国際交友の記録 



2010年のサイトから



MCLジャパンの出発

いよいよ、ミンダナオ子ども図書館の日本事務局が、
本格的に立ち上がるめどが見えてきました。
すでに5年前、北九州で発足していた
ミンダナオ支援;Mの会・・・
お年寄りも子どもたちも、そして若者たちも。
個人会社の社長さんから大きな会社の経営者、塾の先生
コンピュータの専門家、そして多くのボランティアの方々・・・
仏教の住職さんや神父さん(ベトナム人、フランス人、日本人)
皆さん方が、ボランティアの手弁当で関わり作り上げてきたMの会。
(Mの会は、特定の宗教や宗派にこだわらない会です)
繰り返しMCLにも訪れ、心から子どもたちを愛し、
愛されている庶民の方々。
そこから、日本事務局が立ち上がりました。
名前も、MCLジャパン
アジアへの玄関口、小倉に本部を置き、
庶民的感覚を生かしながら和気あいあいと出発します。
NPO法人化も、意外と早く軌道に乗せることが出来そうです。
独自の企画も考えています。
とりあえずメンバーの一部をご紹介します。
全員の写真はまだありませんが、
藤瀬さん、山本幸子さん、小田崎さん、おいたてさん、井本さん・・・
理事を含めた構成は、NPO法人化の進行と共にお伝えします。



MCLジャパンを強力に支える
ミンダナオ支援Mの会婦人会

葉書の発送を手伝ってくださる方々
行橋カトリック教会の主任司祭、
フランス人のベリオン・ルイ神父様を囲む
婦人会の方々。
それから、ミンダナオ子ども図書館に
来られた経験もある、
行橋カトリック幼稚園の先生方も
支えてくださいます。


長崎巡礼の旅



追悼そして復活

昨年から今年の復活祭までに亡くなった、
思い出深い人々。
いつもやさしく、死の床でも、
枕元に奨学生の写真や手紙を置き
「あの子、どうしているかしら」
とおっしゃっていた、

土谷美知子さん。


 
松居 友 さま

美知子は、いつもミンダナオの子供たちに
元気をもらって生きてきました、
2008、6、25日、肺がんが見つかり、
「ミンダナオの風」を枕元に重ね
何度も読み返したり、
山奥から私たちに会いに来てくれた後、
帰りにすごい雨が降ってきて
無事にちゃんと家に帰れたのかなとか、
すごい石だらけの道、
大丈夫だったかしらとか、
赤ちゃんは大きくなっただろうね、
見てみたいななどといっていましたし、
ミンダナオの思い出を語りながら
とうとう8月23日逝去いたしました。
生前、故土谷美知子に寄せていただきました



皆様のご厚情に対し心より
御礼申し上げます。
有難うございました。
残された、私どもも、
故人同様のお付き合いをいただき、
ご指導をいただけますことを
お願い申し上げます。

  
                  土谷 登喜夫


土谷美知子さんに、
支援してもらって卒業したマリベールは、
その死を知って激しく泣いた。
彼女は、2009-10年度の
ミンダナオ子ども図書館のプレシデント。
温厚な性格ながら芯は強く、
最も難しい時期を乗り切ってくれた。
奨学生全員の事を良く把握しており、
今年から、最も重要な
スカラシップセクションのリーダを
スタッフたちの満場一致で選ばれた。
大学の時に、
妻子ある男性にだまされて妊娠。
お父さんは、牧師の職を
捨てることを余儀なくされた。
会った当時は、ホウキを売って生活していた。
極貧のマノボ族。
今は、農業スタッフのトト君と結婚して、
一児(男の子)をもうけた。
最初の娘、サンシャインも元気で、
今は保育園。
本当に可愛い子。
みんなで育てているので、ご心配なく。



懐かしい多湖さん


日本にイスラムの踊りの公演に
行ったときのもの

ノルハナさんやアスレーさん
イスラム教徒の若者たちを
支援してくださっていた
大阪の多湖さんご夫妻
ご主人が亡くなった。
2008年3月、大学を退職。
2008年12月にすい臓がんがみつかり、
その後抗がん剤治療で
1年余りの闘病生活の後、
2009年12月27日に帰天。
大学教員としての研究、講義と平行して、
「正義と平和」活動に心血を注いでいた。
奥様の敬子さんは、
正紀さんの意志を継いで 
Sarah Rumiko Miyashiro さんと 
hannah Yumiko Miyashiro さんの支援を
続けていきたいと思っている。
ミンダナオ子ども図書館を心から愛して
これからの出会いが楽しみだったのに・・・
ミンダナオにこられたら、
子どもたちはどんなに喜んだことだろう
子ども好きのご本人の
笑顔を思い浮かべると
残念でならない。
アスレーさんは、何と、
上のマリベールさんを継いで
2010年からのプレシデントで、
活動を始めた。
奇しくも、彼女のお父さんは、
イスラム教徒のオスタージュで
ピキット現地のNGO活動も推進。
MCLのボードメンバーだったが、去年他界。
その悲しみから立ち上がるように
アスレーさんは、MIFLとMNLFなどの
狭間に立ちながら
正義と平和のために活動を開始している。



懐かしい、小野智子さん

もうお一人、思い浮かぶのは、
小野智子さん。
軽井沢の一画から、いつも葉書をくださった。
どこに住んでいらっしゃるのかは
わからないが、
カトリックの教会に属していらして
病気がちで、
裕福ではない事は良くわかった。
卒業するジミー・マリンバくんを
長く支援してくださっていた。
(右の写真は、今回のシンポジウムで
発表しているジミー君
すでに30代だが、マノボ族で極貧の家庭。
仕事を見つけて結婚し、
家庭を作ることを夢見ている。
結婚相手は、相手は、スカラーのMさん。
27歳で、今度大学に。
父親の子を産まざるを得なかった子だが、
ジミー君の明るさで・・・・・)
小野さんのお手紙には、
いつも、懐かしいミンダナオ。
わたしは、子ども時代、
ミンダナオで育ちました。
懐かしい、懐かしい。
出来ればそちらで暮らしたい。
でも、病気もありますし、
もう本当に年ですから。
ミンダナオの様子を教えてください。
ジミー君によろしく。
ダバオのカリナンで育たれたのだろうか?
戦争と同時に日本に帰られたのだろうか?
病床にあっても、死の床にあっても、
お葉書が届いた。
亡くなられて、娘さんから手紙が来た。
母が、ミンダナオの子を
支援しているなんて、
ぜんぜん知りませんでした。
遺品のなかからわかって・・・・
経済的には、豊かではないし、
どうしようかと思ったのですが、
私が引き継いで支援することにしました。
小野智子さんは、亡くなられて自由に
ミンダナオのなつかしい地を、
ソロイソロイ(散歩)しているような気がする。





夢ポッケが届いた!
立正佼成会の送る、
手作りの学用品支援、
夢ポッケが届いた。
去年始まった、夢ポッケ支援。
今年も、40名あまりの子どもと親が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れる。
ただし、3月に予定されていたのを、8月に変更。
理由は、現在の総選挙に関連する
政情が不安定なためだ。
平和の祈りも、8日の第2日曜日になるだろう。

村に入ったところで、コンテナトラックが立ち往生した。
電線が低くて、これ以上先に行けないと言う。
そこで、みんなで取りに行った。
大きなコンテナが止まっている・・・
開けてビックリ!

夢ポッケとは、立正佼成会が
世界の貧しい戦闘に影響された
子たちの元へ届けている、

学用品とおもちゃが入った
手縫いの巾着ぶくろだ。
去年も、イスラム地域やマノボ地域の
多くの子どもたちにあげて
とても喜ばれた。
とりわけ、年一回、
30名ほどの親子が来て
直接貧しい村を訪ね、
子どもたちの手で夢ポッケを渡す。

この企画は、互いの宗派を尊重しつつ、
救ってやろうと大仰に構えるのではなく、
愛するものを救うことによって
自らが救われるという心を子どもに伝えている。
小学校時代の恩師、
無着成恭先生がおっしゃった言葉が
心によみがえる。
「友くん、君はクリスチャンだから、
人に何かを施すことを
寄付と考えているかもしれんが、
仏教では、施しは寄付ではなく喜捨という。
喜んで捨てるのは、人に施すことによって
自分の煩悩を喜んで捨てる。
喜んで捨てますので、
どうか私を救ってください。

つまり、施すことによって、
救うのではなく、
救ってもらうのだよ。
だから、タイでは、
お坊さんに喜捨するときは、
お坊さんの方が立っていて
与えるものの方が
身を低くする・・・」

無着先生は、曹洞宗だが、
夢ポッケにも
仏陀の教えが生きている。
ぼくは、カトリックだけれど、
結構仏教が好きで、
寺院で拝むのも抵抗ない。
お稲荷さんも好きだけどね・・・
早速みんなで夢ポッケを、
ミンダナオ子ども図書館
まで運んだ。
夢ポッケの到着も
さることながら、
子どもたちは
8月に日本の友だち
たちが訪れて
共に平和の祈りを
開催できるのを
心から楽しみにしている。




IMT国際停戦監視団の方々を
ブアラン小学校に案内する
久々に、ミンダナオで
国際停戦監視団が動きはじめた。
マレーシア、インドネシアそして日本からは
菊地智徳さんが紛争調停に参加。
「また、国際停戦監視団が
動きはじめることになったんですよ。
今、コタバトです。」
菊地さんからお電話をいただいた。
「お目にかかりたいですね。
お話ししたいこともあるし・・・」
「こちらも現状を知りたいですね。
サイトはいつもチェックしているけど、
書けないこともあるでしょうから・・・」
そんなわけで、先日コタバトでお会いした。
以前から懸案の、戦闘地域、
しじゅう子どもたちが避難民化している
ブアラン小学校のお話をした。
2000年2002年の戦闘で、
壁には砲弾の痕があり、
教室内部もコンクリートが禿げている。
骨組みもガタが来て、
屋根がいつ落ちるかわからない。
それから数日後、再び電話があり
「ブアランの小学校を見たいのですが・・・」
この地域の子どもたちは、もう十数年、
絶え間なく避難民状態をくり返している。
700名登録されている現地の子どもたち。
本当は土地はここにあり、
畑を耕してもいるのだけれど、家は焼かれ、
小学校も絶えず休校になるので、
遠い小学校に越境している子たち
学業を停止している子たちもいて
400名しか来ていない。
一昨年建てたマカブアルの
小学校の場合もそうだけれども、
学校が建って生徒数が200名から
400名以上になった。
1年2年の就学率が、倍になり、
このまま数年後には1000名を超えるだろう。
教育は、現地に安心と安らぎを生みだす。
反政府勢力の拠点の1つだが、
反政府勢力の人々も一般住民であり
自分たちの子どもたちが、
教育を受けられる美しい施設を
そうやすやすと破壊はしない。
戦闘で、どちらの砲弾が
教室を破壊したのだろうか???
先生曰く、
「このあたりの学校の子どもたちは、
MILF軍が入ってきても逃げないけれど、
政府軍が入ってくると、一目散に逃げるんですよ」


小学校の校長先生から
学校の経緯を聞く菊地氏
今回は、ハイエースに、
菊地氏の他、マレーシア軍の方々、
そして国軍とMILF側の方々が同行された。
朝日新聞の脇阪記者も・・・
ブアラン村に入ると、道ばたの粗末な家々から、
貧しい人々や子どもたちが、
私の顔を見て、うれしそうに
手を振っているのを見て驚いたようだった。
マレーシア軍の方々や国軍の方々からも、
「どんな活動をしているのですか。
何年になるのですか?」
等、いろいろ質問を受けた。
特別なことは、何もしていないのだけれど。
この地には奨学生も多くいて、
避難民の時の苦労を知っているから、
それ故にさらに可愛い。
子どもたちの一人に言った。
「あの人たち、日本政府から来ていて、
学校を建ててくれるかもしれないんだよ」
「本当・・・・?」絶句



立正佼成会の
親子ボランティア隊、訪問記
日本の若者たちと、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちの感動の出会いと、
思いに残った現地体験の日々
今回は、外務省の都合で、北コタバト州に入れず、
ダバオ州のパラダイスビーチで出会う事になった。
ミンダナオ子ども図書館のあるキダパワンは、
北コタバト州に属しているが、
領域的には、クリスチャン地域に属していて、
安全だといわれている。
(マニラやダバオと言った都市よりは、
はるかに安全だと思うのだが・・・)
だが、行政地図による杓子定規な判断では、
細かいことは、言えなくなる。
ミンダナオ子ども図書館で、寝食を共にすると言う、
最高の経験が出来なくなったのは残念だが
私たちは、活動範囲がミンダナオ全域を許可されており、
ダバオ地域でも日々活動しているので、まったく問題は無く
かえって興味深い計画を実現できた。

立正佼成会のこの企画は、今回が二度目。
戦闘で疲弊した貧困地域の子どもたちを、
日本の子どもたちが直接訪れ
心を込めて用意した「夢ポッケ」を渡す。
若者どうしの交流を重視している
ミンダナオ子ども図書館にとっても、
日本の子どもたちにとっても、
例年すばらしい体験を保証してくれる。



(初日)
マイパラダイスの浜での出会いと交流
マイパラダイスの浜は、
外国人に有名なサマール島の
パラダイスビーチとは異なっていて
庶民の隠れた海水浴場で、
私たちは、みんなで時々訪れる。
どんなにインターネットでリサーチしても、
ここを見つけるのは難しいだろう。
白い珊瑚の浜で、
ダバオから離れているので水もきれいだ。

新しい子どもたちは、
海で泳げると聞いただけで、
有頂天で夜も眠れなかった。
日本の友達に会うことも楽しみだが、
生まれてから一度も「海」を
見たことも無い子たちだから。
貧困地域のマノボ族の子たちなどは、
山の下の小さな町に出ることすら、
滅多にないことで
(歩いて行ける場所にしか、
お金がないから、出て行けない)
海などは、話で聞いただけの、
おとぎ話の世界なのだ!
それだけに、いったん海に入ると、
何時間でも泳いで(つかって)いる。


浜辺での歓迎会
立正佼成会の子たちはピックアップで、
MCLの子たちは上の写真のジプニーで到着した。
MCLの子たちは、実に3時に起床、準備を開始。
5時には出発し、浜で昼食の準備をした。
翌日の平和の祈りなどは、
2時に起床して、準備を開始している。
誰に言われたのでもなく、自分たちで相談して、
いやな顔一つせずに、実行していく若者の力に感心する。
いつもなら、図書館でする歓迎会(ウエルカムパーティー)を、
今回は初めて浜でした。

最初は、ちょっと緊張していても、
MCLの子どもたちののびのびとした雰囲気に押されて
日本の子どもたちの顔も少しずつ代わっていく。
MCLの若者たちは、あっという間に、
日本の子たちに接近し、名前を覚え
共に海で泳ぐ頃には、互いの距離も消えていく。
最初に日本の子どもたちの顔を見たときには、
「なんと子どもらしくない、硬く孤独な顔をしているのか」と
私は、少し心配になったが、
最後に彼らの顔を見たときには、驚くべき事に、
ミンダナオの子どもたちと寸分違わない、
明るく、のびのびと解放された顔になっていた。
この変化は、私自身、驚きだった。


(第2日)
マノボの聖地
ラナコランで平和の祈り
MCLの若者たちが、祈りの踊りを披露
今回の平和の祈りは、ラナコラン村で行った。
私たちの奨学生がたくさんいる、
マノボ族の先祖伝来の土地として
保護された山岳地域。
長年ダバオに住んでいるドライバーも、
「いったいどこですか?」
4WDのピックアップで、どんどん山道を登っていく!
視界が開け、アポ山山麓の美しい風景が飛び込んでくる。
ラナコランについたときは、
その美しさにビックリ
遠く西に、アラカンから
イスラム地域のピキットまで見渡せる。
東は、アポ山からダバオが遙かに広がる。
そして、アポ山の北に位置するこの地域は、
マノボの聖地だ。
イスラム教徒、キリスト教徒の両地域を見渡す
中間の先住民族の聖地!
まさに、「平和の祈り」にぴったりの場所。

「平和の祈り」は、
2008年のピキットでの戦闘以来、
毎年かならず
ミンダナオ子ども図書館で実施している
プロジェクトの一つだ。
例年は、3月に実施。
今年は、立正佼成会の訪問が、
選挙の影響もあって8月に延期されたので
それにあわせて計画を延期して実行した。
イスラムの祈り、マノボ族の祈り、
クリスチャンの祈りに加えて、
立正佼成会は、仏教の祈りを
代表して下さるので、大歓迎だ!
どなたでも参加できますので、ご連絡ください。

祈りも、こちらでは踊りで表現する。
歌、言葉、踊り、
五体で全力で表現していくのが
こちらの特徴のように思える。」
この祈りの踊りも、
若者たちが自分たちで組み立てたものだ。


イスラムの祈り、マノボの祈り、移民系クリスチャンの祈り
今回の祈りは、
MCLの大学生の奨学生にお願いした。
イスラムの祈り マノボ族の祈り 移民系クリスチャンの祈り
小さな子たちも祈りを踊りで表現


今年から、
年齢の低い子たちが
ミンダナオ子ども図書館に増えた。
その結果、MCLがさらに
家庭的になったと同時に、
彼らも独自に祈りを表現。
全員がMCLに住んでいる。

立正佼成会の親子による平和の祈り
そして、いよいよクライマックス。
日本から訪問された
立正佼成会の仏教の祈り。
次期「教祖」さまも
娘さんと参加してお経を読まれた。
とても優しい方で、
母親のいない妻のエープリルリンを
我が子のように愛して下さった。
仏教の経典が、
山々の風景にゆっくりと溶け込んでいく。
子どもたちも、真剣に聞いている。
非常に厳かで良い感じだ。
現地の子たちにとっても、
このような体験が
平和を築く礎になると感じる。

この山岳地域は、
日本人にもゆかりの深い地域で、
日本人が戦前20万人も入植し、
先住民と結婚しながら、
平和に住んでいたダバオのカリナン
大戦が起こったときに、
カリナンに日本軍が陣を張り、
敗戦と共に、故郷に引き上げた者もいるが
多くの日本人が妻の家のある
この山岳地域に逃げ込んだ。
その後、そのまま日本国籍を隠して住み続けた。
私も、この山の領域で、時々、
祖父が日本人だったという人に会う。
どう見ても日本人の血が
流れていることがわかる人も多い。
MCLのスタッフ、
ジケロ君もその流れをくむ一人だが。

マノボ族の伝統的な踊りを
みんなで踊った
一連の祈りが終わった後、
みんなでマノボ族の踊りを踊った。
日本の人たちも、
私も加わって、みんなで踊った。

最後に平和の歌をみんなで唱った
夢ポッケをみんなに渡す
祈りが終わり、
日本の子どもたちが、
現地の子たちに一つずつ、
夢ポッケをわたす。
夢ポッケとは、
立正佼成会の信者の方々が、
心をこめて一つずつ作った
手縫いのバッグに
それぞれ思い思いの学用品や
おもちゃが入っている。
同じものを一斉に渡す、
いわゆる「支援」と異なっていて
一つ一つに渡す側の思いが
こもっていることがわかる。
引っ張り出して、それぞれ違うおもちゃに
大喜びしあう子どもたちの顔を
見るのは楽しみの一つだ。

 
現地の子どもたちは、夢ポッケを胸に抱いて、
美しい風景の中、自分たちの貧しい集落に帰っていった
(第2日午後)
キアタウ集落で昼食と交流

午前中、ラナコランで平和の祈りを終えた後、
そこから30分ぐらいのキアタウ集落で昼食。
この集落とのおつきあいは長く、
たくさんの奨学生がこの集落から来ている。
彼らは、ここから7キロも歩いてラナコランの
小学校や高校に通わなければならないので
今、平和の祈りをしたラナコラン村に、
MCLで下宿小屋を建設している。
信じられないほどの美しい風景に、
立正佼成会の子どもたちもビックリ仰天。
しかも、この急坂を車で下っていくのに、
地元ダバオの4WDドライバーもビックリ仰天。
キアタウには、
諏訪俊子さんが寄贈された、保育所がある。


このキアタウは、
先祖伝来の土地として
保護されているのだが、
ごらんのように、
森林伐採によって
周囲に木がほとんど無い
昔はジャングルだったのだが
木材の多くは、
日本に輸出された。
ここで降る雨は、
保水力がないために
鉄砲水となって下り
その下流に位置する
ピキットの湿原に
流れ込み、
膨大な洪水被害を
毎年起こしている。
この問題を、日本政府として
解決できたら
どんなにすばらしいことだろう。
この山岳地域の森林復活
人々の生活の糧となる
ヤシやゴム、マンゴーなどの
林を作ること
こうした作業をMCLでも
行っていこうと
思っているが、
何しろ伐採地域が
アラカン全体に広がっていて
あまりにも広大で
小さなNGOだけでは、
手の施しようがない

地元の人々が食べる食事を、
みんなでいただく。
蒸しバナナ、カサバイモ、
貧しい食事だが、おいしくいただく。
現地の人々のためには、
普段食べられない、お米のご飯と
両方のために、豚の丸焼きを用意した。


キアタウには、さらにその下のケロハスからも、
親子が登ってきていた。
キアタウも貧しい集落だが、
ケロハスはもっと貧しい。
子どもたちの多くは、素足のままだ。
この周辺は、マノボ族の聖地と呼べる場所。
文明から切り離されているだけに、
なによりも、子どもたちが素朴で美しい。



立正佼成会の親たちががんばった、
紙芝居も大好評。
お父さんやお母さんの
奮闘している姿を見ている
娘や息子の姿も良かった。


子どもたちに夢ポッケを届けた


最後に、子どもたち全員に
「夢ポッケ」を届けた。
一人一人の親子の手から
心を込めて渡される贈り物に
子どもたちは、喜びを隠せない。

いつまでも手を振り続けて見送る、
裸足の子どもたち。
今度はここに、靴を届けよう。
(第3日)
プランテーションに追われた
カリナンの先住民族たち

カリナンは、
ミンダナオに関心がある人なら
必ず知っている土地で、
戦前まで、ここには約20万人の
日本人が住んで、おもにマニラ麻の栽培をしていた。
先住民族とも結婚し、
仲良く生活をしていたのだが、
大戦がすべてを破壊してしまい
多くの日本人は、山に逃げ、
そのまま先住民族として生活をした。
その2代目3代目に、
私たちはよく山の中で出会う。
プランテーションが、
先住民の土地を浸食していく過程で
反政府ゲリラ(NPA)として、
先住民や移民系のクリスチャンたちと共に
活動した(今もしている)日系人もけっこういるようだ。
これは実際にあって聞く話・・・・
大規模プランテーションに
土地を奪われていく過程は
先住民も移民系も同じで、
現地を見ていると気持ちは良く理解できる。
気持ちだけは・・・
MCLには、こうした地域から、
父親や親戚などが、
NPA、MILF、MNLFに所属していたり、
コマンダーだったりする子も多い。
皆普通の人たちで、現地の人々とも仲がよい。
もちろん、政府系に属している家族もいて
皆が、仲良く生活をしているのだから、おもしろい。


今回は、スタッフのマージーがよく頑張った。
初期からのスカラーで今はスタッフ。
日本政府との学校建設ODAの仕事なども
一手に引き受けて活躍する。


みんなで読み語りを展開

カリナンの郊外、
丘陵の山頂に広がるカホサヤン集落は、
今不幸に見舞われている。
アンセストラルドメイン(先祖伝来の土地)として
保護されているはずなのだが、
地元出身の有名テレビ牧師が、
「祈りの山のリゾート」という名目で
売買できないはずの土地を半ば強制的に奪い、
外国人向けのリゾートを開発し始めた。
マノボの首領は、殺害いされ、妻も子も足などを撃たれた。
今も、夜に来ては、5000ペソ出すから出て行けと脅される。


有力政治家も
からんでいるだけに、
皆怖がって表に言えない。
立正佼成会の某さんの願いで、
殺された首領の子をふくめ、
この土地から
20名ほどの小学生を
MCLの奨学生に採用するが、
こうした事実を公にした私も
殺されるかもしれない。
医療プロジェクトの患者に
一回きりではなく、
地域の開放や発展に、
教育などを通して永続的に関わっていくためにも
医療は、第一のコンタクトプロジェクトとなる。
さらに、この地から30名ほどの
奨学生を里親として採用の予定。
ダバオに近く、文化的にも山岳地より
良いはずなのだけれども、
追い詰められ、貧困度は激しく、
小学校を卒業するのも大変な環境だ。


 
夢ポッケをもらってうれしそう
最後に夢ポッケを皆に届け、
子どもたちとみんなで、
「カゴメカゴメ」の遊技をして別れた。

そして別れの時が・・・
別れの情景については、
何も語るまい。
写真での子どもたちの姿が
すべてを語っている。
短い滞在なのに
こんなにも
心を通わせあえるなんて・・・
一生消えない
思い出を持って
また会う日を約束して・・・
ミンダナオの子どもたちも
日本の子どもたちも
同じ顔になっていた。
 

日本大使館から
ブアランの小学校建設;最終チェック

日本大使館から、
二人のフィリピン人スタッフが、
ブアランの小学校建設最終調査に来られた。
ブアランには、IMT(国政停戦監視団)の
菊池さん関係以外は、日本人は来られていない。
今回は、提出された書類に書かれている事の実地調査。
校長先生と村長さんなどが対応した。
ブアランは、絶え間ない戦闘にさらされてきた地域。
丘陵の下のイスラム地域と、丘の上のクリスチャン地域が激しく対立。
2008年の50万を超す避難民が出た戦闘もここから始まった。
下記に報告している、先日読み聞かせに行った村がクリスチャン地域。
両者は、対立してから長年交流が途絶えている。
わずか一キロ半を隔てる、山の上と下であるにもかかわらず・・・



マニラの日本大使館から来られた、
勇気ある若き二人のフィリピン人スタッフ、
ハナさんとマリアフェさん
次々と鋭い質問を繰り出す。
右は、奥が村長さん、
一人おいて手前が校長先生。
若く正義感が強く、エネルギッシュなやり手の先生。
手前がピキットDSWDのおなじみグレイスさん。
MCLのボードメンバーだ。



協議の後に、教室を視察。
2000年の戦闘で穴が開き痛んだ教室もさることながら
とりわけ1年生と2年生の多さに唖然。
マカブアルに、ODAで学校を作ったときもそうだったが、
学校が出来たという事で
避難民化していた多くの家族が、村に戻ってきた。
実数200人、登録500人でも、今は生徒の実数だけでも600名を超える。
5教室では足りなくて、教育省が2教室を付け足した。
友情が失われ、関係が閉ざされていた
クリスチャンの村とも交流が生まれてくるし
親戚のいる町や他村に逃げていた
家族たちも戻ってくるので、
戦闘が無ければ生徒数は数年で数倍になるだろう。
「一・二年は、2クラスづつにした方が良いですね。
どうせ作るのだったら、
いい加減なものにしないようがよいと思います。
早速、帰ったら提案してみましょう。」
子どもたちの現状を見て、お二人からうれしい言葉。



戦闘が再び
この地で起こらないようにするためには、
クリスチャン地域との閉ざされた関係を
再び構築しなければならない。
私たちは、下記に記した、クリスチャン集落へ読み語りに行き、
すでに関係を構築し始めている。
クリスチャン集落の子たちは、
恐れて下のブアランの小学校に通わない。
イスラムの子たちは、山の上を恐れて近寄らない。
かつてあった道は、雑草や木が生い茂る。
グレイスさんと私は、ピキット市に、
道路を再び整備する可能性に関して、要請と調査をした。
このことを村長さんに話すと。
「大人たちの感情的なしこりをとるのは、そう簡単ではないでしょう。
しかし、次世代を担う、子どもたちだったら出来るかもしれない」
避難民救済から保育所建設まで、
5年以上にわたって関係してきたブアラン。
村長さんも、心から信頼し、
尊敬できる方だと感じてきた。
さすが・・・と思った。
「先日、上のクリスチャン地域に読み語りに行き、
イスラム教徒の奨学生も同行し
アッラーの歌と、クリスチャンの歌と、マノボの歌を歌ったのですよ」
そう言うと、村長さんは、思わず微笑んだ。




支援者と共にアポ山へ

支援者の西村章さんと一緒に、スタッフのジケロ君、
大学生のララン君が、フィリピンの最高峰アポ山に登った。
キダパワン市は、アポ山へ登るための登山口として有名で、
登山名簿を見ると世界から登りに来ていることがわかる。
ただし、登るためには、市に登録し、ガイドをつける必要がある。
今回の市が選んだガイドは、
なんとMCLに奨学生応募をしてきた若者の弟だった。
キダパワン市は、日本の川崎市の姉妹都市でもあり、大学が7つほどあり、
その一つは州立大学、医療大学もあり、
CTスキャンもある総合病院が二つ、その他の病院も4つほどある
高原の学園都市のような存在なのだ。
もちろん、フィリピンのマクドナルドと呼ばれるジョリビーもある。
地域的には、ダバオよりのクリスチャンエリアで、
ここまでは戦闘もなく安全であると言われている。
(もちろん、ダバオやマニラより遙かに安全)
ただし、コタバト州の端に属しているので、日本政府の高度危険地域に入るが・・・


今回彼らがたどったのは、メインルート。
私がかつて下ったルート。
ここが一般的で、世界から来る人々は、ほぼこのルートをたどる。
これ以外に、より深い、バージンフォーレスト(原生林)を抜けるのが、
ご存じ、スカラーもいる、ウオーターフォールのルート。
そして、ニューイスラエルのルート、さらにアラカンルートもあり、
ただし、現地とつながりがあり、ガイドとポーターを知っている
(奨学生のお父さんだったりする)
ミンダナオ子ども図書館でなければ、アレンジできない地域だろう。
山自体は、3000メートル弱だが、裾野のジャングルがすばらしい。
アプローチを含めると、最低3泊は、山中でする。


下から仰ぐと、
単純な山に見えるが
登ってみると意外に
複雑な地形で
美しい山上の湖沼が
いくつもあったりして
峰も入り組んだ岩峰だ。
何しろ、手つかずの
自然がすばらしく
まさに原生林の中に
いる気配がある。
つまり、妖精たちが
たくさん今も
活動している地域なのだ。
なんとこれは
ブルーベリーの
食べ放題だ
山頂からは、
はるかダバオ湾が
見渡せる。絶景だ。
ああ、これぞミンダナオ
一度は経験すると
良いだろう。
登りたい方は
いつでもどうぞ
ガイドやポーターは、
貧しいマノボの人たちです。
山道を裸足で登ります。
村の活性化にもなるので
歓迎します。



ケロハスに松岡なつめ様寄贈の
保育所が出来た!!

ケロハスは、山深いマノボ族の集落。
深い谷を越え山をよじ登って到達する。
アラカンのこの地域は、本当に美しい場所だ。
緑の山々がつながり
遠くにアポ山が望まれ、ミンダナオの心臓部、
秘められた心の故郷を感じる。
もともと、マノボ族の故郷と言うべき地で、
今も、この山裾の広大な地域が
アンセストラル ドメイン(先祖伝来の土地)として保護されている。
下の平野の部分は、かなり移民系の人々の所有となっているが、
聖地だけは、守られている。
ただ、元々のジャングルは、ほとんど伐採によって失われた。
ここに大雨が降ると、川下のイスラム地域、
ピキットなどの湿原地帯に洪水が起こる。


保育所は、
この聖地の斜面にある
秘められたような小さな、
マノボ族の集落に建てられた。
首領の話では、ごく最近まで
ここは、反政府軍の
キャンプだったという。
今は、教育を通して、
村を立て直したい・・・
ここの子たちは、
ほとんど学校に行っていない
行っても、小学校4年
までの初等小学校
それ以上のクラスに行くには
10キロも先の学校に
通わなければならない。

当然、保育所もない
車の通る道も無いから
村人たちは、資材を
担ぎ馬に乗せて運び
保育所を自分たちの
手で建設した


看板を担ぎ上げているのは、
この村で唯一
高校を卒業した
ピティ ボウイ君
麓のファウスト神父の
奨学金で高校を卒業
今は、
ミンダナオ子ども図書館
の奨学生で
大学に通っている
学校の先生を
目指している好青年だ


保育所の建ったケロハスには、
谷を越えたこの小さな集落から出発する

ケロハス村には、この山麓の小さな村から歩き始めるか、
上の方のキアタウ村から歩き始める。
とにかく、徒歩で踏み痕道を歩き続けて到達する。
今回は、ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちとスタッフ、
25人あまりが開所式に参加するためにケロハスに向かった。
マノボ族、イスラム教徒、クリスチャンの奨学生たち・・・
麓の村から歩き始める。
ここには、バナナの農場があり、
ここまでは車で何とか近づける。
前方に、広大なミンダナオの高地が広がる。
このはるか先に、イスラム教徒のいるピキットがある。
素朴な小さな村は、本当に心が和む。
マノボ族の子どもたちが可愛い。
髪の毛が褐色になっているが、
これは自然な姿で、染めたわけでもない。


行く手の山は、私たちの奨学生たちがたくさんいる地域。
キアタウ、トマンディン、カヨパトンといった集落で、
ここから見える裾野に、すでに4つの保育所が建っている。
ケロハスの村も、実は、この山の裾にある。

行く手を深い谷が遮る
ケロハスの村は、この谷の向こう側だ

この雄大な裾野に、点々とマノボ集落が点在している。
写真で見にくいかもしれないが、
中腹の右端の方に小さな村があり、小学校と高校がある。
ところが、点在している集落からは、
10キロも道のりがあり、
なかなか子どもでは通いきれない。
ミンダナオ子ども図書館では、
各集落に保育所を建設してきたが、最後に、学校のある村に
河野さま一家の寄贈で、下宿小屋を建てることになった。
建設は7月から開始される。
そうすれば、ケロハスの子どもたちも、キアタウの子たちも、
下宿をしながら学校に通えることになる。
下宿は、キアタウの親たちが維持する。
キアタウの高校生の奨学生も手伝って・・・


平坦に見えた行く手が、
突然途切れて
目もくらむような
深い谷があらわれた。
この谷の向こう側に、
ケロハス集落があるのだ。
この山の中腹には、ケロハスのほかに、
キアタウやカヨパトンといった
マノボ族の集落が散らばっていて、
MCLの奨学生が、あちらこちらの村にいる
この地域は、本当に美しく、
私たちだけが近寄れる地域だ。


陸稲の
手入れをしている
子どもたち


この谷を渡って
さらに急な
崖を登る

想像以上に深い谷に愕然とする。
しかし、さすがにこちらの子たちだ、
奨学生たちは、靴を脱ぎ、裸足になって、
かけるように斜面を下っていく。
重い荷物にもへこたれることなく・・・?




こんな谷底にも
畑を作って、人が住んでいる
マノボ族の家族たちだ。
平坦な土地は、
土地所有が決まっていて
自分たちの自給地を
持つためには
こうした、人が
見向きもしないような場所に、
トウモロコシや陸稲を
植えなければならない



学校に通っていないが、
保育所が出来たら、
この子たちも
新しくたった
保育所に通うのだという
さらに小学校になったら、
MCLの奨学生に
採用しよう
今回のケロハス集落の保育所建設と案内役に、
キアタウの奨学生のお父さんたちが活躍した
お父さんと一緒に
うれしそうな奨学生



山岳地域もなれたもの
軽々と荷物を
運び上げていく


やっと目的の保育所が見えた!
正直に言って、
こんなに遠いとは
思わなかった
遠いというよりは、
谷を越えていく
急斜面の道のりは、
素晴らしかったが
思ったより厳しかった。
私は、二度目だが、
一度目は、上の方から
斜面を降りてこの村に来た。
それにしても、
キアタウを始め、
この地域の人々の
素朴さと風景の美しさは
絶品中の絶品。
アラカンには、イタリアの
ミラノ修道会が入り
イタリア人神父が数人いる。
彼らがこの地に引かれた
理由が良くわかる
マノボ族の美しい素朴さ
そして、
北イタリアの丘陵地帯に
よく似た風景
僕の秘密の
場所だったのだが・・・
キアタウ集落のお父さんたちから、
ここに、日本人を迎えられないだろうか・・・
と言う話が出た。
収入が少なく、土地を手放すマノボ族も多い、
観光?による地域興しが出来ないだろうか・・・
「うーん!セキュリティの問題は?」
「大丈夫、私たちが保証します。
この奥には、不思議な巨大な洞窟があり、
その奥に泳げる場所もある」
「?????」
私も一晩泊まったことがあるのだが、


開所式は、
マノボの歓迎の踊りから始まった

マノボ族の子たちの踊りは、本当に可愛らしい。
純粋なマノボの文化が残っている。
もちろん、観光客どころか、
外国人が来ることもほとんど(まったく)無いところだから、
観光用に踊りなどではない。
保育所が建設された喜びを、
伝統的な踊りで表現しているのだ。


こんな素晴らしいところで、
マノボの家に泊めてもらって
素朴な食事を共にして、
2,3日過ごしたら
心も体も、すっかり清らかな
元気を取り戻すだろう
精神的に病んでいる、
日本の若者や中高年に
こうした体験をさせて
あげたいとふっと思った。
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちが
たくさんいる村だし。
スタッフも同行して、
2,3日マノボの村で過ごす
企画を立てたら、
皆さん来られますか???
セレモニーの後の読み語り

2年から、3年目に入った奨学生たち。
第2世代の読み語りが、素晴らしくなってきている。
しろいうさぎとくろいうさぎ、絵を見ただけで、物語が生まれて語る。
イスラム教徒の子も、マノボ族の子も、クリスチャンの子たちも・・・



こちらは、今年から
ミンダナオ子ども図書館に住み始めた、
第3世代の子たち。
ほとんどが、この地域から来た子たちだ。
新しい奨学生たちも、
先輩の読み語りを熱心に見ている



最後は、今や定番の
「おおきなかぶ」ならぬ
「おおきなカサバ芋」で終わる


うんとこしょ、どっこいしょ、
それでもカサバ芋は抜けません!

最後は、平和の歌を歌い、
大きなかぶならぬ、大きなカサバ芋の劇で終わる。
これは、本当に評判が良い。
おじいさんから孫、そして犬も猫もネズミも曳くが、
特に評判が良いのは、猿だ。
そんなの本にあったっけ?


村人たちも、
こどもたちも、
お話しを聞いて
パンを食べて
絵本を見て
遊んで・・・
満ち足りた半日が過ぎた
こうして、私たちと
村とのご縁が始まる。
ここから、来年は
さらに奨学生を採用し
彼らが村を育てていく。
急坂を下って帰路につく

この急坂を見て下さい!
そして風景の美しさと、
人々の暮らしの素朴さを!!!!!



私たちは、MCLの収入を求めて
スタディーツアー企画を立てたいとは思いませんが、
現地からの声もあり、
こうした村に数日滞在したいと言う希望の方があれば、
ご連絡下さい、ご紹介します。
生活方法もあらかじめお教えして、セキュリティも万全にして、
スタッフや時には私も同泊するような形で、
文明からかけ離れた黄金の日々を過ごしてみますか?





茨木ロータリーアクトによる
保育所が完成した!
場所は、ARMMイスラム自治区と呼ばれる地域で、
舟でしか通えないサパカン集落
リグアサン湿原地帯から、
約800人近い子どもたちが
小学校に通っている
度重なる戦闘の犠牲となり、
不幸な場所で、
国際的な支援もほとんど無い

私たちは、この集落に、
日本政府の力を借りて、
学校を建設出来ればと考えて
草の根無償資金に応募した。
保育所が出来て、
村長さんも村人達も大喜びだ!
読み語りのあとに、
開所式を行った
サパカンから、成績も良いのだが、貧困で
高校に進学できない子をスカラシップに一人採用した。
対岸のラジャムダの高校に通うことになった。
今後は、彼女がコンタクトパーソンになって
この地域の活動を手伝ってくれるだろう。
それ以外に、小学校の子たちを
3年、4年、5年と各学年、
2名ずつ里親奨学制度で採用する。
スタッフが、毎月学用品を届ける事になるが
それによって現地の状況を知り、
住民ととぎれぬ関係を築く縁となる。




僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います


大渕みほ子

公開日当日に映画
「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきた。
たぶん半年ぐらい前だと思うが、
映画の予告を見て絶対見たいと待ちに待った作品だ。
ご存知のようにアカデミー賞を受賞してから、
話題沸騰の作品でもある。
映画の内容を振り返ってみると、
売春やドラッグ、殺人や暴力、盗みや争いといった
スラムの闇と、急速に近代化に向けて
変化するスラムとの狭間で、
時代に翻弄されな
がら生きる最貧困層の人々が、愛や夢を追い求め、
したたかに生きる姿にはすがすがしい思いさえした。
この映画で印象的だったのは、
主人公がクイズに正解するにつれて
応援する人もどんどん増え、
働いていた会社の人、
町中の人までもテレビにくぎ付けになって
応援している姿だった。
発展途上国だからだろうか?
同じような光景をフィリピンでも良く見かける。
アメリカで一時流行した「アメリカン・アイドル」のような
番組がフィリピンにもあり、
私がミンダナオでホームステイをしていた
家の子ども達も、
歌手を目指す素人の勝ち抜きバトルに
くぎ付けになり応援していた。
たとえ全くの素人で顔見知りじゃなくても、
頑張っている人には心から皆で応援したり、
喜怒哀楽を共に分かち合う姿をみると
私も嬉しくなるし、また羨ましくもなる。
ちょっとしたことで感動できたり、笑顔になれたり、
そういう心の素直さを羨ましく感じるからだと思う。
文化の成熟なのか、
それとも無感動や無関心が
広がっているのか分からないが、
日本では大そうな出来事でもない限り、
あまり人を応援したり感動しなくなっている気がする。
「そんなことで驚くの?」「何が楽しいの?」、
そんな冷めた目で見ている自分がいることに気がつく。
私自身も良く言われることだが、
日本にいるときとミンダナオにいるときでは、
顔が違うようだ。
日本で閉ざされた感情が解き放たれて、
顔が変わるのかもしれない。
もしかしたら、こうしてミンダナオに行くことで
自然に心のバランスを取っているのかもしれない。
今回ご一緒した親子ボランティアの皆さんの
顔も観察していたが、
やはり私と同じだった。
初めはこわばった顔や無表情の顔をしていても、
ミンダナオ子ども図書館での生活に
慣れるにつれて表情に変化が現れ、
感情が顔に出るようになる。
嬉しいときはとびっきりの笑顔になり、
悲しい時は人前だろうと涙する。
「ミンダナオの子どもを助けたいと思って来たのに、
逆に自分が助けられた」と、
あるお母さんが話して下さったが、
ミンダナオ子ども図書館を訪れる方々は、
良くこのように話して下さる。
日本で忘れていたことや失っていた
大切なことに気が付き、
心がリフレッシュされるのだろう。
このような感想をもたれた方々の顔は
また美しい顔をしている。
今回同行したツアーのある男の子が、
最後の振り返りのときに
こう話してくれたことが大変印象的だった。
「僕はお饅頭が大好きです。
フィリピンに来て思ったんだけど、
日本は見かけはとっても美味しそうだけど
中はスカスカなお饅頭みたい。
でもフィリピンは見かけが悪くても
餡がぎっしり詰まっている。
僕は餡がぎっしり詰まった
お饅頭になりたいと思います。」
「あぁ、日本の子ども達にもきちんと分かるんだ」と、
感動して聞いていた。
日本の子どもも捨てたものじゃない。
こういう気づきが出来る子どもがどんどん増えたら、
日本の未来もきっと明るい。

大渕みほ子






京都暁星高校の招待で
奨学生が日本へ


京都暁星高校は、長年にわたってMCLの奨学生を
支援し続けて下さっている
保育所建設や下宿小屋も、生徒の協力を得てすすめている。
今回は、支援して下さっている3名の奨学生が、招かれて交流した。



初日は、歓迎と紹介を兼ねて、
私が現地の映像を見せながら講演をした
その後、彼等が、マノボ族の踊りと、イスラムの踊りを紹介。
最後は、日本の若者たちを交えて、一緒に踊った。





京都暁星高校は、
独自の課外授業を
実施している。
その一つが、
堤防での釣りだ。
宮津の漁港に
めんしているだけに、
好釣り場。
イスラムの
モハジール君にとっては、
飛行機に乗るのも
海を見るのも初めてだが、
ピキットの大湿原で、
漁もしているのでお手の物。

戦闘地のピキットから来て、
父親を失っているモハジール君。
大学生だ。
「こう言う交流は、本当に素晴らしいと思う。
友さんが、どんなに日本で大変で、
一生懸命支援者を探しているかもわかったし、
将来は、友さんのような仕事がしたい。
平和を作るためにも、重要だと思う。」



日本の文化を学ぶ時間も


日常は、他の学生さんたちと
一緒に授業に参加もした。


平日は学校が終わると、
生徒の家庭でホームステー
日本の家が、
ミンダナオの裕福な家のように
大きくはなく
質素な生活をしながらも、
支援をして下さっている様子に感動!



このような体験こそが、戦闘のトラウマを超えて、
平和を作る若者を生み出す
京都暁星高校の皆さん、ありがとう!




若い世代からの便り

今回、日本に滞在して、最も強く感じたことは、
日本の若者達の心の状況だった。
それと、世界に、特に日本も含むアジアに迫っている、
戦争を起こそうとする見えざる外からの足音だ・・・
このことに関しては、ミンダナオ子ども図書館:日記で書いた。
ミンダナオのコタバトで、先日、
IMT(国際停戦監視団)の菊地さん、落合さん達と、
福祉局のグレイスさん、
プレシデントのアスレーさん、バイスのマージーさん、
妻のエープリルリンと話したときにグレイスさん曰く、
「この非常に複雑な戦闘を作る状況を解決でするために必要なのは
次の世代に期待をかけるしかないのだと思う。
その点で、ミンダナオ子ども図書館が行っている事は
(次の世代を育てて行くと言う点で)画期的な試みだと思う。」
ここ8年あまり、現地の若者達と関わってきて、
ぼくが今、非常に重要に思うことは
現地の若者だけではなく、日本を始め、
先進国の若者達を育てなければいけないという事だ。
そのためには、彼らがミンダナオ子ども図書館に来て、
こちらの若者達と交友を深める体験の機会を作る必要がある。



大澤君は、今年、上智の大学院、修士課程を卒業する。
現代っ子だが、真剣に発展途上国の貧困問題を考えている。
将来は、国連で仕事をしたいそうだが、
こうした若者たちが日本にも着実に増えてきていると感じる。
閉塞的な日本に見切りを付けて、世界の、
とりわけ先進国文化から「取り残されている」と言われている地域に
真実の可能性を発見しつつある若者達・・・


MCLとの出会い

 20105月、大学院で
発展途上国の貧困問題について勉強していた僕は、
学部生時代の恩師である先生の
ゼミで後輩の指導にあたっていた。
そんな時、ミンダナオ子ども図書館という
フィリピンで子供たちの
就学支援や医療支援等を行っている

NGO
の代表である松居さんが
そのゼミで講演会を開いてくださることになった。
将来は国際協力ができる場で
働きたいと考えていた僕は
松居さんとの出会いに胸が躍った。
MCLのホームページをチェックし、
松居さんの著書を読んで
自分の研究と照らし合わせて、
いくつもテクニカルな質問を考えて
講演会に臨んだことを今でも覚えている。
 しかし、結果的にその質問をすることはなかった。
それは、松居さんの子供たちの話をする時の
幸せそうな顔や、
綺麗ごとではすまない
ミンダナオでの戦闘の様子を見て、
自分が学んできた机上の研究を
どこかちっぽけに感じたからである。
以前から様々な発展途上国といわれる国に足を運んで、
色んな状況を見てきたつもりでいた。
だが、松居さんの講演を聞き
自分のやっていることに物足りなさを感じ、
講演会後、松居さんを追いかけとっさに出た言葉が
MCLで勉強させてください。」というものだった。

20109月、僕はMCLに向かった。
不安がなかったかというと嘘になるが、
そんなものは初日から子供たちの笑顔が
吹き飛ばしてくれた。
MCLに着いて最初に感じたことは、
子供たちのエネルギーの凄さである。
これに関してはまた回を改めて詳しく書きたいのだが、
とにかく子供たちのそのエネルギーには圧倒された。
それは、塾講師のアルバイトを通して

MCL
のスカラー達と同世代の
日本人の子供たちと接する機会が多い僕にとって、
日本人の子供たちからは
感じることができないものだった。
MCLの子どもたちが持つ底抜けな明るさや優しさは、
夜眠りにつくときになって
「そういえばあの子たちは
色々な境遇にある子たちだったな。」
とやっと思いだすほどに純粋なものだった。

滞在中、子どもたちに勉強を教えたりもしたが、
僕の方が多くの事を教えてもらった気がする。
印象的だったのは、彼らの手紙や会話の中に
僕の家族を気遣う内容が多く含まれていたことである。
たいていの日本人は(少なくとも僕は)
誰かに手紙を書くときに
その人の親を気遣う文面を書いたことがないだろう。
しかし、彼らは僕の家族までも気遣ってくれた。
とても心が温まる思いだった。
今では僕も友人に手紙を出す際には、
友人の家族を気遣う文面を加えるようにしている。

一般的に、MCLのような団体や
発展途上国を想像する時、
僕たち日本人は、そこに暮らす人々を
「希望がない可哀そうな人々」
と考える節がある。しかしそれは違うのだということを

MCL
の人たちが体現してくれている。
MCLは支援者だけでなく、
不登校になってしまった生徒や
精神的に疲れてしまった人の
日本からの訪問を歓迎している。
これはそのような人々が訪問することで、
MCLの人々のエネルギーに触れ、
何かを感じ取ってほしいという
松居さんの心遣いであるように思う。
近年、日本では「心の貧しさ」が
社会問題となっている。そういった点から考えると、
僕たち日本人とフィリピン人、
どちらが豊かなのかはわからない。

MCLと出会って、
日本人にあってフィリピン人にないもの、
フィリピン人にあって日本人にないものを
少なからず見つけることができた。
多くの日本人は発展途上国の人々に対して
何かを「してあげている」という意識がある。
しかし、述したように彼らから学ぶことも多い。
したがって上からの「援助」でなく、
手と手を取り合う「協力」
をしていくという意識こそが互いが
発展していくために必要であると思う。

帰国する際、MCLの子供たちが
「私たちは友達だよね。」と尋ねてきた。
その際は、「そうだよ。」としか答えられなかったが、
今この場を借りて僕も彼らに言いたい。
「僕たちは既に友達ではなく家族だよ。」と。

お別れ会の日、大澤君の顔が
こわばっているなと思っていたら、
突然、堰を切ったように号泣したのには驚いた。
別れの時に、泣き出す若者達は多いのだが
(若者達だけではなく、中高年も・・・)
その泣き方が、あまりにも激しかっただけに、周囲の涙も誘った。
「涙が出るとは思わなかった、小学校以来です・・・」
一人で来ただけに、さらに深く、若者達との友情の輪が深まったのだろう。





立正佼成会の皆さん
夢ポッケを、ありがとう!

今年の8月に、立正佼成会の子どもたちと母親が、
平和の祈りに参加するために
ラナコランを訪れた様子をサイトに載せた。サイトへ
そのときも、子どもたちに手渡して好評だった夢ポッケ
信者の方々が、子どもたちと一緒に手縫いで作った巾着に
思い思いの文房具や玩具を入れたものを、
最終的に全部子どもたちに手渡し完了。
最後は、マノボ族の多いカマッド村の子どもたちに手渡した。



ミンダナオ子ども図書館の奨学生たちが、
みんなで手伝って一つ一つ手渡しする。
立正佼成会の子どもたちが、ていねいに
一つ一つ手渡ししているのを見ているので
同じやり方で、心をこめて手渡しした。


私たちの活動範囲は、非常に広いので、
いくらあっても足りることはない。
来年も、1000個以上を届ける約束になっている。
これからも長いおつきあいが出来ると良いね。
友情は、宗教の輪を超えて広がっていく。




北九州小倉ライオンズクラブの
役員が訪問

北九州小倉ライオンズクラブの役員の方々が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
実際に自分たちの目で、MCLを見、
MCLの活動を視察するために・・・
私たちは、ピキットの避難民がいる地域に、乾神父と共に行き
(この記事は、以下に掲載)

後日、マノボ族のいる、
カヨパトン集落を訪ね、読み語りの活動をした。
その後、ラナコランの下宿小屋に、
とりわけ貧しい三集落
ケロハス村、キアタウ村、ムヤス村、
カヨパトン村の集落長に集まってもらい
各集落に、雄ヤギ一頭、雌ヤギ五頭を寄贈した。



山羊を寄贈

今回のヤギの寄贈は、個人的なものだけれども、
このような山岳地域では、ヤギは貴重だ。
ヤギの良さは、豚や牛のように、
特別に餌を用意することなく、山地の草を食べてくれること
乳は、地元の子どもたちの栄養になること。
増えやすいことなど、貧しい地域にとって、大きな支援となる。
これらのヤギは、個人ではなく、集落のものとして増やし、
増やした分をさらに貧しい個人家庭に分け与えていく。



今回の訪問は、現地の実地視察。
ベトナムやカンボジアなども、絶えず訪問し、
現地を良く知っていらっしゃるベテランの役員の方々も
思った以上に貧困度の激しい現地の状況や
ミンダナオ子ども図書館の誠実な活動に胸を打たれた様子。
多くのドキュメントフィルムを撮影して帰られた。
これから、北九州小倉ライオンズクラブとの
長いおつきあいが始まろうとしている。



フレンズ幼稚園の園長先生寄贈の
水田を慰霊訪問

ライオンズクラブの方々は、亡くなられた盟友、
北九州フレンズ幼稚園の富村園長先生が
遺言で寄贈して下さった水田を視察に訪れた。
吊り橋を渡っていくどん詰まりの村に、
2ヘクタールの水田は田植えを終えて、
美しい若苗をのばしていた。
MCLで作った看板も、
雨風をよけるようにして置かれている。
そのようすに、深く感動し、涙ぐまれていた。



水田の支援は、ものすごく役立っている。
何しろ、ミンダナオ子ども図書館本部だけでも、
100名が共同生活
なんと、50キロの米が一日で消費される。
さらに、毎月月末の日曜日には総会があり、
高校生と大学生の奨学生
約200名が集まり、炊き出しをかねて昼食を出す
普段は、米に醤油をかけてたべる生活だから。
さらに、地域によって、
子どもたちは弁当を持っていくことが出来ずに
学校での炊き出し支援もしている。
2ヘクタールではまだたらず、
最低6ヘクタールは必要なので
4ヘクタール足りない。
1ヘクタールが、灌漑施設が整っていて60万円
どなたか寄贈していただけませんか。




オブレード会(OMI)の
乾盛夫神父
ライオンズクラブの面々と
ピキットへ
モンテッソーリ教育でも有名な、
鳴門教会の乾神父。
属しているのは、
ミンダナオのイスラム地域で
イスラム教徒の救済に奔走している
神父たちがたくさんいる、
OMI(オブレートミッション会)
今回は、日本で同僚だった
フィリピン人の司祭叙会に
参加するためにミンダナオを訪れた。
以前は、他の神父から、
ミンダナオの奥地には入るなと
止められていたのだが
ミンダナオ子ども図書館が、
全面的にお世話をすることになって
現地に来られた。
今回は、グレイスさんからのたっての要請もあり、
普通ではちょっといけない、
パイドプランギの奥の村に
ボートに乗って出かけた。
ダトゥピアン側から逃れてきて、
一年近く避難民状態になっている人々の調査のために。
ライオンズクラブの役員もいらっしゃるので、
セキュリティーは、市長もはじめ万全を期した。
ピキット市長訪問の後に、
民兵の護送船団方式で現地を訪問・・・
現地のOMIの神父たちも、
めったに足を踏み入れない地域???

一艘のボートは、
ほとんどが民兵で埋まり
護送船団方式で
警護に就く
私たちが行くときには
ここまで警護を
することはないけど・・・
対岸のダトゥピアンから逃れてきて、
一年以上避難民になっている人々

一見のどかな風景なのだが、
この地域でも最も戦闘が多く不穏な場所だ



ARMM(イスラム自治区)
の読み語り

保育所建設の事前調査もかねて、
イスラム自治区のラヨグ村、ナムリ集落に行った。
ここは、卒業したイズラハイダさんの生まれた村で、
彼女のお父さんは、イスラムの司祭。
アンパトワン一族のその後の動向も、
この地の人々から聞こえてくるが、まあ、それとは別に
イスラム自治区側にも保育所を建て、
奨学生を増やしていくことは重要な課題だと考えている。
すでに、パガルガンやサパカンにMCLは、
活動領域を広げているが・・・


イスラム自治区には、道路というものがあまりなく
(ダト・ピアン側は別だが)
ほとんどがパンボートと呼ばれる乗合船で移動する。
この地区は、外国人には、
特に危険な地域として指定されているので、
皆さんは、決して気軽に乗合船に乗ってはならない。
私も以前「乗合船にだけは乗るな、どこに連れて行かれても(誘拐)、
見つけることは不可能だから・・・」と言われていた。
乗るときは、今回もそうだが、
信頼できる知り合いのつてで舟を貸し切り、
大勢の奨学生やスタッフだけで乗る。
特に注意しなければならないのは、ワニで、
スキを見せると水の中からジャンプして食いついてくる。(ジョーダン)
ワニがいるのは本当の事だが、
とにかく原始のミンダナオを見ているようで美しさに感動。



この村の村長の父親は、
パナルガンの元副市長で
前選挙の時にリドーにあった。
JICAの碑があったので、撮影したが、
穀物干し場の寄付のようだ。
サウジアラビアの支援で、
アラビア語学校も出来ているが、
イングリッシュスクール(公立学校)も含め荒れている。
MCLの今回の目的は、読み語りをすると同時に、
保育所建設のための実地調査。
子どもの数は多いが、保育所の建物がない。
今回は、訪問してきた鳥海武夫さんが同行した。
聾唖者だが、有名なアイアンマンだ。



村の人から、
こんな場所にまで
良く来ますね。
怖くないですか・・・と
言われた。
現地の事情を
知っているだけに
一人か、数名だけで
来ようとは思わないし
奨学生のイズラハイダさんが
いなければ
来ることは考えられない。
少し時間が出来たので、
イズラハイダさんの家を訪ねた。
彼女のお父さんは、
オスタージュと言うイスラムの司祭だ。
お母さんと一番下の妹さんと写真をとった。
家の前の道を、鉄砲を持った人が横切っていった。
学校がえりの、数人の子どもたちを守って
前後を歩いて行く。
何を警戒しているのだろうか。

読み語りが始まった
ここのイスラムの人々が使う言語は、マギンダナオ語。
私たちは、まずは現地の言葉を優先する。
しかし、マギンダナオ語の話せない奨学生たちは、
ビサヤ語やタガログ語で物語り
イスラムの奨学生たちが通訳する。
みんなでイスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌もうたった。



多湖さんと友人の方々から寄贈された
ブアランのクリスチャン地域の保育所で

奇跡が起こった!
多湖敬子さんとご家族、
友人方から寄贈された保育所が、
2008年の戦闘勃発の発端となった地、
ブアランのニューバレンシアに建った。
私たちは、この日のオープニングセレモニーを計画。
子どもたちと一緒に現地に向かった。

これは、2009年12月27日に亡くなった
故人・多湖正紀さんへの追悼の想いとして
友人方から寄せられた物心両面の厚志をひとつにして、
ご遺族が故人の志を継ぐべくして寄贈されたものである。
丘の下のイスラムの人々と、
丘の上のクリスチャンの人々とが激しく対立。
かつては交流があったが、
20数年にわたって交流が途絶え、
かつてあった道も無くなり
クリスチャンの子どもたちは、
7キロも離れた別の村の学校に通っている。
激しい戦闘の結果、200家族以上いた村人たちは、
土地を残して避難、
現在は、36家族になっている。
下のイスラムの村も同様で、激しい戦闘のために、
卒業式が毎年遅れ、
このことも便りに書いたが、
ようやく今年、12年ぶりに、
開設以来初めて卒業生が出た。
赤十字やIOMなど国際NGOも注目している地域だが、
平和への決定的な足がかりがまだない。
この村で、山元眞神父さん主催で、
村人たちと平和のミサをあげた。


私たちMCLは、
すでに三年前から、
この地の子たちをスカラー
(奨学生)として採用しており。
2008年の難民救済でも、
砲弾の音がする中、
子どもたちへの
支援活動を行ってきた。
そして戦闘が終わった現在、
現地からの
依頼によって
日本政府の
草の根資金ODAに
小学校建設の案件を提出。
大使館からも、
調査に来られたことも書いた。
(結果はどう出るか
わからない・・・)
MCLの開所式は、堅苦しいものではなく、
子どもたちの読み語りから始まる

下の写真、左は、ニューバレンシアを指導しているクリスチャンの村民。
実は、人も恐れる豪腕の民兵司令官。
ここの村民は、すべて民兵として登録されていて、
常時武器を携行している。



上の写真、右は、下のイスラム集落の村長。
本来は、クリスチャン地域もブアランに属するので、
この集落の村長でもあるのだが、
対立が続いてから、互いに一歩も近づいたことは無かった。

当然、開所式には、村長のサインが必要で、
開所式に参加するのが通常なのだが、
イスラムの村長は、恐れて参加を拒否していた。
しかし、当日、私たちも子どもたちも同行するので意を決して参加。



ブアランのイスラムの村長がかつて語った
「子どもたちだったら、この対立を超えられるかもしれない」
と言った言葉が、現実となり始めた。

サイン式の後に、
握手を交わす
イスラムとクリスチャンの二人
MCLのボードメンバー
DSWDのグレイスさん(左)
所長さん(右)も驚きの笑顔
今回の開所式には、
下のイスラムの保育所(高橋毅氏寄贈)の
子どもたち親たちも招待した。
彼らが、平和への
足がかりを作ってくれると思ったからだ。
しばしば、読み語りをしていて、
MCLの活動も理解してくれているだけに、
喜んで参加してくれた。
対立している二つの地域の、大人たちが交流し
心を開きあうには、
まだまだ時間がかかると思っていた。
まして、村長や集落長が握手するには・・・

 
それが、保育所開所式で
突然実現したのだから、
本当に驚いた!
唖然とした!
目頭が熱くなったのは、
私だけではないだろう。
地元の人々も、
事の成り行きに
あっけにとられ
感動していた。
5年にわたる
下のイスラム地域と
MCLの若者たちが培った
信頼関係
避難民になったときの
命がけの救済
絶え間ない支援
スカラシップと
小学校建設計画
そして、山元神父さんによる
平和のミサと読み語り
こうした積み重ねが
有ってのことだろうが・・・
とっさに脳裏を横切ったのは
大学教員の仕事と平行して
「正義と平和」の希求のため、
教会内で、
あるいは市民運動として
真摯に活動を続けてこられた
故人・多湖正紀さんの
事だった。
正紀さんの霊が
微笑みながら側に建ち
共に開所式を喜んで
いるように
思えたからだ。

このような幻想というか
幻視は、たまに起こるから
それゆえに
奇跡だとは言えないが
この日起こった事の感動は
状況をよく知っているだけに
奇跡のように感じられた。

読み語りを聞きに来ている子たちのなかに、
避難民だった子たちの顔が散見される

今後の平和構築を話し合ったが、
まずは消えてしまった道を復活させること
そのために、MCLは、ピキット市に
道路建設の要望書を提出することにした。
すでに建設部門に顔を出したし、
市長も副市長も懇意なのでうまくいくだろう。
道が出来れば子どもたちは、
下の村の中心にある小学校に5分で通えるようになる。
さらに日本政府がODAで、
予定通り7クラスルームの美しい学校を建てれば
大きな平和のシンボルとして、評価されると同時に
この村から離れていった、
多くの家族を呼び寄せる力になるだろう。
クリスチャン地域だけで200世帯、
イスラム地域を加えると
400世帯はくだらない家族が、ブアランから逃避した。
興味深いことに、すでに学校を建設したマカブアルでは、
道が出来、避難していた家族が帰り、
新たに家が建ち始めている。
200人だった子どもたちも、600人近くに増えて、
日本政府が建てた5教室の建物に
古い2教室を加えても追いつかず、
急きょフィリピン政府が、
2教室の新たな建物を追加して建てたぐらいだ。
平和構築の正念場は、これからだ。





明治学院経済学部の学生さんたちが
高島教授といっしょに訪問
生きた経済を学んだ?

マノボ族のムヤス村での初めての読み語り
10月の村長選挙の余波をうけて、
ムヤス村に圧力がかかり、
保育所が停止してしまった。
貧しい崩れかけたような保育所。
MCLでは、
この村に保育所を作る決定を下した。
ただし、11月に入って、
選挙が終わってからだ。
落ちこぼれた村ほど支援するMCL。
ムヤス村で、初めての読み語りをした。
集落長から、
「このような忘れ去られた村にまで
来てくれてありがとう」
といわれた。
「こんな素晴らしい子どもたちに会えるのだから、
こちらの方こそありがとう」と答えた。
上の写真のヘアリップの子は、
看護士のフェさんが登録し
他のヘアリップの子といっしょに、
2月にダバオで治療をする。



マノボの子たちに、古着の支援をした
今日は日曜日。
集落の子たちも、
貧しくとも一枚ぐらいは、
教会に行くための
服を持っているので
写真からは、
あまり貧しさが
伝わってこないだろう。
しかし、もし皆さんが、
現地に同行されたとしたら、
想像以上にへんぴで
貧しい地域であることに
驚かされるに違いない。
子どもたちの後ろにあるのが
保育所だ。

教会から出てきた子どもたちに
MCLの奨学生たちが服をくばっているところ。
明治学院の若者たちも手伝った。
並んでもらって、一人一人にあわせて渡す。
一人に3枚。大人にも渡す。
兄弟姉妹が多いので多少サイズが違っても
少しもかまわない。
経済学部の学生たちが
キアタウ村に一泊
忘れられない体験

コミュニティーの生きている社会では、
子どもたちが生き生きとしている
生きる力は、学校教育からは得られない、
というのが持論だが、本当にそう思う。

ここで遊んでいる子どもたちに出会うと、
自分の少年時代を思い出す。
本当に、夕暮れまで、よく遊んだ。
それに加えて、ここの子たちは、
本当に良く生活のお手伝いをする。

MCLに泊まられた方々が口をそろえて、
フィリピンの若者たちが自立していることに驚く。
炊事、洗濯、掃除、身の回りのすべてのことを、
全く嫌がらずに自分たちだけでこなしていく。
その原点が、ここにある。

「子ども時代に一番大切なのは、
思う存分遊ぶこと、と夜に昔話を聞くこと」
日本にいたころ、子どもたちの現状を憂えて、
拙著や講演で繰り返し話してきたことが、
間違っていなかったことがここでは良くわかる。
『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』という本は
教文館から出ています。
エイデル出版から出ている講演録、
『絵本・昔話にみる楽しい子育ての知恵』は
まだ手に入るようですが・・・
しかし、その本質を体験したければ、
この地に足を運ぶのが最善だろう。
昔話だけはなく、ここには、妖精も生きている。
日常生活に触れた若者たち
ココヤシのジュースは、
渇いたのどにおいしい。
蒸しバナナは味が無く食べずらいが、
これがほとんど毎日3食の食事なのだ。
コーヒーだけは、いくらでも飲める。
そこら中に木が生えている。
ただし、砂糖は買わなければ
手に入らないので、貴重だ。
ぼくは、ブラックで飲むけど・・・


早朝と夕刻の水くみは
子どもの重要な
仕事の一つ

エルニーニョで、引き水が涸れると、
ここから遙か30分以上も歩いて下る
子どもの足だと、
1時間近くかかるだろう谷底のわき水から、
水をくみ、運び上げる。
例の巨大な鍾乳洞のある場所。
この引き水は、
アラカンのミラノ宣教会の
プロジェクトとして完成した。
それでも、乾燥時期になると
水はしばしば涸れてしまう。
くんだ水でお洗濯。
子どもたちの大事な仕事の一つ。
お母さんといっしょに、
夜食べるドジョウインゲンを収穫する。
すごく長いので、ぼくは、
ウナギインゲンと呼んでいる。
現地ではバトンという。


先住民族の家庭に案内されて宿泊
各家庭に、男性または女性の
スタッフかスカラー(奨学生)が付きそい同宿する。
スタッフの一人、フェさんは、看護士。
病気の事態に備えている。
寝袋があるほうが良いだろう。
懐中電灯は必携。
飲み水は、MCLから持っていくが、
ぼくは現地の水を飲む。
山だから大丈夫。


一緒に同じものを料理して、いっしょに食べる

今回も、お客様が
来ているので、
特別に米を
炊いて出した。



普段は、
上の写真にある、
カサバイモがせいぜい。
上の米は陸稲だろうが、
本当に貴重な食物だ。
写真のように、木の杵で精米する。

大事なニワトリをつぶしてくれた。
一年に何度あるかないかの鶏肉料理だ。

村人たちには、日常食べているものを、
食べさせてあげれば良いのだから、
と話しているのだが、
さすがに、恥ずかしいと思うのだろう。

夕ご飯は灯りを中心に座って食べる。
フラッシュを使って撮影したので明るいが、
真っ暗闇にほのかな
石油ランプの明かりがあるだけ。
それがまた、暖かく、情緒があって心が和む。
食事の後は、
みんなで語ったり唱ったり、昔話をしたりする。
こんなにおかずがあるのは珍しい。
町で買ってきたビーフンに、
家で育てたニワトリをつぶした鶏肉まで添えてある。
もちろん、スプーンなどは使わずに、手で食べる。
たぶんMCLでスプーンも用意したのだろう。

数字が先行する経済学ではなく、
幸せな暮らしを保証する経済学が
理論的に生まれないだろうか


マノボ族の家に体験宿泊
山元眞しんぷさんと、MCLジャパンの面々に、
福祉を専攻している若き女性リサさんが加わって
キアタウのマノボの集落に一泊した。
夜になると、満天の星空以外は、
灯りのまったく無い世界。
子どもたちの無邪気さに、
一生消えないすばらし体験だったという。

最初に、アラカンのミラノ宣教会のイタリア人神父、
ジョバンニ神父を訪ねた。
有名なファウスト神父はいなかったが、
モトクロス用のバイクで、山でミサを上げている。
政府側の人々からも、反政府側の人々からも、
敬意をもって見られている神父たちだ。

美しいキアタウの丘と村
この宿泊体験の企画は、
地元から上がってきたものだ。
スカラーたちのお父さんたちから、
村をあげて歓迎し、
セキュリティーも万全を期するという条件で
今回、MCLジャパンの面々で、初めて実行した。
その体験のすばらしさは、予想以上のものだった。
スカラーたちのいる貧しい現地が、
多少でもうるおうプロジェクトなら、
無償で貢献したいと思っている。


一泊2000ペソで、1000ペソは宿泊家庭に、
1000ペソは、コミュニティーに渡され、
水道や植林事業に使われます。
贅沢なスタディーツアーに慣れた人々には、とうてい無理?
現地に適応する心の無い方には、帰っていただく、
あくまでも現地重視の企画です。


MCLに住んでいる
集落出身のスカラー(奨学生)たちが、
休日であれば同行する。
また、現地には、小学生、高校生の
奨学生たちがたくさんいる。
彼らたち、そして両親たちが、
皆心から歓迎してくれる。
およそ外国人が、来ることのない世界。
外国人どころか地元の人たちも、
この隔絶したマノボの集落を知らない。

電気もなく、下界から遠く離れているから、
文明の影響がほとんど無い。
特に子どもたちは、貧しいけれども、
本当に心が純粋で美しい。
こうした子どもたちの姿に、
私もどれだけ救われてきたことか、
その体験を多少でも分かち合いたい。

ごらんのように、
子どもたちは普段裸足だ。
学校に行くときには、
すり減ったゴム草履を履いたりするけれども、
ほとんど靴は持っていない。
MCLで古着の支援をしたことがあるので、
服は比較的良いものを
着ていたりするのだが・・・

ここの住人の一人
オンゴイ君
猿の事を
オンゴイと呼ぶ
まだ小さな
小猿だ
各々、自分の宿泊先へ
宿泊先は、普通の民家で、家族と寝食をともにする。
食べ物は、日常のもので、特別に用意はしない
(はずだが、ニワトリを一羽つぶしてくれた家族もあった。
これは、こちらでは、一年に一度あるかの大変な歓迎。
米も普段は食べられず、カサバイモだけだったりする。)
ただし、マンツーマンで、
MCLスタッフや高校生のスカラー(奨学生)が
付き添い同宿する。
看護師のフェさん、空手が堪能な秀君
(亡くなった日本事務局の山田さんの息子さん)も同行する。
ちなみに、トイレは外の木を二本並べただけの、
和式(?)便所だが、
(うんこ以外は)落ちないようになっている・・・?
ティシューと懐中電灯は必携。
飲み水は、ミネラルを買っていく。
地元のコーヒーが旨い。その辺にたくさん生えている。


これがトイレだ
スカラーの家族と一緒に。
彼女には、
お父さんがいない
久しぶりに
お父さんのような
人が来て大喜び!
神父さんが
泊まられたのは
村の牧師さんの家。
翌日の礼拝に
神父さんも参加した。
MCL事務局の山本幸子さん
スタッフの
ジェックジェクと一緒に
「何しろ、夜は部屋もなにも
みんな真っ暗。
手探りで外に出たら
満天の星空!!!」
「今回のMCL訪問で
何よりも良かったのが
このホームステーだった」
「本当の貧しい家の
それでも
心豊かに生活している
家族に触れて
学ぶことが、
本当に多かった。」

今回、唯一の?若手
福祉大学生のリサさんの感想

 
先日はMCLに訪問させていただき
ありがとうございました。
大変、実のある経験を
させてもらいました。
松居さんはお忙し中にもかかわらず、
いろいろな場所に連れて行ってくださり
ありがとうございました。

この10日間で私が経験したことは
私にとってすごく大きなものになりました。
知らないこと、感じたこと、子ども達から笑顔や元気
いろんなものを貰いました。
又、考えさせられることも多くありました。
これから、自分なりに
考えていきたいと思いました。
 
貧困の地域や戦争が今にも起こりそうな地域、
そこに住んでいる人々と触れ合う機会など
めったに無いような経験をさしてもらい
本当に多くのものを感じました。
現地の方たちと触れ合うと
私のほうが元気や笑顔を貰った気がします。
皆さんからいろいろなものを貰ってばかりで、
何も出来なかった自分が恥ずかしく思いました。
MCLのみなさんにも感謝の気持ちで一杯です。
子ども達と過ごした何気ない時間などが
とても大好きでした。

日本に帰ってからはみんなに逢えなくて寂しいです。
いろんな過去を背負っている子ども達とは思えないほど
パワフルで元気で愛があって、私は本当に癒されました。
私自身子ども達から学ぶことや
気づかされることが多くありました。
感謝の気持ちで一杯です。

ミンダナオが平和になること
さまざまな問題がなくなること、
子ども達やみんなに幸せが訪れること、
MCLにある平和がもっともっと広がっていくことを
祈りたいと思いました。
又、自分ができることを見つけられるように
頑張りたいと思います。

 

2009年のサイトから
2009  Go! 

以下、上述の2009年のサイトから、
ミンダナオ子ども図書館を訪れられた
訪問者の方々の記録をピックアップして
掲載しました。



日本政府から、勇敢にも?
停戦監視団の菊地さんが
マカブアルの小学校を訪れた

建設が完了してから10ヶ月めにして、現地視察が完了した。
菊地さんと私の間に立っているのは、ピキット市長。
幸い米軍による砂利道の修復が出来ていたので現地に楽に到着できた。
平和であれば8月頃に開所式がなされるという・・・




ミンダナオ子ども図書館の
ゲストハウスが完成!
今年、向かって右端の建物がつながった、ゲストハウス。
山元神父さんが音頭をとって、「Mの会」で先日、完成させた。
ここを使った第一陣は、立正佼成会の子どもたち
仏教徒、イスラム教徒、先住民族、
プロテスタント、カトリック、みんなで平和の祈りを開催した!

立正佼成会の子どもたち

ミンダナオ子ども図書館の子どもたち
日本の仏教団体である、
立正佼成会の子どもたち10名が
母親といっしょにMCLにやってきた。
スタッフや撮影班もいれて総勢30名、
7台の4WDを手配し、
コーディネートをしたのは大渕みほ子さん。
目的は、コンテナとともに1000個送られてきた、
『ゆめポッケ』を貧しい村の子たちに届けることと
こちらの子どもたちとの交流を通して、
日本に失われてしまった「何か」を体験し学ぶこと・・・
車から降りた、日本の子どもたち、
母親たちやスタッフの方々。
皆さん、緊張した面もちだったが、
大喜びと笑顔で迎える、MCLの
スカラーたちの表情に少しホッとしたようす。
ミンダナオ子ども図書館に
日本から訪問者が着くと、
なぜだかわからないが、皆さんおっしゃる言葉。
「ああ、何か懐かしい雰囲気!
ここに来ると、ホッとする」 
たぶん、若者たちの自然な笑顔、
屈託のない生活の姿、のびのびと遊ぶ様子が、
人としての原点の気持ちを目覚めさせるのだろう。
加えて、テラスから見える
緑の果樹園とその向こうに見える山並み。
さっそく歓迎会(Wellcome party)が始まった。
日本式の歓迎儀礼?に
少し戸惑った若者たちだが、
あっという間に自分たちのスタイルで
歓迎会が進行していく。
こうした歓迎会やミィーティングに関して、
アドバイスをあたえることはあるものの
進行や工夫は、すべて若者たちにまかせているので
始まるまでは、何を彼らが企画しているのか、
私にもわからない。

歌ったり、踊ったり、
歓迎の言葉が述べられたり、
イスラム、マノボ族、クリスチャンの文化が
披露されたり・・・
歓迎会が終わった時には、
たがいの距離がぐんと近くなり、
日本の若者たちが持ってきた折り紙で、
またたくまに遊びがはじまった。

コンテナで運ばれてきた
『ゆめポッケ』の開帳式
『ゆめポッケ』とは、
立正佼成会の子どもたちが、
月に2度食事を抜き、
その食費を献金貯金して
世界の貧しい子どもたち、
とりわけ難民の子たちのために
学用品やぬいぐるみを買って
プレゼントする、心の支援だ!
今回、コンテナに詰められた
『ゆめポッケ』が、1000個運ばれてきた。
みんなで、開帳式をした。


『ゆめポッケ』に関しては、以下をクリック
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2008/09/post_1178.html
「ゆめポッケ親子ボランティア隊」フィリピンから帰国
http://www.kosei-kai.or.jp/news/2009/04/post_1335.html
『ゆめポッケ』には、
お母さんが手縫いした布袋に、
ボールペンやノート、ぬいぐるみや
絵手紙が詰められている。
一つ一つ、異なったプレゼントを子どもたちが、
思いを込めて選んでいるし、
お母さん方の思いもこもっているので、
単なる物資支援とは異なった、
暖かみが感じられる。
日本の子どもたちにも、
自分たちで心を込めて作った『夢ポッケ』を
配っているという、気概を感じた。


平和の祈り
Player for Peace
かつてから、
仏教の方々を交えて
平和の祈りを開催したいと言うのが、
私たちの願いだった。
それが、意外とはやく、第二回目に、
しかも子どもたちを交えて
美しい形で実現できたことは、
本当にうれしかった。
高校大学のスカラー、総勢224名が
一堂に会して行う「平和の祈り」は、
学生達が自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で彩られて
厳粛な中にも楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、
スカラーたちに感銘を残した。
平和の祈りでは
マノボ族の牧師が
マノボ語で
イスラムの説教師が
アラビア語で
仏教からはお経が
カトリックからはシスターが
祈りや説教をしてくださった

マノボ族の村
プロック8へ
平和の祈りの後に、
非常に貧しいマノボ族の村へ行った。
『ゆめポッケ』を届けに。
大勢の日本人が、
何台も車をつらねて訪れて
来たのに皆ビックリ!
ここの村の子どもたちは、
ほとんどがMCLの奨学生たちだ。
次々と運びあげられる『ゆめポッケ』
いったい何が入っているのだろう???
明けてビックリ、
何とすてきな贈り物!
とにかく笑顔が止まらない・・・
ぬいぐるみをいつまでも
抱きかかえて離さない少女たち!
ノートやボールペン、
小さな車のおもちゃや鉛筆削り・・・

日本からの訪問者は、
それぞれの子たちの家庭を訪問した。
その貧しい生活にびっくり!
家庭では、せめてものおもてなしに、
家の前の椰子の実をとって飲ませてくれたり・・・
貧しくとも、屈託のない交流が、
子どもたちの心に残った。

いっしょに作った料理
そして洗濯・水浴び
二日目と三日目は、
日本の子どもたちは母親と離れ
(親は市内のホテルにスタッフと滞在)
ミンダナオ子ども図書館に泊まった。
心配顔の親たちをホテルに送り届け、
子どもたち同士での生活がはじまる。
薪でご飯をたいたり、翌日の早朝は、
洗濯をしたり水浴びをしたり。
たちまち、子どもたち同士の距離が
ちぢまっていくのがわかる。
子どもたちがすっかり変わったのは
親から離れて最初に図書館に
宿泊した日の夜からだった
何か特別な出来事が起こったわけではない。
MCLにすんでいるスカラーたちが、
ときどき楽しみのためにするこちら式の遊技、
「ハンカチ落とし」や「かごめかごめ」
「はないちもんめ」を始めた時からだ。
テレビも無い生活だけれども、
楽しい笑い声が夜遅くまで星空にこだましていた。

滝のあるマノボの村
ウオーターフォールへ!
翌日は、滝のあるマノボの村
ウオーターフォールへ
みんなで読み語りをしに・・・・
日本の子どもたちやお母さん方も
読み語りをして拍手喝采!
踊ったり歌ったりしたあと、
村人達と、豚の丸焼きを食べて交流をはかった。
3食たべられない家族の多い
マノボの人々や子どもにとっては
素晴らしいフィーディングプロジェクトとなったし
日本の人々は、
マノボの人々がいつも食べている
カサバ芋や蒸かしバナナや芋を食べた。
i

いざ!滝の滑り台へ
食事の後は、村の子たちと、
いざ、滝の滑り台へ!!!
もう、言うことなし。
喝采がジャングルにこだまする。

見事に滑る、
この村出身のアロナ

こうした体験をへて

日に日に我が子の顔や

言動が変わっていくのに

ビックリし、感動し。

我が子たちの変化に

思わず目頭を熱くして

泣き出す母親もいた。


たった3泊4日だったのに
永遠の時が流れたように・・・
お別れは、涙、涙、涙

愛というのは、
やはり時空を超えていると思う。
たった三泊四日、
実質的には二泊三日だったにも
かかわらず
まるで、何年もいっしょに
暮らしてきたような親近感。
時計やカレンダーの刻む時の流れとは、
まったく異なった時の流れがここにはある。
愛の流れは、
久遠の神や仏のもとからやってくるから。

いつまでも、友だちでいようね。
なぜって、愛しているから・・・


また会おうね
また、ぜったいに会いに来るからね

ミンダナオ子ども図書館の
若者たちは、
一度出会い
愛し合った人の事を
決して忘れない。
時々、ふとしたおりに
名前が出て
「・・・・」どうしているかな
「今度いつ来るの?」と
無邪気にわたしに
聞いてきたりする

でも、必ずまた会おうね!
涙の後の笑顔がみんな、すがすがしい。        
アイ ラブ ユー また必ず会おうね!

先年の夏、ミンダナオ紛争が勃発し、
MCLで、「平和の祈り」を始めて以来、
ぜひとも仏教団体に参加していただけたらと思っていた。

ミンダナオの若者たちにも、
温厚な仏教はよい影響をもたらすだろう。
それが、立正佼成会のおかげで、
思いもよらず早々に、
しかもとても美しい形で実現したのは
喜び以外の何ものでもない。
最初は、緊張しきった顔が、
一夜明けるとすっかり変わっていた
三泊四日という、
非常に短い期間だったにもかかわらず、
日ごとに子どもたちの表情が
変わっていくのが興味深かった。
最初は緊張した顔も、歓迎会が終わり、
外でバレーボールをしたり、薪で料理をしたり、
井戸で洗濯をし始めるにしたがって変わっていった。
高校大学のスカラー、総勢224名が一堂に会して行う
「平和の祈り」は、学生達が自身で企画実行しているが、
ミンダナオらしく踊りや歌で彩られて
厳粛な中にも楽しさや美しさが生きていた。
とりわけ訪問者の読経は、スカラーたちに感銘を残した。
 10名の子は、母親といっしょに、
最初はホテルで宿泊したが、
翌日の「平和の祈り」以降は親から離れ、
若者たちといっしょにミンダナオ子ども図書館に泊まった。
子どもたちがすっかり変わったのは親から離れて
最初に図書館に宿泊した日の夜からだった
何か特別な出来事が起こったわけではない。

MCLにすんでいるスカラーたちが、
ときどき楽しみのためにするこちら式の遊技「ハンカチ落とし」

や「かごめかごめ」「はないちもんめ」を始めた時からだ。
こうした子どもの遊びは、こちらではごくごく一般的な日常で、
ただ日本と異なるのは、高校生や大学生でも、
子どもと全く同じで、無邪気に喜々として遊ぶことだ。

こうした幼心を失わないところに「素顔のミンダナオ」があると思う。
日本から来られた子たちは、六年生が中心で、
高校生も混じっていたが、気がつくと皆、
遊びのなかにとけこんでいた。
こちらの若者を見ていていつも思うのだが、
心の壁を取りはらうのが実にじょうずだ。
山の貧しい集落が、それ自体が大家族のような
濃密なコミュニティーで有ること、
粗末な家には個室が無く、家族がいつも
身を寄せあい暮らしている環境などが
関係しているように思えるが、
彼ら自身に、心の壁というものがあまり無く、
たとえ言葉が通じなくとも、
相手の気持ちや思いを察して、
ごくごく自然にとけこんでくる。
 それがあまりにも自然だから、
心に壁を作って構えていた日本の若者の心が、
いつの間にか開かれていて、翌日母親やスタッフが来て、
子どもの顔つきの違いに驚き
唖然とするような事態が起こるのだ。
 山の村で子どもたちに学用品の『夢ポッケ』をくばり、
読み聞かせをし、豚の丸焼きを村人と食べ、
美しい滝壺で遊ぶにいたって、
彼らの顔はすっかり地元の子になっていた。

 「最初は、日本の子どもとフィリピンの子どもだったのに、
どちらの子も私たちの子のように見えますね」と、
お別れ会で私は言った。

お母様方も、うちのスカラー達を、
「私たちの子」と呼んでくださった。
そう、私たちは世界中にいる、「私たちの子」のために、
平和で貧困がない世界を作っていこう。
そう、語りあいながら、涙ながらに別れた。
再会を誓いながら。
アイ ラブ ユー・・・
また遊ぼうね。


ほるぷ舎
の保育所が出来た!
高崎に拠点を置く、絵本の専門店、
『ほるぷ舎』寄贈の保育所がマキララ、マルンゴン村に完成
代表の金子さんが、開所式に来られた。
ご自身も読み聞かせ活動や講演会も行っている積極的な方で、
毎年、私の講演や息子の陽の講演会を、
10月、11月にセットしてくださっている。
金子さんへの講演依頼は以下のメールへ
holp-kaneko@holpsya.com
お忙しい中、
ミンダナオ子ども図書館に正味二日滞在された。
ほるぷ舎のブログは以下をクリック
http://holp.blog61.fc2.com/blog-entry-11.html

歓迎の歌を
アラビア語で歌う
イスラム教徒の若者たち

興味津々で
訪問者を迎える若者たち
忙しい日本の日々とは異なった時間が、
ここミンダナオ子ども図書館には流れている。
たった二日の滞在だったのに、
まるで2ヶ月も居たような錯覚に陥る。
この様な時の流れを体験すると、
人生観や、帰ってからの仕事への気持ちが変わってくる
それは、心そのものが癒される体験なのだ。
明けて翌日
さっそく、保育所の開所式へ

保育所の看板を運ぶ
スカラー達


左にMCL、右に
福祉局DSWDのマークが入り
寄贈者の名前が登録される。
その後、テープカットとサイン式が行われ、
保育所はフィリピン政府の管轄下に入る

日本語で自己紹介

私が現地語に訳して

経緯を説明



          

テープカット

バランガイキャプテン

(村長)さんと

にこやかに・・・

今の村長始め

役員はほとんど皆、女性


サイン式を
見守る子どもたち
子どもたちの
歌も披露された




その後、保育所のなかで
読み語りが始まった。
金子さんは、日本語で
紙芝居を演じて
好評だった!!
保育所建設、希望の方々へ

その後、
ピキットのスカラーを訪問

ほるぷ舎の金子さん方は、
ピキットのイスラム教徒の若者をスカラシップ支援している。
Joemar Abudul君
父親はなく、ゴミ捨て場の近くの貧民地域に住んでいる。
時々、働きながらの
苦学生だ。
本当に二人とも
うれしそうだ!


「愛に捧ぐ黙想」

松居 陽
ここは、まったく面白い世界だ。
相対性原理に基づいて作られたこの宇宙。
無限であり、ゼロである絶対的な宇宙とは違い、
全てがこれ、あれ、そしてその間、
と比較によって成り立っている。
これが高ければ、あれは低い。
これが近ければ、あれは遠い。
これが良ければ、あれは悪い。
これが正しければ、あれは間違っている。
その中でも最も興味深いのが、
愛と不安の相対性だ。
不安は、押し止め、閉じ困り、
闇に隠れ、傷つけ、逃げる力。
愛は、解き放ち、開け広げ、
明るみに立ち、癒し、留まる力。
不安に生きる者にとって、多くは足りない。
財が足りない。愛が足りない。
何かが足りない。
足りないったら足りない、と彼は叫ぶ。
富を下さい、と彼は祈る。
愛が欲しい、彼は懇願する。
満たされたいんです!
その声明は、宇宙によって聞き入られる。
そう、あなたは満たされたがっている。
求める者は、延々と求めている
自分を経験することだろう。
彼は、朝起き出し、多くを得る努力をする。
多くを得た後、さらに多くを得るため骨を折る。
とにかく、前へ前へ。
より多く、より大きく。彼の視界は狭く、厳しい。
彼の不安から逃れたい者達を、
彼は押し止めようとする。
持つという幻覚に住む彼にとって、
無くすことは最大の恐怖だ。


愛に生きる者にとって、全てはすでに与えられている。

何もかも、十分に存在する。世界は、愛に満たされている!
彼は、何かが足りないとは決して考えない。
全てを、そしてこれから与えられる全てをありがとう、彼は感謝に祈る。
その声明は、宇宙によって聞き入られる。
そう、あなたは満たされた。彼は、充満な自分を経験するだろう。
信仰心に肥えている者にとって、欲しがる必要は初めからから無い。
彼が得ることを選択した瞬間に、全ては与えられると、神は約束されたのだから。
彼は、宇宙の息吹に目覚め、命の触れ合いを感じる。
神は、喜びいっぱいの素晴らしい世界を創って下さった。
そして、彼は自分や他人の死を恐れない。
永遠の命を信じる者に、死などという概念は存在しない。
彼は、命の全てを祝福し、愛しながら、永遠の一瞬を生きる。
全てに溶け込み、一体となり、神と語り合う。
彼には、執着心が欠けている。
全てはすでに与えられている、と言う真実に住む彼にとって、
無くすことへの不安など、無邪気な錯覚だ。

無条件の愛に、不安は微塵も無い。
僕は、信じること、
そして愛することを
恐れる人達を多く知っている。
受け入れてもらうため、愛してもらうため、
何かを代わりに得るために愛し、
信じるのであれば、
たとえ求めているものが
無条件の愛だとしても、
与えているのは条件付の愛であり、
それは愛と呼ぶより、要するに、
欲することから生まれた取引行為だ。
君の欲しいものを上げるから、
僕の欲しいものを下さい、
と語られざる交渉がそこにはある。
この取引には、不安が隠れている。
初期の不安は、
もしも相手が愛してくれなかったら、
というものだ。
そしてたとえ相手が愛してくれたとしても、
いつこの愛が途切れてしまうのか、
と次期の不安が襲忍び寄る。
これは、明らかに愛に生きる者ではなく、
不安に生きる者が
一般的に作り出す経験だ。
では、無条件の愛とは
どういった愛なのだろう。
何一つ条件が無いならば、
人は全てをあるがままに愛し、
それらがすでに完全な存在だと
知りえるだろう。
全ての人々、出来事、物質、無物質、
生命、全てが神の創造した、
文句なしの天衣無縫だと知るだろう。
神が無条件に僕達を愛すように、
僕達も判断なしに全てを愛し、
祝福することができるだろうか?
できるはずだ。
必要な力は全て与えられている。
損得無しに、純に愛する術は、
僕達の核心にある。
なぜなら私達は神を模られ、
愛を成分として創られた
最高傑作なのだから。

神が不完全な、不良品を創造するだろうか?
神が不完全な、不良品を創造するだろうか?
神は、僕達に選択の自由を与えておきながら、「間違った」選択をすれば、
永遠の業火で私達を罰する憎しみと復習の神なのだろうか?
そもそも、良い、悪い、正しい、間違っているといった概念は
誰の創造したものなのだろう?
それらの言葉の持つ意味が、
時代によって、または単純な地理の違いによって
異なるのは何を示しているのだろう?
例えば、カトリック教徒にとって、
1960年代以前は金曜日に肉を食することは罪であり、
死後は煉獄へ行くとされたはずが、
それ以後は法王の決断で罪とされなくなった。
ヒトラーのやり方が正しいと感じ、彼を支持した多くの国民や、
他国の多くは、今や彼は間違っていたと主張し、
彼にあらかたの責任を押し付ける。
ある文化は、男性が複数の女性と交際し、結婚することを力の印とみなし、
ある文化はそれを聞き、怒りに震え、道徳の侵害だ、と叫ぶ。
個人の人生の中でも、より若かったころの正しさは、
後々の正しさとは異なることがしばしばある。

この喜劇に僕が思う真実は、こうだ。
これは全て、人によって作られたドラマ。
個人レベルであれ、団体レベルであれ、
意識の作り出した世界。
良い、悪い、正しい、間違っているなど、
実際には存在しない。
実在するものといえば、
世界に散らばるたくさんの観点、
それらのみだ。
正しさ、良さなどのコンセプトは、
人により、経験と思考から描き出され、
団体意識によって強調される
それなら僕は何を信じよう?
そう、僕は、僕自身の真実を追究しよう。
望むべく経験を作り出そう。
今、ここで、自分の思い巡らす最大の自己イメージを思い描き、
宇宙に映し出そう。
それが人生の意図。

僕にとって、神は観測者であり、
裁判官ではない。
無条件で全てを愛する神は、
独裁者や多くの人間のように、
一つの観点からしか物事を見ず、
正しいだの間違っているだのと
ルッテルを張り巡らせ、
間違ったものを裁き、
刑を処するだろうか?
僕達の多くが偏狭だからといって、
神にまでその特性を
割り当てて良いのだろうか?
僕達が何をしようと、何を持とうと、
僕の神にとって、魂は一つ一つ、
罪も穢れも非の打ち所もない
マスターピース。
僕と神の間には、義務も責任もない。
僕達は、選択の自由を持ち、
望むがままに道を造りゆく者達。
自己の真実を摘み取り、
自己の信じる目的を
追求することを望む。
しかし、自分の信ずる道を進もうとも、
僕は、僕の知る神のようにありたい。
フィルター無しに、
全てをそうあるべきものとして愛し、
解き放つ、
そう、無条件の愛を現実化させたい。
もしも僕がたった一つ、
世界中の兄弟姉妹に
プレゼントを贈るとすれば、
それは不安と罪悪感の欠けた心。



今年度のODA草の根資金J-Birdに
イスラム自治区の小学校建設をアプライ
 
2000年、2003年の戦闘では、
120万を超す難民が出た。
その難民キャンプの悲惨さを目の当たりにしたのが、
ミンダナオ子ども図書館を作るきっかけだった。
当時の銃痕が今も壁に残っている。
ARMMと呼ばれるイスラム自治区は、
ミンダナオで最も支援が行き渡らない地域。
MILFの活動地域としても知られている。
日本政府は平和構築のために、
この地をあえて政府の支援地域の一部にして
平和構築支援活動を開始している。
私たちは、ほとんど現地の人々も、
恐れて入ろうとしないこの地域を、
今年の学校建設の候補とすることに決めて活動を開始した。

この地域に支援をしても、おおかたが賄賂として、
為政者や金持ちに渡ってしまって無意味だと言われている。
ARMM以外でも、似たようなものだと、私は思うのだが、
行政機構が機能していないのも事実。
しかし、私たちの活動は、
権力者に金を預けるのではなく、
あくまでも自分たちの手で
最も貧しい地域の人々に、
恩恵が直接行くように活動している。
現地には、
心から貧しい人々と生きようとしている、
多くの人々が居る!
彼らと共に、子どもたちと共に、
スカラー達と共に活動を開始するのが、MCL流だ。

選んだのは、
2000,2003年の戦闘がひどく
フィリピン海軍がプランギ川を遡って攻撃し
ピキットへの上陸地点とした、
その名もランディングピース
と呼ばれた地域から

さらにパンボートに乗って
奥の対岸に渡る
PAARALANG村
陸路はなく、乗り合い舟でしか
たどり着けない

 
これがこの村の学校。
メインビルディングが一つあるだけで、
窓も木組みの粗末なものだ。
ここに3教室ある。
これに破れた壁の掘っ建て小屋のような教室が一つと、
塀のない屋根だけの教室が二つ。
6学年あるが、
子どもたちの数は何と700名に近い!!!
 

子どもたちの数は何と700名に近い!!!
教室を遮る壁は、
ベニヤを張っただけの粗末なものだ
便所も外になる。
隣接された教室
1年2年生が多く
一教室では足りない
職員室も無い
椅子や机も不足しているので
子どもたちは床で勉強する
急きょ加えた教室は、
竹壁のために一年も
たつと腐り始めて
下部は、抜け落ちてしまった。
隣接して作られた図書室も、
本はなく、
看板だけが目立つ!
ライブラリーと言っても、
一冊の本もなく
半ば崩れていた
子どもたちは、
抜け落ちた廃材を
シーソー代わりに
して遊んでいた
外部教室は、屋根だけで、
その下に2クラスあるが、仕切が無く
話し声が筒抜けで家具も足りない。
今回何よりも驚いたのは、この様なところで、
二人の知り合いに会ったことだ。
一人は、7年前にのどの瘤の治療をした少女
アレナちゃんのお父さん
懐かしさに、感動しながら
「どこへ行く?銃は持ってきたか?」
「この地に知り合いの多い、
アスレーさんのお父さんが
同行してくれているが銃はない」と言うと
「任せておけ、俺が守る」
と言って同行してくださった。
椰子の実のジュースを飲む時には
「ここに飲み口を開けていないのが4っつある
お前が鉈で、飲み口を開けろ
毒を盛っていない証拠だ!」
「いや、信じているから大丈夫ですよ
そちらでやってください」
と僕は答えた。

もう一人は、現地であった先生。
上左の写真だが、
「あなた、私覚えていますか?」
「????」どこかで見たような
「あの、タリタイの目を手術した若者の姉です!
まだ、ミンダナオ子ども図書館が
とても小さかった時に、
弟に同行したのが私です!」
ここへ来た目的が、
学校建設に応募することと聞いて大喜び!!
校長先生も村長も大喜びするのを必死になだめて
応募の段階ですから・・・・と、
脂汗をかきながら繰り返し話すと
「その気持ちだけでもうれしいです!」

 
帰りには、子どもたちに見送られながら、
まずは14日にスカラー達と
読み語りに訪れることを約束して別れた
保育所も無いので、保育所建設も始めよう。
資材は、ボートで運べば大丈夫だ
ナブンダスに建設した経験がここで役立つ
週明けて
皆で読み語りに訪れた
キダパワンからピキットまでは、
車で小一時間しかない
それにもかかわらず多くの若者たちは、
互いの文化も土地も知らない
何しろ、交通が発達しているわけでもなく、
極貧で村から出ることすらない若者たち。
小さな山の村以外には、
行ったことも見たこともなく、
イスラム教徒はキリスト教徒を恐れ、
キリスト教徒はイスラム教徒を恐れ、
マノボ族は山岳民族として見下されている
     
読み語り活動の大きな利点は、
こうした地域に閉じこめられた若者たちが
互いに、思いもかけない場所を訪れる事が
出来ると共にその土地の人々と交流できること・・・
これは、逆に、戦闘や貧困で、
閉じこもった地域の人々、
子どもや大人の心を開く上でもきわめて効果的だ。
読み語りは、平和構築の大きな力であると感じる。
いよいよ読み語りがはじまった
合間には、イスラムの歌、マノボの歌、ビサヤの歌、
そして、最後にタガログ語で、平和の歌が歌われる
平和の歌は、スカラー達が作詞作曲したものだ
週明けて
皆で読み語りに訪れた
キダパワンからピキットまでは、
車で小一時間しかない
それにもかかわらず多くの若者たちは、
互いの文化も土地も知らない
何しろ、交通が発達しているわけでもなく、
極貧で村から出ることすらない若者たち。
小さな山の村以外には、行ったことも見たこともなく、
イスラム教徒はキリスト教徒を恐れ、
キリスト教徒はイスラム教徒を恐れ、
マノボ族は山岳民族として見下されている
読み語り活動の大きな利点は、
こうした地域に閉じこめられた若者たちが
互いに、思いもかけない場所を訪れる事が
出来ると共にその土地の人々と交流できること・・・
これは、逆に、戦闘や貧困で、閉じこもった地域の人々、
子どもや大人の心を開く上でもきわめて効果的だ。
読み語りは、平和構築の大きな力であると感じる。
IMT国際停戦監視団の菊地智徳氏からのメール
このメールは、ご本人の修正加筆の元に、承諾を得て掲載しています

菊地智徳氏、JICAインタビュー記事は以下をクリックしてお読みいただけます
http://www.jica.go.jp/story/interview/interview_66.html
おはようございます。
時々、webで発信されるHP内容を拝見しています。
今朝、見ましたが、なるほど、
という見解がいくつかありました。
参考になります。


なるほど、と私が思ったのは、
・住民のなかにおいて政府、反政府の色分けは、
 必ずしも明瞭ではない、という点。
・地域の特性(政府よりなのか、反政府よりなのかなど)は、
 まさに現地のヒトでないとわからない、という点。
 また、それは、明瞭でないこともあるという点。
・会話でNPAとかMILFとか、を安易に出さない方がいいという点、
・平穏に見えても、突然、戦闘が開始されるかもしれない、という不気味さ
・国軍がいる場所で戦闘が再開される可能性大のため、
 避難民は戻らないという指摘、
・行政職員が必ずしも政府より(国軍の味方)
とは限らないという点などです。

菊地智徳氏と
ピキット市長を表敬訪問
市庁舎裏の日本軍の
要塞跡を訪れる
他の国でも共通の要素もあると思います。
たとえば、中近東の一部では、家族・親族のなかに、
国軍、警察、イスラム過激派支援者などが混在しており、
いったい、この家族・親族はどちらの味方なのか、
という問い自体が意味をなさない地域もあります(国境地域)。
平易にいえば、「ぐちゃぐちゃ」です。
ミンダナオや、フィリピンの他の地区にも、
同じようなことがいえるかもしれませんね。
家族・兄弟のなかに、国軍、NPA、警察、
あるいはMILFとの繋がりをもつもの、
また、その構成員がいるとしても、
それは不思議ではないと思います。
地域という広がりを持たせると、
もっと、複雑で、曖昧だと思います。
結局、白黒はっきりしないグレーゾーンのなかで
支援を行っていく上では、
そうした特性を把握して、
極力「政治色のない」支援を心がける
しかないのだと私も思います。
保健医療、給水などは、その代表と思います。
しかし、「道路」というのは少し違います。
この国に限らず、戦略物資の輸送、また、
軍事車両の迅速な展開を
可能にするという軍事的観点から見ると、
「道路」には政治性が出てきますので要注意であること、
また、道路建設により、結果として、
裨益する人々と裨益しない人々の
格差を生じさせるという可能性があると思います。
また、いろいろなことで、ざっくばらんに
意見交換させていただきたい、と思います。
感想を交えて、いろいろ書きましたが、
「読み聞かせ」の心理効果ということには、
私は興味を覚えました。
情操教育とは異なるのでしょうが、
そうした心理面の効果というのは、
私は子どもには重要ではないか、と思います。
現地に根を張って生きる、そこの骨を埋める、
という覚悟はすごいと思いました。
お元気でご活躍ください。


菊地 智徳



ナブンダスに
市川鉄子先生寄贈の保育所が完成!



この保育所に到達するには
パンボートと呼ばれる
舟で行くしかない

完成した、保育所。
読み語りの後に、プレートが張られる。
舟には、
椅子と机も運び込まれた
途中からも、
子どもたちが次々に
舟に乗り込んでくる、
読み語りに、
熱中する子どもたち
彼らの顔を見るのは
本当にうれしい
何度見ても見飽きない
子どもたちの表情。
イスラムやマノボ族の歌も
みんなで歌った。

前回から、開所式には、私がビデオを持参して、
支援者のために短いドキュメンタリー映画を作ることにした。
市川鉄子先生は、長く幼稚園教師を務めて退職された。
その記念と想い出に、寄付をされた。
市川先生、もうじき開所式のDVDが届きます。
そして必ず、いつかいらしてくださいね。現地を訪れましょう!!
市川鉄子先生
ありがとう!



日本人(外国人)
を受け入れるにための準備

今まで、ミンダナオ子ども図書館は、
その活動においては、
現地の人々のことしか視野に入れずに
プロジェクトを推進してきた。
しかし、今年度から日本の、
特に若者たち同士の交流をも視野に入れることを考え
「Mの会」の力で、ゲストハウスを作ることになった。
しかし現地と日本では、思い描いている以上に、
文化的、生活的ギャップがあることも確かであり、
しかも、フィリピン法人として、プレシデント、
バイスプレシデントを始め、執行役員はすべて現地人。
彼らが実質的にマネージメントし発言権も有している。
確かに私は、エキゼクティブ ダイレクターで
ファウンダー(創立者)という地位なのだが、
ダイレクターの役割は、フィリピンと日本をつなぐことが主で、
フィリピン国内での実質的な権限はなく
現地での運営はフィリピンサイドが責任を背負って行っており、
私の意見がすべて通るわけもなく、合議制で進めている。
日本人達は、私がすべてをコントロールしているかのように
思っているかもしれないが、
彼らが、現地側の意見として、否定的な見解を出してこれば、
私も折れて受け入れざるを得ない。
というより、私は必ず彼らにアドバイスを求め、
その判断を尊重して事を進めている。
日本人は、
「寄付をしているのは我々で、出資者のようなものだ」から、
「支援者の意見を現地は当然ながら尊重し、受け入れるべきだ」
と思っている場合がある。
それが時には、知らず知らずのうちに傲慢で
独善的な態度となって現れる(事もあろう)。
自分たちが先進国であり、経済的、文化的後進国の人は、
我々のようになるのが憧れだろうから
我々の意見を受け入れて当然だという、
多少思い上がった考えを持ちやすい。
しかし、彼らのプライドは、当然ながら高く、
そうした気持ちが摩擦を生み出す事が多い。
私自身は、彼らに、先進国の生活はたいしたことはなく
こちらの方がよっぽど心豊かだという話をするが・・・
しかし、門戸を開くと決めたからには、
皆さん方にもそれなりの理解をお願いしたい
そこでこの際、私自身の失敗や経験をも率直披露しながら、
皆さんが、こちらで生活したり交流したりするための
予備知識を提供することに決めた。
まずは日常生活から・・・


郷にいれば郷に従う
事ができますか?
まずはトイレから
ビジターにとって、これが一番、
悩みの種のようだ!!!
これがトイレだ。
日本のように蓋がない。
直接陶器の部分にお尻をのせてする。
日本的な感じでは、
おしっこがかかっているのではないかと、
衛生上不安になる。
どうしても座る気になれないだろう
そこで、
日本人用に
蓋を置くことにした。
普段は乗っていないから
自分で置いて欲しい
一番の問題は、
トイレットペーパー
ここでは、
トイレットペーパー等、
高くて買えない人が多い
山では売っていない。
そこで、お尻をきれいに
するのに手を使う。
写真の水くみを、
便器に座ったままの姿勢で
背後からお尻にかけて
手の指でウンコを洗い落とす。
もちろん手に付くが
それも最後に
きれいに洗い流す
街のデパートでは、トイレットペーパーを
売っているので、それを使っても良いが、
トイレが詰まらないように、ビニールに入れて
ゴミ箱に捨てること
 
使用方法、まずは便器を水で流す。
大概は清潔なのだが、
おしっこがついている不安があれば
洗う方がよい。
手動式水洗便所だから、
ウンコは写真のように水で流す。
そのさい、便器ごと水をかける。
最後には、
周りのタイルにも水を流して
便所自体を
きれいにして終わる
私は、もちろん現地式でトイレを使っている。
聞くところによると、
インドや東南アジアでは同じスタイルだという。
今では、日本の便座で、
使用後水をザバザバかけない便座の方が
不潔に感じるぐらいだ。
お尻も水で洗わず紙だけだと、
ウンコが残っている気がする。
ウオッシュレットなら良いのだが、
ミンダナオ式の方が清潔感がある。
良く聞かれるのが、水でお尻を洗った後、
どうやって乾かすの?
答えは簡単
濡れたまんまパンツをはく。
暑いから自然に乾く・・・・
ハンカチなどという、高級なものを持って
生活している子はほとんどいない
アジアなどを旅した人は問題ないが、
欧米様式の生活に慣れた人は躊躇するようだ。
私は、北海道時代に山に登り、
アイヌの人々とも自然のなかで生活したので
こちらの山の、トイレの無い生活も問題がない。
水がなければ、木の葉で拭く。
ミンダナオで何よりも助かったのは、
自然の中で生活できる体験を
北海道でしていた事だった?

《郷に入れば郷に従え》    山元 眞 しんぷ(Mの会)

 2005年11月末に
初めてミンダナオ子ども図書館を訪ねた。

今でもはっきりと思い出す。
初めてトイレを見て、
松居さんから「使用方法」を聞いたとき
《郷に入れば郷に従え》という
諺が思い浮かんだこと…。
「マニュアル・ウオッシュレットで最高だ、これ」
とたぶん声を出して叫んだ?と思う。
すべてがマニュアル、アナログの世界で、
自分の幼少時代に
タイムスリップした気がして懐かしくもあった。



 不便であることが自然。
自然は身体にも心にもいい。

今は廻りを見渡すと人工のものばかり
温かいものがあまりない。
ミンダナオには、きれいな空気。
土の温かさ、肌にフィットする風がある。
《生きた心地》がする。
新しいものがいい、新製品は
それまでのものよりもいい…
という価値観がひっくり返った。
同時に「経済のシステム」に人間は
振り回されていることにも気づいた。
人々を犠牲にして、一部の人が富を得る。
果たして「便利」なものは本当に
人間にとって「いいもの」なのか…
という疑問も湧いてきた。
科学の発展やモノの進化は、
本当に人間の成長に役立っているのか
疑問に思えてきた。
人間をだんだんと怠慢にしていく…。
できることができなくなる…。
気をつけないと「退化」してしまう。



 幼稚園では、自然のもの、
本物を大切にしている。

人間の成長発達段階は、
どんなに科学が発展しても、
いつの時代も変わらない。
時代が進んだからといって
赤ちゃんは以前よりも成長して
誕生してくるだろうか。
かつて6歳になってできることが、
今では2歳でできるようになっただろうか。
人間の動作。つかむ。つまむ。ねじる。
まわす。たたく。押す。
ひっぱる。さらには、歩く、走る、跳ぶ
などの動作はすぐにできるものではない。
それぞれの成長発達段階に応じて、
繰り返しながら、少しずつ身につけていくもの。
今、中学生になっても、
先のような動作が的確にできない若者が
増えているように思えてしかたがない。
このような神経、筋肉の発達にともなう
感情や感性の発達も
十分でないような気がする。
そのような人間の基本能力が
身についていないと、
人のことを思いやるなど
人間の《高度な力》は育たない。
ミンダナオ(子ども図書館)を訪ねるたびに
息を吹き返すような気分になる。
足の裏から《なつかしさ》を感じる。
4回目の今回は手洗いで洗濯もした。
手押しポンプで水をたらいに汲んで…。
靴も洗った。草取りもした。

自分の身体がとっても喜んでいるように感じた。












写真は、山元撮影

次に洗濯と水浴び
以前は、洗濯も水浴びも、
蛇口でしていた。
しかし、若者たちは、
川での洗濯に
なれているのか、
はたまた、とにかく
洗濯好きの性格か
蛇口の栓を閉じることなく、
水が常時出しっぱなしで
大量に使われる。
これにはほとほと
参ってしまった。
水道では大変な金額になるので、
早速水道は料理用に限定した。
キダパワンはアポ山に近く、
水道は飲み水として問題はないが、
キッチンの蛇口の水のみを使用してください。

洗濯と水浴びが大量に水を使う原因なので、
そのために井戸を掘った。
二つ掘ったが、
最初は電動ポンプで蛇口とつないだせいで
相変わらず開きっぱなしの蛇口から
大量に水が使われて、
手堀の井戸がすぐに干上がって使えなくなり、
ポンプも壊れた!
さすがに頭に来て、蛇口はひねる形式から、
押すと自然に戻るものに代えて、
洗濯と水浴びに使えなくした。
深井戸をドリリングで掘ることも計画にあるが
難民が出たりで予算が付かない、
ほとほと困り果てて最後に打った手段が
昔ながらの手漕ぎのポンプ!!!


水浴中のロザリナ
水浴びは、
服を着たままするのが普通だ。
石けんを使って、
服の下の体を洗い、
最後に水をかぶって流す
井戸水だとそれほど冷たくないが・・・・
山では、
川縁の泉で
同じ光景に出会う
小さい子たちは、
素っ裸で水浴する
川で洗濯して、
最後に水浴びをして
お仕舞いというケースが
一般的
手堀の井戸は、男女を分けて
今は、女の子用を二つ、
男の子用を一つ掘って、使っている。
これだと水が出しっぱなしになることなく、
合理的で節約できる。
洗濯物干しも、各々の井戸に近く別にしている
日本という先進国から来た者として
何も知らない現地の若者に
彼らがあこがれているだろう、
「文明生活」を学ばせたい
大きくなって海外に出てもいっぱしの
文明人として役にも立つだろう
そんな思い高ぶった事を当初は考えたが、
その思惑は、この5年間の共同生活で
ことごとく崩れてしまった

今は、井戸端風景の無い日本
スイッチを押せば全部洗濯機が
全自動でしてくれる先進国の生活が
ひどく味気ないものに感じられる
ただし、ビジターは井戸端でなくとも右の写真のような
シャワー個室で水浴びが出来るからご心配なく
せっかくミンダナオに来たのなら、
若者たちと一緒に井戸端で洗濯し
水浴びをすることを、お薦めしますが・・・・
結局、こちらでの生活は、
どこにでもある村の風景に戻っていた。
昔ながらが一番。

来客は、
右側のシャワー室で
水を浴びられる
もちろん、
お湯などは出ない

洗濯は最高の
ストレス解消作業
襟元など、汚れやい部分は
特別に石けんを
つけてゴシゴシ洗う。
頭に来ているときは
特に思いっきり力を入れて
汚れを落とす(冗談)
私も良くやったが、
今は忙しくて
洗濯の暇もない。
その分、ストレスが激しい。
洗濯は、数人の
気のあった仲間と
わいわいお喋りしたり
手伝いながら
やるのがふつう。
ここでのコミュニケーションは
日課の一部
洗濯風景のあるところに
喧嘩はない?
何とものどかな風景だ
体力も付く
結構集中力も必要だし
力のいる作業だから
その分、
よけいな事は忘れられる

洗濯物が
ミンダナオの風と日差しを浴びて、
喜んで息をしている!!!!


炊事はどうするの?
ご飯の食べ方は?
日々の食卓の野菜つみ
野菜は、スカラー達が
自分たちで畑を作って植えている。
少しでも自立した生活を
したいという気持ちから・・・
豆やオクラ、芋やピーナツなど
自分たちの山で植えているような野菜を作っている
ただ、焼き畑的な移動農業で、
私の目には全部が雑草に見える!
どこに野菜があるのか探すのが大変。
これから農地を広げて、
仕事がないマノボの家族や
卒業生達の農業指導場として展開していく予定。
農業指導員がいてくれたらと、良く思う。
ただし、農薬と化学肥料をベースにした
日本式農業が、どこまで通用するかは不明だが
結局、現地式に
戻っていくのかもしれない?????

ドジョウインゲン
ウナギインゲンと
名付けた方が
良いほど長い
オクラは、
こちらでもオクラという
私には、
雑草にしか見えないのだが
雑草の中に
野菜が混じっている
日本では
ハトウリと呼ぶのでは?
こちらではオポ
アナリンが
キノコを見つけた
これは自然のものだが、
食べられる
こちらの大根は小さい
日本に行って
まず驚くのが大根の太さ
住んでいる人々の
足に比例する?

農業はまず自給から
山羊の飼育を始めた
寄生虫を警戒して
家屋形式で育てている
山羊はスペースも
取らずミンダナオには
合っている

最初は、肉用の山羊から
食べるのは可哀想?
バプテストルーラル
ライフセンターで
飼育方法を学びながら

美しい庭も
若者たちで造園した
さぞかし高価
だっただろうって?
経費はゼロ。
近所から頂いた株分けで
芝生すべても
増やしていった
5ヘクタールの米の収穫
2期作だが、
食べ盛りの子たちなので
半年しか持たない
籾米を干すのも
スカラーの若者
たちの仕事だ
今は、学校に行っている
全部雑草に見えるが
れっきとした野菜畑だ

アジア学院の元副校長の
長嶋ご夫妻が来られたときに、
「農業は、自給をまず基本にして、
現地の市場に出荷するような方向で、
地元に根ざした展開をするのが良いように思う」
と言われた。
当時、そんな儲けがわずかしかない現地消費よりも、
日本に輸出すれば大きな利益があがるはずだ、
ミンダナオのような狭い場所で、
小規模のみみっちい利益の仕事を
苦労して熱心に進めるよりも、
海外消費を視野に入れた世界規模のトレードの方が、
貧しい人々の経済を潤すはずだ、
と考えたのを思い出す。
しかし、今は、人々がトレードに収益を頼るのではなく、
地元に根ざした経済圏のなかで、
金持ちにならなくても、少なくとも三食たべ、
子どもの病気を治し、
学校に行かせられるような社会を作ることが
大切だと考えるようになった。
確かに、日本はトレードで経済発展をさせてきたが、
自給をおろそかにしたつけが、
これから回ってくるのではないか?
アメリカに製品を買ってもらっていた頃は良いにしても、
トレードに頼った社会が、いかに不安定かを、
これから体験するのではないか。
ミンダナオに来て良かった、と思う。
若者たちに教えることより、若者たちから学ぶことの方が多い。

料理は、最初はちゃんとした、
二階のキッチンでしていた。
ガスレンジも冷蔵庫も置いたし、
一通り料理道具もそろえたが、手狭で効率が悪く、
急きょ見かねて一階に、
こちら式の薪でやる台所を作った。
こちらでは、ダーティーキッチンと卑下して呼ぶが、
いつの間にか、全部こちらで料理するようになった。
70人分の料理を、子どもたちだけで
チームを組んで、効率よく料理していく。
いや間違えました。効率よりも、
お喋りしながら楽しく料理していく、
と表現した方がよい。


魚の解体は、内臓を取り
大事に卵を別にして・・・
その後、勇んで買った
文明の利器
冷蔵庫やレンジは
どうなったか。
ほとんど使われずに
崩れてしまい
古物商に売ってしまった。
ガスレンジも壊れて
使い物にならず
すべては、薪に代わった。
オーブンは今も
使用は出来るのだが、
誰も使おうとはしない。
食べ残し置き場となっていた。
唯一使っているのが、
電気釜と冷凍庫だけ。
最初の頃は、電気もない山育ちで、
家電製品も使ったことのない、哀れな子たちに
せめて電化製品の使い方を教えてあげたいと
思ってそろえていたのだが、
今思うと、得意げになっていた
自分がみっともなく思える!
文明の利器は、それから、次から次へと壊れていき、
彼らが元に戻していく山での炊事スタイルの方が、
よっぽど効率的で経済的、料理もおいしいことが分かり、
今は、先進国カゼ、金持ち国カゼを吹かせていた
自分を深く恥じている。

生活スタイルは、時を経るにしたがって、
逆にこちら式になっていった。
Back to Nature!!
先進国の文明が、いかに脆くはかないものか、
つくづく感じるこの頃。
私は、この子達との生活を誇りに思い、
彼らに養われていることを、心から感謝している。
ガスレンジやオーブンも
使えるが
誰も使おうとしない
残りご飯の
置き場になっている
電気釜は生きている
大量に
ご飯を炊くからだが、
薪でも十分だ
唯一
役に立っているのが
冷凍庫
魚を冷凍して
保存しておく

ご飯の食べ方
お皿一つが一人前。
粗食だが・・・上は二人前
ご飯は好きなだけ
お皿にとって食べる

私も子どもたちと
一緒に、
一緒のものを
食べて生活している


特別扱いされなくなったら、
心に壁が少し消えた証拠。
フィリピンではよく、金持ちは、
家族は使用人と別のテーブルで別の食事をしたり、
客人は、客人専用の食事を豪華に用意、
使用人にも階級があったりする。
おそらく植民地時代の風習の残りだろう。
客人をもてなすのは習慣だが、
貧しい家では、みんなで食卓を囲んで分かち合う。
ミンダナオ子ども図書館では、みんな一緒に、
一緒の粗末な食事を食べる。
ただ、それとなくビジターには、
一皿余分におかずが置いてあったりして・・・
子どもたちは、外国人が珍しいし、
とにかくお客が大好きで、サービス精神を旺盛に寄ってくる
だいたい寄っていく子は決まっていて、
「ああまた同じ調子でやっているな」と、
見ているが
すっかり舞い上がって、
自分が特別に好かれている?
等と思い上がってゆく、客人も多い(ように見える)。
くっついてくることをせずに、
自然に接するようになったら、
慣れて受け入れてくれた証拠

とにかく
ご飯をたくさん食べて
お腹を満たす
おかずが足りないときは、
醤油をかける
一汁一菜が基本
汁物は、
必ずご飯にかけて
食べるのが普通。
とにかくよく食べる。
家では、三食たべられない
家庭の子たちだから。
朝食べてから、
昼前に焼きバナナの
おやつを食べて、昼食。
午後帰ってきてから、
残りご飯か掘ってきたお芋を食べて、
その後に夕食。
さらに、寝る前に残りご飯を食べる。
一日何と、五食か六食!
50キロの米袋が、
一日で消費される生活だ。
日本人の目には、おかずが少ないので、
繰り返し「これでよいのか」とたずねたが、
答えはいつも、
「これだけあれば充分過ぎる。
だって、三食米が食べられるんだもの」
最初の頃は、せめて魚一匹尾
まるごと焼いたのを喰いたい!
サンマが食いたい!
トンカツ一枚ペロリと喰いたい!
と夢にまで思ったが・・・・
今は、すっかりなれてしまって、
夢にも見ない。


スカラー達が作った合い言葉
Eat together, sharing one another

みんなで一つのテーブルを囲んで食べる

食器の使い方
逆に、日本に行くと、
フィリピンでご飯をたくさん
腹に詰め込む習慣に加えて、
何しろ一人分のおかずが、
こちらの一家十名のおかずに
匹敵する分量だったりして
たちまち食い過ぎて太ってしまう。
興味深いことに、
私たちの目には粗食だが、彼らにとっては、
毎日腹一杯食べれるだけでも幸せで
あれだけ痩せて小柄だった子たちが、
三ヶ月ぐらいからふっくらとし始めて、
一年後ぐらいから、急速に背が伸び始める

食堂などでは、スプーンとフォークで食べるが、
一般的に家では、手で食べる。
ミンダナオ子ども図書館では、
最初スプーンとフォークを用意して食べさせていたが、
全体のミィーティングや帰省の時期になると
あっという間にスプーンとフォークの数が減っていく
(家や下宿に持ち帰ってしまう)
怒ったハウスキーパーのテルマさん、
「スプーンはもう出さない!
スプーンで食べたかったら、
自分の小遣いで買いなさい!!!」
それ以来、スプーンは出さないことになった。
その後、みんな町にスプーンを
買いに出かけたかって?
とんでもない、家と同じで、手で食べています。
スプーンを買うぐらいだったら、
焼きバナナを買った方が良い???

訪問者には、ちゃんとスプーンとフォークを
出しますのでご心配なく。
こっち式で、手で食べてみるのも良いですが・・・
私はときどき手で食べます。

こちらの食べ方の悪いところは、少し残すこと。
残すのが礼儀という見方もあり、
残すことによって他の人がおこぼれに預かれる。
または家畜や動物がおこぼれに預かる。
これは、アイヌの人々と同じ考えかと思われるが、
子どもたちには、米一粒も残しては駄目だよ、
と話す。日本式。
お米さん一粒にも、仏さんがいるのだから、
と言っていた、京都生まれの
祖母の言葉が耳に残って離れない。
熱心な浄土真宗で、毎朝おつとめを欠かさなかった。
仏像の横に、イエス・キリストの絵も
ちょこっと置いたまま、あなかしこー あなかしこー
イスラム教徒とキリスト教徒の子たちで
相談して作った食前の祈り

Bless us oh Lord and these are gifts,
which we are about
to receive as a goodness
through our God!
Amen


食前の祈り
スタイルはそれぞれ自由だ
イスラム式のお祈り
最後に顔を撫でる


トレードよりも
小さな雑貨屋から始めよう
ミンダナオに来たときに、
孤児施設のハウスオブジョイの烏山さんが、
「卒業生が経済的に自立するためにも
サリサリストアを建ててあげたい」と言ったのを覚えている。
サリサリストアとは、小さな小さな雑貨屋。
それを聞いて「そんな小さな事をするよりも、
ファエトレードみたいにして、
ちょっとしたものでも日本で売れば
こちらでは大きなお金になるのに、
何でそんな現地的なみみっちい事を考えるのか」
と思ったものだ。
実際その通りで、日本でちょっと稼げば、
こちらでは大きなお金になる。
こうして、多くの人々が海外出稼ぎに出る。
それで幸せになれば良いのですがね。
ただひたすら海外に頼ることしか
考えられない性格になっていく。
本当のミンダナオの良さも可能性も見えずに。
あれから6年がたち、私はいま、烏山さん同様に、
卒業生の仕事の一つに、農場と平行して
小さな雑貨屋を作ることを考えている。
将来、小さな大衆食堂を平行させて作り、
いつかパンを焼いて村で販売する。
「パンデサール、パンデサール。
焼きたての朝のパンだよー。」
そういって、自転車にパンを乗せたり、
子どもたちが手提げにパンを入れて売りにくるのは、
ダバオの朝の風物詩。
どんなに儲かっても、フェアトレードよりも
優先すべき重要な企画だと思う。
現地で、現地に根ざして、
現地の人々のために仕事をすることで、
若者たちが生きていくこと・・・
フェアトレードを否定しているのではない。
海外出稼ぎが悪いと言っているのでもない。
トレードで生きていくのは、
最終的なプラスαのおまけの部分に過ぎないと言うこと。
自分の生きている地方の良さを意識せずに、
ただひたすら海外に頼ることしか
考えられない性格になっている
中産階級のフィリピン人をたくさん知っている。
そういう人々の心情を見透かした、海外派遣業もさかんだ。
しかし、どんなに豊かになっても、
自分たちの国の良さも文化も
可能性も見えずに、自国を否定し
海外に目を向けている国の人々の心は
寒々としてはいないか?
今の日本が寒々としているように?
今私は、当時雑貨屋を馬鹿にして、
「日本で売れば儲かる、
こちらの人々に簡単に高額なお金が入る」
と考えたこと自体を恥ずかしく思う。
外国人としての傲慢が有ったような気がして。





ミンダナオにおける紛争の特徴
危険の特徴

1,紛争が起こっていることを
感じさせない奇妙な紛争
.

ミンダナオは、現地があまりに自然豊かで、
人々の表情もある意味で生き生きとしているので、
この様な地域で30年も紛争が
続いているなどとは想像が出来ない。
しかも、3年から5年置きに、比較的大きな戦闘が起こり、
そのたびに大量の難民が出ているといった事が
繰り返されているのだ。

私自身、2000年にミンダナオの
ダバオオリエンタルに入ったときには、
この島でこんな大規模な戦闘が
起こっていることすら意識しなかった。
実際に日本の新聞では、国軍兵士が
30人ほど死亡の小さな記事しか無かったし、
当時ミンダナオで50万人近い難民が
出ていると言った事実を知っていた人は、
一般国民の中には皆無だったのではないだろうか?
現地には、赤十字を始めとする国際的なNGOが
活動していたから、知られないはずもないのだが、
とにかく、偶然現地で地平線まで続くかと
思われる難民キャンプを見て唖然としたのだった。
あの光景は忘れられずに脳裏に焼き付いている。
世界のNGOが集まった現地は、
当時NGOの見本市とまで言われたが、
翌年、アフガン戦争が勃発したとたん、
潮が引くように国際NGOが消えていった。
まだ、大勢、難民が居るというのに・・・
支援を継続させたのは、ミンダナオ子ども図書館と
いくつかの現地NGOだけ。
その後も、たゆまず、読み語りやスカラシップ、
医療による平和構築活動をしているのは、MCLのみ。

あの風景に比べれば、
今回の戦闘はまだ小規模で、
拡大しなければ良いがと思う。


2,世界の紛争体験者が見た、
ミンダナオの紛争。


チベットなどの紛争を体験してきたCさん曰く。
「ここは、一見平和そうで何も起こっていないように見えるだけに、
とっても怖い!!!
チベットなどでは、民衆が蜂起して騒然となる。
だけど、ここではジャングルや普通の民家に反政府組織がいて、
30年以上にもわたってプロフェッショナルな兵士として
訓練と実践を繰り広げて来ているから、本当に怖い。
どこで何が起こっているのかわからないし、
よそ者には現地の色分けが分からない。」

アフガニスタンで選挙監視団を体験した来た人が、
2006年の選挙監視をコタバトでしたときの印象

「アフガニスタンでも選挙監視をしてきたが、
こここは比べものにならないほど怖かった」
この選挙期間は、しばしば小規模の戦闘が起きた。
ミンダナオの怖さは、一見まったく平穏で何もないように見えるところに、
突然激しい戦闘が起こること。
相手がプロフェッショナルで、なかなかその姿が見えない点にあると言う。







その他、ミンダナオに関する
徒然の問題

児童を悪用した犯罪に関して

質問
「前回の帰国の途上でダバオオリエンタルで児童を悪用した犯罪
(shild explitation とでもいうのでしょうか)の予防を担当している警察官と隣り合わせになりました。
かれは8割方はフィールドに出て犯罪の芽を摘んでいるそうですがどう思われますか。」


興味深い点です。実際、ミンダナオ子ども図書館には、その種の子たちが多く来ていますので、
私も注目している点です。私たちは、たいていこうした慎重に扱わなければならないケースの場合は、
地元のDSWD(市の福祉局)のソーシャルワーカーと連携を持って活動しています。
グレイスさんもピキットサイドですが、キダパワンやマグペットなど、
他の市のソーシャルワーカーとも連携を持っています。
ミンダナオ子ども図書館は、関連のある市町村からも表彰されていますが、
政府認定のソーシャルワーカーがMCLスタッフとして内部に居るのもその理由からです。

お会いになった方が、
どのような犯罪を調査または見ていられるのか、
ミンダナオにおける犯罪例の一覧、または実態。
そして、どのように予防をされているのか、
お教えいただければこちらの活動にも
非常に参考になりますのでお願いします。

大都市型とここのように、山岳地帯が多い地方では
児童犯罪も形態が異なっていると思います。
ここには、大都市型の強制売春などは、
あまり見られません。
逆に、エージェンシーによる、海外斡旋で、
お金を借りる形でビサをもらい海外にいったまま、
借金を返済できずに売春を強要されていくケースが
マノボの人たちの中にあり、
マノボの勧誘人を使って
マノボの少女を売り飛ばすケースがあります。
それゆえに、スカラーには、
海外出稼ぎに行かない方が良いよ、と言っています。
また、日本にスカラーと共に行くときは、
浮かれ気分をたしなめるために、
日本でのフィリピン人の現状と実態を
多少でも理解するために、
大阪の釜が崎に泊まり、
フィリピンパブ関係の人に会う機会を作っています。

この地で、多いのが親の養育放棄。
離婚、殺害による孤児。
戦闘による殺害もありますが、
毒殺、撲殺で父親が殺された子も数名います。
父親が投獄中の子も数名います。
次に多いのが、レイプです。
ミンダナオ子ども図書館では、
レイプで子どもを産んだ女性は、
積極的にスカラシップに受け入れています。
近親にレイプされるケースも多く、
多いのが継父、実の父親もある。
日常こちらで接している(明るい)子たちですが・・・
どの子かは、簡単におはなしできません。
都市のストリートチルドレンの場合は、
売春なども多そうですね。
それから、外国人による少年愛好が
意外と多いと耳にしています。
かつてある施設に近寄っていた外国人男性が、
変態趣味の疑いがある話は耳に入っていますが・・・
よその人を受け入れるときに、最も難しいのが、
なかなか見分けにくい、こういうケースです。
安易に女の子を捜しに来るなど、論外ですが。
ミンダナオ子ども図書館は、保護者との契約で
高校生は、MCL内部での恋愛は禁止・・・
大学まで待つ
家族のように、兄弟姉妹、
親子のように互いに愛し合うこと
大学生の場合は、外部ではOK
文通もかまわないが、妊娠したりさせたらストップ
と言う規約がある。
これは、訪問者にも適応され
現地スタッフと学生との対話の結果、
スタッフの決断で判断される。




実際はスカラーのマノボの少女
本文とは関係がありません



私たちのファーザー!
 ー異邦人の救いー         山元 眞
 

ルカ福音書は一貫して「異邦人への救い」、聖霊の働き、
そしてそれが貧しい人々にもたらされたことを強調しているように思える。
年末にフィリッピンのミンダナオ島に行き、年を越した。
聖家族の主日に出発し、公現祭の翌日に帰国した。
「救い主の誕生」について思い巡らした。
危険といわれているイスラム地区の難民を訪ね、炊き出しをした。
電気もない山岳地帯の貧しい村を訪ね、人々の温かさに触れた。
公現祭にはマノボ族の子、ビサヤ族の子、
そしてイスラムの子たちとミサに参加した。
少しわかった。人々は律法を越えて救われることが。
幼子は「万民の救い主」として生まれたことが。
十字架の上で死ぬ幼子の人生は聖霊に満たされたものであり、
その発せられるみ言葉は異邦人に向けられていたものだということが。
北コタバト地方に「ミンダナオ子ども図書館」という施設がある。
六十人ほどの子どもたちが日本の人たちから奨学金を受けて
共同生活をしながら学校に通っている。
貧しい子どもたちの中でも最も貧しいと思われる
子どもたちが優先的に奨学金を受ける。
宗教、民族、文化を越えて共に生きる「そこ」には真の平和がある。
かれらは紛争によって生まれた難民のところにも「読み語り」に行き、炊き出しをし、
医療の必要な子は「図書館」に連れ帰り必要な治療を受けさせる。
子どもたちが子どもたちを助ける。
公現祭の前晩、降っていた小雨が止み、見上げると
「図書館」の真上に星空があった。
真上に。そこだけに星がきらめいていた。
少しわかった。「ここ」に救い主がいると。
「万民のために整えてくださった救い」があると。
「異邦人を照らす啓示の光」があると。
翌日、子どもたちと公現祭のミサに参加し、「図書館」を後にした。
心は喜びで一杯だった。


     上智大学、雨宮神父主催 『今日のみことば』 2009年2月2日から、一部抜粋
何の期待も
何の先入観もなく
何の意図も
何の利害関係もなく
何の宗教も
何の部族もなく
何の国も
何の地域もなく
ただ愛し合う事って
難しいことなのだろうか?

+




カナダからの手紙

遠くに山が見えるが、
あの山の中腹に村がある

この道を
4WDで行くのだが・・・

学校のあるスマヤソン集落
ホウキづくりが主産業で
ホウキ草が干してある
彼女のいるスマヤソン集落は、山のなかにある。
4WDの車で途中まで言ったが、
これ以上は無理と判断して歩いていった。
一通のカナダの子どもたちから送られてきた
バースデーカードを届けるために。

カナダのバンクーバーは
冬のまっただ中だろうか
カナダの日系人の集まり
クローバーの会が
山の、父親の居ない少女を
支援してくださっている
お友達から届いた
バースデーカードに
大喜びのエリザベスちゃん!!

写真をありがとうございます。
早速
エリザベスちゃんの写真を
私たちのブログに載せました。
http://cloverforever.jugem.jp/
自分たちが書いた
カードが一緒に
映っているのをみて、
繋がったという
実感があったのでしょう。
子どもたちもとても
喜んでします。
エリザベスちゃんの笑顔が
私たちに分けてくれることは
はかりしれません。
この機会をいただいて
いることに、
松居様にもエリザベスちゃん
にも大変感謝しています。
取り急ぎ、お礼まで。

石本さゆり

学校から帰りがけに、エリザベスに会うことが出来た。
ちょうど雨宿りをしていたよその家を借りて、お返事を書く。
彼女には、父親が居ない。
ここからさらに離れた徒歩でしか近寄れない
辺鄙な山奥に、母親と住んでいる。
土地がないので、そこら辺に生えている
バナナや芋を市場で売って、
かろうじて生活しているという。
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバーで、
地域の保育所の先生をしているビックビックさんと、
返事の手紙を書いているエリザベス。
あれだけ貧しい、しかも厳しい生活をしていながら、
とても利発だ。将来の成長も楽しみ。

カナダの皆さん、いつか会いにいらしてくださいね!
冬がないから、いつでもバナナが食べられます。


みんなに会えるのを楽しみにしています。

松居友さん

わたしたち、すべての人の救い主の誕生…
こころから喜びましょう!
そちらに行く日が近づいてきました。
昨晩から通風の兆候があり、目覚めても足が痛く…
今朝のミサをパスするほどでした。
通風の痛みが始まると収まるまで二日はかかり ます。
困った!と思って応急処置
(ただ水をいっぱい飲むだけ…) をして…
不思議と痛みが増さず…収まりました。
このところの不摂生のたまものです。
運動不足、睡眠不足、栄養過多?…など。
気に はしていたのですが…ドキッとしました。
明後日は出発できそうで す。
よかったです。
22日にキャンドルサービスと終業式をしました。
その時に子ども たちと家族の皆さんの
「やさしい気持ち」がいっぱい詰まった
「お もいやり貯金箱」を奉納しました。
「だれがいちばん喜ぶと思 う?」と
子どもたちに尋ねたところ、
即座に一人の子が「フィリッ ピンの子どもたち!」
と答えてくれました。
わたしは「神さま!」 という答えを期待していたのですが…。
子どもたちはやはりスゴイです。
11月に松居さんと倉橋神父さまが
幼稚園でお話ししてくださった
あの時は実にタイムリーで、
子どもたちはずっとフィリッピンや
ボ リビアの子どもたちを意識して
待降節を過ごしたようです。
本当に うれしいことです。
おかげさまで、みんなのやさしい気持ちが
いち だんと大きくなったようです。
「おもいやり貯金箱」は子どもの手作りで…
年少は「お家」、年中 は「天使」、
年長は「クリスマスツリー」の形に作りました。
お金 だけをいただいて貯金箱はみんなに返すのですが、
ミンダナオに行 く時、
それぞれ1個ずつお持ちしたいと思います。
 「サンタさん が来る前に、だれが来るの?」
という問い掛けにも
「イエスさま!」と迷わず答えてくれる子どもたちです。
感動します。
小さい時から思いやりの気持ちを
膨らませることができて、幸せです。
ありがとうございました。

みんなに会えるのを楽しみにしています。     やまもと。

山元しんぷは、
子どもたちの才能や資質を問わず
すべての子どもたちを心から等しく愛してくれるので
子どもたちは、「父さん」
「父さん」と呼んで飛んでくる。
イスラムの子たちも、
「父さん」と親しみを込めて呼ぶから面白い。
こちらでは、神父の事をFather と呼ぶ習慣があるが
言葉の中に、それ以上の気持ちを
彼らが込めているのが良くわかる




立正佼成会の調査
日本軍の要塞跡での祈り
立正佼成会の方々が、本格的に現地調査を行った。
昨年のゆめポッケ配布で、
日本の子どもたちと現地の子たちの交流が、
予想以上に好評だった事を受けて、
以前、さまざまな世界の難民地域を巡って
プロジェクトを推進して来られた、保科氏を中心にして
イスラム地域、マノボ地域の状況と
セキュリティー調査を行われた。

ピキットの日本軍が作った要塞跡で、
近い将来、平和の祈りを開催するのも1つの大きな目的だ。
ピキットでは、今も戦闘が起こって、
人々が死んでいくのだけれど、
第二次世界大戦では、
日本軍がこの地に要塞を構え激戦と成った。
私たちも、活動をしていると、
「私は日本人の軍人の血が入っているんです」と、
非常に言いにくそうに話しかける人に出会う。
この要塞は、地下に複雑な防空壕を持っているが、
今だに、日本政府や慰霊団の調査が入っていない。
現地の人々も曰く、
「多くの遺骨が眠っていて、怖くてはいれない。
財宝があるという話もあるが・・・」

ここにお連れしたとき、
ちょうど太陽が、ミンダナオの湿原の彼方に沈むときだった。
立正佼成会の方々は、思わず手を合わせて拝む。
英霊たちに導かれてこの地に来たのだという想いが巡る。
日本軍、フィリピンの人々、MILF、MNLF、政府軍
そして、地元の家族や子どもたちが、
今もこの地で、戦争の被害を受け続けている。
その全ての魂に、鎮魂の祈りを捧げたい。
私も父から聞いた話だが
叔父、父の兄もフィリピンの地で戦死している。
時々、私もその叔父のことに思いをはせる。
「こんな素朴な人々や、子どもたちのいる美しい地で、
なんで戦闘などしなければならないのか」
そう思って死んでいったのだろう。
叔父は、従軍医で、スペイン語も良くできて、
若くハンサムでもてたらしい????
そんな叔父の魂に呼ばれて、こんな地に来て、
平和を作る活動をするはめになったかなと
ふと思うときがある
ピキット市長やBDAの役員と、
セキュリティーに関しての話し合いをした

BDA(バンサモロ ディベロップメント 
エイジェンシー)の方々と

ピキット市長、
DSWDのグレイスさんと
話し合い

立正佼成会
社会貢献グループ 次長
保科和一氏からのメール
謹啓、
 ミンダナオから帰国して
早くも一週間以上が経過してしまいました。
この度の「ゆめぽっけ親子隊」下見調査では、
急なお願いにもかかわらず、
事前から当日まで大変に行き届いたお手配を賜り、
誠にありがとうございました。
お陰様で、大変に多くの学びと
収穫を得ることが出来ました。

 下見調査の主なテーマは、
①事業目的に照らしての訪問地の適正と
②現地の安全調査の二つでした。
以下、大変僭越ながら思うところを申し上げます。

①「事業目的に照らしての訪問地の適正」について
 「親子の手づくりによる『ゆめぽっけ』を
直接手渡す行いを通して、
紛争や対立で傷ついた世界の子どもたちに、
まごころと友情の支援をすること」
そして「現地での出会いを通して、自分たち自身が
いのちを尊ぶ心や思いやりの心を育む」
という訪問の目的に照らし、
以下の点で大変に相応しく、
大きな価値があると思いました。
先住民マノボ居留地、ムスリム地域、
クリスチャン地域のどこをとっても、
紛争や抑圧の影響にさらされ、
日々の食事を得ることも十分でなく、
ましてや医療や教育に関しての保証が
希薄な環境で生活している
多くの極貧の家族と子どもたちがいる。
MCLは日頃の地道な地域コミュニティーとの接触により、
人びとの生存と生活のニーズを把握し、
堅実な物資配付の姿勢と能力を持っている。
社会的、経済的に大変厳しい生活条件の中でも、
家族や共同体の仲間が自然の恵みに生かされ、
互いに寄り添い、
支え合いながら生活しており、
彼らとの出会いから日本の親子がまなぶことは多い。
さらに、地元先住民・モスレム・クリスチャンの人々が
共に尊重しあうMCLの生活は、
本会が目指す理想を実現しておられるものでもあります。
なによりも、MCLのお子さんたち・
スタッフの皆さんとの出会いは宝であり、
必ずや大きな感動を生むと信じます。

②「現地での安全調査」について
 安全調査チェック項目として、
「紛争・テロ行為との遭遇」「犯罪(強盗その他)被害」
「暴動の発生」「誘拐被害」
さらに「危機回避の事前の手立て」
「安全に関する最新情報収集」
「危機発生時の対応・脱出方法」
などに留意して行程を過ごしました。
MCLの危機管理は、地元の各コミュニティーに
深くしかも偏り無く溶け込み、
地元行政・NGO・住民との信頼関係を築き、
現地住民による最新で生の情報を随時更新しつつ、
紛争当事者間のバランスに配慮して
進める方法とお見受けしました。
現地コミュニティー出身者の同伴に護られながら、
自分たちが何者であり、
何の目的で訪問するのかについて、また敵意が全く無く、
友好協力のために来ていることを知らせつつ現地入りする。
これらの方法はMCL独自のものであり、
私には大変に新鮮でした。
そして、信頼に値するものであり、大変心強く思いました。
実際、今回訪問した私たち三人は、殆ど危機を感じることなく
安全に行程を終えることが出来ました。
しかしまた、私は、このことを
決して安易に考えてはおりません。
安全であったのは、
あくまでもその条件を作り出してくださった
松居さん・大渕さん、長時間車の荷台に
乗って私たちを護ってくれた
お子さん方を始めとするMCLの方々のお陰様であり、
当然の如くそこに安全があったのだとは思いません。 

 もう一方のチェック項目は、
「疾病・感染症」「衛生(水・食事・就寝・トイレ)」「医療環境」
「移動手段」「気候」等です。
これらについては、訪問するこちら側が、
事前準備をし注意すべき点を心得て現地に入れば、
概ね問題無しと思います。
とりわけ水は清らかで、
手づくりの食事は大変に美味しく頂きました。
私は、これまでにも色々な国を訪問し、
様々な出会いに恵まれましたが、
今回の旅は本当にめったに無い豊かな実りを頂戴しました。
「貧しい途上国」という私の単純な見方は訂正を迫られました。
美しい自然の豊かなる恵み、
街中のマーケットに溢れるばかりの山海の品々、
そして何よりも、人々と子どもたちの
優しく温かい笑顔に触れました。
本来は豊かである土地に住む温和な人々が、
自分達の望んでいない対立と争いに巻き込まれ、
貧しく不安定な生活を余儀なくされている。
そして、分かち合い、支えあって
日々を生きておられるのだと知りました。
MCLのお子さんたちの歌は、
聴く人の魂に響く奇跡の歌です。
お世辞ではありません。
最終日に訪れたマロンゴンは
多くの人びとが心の奥にしまってある南の天国の姿です。
ピキットの日本軍要塞跡での慰霊供養は、
キリスト教の愛に導かれ、
仏教の慈悲の心を多くの御霊に捧げる
尊い機会を頂きました。
あらためて松居さん、奥さん、大渕さんはじめ
MCLの皆様に心から御礼申し上げます。
                              合掌

立正佼成会
社会貢献グループ 次長
一食平和基金 事務局長
保科和市


















財団法人 北野生涯教育振興会
の島村さまも参加
12人の奨学生に授与式をされた

スタンレー電気が母胎の
財団法人 北野生涯教育振興会

日本製の多くの車は、
スタンレー電気のライトで世界を走っています。
その北野財団が、
ミンダナオ子ども図書館の大学生を12名、
支援してくださることになりました。
そのほとんどが、苦労している
ワーキングスチューデント
日常は働きながら、
夜間や週末に大学に通ってくる
苦学生たちです。


スタンレー電気の皆さま、
そして財団法人 北野生涯教育振興会の皆さま
このような戦闘のある僻地にも、
灯りをともしてくださってありがとう!
いつでもまた、いらしてください。




山田順子さんの死を悼んで
日本事務局をお一人で支えてこられた、
山田順子さんが亡くなられた。
癌だった。昨年のクリスマス前。

季刊誌『ミンダナオの風』表紙より

新しい事務局は、大渕みほ子さんで出発。
さらに充実させていく予定です。
今回の季刊誌『ミンダナオの風』は、
この事を中心に書きました。
下記をクリックしていただければ
PDFで読むことが出来ます。

季刊誌へGO!

順子さんの遺志をついで私たちは、
ミンダナオ子ども図書館の日本事務局を、
さらに本格的に立ち上げていきます

1、日本事務局長に、ミンダナオでのNGO活動の経験豊かな
大渕みほ子さんを抜擢しました。


 すでにHP『ミンダナオ子ども図書館だより』で執筆していただいているので、
 ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、大渕さんは、
 長くミンダナオのピキット、イスラム地域と関わってこられた方です。
 ミンダナオへの関心も思い入れも深く、MCLとも活動を共にしてきた関係で、
 私たちの活動も良く理解しています。
 お父さんは、プロテスタントの牧師さん。
 ご主人は、三鷹の国立天文台の技術者です。思春期の頃から、
 宗教対立に関心を持ち、立教大学の大学院で
 論文「紀要 2006 年5 号 - フィリピン・ミンダナオ紛争におけるNGO の役割
 ●大渕みほ子 - 立教大学大学院独立研究科 21 世紀社会デザイン研究科」を発表。
 

2,日本事務局の日本法人化を早急に

 繰り返し議題にあがりながらも、山田順子さんのご病気などで、
 のびのびになっていた、NPO法人化を、大渕みほ子さん中心にして、
 早急に進めていきます。
 ミンダナオ子ども図書館は、フィリピンのNPO現地法人ですが、
 日本での支援者は1500名を超えます。
 少しずつ人々にも知られるようになり、社会的な役割を考えても、
 法人化は必然的な流れだと思います。
 すでに去年、ボードメンバーの選出も終えて、今年こそNPOとして登録させて、
 日本での新しい活動基盤を確立します。

3,支援者への対応も迅速、充実
 驚かれる方が多いのですが、今まで日本サイドの仕事は、
 ほとんど松居友一人で、現地でこなしてきたのです。
 しかし、お礼の葉書の発送や寄付確認の問い合わせに対する対応が、
 遅いという批判を免れることは出来ませんでした。
 理解のある方は、「現地であれだけの活動をしながら、
 良くまあ、一人でなさりますねえ。」と同情されたものです。
 しかし、これからは、日本事務局がMCLの強い見方。
 支援者への対応も迅速、充実させていきます。

4,日本の若者とミンダナオの若者たちの、接点になる事務局を!

 時代を見ると、日本の人々がミンダナオの若者たちを支援すると同時に、
 心の問題、貧しくとも強く明るく生きていく方法など、経済支援は出来なくとも、
 ミンダナオの若者たちが、日本の若者に、
 心の支援を開始できる時が来たと思っています。
 日本事務局を中心にして、国際交流の輪を広げていきたいと思っています。
 その点でも、大渕みほ子さんは適任で頼りになります。
 旅行業の資格も持ち、旅行会社とも契約。
 団体の訪問は、現地を知っている彼女を通してお願いします。
 個人やグループの訪問も、相談してみてください。
 航空券やホテルの手配もOKです。



アルバちゃんを訪ねた
かつて難民キャンプにいた少女、
アルバちゃんを訪ねた。
あまりにも衰弱した様子に驚いて、
山元しんぷさんのグループMの会で、ミルクの支援をした。
その後、戦闘も終息して村に帰ったと聞いていた。
今回、ピキットのDSWDの協力を得て、
彼女の家を訪ねた。
アルバちゃんは、思ったよりも元気だった。
体つきも、少ししっかりしてきたように見える。
山元しんぷさんが声をかけると、微笑んだ。
目も見えないのだが、ちゃんと覚えているのだ。
祖父母と近所の人々が、共に面倒を見ている。
イスラムの小さな村・・・
そこでは、ちょうどアラビア語学校が始まっていた。


《星に導かれて》
  山元 眞


夜中にMCL(ミンダナオ子ども図書館)に着いた。
朝目覚めて最初に会った子に驚いた。
わたしが今のわたしになる大きなきっかけを
与えてくれた子どもだったから。
2005年の11月末から12月にかけて初めてMCLに行った。
教会の創立50周年を機にミンダナオ支援を始めた。
その祝いに松居さんご夫婦を招待した。
急に、ほんとに急にミンダナオに行きたくなり、
帰国する松居さんに付いていった。
いろんな村を訪ねてまわったが、
夕暮れ時にその日最後の村を訪ねたとき、
ぼろぼろの車をいち早く見つけて駆け寄ってきた子どもがいた。
頭に大きな傷跡があった。
こぼれるような笑顔で、
車を降りた松居さんに飛びついてきた。
その時、松居さんが話してくれたことと、
あの笑顔を今でもはっきり覚えている。
「この子はこの村で最初に医療を受けた子ども。
この子が医療を受けて元気になって、
この村に明かりが灯った。
希望のない暗い村全体が、この子一人が
元気になることで村全体が明るくなった。」
プロック8(エイト)と呼ばれる村。この村の名前?
だけは最初から覚えていた。
その時から、「こんな小さなことをしても
大して役に立たないのではないか」という疑問が消えた。
今回、最初に会ったのが、その時の子。
ボランティアの原点みたいなことを思い出した。
「一人の子どもが救われることで、村全体が明るくなる。」
このことを思い出すとき、いつも同時に
マザー・テレサの言葉も思い出す。
「わたしたちがしていることは大海の
たった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。」
帰国する日の朝、キダパワンのカテドラル(司教座聖堂)で
朝7時の英語ミサを共同司式した。
この日は公現祭。
キリストの救いが一部の限られた人たちだけのものではなく、
全世界に人たちにまで及んでいることを記念し、祝う祭日。
ミサの中で三人の占星術の学者が星に導かれて
幼子イエスを訪ねた聖書の話しが読まれた。
朗読をじっと聞きながら、ヘロデ王に尋ねた言葉が腹の底に落ちた。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
今回の訪問の目的のひとつがアルバちゃんに会うことだった。
2008年の夏の紛争で避難民となったアルバちゃん。
ほとんど飢餓状態だったアルバちゃんがどうしているのか。
2008年の12月31日に避難民キャンプに訪ねてから一年。
松居さんに尋ねた言葉
「アルバちゃんはどこにいますか」と三人の学者の言葉が重なった。
「アルバちゃんはどこにいますか」という言葉が
「キリストはどこにいますか」という言葉となって、
その言葉がミサの間中、心に中で響いていた。
アルバちゃんはイスラムの小さな村に戻っていた。
帰国する前日、アルバちゃんに会いに行った。
家に入ると部屋(一部屋しかない家)の隅にアルバちゃんが横たわっていた。
手を握って声をかけるとニコッと微笑んでくれた。
そのことを思い出し、ミサの間ずっと考えていた。
言いすぎだろうか…。キリストがそこにいた。アルバちゃんがキリストだった…。
「この子にしてくれたことは、わたしにしてくれたこと。」(マタイ福音書25章40節)
わたしは神父だが、神父が人を救うなどということはウソで、
救われていることに気づくことが神父であることなのではないかと、今、思う。
宗教、民族、文化、育ちなど、あらゆる違いがありながら、
平和に暮らしているMCLの子どもたちを見ていると、
ここにこそ、本当の平和があると…今回もまた、その思いを強くした。
プロック8で会った子との再会で始まった今回の旅。
イスラムの村の家の片隅にころがるようにして横たわっていた
アルバちゃんを見つけて終わった今回の旅。
こうして星に導かれた旅は終わった。
うれしかった。とても。



アルバちゃんのいる
イスラムの村では、
アラビア語学校が始まっていた
アルバちゃんの村のアラビア語学校。
小さなきれいなモスクに隣接して、子どもたち、大人たちも集まって、
熱心にアラビア語のコーランを勉強していた。
ここの村は、半年以上、去年は避難民になっていた。
それでも、明るさを失わない子どもたち。
モスクも新しく建立されたようだ。
青空にモスクが青く輝いていた。
イスラム教徒の新年は、12月18日。一般の正月は祝わない。
1月2日も、アラビア語学校が、平日通り行われている。
金、土、日が授業の日だ。
ちなみに、公立学校を彼らは、イングリッシュスクールと呼ぶ。
スタッフのノライダさんやアスレーさんは、帰省する事もなく、
ミンダナオ子ども図書館のクリスマスや正月をサポートしてくれた。


山元しんぷさん、お別れの日
温泉の流れる滝に行った
久しぶりに温泉滝行った。
無料で入れる滝と温泉。
向こうに見える滝壺の左の崖から、
ボトボトとお湯がしたたり落ちている。
流れる川の底からも、
お湯がにじみ出ていて温かい。
さらに、手前の岩間には、
こぼれ出るお湯をためた温泉がある。
結構、温度も熱くて体中が暖まる。

周囲は、全くの原始のジャングル。
岩で囲った温泉以外は、手つかずの自然だ。
滝壺の水も、温泉のおかげでいくぶん温かく、
滝壺で泳いでは温泉に浸かる。
溜まった疲れがお湯に溶けて、
体がいくぶん軽くなる。


そしてお別れの日



行橋カトリック教会から
山元眞神父さんが来られた!
今回で、5回目のミンダナオ子ども図書館訪問。
忙しいクリスマスのミサを終えて、
一足飛びでミンダナオへ。
神父の仕事は激務だ。
精神的ストレスと幼稚園の園長も務めているので、
年末はヘトヘト・・・・
福岡の行橋カトリック教会を、
同僚のボリビア滞在の神父さんにまかせて、
とにかく逃げるように日本を発つ。
飛行機の中では、むさぼるように眠り、
今回同行されたなじみの教会員で
Mの会の山本幸子さんが声をかけても
寝言のように答えるだけだったという。
疲れている日本人を代表して、肩にしょってやってきた?
ところが、ご本にもおっしゃるように、
ミンダナオに着いたとたん
(ミンダナオ子ども図書館に着いたとたん)
すっかり心も体も解放されて本来の自分を取り戻した・・・
ミンダナオ子ども図書館、心の回復の旅。


今回は、乗り合い舟にのって
イスラム地域のナブンダスを目指した。

ナブンダスは、
リグアサン湿原の
入り口にある集落
集落の面影もない
中州の村だ!
神父が、イスラム地域の、
よりによって乗合船に乗り、
中州の集落に行っただけでも、
地元でも驚くべき事で、
しかも、外国人である日本人が・・・・・・・・
キダパワン教区司祭のジェシー神父も、
「よくもまあ!」と言ったきり、
開いた口がふさがらない。
地元ピキットのOMI(オブレード会)の
ライソン神父なら、行くだろう。
「来年もまた、お目にかかりましょう」というと、
ライソン神父はこう答える。
「生きていればね・・・」

しかし、この中州の村は、
私たちはもう5回目だ。
本当に、原始のミンダナオを
感じさせる美しさと素朴さ。
ミンダナオ子ども図書館では、
市川鉄子さまの寄贈で、
ここに保育所を建設している。
その後も、たびたび訪れては、
子どもたちと会う。
来年は、ここの小学生の子たちを
スカラシップに採用していこうと思っている。
学校までは遠く、貧しい村で
洪水が起こると、島全体が水の中に沈んでしまう。
そうしたらどうするのですか、と聞くと。
椰子の木につかまったりするのだという。
確かに、魚採りの小舟や、
バナナの幹を切った筏をロープで
椰子の木に結びつけて
洪水をしのいでいた姿が思い浮かぶ・・・


子どもたちとの
久しぶりの再会
毎年来るたびに
子どもたちや村人たちの
表情が柔和になる

山元しんぷさんと
山本幸子さんと
この村出身のスカラーで
大学生のHadiguiaさん
読み語りに夢中になる
子どもたちの姿
街から離れたこうした地域の
子どもたちほど、
真剣で集中する
この顔、何度見ても
美しいと思う。


冨 高 英 徳さま
Hadiguiaさんは元気ですよ
クリスマスプレゼントを
ありがとう!

読み語りが終わり、
行橋カトリック教会から送られてきた
古着を配った

ここでは、古着も貴重だ
今日は、
ミンダナオ子ども図書館が
来るというので
皆、精一杯の
おしゃれをしてきた
でも、普段はほとんど
裸足で裸の子どもたち

新年の何よりもの
プレゼント
古着の他にも
日本から送られてきた
米が入っていた
米は、貴重だ
湿地はあるが
ここで育てられているのは
ほとんどがトウモロコシ
上は、行橋カトリック教会が作ったユニフォーム
背中の天使のデザインは、
スペイン在住の有名な画家、
九十九(つくも)画伯の制作。
キリスト教徒ではないが、
行橋カトリック教会のステンドグラスを始め、
壁画のデザインは全て手がけている。
地元のお父ちゃんがそれを着て、
山元神父さんと山本幸子さんと記念撮影(背中の)
イスラムの父ちゃんたちも、大はしゃぎだった。


クリスマスの夜は、みんなでキダパワンの街に
花火を見に行った!!!
年末は、キダパワンの街で花火が上がる
ことしも、みんなで見に行った。
ここで、5人のストリートチルドレンに会った。
泊まるところがないというので、
とりあえず、一晩ミンダナオ子ども図書館に泊まり
翌日、彼らの両親に会いに出かけた。
思った以上に辺鄙なマノボの村だった。
想像以上に貧困だ


ストリートチルドレンの
子たちの家を探し訪ねて・・・
町外れに住んでいるのかと思ったら、
町外れの田舎道を車で走り、
さらに曲がって奥まで行くと
道が無くなった。
ここからは、歩いていくしかない。
小道を子どもに案内されていくと、何と川に出た。
川を渡って行くと集落とも言えない、場所に出た。
数件のマノボ族が住んでいる。

年をとって、盲目のマノボの
おばあちゃんと歓談する。
体はそれほど悪くないし、
まだまだ働けると思うのだけど、
目が見えなくてね・・・


子どもたちの家は、
家という体裁も無い家もある
ほとんど学校には
行っていない

親も、家に居なかったりする。
街に近い親戚の家に
出ているという
クリスマスから新年
彼らにとっての稼ぎ時
つまるところ
物乞いのシーズンなのだ
かろうじて親がいる子の、親に話を聞くと、
この子たちはもう、11月から、家を出たまま、
どこにいるのかもわからなかったという。
途中で、ゴミの山の子たちにも手を振っていたし
そのようすからして、物乞いをしながら、
街のゴミを拾って生活をしていたらしい。
たくましいといえば、たくましいのだが・・・・
子どもたちの希望もあり、親戚や親の承諾を得て、
正月をミンダナオ子ども図書館で過ごすことにした。
彼ら曰く「ミンダナオ子ども図書館は、天国みたいだ!」


大晦日の夜
新年ミサを村のチャペルで!
ミンダナオ子ども図書館のある、マノゴル村には、
チャペルがあるが神父が不在だ。
山元神父さんが、
新年の大晦日のミサをあげてくださった。
村人たちは大喜び!
本当に暖かに晦日の夜が更けていく。
新年のミサは、ローマ教皇の出す、
平和のメッセージが土台になる。
今年のメッセージのテーマは、
「神の創られた被造物を守ることと平和」
深い意味での環境と平和がテーマだ。
山元神父さんの温かい人柄と、
心のこもったわかりやすい説教。
自然界のスピリットにも言及した話は、
大いなる共感を呼んだ。
こんなに暖かなミサは滅多にない。
その夜は、
ストリートチルドレンの子たちも
いっしょに食事をし
ミサにも出て、元旦を祝った。



諏訪淑子先生の寄贈で
キアタウに保育所が完成!
ミンダナオ子ども図書館は、
困難で貧しい地域を選んで活動しているが、
ここ、キアタウは、その中でも最も山深く困難な地域だ。
しかし、私が知る限りでも、最も美しい村である。
雄大な風景も美しいが、
子どもたちの心も純粋で美しい!!!
ここの保育所作りは、困難を極めた。
麓の町で、資材を買っても、
車でこの地まで運ぶのが大変。
道が悪路なので、
天候が悪いと車が現地近くまで入れない。
さらに、現地近くから、ブロック、
砂利、トタンなどの資材を馬で運ぶ。
建設は村人たちの手で・・・・


この村に
立正佼成会から
送られてきた
ゆめポッケを届けた


「ゆめポッケ」とは、
立正佼成会が
行っているプロジェクトで、
家庭で、
母親と子どもたちが、
巾着のような袋を作り、
学用品やオモチャを
選んでつめたもの。
それを、世界の難民、
貧困地域に届けている。

ミンダナオ子ども図書館に声がかかり、
お手伝いさせていただいた。
2009年は、山に追われたマノボ族の地域に、
来年、2010年は、イスラム地域に届ける予定。
手作りであるだけに、一般の物資支援と異なっていて、
まごころがこもっていて子どもたちが本当に喜ぶ。
子どもたちだけでなく、親も、感動して大喜び。
なにしろ、ここの子どもたちは、
こうした学用品やオモチャを見たことも、
さわったこともないから。




全国海外教育事情研究会とWE21おだわら寄贈の
初等小学校が完成した
こちらが、かつての小学校 これが、今回完成させた小学校
ミンダナオ子ども図書館で、
初めての、初等小学校が完成した。
初等小学校とは、こちらで呼ぶ、
プライマリースクールの事。
1年から4年生までの、小学校だ。
おもに山の遠隔地に置かれていて、
年齢の小さな子でも、
歩いて行かれる距離に建てられている。
ミンダナオ子ども図書館では、
小学校建設は経費の関係上不可能と思っていた。
それで、JICAの草の根資金などに応募して
建ててきたが、上左の写真の小学校を見るに見かねて
保育所建設応募の2団体で、
合計30×2=60万円の建設費で、
初等小学校を建てる決心をした。
保育所はDSWD(福祉局)の管轄だが、
小学校は文科省の管轄になる。
この地域は、絶えず戦闘にさらされており、
反政府的な意識が強いという事で、
海外などの支援もまったくなく
そんなわけで、小学校も屋根に穴が空いたままだった。
小学校が出来て、子どもたちは大喜びだ。
父母たちも、先生たちも、大喜びだ・・・
今回、ここから、10名の
小学校のスカラシップを採用することも決めた。
高校生も数人とる。
かつてのマカブアル同様に、
閉ざされた反政府的な人々の心を開いていくための一歩。
今後の重点地域の1つになるだろう。


ブグアック村にも保育所が完成!
N.T.さん、ありがとう!
この村も、山沿いに位置している。
山沿いは、反政府勢力の
通り道になっていると言う都合で、
政府軍との戦闘がしばしば起こる。
ブグアク村も、その様な村の1つだ。
この村とのおつきあいは長く、
大学を卒業したスカラーも出ている。
多くの子たちが、皆さんの支援で学校に行けていて、
その意味で、貧しくても夢のある村となった。
ここでも、
立正佼成会から届いた
ゆめポッケを配った。
イスラム難民の村では初めて。
絶えず起こる戦闘で、
家族は、山の家を離れて
麓に避難する。
帰ってみると
せっかく植えたトウモロコシも
他の作物も枯れている。
新たに播く種を買うお金もなく
食事にも事欠く生活。
それでも、子どもたちは元気だ。
ここから来た子の
高校生8名ほどは、
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる。
家からは、
学校までひどく遠いし
食事もろくに
食べられないからだ。






2008年のサイトから
2008   Go!


みんなに会えるのを楽しみにしています。

松居友さん

わたしたち、すべての人の救い主の誕生…
こころから喜びましょう!
そちらに行く日が近づいてきました。
昨晩から通風の兆候があり、目覚めても足が痛く…
今朝のミサをパスするほどでした。
通風の痛みが始まると収まるまで二日はかかり ます。
困った!と思って応急処置
(ただ水をいっぱい飲むだけ…) をして…
不思議と痛みが増さず…収まりました。
このところの不摂生のたまものです。
運動不足、睡眠不足、栄養過多?…など。
気に はしていたのですが…ドキッとしました。
明後日は出発できそうで す。
よかったです。
22日にキャンドルサービスと終業式をしました。
その時に子ども たちと家族の皆さんの
「やさしい気持ち」がいっぱい詰まった
「お もいやり貯金箱」を奉納しました。
「だれがいちばん喜ぶと思 う?」
と子どもたちに尋ねたところ、
即座に一人の子が「フィリッ ピンの子どもたち!」
と答えてくれました。
わたしは「神さま!」
という答えを期待していたのですが…。
子どもたちはやはりスゴイです。
11月に松居さんと倉橋神父さまが
幼稚園でお話ししてくださった
あの時は実にタイムリーで、
子どもたちはずっとフィリッピンや
ボ リビアの子どもたちを意識して
待降節を過ごしたようです。
本当に うれしいことです。
おかげさまで、みんなのやさしい気持ちが
いちだんと大きくなったようです。
「おもいやり貯金箱」は子どもの手作りで…
年少は「お家」、年中 は「天使」、
年長は「クリスマスツリー」の形に作りました。
お金 だけをいただいて貯金箱はみんなに返すのですが、
ミンダナオに行 く時、
それぞれ1個ずつお持ちしたいと思います。
「サンタさん が来る前に、だれが来るの?」
という問い掛けにも
「イエスさま!」と迷わず答えてくれる
子どもたちです。感動します。
小さい時から思いやりの気持ちを
膨らませることができて、幸せです。
ありがとうございました。
みんなに会えるのを楽しみにしています。 
              
           やまもと。
山元しんぷは、子どもたちの才能や資質を問わず
すべての子どもたちを心から等しく愛してくれるので
子どもたちは、「父さん」「父さん」と呼んで飛んでくる。
イスラムの子たちも、「父さん」と
親しみを込めて呼ぶから面白い。
こちらでは、神父の事をFather と呼ぶ習慣があるが
言葉の中に、それ以上の気持ちを
彼らが込めているのが良くわかる



  貧しさと争いの中で、
隠れた宝モノを探してほしい

                                            大渕みほ子 
 


2008 年も残りあとわずか。
月日が経つのは本当に早い。
今年の私の大きなチャレンジは、
ワークキャンプの実施だった。
8月に紛争が起こり、キャンプを行うのか、
出発2 日前まで悩みに悩み、
現地の情勢を判断して行った。
キャンプが終わって約2 か月が過ぎ、
キャンパー達も日常に戻っている。
ワークキャンプは何を残せたのだろう?
けがもあった、入院もあった、
精神的に情緒不安定になった人もいた。
お金をかけて、時間もかけて、いろんな人を巻き込んで、
悩んで、苦しんで、笑って、泣いて・・・。
何が残ったのだろうか。
キャンパーの一人が、キャンプの途中、泣いた。
なぜ泣いたのか。
彼女はマニラ空港でお金をだまされたこと、
フィリピンの人々の貪欲さにまいってしまったようだった。
帰国後のメールは、
「正直フィリピンは支援したいと思わない・・・
支援をするなら他の国がいい・・・」。
この言葉を聞いてすごく残念だった。

フィリピンに連れていったことで、
彼女のフィリピンのイメージを悪くさせてしまったのか。
連れていかなければ良かった・・・。正直そう思った。
お金の問題はフィリピンだけじゃないよ、そういいたかった。
でも彼女の言葉は受け入れた。
先日、その彼女から再びメールがきた。
ある場所で色々な人と話をしているうちに、
フィリピンで許せなかったこと、はがゆかったこと、
苦しかったことがスッと消えた、という。
なぜそうなったのか、私には分からない。
でも彼女が、
「フィリピンが楽しかったと、ひと前ではじめて言えたよ」
と書いてきたとき、嬉しかった。
ミンダナオに連れて行ったことは、意味がなかったわけじゃない・・・。
そう思うと、私の気持ちも少し軽くなった。

「日本は豊かだが、心が貧しい」
マザーテレサの言葉だ。
来日したときにそう彼女が言ったと聞いてから、
この言葉がずっと私の中に残っていた。
なぜ彼女は言い当てたのか。
すごい人だと思った。
25 年以上も前のマザーテレサの言葉は、的を得ている。
そして彼女の言葉は現在、いっそう現実味を帯びてきた。

フィリピンに行ってつくづく思うのは、
この国は貧しいけれど心は豊かだ、ということ。
日本が得たものをフィリピンは持っていないが、
日本が失ったものは、まだフィリピンにある。
お互いを補完するような交流ができないだろうか、
そう思って始めたワークキャンプだった。
でも現実はなかなか厳しい。
フィリピンの貧困は、
人々の心を蝕みはじめているのも事実だから。
彼女を泣かせたのは、貧困の現実だった。
マザーテレサが貧しさの中に心の豊かさを見たのは、
インドの人々から見捨てられ、路上に放置され、
死を待つばかりの人の中だった。
私は同じことがミンダナオにも起きていると思っている。
ミンダナオの貧困と紛争の中で、
必死に生きる人々の中には、
本当に心が豊かな人が存在する。
ミンダナオはとても複雑なところだから、
初めはなかなか見えにくいかもしれない。
もしかしたら二度と行きたくないと思うかもしれない。
でも、貧しさと争いの中で、隠れた宝モノを探してほしい。
探しにきてほしい。
そう思っている。
最後に、とっておきの笑顔でお別れ!


難民キャンプでは、
子どもたちの病気が
問題だった
     アルバちゃんのこと  山元 眞    

今年の夏ピキットの難民キャンプを訪れたとき、
そのたいへんな「現実」を
教えてくれたのがアルバちゃんだった。
実際に難民キャンプの中に身を置いても
不思議と実感がわいてこない。
日ごろからテレビや新聞などの報道で客観的に見ることに
慣れてしまっているせいだろう。
まるでテレビを見ているような錯覚に
陥っていたことを思い出す。
その場にいても…。
ただアルバちゃんの、
触ったら折れるようなその手に触れたとき、
「現実」に触れた気がした。
ひどい栄養失調の状態を越えて、ほとんど飢餓状態…。
このような人に触れたのは、生まれて初めてだった。
「現実」が迫ってきた。
かわいそう、などと感じる余地はない。
アルバちゃんの背景にある世界を不気味に感じる。
現代社会のさまざまなひずみやしわ寄せが
アルバちゃんを、まるで骨だけの体にしている…。
このような「現実」にわたしたちは何ができるのだろうか。
難民キャンプからキダパワンに戻り、
30年ぶりに献血をした。
血を与えるということは、どういうことなのだろうか。
アルバちゃんがまた何か大切なことを教えてくれる。
クリスマスが終わってから、アルバちゃんに会いに行こう。
今度は少し手を握り返してくれるかもしれない。



日本滞在中の所感
ミンダナオに来て8年目に入った。
早いものだとつくづく思う。ミンダナオ子ども図書館が、
現地法人の資格をとってから6年目にはいった。
対日本関係は、私が一手に引き受けたが
現地法人資格をはじめとして
読み語りや医療、スカラシップや
難民救済といった現地活動を
ここまで築きあげたのは、他でもない
10代前半から後半のスカラーシップ奨学生たちだ
彼らの数名は、今スタッフとして活躍しているが
現地の若者たちの力がなければ
ここまで出来なかっただろう

 
決して平坦だったわけではない。
一歩一歩、去勢修正しながら、
マネージメントを教えていくのも容易ではなかった。
賄賂が平然と横行する社会。
ちょっとした出来心が貧しさ故であること、
また、子どもの頃からの山育ちであるがゆえの
無知から来ると言うことを考えると、
忍耐を持って接していけば、
やがて次第にわかっても来るが、
それなりの厳しさも必要だった。
それにしても、驚くべきは、
彼らの生きる事へのしたたかとも言えるバイタリティーだ。
例え難民キャンプにいたとしても、
目の輝きを失わない、子どもたちの姿にはほれぼれする。
あの輝きは、人の持つ、
純粋な生きる力を映し出していると思う。
日本人にとって、生きる力とは何だろう。
ミンダナオの若者たちと、
日本の若者たちの「生きる力」の解釈が異なるのは、
日本では、生きる力は、
「個人の力」として解釈されていることだろう。
忍耐力、学力、決断力、実行力、
これが国家単位になると
政治力、経済力、軍事力となっていく。
良い成績を取ること、良い学校に行き、
良い会社に入ること。
良い地位につき、高い給料を得ること。
命令されるよりも、命令を下す立場に立つこと。
それが、生きる力であるかのように
・・・思ってはいないだろうか。
それなのに、そのように登り詰めた人々が、
何と多く、中高年で自殺することか。
ちょっとしたきっかけで・・・。
家財を失い、難民状態になったら、
日本人は次々に、首つり自殺をするだろうか。
右の難民たちも、すべてを失ってこの場所に、
すでに3ヶ月もいるのだが・・・・
ミンダナオの若者たちにとって、生きる力は、
どうも個人の力とは反対がわに有るように見える。
ミンダナオ子ども図書館に来て、
ここで共に生活を始める若者たち。
彼らのとって、「生きる力」は、互いの壁を極力取り去って
協力しあい、助け合い、家族のように愛し合い
たとえ贅沢な暮らしが出来なくても、
極力みんなで分かち合い
問題を一つ一つ解決しながら
一歩一歩(例えそれが小さな小さな一歩でも)
喜びながら未来へ進んでいくことなのだ。
今回日本に行って、
若者や子どもたちの目を見て思ったことだが
ミンダナオの子どもたちと、幼い子たちの目や表情は、
基本的に変わりがない。
写真は、ミンダナオの話を真剣に聞いている、
年・中長組の幼稚園の子どもたち。
(行橋カトリック幼稚園にて)
どうも、幼稚園までは良いのだが
(幼稚園の方針にもよるかな?)学校教育が始まり、
塾通いが日常になると、こうした「生きる力」が、
蝕まれて行くような気がしてならない。
子どもたちが、生きる力を持つには
どうしたらよいのだろうか。
自分だけの力だけで生きることは、
しょせん不可能なことを知ること。
互いに心を開いて同じ目線に立って愛し合うこと。
そのために必要な教育とは何か・・・
《同じ瞳》 山元 眞

 11月25日(火)、松居さんに幼稚園で
お話しをしていただいた。
クリスマスの準備でプログラムが詰まっていたので、
今回は学年ごとに 保育の合間を縫って
ミンダナオの状況を子どもたちに話していただいた。
わたしは横で子どもたちの様子を見ていたが
深い感動を覚えた。
 日ごろから人の話しをよく聞く子どもたちではあるが、
今回は特別に 集中していたようだ。
満3歳児、年少(3~4歳)、年中(4歳~5歳)、
年長児(5歳~6歳)の子どもたちに
それぞれ話していただいたが、
どの学年も松居さんの話しに集中していた。
話しを聞く子どもたち の瞳や表情を見て感動を覚えながら、
温かい平和に包まれる思いがした。
子どもたちの瞳、表情が…
ミンダナオで読み聞かせを聞く子どもたちのそれと…
まったく同じだった!
これが平和の原点だと思う。
 人の話しを聞くことさえできない
日本の子どもたちの現実。
「人の話しは聞くもの」という常識が消え、
「聞くのも聞かないのも個人の自由」という
間違った自由主義に毒されている。
世界の現実を認識するためには「聞くことを聴き」、
「見ることを観る」能力が求められる。
この認識能力が育たない。
 日本の幼児教育(保育)の現場も
「子育て支援」という名目で親を助けることばかりを考え、
それが子どもの育ちにつながっていない。
子どもたちにとっては悲惨な状況だ。
何年間も間違った方向を歩み続けてきた。
今、その結果が現れている。それなのに、
まだ、このまま行くのだろうか。
間違っていることに気づきながらも「この道」を行くなら、
その結果は想像を絶するほど、
そして取り返しのつかないほど悲惨なものになるに違いない。
 今、軌道修正をしなければいけない。

今回、大きな体験は、大渕みほ子さんにつれられていった、
フリースクールの若者たちとの出会いだった。
ミンダナオの事を話したときの、彼らの目の輝きは、
まさにミンダナオの若者たちと共通した光があった。
どうやら、日本の若者たちの
70パーセントが学校を拒否して行かなくなり
独自の人生を歩み始めたならば、
日本も再生するのではないか・・・
日本では、全体的に何かが狂ってしまっていて、
大人も教育者も政治家も、
子どもの文化にかかわる多くの知識人や作家も生きる力の「原点」が
いったい何かを、思い出せなくなっているようだ。
根元的に生きる喜びを見失った人々、
生きる力を失った人々が作る、
金銭目的の見せかけの文化、そして政治と経済。
それに踊らせれているだけの国民たち。
日本では、もはや原点を見いだせないなら、
ときに同じアジアのミンダナオにしばし時と場所を
移して眠ってしまった心の原点を、
ミンダナオの若者たちの力によって、目覚めさせるのが良い。
そうした意味でも、何らかの形で門戸を開き、
日本の若者や子どもたちを受け入れる体勢を
考えなければならない時が来たと感じた。
難問も多いのだが、決断したからには、やるしかないだろう。
日本の子どもたちや若者たちの事を、
ほおって置くわけにも行かないだろうし・・・
子どもが生きる力を持つために必要なことは
せめて小学校卒業までは
思う存分自由に外で遊ぶこと、
家のお手伝いをたくさんすること、
そして昔話をみんなで話して楽しむこと

今回の日本滞在で、ますます
そう確信するようになった




初めてのスタディーツアー
ミンダナオ子ども図書館に訪問者がいないわけではない。
今までは、ほとんどが支援者の方々だったし、
若者同士の交流を積極的に考えたことは無かった。
すでに何度か理由は書いたが、最大の理由は、
ミンダナオ子ども図書館の活動の根幹が積極外向型であり、
私を先頭にスカラーやスタッフが、ムスリム難民を救済したり、
山岳地のマノボ族の医療を実行したり・・・・
その根幹は読み語りなのだが。
端的に言うと、訪問者のお世話は、活動を停滞させるからだ。
特に、支援者のように、すでに活動を理解していて、仲間として迎えられ、
自分の支援している学生に会いに来られたりする場合は、
目的もはっきりしているので心配はないが、
ツアーのように、漠然と来られる場合は、変に気を遣う?
ツアーと銘打っているからには、
それだけの快適さやサービスを求める人もいる。
しかし、NGOとしては、接待を求められても、
それに答えてるゆとりがあろうはずがない。
多くの支援者たちの思いのこもった寄付で動いている団体なのだから、
少数の訪問者のために時間を割くことはどうか?
そのような迷いを持ち続けつつも去年、
訪問者に門戸を開こうと決心したのは、
ビジターから得る利益でNGOを維持しようと考えたからではない。
日本の若者や中高年の心の危機を見て、
また、要望を耳にして、決断した事だった。
その際に、多くの方々から忠告をいただいた。
「松居さん、やめた方がいいんじゃないの?
訪問者なんてみんな我が儘なもので、
ミンダナオ子ども図書館にそぐわないよ・・」
「あの純粋な子どもたちが、客接待に慣れた、
媚びた子たちになっていったら、
本来の良さが無くなるよ」
結果がどうだったか、私にはわからない
南国のリゾート気分で来た人たちは、きっとショックを受けただろう
日本人にとって快適な滞在施設にするつもりは毛頭無いから、
食事もトイレも寝食も子どもたちとほとんど同じ特別扱いはしない。
他のスカラシップと異なって、リーダー養成などは目的としていないから、
日本をそのまま持ち込んだような教育ママも、
ショックを受けるようだ。
とりわけ、日本の価値観に縛られたまま、
それを未開文化の地に植え付けよう等と、
無意識にでも思っていると・・・・

要望にも応えて
久しぶりに
ウオーターフォールに行った。
テレビで紹介されたところだ
本当に美しいところだが
現在山岳地で使える
4WDの軽トラックで行く
山道は過酷だ
しかし、
子どもたちは大喜びで
早速、滝壺に飛び込んだ
この子たちを見ていると
私は本当に幸せを感じる
彼らのために生きている事
そして、両親が
いなかったり
極貧の中から来た子たちが
心から幸せそうな表情を
見せるとき
この仕事をしていて
良かったと心底思う

しかし、ウオーターフォールの集落では
経済的な貧困がさらに進み、
病気が蔓延していた

今年は、奇妙な高熱と痙攣を
起こす風邪が流行っている
写真のスカラーの子たちも
すでに3週間も病床に
伏したりして、
学校も停止したままだった
久しぶりに会って愕然とした
なんて痩せてしまったことか!
立って歩こうとすると、
ふらついている
多くの親や子どもたちに
病気が蔓延している
同じ病気にかかっても
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる奨学生は、
数日で回復するが、
栄養失調だと命取りだ
とにかく、病院でチェックを
受けることにした
病院では、すぐに入院!
色々な検査をした結果、デング熱ではない事がわかってきた。
信頼できる小児科のウオン先生が首を傾げながら
単なる風邪で、これだけ長期の症状が出るという事は
基本的に栄養失調だからですね。
食べるものを食べていない、基礎体力がない、
快復力がないところに病気が襲うから、
ますますやせ細ってこのままだと、死ぬかも知れない。
唖然とした!!!


訪問者がいるので、自由に行動は出来なかったが、
山のビックビックさんの家に預けて別行動で急遽医療活動を実行した。
幸い、ピキットの難民キャンプでの医療活動を継続しているので、
その薬をウオーターフォールに届けた。
日本では、薬は日常手にはいるし、基礎健康が食事で出来ているので
「薬に頼っても、薬を渡しても・・・」と言う人もいるが
ちょっとした風邪でも死に至る場合もある時に、
予防も含めてやはり薬は頼りになるのだ。
日本では、風邪ぐらい自分で直すのだが・・・
訪問者がいるので、自由に行動は出来なかったが、
山のビックビックさんの家に預けて別行動で急遽医療活動を実行した。
幸い、ピキットの難民キャンプでの医療活動を継続しているので、
その薬をウオーターフォールに届けた。
日本では、薬は日常手にはいるし、基礎健康が食事で出来ているので
「薬に頼っても、薬を渡しても・・・」と言う人もいるが
ちょっとした風邪でも死に至る場合もある時に、
予防も含めてやはり薬は頼りになるのだ。
日本では、風邪ぐらい自分で直すのだが・・・

ウオーターフォールで、滝の滑り台
どんなに困窮した現状あっても
こちらではそれが日常だから、子どもたちは屈託がない。
楽しみ時には、大いに楽しむのが信条?











一方で、一日三食の食事が出来ず、
毎日、芋を食べて食いつなぎ、
病気にかかると体力がないので、
死んでいく人がいる。
同じその地域で優雅に遊び
お腹一杯米を食べ
おいしいおかずのある人がいる、
この矛盾は何か
この様な世界を見るたびに、
悲しい困惑とめまいを感じるのは、私だけでは無い?
ミンダナオは危険地域に指定されているから
公のツアーでは、訪問できる場所は限られている
ピキット市の福祉局、DSWDの調査と
グレイスさんの確認で希望者のみ
ピキットに読みきかせに行った。
先日から、炊き出しも行っているマノボの村。
大勢のスカラーたちも同行した。
困窮する子どもたち、それにも関わらず、明るく、
心を開いて向き合ってくれる。
彼らの前で、「大きな栗の木の下で」を演じて
子どもたちも大喜び?
ここで、何を彼らは感じたのだろうか?

まずは現場を見ること
実情を自分の目で確かめ確認すること
その後、どのような行動を起こすか
全く起こさないか、二度と来ないと決心するか
それは本人次第だ。
だた、日本も含む
国際情勢が関わっていなければ
この様な、ひどい戦闘は起こらない

炊き出しに並ぶ子どもたち
炊き出しは成功している
米の支給だけだと
大きな大人や青年が
ほとんど食べ尽くして
小さな子どもたちに
食事が十分回らない事も多い
17歳以下に厳しく限定した
炊き出しは
確実に子どもたちに
栄養を補給し、
基礎体力の維持を
可能にしている
週3回3週間で計9回の
第一回炊き出し計画が
終了した


ビサヤ・
イロンゴデーが
盛況で
終わった
昨年、ムスリムの踊りが、日本公演で大盛況だった結果を受けて、
若者たちは、今年の文化祭のテーマを、ダンスに絞った。
踊りは、フィリピンの若者たちにとっては、最も適した自己表現の手段?
そのできのすばらしさは、驚嘆に値する。
ムスリムダンス、マノボダンス、ビサヤダンス
すべてが本当にすばらしく、どこに公演しても感動を起こすだろう!
この様なダンスがあるとは、
知らなかった、
長いすのダンスでは
女の子が、地面から
男性に手を引かれて
飛び上がる!
そのたびに、叫声と大拍手
交通費と宿泊を保証していただければ、
国際交流のために日本公演にうかがいます。
訪問者はルモットの保育所を建設に
ビックビックさんのところに宿泊。
電気のない家で現地の生活を体験
建設途中の保育所
自分も何らかの形で貢献できる、
という体験は貴重だった。
最初はとまどいながらも、最後には、
ともに汗を流し、すがすがしい気持ちに・・・・
もう少し長く居たかった!
今回は、予定を変更して
後半は、ダバオオリエンタルのハウスオブジョイへ
ここは、海もきれいで、
本当にリラックス出来る場所。
ビジターには、おすすめ。
前半がハードだっただけに、
ホッとされたようだった。
やはり、ミンダナオ子ども図書館は、
ツアーには向かない?


カナダの青年が、
NGOとして見たミンダナオ子ども図書館
カナダの青年、ジェイソン君が、
前後してミンダナオ子ども図書館を訪れた。
父親が中国人で母親が日本人。
NGOや労働者の権利、国連の活動に興味をもち、
今まで、タイ、カンボジアなど、アジアを中心に
生活費を稼ぎながらNGOをめぐっている。
話を聞くと、ラテンアメリカのNGOも回ったとか・・・
日本の支援者で英語学校を営む首藤さんから、
是非尋ねなさいと言われてきた。
ピキット情勢が非常に悪いときで、難民救済活動を手伝ったが、
途中からハウスオブジョイを勧めた。
彼の所見が、首藤さんからメールで届いた。
また、バンクーバーの支援者からも届き、ブログを紹介。
このたび、友人のジェイソンを、
快く受け入れて下さりありがとうございました。
彼は、次の旅の前に、日本に立ち寄ってくれ、
私の家に4日ほど滞在しました。
その間、こちらでの友人に会ったり、
温泉に行ったりと、ゆっくり過ごしてもらいました。
ミンダナオの話も、たくさんの写真や、
ムービー画面で説明してくれ、
ほんとうによくMCLの様子がわかりました。
彼は、一人一人の子ども達のことを覚えていて、
それぞれのすばらしさを教えてくれました。
私は、彼が、こんなに子どものことを
愛していたことを
初めて知りました。
日本では、そのようなことが
ありませんでしたので。
彼にとっても、大きな精神的な成長の
1ヶ月だったと思います。
またMCLは、これまで
みてきたどこのNGOにもない
すばらしものがあったと話していましたし、
私にも紹介してくれたことを
感謝してくれました。
ありがとうございます。
MCLの子ども達が、ハンディキャップや、
貧困に負けないで、楽しく、
協力して過ごしているようすが
写真にうつされていましたが、
またミンダナオの風にあるように、
戦闘による難民の状況も、
かずあり、胸が痛みました。
まだまだ支援が足りないですね。
これから彼と協力して、少しでも、
支援者が増えればと思っています。
千竃さんが、先日スカラーが
大学を卒業する前に一度、
ミンダナオへ行こうかと言っていたので、
私も、ご一緒できればと思っています。
来年になるとおもいますが・・・・・
それが実現するように、頑張ります。
Save money・・・
皆様によろしくお伝えください。

首藤順子
松居様。こんにちは。

小さい子どもをもった育児真っ最中のママたちの集まりなので
細々とながらやっていますが、
少しずつ周囲からの協力をもらっています。
軌道にのって、もう少し協力が増えるようになれば、
少しでも多くの支援ができたら、、、といつも考えています。
私たちのできるところでがんばりますのでよろしくお願いします。
ちなみに、クローバーの会のブログが
ようやく立ち上がりましたので
お時間が許すときがあればぜひのぞいてください。
http://cloverforever.jugem.jp/?cid=2
エリザベスちゃんの紹介やミンダナオ図書館の紹介を
させていただきました。
来週の金曜日に簡単なイベントを行う予定です。
11月12日のエリザベスちゃんのお誕生日にむけて
子どもたちとカードを書きたいと思っています。
それではニュースレターの方、楽しみにしております。
よろしくお願いします。
カナダ・バンクーバーより
石本さゆり




ミンダナオに戦闘が
広がる中
ミンダナオ
子ども図書館に
スカラーたちが集まり
平和の祈りを行った
平和の祈りは、平和巡礼と称して、
本来はピキットの市庁舎の裏にある、
丘の上の要塞で行われる予定だった。
この要塞は、第二次世界大戦の時に、
日本軍が建てたものだ。
しかし、ピキットの政情不安をかんがみて、
急遽場所をミンダナオ子ども図書館にした。
祈りはまず、平和を表現する踊りから始まった。
これも皆、スカラーたちが
自ら相談して決めたことだ。
その後、各部族の代表たちによる、
自分たちの言語の祈りや歌が続いた。
とりわけ歌は、他の宗教や宗派、
他の言語の歌でも、みんなで歌った。
特定の宗教に属していても、
友人や隣人の持っている異なった宗教に敬意をはらい、
友人によりそって、背後から支援する気持ちで、
共に歌うことは可能なのだ。
アッラーの歌、マノボの神マナマの歌、
イエスの歌を全員が歌う。
神は一つで、呼び名と風習が違うだけたと、感じる。
祈りながら涙を流し、その涙が、
大勢のスカラーたちに広がっていく。
民族は異なっても、宗教が異なっていても、
平和に対する願いと愛は同じ。

日本からも、日本キリスト教団
小田原教会所属の
I氏が祈りを捧げ、
マノボの代表としてガボン牧師、
カトリックを代表して
山元眞神父が話された
事態が緊迫しているだけに、
祈りに込める思いも深かった
イスラム代表のホサイン師は、
妹の突然の死に帰られたのが残念!
代わりに、スカラーのプレシデント、
イスラム教徒のバイヤン君が
感動的な祈りを述べた
これらの祈りは、
ミンダナオ戦で亡くなった
多くの現地人、米軍、そして
日本軍の兵士から始まって、
現代に至る戦闘で亡くなった
人々の霊を慰めるために、
ミンダナオ子ども図書館が
音頭をとってはじめるものだ。
来年こそは、ピキットの要塞跡で開催し、
毎年、ミンダナオ子ども図書館の
スカラーを核にして
開催していきたいと思っている。
次回は、仏教界の方々も参加されるだろう。

私(松居友)にも、話す機会が与えられたので、
こんな内容の話をした。

「言葉で平和を語ることも大事だけれど、
行動で示すことも大事。
たとえば、シラミを採ること。(全員?????)
ミンダナオ子ども図書館では、
イスラム教徒もクリスチャンもマノボ族も
仲良く暮らしている。
僕が見ていて、一番平和だなと感じるのは、
イスラム教徒やクリスチャンやマノボ族が
いっしょになって互いの頭のシラミを
とりっこしているところ。(大笑い)
世界中の人々が、宗教や宗派を超えて、
シラミのとりっこをしたら、
世界は平和になるだろう、
ミンダナオ子ども図書館のように!」


右の写真は、ミンダナオ子ども図書館の日常風景から
「シラミ採り」
・・・・・・・・・・・・・・・・



スカラシップ学生総会は
平和の祈りの日

3月27日(日)
日本から、
京都暁星学園高校
の仁科夫妻と幼稚園の
ユウカちゃんが来られた
今年の役員およびスタッフの構成が紹介された。

モスクの開所式

MCLの本部があるマノゴル村には、
カトリックもプロテスタントもキリスト教徒の教会は
そろっているが
イスラム教徒のためのモスクがなく
それが、MCLにムスリムの若者たちが
住みたくても住めない理由だった。
そこで、高島均明治学院大学教授が、
埼玉のカトリックの信徒、フィリピン人、ブラジル人、
ボリビア人、日本人の有志たちと
日本イスラミックセンターのイスラム教徒と協力して
MCLにモスクを寄贈してくださった。


立派なモスクを設計して下さった
エンジニアのマンソーリ氏は、
ミンダナオ子ども図書館のボードメンバー。
BDAバンサモロデベロップメント
エイジェンシーの設計技師でもあり
JICAの草の根無償等でも、計技師を務めている。
以前に建てた、マカブアルの小学校や、今回、
建設が決まったブアランの小学校建設も
彼の設計で建設している。




建設の経緯を記した、
高島教授からのメッセージが、
モスク内に掲載され
披露された。

親愛なるMCL の友人たち、
特にイスラム教徒の友人たちへ
あなたたちの愛する友達、高島均と嘉久惠より

モスクの建設に関して、
私が書いた機関誌には、
「それ(モスク)を
寄付してくださったのは、
なんと埼玉のカトリック教会のかたがたが、
日本イスラミックセンターに声をかけ、
協力して寄付をしてくださったのだ!」
と記載されていますが、
MCL のモスクは、
高島均明治学院大学教授と
そのご友人の方々
(Kami-Fukioka Catholic
International Community・
明治学院大学高島ゼミの卒業生・
明治学院大学の教職員・
Akbar Raja さんと彼の属する
Islamic Circle of Japan :
パキスタン出身のイスラム教徒が主催)
が協力して
寄付をして、贈って下さったものです。
最初に高島様に呼ばれて
モスク建設のミィーティングをしたのが、
埼玉のカトリック教会だったので
私が、勘違いして、
そこの教会の有志の方々が中心となって
日本イスラミックセンターに掛け合って
寄付を集められたのかと思ったのです。
ここで、お詫び申し上げます。
機関誌の最新号でも
この件を載せましたが、
サイトにもそのコピーを
掲載させていただきました。

親愛なるMCL の友人たち
特にイスラム教徒の友人たちへ

あなたたちの愛する友達:
高島均と嘉久惠より
宮木梓 訳

今、あなたたちのモスクが
完成しました!おめでとう!


私たちは、あなたたちから
遠いところにいますが、
皆さんと確かに喜びを
分かち合っています。
様々な方法を通して、
たくさんの子どもたち、
若者たちが工事を手伝った
ことでしょう。
ある人は労働力を提供し、
ある人は工事には
参加できなかったかもしれませんが、
工事に参加した人々を助けること
を通して、建設を手伝いました…
モスク建設のための資金は、
様々な人々、日本人、フィリピン人、
そしてパキスタン人、カトリック、
プロテスタント、仏教徒、
そしてイスラム教徒によって、
寄付されました。
歳を取っている人もいれば、
若い人もいました。
実に、このモスクは様々な人々からの
善意と友情で建てられました。
このモスクは、祈りの家であるのとともに、
団結の家でもあります。
あなたたちは、なぜ私たちが
保育所の建設支援ではなく、
モスクの建設を通して
あなたたちを支援したいと
思ったのか知りたいかもしれません。
それは、私たちが心の平和を最も大切な
問題だと考えるからです。
信仰の深まりを養われなかった人々が、
最後の呼吸のときに
どのように感じると思いますか。
彼らは、寒さから身を守る服があっても、
生きるための食べ物や
飲み物があっても、
夜露をしのぐ家があっても、
きっと不幸で不安なことでしょう。
私たちはイスラム教ではなく
カトリックを信仰しており、
カトリックの信仰が正しいと考えています。
しかし、これは私たちが違う信仰を
否定するということではありません。
すべての宗教や信仰は等しく
尊重に値します。
そして、それは、すべての人々が、
彼らの祖先から継承した信仰を
育てる世界の創造主である、
私たちの神さまの望みであると考えます。
私たちは、あなたたちのモスクが
様々な信仰や背景の友情と
団結の印になることを望みます。
また、あなたたちイスラム教徒の
子どもたちや若者たちが、
あなたたち自身の信仰を深め、
無病息災に成長し、神さまからの祝福を
授けられるように望みます。
祈りの中で熱心に勉強して下さい。
そして、あなたたちは、
家族やあなたの共同体を助け、
ミンダナオの平和と正義に
貢献することができます。
そして、あなたたちは
世界を違うように変えるでしょう。
いつの日か、私たちが会って顔を見る
ことができるでしょう。
愛と抱擁をともに


授業のない日曜日には、
ムスリムも、クリスチャンも
少数民族の子どもたちも、
みんなでモスクの周りの
草引きをして、
花を植えることもあります。
マノボ族の祈りの家も同じように、
どの民族の子どもたちも
掃除に参加します。
MCL の子どもたちやスタッフ、
家族にとって、
モスクは宝物です。


モスクの名前は「連帯のモスク」
今まで、MCLのあるマノゴル村には
クリスチャンの教会は多々あっても
イスラム教徒のモスクだけは無かった。
そのため、イスラム教徒の奨学生は、
祈る場所が無く、それが、MCLに住みたくても
住めない理由だった。
今、モスクが出来て大喜び。
クリスチャンの子たちからも
良かったね、と声をかけられた。

平和の祈り

平和の祈りは、子どもたちの
歌と踊りで始まる

ミンダナオの平和、世界の平和と共に
日本の地震被害についての報告があり
みんなで鎮魂と平和の歌をうたった

今回は、日本の地震と津波、
原発の被害者の報告があり、
その人たちのためにも祈った。
日本にいる、支援者の事を想い、
泣き出す子たちも・・・

日本政府JICAの支援で
建設が決まった
ブアランの小学校の
先生方も参加された
京都暁星高校の仁科先生
ご夫妻が,
日本の地震の様子と
日本の子どもたちの
抱えている
問題について語り
その後で、みんなで
日本の支援者の方々や
被害に遭われている人々
そして、日本の若者や
子どもたちのために歌い
そして、祈った
若者たちは、涙をためて
家族のような支援者の方々
兄弟姉妹のように感じられる
子どもたちや若者たちの
ために
歌い祈っていた

京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/
私たちも、歌った。
仁科先生や子どもたちの目に、
涙が浮かぶ。

MCLでは、みんな家族

宗教の違い、宗派の違い、民族の違い、
国会の違い、豊かな国と貧しい国、金持ちと貧乏人
そのような違いを超えて、
互いに心を通わせ、愛し合え、
心も、富も、知恵も、
分かち合える時代にならないだろうか。
少なくとも、MCLには、
そのような家族の雰囲気がある。
ここには、世界の平和につながる
芽が感じられる。

MCLファームのあるマロゴンの農場から

また会いましょう




京都暁星高校が寄贈
マノボ族の村、アマベルの
保育所開所式

3月26日


京都暁星高校ホームページ
 http://www.kghs.ed.jp/

村の子どもたちを集めて読み語り

テープカットと開所セレモニー

京都暁星高校ホームページ http://www.kghs.ed.jp/




日本政府の海外支援ODAによる
ブアランの小学校建設が決定した

ブアラン村民との打ち合わせに
クリスチャン集落からも役員が参加
平和への一歩が記された

3月22日

マニラの日本大使館主催で署名式典が行われた
3月25日



スタディーユニオン寄贈の
保育所開所式

3月17日

関 浩成さんと
立命館大学・
同志社大学の若者が参加



MCLに滞在した、
長谷山文香さん、
佐藤知美さん
からのお便り


長谷山 文香さんからの便り


友さん

こんばんわ。パソコンの調子が悪く、
連絡が遅れてしまい申し訳ありません。
2日前4人で集まって写真を見せていただきました。
膨大な量の写真の中から、
友さんやスタッフの方がカメラを向ける視点が
わたしたちのそれとは違ったり、
「あ、これ知らない!見ておきたかったー!」
と感想を漏らしたり
日本に帰ってきてからも新たな発見がありました。
写真鑑賞会とともに、
わたしたちの9泊10日を振り返りましたので、
うまく言葉にできていない部分がたくさんありますが、
以下に記します。
レクチャーを聞いた直後に友さんをおいかけ、
ミンダナオの場所さえわからないままに
訪問希望を申し出ました。
専門的な知識も見解ももたないわたしですが、
ゼロからのMCL滞在の珍しい1例として。
ほとんど衝動的に、訪問希望を申し出たわたしたちですが、
正直不安でいっぱいでした
渡航情報やネットなどを見ても、
「渡航延期推奨」や「危険」の文字が。
また、経済的に子どもたちを支援できるわけでもなく、
子どもたちに何かを教える技術ももたずに訪問して、
果たして子どもたちは受け入れてくれるのか。
でも、そんな不安はMCL到着後すぐ、
子どもたちの歓迎で吹き飛びました。
わたしたちが無意識的に作ってきた壁を、
壊すのではなく、飛び越えてきてくれる感じ
「こっちもたのしいよ」と教えてくれるようでした。
一緒に絵本を読んだり、日本でいうと
「かごめかごめ」のような遊びをしたり、抱きついたり。
「アテアヤカー」と笑顔で話しかけてくれ、
可愛くって愛しくって、溶けてしまいそうでした。
思い出すと日記帳には書ききれないくらい、
たくさんの経験をさせていただきました。
キアタウという、標高の高い、
電気の通っていない小さな村で一泊したこと。
そこでホタルの木や白いペンキを
ぶちまけたような星を見たこと。
「日本人は星を見たことがないのか?」と驚かれたこと。
建設途中の保育所を見に、山登りをしたこと。
スタッフや子どもたちがナイトのように
わたしたちを気遣ってくれながらの頂上到着でした。
滞在半ばで具合が悪くなり部屋で寝ていると、
ふと目を開けた時に枕元で子どもたちが
心配してくれていたことに気づけたこと。
支援者である日本の財団、企業の方と日程が偶然重なり、
ピキットでの2つの保育所の開所式に
居合わすことができたこと。
最後の日は、学生が集まる総会が始める前から、
頭が真っ白になり涙が止まりませんでした。
泣かないって思ってたのに。
「わたしを忘れないように」と子どもたちがつけてくれた
指輪やブレスレットは、
日本では浮くくらい日に焼けた肌にキラキラしています。
ただ、楽しい滞在の中で、
行ってみて初めてわかる問題もたくさんありました。
移動中の車で、何度も
バナナのプランテーション農場の横を通りました。
バナナ以外の植物が一切生きていない裸の土壌。
農薬の恐ろしさ。
何年かすると土壌自体が使えなくなるとのこと。
そして、企業はそれを見越してか、
期間を設けて土地を借用するそうです。
今まで10円でも安いバナナを買い、
ときには腐らせてしまうこともあったわたしは
ただただ恥ずかしく思いました。
また、子どもたちの着ている服は、ほとんどが古着ですが、
「ミンダナオは暑い」という先入観からか
(もちろんわたしもそう思ってました)、
Tシャツがほとんどのように感じられました。
標高の影響もあるのか、MCLの夜は少し冷え込みます。
シーツにくるまって寝、朝3時や4時に起きて
炊事や掃除を行う子どもたちが何度か
「寒い寒い」と言っているのを聞きました。
日本の保育の場では、保育園主催のバザーなどで
「集まりすぎるから古着は持ち込み不可」
など決められる場合もあるそうです。
それを子どもたちに回してあげられないか。
みんなに長袖を買ってあげることは
わたしたちには出来ないけれど、
アナウンスをして集めることなら可能ではないか。
就寝時間がきて、部屋に戻ると、
わたしたちの会議が始まります。
「いま、わたしたちに出来ることはなにか?」
保育学、教育学、社会学、
そして心理学といった異なる分野で
「子ども」を学ぶ4人で訪問できたからこそ、
とらえることが出来た部分も大きかったと思います。
えるだけではなく、行動にする。
これからのわたしたちの課題です。
また今回、3人中2人が「はじめまして」
からのMCL滞在だったため、
このような話を真剣に交わせる
大事な友だちが日本に増えたことも
MCL
で得た宝物となりました。
子どもたちと離れるのが、苦しくって、寂しくって、
本当は1番言いたかった「ありがとう」が
あまり伝えられなかったことが心残りでした。
今では次回訪れるときの宿題、
と都合のいい解釈をしていますが。
最後に、今までNGOの活動やボランティア、
国際情勢に足を踏み入れたこともなかったわたしが、
今回MCLを訪問したいという衝動にかられたのは、
友さんが見せてくださった子どもたちのスライドと、
こんな言葉がきっかけでした。
「子どもたちを助けようと思う前に、
まず子どもたちと友だちになってください。
友だちになれば、
相手が必要としているものはわかってきます。」
「(日本の心の貧しさに触れて)ぼくはMCLの子どもたちに、
『君たちが日本人をたすけてやってくれ』
って言ってるんですよ。」
本当にその通りになってしまいました。
日本に帰り、MCLを訪れた話をすると、
「ボランティアで?」と聞かれることが何度かありました。
そのたびに、
「こっちがボランティアされて
のこのこ帰ってきちゃいました。」
と苦笑している毎日です。
子どもたち、友さん、スタッフの方々、
本当に本当にありがとうございました。

長谷山文香



MCLでの記憶  お茶の水女子大学 佐藤 知美


MCLでの10日間は
本当に毎日が楽しくてキラキラとしたものだった。
全力で子ども達との触れ合いを楽しみ、
見たり聞いたりした現実を深く考えた。

子ども達はどこまでも明るく
懐っこく又可愛かった。
こんなに日本で自分を解放できた事があるだろうか。
子ども達と共に心行くままに
歌い踊り遊び大声で笑った。
MCLで過ごす間は、なるべく子ども達と
同じように過ごすよう心掛けた。
ご飯は手で食べ、
朝は早く起きココナッツの実で掃除をした。
中でも印象的だったのが、
井戸で洗濯をしている際に子ども達が寄ってきて
手伝ってくれた時の事だ。
初めは服を洗濯していたが、
しまいには私も丸ごと洗われてしまった。
太陽の下、服ごとの水浴びはなんとも気持ちが良かった。
5日目には電気のない村キアタウに一泊した。
夜6時には辺り一面真っ暗になり、
ただ蛍の光が木に宿り、満天の星空となる。
朝は太陽の光と木や葉、
家々が織り成す影はなんとも美しかった。
6日目の晩には、次の日の朝ご飯の手伝いを頼まれた。
いつももてなそうとしてくれる子ども達が
手伝ってと言ってきてくれた事が、
仲間として気を許し
認めてくれたような気がして本当に嬉しかった。
前日は夜遅く朝4時起きはきつかったが、
何がなんでも起きようと思った。
9日目は総会の後、送別会を開いてくれた。
子ども達に負けない満面の笑みでと思い、
歌い踊っていたが途中から堪えきれなくなった。
I miss you.’‘Come back again.
と泣き出す子ども達。
また必ず
MCLへと誓った。
この10日間、子ども達の純粋さに心癒され、
子ども達の屈託のない笑顔に幸せをもらった。
しかし、貧困や戦闘により暮らしが厳しい人々や
家庭環境で心に傷を負った子ども達、
家族の為学校へ行けない子ども達がいるというのも
また私達が見てきた現実である
フィリピンでは、保育園を出ないと
小学校に入れない規定が制定され
今後厳しくなっていく、という話も聞いた。
この年齢の子ども達に保育が重要だという以上に、
小学校への架け橋として保育園が必要となる。

今になって講演で松居さんが
おっしゃっていた言葉が蘇る…

「まずは友達になって、
それから出来ることを考えよう。」

10日間を通して、子ども達には多くのものをもらった。
これから大好きな友達に私達は何ができるだろうか。
最後になりますが、お忙しい中私達を迎い入れ、
多くを教え様々な経験をさせて頂いた松居さんを始め
スタッフの方々に感謝と敬意を表します。



北野財団が寄贈
マノボの山の村バンシランに
保育所が完成
開所式をした

3月7日(月)

可愛い子どもたちの
ためとは言え
モオー、人間どもは、
よくまあ
あんな山奥の村にモオー
保育所などを
たてるもんだモオー

保育所は、村人の尽力で見事完成していた


今年から、フィリピン政府は、以前よりさらに厳しく
保育所卒業を小学校入学の条件とした
その結果、こうした僻地の先住民は
さらに厳しい教育の機会喪失に見舞われていく
ここでも、貧困と格差が助長されていくのだろうか

開所式の読み語りと、セレモニー

そして、村人たちと共にお祝いの食事が振る舞われた

開所式が終わり帰路をたどる
この日で村との関係が
終わるのではない
この日から、
この村の人々との関係が始まる
保育所建設は、
このへんぴなマノボ族の村との
関係の始まりなのだ。



2月のスカラシップ総会は
訪問者の
歓迎送別会となった

2月27日(日)


アルメックの役員の方々にインタビュー
こちらでの経験と印象を
語っていただいた
北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/
アルメックhttp://www.armec.jp/の役員の方々、そして
お茶の水女子大と一橋大学の女子学生が訪問されていたので
その方々の紹介からスカラシップ学生総会が始まった。
訪問者の皆さんからの報告、現地での体験談は、
多くの若者たちを勇気づけ示唆をあたえた。
ミンダナオの子どもたち、若者たちは、
自分たちを遅れた途上国の貧しい人間として卑下している事が多い
また、日本の若者や人々は、
自分たちが先進国のより高度な文明社会を維持していると言う、
誇りに心を奪われて、閉塞状況に生きていることも多々ある。
共に交流することによって、お互いが保っているもの、
失ったものに気づき、真の尊敬と友情の輪が広がる
イスラム・マギンダナオ族の踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が
披露された
訪問が、スカラシップ学生総会に当たり
みんなで歓迎と送別の気持ちをこめて
それぞれの宗教や部族に伝わる伝統を披露。
クリンタンの演奏に乗って、
イスラム・マギンダナオの踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された
マノボ族の衣装に身を包み
マノボ語で、マノボの歌を歌う
学校では、マノボ語を話す
ことは禁じられていたりする。
また、ビサヤ語と
タガログ語が
一般に使われている地域で
マノボ語は、恥ずかしい言葉

しかし、MCLでは、
読み語りなども
積極的に現地語を
使うことを奨励し
母語の大切さを
日頃から語っているので
臆することを知らない。
笑顔で、のびのびと
自分たちの文化を
表現している



こちらは、ビサヤ語の歌。
明るく、のんきで、愉快なのが
ビサヤの人々の特徴とされている

男子学生たちの愉快な踊りに触発されて
訪問者たちも踊った
どう見てもこの格好は、マノボ族のモンキーダンスの系列だが?

こちらは
伝統文化ではないが
現代的にアレンジされた
愉快なロックに触発されて
思わず訪問者たちも
踊り出した
大喝采と笑いが
周囲を包む

北野生涯教育振興会の卒業生に
島村氏から、直接賞状が渡される
北野財団(北野生涯教育振興会)は、
トヨタや日産、ホンダの車のヘッドランプ等を作っている
スタンレー電気の財団
工場のある、中国、ベトナム、インドなどで
就職希望の優等生にスカラシップ協力をしてきたが
ミンダナオ子ども図書館のようなタイプの
貧困の中でも極貧の子を支援するファンデーションに
協力するのは初めてだという。
毎年3名の大学生、2カ所の保育所を支援、
寄贈して下さっている
島村氏は、今回で二度目の訪問
今年の大学卒業生全員に
MCLから賞状
そして、卒業生たちの
後輩へのスピーチ
こちらは、MCLの
今年の大学卒業生たち
毎年、卒業生が増えていく
左のイスラムの二人の男性は
MCLのあるマノゴル村で
高校の先生
見習いをしている。
小学校の頃から
すでに7年以上
関わっている子たちもいて
私も感慨深い

毎年、卒業生たちには
自分たちの経験を
後輩に発表してもらっている
苦労話に
聞いている方も涙ぐみことも

感動的だった最後のお別れ会

またお会いしましょう・・・MCLファミリー



スタンレー電気
北野財団が寄贈して下さった

保育所がプノルに完成
開所式に島村氏訪問

村長さんのサインをもらい
テープカットを行う

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/

今回の白眉は、北野財団
島村さん主演の
おおきなカブだった

島村さんが、おおきなカブになられた

こちらでは、おおきなカサバイモだが
猿もその大きさにビックリ
こちらは犬だ こっちはネズミ 村人たちの
ひさびさの大笑い?
ここは、絶えず
戦闘に見舞われ
避難民化が絶えない
イスラム地域ピキットの奥だ
そんな村に、
朗らかな笑い声が
みなぎった
このような
お付き合いを通して
村人たちの心が開かれ
MCLを愛し、信頼し
平和への想いが
強まっていく

絵本は真の平和を作る!



アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加

2月26日(土)
アルメックhttp://www.armec.jp/
こちらは、アルメックが寄贈して下さった、保育所。
アルメックhttp://www.armec.jp/
到達するには、さらに奥に行かなくてはならない。
船着き場から、乗合船に乗る。
対岸はイスラム自治区で、
絶えず戦闘に見舞われている地域だ。
市にも話を事前に通して、
DSWDのグレイスさん方も同行するが
軍や私兵も警護をしている姿が物々しい。
私たちだけで行くときは、ここまで警護は無いが・・・

開所式の前に読み語りをした

この地域は、イスラム地域で、
マギンダナオ族
マギンダナオ語が
話されている。
小さい子たちは、
マギンダナオ語しか
知らない子も多い

しかし、保育所では、タガログ語が使われるので
スタッフが何語でお話ししようか、と聞くと
タガログ語!と言う言葉が返ってきた。
そこで私が、言った
「タガログ語は学校で習うけど、
マギンダナオ語は誰が教えてくれた?」
「お母さん、お父さん・・・!!!」
「そうだね、お祖父さんもその前のひいお祖父さんも・・・
だから、マギンダナオ語の方が、とっても大事なんだ。
MCLでは、読み語りの時に
その地の母語を優先する・・・」
この瞬間から、とりわけ周りの
お父さんお母さんの表情が変わった!

そして開所式が始まった
アルメックhttp://www.armec.jp/

アルメックhttp://www.armec.jp/

古着の支援もした
思いがけない、古着の支援に大喜び
この地域の子たちは、
ピキットの町に出るだけでも遠い
戦闘でも、繰り返し避難民化している
対岸は、イスラム自治区のダトゥピアンだ。
今日は、なけなしのおしゃれをしてきているが
衣服がほとんど無いのは目に見えている
それだけに、大喜びだった。



祝日、ウオーターフォールに
遊びに行った

2月25日(金)

ウオーターフォール村の状況は良くない
男性も小学生の高学年の子たちも
時には家族総出で
サトウキビ刈りに駆り出され
村には小さな子どもと女しか残っていない

皮膚病の子と風邪の子を医師の元へ

滝で遊んだ


訪問者の方々も
ファミリーの一員

つかの間の休日
みんなで滝に泳ぎに行った
リスター君のお兄さんも参加
すっかりMCLが
気に入った様子だ
村の子どもたちも一緒に
お昼を食べて
遊んだ


この村出身の奨学生も多い

村では、3食たべられない家族も多い
肉や魚どころか
米のご飯も食べられない
それがわかっているので
村の子たちも皆呼んで一緒に食べ
一緒に遊んだ




北野財団の寄贈
カンポゴンの保育所を目指して

2月24日(木)

北野財団の寄贈して下さった
カンポゴンの保育所は馬で行く

馬でも歩けない場所は
ジャングルを徒歩で登っていく


この村の小学生、高校生は
この道を毎日通っているのだ

カンポゴンの村に着いた

ようやく、山上の尾根にある
カンポゴンの村に着いた

建設中の保育所を目指して
最後の登り

資材を運び上げる困難から
開所式には間に
合わなかったが

一生忘れならない
想い出になった

みんなで昼食

ようやくラナコランの下宿小屋まで帰ってきた
あの山奥の子たちが
安全に通えるように
この下宿小屋を使っている



高地マノボ族の村
キアタウに泊まった
2月23日(水)

キアタウの子どもたちと

翌日は、馬に乗り
保育所の開所式に出発



マキララを訪ねる
2月21日(月)
マキララの奥の小学校、
2年前に初等小学校から6年生の小学校に・・・
この村は、5年ほど前までは、NPAの拠点でもあり
戦闘が絶えなかった。
山麓に広がる、広大なドールのバナナ農園を抜けて、
山岳民族の集落を越えて
移民系のこの集落に達する道程は、
グローバル経済の抱えている矛盾を目の前で理解できる。
ドールのバナナを覆っている新聞紙は、日本の新聞
日本向けのバナナプランテーションが、人々を追いやり
それに反対してNPAが立ち上がり戦闘が起こった。
私が、来た2000年頃は危険地域では入れなかったが
今は、この地から多くの奨学生を取っているし
MCLの農場もある。
上記のイスラム地域と同じ問題が、ここにもある。

この村で、
今高校を建てようとしている。
はるか山麓にしか
高校はないから・・・
MCLジャパンで、
土地を寄贈、
今年の6月から
一年生のクラスが始まる。
右の掘っ立て小屋は
何かというと
村人たちが、
一生懸命出資して
小学校の子たちも、
トウモロコシを栽培して
やっと建て始めた、
高校の教室。
この掘っ立て小屋で
6月から授業が始まる。

こちらは、小学校。
かつては、
屋根だけの下で勉強していた
初等小学校だったが
2年ほど前に教育省が
教室を作った

小学校の側にある、MCLファーム
MCLの農場を守って
下さっている
ピサンさん一家
子どもたちは、奨学生。
この地に、今、MCLは
下宿小屋を
建てようとしている。
高校生たちが下宿して
通えると同時に
近隣の山岳地帯から
小学生たちが下宿をしながら
学校に通えるように・・・

この村には、JICAの支援で
給食事業が行われていたが
それが止まってから
学校に通えない子たちが
また増えてきたという。


皆で食事をした

ここに、高校生の
下宿小屋を作り
農業をしながら
勉強が出来るように
する予定だ。




リスター君の家を訪ねる
村の生まれでありながら、土地所有者に父親を殺されたリスター君一家。
まず、お兄ちゃんを迎えに行き、一週間、MCLで生活してもらうことになった。


お昼のおかずの
芋を掘ってきた
お母さんもやってき
この日、
リスター君のお兄ちゃんが
家族に一足先だって
MCLに来た。
3月に、
姉妹が学年を終えると
リスター君やお母さんも含め
みんなでMCLに引っ越す。
父親が殺された家族たち
それでも、
MCLに来られることで
ずいぶん顔つきが
明るくなった。

犯罪心理学を学んでいる
学生もいる
何を感じているのだろうか



お茶の水大学の3人と一橋大学の女子学生が
山上のマノボ集落を訪問

2月20日(日)
お茶の水大学の心理学を学んでいる3名と、
一橋大学で経済を学んでいる一人、
日本の若者たち4人の女性が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
きっかけは、私が、お茶の水大学で講演したこと。
学校と本で学んだことが、
初めて現地で子どもたちに出会い、
人々との交流で息を吹き返していく。
学校で見た若者たちが、時がたつたびに、
ここで息を吹き返したように
のびのびとしていく姿を見るのは、楽しい。
もともとキダパワンの市に近い、
山麓に住んでいたマノボ族が
プランテーションや移民の土地所有に追われて
こんなにも高い尾根上に集落を作って、
住み着くことになった。
MCLに土地を譲って下さった名門のマノボ族
亡きスーザン・インカルさん
お父さんは、初代のキダパワン市長だったが、
土地を譲り、売り渡していった。
その親戚たちも、今は、低地の土地から追われ、
この村のさらに奥の集落に移っている。


自分たちの所有地は
ほとんど無く、
ホウキ草で箒を作っては
町に売りに行くのが、
唯一の収入源だ。

大事なのは
しっかりと見て受け止め
感じ取り、理解し
そして、何が出来るか考えること
この地から高校生の
奨学生を
一人選んだ。
成績も良いし
この村との
コンタクトパーソンとして
役割を果たしてくれるだろう。
家は非常に貧しいが
自ら野菜を売りながら
高校まで進学。
スカラシップが
決まったとたんに
泣き出した。






村を回って子どもたちを集める

村に着くと、読み語りの場所を決め
その後、村を回って子どもたちを集める
そのとき、村の人々と話をし、
その地の生の声を聞き
現状を把握していく。

いよいよ読み語りが始まった

たとえ言葉が通じなくても、
子どもたちの表情から
多くの事を
学ぶことが出来る

日本の若者たちが
ここから何を学んでいくのだろうか

その夜は、みんなに読み語りを




実に、いろいろと
考えさせられた日々だった


松居友 様
 私にとって二度目のMCL訪問、
滞在中は何かとお世話になりありがとうございました。
予定を変更し、ビザ日程をギリギリまで使う
十九日間の滞在となっりましたが
そこから見えてきたものはいろいろあります。
私自身支援者の一人ですが、
現地MCLの活動や子どもたちの生活の様子は
まだ良く分かっていなかった事を感じました。
本当のMCLを理解していただくためにも
今回の滞在中、自分の目で見たもの体験した感想を
多くの方々に、少しでも紹介してみたいと思いました。
日本の支援者の方々にも現地の活動や,
子どもたちの生活の様子を知って頂くための
一助になれば幸いです。

 <1月13日> 
MCLの活動は、毎朝のスタッフミーティングから始まる、
スケジュールに従って行動開始である。
3名のスタッフと供にカティンド村に 向かう、
目的はスカラーに手紙を書いて貰うこと、
支援をして下さる方々への
サンキュウレターやソーリーレターである。
その日の行動の効率を考え、学用品等も同時に届ける。
スタッフたちの仕事の大変さは移動距離の大きさである。
四駆でやっと登れるような荒れた山道を,
二時間~三時間喘ぐように登って行 く。
数枚の絵手紙を書いて貰うためにも、
時間と労力を惜しまない
スタッフたちに頭が下がる思いがした。

 <1月15日> 
今日はウオーターホールへストリーテーリングだ。
ウオーターホールはアポ山への登山口でもあり、
美しい滝が有るので有名な村でもある が、
急な坂道を上って行く事には変わりはない、
村の人々の生活は非常に貧しい。
四十人ぐらいの子どもたちを二回に分けての移動である。
朝早く第一陣が出発、
スタッフは第二陣を迎えるために又山を下る。
第二陣が到着した時にはもう正午を過ぎていた。
先発隊が昼の食事をつくって待っていた。
流れ落ちる滝を前に、みんなで食べる昼飯の味は格別だ。
ミンダナオはスコールの多さでも有名であるが、
この日のスコールは別格ものだった。
四駆が動けない、止むのを待って帰路につくが、
大スコールの後の荒れた山道は滑りやすい。
四駆の運転は、スタッフにとって緊張の連続である。
子どもたち全員を無事に運び終えた時は
もう夜の帳が辺りを支配していた。

 <1月18日> 
マキララのカタパガン村の保育所開所式に参加した。
松居さんは急用が出来ダバオへ行く事になった。
プレシデントのアスレーが中心になって
セレモニーを進めて行く、
保育所の使用目的や取り決め事項等を
読み上げ確認をとる。
村の主だった人達との調印を済ませ
握手を交わし開所式は終了した。
その後スタッフ全員で、集まった子どもたちに、
歌やパフォフオーマンスを交えながらの、
絵本の読み聞かせが始まった。
村の人達も交えて昼食をすませ、喜びのうちに無事終了。
スタッフ達の仕事は多種多様だ
多くの仕事をこなして行く。

 <1月20日> 
先日ひょんな事で知り合う事になった
レリンダ・ランダウィさんに会うために、
マグペットのイナムアランという村に向けて車を走らせた。
彼女は以前日本に住んでいた事が有り日本語が話せる。
松居さんとスタッフのマリペールの三人で
道を尋ねながら四駆で登って行った。
レリンダさんに会う事が出来いろんな話を聴く事ができた。
彼女は、この村のもっと上の山奥に
とても貧しい集落が有る事を話してくれた。
松居さんの表情が変わった。
是非そこに案内してくれませんか、
四人でその集落をめざした。
途中四駆も登れない山道にさしかかった、
徒歩で登るしかない。
松居さんもまだ足を踏み入れた事の無い村だ、
上り詰めた所に数戸の集落があった、
一見してこの集落の人たちの極貧の生活が窺える、
中でもとりわけ目立つ 家があった
九歳を頭に八人の子どもと両親が、
二畳程の家の中で生活している、
一日一食がやっとだという。
松居さんが呟いた、
これを見るともう黙っては居れない、何とかしなければ、
スタッフのマリペールの聴き取り調査が始まった。
MCLの活動の原点が見えた、これだ、
同時に日本の支援者の皆様の
温かい心を感じ胸が熱くなった。
 いよいよMCLを離れる時がきた、
あっという間に時が過ぎた気がする。
夕食後、子どもたちがサヨナラパーティをしてくれた。
別れの言葉やグループで歌を歌ってくれた、
しかしいつもと違う、声が出ていないのだ。
子どもたちの胸の内が窺え目頭が熱くなった。
ロロヨシ(ヨシおじいちゃん)明日帰るんだね・・
そうだよ明日日本に帰るよ・・
堰を切ったように子どもたちが抱きついてきた、
もう溢れる涙を抑えることができなかった。
 MCLの子どもたちは実に良く働く、
当番の子どもたちだろうか、朝四時には炊事を始める。
他の子どもたちも五時には起きる、学校に行く前に庭の掃除、
一階の床をヤシの実で磨く、
二階のフロアーのモップがけなど苦もなくやってのける。
学校から帰ってくると、洗濯や掃除に
勉強と楽しそうにやっているのだ。
日本ではなかなか見られない光景である。
子どもたちは底抜けに明るく笑顔を絶やさない。
 ロロヨシ、サヨウナラ、次は何時来るの、
子どもたちの目に妖精の涙がキラリと輝いた。
ありがとう。
                                        
  =頭島義成=     
     




二週間滞在された
頭島さん(ロロヨシ)のお別れ会

1月20日夜
山元しんぷさんと一緒に来られた頭島さん、
子どもたちから
ロロヨシと呼ばれて親しまれた。
ロロとは、おじいちゃんの事だ。
日本事務局の構成員のお一人でもある
忙しい神父さん方が、
三日で帰られた後、意を決して、一人残られた。
言葉がさほど出来るわけでもなく、
海外で一人になったのは初めて。
最初は不安そうだったのだが、数日もたつと、
すっかり溶け込んでしまった。
私は、いつも、「せめて二週間はいないと、
本当のMCLはわかりませんよ」と言ってきた。
二週間というのは、日本では大変な長い日にちなのだが、
頭島さんが言うようにあっというま、
つまり、時の流れが違うのだ。
時の流れの違いに気がつきこちらの時に身を移したとき、
初めて、本当のミンダナオが見えてくる。
お別れ会。これで、二度目。
今回は無くても良いから・・・と言っていたのだが。
子どもたちがしたがった。
そして、唱っているときの声が全く違うのに、
おそらく気がつかれたことだろう。
短期間の滞在では、とても日本人には、
現地の様子、MCLの活動がいかに大変か、
子どもたちの本当の姿も、わからないですね。
日本にいる人には、想像もつかないでしょうね。
一枚のお礼の葉書や手紙を
子どもたちに書いてもらうだけでも
スタッフたちがどんなに努力しているか・・・
帰ったら、私から話しましょう。」





マノボ族の村に
保育所建設の調査

1月20日
頭島さんのたっての願いで訪れた、マノボの村。
保育所調査で訪れた。
このような調査の時にこそ、
現地の現状が飛び込んでくる。
会う人々に、執拗に質問をしながら、
最も貧しく、最も大変な集落に案内してもらいつつ
調査が進められていく。
そのあまりにも貧しい状況に、唖然とされた頭島さん。
「ミンダナオ子ども図書館の活動の
原点を見た気がした・・・」

貧しい集落の中でも
比較的ましな首領の家
この集落で唯一
6年生を卒業する子がいた
この子を、
コンタクトパーソンとして
スカラシップに採用しようか?

ぼろぼろで、貧しく、
家の様子すらなしていない、
極貧の家庭も多い。
先ほどの首領が、
面倒を見ているが、
首領自体も、しばしば三食
たべられない日があるという。
そんな家を、
二軒紹介してもらい訪ねた。
小学校2年生で
止まった子がいる。
お弁当を持って
行けないからだ。
今年は、
日本の経済事情も厳しく
なかなか支援者が
見つからない
それでも、私の弱みで
いったん見てしまうと
どうにもならない。
せめてこの集落から
一人の高校生と二人の
小学生のスカラシップ候補を
とりたいと想った。
実現するだろうか・・・


ここに保育所を建てることになった
ここは、上記の集落から下に数キロ下った集落
子どもたちはたくさんいるのだが、
保育所が右のような代物で
しかも、地主が撤去を依頼しているとわかった。

上は、保育所の先生。
調査をしているのは、スタッフのマリベール。
私たちは、ここに保育所を建設することにした。
そうすれば、この周辺の多くの集落が助かる。



ソロプチミスト・
原田政子さま寄贈の
保育所が完成!

1月18日
ソロプチミスト、原田さまの依頼の保育所が、
マキララ地域に完成した。
マノボ族とクリスチャンの混在地域だが、
非常に山奥で、NPAの有名な活動地域。
(貧しい地域は、ほとんどそうで、
NPAを選んで支援している訳ではないのだが・・・)
とにかく、子どもが多い。
平日なので、開所式の読み語りは、スタッフたちがした。
彼等も以前は、奨学生たちだったからお手の物だ


登山家の章さん・再訪
1月10日~1月16日

ピキット・ブアランの支援している
奨学生を訪問

1月16日

奨学生の家、今は避難してここには住んでいない。
章さんは、四度目のアポ山とざん。
よほどミンダナオが気に入ったと見えて、
度々訪れている。
以前は、セブに泳ぎに行っていたけど、
ミンダナオの方がおもしろい。
支援している、イスラム教徒の奨学生を訪れた。
ブアランの度重なる戦闘で、就学が遅れている彼女。
「来年から、高校一年生になるけど、MCLに住みたい」
しっかりしたよい子なので、受け入れる予定だ。


ピキットの市場で、母親に会う

ピキットの市場は、
フィリピンの他の
どの市場とも
雰囲気が違うと感激
お母さんも、
娘がMCLに住むのに
大賛成。
戦闘が無ければ良いのだが

今回は、
ウオーターフォール村から
アポ山に登頂


四回目の登山 1月12日~15日

初回は、ダバオ側から。
前回は、キダパワンのメインルート。
今回は、初めて、原生雨林が残る、
ウオーターフォール村からの登頂

雨の多い時期だった。3名のMCLスタッフに、ガイドとポーターがついた。
ポーターは、MCLの奨学生、アロナさんのお父さん、ガイドは叔父さん。



熱帯雨林のバージンフォーレストを抜けて

これはもう、写真で見ていただくしかない、
原生雨林のすごさ、すばらしさ

森の途中でキャンプ
石油ストーブもあるけれど
あっという間に、
料理の準備を薪で

フィリピンで農業をしている青年を訪問
1月16日
MCLのために、米を寄贈して下さった。
しかりと大地に根ざしての活動。これからも協力しながら頑張りましょう。




イスラム自治区 
ナムリ村に保育所完成

1月6日

山元神父さん、現地訪問

イスラム地域の中でも、
とりわけ孤立しているARMM(イスラム自治区)
ピキットには、国際的支援が集まっても、
こちらにはなかなか集まらない
MCLでは、重点地域として指定している。
この地域は、湿原地帯にあり、
道路が無く、
無数に張り巡らされた湿原の支流が道

KAZARIさんは、
この地域の奨学生を支援して下さっているかた

まずは、開所式

読み語りが始まった
ここでも、読み語りに、スタッフたちが活躍した。
船首に立ち
ワニをチェックしている少年
確かにワニはいる

アルバちゃんを訪ねる
かつてやせ細り、
餓死寸前で難民キャンプで見つかったアルバちゃん
行橋カトリック教会のミルク支援で、
すっかり丈夫に
目は見えないけど、
座ることも出来るようになりました。
奇跡的に。
これからも、支援を続けます。




母さんの亡いマロットに、ロラが見つかった!



ダバオから来られた
大本さん一行
姉さんの田中衣子さんが
去年足と腕を骨折して
山から運ばれてきたマロットの
支援者になってくださった
母さんの亡いマロット
まるで母親のように甘えて慕う
今も、写真を見るたびに
懐かしくなって涙ぐむマロット

マロットへ
                          たなか きぬこ

ミンダナオ子供図書館に行ったときに、
マロットに会えて本当によかったです。
私には日本に3人の孫がいますが、
マロットは4人目の孫のような気がします。
みんなといっぱい遊んで、
勉強もしっかりね!
5月には日本に帰るので、
マロットのことを皆に話します。
またいつか会える日を楽しみにしています。
 
   ミンダナオ子ども図書館に滞在した思い出:田中 衣子

たった1泊2日の短い日程でしたが、
ミンダナオ子供図書館に行けたことは、
大きな感動の2日間でした。
美しく手入れされた庭や畑もそうですが、
何よりも感動したのは、そこにいる子供たちです。
小学生から大学生までおよそ
50人程の子供たちは、どの子も明るく、
人懐こく、親切で、もてなしの心と節度を
持っているのを何度も感じました。
今の日本の子供たちが失ってしまったものを、
ここの子供たちは皆持っているのです。
食事の時、私達訪問者には彼らより、
立派なお魚のから揚げがついていても、
欲しそうな顔をすることもなく、
果物を切り分けた時も、
一番に私達のところに持ってきて勧めてくれます。
少しだけ一緒に遊んだバスケットボールの時も、
ボールを何度も私に渡してくれました。
ここに来るまでには大きな困難な
状況の中にいた子供達ばかりなのに、
こんなに明るく、のびのびと生活出来るのはきっと
松居さんの教育がすばらしいのだと思いました。
次の日に連れて行ってもらった、
貧困地域での読み聞かせや、
子供図書館での活動は
ほとんど学生が自主的に行い、
松居さんご自身は助言する程度とのことです。
キリスト教徒とイスラム教徒の人がともに過ごすことで、
大人になっても反発しあわないで
共存できる社会を作ってほしいという
松居さんの思いはしっかりと彼らに届いています。
一緒に写っているのは、私の里子となった
ローズマリー、愛称マロットです。
日本に3人の孫がいますので、
4人目の孫ということになります


ロラ(おばあちゃん)に甘えるマロット
妹さんの
大本和子さんの方は
両親の亡くなった
イスラム教徒の少年と
父親を亡くした少女を
支援してくださる
事になった
和子さんは、
現在ダバオの日系人会
が経営する
ダバオ国際大学の
日本語教師を
ボランティアで
勤めていらっしゃる。





大本さん方は、読み聞かせにも参加された。
ミンダナオ子ども図書館のストーリィテーリングは、
絵本の読み聞かせから
次第に読み語りにシフトしている。
ミンダナオでは、オリジナル言語の絵本が無く
現地語を生かすためには
語りを取り入れる必要があるからだ。
それにしても、皆、語りが驚くほどうまい
子どもの頃から、お話を聞いて育ち
昔話も生きている世界だからだ。






機関誌『ミンダナオの風』発送と子どもたちからの手紙
毎年、年四回
機関誌『ミンダナオの風』を
発行している。
それにあわせて、
スカラシップ支援者の方々に
子どもたちからの
手紙を同封する。
手紙を持ってきた子供たち
プロック8村にて
子どもたちは、一生懸命手紙を書くが、
小学生の場合は文字や英語が書けない子もいて
書ける子に手伝ってもらったり、
タガログ語の子は私たちが英語の翻訳をつける。
中には、私宛に、熱烈なラブレター?をくれる子もいる。
どうやら、足長おじさんのように思ってくれているらしい。
胴の方が長いのだが・・・・・
「We love you !
お願いがあります。
外国にいったら、私を受け入れてくれる、
もう一人のお父さんを
見つけてきてくださいね。」
と書かれている。
ミンダナオの子どもたちは、
自分の想いを素直に一生懸命表現しようとする。
スカラシップを受けている
子たちの
現状を調査するのもこのときだ。
貧しいマノボの村では
親のいなくなった子は
大変だ
今回の調査で、小学生のスカラシップ
(里親奨学制度)の子たちだが、
母親が亡くなり、父親は別の女性と
いっしょになったまま行方しれず。
完全に見放された状態でいることがわかった。
右の男の子(小学生)が、左の妹と従妹、
右の継母の祖母の面倒を見ていた。
他所の田んぼや畑の草刈りや日雇いをして、
日銭を稼いで妹たちを学校へ・・・・
彼の成績が落ちてきているのでわかったことだ。
三人は、上の祖母の家を始め、
親戚の家を転々として生きている。
身よりも無い状態なので
ミンダナオ子ども図書館に引き取ることに決めた。
自分の家に
里帰りした奨学生も
元気だった。
ミンダナオ子ども図書館に
戻るための
山からの交通費を
稼ぐために
アロナは、山で一日
薪拾いの日雇いをしていた




ミンダナオ子ども図書館便り:
京都暁星高校から訪問、保育所建設


ザンボアンガに保育所を建てているNGO、
ボランティア95のフェルケルさん他皆さまが、立ち寄れました。
マノボの集落プロック8で古着をわたしました。今後のお付き合いが楽しみです。
戦闘のひどかったイスラム地区ピキット
ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場地区フォートピキットで、
京都暁星高校  が保育所を建設。
仁科先生が、奥様と3歳の娘さんを連れて訪れ開所式に参加されました。
開所式の後に、奨学生たちが読み語りをし、古着を渡しました。
そのとき、ゴミ捨て場の向こうから、うれしそうに手を振る家族がいました。
近寄ってみると、なんと難民キャンプ時代に兎口を治した少女とその家族でした。
5年ぶりの再会で、少女はすっかり娘らしくなっているのに驚きました。
その後、仁科先生は、ご自身が支援しておられる山のマノボの高校生、
グレンさんの授賞式に参加しました。
山の高校の授賞式で、グレンさんは最優秀でした。
2008年度の支援学生候補が、ほぼ出そろいました。
皆さんのご支援をお願いします。




ボランティア95の訪問者の方々と!
ボランティア95は、
阪神神戸大震災の時に生まれたグループ。
今は、ミンダナオ出身のシスターと共に、
ザンボアンガで保育所を支援している。
今回は、現地へ向かう前に、
ミンダナオ子ども図書館の視察に訪れた。
2泊三日という短い滞在だったが、
マノボの村、プロック8を訪問、
いっしょに古着の支援をしたり、充実した日々だった。
同じNGOとして、私たちも、
いろいろと学ぶことが多かった。
今後のおつき合いが楽しみ。
ミンダナオ子ども図書館から
望む満月
電気を消すと、
たくさんの蛍が飛んでいる
若者たちの話だと、
夜はこのあたりに妖精が飛んでいるという。
特に、満月の夜は要注意!
妖精に声をかけられても、返事をしないこと。
あっちの世界に連れて行かれて、
帰れなくなることがある。
特に大きな木や岩のある場所は、
気をつけて通り抜けること。
「ああ、きれいな月夜だなあ」などと
賞賛する言葉は、絶対に言ってはならない!

妖精が振り向いて「こっちへおいで」と誘うから。

京都暁星高校がピキットに保育所
仁科先生が、学校を代表して開所式に参加
今回、保育所を建設した場所は、
ピキット市の町の丘の裏側にあたる、
フォートピキットと呼ばれる地区。
ピキットの町中心部は、
移民系クリスチャンも住んでいるが、
この地区はスコーターエリアと呼ばれ、
貧しいイスラム教徒が都市に吹きだまった地区。
マニラのトンドほど巨大ではないが、
市のゴミ捨て場地区で、
ゴミを拾いながら生活を立てている人々も多い。
子どもの数が多い割には、
教育環境が行き届いていないので、
保育所建設が待ち望まれていた。
保育所が完成して、大喜びの住人たち。
開所式の後、さっそく読み語りを、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちが行った。
初めて絵本を見る、子どもたち。
その後、古着の支援を開始。
男の子たちの腕の見せ所だ!
真ん中の写真は、
左はじイスラム教徒
次にビサヤ系クリスチャン
右の三人は、マノボ族。
三歳の悠河ちゃんを抱いた
仁科先生を、
イスラムの子どもたちが囲む
宗教や民族の違いを超えて
子どもたちはいつも可愛い!

これが、ピキットのトンドと呼ばれるゴミ捨て場だ
右奥に大きな丘のようなゴミの山がある
ゴミ捨て場の中から必死に手を振る
父親と母親と少女がいた
本当にうれしそうに手招きし
こっちへ来い、こっちへ来い、と言う。
いったい何だろうと不思議に思い
ゴミの中の道を通っていくと
何と・・・・・・・アニサちゃん!


5年前に
手術をしたときの写真
左は手術前
中は手術直後
右は翌日


父さんの顔も懐かしい
(白い服)
母さんも元気そう
上写真の右奥が
アニサちゃんの家
近づくと、どこかで一度会った顔だ!
しきりに、「あのときのヘアリップの子の・・・」と言う。
てっきり、ヘアリップの手術を頼みたいのか
と思うが、それにしては満面の笑顔!
父親の顔に記憶はあるが・・・・
娘も、どこかでみたような????
唇をみてハッと思い当たった!
手術の痕がかすかに見える。そうか・・・・
確か隣のパガルガン難民だった家族。
ヘアリップを直すために繰り返しダバオに通い、
寝食を共にした思い出が突然浮かび・・・・
あのときの!アニサちゃん?
大きくなって、しかもすっかり娘らしくなって!
こういう出会いは、お互いに本当にうれしい。
肩をたたき合って喜ぶ。
それにしても、このような場所に住んでいたとは。
口では言えない苦労もあったんだろうな。
京都暁星高校は、かつて支援している
奨学生を日本に招待してくださった。
寒い雪の宮津のクリスマスだった。
高校生同士の交流と、ホールでのクリスマス劇に、
マノボの奨学生も民族舞踏を踊った。
懐かしい思い出が胸をよぎる。
4年ぶりの懐かしい再会
新しく支援してくださる
奨学生との出会い!
その後、支援している奨学生の村へ
車で1時間以上、途中で車が動かなくなるアクシデントも

車が動かなくなって
援助の車がくるのを待つ
TBSのテレビを見て
立派な車を持っていると
勘違いしている
支援者の方々へ
あの番組は、
トヨタがスポンサーなので
意向でわざわざレンタルした
トヨタブランドの車です
豪快に川を渡る
シーンがあったりして(笑)
うちの車はあの撮影の後に
川を渡る途中
川の中でエンコしたのだ!
逆にそれを放映したら
いかにトヨタの車が
性能が良いか
宣伝になったのになあ
どなたかあのような
ハイラックスを
一台寄付してくださいませんか

車はエンコしたけど
何とか表彰式に間に合った
というより、フ
ィリピンタイムで救われた
何と午後に
延期されたのだった
左は、仁科先生が
個人的に支援している
マノボ族のグレンさんの
表彰式
ファーストオーナーに輝く!
右は、やはり
オーナーになった
メロージェンの授賞式!
こちらはキダパワンにて

一週間の滞在は、様々な思い出を、若者たちの心に残した
涙なみだのお別れ会。
いつも思うが、ミンダナオの若者たちは、心から純粋に愛す力を持っているようだ。
出会いによって、毎回涙の質が違うのは、出会いが毎回異なっているからだろう。
仁科先生の場合は、娘さんといっしょに、まるで訪問者というよりは、
家族の中に家族が入ったような感じ。
若者たちは、「家族」というものを強く感じたようで、
特に幼い頃から両親がいない子などは、食い入るように楽しそうな家族の様子を見ていた。
いつか自分たちも、あんな楽しそうな家族を作ってみたい・・・・
良いことだと思う。
悲しい別れも
元気な笑いの中で
再会の誓いに変わっていく
彼らは、自分の家族が増えた
そう思っている
今度きたときは
お帰りなさいと言って
迎えるだろう



戦闘の後遺症を抱えるイスラム地域のマカブアル村に
小学校が建設されることに決まり、
日本大使館主催の調印式に出席しました。
 今回の調印式は、日本政府が主催し、
J-Bird(日本―バンサモロ・イニシアチブズ・
フォー・リコンストラクション・アンド・デベロプメント)
の代表と
MILF代表とARMM(イスラム自治区)代表、
MIT(国際停戦監視団)の代表出席のもとで
行われた。
選ばれた7団体は、ほとんどが現地NGOであり、
ミンダナオ子ども図書館も
一現地NGOとして選ばれた。
今回は、主にARMM(イスラム自治区)における
小学校や文化施設、水道施設に対する支援。
調印式の様子は、
フィリピンのテレビ局によっても報道された。
日本のNGOであるHANSが後押しする
水道施設と共に、
ミンダナオ子ども図書館が支援している
マカブアル村の小学校建設が認可された。
マカブアル村は、ピキットのMILF地域の
中枢に属しており、
戦闘中も子どもたちも含め
難民キャンプ入りが許されず、
その後も、ワールドフードなどによる食料支援も
なされなかった地域。


日本大使とサインした書類を交換




現在も道が意図的に遮断されて
一般車が入れず、4WDで、
踏み跡をたどって入るしかなかった。
(戦闘を常に意識して、
道路をあえて反政府側が遮断し、
穴を掘ったりして通れなくした結果)
ミンダナオ子ども図書館では、
2年前からこの地から
スカラシップ奨学生を採用してきた。
続いて小学校の里親奨学制度の
重点地域に指定。
30名の子どもたちが学校に
通えるようにしてきた。
その後、読み語りや医療を展開し、
村長をはじめとする村の人々と
信頼関係を築いてきた。
 今回の学校建設は、
地元の人々の強い要望から、
実現したもの。
嘆願があった当初は、
ミンダナオ子ども図書館で
建設を考えたが
地元の要望に添う恒久的な
しっかりしたものを建設する必要を
考えると、個人支援に頼る
小さなNGOでは無理。
 中途半端な仕事はしたくないので、
日本政府の支援を仰ぐことに
決めて活動開始。
 その意味でも、今回の認可は、
現地の子どもたちを含む多くの
人々の期待に応えるものだ。

現地の子どもと親の希望から出発し、
さらに村長と学校の先生の期待を確認した後、
ピキットのDSWD(福祉局)を通して、
ピキット市の行政としての意志を確認。
ミンダナオ子ども図書館は、
実務を担当することにした。
現地の人々と現地行政、
そして日本政府とを結ぶ橋渡しの
陰のお手伝いに徹するために
ピキット市のエンジニアに依頼して
見積もりと計画書を作成。
さらにピキット市から提出する書類を
代理に作成して提出。
また、陰で、ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバーであり、
キダパワン市の銀行などの建築も
手がけている設計技師(エンジニア)の
ダニー氏のアドバイスや協力も大きい。






この地域は、
2000年の戦闘時期から、
意図的に車の通る道を破壊しており
(反政府勢力の地域の特徴)
今回も大使館から建設における
安全の確保について打診があった。
私たちは急遽、
マカブアル村の村長以下
役員と学校の先生方との
会合を現地で開き、
直後に予定していた
ピキット市長との会談に結びつけた
(左写真はピキット市長
との会談のようす)。
その結果、安全の保証が
市行政と村の両者から得られた。
村はMILFの勢力下にあり、
市行政側はMNLFに属しているので、
行政側の安全保障だけでは
不十分である。
その点で、両者の保証が得られた
ことは大きい成果だ。
しかし、マカブアルの村長(MILF)と
市長(MNLF)が従兄弟どうして
あったのには驚いた!
時々、互いに戦闘を起こしている
はずなのだが・・・
ピキットのある構造の一面を
かいま見た体験。

今後の予定としては、現地の視点に立ちつつ、
IMT(国際停戦監視団)とJICAなどと
連絡を密にとりながら、現地の学校建設を開始する。
現地には、スタッフが毎週おもむき、
状況を逐一報告していく予定。
完成すればピキットでおそらく最も新しく美しい、
5教室の小学校が建つ。
閉ざされていたMILF地域の中枢に、
こうした学校施設が建ち、
将来的には500人を超す子どもたちに喜ばれるのは、
大きな意味がある。

マニラでの調印式では、最後に英文の俳句で
ピキットの戦闘の悲劇が述べられたが・・・
2001年2002年と、現地の悲惨な
難民キャンプを見たときの私のショック。
それをきっかけに始めたミンダナオ子ども図書館。
さらにその後も難民キャンプを訪れて
子どもを救済したり、難民が村に帰っても、
心が破壊された子どもたちへの読み語りと
医療をしてきた記憶が、
ドッと胸によみがえり、不覚にも目頭が熱くなった。
現在は、この地から多くの大学、高校、
小学校の奨学生を採用している。
戦闘当時、父親を亡くし、心が千々となり、
表情の失われていた彼らが、
今は生き生きとした顔で大学や高校に通っているが、
今年の奨学生候補も多くが、
ピキットからで、応募してくる若者たちの
多数が、父親を戦闘で失っている。

ただ一つ気になるのは、ピキットで唯一、
反政府組織の奥の院と呼ばれ恐れられてきた
ブアラン村の学校が、2000年の砲弾の跡を
残したままであることだ。
今年度の奨学生候補はブアラン村を選び、
先年暮れ高橋毅氏の寄贈で、保育所も建設された。
願わくば、このブアラン村に、
小学校を建ててほしいのだが・・・・
父親は亡くなって、祖父母に育てられている子が多い。
ブアランの小学校に関しては、報告書に記載
下は、2000年と2002年の戦闘で
壁や床の崩れたブアランの小学校。


壁は、2000年、2002年の
戦闘で崩れたままだ

教室内部は、
破壊されたままの地べたが剥きだし
このようなところで、
毎日勉強している子どもたちの
複雑な内面を考えると・・・・
ブアランの小学校は、教室が足らず
4年生は、
このような小屋で、
勉強をしている。
今年から、
さらに5年、6年と
学年が増えていくが
いったいどこで勉強するのだろう





今回、奨学候補生の家庭調査で訪れたさいの、ブアラン村の写真
ブアラン村では、父親が亡く
お年寄りが子どもを
育ているケースが多い
これも戦闘の悲劇だ
村人たちは恐れて
帰ることが出来ず
最近になってようやく
戻ってきた

家並の奥に、
高橋毅氏寄贈の
保育所が見える
今回の奨学生候補の一人 ほとんどの家が
崩れかけたような
粗末な家だ
ブアラン村
森と湖沼に覆われたこの地は、
戦闘の被害が最も深く激しかった地域
あれから7年たった今も
私たちの小学校は、砲弾の傷を残したまま
政府もNGOも、恐れてここまで来なかった
村人たちも、ようやく数年前から
少しずつこの地に戻り始め
学校も、今年から5年、6年の学年が増設される
けれども、教室が足りなくて
あっても、床が破壊され
土が丸出しのそんな中
亡くなった父さんや母さんを
思い出しながら勉強するのは・・・・
・・・・・・・・・・・

ミンダナオ子ども図書館の今年の課題

今年度の予定として、ARMM(イスラム自治区)サイドのパガルガンの
学校等の調査を独自に始めます。
私たちは、ピキット以前には、医療などで、
イスラム自治区のパガルガンと関係を有してきました。
ARMMサイドは、ミンダナオ子ども図書館の出発点となった地です。
とりわけ戦闘直後に学校を焼かれたイノクオグ集落など・・・・
2003年、パガルガンのイノクオグを訪れた体験を、
訪問直後書いた奨学生ベビンさんの記事

(彼女は、現在スタッフで、ライブラリーを担当している。)
また今年は、ARMMサイドのイスラム地域の卒業生の一人が、スタッフに採用されます。
すでに同地からの奨学生候補も出そろっており、
より貧しく困難なイスラム自治区にウエイトを置いて活動を進めていきます。


マノボ族のダトゥインダ村に、保育所が完成。
寄贈者の丹原美穂さん、開所式に訪れる
 「いったい松居さん、
私をどこに連れて行くつもりなの?」
と言われてしまった。

ダトゥインダ村は、丘陵をいくつも超えて、
道がとぎれる場所から、バイク道を通って、
さらに丘をいくつも超えた場所にある小さなマノボ族の村だ。
もちろん、4WDでないと、この地までは来られない。
下の写真は、今回保育所を建てたダトゥインダ村の全景。
 「数件しか家が建っていないじゃないか」
と言われるかもしれないが、この周囲に
たくさんのマノボ族が住んでいるのだ。
保育所には、35名を超す子どもたちが集まる。

ここから、学校までは
5キロの道を行く
4歳から5歳の保育所つまり
プレスクールの子どもたちが、
雨の日も風の日も
毎日通える距離だろうか?・・・
それにもかかわらず、
先々年から
政府はプレスクールを
経由しなければ
小学校に入れないという
奇妙なシステムを作ったのだ。
今でこそ、この辺り一帯は、丸裸の丘陵地だが
戦前まで、ラワンの巨木が生い立ち、熱帯樹木が生い茂り、
猿や色とりどりの蝶や鳥が舞う熱帯雨林だった。
大木が、ことごとく伐採されたのは戦後で、
ほとんどは、経済成長を続ける日本に輸出された。
その結果、大地は保水力を失い、
雨はそのまま大量の水を川に運び流れ出す。
保水力を失った高地は乾燥し、下手の大地は洪水となる。
この地の下手こそ、私たちが通っている
ピキットなどのイスラム地域で、
絶えず洪水に見舞われている原因は、
上手の地にあった熱帯雨林の伐採の結果なのだ。
日本人がまずは踏み込むことのないこの地は、
日本とは、深い関わりを持った地だった。


先日奨学生の調査で訪れた
際のピキットの洪水

悲劇はこうして作られる
この地域の最大の悲劇は、巨木の伐採と共に、先住民族であるマノボ族が
土地を奪われ追い立てられていったことだ。
ミンダナオ子ども図書館で、娘の面倒を見てくださっているエディットさんは、
マノボ族だが、当時の体験から明確になってくるのは・・・
マルコス時代、政府は、ルソンやセブ、ネグロス、ボホールやイロイロと言った、
ミンダナオ島外からの移民政策をとった。
その方法は、まずは先住民族の住んでいる土地を、
所有者の無い土地と断定して、移民たちに売却する。
しかし、すでにマノボ族が先祖代々住み着いて、自給耕作をしていた土地である。
簡単に明け渡すわけにはいかないのは当然。
そうした強引な方法に対して、当然ながら、土地を守るための戦いが始まった。
これが、組織化されたのが、NPA(新人民軍)と呼ばれるゲリラだ。
NPAは、共産ゲリラとも呼ばれており、現在もフィリピンの山岳地域をはじめとして活動している。
ミンダナオでは、ほとんどの山岳地域が、何らかの形でNPAと関係している。
私たちの活動地域にも多くいるが、実態を追求したことは無い。
これら反政府活動に対して、政府側は戦闘を起こしていった。
政府側の言い分としては、ゲリラ活動に対する防衛措置である。
その結果、戦闘地となった場所にいられなくなり、マノボ族であるエディットさんたちは、
指定された難民キャンプに避難を余儀なくされた。
こうして、数ヶ月から半年以上、難民生活をして帰ってみると、
土地は移民系のクリスチャンの所有になっていたのだ。
その後、エディットさんの父親は理由無く殺害され、ご主人は、
NPAゲリラという容疑を着せられて殺害された。
現在のご主人は、移民系クリスチャンであり、娘さんの一人は、
ミンダナオ子ども図書館で経理を担当して今回結婚するルッチェルさん。
意図的に戦闘を作り、現地の人々を排除したり、経済的困窮に陥れて、
地域を思うように開発しようとするやり方は、ゲリラという呼称がテロリストに代わっただけで、
現代でも至る所で行われている。
ミンダナオだけではなく、世界の紛争地帯では、同様の手法が使われている。
そうした現地政府の背後には、世界の経済を牛耳っている先進諸国の影がある。
NGOもその片棒を担ぐ存在に過ぎないのだろうか。

  
丹原美穂さんは、この二つの地に保育所を建設した。
マノボ族の村では、子どもたちから大歓迎を受け、
ハーモニカを吹き、日本から持ってきた
チョコレートを配り・・・
とりわけ、シャボン玉は大成功!!!
至る所で子どもたちに夢を与えてくれた
単なる物より消える物の方が、心に想いを残す?
日本で必死になって練習してきた
ハーモニカを吹く丹原さん
「ふるさと」は、戦中日本軍の侵攻で亡くなった
ミンダナオの人々と日本兵の鎮魂のために
「歓喜の歌」は、平和のために・・・等々
一曲一曲に切実な想いを込めて
汗びっしょりになってハーモニカを吹く姿が、
人々の感動を呼んだ
「あの人は、単に貧しい子に物をばらまいて
自己満足したり低開発国と見くだして、
安易な発言したりする人じゃない」
地元の人々は、すぐにそれを感じ取った。

 

洪水に悩む下手のピキットの村、
ブロッドにも丹原美穂さんは保育所を寄贈した
反政府地域だった
イスラムの人々の前でも
鎮魂の歌を
ハーモニカで奏で
平和への祈りを音に託す
小さな子どもでさえも
しーんとなって耳を澄ます
丹原さんを
心から受け入れてくれた瞬間
イスラム教徒もキリスト教徒も
丹原さんのような、無宗教も
仏教徒も神道も
自然崇拝も
精霊崇拝も
皆同じ心を持った人間だ


ミンダナオ子ども図書館でのシャボン玉パーティー
丹原美穂さんの今回の滞在で大成功は、シャボン玉だった。
この滞在のために、シャボン玉メーカーは特別に、
一つ一個の特製ストローをつけてくれたのだという
ミンダナオ子ども図書館は、一瞬、シャボン玉に包まれて、別世界になった。




想い出の
ウオーターフォール


日々の記録
それはまるで、
怒濤のような日々だった
日本のTBSテレビのスタッフが
貧しいマノボの村に、
日本の若者たちが
保育所を建てると言う設定で
学生5名に、
タレント一人を
加えてやってきた
彼らが来る前週に
村には、電気が来たと言う場所で
テレビの取材がどのような
意味を持つかもわからない人々
最近になって、ようやくアポ山が、
世界で二番目に高い山、であることに気づいた人々。
去年、フィリピン人がエベレストを初登頂して、
彼らは目前に仰いでいたアポ山が
世界で一番高い山ではないことを知った。
「エベレストはどこにあるの?」
「アポ山のむこうの方・・・」
 
でも、子どもたちは、
物々しい機材と共に遠くから来た人々を
初めは用心深く、
しかし、すぐにうちとけて迎えてくれた
とりわけ、主人公の若者たちとは
うちとけるのも早かった
建設は夜遅くまで続いた
何しろ、通常2週間以上
かけてする仕事を
5日でやることになったのだ。
仕事に対する考え方が
現地と日本では、
天と地とも離れているのでとまどいも大きかった。
こちらの人々の仕事の方法は、
昔の日本のように「心意気」が大事であって
「時間」が「心意気」よりも優先されていく
現代の日本の考え方が理解できない
大工やスタッフの反発もあったが、
最後には、ディレクターの谷氏の
「心意気」に押されて成功した・・・・
過去、日本人の間に生まれ、
日本語も語れるおばあちゃんの存在
その姿から、若者たちが学んだことも多かった
軍事時代の負の歴史
決して日本人が、好意的に見られてはいないこと、
それをどのように友情で乗り越えていったらよいのか
今回の最大の驚きは
日本人の学生とスタッフが変化していく様子だった

知らず知らずのうちに
「先進国」と言う意識を持ち
現地の文化を
破壊してしまうこと
見知らぬ国の
異なった文化の人々の中に
どのように
とけ込んだらよいのか
ただ単に、お金にまかせて
保育所などの
建物を建ててあげたり
日本で発想した
押しつけの教育方法を
持ち込んでもだめなこと
いかに現地の人々の
文化や言葉
そして、心を理解して
それに寄り添うようにして、
物事を進めて
いかなければならないか
現地の人々の
食べているものを食べ
バナナと芋とコーヒーと野菜
といっても、日本の甘い
バナナではなく
ぼぞぼそしたバナナに
塩辛をつけるだけ
野菜と言っても、
山菜のわらび
そのような質素な
食べ物しかない日々
こうして最終日の夕方近く
待望の保育所が完成した
ミンダナオ子ども図書館の
規格より
一回り大きな保育所には
ガラス窓も入り
作業にかかる値段も
50万円ほどになったが
立派なものが出来た
ただし、屋根の
青いペンキだけは
雨が降って
塗り終わることが
出来なかった
内側には
若者たちが苦心して作った
アルファベットチャートが
かけてある
マノボ語が入った
アルファベットチャートは
初めての事だろう
これらも彼らが学んだ成果だ

陰に陽に、ミンダナオ
子ども図書館の若者たちも
お手伝いをした
彼らにとっても、
思い出深い日々だった
お別れ会の時には、
皆涙を流した
人に対して、
純粋に心を開くだけに
別れには深い悲しみを
覚える若者たち
早朝、学
生の一人の誕生日には
みんなでハラナをした
夜明け前に起き出して
みんなで誕生日の
歌をうたうのだ
涙を流したイッセイ君
別れの日には、
日本の若者たちも
泣き出した
とにかく、怒濤のような日々だった
スケジュールとタイムキーピングに
追われる日本の仕事。
それとはまるで正反対に流れる
ミンダナオの時間。
その強烈な軋轢の中で、
どうしても期日までに映像を仕上げなければならない・・・・
ギリギリの状況での活動だっただけに、若者たち、
日本人スタッフに訪れた心の転機は、
大きな意味をもって今後も生きてくるだろう



日本から4名の若者たちが訪れた
山田秀徳くんを中心として、YWCAの仲間たち
秀徳くんは、日本事務局をしてくださっている山田順子さんの長男
空手とアクアラングが得意な青年・・・と言っても31歳だが
ムスリムデーが近いので、イスラム教徒の若者たちとピキットの市場へ、
イスラム料理の食材を求めて・・・
ピキットの市場は、キダパワンと全く違った趣があり「これぞアジアの市場の原点」
スタッフのジェックジェックさんの山の実家で一泊したあたりから、顔が変わり始めた
図書館の若者たちともすっかりとけ込んで・・・
実は、秀徳くんの訪問には、大きな目的が一つあった。
現在、日本事務局の山田順子さんが、癌が進んでいることがわかり
コバルト治療を始められた、経過は良いようだが、治療が一段落したら
「もう、日本ではなく、ミンダナオ子ども図書館に住みたい!!!」
そこで、日本事務局の仕事を秀徳くんに・・・・
彼も高卒だが、お父さんも夜間の高卒でマニラに
200人の従業員を擁する工場を立ち上げた。
秀徳くんはお父さん以上に「ぼくとつ」で、
今時このような男が日本に居たとは、と思わせる人。
空手も指導してもらっただけに、
若者たち、特に男の子たちに大人気!
先日見た映画「恋するトマト」の主演の日本人男性を
思わせるせいか、女の子たちも、
「男は見かけや年齢ではなく、誠実な人が良いな。」
あの映画は、ミンダナオ子ども図書館の若者たちに、
大反響と涙を誘った映画です!
ハリーポッターよりよっぽどすごい!
人生観が変わった!と言う子が多かった。必見。
別れの日、皆驚いたのは、ロネカリオくんが、秀徳くんが帰るというので、朝から涙涙・・・
ロネカリオくんは、小柄だが粋がって、俺は男だ一人でも生きていくぞ・・・と言ったタイプ
父親が亡くなっている事もあると思うのだが、とにかく涙が止まらない
それを見て、別れ際に、我慢しきれなくなって秀徳くんが、
ワオーッと叫んだかと思うとドッと泣き出した
これには一同ビックリした
熱い男の友情を見せてもらったシーンだった



アジア学院の長嶋氏が
奥様と息子さんと訪問
有機農法を中心に長年
アジアから研修生を
受け入れて来たアジア学院
長嶋氏は再訪だが、
今回は奥様と息子さんと
来られた
左は、保育所の建った
イスラム地域
パイドプランギでグレイスさん
と語る長嶋一家
右は、あらためて支援者の
名が入った
ボードを設置しているところ
行橋カトリック教会の
方々のために
「MIEKO MIZOTA
Fr. YAMAMOTO &
FRIENDS」
と書かれている
長嶋氏の息子さんは、シリマン大学の医学部を卒業後、
ミンダナオの方と結婚し、現在はデュプログの病院で
インターンとして活動している。
滞在中に医療患者が来られるとさっそく対応。
医師として立派に対応されている姿が頼もしい。
フィリピン国籍が無いと医師として受け入れられないので、
現在フィリピン国籍を申請中。
病院が貧困層とかけ離れている矛盾も良く理解しており、
貧しい人々の中に入って活動したいと言う希望を持っている。
その観点から、ミンダナオ子ども図書館の活動にも評価を・・・・
将来ここを拠点にしてくだされば、多くの命を救えるだろう。
今回、何よりもの「成果?」は、奥様の滞在だった。
奥様は、タイの方だが、さすがに似た状況のミンダナオの子たちに、
何が必要かを良く知っておられる。
足踏みミシンを寄付してくださり、
裁縫の基礎を若者たちに教えてくださった。
その後、若者たちはもう夢中・・・・
帰られた後も、
図書館に住み込んで
子どもの面倒を
見てくださっている
寡婦のドリンさんが
裁縫を引き継がれた
今は、1月27日
ムスリムデーの踊りで使う
マロンを制作中
今年度の子ども達の
制服もここで作るつもりだ
長嶋氏滞在のおかげで、
ミンダナオ子ども図書館で
作りたい
大学の構想がスタッフにも
見えてきた

最初は2年生の専門学校
(短大)として出発し
保育コース、
農業教育コース、
家政コースを設置
4年制の大学とは
ひと味違った
より実務的な学校にしたい
成績はイマイチだが、
心根のよい子の
将来のために
と言っても、初夢の段階
長嶋ご夫妻曰く
「ここにアジア学院をリタイアされた方々や
教会関係者の第二の人生の活動拠点を作りたいなあ。
気候もさわやかだし、緑豊かでアポ山の眺めも良いし。
小さいながらも良い総合病院もあるし、温泉もあるし、
卒業生のエラさんもいるし、息子のクリニックも出来れば・・・・・」
どうぞどうぞ、土地もいくらでも空いています。



TBSのデレクター突如訪問
3月3日ゴールデンタイムの
番組を制作したい
谷ディレクターから
TELを頂いたとき、
「頓挫するな」と思った。
NHKを始め、
ほとんどの番組が
既に6回以上の
アプローチをしてきて全て
実現しなかったからだ
本当に来たときはビックリした
初めて現地を訪れた
TV制作者だ
ウォーターフォール村の
バランガイキャプテンと
話す谷氏
32歳、若くて精力的
仕事に情熱を傾けている
姿に好感した。
まだこのような気概のある
制作者が
テレビ局にもいたのだ!
過去、番組制作が頓挫する理由は明瞭だ。
日本政府の指定する危険地域だから・・・・

つまり、取材許可がなかなか下りない。
北コタバト州はイスラム地域として有名なので、
キダパワンは比較的安全な地域なのだが、
ジャーナリストは恐れて入らない。
朝日新聞の木村文さんだけは、来られたが。
今回は、スタッフと話しを慎重に検討して、
安全なアロナの故郷、
ウォーターフォール村を選んだ。
谷氏はとにかく、仕事熱心だ。
ミンダナオ子ども図書館の子ども達も迫力に押されて
遠巻きに・・・「あの人、何????」
現地でもひたすら番組構成を・・
村長、村人、子ども達、保育士、先生に矢継ぎ早に、
核心を突いた質問をしてくる。
翌日、フリージャーナリストの宇崎眞氏も加わった。
こちらは、マルコス時代のNPAも取材した猛者のフリージャーナリスト?
この村では、
お父さんが日本人兵士で
日本語を明瞭に話す
老婆と出会った
戦争被害者の一人だが
姉妹の中で日本人と
結婚した妹は
日本にいるという
妹も亡くなり
今は、10年以上も
音沙汰無いが
寡婦となって夫もいず
日本に帰りたいと・・・・
後ろの竹小屋に住んでいる
娘や孫やひ孫といっしょだが
兄を亡くしたアロナも協力してくれた。
彼女、すっかり元気を取り戻しました
皆さん安心してください!!!

TBSは、2月に本番で来ると話していますが
実現するか否かは、まだわかりません
実現すれば
3月3日の9時から10時の特別番組で放映
日本の若者たちが、この村に来る設定
スポンサーはト某自動車メーカーだそうです。
村に建設資材を運ぶための
4WDトラックを寄贈していただけませんか???
 









2007年のサイトから
2007  Go! 



行橋カトリック教会の山元神父、イスラム教徒の村を訪ねる


21日にミンダナオに帰り、25日にまた日本に発ち
30日に行橋カトリック教会の30周年式典に出席、
その後山元神父とミンダナオへ、昨日マニラにお送りして、
今日ようやくメールとも向かい合えるようになりました。
ヘトヘトのフラフラですが、こちらでの業務が待っています。
それでも、心待ちにして待ってくれていた30名の若者たちの
顔を見ると疲れが吹き飛びます。
結局、この子たちを人生の旅に送り出すこと、
そして色々な地域の子供たちが少しでも希望を持って
病気にならずに安心して育っていく環境を作ることが
ミンダナオ子ども図書館の役割なのだと思います。
とても基本的なことを、とても単純に実行していきたいと思います。
山元神父は、気さくに若者たちとつきあってくださり、
とりわけイスラム地域の読み聞かせ、先住民族の医療、
ダバオのイスラムのスラムでの活動に感動。
イスラム地域の読み聞かせでは、
ともにイスラムの人々の前で歌ったり踊ったり・・・
ムスリムの人々に新鮮な驚きをあたえてくださいました。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちも、
最初は神父が泊まると言うことで緊張していましたが、
その気さくさにイスラム教徒の若者たちも、
ファーザー、ファーザーと慕われました。
教会からの医療支援金は、イスラム地域の子どもの救済に使います。





日本の若者たちを受けいれるためには、
それ自体をプロジェクトとして
立ち上げなければならない。


ミンダナオ子ども図書館の場合は、
日本の若者たちを受け入れるためには、
単なるボランティアとしては無理で、
ワーキングキャンプのようなプロジェクトとして、
受け入れ対象の若者たちの目的や
個性に合わせて検討しなければならない。
理由は、ミンダナオ子ども図書館の活動が、
本部であるミンダナオ子ども図書館から、
かなり遠くの村々にまで足を運ぶ、
積極外向型プロジェクトであるためだ。
今まで私は、訪問の依頼があると、
かつて私がお世話になった孤児施設、
ハウスオブジョイを紹介推薦してきた。
理由はいくつかあるが、何よりもゲストハウスがあり
訪問者の受け入れ体制が出来ていて、
烏山さんが接待の経験も豊富であること。
海も近くプライベートビーチもあり、美しいこと。
そして何よりも、養護施設であるがゆえに、
施設内で安全に楽しく子ども達と触れあうことが出来る事が大きい。
中にいる子ども達も幼い子が多く、一緒に良く遊んでくれる。
それに対して、ミンダナオ子ども図書館は、
活動はリスクのある外向型プロジェクトであり、
僻村や難民キャンプへの読み語り、
戦闘のあるイスラム地域や反政府ゲリラのいる
山地での諸活動を行っている。
図書館に住み込みでいる子ども達の年齢層も、
おもに高校から大学と高く滞在の目的は学習
(結構のんびりとしているが・・・)。
年度初めの全体集会で、
若者たちの選挙で選出された学生議長と役員が、
毎月末に全体集会をして重要事項を決定する。
また週末は、図書館に住んで学校に
通っている奨学生で家族会議が開かれ、
生活の諸問題やルールが話し合われている。
若者たちがスタッフと作った独自のポリシーは
なかなか厳しい。
現地の若者たちの自主性を重んじている結果だが・・・
図書館の若者たちの間での恋愛は禁止。
兄弟姉妹として接する。
過去、抱き合ってキスをしている場面を
小学生のスカラーが見て大問題に発展し、
当人たちはスカラシップ停止処分になった。
面接をして、互いに将来の結婚を確約して、
責任を持って交際しているカップルは
多めに見られているが・・・。
こうした事態で一番困るのが私で、
支援者への釈明が難しい。 
加えて保護者と交わした契約もあり、
相手が日本人だったりすると、
日本の若者はフィリピン人をホステスか
売春婦のように見ている、
と言った険悪なムードが生まれるだろう。
実際そのような中年男性が、
フィリピンにはうろうろしている。
「可愛い女の子がいっぱいいるから行こうぜ」
と言うのが過去最悪の結果を生む。
せっかく夢に見た大学生活や将来の夢をあきらめて、
泣きながら元の貧困に
もどらざるを得ない事態になる。

それでも良ければ良いのだが・・・・
仮にそれでも良いとして、
若者たちは午後まで学校だし、
スタッフは独自の活動をしているから訪問者はほったらかしとなる。
同行可能な場所も、外向型プロジェクトは頻繁に車を使うので、
人数によって車を2台3台と出すことになり、
ガソリン経費が馬鹿にならない。
若者たちには信じられないほど良い経験になるのは確かなのだが・・・
4駆のトラックがあれば、フィリピン式に荷台に乗って運べるのだが。
「スカラシップなどの支援者ならば納得できるが、
本来は医療で使うべき貴重な寄付を、
単なる体験ボランティアのために使っても良いのだろうか」
とスタッフ一同考えてしまうこともあった。
子どもの救済は、毎月経費とのにらみ合いなのだ。
最近は、日本の大学では国際関係論などの講義が盛んで、
また企業もボランティア体験を採用の基準に加味しているようだ。
 もう一つ困るのが、こうした学生が、論文目当てで来ることで、
若者たちのバックグラウンドを始めとして、
本来あまり触れるべきではない事柄を根掘り葉掘り質問したり、
住み込みのソーシャルワーカーに個人データーに触れることまで聞くことだ。
ミンダナオ子ども図書館は、学生の論文や
研究対象のために活動しているわけではない。
中には、日本に行けると思って、あおられて対応するスタッフの始末や、
その結果平和を乱された子ども達のケアが残る。
当人は研究熱心なだけで少しも悪気はないのだが。
もちろん、経験豊富で責任感のあるジャーナリストや作家も来ているが・・・
しかし、今回は、それでも日本の若者たちの未来を考えると、
交流プロジェクトを推進しよう、と決断する理由があった。
やはり、フィリピン以外の国、特に日本のように
生活感を失った先進国の若者たちを放っておくことは許されない。
5年目で、スタッフも体制も整ってきたので、
カルチャープロジェクトと平行して国際交流プロジェクトも検討しよう。
やるからには、キチッとプロジェクトとして位置づける必要がある。
訪問者が滞在する期間は、行橋の幼稚園の先生方が来られたときの経験から、
訪問者に合わせた企画を作り、安全のためにはスタッフや
場合によっては多くの若者も動員しよう。

 企画としては、以下の事を検討。

 1,僻村で安全な場所への読み語りや
山の保育所の子たちとの交流
読み語りは、奨学生が出てきた、
マノボ族の良く知っている村を選ぶのが良いだろう。
現地の子ども達との交流、自然の中で遊ぶ体験、
お話しは出来なくても皆で手遊びを楽しんだ経験などは、
きっと若者たちの心を広げ、豊かな気持ちにしてくれる。
そして、山岳地域に追われた先住民の
貧困の現状も伝えたい。
ああ、どなたか、四輪駆動のトラックを購入してくだされば、
荷台に大勢の若者たちを乗せて、
1~2台の車で(ガソリンを節約して)
現地に向かえるのですが・・・・
読み語りには最低30人ぐらいの若者たちが同行するのです。
皆が一番楽しみにしているプロジェクト。

 2,保育所建設を手伝う
イスラム地域は危険で無理だが、
マノボ地域でNPAゲリラのあまりいない
地域なら大丈夫。
現地に行って、可能であれば一泊ほどして、
現地の人々やミンダナオ子ども図書館の若者たちと、
保育所を建設。
ぼくは大工の経験はないけど、と言う若者も大丈夫。
こちらでは、家は皆自分で建てるもの・・・
ただし、保育所建設資金がなければ資材が買えない。
それからこれまた、どなたか、
四輪駆動のトラックを購入資金を寄付してください!
そうすれば、人と資材を山岳地の村まで運べるのですが。

 
3,山の家に泊まり、電気もない生活を体験する
これは、安全な地域にある知り合いの家に限定。
お金のない、自給を取り入れた生活。
薪を作り台所でご飯を炊く。
泉まで水をくみに行く。洗濯は川でする。
私自身も、そのような生活の中で考え
今のミンダナオ子ども図書館を作り上げた。
生きることの原点を感じることが出来る体験。
サバイバルというより、生活の意味、豊かさの質、
幸せとは何かを考える時を持つ。

ガードマンとして、屈強の男
(例えばプレシデントのアーロン君)他が同泊する。
ただし、その家庭に少し寄付を置いて帰ってくださいね。

4,保育所の開所式に出席

これは、どうしてもイスラム地域に行って
交流したい人向けの計画。

イスラム地域は、マノボ地域よりも入るのが難しい。
目的もなく訪ねることは不可能。

マノボの奥の地域の場合(危険地域)でも同様だが、
しっかりした目的があれば、先方も納得し安心し、
歓迎してくれる。

イスラム地域での保育所建設参加は難しいとしても、
あらかじめ保育所を建設して開所式に
参加という手がある。

そのかわり、現地の人々とのあらかじめ
信頼関係を築きコンタクトをとり、
市長にセキュリティーを相談し安全の確約を得る。
市長が事前にその筋に報告し要所要所にガードを配置。

場合によって行橋の幼稚園の先生方の時のように
ガードの兵士を6名ほどつけてもらう。

5,農作業に参加

ミンダナオ子ども図書館を有機農場と
してゆきたいと思っている。

アジア学院のアドバイスも受けて、
現在はフィッシュポンド(養魚池)を計画。

例えば、フィッシュポンドの穴掘りに参加等・・・
時期によって、バナナの収穫を手伝う。
毎日の鶏の卵集め、2期作の稲刈りや田植えのお手伝い。
その他、若者たちが作っている一坪農園の
野菜作りを手伝う?
ほとんどおしゃべりをしながらですが・・・・

アジア学院の卒業生のエラさんの農場を見学し、
有機農法について教えてもらうこともできる。
このような線で、スタッフと相談してみたいと思っています。
生涯忘れられない、貴重で有益な滞在になることは確実ですが、
訪問したい方は、あらかじめメールでご連絡ください。


ミンダナオ子ども図書館だより:
日本での公演、講演スケジュール
2007/9/30




今回、ムスリム公演で持参する装飾の数々です


ウエルカムの文字の見える幟
幟や旗を見ると、国技館の相撲を思い出します。
やはりアジアの同じルーツでは?


ビーズの美しい織物も持参します。
手作りの貴重なものを購入しました。
美しい装飾には、天界への憧れ
祈りが表現されています。


左は、大きな銅鑼のアゴン、右は太鼓
共に当日使うものです。
真ん中は、今年2月のミンダナオ子ども図書館でのムスリムデーの一こま
竹ダンスですが、今回は人数のつごうでこの演目はありません。
しかし、様々な小物を使った美しい優雅な踊りが見られます。



ムスリム公演大盛況で終わる 11月13日

 非常にハードなスケジュールでしたが、公演は終始驚くほどの盛況で終わりました。
まずは関係者の皆様、協力くださった多くの方々、
とりわけ主催者の皆様に心より感謝申し上げます。
最初の800名も入る高島市民会館の大ホールを皮切りに、
小学校、山の分校、姫路の私立高校、福崎の図書館、大阪の水仙福祉会、
平野ホール、平野全興寺の境内、福岡の行橋カトリック幼稚園と、
山から里から大都会、大ホールから山の分校、幼稚園から高校までと
毎回が異なったシチュエーションのなかで、時には観客が総立ちとなり、
時には互いに涙を流しと、一つ一つの出会いが思い出深く充実したものになりました。
国際交流基金に断られ、落ち込みながらも
小さなNPOだけれどもみんなの力で頑張ろう、
と諦めなかった草の根の人々の力が、大きな感動と成果につながったと思います。
各市町村の太鼓や踊りの助っ人、町内会の青年部、なにわ語り部の会の踊りや昔話、
地球お話し村のジンベグループのアフリカの太鼓や日本で唯一の
クリンタン演奏グループ、パガナイクリンタンアンサンブル、
国立民族博物館の江口教授もトークに参加。
本来の目的である、草の根からの国際協力の目的が、
皆さんのおかげで見事に実現されました。「絵本による街づくりの会」に拍手!
市長夫人も福祉局のグレイスさんも、日本のイメージが根底から変わった、
と嘆息して、若者たちと飛び立って行きました。
このような取り組みが、今後も長く続けられ、
相互理解に満ちた平和なアジアを作る環境が整っていけば幸いです。
多少の写真と文では、語りきれませんが、とりあえず皆様にご報告いたします。

  ++++++++++++++++++++++++++++++++
 
感想で一番多かったのは、「躍動する明るいリズムに乗った踊りから、
生きる力や喜びをもらいました」というものだ。
とにかく、私自身が驚いた!
ミンダナオから出たことがないどころか、エスカレータも恐がり、
飛行機も始めての謂わば辺境の地の若者たちが、
こんなすばらしい公演をするとは思わなかった。
所詮心のどこかで、民俗芸能を若者がまねた程度と考えてたし、
何しろ海外に出ての初舞台が高島の大ホール。
現地の和太鼓や踊り、舞台慣れした地球お話し村のジンベ太鼓や
パガナイクリンタンアンサンブルに助けられたおかげもあるが、
その合間に素人らしく踊るのが関の山だと思っていたのに、
身内だから言うのではないが、その迫力、情熱、スピード、誇り、
美しさにおいて他を圧倒していたと思う。
理由はいろいろ考えたが、自分たちの生活に
今も息づいている伝統芸能として、
「演じる」のではなく「披露」するのでもなく「楽しんでいる」姿がそこにはあった。
「誇り」「喜び」「情熱」など生活と祈りに通じるものがあった。
 本物だという感じがひしひしと伝わってきた。
それは小さな舞台の中でさらに強く感じられた。
6人の生徒しかいない山の分校で子ども達の
コカリナの演奏を聞き全員が泣き出した。
幼稚園や小学校の交流では演奏が終わって子どもを抱っこしたり
一緒に太鼓を叩いたり。そのような彼らの姿には、
舞台の上に立つものと下で鑑賞するものの壁が無い。
 同様のパワーを感じたのは、地元の太鼓グループや踊り、
アフリカのジンベ太鼓のジョセフさん、全興寺境内で出会った青年団の若衆たちだ。

私も驚いた見事な舞台
実は私も、初日の高島の大ホールで初めて彼らの本当の公演を見たのだった。
毎週末に、ピキットで練習していたことは知っていたし、
垣間見たことはあったのだが、初日の初舞台で、
800人収容の大ホールが小さく見えるほどの大胆な動きと、
その優美な美しさにも感動したが、彼らの舞台度胸にも驚いた。
「生まれて初めて海外に出て、これが最初の公演とは・・・」
数名の方々から聞かれたのは。
「今回何度目の来日ですか?海外はどこで公演されてきたのですか?」
「いいえ、エスカレーターにも怖くて乗れない子たちで、ただの大学生です」
「エッ!」
特に驚いたのはスピードと躍動感だ。
くり返されるリズムが心地よく、天に昇っていく気がする。彼らの話しによると。
「この踊りは、現地では晴れの日の踊りで、
自分たちが子どもの頃は楽器は神聖で、
少し大きくなるまでは手を触れることは出来なかった。
それだけに憧れた」との事。
舞台のデコレーションもすばらしかった。
手縫いのビーズの横幕が、照明にあたって、
この世のものとも思われない空間を再現する。
元々は結婚式などの神聖な晴れの日の舞台なのだ。
アフリカのジンベ太鼓のジョゼフさんと
福祉局ソーシャルワーカーのグレイスさんに、
国立民族博物館の江口教授がトークで質問。
地元の太鼓もくわわり、最後は総立ちに盛り上がった。
演奏が終わってからの交流会。
ジョセフさんは、
すっかりクリンタンの魅力に引き込まれる。
あれだけ舞台で激しく踊ったにもかかわらず、
ここでも踊りや歌が深夜まで続く。
とにかくバイタリティーがある。
明日の公演のために力をセーブすると言った考えは全くなく、
あらゆる瞬間に全開で生きようとする
彼らの精神性が良く表れていた。
子ども達との交流
子ども達との交流は、
特に良かった。
とりわけ、
幼稚園児の場合は、
互いに壁を取り払って
出会える人々だからか、
一番気が合うようだった。
とにかく子ども好きな
若者たちだ。
6人の山の分校での
コカリナ演奏では、
皆で涙を流していたし、
行橋での市長夫人の
誕生日に歌った歌に、
夫人も涙が止まらない。
30分の公演を、
一心に見る子ども達、
終わってから一緒に踊ったり、
太鼓やクリンタンを
叩かせてもらったり。

いろいろな出会いがあった
感動的だったのが、支援者の方々との出会い。
卒業間近の子も多く、4年にわたり支援し続けてくださった方々に、
まるで父親や母親に出会ったように喜んでいた。
とりわけ、父親のない子、母親の亡くなっている子などは、
支援者を頼りになる親のように思い続けていたことが、
若者たちの表情かも読み取れた。
姫路では、姫路城主にも出会った??
日本文化についても、何かを肌で感じたようだった。
「思った以上に、優しくて、
ホスピィタリティーにあふれていて驚きました。
日本人に対するイメージが、根底から変わりました」
とは、市長夫人の言葉。
フィリピンでは、子どもが寝ないと
「日本人が来るから早く寝なさい」と、
鬼のような意味で使う。
戦中の日本人の悪い行いも語り継がれている。
また、ハイテクの中で、
人間性を失った仕事人間と言うイメージも強いが・・・
 

つかの間の休日
滋賀のマキノ木村さんのお宅で、つかの間の休息。
本当にお世話になりました。宿泊先ではホームステイが一番楽しかったようだ。
大阪の水族館と姫路城にも。
姫路城わきの小さな動物園では、初めて象やラクダをみて大喜びも。
平野の善興寺では、地区の青年部の太鼓と鉦に混じって踊りを踊る。
若者どうしの交流も、ぴったりと息が合い、たちまち国境を越えて心がつながる。
こうなると、私も含め大人達は完全な脇役だ。
釜ヶ崎の子どもの施設「子どもの里」は、一番リラックスした場所の一つだった。
ホームレスがいて人間味がある街は、どこかフィリピンに似ている。
ゴミが落ちているよ、ホッとするなあ・・・日本にもホームレスがいるとは驚き。

でも、日本のホームレスは可哀想だ。ひとりぼっちだし、夜も寒くて寝られないだろうに・・・
ここには、日本滞在中のフィリピン人もたくさん来ていて、
福祉局のグレイスさんは、様々な質問をしていた。

また、幼稚園でも園児と食事をして、日本の保育に深く関心を持った。
日本でも有名な水仙福祉会でも、日本の老人や赤ちゃん保育の現状を視察。
たくさんのヒントを得た充実した滞在だった。

幼稚園の先生研修に、パイロット保育所開所式に参加

福岡から、研修旅行で、山元眞神父に引率された幼稚園の先生8名が来られ、
イスラム地域での初の保育所の開所式に参加されました。
美しい滝のあるマノボの村での読み語り、電気のないルモット村で一泊、
現地の保育所で子どもたちと感動の日々を過ごされました。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちとの涙ながらの別れの様子もお伝えします。
大阪から、関さんが来られ、リオ・プランギ川を
舟で保育所建設予定地の視察に行かれました。
マノボの村にも宿泊、2日間でしたが、感動されて帰られました。
3カ所の保育所を建設予定。独自の開発プランも思索中とのことです。

ダバオの三矢博司領事にお目にかかり、
10月のムスリム公演に関してご説明し、無事にビザを出していただきました。
ピキット・ナカブアル村の学校増築の件についても、
日本政府の草の根基金に応募するためにそろえた資料をお見せし、
在比大使館の角井書記官をご紹介いただきました。
JICAの後藤氏、IMT(国際停戦監視団)の長石氏にお目にかかり、
今後のピキットの発展協力に関し有意義な話しが出来ました。

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 FK 
  福岡から、幼稚園の先生方が研修旅行で来られた

 福岡の行橋から、8名の幼稚園の先生方が、
園長である山元眞神父に引率されて研修旅行に来られた。
 8名の先生方のうち、何と6名が初めての海外旅行!
 初めての海外旅行にミンダナオというのは興味深い。
他の海外旅行とは全然違うだろうから。
 しかも目的地の一つは、イスラム地域のピキット、
最初のパイロット保育所を建設したプランギ村。
そして、高地のマノボ族の村の保育所を訪問。
ミンダナオ子ども図書館でなければ、決してアレンジできない場所だ!


 マニラまで迎えに行ったが、最初はさすがに緊張した様子。
表情のこわばった?二十歳前後の若い先生方を見て、
「この子たちだいじょうぶだろうか?」私の方が緊張した。
到着して、まずは市場へ。そこで、寝袋にもなるイスラム教徒のマロンを購入。
急に元気になった先生方を見て、これなら大丈夫とホッとした。
その後は、どんどん心が解放されて、帰るときにはすっかり
「失った何かをとりもどし」たような表情で、
「日本に行きたくない」「また帰ってくるからね」と
どちらが故郷かわからないような言葉と涙を残して、
もどっていかれた。その経過を写真入りでお知らせします。
到着翌日は、まずは足慣らしに、高地マノボの村、
ウオーターフォール部落を訪ねた。
結構な山道で、途中で一台車が登れなくなり最後は徒歩で。
良くあることなので私たちは驚かないが、皆さんビックリ。
しかし、滝は美しい。


まずは、マノボの子どもたちとの出会い。
写真左は、園長の山元眞神父(再訪)と、右は主任の品川忍先生。
さすがに日常、子どもとつきあっているだけにとけ込み方がとっても上手だ。
あっと言う間に、子どもたちとの距離が縮まっていく。
といっても、素朴で人なつっこいマノボの子たちが、
素直に心を開いて受け入れてくれた???



 
ひとしきり子どもたちと遊んだ後に、いよいよ読み語りが始まった。
 
美しい滝の見える側での読み語り。





 上の写真で、読み語りをしているのは、奨学生のアロナ・アモールさん。
 彼女は、この村の出身。マノボ語で読み語りをした。
 この後、皆で彼女の家を訪ねたが、18歳の兄は、
完全に足も腰も首も曲がっていて、生まれながらのポリオ
(写真下右端で、こちらを見ていない子)。
10歳の弟は多少軽度だが、やはりポリオだ(写真前列中央)。


下の白黒写真は、山元眞神父が撮影

アロナ・アモールは、愛というその名が示すように、本当によい子。
彼女が、一家の心の支えだ。
体の曲がった兄をさすりながら、しきりに「ここが痛いの」と私にいう。
出来れば治療して欲しいという事だろうが、18歳で自分で体も動かせない、
一見肉の塊にしか見えない子をどのように治療したら良いのだろう。
兄も、声をふりしぼりながら泣く。アロナが居ないと寂しいという。
アロナもワッと泣き出す。私ももらい涙だ。
周りで見ている奨学生たちが、アロナの家庭は哀れだと言う
(彼らの家庭も別の意味で大変なのだが・・・)。
私は、「むしろ、なんて愛のある家庭なのだろう。
少し愛を分けてもらいたいぐらいだね」と答える。
アロナと彼女の家族が喜ぶと思い、山元神父さんに
「祝福してあげてください」と頼んだ。
そのときの様子を、山元神父は、カトリック新聞のための記事にこう書かれている。

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狭い戸口から入ると、そこには家の土間に座り込んだ二人の子どもがいた。
子どもといっても一人は十八歳。細い腕と足。
小さな体。頭は普通の大きさ。
体はひねったような状態で土間に座りこんで下を向いている。
もう一人は十歳くらいだろうか。
その子も土間に座りこんでいる。
その子は大きな目を輝かせて、部屋に入って来たわたしたちに
歌を聞かせてくれた。
細い細い棒を定規のようにして絵を描いてみせてくれた。
しっかりした線で車の絵を描いている。
フィリッピン、ミンダナオ島の奥地にある村を訪ねた。
読み聞かせに行く子どもたちに同行した。
四輪駆動の車でやっと行けるような山村。
その村に日本から奨学金を受けて学校に行っている子どもがいる。
その兄弟想いの女の子の家に寄ったときの様子がそうだった。
イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。
すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。
イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい…。」
極貧の村。貧しくされた人たち。難病に悩む家族。
とても救われているとはいえない状況。
これ以上に不幸で残酷な所はないと思えるほどの家。
しかし、狭い戸口から入ると、そこには救われた者の姿があった。
兄想い、弟想いの女の子の名はアモール。「愛」という名。
静かに涙を流しながら兄弟の状態を説明している彼女からは、
えもしれない暖かさが溢れ出ていた。
この家族はこの女の子の愛で救われているのだと思った。
家の中は一緒に訪れた子どもたちでいっぱい。
一人の子が座る場所を譲ってくれた。弟の真ん前。
わたしの目を見つめながら歌を聞かせてくれた。
家に入りきれなかった他の子どもたちが窓から、入口からのぞき込む。
その子たちの温かいまなざしがその家をいっそう温かくする。
ここはまさに救われた者の場だと思った。
何もできない自分勝手で無責任な想い。
苦しんでいる人たちに何もできない自分。
救われている人はこの家族とそれを取り囲む人たち。
救われてないのはむしろ自分だと思った。
イエスの名による祝福。これしか与えられなかったが…。
この場合、祝福は与えるものではなく、あなたは神から祝福されていますよ、
という宣言にすぎないと思った。
そして、その祝福された人に触れるとき、わたしもまた、
その祝福に包んでいただくのだと気づかされた。
 (中略)
 狭い戸口から入って、そして見たもの。それは愛から溢れ出る涙だった。

  ++++++++++++++++++++++++++++++

 マノボ族の村での読み語りが続く。

ミンダナオ子ども図書館では、必ずイスラム教徒、先住民族、
移民系クリスチャンの歌を披露するが、今回はさらに日本人グループが加わった。
下の写真左は、マノボ族の子たちの前で歌うイスラム教徒の奨学生たち。
彼らも本当にうれしそうだ。右は日本民族の人たち、
福岡の幼稚園の先生たちが山元神父と一緒に「むすんでひらいて」をしているところ。
これは、大受けに受けたものの一つ。

さらに、極めつけは、山元神父の甥御さんによる、大道芸だった。
パントマイムもこなし、大喝采。プロに近い技に、魔法だと思った子たちもいた。
ただ、日本的価値観を捨てきれずに、観察しに来る訪問者を、
地元の子たちはあまり受け入れないが、このように無心にとけ込む人々に、
子どもたちはすぐに心底心を開いて飛び込んでくる。


 翌日は、いよいよ最大の目的地、イスラム地域の保育所開所式へ

 まずは、ピキット市長を表敬訪問。
 写真左は、左からおなじみDSWDのグレイスさん、市長夫人、市長、
山元神父、DSWD所長。皆さん、とても温かい人々。
 写真右は、先生方もいっしょに。


新しいパイロット保育所が出来た!
普通ではとても入れない場所だが、今回は日本から賓客も来ているので、
市長が6名の軍の兵士を護衛に出してガード。
現地に到達した。そんなに危険とは思えないのだが・・・・
それにしても、住民も子どもも賓客も、あまり楽しいので、
兵士まで笑顔でとけ込んでしまっていた。
下左は、新築された保育所。
ミンダナオ図書館を絶えず支援し、去年ガンで亡くなられた溝田美恵子さんが、
行橋カトリック教会の方々と一緒に寄贈され、名前も入っている。
右は内部の様子。椅子と机もそろった。
亡くなられた美恵子さんは、生前から幼稚園を作るのが夢だったから、
それが不思議なことにミンダナオでかなったわけだ。


同時にこの村から、溝田美恵子さんの支援で、大学生の奨学生を一人採用した。
 下左は、私がその若者を紹介している所。
父親は亡く、右はお母さん。非常に貧しく、
下のように椰子の葉で屋根を葺くものを作り生活している。
一つ1ペソ(2円にもならない)。
息子さんが大学に行けるようになったのを、涙を目に浮かべて喜ばれていた。

山元眞神父も、支援しているイスラム教徒の若者、アダム君と再会
下の写真、右端がアダム君。
左も今年新たに奨学生になった若者。
このような出会いを通して、戦闘地のイスラム教徒で、
ほとんど外人に会ったことのない彼らも、
何かを感じ取るのではないだろうか。

滞在5日目。ミンダナオにも慣れたところで、マノボ族のいる山に一泊。
背の高いラワンの茂るジャングルに近い場所だが、
ミンダナオ子ども図書館の役員の一人で、
保育所の先生をしながらマノボ族のために献身的に生きていらっしゃる
ビックビックさんの家に行った。
この家は、写真絵本(ポプラ社:世界の国々『フィリピン』下の写真)でも
紹介された場所だ。
下の写真は、ビックビックさんの保育所と黄色い服が当人。

周囲に他の家が一軒も見えないような山の中の家。
もちろん電気も無く、蛍が飛んでいる。
家も小さいので、皆、床にゴザを敷いてねる。
食事も薪で作り、まるで、キャンプみたい。
しかし、翌日外へ出て、そのさわやかさにビックリ。
ラジオ体操の後、朝食が済んでさっそく保育所へ。

その楽しかったことと言ったら!
上の写真は、こちら流の「後ろの正面だーれ」をしているところ。
さすがに現役の先生方で、子どもの扱いも見事だ。

上は「とうりゃんせ」をしているところ。
もちろん、日本語で歌っている。子どもたちはもう夢中だ。

さらに極めつけは、「花いちもんめ」
「あの子じゃわからん」と言いながら、アッッカンベーをすると、
子どもたちはそれこそ大喜びだ。
このような日本の伝統的な遊びは、
こちらでもそのまま子どもに受ける。

部屋に入っても、「おおきなかぶ」を演じたり。
一人一人パーフォーマンスが出たりと、とどまる所を知らない・・・・
こちらの保育所は、プレスクールと言って、
小学校に入学するための文字や英単語の学習が中心。
遊びを主体とした日本の保育とは天と地ほども異なる。
それだけに、ビックビックさんなどの保育者にとっては、新鮮な驚き。
マノボの子たちは、日常がのびのびと解放されているだけに、
せめて保育所では学習に集中することが求められ、
日本の子たちは、日常が解放されていないだけに、
せめて保育所ではのびのびすることが求められる?????
入所して3ヶ月にならない先生3人に対して、古株の先生方が
「あの人、あんな事も出来たの!ゼーンゼン知らなかった。」
新しい先生方も、「あの先生、あんなとこがあったなんて。ビックリ」等、
どうやら先生方の相互交流が出来たようだ。
先生方が、マノボの子たちに、心を開いてもらった???
そして別れの日
お別れパーティーを開いたが、その前からすでに、
先生も子どもたちも、涙涙・・・・・・・

ここでも、先生方は、大ハッスル。
山元神父の炭坑節まで加わって、
ミンダナオの夜は更けることを知らないかのようだ。


上は、炭坑節を踊っている山元神父。
フィリピンの神父と、あまりにも違う神父像に、
若者たちは大はしゃぎ。親のいない子も多いので、
「お父さん、お父さん」と言ってくっついて離さない。
(こちらでは、神父のことを、「ファーザー」と呼ぶ)

劇団四季に勝るとも劣らない?、心のこもった「おおきなかぶ」の演技。
ミンダナオ子ども図書館の若者たちは、この話を絵本で知っているので、
今後は読み語りの現場でやるだろう。
それと、「むすんでひらいて」は、現地語に訳して定着させようと思っている。


最後は、笑いと涙の中で。
「必ず、必ず、もどってきてね・・・・・・」


大阪から関さんが訪問、
ピキットのナブンダスの保育所建設予定地を視察。

 
関さんは不思議な方だ。
最初は文部科学省に席を置いていたが、
今は様々なNPOの経営をしている。
 今回は、ピキットに保育所を建てる、現場視察にこられ、
2日間という駆け足滞在。まず、舟でしか行けないナブンダスを訪ねた。

ナブンダスでは、子どもたちが出迎えた。
前回報告した、崩れかけた納屋を保育所として利用している場所だ。
予定では、3カ所の保育所を計画している。

ナブンダスの子たちの中には、下のように、
体の奇形が発症している子たちが数人いる。
左の子は、手の指が発達せずにくっついている。
右の子は左の目が盲目になっている。
まずは、検診し、可能ならば手術をすることになった。
戦闘のあったピキット地域では、このような奇形が多いことは、
すでに報告したとおりだ。
私自身は、空爆の際に劣化ウランが使用されたのではないかと
疑っているのだが・・・・戦闘後に増えていることは確かである。

関さんのおかげで、この地に3つの保育所が完成しそうだ。
「完成の暁には、開所式にいらしてください」と言うと、
さすがに感性の鋭い関さんらしい、一言が帰ってきた。
「この地を理解するには、最低1年は居ないとだめだなあ」

 ミンダナオ子ども図書館:日本に滞在 5/25

今回の日本滞在は、20日間の駆け足でした。
目的は、イスラムの若者たちとの平和交流です。
NPO:マキノ絵本による街作りの会が主体になり、
高島、姫路、福崎、大阪で民族楽器クリンタンの演奏と伝統舞踊を披露します。
詳細は煮詰まり次第随時ご報告いたします。
実現に当たって、なにわ語り部の会の方々(禅定正世先生など)、
地球おはなし村の方々(国立民族博物館の江口名誉教授や山村様など)、
水仙福祉会の方々、姫路淳心学園の方々、
大阪ボランティア協会の方々などのお世話になりました。
なつかしい君島久子先生(中国文化研究家)にもお目にかかり、
夕食を共にすることが出来ました。
ミンダナオにも来られた、元大阪市立図書館司書の小林さん、
大阪ボランティア協会の錺さん、マキノ絵本による街作りの会の平松さん、
福崎の町議の後藤さん、ありがとうございます。

 以下、日本滞在の報告です。 
 最後に、趙さんの娘さんの印象深い手紙を添付しました。

**********************************

  今回滞在の主目的は、イスラムの若者たちの演奏会計画をつめることだ。

イスラムの若者たちが、10月25日から10日間ほどの予定で来日する。
男性3名、女性3名。
ビザのつごうで、18歳以上、おもに大学生だが、民族楽器と踊りを披露する予定。
民族楽器は、クリンタンやアゴンや太鼓など。
目的は交流。
中近東の政情不安のあおりを受けて、世界でイスラム教徒への偏見が高まるなか、
こうした文化交流は,ささやかながらも
アジアにおける相互理解と平和のために意味を持っていると思い決断した。
みな、戦闘地で難民生活を体験した若者たちだが、
日本の人々が宗派を超えて温かく迎えてくれれば、
世界に対する思いも変わってくるだろう。
また、日本の若者たちにとっても、参加する多くの人々にとっても、
アジアのイスラム教徒が、共通したメンタリティーの上に立つ
普通の若者たちであることを理解する機会になればと思う。
日本人は、アジアのイスラム教徒の事を本当に知らない。
私も知らなかった。
今回の主目的は、同じアジアに住む仲間として、
共通のメンタリティーの上に立ち、異なった宗教や文化を理解し、
共感の輪を広げることにある。
今回の滞在でも感じたことだが、
日本では、奇妙な保守化(内向き傾向)が進んでいるようなきがする。
欧米をのぞく海外の国、とりわけ貧しい国々を後進国と見なして、
いまだ根強い偏見や優越感があるかのように見える。
ミンダナオのイスラムの若者たちの状況は、
フィリピン国内でもマイノリティーとしてきびしいものがある。
しかし、今回の訪問を通して、次の世代をになう特に若者たちが、
たがいに心の殻を打ち破り、
友情を通して世界を見るよすがになればと考えるが・・・。
 

 今回の滞在中に出会った人々

古着の支援をしてくださっている幼稚園の園児たちに、
直接難民のようすを語れたのはうれしい体験だった。
先年からさまざまな方々から、たくさんの古着が到着した。
出来れば、そうした方々を訪問して、現地の様子をご報告したいのだが、
今回は日程が詰まっており、関西を中心に声をかけていただいた数カ所のみを訪問。
前年、4WDを寄贈していただいた鳴門カトリック教会:
鳴門聖母幼稚園では、残年ながら父母の方々への報告会は
10月に持ち越されたが、園児たちにスライドを見せながら、
難民キャンプの子どもたちや山の子どもたちのようすを語った。

 熱心に話を聞いてくれた子どもたち
 支援物資を手に持つ鳴門聖母幼稚園の先生方と左端が乾神父。

モンテッソーリ教育で有名な乾神父の属するOMIオブレード会は、
現在難民の出ているピキットやコタバト地域で、
戦前からイスラム教徒救済のために活躍している修道会。
日本軍占領時に、イスラム教徒と団結して抗日運動を展開した話は有名で、
コタバトの大司教は乾神父の盟友でもある。
ちょうど支援のための衣類を集めている時であったために、
前年のクリスマスにみんなが集め送られてきた古着が、
ミンダナオ子ども図書館の若者たちの手で仕分けされ、
難民キャンプをはじめ、どのような場所に運ばれ、
どんなに喜ばれたかを伝えた。
3歳から5歳の幼稚園児が解るか若干の危惧があったが、
本当に良くわかってくれたのはうれしかった。
釜ヶ崎のこどもの里でも、懐かしい子どもたちに
新しい映像とスライドを見せることができた。
大阪に滞在中は、釜ヶ崎のこどもの里に泊めていただくことが多い。
釜ヶ崎は、あいりん地区として有名なようだが、
ミンダナオやダバオのスラムなどを見ているので、私には特別な地域には見えない。
かえって無機質な表情の人々が多い都市よりもホッとするような感じを持つが、
ダバオなどのスラムの人々に比べると、近年は中年の男性が多く、
家族から見放された人々の孤独と悲しみを感じる。
こどもの里には、数人のフィリピン系の子供もいるが、
ミンダナオの映像を通して美しい自分のふるさとに誇りを持ってくれればと思う。
日曜日、玉造カトリック教会で行われた国際協力の日に出店するというので、
こどもの里の子どもたちと参加した。
中国、韓国、ベトナム、インドネシア、ブラジルなどの方々が各々の言葉で、
伝統文化を交えて奉献されたミサには、宗派を超えて人々が集まり感動した。
カテドラルは、欧米の人々もまじえ大勢が立っているほど満杯だった。
異質な文化がたがいに共存しながら、心を一つにして
平和に向かって祈っている姿は、感動的で心がホッとする。
なかには、南無阿弥陀仏と唱える人々もいた。
このような体験ができる場は、今の日本では次第に希になりつつ
あるのではないだろうか。
テーマとして掲げられている
『外国人が暮らしやすい日本は、日本人にも暮らしやすい』というのは、本当だと思う。
この試みは、毎年この時期に行われる。
外では模擬店で、さまざまな料理を食べることができる。
久々のフィリピン料理とベトナム料理がおいしかった。
私は、講演予定があり午前で退席したが、こどもの里に帰ると、
午後に右翼の宣伝カーが出現し、公園の集まりの雰囲気が
乱されるときがあったと聞いた。
一人のアメリカ人が、宣伝カーの窓を叩いて開けてもらいながら、
「私は日本が大好きです!」と言って歩いたと聞いた。
欧米も含めて集まった世界の人々は、
こうした示威活動をどのように受け止めただろうか????

 
今回は、盲目の方々や障害者の方々に語る機会が幾たびかあった。

今まで、障害者に対する対応などを語る機会はなかったが・・・
ミンダナオ子ども図書館を訪れた方々が、
図書館に住んでいる奨学生の若者たちが、
盲目のジュンジュン君やベルリーンさん、ポリオのノノイ君、
筋ジストロフィーの3兄弟妹たちに、家族の一員として
自然に接していることに驚きの念をもたれ、
なぜそれが可能なのかを話して欲しいと言う要請に応えた形だ。
盲目の子や障害を持つ子たちが、ミンダナオ子ども図書館では
いっしょに自然に生活している。
盲目の子は、最初、市の福祉局からの要請で受け入れたが、
私に専門的なケアの知識や経験があろうはずもなく、最初は非常に不安だった。
しかし、驚くべき事に、最初から若者たちは彼らを自然に受け入れ、
やがて若者たちにまかせれば心配のない事が解った。
その理由を、いろいろ考えながら話したのだが、
根本的にミンダナオの人々のメンタリティーのなかに、
壁を作らず自然に接したり面倒を見ていく生活習慣があるように思える。
とりわけ貧しい辺境地域に見られることだが、親に見放された子も、
周囲のだれかが引き取って面倒を見る。

 盲目のジュンジュンくんとベルリーンさん。
 今回の滞在で、6月から盲学校に行くジュンジュン君の支援者が決まった。

ジュンジュン君などは、その典型的な例だ。
また、見放されても、自殺をせずに、
それなりのしたたかな生活力を持っている。
貧困が日常のミンダナオでは、ほとんどの人々が
いわゆる社会的弱者に属するので、おたがいに思いやり支え合ったり、
したたかに生きていこうとする意志が共通してあるように思える。
フィリピン人は、介護や看護の分野でも定評があるが、
「人を放っておけない性格」=「おせっかいな性格」
がどのように形成されていくのか、興味は尽きない。
貧困と同時に、昔話が語りとして生きているという視点も加えた。
家の街頭やちまたに、洗濯や夕涼みなどの生活そのものが
生きている場があることも関係しているようである。
こうした視点から日本を見ると、つくづく、
ちまたに生活が無くなっていることを実感する。
まちなかに子供の遊んでいる姿も見えない。 
人々が町に出る目的は、消費=買い物か仕事
(ビジネス)目的だけのように見える。 
かつて私が子供時代にあったような、
隣人どうしがおしゃべりに興じたり心を通わす場も様子もない。
大阪ボランティア協会の錺さんの紹介で、大阪福祉協会で、
盲目の方々と車いすの方々にも語った。
以前、盲目の上岡ゆかさんが、お一人でミンダナオ子ども図書館を
訪ねられた時の様子や、ダバオの盲学校の様子、
またとりわけミンダナオ子ども図書館でのジュンジュン君や
ベルリーンさんの様子を語った。
仲むつまじい二人の様子など、いつか映像ビデオにまとめる必要がありそうだ。
在日朝鮮人で社会問題に取り組んでおられる趙さんからは、
大阪市立大学の堀智晴教授のゼミでも、語る機会をあたえられた。
このゼミの参加者は、肢体不自由の方々も多く、
ここでも与えられたテーマは、ミンダナオ子ども図書館における
若者たちの障害者への対応やミンダナオの人々の態度だった。
特に、日本では、障害者を前に、構えて言葉も選ぶが、
ミンダナオでは、相手の障害にあけすけに言及してかえって
ケロッとしていることを話したが、ある肢体不自由の方が、
「その方が僕らも本当は楽なんですよ」とおっしゃったのは印象的だった。
今回は、水仙福祉会を通して、プロテスタント教会のH氏から
2台の新しい車いすの寄贈を受けた。
この車いすは、今年から新しく奨学生になるマノボ族の
筋ジストロフィーの兄妹が学校に通うために使用される。
この家族は、本当に山奥の小さな村で、
非常に貧しい生活を余儀なくされていた子たち。
7人兄弟のなかの5人が、筋ジストロフィーの症状。
 
兄二人は、小学校を良い成績で卒業したが、
経済的、地理的理由で高校までは通えず、
人づてにミンダナオ子ども図書館に応募してきた。
妹は歩行困難で、成績はよいのだが小学校をストップ。
今後、唯一残された手段として、ミンダナオ子ども図書館に住み、
若者たちが車いすを引いて通学する。
ところが、フィリピンの車いすは値段も高いしやたら重い。
軽くて丈夫な日本の車いすがあったらどんなに助かるか、と言うことで、
今回は水仙福祉会に相談して、
特定の方が使われるのならと言う条件で寄贈を受けた。
本当にありがたい申し出で感謝!


 英語ミサでフィリピンの人々に、懐かしい故郷の映像を報告。

福岡の行橋カトリック教会では、一般ミサのなかで、
難民や医療プロジェクトの状況報告をしたが、
午後の英語ミサには、普段50名以上のフィリピン人が集まる。 
午後はミサ後、フィリピンの人々に、現地の美しい風景や生活、
その中で活動しているミンダナオ子ども図書館の若者たちの様子、
また私たちが実行している文化祭のDVDを見せた。
日本でフィリピンの人々にこうした形で出会うのは初めて。

フィリピンの若者たちとDVDに興じる山元眞神父(左)
と説明するエープリルリン。
最初は、教会の後ろ席で見ていた若者たちも
引き入れられるようにスクリーンの前に集まり、
椰子の実取りや海水浴、豚の料理や伝統の踊りの場面で、歓声を上げたり、
笑ったり、懐かしさに涙を流したり。
普段日本で、孤独でつらい毎日を送っているだけに、一時ではあったが、
温かく陽気なフィリピンの風が流れた。
このような時を持つことは、本当に必要な事だと実感した。
声をかけていただければ、いつでもフィリピンの方々の集会に顔をだします。

ここでも、ミンダナオの子どもたちのためにスカラシップや
衣服などを支援してくださっている。
 

 日本滞在中に気なった事など

若者の自殺、母親の首切り殺人など、ショッキングなニュースが駆け回っている。
日本の若者や中高年の自殺に関しては、
先年のメールニュース10月あたりで記事を書いた。
ここ数年、引き続き大きな問題となっている。
日本は、世界で唯一、戦争をしない、戦争に荷担しない国であった。
しかし、ここ数年、戦争に荷担できる国になろうとしているように見える。
これは、日本にとって、自殺行為とならないか。
アジアが経済的に発展していく中、日本がいつまでも
優位な成長を続けていく基盤も自信も失せつつある。
過去の戦争の精算をしなかった分、他のアジア諸国の発展に対して
驚異と恐れがわき上がっているようにも見える。
アメリカはもはや世界でその存在を誇示することは不可能となるだろう。
平和を切り口に、アジアに切り込むことが、
日本の未来を開く唯一の道に思えるのだが・・・・
以前ミンダナオ子ども図書館に来られた、盲目の上岡由佳さんに会いに、
奈良に行った。
由佳さんの家が、奈良の山沿いの小村にあり、
山や田んぼの風景を見たときにようやく息が出来る自分を感じた。
奈良は、まほろばと言われるように原風景をまだ持っている。
子どもたちの表情も良かった。
妻のエープリルリンも、奈良でようやく子供らしい目をした
子供に会ったと言っていた。
日本復活の可能性は、地方から始まるのかもしれない。

由佳さんは、奈良のFM放送のディスクジョッキーもされており、
今回は奈良在住のフィリピン人のカルメンさんと夕食を共にした。
ちょうど滞在中に、毎日新聞にカルメンさんの記事が出ており、
親しく話せて良かった。
 

最後に趙さんの娘さんの手紙を紹介します。
ミンダナオに来た若者たちが、どのように感動し、
また日本をどのように見るか、国籍に関係なく読んでいただきたい。

 趙さんの娘さんからの手紙

 お久しぶりです!!
松居さんやご家族、宿舎のみんなは元気にしていますか??
 連絡をするのが大変遅くなりましたが、 私は2月の末に北京へ戻り、
今はもう授業が始まっています。

フィリピンへ行って来ると前もって知らせておいた友達から、帰って来るなり 
「どうだった?」 
と質問攻めにあいましたが誰一人に対しても
上手く答える事が出来ませんでした。

 実は私が今回ミンダナオへ行くと決めたのも軽い気持ちからで、
フィリピンという国に関して何の知識もありませんでした。

要するに“目的”もなく、“ただ母に付き添って来ただけの者”だったのです。

 もちろん母からは事前に「遊びに行くのでは無い」 
と強調されていましたし、どのような活動をされているのか、
簡単に説明は受けていました。
 しかし実際自分の足で現地へ入り、体験した事たちは正に
“百聞は一見にしかず”を思い起こすほど、イメージと異なりました。
 何も考えずに来てしまった事が裏目に出て、学ぶ事や感じる事のあまりの多さ、
深さ、広さに頭がついていけませんでした。
 何度も友達にミンダナオの事を話して聴かせようとしましたが
一度話し始めると芋蔓のようにずるずると別のモノがついてくるのです。
それはまだ私の知識の領域ではなく、しかしそれらは全て繋がっていて、
話さなければ理解できない。
 結局いつも中途半端なまま話が終わってしまい、
何が言いたかったのか自分でもわからなくなってしまうのです。
以前、韓国人の牧師さん宅に招待していただいた時、
牧師さんが「この国は歴史、宗教、経済、
政治もろもろ全てが絡み合った複雑な国だ」
と言っていた言葉を思い出しました。
今の私はミンダナオを語るには足らない、そう思い、
今では「自分の足で土踏んでみて初めてわかる場所や」とだけ言っています。
 まだまだ学ぶべき事は多いです;
 ミンダナオを訪問してもう1ヶ月が経ったとは思えないほど
そこでの生活が昨日の事だったようにも感じられ、
本当に自分がミンダナオにいたのかと不思議になるほど
そこでの生活が夢だったように感じられます。
 日本に帰ってまず感じたのが、道行く人々の瞳の何と輝きの無いこと!
まるで機械のようです。 
子供達の生き生きとした表情や、訪ねて行った村の人々の切ない表情など、
ミンダナオでは一つ一つの表情全てに感情が漲っていたように感じました。
本当の人間に会ったような気がします。 
時間を見つけてまた必ず行くつもりなので、
時まで健康で元気に過ごしてください。  
みんなにも宜しくお伝えください。では・・・
復活祭は、こちらでは日本の正月休みと同じで、
役場も商店も学校も全て活動が停止し、休眠状態に入る。
復活祭の日は、旅や仕事もしてはいけない、と言う迷信がある。
キリストが死んだ時であり、葬式休みに入ると言って良い。
聖金曜日には、あのめまぐるしいダバオの町に、
昼間から人っ子一人いなくなったのは驚いた。
迷信深いフィリピン人ならでは????

 下は、大阪、兵庫からの、訪問客とプロック8の子どもたち。
 
 今年、10月下旬に、上述のピキットから来た
イスラム教徒の若者たち6名が、
クリンタンの演奏や踊りを披露しにうかがう予定。
それを話し合ったと共に、復活祭明けにプロック8の子どもたちの所へ
読み聞かせに行った。

皆さんで、お話組木の実演をしてくださる。
大阪の図書館司書OB小林さん、読み聞かせのプロ錺さんなど、
若者たちに読み聞かせの指導もしてくださった。
こちらの子どもたちが2時間以上も集中してお話を聞くのにビックリ!
「日本の子どもたちの集中は45分が限度なのに・・・・・」

 東洋英和女学院の石津珠子教授が訪れ、支援しているアンダスくんに会う。

アンダスくんのお母さんと一緒に(写真上)。
父親は病気で母親も仕事が無く、バナナプランテーションの開発で
食物の自給も不可能になり厳しい状況にある。
その様子を見て、石津教授は心を痛める。
ミンダナオの若者たちの豊かな精神性の背後には、
想像もつかない深い困難や悲しみがある。
そこに触れずしてミンダナオを語ることは出来ない?


ミンダナオ子ども図書館だより 2月22日

次々と訪問者があり、また遅れがちになった
季刊誌「ミンダナオの風」の編集発送、
ソーシャルワーカーと最終の家庭調査で再び地域をめぐり、
加えてヘアリップとポリオの子たちの医療プロジェクトと、
ここへ来ていくつもの活動が重なり、便りを出す暇もなくすぎました。
お伝えしたいことは、今までのように山ほどあるのですが、
かいつまんでご報告いたします。

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在日韓国人の帳さん、お母さんと娘さんが訪れられた。
娘さんは、現在北京の大学で勉強中。韓国語、中国語、日本語が話せる。
2週間の滞在で、すっかり若者たちと親しくなり、
心の壁を越えた暖かい交流が胸を打つ。
奨学生の家庭調査に同行し、時には道無き道を行き、川を渡り・・・・
ずいぶん驚かれもし、感動もされた。
最後の日には、若者たちと涙涙・・・「毎年必ず来てね!」
と言う若者たちの声に送られて帰られた。
心の交流が出来る方が来られると本当にうれしい。
日本では人権を中心にした活動をなさっており、
志を持って生きていらっしゃるだけに安易に物事をとらえておられず、
普段はビジターを簡単にはお連れしない地域にも
安心して同行していただけた。
ミンダナオ子ども図書館の家族の一員となってくださるだろう。

ドクター司医師が再訪
マノボのプロック8村とマキララのバゴボの村の健康調査。
マノボの村の子たちの検便をし、子どもたちの診察をしてくださった。
僧侶のような姿で、飄々と活動していく姿は
不思議な印象と感動を人々の中に起こす。
新潟の病院の先生で、タイで熱帯医学を勉強し直し、
現在はマニラからミンダナオに活動の拠点を移される。
ミンダナオ子ども図書館は、ドクターの出張診療所となり、
持参の電子顕微鏡と薬を置いて、次の拠点に向かわれた。
またもどってこられる予定で、
次回はイスラム地域の子どもたちの健康状態をチェックする予定。

AJ

アジア学院の研修生が到着。
今回は、ネグロスでの一ヶ月の研修の後にミンダナオに来られた。
ネグロスの研修には、ミンダナオ子ども図書館から、
マノボの牧師ガボン氏とピキットのイスラム教徒の若者を送る。
二人とも感動して帰ってくるなり、ガボン師から、
「この経験を生かして、ミンダナオ子ども図書館を
有機農法のモデル農場にしたい。」との提案を受ける。
ガボン師は、マノボ族の間で大きな影響力がある人だけに将来が楽しみだ。
イスラムの若者は、ミンダナオ子ども図書館のスカラーとなり、
専門として農業を勉強していく予定。
これらの地域の農業が軌道に乗れば、平和にも貢献するはずだ。

アジア学院の長嶋氏と韓国の牧師のバン師と
バンサランのルーラルライフセンターへ。
ここは、バプテスト教会が運営するバンサランのモデル農場。

山羊の飼い方、傾斜地農業、有機農法を取り入れた農法、
フィッシュポンド(魚池)などを総合的に展開し、
自給を基盤とした農業に感銘を受ける。
その後、ネグロスからもどられたガボン師の提案で、
ミンダナオ子ども図書館を有機農法の農場にしたいとのこと、
イスラム教徒の若者もスカラーになり、いよいよ
ミンダナオ子ども図書館の農業部門が始動し始めた?
アジア学院のご厚意で、数日後には、ミンダナオ子ども図書館の
農業スタッフ2名とソーシャルワーカーのリアが研修に参加し、
ルーラルビレッジとマイクロファイナンスの実施を見学する予定。
ちょうど、マノボのプロック8で、水牛のファイナンスの話が
出ているので参考にしていきたい。
フィッシュポンドも可能性があると思われ、
今後いろいろな貧困地域で活かせていけるだろう。
 
アジア学院の若者たちと、高地のマノボ族の調査に行く。
山道を行く私たちのスカラシップ調査に驚き感銘を受けた様子。
写真のように、かなりの山地を谷を越えて行く。
このようなところにマノボ族のスカラー候補が住んでいる。
スカラー候補のジャニット マラカスさんの家の前でご両親と・・・http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/aplicanteSP.htm

また、ウオーターフォール集落の読み聞かせに参加。
ここは、マノボ族の集落で、下のボホランノン集落よりも貧しさが目立つ。
兄と弟がポリオのアロナ アモールさんは、この村の出身。

ウオーターフォール集落は、その名の通り美しい滝があり、
アポ山の登山口にもなっている。
写真は、滝で子どもたち。
このマノボの集落の下には、イスラム教徒の集落もあり、
そこでも読み聞かせをする。
 

 アジア学院の若者たちは、2月25日日曜日のムスリムデーにも参加予定。
 今後の彼らの将来に祝福がありますように!


ミンダナオ子ども図書館だより:盲目の少女日本から

盲目の少女といったら上岡さんに怒られるか、笑われるかもしれないけれど、
奈良に住む上岡さん(27)は少女のような心の持ち主であることは確かだ。
ミンダナオ子ども図書館を知ったのは、このメールニュースでだった。
メールで返事をいただいたときには、見事な日本語なので
(後になって関西のラジオでトーク番組を持っていたことを知って納得)
まさか盲目だとは思わなかった。
11月の大阪市立図書館の講演会場で始めてお目にかかり、
その後からミンダナオ子ども図書館に来られることを決心されたようだったが、
まさか本当に来られるとは思わなかった。
たびたびマニラなどには行ったことがあるという話は聞いていたが・・・・・
上岡さんは、ミンダナオ子ども図書館に引き取られてきた、
盲目のジュンジュン君の事が気になっていたようだった。
ちなみにミンダナオ子ども図書館には、ジュンジュン君とベルリーンさんの
二人の盲目のスカラーがいる。
下の写真は、ジュンジュン君とベルリーンさん。
二人は兄妹のように仲が良い。


今回、上岡さんは、6月から盲学校に入るジュンジュン君に、
持ってきた教材と時計で、時刻の読み方とアルファベットを教えてくれた。
この世の中に、時計という物があるという事も、
アルファベットで全ての物を書きあらわせるという言うこと、
すら知らなかったジュンジュン君にとっては、天地がひっくり返るような
画期的な出来事だった。
教えている様子を見ていて、忍耐強い上岡さんの様子に、
感銘を受けたスカラーも多く、みんなでジュンジュン君の勉強を
手伝っている姿は傍目にも美しかった。
ちょうど日本に帰った折に、吉祥寺カトリック教会の売店で手に入れた
映画のDVD「奇跡の人」を皆で鑑賞した後だっただけに、
上岡さんの姿がヘレンケラーに字を教えるサリバン女史の姿とダブったのだ。
といってもジュンジュン君は耳が聞こえるが・・・
 下の写真は、教えている様子。

ジュンジュン君にとって、この経験は画期的なことであることは、
様子の著しい変化でわかった。
歌だけ歌って馬鹿騒ぎしていた彼が、物思いに沈むようになり、
聞くといろいろと将来の事を考え始めている。
6月から盲学校で勉強する事に、異常なぐらい関心を集中させている。
上岡さんを飛行場に迎えに行ったときも、近くの芝生で座りながら、
「飛行機の足につかまって空を飛ぶんだ」と言っていた。
どうやら鳥のような物を想像しているらしいので、
「お客はお腹に入るのだよ、出るときはウンコのようにお腹から出てくるのさ」
と説明して、二人で笑った。
上岡さんのおかげで、盲目でも世界を旅できるという、
信じられない人生が広がったのだ。
まずは文字を覚えて、英語とタガログ語を勉強するのだとはりきっている。

上岡さんは、お兄さんがインドネシアで勉強しているだけに、
イスラム教徒にも理解があり、
ピキット地域の読み聞かせにも参加し、市場を巡った。
盲目の日本人のしかも女性がこのようなところまで来ることに、
市場の人々もビックリして、たちまち人気者。
(写真上、同行してくださったのはDSWDの所長グレイスさん)
最後のお別れ会では、イスラム教徒の若者たちが歌ってくれた。(写真下)

10日間ほどの短い滞在の間に、彼女がミンダナオ子ども図書館の
若者たちの中に残した足跡は深く大きかった。
とりわけ、ジュンジュン君には、一生を決定するような足跡だった。
毎年来られるだろう。ミンダナオ子ども図書館で山地を巡るときには、
盲目の子が他にもいないかたずねていきたいと思っている。
私自身も、多くの事を勉強させられた、貴重な日々だった。上岡さんに感謝!
追記:上岡さんは奈良の田舎でお父様は猟師もなさっている農家の家庭。
宗教を聞いたら、屋根の上に白い蛇がすんでいて拝んでいるような感じの宗教、
と言っていた。
ミンダナオ若者たちも同じような物をたくさん信じている・・・・





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