅れてしまい申し訳ありません。
2日前4人で集まって写真を見せていただきました。
膨大な量の写真の中から、
友さんやスタッフの方がカメラを向ける視点が
わたしたちのそれとは違ったり、
「あ、これ知らない!見ておきたかったー!」
と感想を漏らしたり
日本に帰ってきてからも新たな発見がありました。
写真鑑賞会とともに、
わたしたちの9泊10日を振り返りましたので、
うまく言葉にできていない部分がたくさんありますが、
以下に記します。
レクチャーを聞いた直後に友さんをおいかけ、
ミンダナオの場所さえわからないままに
訪問希望を申し出ました。
専門的な知識も見解ももたないわたしですが、
ゼロからのMCL滞在の珍しい1例として。
ほとんど衝動的に、訪問希望を申し出た
わたしたちですが、
正直不安でいっぱいでした
渡航情報やネットなどを見ても、
「渡航延期推奨」や「危険」の文字が。
また、経済的に子どもたちを支援できるわけでもなく、
子どもたちに何かを教える技術ももたずに訪問して、
果たして子どもたちは受け入れてくれるのか。
でも、そんな不安はMCL到着後すぐ、
子どもたちの歓迎で吹き飛びました。
わたしたちが無意識的に作ってきた壁を、
壊すのではなく、飛び越えてきてくれる感じ
「こっちもたのしいよ」と教えてくれるようでした。
一緒に絵本を読んだり、日本でいうと
「かごめかごめ」のような遊びをしたり、抱きついたり。
「アテアヤカー」と笑顔で話しかけてくれ、
可愛くって愛しくって、溶けてしまいそうでした。
思い出すと日記帳には書ききれないくらい、
たくさんの経験をさせていただきました。
キアタウという、標高の高い、
電気の通っていない小さな村で一泊したこと。
そこでホタルの木や白いペンキを
ぶちまけたような星を見たこと。
「日本人は星を見たことがないのか?」と驚かれたこと。
建設途中の保育所を見に、山登りをしたこと。
スタッフや子どもたちがナイトのように
わたしたちを気遣ってくれながらの頂上到着でした。
滞在半ばで具合が悪くなり部屋で寝ていると、
ふと目を開けた時に枕元で子どもたちが
心配してくれていたことに気づけたこと。
支援者である日本の財団、企業の方と日程が偶然重なり、
ピキットでの2つの保育所の開所式に
居合わすことができたこと。
最後の日は、学生が集まる総会が始める前から、
頭が真っ白になり涙が止まりませんでした。
泣かないって思ってたのに。
「わたしを忘れないように」と子どもたちがつけてくれた
指輪やブレスレットは、
日本では浮くくらい日に焼けた肌にキラキラしています。
ただ、楽しい滞在の中で、
行ってみて初めてわかる問題もたくさんありました。
移動中の車で、何度も
バナナのプランテーション農場の横を通りました。
バナナ以外の植物が一切生きていない裸の土壌。
農薬の恐ろしさ。
何年かすると土壌自体が使えなくなるとのこと。
そして、企業はそれを見越してか、
期間を設けて土地を借用するそうです。
今まで10円でも安いバナナを買い、
ときには腐らせてしまうこともあったわたしは
ただただ恥ずかしく思いました。
また、子どもたちの着ている服は、
ほとんどが古着ですが、
「ミンダナオは暑い」という先入観からか
(もちろんわたしもそう思ってました)、
Tシャツがほとんどのように感じられました。
標高の影響もあるのか、MCLの夜は少し冷え込みます。
シーツにくるまって寝、朝3時や4時に起きて
炊事や掃除を行う子どもたちが何度か
「寒い寒い」と言っているのを聞きました。
日本の保育の場では、保育園主催のバザーなどで
「集まりすぎるから古着は持ち込み不可」
など決められる場合もあるそうです。
それを子どもたちに回してあげられないか。
みんなに長袖を買ってあげることは
わたしたちには出来ないけれど、
アナウンスをして集めることなら可能ではないか。
就寝時間がきて、部屋に戻ると、
わたしたちの会議が始まります。
「いま、わたしたちに出来ることはなにか?」
保育学、教育学、社会学、
そして心理学といった異なる分野で
「子ども」を学ぶ4人で訪問できたからこそ、
とらえることが出来た部分も大きかったと思います。
えるだけではなく、行動にする。
これからのわたしたちの課題です。
また今回、3人中2人が「はじめまして」
からのMCL滞在だったため、
このような話を真剣に交わせる大事な
友だちが日本に増えたことも
MCL
で得た宝物となりました。
子どもたちと離れるのが、苦しくって、寂しくって、
本当は1番言いたかった「ありがとう」が
あまり伝えられなかったことが心残りでした。
今では次回訪れるときの宿題、
と都合のいい解釈をしていますが。
最後に、今までNGOの活動やボランティア、
国際情勢に足を踏み入れたこともなかったわたしが、
今回MCLを訪問したいという衝動にかられたのは、
友さんが見せてくださった子どもたちのスライドと、
こんな言葉がきっかけでした。
「子どもたちを助けようと思う前に、
まず子どもたちと友だちになってください。
友だちになれば、相手が必要としている
ものはわかってきます。」
「(日本の心の貧しさに触れて)
ぼくはMCLの子どもたちに、
『君たちが日本人をたすけてやってくれ』
って言ってるんですよ。」
本当にその通りになってしまいました。
日本に帰り、MCLを訪れた話をすると、
「ボランティアで?」
聞かれることが何度かありました。
そのたびに、
「こっちがボランティアされて
のこのこ帰ってきちゃいました。」
と苦笑している毎日です。
子どもたち、友さん、スタッフの方々、
本当に本当にありがとうございました。


長谷山文香


MCL
での記憶  
お茶の水女子大学 佐藤 知美


MCLでの10日間は
本当に毎日が楽しくてキラキラとしたものだった。

全力で子ども達との触れ合いを楽しみ、
見たり聞いたりした現実を深く考えた。

子ども達はどこまでも明るく
懐っこく又可愛かった。
こんなに日本で自分を解放できた事があるだろうか。
子ども達と共に心行くままに歌い踊り遊び大声で笑った。
MCLで過ごす間は、なるべく子ども達と
同じように過ごすよう心掛けた。
ご飯は手で食べ、
朝は早く起きココナッツの実で掃除をした。
中でも印象的だったのが、
井戸で洗濯をしている際に子ども達が寄ってきて
手伝ってくれた時の事だ。
初めは服を洗濯していたが、
しまいには私も丸ごと洗われてしまった。
太陽の下、服ごとの水浴びはなんとも気持ちが良かった。
5日目には電気のない村キアタウに一泊した。
夜6時には辺り一面真っ暗になり、
ただ蛍の光が木に宿り、満天の星空となる。
朝は太陽の光と木や葉、
家々が織り成す影はなんとも美しかった。
6日目の晩には、次の日の朝ご飯の手伝いを頼まれた。
いつももてなそうとしてくれる子ども達が
手伝ってと言ってきてくれた事が、
仲間として気を許し
認めてくれたような気がして本当に嬉しかった。
前日は夜遅く朝4時起きはきつかったが、
何がなんでも起きようと思った。
9日目は総会の後、送別会を開いてくれた。
子ども達に負けない満面の笑みでと思い、
歌い踊っていたが途中から堪えきれなくなった。
I miss you.’‘Come back again.
と泣き出す子ども達。
また必ず
MCLへと誓った。
この10日間、子ども達の純粋さに心癒され、
子ども達の屈託のない笑顔に幸せをもらった。
しかし、貧困や戦闘により暮らしが厳しい人々や
家庭環境で心に傷を負った子ども達、
家族の為学校へ行けない子ども達がいるというのも
また私達が見てきた現実である
フィリピンでは、保育園を出ないと
小学校に入れない規定が制定され
今後厳しくなっていく、という話も聞いた。
この年齢の子ども達に保育が重要だという以上に、
小学校への架け橋として保育園が必要となる。

今になって講演で松居さんが
おっしゃっていた言葉が蘇る…

「まずは友達になって、
それから出来ることを考えよう。」

10日間を通して、子ども達には多くのものをもらった。
これから大好きな友達に私達は何ができるだろうか。
最後になりますが、お忙しい中私達を迎い入れ、
多くを教え様々な経験をさせて頂いた松居さんを始め
スタッフの方々に感謝と敬意を表します。




北野財団が寄贈
マノボの山の村バンシランに
保育所が完成
開所式をした

3月7日(月)


可愛い子どもたちの
ためとは言え
モオー、人間どもは、
よくまあ
あんな山奥の村にモオー
保育所などを
たてるもんだモオー

保育所は、村人の尽力で見事完成していた


今年から、フィリピン政府は、
以前よりさらに厳しく
保育所卒業を
小学校入学の条件とした
その結果、こうした僻地の先住民は
さらに厳しい教育の
機会喪失に見舞われていく
ここでも、貧困と格差が
助長されていくのだろうか

開所式の読み語りと、セレモニー

そして、村人たちと共にお祝いの食事が振る舞われた
母親のいない
この子を
里親候補に
選んだ


開所式が終わり帰路をたどる
この日で村との関係が
終わるのではない
この日から、
この村の人々との
関係が始まる
保育所建設は、
このへんぴな
マノボ族の村との
関係の始まりなのだ。

2月のスカラシップ総会は
訪問者の
歓迎送別会となった

2月27日(日)


アルメックの役員の方々にインタビュー
こちらでの経験と印象を語っていただいた

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/
アルメックhttp://www.armec.jp/の役員の方々、そして
お茶の水女子大と一橋大学の女子学生が訪問されていたので
その方々の紹介からスカラシップ学生総会が始まった。
訪問者の皆さんからの報告、現地での体験談は、
多くの若者たちを勇気づけ示唆をあたえた。
ミンダナオの子どもたち、若者たちは、
自分たちを遅れた途上国の貧しい人間として卑下している事が多い
また、日本の若者や人々は、
自分たちが先進国のより高度な文明社会を維持していると言う、誇りに
心を奪われて、閉塞状況に生きていることも多々ある。
共に交流することによって、お互いが保っているもの、
失ったものに気づき、真の尊敬と友情の輪が広がる。

イスラム・マギンダナオ族の踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が
披露された
訪問が、スカラシップ学生総会に当たり
みんなで歓迎と送別の気持ちをこめて
それぞれの宗教や部族に伝わる伝統を披露。
クリンタンの演奏に乗って、
イスラム・マギンダナオの踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された
マノボ族の衣装に身を包み
マノボ語で、
マノボの歌を歌う
学校では、
マノボ語を話すことは
禁じられていたりする。
また、ビサヤ語と
タガログ語が
一般に使われている地域で
マノボ語は、
恥ずかしい言葉
しかし、MCLでは、
読み語りなども
積極的に現地語を
使うことを奨励し
母語の大切さを日頃から
語っているので
彼等は、
臆することを知らない。
笑顔で、のびのびと
自分たちの文化を
表現している



こちらは、ビサヤ語の歌。
明るく、のんきで、愉快なのが
ビサヤの人々の特徴とされている

男子学生たちの愉快な踊りに触発されて
訪問者たちも踊った
どう見てもこの格好は、
マノボ族のモンキーダンスの系列だが?

こちらは、
伝統文化ではないが
現代的にアレンジされた
愉快なロックに触発されて
思わず
訪問者たちも
踊り出した
大喝采と笑いが
周囲を包む

北野生涯教育振興会の卒業生に
島村氏から、直接賞状が渡される
北野財団(北野生涯教育振興会)は、
トヨタや日産、ホンダの車の
ヘッドランプ等を作っている
スタンレー電気の財団
工場のある、中国、ベトナム、インドなどで
就職希望の優等生に
スカラシップ協力をしてきたが
ミンダナオ子ども図書館のようなタイプの
貧困の中でも極貧の子を支援するファンデーションに
協力するのは初めてだという。
毎年3名の大学生、2カ所の保育所を支援、
寄贈して下さっている
島村氏は、今回で二度目の訪問

今年の大学卒業生全員に
MCLから賞状
そして、卒業生たちの
後輩へのスピーチ
こちらは、MCLの今年の
大学卒業生たち
毎年、卒業生が増えていく
左のイスラムの二人の男性は
MCLのあるマノゴル村で
高校の先生見習いをしている。
小学校の頃から
すでに7年以上関わっている
子たちもいて
私も感慨深い



毎年、卒業生たちには
自分たちの経験を
後輩に発表して
もらっている
苦労話に
聞いている方も
涙ぐみことも

感動的だった最後のお別れ会

またお会いしましょう・・・MCLファミリー



スタンレー電気
北野財団が寄贈して下さった

保育所がプノルに完成
開所式に島村氏訪問


村長さんのサインをもらい
テープカットを行

北野財団
http://www.kitanozaidan.or.jp/

今回の白眉は、北野財団
島村さん主演の
おおきなカブだった

島村さんが、
おおきなカブになられた

こちらでは、
おおきなカサバイモだが、
猿もその大きさにビックリ
こちらは犬だ こっちはネズミ 村人たちの
ひさびさの大笑い?
ここは、絶えず戦闘に見舞われ
避難民化が絶えないイスラム地域
ピキットの奥だ

そんな村に、朗らかな笑い声が
みなぎった
このようなお付き合いを通して
村人たちの心が開かれ
MCLを愛し、信頼し

平和への想いが強まっていく

絵本は真の平和を作る!
北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/


アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加

2月26日(土)
アルメックhttp://www.armec.jp/
こちらは、アルメックが
寄贈して下さった、保育所。
アルメックhttp://www.armec.jp/
到達するには、
さらに奥に行かなくてはならない。
船着き場から、乗合船に乗る。
対岸はイスラム自治区で、
絶えず戦闘に見舞われている地域だ。
市にも話を事前に通して、
DSWDのグレイスさん方も同行するが
軍や私兵も警護をしている姿が物々しい。
私たちだけで行くときは、
ここまで警護は無いが・・・

開所式の前に読み語りをした

この地域は、
イスラム地域で、
マギンダナオ族
マギンダナオ語が
話されている。
小さい子たちは、
マギンダナオ語しか
知らない子も多い


しかし、保育所では、
タガログ語が使われるので
スタッフが何語でお話ししようか、と聞くと
タガログ語!と言う言葉が返ってきた。
そこで私が、言った
「タガログ語は学校で習うけど、
マギンダナオ語は誰が教えてくれた?」
「お母さん、お父さん・・・!!!」
「そうだね、お祖父さんもその前のひいお祖父さんも・・・
だから、マギンダナオ語の方が、とっても大事なんだ。
MCLでは、読み語りの時に
その地の母語を優先する・・・」
この瞬間から、とりわけ周りの
お父さんお母さんの表情が変わった!


そして開所式が始まった
アルメックhttp://www.armec.jp/


アルメック
http://www.armec.jp/

古着の支援もした
思いがけない、古着の支援に大喜び
この地域の子たちは、
ピキットの町に出るだけでも遠い
戦闘でも、繰り返し避難民化している
対岸は、イスラム自治区のダトゥピアンだ。
今日は、なけなしのおしゃれをしてきているが
衣服がほとんど無いのは目に見えている
それだけに、大喜びだった。




祝日、ウオーターフォールに
遊びに行った

2月25日(金)


ウオーターフォール村の状況は良くない
男性も小学生の高学年の子たちも
時には家族総出で
サトウキビ刈りに駆り出され
村には小さな子どもと女しか残っていない

滝で遊んだ


訪問者の方々も
ファミリーの一員


つかの間の休日
みんなで滝に泳ぎに行った
リスター君のお兄さんも参加
すっかりMCLが
気に入った様子だ

村の子どもたちも一緒に
お昼を食べて
遊んだ


この村出身の奨学生も多い

村では、
3食たべられない家族も多い
肉や魚どころか
米のご飯も食べられない
それがわかっているので
村の子たちも皆呼んで一緒に食べ
一緒に遊んだ




北野財団の寄贈
カンポゴンの保育所を目指して

2月24日(木)


北野財団の寄贈して下さった
カンポゴンの保育所は馬で行く


馬でも歩けない場所は
ジャングルを徒歩で
登っていく


この村の小学生、高校生は
この道を毎日
通っているのだ

カンポゴンの村に着いた


ようやく、
山上の尾根にある
カンポゴンの村に着いた

建設中の保育所を目指して
最後の登り


資材を運び上げる困難から
開所式には
間に合わなかったが



一生忘れならない
想い出になった

みんなで昼食

ようやくラナコランの下宿小屋まで帰ってきた

あの山奥の子たちが
安全に通えるように
この下宿小屋を
使っている




高地マノボ族の村
キアタウに泊まった
2月23日(水)

キアタウの子どもたちと

翌日は、馬に乗り
保育所の開所式に出発







マキララを訪ねる
2月21日(月)

マキララの奥の小学校、
2年前に初等小学校から
6年生の小学校に・・・
この村は、5年ほど前までは、
NPAの拠点でもあり
戦闘が絶えなかった。
山麓に広がる、広大な
ドールのバナナ農園を抜けて、
山岳民族の集落を越えて
移民系のこの集落に達する道程は、
グローバル経済の抱えている矛盾を
目の前で理解できる。
ドールのバナナを覆っている
新聞紙は、日本の新聞
日本向けのバナナプランテーションが、
人々を追いやり
それに反対してNPAが
立ち上がり戦闘が起こった。
私が、来た2000年頃は
危険地域では入れなかったが
今は、この地から
多くの奨学生を取っているし
MCLの農場もある。
上記のイスラム地域と
同じ問題が、ここにもある。

この村で、今高校を建てようとしている。
はるか山麓にしか高校はないから・・・
MCLジャパンで、土地を寄贈、
今年の6月から
一年生のクラスが始まる。
右の掘っ立て小屋は何かというと
村人たちが、一生懸命出資して
小学校の子たちも、トウモロコシを栽培して
やっと建て始めた、高校の教室。
この掘っ立て小屋で
6月から授業が始まる。





こちらは、小学校。
かつては、屋根だけの
下で勉強していた
初等小学校だったが
2年ほど前に
教育省が
教室を作った

小学校の側にある、MCLファーム
MCLの農場を
守って下さっている
ピサンさん一家
子どもたちは、奨学生。
この地に、今、MCLは
下宿小屋を建て
ようとしている。
高校生たちが
下宿して通えると同時に
近隣の山岳地帯から
小学生たちが下宿をしながら
学校に通えるように・・・
この村には、JICAの支援で
給食事業が行われていたが
それが止まってから
学校に通えない子たちが
また増えてきたという。





ここに、高校生の下宿小屋を作り
農業をしながら勉強が出来るように
する予定だ。

リスター君の家を訪ねる
上のマノゴル村の生まれでありながら、
土地所有者に父親を殺されたリスター君一家。
まず、お兄ちゃんを迎えに行き、
一週間、MCLで生活してもらうことになった。


お昼のおかずの
芋を掘ってきた
お母さんもやってきた
この日、リスター君の
お兄ちゃんが
家族に一足先だって
MCLに来た。
3月に、姉妹が
学年を終えると
リスター君や
お母さんも含め
みんなでMCLに
引っ越す。
父親が殺された
家族たち
それでも、MCLに
来られることで
ずいぶん顔つきが
明るくなった。


犯罪心理学を学んでいる
学生もいる
何を感じているのだろうか




お茶の水大学の3人と
一橋大学の女子学生が

山上のマノボ集落を訪問

2月20日(日)

お茶の水大学の心理学を学んでいる3名と、
一橋大学で経済を学んでいる一人、
日本の若者たち4人の女性が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
きっかけは、私が、お茶の水大学で講演したこと。
学校と本で学んだことが、
初めて現地で子どもたちに出会い、
人々との交流で息を吹き返していく。
学校で見た若者たちが、時がたつたびに、
ここで息を吹き返したように
のびのびとしていく姿を見るのは、楽しい。

もともとキダパワンの市に近い、
山麓に住んでいたマノボ族が
プランテーションや
移民の土地所有に追われて
こんなにも高い尾根上に集落を作って、
住み着くことになった。
MCLに土地を譲って下さった名門のマノボ族
亡きスーザン・インカルさん
お父さんは、初代のキダパワン市長だったが、
土地を譲り、売り渡していった。
その親戚たちも、今は、低地の土地から追われ、
この村のさらに奥の集落に移っている。


自分たちの所有地は
ほとんど無く、
ホウキ草で箒を作って

町に売りに行くのが、唯一の収入源だ。


大事なのは、しっかりと見て受け止め
感じ取り、理解し
そして、何が出来るか考えること
この地から
高校生の奨学生を
一人選んだ。
成績も良いし
この村との
コンタクトパーソンとして
役割を果たして
くれるだろう。
家は非常に貧しいが
自ら野菜を売りながら
高校まで進学。
スカラシップが
決まったとたんに
泣き出した。



村を回って子どもたちを集める


村に着くと、読み語りの場所を決め
その後、村を回って
子どもたちを集める
そのとき、村の人々と話をし、
その地の生の声を聞き
現状を把握していく。


いよいよ読み語りが始まった

たとえ言葉が
通じなくても、
子どもたちの表情から
多くの事を
学ぶことが出来る

日本の若者たちが
ここから何を学んでいくのだろうか

その夜は、みんなに読み語りを



日本から届いた贈り物
2月10日(金)
こんにちは、・・
Excelくんに、
息子のお古ですが、学用品。
お母さんにバッグ、
皆さんに古着とぬいぐるみや
おもちゃを同封しました。
クリスマスカードと手紙を書きましたので、
Excelくんに渡して下さい。
皆さんが幸せなクリスマスと
お正月を迎えられますよう
心よりお祈りしています。
河田朋美さん、Excelくんは、MCLに住んでいます。
プレゼントをわたしました。
ちょっと恥ずかしがっていました
でも、すごく喜んでいましたよ。
横尾優子さん(福岡)、
北野財団からの荷物も届きました。






支援者の湯沢さんが帰られるので
エルマリーは泣いた!

2月3日(木)」

彼女の姿を見ていると
この子たちにとって、支援者とは何かが理解できる





ムスリムデー
今年のテーマは、洗礼

1月30日(日)

毎年1月の最後の日曜日、
総会はムスリムデーと決めている。
ムスリムつまりイスラム教徒の文化も多様だから、
正確にはマギンダナオデーと呼ぶ。
ミンダナオのムスリムも、
タウソグやマラナオ等と、いくつかの種族があり、
ピキットを中心としているマギンダナオ族が
MCLには多いので、マギンナオデーだが
いくつかの種族がMCLにもいる。



Welcomeと書かれている。
お祝いや結婚式の幟


優雅な手で
ビーズを刺繍した
壁飾り
全て神をあらわす
ミンダナオのムスリム文化は、
六〇〇年以上の歴史があり、奥が深い。
さすがに国際的な文化で、
服飾や飾りの美しさも、
中東の文化にアジア独特の味が加わり優雅だ。

イスラームの歌が唱われた
独特の短調も入ったイスラムの歌は、
どことなく日本の
古い歌を思い出させる
アジアンテーストに満ちていて、
憂愁を感じさせて心を打つ
普段はベールをまとっていないが、
要所要所で彼女たちはベールをまとう。
独特の味わいがあって美しい。
小さな子どもでも、
街中や田舎道をベールをまとって
アラビックスクールなどに通っていく。

イスラームの出産と洗礼

へその緒を切るところ

ゆりかごに
赤ちゃんを寝かせる
イスラム教徒は、7日後に洗礼を授ける。
これが唯一の誕生の祝いで、
その後に誕生日は祝わない。
イスラムの子たちが、時々
自分の誕生日を知らないのは、
誕生祝いが一生に一度だからだ。

BDA(バンサモロ エージェンシー)の教授がレクチャー
イスラム文化のすばらしさ、
戦争を必ずしも許容しない考え方、
多様性などについて
バンサモロエイジェンシーで
アラビックスクールの教授が語った。
ヨーロッパも含め世界を巡ってきた教授。
ミンダナオ子ども図書館の活動を絶賛して下さった!
内容は、近く英文で掲載します。


訪問された湯沢さんの紹介の後
みんなでマギンダナオ料理をいただく

伝統的なお菓子も多い
長野県の茅野からこられた湯沢さん。
エルマリー(一緒にいる少女)の支援者
大柄でバスケットなどのスポーツに堪能。
エプソンに勤めていらっしゃる。
長野のNGO等との今後のつながりが楽しみ。



立正佼成会と共に訪れた
ダバオサイドの先住民の村へ
スカラシップ調査

1月29日(土)
ダバオのカリナン地域の
バナナ農園を抜けていくと、
大きな谷の端っこ、
追い落とされそうな場所に、
小さなマノボの集落がある
この広大なバナナ農園、ご存じのスミフル。
日本の住友フルーツの農園。
(住友フルーツの皆さん、
一緒にスカラシップ支援をしませんか?)

農園の中や表の村道に
すんでいる人々は、移民系も多く
農園のメンテナンスなどで、
多少の収入はあるのだが
土地を追われ、移住を余儀なくされ
隠れた裏側に追いやられた彼等の生活は、非常に貧しい
下の腐ったような山は、
食用にならないバナナを刻んだもので豚の餌だ。
これを売って、なんとか彼等は食いつないでいる。
出生届も学歴もないので、
正規に雇われることは無い人たち。
立正佼成会の訪問をきっかけに知り合った
子どもたちだが、
ここから奨学生を採用することに決定
先祖伝来の土地として守られているはずなのに、
「祈りの山リゾート」建設のために、
親を殺害された首領の娘たちも二人
親の居ない子、片親の子
厳しい環境の子たちが
優先されるが
学習意欲も大事なポイントだ。
スタッフたちが次々に
質問をしていく
最近は、スタッフたちも
写真技術が向上し、
カメラを使うようにな
ったので
下のように、
時々私も写っている
前は、全部私が
撮影を引き受けていたのだが






実に、いろいろと
考えさせられた日々だった


松居友 様
私にとって二度目のMCL訪問、
滞在中は何かとお世話になりありがとうございました。
予定を変更し、ビザ日程をギリギリまで使う
十九日間の滞在となっりましたが
そこから見えてきたものはいろいろあります。
私自身支援者の一人ですが、
現地MCLの活動や子どもたちの生活の様子は
まだ良く分かっていなかった事を感じました。
本当のMCLを理解していただくためにも
今回の滞在中、自分の目で見たもの体験した感想を
多くの方々に、少しでも紹介してみたいと思いました。
日本の支援者の方々にも現地の活動や,
子どもたちの生活の様子を知って頂くための
一助になれば幸いです。

 <1月13日> 
MCLの活動は、毎朝のスタッフミーティングから始まる、
スケジュールに従って行動開始である。
3名のスタッフと供にカティンド村に 向かう、
目的はスカラーに手紙を書いて貰うこと、
支援をして下さる方々への
サンキュウレターやソーリーレターである。
その日の行動の効率を考え、学用品等も同時に届ける。
スタッフたちの仕事の大変さは移動距離の大きさである。
四駆でやっと登れるような荒れた山道を,
二時間~三時間喘ぐように登って行 く。
数枚の絵手紙を書いて貰うためにも、
時間と労力を惜しまない
スタッフたちに頭が下がる思いがした。

 <1月15日> 
今日はウオーターホールへストリーテーリングだ。
ウオーターホールはアポ山への登山口でもあり、
美しい滝が有るので有名な村でもある が、
急な坂道を上って行く事には変わりはない、
村の人々の生活は非常に貧しい。
四十人ぐらいの子どもたちを二回に分けての移動である。
朝早く第一陣が出発、
スタッフは第二陣を迎えるために又山を下る。
第二陣が到着した時にはもう正午を過ぎていた。
先発隊が昼の食事をつくって待っていた。
流れ落ちる滝を前に、みんなで食べる昼飯の味は格別だ。
ミンダナオはスコールの多さでも有名であるが、
この日のスコールは別格ものだった。
四駆が動けない、止むのを待って帰路につくが、
大スコールの後の荒れた山道は滑りやすい。
四駆の運転は、スタッフにとって緊張の連続である。
子どもたち全員を無事に運び終えた時は
もう夜の帳が辺りを支配していた。

 <1月18日> 
マキララのカタパガン村の保育所開所式に参加した。
松居さんは急用が出来ダバオへ行く事になった。
プレシデントのアスレーが中心になって
セレモニーを進めて行く、
保育所の使用目的や取り決め事項等を読み上げ確認をとる。
村の主だった人達との調印を済ませ
握手を交わし開所式は終了した。
その後スタッフ全員で、集まった子どもたちに、
歌やパフォフオーマンスを交えながらの、
絵本の読み聞かせが始まった。
村の人達も交えて昼食をすませ、喜びのうちに無事終了。
スタッフ達の仕事は多種多様だ
多くの仕事をこなして行く。

 <1月20日> 
先日ひょんな事で知り合う事になった
レリンダ・ランダウィさんに会うために、
マグペットのイナムアランという村に向けて車を走らせた。
彼女は以前日本に住んでいた事が有り日本語が話せる。
松居さんとスタッフのマリペールの三人で
道を尋ねながら四駆で登って行った。
レリンダさんに会う事が出来いろんな話を聴く事ができた。
彼女は、この村のもっと上の山奥に
とても貧しい集落が有る事を話してくれた。
松居さんの表情が変わった。
是非そこに案内してくれませんか、四人でその集落をめざした。
途中四駆も登れない山道にさしかかった、徒歩で登るしかない。
松居さんもまだ足を踏み入れた事の無い村だ、
上り詰めた所に数戸の集落があった、
一見してこの集落の人たちの極貧の生活が窺える、
中でもとりわけ目立つ 家があった
九歳を頭に八人の子どもと両親が、
二畳程の家の中で生活している、
一日一食がやっとだという。
松居さんが呟いた、
これを見るともう黙っては居れない、何とかしなければ、
スタッフのマリペールの聴き取り調査が始まった。
MCLの活動の原点が見えた、これだ、
同時に日本の支援者の皆様の温かい心を感じ胸が熱くなった。
いよいよMCLを離れる時がきた、
あっという間に時が過ぎた気がする。
夕食後、子どもたちがサヨナラパーティをしてくれた。
別れの言葉やグループで歌を歌ってくれた、
しかしいつもと違う、声が出ていないのだ。
子どもたちの胸の内が窺え目頭が熱くなった。
ロロヨシ(ヨシおじいちゃん)明日帰るんだね・・
そうだよ明日日本に帰るよ・・
堰を切ったように子どもたちが抱きついてきた、
もう溢れる涙を抑えることができなかった。
MCLの子どもたちは実に良く働く、
当番の子どもたちだろうか、朝四時には炊事を始める。
他の子どもたちも五時には起きる、学校に行く前に庭の掃除、
一階の床をヤシの実で磨く、
二階のフロアーのモップがけなど苦もなくやってのける。
学校から帰ってくると、洗濯や掃除に勉強と楽しそうにやっているのだ。
日本ではなかなか見られない光景である。
子どもたちは底抜けに明るく笑顔を絶やさない。
 ロロヨシ、サヨウナラ、次は何時来るの、
子どもたちの目に妖精の涙がキラリと輝いた。
ありがとう。
                                        
  =頭島義成=
     
     

保育所建設調査に別の
山頂のマノボの村を訪れた

1月21日

キダパワンの隣、
マグペット市のDSWD(福祉局)から、
保育所建設の依頼があり
福祉局の職員と、保育所担当のスタッフジケロ
スカラシップ担当のスタッフマリベールと
共に現地を訪れた。
道には、橋が無く、車で川を渡る。
増水していないので良かった。
マグペット市地域では、バアイボアイと
ウオーターフォール集落に保育所を建設しているが
その両者に挟まれて、
多くのマノボ族の集落が山岳地域に点在している。
現地は、赤土の道で、雨が降ればスリップして帰れない。
バイクの車輪跡があるだけで、車の轍はまったくない。



車で二時間ほど、山を登っただろうか。
山頂から伸びる尾根状の場所に、突然集落があった。
こんなところに、と思われる場所に、小学校がある。
教室数は足りないが、それでもしっかりした学校だ。
そこからの眺めは、絶景で。
ミンダナオの広大な平地が見渡せた。
アポ山の山麓に、ぽっかり抜けたようなマノボの集落。
低地を追われた彼等が、自らの平和な土地を探して、
ここまで登ってきたのだ。

彼等の生活の基盤は、
ホウキ草で箒を作って
下の街で売ること。
そして、ほぼ野生のような
コーヒー豆を売ること。
途中でバナナが
植わっている
農場があるが、
プランテーションのような
大規模なものではない
それらの土地は、
ほぼ、下の街に住んでいる
お金のある有力者のものだ。
そうした畑の草刈りや
収穫の手伝いをして
日銭を稼ぐ。
ここには、移民系の人々の家も若干あり、
そうした関係か、電気が引かれていた。
(先住民だけなら、電気が引かれることはない)
こうした移民系の人々の家は、
このような高地でも思ったより良いので
バナナ農場の管理などを、
金持ちに任せられているのだろう。
右は、高台の良い場所にある、移民系の人々の家々
それらの家の少し下に
貧しいマノボ族たちの家がつらなっている。
下は、マノボ族の人たち

マノボの子たちは、本当に働き者だ。
小さい子でも、水をくんだり、薪を運んだり。
ホウキ草のホコリのような種子を、
地面に叩いてとったりして
家のお手伝いをしている。


一家族に、
7人から12人ほどの
子どもたちがいる。
避妊の指導を
しなければならない
だって?
コンドーム買うお金
どこにあるの?


フィリピンに来て、自然に生まれてくるものは、
生まれてきたらいい、と思うようになった。
貧しくても良い、
みんなで助け合って生きていく事が大切だと・・・
日本のような、寂しい国にならないために。


かつてMCLボードメンバー
亡きインカルさんの親戚の子に会った

どん詰まりのように見える、この村。
実は、このさらに奥に、
七つほどの集落を抱えている。
全てマノボの集落だ。
そこから、大きな荷物を頭に載せて来る
人々に出会った。
その中の一人は、少年だ。
汗びっしょり、しかし、目元の涼しい利発そうな子
「いくつなの?」
「12歳」
「学校は?」
「小学校二年生」
名前を聞くと、インカルという姓だ。
一緒にいた、叔父さんが笑っていった。
「MCL、知っているよ。
うちの兎唇の子を治してもらったしね・・・」
エッと驚くとさらに続けた。
MCLのボードメンバーの
スーザン・インカルさんの親戚なんだ・・・

亡きスーザン・インカルさんは、
ミンダナオ子ども図書館に土地を譲って下さった方で
お隣さんであり、初代のボードメンバーだった。
おじいさんは、キダパワン市の初代市長。マノボ族。
キダパワンの南ミンダナオ州立大学の土地も、
寄贈されていることを知っていた。
生前、ミンダナオ子ども図書館のある、キダパワンは、
マノボ族しか住まない土地で、
今は、次々に追われて山に追いやられ
ほとんど、彼女たちが最後の土地所有者だった。
その土地を、ミンダナオ子ども図書館に
譲って下さったのだが、
MCLの活動を心から愛して下さった方だった。
この少年は、自分の集落から
学校に通うには遠すぎるので
この小さな村に、仲間と共に
崩れかけたような下宿小屋を持ちながら
小学校に通っているのだという。
亡きスーザン・インカルさんの
声が聞こえるような気がした。
「この子を奨学生にしてあげてくださいね・・・
将来、立派なマノボの指導者になるために」
よろしくお願いします。



二週間滞在された
頭島さん(ロロヨシ)のお別れ会

1月20日夜
山元しんぷさんと一緒に来られた頭島さん、
子どもたちからロロヨシと呼ばれて親しまれた。
ロロとは、おじいちゃんの事だ。
日本事務局の構成員のお一人でもある
忙しい神父さん方が、三日で帰られた後、
意を決して、一人残られた。
言葉がさほど出来るわけでもなく、
海外で一人になったのは初めて。
最初は不安そうだったのだが、数日もたつと、
すっかり溶け込んでしまった。
私は、いつも、「せめて二週間はいないと、
本当のMCLはわかりませんよ」と言ってきた。
二週間というのは、
日本では大変な長い日にちなのだが、
頭島さんが言うように
あっというま、つまり、時の流れが違うのだ。
時の流れの違いに気がつき
こちらの時に身を移したとき、初めて、
本当のミンダナオが見えてくる。
お別れ会。これで、二度目。
今回は無くても良いから・・・と言っていたのだが。
子どもたちがしたがった。
そして、唱っているときの声が全く違うのに、
おそらく気がつかれたことだろう。
「短期間の滞在では、とても日本人には、
現地の様子、MCLの活動がいかに大変か、
子どもたちの本当の姿も、わからないですね。
日本にいる人には、想像もつかないでしょうね。
一枚のお礼の葉書や手紙を子どもたちに書いてもらうだけでも
スタッフたちがどんなに努力しているか・・・
帰ったら、私から話しましょう。」



マノボ族の村に
保育所建設の調査

1月20日
頭島さんのたっての願いで訪れた、
マノボの村。
保育所調査で訪れた。
このような調査の時にこそ、
現地の現状が飛び込んでくる。
会う人々に、執拗に質問をしながら、
最も貧しく、最も大変な集落に案内してもらいつつ
調査が進められていく。
そのあまりにも貧しい状況に、唖然とされた頭島さん。
「ミンダナオ子ども図書館の
活動の原点を見た気がした・・・」

貧しい集落の中でも
比較的ましな首領の家
この集落で唯一
6年生を卒業する子がいた
この子を、
コンタクトパーソンとして
スカラシップに
採用しようか?

ぼろぼろで、貧しく、
家の様子すらなしていない、
極貧の家庭も多い。
先ほどの首領が、
面倒を見ているが、
首領自体も、しばしば三食
たべられない
日があるという。
そんな家を、
二軒紹介してもらい訪ねた。
小学校2年生で
止まった子がいる。
お弁当を持って
行けないからだ。
今年は、日本の
経済事情も厳しく
なかなか支援者が
見つからない
それでも、私の弱みで
いったん見てしまうと
どうにもならない。
せめてこの集落から
一人の高校生と
二人の小学生の
スカラシップ候補を
とりたいと想った。
実現するだろうか・・・


ここに保育所を建てることになった
ここは、上記の集落から
下に数キロ下った集落
子どもたちはたくさんいるのだが、
保育所が右のような代物で
しかも、地主が撤去を依頼しているとわかった。
上は、保育所の先生。
調査をしているのは、スタッフのマリベール。
私たちは、ここに保育所を建設することにした。
そうすれば、この周辺の多くの集落が助かる。



ソロプチミスト・
原田政子さま寄贈の
保育所が完成!

1月18日

ソロプチミスト、原田さまの依頼の保育所が、
マキララ地域に完成した。
マノボ族とクリスチャンの混在地域だが、
非常に山奥で、NPAの有名な活動地域。
(貧しい地域は、ほとんどそうで、
NPAを選んで支援している訳ではないのだが・・・)
とにかく、子どもが多い。
平日なので、開所式の読み語りは、スタッフたちがした。
彼等も以前は、奨学生たちだったからお手の物だ。



登山家の章さん・再訪
1月10日~1月16日
ピキット・ブアランの支援している
奨学生を訪問

1月16日


奨学生の家、
今は非難してここには住んでいない。

章さんは、四度目のアポ山とざん。
よほどミンダナオが気に入ったと見えて、度々訪れている。
以前は、セブに泳ぎに行っていたけど、
ミンダナオの方がおもしろい!
支援している、イスラム教徒の奨学生を訪れた。
ブアランの度重なる戦闘で、就学が遅れている彼女。
「来年から、高校一年生になるけど、MCLに住みたい」
しっかりしたよい子なので、受け入れる予定だ。



ピキットの市場で、母親に会う

ピキットの市場は、
フィリピンの他の
どの市場とも
雰囲気が違うと感激
お母さんも、
娘がMCLに
住むのに大賛成。
戦闘が無ければ良いのだが

今回は、
ウオーターフォール村から
アポ山に登頂


四回目の登山 1月12日~15日


初回は、ダバオ側から。
前回は、
キダパワンのメインルート。
今回は、初めて、
原生雨林が残る、
ウオーターフォール村からの
登頂

雨の多い時期だった。
3名のMCLスタッフに、
ガイドとポーターがついた。
ポーターは、MCLの奨学生、
アロナさんのお父さん、
ガイドは叔父さん。



熱帯雨林のバージンフォーレストを抜けて

これはもう、写真で見ていただくしかない、
原生雨林のすごさ、すばらしさ。

森の途中でキャンプ
石油ストーブもあるけれど
あっという間に、
料理の準備を薪で




イスラム自治区 
ナムリ村に保育所完成

1月6日

山元神父さん、現地訪問

イスラム地域の中でも、
とりわけ孤立しているARMM(イスラム自治区)
ピキットには、国際的支援が集まっても、
こちらにはなかなか集まらない
MCLでは、重点地域として指定している。
この地域は、湿原地帯にあり、
道路が無く、無数に張り巡らされた
湿原の支流が道
KAZARIさんは、
この地域の奨学生を支援して下さっているかた

まずは、開所式

読み語りが始まった

ここでも、読み語りに、
スタッフたちが活躍した。
船首に立ち
ワニをチェックしている少年
冗談だが
確かにワニはいる





大晦日にプレゼントが届いた!
12月31日


大晦日の31日、大きなプレゼントが届きました。
荷物を運ぶ、フォーレックスの職員たちは、
毎回MCLに泊まっていきます。




IMT国際停戦監視団の
落合さん方が訪れた

5月20日(金)



夏休みで子どもの数は少なかったが、
厳しいお仕事の合間、少しリラックス?


リグアサン湿原へ


ここは、ほとんど
外国人が入れない地域だ。
反政府組織の活動拠点で
あるばかりではなく
アブサヤフや
ジェマイスラミアといった
(いわゆる)テロリスト?
そして、ペンタゴンと呼ばれる
誘拐組織の跋扈する場所?
その背景には、
この地に眠る膨大な
石油と天然ガス資源をめぐる、
国際的な暗闘がある
と言われているが・・・
この広大な湿原地帯に
多くの人々が生活している
最大の収益は、漁業だ。
私も良く、村を訪れると、
鯉の丸焼きを食べさせてくれるが
鯉、ナマズ、ウナギ、テラピア、雷魚
どれをとっても、信じられないくらい大きく
驚嘆するほど美味しい。


洪水の激しいときにこの地に
何度か踏み込んだが
まるで、果てしない海だった
洪水になると、漁民たちは、
大喜びで一斉に、水が落ちる場所に
魚縄をしかけ、漁網をはる。
屋根まで水が浸かっているのに
悲壮感がない理由が今はわかる。
洪水になると、農地は消えるが
漁獲量が大幅に増え
漁業取引がかっぱつになるのだ。
彼等にとって洪水は、
大きな収入源なのだ。
農民は困るのだが、ここの人々は
農業と漁業を使い分けていて
両方をうまく組み合わせて生活している
湿原は、巨大なワニの生息地でもある
漁業をしながら、農地も持つ
家の手前にはトウモロコシ
家が一段高くなっているのは
洪水の時に下が完全に水没し
2階に住むためだろう。
水は、確実に屋根まで来るが、
屋根に舟をつないで寝泊まりし、
漁業をする人々も多い。
洪水は、鉄砲水の様相をしめし
急激に低地を襲うが
二,三日後には引いていく
長くても一週間は続かない・・・
それも、悲惨さが無い理由だろう



小舟が無くても、水牛に乗って川を渡る


リグアサン湿原には、
多くの集落や家々が散在している
この地を治めているMILFが、
この上流のプランギ川の
ダム建設に、敏感に反応する理由は、
ダムによって水位が落ち
漁師で生活している多くの人々が
困窮すると考えているからだと、
聞いている。
すでに、上流のマノボ族社会は、
ダムに反対の意志を表明
先日、建設受諾のサインを拒否した。
上流のカルメン、アラカン地域は、
NPAの地域だが、
アラカンでもキダパワンでも、
反対意見が強く出ていると聞く。
「ダム建設による、電力供給だけではなく
下の洪水を収めるための、
治水効果もあるはずなのに
なぜ反対するのだろう・・・」
最初私も理解に苦しんだが、
次第次第にわかってきた。
ミンダナオは、急峻な谷を持つ
山岳地の日本と違って、
なだらかな丘陵地形であり
日本のように、ダムが出来ると、
谷底の村が水没するという
小さな地域の問題ではなく、
広大な自給地や農地が消滅する。
つまり、川沿いの広大な
ゆるやかな傾斜地で、
多くの住民が自給しているために
ダムの貯水が、浅く広範囲に広がり、
自給地が失われる。
ミンダナオの住民たちは、
土地問題にものすごく敏感で、
戦闘の殆どは土地問題だ。
ブキッドノンのダムが失敗の良い例だと
言われているが、
アポ山の地熱発電による川の汚染もあり、
電力を供給するダム建設には、
NPAもMILFも
強く反対していると聞いている。
電気が流れても、貧しい人々には
全く恩恵はない。
家に電気も引けないから・・・
『もしも、真剣に洪水対策を考えるなら、
植林による森林復活を通した
洪水対策のほうが、ダム建設よりましだ・・・』
とは、ある先生の話。
川沿いに堤防を作るのも効果がありそうだ。
灌漑も良い考えだと思うのだが、


治水のための灌漑水路による、
水位の低下も、
漁民たちは非常に怖れている。
灌漑とダムを同一視しているからだろう。
この広大な湿原と川で、
生活を立てている漁民の数は、
半端ではない。
彼等の多くが
反政府活動をしているとしたなら、
これはよほど考えなければならない。
過去、誘拐による殺害も起こっているし・・・
確かに、この地には、
膨大な石油と天然ガスが眠り、
湧出もしているのだが、
資源開発による環境汚染も
漁民たちは怖れている。
洪水が資源発掘の障害に
なっているのは事実で、
洪水対策が行われたとたん、
資源開発が活発になり
湿原自体の環境が、
汚染されるのではないだろうか・・・。
アポ山の地熱発電により、
川が汚水で汚染されている現状から
環境汚染問題が、未だに、
NPA活動の焦点になっているように。
魚も美味しいし、ワニもいるし、野鳥も豊富、
太古を思わせる湿原の美しさは
神々の世界そのままだ!
この地を、ラムサール条約による
特別自然保護地域に指定し、
http://www.env.go.jp/
nature/ramsar/conv/

開発を最低限にして、豊富な魚と
豊かな土地を基盤とした漁業と農業
美しい自然と素朴な生活を舞台にした、
ツーリズムによる付加的収益向上が、
この地に最も適している開発ではないかと、
私自身は思うのだが・・・

 


平和への歩みは
まだまだ続く

今後の展開で予定しているのは、
まずは、住民たちの手によって、
クリスチャン集落とムスリム集落をつなぐ
かつてあった道を切り開くこと・・・
MCLの奨学生たちも手伝って草刈りをし、
その後は、ブルドーザーで道を開く。
ブルドーザーは、すでにピキット市長が、
無償の貸し出しを許可している。
みんなで力を合わせて道を作り、平行して、
日本政府のODAによる学校建設が開始される。
10月か11月、年度末には完成する。
完成した後で、「平和の祈り」の集いを現地で行う。
このときに、立正佼成会が贈って下さっている、
夢ポッケのバッグも配ろうと思っている。
今回は、クリスチャン地域からも
小学校の里子を8名採ったし、
彼等が協力する形で
クリスチャンとムスリムの子どもたちをつなぐ、
読み語りなどもしばしば行い
二つの村をつなげていこう。
平和への歩みはまだまだ続く・・・・

2008年の戦闘の様子は、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/
~mindanao/mindanews2008.htm



これから、ここに
MCLが外務省に提案した
日本政府のODA
草の根無償による
6教室の学校が建設される

日本政府の草の根無償による
学校建設が、6月から始まる。
ミンダナオ子ども図書館が、
外務省に提案した企画だ。
最後まで、セキュリティーの問題が
検討されたが、先日も、
IMT国際停戦監視団の落合直之氏の提案で
コタバト市で、国軍側とMILF側のセキュリティーに
関するお墨付きをもらった。
MILF側は、私たちの事を良く知っていて、
そこで出会った方も、
同行したブアラン小学校の校長先生の親友だったし、
今回の学校建設の設計監督技師のマンソーリ氏は、
BDAのエンジニアであると同時に
MCLのボードメンバーでもある。
私たちは、重要なメンバーが、
現地を訪れるときには必ず
市長を通して国軍側とMIFLの
BDAピキット支部に報告して
背後からセキュリティーを保障してもらっているが
今回は、落合氏のおかげで、
コタバトの中央で合意が出来たことをうれしく思う。
話の内容は、共通して、
MILF側とは問題が無いという意見で、
国軍側からは、NPAの方が難しいと言う話が度々出た。
具体的な地域の名前もポンポンとあがり、それらが、
ことごとくMCLと関わりを持っている
地域であることが先方にとっても
私たちにとっても興味深く、
スタッフ共々話が弾んだ???
MIFL地域に関しては、恐いのは、
はみだしの誘拐グループであり
その通りだろう。
誘拐犯に囲まれたら、抵抗せずに、
ぼくをおいて逃げるようにと、
スタッフや奨学生たちには言っているが
MCLは、取り立てて
平和構築活動を意識しているわけではない。
一人一人の子どもたちが、平和で幸せで、
貧困の無い世界で生きてほしいと願っているだけ・・・
まずは、友達になること、
それから、何が出来るかを考えよう!



ブアラン小学校の卒業式
4月1日(金)

上で記事を書いた、ブアラン小学校の卒業式。
ちょうど、13日前に、
読み聞かせがあった小学校で、卒業式があった。
私は、過労がたたったのか、
激しい下痢、腹痛、頭痛、体中に痛みが走り
歩くこともままならずダウン。
5日間ほど、入院していて出られなかったが
MCLボードメンバーのグレイスさん、
プレシデントのアスレーさん、そして息子の松居陽が出席した。



MCL代表として、松居陽が参加、スピーチをした


校長先生と陽は、
よほど気があったようだ
両親のいないジハード君は、
MCLに住んで高校に通う

陽曰く
「本当にブアランは
良いところだ。
イスラムの子たちは、
本当に可愛い!
校長先生も良い人だね。」

MCLの奨学生たち、
今度高校に進学する。
後段、右端から、
校長先生、松居陽、
アスレー、グレイスさん



北九州小倉ライオンズクラブの寄贈したヤギが
子を産んで増えてた


極貧のこの村に
ヤギを寄贈して下さった
ライオンズクラブの方々。
ヤギが子を産んで
増えています!



3月の
スカラシップ学生総会は
平和の祈りの日

3月27日(日)
日本から、
京都暁星学園高校の
仁科夫妻と
幼稚園のユウカちゃんが
来られた。
今年の役員および
スタッフの構成が紹介された。
2011年度役員および
スタッフ構成に関しては、
あらためて報告します

モスクの開所式

MCLの本部があるマノゴル村には、
カトリックもプロテスタントも
キリスト教徒の教会はそろっているが
イスラム教徒のためのモスクがなく
それが、MCLにムスリムの若者たちが
住みたくても住めない理由だった。
そこで、高島均明治学院大学教授が、
日本人の有志たちと
日本イスラミックセンターのイスラム教徒と協力して
MCLにモスクを寄贈した

立派なモスクを設計して下さった
エンジニアのマンソーリ氏は、
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバー。
BDAバンサモロデベロップメント
エイジェンシーの設計技師でもあり
JICAの草の根無償等でも、技師を務めている。
以前に建てた、マカブアルの小学校や、
今回、建設が決まったブアランの小学校建設も
彼の設計で建設している。

建設の経緯を記した、
高島教授からの
メッセージが、
モスク内に掲載され
披露された。

今回のモスクは、
高島均明治学院大学教授が、
日本人の有志たちと協力し、
さらに、日本イスラミックセンターに
呼びかけて、実現したものだ。
宗派を超えて、
子どもたちのために、
贈られたモスク。
画期的な試みと言えよう。

 
 
今まで、MCLのあるマノゴル村には
クリスチャンの教会は多々あっても
イスラム教徒のモスクだけは無かった。
そのため、イスラム教徒の奨学生は、
祈る場所が無く、
それが、MCLに住みたくても
住めない理由だった。
今、モスクが出来て大喜び。
クリスチャンの子たちからも
良かったね、と声をかけられた。
 

平和の祈り

平和の祈りは、
子どもたちの
歌と踊りで始まる

ミンダナオの平和、世界の平和と共に
今回は特に、日本の地震被害についての報告があり
みんなで鎮魂と平和の歌をうたった

今回は、日本の地震と津波、
原発の被害者の報告があり、
その人たちのためにも祈った。
日本にいる、支援者の事を想い、
泣き出す子たちも・・・
 

日本政府JICAの支援で
建設が決まった
ブアランの小学校の
先生方も参加された
京都暁星高校の
仁科先生ご夫妻が
日本の地震の様子と
日本の子どもたちの
抱えている
問題について語り
その後で、みんなで
日本の支援者の方々や
被害に遭われている人々
そして、日本の若者や
子どもたちのために歌い
そして、祈った
若者たちは、涙をためて
家族のような支援者の方々
兄弟姉妹のように感じられる
子どもたちや
若者たちのために
歌い祈っていた
京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/

この子たちは、
国境というものを超えて
人間を感じ、
考える素質を持っている
心に壁がないと
いつも感じる
私たちも、歌った。
仁科先生や子どもたちの目に、
涙が浮かぶ

MCLでは、みんな家族

宗教の違い、宗派の違い、民族の違い、
国の違い、豊かな国と貧しい国、金持ちと貧乏人
そのような人為的に作られた壁を超えて、
互いに心を通わせ、愛し合え、
心も、富も、知恵も、
分かち合える時代を彼等だったら作れる・・・
少なくとも、MCLには、
そのような家族の雰囲気がある。
ここには、世界の平和につながる
芽が感じられる。

MCLファームのあるマロゴンの農場から


妖精のいる木
時期になると、
蛍の乱舞が見られる

何とも気持ちよさそうに
水浴する一郎
寄贈者の名にちなんで、
一郎と名付けられた水牛君
否、水牛さん(雌)です。

また会いましょう


今回の滞在で
最も活躍したのは
5歳のユウカちゃんだった

京都暁星高校が寄贈
マノボ族の村、アマベルの
保育所開所式

3月26日(土)



霧の中を山上の
マノボ族の集落へ
ここには、日本人を名乗る
マノボ族の人々も多い

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/
京都暁星高校は、
カトリックの高校で宮津にある
不登校の子どもたち、
学校に行きたくなかった子どもたち
さまざまな事情のある子どもたちを
優先的に受け入れている
京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/
海外、特にフィリピンとの交流を重視し
植林や学校建設なども、生徒主体に行っている
MCLの初期からの仲間で
イスラム地域のパイドプランギ、
マノボ地域のカティンド、
ラナコランには、下宿小屋を、
そして今回、
アマベルに保育所を建設して下さった
MCLの若者たちのスカラシップ支援も
3名して下さっており、
去年11月、招かれて、
滞在した記事もサイトに掲載されている

村の子どもたちを集めて読み語り

お話は、
マノボ語も使われる
言葉が通じないけれど
心が通じる

そんな体験を
子どもの頃からした子は
本物の国際人?

この方が、保育所の先生

テープカットと開所セレモニー

京都暁星高校ホームページ http://www.kghs.ed.jp/



日本政府の海外支援ODAによる
ブアランの小学校建設が決定した

ブアラン村民との打ち合わせに
クリスチャン集落からも役員が参加
平和への一歩が記された

村の中心はイスラム地域、
この丘の上にクリスチャンの小さな集落がある
30年間まったく、
交流が途絶えていた。
それどころか、終始対立し、
2008年の戦闘もここから勃発。
しかし、日本政府のJICAが、
学校建設を決定。
そのための集会が、
クリスチャンの役員を交えて話し合われた。
このようなことは、初めての事だ。
すでに記事にも書いたが、
MCLでは、両地域に保育所を建設
クリスチャン地域で、山元しんぷさんが、
ミサをあげ読み語りをして
両地域をつなげてきた。
今後は、クリスチャン地域の子と親を
イスラム地域に呼んで
建設される学校の敷地で「読み語り」を実施
消えてしまっていた両集落をつなぐ道を、
村人たちで開き
クリスチャン地域の子たちが
学校に通いやすくする。
学校ができあがったら、校庭で、
日本からの訪問者も交えて
平和の祈りを行うことに話が決まった。

 
 

小屋の外にも村人たちが

校長先生が村人に説明する

この方が、
新しく選ばれた村長さん

マニラの日本大使館主催で署名式典が行われた
3月25日(金)

ミンダナオ子ども図書館では、
今回、マカブアルの小学校に次いで二度目


こちらは、三日後に
マニラで行われた
大使館主催の式典


大使とのサイン交換
華麗なる広間で
なんだか友さん
偉くなったみたい???
ミンダナオ子ども図書館は、
現地の切なる要請と、
平和貢献に役立つことを確認し
現地の思いを実現するために協力。
ODA草の根無償は、
日本の国民の税金を使っているので、
MCLも無償で貢献している
人件費はとっておらず
査察のガソリン代も自分たちで負担して、
ODAのお金は100%現地に・・・
前回建設したマカブアルの小学校は、
200名だったのが、
現在は600名の子どもたちが通っている
平和がもたらされ、道も建設されて、
避難していた人々が帰り、
新しい家も建ち始めている
 

 


J-Bird草の根無償は
現地のLGOやNGOが対象
MCLは、フィリピンのNGO

現地にも来られ、
いろいろお世話になった大使館の
(勇敢な)スタッフたち
なかなか情熱的で良い仕事をしている

IMT国際停戦監視団の『IMT通信』に
ミンダナオ子ども図書館が紹介されました


IMT通信へgo
IMT国際停戦監視団が
発行している
『IMT通信』に、
MCLの記事が載りました
取材に来られた
福永さんが執筆

やはりMCLに来られた
落合さん
なかなかわからない、
国際停戦監視団の役割
また、今回の大規模な
洪水の状況などを
簡潔に実にわかりやすく
述べていらっしゃいます。

平和構築に向けての
歩みが続くブアラン集落

7月8日(金)


ブアランの小学校は、
ほぼ完成に
近づいている
6ヶ月かかる予定が
3ヶ月で完成するのだから
村の親たちの
意気込みがわかる
村の父親たちが、
クリスチャンもイスラム教徒も
協力し合って大勢で、
みんなで作業をしたものだから、
11月に完成予定の小学校が何と
7月末には、完成しそうだ。
外観はできあがり、
最後のペンキ塗りと窓のはめ込み
黒板を含めた内部の
仕上げが残っているのみ。
敷地も広がり、
素晴らしい学校になりそうだ。
そのせいか、子どもたちの顔もあかるい。
丘の上のニューバレンシアの
クリスチャンの子たちも、
イスラム教徒の子たちも、
一緒に下の学校に通っている。
クリスチャンとイスラム教徒が
40年にわたって対立してきた、
丘の上のニューバレンシア集落
40年ぶりに平和が戻り、
クリスチャンの子たちを奨学生に
採用したことは前回述べた
さらにその側に、
下のラガイェンに避難していた
イスラムの家族たちが戻ってきた。
クリスチャンの村の人たちは、
彼等を心から歓迎し、
今共生の生活が始まっている。
MCLでは、新しい
イスラムの子たちで、
ブアランの小学校に通い始める
6名を奨学生に採用した。
こうして、毎朝、
イスラムの子たちと
クリスチャンの子たちが、
同じMCLのカバンを背負って、
仲良く登校するようになった。
イスラムの子たちと、
クリスチャンの子たちが、
一緒に支援者の方々に
手を振っている
本当に皆さんありがとう!
MCLとJICAで
建設中の小学校も、
日本の皆さんの税金で建てた
平和のシンボル!
8月にここで、
平和の祈りの祭典をします。
参加希望の方は、
ご連絡下さい。







先日同行された
共同通信社の現地記者の記事


The Japan Times Online http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20110628a7.html

Tuesday, June 28, 2011

NGO extends help to Philippine flood victims

Kyodo

PIKIT, Philippines ? A Japanese nongovernmental organization extended assistance to flood victims in a Muslim rebel-controlled village on the southern Philippine island of Mindanao over the weekend.

News photo
Out of the storm: Children displaced by floods sleep at an evacuation shelter in Cotebato on Mindanao Island in the Philippines on June 20. KYODO PHOTO

Tomo Matsui of the Mindanao Children's Library Foundation, based in the island's central province of North Cotabato, led the distribution of tarpaulins and clothes to residents of Kabasalan, a remote village of this town that has been submerged in flood waters for almost a month now.

Incessant rains caused by three storms that hit the country this month have swelled major rivers and tributaries in the region, causing heavy flooding in low-lying towns and cities. A major river system clooged by water hyacinth was another contributing factor.

Several hundred thousand people in central Mindanao have been affected by the flooding, with tens of thousands now sheltering in evacuation centers.

"The Mindanao Children's Library Foundation is mainly for children, but we help those who are in need, regardless of the circumstances. If we made them happy, then that's good," Matsui, 58, said, speaking in the local Cebuano dialect.

With a population of a little over 3,000, Kabasalan is an area controlled by the secessionist Moro Islamic Liberation Front.

"We are very grateful to Tomo-san for their help, said village leader Teng Oba.

"These tarpaulins and clothes are a big help to us already. We use those tarpaulins to add cover to our roofs during rainy season, or as cover when we sail to catch fish, or as drying mats for our corn during the dry season," he said.

Last week, the foundation conducted similar missions in six other rebel-controlled villages of Pikit believed to be under the jurisdiction of another rebel group, the Moro National Liberation Front.

"Sometimes, if I think about it seriously, I feel afraid a bit. But knowing that there are many children there and their situation is very pitiful, my fear dissipates," Matsui said.

MCLF President Asrie Sabil Hussain and Pikit deputy social welfare head Mary Grace Cadungog said proper coordination with municipal leaders ensures their safety against the rebels.

Aside from Cadungog, Naomi Ochiai, Japanese representative to the International Monitoring Team of the ongoing peace process between the Philippine government and the MILF, joined the MCLF's mission on Sunday.


今度は、反政府地域に
ビニールシートと衣料の支援をした

6月26日(日)

こちらは、反政府勢力と呼ばれる
MILFのピキットサイド。
カバサラン方面だ。
かつてからコンタクトを
持っていた場所だが、
R7に属するので、
しばらくご無沙汰していた。
と言っても、
戦闘のあった2008年には、
医療と読み語り支援をしているので
村人たちとは懇意だ。
前回のように、
軍の動向は拒否されている地域。
普通の舟を3艘借り切って向かった。
今回、
共同通信のマニラ支局長とカメラマン、
IMT(国際停戦監視団)の
落合さん方が同行された。
平和を作り出すためには、
バランスのある支援が
大切なことをご存じで
IMTもJICA、政府側と
反政府側にバランスを
とりながら支援するように努めている。

カバサランは洪水の渦中だったが
2日前から少し引いて
陸地が見えていた
しかし、今回の洪水は、
2008年の時より長期化している
繰り返し大雨が襲ってくるから
ユニセフが、子どもの感染症に
関する警告を出した。
次回は、ARMM地域で
医療も行う予定。

ビニールシートを配布した

共同通信社の記者とカメラマン、
国際停戦監視団の方々も同行された

古着の支援も行った

次回は、国際支援が
ほとんど全く行かない
川向こうの
イスラム自治区に、
ビニールシートと衣料、
そして医療の支援を
行う予定だ。
洪水、長引かなければ
良いのだが。



寄付をありがとうございました。
洪水支援に使わせていただきます。

水害支援(敬称略) 河野優子
NPO法人ドネーションシップわかちあい

松居友さま
6月11日に寄付を正式決定しました。
事務局ブログの報告です↓↓
http://blog.goo.ne.jp/donationship/e/aba46247944972949004c99adbd9bf21
会員さんから子ども図書館を紹介してもらって、
サイトや通信を読ませていただいて、
子ども図書館の理念、実際の活動に共感し、
子どもたちのために、少しでも
皆様の現場のお役に立てればと寄付を決めました。
互いの違いを尊重しあい、
多様な価値観や存在が共存しながら<平和>をめざす。
それはこれからの世の中でますます重要で
大切なことになってくると思っています。
今後、事務局ブログや会員ページで、
ミンダナオの現実や、子ども図書館の活動について
情報紹介していけたらと思っています。
人と人、心と心をつないで、分かちあい
支えあいの社会を築いていきたいと願っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
先日、フィリピンにドネ通信を郵送しました。
(まだ届いてないかな)
私たちの活動や会員の皆さんの気持が
伝わればと思いますので、
お時間がある時に見てみて下さい。

◆連絡先◆
わかちあいささえあい明日のくにへ
****************
特定非営利活動法人ドネーションシップわかちあい(立川さき)
TEL&FAX075-621-3128
*****************
事務局ブログ「困った時はお互い様」
過去の避難民救済も今回使わせていただいています。(敬称略)
林田 裕子、久岡 隆行、戸塚 恭子、
磯道 來恵視、井手 公平神父、仙台白百合学園幼稚園、
中島 利男、クルムプアンタイ椿、
木下 とわ子、保田 妙子、諏訪 淑子、江口 陽子、子安 洋子、
中本山實相院発菩提心の会、
北川 容子、冨高 英徳、多湖 敬子



国際停戦監視団IMTの福永さんが
マカブアルの小学校と
MCLを訪問された

6月17日(金)
JICAの職員として、
世界各国で活動されてきた福永さん
今回は、IMTのメンバーとして
ミンダナオに赴任された。
私がお世話になったハウスオブジョイの烏山さんと
青年海外協力隊のころからの友人。
http://hoj.jp/
今回は、MCLを取材されるために来られた。
MCLがJICA草の根無償で建設した
マカブアルの小学校を訪問。
マカブアルは、現在洪水に見舞われていて
ミンダナオの現実を行政の視点からと同時に
地域住民の視点から見つめる
良い経験になった。
洪水は、毎年起こるわけではないが、
2,3年に一度の割合で起こる。
前回の大きな洪水は、2008年だった。
この時期は戦争の時期で、避難民化している
人々を洪水が襲ったので、
大変厳しい状況だった。
MCLは、ビニールシート、
医療、食料の支援をした。
今回は、戦闘が無いだけ、まだ平和で良いが、
困窮の状況は変わらない。
ピキットの地域政府は、
すでに米の支給をしているが、一世帯わずか2キロ。
洪水が長期化しなければ良いが。
屋根近くに逃げたりして、屋根が壊れたり、
避難民化している人々も多く、
MCLでは、他がしていないビニールシートの
支援をすることに決めた。


マカブアルの小学校も
水の中だが
一時教室内まで水没したが
今は、多少
水が引いた状態だ
村に行くには、
小さな舟に乗るしか
道はない。


周囲は大海原のようだが
マカブアルはまだ
内陸に属していて
この先の村々の
被害が甚大だ

学校は、すでに
一週間休校だが、
事前にMCLで
連絡していたので
先生方が駆けつけて
下さった。
DSWDのグレイスさんも
ご一緒下さった
MCLのボードメンバーだ。

少し遅れて、警官も到着。
恐らく市長からの要請だろう。
裸足なのが珍しい?
人々の生活は楽ではない。
漁師をしている人々は良いが
内陸地ではおもに農業で
そうした人々は
打撃が大きい。
洪水を避けるための
灌漑用水路が効果的だと、
私は思うが漁業者は、
怖れている。
ただし、洪水で地味が
豊かになる
利点もあるが・・・

私がこの地に踏み込んだときは、
この村に入る道は踏み跡以外に無かった。
理由はいろいろあるが、
今もそれは変わらないと思うのだが、
奨学生を30名ほど採用し、
今その多くが高校生。
大学卒業生も出ている。
読み語りにも通って、
村人たちと親しくなり
人々も警戒を解いて親しくしてくれるようになった。
その時期から、崩れかけ、屋根だけの校舎で
勉強している子たちの状況ゆえに
村人から、学校が建てられないか、
と言う依頼が出てきた。
MCLのような小さなNGOでは、
保育所建設が限界であるし
学校のような恒久的な建物は、
コンクリートのしっかりしたものを建て
半永久的に使ってもらわなければ
あまり意味がないと考えた。
そうなると三百から五百万円はかかることになる。
MCLの力ではとても無理と考えて、検討した結果
日本政府ODAであるJICAの
草の根無償基金に応募することにした。
この基金は、対象が日本のNGOではなく、
現地のNGOが直接大使館に応募する基金で
MCLは、フィリピン政府公認のNGOだから、応募できる。
完成後、当時200名だった子どもたちが
500名近くになった。
USAIDにより道も出来、
電気も届き、家々がたち始めた。
村の人々が明るくなったのが何よりも印象的だ。
うまく機能すれば、政府のODA、
米国などの海外支援
JICAのプロジェクト等が素晴らしい効果を
発揮する良い例だろう。
コタバトのOMI
オブレード会の
オーランド司教が
今までの既存の洪水対策の
抜本的な見直しを
提案しているが、
賢明な方策だろう。
漁業者、農業者、政府側、
反政府側が
歩み寄って根本的な対策を
打ち出す時期だ。
JICAが会議の場を提供し
EUを含むIMT参加国や
UNとも連携し
技術的にも協力する
体制を打ち出したら
良いと思うのだが・・・

ピキットの後に、MCLを訪問された


お昼時に子どもたちが
戻ってきていたので
急きょ短い歓迎会を
子どもたちが開いてくれた

その後、インタビューを交えて2時間近く話をした。
内容の一部は、IMTの機関誌に
掲載されると思うので皆さんにも報告したい。
ピーストークが、7月末に、
再度の区切りが付けられそうだが、
それをきっかけに戦闘が
起こらなければ良いのだが・・・
今、不安定なのは、
むしろ新人民軍NPA側との戦闘で
先日、私たちの奨学生がいるボアイボアイで
国軍との間に戦闘が起きた。
子どもたちが心配で、
学用品を届ける事をかねて現地に行ったが
小規模だったので軍も引いていた。
また、別の保育所のある
マキララ地域の近くで戦闘があり
こちらの方は、150名ほどの避難民が出ている。
土曜日は、ピキットの洪水対策のために
緊急支援に向かうが
マキララの情勢もチェックしなければならない。
かつて7,8月頃に戦争が起こるかもしれないと書いたが
根拠がないわけではない、戦争だけはごめんだ。
停戦監視団の方々、よろしくお願いします。






創価大学の若者たちと
学用品を届けに行った

坂本弥生、林田依里香
6月6日(月)



MCLのスタッフは
実に頼もしい
スカラシップ担当の
マリベールは
マノボ族、
かつての奨学生で
自分も同様の生活を
体験してきた
ミンダナオのUSM州立大学から、池田大作氏が、
名誉博士号を受けて
私が日本滞在中に、USMから教授陣が
来た話を聞いていたが
USMは、イスラムとクリスチャンの境界にあり、
イスラムの若者たちも多く
MCLの若者たちもたくさん奨学生で通っている。

カガヤンデオロは、日本からの中古車が着く
貿易港のある町で
私も行ったことがあるが、商業都市で、
活気はあるが殺伐としている。
その上のブキッドノン地域も、
ドールのプランテーションが中心で
本当に貧しく、山岳地域などの追いやられた先住民族や
イスラム教徒の状況が
理解できる場所ではない。
その意味で、お二人がMCLに数日なりとも滞在し
おもにマノボ族の状況を垣間見たことは、
大きな刺激となったろう。
MCLに来て初めて、ミンダナオに来た感じがした、
というのは良くわかる。
10ヶ月の滞在の合間をみて、度々訪れてくれるだろう。
こうした若者たちが育っていくのは楽しみだ。
世界的な経済低迷と
物価高の影響をもろに受けて、
土地を追われ、自給地も持たない
先住民族の状況は非常に良くない。
3食たべられない家族も多い。
ここ、プロック8とボアイボアイは、
数あるこうした場所の一つで
MCLの奨学生もたくさんいるが、
なかなか学業が続かない。
ボアイボアイに関しては、
さらに国軍とNPAの戦闘が先日あり
村の状況は、さらに悪化している。

夜は、ウエルカムパーティ,MCLの家族になった
6月7日から9日までの3日間、
大変お世話になりました。
忙しい中、本当にありがとうございます。
遅れましたが、無事に二人とも
カガヤンデオロの家にたどり着きました。
短い期間ではありましたが、
MCLでの日々は私たちにとって
素晴らしい思い出深き体験となりました。
本当にここでしかできなかった
貴重な体験だったと思います。
自分が考えもしないところで貧しい生活をしている
マノボ族の人や、家族を失ってしまった子供たち、
実際に自分の目で貧困で苦しんでる人に触れて、
勉強できること、親がいること、
当たり前だと思っていたことは当たり前では
なかったのだと気づき、感謝に変わりました。
苦しい体験をしながらも、明るく元気に話しかけてくれる
MCLの子供たちに励まされ、
社会に対する考え方が大きくかわりました。
すべて子供たち、スタッフの方におしえていただきました。
今度はもっと長く時間をつくり、
MCLにもう一度訪れたいと思います。
子供たちの幸せのために自分にできることを
身近なことから
はじめていこいうと決意しています。
どうぞ、素敵なMCL家族の皆によろしくお伝えください。
ますますのご発展をお祈りいたします。
本当にありがとうございました。

 
坂本弥生、林田依里香





日本政府ODAでJICAが建設
MCLが提案し建設管理を委託された

ブアランの小学校が
驚くべき早さで建てられている

6月15日(水)


何と20日間でここまで建設された。
完成は、7月末。
予定では、11月から12月の完成と
言われていたのだが・・・・
理由は、ブアラン村の男たち、
特に父親たちが、イスラム教徒もクリスチャンも
自分たちの子どもの事だからと、
一致協力して大勢建設に関わっているからだ!
父親たちの姿も明るく、40年にわたる戦闘で暗かった村が、
一気に明るさと活気を取り戻したようだ。



若き校長先生と、MCLスタッフ。
右プレシデントのアスレーさん、
左バイスプレシデントのマージー
日本政府のODAの仕事を、
大使館の現地スタッフと連絡を取りながら見事にこなしている。
二人ともMCLの奨学生だった。
マージーは、まだ5人だった頃の一人。
日本人は、私一人だったし、現地語もおぼつかないので、
彼等の働きがなければ何も出来ない。
初期の頃は、彼等が高校や大学に行った後、
私が便所掃除と洗濯をしていた。



40年間争い、交流が途絶えていた丘の上のクリスチャン集落

ニューバレンシアの子どもたちが
下のイスラムの村の学校に通い始めた




ブアランの小学校に通えて、
本当にうれしそうなクリスチャンの子たち。
平和になることで、どんなにホッとする事か!
教室が足りないので、
ここで4年始から6年生までが
一緒に授業を受けている
机もいすも足りないが、外ではお父さんたちが
一生懸命学校を建てているので心は明るい

イスラム教徒がほとんどの学校に、
新しく入ってきたクリスチャンの子たち
イスラムの子たちも奨学生が
沢山いるブアランの小学校
さぞかし緊張しているだろうと思ったけど、
意外と明るい顔で幸せそう。
子どもたちは皆、戦闘が無く、
みんなが仲良く住める世界を望んでいるのだ!
この様子を見て、胸が温かくなり、
本当に幸せな気持ちを感じた。
お父さん方が、みんなで建設に励んでいる姿も
素晴らしかったし、思わず目頭が・・・
今後、ニューバレンシアに戻り、
ブアランの小学校に通い始めた
イスラム教徒の子どもたち、
5名も調査して加えたいと思っている。
一緒に手をつないで、学校に通えるようになるために。
皆さん、里親奨学支援に応募して下さい。
まだ支援者のいない子たちがいっぱいいます。

まだ支援者のいない子たちがいっぱいいます。

7月いっぱいには、
小学校が完成する。
完成と同時に、
8月半ばに開所式を兼ねて
MCLの奨学生が全員集合し、
この地で『平和の祈り』の
祭典を行う予定だ。
日本からも、
山元眞しんぷが参加予定。
現地のイスラム宗教者や
OMIカトリック神父、
マノボ族の
プロテスタント牧師も
マノボ指導者も参加します。
仏教会からも、
どなたか参加されませんか?
一般参加もOKです。

 





洪水の中を舟で・・・
円福幼稚園寄贈の
ARMMカルボガン保育所の開所式

6月2日(木)




円福幼稚園ウエッブサイト
http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/

前日からの大雨で、鉄砲水がピキットを襲った!

確かに、今年は異常に雨が多い。
2008年の戦闘時に、
多くの人々が避難民であるにもかかわらず
無慈悲に雨が降り洪水が起こった。
それに勝とも劣らない、雨だという。
去年の春は、
エルニーニョで山岳地の人々が困窮した。
ピキットの上流のアラカンのマノボ族たちだ。
今年は、異常に雨が多いので、
下のリグアサン湿原周辺の
イスラム教徒たちが大変だ。
しかし、それでも、戦闘がないだけ、
まだ平和な感じがする。
日本でも、津波のような天災よりも、
原発の人災がよほど怖いように
ここでも、洪水よりも戦争が恐ろしい。
といっても、洪水も原生林(ジャングル)が伐採され、
日本等に材木が大量に輸出された結果に起こされた
人災ではあるのだが・・・





モスクもすっかり水の中だ



家を放棄して道路に
逃げている人々


車が一台水をかぶりストップ、修理する
悲しいことだが、この道は、昔の轍道を戦闘後、
USAIDというアメリカのODAが、
土盛をして幅を広げて高くし、建設した道路だ。
それが、堤防の役割をするために、
道路の川沿いの集落が、
ことごとく水没するようになってしまった。
水はなんと、屋根まで来る。
奨学生が多くいる、タリタイ村の家々も
水没するようになってしまった。
このような状況の結果、
人々の開発支援に対する不信感が増幅する。
支援が逆効果を及ぼす悲しさ。


それでも、
人々の生活意欲は高い
決壊した道路沿いで
魚を捕る子どもたち
水の中で、
ボール遊びをする
子どもたち

本来なら、この先まで
車で行かなければならない
しかし、断念して
ラジャムダまで
舟で来てもらうことにした

ラジャムダから舟に乗ることに、変更

日本のODA、
JICAが県建設した
ラジャムダの高校も
水の中だった
この学校には、
MCLの奨学生も
通っている


右の写真、
子どもたちが釣り竿で
魚をとっているように
見えるかもしれないが
そうではない。
川の畔にたち、
上流から流れてくる
木や枝を集めているのだ
それを集めて薪にして
家のご飯を炊いたり
するために。
時には、一束いくらかで
売るために。




JICAの支援で建てられた
こちらはARMM
タリタイの小学校
こちらもすっかり水の中

ようやくカルボガン集落に着いた

カルボガンに建ったワカワカ保育所。
円福寺幼稚園の寄贈だ。
円福幼稚園ウエッブサイト
http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/

先生から、保育園の名前は、
子どもたちに付けてもらいたい、と言うご希望で、
ワカワカ保育所という名になった。
こちらの人ならすぐにわかるが、
今流行の歌に出てくる節回しで、
特に意味は無いようだが、
子どもたちが踊り出したくなる言葉らしい


ARMMカルボガン
ワカワカ保育所の開所式

6月2日(木)


度重なる戦闘、洪水、
さまざまな悲劇に見舞われ、
今もその渦中にあると言って過言でない
イスラム自治区の集落、カルボガン。
カルボガンに建ったワカワカ保育所。
円福寺幼稚園の寄贈だ。
円福幼稚園ウエッブサイト
http://w2.avis.ne.jp/~enpuku/
すでにこの地域から、
奨学生を採用した記事を載せたが、
いよいよ待望の保育所が建った。
次に、カルボガン小学校の校庭内に
もう一つ保育所を建てる。
人々の心に、
平和への希求が始まる事を願って・・・


海外NGOどころか、
外国人が入れない「反政府地域?」
偏見でどう見られようとも、
子どもたちは皆同じ
私には、神様の創造した
美しい奇跡に見えるが・・


松居 友


お元気でご活躍の事と思います。
もうキダパワンを後にして
10日ほどになりますが、
明日には長期にお世話になっていた
日本語ボランティアーNGOの
施設から去り、日本に戻ります。
そんな事もあって、
ここ一週間MCLで
体験させていただいた事を
まとめておりましたが、
とりあえず2部の小文に
しましたので
添付ファイルでお送りします。
お閑な折に、
読んでいただけるとありがたいです。
これは小生が続けております
ブログ用のもので、
フィリピンに関心を持つ
友人たち向けに
書いているものです。

この続きとして、マノボの方の家で
ステイさせていただいたことを
書きたいと思っていますが、
帰国後になります。

では、どうぞよろしく。

大橋健司


大橋健司さまから送られた原稿は、
『ミンダナオ子ども図書館:日記』
に掲載しました。
是非ご一読ください。


Go!


ミンダナオ子ども図書館の歌が響き、
村に希望の灯火がともる
イスラムの子もクリスチャンの子も
先住民の子たちも声を合わせて歌う

譲渡サイン式が最後に

拳銃を二丁、
いつも腰に下げている村長さん。
そして、保育所の先生と握手。



明日、もう一度、
洪水避難民のチェックに来よう



マキララの集落
バダックでの読み語り

6月1日(水)


子どもたちを集めて、読み語りを始める

読み語りのあとで、本を手に取る

一息ついたところで、パンを配る



大晦日の観覧車
12月31日
Happy New Year



ミンダナオ子ども図書館では、
五五〇名以上の
子どもたちを学校に行かせている。
孤児や片親、両親がいても
極貧で3食たべられない家庭の子たち。
そして、本人が希望すれば
MCLに住み、近くの学校に通える。
そんな子たちが86名ほど
共同生活をしてる。
朝5時に起きて朝食を作り
掃除をして、庭の手入れをするのも
子どもたちだ。
それ以外にも、週末になると
ボランティアで、僻村に読み語りに行くし
戦闘や洪水で避難民が出ると
救済に向かうのも子どもたちだ。
本当に素晴らしい子たちだと思う。
活動範囲の性格から
イスラム教徒、先住民族、キリスト教徒が
同数になるようにつとめている。
MCLの奨学制度は、基本的に大学までだ。
けれども、全員が優等生というわけでもないし
(優等生だから良いわけでも無いし)
多少勉強が苦手な子には
手に職を付けるための短期学校に
行かせたりする。
クリスマスの時期になると
故郷に帰る子も多く
MCLに残る子たちは
家庭に問題がある子が残り
ちょっと寂しい気持ちになるから
毎年、泳ぎに行ったり、
年の暮れには、夜の遊園地に行ったりする。
子どもたちといっても
活動するのは、小学生から大学生まで
奨学生は、スカラシップスチューデントが
正式な名称だが、
現地では簡略に、『スカラー』と呼んでいる。
みな、私にとっては
「我が子」のような存在だ。
 
 
 



年末の訪問者
わたしたちの新しい家族

前田さんご夫妻、
MCLの敷地に家を建てて、
もうこちらに住まわれたら?





カヨパトンに古靴と古着を届けた
9月9日(金)


最近の激しい雨で、川底は荒れて、
4WDでも川を渡ることが出来なかった。
ジョジョを家に送り届けるのに、
車を川の手前に止めた。
カヨパトン村の子たちを、
下の集落までつれてこなければならない。
足に傷がつかないように、
靴を履いたまま川を渡るのがテクニック。
こちらの子たちの足と私たちとは出来が違う。


 
カヨパトンは、
いつ行っても貧しく
見放されたような村だ。




学校に行くにも、
履いていく靴どころか
草履すらなく、
裸足の子も多い。
スカラシップの子も
多いのだが
せめて学校に行くのに、
靴を支給してくれれば・・・
と言う話は、聞いていた。
靴の支給は、
古着に比べると少ないので
いつも困ってしまうのだが、
うれしいことに、毎年
小樽ワールドフレンズの
方々が
靴を贈って下さる。
どれほど助かることか!
http://otaruwf.
web.fc2.com/

Link
ここ以外にも、
無限に靴のない子たちが
居るのだが・・・
皆さん、物資支援もよ
ろしくお願いします。

ジョジョのお母さんと
ジンジンも
元気そうだが少し痩せた。
お母さんが、
小さいときに亡くなり
お父さんも、
別の女性といっしょなった
ロウェナ
父親も非常に貧しく
子を養えず
親戚の家を転々として
女中仕事をしつつ
頑張って小学校を卒業した。
生まれつき、
足が萎えている。
でも、勉強は、良くできる。
このような子にこそ
将来の事を考えて、
スカラシップを
与えていくのが
ミンダナオ子ども図書館。
幸い、同行されていた
理実さんが、
支援を引き受けて下さった。

理実さんは、
未希さんのお姉さん、
二人とも、
お父さんを失っている。
つらい体験も
してきているだけ
ミンダナオの子どもたちの
気持ちがわかる。
お茶の水大学の理実さんは、
ミンダナオをテーマに
保育の調査を
「卒論を発表した後、
大学院へ行っても
ミンダナオをテーマに
していきたい!」
一橋大学4年生の未希さんも
すっかりミンダナオに
なじんでいる。
2月になって卒業したら
早くミンダナオに来て
ビサヤ語をダバオで学んで
ミンダナオ子ども図書館の
仕事を始めたい。
几帳面で、物事を深く捉え
しっかり考えて語る性格。
文章力もある。
専門は、社会学の哲学
ハイデッガーの『存在と時間』
私も、専門は
ドイツ文学だった。
実存哲学にも興味を持ったが
はるか過去のこと?
哲学好きの
陽とも気が合うようだ。

MCLにいる、ロクサンさんの妹。
ロクサンさんも、兄弟思いで、
しっかりした子だけれど、
妹も、こんなに小さいのに、
下の弟をおぶって、
下の集落に靴と古着をとりに行く。
この年齢の日本の子どもは、
弟や妹の面倒をここまで見るだろうか!


今は、増水こそしていないが
増水時にこの川を渡る
小学生たちの事を想うと
悲しくなる

こうしてみんなで
助け合う姿は、
見るたびに美しいと思う。
別に血がつながっている
わけではないけれど、
同じ集落に住んでいるだけで
兄弟や家族のような
気持ちなのだ。
下の子も、
川を渡れずにいると
すぐに別の子がやってきて
(下中)
おんぶして川を渡った。



高島 幸枝さん主催の
小樽ワールドフレンズの
古靴を渡す

http://otaruwf.web.fc2.com/
Link


この集落の子どもたちは
ほとんどが、裸足だ。

右の写真の子どもたちの
足下を見て下さい。
靴の支援が、古着と共に
どれだけ彼等にとって
うれしいか。
こうした靴は、
もし買うとしても、
町に出て、
古靴屋に並んでいるのを
手に入れるのがせいぜい
相乗りのバイクに乗って
町まで出るお金も
無いのだから、
日々食べる米を
買う金すらないのだから
親が子に、
靴を買ってやるなど
考えられない事なのだ。
靴がないので、
草履を履いて学校に通っても
すぐに穴あき、
それが原因で、
停学する子も多いと聞く。


ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる子にすら
全員に、こんな良い靴を買って
与えることは考えられないから、
彼等の多くも、ゾウリを履いて通っている。
靴をもらうことが、
どんなにうれしいことかわかるだろう。
学校では、基本的にゾウリは駄目で
靴を履くことが、義務づけられているのだが・・・
裸足で通うことは不可能だ。

皆さんから贈られた古着も・・・

靴と同時に、
大事なのが古着だ。
日々、彼等は、
ほとんど裸に近い
姿で生活している。
着ていても、
穴の空いたボロボロの服。

古着を配るときにも、MCLでは、
古着の入った箱を、
そのまま置いておくような
配り方は決してしない。
一部の人たち、
特に地域の有力者が、箱ごととって
血縁関係者にだけわたしたり、
ひどいときには、
町へ行って古着屋に
売りさばいたりすることがあるから。
必ず、その子に合わせて、
一着ずつ支給する。
こうして、
みんな並んでもらって
その子の体に合わせて
一着づつ渡すのだが、
時には、
子ども服が足りなくなると
兄弟や姉妹、
親のための服を、
代わりに渡したりもする。
子供服が貴重で少ないし
古着屋でも値段が高い。
全員に行き渡らな
かったりすることもあるが、
その時は、
また次の機会に持っていく。
村とのお付き合いは、
奨学生のための学用品を
2月に一回届けている
だけではなく
読み語りなど、
さまざまな機会が
あるから・・

ヒナイヒナイバスタカヌナイ
ゆっくり、ゆっくり
でも絶え間なく・・・が
ミンダナオ子ども図書館の
モットーだ。
ほとんど個人の方々の
支援によって
成り立っているMCL。
小さな小さなNGOだけに
大きな支援は出来ないけれど
長くご縁を持って
お付き合いして
いきたいと思っています。



古着をもらって
大喜びの子どもたち





スカラシップ・医療・古着の支援方法は、
下のロゴをクリックしてご覧下さい!

自由寄付:思ったときに、思った額を!
子どもたちの食費や活動費に使われます。

郵便振替口座番号:00100 0 18057:
口座名:ミンダナオ子ども図書館

また必ず来るからね、待っててね。







国連難民高等弁務官事務所から
今井飛鳥さんが避難民調査に

9月7日(水)

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が、
コタバトに拠点を構えたことは知らなかった。
UNHCRは、緒方貞子さんがかつて活躍した
国連の部署であるぐらいしか知識はない。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の
Protection Officer の
今井さんから連絡をいただき
MCLでお目にかかることになった。
ミンダナオにおける先住民族、
特にマグペット地域の
マノボ族の状況について聞きたいという
お電話をいただいた。
MCLでは、バランガイマノボで
200名を超す避難民が出て
すぐに行動を起こしていたし、
そこから最奥の集落アポックアポックに
保育所建設を開始。同時に、
現地の状況をかなり把握していたので
マキララやアラカンの
情勢と共にお話をした。
ボードメンバーのガボン牧師に
連絡をし、当日は
各地の首領も参加して、
マノボ族の状況を話し合った。
これをきっかけに、
お互いに協力しあって
行くことに話がついた。






山元神父さんによる
ニューバレンシアの平和のミサ

8月21日(日)

イスラムの村とクリスチャンの
村の中間に、保育所の移設も完了した。
Mの会で、ここに穀物干し場を兼ねた
バスケットボールコートが近くできる。
子どもたちは、仲良く保育所に、
若者や大人は、
バスケートボールを楽しみながら、
収穫を喜ぶことが出来る。




長崎出島ロータリークラブ
寄贈による
ピキット・タリタイ村の
保育所の開所式

8月27日(土)



NPO STUDY UNIONを
主催されている
関さんは、3度目の訪問
今回は、RCの寄付で
タリタイ村に保育所を建設

希望としては、
イスラム自治区のカルボガンに
保育所建設を望まれていた。
私たちは、資材も購入し
準備を完了していたのだが、
洪水が繰り返し襲うことで
どうしても建設を開始することが出来ず
急きょ、ピキットのタリタイ村に変更した。
ここは、MCLが最初に活動を始めた地域で
イスラム地区における活動は、ここから始まった。

関さんは、STUDY UNIONの
活動をなさっていると同時に
長崎出島のロータリークラブのメンバーでもある。
STUDY UNIONに関しては、こちらをクリック
http://www.justmystage.
com/home/studyunion/
タリタイ村の川沿いの集落に
住んでいると言うことはわかったが
どこだかわからない。
必ずいつか探し出して
訪ねようと決心したのだが・・・
開所式の読み語りに
その子が来ていることがわかったときには
どんなにうれしかった事か。
早速、写真に収めた。
彼女も私を思い出してくれた。
一緒にいるのは、妹。
ピンクの服を着ているものの
破れてひどい服。
話を聞いていく内に
川沿いの非常に貧しい
ニュータリタイに住んでいるという。
川沿いゆえに、洪水の影響をもろに受けている
この村には、MILFの司令官もいるのだが、
彼も貧しく、タリタイの村長に
米をもらいに来たりしている。
彼女のお父さんも病気で
ほとんど仕事が出来ないで
この子たちが魚を獲っては
売り歩いていることもわかった。
その村は貧しいと言うことで
必ず訪れる決心をした。

 

今回の開所式で
私が個人的に最もうれしかったのは
この子に会えたことだ。
下は、かつての記事の抜粋
洪水で大変な時に
たった一人で魚を売りに
裸足で道を歩いていた。
あまりにも身なりが貧しいので
思わず車を止めて
魚を買った。
写真の少女は、
恐らく父親か兄弟が捕ったウナギを
村の小さな市場に売りに行くところ。
こうして、日々の糧を
ようやく得ている多くの貧しい人々が
川沿いの地域で生活している。
もちろん、学校に行くことも出来ない。


ウナギはいくらかと聞くと
二匹で25ペソ、50円
そこで、持っていた
ウナギ4匹を
100ペソで買った。
小さい頃から、
親に言われて、
こうして兄弟で魚を
捕っては売り歩く。
それが、彼等の
生活を支えている。
ダムで川が堰き止められる
ことによって
乾期に水位が低下し、
漁業が出来なくなったために
多くの貧しい人々が、
日々の食卓にも
不安を持つようになった。
こうした人々は、
ダムの後にさらに
農業用灌漑水路が
出来ることによって
今まで以上に
水位が低下して、
漁業被害が出ることを
怖れている。




足は素足だ


上の写真は、
地元の子のように見えるが、
娘の藍花と舞花
こちらは、
本当に世話になった
タリタイの村長さん

開所式のサイン



この村からは、
現在、
MCLのプレシデントを
しているアスレー
スタッフのノライダさんや
アミン君も来ている。
過去に多くの
奨学生を採っていて
大学生を卒業して
いろいろな場所で
活躍している
上の写真は、
保育所の先生だが
奨学生のお姉さんで
ピキットBDAの
メンバーでもある。
EUの支援で学校も建ったが
保育所だけが小さかった。

マノボの村
ブハイでの読み語り

『ゆめポッケ』を渡した

8月29日(月)


ブハイは、
去年初めて訪れた。
MCLのスタッフで
日系人のジケロ君が
自分の叔父さんが、
会いたいと言っている
というので訪れた。
ドールの広大な
バナナプランテーションを
抜けていくその奥。
原生林の側に、
へばりつくようにある
非常に貧しい村。
マノボ族、バゴボ族、
テサロニケ族
三つの先住民族が
混じっているが
日系の先住民が多い地域で
ジケロの叔父さんも
その一人だ。
マキララ地域は、
先住民が多く
谷の深い山岳地域で
村や集落も分散していて
車はもちろん
徒歩でもしばしば難しい。
それだけに、
素朴な生活が生きているが
NPAで有名な地域でもあり
戦闘がしばしば起こる。
今回は、
立正佼成会から贈られた
ゆめポッケを配ると同時に
親のいない高校生を
奨学生に採用
今後のこの地域での
展開の一歩とした

読み語りの後で大きなカブを演じた

NPO法人、STUDY UNIONの
関さんと日系人国際大学で
日本語の先生をしているタカコさん
タカコさんは、タガログ語もたんのうで、
かつて日本で保母さんをされていた
おおきなかぶの劇をした。
子どもたちは、
この劇が大好きだ。
こちらでは、
「かぶ」ではなく
「カサバイモ」になっていて
猿も登場する。
今回は、おおきなカブに
民希さんが
お父さんに関さんが
お母さんにタカコさんが
出演して大好評だった。


みんなで声を合わせて
「うんとこしょ、どっこいしょ」
それでもカサバイモは抜けません


ミンダナオの子どもたちの
純粋に熱中する姿は
本当に子どもらしく
美しいといつも思う


民希さんもすっかりなじんで
来年から日本人
スタッフとして
活躍してくれるだろう
「ここにいると
本当に楽しい」

最後に、ゆめポッケを配った

立正佼成会から送って下さる
ゆめポッケについて


『ゆめポッケ』は、子どもたちが
食事やおやつをがまんして、
その分を献金して
とりわけ戦禍で追い詰められた
貧困地域の子どもたちに
夢を送るためのおもちゃや学用品を入れて、
家族で手縫いした巾着に入れて送る運動です。
MCLでは、3年ほど前から、
親子で現地を訪れて、
子どもたちが直接『ゆめポッケ』わたすと同時に
平和の祈りに参加し、
MCLの子どもたちとの交流を深めてきました。
今回は、ピキットのイスラム地域で
政府の危険地域指定になっている関係上、
配布に参加は出来ませんでしたが
又の機会をMCLの若者たちも、楽しみにしています。


Info




立正佼成会寄贈の
夢ポッケを
マノボの村
アポックアポック
に届ける

8月26日(木)

アポックアポック集落は、
バランガイマノボから
約7キロの山道を
歩いて行く。
今回は、ゆめポッケを
リュックに入れて
村へ向かった。


集落に着くまでには、
下に見える川を
渡らなければならない。
この川の向こうの村からも
MCLの奨学生は
来ているのだが・・


遠く望遠レンズで望む
アポックアポック集落
右の写真の山の
中腹にも見えるのだが

山道と言っても
整備されている
わけではない。
7キロというとかなりあるが
途中、川を渡ったりもする。
子どもたちは、
この道を毎日歩いて
学校に通うのだ

学校は、7キロ先の
バランガイマノボにある。
この道を毎日歩いて通っている
少女たちにあった。
さすがに保育所に通う年頃の
3,4,5歳児には無理な道のりだ。
親が付き添って行くが、
山仕事が出来なくなる。
それゆえに、この集落に保育所を
作ってほしいと言う要請がMCLに来た。
保育所は現在、
馬で資材を運んでいるところ。
その調査で村に向かったが、
ゆめポッケを同時に配ることにした。


村に行く途中で川を渡る
増水しているときは危険だ。
子どもたちが大雨の中
滑りやすい丸木橋を
自分たちだけで渡って
学校や保育所に
通うのかと思うと
鳥肌が立つ

やっと無事に、集落に着いた
保育所の状況を把握した後
子どもたち全員に
ゆめポッケを配った


学用品とちょっとした
オモチャも入っている
オモチャなど、
見たことも触れたことも無い
子どもたちだけに、
大喜びだ!!
水筒などは、
学校に行くときに
大いに役立つ
縄跳びやボールで
たちまち遊び出す
子どもたち
時には、大人たちの方が
夢中になったりしている

ほとんどの子どもたちが
小学校すら卒業
できない地域だけに
MCLで学校に行けるように
してあげたのだが
まだ、150名の子どもたちに
里親やスカラシップ
支援者がいない




平和の祈りのために
立正佼成会から送られてきた

夢ポッケをトラックに積んだ



1053個のゆめポッケが
MCLに届いた
その中の500あまりを、
今回は小学校が建設された
ブアランの子どもたちに
届ける事にした

MCLが主催し、日本政府が建設した
小学校の開校式を兼ねて
平和の祈りをブアランで開催

8月23日(火)


MCLが提案・
マネージメントし
日本政府と
バンサモロで建設した
ブアランの小学校の
開所式を兼ねて
平和の祈りを開催した
戦闘の激しかったブアランの地に、
7教室の美しい学校が
日本政府の支援で完成した。
草の根支援と呼ばれるこの支援は、
現地のローカルガバメントやNGOの要請を、
日本大使館で慎重に
審査して決定される
MCLは、現地組織として案件を提出、
日本人が関わっているNGOとしては、
今回唯一だった。
美しい校舎は、
30年間対立していたこの地域の
ムスリムとクリスチャンの親たちが
協力して3ヶ月で建設した。

平和の祈りは、MCLの子どもたちの踊りから始まる


今回、背後で中心に位置している男の子は、
イスラム教徒で戦闘で両親を殺され、
自分も腹を射貫かれた少年
ソライミン サリック君だ。
今は、MCLに住んでいる。


訪問者の方々
国際停戦監視団の落合氏
仏教徒を代表して参加
MCLジャパンの山元眞神父
日本のカトリック教会から
ピキットの神父
現地のカトリック教会から
ブアランの村長さん
イスラム教徒
ブアラン小学校の校長先生
イスラム教徒
MCLプレシデント アスレー

イスラムの祈りが
聖職者によって行われ
イスラムの祈りの歌が
うたわれた

マノボの祈りと
マノボの歌が
奨学生たちによって

山元神父によって
クリスチャンの祈りと
歌が歌われた

国際停戦監視団からの
参加と報告の後に
仏教の祈りが、落
合氏によって
捧げられた

最後に、イスラム、
先住民、クリスチャン
みんなで平和の歌が歌われた

オウコイ酋長も参加して、マノボの踊りを披露した



オウコイ酋長の突然の参加に
マノボの子たちも大張り切り

日本からの訪問者も
急きょ踊り加わった

立正佼成会から送られてきた
夢ポッケを子どもたち全員に渡した



平和の祈りの最後に
立正佼成会から贈られてきた
ゆめポッケを
参加した子どもたち
全員に配った。


日本の子どもたちが
食を抜いてためた献金で
一つ一つ思いをこめて
ノートや文具やプレゼントを選び
さらに両親などが
巾着を手縫いして作っただけに
単なる物ではなく、
そこに魂が籠もっているといつも感じる。
子どもたちにもその事を説明する。
MCLジャパンと
Mの会を代表して参加した
山元神父さんも、
自分の支援している
イスラムの若者に出会えて、大喜び。
山元神父さんに
同行した大学生の拓くん。
数日するとすっかり現地の
若者たちと溶け込んで、
帰るときには
「今度は、ぼく、一人だけで来て、
もっと長く滞在します!!」


北九州小倉ライオンズクラブによる
保育所が完成

8月21日(日)





アマベルの奥
サリンシン集落に保育所調査!

8月17日(水)






発菩提心の会寄贈の
寄宿舎が完成

8月13日(土)

キダパワン市内に
大学生を中心とした
寄宿舎が完成
寄贈して下さったのは、
岐阜県揖斐郡大野町領家
中本山實相院発菩提心の会
http://www.34th.jp
/bosatsu/m/

寄宿舎の完成は
大学生の若者たちへ
大きな希望を与えてくれた

ここでの開所式は、マノボの祈りで始まった

私も酋長として参加した

キダパワンの町はずれに
大学生の寄宿舎が
出来ることで
非常に大きな助けになる
MCLの若者たちが
みんなで協力しながら
ここから明日へ、
人生の一歩を歩き出す

本当に皆さん、
ありがとう!
心から感謝します。




アポ山麓のアポックアポック村へ
保育所調査


アポックアポック村は、
山麓のドールの
バナナプランテーションに追われた
マノボ族の村。
この奥に原生林が広がっている。

村人には、お祖父さんなどが
日本人だった人も結構多い。
おそらくダバオの日本人町が
あったカリナンあたりから
移住してきた人々。
この地で未だに手漉きの
アバカを生産している。
上のお母さんも、
祖父は日本人だったという。
最初は皆、自分が日系人であることを
語りたがらない。
日本人というだけで、
否定的なイメージを拭いきれないからだ。
こちらでは、子どもを寝かせるときに
「寝ないと、ハポンが、さらいに来るぞ・・・」
と言って子どもを脅す。
戦時中の日本人の残虐な
イメージが語り継がれているので
自分の血筋を明かさずに、マノボ族として、
逃れ逃れて生きてきたのだろう。
しかし、このお母さん、MCLの事は聞いて知っていた。
「キダパワンの日本人がやっているファンデーション!!
あなたがその日本人!!!」
大喜びで、ジャングルを案内してくれた。


右は牧師、
プロテスタントだが
自分の教会に
マノボの文化を
取り入れている
聖書もマノボ語
祈りの形態にも
マノボの祈祷が入っている

この村のジャングルに
高い滝があるというので
みんなで向かった

スタッフたちも
この地の山の出身だけに
子どもの頃を思い出した?

とにかく、本物の原生林が
どこまでも奥深く広がっている
左は、すっかり姿を消したラワンの木

奇妙な果実を掘り出して
食べさせてくれた
甘酸っぱい
ジャングルの味と香り


このような原生林が残っているのは
アポ山周辺の地域だけだ
ミンダナオの94%は、伐採された

滝に向かって
最後の登り

左の写真に
スタッフの
ジェックジェクが
写っているが
どんなに滝が高いか
想像がつくだろう

登りもきついが
下りも慎重に
行かなくてはならない
北海道時代に
日高の沢を登った経験が
このような場で生きるとは
思わなかった

この小さなマノボの村に泊まって
この奥の原生林を体験された方
スパイク付きの地下足袋を
持ってこられると良いかも
ザイルはあります。
帰りは大雨に打たれてビショビショに
でも、素晴らしい体験だった


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