国際交友の記録
2016年




日本から訪問してきた
支援者の方々と一緒に
奨学生を訪ねて山へ


ミンダナオ子ども図書館では、
訪問者が、独断で独自に行動することは、
市内で有っても許されていません。
必ずスタッフや奨学生が同行します。
MCLの訪問者のポロシーは、
下に紹介しましたのでご覧ください。
それほど危険は感じないのですが、
日本政府が規定する
高度な危険地域に属しているため
もしも、万が一何かが起こった場合
ミンダナオ子ども図書館の責任が
問われかねないためです。
訪問希望の方は ここをクリック!
活動は、読み語りなど、
MCLのスタッフや
現地から来て住んでいる
子供たちと一緒に村を巡ります。
村人たちが、安心して受け入れてくれるように。
その帰り道に、時には川で水浴びして
自分自身を洗濯したり・・・




時には、倒れて妨げになっている
木を切ってよけながら
山奥の村の奨学生の子供たちに
会いに行きます。









支援している子に会えた! 

奨学生を支援して
くださっている方の場合は、
必ずその子のいる学校と家を訪ねて
奨学生に会えるようにします。


ただ、車で数時間かけて
山々を巡っていくので、
その途中で、
別の奨学生に会って
状況をチェックしたり
学用品を届けたり、
病気の子どもの
病後の経過を確認したり・・・

現地の子供たちや
村の状況を見て
病気の子がいないか等、
何に困っているかを調査します。
訪問者も、
危険地域を除いて同行します。


活動は、全て
事前に情報を集めて行動しますが、
戦争や地域紛争など
危険な状況の場所は、
同行できません。



 戦争と平和
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活動に同行することで
現地の子供たちの
生活が見えてくる

日本では、
「スタディー(勉強)」が重要で
海外を知るための
スタディーツアーが盛んなようで、
私たちもずいぶん
いろいろなところから要請を受けました。
しかし、
スタディーツアーが目的ですからと
根掘り葉掘り質問したりすると。
「こいつら、本当は何の調査に来たのか???
きっと、鉱物資源を調査しに来たのだろう。
後日、刺客が送られてきて、
おれたちは、ここから追い払われて、
襲われて殺されるかもしれない」
などという、不信感が生まれてくるのです。
平和な日本から訪問した人には、
想像しがたい、信じられない話ですが。
事実、最近山で起こるのが
ニッケルなどのレアメタルの発掘調査。
これに反対したマノボ族の酋長が殺されて、
その娘さんが、
MCLの奨学生になっています。

ある村では、
私も日本政府が開発調査に派遣した
要員だという噂が流され、
再訪したときには、
村の全員が恐怖で逃げてしまって、
誰一人いない事態。
そこで、理事でマノボ族の酋長で
牧師でもあるガボン氏と、
懇意の現地の酋長とで
再度、村に行き、
悪霊払いをしました。

そういったことが、
まったく解っていない訪問者が、
ただ村に入って、撮影したり
質問したりしたら、
村人はどれだけ警戒し、疑うか・・・。
私たちは、どこの村を訪れるときも
ただ「撮影や見学」に行くような
観光やツアー気分の行為は
危険であるが故に行いません。
村にいくからには、
事前に、コンタクトパーソンを通して
村に通達して、
その村の人々とりわけ子供たちにとって
奨学生支援、読み語り、
医療支援、保育所支援のため等々
何らかのしっかりした良い理由を伝えてから行きます。
実際に行動するときも、
現地に通じている人や
現地の人々も良く知っていて信頼されている人、
あるいは現地出身の奨学生やスタッフと一緒に、
出来るだけ大勢で行きます。
そうすると、危険地域の人々も、
「何とかちゃんが、帰ってきたよ!」
「MCLが、読み聞かせにまた来てくれたよ」
「古着を持って来てくれたよ!」
などといって、大歓迎して迎えてくれます。
そうした配慮が大切です。

 
それゆえに、MCLは、
基本的に現地では、
不自然に受けとられかねない
スタディーツアーなどは、行わず
訪問者は、支援奨学生に会いに
同行して来たことを
村人たちに話します。













  









支援している子と一緒に
支援している子たちからは、
高校生、大学生の場合は年四回
手紙が届きます。

手紙は、英語で書かれています。
お返事は、日本語でもOKです。
現地スタッフの宮木梓が、
翻訳文をつけて奨学生に渡します。
奨学支援者の訪問の場合は、
必ずその子の家にお連れします。
ただ、イスラムの危険地域の場合など、
状況次第で、家庭訪問が難しい場合は
支援している子をスタッフが迎えに行き
ミンダナオ子ども図書館まで連れてきます。

その場合は、ミンダナオ子ども図書館の本部に
奨学生は支援者といっしょに泊まり、
その子とキダパワンのモール等に行ったり、
食事をともにしたりすることも可能です。
ただし、スタッフが同行するのが原則です。
とりわけ、卒業式の時など
子供たちは、抱きついて
泣いて泣いて喜びます。

ぜひぜひ、いらしてください。
宿泊費はとっていません。家族ですから。
何日でも滞在してください。
男子部屋と女子部屋と家族部屋があります。
家族の一員としてお迎えするので
食事は、子供たちと一緒に同じものを食べます。

訪問希望の方は ここをクリック!






訪問者の若者が、
MCLの中では
子供たちと芋掘りと庭掃除をした

 
雑草抜きに見えるけど
本当は、
カサバイモの芋ほりよ!




カサバイモは、おいしいよ!



ああやって
お芋を掘るんだ!



 









ミンダナオ子ども図書館の
日常風景

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マノボ族の文化を特別に調査
理事で酋長で牧師の
ガボン氏をたずねた 
先住民族の文化調査が
目的で来られた方。

訪問の目的が、現地の人々にとって
意味のある調査などの場合は、
特別な計らいで、計画をお立てします。
文化人類学者の増田氏などを
現地の先住民族の方々に
紹介しています。
本も出版されています。

現地の取材など、
可能な限り
お役に立ちたいと思いますが、
内容によっては、
不可能な場合もあります。






帰りに、
マノボの集落を訪問
親のいない子を奨学生に! 
 
今回、先住民の取材で来られた方と
帰りがけに、ひさしぶりで
マノボ族の集落を訪れた。

ここは、山岳地では無いけれども
平地の良い土地を移民に取られて、
斜面にかろうじて家を建てて
住んでいる、先住民のマノボ族の集落。
土地を持っている移民たちの
畑や田んぼの草刈りや
家々をまわって、洗濯物を集めて
洗濯をして日銭を稼いでいる。
学校まで、3時間近く
歩かなければならない。
それゆえに、お弁当も持って行けない
極貧の子たちには、
学校に行くことすら辛いこと・・・。

すでに、10年にわたり
奨学生を、ここから採っていて
大学を出た子もいるけれども、
高校や小学校で
ストップした子も多い。
MCLでは、
保育所も建設しているけれど
生活はいつも大変。
今回も状況を見るために
訪問者といっしょに訪れて
いろいろな話をうかがった。
そして、最後に
親がいずに、学校に行きたくても
行けない少女を2人
奨学生候補に決定した。
候補と言っても、
まだ支援者は、いないけど
すでに奨学生としての採用で
ここから学校に通うよりも
「ミンダナオ子ども図書館に住みたい!」
という、本人の強い希望と意志で、
MCLに住んで
近くの学校に通うことになった。

村では、親のいない子も
放っておきは、しないのだけれど
自分の子だけでも7人以上いて
学校に通わせるのが、大変なのに
預かっている子を学校に
行かせることなど無理な話。
そんな子たちが、
MCLに80人ほど住み込んで、
近くの学校に通っている。





 土地を追われるマノボ族
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増田和彦氏の本が出版された
文化人類学者で
ミンダナオに来られ、
ミンダナオ子ども図書館でも
全面的にご協力させて
いただいていた、
増田和彦氏の本が
出版された。
数年にわたる
実地調査に基づく、
本格的な研究書だけれども、
しばしばミンダナオ
子ども図書館にも触れられ、
特に第九章の2節で、
「ミンダナオ子ども図書館
の活動」について
専門分野から書かれている。
定価は6000円だけれども、
ミンダナオ子ども図書館の
支援者の方は、
5000円に割り引きとのこと。
申し込みは、
FAX 043-441-3014
和算研究所
メール
masudak2004@yahoo.co.jp
貴重な数々の写真もあり、
ミンダナオの先住民族を
知るための貴重な本。


そんなことが起こっているの?
現地の真実の姿に触れるのも
今後の日本、世界を変えていく
若者たちには大事なこと

ミンダナオ子ども図書館の、
最初の会計をしてくれた、
ダバオ出身のスタッフ
(お母さんは、ダバオの修道会の調理師をしています)が、
「自分の叔父さんは、
バナナプランテーションで働いていたけれども、
農薬の空中散布で死んだ」と語ってくれました。
当時わたしは、
ミンダナオに足を踏み込んで間のない頃で、
何も知らずに驚いて言いました。
「そんなことが、起こっているの?
それは酷い、裁判所に訴え出るべきだよ!」
すると彼女は、こう言いました。
「そんなことをしたら、刺客を雇って殺される!」
驚いたのですが、
以下の本にも書かれており、納得しました。
『参考「フィリピン・私の家族は国家に殺された
―家族を奪われた女性たちの戦い」
工藤律子著 長崎出版』

さらに、活動を始めて驚いたのですが・・・
アラカンで先住民族を40年間擁護してきた、
イタリア人のファウスト神父さまも、
シスターの話によると
「体制側に雇われた刺客に殺された」
とのことです。
プランテーションの農薬汚染と
山岳地でも希少金属(ニッケル)の開発による
河川の汚染に、反対していたからだということです。
(ぼくも、暗殺される危険がある!)
その後にも、希少金属の開発に反対した
山のマノボ族の酋長がその場で殺され、
その娘さんは、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生にしています。
ミンダナオ出身の今のドゥテルテ大統領は、
その事を知っていて
鉱山開発を抑制する処置をとっていると、
貧しい人たちは考えています。

写真は、大量に廃棄されたバナナです。
食べるとおいしいのだけれども、
現地の人々は、
「農薬がかかっているから死ぬかもしれない」
と怖がって食べません。
一般農場のバナナは、もちろん食べるますが。
プランテーションの農場と一般農場の違いは
一目瞭然です。
地面に下草や雑草が
生えているかどうかでわかります。
地元産のバナナは、
日本のフェアトレードでも売られているバナナで、
現地の人たちも安心して食べている、
低農薬の地元産のビナガイとかトゥンダン・・・


写真は、土地を失った先住民たち。
彼等は、川沿いの斜面などに住み着いています。
唯一の収入は、
プランテーションのバナナを拾ってきて、
切りきざんで、豚の餌として売ること。
どんなにお腹がすいていても、
拾って来たバナナは、怖くて食べない。
ミンダナオ子ども図書館の奨学生で、
戦前の日本人の血が混じっている日系人
(戦争の時に、日本人であることを
隠して山に逃げた一族)の娘の・・・さん、曰く。
「わたしの叔父さんも、食べ物がなくって、
プランテーションのバナナを食べて、
お腹がいたくなって死んだの・・・」


下の写真は、先住民の村。
(全ての写真の90%は、
わたしが現地で撮影)
この村からも奨学生をとっています。


高原バナナが有名になって、プランテーションは、
みるみるうちに山麓の高原地帯に広がっていった。
ミンダナオ子ども図書館のある、
アポ山の北コタバト州。
プランテーションを頭から否定はしないけれど、
せめて農薬の被害や、
平地の肥えた土地を追われ、
斜面に居住地を移さなければならなくなった
先住民たちの状況などを把握して、
土地持ちの金持ちだけが、私腹を肥やして、
貧富の差が拡大するようなことを防いで欲しい。
日本であんなに安く売られているけれど、
利益はほとんど富裕層と海外企業に?
プランテーションでは、日雇いになるにも、
高校学校卒業の学歴と出生証明書が必要。


でも、貧しく山に追われた先住民は、
小学校2年生になると
お弁当も持って行けずに、七割が学業停止して
字も書けないので出生届も出ていない。
そのようなわけで、雇ってもらえないのです。
子どもたちは、家族を助けるために
唯一、落ちたバナナを拾ってきて、
豚の餌を作って売るだけ。
それを食べて、豚が死んだという
話も聞いている・・・。
できれば、利益が、
こうした人々にも、行き渡れば良いのだけれど。
少なくとも、ミンダナオ子ども図書館では、
写真の村々に保育所を建て、
そんな子供たちを奨学生を採っています。


それでも、生きるために
明るく力をあわせる子どもたち。
お金が無くっても、友情と愛があれば大丈夫。
でも、辛いのが、一日じゅう食べられないときと、
病気になっても薬も買えないとき。
学校に行きたくても、行けないとき。























MCLの男の子たちが
文化祭を前に、山に芝刈りに
否、山にヤシの実りに行った
皆さんもどうですか? 
 

日本から送られてきた
古着を着ているので、
現地の子たちより
豊かな感じ




訪問者も一緒に
奨学生候補の
状況調査に

9月7日

親がいず、
厳しい環境の子で、
学校に行きたくても行けない子がいる、
という、話が聞こえてくると、
私たちは、スカラシップに採る前に
真の実情を知るために、
必ずその子の家を訪ねて、
状況を調査します。
スタッフは、ほとんどが
MCLの奨学生だった子たちです。
下のスタッフは、
マノボ族のローズマリー。
現在は、スカラシップ
セクションのリーダー!


現在スカラシップの子たちは、
500名以上。
今までは、小学校を6年で卒業して、
その後4年間で
ハイスクールを卒業したら、
日本の中高を卒業するよりも2年早く
20歳で、大学に進学できたのですが
今年から政府が、
日本の中高で6年制と同じ、
ハイスクールを、
ジュニア4年にシニア2年を加えて、
6年制にしたために、
大学進学に燃えていた子が
ショックを受け
停止する子が多く出ました。

理由は、学校に行けなかった子の場合
すでに他の子より年齢が高く
保護者からも、本人の希望からも
働かせたい、働きたい
結婚させたい、結婚したい、
(こちらの結婚年齢は、16歳から18歳)
そんな希望と焦りが出てきたためです。

将来の事を考えると、
仕事を探すにしても
大学に行った方が良いよ・・・
彼氏を探すにしても、大学が良いよ・・・
というのですが、
兄弟姉妹が年下でも
働いて家庭を支えている様子を見て
いたたまれなくなるようです。













今、MCLでは、
140名ほどの奨学生が、
まだ支援者、里親がいません。
しかし、どうしても
現地に置いておけない子たち、
アビューズがあって
保護の必要な子たちは、]
無理して採用するので
これだけ多くなってしまいました。
皆さん、お願いします。
自由寄付でも助かります。


支援方法のサイトへGo!

ミンダナオ子ども図書館の
活動地域


 ミンダナオ子ども図書館の活動範囲は、
東はダバオ湾の半島から、
西はコタバト市まで、
北はアラカンから時にはブキッドノン。
南はサンタマリアとリグアサン湿原地帯。
下の地図に、おおよそ過去において
避難民救済、保育所建設、スカラシップ
植林、などなどで活動してきた
範囲を囲って示しました。
写真をクリックしてくだされば、
拡大してみることが出来ます。

ミンダナオの地図へGo!
地図上で、⑪と出ている
Kidapawan市が、MCLのある町です。
キダパワン市が、MCLのある場所で、
活動範囲は、
そこを中心に楕円形に広がっていると
思ってみていただければ
良いかと思います。

ミンダナオの地図です。
画面をクリックしていただければ、
大きくなります。
四角で囲った部分が、
スカラシップ、植林、
保育所、戦争避難民救済などで
活動してきた範囲です。

ミンダナオ子ども図書館は、
行動範囲だけではなく、
保育所建設などの活動範囲が、
北コタバト州からダバオ州、
そしてマギンダナオ州にまで
広がってきたので、
現在マニラの福祉局と話ながら、
北コタバト州ではなく
フィリピン政府の直轄のFoundation
NGOとして
フィリピン全体で活動できるように
動いています。
ほぼ、マニラとの話も詰めに入り、
最終調整の段階です。
MCLの現地スタッフが、
ソーシャルワーカーや理事、
役員も含めてしっかりと動いています。
妻でディレクターのエープリルリンが、
全体をしっかりとマネージして、
時には政府から頼まれて、
NGOの集会で講演もしています。
日本でも講演を少しずつはじめました。

(その後、2017年に、
フィリピン政府直轄の法人に認定され
フィリピン全土での活動が
可能になりました。)








活動範囲が広いので
調査と平行して、
学用品も届けます。 

とにかく、活動範囲が広く
奨学生候補を調査したり
奨学生の子どもが、何らかの理由で
学業を停止していたりする場合、
スカラシップ担当のスタッフと
ソーシャルワーカーが子どもに会いに
現地の学校や家をたずねます。
(ソーシャルワーカーも3人いて、
そのうち2人は、卒業生たち・・・)
山道を行くガソリン代だけでも大変。
節約のために、
一気に仕事を集中させます。
訪問者も同行して、現地を見ます。
 
 




学業を断念する子が増えて
もうすぐ今年度の
卒業式が近づいています。

しかし、ここに来て、
今年は高校4年生で
学業を断念する子が増えて、
支援者の方々をガッカリさせています。
そうした子たちのほとんどの理由は、
働いて家族を支えること。
調べると、

1,物価高で家族の生活が
厳しくなってきていること。
米なども、4,5年前の倍の価格。
貧富の格差が激しくなってきて、
山の子たちは大変。

2,高校が今までの4年制から、
今年から6年制に変わったこと。
これが大きい原因です。
高卒まで、さらに2年間が
加わったことで、18歳で卒業。
大学卒業は22歳。
これは日本と同じなのですが、
15,6歳で結婚することも多い山では、
18歳だけでも、かなりな年齢。
もはや家庭で両親や
妹弟を助ける年齢なのです。

そんなわけで、
今年から突然
高校卒業まで2年増えて、
特に今年卒業の子たちが
ショックを受けて、
学業を停止することを選びました。
おそらく親からも
プレッシャーがかかっているようです。

停止の理由の殆どが、
「仕事を見つけて、家族を助けたい」でした。
MCLに住んで通うことを
提案したのですが、
親が子に、働いてほしいと言う
要求がつよい場合もあり、
引き留めることの出来ない
子もいました。
何と答えて良いのやら。
頑張ってね、としか言えない。

ただし、都会に行かされて
女中や子守りで雇われて、
雇い主からアビューズされて
MCLに飛び込んできて、
泣きながら
「家にも帰れない。
雇い主の所は絶対に嫌!」
と泣いて、
最終的にMCLに
住むことになった子も数人います。
駆け込み寺のミンダナオ子ども図書館!




























大学から送られてきた
ソーシャルワーカーの研修生たちも
訪問者といっしょに調査


教育実習のために、毎年数回
ミンダナオの大学から3ヶ月
実習授業のために送られてくる
ソーシャルワーカーの卵たち。
ミンダナオ子ども図書館の活動の評判は、
現地の大学でも以外と高く、
毎年、教育実習のために
大学で社会福祉を学んでいる
学生たちが送られてきて、
3ヶ月の実習を行って単位を取得する。

彼等は、スタッフの活動に同行し
ミンダナオの山岳民族や
イスラム教徒の状況を学んでいく。
彼等は、口をそろえて言う。
「今までで、MCLでの実習体験が
どこよりも感動的!」
「本当に現地の状況がわかるし、
驚くべき体験が、次から次へと出来る!」
「他の施設なども見てきたけど、
MCLは、本当に子供たちが明るいし
生き生きとしていてすばらしい!」
これは、手前味噌で言っているのでは無く
本当の彼等の感想です。
この日は、MCLのある上の方の山の
ウオーターフォール集落へ行った。
ここの奨学生の状況を、
調査する必要があったから・・・


MCLのディレクターの妻に会って
泣きだした少女。
奨学生をストップして結婚し
今は、子持ちの母親。
でも、さまざまな想いが駆けめぐって
会ったとたん、抱きついたまま
泣きだした・・・。
奨学生を続けていれば・・・。
「でも、本当に困ったときには
MCLに駆け込んでおいで・・・」
孤児の子たちにとっては、
離れてもMCLは、我が家のようなもので
困ったときの駆け込み寺!

日本からの訪問者も、
いっしょに、現地を訪れた。
美しい滝にビックリ!
しかし、生活の困難さにも唖然!
でも、高校を卒業して結婚して、
生活は大変でも、
幸せになってくれたら、
それがなにより!


奨学生の調査が終わり
帰る途中で、ジャングルのなかにある
温泉をたずねた。

熱湯が噴き出している温泉は、
マノボ族の伝説の聖地だ!
日本からの訪問者も大喜び!
これが本物のジャングルだわ!

訪問されたい方は、
現地の状況にもよりますが
現地スタッフの宮木梓(あずさ)さんに
相談してみてください。
宿泊費はとらず、ファミリーとして
受け入れますが、 ただし、
MCLの訪問規定は、
子ども中心で、
非常に厳しく作られています。
守っていただけない場合は、
帰っていただきますし、
スタッフの活動に同行する以外に
特に、スタディーツアーはしません。
しかし、現地の大学生も含めて
本物の体験が、可能です。

訪問希望の方は ここをクリック!



        



















 


ミンダナオ子ども図書館に
帰ってきた
再訪は、さらに感動的!

子どもたちが
大喜びで迎えてくれた

ミンダナオ子ども図書館に帰ってきた。
子どもたちが、大喜びで駆けよって
抱きついて迎えてくれた。
「パパ友!!!」
「お帰りなさい!」

親のいない子や
不幸な環境で育った子にとって
思いっきり
「パパ!」といって
抱きつくことが出来る人が
いるという事が、
とっても大切だという事が
子どもたちの姿を見ていてわかる。
もちろん、女の子だけでは無く
男の子たちも
「パパ!」
と言って、抱きついてくる。


ミンダナオ子ども図書館に帰ると
先日、ダバオの病院で
手術をした子がいた。

まだ、経過を見るために
繰り返し、3時間かかる
ダバオの病院に
通わなければならない。
そこで、当分は
ミンダナオ子ども図書館に住んで
病院に通うことになった。
お母さんといっしょ。


これからの活動の
重要な要素が、医療です。
医者どころか、
薬も買えず、
マナナンバルという
祈祷師に祈ってもらうしかない
子どもたちが沢山います。
医療は、自由寄付で保っています。


子どもたちが植えた、
カカオの苗
 
3月は、エルニーニョによる干ばつで
特に、山岳地域の先住民は、
作物が枯れて大変だった。
MCLでも、緊急の米などを支援した。
今は、少し雨が降り、子どもたちが植えた
カカオの種も育ち始めた。
もう少し大きくなったら、
植林をする予定。

右と下は、3月に来たときに撮った写真
ミンダナオ子ども図書館の庭。
世界的な、気候変動のせいか
干害が起こり、
作物だけでは無く
雑草から木まで枯れ始めました。

特に山の人々は、
食べ物が無くなり、
政府の支援に
頼るしかなくなりました。

しかし、貯蔵米や
ワールドフードから届いた米も
横流しされて、
山の人々の元には、届かず。
それに怒った人々は、
政府の支援を求めて
デモ行進を行いましたが、
逆に発砲されて
けが人や死人が出ました。


干害が激しく、農民が食べられず、怒り。
政府の約束したコメの支援が
中間搾取で届かず・・・。
怒った人たちがデモをして、
3人が殺され、
けが人がたくさん出ました。
下の写真は、MCLのスタッフの
ピティーボウイ君の従兄弟で、
撃たれて亡くなりました。


今回、MCLに帰ったときは
エルニーニョは、去って
庭のドリアンの実も豊作で
子どもたちは、収穫の日を
涎をたらして、待っています。 
洗濯の水も出て
子どもたちが手入れしている花壇も
野菜畑も順調に育っています。
岩の中に住む妖精たちも
ホッとして、大喜び?







滞在二日目に、
野菜売りの子どもたちが訪ねてきた。
学校にも行かずに、
家族のために頑張っている姿は
いじらしい。
良かったら、
私の書いた童話を読んで
みてくださいね。
 
山菜売りの少女松居 友
 Go!




 先住民の文化祭の準備  
年四回の文化祭。
3月末の日曜日は、イスラム教徒。
6月末の日曜日は、先住民マノボ族。
9月末の日曜日は、クリスチャン。
12月の日曜日は、シンポジウム。

参加したい方は、
どうぞいらしてください。
食材を探しに
山にも行きましょう


今回は、マノボーデー
訪問者も、先住民族の文化祭に参加。
前日から、料理が徹夜で準備されます。
夜中に川に行って
松明をともしてカエルを捕ったり、
以前には、
ニシキヘビを捕獲して
解体して、蒲焼きにしたり。

食は、重要な文化で
相互理解を深めていきます。
下宿で、お米に塩をかけて食べている
大学生の栄養補給の意味合いも!
   
















 













  





  
   

















 仕事も遊びも、
みんなでやれば
友情のなかで
生きる力に変わっていく
 


  

    








立正佼成会の子どもたちから送られてきた
ゆめポッケを配った



貧困だけでは無く、
時には戦闘で
避難を余儀なくされるような
厳しい地域の子どもたちに
立正佼成会は、
ゆめポッケを送りとどける。
ゆめポッケは、
日本の子供たちが
一食ぬいてお金を貯めて
それで、貧しい子どもたちに
学用品やぬいぐるみを買って
それを親たちが手作りした
色とりどりの巾着袋に
いれてわたす。
長年、MCLでは、
ゆめポッケの配布を
お手伝いしてきた。
ひとつひとつに、
贈り物を選んだ子どもたち
そして、手作りで
巾着袋を作った
親たちの気持ちが
こもっていて
本当に喜ばれる贈り物だ。


 MCLが来たよ!
ゆめポッケくばるよ!
大喜びで
駆けよってくる子どもたち。

 
 
  
読み語りが始まった 










ゆめポッケを配る前に、
まずは読み語りをする
 
 
 

お話しだけでは無くって、
歌や踊りも披露する


そして、最後に
「おおきなカサバイモ」の劇もする
「うんとこしょ、どっこいしょ」
 

ゆめポッケの配布が始まった
 
読み語りの後に
いよいよ「ゆめポッケ」の
配布を開始。
まずは、ポスター写真を
見せながら
子どもたちが一食ぬいて
お金を貯めて
どのようにゆめポッケを
作っていくかを
ソーシャルワーカーの
アイリーンが語る。


語り終わってから、
いよいよゆめポッケの
配布がはじまる。
本来、立正佼成会から、
親子連れで来て
ゆめポッケを
子どもたちが直接
現地の子供たちに
配るのだけれど、
今回は、
情勢も考えて延期して
立正佼成会の代表の方が
訪問されて
ゆめポッケを配布された。

 
MCLの子どもたちに混じって
私の二人の娘たちも
子どもたちに
ゆめポッケを渡した。
MCLの子どもたちは、
親がいなくなったり、
さまざまな孤独やトラウマを
持っている子たちだけれど、
こうした活動をすることで
逆に生きる力を培っていく。
子どもたちの
喜ぶ笑顔に出会って
大きな生きる喜びを感じる。
友情と愛こそが、生きる力。

 
今回は、
日本から来た訪問者や
若者たちも参加して
喜びを体験した。
 


   
   


ゆめポッケをもらって、大喜びの子どもたち 
   

 
 

 
ゆめポッケを開いてのぞいて
中に入っている、
学用品やおもちゃ
ぬいぐるみを取り出して喜ぶ
子どもたち。
現地の子供たちにとって
ぬいぐるみなど、
ほとんど夢のまた夢。
鉛筆や色鉛筆、
クレヨンや定規も買えない。
このゆめポッケの活動は、
さらに現地に親子が訪れて
直接手渡すことで
さらに深い意味を
持つ体験となる。
帰る時には、日本子たちと
現地の子供たちは
抱きあって泣く。
こうした体験を通して
日本の子供たちや若者たちも
心を成長させて行き
生きる喜びと力を受けとり
感じて欲しい。
特に自殺の多い、
日本の子どもや若者たちに!
 
   
     

 
ゆめポッケの配布が終わって
配布した子の家を訪ねた。
こちらの家は、貧しくて
ほとんど竹で出来ている。
家具も無ければ
食器もあまりない。
立正佼成会の代表の方々が
家族にインタビューする。
ゆめポッケをもらって
大喜びの子どもたち。

 

 

 
 
   
 
  
 

配布が終わって大喜びの
MCLの子たちと訪問者
 


年末まずは
子どもたちとダバオハウスへ
皆さんもここに泊まれます
















あけけまして、おめでとうございます。
去年の暮れのダバオハウスの様子から


ここは、MCLの
ダバオ拠点のダバオハウス。
今回は、クリスマスと正月に、
親もいなくて里帰りが出来ない
子どもたち15人ほどと、
赤ちゃんもいるスタッフ達も
一緒にここに泊まり、
日本から来る、妻と娘とここで合流。
ここからさらに、海にいき、
お正月を過ごしました。
孤児の子たちが、
さびしいクリスマス、
お正月にならないように!

このダバオハウスを説明しますと、
ここは、これからのMCLの活動を考慮して
支援金は使わずに、
前田容子さんとぼくで、
約600万円で手に入れた中古の家。
持ち主の息子さんが、
心を込めてくつられたのがわかる家で、
持ち主は、ある村の村長さん家族。
最初は家を一年間借りたけれども、
MCLが気に入って、
出来ればあなた方に譲りたい、
と言う話をうかがって、
日本のみならず海外諸国との
関係が密になり始めた、
今後のMCLを考えて、
アメリカの古いスタイルで
クーラー時代の前の建物で
扇風機だけだと少し暑いし
修理も必要だけども、
思い切って購入しました。

けれど、二階もあり、今回のように、
大勢の子どもたちと寝られるのが利点。
ダバオに出るたびに、
ホテルでは経費も大変だし、
訪問者も多くなり、
決して裕福でない日本の若者達もいて、
MCLに来たくても、ホテル代が無駄。
そうした日本の中高年や
若者たちとの交流を考えて、
思い切ってこの家を手に入れた。
ここならば、訪問者も20名以上でも
無理すれば泊まれるし
宿泊費もかからない。
空港まで10分程度で近いし、
早朝や深夜の到着や出発も問題ない。
日系人会のミンダナオ国際大学も
すぐ近くだし、
デパートの買い物も可能。
近所に、日系人や米国人も
住んでいて治安も良いし・・・。
戦争が起きたときに、
スタッフもキダパワンから避難できる。
支援者の皆さん、ご利用なさってください!

連絡は、現地日本人スタッフ宮木梓へ
現地日本人スタッフ:
mclmindanao@gmail.com



小学校建設支援
カルボガンの小学校
完成までの経緯
 

今年の3月に
日本大使館で正式にサインし、
大統領選後の6,7,8月あたりから
政情を確認しながら進める予定の、
パガルガン地域小学校建設の詰め。
ミンダナオの戦闘地域でも、
最も不安的で、
微妙な場所に位置しているだけに、
和平構築に重要な場所、
イスラム自治区のカルボガンに
日本政府の支援で小学校が建設予定。
3月に、日本大使館で
私がサインすることになっていますが、
不安要因もあり、最終的なつめをしました。
先日、イスラム自治区で、
市長代理、エンジニア、
カルボガン村の村長、校長先生と、
MCLのイスラムのスタッフ4名と、
代表の妻と私とで、
カルボガン小学校の詰めをしました。

しかし、
一つの不安事例は(戦争は別にして)、
前に推奨して自治体が主体となり
建設したサパカンの小学校が、
危険地域であるがためか
マニラに本部のある
業者のチェックがあまりなく、
一部建設が良くないという
学校の校長からの指摘があり、
MCLには直接責任はないのですが、
一日本人としても恥ずかしく、
エンジニアと話し合って
3月はじめまでには完璧に修理し、
MCLのスタッフが
チェックすることになりました。

イスラム地域での建設は、
過去の経験からも難しい部分があり、
今回は会議を開き、
業者の選択も含めて、
エンジニア、村長、校長、市と
密接に協力しながら、
MCLのイスラムスタッフがたえず同行して
資材の調達、運搬、
そして建設の現地の村の職人の選択、
また現地に泊まり込んで
資材の紛失などの
管理をするこ とで一致しました。

MCLとしては、
全くボランティアで活動しますが
(皆さんの支援金の一部を使いますが、
現地の子どもたちのためです!
奨学生もいます。)
現地の子どもた ちとの繋がりを考えると、
不完全なまま放置されている海外支援の
建設物が多い地域だけに、
現地の人々の
日本への信頼を構築する
重要な仕事ととらえていま す。

IMTの中川さん、
サパカン心配ないので安心してください。
床を上げたことは大正解です!
洪水の時の避難場所にもなりますし、
喜ばれています。
ただ、置き土の固める経験が
なかったことが
ベランダに亀裂がはいる
原因となったようです。
3月上旬には、全面修理がなされます。

今回、私もサパカンの小学校をチェックし、
カルボガンも舟で行こうと思ったのですが、
ピキットサイドのタリタイとラジャムダで
選挙関係のリドーがあり、
危険で入れませんでした。

途中で建材が
行方不明になって
建設が中途でストップした
教育省の建物

竹でようやく
建っている校舎








コタバトで
カルボガンの小学校建設の調印式

 
大使館の職員とエンジニア、村長が握手
現地でもしっかりと
取り組んでもらうためにも
こうした計らいが重要
 
 
いつもマニラで調印式を行うが、
今回は、大使の意向で
初めてコタバトで調印式が行われた。
イスラムのバンサモロBDAの
拠点であるだけに
現地でも親しく、迎えられた。
2006年いらい、
和平交渉における日本の役割は大きい。
マレーシア、インドネシアと共同して
IMT国際停戦監視団を形成し
和平に貢献してきた。
MCLは、それに直接
携わってきたわけではない。
特定の政治団体のしたまたは、
宗教団体の下では、
活動しない定款をもっている。
しかし、どのような国、宗教団体であれ
良い企画では、現地のために協働する。
MCLは、15年間現地の最も複雑で、
戦闘や対立が絶えない地域に入り
奨学生をとり、保育所を建てさらに、
現地からの小学校を建てられないか
という要望で日本政府に応募して、
学校を建ててきた。
最初に建てたのは、マカブアル村。


道も無く、反政府ゲリラの拠点がある
危険な地域だったが学校が建ってから、
道も出来明るくなり、人々も帰ってきた。
次に建てたのが、ブアラン村。
こちらは、40年間、
丘の上のクリスチャンと
丘の下のイスラム教徒が対立し
殺し合いが続いてきた。
それが、学校建設を条件に
和平交渉を現地で行い、
かつてあった道を切りひらき両者が、
同じ学校に通えることを条件に建設した。
今は、すっかり平和になっている。
そのときの活動と様子を映像であげました。
以下をクリックして、ご覧ください。


和平構築の映像へGO!


いよいよこれからが
本番で大変です!
 
平和構築と学校建築 
映像を 見たい方は ここをクリック
映像を 見たい方は ここをクリック
MCLから、副代表のベビン、
スタッフのサダム
そして、現地のエンジニア、
村長、市長代理が出席


IMT国際停戦監視団で活動し
今回の提案にも
お声がけをしてくださった
中川さん







物的支援の難しさ

国際支援に関心のある青年たちのためにも
失敗や書きづらいことも含めて
率直に書きますね。

 
ミンダナオ子ども図書館の根幹の支援は、
読み語りで、いわゆる物的支援ではない。
しかし、平行して、
現地からの強い要望にあわせて
保育所支援、学校建設支援などの
物的支援も行っている。
保育所までは、
日本からの個人寄付で建てられるものの、
学校までは無理。
そこで、日本政府のODAに提案して、
マカブアル村についで、ブアランに建設。

前回は、
国際停戦監視団IMTに
JICAから派遣されている、中川さんから
「どこに建てたら良いか、推薦して欲しい」
といわれて、
MCLの責任ではないが、
イスラム自治区下のカルボガン市の責任で、
事を運び、サパカンに学校を建てた。
しかし、マニラの業者からの調査も無く
現地でも、床上げの技術が初めてで
本来は、地方自治体の責任なのだが、
提案した手前もあり、
MCLで調査し行政とエンジニアと話し合い、
修復を完了した。

写真は、左が修復後の小学校、
右が、修復前の小学校

現地にいると、
海外の支援の問題を
見せつけられる事が多い。
公に言いにくいのだが、
USAIDやEU、
日本のODAやフィリピン政府で建設した、
コミュニティーセンターなどの建物が、
資材の盗用や技術の未熟で
建設途中でストップしたまま放置。
さらに多いのが、
現地の有力者の
個人の所有になってしまっている例も多い。
MCLの保育所も、
個人の物にされて
話し合いで返してもらったりした経験もある。
また、セメントなどの資材を
とちゅうで横領されて、
建設が中途でストップしたり。
手抜き工事で、壊れたり・・・
現地では、公的支援という物は、
金銭も含め関係した有力者の
懐を埋める物という考え方が常識で、
特に選挙前に行われる。
ただし、MCLの場合は、
その後のフォローも続けていくので
一目置かれているが・・・

そういう経緯を見ているので、
今回コタバトで調印式があった
カルボガンの小学校は、
去年がサイン会だったのを一年延ばして、
大統領選挙後の6月あたりから、
着工することにした。
この村では、フィリピン政府が
建設しようとした校舎の一部も、
セメントで壁を作ったところで
ストップしており、
反政府地域の最も複雑で
難しい場所の一つだ。
MCLでは、
完璧に校舎を作るために
現地出身のMCLのイスラム卒業生を
建設現場に常駐させ
資材の盗用などを防ぐため資材調達には、
イスラムのスタッフを
常に同行させることにした。
支援というのは、
戦争の時の支援もそうだが、
「支援」という美名の元で
入ってくるのは良いのだけれど、
現地でたいしたこともせずに
支援金を得て帰って行く
国際NGOも結構多い。
特に、2002年の
ブッシュ政権時代のアメリカ軍による
「テロリスト掃討作戦」の時など
NGOの見本市と呼ばれるほど
国道沿いに欧米のNGOが入り
お店を出して、
テレビのカメラの前で
「これを買っていただければ、
支援に利益が回されます」
などと宣伝をしていた。
けれども、ほとんど危険な外には出ず
やがて、イラク戦争が勃発すると、
次々に消えていった。
「こんなに避難民がまだ沢山いるのに
なぜ、去っていくのですか」と聞くと
「もう、ミンダナオじゃないですよ、
イラクですよ。
ここにいても、もう支援金は
落とされないしね・・・」
といって、あっという間にいなくなり、
MCLだけが、残った。
当時のイギリスに本部を置く
国際NGOも、沢山井戸を掘ったけれど
数ヶ月後に、ほとんど壊れていた。
無経験のぼくには、
近著の「手をつなごうよ」(彩流社)にも
当時のことを書いたけれど、
支援というのは、体のいい、ビジネスで
NGOというのは、
死体に集まる、ハゲタカだと思った。
NGOの資金も、
実際に携わっている方々から、
スタッフの給与が大変で6割から、
時には7割消えていくという。
現地NGOでは、この仕事は、
給料が良くて、楽な仕事といわれている。
それで、MCLでは、
日本サイドは送金を中心としたボランティアで、
日本で時に活動する、
日本人の私と梓さんそして、
妻でプレシデントのエープリルリンに
月々6万円の給与が支払われる。
梓さんとエープリルリンには、
現地の給与が8000ペソ出される。
海外ボランティアの長かった梓さん曰く
「MCLは、現地では、食事、住居、年金、
医療、そして子供が生まれたら、
教育が大学まで保証されている。
そして、現地での給与の他、
日本での給与6万円は、
毎月使うことも無く貯蓄できる。
日本では、貯蓄することだけでも大変!
子ども達と毎日楽しいし、本当に幸せ!」


カルボガンの
学校建設を視察

MCLの法人資格が、現地の若者たちの手で
取得されて、公的に活動が開始されたのが
2003年の8月のこと。
元々のきっかけは、2001年に
キダパワンのバリエス司教につれられて
イスラム地区の戦争を見て、
その避難民の状態のひどさ、
特に笑顔を失った子どもの姿を見てから、
ここで読み聞かせ、医療、奨学制度が出来る
NGOを作らなければと思ったからだ。
そのことは、拙著『手をつなごうよ』(彩流社)
で、青少年向けに書いた。

それから13年、ミンダナオに足を踏み入れて
15年の歳月がん流れた。
その後も2002、3年の米軍による
テロリスト掃討作戦で、120万の避難民。
さらに2005年にも、戦争が勃発。
リドーと呼ばれる小さな戦闘にいたっては、
毎年のように起こり、
2006年の日本政府による和平交渉以降も、
2008年には、和平交渉決裂により
80万の避難民が出る戦争になった。
今年も小さな戦闘がしばしば起こり、
そのたびに避難民救済に駆け回って
あっという間の13年!




ミンダナオの全ての学校には、
上の写真のような番号が、書かれている。
これは、学校が避難所として指定されており
空爆防止のためだ。
2008年の戦争の時にも、軍の兵士が
リグアサン湿原の上を指して言った。
「ほら、あそこにフワフワ飛んでいる
飛行機が見えるかい!
あれは、米軍の無人偵察爆撃機だよ。」
すると、そこから爆弾が、ドーンと落とされた。
爆弾を落とす引き金を引くのは
戦場から遠い遙かアメリカにいて、
オフィスのコンピューターながめている
捜査官なのだという。
そのしたに、どれほど多くの避難民の
子供たちが、なけなしのシートのしたに
避難しているのか、解っているのだろうか?




そんな爆弾が落とされていた地域。
とても入れないと思っていた反政府地域。
東南アジア最大の湿原と呼ばれている
リグアサン湿原のイスラム自治区にも
戦争がある度に、逃げてきた子たちを支援し
親が殺された子たちを、奨学生に採り。
読み語りをし、保育所を建て
10年間にわたる交流を続けてきた。
その結果、現地の人々は心を開き
MCLを信頼し
受け入れてくれるようになった。



和平構築は、ヒナイニナイ バスタ カヌナイ
(MCLの合い言葉で、
ゆっくりゆっくり でも絶えることなく)
友情と愛のお付き合いをしていくなかで
培われていくものだと、感じている。
一時的に巨額な支援をしても、現地の人は
簡単に信じてくれない。
「何を下心に支援するの・・・???
目的は、リグアサンに眠っている
膨大な石油と天然ガスの資源を奪うこと?」
事実、ここで40年間にわかって
起こされてきた戦争の原因は
国際的な天然資源の
奪い合いだと聞いている。

 
ミンダナオ子ども図書館の活動は、
政治目的でも無く、宗教目的でも無い
子供たちへ愛と友情だけが行動規範だ。


それを理解してくれるから、彼等は言う。
「MCLは、お金目的の他のNGOと
違っているね・・・」
その結果、今回のような、
一般では外国人が入れないような
非常に難しい場所にも、
学校建設が可能になった。
ただ、こうした活動に妬みを持ったり
あるいは逆に、妨害して戦争を起こす
きっかけにしたい動きも過去見ている。

たとえば、中東でのイスラム国による
日本人誘拐殺害のように
ぼくを誘拐殺害して、あるいは、
今の大統領を殺害して、
イスラム国の仕業と大々的に報道して、
一挙に政府軍、アメリカ軍。そしておそらく
集団的自衛権と憲法改正を利用して日本軍
(現地では自衛隊では無く、一般的に
日本軍とみんな呼んでいる)まで、
ミンダナオのイスラム地域に攻め込んで、
軍隊を駐留させて、
リグアサン湿原の石油と天然ガス、
そして、山岳地たちの希少金属の
資源の発掘の基盤にするのではないか?


皆さん!
戦争を起こすための口実に
ぼくが、誘拐され、殺されても、
決してこの地のイスラムの人々を
悪く思わないで欲しいです。
ぼくは、この地のイスラムの子供たち、
とりわけ、戦争で親が殺された子たちを
心から愛し、また、
地域の人々を友人だと思っているので
お願いします。
戦争を起こすために行われるのが、
誘拐と殺害、爆弾事件であることは、
過去何回も見てきています。
それでも、この子たちのためならば、
ぼくは、殺されていってもかまわない・・・
そんな思いで、活動しています。


  









































ミンダナオ子ども図書館が提案し
日本政府のODA
「草の根・人間の安全保障無償資金」で
イスラム自治区に建設の

カルボガン小学校の最終チェック
マニラ新聞の記者も来られた



カルボガンは、
ARMM(イスラム自治区)のなかでも、
戦闘が多く
最もデリケートと言われていた地域だ。
東南アジア最大と言われている
リグアサン湿原の内部に位置していて
反政府ゲリラの巣窟と名指しされていた。
ミンダナオ子ども図書館(MCL)では、
2000年初期の戦争で
150万の避難民が出て、
3年近く実家に帰れない
日々が続いたときから
医療、読み語り、スカラシップ、
保育所建設支援を通して
こうした最もデリケートな地域の
子どもたちも助け
村の人々と繋がりを持ち
活動し続けてきた。
今回は、この地からの
強い要望で建設を決めた
小学校の最終チェックをしに向かった。
MCLでは、この地から
親のいない子などを
奨学生に採用し
本部にも数人住んで
学校に通っている。
冬休みに入るので、
その子もいっしょに
舟で村まで送った。
右の男の子がその子。
日本の支援者から送られてきた
ジャケットを着て
おみやげに、
支援者の方々から送られてきた
古着などを持って故郷に。
親はいなくても、
やはりふる里は懐かしの我が家!
ワニの出没する湿原を抜けて、
先端のカルボガン集落に着く。


 




ご覧のように、校舎は床が底上げされている。
毎年数回おそってくる洪水。
そのたびに人々は、避難場所を探し回る。
今回の学校は、
授業を受ける場所であると同時に
洪水のさいの緊急避難場所として
活用できる場にするためだ。
サパカンでの学校のように、
土盛りでは無く、柱で底上げされているのは、
洪水でおそってくる水流を
床下に流して、
家を倒す水草などから
建造物を転倒崩壊から守るため。
 




 




MCLの奨学生も一緒に
ふる里へ送りとどけた
 











教室の中のチェック 

ミンダナオ子ども図書館のスタッフは、
ほぼ2週間に一度現地に行き、
作業の状況と流れを調査してきた。
実は、この地域は、
ODAでは最も難しい
と言われている地域で
多くが、完成しないまま放置されたり、
完成しても、
コミュニティーセンターとして
作られたものが、
現地の有力者によって
私物化したりしている。
資材の盗難は、日常茶飯事。
MCLでも、経験がある。
MCLでは、今まで2棟の学校を、
ピキット市サイドに建ててきたが、
つくづく、建物や物資の支援の
難しさを感じ続けてきた。
なかでも、今回のカルボガンは、
教育省が建てた学校すら
土台と壁が
コンクリートで建てられた後に
屋根も無く、窓も無く、
そのまま現地に放置されている。
それでも、現地の子どもたちが通う
小学校の状態や
ひどさを見る度に放っておけず、
また、現地が反政府地域のなかでも、
度重なる分離派とのリドー(戦闘)で、
取り残されたように疲弊している
様子を見ていたたまれず、
困難な地域の中でも、
和平構築に最も重要な地点として
読み語り、医療、
スカラシップや洪水、戦争による
難民救済支援を続けてきた。
今回も、2週間ごとの
チェックを継続して
最終チェックを迎えたが
一つ気になっていたのは、
床がスムーズな仕上げを
されていない事だった。
以下の写真が、
ラフなまま完成とされた教室。






ラフなまま、完成とされた教室 

最終チェックをしに現地へ
床自身は、ラフのママだったが、
表面の補修が行われ
厚いペンキが塗られていた。

学校建設
の記録
エンジニアからは、
ラフに仕上げたのは、
スムースにしてしまうと
滑りやすく、子どもたちが
転倒する可能性があるからだ、
と言う話を聞いていたが、
スタッフとしても、
また現地の校長先生からも
このままでは、あまりにも
雑な仕上がりでは無いか、
と言う意見が出た。





実際に代表の妻も私も、
日本で写真を見て、
同感だったし、
大使館の担当職員も、
同様の感想を送ってきた。
そこで、エンジニアに連絡をすると、
その感想を受けて、
床の仕上げに手を加えて
数日以内に修復が完了する
と言う返事が来た。
それで、
ミンダナオに戻ったのを機会に私が訪れて
自分の目で最終チェックをした。
床自身は、ラフのママだったが、
表面の補修が行われ
厚いペンキが塗られていた。

むき出しのコンクリートのラフな状態よりも
はるかに良くなってはいたが、
最終的な仕上げを
なぜラフなままにしたのかを
現地の村長を始めとする村人にたずねると・・・
意外な背景がわかってきた。


教室の床を、ラフのままにして欲しいと、
エンジニアに提案したのは、
現地の住民たち、
村長、村人、コミュニティーだった。
理由は、
スムーズな床は滑りやすく、
子どもが転倒してケガをする。
とりわけ、この建物の目的の一つが、
洪水の時の避難場所にも使うこと
である事を考えると、
水や泥の多い湿原地帯では
スムースな床は、転倒の危険があって危ない!
と言うものであった。
ここで行われた議論は、
現地スタッフがFacebookに挙げています。

https://www.facebook.com/
MindanaoChildrensLibraryFoundationInc/?fref=ts

現地で、人々が話すのを聞いて、
私自身はすぐに納得した。
戦争避難民が大量に出て、
その救済に行くと
多くの場合、
学校内に大量に避難している。
しかし、その学校の教室は、
一般的にはスムースと呼ばれる
仕上げがなされていて
さらに教育の一環であると思われるのだが、
毎日のように子どもたちが、
ヤシの実の殻を半分に切ったものを
足で滑らしながら磨きをかけている。
しかし、正直に言って、
このような湿原地帯で、
しかも滑りのある
泥の地面であるが故に
私自身も、教室に足を踏み入れたとたん、
何度か滑って転倒しそうになった経験を持つ。
それを思いだすと、
最も転倒を避けられるのは、
確かにエンジニアが言うように、
むき出しのコンクリートのラフな床である。
むき出しだと、吸水力もあって滑りにくい。
しかし、上記の写真で見てもわかるように、
いかにも不完全なままに
放置された感じがする。
現地の住民の意見と、
MCLと大使館の意見の狭間に立たされて
悩んだエンジニアが、
ダバオから建設会社の担当者を呼んで
最終的に出した結論が、
ラフな床に厚めのペンキを塗ることだった。
ペンキを塗ると、見た目ははるかに良くなる。

ただ、水分は吸収されにくいので、
むき出しの床よりは多少滑りやすい
しかし、床のデコボコは残っているので、
スムースな床よりははるかに滑らない。
私も、他の建物で、
同様の床が広がっていたのを思いだした。
現地では、こちらの方が好まれることも、
住民から聞かされた。
ただし、下の写真のように、
階段だけは、子どもたちが滑ることを恐れて、
ペンキは塗らずに、
完全にラフなままに残されていた。


































スタッフも校長先生も、
仕上げになっとく。
 
階段だけは、
子どもたちが滑ることを恐れて、
完全にラフなままに残された。
 
私自身ここから学んだことは、
やはり現地の住民の
視点に立たないと
なかなか深層までは、
理解できないという事。
そして、
現地の住民との
率直な意見交換が
出来るようになるためには、
現地の人々との
壁を取り去った
信頼関係が、
長年の交流によって
作られていないと
不信感が先に
立ってしまうという
自身を交えての
反省事項だった。
支援する側とされる側が
同じ目線に立てる場所が
住民との友情
そして、
子どもたちへの愛だ。
今回のこの学校は、
この湿原地域に
最適な建物の
モデルになるだろう。
今後もこうした学校を、
子どもたちのために
建てていきたい。


 




ギネスブックに登録されている
世界最大のワニは、
ミンダナオ出身で
今僕は、ここの湿原のワニと
イスラムの少年と少女の物語を絵本にして
来年の4月には、今人舎から、
『サンパギータのくびかざり』の
第二弾として出版される予定です。
まさにこの湿原と学校が舞台で、内容は、
父親が戦争で殺されて、
学校を止めて漁師をしながら
母さんと妹たちを助けている少年と、
隣で学校に行けている幼なじみの少女。
しかし、洪水が起こって
家がながされそうになり
勇敢な少年は、水牛にまたがって、
母親たちと、
さらに隣で助けを求めている
幼なじみの少女の家族を助け、
濁流の中を必死で
避難場所の学校に向かう。
ところが、学校の近くまで来たときに、
巨大がワニが後ろから近づいてきて・・・。
イスラムの子たちの物語、お楽しみに!
 
(すでに出版されました。写真をクリック)

7月18日
マニラ新聞の記者が来られた!
 
8月24日
いよいよ壁が出来上がっていく
9月16日
屋根の建設へ向けて資材を搬送
  
11月10日
洪水が襲ってきた。教室にも到達。
滑らない工夫をしなければならない。
  
12月6日
家具を搬送。
滑らないために
セメントラフで完成したが、
見た目がいまいちだ。
   
ペンキを塗って、校長、
村長も村人たちも
さらに、なっとく
 

皆さんご心配なく、
余分な費用が出た場合は、
MCLからではなく、
私が個人で負担します!
寄付は全て、
皆さんが支援している
子どもたちのためですから・・・

現地の平和と
子どもたちの事を考えますと、
カルボガンの学校建設は重要で、
長年にわたり
何とかしたいと思い続けていますので・・・
いよいよ、最終的な
詰めの段階になってきましたね。
現地の子どもたちの事を考えると、
完成が待ち遠しいです。
完成しましたら、
平和の祈りの祭典を
カルボガンで行います。


この学校を舞台にした絵本
「サダムとせかいいち
大きなワニ」
(今人社)









ミンダナオ
子ども図書館
の医療活動 

写真は、先年末に、
足の手術をしたときと、
終わったときのノルジャナ
キダパワンの
ドクトルスペシャリスト病院にて。



足に大きな腫れ物が出来て、
歩けなくなったイスラムのノルジャーナ。
支援者の方の医療支援で
手術をしたあと、
現地のイスラム地域に、
その後の経過を確認に行きました。
もうすっかり元気で、
ちゃんと歩いて学校に通えています。
お母さんもうれしそう。
 

 
下の写真は、
元奨学生で薬剤学科を卒業。
今は、医療担当になった、ジナ。
山奥で、母がいなくなり、
極貧で云々。
でも、MCLに住んで
大学を卒業できた!
しかも、あこがれの
MCLのスタッフに。

ジ ナの役割は、
キダパワンの総合病院、
ドクトルスペシャリスト病院
(ここにはCTスキャンもあり、
十数人の専門医師が働いている。
長年の関わりでMCLは、
特別に時には医師が
自分の給与を
棚に上げて診てくださる。
だから、訪問者が
コブラに噛まれても大丈夫!)

この私立病院の医師と
貧困の中の病気の子どもの間に入って、
診察の手配、薬の購入、
手術の手はずをすること。

MCL自身は、
医療支援活動はするものの、
医療そのものは
病院の先生方が行う。
貧困の親は、
病院の手続きもわからず、
薬の購入も、
その後の再診もわからないから。


写真の子どもは、血液に障害を持ち、
去年の末に輸血手術をした
マノボ族のプロックエイト集落のこども、
その後チェックしましたけど、
すっかり良くなっていました。
なおしてあげるだけではなく、
その後のフォローが医療では大事。
自分たちでは、
医者には行けないから。
寄付をくださったJICAの・・・さん、
安心してください。

この同じこの村で、
あるNGOが手術をしたあと、
抜糸をしないで
こどもをほったらかしにしていて、
その子の抜糸を
MCLでしてあげたことを思いだしました。
医療は、本当に責任と
手間がかかるプロジェクトです。

現地に行くと、
さまざまな患者に出会う。
そのたびにインタビューをし
後日、または即日、
子どもたちを病院に運ぶ。
写真は、妻のエープリルリン。
ミンダナオ子ども図書館の医療活動は、
100万人規模と言われた
2000年、2002年の
イスラム教徒難民の悲惨な現状に
出会った事から始まりました。

その後、
デング熱などの治る病気でも
死んでいく、山岳民族など、
現地の貧しい子どもたちの
現状を見るにつけて、
高額治療でも予算の許す限り行う、
医療プロジェクトの必要性を痛感して
実施を始めた活動です。

下は、避難民状態の患者達。
中には、精神障害を起こしている子もいて
ダバオの精神病院にも・・・

奇妙なのは、
空爆も含む激し戦争だった。

2000年の米比合同演習と
2002年のテロリスト掃討作戦の後
戦闘地域に、
急激に奇形が増えたこと。
友人の松浦悟朗司教に話して
写真を見せると
「劣化ウランの症状とちゃう!」
それで調べたところ
その頃、体内にいた子が
ひどい奇形を持っていることが見えてきた。

MCLで、何人手術をしたことか。
日本の某新聞社がそれを知って
取材に行きたいと言ったものの
なぜか、ストップ!
その後も、2006年に緒方さんが
JICAのトップになり、
和平交渉が推進されるまで
殆どの取材は、拒否されました。


診察や薬を含め、
年間140人ほどの
子どもの医療をしています。
毎年200万ほどの
医療代がかかっています。
支援をよろしくお願いします。
医療は、自由寄付で
まかなっている分野です。
 




















 


 



 































私たちの医療活動は、
手術の必要な重篤患者の子ども
デング熱や生命に関わる
緊急医療を必要とする子どもたちを、
主な対象としています。
(17歳以下)
このような、入院を伴う緊急医療は、
時として膨大な費用を
必要としているので、
貧しい家族には不可能なケースが多い。
また、メディカルアウトリッチと呼ばれる
健康診断や風邪などの軽い病気を
医師が派遣されて治療するNGOや
ファンデーションはあるのですが、
重篤な病気に対する治療を支援する
団体は、現地ではあまりありません。
それゆえに、MCLでは、
他では診てもらえない子たちを
特別に、受け入れるようにしています。


彼に会った訪問者も
多いのでは?
とっても明るくておもしろい子、
そして、ちょっといたずら好き。
いまは、山のお父さんの所から
学校に通っています。
手術も終わって美男子に・・・
下は、日本から訪問された医師に
治療してもらった、
マノボ族の少女。



下の写真の子は、
顔は載せていないけど、
足を撃たれた。

リゾート開発で
5000ペソやるから
ここを出て行けと言われ
マノボの酋長の父親が
「嫌だ!」
と言ったらその場でズドン!
父親は、殺されて、
母親も腹をバーン。
少女が助けに寄ると
足をババーン!
今は、ミンダナオ子ども図書館の
奨学生になっています。

現在、私たちの医療活動は、
山岳地域の子どもたちや
イスラム教徒難民など
年間100名以上の子どもたちに
本格的な医療の機会を
あたえています。
いざというときには、
ミンダナオ子ども図書館に
足を運べば何とかしてくれる!
医療プロジェクトは、
多くの人々に信頼と安心を与えている
重要なプロジェクトです。 
自由寄付が、医療に使われます。
よろしくお願いします。








思った以上に
日本の子どもたちの
感性は素晴らしい

思った以上に
日本の子どもたちの感性は素晴らしい 
日本での講演会が、
今まで多かった
幼稚園の母親から、
大学、高校、中学、
そして小学校にも
広がっていきはじめた。
いろいろな心理的な問題や生活不安、
家族関係での孤独を感じている子も多く、
自殺率も世界でも
最高の国だと聞いている。
しかし講演での印象では、
幼い子も 含めて
心から耳を傾け、感動してくれる。
ミンダナオの子どもたちの
「困難の中でも生きる力を失わない」様子を
映像で見せて、
友情と愛こそが
生きる力である ことを理解し、
涙ぐむ子たちも多い。
思った以上に、日本の子どもたち、
若者たちの感性は素晴らしい。
問題は、それをとりまく社会的環境、
とりわけ遊びの中で友情を培う
「ちまた」が存在しないことだろう。
来年はミンダナオの総選挙があり、
6月までは訪問者を
ストップするけれども、
そのあいだに、海のMCLも含めて、
将来の日本の子どもたち
若者たちを受け入れて、
現地の子たちと
友情と愛を結べる場を
作るための計画を進めていこう。
写真は、ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる子どもたち。
日本から送られてきた
古着を来ている。
親がいなかったり、事情があって
いっしょに住めない子たちだけれど
とっても明るい。


海のMCLを建てよう!
(海の家は、2018年に完成しました)

8月23日

ミンダナオ子ども図書館は、
本部が北コタバト州の
キダパワン市の
郊外に位置している。
そこを中心に、西のイスラム地域
北東の山のアラカン地域
西のダバオ地域がある。
イスラム地域には、
リグアサン湿原など広大な大自然があり、
絶句するような
太古の美しさに満ちているけれども
反政府地域でもあるがゆえに、
訪問者は、容易に入れない。
東北のアラカン地域は、
先住民族のマノボ族のすむ
山岳地域で、
ここにはMCLの山の宿舎があり
周辺の村の一つ
電気も無いマノボの村キアタウには、
訪問者も泊まれるようになっている。
かつては、とても
外国人の入れる場所では
なかったけれども、
MCLの奨学生も多く保育所も建設し、
さらにラナコランには
遠かったり三食たべられなくて
学校に通えない小学生、
高校生たちが住んで通える
MCLの女子の下宿小屋がある。
下宿小屋には、
日系人のジケロ君家族が
スタッフとして住んでいて、
20人ぐらいの子どもたちの
面倒を見ていて
ぼくたちは、山の下宿小屋と呼んでいる。
それに対して、もう一つ、
海の下宿小屋を作ろうという計画が
かつてからあり、
今回、サンタマリアのある漁村の外れに
土地を購入した。




海のMCL(下宿小屋)を
建てようと思った理由は、いくつかある。

1,毎年数回、
MCLに住んでいる子供たちと
海に遊びに行くようにしている。
特に、夏休みは帰郷できない子たちが
寂しいから海に行くけど、
いわゆる特に外国人向けリゾートは、
なんだか現地の生活から乖離した
金持ちの不自然な空間で
好きになれない。
どこかに、開発されにくい、
素朴で自然な漁村があれば、
そこに下宿小屋を建てて
現地の貧困家庭の孤児たちを救えるし
ときどき、MCLの子たちも泳ぎに行ける。

2,それから、
日本から来る若者たちにも
いわゆるリゾートでは無く、
山のマノボ族の家にとまるような
素朴な漁村の生活体験をさせてあげれば、
どんなにか
心が癒やされることか。
ちょうと、山の下宿小屋の近くの村
電気も無いマノボ族の集落
キアタウ村での生活体験のように。
MCLに行くとちゅうのディゴスの郊外なら
ダバオ州に属しており、日本政府の指定の
海外での危険度も低いし・・・




そこで偶然見つけたのが、サンタマリアから
半島の海沿いと山を、4輪駆動の車で超えた
この村だった。
ここでは、クリスチャンとイスラムと
先住民族が仲良く暮らしていて、
まるでMCLのようだ。
小さな小さな個人のリゾートがあるけれど
ほとんど小舟でしか入れない。
信じられないくらいの真っ白な砂浜。
それに、漁民たちの生活が素朴だった。
それに、浜辺を抜けて、
小学校と高校にも通えるから
下宿小屋を作るにはうってつけだ。
 


村はずれに土地を購入 

信じられないほどの真っ白な砂浜
そして、素朴な漁民と子どもたち。

偶然この地を訪れて、
村人たちと親しくなり
保育所が酷かったので、
MCLで建てた。
その後、子どもたちとテントを持って
泳ぎに行ったり、
日本から来られた
訪問者や若者たちも
この村の漁民の家に民泊して
寝食をともにした。
日本で有名な
カヌーの野田さんたちと
カナダのユーコン川を下った
身障者カヌーの吉田さんも
ミンダナオ子ども図書館の日本理事で
この海でシーカヤックを楽しんだ。

この地で
漁民とカヌーで漁に出かけ
そのおかげで、
心が回復していく青少年も多い。
村の保育所が、酷い状態だったので
保育所もMCLで建ててあげた。
サンタマリア市の市長や福祉局
行政機関とも連携して
山の先住民の地域にも足を運び
すでに4ヶ所の保育所を建て
貧困家庭のなかでも特に
孤児や崩壊家庭の子たちを
奨学生にとってきた。
そのような繋がりからも
村人たちも、
ぜひぜひMCLに来てもらい
ここに下宿小屋を建てて欲しいという
要望が生まれてきた。
そこで、
土地を手放しても良いという方から、
村の一番外れの
落ち着いて静かな場所に、
下宿小屋を建てるための
土地を買うことにした。



先日、土地の測量を終えて
弁護士を交えて話し合いを持ち、
購入を完了した。


 

 




サンタマリアの市場

サンタマリアにある市場も
生活の臭いがあって心が温まる。

ぼくが子どもの頃の
東京は荻窪駅前にも市場があり
このような風景があったのを思いだす。
ミンダナオに帰ってくると
心からホッとするのは、
子どもの頃にあったこうした
人情味にあふれた、
風景を思いだすからだろう。
本当の幸せや、生きている喜びは
物やお金だけでは、手に入らない?
ちまたの生活の臭い
壁を作らない隣人愛や友情そして
家族の愛のなかにある?


日本文理学院高等部の若者たちと
東大の修士の若者訪問記


日本文理学院高等部で、
話をした事がきっかけで
梅木先生と駒澤大学の息子さんと学生二人、
時期を合わせて、
講演をした
東京大学の修士の若者が
年始にミンダナオを訪れた。

MCLは、訪問者を
なるべく受け入れるけれど
宿泊費も何もとらない。
ダバオの家、
ダバオハウスに泊まるのもタダだし
MCLの本部も滞在規定はあるものの
宿泊費は取っていない。
スタディーツアーもしていない。
ビジネスにすれば、
儲かるのに、と言われるけど
子どもたちが、ファミリーとして
友人として迎えることが大事で
お客様の接待というムードにだけは
絶対にしたくないから。
そんなわけで、
一ヶ月ほど滞在する子も
いるけれども、日本に帰ると
ボランティア活動で、
MCLの素晴らしさを伝えて
支援者を見つけてくれたりしてくれる。
特に、不登校やひきこもり
悩みのあるこの場合は、
積極的に受け入れることにしている。
年末にきた、ペルー人の子もそうだし、
今回の文理学院の子たちも、
基本的には、そんな子たちだけれど、
とても素直で
かえって将来に希望がもてる。
日本の未来は、
不登校、落ちこぼれ、
引きこもりの子たちにこそあるような
そんな気がすることすらある。

 
サンタマリアの
海辺の村へ 

新年開けは、
訪問者の若者たちと漁村に!
先進国目線のリゾートではなく、
本物の庶民の生活を体験するところから、
訪問者の第一歩が始まる。
日本語しか、出来なくっても大丈夫!
落ちこぼれ、引きこもり、大歓迎!
ここに来たのは、
若者たちにとって、
庶民(漁民)の生活が体験できる
素晴らしい場所であるから。
今、この浜辺の村に
MCLの小学生高校生の下宿小屋を
立てる計画を進めている。
山のMCLは、ラナコランに建ててあるし
海の下宿小屋の企画を実現するために
今回は、ここに一泊し
村長や保育者と話し合った。

一泊は、民家に泊まった。
日本から来た若者たちも
積極的に、現地の家族に溶け込んでいく。
日本だったら難しいだろうけれども、
ミンダナオの開けっぴろげで
明るい人柄故に可能なのかもしれない。
子どもたちも本当に可愛らしい。
一緒に掃除をしたり、
白砂に絵を描いたり。




翌日は、調査もかねて
通学路の浜を歩いて学校へ! 



この地域は、 
イスラム教徒、キリスト教徒
先住民が仲良く平和に暮らしている。
家族を見ても、
旦那さんや奥さんがイスラム教徒で、
相棒がキリスト教徒や
先住民だったり。
まるで、MCLのような地域だ。

 


子どもたちの通学路、
海辺の細道を歩いて
まずは、高校へ行き、
MCLの奨学生達に会った。
親がいなくなったり、
崩壊した家庭の子たちだけれど、
がんばって表彰もされたという。 
まだ、MCLの本部に
来たことはないので、
3月には訪問する予定。
大学はキダパワンの大学で、
MCLに住むだろうから。

その後、
近くの小学校へ行き
ここでも、
MCLの奨学生に会った。
 


集落の調査をしたあと、
サンタマリアの海辺にもどる 
夜は
漁民の家に分宿 

MCLの滞在後
山のマノボ族の村
キアタウに宿泊 
 
若者たちは、
マノボ族の電気もない村で泊まった。
キアタウ村は、
MLCの奨学生がいる村。
近所も村も、全般的に明るくなった。
以前のような、
ひどい貧しさは感じられない。
地域興しのために、
公平に家を選びながら、
宿泊は家に1000ペソ
共同体に1000ペソだして、
水のタンクも作った。

日本からの訪問者のおかげで、
村は明るくなり
子どもたちにも、
古着を配ってきたので、
かつての暗い寂れた状況とは大違い。

相変わらずクリスマスには、
ダバオに物乞いに出るけれども、
町に出た家族が、
ずいぶんもどって来て
生活している。
先進国?で、物とお金が豊かでも、
心の貧困に苦しむ日本。
後進国?で、
物とお金が足りなくても、
心豊かな先住民。
お互いに、経済的にわかちあい、
心をわかちあって
友情と愛のなかで、
助け合えると思うのだけれど。
力のあるもの、取る者だけが、
とことん富を収奪し
蓄積して行く世界って・・・
対立を起こし、戦争になっていく?

貧しいからといって、
必ずしも不幸とは限らない
私たちの生活の方が、
豊かな国の人々の生活よりも
はるかに美しいと感じるときだってある。
けれども、どうにもならないのが、
一日三食たべられないときと、
お金が無くて
学校に行けないとき
病気になっても
病院に行けないとき・・・













  
年明けに、日本から来た若者たちが、
海と山とMCLに滞在。

真の友情は、ちまたでの
遊びのなかで培われる。
日本にいると、ちまたで、
伝統的な鬼ごっごやかくれんぼ
後ろの正面だーれ、
のような遊びをしている
子どもたちの姿が皆無。
石けりや缶けりもない!
勝ち負けだけを競い合う部活動は、
下手な者にブーイング!
挙げ句の果てには、排除されていく。
本当の友情が、培われるのかな?
遊具に満ちた児童館だけが、遊び場?
日本から来た若者たちが、
感動して泣き始めるのも理解できる。

若者たちが泊まった家。
MCLの奨学生の家。
宿泊は、一つの家に訪問者一人で、
スタッフが一人同宿する。
2泊以上も可能だけれど、
その場合は、公平になるために
毎夜宿泊する家を代える。
現地の酋長が責任を持って、
特に貧しい家庭を優先する。



 本やサイトから飛びだそう

私は、インターネットやフェイスブックを
必ずしも否定していません。
絵本も本もそうですが、
大切なのはそこに込められた心でしょう。
私は、日本の若者たちが、
ミンダナオ子ども図書館のサイトや
私のフィイスブックをみて、影響を受けて、
そこからまだ見ぬ世界に
飛びだしてくれることを
願って発信しています。
その場限りのものも、
多いとは思うのですが、
それをきっかけに、
人生が開かれていく物もあります。
MCL文庫
民話、絵本原稿、
青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。

その意味では、絵本や本も同じで
その場限りの物もありますが、
人生が開かれていく
きっかけになる物もあります。
編集者をやり、作家もやりながら
そして子供時代から、5000を超える
絵本や本を読みながらも
結局は、作り物ではなく、
真の体験から生まれてくる物が
素晴らしい物だと感じるようになりました。

私の体験からも、
読書もサイトも異なった部分と
同じ部分を持っています。
(商業主義から、あたかも、
違うように言われていますが・・・)
読書だけでは、
世界が広がっていかないのと同様に
(「子どものころ、
本ばかり読んでいると、
周囲の人から、
『本ばかり読んでいると
心が駄目になるよ。
友だちと遊びなさい』
といって怒られた。)
ぼく自身、本にこもりすぎて
死にそうなった体験からわかるけれど、
同様にスマートフォンを見ているだけでは
引きこもりの閉じこもり。
ぼくも読書が好きだけれど、
何千冊も読書体験を重ねるうちに、
読むと心が奮い立ち、
本をこえて、現場に飛び込むのがさらに
楽しみになる本と、
ますます閉じこもる本が
あるのがわかってきた。
しかし、
ミンダナオ子ども図書館をはじめて
最初は、
絵本も見たことがないかわいそうな子に
絵本や本の素晴らしさを
伝えてあげたいという
上から目線で始めた物の
すぐに、絵本や本が無くっても
心の豊かさは、想像以上で
子どもたちの心の世界や豊かさに魅了され
正直、
本の世界など吹き飛んでしまった。
しかし、読み語りのなかで、
宗教や部族を超えて
交流していく子どもたち
その表現力の素晴らしさを見ていると
絵本も使い方によっては、
生きてくると思って
読み語りを中心にした
図書館活動を開始した。
それでも、童話や絵本が無くっても
子どもたちは、見事に民話を語り
お話もどんどん創作する。
MCL文庫
民話、絵本原稿、
青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。

そういう意味では、
真にお話が生きている社会というものが、
どのような物かを理解できた。
ただ、読んで楽しい、
一時的な物では無く、
民話のように生涯心に残り、
生きる力となるような物語が
かえって怖いなかにも
真実が語られている
昔語りの世界であるということも・・・

その意味では、
今日本で出され評価されている
絵本は、ほんとに心に残って
生きる力を与えてくれるの?
引きこもりや自殺の多い日本の子たちを
作っているの?
日本の子たちを見るに及んで、
本やサイトを、読んだり見たりすると、
そこから世界に
羽ばたいて行きたいと思うような、
実体験から生まれてくるものを
発信することが、
いまこそ、大切だと思うようになった。

15年前に
予期せぬ離婚を告げられたとき、
自由の身になり、本を書くために
あちこち旅して取材することを考えたけど、
書くために見て歩くような
表層的な体験よりも、
僕の場合は、ミンダナオという一つの場で、
執筆も放棄して
深く現地の人々や子どもたちと
共に生きることのほうが、
表層的ではなく、
本物の世界 が見えてくると
思いたったのをおもいだします。
そうして15年間、
書くことは全く考えずに、
ミンダナオの子どもたちの事にのみ、
心を向けてきたけれど。
(子どもたちがあまりにも魅力的で
本の世界が吹き飛んだ!)
最近、日本からの訪問者が多くなり、
悩んでいる子どもたちや
現代社会を見ていると、
何とかしなくちゃ、
という思いで再び執筆を決心。
作家になりたいと思った事もないけど、
「サンパギータのくびかざり」や
「サダムとせかいいち大きなワニ」
(今人舎)
第三弾の絵本の文もすでに完成。
若者向けの読み物は
「手をつなごうよ」(彩流社)に続く、
第二弾、第三弾の作品も・・・

日本の若者たちが、そうした作品を読んで、
また、ミンダナオ子ども図書館のサイトや
私のフィイスブックでも見て、
そこからまだ見ぬ世界に
飛びだしてくれることを
願って発信しています。

MCL文庫
民話、絵本原稿、青少年から大人までの読みものを
自由購読で提供しています。


 


映像も
発信のひとつですよ 

ミンダナオ子ども図書館の夜明け。
朝起きて、ミンダナオ子ども図書館の
花壇のお花を世話する子どもたち。

朝4時半には起きて、
朝食の支度をするのも子どもたち。
5時を過ぎると、
部屋の掃除や花壇の手入れ。
野菜作りも、お米干しも、
子どもたちが自分たちで決めてします。
本当にしっかりした、良い子たち。

映像を見たい方は、 ここをクリックしてください。
  雨が降っているのに、滑り台!
一緒に、長女のエンジェルと次女の
アンジェラ(藍花と舞花)も滑り台!
わかるかな?
ミンダナオ子ども図書館の
第二棟と第三棟は、
ヤシの葉っぱで葺かれています。
紅く見えるのは、
ファイアーツリー(火炎樹)です。 
映像を見たい方は、 ここをクリックしてください。
  海をテーマに、クリスチャンの文化祭
ビサヤデーの映像です。
子どもたちと、海にキャンプに行った時の
想い出最初の山の家は、
妻のエープリルリンの育った家です。
初期のミンダナオ子ども図書館の
奨学生達の様子がわかります。
懐かしいですね。
小さい赤ちゃんは、長女の藍花です。
この子たちの多くは卒業して、
スタッフになったり仕事を
持ったり結婚したり・・・

映像撮影、編集もすべて、
ド素人の私、松居友です。

映像を見たい方は、 ここをクリックしてください。

以下のような投稿がありました。
ここに掲載します。
5年前フィリピンに親子で
行かせていただいた時は
松居さん、MCLの皆さまには
大変お世話になりました。
娘は当時中学3年生で転校、
友達.先生との関係で
心理的にどん底状態でしたが
温かい皆さんに接する事ができ、
娘も勇気と希望をいただきました。
今は看護師目指してまだ学生ですが
看護の道を歩んでいます。
何か恩返しをさせていただきたいと
思っているところです。
 
子どもたちが寝ている写真。
梓さんが、サイト
「ミンダナオ子ども図書館だより」
にあげてくれました。
http://www.edit.ne.jp/
~mindanao/mindanews.htm


福祉局の指導で、
二人で寝られるベッドをやめて、
一人ひとスペースのベッドに代えた。
そしたら子どもたちは、ベッドで寝ないで、
木の床にござを引いて寝る方を選んだ。
みんなで寝る方がさびしくないから。
以下は、拙著『手をつなごうよ』(彩流社)
http://www.amazon.co.jp/…/obi…
/ASIN/4779122236/hanmotocom-22

で、書いた一節です。

**********************

 部屋のなかには、
竹をくんで作られた
二段ベッドがならんでいる。
「子どもたちは、この部屋に
寝ているんですね。
部屋の壁も、ベッドも
竹をあんだ伝統的なつくりで、
あたたかい感じだなあ。」
「ええ。広いポーチが
共同の生活空間で、部屋は寝だけ。」
「個室ではないんですね。」
「ハハハ、こちらの子どもたちは、
個室ではさびしくて寝られない!
いちど、日本に8名ほど
招待されたことがあって、
ホテルの個室を用意してくださった。
そしたら、ぜんいんが
一つの部屋に集まって、
ベッドをわけあって床にも寝ていた。
こちらの山の生活も、
竹の床で家族がみんなで
川の字になってねている。
ここに住んでいる子たちは、
ほとんどが孤児や崩壊家庭からきた
孤独な子たちだからこそ、
個別に孤立したコンクリートの
個室をあえて作らず、
故郷を思いおこすような
伝統的なあたたかい
デザインの竹の部屋のなかで、
肩をよせあって寝られるようにしたのです。
最初は、あえてさびしくないように、
少し広めの竹ベッドで、
二人がならんで
寝られるようにしたのですが、
福祉局の規定と指導で、
一人ひとスペースに
作りかえざるをえませんでした。」
「西洋的個人主義で物事を考えている
専門家というのは、そういうものですよ。」
「子どもたちは、二人のほうがいいよー!
と叫んでましたけどね。
***********

結局、みんなで並んで
床に寝ることを選んだ、子どもたち!
個別化よりも、一緒が良いよ!

ミンダナオ子ども図書館は、
基本的に 
Non Politic Non Religious sect
(政治の元では行動しない、
特定の宗派の下でも行動しない)
つまり、子どもたちへの
愛だけで行動する、
という規定を持っています。
Serve the less fortunate children
who need love and love each other
これが、
ミンダナオ子ども図書館
の基本理念です。 
ただ、子どもたちを救済し
支援していくためにも、
政情を含め、
世界情勢のあらゆる動きを
可能な限り把握するようにしています。
しかし、救済活動が、
それによって影響されることはありません。
 


マノボ族の酋長の洗礼を受けたときの
スライドショーです

映像を見たい方は、 ここをクリックしてください。
酋長の役割は、
親のいない子のめんどうを見ること。
母子家庭の面倒を見ること。
病気を祈祷と薬草で治すこと。
諍いがあったときに、治めること。
部族どうしの戦争が起こりそうなとき、
酋長どうしで話し合い、
平和を構築すること。
私がそれをやっているので、
酋長に任命すると言う話が、
マノボ族の中で持ち上がり、
ミンダナオ子ども図書館での、
先住民の文化祭で、
酋長の洗礼を受けることになりました。
世界の指導者たちも、
大統領も首相たちも、
子供が幸せに大きくなれて、
貧しくても教育をうけ、
病気を治せて、
戦争のない平和な世界を
構築してくれたらどんなに良いか。
本当の指導者(酋長)
リーダーってなんだろう?
世界がマノボ族の
社会のようになった良いのに。

支援してくださった方々に、
ミンダナオよりお送りしている
季刊誌『ミンダナオの風』54号です。
以下のリンクをクリックしてください。
自由寄付で購読できます。


Link
ミンダナオの風54号のpdf

今回は、
「草の根・
人間の安全保障無償資金協力」の
調印式の様子と学校建設の場所について。
妻のエープリルリンの文。
本人の意志と希望で掲載。
辛い気持ちの若者たちへの
メッセージになるように、願って。
連載している
現地スタッフ宮木梓さんの記事。
そして、連載の童話
「野菜売りの少女」などです。
寄付金額をとわない
自由寄付については、
以下のサイトで!
http://www.edit.ne.jp/
~mindanao/sienhouhou.htm
 



ミンダナオ子ども図書館の子どもたち 
ミンダナオ子ども図書館の
中心は、いつも子どもたち!
土曜日の午前中に庭に出て、
庭作りをしながら、
花や野菜を育てる子どもたち。


日本では、
ちょっと考えられない
姿だけれど
本当に自然がすき、というか
生まれたときから、
自然と共に生きている。
きれいな花を
育てるのが好きで
時には、花を摘んで
髪にさしておしゃれする。


山芋作りや、
雑草の草刈り掃除もお手の物
不思議なぐらい嫌がらずに
むしろ笑顔で楽しくお掃除。


掘った山芋も料理に


今日本に少し重きを置いて、
去年から活動している

ミンダナオ子ども図書館の
敷地のなかにある
セメント作りの穀物干し場。
ここで自分たちが食べる
お米を干すMCLの子どもたち。
その多くが、
孤児や崩壊家庭の子どもたちです。
戦争で親が殺された子もいる。
それなのになぜこんなに明るく、
生きる力に満ちているのだろう。
この子どもたちとスタッフと
その家族をいれて約100人。
さらに下宿施設と山の下宿小屋の奨学生、
そして、町に下宿している大学生をいれると、
約200人の米をここで干す。

一日100キロの米が
消費されるけれども、水田を持ち、
2.5期作で、干害がなければ
ほぼ自給している。
おかずは子どもたちが植えている
野菜と皆さん方から
送られてくる自由寄付で
なんとかまかなっています。
でも、偉いのは、子どもたちが率先して、
楽しみながら協力してくれること。
生きることの大変さと意味と、
そして友情のなかで助け合う楽しさを
知っている子どもたち。

心を閉ざした
日本の若者たちの事が心配で、
さらにまた
親が老齢で死に向かうのを
家族で受け止めることも必要だと感じて、
今、妻と二人の娘と一緒に
日本に少し重きを置いて
活動しているけれど
いきいきとしたコミュニケーションの
場であったはずの家の外、
学校や幼稚園保育園の外、
会社や仕事場の外、
誰にも属さず全ての人に属している
「中間の場所」であり
生活の場所であるはずの「ちまた」が
日本にはほとんど生きていず、
「ちまた」がないから
隣近所ともコミュニケーションがなく、
伝統的な遊びをしてはしゃいでいる
子どもたちの姿も消えて、
学校の中でも友情よりも
勝ち負けばかりが
強調される社会に当惑。
15年いないとずいぶん変わる?
日本人は、自国を
なんとさびしい世界に
してしまったのだろう、と
地方を車で走っていても感じる。
商店街も食堂も殆ど閉鎖?
路地や野原で子どもたちが、
缶けりや石けり、
ときには木登りをする様子がないと、
散歩するご老人達もさびしいだろう。

人々が、スマートホンの映像から
出てきたような恐ろしい目つきで、
硬い表情で目を合わすことなく
歩いていくのを見るにつけて思う。
日本は大丈夫かな?
スマートフォンを否定はしないけれど、
それだけがコミュニケーションの場に
なっているのは、
あまりにも見ていて孤独でさびしい・・・・

梓さんの、MCLの子どもたちの
日常をサイトに上げてくれています。
http://www.edit.ne.jp/
~mindanao/mindanews.htm

スマートフォンで、
MCLのサイトを見るのが
唯一の生きがいだという
若者やお年寄りも日本に多い。
ときどきメールをくださいます。
どうぞ、メールも送ってください。
返事に時間がかかりますけれども、
すみません。
里親になってくだされば、
本人からの手紙も行くし、
文通もできますけど。
http://www.edit.ne.jp/
~mindanao/siennhouhou.htm

しかし、読書だけでは、
世界が広がっていかないのと同様に
(「子どものころ、本ばかり読んでいると、
周囲の人から、
『本ばかり読んでいると駄目になるよ。
友だちと遊びなさい』といって怒られた。)
ぼく自身、本にこもりすぎて
死にそうなった体験からわかるけれど、
読書同様に
スマートフォンを見ているだけでは
引きこもりの閉じこもり。
ぼくも読書が好きだけれど、
何千冊も読書体験を重ねるうちに、
読むと心が奮い立ち、
本をこえて現場に飛び込むのがさらに
楽しみになる本と、
ますます閉じこもる本が
あるのがわかってきた。
本もサイトも人間が作ったもの、
そこから外に
(神が創造した愛の世界に)
目を開くきっかけになる。
そこから次の行動が始まる。
そういう本やサイトなら読みたい。
それを意識して、
執筆やサイトも試してみている。

サイトでMCLを見ていた
若者たちが本も読み、
講演で現地の映像を見て話を聞き、
その結果どうしても行きたくなって、
実際にMCLにも来てみると、
子どもたちに会って涙を流し、
その後顔が変わり始め、
本当にいろいろなことが見えてくる。
(すでに今人舎から出た絵本
「サンパギータのくびかざり」
5月には、彩流社から
「手をつなごうよ」が出版されます。)
そうしたものも救いの第一波。
きっかけになればと思い、
あらゆる手段を通して
実体験から生まれてくる言葉を選んで
発信しはじめているけれど、
もっと大事なのは、
本人が本当にいってみて体験すること。
そして、そこで体験したものを、
大切なものを喪失している日本社会で、
どのように再生し
生かしていくかを考える、
若者たちを育てることだろう。

 
 
 
 
 
 
 

   
中園さんが作られた、
文教大学の若者たちの訪問サイトから



この記事が出ているサイトへは ここをクリックして入ってくださいね!
現地で“よさこい”の踊りを披露。
集めた子ども服も配りました。
フィリピン・ミンダナオにある
「ミンダナオ子ども図書館」は、
紛争で親をなくした子、
貧しい家庭の子たちが暮らす寄宿舎です。
私は大学の先生からこの施設のことを聞き、
ぜひ訪問したいと仲間を募りました。
集まったのは、
私が所属していた“よさこい”のサークル
「風竜舞伝」の仲間2人。
私たちは
「京都文教大学ミンダナオ国際交流チーム」(MIA)
という任意団体をつくり、
事前に寄付を集めて
よさこい踊りで使う「鳴子」を買い、
そこに寄付者のメッセージを書いてもらって
ミンダナオの子ども たちに
プレゼントすることにしました。
また、着なくなった子どもの服や靴を集めて
ミンダナオに持って行くことも計画。
帰国したあとは、
「ミンダナオ子ども図書館」の松居友さんを
学園祭にお招きして
帰国の報告会を開催することにしました。

さて、3ヵ月あまりの
準備期間を経てミンダナオへ。
ミンダナオはイスラム教徒と政府との
紛争が長く続いている場所ですが、
図書館のスタッフの方が
空港の出口まで迎えにきてくださり、
また現地でも常にそばにいて
サポートしてくださったので安心でした。
1週間という短い期間でしたが、
私たちは踊りを披露したり、
日本で集めた子ども服を配ったり、
フィリピン風の「飛び出し坊や」を
子どもたちに描いてもらう活動
などを行いました。
現地で出会った子どもたちの笑顔、
スタッフの方々の献身的なお仕事の様子、
そしてこの図書館を立ち上げ、
フィリピンの貧しい人たちのために
尽くしていらっしゃる
松居さんのお姿に触れ、
多くのことを感じ、考える機会を
与えていただいた旅でした。
私は在学中に世界中を旅してまわり、
その経験から、
卒業後は、旅行会社で
働きたいと考えていました。
ミンダナオから帰ると
就職活動が本格化して
大忙しになりましたが、
「社会人になってまたミンダナオに行き、
子どもたちに会いたい」
という思いでがんばり続け、
志望していた会社から
内定をいただ くことができました。
またミンダナオの子どもたちに
会いに行きたいと思っています。
 
 
 
 
 
 「ミンダナオ子ども図書館」に、
京都文教大学の花岡さんたち
学生さん3人がやって来ました。
平地から山に追われた先住民として
貧しい生活を続けてきたマノボ族の村に行き、
一緒に医療支援の手伝いをし、
電気のない村にも泊まってもらいました。
そして現地の子どもたちと歌ったり踊ったり、
「後ろの正面 だーれ」といった伝統的な遊びをして、
日本にいるとき以上に
楽しい時を過ごしたものと思います。


京都文教大学の学園祭では、
現地での体験を
花岡さんたちがまとめて発表し、
僕も呼ばれて講演をしました。
花岡さんをはじめ京都文教の学生さんたちは、
やさしくて、心があたたかいですね。


最近、
「ミンダナオ子ども図書館」に
日本の若者たちが訪れるようになりました。
現地の子どもたちに囲まれて、
友情や愛情のこもった、
優しい言葉をかけられたり
抱きつかれたりすると、
彼らは泣き出したり涙を浮かべ、
やがて硬かった顔に
自然で優しい表情がもどってきます。
そして、帰る時には
「また来るね、 私たちのこと、忘れないで! 」
と言って泣きながら帰っていく。
これこそが、本物の
国際交流の体験だと思います。


京都文教大学でも講演をしましたが、
日本の大学、中高、小学校で
講演をするようになって感じることは、
日本の子どもたち、若者たちの感性 は
フィリピンの子どもたちと同様に
純粋で素晴らしいということ。
しかし、それを生かす社会的な場が
「ちまた」=生活の場に少ないことです。


日本から来た若者たちが、
現地の素朴な子たちに出会って
感動し泣き出すのは、
日本の社会で失われた何かが、
アジアの特に貧しい人々の生活のなかに
生きているからでしょう。
「ミンダナオ子ども図書館」に住んでいる子は、
いわゆる「問題家庭」の子たちだけれど、
孤児になっても明るく生きています。
みなさんも学生時代に
「ミンダナオ子ども図書館」に来て、
生きる力とは個人でがんばることではなく、
友情と愛であることを、ぜひとも体験してください。
こんなふれあいを通じて、
アジアの若者たちが手をつなぎ、
相互理解や平和構築に
つながっていけばと願っています。


 
 
 
 
 
 


ミンダナオ子ども図書館を訪れた、
高田真奈美さんの原稿です


ミンダナオ子ども図書館を訪れた、
高田真奈美さんの原稿です。
体験が、とっても素直に
見事に書かれていますね。

 
 

【旅日記その1 電気のない村キアタウ】
フィリピンよりコンニチハ。
Maayong Gabie!(ビサヤ語)
生きてます!が、また風邪引いてます。
9月10月11月と連続で発熱し、
やっと鼻水止まった翌々日にまた発熱。
何か検査したほうがいいかなぁ(´・_・`)? 
ミンダナオ子ども図書館に行く前に、
キアタウという、
電気ない山奥の村に滞在してきました。
この村から図書館に来ている子どももいるので、
その様子を見てこようと。

✳︎ミンダナオ子ども図書館では、戦争孤児や崩壊家庭、
極貧、虐待などの理由で学校に通えない
子供達の奨学金の支給や、
放っておけない子どもについては
本部で共に生活している。


さて、しばらく遊園地のアトラクションは
遠慮したいほどの悪路を、舌を噛みながら数時間。 
四駆じゃないと絶対進めない凸凹道。 
雨が降れば土砂崩れ。
開けた山々の眺めは素晴らしい。
(妖精に連れていかれるから、
山が綺麗♡とか言ってはダメらしい。)

村に着くと、子どもたちがじーーっと見つめてくる。 
私たちは異星人に見えるよね。 
村から出たこともない人が殆どとのこと。
ここでは電気も上下水道の設備もない。 
ほぼ自給自足で、塩や白いお米も高級品だ。
私たちが宿泊した二つの家庭では、
鶏肉とコメを出してくれたが、
これは年に数回しか出ないもので、
わざわざ飼っている鶏をしめてくれた。 
おもてなし。。。(T_T)
子どもたちはキャッサバ(芋)や
甘くないバナナを蒸しただけのご飯だった。
村の朝は5時頃始まり、8時か9時には寝る。
竹でできた簡素な高床式の家。

モノは殆どない。 
家ごと燃やしても残るのは鍋くらいだろう。 
布団もないので床で寝る。
夜中に手の上にネズミが落ちてきた。
何かわからない虫にかまれて、
右手がパンパンに腫れた。
そこら辺にいる犬を撫でようと思ったら
村人に全力で止められた。
「噛むし汚いし、後でそいつ食べるから!」笑

あひるは子どもが叩いて遊ぶもの。
猫はしっぽふんずけて遊ぶもの。
みんな笑う。
夕食は、ロウソクの明かり一つで、暗すぎる。 
正直何を食べているんだかわからない笑
基本はおかず一品にご飯のみ。
味付けは塩だけだが、なぜか美味しい。

風呂は水も貴重だから、たまには入るのだろうが、
シャンプーなどももちろんない。
村人はシャイだし、
英語も通じない人が多いが何も気にしない。 
目が合ったら微笑めば良い。 
他人と自分の境目があまりない、共同体としての意識。 
おそらく日本でも70歳以上の人なら体験したであろう、
町や人々に繋がりがあった時代が
ここではずっと続いている。
東京で、若者が感じることは殆どない意識。
誰が指図するでもなく、家事、育児がこなされていく。 
立って歩いて言葉がわかるなら、
2歳くらいの子どもから、何か家事をする。
「うちの子」「よその子」は関係がない。

赤ちゃんは、みんなが代わる代わる抱っこして、
枝に布を巻きつけただけのゆりかごを揺らす。
(赤ちゃんはほんとに泣かない。
夜泣き、ムダ泣きもない。
というより、みんながずっと構っているので、
泣いて注意を引く、必要がないのかもしれない)
村のどこを見ても物質的に貧しいが、
半分以上が、子どもで凄く賑やかだ。 
そしてなによりのびのび、自由に育っている。 
「何々しなさい!ちゃんとしなさい!
泥がついたら誰が洗うの!」
みたいに叱る母親は皆無。 
怒ることがまずない。 
むしろ母親とは、
オマケでついてきた肩書きであって、
村の人たちみんなが面倒を見ているし、
その中で子どもは、
勝手に育っていくといったほうが正しい。
日本と何もかも違う。。。
私の細胞の一つひとつが、
エネルギーで満たされていくのがわかる。
日が昇れば起き、日が落ちれば寝て、粗食、
1日にすべきことはほとんどなく、薪をくべて米を炊き、
お湯を沸かしてコーヒーを入れたり、
洗濯物を足でふみながらお喋りしたり。 
擦り切れるほど聞いていると思われる、
なぞのフィリピンポップスを家族で聴いたり。 
10人家族で八畳の部屋でねたり。

初めてだけれど懐かしさを感じた、
原始的な村から1ヶ月のフィリピン生活が始まる。 
 

→旅は続く

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  【旅日記その2  電気のない村キアタウ続き】

電気がないと聞いて一番期待していたこと!
やっぱり星空でしょう( ^ω^ )
夜ワクワクして家からでると、やっぱり凄い!!! 
こぼれんばかりに星が瞬いていて、
ときおり蛍も流れていく。
恋人でこれを見たならば、
勢い余ってプロポーズしちゃうような、
ずるすぎる星空。
「流れ星あと3つ見つけるの( *`ω´)」
と私が興奮しているのを、
村人はポカンと見ていた。 
え、星がどうしたの。。。?
(ざわざわ)みたいな感じで。
普通って怖い。
この村人たちは、他の空を知らないから
そう言うしかないのだけれど、
こんな凄い星空も「普通」になっちゃうんだ。

どんなに金銭的に恵まれていようとも、
素敵な人と結ばれようとも、
素晴らしい宝石を手に入れようとも、
それが常に手の内にあると思うなら普通になる。
普通なんてどこにもない、毎日が奇跡のような
必然の積み重ねだと考えることができるのも、
一種の強さかな。
強い人になりたいなと、
流れる星たちにつぶやいた。
翌朝みんなで川いくぞーと招集かけると、
大人も子どももわーーっとついてきて、
ぜんぶで20人のパーティーになった笑
時間があるっていいなぁ。。。
村で唯一の?オネエ男子もいた。
言葉はわからないが、語尾に♡がついてるし、
身振り手振りでオネエだとすぐわかる。
「あたし、一応女のコが好きなのヨ♡
あたしの心も女のコだけど♡きゃーー!」
世界共通だ。。。((((;゚Д゚)))))))
日本軍が潜伏していたんだか、
逃れて隠れていたんだかという洞窟に先ず向かった。

急斜面を下ること40分(私はこういう怖い、
高い道がめちゃ苦手。
手を引いてもらいながら行く。
完全にお荷物系女子。 
日本だったら絶対
「子どもだけで行ってはいけません」
とか、危なすぎる!
と言われるだろう道なき道。 
一応大人もいるけど、誰も何も干渉しない。 
ジャングルでは子どものほうが身軽にすすむし、
何がどこにあるか良く知っているみたい。 
アンバランスな丸太も、川を渡るのも、
私がびええぇぇと鳴きながら行く間に、
子どもは、風のように走り抜けていく。
森をよく理解していて、本当の意味で
生きる力があるんだなぁと、ただただ感心…。
洞窟に着くと、子どもたちが率先して火をおこし、
それを松明にして真っ暗な洞窟を探検。
70年以上前、ここに戦争にやってきた
日本人は何を思っただろう。 
この暗闇にパチパチと燃える火のように、
静かに戦いへのきもちを高めていたのか。
それとも負傷したり、亡くなったりする同志を尻目に、
美しいジャングルに守られて一時の平安を
得ていたのか。。。手を合わせておいた。

川辺ではバナナの葉でお皿をつくり、
火をおこし、ご飯を炊く。 
魚やカニ、オオトカゲを捕まえて焼く。
つめたーい川で水浴び。
水も貴重なのでお風呂は毎日入れないからね!
小さい子どもはフルチンで川へダーイブ\(^o^)/
楽しかった!!!
DNAにこういうのを楽しいと感じます、
と書き込んであるみたい。
タノシイ
オイシイ
タマシイ
ヨロコブ
話は変わるが、キアタウ村から小学校まで、
子ども図書館の支援が入る前は、
朝四時に出発しなければならなかったらしい。
さらに保育所を卒業しないと小学校に上がれない
というルールを政府が突然作った。
小さな子達が朝四時に何キロも
山道を歩いていくことはできないし、
お弁当も持って行かせられない。 
そもそも三食食べられない子も沢山いるし、
何人もいる兄弟でも1人を頑張って
小学校を卒業されられるか程度。 
高校、大学なんて夢のまた夢。

だからといって塞ぎこんだり、ひきこもりになったり、
自殺したりする子は一人もいない。 
競争に勝とうと考える子も、
リーダーになりたがる子もいない。
大切なのはみんなで協力して、楽しく暮らすこと。 
お父さん、お母さんを助けること。 
兄弟の面倒をみることだと泊まった
家の子供達が言っていた。 
物質的には明らかに貧しいが、
心は、お金では買えないくらい
素直ですこやかで素敵だ。

✳︎山に住む人たちには、
好きで僻地に住んでいるわけでなく、
日本軍から逃れるためだったり、
開発の波に追いやられ、
平地を奪われたりと様々な事情がある。
電気もねぇ!水道もねぇ!キアタウで、
東京とは真逆の何か、日本にもかつてあったもの、
日本の若者の感じている生き辛さの解決の
ヒントになるものがいろいろ見えた気がする。
物質の世界から遠く離れ、
強く、たくましく生きているこの村や、
こどもたちの笑顔が
永く存続しますようにと願い悪路を辿る。

→続く 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【旅日記その3 天の国は彼らのものである】

ミンダナオ島生活も、
20日経って折り返し地点にきた。
ミンダナオ子ども図書館での
暮らしにもなじんできて、
子どもたちとの生活を
楽しんでいる今日この頃( ^ω^ )
ここに暮らすのは、
戦争孤児や崩壊家庭で、帰る家がなかったり、
極貧で食べられず、
学校にも行けない子どもたち。
学費の援助のみの
奨学生を合わせると膨大な数だが、
暮らしを共にしているのは80人くらい。
いわゆる孤児院なのだが、
創設者の松居さんはもともと
孤児院を作ろうと考えたわけではなく、
絵本の読み聞かせで子どもたちに
笑顔になってもらいたい、
との思いでここを始めた。
今も絵本を中心に、子どもたちだけでなく、
戦地となって取り残された、村の人々にも
読み聞かせを通して繋がりをつくっている。
命がいくつあっても足りない。。。

最初は、こんなに大きな組織にしようだなんて
想像もしていなかった、と松居さんは言う。
放って置けない子どもたちの面倒を見ているうちに
やることが次から次へと増えて、
こんなに大きな組織になったらしいが、
殆どが企業などからの大口寄付でなく、
個人からの少額寄付で、
成り立っているというから驚きだ。 
「最近はフィリピンの子どものことと同じくらい、
日本の子ども、若者の精神が気になりはじめた。
なぜ物質的豊かさではフィリピンと比べものに
ならないくらいの日本で、
子どもが引きこもったり、自殺したり、
鬱病になったりするのだろう?
忙しくて、本来は訪問者にまで
手が回らないのだけれど、
ミンダナオの風を届 けたい」
ということで、今回は色々あって
働けていない私に白羽の矢が立った。
(ここまで私が来れたのも、
周りの方々の沢山のアシストがあったから。
私の意志 とは関係なしに、ここに来ることが
トントン拍子で決まっていった。
本当に驚くべきことなのだけれど。)
ミンダナオ島での毎日はとてもすこやかで、
怒ったり、焦ったりするようなことは一つもない。
すべてがゆるい。
ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ。
朝焼けを拝めるよう5時に起き、
明日の朝焼けのために9時に寝る。
フィリピンといえど標高の高い場所に居るので、
長袖長ズボンでも寒い。
シャワーはもちろん水。
最初は震えあがっていたけれど、
今は頭からさっさとかぶれる。南無!
トイレはもちろんインド式。
便座はないが、なんてことない。


新疆ウイグル→パキスタン→インド旅での青空トイレや、
日々のう⚪︎こ語り、空港でパンツをおろした事件を
経験していなかったらできなかったことが沢山ある。
改めてあの旅をほぼ強制的に行かせてくれた
ビリヤニ一行に感謝したい。。。 
さて、ここにきて驚いたのは子どもたちの明るさや、
素直さ、強さに圧倒されて浮き彫りになった
私の心の壁のほうだった。 
まったくこころが開かない。 
自分の指では届かないくらい
深いところに、その扉はある。
東京で暮らしている間、
私はコミュニケーションは得意なほうだと思っていた。
そうです、みんなが良く知るまなちゃんの心は、
ある意味では、
とても硬く閉ざされて歪んでいたのです。
え?知ってた?
笑顔だけど笑顔じゃない。
元気だけど元気じゃない。
健康な精神と粗食と広い空の下で、
そのことが触れられるくらいハッキリと、
明確にわかってしまった。 
私は親を目の前で殺されたり、
虐待されてきた子どもたちと、
どこか一部でも影の部分が
一致して分かち合えるような気がしていた。 
(全くそんなことはなかった、
というかそこは重要ではなかった。)
今、ここに居て三食食べられ、沢山のともだちがいて、
パパトモ(松居さん)やハウスペアレント
(ダディー、マミーと呼ばれる住み込みの親役)
がいて学校に行ける。
夢がある。笑える強さがある。
天国はまさに彼らのものだった。。。
この天国に近い場所で、
鍵を失くして家に入れない、
核家族の一人っ子になった気分だった。
細胞壁を溶かされて、中身が全部出てしまいそうで、
合体吸収させられそうな気分になって、
ぐちゃぐちゃで。
どうして良いかわからなくなった27歳の日本人の私。
保てない。すっぴんの私では。
なにをすべきなのか、
なにをしたいのかんがえることは
たくさんありでも
まずはこのかんじょうをせいりしなくては。。。
と、3日ほど目眩とともに過ごしていたら
風邪を引いて寝込んで。。。
はぁ、思ってたより色々と気持ちの面では
重労働になりそうだな。。。
と思いながら、知らない天井を仰いでいた。

→続く 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【旅日記その5 前々回のつづき】

大量の蟻いりCoffeeのせいなの何なのか、
フィリピン二度目の発熱で
寝込んで過ごしたクリスマスでした、
皆さまいかがおすごしでしょうか。
やっと復活してみると、年の瀬ではありませぬか! 
私はもうすっかりとミンダナオの生活に馴染み、
師走とは日本のものであって、
ここには、関係がないものだと知りました。
誰も走ってないよ、牛歩。
今は子ども図書館から離れて、帰省する家、
親、親戚のない子どもたち数人と、
スタッフやその家族と、
海でキャンプをしています。
やることといえば、遊ぶことだけ。
ずっと大きな木の下でお昼寝したり、
子どもと遊んだり。
なんという贅沢な時間。


さて、前回の長文の続きです。
感じることがありすぎて、
とても伝えきることはできないと思っていますが、
この年の瀬に暇を持て余している
幸せなかたが居れば、読んでみてください。

子どもたちの圧倒的な輝きに気圧されて、
自分の心の壁に気づいた、
というのが前回までのおはなし。
悶々としているとはいえ、毎日フィリピン流のご飯、
水浴び、遊び、うた、
お祈りなどをして楽しく過ごしている。
本当にここはフリーダム。
誰も怒らない。
誰も何に対しても怒らないのだから、フリーダム。
全てがテキトー。
日本では3秒で怒られるような、行儀の悪い行為も、
道路交通法を完璧に無視した
乗車スタイルも全部ゆるされる。
笑顔で鼻くそをほじり、
何食わぬ顔で私の足に落として、
その手で私のケータイを
スクロールしてもオールオッケー!!
《そう、ここは自由の国》
日本では、何であんなに怒られてきたんだろう、
と不思議に思うくらいだ。
仕事では怒っても怒らなくても変わらない、
一銭の得にもならないことで
一時間くらい怒られたりする。
「そこはすみませんじゃなくて、
『申し訳ございません』だろう!!」みたいなこと。
どっちでも良いんですけど。
機嫌で怒りをぶつけてきたり、
パワハラ野郎も多い。彼らが不憫だ。
私に限らず、家でも学校でも、
うるさいだの行儀が悪いだの、
細かいことで誰でも何かと
怒られてきたんじゃないだろうか。
細かすぎだよ日本人、と小さい頃から思ってきた。 
だから、とてもここは心地よい。
東京では誰かの怒りを見ない日はない。
空気全体がピリリとして、
早くこんな1日よ終われと言わんばかりに
どんどん時計は進んでゆく。
ぶらさがるマンゴーが、
風にゆらゆら揺れるのを眺めながら、
怒る必要なんてどこにもない、
ぜんぶゆるせばいいということに
凄くホッとした自分がいた。
そう、怒るよりゆるすほうがずっと良い。
揺れていれば良い。
どうせこの世には善も悪もないのだから。
化粧もしないし
(一回化粧道具を子どもたちに見せたら、
もうぐちゃぐちゃに使われまくったのもあるが笑)
鏡もみない。(鏡がない。。。)
着るべき服は、
昨日の雨で濡れたので、昨日と同じ服。
私のナルシシズムは最小限に抑えられ、
自我はとても小さくなり、なにも気にしない、
バッチコイ!精神が整ったところではたと気づく。
おお!私ここに馴染んできた!
ビサヤ語も少しずつ覚えてきたし、
子どもたちと遊ぶことにも慣れてきた。 
(そしてご飯に飽きてきた。。。
プリーズギブミー味噌スープ)
第一、心をどう開こうなんて考えて開くものなら、
カウンセラーはいらないのだ。
ただ感じる儘にしている。そこにただよう。 
同じようにしている。一緒に笑う。
他人をゆるしてないから、
自分に対してもゆるすことができずに
壁をつくり出していたのかな。 
いや、反対か。
壁の成分のひとつに「ゆるせない」
という気持ちがあることがわかり、今その壁を壊せた。
がしゃん。
今はとても清々しい。
側では子どもが賑やかに唄っている。
希望の歌だ。

→続く 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【旅日記その6 個性を超えて】

年末の休みで殆どの子は帰省していたが、
帰る家のない子たちと、
スタッフとでワイワイ過ごしてきた。
素朴な椰子の木のビーチ。
砂のベッドで眠ると星の絵本があり、
風のタオルケットが涼しい。
そして青空トイレ。
嗚呼なんというメルヘン。。。!!!笑

《競争心は壁をつくる》
さて、ミンダナオ島の人たちは
本当に競争心がない。
何でもかんでも良くしていこうという気が
あんまりない(ような気がする)。
あるモノで、満足しようという気持ちがある。
これでオールオッケー!
明るくてタフでテキトーだ。
以下は旅先で感じた各国の国民性について。
韓国「競争心の塊、誰にも負けたくない。」
中国「何でもパクって劣化させる!!」
ベトナム「努力は実る、頑張ろう!
アメリカにも勝った誇りがある☆」
台湾「日本大好き、日本みたいになりたいなぁ。。。」
香港「ペチャクチャペチャクチャペチャクチャ!!!!」
インド「はい、1000ルピーダヨ」
フィリピン『。。。これでヨシ!』←イマココ
✴︎個人の見解です。どの国も私は好きです。

ここの人たちは、
集団でいるときは怪獣のようにワーワー騒ぐのだが、
個人になると急にしおらしくなる。
カメラも皆に向けると
「撮って撮ってー!!!」なのだが、
誰か一人にフォーカスすると恥ずかしがって
どこかへ行ってしまう。
自我やエゴ、目立ちたい気持ちがとても小さい。
コミュニティに属していると強くなれる。
レオ・レオニのスイミーという絵本を思い出した。
だから個性を発揮しなさいとか、
人と違うことが素晴らしいよね
とかそんな考えがない。
誰かより抜きん出る必要も、競争に勝つ必要もない。
協調性をことさら意識しているわけではないけれども、
小さい頃からそういう環境なので当たり前に
なっているのだろう。
すべてのことが、リーダー役がいなくても
阿吽の呼吸で進んでいく。
ところで、運動会で勝てない子がいるから、
順位をつけるのを止めようという記事が
炎上していたのを前に見た記憶がある。
その時私は
「酢いも甘いも経験させないと、
大人になってから困る。
運動が得意な子は自信をつけられるし、
苦手な子も何か他の得意なことを見つける
チャンスじゃないか」と思っていた。
運動会云々は置いておいたとしても、
学校でも会社でも
競争ばかりに目をつけすぎていないかと
疑問に思えてくることもある。
競争原理は、効率的で合理的な部分もあるだろう。
個人の力を高めることで、
全体の力を高めるというのは
一見筋が通っているように思える。
けれど、たぶんここの人たちは
これをヨシとは言わない。

《多くの人は個人主義、
成果主義の社会に疲れ果ててているのではないか》
『私のスキル』『私の個性』『私が他人より優れた点』
『私が御社に提供できるもの』『私の資格』『ノルマ』
『コンプライアンス』『ヴィジョン』
『我が社のクレド』etc。。。
会社では、相談役の窓際族
(私は見たことがないが)は排除され、
情報屋のお茶汲みのお姉さん、
おせっかい焼きの掃除のおばちゃんは
効率主義の名の下に消えていった。
企業戦士の末裔が頑張れよと、
精神論を持ち出して説教してくる。
ストレスで頭がおかしくなっていることにも
気づかないおっさん達のパワハラ。
日々成果を出さなくてはいけない。
成長は続けなくてはならない。
頑張り続けたら、
いつか伸びきったゴムのようになってしまうのに。
鬱病の経験が美徳のように語られることもある。
いつまで私たちは資本主義に
魂を売り続けなければいけないのか?
そんな風に思うのは私だけだろうか。
私たち20代ですら、
社会に出て、楽しいと思っている人は
少数な気がする。
会社が楽しくて!という人は聞いたことがない。
楽しくないのが仕事の本質なのか?
仕事は人生ではない、
割り切ろうというのも淋しい話だ。
やりがいがあっても、
東京では手取り20万円もらっても、
残業時間や、給料の出ない労働時間が
長い人にとってはワーキングプアと言える。
手取り30万円もらう頃には責任も大きくなって、
時間もさらになくなる。
50万円もらって精神内科に
お金を沢山落としている人も少なくない。
不安で、焦って、でもどうしようもなくて。
恋人をつくることも結婚も子育ても、
なんだか別世界の話に見える。

《曖昧な心、曖昧な生活》
ミンダナオでは、
個人と集団の境目も曖昧なように、
仕事もプライベートも曖昧だ。
働いているスタッフは、
子ども図書館の敷地内に家を建てて
暮らして良いことになっている。
日本だとどうか?
家庭に仕事仲間や、上司がいると考えただけで
ゾッとする人がほとんどだと思う。
レストランでもどこでも、
赤ちゃんをあやしながら仕事をする。
子どもがギャーギャー騒いでいる横で仕事をする。
みんな気にしない。
この差は何なのだろう。
さぁ、叫んでしまおう。
ストレス抱えてまで
仕事なんてやりたくないんだよ!
会社のヴィジョンなんてどうでもいいんだよ!
さぁ声高に言ってしまおう。
うちの会社のサービスなんて
どうでもいいんだよ!
生きるために仕事してるんだよ!
宝クジ当たったら
翌日から行きたくないんだよ!
ほら言ってごらん!笑
『御社のヴィジョンに共感しまして。。。』
とか思ってもないこと言うのは今日で止めよう、
と海に叫びましたワタクシでございます。
でも、それでも、生きていかなくてはならない。
(私も帰ったら働かなきゃ。。。)
お金のある人ない人の
二極化は日本でも始まっている。
豊かさを実感しにくい、豊かな国の残念賞。
豊かさは『選択できる』ことだと思っている。
日本ではやり直しも再出発も、
遅刻も許されがたい雰囲気がある。
もう私のようなカリスマネオニート(元取締役笑)
はほとんど身動きがとれない。
私から愛する友人たちへ言いたいのは、
会社から帰ってつかれた〜と
暗い顔をしなくて済むように、
仕事は適当にしましょうよ。
日本のGDPを下げまくろう。
1億総活躍より、みんなで
みんなが幸せになる方法を考えようよ。
活躍なんてしなくていい。
とはいえ別に
今の社会の全てを批判するつもりなどないし、
受けている恩恵にも感謝している。
それは海外にいるからこそ実感できることだ。
さて話を戻すと。
個性を発揮して、
他人より優れようという考えについては、
立ち止まってみても良いのかもしれない。

限界はもうきていて、
東京の空気は、人々のストレスや怒りや
かなしみでビリビリしびれるくらいだ。
個人でやるより、
みんなでやれることのほうが、
遥かに強くて大きい。
戦後、日本はそれで世界が驚くような
復活を遂げたのではないか。
この可能性についてもっと考えられないか。
喜びもかなしみも、
自然と分け合っていけるのは、
アジア人の良いところだ。
今ある文化、習慣から一旦脱出してみて、
驚くほど軽いきもちになれた。
この一カ月の思い出は、ずっと忘れないだろうし、
今後の生き方に影響を与えるだろう。
今までどれだけ自分の手入れ、
自分をどう見せるかに、注力してきたかわかった。
個性的であることなど必要ない。
ヒトは生まれた時から、十分魅力的なんだ。
そんなものは超えていこう。
自我など宙に漂っていればいいのだ。
他人よりも優れようと思う点が自分にあるなら、
その力で他人の
その終わっていない仕事を手伝おう。
自分の小ささを認めてしまおう。
私が1人でできることなんて少ない。  
モテたい、可愛くなりたい。。。
そんな気持ちが膨らみすぎて、
お金かけ過ぎたり、
心労を抱えすぎていないか、
考えてみてもいいかもしれない。
いっそ、その素敵な服は物質的な貧しさを
抱える人に送ってしまおう。
スッキリするし、本当に喜ばれるぞ!笑
心につける羽は
「個性的であろうとすること、
人より優れようと考えること」
を超えたところにある。。。たぶん。
ミンダナオ島の生活もあと少し。
もうすぐ旅は終わる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


マノボデー
(先住民族の文化祭)
 
 
 ミンダナオ子ども図書館では
毎年大学生の総会に合わせて
年四回、月末の日曜日に文化祭を開き
互いの文化を披露し、相互理解を深め
平和について語り合います。
「ムスリムデー」3月
「マノボデー先住民」6月
「ビサヤ(クリスチャン)デー」9月
「シンポジウム」12月
の文化祭を開きます。
訪問者の方々も参加できます。
正確な日時等は、現地スタッフの宮木梓さんに
mclmidanao@gmail.com
毎年、
学生たちの選挙により
運営委員や
代表メンバーが選出され
総会の運営も
若者たちが
独自に行っていきます。
6月の最終日曜日は、
マノボデー、
文化祭を通して
互いの文化の
違いを感じ、認め合って、
平和を築く礎にしています。

 

今年のテーマは、結婚式
マノボ族の結婚式の様子です 
 
 
文化も部族も宗教も、
異なっているからおもしろい。
人間の顔も、
皆同じではおもしろくない・・・
異なっているから、
友情や愛が生まれてくる
 
マノボ族の結婚式

まずは、両家の父親が
結婚の相談と話を持ちかけて
話し合う。
結納の品物も、
山羊や馬など・・・
ダトゥ(首長)を挟んで、
両家族の両親が座り
結婚する二人が向き合う。
そして、目の前に置かれた
ご飯とおかずを
相手の口元に持っていき
それを口に入れて食べる。
まわりでは、
キャーーーッという
感動?
の悲鳴がわき上がる。
その後、初夜では、
二人のあいだに
親戚の子どもを置いて
寝るのだという。

 

日本から来た
アンダンテの若者たちも歌った

アンダンテの若者たち
子どもたちは大乗で、
一緒に歌い拍手喝采。

MCLのボードメンバーである
ガボン牧師の奥様と息子さん
奥さんは、日系人で、
日本人の血が混じっている

卒業生のアロナの講演 
もとミンダナオ子ども図書館
の奨学生で、
卒業後に
先生になったアロナさん。
自分の体験を通して、
自分たちの
持っている文化を、
これから未来を
担う子どもたちに
伝えることの意味と
大切さを語った。
すばらしい講演だった。
ミンダナオにおける、
イスラムとクリスチャンと
先住民族の
調和と平和の
重要性についても
熱弁をふるった。...
かつて、
小さな小学生だった子が、
大学出て一人前に
なっていく姿をみるのは
本当にうれしい。
 


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