国際交友の記録:
2014年と13年




訪問者の記録2014年
Happy New Year 2014
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年あけて海に行った。
子どもたちにとって、
最大の楽しみの一つ。
一月の海水浴など、
日本では考えられない!


日本からの
若者たちも一緒に
海で泳いだ 
親のいない子、
いても別の人といっしょになっていて帰れない子、
いろいろな問題があって帰りたくない子
そうした子がミンダナオ子ども図書館の奨学生に多くいて、
本人の希望と、保護者の承諾を得てMCLに住んでいる。
もちろん、完全に見捨てられた子や、
福祉局から要請があって来た孤児もいる。
親を失って、知人や親戚を転々とする場合、
もっとも多いケースが、
レイプビクティムや町の場合は強制売春。
男の子の場合は、肉体労働あたりですむが、
女の子が大変で、小学校1年や2年生の被害者の子もいて
MCLに引き取って生活している子も結構いる。
山で三食たべられない家庭の子の場合は
休暇の時には家に帰れるが・・・
親が居る子の場合は、
できるだけ親が育てるように話し、
親元から学校に通うように、説得するが、
12歳を超えると、食べ盛りになってくるし、
14歳ぐらいで、親に言われて
町に働きに出されるか、結婚を強要されるケースが多い。
親が居るという理由で、
福祉局の指導で家に帰した子もいるのだが
その多くは、スカラシップを出していても学業を中断。
学校が遠いこともあるのだが、
要するに年頃になると食べる量も多いし、
親も養いきれないから
学校になど行かないで、町に働きに出て稼ぐか、
結婚を強要される。
頭で考えた理論では、
たとえ貧しくとも、
親が子どもを責任を持って育てることが大切で
安易に受け入れるのはまずいのでは・・・
確かにそれも、頭の理論では理解できるが、
現実の生活は、学者の理論とは、雲泥の差があり
理論に従って家に帰したあげく、
学校はストップし、町で大変な状況に落ちていく子や
泣いてMCLにもどりたいという子たちに会うと、
机上の理論と現実の格差に愕然とする。
ただ、親に言われて結婚した子もいて、
幸せになってくれればそれもよいのだが・・・

 
町に働きに行く場合、
仕事は、食堂の給仕やまかないか、
家では子守や洗濯、家事手伝いで
食べさせてもらっているだけで、
仕事はきつく、給料もほとんど無いに等しい。
雇い主が善良であれば良いが、
犯されたあげく、売春を強要されたり、
雇い主の子を産んで放り出された子もいる。
MCLに助けを求めて、
ここ住んで奨学生となったケースもいくつかあるが、
その多くが、孤児や片親の子たちだ。
(正月明けそうそう、重い記事を書く気になったのも
実は、こうしたケースの背景を年明け早々に
ソーシャルワーカーのスタッフと調査しているから・・・
どの子かはいえないけれども)
町に出て、つらい仕事を強要されて
あげくのはてに逃げ出して、
親元にもいられないから、
MCLに住まわせてほしいと、
舞い戻ってきた子も多い。
貧しい家庭の子どもにとって、
貧困もさることながら、
保護者が居ないという事は、
命がけの事なのだ。
現在、奨学生は600名強いるが、
そのなかの120名ほどがMCLに住んで
近くの学校に通っている。
普通の奨学生と異なっていて、MCLの奨学金は、
優等生に与えると言うよりも、
貧困家庭のなかでも、特に親の居ない子や
崩壊家庭の子たちを優先している。
クリスマスやお正月、夏休みといった時期は、
そういう子たちが特に寂しくなる時期だ。
子どもたちが寂しがらないように、
いろいろなプロジェクトを考えるが、
海水浴もそのひとつ。
 
ふっと寂しくなる
ときがあっても
安心して暮らせる
ところがあって
しかも、ちゃんと
見守ってくれている人が
身近にいること
そして、いろいろな異なった
環境や種族、
異なった宗教でも
心を通じ合える
仲間が居ること。
血のつながりがなくても
家族であり、
兄弟姉妹であると
感じられること。
そして、お互いに
助け合って生きていけること。
しかも、小学校を
卒業するだけでも
難しいのに、
頑張れば
大学まで行けるという
夢を持てること・・・
そんな彼らを見ていると
こちらが元気をもらえる。

ボランティアスタッフの
杉菜さんと史子さんも一緒
日本から来た若者たちにとっても、
ここはパラダイス。
南国だからというよりも、
愛に満ちた子どもたちがいるから。
 

砂で遊んだ

夕方になった 



いっしょに食べて、
いっしょに寝る。



 

料理も子どもたち、
若者たちが自分で作る

ダバオ市の海岸沿いの
焼け出されたイスラムの人々を
皆で救済支援


かなり広範囲の地域が全焼した。
避難生活をする人々。
ダバオ市の海に張り出す
イスラムの人々が多く住む
貧民街が焼けた。
去年は、MCLの奨学生がいる
ササ地域が焼けた。
焼け出された、イスラム教徒
バジャウ族の人々は、
避難生活を余儀なくされた。
MCLでは、
その実態に心を痛め
早速古着などの
救済支援をした。
しかし、
駆けつけた消防隊員が
あえて、あまり
火を消そうとしなかった
と言う理由で、
イスラムの人が怒って
その場で殺害したり、
立ち退きを強制するために
意図的に火を放ったとも、
言われている。
行政に対する反発も強く
この日も、場所によっては
近づくことが出来なかった。


すぐに読み語りと
古着の支援に向かった 

読み聞かせをすることで
子どもたちは元気に!
上の子は、治療を約束。

上の写真の奨学生
左はイスラムの子
男の子はクリスチャン
MCLでは、兄弟姉妹。

古着の支援もした
レイテの台風支援は一段落したようなので、
残存している物資をこちらの方にまわしました。
レイテ支援で親のいない高校生が、
MCLに住んで学校に通い始めました。



全員で食べられる食堂が出来た!
開所式には、支援者も訪問


子どもたちの数が100人を超し、
三棟に分かれて食事をしなければならなくなり
それが寂しかったことと、福祉局の認定を得るためにも
規格にあった食堂と台所、
宿舎作りをしなければならず困っていたが
皆さんの助けで念願の食堂を作る事が出来ました。
全員がいっしょに食べられる、食堂と台所と宿舎も出来た!
念願の120名全員が一緒に食べられる
食堂が出来ました。
伴野正夫さま、佐藤浩市さま、亜矢様、前田ご夫妻
小倉ライオンズクラブ、鹿児島日本語学校などの
多くの方々のおかげです。
開所式当日は、お越しになり
子どもたちと一緒にお祝いしました。
当日は、MCL日本窓口の前田容子さんも、
桃山学院学長をなさっているご主人と参加。
楽しい時を過ごされました。
食堂は、フィリピン政府の福祉局の基準に合わせた設計で、
すでに法人資格はとっているのですが、
これから順次福祉局の認定基準を満たし、
認定法人にしていくための一歩です。
食堂の二階は子どもたちの宿舎です。
宿舎を寄贈してくださったのは、磯綾子さま、
佐藤浩市さまと奥様の亜矢さん。
亜矢さんは、ミンダナオ子ども図書館を訪問され、
奨学生を支援してくださってます。
息子さんの栄介くんも数カ月滞在。
しばしば原宿でチャリティーイベントを開いて
MCLを助けてくださっています。
「Leela」という名のお店を恵比寿でなさっています。
行ってみたら?
ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは、
採用の基準は成績ではなく、
親のいない孤児や片親の子、崩壊家庭の子、
親はいても兄弟姉妹が多く、自給地もなく、
3食たべるのも難しいような貧困家庭の子どもたちです。
現在スカラシップの子どもたちは、620名。
中には戦闘で両親を殺されたり。
アビューズの対象になっていたりする子も多く、
現地に置いておけない子どもたちは、
MCLの本部に住めるようにしてあげています。
その数が、100名強。
大勢ですが、一つの家族として一緒に食事をしたがります。
そのご飯を作る台所を寄贈してくださったのが、
北九州小倉ライオンズクラブの方々、
そして土肥基さま 大久保一興さま、 濱田博さま。
皆さん本当にありがとうございます!
 

神父さまに来ていただいて、祝福していただいた 

神父様に来ていただき
祝別式をした。

祝福をしていただかないと
子どもたちは怖がる。
だって、
変な妖精が
来るかもしれないから!!






祝別式の後、みんなでお祝いした 

お祝いのケーキを顔につけ合って遊ぶ子どもたち




アポ山に
二度登った


頂上付近は意外と複雑で
いくつかのピークに
わかれている。
夜はかなり寒くなる。
至る所にブルーベリーが
実っていて
食べながら歩く。

初回は、
ミンダナオ子ども図書館の
食堂を寄付してくださった
伴野正夫さまと
いっしょに登った。
68歳にもかかわらず
まだまだお元気でびっくり、
3泊4日の旅は、
日本の山とは違って
道なき道、
ジャングルを行く旅。

二回目は、
日本の若者たちと、
MCLの奨学生たちが・・・
ウオーファーフォール村から
3泊の旅が始まる


日本から訪問してきた若者たちと  
アポ山(2950m)に登った。
4月5月は、ミンダナオの夏休み。
この時期に、奨学生の高校生と大学生を中心に、
フィリピンの最高峰、アポ山に登ることにしている。
ジャングルに囲まれているアポ山は、
3千メートル弱のフィリピンの最高峰だが、
日本の高山のようにアプローチや山道が
整備されているわけでもないので、
ガイドとポーターを雇って、三泊二日で頂上をきわめる。
今回も、ガイド役になってくださったのは、
マノボ族の奨学生のお父さんたち。
日本の若者二人を含めて、一八人の精鋭?部隊。
アポ山は、図書館の裏山なのだが、
人々にとって神々の庭、神聖な山で、
若者たちの強い憧れ。
若い時に一度でも、
フィリピン最高峰に登ったという体験は、
生涯彼らの自信と誇りとなるだろう。
そのこともあり、毎年計画している。
日本から来た彼女たち(写真左)は、
ほとんど山を登った体験のない若者たちで、
最初はちょっと心配したけど、
MCLの若者たちが助け、
時にはおんぶして川を渡り、
荷物も喜んで運び上げ、
最後はすっかり仲良しになって、
曰く。
「すっかり山登り(MCL?)に、はまってしまった。
また絶対来るからね!」

 
 

アポ山の妖精たち

頂上直下には、湿原がある。
神秘的な山、アポ山には、
世界からも登山者が絶えない
山のお店で、
お父さんお母さんを手伝う子どもたち 

夜明け
   

ジャングルの下山

最後の下りで谷を渡る



わたし、ダバオで生まれたの!
七〇年ぶりの故郷を訪ねて!



カリナンの日系人博物館で、
70年前の自分が写っている
写真を発見!


娘さんの琴子さんから、メールをいただいた。
「母は、ダバオの生まれです。
7歳のころまでダバオの日本人小学校に行き、
第二次世界大戦のとき、
妹とダバオから離れカリナンに疎開しました。
その後、戦闘が拡大し、日本軍とともに、
さらにタコナン村に逃げました。
そして、ジャングルの中を逃げ惑い、
最後に投降して、日本に帰されました。
それから70年、一度もフィリピンに
足を踏み入れたことはありません。
今回、意を決して母の妹と、
バプテストの牧師の夫とわたしたち息子と娘。
さらに孫たちをつれて、回想の旅を計画しました。
受け入れていただけますか?」
総勢10人、大学生やまだ中学の孫もいっしょ。
どれだけお役にたてるかわからないけれども、
実行を約束した。
まずは生まれたダバオの地域にホテルを予約。
その地は、思い出の場所ではあるが、
すっかり都会化していた。
その後、カリナンの日系人博物館を訪問。
なんとアルバムに古い自分の写真がのっていた!
 
 
 

カリナンの市場を歩いた 
ミンタルの日系人墓地に詣で、
その後カリナンの博物館を訪ねた。
自分の写真を見つけたり、アバカ(マニラ麻
)などの工場や収穫など懐かしい思い出が
よみがえってくる。博物館を出て、
カリナンの街の市場を案内した。
ダバオと異なって、ここにはまだ昔ながらの
雰囲気は風景が残っている。
ご当人の心には、
過去がすごい勢いでよみがえってくる。
魚屋、米屋、お菓子屋など、ぼくにとっても、
子ども時代に、荻窪の市場で見た風景。
裸電球の下で「いらっしゃい!いらっしゃーい!」
「生きが良いよ。安くしておくよ!」
ここで、待望のドリアンを買ったり、
マンゴスティンを食べた。
懐かしい想い出の熱帯フルーツたちが、
「お帰り、お帰りなさい!」と、叫んでいる?
 

訪問者とタコナンを訪ねた
日本語を話す、混血の老人に会った
軍人だった父は、戦後日本に帰り
バゴボ族だった母と私たちは
ミンダナオに残りました。
ジャングルをさまよった後
自分が日本人の子であることを
ひたすら隠して生きてきました。
日本の軍隊は、日本人と先住民の
あいの子にも厳しかった。
裏切るのではないかと、
いじめられた人もいました。
バゴボ族、マノボ族のなかには、
殺されたり、生き埋めにされた人も
かなりいたようだ。
辺見庸のノンフィクション「もの食う人びと」
には、当時山に立て籠もった敗残兵たちが
原住民を襲って食べた、という
現地での聞き取りが書かれている。


カリナンから、さらに訪問者たちが逃げた
ジャングルの村が、
タコナンという集落だった事を聞き、
ぼくたちは、事前にタコナン集落が
どこにあるかを探した。
現在、タコナンと言われるところに行き、
食堂のあるじに聞くと、
この先の山の集落に、
今でも日本語を話す、
日系人がいると教えてくれた。
ぼくたちは、その集落へ早速向かった。
そこの主は、日系人で、父親が日本人、
母親がバゴボ族。奥様も同様だった。
「戦後、父親たちは、家族をおいて日本に帰り、
自分たちはここに残った。
日本人であることを隠すために、
現地の名前を、名乗って来ました。」
驚いたことに、本当のタコナン村はここだった。
そこで、訪問者たちを、
ここにお連れすることに決めた。
今は、創価学会会員として、平和を願っていると言う。
 
 

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訪問者は、自分の子ども時代の体験を語ってくださった。
戦闘は、敗戦の色を濃くし、日系人たちは、
カリナンにもいられなくなり日本軍とともに
ジャングルに逃げ込んだ。
山芋を掘って食べたり、困難な生活が続く。
「現地の人たちも助けてくれた。
むしろ日本軍のほうが、
私たち子どもの目から見ると怖かったです。
わずかしかない塩などを、
むりやり取っていってしまうのです。」
ぼくも、現地の人々からも聞いた話が多々あるが、
人によっては、
「日本軍があの丘に滞在していたけど、
良い人たちだったよ・・・」
と言ってくれる人もいる。
結局は、司令官の資質によって、
現地での命令の形態が変わったようだ。
 
 

第二次大戦で亡くなった
日系人を祀った記念碑に詣でた 
とにかく、ぼくは、戦争が嫌だ。
子どもたちや庶民が、最大の犠牲者になる。
これは、現在勃発する戦闘を見ても
まったく同様だ。
戦争そのものを憎む必要がある???
聖書には、
「剣を持つものは、剣で滅びる」
と書いてある。
武器を持ったとたん、人格が変わる?
人が、人で無くなる?

ミンダナオの人々は、アジアでは比較的
日本人を良く言ってくれる。
戦前の日系人との交流があったせいだろう。
しかし、子どもが寝ないと
「日本人が来るから、早く寝なさい!」
と言って、寝かせる言葉が
今でも生きている。

支援しているイスラムの子に会えた
自分が支援している奨学生に会いたい。
それも今回の目的の一つだった。
しかし、リグアサン湿原沿いの集落で
最近も戦闘が起こり難民が出て、
MCLで救済に向かった地域。
ここのところ、若干おだやかだが、
情報を収集しても
とても村までは危険で行けない。
そこで、先生に連絡を取り
近くの安全な場所で会うことになった。
イスラムの湿原地域の彼女。
片手が萎えているが、とてもよい子だ。
彼女の集落までは行けなかったが、
先生が、安全な集落まで
連れてきてくださった。
下のこといっしょに今年度から、
MCLに住むことになった。

 

ミンダナオ子ども図書館にもどってきた 

思い出深いジャングルに入った

ジャングルに逃げた頃の想い出から
もう一度ジャングルを見てみたい。
その希望を聞いて、
アラカンの山にご案内した。


この地域が、日本軍と
米軍の決戦場になった

この奥に、
たびたび日本の
訪問者が滞在する
キアタウ村や
ケロハス村が有り
多くの奨学生を取り
保育所も建設している。

MCLの下宿小屋がある目の前の丘。
この丘の上に日本軍が陣を張っていた
ミンダナオ子ども図書館の
アラカンの下宿小屋で
スタッフのジケロ君から
日系人を話を聞いた。
ジケロ君は、
名字をタカといって
おじいさんが日本人だが
証明することが出来ない。
ジャングルを
逃げ惑った家族の
その苦労が
いかほどであったことか!
ミンダナオ子ども図書館には
数人の日系人の
奨学生がいる。
 
訪問者のご主人は、
バプテストの牧師さん
新築間もない、
バプテスト教会の前で
地元の牧師さんと
いっしょに写真を撮った。

最後にダバオの
イスラム地域を訪ねた

つねに、子どもたちを中心に
考える社会を作りたいと、
つくづく思う。


日本から訪問した
杉菜さんも一緒に
スカラーたちの卒業式


 
奨学生たちの卒業式は、大きな喜び。
あの小さかった子たちが、こんなに大きくなって・・・

特に、親の居ない子たちや、
いても行方がわからない子たちには、
ハウスペアレントや友人がつきそう。
寂しくなることもあるかもしれないけれど、
「ぼくらは、MCLファミリーだから!!!」
ミンダナオ子ども図書館が、
安心して子ども時代を送れ、
のびのびと思春期を迎えて、大学まで行き
将来の可能性を開くための
舞台になってくれれば良いと、いつもおもう。
 
 

小学校から高校に

ミンダナオでは、
小学校六年から高校四年間、
そして大学だったが
近年制度が変わり、
高校が6年制となり、
4年間がジュニアハイスクール
その後に2年間シニアハイスクールが出来て、
その後大学になった。
結果的に日本同様に、
小学校から高卒まで12年間となり
二年間増えたが、
経済的に高校を卒業するための親の負担が
さらに厳しくなったといえる。
大学卒業は、ミンダナオでは、
2割に満たないと思うのだが、
さらに大学まで行ける子が少なくなった?
授業料の値上がりも厳しい。
 
  僕の付き添いは、
日本人スタッフの
杉菜さん!!!
 
パパ、ママは居ないけど
いとこが駆けつけてくれたの!

親や兄弟が
駆けつけてくれる子たちは
わずかしかいない。
それでも、寂しさを
吹き飛ばすように
子どもたちは元気に歌う。
やはり卒業はうれしい。
今年は、
小学生から高校生に!
大学は、先生のコース
私は、看護師になりたい
僕は、エンジニア
いよいよ夢は膨らんでいく。
支援者の皆さん、ありがとう。
これからも
よろしくお願いします。
支援者は、私たちの
お母さん、お父さん。
皆さんの子、いますか?
私たちの付き添いは、ハウスペアレントの
アカイさんとローズマリーさん
右端の付き添い、ローズマリーも
奨学生だったが、今は立派なスタッフだ。
 
アカイさんが、
私の母さん役
杉菜さん、ありがとう。  スタッフのタビタさん、
ありがとう
 
大学の奨学生の
姉ちゃんといっしょに
 
ハウスペアレントの
ダゴルさんと
 
 ハウスペアレントの
ロース姉ちゃんと

小学校の終業式
こちらは、
終業式の奨学生たち。
進級していきます。
みんなでいっしょに
歌ったり踊ったり・・

まだ小さかったはずの子たちが、
どんどん大きくなっていく
みな、MCLに住んでいる子たち。


イスラムの貧しい山の保育所の卒業式に
日本の若者たちと一緒に訪れた
こちらは、戦闘地域の
貧しいイスラム集落
非常に厳しい地域だが、
卒業生も出て
平和のために活躍している。
左の写真で、
先頭にたっているのは
今大学生の子。
MCLがなければ、
高校にも行けなかっただろう。

右は、卒業して現地で
活躍している旧奨学生、
真ん中はいま大学生、
教育学を学んで先生になる。
 

日本からの訪問者、
あんだんての皆さんもいっしょに
右から二人目が大澤君
 

両親のいない彼女は、
今年からMCLに住むことになった。

アンダンテの皆さんが
寄贈してくれたハーモニカ
アンダンテの皆さんによって
贈られたおもちゃに大喜び。

イスラム自治区、
サパカン村の小学校と
保育園の卒業式



マノボ族の蒔き付け儀式


  Ritual Ceremonya
 ボランティアスタッフ 野田 杉菜


「明日キアタウで焼畑にお米の種を植える、
年に一度の儀式があるので行きませんか?」
2014年2月18日早朝、
友さんの一言で寝ぼけ眼を擦りつつ、
急遽キアタウ村へお米を植える儀式を見に行った。
マノボ族の調査をしておられる
訪問者の方と現地スタッフと共に、
舗装されていない山道をガタゴトと進んでゆく。
バナナのプランテーションを通り過ぎ、
急斜面にあるトウモロコシ畑を横切りると、
アラカンの広大な山岳地帯が広がった。
3時間かけてたどり着いたのは皆様お馴染み、
ミンダナオの山岳地帯に
隠れるように存在するキアタウ村だ。
MCLはこの村からもスカラーをたくさん採用している。
キアタウ村に着くと
「明日はご馳走でバボイ(豚)が出るよ!」と
子ども達が嬉しそうに話しかけてきた。
普段はカサバ芋やバナナを蒸したものを食べているので、
豚はとっておきのご馳走なのである。
マノボ族がほとんどのこの村は、
昔ながらの伝統が生きている。
今回の儀式、その名も「リトワル・セレモニア」。
題名に記したものが現地語だ。
年に一度の伝統行事で、
友さんも見たことが無いと言っていた。 
そんなところに無知な私がお邪魔して、素人の目線で
貴重な文化に触れることを可能にするところ、MCL。
私の見たマノボの儀式の様子を読むことで、
隣国の風に触れていただければ!…と、
偉そうなことを言ってみたり。
しばしお付き合い頂ければ幸いである。

〝急斜面を駆ける〟
2月19日、早朝6時。山の人々の朝は早い。
早々に朝食を済まし、焼畑のある場所まで歩いて行く。
キアタウの子どもたちに先導され、
まだ朝露で滑る斜面を下っていく。
朝焼けで光る断崖絶壁の丘を下り、
まだ小さなバナナの生える畑を下ると、
木々が生い茂る森へ行き当たる。
キアタウの子どもたちは転げるように
急斜面を走り下ってゆく。
そのスピードといったら大人はとてもついて行けない。
よたよたと進む私たちを時々チラチラと見て、
少し行ったところで待っていてくれる。
急斜面を下るのに必死な私たちを尻目に、子どもたちは
焼畑までの道のりを遊びながら進んで行く。
パチンコにそこらへんの石ころを掴んで
鳥を射ち落とそうとしたり、鳥の鳴き真似をしたり、
歌を大声で歌ったり…
そこにある物を何でも遊びに変えてしまう。

〝川でお風呂〟
どんどんと森を下っていくと
川の近くにたき木の火が見え、
村の男衆がそこに集まっていた。
その手前の急斜面で私は一回転して転げ落ちた。
幸い擦り傷だけで済んだが、これがさっきまでの
何も生えていない断崖絶壁だったら
死んでいたと思うと肝が冷えた。
泥だらけになって川のそばまで辿り着くと、
透き通った水が流れるそばで、
大きな豚一匹が既に解体され横たわっていた。
ここまで豚を連れてきて潰したのだろうか…
近くの大きな岩には真新しい血の痕が残っていた。
すぐに出発するかと思いきや、後からやって来た女衆と
子どもたちが川で水浴びを始める。
「杉菜も入りな!」と誘われるので、
私も川で頭を洗った。
山で生活する人々にとって水は貴重品だ。
そんな水を好きなだけ使うことのできる
川でのお風呂は「待ってました!」と
云わんばかりの張りきり具合である。大人もしかり。

〝焼畑へ〟
思う存分身体を洗った後、やっと焼畑へと向かいだす。
男衆は豚や薪を持ち、
女衆と子どもはそれに続いて急斜面を登っていく。
木の根をつたい、竹のゲートをくぐると、
焼かれた土が見え始めた。 
森を抜けたところ、急斜面に扇状に広がる
広大な焼畑が現れた。
テニスコート優に6個分はある。
あまりの広さに「何日かかって焼いたの?」と聞くと、
「1日だよ。村の大きい男64人全員で
焼いたんだ」と返ってきた。 
こっちの人は度々、人数にものをいわせて
途方も無い作業をやりこなしてしまう。
その忍耐とやら凄まじいといつも思う。
続々と集まる村の人々は、
一度焼畑の傍に建てられた小屋に集まる。
そこで衣装や道具を纏い、ダトゥ達(酋長)が集まると、
儀式の用意がされている焼畑の下部に下りていき、
そこで儀式が始まった。

〝白いにわとり〟
コの字に集まり内側にダトゥと男衆、
その外側に女衆と子どもが並んでいた。
最初にダトゥが神様(スピリット)に呼びかける。
良いスピリットをカヤッグと呼び、
畑が良いスピリットに見守って
もらえるように呼びかけるのだ。
次にマノック(にわとり)を捧げる。
マノボ族の伝統で儀式の際は、スピリットに必ず
白いにわとりを捧げるしきたりになっている。
マノックは祈りを捧げた後、
動脈を切りその血を後から蒔くバンゲ(種もみ)や
その他の儀式の道具に垂らしていく。
これは悪い虫や鳥に、蒔いた種が
狙われないようにするおまじないである。
次に、種まきに参加する全員が
マノックの血を手の平につけてもらいに来る。
その後、女衆はトードソック(バンゲを入れるかご)に
バンゲを入れてもらい、
男衆は竹や木の槍で一斉に土に穴を開け始めた。
穴を開ける様子は舞を舞っているようだし、
種を蒔く姿もとてもリズミカルだ。
種を蒔いたあとは素足で踏んで土を被せていた。
穴を開ける道具で竹の棒をパガパックと呼び、
それを振り下ろすたびカラカラと
音が鳴る仕組みだ。
単調な農作業に楽しさを見出そうとしているようで、
小さな工夫に笑みがこぼれた。

〝ご馳走にありつくまで〟
大人が儀式を行っている間、
大きい子どもたちはお昼ご飯の準備をしていた。
かまど作りやバボイをさばく作業など、
力仕事は男の子が。
バナナの皮でお皿を作ったり、小さい子の子守、
おかずの盛り付けなどは女の子が行っていた。
それより小さい子どもたちは
儀式の様子を高台からじっと見ていた。
焼畑なので、時折風に吹かれて灰が舞う。
目を擦る姿がとても愛らしいと感じた。
太陽が真上まで昇った頃に一度作業を辞め、
全員でお昼ご飯の準備に取り掛かる。
日本の様に、すでに切り分けられた肉は出てこない。
大きなお鍋でマノックを煮たり、
バボイの骨は男衆が力いっぱい包丁を振りかざし、
肉片を飛ばしながら切り分けていく。
みんな朝ごはんを食べずに
準備や農作業をしているので、
お腹はぺこぺこのはずなのに、
みんながご馳走を食べれるように
準備に没頭しているようだった。
ミンダナオに居ると、“動物の肉をいただく”
ということがリアルに感じられる。
こちらの人々はご飯を食べる前に必ず祈りを捧げる。
命を頂くことに関してのリアルを知っているだけに、
頂く命には常に敬意をはらうことを忘れない。
これはミンダナオで守っていくべき
極めて大切な文化じゃないかと勝手に思っていたりする。
ようやくご飯を食べ出し、ご馳走に舌鼓をうつ。
おしゃべりに花を咲かせ、お昼寝をし、
また種蒔きを繰り返す。
作業は夕方まで続き、
帰りは馬に乗せてもらい村まで帰った。
今回蒔いたお米は7月に収穫予定だ。
キアタウ村の人々が無事に
お米を食べることができるよう、
私もひっそりとカヤッグにお祈りした。

〝ダトゥのお家にて〟
儀式が無事に済んだ夜、キアタウ村の
ダトゥの家に泊まらせてもらった。
そこでダトゥとたくさんお話した中で印象的なものがある。
あるスタッフの奥さんが
グワパ(美人)だという話をしている時、
ふとダトゥが「グワパ(美人)とパンギット (不細工)、
何が違うんだい?一緒だろ?」と呟いた。
続けて「一番大事なのは心だ。違うかい?」
と付け加えた。
一瞬キョトンとしてしまったが、「ああ、そうかも…」と
なぜかすんなり腑に落ちた気がした。
よくミンダナオの人は
「目に見えないもの、心が一番大事」と言う。
それはそうだが、私にも好みがある!
と反発する心があった。
しかし、こちらで他人の本心を見抜くことは
日本より難しいことだと、
7ヶ月間の短い滞在期間だがわかる。
表面上ではホスピタリティー溢れるフィリピン人だが、
決して簡単に心の内には入れてくれないのが現実だ。
それでも彼らと向き合っていこうと
思うのはなぜなんだろう…
一生答えが出なくても良いが、
その周りをよたよたとキアタウの急斜面を
歩くように廻り続けていくことに意義があるんだと、
自分に言い聞かせている。
あとの4ヶ月、私はこれからもよたよたと近寄ったり、
離れたり、歩いてゆく。

 


陸稲の種まき儀式に関して
アイヌと沖縄の宇宙観の視点から


今回の企画を実現させたのは、増田和彦氏。
焼き畑を中心に、日本と東南アジアの
神事・芸能・演劇を調査し続けてきた専門家だ。
今回も、執念のようにMCLを通して、
マノボ族の首長とコンタクトをとり
アラカン地域の大首長の了解をもとに、
キアタウで本格的な焼き畑神事を実現された。
長年の研究をまとめた大著を、
最近出版されているので、是非お読みいただきたい。
ただし、相当高度な研究書だ。
増田和彦著
『山と街の芸能史
ー日本と東南アジアの神事・芸能・演劇ー』


焼き畑は、日本では縄文文化に起源を発し、
いわゆる人類の根源である狩猟採集文化と
農耕文化の堺に位置している。
その根源が、ミンダナオの先住民族社会に、
そのまま生きているのには驚いた。
ミンダナオで生涯を捧げることを決定した、
一つの要因だ。
その意味でも、こうした調査は、とても歓迎出来る。
戦闘などが起こり、平和と貧困の問題が、
子どもを直撃しているのを見かねてこの十年、
文化の宝庫を目の前にしながら、
心を向ける時間が無かった。
今も変わらず忙しいだけに、
研究者や専門家をはじめとして著作家や児童文学者、
絵本作家、ドキュメンタリー映画作家などなど
来ていただいてこうした文化を保存し、
新たな創造を試みたり、次世代に伝えて欲しいと思う。

いつでも来てください。誠心誠意協力しますよ!
ここは、先住民族もイスラム文化も・・・・
国立民族博物館も驚くべき場所で、
しかも、危険という事で、来たくても入れない人々が多く、
MCLだけが入れる場所が、たくさんあります!


今回のキアタウも、初めての調査が入った場所だ。
僕は同行しなかったけれども、
日本人ボランティアスタッフの杉菜さんが同行。
彼女は、絵本で育ち、絵も描けるので、
ゆくゆくはキアタウなどを舞台に僕が編集して、
まずはMCLから絵本などを出そうと思っているので
そのことを話すと、大喜びで同行。
上の記事は、そのことを書いた物。
右の写真は、村人といっしょに水浴びする杉菜さん。
神事の前の水浴びは、
おそらく禊ぎ(みそぎ)と関連する習慣だろう。
僕もかつて、アイヌ文化の沖縄文化の本を書いた。
上智大学の独文科で、
木村直司教授のもとでゲーテを学びその根底にある、
中世錬金術の宇宙像に関心を持ってから
人類の根底にやどる狩猟採集文化に
惹かれていき現代の科学技術文化の
問題を解決する方針として、
人類の基本の宇宙像を明らかにしようと思い、
(その思いは、『昔話の死と誕生』(教文館)で語られている)
北海道に移住したときに、
アイヌのおばあちゃんに会って話をまとめさらに、
沖縄の宮古、池間島で、
古老から話を聞き死生観宇宙観をまとめた。


 
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ミンダナオに惹かれた理由は、戦闘で困窮している
子どもたちとの出会いがきっかけだったが、
同時に、マノボ族の世界に、
イタリア人のピーター神父に誘われて、
入っていったことにもある。
当時、土地を奪われて戦闘が起こった地域で、
マノボ族の集会があり酋長をはじめとする
多くのマノボの人々が集まり、
山の集落で徹夜で集会をしたのだが、
そこに連れて行ってもらった。
何も知らずについて行ったのだが、
驚いたこと、驚いたこと・・・
午後遅くから、殺された家族に関する
事実告白が行われたのでこれは、
裁判に出すための準備かと思いきや夕食後、
酋長たちが前に集まって語り始めた・・・
というよりは、やがて一人の酋長が立ち上がり
四角形に左回りに歩き出し、
手をさしのべて、片手の小指と親指を
開き鳥のようにひらひらさせながら、語り始めた。
要するにスピリットがついて、
様々な霊の言葉で語り出したのだ。


東北の恐山の巫女なども同じなのだが、
沖縄やアイヌ、シベリアのシャマニズムを
学んでいた僕にはすぐにこれが、
シャーマンであることが理解できた。
四角に左に回る方向は、盆踊りで
櫓を軸に左に回るのと同様に沖縄の家同様に、
ナカバラである中心の柱が天につながり、
神木を左に回ることによって天界に向かい、
そこで神々と会うという方向を意味している。
シャマニズムに関しては、読んでいたものの
本物のシャーマンが生きている世界に
飛び込むとは思わなかった。しかもその後、
驚くべき事に、参加している全ての人々が
右手を高くかざして、シャーマンと同じように
ひらひらさせ何事かをつぶやき叫び始めたことだ。


結局、沖縄同様に最高神の太陽神が、
集会の最後に酋長に憑き結論として、
「神によって造られた世界が、
木や草、動物なども種類は異なっていても
一体となって存在して、単体として
宇宙を形成しているように人類も、種族、
宗教の違いを超えて、調和して
生きて行くように」と太陽神が語っている、
と言うことで平和が大事だという結論が出た。
夜明け前のことだ。
そのときの酋長とは、今も友達でいる。

 

白い鶏は、生け贄として捧げられる。
人類は、動物や植物を殺して
食べることによって生かされている。
自分たちが殺すことによって、生きられること
その罪の許しと感謝を、
生け贄の儀式は象徴的に表現していると同時に
送られるスピリットが天界で村人の感謝の心を告げ
天界のスピリットが、喜んで地上に再び訪れ、
この世に豊穣が訪れるように祈願する

  
 
アイヌのカムイノミを彷彿とさせる祈り
いつかウタリ協会と共同で祈りを捧げたいですね
萱野志朗さん、どうですか?
ワシントンに招かれて、アイヌ文化のシンポジウムに
いっしょに参加したのが懐かしいですね。
そのときの本「First fish first people」
 

こちらは、日本のアイヌのイナウ 
   

血と肉を捧げるのは、
人類の根源的な祈りのあり方
アイヌでは、熊の血と肉を捧げる。
沖縄では、豚。
こちらのお祝いの豚の丸焼きも同じ系譜?
中東では、羊で、血を飲み肉を食べるが
それが、パンと葡萄酒、御神酒と餅などになって
祈りの場に伝えられている。
イエスが、自分の血と肉を
パンと葡萄酒にたとえたように。

こうした儀式を軽蔑してはならないと思う。
アイヌのおばあちゃんから言われたことだが、
皆さんがスーパーで買っている鶏肉も、
豚肉も、魚介類も、穀類から野菜も
全て自分の肉体を差し出して、
死に向かった者(カムイ)たちで
死の現場も見ずに、感謝もせずに
食べている都市の人々こそが、
少し常識から離れた異常な世界に
生きているように、ここにいると思えてくる。

そういえば、黒い鶏で悪霊を
追い出す事もあると聞いているが、
MCLのスカラーの少女に、霊が憑いて大騒ぎになり
声も変わり、考えられない力が出るのだが
しっかりと受け止めて、
本来の心(スピリット)を呼び戻すという
考えられない体験も数回した!
神父さんや恐山の巫女ではあるまいし、
本当にこんな事があるとは思わなかったが
人を救うという事は、一筋縄ではいかない物だ!




野菜売りの少女たち、その後

エミリーとギンギンが、休学したので家を訪ねた 
家は、焼けてしまったので
家族は、
元の場所に戻っていた。
まだ屋根も
完成していないので
シートを渡してあげた。


いわゆる貧困でも
成績優秀の子だけでは無く
むしろ家庭に
多くの問題を抱えた子を
MCLは、優先して
選んでいくので
しばしば、
休学してしまうことがある。
理由はいろいろだが、
兄弟が多く、
家族が苦労しているので
自分だけが、
学校に通っていくことに
後ろめたい気持ちを
持つようだ。
たとえ親が望んだとしても。


子どもたちが休学するたびに
私たちは調査に訪れる。
今回の原因も、
家が焼けてしまい
兄弟姉妹や母さんが
野菜売りで
苦労しているのを見かねて
働きに出ようとしたのが原因。
一度は、母親の薦めで
知り合いの子守に
ギンギンはなったが
辛くて辞めてしまった。
それで野菜売りに
もどろうとしたが・・・
食べるのも苦しい毎日。


やはり学校に戻りたいが
飛び出しただけに
もどる勇気も無く
そのときに
私たちが訪ねて
ほっとしたのか、
MCLにもどることになった。




こちらの方でも、
家族の置かれている
状況を鑑みて
土日は、家族を助けるために
家に帰って野菜売りを
手伝うことを許可した。


福祉局の指導では、
こうしたことは、児童労働
チャイルドレイバーに当たり
許容できないことに
なっているのだが、
現実は、そんなに
単純では無い!
働くのか学校に行くのか、
あるいは、働きながら
学校にも行くのかは、
本人たちが自分で決める!


いろいろな状況を体験しなが
子どもたちは、成長していく
下のキティンは、継父の娘で
MCLにすんでいたのだが、
家族を助けるために
家に戻り
そこから小学校に通っている


右で妹を抱いている
インダイは、
自ら進学をストップして
母さんを手伝ったり
幼い妹や弟の
面倒を見るために
家に戻った。
それはそれで良いと思う。
学校だけが
全てでは無いのだから!


エミリーは、彼らの親戚で
父親が無くなり、
母親も居ないけど、
ギンギンと大学まで
行くことに決心した。
そして将来、
遠くに住んで居る
母親と兄弟を助けたい。






妹が、小さい頃の
クリスティンそっくりになった!
下は、奨学生のジョイジョイ
成績は優秀で表彰された。

 




1月26日
ムスリムデー

 



司会の2人。
進行もスカラーたちで!
 1月26日晴天の中、
2ヶ月に一度の学生総会が催された。
今回の学生総会は「ムスリムデー」。
マギンダナオ族の文化を
中心とした祭典となった。

全ての大学生・高校生スカラー
総勢200人強が
ミンダナオ子ども図書館に一堂に会した。
ミンダナオ子ども図書館には、
「ルマド(先住民族)」、
「バンサモロ(ムスリム)」、
「ビサヤ(移民)」と
大きく分けて3つの民族が暮らしている。
学生総会は、それぞれの文化や伝統の
再認識・保存・共有・相互理解を
目的としている。
毎回民族の特色を活かした
出し物をスタッフや学生が考え、
進行も自分たちで行う。
さぁ、ムスリムデーの始まり始まり…!



国歌斉唱をマギンダナオ語で!
  会場はMCL内にテントを張る
今回のテーマは「伝統的な遊び」と「舞踊」!
ムスリムの一日を劇にした。
 
伝統的な遊びで
思いっきり遊ぶ!

みんな大はしゃぎ! 



マギンダナオ族の伝統舞踊「パマロンダンス」
インサイダーのムスリム3人娘。
3人とも普段から仲良し。
メイクも衣装もばっちり決まってる!
この日のために、夜な夜な練習してきた3人。
とっても美しい舞だった。

 
おやおや、
なぜか外が騒がしい…?
獅子舞(!?)が来た!
 


支援者の方が
スカラーに会いに
来て下さった。
ちょっと恥ずかしい…
でも本当はとっても嬉しい!
 「クリンタン」という楽器。
不思議な音が…
 ムスリム料理の盛り合わせ。
 Sukran!!!




ボランティアスタッフと一緒に
アラカン地域の
スカラーの調査


 
アラカンの山岳地域は、
低地を追われた先住民たちがこもった地域で
貧しさもさることながら、
樹木はことごとく伐採されて生活が困難な地域でもある。
ミンダナオ子ども図書館は、すでに長く
この地域と関わり奨学生も多く採って来た。
キアタウ集落など、しばしば訪問者の滞在で
サイトでも取り上げられる。
今回は、この場所の集落にもどって
学校に通い始めた奨学生を調査した。
彼らは、極貧故にミンダナオ子ども図書館に住んで
学校に通っていたのだが、
マニラから来た講師がダバオで講義をし、
それに参加するように言われて
スタッフが参加し、そこで
「親のいる子はなるべく集落に返し、
親の責任で育てるべきだ。」という
もっともらしい話を聞かされ、
去年、ミンダナオ子ども図書館からあえて
親元に帰した子たちのその後を追うために行った。
というのも、スカラシップは継続しているにもかかわらず、
その子たちが、ことごとく学校をストップしていったからだ。
原因としては、成績が伸びずに
学業に関心が無くなったのではないか
それゆえに、町に仕事を探しに行ったのではないか、
というのがスタッフの推測だった。
ただし、直接本人や家族に会って、
真実を聞かなくてはいけないと思い、
僕自身が決断して、赴いたのだ。


 

まずは極貧のカヨパトン集落へ 
 

確かにミンダナオ子ども図書館の奨学金は、
勉強のできる子よりも
親が居なかったり、
生活が極端に厳しい子たちを選んでいるので
勉学に関心が無くなることもあるだろう。
しかし、十数人親元に帰して、
ほぼ全部が学業を停止して
町に職を探しに行き、そのなかの8割以上が
町の生活にたえられずに、
何とか戻れないかと泣きこんできている。
しかも、親元に帰るのではなく、
ミンダナオ子ども図書館に帰りたいと・・・
このことは、親が子育てに責任を持つべきだ
とする意見には同意する物の
実態はそう簡単ではない事を意味している。
すでに僕は、スタッフの行政的な意見を聞いたときに
「建前上はわかるが、
そう簡単ではない」と思っていただけに
真実を確かめなければならないと思った。
帰った子たちのなかには、
学校が好きだった子たちも多い。
なぜ学業を停止して、町に出たのか・・・
町に出て何を見て、何を感じたのか・・・
何故に、もどりたいと懇願し、家ではなく、
MCLにもどりたいと泣きついてきたのか・・・

 

さらにパコパコ集落へ 
ストップした理由を
調べるために
本人の村をたずね、
親に会って
親のサイドからも話を聞いた。
そこから見えてきたのは、
想像以上に
貧困の現状が厳しい
山の村々の状況だった。


今ダバオは、
次々とモールと呼ばれる
デパートが建ったり、
建設ラッシュ
そして、道路の補修で
国道が整備されている。
人々の生活が
豊かになった
わけでもないのに
どこからお金が
落ちてくるのかと思いきや
詳しい知人が曰く
「海外の投資マネーが
大量に落ちている
引き上げたときが大変だね!」
海外からの投資資金が
建設会社に落ちるのだが、
その会社自身が、
海外の物だという。
先進国と、先進国の
企業と結びついた
資産家だけが肥え太り
貧しい者は、ますます
貧しくなる仕組み?
実際に見ていると、
米を始め、物価だけが
どんどん上がり
庶民の生活自体は、
物価高のせいで
ますます厳しくなっている。
まして、山の貧困地域の
現状は悲惨で
塩や生活必需品や
文具などが
どんどん値上がりし
ただでさえも
現金収入が無いのに
たとえMCLが学用品や
学校の諸経費を
支払ったとしても
子どもを学校に
行かせることなど
できない状況になっている。


子どもたちは子どもたちで
親から、口減らしを強要された
わけでもないが、
親が苦労しているのを
見ていたたまれず
親としては、学校に
行って欲しいにもかかわらず
自分自身の判断で
学業をストップ
町に出て、仕事を探し
自分が犠牲になって
妹や弟を学校に
行かせようと考えた。
特に、高校一年生に
なる子の場合
学校までは遠くなるし
自分は、少なくとも
小学校を卒業したから
まだ小学生の弟や妹のために
自分は、スカラシップを
断念してでも
働きに出ようと決心して
ダバオなどの
町にでたのだが・・・。
しかし、そこで見るのは
劣悪な労働条件だけではなく
レイプや売春!


しかし、だからといって
実家に帰ると親に負担を
かけるばかり故に
なんとか、
ミンダナオ子ども図書館に
戻して欲しいと、言ってきた。
スタッフとしては、
政府の指導で
親の居る子を実家に
返したのだが
現実的には、
そのことによって
売春などの
さらに不幸な環境に
思春期の子たちを
置くことになり
愕然としている。


結果的に、
ミンダナオ子ども図書館で
三食たべられ、
学校に行けるということが
どれほど、幸せで、
守られているかが
わかってきて、
ソーシャルワーカーも
はじめとして
やはり、独自にしっかりと
実情を見極めて
一人一人の境遇に合わせて
判断すべきだ
という結論に達し
六月の新学期から、
再びもどってくる子が
多くなった。
やれやれ、食費だけでも
大変なのに!!!


今後の方策としては
まず第一に、
水田を買い足して
自給率を
上げなくてはならない。
それによって、現在、
200名の子たちの
米をまかなっているが
米だけでは、
まだまだ足りない。
自給できるだけではなく
余剰米を売って
少なくとも最低の食材を
買えるように
しなければならない。
下は、ラナコランの
下宿小屋で
ここは女子寮、
ここに遠くて通えない子や
たべられない子たちが
20名以上いるが
下宿している子たちに
聞いても
生活は非常に厳しいとのこと。
男子寮はマロゴンにあって
土地も広く
農作業も幾分活発だが
それでも、塩や醤油や
油を買うまでには
とてもじゃないが至らない
13,14歳になると
食べる量も多いし、
普段でさえも、
米は食べられず
ヤマノイモを一日二食で
沢ガニがおかず。
子どもが働いて、
おかずを探して
くれれば良いけど・・・
学校に持たせるお弁当など、
作れるはずはない!
もちろん、我が子を
愛しているから
口減らしに出て行ってくれ
とは言えないけど
思わず、
愚痴がこぼれることも・・・
13,14歳になったら
結婚するのも
悪くはないし・・・
結婚を希望されて、
逃げ出した奨学生も!
しかし、町に逃げて
仕事を探しても
女中や食堂やバーが関の山で
給料は、月に3000円もないし
朝の3時に起きて、
夜の11時まで働かされる
その実態を見て、
MCLに逃げ込んできた。
 
 
 
 

今回、上の子たちが
パコパコの実家に案内してくれた
顔は知っていたので
奨学生かと思ったのだが
高校一年生になって
前にMCLの下宿小屋に
住まわせてもらってた子たちで
MCLでも、米の自給率がまだ低く
米の値上がりが厳しくて
「住むのは良いけど、
奨学生ではないので米までは与えられない」
と決断してしまい
結果、MCLに住めず、
かといって学校までは遠くて通えず
途中の友達の家に住みこんで
通っていることがわかった。
しかし、たべるのも厳しく
高校一年を何とか過ごしたが
もうこれ以上は無理だという。
右の子は、母親が継母で
自分の家も上のように焼けてしまった。

監獄を逃げた犯罪者が
燃やしていったのだという。

下の子の場合も
学校の先生が、スカラシップを出して
学校に行かせてくれていたのだが
その先生が突然亡くなられて
スカラシップもなくなり
二人とも成績は良いし
学校にすごく行きたいのだけれど
もう不可能だという。


今回行って良かった!
早速スタッフで下宿小屋の管理をしている
ジケロ君に、彼らを下宿小屋にもどし
米も支給してあげるように話した。
大喜びで、早速日曜日には、
MCLの下宿小屋に移るという。
今年の六月から、奨学生候補にして
スカラシップを出そうと決めたが
まだ、200人近く支援者が
見つかっていないのに
また背負い込んでしまった。


ラナコランの下宿小屋に
 
下宿小屋そのものも、
かなり老朽化してきたので、
壁を中心に張り直し、
塗り直さなければならないが、
米は支給している物の副食の野菜などは、
親が支給するように話しているのだが
その親自身が、野菜すら
供給できない状態になっている。
親とて子だくさんで、
自分たちが食べるだけで精一杯で、
自分たちの米すら食べられないのだから。
子どもたちには、野菜の種を支給して、
スタッフといっしょに畑を
作るようにしているのだが、
なかなか学業との両立は難しく、
20人以上の毎日の総菜を
自給するまでにはとうてい至らない。
結局、水田を増やして米を売り、
子どもたちの育てる野菜に多少なりとも
調味料や魚の干物などの
総菜を加えてあげないと、
下宿生活は難しいことがわかってきた。
親も自分たち家族の事で精一杯なのだ。

 
さらに厳しいのは、大学生の若者たちだ。
大学は、町にしかないから、
町で下宿しなければならない。
キダパワンやカバカン、アラカンの町に
住んで大学に通うのだが、
町での生活は大変だ。
下宿代は、月に350ペソを出し、
キダパワンの大学の子たちには、
下宿小屋を作って
下宿料は無し、米も支給しているのだが・・・
さらに、高校生は、月400ペソ、
大学生は800ペソのお小遣いをだしてはいる。
それでも、お小遣いは、大学の授業の
コピー代や諸経費に消えていき
副食のおかず代にもならず、
ご飯に醤油をかけて食べているような状態だ。
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる子なら良いのだが・・・
2月に一回ある総会では、
みんな集まり、お小遣いを渡し
昼は、栄養補給もかねて
たらふく食べさせているのだが・・・
大学生は、町で生活する代わりに
アルバイトもOKで、アルバイトしながら
就職活動に結びつけるように話しているが
MCLの子たちは、学費も下宿も
スカラシップで出しているから良いようなものの
キダパワンやダバオでは、夜になると、
ホテルやロッジのそばに
明らかに大学生とみられる年齢と様子の
女の子たちが立っていて、売春客をとっている。
大学を出たいがために、売春までする少女たちだ。
大学を出て両親や家族、
兄弟姉妹を助けたいがために・・・
そうしたことを見ても、MCLの場合は、
女子は、本部に住まわせて
身の安全も含めて、面倒を見ることにしているのだが、
キダパワンに住む子は良いが、
アラカンやカバカンの下宿の子たちは多少心配だ。
しかし、お小遣いまで出しているし、
MCLで下宿も選定し、MCLの仲間や友達同士で
助け合って暮らしているので、変な話は聞こえてこない。
しかし、最近の物価高は異常で
町の下宿の子たちからも、悲鳴に近い声が聞こえてくる。
このことを考慮しても、
少なくとも下宿している子たちの場合も
米だけでも支給しなければならないだろう。
アラカンやカバカンにも、下宿を作る必要もある。

しかし、卒業して結婚し、幸せになった子にも出会った。
とにかく、幸せになってくれさえしたら、それで十分。


自分の家庭も厳しく
ここに下宿している
一人の子の母親は
夜逃げしてしまい
家庭崩壊し、その姉妹は
下宿生活も続けられずに
六月から、MCLの本部に
住むことになった。
崩壊家庭が起こるのも
経済格差が生み出す
貧困状況ゆえではないか






キアタウの病気の子を迎えに
母が居なくなった子も調査 

私がくると、
キアタウに住んでいる
初等小学校の子たちが
大喜びで迎えてくれた。


先日まで肥えていた
双子の兄弟
両方とも病気で
すっかり痩せている。
早速車にのせて、
MCLに向かった。
とにかく病院で検査を受けて
対応を考える。
医療費も逼迫している。
年間140名近くの子を
治療しているが、
どこまで今後も可能だろうか。

彼女も奨学生だが、
最近母親がいなくなってしまい。
父親も村を離れ、
祖母の家に一人残された。
今後は、ミンダナオ子ども図書館に
住んで生活することに・・・
下の子たちも、MCLの奨学生だが、
なんとかキアタウで生活している。




MCLの子どもたち
わたしたちは、一つの家族!


   
 

基本的に、男の子は、
小学校以上になると、
大学生と同じ寮に移るように 
福祉局の指導で
決められている。
本部は、小学校の男女と、
日本で言えば中高の女子。
大学生は、下宿に出て、
旅立ちの用意をする。
しかし、数名、
力仕事をするために、
MCLに残っている子もいる。
スタッフたちも、
『仕事人』というよりは、
家族の一員

子どもたちは、
わたしたちのことを、
「パパ とも」
「ママ エープリル」と
呼んで、抱きついてくる。







秘密の白い浜を見つけた
ここで26日から3泊で
子供たちと海水浴をする予定

ここに行くには、
小さな素朴な漁村を
いくつもこえていく。
 
  

真っ白な
粉のような砂浜

素朴な浜の子供たち
今回は、スタッフのクリスマス会をした。
26日から、MCLに残っている
子供たちと3泊ここでする。
MCLの海の家を作って、
日本の若者たちとの
交流の場にする計画もある。
 
日本から来た
若者も一緒に
お正月を浜で過ごした
 
クリスマスに、ちょっと過労がたたってかダウン。
数日入院。
ミンダナオ和平交渉への不安、
2016年の選挙の年に大規模な戦争が起こる不安。
日本の集団的自衛権の行使への不安。
それに加えて、突然の円安で、
MCLの経済情勢も楽ではないので
出版や執筆で、どう日本の若者たちを
支援したら良いのか・・・
受け入れ体制はどうしたら良いのか・・・
支援者のいない子の支援者をさがさなくっちゃ
などなど、一昨年あたりからの心労が重なってダウン?
円安による経済情勢が厳しいので、
学生総会も子どもたちと相談して、年四回にしました。
3月末の日曜日がイスラムデー、
6月末の日曜日がマノボデー(先住民の日)
9月末の日曜日が、クリスチャンデー
(島外移民のクリスチャンの日)
そして、12月の第一日曜日がスカラーズデー
(奨学生が、卒業したスカラーと会う日)
また、日本の若者たちと交流するためには、
ダバオ州が良いのだがと言う、大学などからの希望で
海の白浜に、交流のための浜を考えていましたが、
見つけました。
それが、今回子どもたちと正月を過ごした浜です。
MCLからも、ダバオからも二時間半ほど。
週末に子どもたちと、泳ぎにこれますし
真っ白な浜で、リゾート化されていないで
本当に自然で素朴な村人たちと、友だちになれる浜です。
場所は、ディゴスの奥のサンタマリア市から
四輪駆動で入っていくところ。
サンタマリア市近郊には、
名の知られたリゾートビーチもあるのですが、
そういうリゾートは、地元の人々の生活から、
かけ離れて変な感じがして、
まったく好きになれないので、
ここの浜を見つけたときは大喜び。
村でも、読み聞かせをし、保育所を建てることにしました。
学校にも貧しくて行けない子も多い村です。
どこあるかは、秘密です。
開発が入って欲しくないから・・・








対岸には、
フィリピンの最高峰
アポ山も見える!

秘密の浜に着いた!

 村に到着 村の子どもたち  MCLの子どもたち 

日本から訪問した
若者と子どもたち
 

現地でも、これだけ
きめが細かくて
真っ白な砂は珍しい
地元の子どもたちといっしょに
遊ぶこともできて、
その交流が素晴らしい。
日本の若者たちがきたら
漁師さんたちの家に民宿して
いっしょに漁を体験するのも、
良いかも。
 


 

2015年の初日の出


椰子の林の中に
漁師さんたちの家々がある
 

浜で遊ぶMCLの子どもたち

     



海辺の村に保育所建設を約束 

この村では、
クリスチャンと先住民、
そしてイスラム教徒が
平和に共生している。
まるで、MCLのような村
 

 
     

保育所の先生と
左が仮設保育所
もう少し大きく、
しっかりした
保育所が必要

ほぼ、100%漁民だが、生活は厳しい。
特に、医療と教育は大変。
 

読み語りと劇もした
   

絵本も見たことのない
地元の子どもたち
読み語りも初体験。
真剣な目に、感動。
 
 

スナップショット
皆さんの支援している子はいますか?
正月に残っている子たちは、
家に帰れない子たち。
でも海で、友だちと幸せ。

 

妻のエープリルリンが
高校生の子たちといっしょに
料理を担当。
   
 
最後に、日本人スタッフの梓さんも交えて
みんなで、「大きなカブ(カサバイモ)」の劇をした。
この浜は、ダバオ州に属し、
政府の指定する危険度も低く
日本の人々、若者たちが、
訪れるのも(行政的に)容易。

日本から、大学や法人から、
ミンダナオ子ども図書館と交流したいが
北コタバト州は、
高度の危険地域にしていされていて
訪問しにくいので、
ダバオ州に海のMCLを作れないか・・・
そこがあれば、訪問も交流も可能なのだが。
という、意見や寄付の申し出がでていた。
日本の若者が、
現地の若者や子どもたちと交流し
精神的に開かれていくケースも、
しばしば目にしていることもあり、
また、組織や団体としての、
訪問希望が増えるにつけて
かつてからの夢。
海のMCLを、実現する時期にきたと思った。

 山の方は、マノボ族やイスラム教徒の
マギンダナオ族との交流が深くなったが
海の方は、交流が今までほとんどなかった。
今回、ここで出会ったのが、
海のイスラム教徒のバジャウ族、

海の先住民テサロニケ族、
そして海沿いのクリスチャンたち。
ここでは、皆が、
MCLのように平和に共存している。
しかも、素朴な漁師の文化も、興味深い。
マノボ族のキアタウ村は、
山での体験のために宿泊が可能で、
村の子どもたちや先住民との交流が可能だが、
ここがあれば、海の人々の家に泊まり
漁師の人々の暮らしを知り、
いっしょに漁もできるだろう。
子どもたちも本当に素朴でかわいい。

日本の若者たちとの
(もちろん中高年でもかまわないが)
新たな交友ができる気がする。
                         










琴平ロータリークラブの方々が
米を寄贈してくださった

MCLの子たちと、お米を干した
     
 
 
アラカンの山奥を巡ってダバオへ
 

奨学生のいる極貧の村へ行くと
奨学生の一人が、
病気だった 病
院長で医師のロータリーの方が
その場で診断し、薬をくださった。
父親はいないけど、母と当人は大喜び。
     
 

 
夕暮れの、電気も無い、
マノボ族の集落 でも子どもたちは、
学校鞄をおくと みんな家から飛び出してきて
ゆうぐれまで、なかよく遊ぶ。
伝統的なハンカチおとしや、おにごっこ
後ろの正面、だーーーれ!
バスケットだって、ただのボール遊びさ。
学校の体育館やコートでする、サッカーや野球は
大人が作ったルールのなかで
勝ち負けを競い合うゲームにすぎない。
遊びは、楽しみながら友情をつちかうもの。
学校でも幼稚園や保育園でも無く、
野原や森や路地裏といった、 家や学校の壁や垣根の外側の
ちまたと呼ばれる場所でするものさ。
そここそが、ぼくたちの自由な空間!
こうした場所でこそ、ぼくらの心は解放されて
競争原理からも自由になって 家庭や教育からも解き放たれて
真の友情と社会性を培う心が養われる。
友情と愛こそが生きる力!
子ども時代に、ちまたでの友愛体験を持てずに、
勝つことばかり考えて、育った大人は恐ろしい?
日本では、ちまたで遊ぶ
子どもたちの姿を 見なくなって久しい。
ミンダナオの子どもたちと、 日本の子どもを比較すると、
ちまたでの遊びの欠如、真の友愛体験の欠如が
生きる力を喪失させて、自殺と引きこもりを
生んでいるように思えてならない。
お金と物は豊かでも、日本の子供たちがかわいそう!
日本の子どもや若者たち、
中高年の方々とのかけはしを作る試み  
MCLが現地法人の資格をとって10年間というもの、
ミンダナオの子どもたちの事のみを
視野に入れて活動してきました。
しかし、最近になって、日本の若者たち、
中高年の方々が、MCLを訪れ、感動され、
生きる勇気をえて帰られる姿をみると同時に、
自殺や引きこもりの多い日本の
子どもたちの心の現状をしるにつけ、
さすがに日本の子たちを
放っておけない気持ちが強まりました。
日本の方々の想いに答えるためにも、
貧しくとも生きる力にみちあふれ、
明るい笑顔のミンダナオの子どもたちの姿をつたえ、
語り皆様方とともに考えることによって、
微力ながらも何か出来ないかと考えるようになりました。  
日本の人々を受けいれる以外に、
何ができるだろうかと考えたときに、
思いいたった一つの可能性は、
絵本をはじめとして、
児童文学や文化論の執筆をふたたび始めること。
そして、かつてのように絵本や昔話の話に、
さらにミンダナオの子どもたちから学んだ、
遊びやちまたの大切さ、
妖精や見えないものとの交流の重要性を加えて、
新たな気持ちで講演を再開することでした。
本当は日本にいるとさびしくて、
常時MCLに滞在したいのですが・・・
  現地ボランティアスタッフの
宮木 梓さんの記事から抜粋
10月に、山の村に読み語り行くのに
連れて行ってもらった。
お話を語る高校生の奨学生たちにとって、
ものすごく楽しいことらしく、
絵本を選んだり、晩御飯のあと、
歌や劇の練習をしたりと大騒ぎだった。  
最初は恥ずかしがって、
家に隠れていた山の村の子どもたちだけれど、
奨学生がお話を語りだすと、
みんな身を乗り出して聴いていた。  
語るのがとても上手な女の子がいて、
普段一緒に過ごしているのに
気が付かなかった一面を見せてもらえた。
私たちは図書館に住んでいるけれど、
様々なお話を運んでいく奨学生や、
その前でワクワクしている小さな子どもたちを見ていて、
私たち自身がまるで図書館のようだと思った。  
高校生の女の子たちが、
先月号の季刊誌を出す封筒に
切手を貼るのを手伝ってくれていたとき、
「私の、ミンダナオ子ども図書館での
一番楽しかった思い出の一つは、
読み語りに行ったこと」と話しているのを聞いた。
親を亡くしていたり、見捨てられていたり、
満足に食べらなかったり、
事情があってここに来た子どもたちだけれど、
ここは孤児院ではなくて、図書館だ。  
両親や家族と過ごせるのが一番だけど、図書館で
みんなと一緒に暮らすのも楽しかった、
と感じてもらえればうれしい。   
私は、図書館に住んでいるって、
何て素敵なことかしら、と思っている。
現地ボランティアスタッフの
秀島 彩女さんの記事から抜粋
もうひとつここにきていいなと気づいたこと、
それは「停電」。
ここMCLがあるKidapawan はよく停電する。
お昼、夜、短い間停電することもあれば
3~4時間停電することも。
夜停電した時はとりあえず真っ暗。 
初めは嫌だなと思っていた停電、
母に「また停電で大変だったよっ」と伝えると、
「停電で困るのってパソコン使えなくなる
あやめちゃんだけじゃない??」 と言われて、
確かに・・・図星だった。  
その日から私は停電した時は、いつもしないこと、
停電したからこそしかできないことをやろう、
子どもたちはどんなことをしているのか見てみることにした。  
わかったこと、停電した瞬間は
みんなキャーキャー言っているけど、
少し時間がたつと暗さにも慣れてきて、
いつも感じることができない感覚を
感じることができるのだ。  
あたりは虫、動物の鳴き声、自然の音、
ホタルのひかりと星の光だけ。
地面に寝転がって、満点の星空をみんなでただただ眺める。
時々大きな流れ星が目の前を通り過ぎていく。  
こんなにただ星を眺めるのが素敵なことだったとは!
これほどすがすがしい気持ちになれる瞬間は
日本ではなかなかないな、と思った。  
そしてもうひとつ停電のいいところそれは、
キャンドルをともして、
いつも話せない子とゆっくり話ができること。
家族の話や将来の夢、不安なこと、
これまで聞けなかったこと知らなかったことも、
二人で同じ時間を共有することで知ることができるのだ。  
これからも自分のことを知ってもらうのと同時に、
もっともっと子どもたち
ひとりひとりのことを知っていきたい。
日本にいると感じることのない気持ちや世界観を感じる日々、
一日一日を大切に過ごしていこうと思う。

日本の子どもミンダナオの子ども         
松居友

比較することは、
あまり好きでは無いのだけれども、
日本の子どもたちとミンダナオの子どもたちを比べてみると、
生きる力は圧倒的に
ミンダナオの子どもたちが優っている。
 
生きる力って、何だろう。
厳しい競争に勝ち抜くこと?  
他人をけおとしてでも、自己実現を成就すること?
 
リーダーになって人の上に立ち、指導力を発揮すること?   

ミンダナオの子どもたちは貧しくて、
三食たべることすら大変で、
場合によっては小学校を卒業することも困難だから、
社会的に高い地位について、
指導力を発揮しようと夢見ているようにも思えないし、
他人をけおとしてでも競争に勝ち抜いて、
自己実現しようとしているようにも思えない。  
早朝に、父さんと母さんが、山に仕事にでかけるときには、
長男は親につきそって、力仕事にいっしょにいくし、
長女は末の赤ちゃんを背に抱いて、終日子守。
次女は、料理と家の掃除。
三女や次男やその下の子たちは、
水くみや森での薪探し。
それがおわると子どもたちは協力して、
タライのなかにたくさんの洗濯物をいれて、
はるかしたの川や沢にまでおりていって、
洗濯したりしてすごす。  
そんなわけで、学校に行けるのは、兄弟姉妹のなかでも、
5番目ぐらいの妹が多く(男の子たちは力仕事)、
家族みんなで働いて、
一人でも小学校を卒業させようとこころみる。  
そんなこともあって、
MCLのスカラシップに応募しようとする子たちの、
応募理由の99パーセントは、
「自分が学校にいって、少しでも良い仕事について、
両親を助けたい。
妹や弟を、学校にいかせてあげたい・・・。」  
そんな貧困状況なら、人生に夢も希望もなく、
さぞかし気持ちが暗いだろうとおもうと、
それが全く逆で、 訪問した日本の若者たちも
びっくりするほど、表情はゆたかで明るいのだ。  
川に洗濯にいくときは、村の他の子たちもみないっしょ。
おしゃべりしながら楽しくやるし、
干しおわったら川に飛びこんで遊びながら自分を洗濯!  
料理も、蛙をとったり煮こんだり、
ごちそうの鶏をつぶすことから、
芋掘りもおしゃべりしながら楽しくやる。  
MCLでも、料理をするのは子どもたち。
朝4時半には起きだして、みんなで楽しく食事をつくり、
その後は、掃除や洗濯、
庭いじりから野菜そだてまで、みんなで楽しくやっている。  
そのような子どもたちの姿を目のあたりにして、
日本から訪れた人々は驚く。
「孤児だったり、問題家庭の子たちだったり、
戦争やアビューズなど、
背景をきくと想像を絶する状況からきた子たちなのに、
なんでこんなに明るいの?」  
ミンダナオの子たちの特徴は、
困難におちいっても、家庭が崩壊しても、
親が戦争で殺されたり、貧困で家族が崩壊して
たとえストリートチルドレンになったとしても、
自殺したり引きこもったりすることなく、
笑顔をわすれずに生きていくこと。

逆に日本では、子どもや若者の自殺や
引きこもりがまんえんしている。
 
子どもだけではなく、大人や老人の自殺や孤独死もおおい。
講演会で日本にゆくたびに、
人々の顔が暗くけわしくなるばかりか、
東京ではたえず電車が停車して、人身事故が報告される。
理由はなんと、飛び込み自殺!
 

地方は地方で商店街は閉鎖して、街に人通りがまったくない。
公園ですら子どもが遊んでいるようすもなく、
本当にさびしい世界になってしまった。  
急速に子どもの数がへったということは、
少子化政策が成功したという事だろうけど、
結婚した大人の視点からみるならば、
子どもを産んだとしても、
保育所にあずけて育ててもらうのがせいぜいで、
我が子が幸せに成長できる環境が、
ちまたにないことが実感されて、
生まない方がましだと考えているせいだろう。
結婚を望まない若者たちも激増している。
さらに追い打ちをかけているのが、
教育費と医療費の高騰だ。  
子どもが幸せに成長できない社会、
楽しくそだっていく事ができない国に未来はない。
なぜなら、子どもこそ未来だから!  
ミンダナオは、たしかに貧困率が高いし、
戦争などの問題もあるのだが、
子どもにかんしていうならば、町でも山でも農村でも、
子どもを見ない場所はないし、
しかも明るく生き生きとしている。
この違いはいったいどこからくるのだろう。
ミンダナオに足をふみいれてから15年、
MCLを設立してから11年(2014年の時点で)。
戦争や作られた貧困のなかで、
あえぐ家族や子どもたちを見ていたたまれずに、
読み語りと同時に、教育、医療の活動をおこなってきたが、
それにつけても近年気になりはじめたのが、
日本の子どもや若者たちの心の病や、
子育てに悩み苦しむ母親たちの切実な告白。
精神疾患の問題は、子どもや若者たちだけではなく、
出社できない中高年から、
一人暮らしの老人たち、ひいては
貧困の中に取り残された母子家庭にまでおよんでいる。

かつてやっていた絵本や童話や評論の執筆も、
ミンダナオの子どもたちとの出会いと感動に圧倒されて、
この一〇年ほど、ほとんどせずに過ごしてきたが、
その間の日本人の心の変わりようには
唖然とせざるをえない。 
今考えているのは、
「どうしたら日本の子どもたちに、
ミンダナオから救いの風をおくれるか!」という事。

ミンダナオで再婚し、
小学校の4年と5年の実の娘を育てているが、
MCLで、親のいない子や崩壊家庭の孤児たち
90名あまりと いっしょに暮らしてきているせいか、
娘たちは放っておいても実にのびのびとそだっている。  
MCLにいると、「子育て」という言葉がへんに感じる。
「子育つ」というのが本当で、
ちまたで遊び友情をはぐくむ体験があれば、
子どもたちは自然にそだっていくものなのだ。
「子育ての責任は、家庭にある。
特に母親の役割は大きい」 などという言葉に、
違和感を感じるのはぼくだけだろうか。
子育ての責任が親や家庭にあるばあい、
親がいなくなったり家庭が崩壊した子どもたちは、
どのように育ったら良いのだろうか。  
また、子育ての責任は、保育者や学校の先生にもある、
という考え方も ここでは奇妙に感じられる。
もしそうだとしたら、保育園にも学校にもいけず、
教育もうけられない僻村の子たちは、
育てられなかった子たちなのか!
 
先日、アジアの孤児施設をめぐっている
日本の人たちが、MCLを訪れた。
曰く「ここの子どもたちは、本当に
他の施設の子どもたちとちがいますねえ。
施設にいながら、こんな明るい子どもたちを
みるのは初めてです。
なぜこんなに明るいのかなあ?」  
ぼく答えた。
「ここは孤児施設ではないからですよ。」
 
ぼくは孤児院をつくろうとも、
施設を運営しようともおもったことは無いし、
他の施設をほとんど知らない。
ただ、困難な状況にある一人一人の
子どもたちをみるにつけて、
放っておけない、何とかしたい・・・。
そんな思いで活動してきたら、
自然とこんな形になってしまった。
もちろんここには、母親役のスタッフたちもいるが、
彼らとてもとは奨学生で、
必要なときには助言や指示をあたえるものの、
不必要な干渉はしない。  
子どもたちのとって大切なのは、愛をもって見まもり、
ときどき抱いてあげたり
愛情のある言葉をかけてあげること。
そしてなによりも大切なのは、
自由にのびのびと遊べる環境をととのえてあげ、
将来の夢をもてるように、
導いてあげることだとつくづく思う。  
まるで機関車が煙を噴いて走りぬけるように、
高度成長期をひたすら走りつづけてきた人々は、
成長期がとまり、老齢化して、
自分の事は自分で出来なくなり始めると、
落ちこむどころか精神的にパニックをおこしはじめる。  
「日本で自殺が多いのは、
個人主義が行き過ぎたからでは無いだろうか」と、
マニラの修道士が話してくれた。  
「個人が尊重され過ぎる競争優先の社会では、
協調の心がうしなわれて、孤独な人が増えていく」  
自分の力で走れなくなった老人は、
施設のベッドにしばりつけられたまま
死をまつ以外に方法はないのだという。
それもお金があればの話で、
一人暮らしの孤独死も多いのだそうだ。

ミンダナオでは、MCLでも同様だが、
上のお姉ちゃんが下の子に、
「ねえ、そこのお店でお塩をかってきてちょうだい」といえば、
たとえ夢中で遊んでいる最中でも、
下の子はさっとたちあがり、
明るい笑顔で、「はい」といって買いにでかける。
 
お姉ちゃんがいったことに、下の子たちは笑顔でこたえ、
ちっともいやな顔をしないのは驚きだ。
そのかわり、お姉ちゃんは、
きちんと下の子の世話をしてめんどうをみる。  
もちろん、お年寄りを一人
孤独にほうっておくなど、考えられない。
妻のエープリルリンのおじいさんもおばあさんも、
当時まだ小学生だった彼女の膝のうえで亡くなった。
「自分の力できりぬけろ」という言葉への、
現地の子どもたちの返答は、
「でも自分の力なんてたかがしれている、
みんなでやるほうが、楽しいよ。」
「自分のことは自分でやれ」への返答は
「一人で出来ないことなんて山ほどあるよ。
みんなで力をあわせるほうが大事だよ。」
「日本では、自殺する人が多いんだよ」というと、
子どもたちはびっくりして
「なんで自殺するの?あんな豊かな国なのに!」
「孤独で死ぬんだよ」というとさらに驚く。
「孤独で死ぬってどういうこと?」  
MCLの子たちは、親がいなくなって
一人取り残されても死のうとしない。
どこかで誰かが助けてくれるから!
一人ストリートチルドレンになっても、
必ず別のストリートチルドレンがやってきて言葉をかける。
「俺たちの仲間になれよ。」
日本では、孤独な母子家庭がふえている、という話をすると、
「近くの人たちといっしょに住んで、
いっしょに食べたら良いのに、なぜしないの?」
子どもの貧困が増えている話をすると、
「自分の家によんで、自分の子にしたら良いのに。
MCLみたいに!」
こういった言葉が自然にポンポン飛びだしてくる。  

経済的な貧困で大変なのが、医療と教育。
でも日本もMCLのように、
医療と教育を無償にして生活を保障すれば、
子どもをたくさん産んでも、何の問題もないはずだ。
それどころか、生活の喜びが倍増し、
地方も活性化するだろう。
 
ミンダナオのように、子どもが学校を引けたら、
親の職場に直行し、
職員もお客も大喜びで子どもに声をかけてむかえたら、
親も子育てが楽しくなる。  
MCLみたいに(地方都市の役所や銀行でもそうだが)、
職場に子どもたちがはいってきたら、
「・・・ちゃん。おかえりなさーい」といって、
母親の仕事机の横に、ござをひいて昼寝をさせたり、
工場の修理工の後ろでも、木の長椅子をおいて、
そこで妊娠中の奥さんが、ごろ寝をしている風景があれば、
仕事場と家庭の壁もくずれて、
社会は生き生きとしてくるだろう。  
個人と社会、家庭と会社、保育園や幼稚園、学校と家にしか、
意識が向かない思考は閉じこもりの壁型思考だ。
その中間に存在する曖昧な場所、
「ちまた」こそが壁をときはなち、
人々の心を解放し孤独から救う場所。
ちまたで、子どもたちがおおぜい生き生きと
遊んでいる姿をみることがない国は、本当にさびしい。  
個人と個人の間に存在しつつ、
人をささえるのが愛だとすれば、
ちまたこそ愛と友情の空間。  
妖精のように存在していても見えない、友情と愛の力こそが、
人々を幸せにし、生きる力をあたえてくれる。






日本の若者たちが見た
ミンダナオ子ども図書館の活動報告

当時ボランティアスタッフの
宮木梓さんと秀島彩女さんが
自分の写真と文でつづって
作ったサイトです。
宮木梓さんは、
現在正規のスタッフです。


11月の学生総会
  
こんにちは。
ボランティアスタッフの
宮木 梓です。
11月30日に行われた、
今年最後の
学生総会の様子を
ご紹介します。

  
 

奨学生の日
  
11月の学生総会は、
奨学生みんなが主役。
テーマは、
「Working Together, Success is the Fruit of Sacrifice」

 
竹とビニールシートで
作った手作りの会場
 
クリスチャン・ムスリム・マノボ
3種類のお祈りから
始まります。
 
2か月ぶりに集まった
500人程の高校・大学生の
奨学生たち

学生生活で起こる
様々な問題を、
分かち合います。
 
一人だけで悩まず、
みんなで考えます。
 
スタッフの子どもたちも
お母さんの膝の上に
座って参加
 
支援者の方々から
届いたお便りも、
学生総会で手渡されます。

 
お手紙がもらえるのは、
とても
うれしいことです。
 
小さなプレゼントが
届くことも
あります。

   
 
今回のゲストスピーカーも、
元ミンダナオ子ども図書館
の奨学生。
学校の先生として、
活躍しています。


先輩のことばを
真剣に聞きます。
自分も卒業するまで
あきらめないぞ。
 
 
友さんと、エイプリルさん
からもお話。
円安で厳しいけれど、
心配せずに
勉強に集中してください。
  
お話の後は、各学校ごとの出し物
イスラムの女の子たちが、歌っています。

こちらは、
ギターに合わせての歌
 
 
男の子たちのダンス!

照れずにまじめに踊ります。
 
流行りの歌にのせて、
コメディ風のラブストーリーを
演じます。
 
ケータイのテキストメイトから
恋人を見つけたけど、
(観客は大喜び!)

妊娠して泣いちゃった・・・ 
男の子たちが
慰めている様子
 
ダンス!ダンス!ダンス!
 
みんな踊るのが
大好き!


自分たちで作詞作曲した
歌をギターにのせて
歌います。


マギンダナオ(ムスリム)
のダンス
 
 
彩女さんと私は
奨学生じゃないけど、
日本の歌を歌いました。

 
ミンダナオ子ども図書館
に住む高校生たちも、
ずっと練習してきた
ダンスを披露
  
出し物の次は、成績の優秀な学生の表彰
     
 
総会の前日・・・
日本から届いた支援物資を
仕分けしています。
 
クリスマスが近いので、
奨学生一人ひとりに
古着のプレゼント
 
新しい服は
なかなか買えないので、
とてもうれしい。
 
これは、弟にぴったりだな。
 
大事に着よう。
 
物資を送ってくださった
支援者の皆様、
本当にありがとうございます。
 
総会の後は、お昼ご飯!
 
鶏や魚などのご馳走です。
 
思い思いの場所で
いただきます。
  
違う民族の友達。
奨学生になっていなかったら、
出会えてなかったかもしれない。

 
うれしい久しぶりの再開
 
学生総会って
楽しいな。
僕たちも高校生になったら、
参加するんだ!

 みなさんこんにちは。
ミンダナオ子ども図書館ボランティアスタッフ秀島彩女です。


 日本はだんだんと
寒さが増してきた頃でしょうか?
お身体にお気をつけてお過ごしください。
ミンダナオは相変わらず
穏やかな風とさんさんの太陽に
照らされて暖かい日々です。
寒さが苦手な人には
天国のような場所ですね^^
早くも12月、2014年最後の月になりました。
ほんとうに時間がたつのはあっという間、
一日一日を大事に過ごしていきたいものです。
  

MCLで迎える誕生日  
今日お話ししようと思うのは
MCLで迎える誕生日について!
私がMCLの習慣のなかでも
特にいいなあと思う
日本では体験出来ない
素敵な習慣。
   
 明日は○○ちゃんの
誕生日だね~どきどき!
早起きしなくっちゃ!
 
誕生日の日 
朝4時半ごろから
みんな起きだします。
あたりはまだ真っ暗。
みんなぞろぞろとお誕生日の子の
部屋の前に集まります。

早起きなんて
へっちゃらだよ~!!
 
 
何が始まるのかな~??
さあみんなで
歌を歌って○○ちゃんを
起こそう!! 
そうなんです、
MCLでは誕生日の日には
その子の部屋の前で
朝4時30分ごろから
誕生日ソングやMCLソング、
いろんな歌を
誕生日の子のために
みんで歌うんです^^
 
部屋の外の
椅子に座ってみんなから
歌のプレゼントをもらう女の子
   
たくさんの歌を歌います。
だいたい30分くらい??かな。
みんなほんとに歌が大好き!!
みんなにお祝いしてもらって
誕生日の子もとても嬉しそうです。
 
だんだんと空が
明るくなってきました。
 
   
○○ちゃん喜んでくれてよかったね!! 
これからもみんな仲良く家族でいようね!!^^

はいチーズ!^^
 
いえ~い!!
 
誕生日おめでと~う!!
  
楽しかったなあ。
さあそろそろ
学校に行く準備しなくっちゃ!

     
  
早く早く~遅刻しちゃうよ!!
子どもたち今日も
元気に学校へ行きます。
勉強頑張るぞ~!!


いってらっしゃい
いつも仲良しお姉ちゃんと弟^^
 
 
お金で買った物ではなく
「愛」がたくさん詰まった誕生日プレゼント
とっても嬉しいですね。
きっとみんな大きくなっても
忘れることはないでしょう。
ちなみにともさんの誕生日の日は
子どもたちさらに
いつも以上に気合いが入ります!!
前日からそわそわ!!
明日パパともの誕生日だよ!!
早起きするよ!!
っという子どもたち。
今年も楽しみ。
こんな誕生日
一度は経験したいと思いませんか??^^
ぜひぜひMCLに
遊びにいらしてくださいね。

ゴムの木の植林
  
こんにちは。
ボランティアスタッフの宮木 梓です。
ミンダナオ子ども図書館の活動のひとつに、
ゴムの木の植林があります


 
生活の自立と、洪水対策のために
  
イスラム地域では、
毎年のように洪水があります。
それは、上流の山々の木を
切ってしまったからです。
ジャングルの木々の多くは、
高度成長期の日本に輸出されていきました。

 
ゴムの苗は、
ミンダナオ子ども図書館の
敷地内で育てられています。


10月1日(水)
みんなのリレーで、
苗をトラックに
積み込みます。
 

イスラム地域のピキットへ、
1000本の苗木を
運びます。
 
図書館から、車で約2時間。
山道をトラックが
入られるのは、
ここまで。
 
歩いて苗木を運びます。
 
植林場所に、着きました。
 
きつい斜面を
登っていきます。
 
今は、
木が1本もありません。
 
土はとても固く、
穴をあけるのも一苦労です。
 
ミンダナオ図書館のスタッフも
 
地元のおじさんも、

護衛の兵隊さんも、
 
みんなで木を植えます。
 
今日、1000本全ての苗木を
植えられなかったので、
 
残りは地元の人々に
植えてもらいます。

この先、植えた苗木を
育てるのは、
ミンダナオ子ども図書館
ではなく、
地元の人たちです。

今はまだ細いゴムの木だけど、
大きくなると50年は収入が約束されます。
植林は、洪水対策だけでなく、
プランテーション開発で
土地を追われた先住民族の、
生活を守るためでもあります。
 
武器を苗木に持ち替えて、

 
未来の平和ために、
木を植えます。

学生総会
  
こんにちは。
ボランティアスタッフの宮木 梓です。
ミンダナオ子ども図書館では、2ヶ月に1度
奨学生の高校生・大学生がみんなで集まります。



9月の集会は、ビサヤの文化祭  
  
2014年9月28日(日)
ビサヤ(移民系クリスチャン)の文化祭
ミンダナオ子ども図書館には、
先住民族やクリスチャン・イスラムの子どもたちが
一緒に暮らしています。
今日の主役は、私たち、ビサヤ。


500人以上の学生が
集まるので、
竹でテントを建てました。

家の遠い子どもたちは、
前日から泊まり込みで
参加します。
 
司会の2人が、
上手にみんなを盛り上げます。

代表の
エイプリルリンさんからお話が
ありました。


支援者の方から届いた
お手紙やプレゼントも、
総会で本人へ手渡されます。

 
 
学校生活で起こる
それぞれの問題を、
みんなで出し合い
話し合います。
 
ともさんからも、お話がありました。
コンピューターばかりでなく、
友達と遊ぶことが大切なんだよ。


さあ、遊ぼう!  
 
ビサヤの伝統的な遊び
 
ビーチサンダルを使います。

うわぁ、上手!
 
次は、
何して遊ぶ?
 
フォークダンス!
 
踊ったあとは、歌いましょう。
弟のギターにのせて、
お姉さんが歌います。
 
歌の披露が続きます。
  
タガログ語でもなく、英語でもなく、
私たちのことば、ビサヤ語で歌います。
 
近くにいるけど知らなかった、
お互いの民族や文化・宗教。
今日は、ビサヤのこと、紹介してくれて
ありがとう。
 
次の総会は11月。
また会うときまで、
お互いに
勉強がんばろうな。
  
学生総会は、奇数月の最終日曜日です。
ぜひ、皆さまも参加してみて下さいね!

  
カルボガンの小学校
こんにちは。
ボランティアスタッフの宮木 梓です。
この秋、
イスラム地域の
カルボガン集落にある小学校に、
ミンダナオ図書館の責任で
新しい校舎を建てる計画を、
日本政府に提出します。
  
 
日本大使館の中川さんと、小学校に行く

カルボガン集落は、反政府地域の
リグアサン湿原というところにあります。
 

10月30日(木)
図書館から2時間くらい車で
走って、小舟に乗り換え。

 

このリグアサン湿原にも、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生がたくさんいます。
でも、
フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線の
和平交渉が
2016年までにうまくいかなかった場合、
戦場になってしまうもしれません。


小舟で1時間、
小学校に到着



川の水があふれて、校舎まで来ています。

6年生の教室も水の上です。
戦争が起こる前に、
カルボガンの人たちと、ミンダナオ子ども図書館で、
力をあわせて新しい校舎が建ったらいいな。
村の人たちと仲良くなれば、
もし戦闘が起こっても
子どもたちを助けに集落に入れてもらえます。


リグアサン湿原にある集落のひとつ、サパカンにも、
もうすぐ、ミンダナオ子ども図書館が 
地方政府に提案した小学校が、
日本大使館の支援で完成します。
中川さんの提案で、洪水のときの避難所にもなる、
しっかりした校舎です。

JICAから、
IMT国際停戦監視団に
派遣されている
中川さん


向かって左にいる、
カルボガンの村長さんと
ごあいさつ
前の村長さんと、
今の村長さんが
けんかの仲直りしたので、
新しい校舎の建設を
提案できます。

 
工事の責任者と、
校舎を建設する場所を
相談しています。
イスラム地域の小学校なので、
黒板の上には、
ローマ字とアラビア語の
アルファベットが
貼ってあります。

 
校長先生は、
イスラムのベールをかぶった
女の人です。
中川さんは、
たくさんの質問をします。
生徒はみんなで何人ですか?
新しい校舎に教室は、
いくつ必要ですか?


話し合いでお腹もペコペコになったので、
お昼ご飯です。
よく洪水になる大きな川だけど、
おいしいお魚がたくさんとれます。
  

こうして、
カルボガンに
新しい校舎を建てる
話し合いは
終わりました。

計画は、この後、
フィリピンの首都のマニラと、
東京で相談されて、
来年、日本政府から返事がきます。
 ひとつひとつ
個性ある素敵な絵たち
 
こんにちは!
ボランティアスタッフの秀島彩女です。
日本はそろそろ肌寒くなって
きているころでしょうか?
ミンダナオは相変わず
暖かで穏やかな風が吹いています。
みなさまお身体に
お気をつけてお過ごしください。
今回は子どもたちが好きなことについて!
MCLの子どもたち特に女の子、
絵を描くのがとても大好き!!
そして上手!!
色鮮やかに繊細に、そして
それぞれの個性が溢れる絵を描きます!^^
物資支援をして下さった
支援者のみなさんに
お送りしている絵葉書も
子どもたちが描いてくれています。
このどれかが皆さんにも届くかも?^^
 


   
 みんな真剣にお絵かき

ほんとに鉛筆、色鉛筆、紙の消費が早い早い!!
物資支援続々お待ちしております!! 
よろしくお願いいたします!!
   
子どもたちの作品の数々 
   
   
 
     
     
 床に這いつくばって一生懸命描く子どもたち
   素敵な小さな贈り物 
 子どもたちとともにお絵かきを楽しむ

日本にいるときはお絵かきをするという時間は全くなかったのですが、
MCLにきてから私も時々子ども達とお絵かきをするようになりました。
改めてお絵かきって楽しいなと気づけて嬉しいです。
少しですが紹介させていただきたいと思います!^^
  
   
 
これからも子どもたちと
楽しんで絵を描いていきたいと思います。
  

絵本の読み語り
  
皆さまこんにちは。
9月からボランティアとして
働かせていただいている
宮木 梓です。
ミンダナオ子ども図書館の
活動のひとつに、
村々を訪ねての
読み語りがあります。
 
10月25日(土) マグペットでの読み語り 
 
ミンダナオ子ども図書館から、
マグペットの村へ。
川に水没した道を渡って・・・

山を登って・・・


2時間くらいで着きました。
 
何が始まるんだろう?
 
お話、聴きたい?
 
聴きたい!
 
ギターの上手な
奨学生の演奏に
合わせて、

まずは歌から!
こんにちは、
ミンダナオ子ども図書館です!
 
私が選んだのは、
この絵本!
 
「14匹のおひっこし」
ビサヤ語でお話します。
 
語るのは、
ミンダナオ子ども図書館に住んでいる
奨学生たち
 
「おおきなかぶ」を
キャッサバに変えての劇
おじいさんがキャッサバを
植えます。
 
キャッサバは
なかなか抜けません。
おじいさんはおばあさんを
呼びに行き・・・
おばあさんは息子を
呼びに行き・・・
 
犬はネコを
呼びに行き、
ネコはネズミを
呼んできて、
ようやくキャッサバは
抜けました。

お話のあとは、おやつの時間!
 
 
語ってくれた奨学生たち。
準備や練習、
お疲れさまでした。

ばいばい、またね。
 

子どもたちの帰省に密着 
みなさまこんにちは
ボランティアスタッフの秀島彩女です。
10月19日。
子どもたちの帰省に同行!
 
 
セメスターブレイクで
1週間学校がお休みの子どもたち。
長期休暇の際
MCLで家族がいる子どもたちは、
だいたい家族の待つ
それぞれの遠くの村や町へ帰っていく。
いつも子どもたちの歌ったり遊んだり、
毎日とてもにぎやかなMCLが静かなのは
なんだか寂しくて変な感じ
  
半年ぶりや1年ぶりの故郷、
そして家族に会えるからか、
朝からとても嬉しそうな子どもたち、
車の荷台に乗って準備万端!
何事かと見に来た私に
「oban ka??(一緒に来る??)」って、
満面の笑みで聞いてくる子どもたち
思わず私も
「Oo oban ko!!(うん私も行く!!)」
と答えてしまった。
かなり遠いとは聞いてたが
この子達が来た所、住んでる場所を
一度は見てみたいと
思っていたから嬉しい機会。
まあ3時間くらい
かかるかなと覚悟はしていた・・・・
まさか丸一日かけた旅になるとは・・。
MCLを出発して
2時間くらい車で走ったところで山道に入った、
もうそろそろ着くかなと思いきや
そこからが長かった。
石だらけの道を
がたがた揺られながら進み、
2つの川を渡り、
道と言っていいのかわからない道を
どんどんどんどん山奥に入っていく、
一秒たりとも平らな道はなかった。
始終体が上下に飛び跳ねていた。




 
   
嬉しそうに帰っていく子どもたち。 
家族との幸せな時間が過ごせますように!!

もう少しで家につくとすごく嬉しそうな彼。すごく疲れてたけど彼の嬉しそうな顔を見て私も元気になった

車で川を渡るなんて!!
最初はほんとに
びっくりしてしまった。
山の上に住む子どもたち 
 
MCLを出たのが朝8時30分、
お昼休憩を挟んで
やっと目的地が見えてきた。
すでに15時30分ごろ、。
お見送りを終えたころには
日が暮れかけていた。
家に帰るのがこんなに大変なんて・・・!
 お昼休憩後走ること約1時間30分、
遠くに何か見えてきた・・・!!
「え?山の頂上の頂上の頂上に村???
えっなんでこんなとこに村が!!」
見える景色に唖然とする私。
ついに彼の故郷に!!
正直こんなところに
人が住んでるのかと思ってしまった
はにかんだ笑顔が可愛い 村の子どもたち
ここで生まれここで育ち、
一生を終える子どもたちがいる。
これまでの私には到底想像できなかった。
豊かな自然とともに生き、
機械やものに頼らない、生活。
携帯やパソコンに頼らない
人間同士の深い付合い。
ここで育った子どもたちの想像力、
感性は計り知れない
のだろうと確信します。 
 子どもたちとしばしお別れ
   
さあもう少しで家につく!
車を降りて「Bye! Ate Ayame!」っといって
私にぎゅーっとはぐをする彼とそのお姉ちゃん。
そして彼らは嬉しそうに歩き出した。
見えなくなるまで私に手を振りながら。
彼らの嬉しそうな顔を見れてうれしい反面、
たった一週間という短い間だが離れるのが
とても寂しく感じた私でした
元気に帰っていく
子どもたち
また来週
会おうね~!!
 
もう少しで家にかえれるよ~
!!わくわく!!
無事にお見送りを
終えたころには
もう日が暮れかけていた。
とても疲れていたがPhilippineの
きれいな夕焼けを見ることが出来た。
 

私はこの夕焼けが大好きだ。
MCLでもきれいな
夕焼けをよく見ることが出来る。

とても疲れたし、
こんなに大変な旅になるとは、
思ってもいなかったが
日頃私を笑顔にしてくれる
大好きな子どもたちの
故郷を訪れることが
出来てとても嬉しかった。
今日も MCLで残っている
子どもたちとともに
子どもたちの帰りを
楽しみに待っている

 

子どもたちの日常
~食べれることに感謝~
 
みなさまこんにちは 
はじめて記事を書かせていただきます。
9月から日本人ボランティアスタッフ
をしています秀島彩女です。
私は主にMCLの子どもたちの日々の姿を
みなさまにお伝えすることが
でればいいなと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
そこで今日お伝えしたいと思うことは
子どもたちの食について!
子どもたちが日々どんな食事をしているか
みなさんご存知ですか?^^


もりもり食べるぞ!!
   
 にんじん、インゲン豆、
キャベツ、ウリ、
鶏肉の野菜スープ
玉子とレバー
子どもたちの食事は基本3食のみ、
おやつは各自その辺になってる
果物ゲットできたらラッキー!
みたいな感じです。
ごはんもそれぞれ給食当番
があって自分たちで作ります。
朝は4時に目覚まし時計をならして
頑張って起きてごはんを作ってる
子どもたち、偉い!!
野菜、魚が中心で時々鶏肉のおかず。
「おかず一品にごはん大盛り」
のような感じです。
食べ盛りの子どもたち
みんな3杯でも普通に
食べてしまいます!
一見この食事、「えっスープでごはん?
魚一匹でごはん3杯もたべるの??」
と思われる方もいるでしょう。
私も初めはそう感じました。
ですが、予想以上に
MCLのおかずはたくさん
ごはんが進むんです!^^
少量のおかずでご飯を
たくさん食べれるように
おかずやスープの味は濃いめに
してあるようです。
味付けはとても良いです!!
確かに質素なおかずであることは
変わりありませんが、
毎食たくさん食べる子どもたち
子どもたちにとって
「3食のごはんをしっかり食べれること」
は本当に嬉しいことなのだ。
という事がわかります。
日本では食べたい時に
食べたいものが手に入る生活
をしている人がほとんど
どれだけ自分が恵まれていて
贅沢してたのかを考えさせられます。
ここでの生活を通して、
子どもたちと同じものを食べ
生活することで三食しっかり食べることが
できればそれで十分だ。と感じます。
そんなMCLの子どもたち
ごはんを食べる前には必ずお祈りをします。
そのお祈りはイスラム教の子も
キリスト教の子も一緒に
お祈りができるように
つくられているそうです。
日本にいても、どこにいても
日々食べられることに感謝することは
とても大切なことですね。
どんな時も、どこにいても
忘れないようにしたいものです。
これからも子どもたちがたくさん食べて
すくすく成長していくことを願います。
支援者の皆様日々暖かいご支援
ほんとうにありがとうございます。








   
 
 
支援者の方からの
嬉しいお便り
こんにちは
ボランティアスタッフの秀島彩女です。
この度スカラシップ支援をして
頂いている支援者の方から
嬉しいお便りを頂きました。
ホームページへの公表の承諾頂きましたので
ご紹介させていただきたいと思います!!
いつもほんとにありがとうございます。


 
支援者さまより
訪問を期に読みかえしました。
10年近く支援させて頂きいていますが
支援してるだけというのが現状でした。
私もその間は子育て真っ最中でしたし
訪問するまで支援していることを
家族には言ってませんでした。
海外から手紙が来てるなぁと
思っているくらいでした。
読みかえしてみて四人の子と
かかわっていたんだと再認識しました。
Jocelynさんも少女から女性に成長し、
訪問して彼女に会えてとても嬉しかったです。
彼女が大学を卒業する時はぜひ、
オーストラリアに留学している娘と訪問し
一緒にお祝いしたいなぁと思っています。
訪問したことでMCLの子供達の
顔がわかるようになったので
広報ミンダナオの風が届くの
以前に増して楽しみになりました。
あの子がでてる、元気そうだなぁ
と思いながら癒されてます。
ミンダナオの風はすべて保存してますし、
訪問の際に子供達が書いてくれた絵、
支援した子供達の手紙は
私の宝物になっています。



全ての支援者のみなさま、
いつもあたたかい
ご支援ありがとうございます。
ほとんどの子どもたちたちが
自分の支援者の方の
名前をちゃんと憶えていて
日々感謝の気持ちを
忘れずに過ごしてます。
これからもそんな子どもたちを
どうぞよろしくお願いいたします。
みなさまの心温かいご支援が
子どもたちの未来を
明るいものにしています。


 
 
 
  



****************************



 訪問者の記録:2013年

お正月には、
里帰りが出来ない子たちが
寂しくなるので海水浴に!
 
    
    
  
    
MCLには、
80名余りの子どもたちが
住んで学校に通っています。
しかし、クリスマスから
お正月休み、
また、現地の夏休みの
4月5月になると、
親もいず、いても
訳アリで故郷に帰れない
子どもたちが、
寂しくなってしまいます。
そのような子どもたちの
様子を見かねて
「海に行こう!」
「ワーーーーー!」
大歓声が!
娘たちもいっしょに
(左の写真は次女のマイカ)
憧れの海へ。
山育ちの子たちは
「海なんか、見たことない!」
「うれしいー!」
  
  
 
  
   

小学校の卒業式
 
日本から訪問されていた
野田杉菜さんも
お母さん役を
つとめてくださった
 
   

MCLの近くのマノンゴル小学校を
卒業した奨学生たち
 
 
MCLの奨学生には、
親のいない子も多い。
そんな子にとって、卒業式は、
うれしくもあるものの
ちょっと寂しくなるときでもある。
そんな子どもたちの気持ちを察しで
ハウスペアレントやスタッフが、
親代わりにつきそう。


スタッフでハウスペアレントの
ローズマリー
もと、MCLの奨学生だった。


   
   
   
   




 【ミンダナオ子ども図書館】紛争、
極貧逃れ共同生活する子どもたち
日本の児童文学者が活動

共同通信社の三井さんが来られて、このような記事を書いてくださいました。
http://www.47news.jp/47topics/e/239000.php
  
 
紛争や極貧を逃れた子どもたちが集う
寄宿舎がフィリピン南部ミンダナオ島の山あいにある。
北コタバト州キダパワン郊外に
日本人の児童文学者が設立した非政府組織(NGO)
ミンダナオ子ども図書館」が運営。
小学生から大学生までの子ども約120人が自炊で生活しながら、
武装勢力と国軍の争いが絶えない地で
地元の子どもを励ます活動を続けている。
「今日はみんなに絵本を読んであげますよ」
キダパワンから車で1時間、
さらに山中を20分歩いて着いた少数民族マノボの集落。
図書館の子どもたち約20人がマノボの言葉で、
集落の2~6歳の子どもたち約80人に笑顔で呼び掛けた。
この日披露されたのは、水牛と女の子の恋の物語と劇。
はだしの子やぼろぼろのシャツを着た
子どもたちの表情が思わずゆるんだ。
住民200人余りの電気もない集落で、
近くでは軍と共産ゲリラの衝突が絶えない。
幼い4人の子を抱えるエステリタ・アタンさん(36)は
「家にはテレビもラジオも本もない。こうした活動はありがたい」
と子どもたちに優しい視線を向けた。
劇が終わると、図書館の子どもたちが
日本やフィリピンから寄付された古着を住民に配った。
図書館は2002年、児童文学者の 松居友 さん(59)が設立した。
01年に現地のカトリック司祭の案内で難民キャンプを訪れ、
現場の悲惨な状況を目の当たりにし
「子どもたちのために生涯をささげよう」と決意した。
活動資金の大半は日本からの寄付。
寄宿舎には宗派を問わずキリスト教徒やイスラム教徒、
少数民族のスラム出身や孤児の子どもたちが集まり、近くの学校に通う。
周囲の畑で野菜を作り、活動プログラムも自分たちが決める自主生活だ。
ソライマン・サリ君(17)も孤児の一人だ。
コタバト市出身のイスラム教徒で、父は病死し、
母と兄妹は11年、イスラム教徒同士の
銃撃戦に巻き込まれて犠牲になった。
自宅は焼失し、1人だけ生き残り、松居さんに救われた。
銃弾の傷痕が腹に残るサリ君は
「幸運だった。今は同世代の子ときょうだいのように生活できる。
絵本の読み聞かせを各地で週末にするのが楽しみ」とほほ笑む。
館長の松居さんは「貧しいことが必ずしも不幸とは限らない。
だが三食食べられない状況ではどうしょうもない。
子どもたちに笑顔が戻るように
少しでも手助けできれば」と穏やかな表情で語った。
(キダパワン共同=三井潔)
共同通信社の三井さんが来られて、
このような記事を書いてくださいました。

http://www.47news.jp/47topics/e/239000.php 


Japan builds on
Philippine students’ dreams

by Ronron Calunsod
Kyodo
 また共同通信社のカルンソッドさんは、
Japan Timesに以下の記事を書いてくださいました。

http://www.japantimes.co.jp/news/2013/03/20/national/japan-builds-on-philippine-students-dreams/
  
 


To some people, the seven-classroom facility
used by elementary school students in the Muslim-dominated
southern Philippine village of Bualan in the town of Pikit is just a building ?
though evidently a well-built one.
But for the students in Pikit ?
whose education is occasionally interrupted
by fighting between Muslim insurgents and
government forces in this part of Mindanao Island ?
the building, erected two years ago
with some $100,000 in Japanese government aid,
is a launchpad for realizing their ambitions.
“This new classroom means a lot to me,”
said 12-year-old Micheil Abellanida, a sixth-grader
with dreams of becoming a flight attendant.
“I like to attend classes all the more,
and I can learn a lot more because I can listen well to my teachers.
“Before, we were all cramped in the old building,
together with students from another grade level.
We had to bear the noise
and sit on the floor due to overcrowding,” she said.
Abellanida’s classmate, 13-year-old Hairin Saliman, agreed.
“I’m positive that one day
I’ll become a policewoman
because I feel assured of my education,” said Saliman,
the recipient of a scholarship
from the Mindanao Children’s Library Foundation,
a Japanese-founded nongovernmental organization.
The new building, which sits beside Bualan Elementary School’s
two aging, battle-scarred structures,
was formally turned over Thursday
by Japanese Ambassador Toshinao Urabe to Tomo Matsui, e
xecutive director of the project’s conceiver, MCLF.
Housing more than 300 students,
90 percent of them Muslims and the rest Christians,
the facility is equipped with blackboards,
school desks with armrests and tables and chairs for teachers.
Matsui said his pitch to the Japanese government to build the new facility
was preceded by another initiative of his ?
the creation of a 2-km pathway to the school
from the Christian residential area where Abellanida lives.
“That road not only provides students access to the school,
it also unites the Muslim and Christian communities,
which is essential for peace,” he said.
In addition to the two communities’ religious
and cultural differences, the decades-old conflict between
the Moro Islamic Liberation Front and the government has
also threatened Bualan and other parts of Pikit.
The MILF ? the country’s largest Muslim rebel group ?
is currently in the process of finalizing a peace deal with the government.
When rebels and government troops fought nearby in 2008,
the school was temporarily shut down to ensure
the safety of students.
Saliman recalled how she and her family
had to evacuate to a safer place in town.
When classes resumed after several weeks,
teachers and students were saddened to see
one of the original school buildings
riddled with bullet holes.
Two years later, the school suffered another misfortune
when it was torched amid domestic political wrangling.
Seeing the pathway and school building projects
as a manifestation of “a better understanding between”
the Muslim and Christian communities, Urabe said,
“We are now giving the children in this community
a chance to enjoy a peaceful life.”
“We are making a building block for peace,” he added.
Urabe noted that in the wake of its devastating defeat in World War II, Japan ?
a country with few natural resources ?
made the most of its human assets.
“Education was the key to rebuild Japan,” he said.
Because Japan sees education as empowering children
and improving their lot in life,
while also positively affecting communities,
the nation has become “a partner in building schools”
in the Philippines and elsewhere, Urabe said.
Based on embassy records, more than 66,000 classrooms
in many parts of the country have either
been built or repaired with Japanese government funding,
either by grants or through loans.
The assistance, which also extends to infrastructure,
livelihood support, and disaster-control projects,
is Japan’s contribution to the peace process
and development of the conflict-hit areas of Mindanao.
The amount of aid committed so far under the so-called
Japan-Bangsamoro Initiatives for Reconstruction and Development,
which were launched in December 2006, stands at \12.5 billion.
However, seeing the fruits of their labors takes time,
Urabe said, stressing the need to continue supporting
children in developing their full potential,
including efforts to ensure they grow up in peaceful communities.
Jeramae Tan, who teaches second grade at the school,
said she has noticed significant changes
in the students since moving to the new school facility,
which was completed in 2011.
“The students are comfortable,” she said.
“They listen intently because the classroom is conducive to learning,
unlike when we held classes outside by the tree
and they had to sit on the tarpaulin-covered ground.”
Tan said they show increased interest in their studies
and a greater determination to make their dreams come true.
In a speech during the turnover ceremony,
Matsui challenged the students to be agents of peace, saying:
“You make peace here. You will make peace here in Mindanao.”
Abellanida, who is Catholic, and Saliman, a Muslim, are already heeding his call.
“I have good relations with my schoolmates who are Muslims,” Abellanida said.
“At first I got into fights with them because
they would tease us about eating pork, which they don’t do.
But our parents and teachers held meetings over it.
That’s why we’ve learned to understand each other.”
“No, we don’t fight each other,” echoed Saliman.
“Whether we’re Muslims or Christians,
my classmates and I are all just happy with our new classroom,
and we’re showing great interest in our studies.




訪問者の方々からのお便りを、
掲載させていただきました。

山麓をめぐり、
マノボの村キアタウにホームステイできたことは
大変貴重な体験となりました。
道々に松居さんのお話を伺う幸運にも恵まれました。
様々な子供たちの笑顔に出会い、
一身に不条理を受け入れ
小さくされている子供たちが
何もかもわかって私たちを
許してくれているように感じました。
松居さんのお話を伺い、MCLの行っていることが
「家族を広げること」、
「安心感を与える場」を提供することだと思いました。
とても共感し、これが目指すべき代替社会に
つながるもののように感じます。
何度もおっしゃっていた「子供たちの笑顔」。
子供たちの笑顔から愛が伝わってくる、
幸せそのものがそこから生まれてくる、
その中に身をおくことの幸福を垣間見ることができました。
マノボにももっと学びたいと思いました。
御本を書かれること待ち遠しく思います。
わずかですが、一名、里子奨学支援に参加させていただきます
.

8日間本当にお世話になりました。
無事に昨日の9時頃大阪に到着しましたので、
ご連絡をさせていただきました。
早くもMCLシックにかかっています(^^)
帰りたい…(T_T)
MCLのスタッフ、子どもたち、
行く先々で出会った沢山のフィリピンの方々との
出会いは私の宝物になりました。
MCLで体験したこと、感じたこと、一生忘れません。
MCLのみなさんが大好きです。
心からの感謝とお礼を申し上げます。
Thank you very much!!!!!
またMCLを訪れる日を楽しみに、4月から仕事に励みます。



ブアラン平和構築
40年間、イスラムとクリスチャンが対立し続け
戦争が勃発する地となってきた
ブアランでの小学校建設を含む
平和構築の流れを紹介
(時流は下から上へ)

日本大使が来られて
ブアラン小学校の開所式が行われた

   

小学校自体は、すでに
一年半以上前に建ったのだが、
現地が高度の危険地域だったせいもあり、
開所式がなされていなかった。
光栄なことに、今回は
大使の出席のもとに開所式が行われた。 
現地は、40年に渡って
山の上のクリスチャンと、
下のムスリムが対立していた場所。
今回の大使の出席を含めた開所式は、
平和交渉が始まったときに一致して
日本政府が、教育を通して
ミンダナオでいかに貢献してきたかを
アピールする格好の機会になっただろう。

 
MCLが主催し、日本政府が建設した
小学校の開校式を兼ねて
平和の祈りをブアランで開催

8月23日(火)


MCLが提案・マネージメントし
日本政府とバンサモロで建設した
ブアランの小学校の開所式を兼ねて
平和の祈りを開催した

戦闘の激しかったブアランの地に、
7教室の美しい学校が
日本政府の支援で完成した。
草の根支援と呼ばれるこの支援は、
現地のローカルガバメントやNGOの要請を、
日本大使館で慎重に審査して決定される
MCLは、現地組織として案件を提出、
日本人が関わっている
NGOとしては、
今回唯一だった。
美しい校舎は、
30年間対立していたこの地域の
ムスリムとクリスチャンの親たちが協力して
3ヶ月で建設した。
 
 平和の祈りは、
MCLの子どもたちの
踊りから始まる
今回、背後で中心に
位置している男の子は、
イスラム教徒で
戦闘で両親を殺され、
自分も腹を射貫かれた少年
ソライミン サリック君だ。
今は、MCLに住んでいる
 
   
訪問者の方々  
国際停戦監視団の落合氏
仏教徒を代表して参加
 
MCLジャパンの山元眞神父
日本のカトリック教会から
 
ピキットの神父
現地のカトリック教会から
 
ブアランの村長さん
イスラム教徒
ブアラン小学校の校長先生
イスラム教徒
 
 
イスラムの祈りが
聖職者によって行われ
イスラムの祈りの
歌がうたわれた
 
 
マノボの祈りと
マノボの歌が
奨学生たちに
よって披露
 
山元神父によって
クリスチャンの祈りと
歌が歌われた
 
 
国際停戦監視団からの
参加と報告の後に
仏教の祈りが、
落合氏によって
捧げられた

最後に、イスラム、
先住民、クリスチャン
みんなで
平和の歌が歌われた

オウコイ酋長も参加して、マノボの踊りを披露した



オウコイ酋長の突然の参加に
マノボの子たちも大張り切り








日本からの訪問者も
急きょ踊り加わった
 ニューバレンシアの保育所を共同で使える場所に
イスラムとクリスチャンの
集落の人たちが
協力して運んだ

ニューバレンシアの保育所は
クリスチャン集落の
中にあったが
新たに
クリスチャン集落の人々も、
村を作り始め
その道の向こうに、
イスラムの人々も
ラガイエン集落から
戻ってきた
両方の集落が、
道を挟んで仲良く
生活を始めたので
保育所も、
両方の子どもたちが
通える位置に
移すことに決定
クリスチャンと
ムスリムの人々が、
協力して保育所を運んだ。
何と家をみんなで
担いで山道を移動させた




こうした作業も
平和構築への
大きな足がかりになる
保育所を通して、
子どもの頃から
イスラムの子と
クリスチャンの子たちが
友達になれる
ここに、さらに、
バスケットボールコートを
作りたい
コンクリートのコートは
トウモロコシなどの
干し場になり
地域の経済にも
貢献するし
子どもたちだけではなく
若者や大人たちの
交流の場にもなるから・・・


 

IMT国際停戦監視団の『IMT通信』に
ミンダナオ子ども図書館が紹介されました


IMT国際監視団が
発行している
『IMT通信』に、
MCLの記事が載りました
取材に来られた
福永さんが執筆

やはりMCLに
来られた落合さん
なかなかわからない、
国際停戦監視団の役割
また、今回の大規模な
洪水の状況などを
簡潔に実にわかりやすく
述べていらっしゃいます

平和構築に向けての
歩みが続くブアラン集落

7月8日(金)


ブアランの小学校は、
ほぼ完成に
近づいている
6ヶ月かかる予定が
3ヶ月で完成するのだから
村の親たちの
意気込みがわかる
村の父親たちが、
クリスチャンもイスラム教徒も
協力し合って大勢で、
みんなで作業をしたものだから、
11月に完成予定の小学校が
何と7月末には、完成しそうだ。
外観はできあがり、
最後のペンキ塗りと窓のはめ込み
黒板を含めた
内部の仕上げが残っているのみ。
敷地も広がり、
素晴らしい学校になりそうだ。
そのせいか、子どもたちの顔もあかるい。
丘の上のニューバレンシアの
クリスチャンの子たちも、
イスラム教徒の子たちも、
一緒に下の学校に通っている。

新しく奨学生に選ばれた
ニューバレンシア集落のイスラム教徒の子どもたち
 
 クリスチャンとイスラム教徒が
40年にわたって対立してきた、
丘の上のニューバレンシア集落
40年ぶりに平和が戻り、
クリスチャンの子たちを
奨学生に採用したことは前回述べた
さらにその側に、
下のラガイェンに避難していた
イスラムの家族たちが戻ってきた。
クリスチャンの村の人たちは、
彼等を心から歓迎し、
今共生の生活が始まっている。
MCLでは、新しいイスラムの子たちで、
ブアランの小学校に通い始める
6名を奨学生に採用した。
こうして、毎朝、イスラムの子たちと
クリスチャンの子たちが、
同じMCLのカバンを背負って、
仲良く登校するようになった。

 
イスラムの子たちと、
クリスチャンの子たちが、
一緒に支援者の方々に
手を振っている
本当に皆さんありがとう!
MCLとJICAで
建設中の小学校も、
日本の皆さんの税金で建てた
平和のシンボル!
8月にここで、
平和の祈りの祭典をします。
参加希望の方は、
ご連絡下さい。
 
ブアランで
イスラム教徒とキリスト教徒の
平和の合意

5月11日(水)


クリスチャンと
イスラム教徒が
一緒に、食事の用意をした
40年にわたって、
イスラム教徒と
キリスト教徒が対立。
多くの家族がこの地から
逃げ出していった。
激しい憎悪の結果、
お互いに集落に
入ることを拒否。
それが、MCLの働きで
交流が再開。
国軍と行政も含めて
お互いの平和合意が
行われることになった。
政治的な合意なので、
MCLは、直接関わらないが、
会議の前に
読み聞かせをすることにした。
 

国軍も交えた合意会議の前に
読み語りをした
読み語りは、
イスラム教徒のマギンダナオ語と
キリスト教徒のビサヤ語が同時に使われた。
MCLに住み込んでいる、
ザイノディン君兄妹が
両方語れるので大活躍
大人たちが、
どんなに戦争をしても
子どもたちの心は、
イスラム教徒も
クリスチャンも変わらない
このような子どもたちの姿に
長年憎しみあってきた
地元の人々の心も
開かれていく。
ブアラン小学校には、
24名のイスラムの
奨学生がすでにいるので
今回は、同数の
クリスチャンの奨学生を
まずは、この地から
採用することにした。


国軍とピキット市政の仲介のもと
イスラムとクリスチャン住民の
平和に関する合意が・・・


40年にわたって、敵対し、
交流が途絶えていた
二つの集落が平和に合意
子どもたちは、
日本政府が建設する下の
ブアラン小学校に
通うことになった



イスラム教徒側と
クリスチャン側の議論が続く

私たちも最初
少し加わったが、
MCLは、
特定の宗教や政治に
関与しない立場なので
後は任せた

 

クリスチャンの集落とイスラムの集落を結ぶ
道を、村人総出で作った

5月10日(火)


前述の合意のある前日
イスラムの人々、
クリスチャンの人々に
MCLの奨学生を加えて
両村を結ぶ道を切り開いた

40年間、途絶えていた、
クリスチャンとイスラムの
二つの集落を結ぶ道が
両村の人々の協力で
切り開かれていく。
これで、丘の上の
クリスチャン集落の子どもたちが、
すぐ下のブアラン小学校に
通うことが出来る。
40年間交流が途絶えていた間に
下草どころか、
いたるところに灌木が生い茂り
行く手を阻む。
チェーンソーがあるわけでもなく、
大きなノコギリもなく、
手刀だけで、大木も倒す。

微熱が有ったが、
私も雑木を伐る
北海道にいた頃は
薪割りもしていたのだが
チェーンソーを
使うわけではなく、
使用する道具は、
いわゆる蛮刀
これで、大木から
雑木まで伐る
こんな小さなものでと思うが、
さすがにテクニックがすごい
特に、ジャングルの木々は、
互いに蔓で
からまっているので
いくつもの大木の根本を、
蛮刀で堀を付けておき
最後に一個を倒したとたん
蔓に引っ張られて、
軒並みに次々と倒れ始める
葉を散らしながら、
雪崩のように倒れる
木々の迫力はすごい!
これは、陽が
映像におさめたので
いつか上映したい。

クリスチャン集落の役員

ブアラン小学校の校長先生

ミンダナオ子ども図書館の
奨学生の若者たちも
手伝った

道がつながることによって
平和への足がかりがつながる
むろん、平和構築はこれからだ
ブアランのイスラム教徒の
奨学生は25名
これから、クリスチャンの
奨学生を同数採る

MCLの奨学生たちも
この作業に参加した

クリスチャンもイスラム教徒も
力を合わせて道を切り開く

私と陽は
撮影記録を取り編集

場所によっては、野焼きをして道を開く

時には、
野焼きをしながら
道を開く
傷の応急処理をする
エープリルリン
日本から
送られてきた薬品が
ここでも役に立った

クリスチャン集落への最後の登り

ここを駆け上がれば、
丘の上へ

遙か彼方の、
リグアサン湿原まで
見渡せる
素晴らしい眺めだ

やっぱり平和は
良いなあ


平和構築は、
始まったばかりだ
まだまだ、
紆余曲折が考えられるが
この経験は、
彼等の子孫に
語り継がれる事だろう

クリスチャン集落の
奨学生の子たち
これから、
もっともっと採用しなければ
彼等が平和を作る
世代に成長するために

MCLの若者たちも
よく頑張った
この体験は、
彼等が将来を考える
貴重な糧になるだろう

ニューバレンシアのイスラム集落の
新しい奨学生たちに学用品を届けた

7月1日


イスラム教徒の村の中で
クリスチャンの若者と
集落長が
イスラムの若者たちと
一緒に
バスケットボールをしていた。
かつて40年前には
このような光景が
見られたという。
今それが再び復活したのは、
感動的な風景だった。
この下のクリスチャンと
ムスリム集落の
出会う場所に、
今度、村人たちが
協力して保育所を移設する。
多湖さん一家によって
寄贈された保育所だ。
その話し合いがもたれたが
その場所に、ぜひとも
バスケットボールコートを
作りたい。
バスケットボールコートは、
トウモロコシなどの
穀物干し場になるし
保育所は小さな子たちの
バスケットボールコートは、
若者や大人たちの
良き交流の場になるから。
どなたか、
寄贈できませんか?
今見積もりを
とっているところです。




村を訪ね、直接学用品をわたす。
子どもたちの多くは、
ラガイエンの小学校に通っているが
6名の子どもたちが、
ブアランの小学校に通い始める
その子たちを奨学生に選び、
学用品の入ったバックを渡す
来年から、より近いブアラン小学校に
籍を移す子たちがドッと増える
この地を去った多くの家族も戻ってくる予定で
ブアランが活気を取り戻すだろう


クリスチャン集落に
ムスリムの人々も集まって
保育所の移設が話し合われた

7月7日
ニューバレンシアの丘は、
驚くべき場所だ。
遠く、リグアサン湿原が
一望できるだけではなく、
なんと、下を見ると、
白頭の鷲が
飛んでいる!!!
目を疑った!!!
「あれ、ひょっとして
フィリピンイーグルですか?」
「そうですよ、ここには
24匹ほどが棲んでいる。」
「エエエッ・・・!!!!」
「この間、縄張り争いで、
あっちに移った
つがいが居る・・・」

その勇壮で美しい飛翔の姿が
リグアサン湿原を背景に
燦然と輝いている。
あわてて、望遠レンズのある
写真機を探して向けたが、
もう飛び去った後だった。
これを聞いて、
「俺は絶対この地に行き、
1週間は滞在するぞ・・・」
と考えた人は、野鳥好きの人。
フィリピンイーグルは、
絶滅危惧種にも指定されていて
私も、ダバオの郊外の保護施設の
檻の中でしか見たことがなかった。
おっとどっこい、数日前に、
リグアサン湿原地帯のサパカン集落で
幼鳥を飼っている人に
見せてもらったっけ。
そういえば、来る途中、
エメラルドグリーンの鳥が横切ったけど
どう見ても
カワセミの一種としか思えないし。
専門家ではないので何とも言えないが、
リグアサン湿原は、
周囲の丘陵地帯も含めて、
天然の野鳥の宝庫!!!
そのスケールから見ても、
釧路湿原を数倍しのぐ。
釣りにヨシ、カヌーにヨシ、
野鳥観察からワニ観察まで・・・
石油や天然ガスが出るからって、
こんな素晴らしい自然を
破壊しても良いの?

 
保育所の移転と
今後の取り組みについて
話し合いがもたれた
イスラム教徒の村長と
キリスト教徒の集落長が
話し合っている
市の福祉局
DSWDの所長補佐
グレイスさん、
MCLのボードメンバー

ここに多湖さん家族から
寄贈された
保育所を移設する
右は、クリスチャン集落に
遊びに来た
イスラム教徒の少女たち

クリスチャンとムスリム集落の
出会う場所に、
今度、村人たちが
協力して保育所を移設する。
多湖さん一家によって
寄贈された保育所だ。
その話し合いがもたれたが
その場所に、ぜひとも
バスケットボール
コートを作りたい。
バスケットボールコートは、
トウモロコシなどの
穀物干し場になるし
保育所は小さな子たちの
バスケットボールコートは、
若者や大人たちの
良き交流の場になるから。
どなたか、
寄贈できませんか?
今見積もりを
とっているところです。
左がバスケットボール
コートを作る場所。
こうしていけば、多くの家族が
ここに戻ってくるだろう。

40年間、
憎しみと戦闘ばかり
安心して
暮らせるって良いね
しかし、安心しきっては
いられない。
現在進行中のMILFと
政府側の和平交渉の会議。
北コタバト州などの
独立を目指す
MILF側と政府側の
交渉が決裂すれば
再びかなり大規模な
戦争が勃発するだろう。
先日のタリタイ集落での
ミィーティングでも
IMTがどこまで本気で
平和構築が出来るかが
問われている、と言う話?
8月のラマダン明けが
一つの目安だろうか。
5月からすでに、
国軍の動きが
活発化している。
NPAの領域も含めて、
すでに手術(オペレーション)が
始まっているが、
8月には、一斉に新規放出?
アキノ大統領は平和路線で
行きたいらしいが、
周囲がそうは
させないかもしれない。
南シナ海を巡る、
ASEANとその背後のアメリカ、
それを睨んだ国軍と
アメリカ軍との合同演習。
対する中国の
動きもからんで・・・
資源争奪戦はまだまだ続く。
尖閣列島も北朝鮮も、
これからが戦争作りの
本番かもしれないので、
日本の皆さんも心した方が
良いかもしれない。
アメリカ政府は、
米国市民に警告を発した。

http://jp.reuters.com/article/topNews/
idJPJAPAN-21717320110615

国務省は
「空港やショッピングモール、
会議場など人が
集まる場所が
狙われる可能性がある」
とし、「ミンダナオや
スールー諸島に
渡航する場合は
細心の注意を払うべき」
と呼び掛けた。
昨年11月には、
ミンダナオ島の
中部と西部への
渡航警戒を
勧告していたが、
今回は対象を
島全体に拡大。
また「テロ攻撃は
無差別の可能性があり、
マニラでも起こる
恐れがある」
としている。
 ・・・・・・・・・
オーストラリア政府も
14日発表したフィリピン
への渡航勧告で、
ミンダナオ島東部については
「必要性を再検討するように」
と制限を緩和したが、
同島西部は引き続き
「禁止」としている。
先日は、
洪水難民救済の
ためとはいえ、
オーストラリア政府の寄贈の
高性能戦闘用ボートに
乗せてもらったし
それなりのゲームが、
机上で作られ実行され
つつあるのだろうか。
ここが戦場になったら、
ここの子たちを、
全ていったんMCLに
集団疎開させよう。
こんな可愛らしい子たちを
戦闘の渦中に
置いてはおけない。
幸いMCLは、発足時から、
避難民救済のための
シェルターの許可も
得ているし・・・
でも経済的に食べさせて
いけるかなあ?
正面に座っていた
母親が声をかけた
「トモさん、
何を考えているの、
一人沈み込んで
いらっしゃるようだけど」
「エッ、いいえ、別に。
ここに、バスケットボール
コートを作れば
皆もっと楽しく
幸せになれるかと・・・」
















日本政府ODAでJICAが建設
MCLが提案し建設管理を委託された

ブアランの小学校が
驚くべき早さで建てられている

6月15日(水)
 
   
 

40年間争い、交流が途絶えていた丘の上のクリスチャン集落
ニューバレンシアの子どもたちが
下のイスラムの村の学校に通い始めた
 
   
イスラム教徒がほとんどの学校に、
新しく入ってきたクリスチャンの子たち
イスラムの子たちも奨学生が
沢山いるブアランの小学校
さぞかし緊張しているだろうと思ったけど、
意外と明るい顔で幸せそう。
子どもたちは皆、戦闘が無く、
みんなが仲良く住める世界を望んでいるのだ!
この様子を見て、胸が温かくなり、
本当に幸せな気持ちを感じた。
お父さん方が、みんなで建設に励んでいる
姿も素晴らしかったし、
思わず目頭が・・・
今後、ニューバレンシアに戻り、
ブアランの小学校に通い始めた
イスラム教徒の子どもたち、
5名も調査して加えたいと思っている。
一緒に手をつないで、
学校に通えるようになるために。
皆さん、里親奨学支援に応募して下さい。
 
7月いっぱいには、小学校が完成する。
完成と同時に、
8月半ばに開所式を兼ねて
MCLの奨学生が全員集合し、
この地で『平和の祈り』の
祭典を行う予定だ。
日本からも、山元眞しんぷが参加予定。
現地のイスラム宗教者や
OMIカトリック神父、
マノボ族のプロテスタント牧師も
マノボ指導者も参加します。
仏教会からも、
どなたか参加されませんか?
一般参加もOKです。
 

 
ブアラン村で
今年最後の読み語り

29日
読み語りに大勢が集まった。
本当に、不幸や困難を繰り返し
くぐってきた小さな集落。
向こうに焼けた
小学校が見える。
今回、ピキットで、
三つの小学校が
焼かれた。
全てはフィリピン
政府系の建物で
マカブアルの日本政府
JICAが建設
MCLがお手伝いした学校は
大丈夫。
話によると
BDAで建設した建物は
決して焼かれる
ことはないとのこと
地域の村長選を巡っての
小競り合い、リドーで
今は、きわめて平和だ。
村長選挙の腹いせで、
小学校に火がつけられ
子どもたちが
学校に通えなくなってしまい、
泣いた!
彼らにとって、
日本のJICAの支援だけが
今は頼りだ!
 
新たに選出された村長さんと
小学校の校長先生。
誠実で村の人々からの
信頼も厚く、
本当に村を良くし
平和を作りたいという
願いを感じる
下は、古く、
2000年の戦闘で
崩れたままの校舎。
ごらんのように
四隅の鉄の柱は腐り、
いつ倒れてもおかしくない
危険な建物。
ここでは、
授業を続けられない。
 


 読み語りに大勢の子どもたちが集まった
学校が焼けて、大勢の子たちが泣いた。
授業が停滞している。
それにしても、こんなに大勢の子どもたちが集まるとは思ってもいなかった。
親たちも、おかゆの炊き出しをして、村の人々や子どもたちの
JICAによる、学校建設への期待を強く感じた。

   
難民救済の時から、
深くつながっている
子たちも多い。
その中の5名ほどは、
来年から高校生になる。
すでに4年越しのつきあいで、
多くの奨学生がここから
MCLに参加している。
私にとっても思い出の多い
地域の子どもたちだ。

この上の
クリスチャン集落である
ニューバレンシアにも
保育所を建てたことは
報告した。
先日は、市長に会い、
クリスチャン集落と
イスラム集落を
つなぐ道を再開建設する
確約をとったばかりだ。
MCLの主導による、
平和構築の試みは続く。
私たちは、
決してあきらめない。





対立していたクリスチャン集落での読み語り

こちらは、ブアランの丘の上のクリスチャン集落。
かつては100世帯ほど住んでいたが、
度重なる戦闘でわずかしかいない。
この村は、イスラム教徒の立ち入りを、
独自の規定で禁止している。

この村の人々は、ほとんどがカトリック。
この地域に入っているのは、OMIと呼ばれる
フランスミッションの宣教会。
戦時中、イスラムの人々と抗日運動を展開しており
MILFをはじめイスラム教徒の信頼も厚い。
この宣教会は、ピキットの有名なライソン神父や
コタバトのオーランド司教がいて
(日本では、鳴門教会の
乾神父がオーランド司教の盟友)
戦闘では、命がけで
イスラムの子どもたちを救済している。
MCLのボードメンバーのグレイスさんも
同教会のメンバーだ。
16日には、日本から山元しんぷさんをはじめとする
小倉、行橋カトリック教会他のメンバーが来る。
現在、MCLでは、この村に保育所を建設開始。
山元しんぷさんのミサを準備している。
MCLジャパンからは、
このクリスチャンの村民と下のイスラムの村民に
農園に蒔く種を寄贈予定。
戦闘で疲弊し、農民たちは、種を蒔くにも、種を買えない。
日本の皆さんの支援のおかげで
今ここに、平和の種が蒔かれようとしている

平和の読み語りが始まった 
しかし、
どのような種よりも、
最も美しく効果的な
平和の種を
蒔いてくれるのが
実はこの子たち。
皆さんが
支援して下さっている、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たちだ。
初めての
読み語りに訪れた。

もちろん、イスラム教徒、
キリスト教徒、
マノボ族の混成部隊。
イスラム教徒を拒絶していた
村人たちも、
受け入れてくれた。
みんなでマノボ族の歌、
クリスチャンの歌、
イスラムの歌もうたった。
イスラムの歌を、歌うとき、
アッラー(神)の名が
出てくる来るのに
村人たちは一瞬たじろいだが
クリスチャンの子たちも
一緒に声を合わせて
歌うのに驚いたようす。

歌を歌いながら踊る
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生たち。
村の子どもたちも
喜びの表情で
踊りのまねをする
陰で見ていた
村の人々の表情も
少しずつ緩み始める
戦闘で疲弊した村に
久々に子どもたちの
歌声がこだます

大きなカブならぬ、
大きなカサバイモが
演じられる頃には
堅かった村人たちの
表情もすっかり緩み
久しぶりに平和を
感じている様子だった。
村人たちのひそひそ声が
聞こえてくる。
イスラム教徒の
ジェネッサさんが、
読み聞かせをするのを見て
「ほらほら、あの子、
下のイスラムの子。
あんなにビサヤ語が
上手だなんて!!!」
それもそのはず、
2年間、
MCLに住んでいたし・・。










右は、スカラシップに
採用する若者。
今度大学生だが、
貧しくて学校に行けない。

シリック出身の大学生
イスラム教徒の
奨学生(女子)も
同行したが、
新しい奨学生候補の
彼の姿を見て、
飛び上がって駆け寄った。
高校時代の同級生だという。
村人たちも、イスラムの娘と、
この村の
クリスチャンの若者が、
こんなに親しいのにビックリ!
彼がこれから、
コンタクトパーソンとして、
この地域の平和を
築いていくだろう。
性格も良いし、
大学で教育学を学ぶ。
どなたか支援者に
なっていただけませんか?

 

イスラム地域のクリスチャン
憎しみと対立を超える試みが始まった
戦闘の絶えないブアラン集落。
山麓のイスラム地域と丘の上に
移住してきたクリスチャン移民。
ともに恐れて、近寄らない。
2008年の50万の避難民が出た戦闘は、
実にこの地から始まった。

しかし、下のイスラム地域に保育所が建ち、
ミンダナオ子ども図書館奨学生が増え、
さらに日本政府の支援で小学校が
建設される計画が広がるに従って、
平和構築の試みが始まった。
ピキット市も道を整備すると同時に、
両地域に公平に電線を引いた。
IOMもクリスチャン地域の家の
ヤシの葉を支援をした。
イスラム地域には、赤十字も入り、
簡易水道を建設し始めた。
ミンダナオ子ども図書館は、
すでに4年前からこの地に、保育所を建て、
奨学生たちをとってきた。
今回初めて、山上の貧しい
クリスチャン地域を訪れ、
最終的なこの地の平和構築に向けた
一歩を踏み出す。
 
 




右は、保育所の先生とそのご主人
保育所を建設する場所を確認。

この小さな村が、
クリスチャン系移民の前線基地として
イスラム教徒と対立してきた構図。
問題は、外部から、この構図を利用して
武器を渡し、集落民を民兵化し
外部から対立と憎しみをあおって
乾いた枯れ葉の上に
マッチで故意に火をつける
第三の勢力があること???

ここに、この子たちのために
保育所を作り学校を作り
閉ざされた村を開放しよう。


さらにここから奨学生を採用
下のイスラムの村の子たちと一緒に
平和を作っていく試みを
しなければならないだろう。
戦争に嫌気がさして
このクリスチャンの村は
初めて、心を開こうとしている。









 訪問者の方々と活動を共に
ミンダナオ子ども図書館は、
訪問者を特別に
接待することはないけれども
積極外向型の活動であるが故に、
たえず小さな村を訪れている。
そのようなときに、ご一緒し、
時にはマノボ族の電気のない村に泊まったり
イスラム地域に舟で
保育所の開所式に参加したりする。
そのかわり、本当の活動に同行し、
いろいろな土地のいろいろな場所から
さまざまな子どもたちの状況を
自分の目で見て体験できる。
いかにも作ったようなスタディーツアーは、
疲れるので止めてしまったし
規定の宿泊費、滞在費が有るわけでもない。
家族の一員、友達として迎えて
一緒に生活する。
訪問希望ここをクリック
「訪問希望」にもあるように、
特別な料理を準備しないで、
子どもたちと一緒に粗食だし。
時には、外の井戸で水浴びしたり、
朝5時前に起きて、子どもたちと一緒に
薪でご飯を炊いたり、
お皿を一緒に洗われたり。
今回の方々は、NGOの
専門家の方々も多かっただけに、
本当に子どもたちと生活をともにされていた。

 
  
3月、ほぼ連日ように
訪問者が絶えなかった。
今まで、訪問者の事は
余り考えずに来たが
去年から、日本の人々の心、
特に若者たちの心の
閉塞的な状況
心のゆとりや愛を
失いかけている生活
そんな姿に心を痛め
ミンダナオ子ども図書館を
通して
日本の人々の事を意識して
新たな活動を
始める事を考えていた。
その矢先、テレビの番組で
放映されたこともあり
急に訪問者が訪れてきた。
といっても、特別な接待を
するわけではないので
ありのままで受け入れ、
思い思いのままに
滞在していただいた。
別れの日が来ると、
皆さん、目に涙をいっぱいに
浮かべて子どもたちと
再会を誓い合って
帰路につかれた。
またお会いしましょう。

奨学生の調査へ 
  
  
その場で、私の里子に! 
 
 
 
支援者になってくださった、
佐藤亜矢さんは、
リーラのオーナー
リーラーに関しては、
以下をクリック
http://www.leela-
japan.com/

マノボの村、キアタウで読み語り
そして宿泊!
 
  

電気のないマノボ集落
キアタウで読み語りをし、
その晩、村の家でそれぞれ泊まった。
一泊、家族に1000ペソ、村に1000ペソ
村への寄付は、
訪問者の意向で特別寄付を加えて
水のタンクを作ることになった。
これで、長年の
水不足の問題が解決される!
村人たちは、大喜びだ。
  
今回の読み聞かせは、
MCLの子どもたちは学校があるので、
訪問者と同宿するスタッフが中心
訪問者もスタッフと一緒に、
大きなカブを演じたり、踊りも踊った。
 
   
村の家々に平等に宿泊し、
家の人々と食事をする。
普段は、カサバイモと
カエルが主食だったりする。
訪問客だから特別な
食事を出さなくても良い。
普段食べているそのままでお願いします・・・
といってあるのだが、さすがに恥ずかしいと思うようで、
必ず米のご飯と地鶏をごちそうしてくれる。
地鶏など、年に一回、
父親の誕生日に食べる特別料理なのだが・・・
 
父親も母親もいず、
自分の誕生日すらわからない少年
父親が病死して、母親が面倒を見きれずに、
祖母のところにいて、
一年以上も母に会っていなかった少女
支援者が決まり、
彼らは晴れてMCLに住むことになった。


支援者になってくださった、
佐藤亜矢さんは、
リーラのオーナー
リーラーに関しては、以下をクリック
http://www.leela-japan.com/
 

ダバオの町の
イスラム貧困地域の調査にも同行
 
   

大都市の貧困は、
またそれなりの
学ぶべきところがある。
今回は、前から気になっていた、
父親のいない子と
戦闘でスールーやサバ州から逃
れてきた難民の人々を訪ねた。

その場で僕が里親に! 
  
 この子はまだ
支援者無し
支援を決定してくださった皆さんに、
子どもたちに代わって、
心から感謝します。
 



野村ひろこ様寄贈の保育所・開所式

日本からの訪問者の方も、
保育所の開所式に参加された

   
   
   


京都暁星高校寄贈の保育所・開所式
   
 
京都暁星高校は、長い年月、
ミンダナオ子ども図書館を
支援してくださっている。
右のアルベルト君は、
かつて京都暁星高校の奨学生だった。
日本にも招かれ、子どもたちと交遊し、
マノボの踊りも一緒に踊った。
今は、ミンダナオ子ども図書館の
スタッフとして活躍してくれている。
彼は、保育所の建てられたこの村の出身だ。
下の写真の中央は、
プロテスタントの牧師さんで、
MCLのボードメンバーも
してくれているガンボン牧師。
今回は、伝統的な
ニワトリを使った儀式をされた。
私も、酋長として、伝統的な服を羽織って
訪問者の方々と共に、参加した。
 
   



保育所調査は続く 

この地域は、
2年前に戦闘があり、
今は平穏だが
今後の展開が危惧されている
戦闘で両親を失い、
兄弟姉妹を失い、
自分も腹部を撃たれた少年が
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生としてMCL本部にいる。
戦闘の原因は、
大土地所有者のイスラム教徒が、
輸出用のオイルパームを
植えるために農場を拡大して、
先住民やイスラムの
貧しい人々を追い出そうとしたこと
そして、プランギ河に
ダムの建設計画が有ることだという。
それに対して、
先住民とイスラム反政府勢力が
反対しているのだと言うのだが・・・


この村にまずは
保育所を建設する
依頼が、
先住民の首領から来た。
松居陽が、現地に赴いた。
貧しいけれども、
自給しながらも
平和に暮らしている

 
 
 
   
 
右は、
ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバーで、
牧師であり
首領でもある、ガボン氏。
現地の状況をふまえて
MCLについて
説明している

 
    
 
村までは、
7キロの道を歩いていく。
先住民族の文化も、
まだ色濃く残っている。
文化的にも貴重な場所だ。



2013年:イスラムデーを実行した 
毎年、イスラムの文化祭、
先住民の文化祭、
クリスチャンの文化祭をして
互いの宗教や習俗の違いを体験し、
敬意を持って理解する。
今まで、結婚式、葬式、歌や踊り、
精霊の払い、などをしてきたが、
今年は、断食の中に見る
宗教のとらえ方をテーマにした。
イスラムのラマダンは有名だが、
マノボ族にも断食はある。
クリスチャンにもあり、
イエス自身が40日食を絶ち山にこもっている。
仏教にも神道にも清めの儀式があるように・・・

   

ミンダナオのイスラム文化は、
アジア的で独特のものが
有ると言われている
ミンダナオのクリスチャン文化も同様だ。
   
左は、MCLの奨学生で
同時にイスラム教の司祭
オスタージュの青年
彼の祈祷は、アラビア語で
意味がわからないが
深く心に染みこんで
感動的だ。
 

左は、
ピキットのDSWDのソーシャルワーカー
自分自身の体験を交え
時には涙しながら
断食と罪の許しについて
語ってくださった

MCLに住んでいる、
アーミーが踊ってくれた。
小学校から、もう5年間も
MCLに住んでいる。
今年高校を卒業して、
大学に行く。
教育学を専攻して、
先生になる予定。
 
    
 
   
最後に、
みんなで待望の
イスラム料理を満喫した

台湾赤十字社の面々が訪れた
    
 
 
    
  
  



保育所建設調査を開始 

昨年2012年は、
3月から山岳地帯で
断続的に国軍と
新人民軍の戦闘が起こり 
この地域も、
6月、8月、12月と
戦闘が起こってきた。
イスラム地域は、
和平交渉開始の
合意ができたが、
出来なければ
全面戦争であると
言われて緊張した。
そのようなわけで、
戦闘の合間をぬって
イスラム地域で、
平和構築のために
2棟の保育所を建てた以外は
2011年の2棟を含め、
10棟あまりの保育所建設を
見送っていた。
しかし、地域によって、
まだ小規模な戦闘は
起こっているものの、
避難民化せずには
いられなかった
不幸な地域を中心に、
保育所建設を
開始することにした。
まずは、1月中に4棟、
2月から4月にかけて
4棟ほどを建設する。
そのための
候補地域を調査した。

戦闘の絶えない、マグペットの山岳部を訪ねた
 
イスラム地域の和平への交渉が、
反政府勢力と政府の間で話し合われるという
うれしいニュースが飛び交った後、
今度は山岳地の新人民軍との戦闘が
各地で起こり始めた。
すでに、去年の春から、
アポ山周辺での戦闘が起こり始めていたのだが、
去年の春、夏、秋と、散発的に戦闘が起こり
ミンダナオ子ども図書館でも、
避難民に古着をわたした。
 
 
今は、少し
穏やかになったようで
その隙間をみて、
保育所建設の調査をした。
こうした地域が、落ち込んで
平和への希望が
失せないように
そのためにも
保育所建設は有用で
地域の人々、
特に繰り返し戦闘で
避難しなければならなかった
村の人々に希望を与える。
そして、逃げた人々が
再び自分たちの村を
作っていく
希望を持てるように・・・
村の家族数は、
まだ戻ってくるのを恐れている
家族も居て、
子どもたちの総数も
じゃっかん少ないけれども、
保育所が建つことで
希望を持って帰ってこられて
増えていくことを考えれば
平和構築への意味がある。
ミンダナオ子ども図書館では、
受益者数といった
単なる数字だけで、判断して
建設をしていきたくない理由が
ここにある。
右は、新たに戻ってきて
新築した家族の家。
小さな子どもたちも居て
良かった良かった。 

  
 
   7キロの山道を歩き
ようやく目指す集落が
見えてきた。
この村に、
保育所を建てようと思う。
つい最近まで、
国軍と新人民軍の
戦闘が、後ろの山で起こり
村人たちは
避難していた場所だ
。 

遠くに見える、
ちょっと三角の山が右にある
山並みは
ミンダナオ子ども図書館の
保育所が6つと
下宿小屋のある
アラカンの山並み
キアタウ村に泊まった
訪問者の方々も多いだろう。
ラナコラン、ケロハス、ムヤス
カルボガンなど、
ミンダナオ子ども図書館の
たくさんの奨学生たちが
住んでいる。
 
  
貧しい村だけれども、
保育所はあり、先生は居る。
保育所と行っても、
村の集会所を使っている。
男の子たちは、
家族のためによく手伝う。
 

 
 
     
ボランティアで滞在中の
大野理実さんも
調査に同行
お茶の水大学の
修士課程を
一年間休学して
MCLでボランティア
こういう若者たちが
まだ日本に
居たんだと思うと
希望が出てくる

マグペットのバゴンバヤンでは、
日本政府のODAによる、小学校建設が進んでいた
 
    
麓の村では、
日本のODAによる
学校建設が進んでいた。
日本人としてうれしかったのだが、
日本の学校建設の目的は
この上の山岳部に鉱山開発を
することが背景にあると
現地であらぬ噂が立って、
二度目に読み聞かせに行った時に
村人が恐れて
逃げ出していたのには驚いた。
誤解を解くために、
信頼されているマノボ族の
ボードメンバーと牧師と一緒に
説明しに行かなければならない。
ミンダナオ子ども図書館は、
ノンガバメント、ノンレリジャスセクト
鉱山開発のために
来ているのではないと!!!



バナナプランテーションを抜けると
たくさんの規格はずれのバナナが捨てられていた 
 
地元では食べずに
これらのバナナは
豚の餌になる

拾いに居ている人が居た。
聞くと、「良く洗ってから
バナナケーキを作って売る」んだそうだ。
現地でたべないのは、
「食べると死ぬ」から。
 

保育所建設調査は続く
   
こちらは、トゥルーナンの
ビラーン族の集落への道。
この麓のニューカリダッド村から
山道を登っていく。
本来この集落のビラーン族は、
山の上の方に住んでいたのだが、
2010年あたりから、現在まで
断続的に続いている戦闘で
下のニューカリダッド村まで
避難民化した。
そこの1ヘクタールあまりの
首領の土地に、非常に貧しい形で
避難民化したまま住んでいた。
そこの村の子たちを数名奨学生にし、
二人がMCLの本部に住んで
高校へ通っている。
しかし、首領も避難している人々も、
可能であれば早く
自分たちの村に帰りたいと考えている。
山の方にも、まだ残っている家々がある。
そこに保育所を建てれば、
今はまだ少なくても
次第に元通りの村に
戻る可能性がある。
村を再建するためにも、
保育所は有用だ。

そのためにも、
まずは山の村を訪れて
現地を調査しなければならない。

  
 

下の村で親しくなった首領も、
今は、山に移り住んで
自分の村を
再建させようとしている。
近くに教会
(バプテスト)を建てて
牧師を招き、その反対側に
保育所を建てたい
というのが、計画。
そうすれば、
今以上に村人たちは
この古里に帰ってくる。
左は首領。
 

首領の奥さんと一緒に。
先住民族は伝統的に
一夫多妻で
5名ほどの奥さんと
たくさんの子どもや
孫がいる。
しかし、この地も繰り返し
国軍と新人民軍の
戦闘が続き
今も断続的に起こっている。

日本からの訪問者もいっしょに 
こちらは、アラカンの別の集落。
マノボ族だが、プランテーションもからんだ、
土地所有に追われて山の斜面に移ってきている。
この集落にも、MCLの奨学生がいる。
非常に貧しい。
私たちが初めて訪れたときには、
諸手を挙げて歓迎してくれた。
スカラシップもさることながら、
保育所建設の以来を受けた。
今回は、諏訪湖ロータリークラブの
勇敢な訪問者といっしょに訪ねた。
70代の方々だが、
よくぞここまで来られたと驚いたが、
どうやらアフリカをはじめ、
世界中の貧困地帯を精力的に
歩いている方々のようだ。
 
 
    

シンガーソングライターの
阿部 ひろ江さんが歌った!

阿部ひろえ

阿部ひろえさんに関しては上をクリック
世界で歌い続けているシンガーソングライターです!

自然に村人たちの中に
溶け込んで歌う阿部ひろえさん。
京都のエコンズヴィレッジで出会って、
泊めていただいてからのご縁。
お友達のウクレレ奏者、
西山真理さんと訪れてくださった。
マノボ族の子たちも大喜び
ギターを借りて自分たちの歌も披露して
和やかな交流が広がっていった。
歌に民族や部族、
宗教や国教がないのがいい、
まるでMCLのようだ。

 

  
諏訪ロータリークラブの溝口さん
お医者様で、
本当に精力的だ。
 
ここに保育所を
建てることに決定した



まずは友達になること
それから、何ができるか考えよう!


    
私たちの奨学生は、
大都市にも居る。
ここは、ダバオのササ。
イスラム教徒の貧民地区で、
海に張り出して木材をわたし
極貧の人々が住んでいる。
ここ出身の奨学生の一人、
アブドール君と彼の家を訪ねた。
彼は、キダパワンの本部に住んでいる。
一度自分の家に戻ったが、
家に居ると勉強が出来ないと言って
本部に戻ってきた。
とても将来が楽しみな若者だ。
この地域には、戦争を逃れて
スールー諸島から来た、
タウスグ族のイスラム教徒が多い。

  
彼には、たくさんの兄弟姉妹がいる。
阿部さんは、彼らの前で歌った。
諏訪ロータリーの方々も、
すっかり家族の一員になったようだ。
 

 訪問希望者が増えています
テレビで紹介されたせいでしょうか、
訪問希望者が増えています。
本部の建物は、以前「Mの会」で、
左にゲストハウスを増築したのですが、
今は、120名の子どもたちに占められていて、
訪問者をお泊めする場所が無く、心苦しいので。
さらに個人で増築し
奨学生たちと住んでいる離れの家を
ゲストハウスにします。
温水がわずかに出て水浴びも多少は快適です。
食事は、子どもたちと一緒ですが、
ちょっとした物はゲストハウスで料理できますし、
ここに大野さん姉妹の部屋も移転させる予定です。
もちろん子どもたちと
共同生活は変わりませんが、
リラックスできます。
そのかわり、敷地の奥に、
最後にもう一つ宿舎を建てる予定です。
私たちはそこに多くの
スカラシップの子どもたちと移ります。
福祉局からも、今のままでは
少し子どもの部屋が混みすぎている
と言うことですので・・・
どうぞ気軽にいらしてください。
MCLでは、宿泊費などは取りませんし、
自由寄付で結構ですので
支援していただけると幸いです。
滞在期間もご自由に、
活動を体験したい場合は特に、
少なくとも10日は
滞在されることをおすすめします。
家族の一員として、同じ食事をとり、
活動に参加していただければ幸いです。
特別な接待はいたしません。
若ものたちは特に歓迎します。
子どもは未来ですから、
大いにこちらの子たちと交流し、
将来を考えてください。
宿泊に関しては、サイトから、
または以下の訪問希望を
クリックして読んでください。
ダバオ空港までお迎えに行きます。
訪問希望の方は ここをクリック!
日本の暗い現状を見ても、
日本の若者たち、中高年の方々を
視野に入れて活動していきたいと考え始めています。
テレビを見て、希望がわいてきた
という方々も多くいらっしゃるようですし
ミンダナオ子ども図書館の未来への意義も、
日本やアジア、世界を視野に入れて
考えていきたいと思っています。
中高年の方々もいらしてください。
お目にかかれるのを楽しみにしています。
     

ごらんのように、海に張り出した家々
写真の家は、まだ良い方だ。
奥には、だけで壊れそうな家もたくさんある。
台風で大きな被害が出る理由だ。
 
 
ウクレレ奏者の西山真理さんも
初めてのアジアの旅だが、
心の底から楽しまれた、
「今度来るときは、
もっと長くMCLに滞在します。」
「もちどんどうぞ、
1か月は居られると良いですね。」
「ありがとう、絶対来ます」
真理さんと、デュエットで、
イスラムっぽいハワイアンを踊る
アブドゥル君
 
  

訪問者といっしょに
戦闘の絶えないマノボ族の村へ
読み語りと古着を届けた 

共同通信社の三井潔さんが、
同僚のロンロン カルンソッドさんと来られた。
ちょうど、戦闘のあったマノボの集落に、
読み聞かせと古着の支援をするところで
そこに同行された。
ロンロンさんは、その後、
JAPAN TIMESに以下の記事を書かれた。
記事へGO! 
近いうちに三井さんの記事も、
日本の新聞に掲載される予定。
前回は、ピキットの
リグアサン湿原地帯へ同行されている。
また、いろいろな戦闘の現場にも足を運び、
積極的に取材をしている三井さん。
まだ日本にも、記者魂が
残っているのだと、感じ入った次第

 
  

イスラム地域の
平和交渉がスタートしてから
今度は、山の先住民地域で
戦闘がひんぱんに起こっている。
兵士が、移動派遣されていると
言われている。

古着を喜ぶ村人たち 
 
古着に、村人たちは大喜び。
どう見ても
日系ではないか、
と言う人々も多い。
  
 
  

日本の若者も同行し
620名の奨学生
一人一人のチェックを始めた
 
 
今年度の私たちの
大きな課題の一つが
620名いる、子どもたちの
一人一人の状況チェックだ。
小学校、高校、大学と学校別のリストを作り
支援者の居ること
居ない子の調査をしつつ
特に支援者の居ない子の場合は、
1,出席率はどうか・・・学校に興味はあるか
2,小学校の場合は特に、読み書きの基本は出来るか
3,学校の成績や態度はどうか
4,家庭状況は大丈夫か
以上をチェックする。
そして、この子だったら大丈夫だという子を

支援希望者に紹介する。
MCLのスカラシップは、
極貧の集落の子の中でも
孤児や片親といったさらに
マイナスから来た子が大半だから
まずは人並みに幸せになってくれる
ことを心から最優先している。
成績優秀な子を採用して、
エリートを送り出すスカラシップではないが
行きたい子は、大学まで行ける。
先生、看護師になっている子も多い。
 
   
  一人一人に個性があり、
目標がある。
大学へ行くよりも、
小学校卒業や高校卒業で
ドレスメーキングや
運転技術を習得して
町の市場で洋裁店をしたりするほうが、
大学を出るよりも実質的で
良い場合も多いので、
子どもの個性や目標に合わせて
相談に乗ることにしている
    
  
  高校、大学生の場合は、
2ヶ月に一回の総会に集まり
そこで、高校生月500ペソ、
大学生月1000ペソの小遣いをわたす。
極貧で親の無い子の場合は、
特に授業料だけでは
学校に行けない。
諸経費を出してあげたり
大学生は下宿代も出す。
小学生年間4万円
高校生6万円が支援額だが
大学は7万だが、
10万でも足りないので、
他や自習寄付も交えて出している
ひどい話だが、
小学校低学年のころから
虐待やレイプの対象に
なっている子もけっこう居る。
特に、親が亡くなっていて、
他に引き取られたこの場合や
父親が亡くなって、
継父になっているこの場合などが多い。
こうした子たちは、
ミンダナオ子ども図書館がシェルターとなる。
もちろん、フィリピン政府から
公式に認められている。
奨学制度と同時に、
保護施設としても運用されており
福祉局から依頼されて、
住み込んでいる子も何人も居る。 
小学校は学用品を支給する。
食べられない子、
親の無い子などは
本部や下宿小屋に住んで
食事や生活費を全て
MCLでまかなっている。
住み込んでいる子が、
120名を超えている。
米だけでも一日
100キロ近くが下宿も入れて消費される。
さらに、医療はMCLで手術までみる。
今年も、140名近くの患者を治癒している。
年間医療費だけでも
140万円を優に超えている。
 
   
それでも、
村人たちや子どもたちの
幸せそうな笑顔に出会うと
この仕事、やっていて良かった
そう思わずにはいられない。
重荷も、危険に対する恐怖も
子どもたちを見ていると
吹き飛んでしまう。
子どもこそ未来だ。
財産は、銀行に持ったり
金額で計るものでは無い、
天国に蓄える物だ。
子どもの笑顔こそ天国だ、
といつも思う。
 
   
小学校を最優秀で
卒業するマノボ族の子
ここまでは、
先生方の支援できたが
高校には貧しくて行けない。
山奥の不安定な集落の出身
高校に行く話をすると、
ボロボロと涙をこぼし始めた。
後日、彼の家を
訪ねると同時に
スカラシップの候補にした。
 
  
    
  
   




新学年のバッグと学用品を届け
支援者へのお礼の絵手紙を描く子どもたち

私たちの支援している
子どもたちのいる場所が、
本当に考えられないほどの
山岳地域だったり、
湿原地域だったり

しかも奨学生は620名にのぼり、
3000メートル弱のアポ山山麓いったいから、
東南アジア最大のリグアサン湿原に及び
ようするに
富士山山麓一周地域から
霞ヶ浦一帯を想像すれば理解させる地域で、
しかも4WDのみで登れる
地域であるばかりではなく
時には戦闘が起こったり、

洪水が起こったり、
がけ崩れで道が先へ進めなかったり・・・
数名の子どもたちに学用品を届けたり、
お礼の絵手紙を描いてもらうだけで、
丸一日かかる!!!
それでも、子どもたちの笑顔を見るために、
活動を続けるスタッフたち。





6月17日
ボアイボアイの子達に学用品を届けた 
     
     
 

絵手紙を描いてもらう

日本の若者もいっしょに
サアグ集落の新しい奨学生たちに
学用品を届けた

6月14日  
マノボ族の村、サアグ。
そこまで到達するだけでも、
3時間ほどかかる
200か所ほどある
そのような場所に、
学用品を、
2ヶ月に一回届けることが
どんなに大変なことか、
文明国の人には
理解できない?
電話も電気もないので、
家族が山に
農作業に行って
家に誰もいなければ
また
たずねなければならない・・・

 
 
 
   

戦闘の耐えない山岳地、タガイタイの
殺された酋長の子達にも学用品を届けた
 
6月14日
     
     
   
時には激流を越えて
山道を歩き登って
学用品を子どもたちに届ける。
同行した訪問者いわく
「これは想像以上だ!
日本の支援者にも
体験させてあげたいものだ!」
     
   

今日は、
お母さんが遠くから帰ってきたが
いつもは子どもたちだけで
生活している。
小学生のお姉ちゃんが
ご飯を作り、
下の子の面倒を見ている
 
   
次に向かった家は、
マノボ族の酋長の家
しかし、
昨年酋長は殺されて
母親だけで生活している。
 
 
夫はマノボ族の酋長だったが、
昨年殺された。
土地の問題が原因だそうだ。
このような山奥にまで
希少金属の
鉱山開発の手が伸びている
それが、戦闘や殺害の原因だという




訪問者も同行し
昨年、保育者が突然辞めて居なくなり
荒れた保育所を再建するための調査をした 

7月1日
昨年、保育者が辞めて放置され、荒れた保育所が一つあり、
修理再建するための事情調査を行った。
保育所は、毎年状況を調査、
修理の必要な場合や、歳月がたった保育所は、
全面的に塗装修理を行いますので、丹原さん安心してください。
   
村長が選挙で代わった結果もあり、
以前の保育者(中年男性)が辞職した。
厳しすぎるという批判も集落にあった。
新村長のもとで、新たな保育者が選ばれた。
30代でがんばって高校を卒業し
保育者になる3児の母。
 
   
   
一年近いブランクの後、保育所は荒れてしまった。
イスや机もなくなったが、すべて修理し
ペンキを塗ってMCLで再生させる。
毎年保育所のチェックをしていますが、
来年は、すべての保育所を修理し
ペンキを塗りなおして再生させる予定です。
建物の支援はアフターケアが大事。
 
     
     
   


 
再び戦闘が起こり始めた!
ボランティアスタッフの栄亮君も
同行して支援開始

2013年6月11日
ミンダナオにおける、
イスラム地域の和平交渉が、
軌道に乗り始めたかに
思えたにもかかわらず、
再び戦闘が起こり始めた。
表向きは、リドーと呼ばれる
土地争いに起因する、
地域紛争と言われているが、
内実は、MILF
(モロイスラム解放戦線)と
MNLFとの勢力争い。
MILFが、アキノ政権と
和平交渉を始めたことで 
本来政府よりであった
MNLFが、立場をなくした
感じを持っていた。
それに対して、
何らかの報復行動を
起こすのではないかと、
感じていたが、
3週間ほど前から、
ピキットではなく、
もっとキダパワンよりの
ムラアンで、
戦闘が勃発、
避難民が大量に出た。
ちょうどそのとき、ぼくは、
過労とストレスに
風邪をこじらせて
一週間の入院をしていたので
スタッフは気を使って
話さなかったが、
それが、今週になって
さらに国軍を交えた
戦闘になり、
再び大量の避難民が出た。
まだ地域紛争の範囲だから、
規模こそ小さいが、
根が政治的で、
深いところから
発しているので、
今後も戦闘地域が拡大し
難民規模と地域が、
広がることが感じられる。
先日、奨学生たちと、早急に
ビニールシートと古着
そして、読み語りの
支援を行った。

今後、戦闘は、
広がる恐れもあり
今日さらに、
ピキット地域では、
追い打ちをかけるように、
洪水が発生
避難民が国道沿いに
集まり始めた。
こちらもビニールシートなどの
緊急支援をしなければ
ならないのだが、
現在、ミンダナオ
子ども図書館では、
奨学生たちの学費の支払い
新年度の学用品の届けで、
避難民救済にかける資金が
枯渇状態で、
救済活動の緊急支援を
お願いできれば幸いです!

支援申し込み
 











近年、日本でもときどき
報道されているように、
日本政府も国際停戦監視団
IMTなどを通して
マレーシアやインドネシアと
連携しつつ、
積極的にミンダナオの
反政府勢力である
MILFと接触し、
フィリピン政府と
和平交渉を進めてきたことは
しばしばウエッブサイトや
季刊誌『ミンダナオの風』
でも述べてきた。
和平交渉は、
2008年に決裂し
80万人の避難民を出した。
その後、アキノ政権下で、
再び交渉の土俵に
乗ることが決まって、
最近は、楽観的なムードが、
ミンダナオにも
広がっていたが
しばしばぼくは、
MILFと政府の交渉を、
MNLFやBIFFといった、
イスラムの別の勢力が
どのようにとらえ、
場合によっては、MILFに対し
独自の抵抗運動を
開始するのではない
という懸念を述べてきた。

 
今回の戦闘勃発は、
その懸念を拡大させた。
BIFF(バンサモロ・
イスラム自由戦士)は、
MILFの分離派であり、
MILFから圧力を
かけられた形で静かだが
軍事訓練は行っている。
今回の戦闘は、
MNLFとMILFの対立が
背景にある。
まだ、全面的な戦闘ではなく、
地域紛争(リドー)と
呼ばれるものだが、
MNLFに属する軍人たちは、
マタラム市の北方に集まり
戦闘が起こった。
(そのときぼくは、
過労とストレスに
風邪がこじれて
一週間、入院していたので、
スタッフは、あえて
報告しなかったようだが。)
その戦闘には、
ピキットの山岳地域の
MNLFの住民である
戦士たちも参加し、
戦いに向かったが、
その地域には、
ミンダナオ子ども図書館
の奨学生のいる
極貧の村々があり
奨学生の父親の一人は、
今回の戦闘による、
過労とストレスで
亡くなった。
MNLFの司令官だったが・・・






















今回は、薬による
医療支援も行った。


避難民生活は、
お年寄りと子どもたちに
特に厳しい。
ちょうど私が、
過労とストレスで
病院で唸っているときに、
何と知り合いの
MNLFの司令官で
奨学生のお父さん
(良い人だった)が亡くなり、
さらに救済を
約束していた老人が
翌日に行ってみると亡くなり、
埋葬中だったことを聞いて、
ショック!
ぼくも60歳、
それだけに
人ごととは思われない。
 
こうした避難民キャンプでは、
子どもたちも夜は、
雨が降らなければ、外の土や
コンクリートの上で寝ている。
雨が降ると、身を寄せ合って
なけなしの
シートの下で過ごす。
これでは、風邪になったり
下痢や食中毒を
起こすのは当たり前だ。
私たちは、
急きょ薬を購入して
メディカルアウトリッチ
(医療支援)を行った






写真の老人は、
今回の戦闘による避難民の一人。
度重なる戦闘による難民化で、
過労とストレスが蓄積
調査の日に撮影し、
病院に運ぶことを約束
翌日、早々に子どもたちと
救済に来てみると
この写真を撮った夜に
亡くなっていた!!!
 

翌日、すぐにビニールシートを届け
古着と読み語りと医療支援をした
ちょうど翌日は独立記念日、
祝日だったために、子どもたち、
特に高校生と大学生の奨学生たちで、
避難民救済支援をした。
今年から、ミンダナオ子ども図書館に
移り住むようになった子どもたちも、
今回、初めての体験。
イスラム教徒、先住民族、クリスチャンが
協力して救済活動を展開した。
 
 
     
最近のNGOの
動向を見ていると
和平協定の再開以後、
ほとんどのNGOが
ピキットなどの
MILF地域に比重をかけて
活動している感じが
現地では否めず、
逆に、MNLF側の
貧困地域の事が気になり
MCLでは、あえて
MNLF地域を意識して
活動しようと考えていた
矢先だっただけに
戦闘の発生と
奨学生の父親の死は
ショックだった。


それから、2週間後、
さらに規模の大きな
戦闘が、国軍を交えて発生し
現在も続いている。
MCLでは、
すぐにビニールシートを
持っていき、
古着の支援もし、
薬による医療支援もしたが、
奥地までは、戦闘が頻発して
入れない状況になっている。


さらに戦闘は、
広がる恐れもあり、
避難民救済に
走らなければならない
可能性が高いのですが、
現在、MCLでは、
奨学生たちの新年度の
学費支払いで
資金が枯渇の状態で
(平和構築も意識して
反政府地域の集落などから
意識的に多くの奨学生を
採用したため
まだ、200名以上が、
支援者無しの状態。
自由寄付を
充てていたために、
資金が枯渇。)


避難民救済にかける
資金が無く
今後、戦闘は
拡大の方向に走るか、
縮小に向かうかは
予期できないのですが、
同時に、洪水による
避難民も発生しており
緊急支援を
お願いできれば幸いです。






今後戦闘は、ピキットの背後、
カルメンから
ブキッドノンにいたる
イスラム教徒、先住民族の
混合している
地域に拡大するという話だ。
日本政府が、
ダム建設を計画している
地域でもある
   
 
 
   
 
 
   

古着支援をした 
   
訪問者の若者たちも、
子どもたちと手伝って。
     
     
     
   
 
     
   
   

子どもたちへの読み語り 
    
   
   
   
このさらに奥で、
両親が殺され
自分も腹部を撃たれていた
奨学生の若者も
イスラムの子どもたちに
読み聞かせをした。

 
   

沈んだ、避難民キャンプに
笑顔が戻ってくる



訪問者と一緒に
父親が居ない子たちの調査 


  
父親が殺され、
プランテーションのはずれで、
母親と祖母と共に、
極貧の生活を送っている。
家ともいえないような狭いところに、
5人ほどで寝泊まりしている。
 
     

調査をし、奨学生に採用した。
まだ、支援者が
見つかっていない子たちが
200名以上も居るのに。
でも、見てしまったからには
放っておけない。
とりあえず、
自分の私費をつぎ込んで、
この場をしのいで
いくしかなさそうだ。



 前田さん夫妻が、
お友達を連れて再訪!

9日間、前後2日を日本との移動日に充てて、
正味週間滞在された
前田夫妻と5人の友人たち
ほぼ50代から60代の面々の動向を追い、
MCLとミンダナオの山岳地域、
マノボ族の村などで
何を体験されたのかを追ってみたい。
 
ごめんなさい、あまりにも活動が次々起こり、
サイトに載せる暇もなく、
さらに体調を崩して、
写真を掲載するだけでやっとでした。
    
     
     
     
   
 
前田さん寄贈の保育所・開所式 
 
 
開所式は、
マノボ族の伝統に
則って行われた
祈りを捧げるときに、
白いニワトリを生け贄として
神々に捧げる
     
     
   
 
この地は、世界大戦の時に、
日本軍と米国軍が、
決戦を交えた場所。
しらなかったのだが、
この村の首長が語ってくれた。
そして、まだ若い40代ぐらいの
このマノボ族の首長は、
自分の父親は、
この地域の首長のなかでも最高位で、
日本軍とも親しかったことをかたり、
そっと、なんと、
ももたろうの歌を歌ってくれた。
父親からならったそうだが・・・
この地域には、
多くの日系人がいることは確か。
さらに向こうの
アポ山に近い山岳地域では
新人民軍との戦闘が
絶えず起こっていて、
資源開発、プランテーション開発の
諍いが繰り返されている。
貧しい地域だけに、ここに足場を作り
さらに山岳地域へと
活動を広げていく拠点にしようと思っている。

   
     

さらに奥の極貧の村に古着を配った 
   

読み語りもした 
 
 
 
 

キアタウ村に泊まり
子どもたちと伝統的な遊びをした 
身障者カヌーの吉田義郎さんも参加 
 
     
     
     
    
   
     
 
     
  
   
 
   
   
     

その夜は、子どもたちと民家に泊まった 
     
   
   

早朝のキアタウ村 
     
   
 
 
   

ゴムの木の植林地を見た 
   
     
   

ダバオ市のイスラム貧困地域で古着を渡す 
    
     
    
     
     
     
     
     

また必ず、帰ってくるからね!
     
     
   




ワクワクのチカチカ 妖怪たちの噂話
 
     
     
     
     
     
     
    
   



 奨学生候補の子の調査に
訪問者の栄亮くんも同行

 
さまざまな所から口コミで
時には、父親が殺害され
困窮している子の
話が入ってくる。
時には、
アビューズだったり・・・
放置だったり・・・
そのまま、放っておくことが
出来ないので
家庭調査を始める。
車が入れないので
徒歩で向かう事も多い。

支援者見つかっていない
子も多いのに
さらに子どもを受け入れて
まだ見つかっていなくても
学校に行かせてあげる。
時には、MCLに
住むこともある。
支援者の無い子は
自由寄付を充てているが
採用してから、
ため息がいつも出る
「経済的に大変なのに
また背負い込んだな」
   
 
 


佐藤栄亮くんも
支援してくれた


 
学校法人 雪見ヶ丘学園
  井上幼稚園の 
  園長・松尾琢二先生と竹田先生が
来られた


日本での講演会にうかがって知り合った、
愛知の井上幼稚園の園長・松尾先生と
竹田先生がMCLを訪れられた。
ちょうどマノボ族の村に、
ゴムの木の植林をする日だったので、
子どもたちと一緒に参加された。
その後、アラカンの電気のない、
キアタウ村に行き宿泊。
夏休みだったので、村の子どもたちに
読み語りをし、伝統的な遊びをされた。
井上幼稚園に関するサイトへ
サイトを見ればわかるように、
子どもたちが自然を感じ、神を通して
妖精たちと生きるようにさせてあげている
幼稚園なので、絶好の機会となった・・・?
お忙しい中、4泊5日の
短い日程だったにもかかわらず
あっという間に、
現地の子どもたちの中にとけこんでいった。
幼稚園の先生方が、
自然の中で生きていた時代の
子どもの自然な本来の姿に
ふれるには、MCLに来られて
電気もない山々の村などで過ごされて、
子どもたちと素朴な遊び、
伝統的な遊びであそんだり
一緒に川で洗濯をしたり泳いだり、
薪で料理を作ったり
竹の家で、現地の家族と食事を
共にしたりする体験が貴重かもしれない。



ミンダナオ子ども図書館の子どもたちと
ゴムの木を荷台に載せた 

食事も子どもたちと薪で料理し、一緒に食べる 
   
井上幼稚園は、自然体験を大切に
子育てを考えていらっしゃるので
さすがに先生も、こうした場所で
あっという間に適応される。
現場で子どもたちと接していらっしゃるだけに
子どもへの観察力や適応力が異なっていて
私たちの方が教えられた面も多かった。
「朝の5時には起きて、自分で食事を作ったり、
庭からトイレの掃除もしたり。
洗濯も遊びも、本当に自立している。」
またいつでもいらしてください。
子どもたちと歓迎いたします。


 園長先生からいただいたメール
先日は一週間にわたり、
お世話にりありがとうございました
大切な時間の中、
支援先の村々への訪問まで帯同
させていただき、私たちにとって
何事にも変えることができない
大きな恵みを受けることが出来ました。
子どもたちとの時間は

今日本で関わっている子どもたちの
本来持っている力を
再確認する時間となりました.
と同時に豊かさの中で
鈍くなってしまった子どもたちの感性や
力強く生きようとする
力の弱さを現実の問題として
突きつけられたようにも感じております。
現地に行かなくては
知ることが出来ないことを
ミンダナオ子ども図書館
のお働きも併せて具汰的に
知ることが出来ましたこと、
子どもたちへ保護者へ
どのように伝えるかが私たちの今の宿題です。

園長先生もいっしょに、子どもたちと
マノボの村
サアグで植林をした
 

伐採の跡地に広がっていく、
バナナプランテーション
ほとんど日本に、
そして最近は中国に輸出されていく

山麓の肥えた土地は
とんど移民系クリスチャン
ビサヤ、セブ、
イロカノ、ルソンから
移民してきた人々の
所有となってしまい
その中の丘だけが、
マノボ族の首長の土地
プランテーションは
麓にまで迫っている。
ここを守るためにも、
現金収入の生じる
ゴムの木の植林は効果的だ。
首長の強い願いもあり
4ヘクタールをここに植えた。

本来はジャングルだった場所が、
ほとんど伐採されている。
大量の材木が、
日本に輸出されていった。
その結果、土地に保水力が無くなり、
鉄砲水が起こっては土砂崩れを併発
下流のイスラム地域は、毎年洪水に襲われている。

今回の寄贈者の方々
1.山田 穂積さま 2.久岡 喜美子さま 3.内海 公子さま 4.箱田 昌平・貴代子さま
現地の子どもたち、家族たちに代わって、ここで心から感謝いたします!
彼らが、自分たちの収入を自分たちの手で確保し
子どもたちを学校に行かせることが出来る日が、8年後には来るでしょう。
 
   

北原さんは、当時札幌こどものとも社で
私が、北海道でアイヌ文化を探求し、
執筆していた頃からの長いおつき合い。
すでに高齢にもかかわらず、足もお悪いのに、
何と娘さんの手に引かれて
ミンダナオまで来られ
山岳地で出た難民の人々に、
衣料支援をした。
娘さんは、四国の
高松シオン教会
の牧師婦人。
井上幼稚園での講演会を
設定してくださったのは
福音館書店の
月刊絵本を販売している
愛知こどものとも社
北原さん。
ちなみに 福音館書店は、
私の祖父が始め
父が絵本児童書部門中心に
会社を立ち上げ、
松居直は、
86歳の今も活動している。
私は、思いかけない離婚後、
日本の事を
考えるのも嫌になり
ミンダナオに移り住み
現在まで、ミンダナオの
子どもたちのために
生きてきたのだが、
昨年あたりから、
日本の子どもたちの現状、
自殺やいじめ、
引きこもりや交遊が無く
競争原理と個人主義に
毒されて
家庭も心も根本的に
崩壊している様子に
至る所で接して以来、
放っておけず
(国家まで、
アジアの中で引きこもり?)
再び絵本の出版や
児童心理、子どもや親の
心の自立も視野に入れて、
活動することに決心。
未来を担うのは
いつも子どもや若者たち!
幼稚園・保育園関係の皆さま
今後は、かつてのように
講演会を受けますので
楽しみにしていてください。
9月には、絶版になっていた
「わたしの絵本体験」
「昔話と心の自立」
「昔話の死と誕生」も
教文館から再版し
13年間離れていた
絵本、児童書、一般著作の
執筆も開始していく予定です
上は、松尾園長先生、左上は竹田先生、
上右はMCLの奨学生
左のボランティアスタッフの
大野理実さんも一緒に。
理実さんは、お茶の水女子大の修士を
一年休学して参加している。
もうじき 横浜市立大学 
国際総合科学部の若者(女性)も
休学して8ヶ月滞在する予定。
ボランティアの若者たちの
働きは、すばらしい!
短期訪問者とはまた異なって、
深く理解し先の人生に生かしていく。
こうした点を鑑みて、長期ボランティア
受け入れを考えたいと思い始めた。

 

先生方は、
マノボ族のキアタウ村で
子どもたちと過ごした

   

小さな竹の家で
素朴な家庭料理を食べて
子どもたちや家族と
一夜を過ごす
 

翌日、読み語りをし、
最後に「おおきなかぶ」を演じた

おもしろいことに、
言葉が通じなくても
なぜか、心が通じていく・・・
 
 
     

絵本「おおきなかぶ」を
一緒に演じた 
 
 

その後、
子どもたちと楽しく遊ぶ 
 
さすがに子どもとの
遊びが上手?
いいえ、
子どもたちが先生の
相手をしてくれて
いるのです???

言葉が、それほど
通じていないはずなのに
完全にとけ込んでいる
大事なのは
言葉の意味よりも
言葉に込められた心
 
     
 
竹田先生の逆立ちに
刺激されて
次々に逆立ち

    
  ミンダナオ子ども図書館の
子どもたちも
学校から帰ってくると
本当によく遊ぶ。
かつて僕も子どもの頃に遊んだ
「はないちもんめ」や
「はんかちおとし」
竹馬やゴム草履で、
野球もする。
庭のグワバの木や、
マンゴスティンの木に
登って実をとってくれたり。
僕も小学校が明星学園で
5,6年の担任が
無着成恭せんせいだった。
何しろ、4年生まで、
試験が無く通信簿が無く、
家で勉強しなくて良かった!
とにかく夕暮れ時まで、
自然の中で
カエルやザリガニを
追いかけて
友人たちと徒党を組んで
遊び回った。
ミンダナオの特に
山の村に来ると、そんな
自分の少年時代を
思い出す光景に
たくさん出会う。

 


園長・竹田のミンダナオ滞在記
~ミンダナオで見て・聞いて・感じた5日間~

  
昨年度、フィリピンのミンダナオにある
「ミンダナオ子ども図書館」(以下MCL)の松居さんが
幼稚園に講演をしに訪れてくれました。
その際「いつでも来てください。」
というお言葉をいただき、
春休みの5日間を使って
園長・竹田でミンダナオへ行ってきました。
滞在は短い期間でしたが
様々な経験をさせていただき、
たくさんのことを感じ、
考えさせられる時間となりました。
井上幼稚園が支援しているお友だち
アンジェリカちゃん
ミンダナオ子ども図書館のスタッフである
兄弟と一緒に敷地内に居住。
8人兄弟。母子家庭。
私たちが訪問することを
とても楽しみにしていたが、
恥ずかしくて声をかけれなかったとのこと。
話しかけると照れながら、
受け答えしてくれました。
お兄さんはとてもハンサムな方で、
お礼にと体をマッサージしてくださいました。
感謝を伝えること。
自分で出来ることを心を込めて行うことだ
ということを教えて下さいました。
アレア・カイちゃん
ミンダナオ図書館のあるキダパワン市内の
貧困している町に
お母さんと二人で住んでいます。
およそ2畳ほどの部屋を
間借りして住んでいますが、
家主から3月いっぱいで
退去してほしいと言われてしまいました。
しかし、小学校の先生が手を差し伸べてくれ、
先生の家に住むことに。
お母さんが先生の家の洗濯を
担うことで生活をしています。
きれいな目の女の子。
困難にある中でも穏やかな表情をしていた、
お母さんが印象的でした.

ミンダナオでの4泊5日の滞在記録です。
1日目        
 名古屋国際空港を飛び立ち
4時間でフィリピンのマニラに到着。
マニラにてダバオ行の飛行機に乗り換えました。
警備員のお姉さんに
ものすごい形相で睨まれたり、
パスポートを投げ返されたり、
飛行機の搭乗口の人が隠れて
トウモロコシを食べていたりと、
早速文化の違いを感じました。(笑)
そこからさらに2時間半飛行機に乗り、
現地時刻18時過ぎにダバオへ到着。
 空港へ松居さんが迎えに来てくれました。
竹「MCLまでどのくらいなんですかね?」
園「1時間ぐらいでしょ」と松居さんが来るまで
話していた2人。
車に乗り込みどれくらいかかるか聞くと
園・竹「3時間!!?」と驚いてしまいました。
そこから車に揺られること3時間。
(信号がほとんどなく、
また道路の状態もあまりよくない中、
結構スピードを出すので
まるでジェットコースターのようでした。)
工事渋滞などもあり、
MCLのあるキダパワンに着いたのは
21時半でした。
そこで少し遅い夕食。
道に並ぶ屋台で食べたのですが、
味付けが日本によく似ていて
とってもおいしくいただきました。
(ウィンナーの炭火焼き、角煮みたいなもの、
鳥の内臓の煮込みみたいなのなど)
お腹もいっぱいになり、
MCLに着くとすぐさま眠りにつく2人でした。

2日目(朝~昼)
シュ!シュ!という物音に気づき
目を覚ましました。
外に目をやるとやっと日が登ったくらい。
時間は5時半でした。
何の音か確かめに行くと
子どもたちがほうきやココナツの皮で
床や建物の周りを掃除する音でした。
また台所では朝食作りをしていたり、
他にも草刈り、洗濯、トイレ掃除など
子どもたちが早くから
家事に取り組んでいました。
しかし驚かされたのは、
こうしたことをやらされているのではなく
子どもたちが自主的に
進んで組んでいるということ。
(しかもみんな楽しそう)
そしてこの日はゴムの樹を
植樹しに行くということで
トラックに500本積み込みました。
朝からヘトヘトです…。
そして朝食を済ませ、
植樹&里帰りに同行させていただきました。
(フィリピンは3月から6月までが夏休み)
車でいろいろな村を周り
子どもを送り届けます。
ピックアップワゴンに子どもも含め
12人程乗っています。
もちろん道は舗装など
されていない道がほとんどです。
5時間かけて子どもを送り届け、植樹をする村へ。
トラックから大量のゴムの樹を降ろして、
山の頂上まで運びました。
多少体力に自信のあった園長・竹田ですが、
二人ともばてている中、
「Are you OK?」と笑いながら
登っていく子どもたちでした。
そして区切りがつくとその村で昼食。
昼食後、松居さんは
支援する子どもを選ぶため面談。
そして私たちは追いかけっこや
地元の遊びで子どもと遊んで過ごしました。

2日目(昼~夜)
植樹をした村を後にして
ひたすら山道を3時間。
再び車に揺られ、
この日泊まらせていただくマノボ族の村に到着。
電気も水道もない村で
トイレは男性の場合
「そこらへんでして」という感じです。
この日は園長・竹田それぞれ別の
一般のお宅にMCLの
現地スタッフ(ジョジョさん、タタさん)と
泊めてもらうことに。
英語があまり話せない私たちにも
積極的に話しかけ、
明るく振舞ってくれる姿に
心が温かくなりました。
晩御飯は魚の開き、魚のスープ、
鶏肉の焼いたものを頂きました。
後で聞いたことなのですが、
これだけのメニューはこの村では
かなりのごちそうで
一年に一回あるかないか、
という程のおもてなしだったそうです。
そして夜はふけ、
ココナツワインまでごちそうになり、
なんとかの英語で話は盛り上がりました。
ミンダナオには
そこらじゅうに犬がいるのですが、
扱いがネズミ程で、
家に入って来ようものなら
ほうきで叩かれてしまいます。
それを見て、
竹「日本では犬は家の中で飼ってるんだよ」
ジョ「なかで!?ご飯はどうするの?
自分のを分けてあげるのかい?」
竹「そうだよ、一緒に食べるんだよ。」
ジョ「外には出ないの?」
竹「首にひもをつけて外に出るんだよ、牛みたいに。」
ジョ「おぉ~(信じられないといった様子)」
また恋の話は万国共通で盛り上がるようで、
タ「フィリピンの女性は好き?」
竹「もちろん!とってもやさしいよね。」
タ「そうなんだよ!優しくて、笑顔がすてきで、
一生懸命家族のために働いてくれる。
ガールフレンドはこっちでつくりなよ」
ジョ「でも私は日本の女性が好きです」
竹「日本の女性も優しくて可愛らしいよ、
でもすごく強い!(精神的な意味でと言いたかった…)」
ジョ「おぉ!カラテ!?日本人は女性も空手をするの?」
竹「(まぁいっか)もちろん!みんなやるよ!」
みんなで笑いながらそんな会話が続いていたが、
ふと外に目をやると蛍が数匹光っていました。
それを見て、
竹「すごくきれいだね。」
タ「日本にはいないの?」
竹「いるけど探すのはすごく難しいよ。」
タ「なんで?」
竹「蛍はきれいな森や川でしか生きられないんだよ」
タ「日本にはきれいな自然はないの?」
と、とても驚かれました。
この日は満月だったのですが、
月のない日には
星と見間違える程の蛍が光るそうです。
他にも様々なことを話しましたが、
言葉がいまいち理解できなかったことも多々ありました。
それは相手も同じことでしょう。
それでも言葉はちゃんと通じなくとも
心がぐっと近づくことのできる時間となりました。
そしてこの日はスタッフと
お家の家族と川の字になって就寝。
別々の家に泊まると聞いた時の
不安が嘘かのように、
もっとこの時間が続いて欲しい
という気持ちを胸にしまい寝袋に入りました。

3日目
朝、起きて家の外に出てボ~と景色を見てると、
タタさんがコーヒーを持ってきてくれました。
竹「見渡す限りきれいな緑と山ですごく美しい景色だ。」と言うと、
タ「私たちはいつもこんな景色を見ているが
何度見てもやっぱり美しいと思う。」
と話してくれました。
たくさんの関わりの中で、
ミンダナオの人たちは普段身近に存在しているものに対しても、
あることが当たり前と思わず、
感謝の気持ち、尊重する気持ちをしっかりと
心の中に宿していることを感じました。
こうした気持ちの欠如は
現代社会における人間の問題点の一つですはないでしょうか。
物の豊かさが必ずしも幸せに
直結しないことを痛感した瞬間でした。
そしてお昼からは村の子どもたちに
絵本の読み聞かせをしました。
園長・竹田も一冊ずつ読ませてもらいました。
そして、昼過ぎに村を出てMCLへ。
「MCLへ直行なので3時間ぐらいでつきます」という説明に
「3時間か~近いな。」とここ2~3日で
完璧に時間の感覚がずれてます。
そしてMCLへ着くと
夜には子ども達が歓迎&送迎会を開いてくれました!!


4日目
この日はお昼まで
MCLの中で子どもたちと過ごしました。
MCLにはゴムの樹、ココナツ・バナナの木、
名もわからない草や木が生い茂る
緑豊かな敷地があり、
その中を子どもたちが説明しながら歩き、
草花を使ってあそびました。
またお昼からは支援している
アレア・カイちゃんの村を訪れたり、
市場にも連れて行ってもらいました。
アレア・カイちゃんの住む村も
貧しい人が大勢暮らし、
4帖ほどのうす暗い部屋に
一家全員が住んでいる家があるかと思うと、
すぐ隣には2階建て、庭付きの豪邸で
昼から外でカラオケをする家もあり、
格差の大きさを
一目で把握することができました。
市場では、いろいろな現地の
フルーツを食べさせてもらったり、
「ハロハロ」もごちそうになりました。
「日本にもハロハロがあるの!?」と
前夜話をしたところでした。
そして夕方には、空港のあるダバオへ向かうため、
MCLをあとにしました。
別れ際に子どもたちが
「また来ることを願っているよ」と声をかけてくれました。
必ずまた来たい!と思える出会いと
経験の数々でした
ダバオまでの車の中で松居さんは
「ミンダナオに来れば世界が見えてくる」と
話してくださいました。
実際に様々な村を回ったり話を聞く中で、
資本主義による一方的な産業、
宗教問題、格差問題、森林伐採、
教育格差、政治など世界各地で起きている、
様々な問題をミンダナオも
抱えられていることを感じることができました。
しかしそうした現状の中でも、
人々は常に前を向き、笑顔を絶やさず、
家族のために働いて
生活をしている姿が見られました。
豊か=幸せという価値観を
本質から考えなおさせられるような経験の数々でした。

5日目 
朝7時にダバオ空港に着き
夜7時に名古屋空港に着く移動の1日でした。
園「戻ってからの生活が物足りなく感じるかもね」
という程、私たちにとって刺激的な、
そして考えさせられる経験となりました。


 「Do you hava Dream?」歓迎会を開いてくれた時に、
子どもたちに対して訪ねた質問です。
その返事は迷うこと無く全員が
「YES!!!!」。
目を輝かせ、
絶対的な将来への希望がその一言に
溢れていました。
またゴムの木の植樹の際、
現地に向かうピックアップの荷台の上で
隣にいた女の子が
歌っていた歌の歌詞
♪I hava a Dream. Ibelive me.♪
希望を持つことの意味を
このミンダナオで教えられました.
ミンダナオ子ども図書館の支援は
就学、医療、農業、貧困など
様々な支援を展開していおられます。
様々な宗教をバックボーンに持つ
子どもたちですが、
それぞれに絶対的な存在に支えられて
いることに加えて、家族の一員として
金銭的、物質的なミンダナオ子ども図書館の
支援を得ることは
困難な家庭の状況の中にあっても、
夢や希望を具体的な目標として
歩む大きな力となっています。
「わたしはせんせいになりたい!」
[わたしはかんごしになりたい!」
全員の夢を聞くことは出来ませんでしたが、
子どもたちの持つ希望や夢を、
自分のことがごとく願わざるをえません。
「Yes!!」という全員の声が
今でも頭の中で鮮明に響いています。
「教育は無限大に可能性を広げるもの」
改めてその事を実感したミンダナオ訪問でした。

遊び
子どもたちと色々な遊びを楽しみました。
自然の中でかけまわり、
鬼ごっこなどゲームの要素がある
集団遊びをし、山の子どもたちとは、
木の実を採ったり家畜の鶏を追いかけ回したり、、、、。
遊びながらふと思い出したのが、
幼稚園の子どもたちと遊ぶ中で時々聞かれる言葉、
「どうやって遊ぶの?」でした。
本来子どもは遊ぶことに
バリアフリーで無くてはならない存在だと思います。
しかし、日本の子どもたちが過ごす環境は
「遊び方」なる押しつけが
往々にして子どもたちの自由な発想を
阻害しているように感じます。
言い換えれば「情報」が、多すぎるのだと思います。
目で見たことを、耳で聞いたことを、鼻で臭ったことを、
手で触ったことをダイレクトに
遊びに展開することが出来るミンダナオの子どもたち。
子どもが本来持つ潜在的な力を、
否が応でも発揮できる環境がうらやましく感じました。
その反面、
ミンダナオの子どもたちにとって遊びを広げ、
視野を広げる為の道具や
遊具の不足はとても深刻です。
教育を受けることが出来ない
貧困の中にある子どもたちにとって、
そしてその親にとって
遊びを豊かに展開することの大切さを、
ひとつの価値として持つことができたら
いいなあと感じています。
松居さんが絵本やストーリテリングを
支援の一番の柱とする意味が少しわかった

最後に
ミンダナオ子ども図書館への訪問は、
井上幼稚園の子どもたちの今、
そしてこれからの将来を
客観的に感じることが出来た経験となりました.
豊かさとは何か?
日本が抱えている様々な問題の原因となるものは、
よくよく考えると
その「豊かさ」が原因となっていることも少なくありません。
環境問題、原発問題、
子どもたちの教育の問題、健康の問題など。
様々な情報が氾濫し、
便利で物質的にも豊かと感じている環境に疑問を持ち、
少なくとも子ども時代は、
目で、耳で、口で、鼻で、手でそして心で感じることを
生活の基盤としていくことが大切であると、
ミンダナオの子どもたちとの触れ合いから
改めて感じることが出来ました。
そして豊かさの方向性を変える教育を
幼稚園から展開することが
自分自身の大きな役割だと感じています。
ミンダナオ子どもと図書館の働きが
隅々にまで展開されることを祈っています。
何年か後、また訪問します。絶対
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



訪問者も交えて
クリスチャンデーの文化祭
 
    
     
    
   
     

イエスの受難について 
  
 
 
 
 


 

弟子の足を洗い、
愛と受難を伝える
最後の晩餐
 
   
 
  

十字架に向かうために
立ち上がった瞬間
強風が起こった!
 
   
 
  
 


丹原美穂さま寄贈の
ダトゥ・インダの保育所補修が完了した 
   
 マノボの集落
プロック8の保育所が完成
諏訪ロータリーの方々と
開所式に!
 
この集落は、
周囲を移民の人々に土地をとられ
先住民族は、
狭い斜面に住まざるを得なくなっている。

自給地もないために
周囲の田んぼの雑草を
刈ったりして
日銭を稼いで生活しており
子どものための
弁当も作れず
MCLで米を支給している。
 

開所式の準備のために、
子どもたちが保育所のいすを運んだ。 
    

いよいよ、開所式の読み語りに、
MCLの子どもたちが出発
 
  
  
諏訪湖ロータリークラブの
方々も乗り込んで,出発!
まずは読み語りと歌から、
開所式が始まる。
マノボ族の村だから、
マノボの子たちが中心になるが、
必ずイスラム、クリスチャンの子たちの歌と
読み語りを入れていく。
宗教を前面に出し、違いを敬意を持って受け入れ、
互いに友情を結ぶことは、
21世紀の最大の課題だとMCLは考えている。
子どもの文化の中に、絵本にも、
様々な異なった文化や宗教表現を、
どんどん入れていく時代が始まっていると思うのだが・・・
もっと先住民の宗教の絵本、イスラムの絵本、
仏教の絵本、神道の絵本、カトリックやプロテスタントの宗教観
などを描いた絵本が、どんどん出ると
今後の平和を創り出す運動に貢献するだろう。

読み語りの後に、開所式が・・・ 

ミンダナオでは、
会合はすべて
祈りから始まる
  

まわりは水田に
囲まれているが
彼らの土地は無い。
元々は彼らの
居住地だったのだが・・
  



丹羽正吉さん、お母さん、
山下直子さん、そして池田愉香さん

マノボの村に古着を配った 

丹羽正吉さんは、
体が生まれつき不自由だが
何度もケニアに行き
貧しい人々の
支援をしている。
今回、お母様と
山下直子さんとご一緒に
ミンダナオ子ども図書館
を訪問し
マノボの集落を訪ねた。
どんな印象を
もたれたのだろう・・・
 
 
   
 

電気の無いマノボの村
キアタウにも泊まった 
    
  
 
電気も無いマノボ族の村
キアタウで一泊したことは
生涯忘れられない
思い出になった。
子どもたちにも
良い体験として
心に残ることだろう



MCLの日常
訪問者もいっしょに
 

ザンボアンガでは戦争が起こり、
ピキットでも季刊誌で述べた懸念が
現実のものとなりつつあり、
MILF分離派のBIFFとMNLFが組んで
国軍との戦闘が散発的に起こっている。
しかし、MCLのなかでは、
クリスチャンもムスリムも本当に仲が良く
ミンダナオが、世界が、
MCLのようになれば良いのにとつくづく思う。
 
    
  
訪問者もいっしょに
子どもたちと遊ぶ
 


マノボの祈りの家が
高島ご夫妻の支援で完成 

大勢の首長たちが、
開所式に参加してくださった。
今後、MCLを中心に、
マノボ文化の保存育成活動が
広範囲に展開されていくだろう。
  


MCLの訪問者たち 
  

教文館の編集者
倉澤さんご夫婦も訪れてくださった
左は、上智大学関西
ソフィア会の笠原さん
二度目の訪問だ。

支援者の高橋くん
(私の高校時代の友人)に会えて
大喜びの奨学生
子どもたちにとって、
自分を学校に行かせて
くれている支援者は
第2のお父さん、お母さんのような存在だ
  
 

支援者の方も一緒に、保育所建設 

支援者に会えて大喜びの奨学生 
 
ブアラン小学校で
支援している子に出会った。
戦闘が絶えない
不安定な時期だったが
福祉局とも連絡を
万全に取り
学校を訪問。


普通では、
とても入れないニューバレンシア
クリスチャンとムスリムが
対立してきた村だが、
MCLの努力で今は友情が・・・
その村のイスラムの子を
支援してくださっている磯綾子さん
本当に偶然だったが、
ここまで入れたのは
神様アッラーのお導きだろうか。

ブアランで両親が居ない子を先生が・・・ 
 
両親がいず、最近叔母とこの地に来たが
孤独と戦闘の毎日に泣き出した・・・
再訪して、早期にスカラシップ奨学生として採用し
MCLに引き取ろうと思う。本人も希望。
追伸:その次の週に、
この子の調査をしようとしたが、
すでに戦闘が激しく
現地に入ることは出来なかった。
   
この子も、父が居ず
母親だけで困窮している
成績は良いのだが
母だけでは、小学校を
卒業させることだけでも
難しそうだ




日本の若者たちも一緒に
保育所調査を継続 

10月は、保育所を支援された方々に、
保育所の現状と写真をお送りする月だ。
たった一つの保育所を調査し、
写真を撮るだけでまる一日かかる。
ボランティアスタッフの杉菜さんと
史子さんが同行したが、もうビックリ。
こんな山奥にMCLは、保育所を作っているんだ。
現在MCLでは、
54の保育所を完成させています。
来年は、ペンキを塗り修復を開始します。
 
 

アポックアポック村の
保育所は元気だった 


聖マーガレット幼稚園
の皆さん
ありがとう!!!
  
 
来年、
何とか予算を計上して
土台をピンクに、
屋根を緑に塗る予定。
先生もしっかりしている。
ここから学校には
通えないほど遠いので
小学校になると、
村の中心へ下宿する。
マノボ族の村。


保育所の後ろが
大きな地滑りが起きていた。
予期していなかった場所に、
大きな地滑り。
これは、山岳地域の大きな問題。
森林の伐採が原因。
 

村人たちと相談し、
植林をすることに決定。
斜面は、竹を植え、
平坦地にはゴムの木を植える。
このような急斜面には、竹が一番良い。
植林支援を復旧に当てていきます。
村人たちと、
昼ご飯を支援金の中から出して、
労働費としていきます。
植林は、あらゆるところで行っています。
  

長期ボランティアの史子さん


 



 
オモチャが無くても
子どもたちの
遊ぶ力はすばらしい


ボランティアスタッフの
杉菜さん。
民希さんが、半年帰国し
大学を卒業してから
また帰ってくるまで
杉菜さんと史子さんが
中心になって
支援者の対応を
行いますので
よろしくお願いします。

日本の若者たちが、
この村に終日滞在できるように
したいと思う。
キアタウのように。
 
キアタウ村で
5泊した若者たち

日本の若者たちの未来を考えて、
MCLで若者の滞在できる
企画を立てることを始めた。
MCL内だけでは、
滞在可能人数も限られるし、
それよりもっと現地の人々のなかに!
コミュニティーのなかに!
本当の出会いと生活とを
体験させてあげたい!
今までは、現地の子どもたちの事だけを
考えてやってきたが
閉塞的な世界に
引きこもっているかのような
日本の若者たちが、
世界を知り、体験し、
喜びと希望を持って一歩踏み出せるような
そんな場を、現地の子どもや人々と
作っていく必要があると思う。
特に、フィリピンは隣国だ。
隣の人を自分のように愛せずに、
どうして世界で生きて行けよう!
 

同志社大学 経済学部 2年

この度は学生団体Novel Standardの
活動に協力してくださいまして
ありがとうございます。
個人として日本にいては体験できない、
また海外に旅行するだけでは
体験することができない
素晴らしい体験をすることができました。
これは人生の宝物となりました。
キアタウの方と信頼関係を
築いてこられたMCLの努力に
感謝の気持ちでいっぱいです。
子どもたちの笑顔を
たくさん見ることができとても幸せでした。
子どもたちに
ここに帰ってくると約束して
と言われる前から
帰ってこないといけないな
と思い、義務ではなく
自分が会いにいきたいと
思わせてくれる人に出会えました。
これもMCLが
僕たちの間に入ってくださったからだと思います。
本当にありがとうございます。
最後になりましたが、
キダパワンの案内をしてくださった松居友様、
フィリピンでの活動を
サポートしてくださったスタッフの皆さま、
そして子どもたちに感謝申し上げます。
ありがとうございました。

 
    
 
電気も無いマノボ族の村キアタウ
そこの村の普通の家で、
家族と一緒に生活する体験。
必ずスタッフが一人つくものの、
一人一軒、貴重な体験だ。
    

   

同志社大学 商学部 2

日本へ帰国して
まだ1週間も経っていませんが、
既にまたフィリピンへ赴き、
MCLの子ども達や、
キアタウの人々と
再開したいという気持ちでいっぱいです。
自然や子どもが好きな
僕にとって、ここでの生活は、
とても印象的で
有意義なものとなりました。
僕にとって今回が
初渡航ということもあり、
文化や言語の違い、
治安等の面で相当な
不安を抱えていました。
しかし、MCLさんの協力により
抱えてい た不安が解消され、
日本では決して
体験することが出来ないような
貴重な体験をすることが出来ました。
また、その体験を通じて
様々な人々と交流する ことができ、
それが僕にとって
今回一番の大きな財産となりました。
一週間という短い間でしたが、
親切にサポートして頂き
ありがとうございました。


   

誕生日の夜明け前のハラナ(祝福) 
    


関西大学 商学部 2年

約1週間、MCLには大変お世話になり、
非常に貴重な体験をさせて頂きました。
MCLには3度目の訪問となりましたが、
今回は初めてキアタウに行き、
それも5泊させて頂きました。
数か月ほど前から松居さんと
直接メールで打ち合わせをさせて頂き、
キアタウでのゴムの植林、
ケロハスでの古着の配布、
と様々な活動をすることができました。
3度目の訪問となったMCLでは、
子どもたちに再び会うことができ幸せでした。
初のキアタウでは、夜は予想以上に冷えますが、
それを感じさせない
ホットな村の方々に迎えて頂きました。
子どもたちも無邪気で、よく遊んでくれま した。
2日間に渡っておこなった
ゴムの植林でしたが、
私たち日本人は足手まといになるだけ。
村の方々も私たちを
常に心配されながらの作業でした。
よく「魚を与えるのではなく
魚の釣り方を教えよ」と言いますが、
まさに我々側の傲りに満ちた
言葉だと思いました。
何でも彼らの方がよく知っている
ことを実感しました。
また私はキアタウで忘れがたい
幸せな20歳の誕生日を
迎える事が出来ました。
他に、植林・古着の配布、
どれをとってもこの1週間は
私にとって生涯忘れられない
記憶となりました。
MCLのスタッフの皆様には
感謝してもしつくせない思いであります。
MCLにはまた再び訪れたいと思っています。
ありがとうございました。


こんな感動的な誕生日
今までに経験したかなあ



翌二日は、
村人とゴムの苗を植えた 
    

この村には、
MCLの奨学生がたくさん居る 
女の子たちは、
MCLで渡した、
支援者からの古着を着て、
普段よりちょっと
おしゃれして来ているな

同志社大学 グローバル地域文化学部 1年

キアタウ村での植林など
私達のために、
様々なことを計画してくださった松居さん、
言葉も全く通じない
キアタウ村で困っている私達を
いつも助けてくれて、
本当にお世話になったスタッフの方々、
そしてたくさんの
笑顔をくれた子どもたち
に感謝の言葉を
述べたいとおもいます。
我々を受け入れていただき、
本当にありがとうございました。
キアタウ村での生活は、
言葉の面などにおいて
本当に不安でした。
しかし、現地スタッフの方々の
通訳や色々な説明により
村の方々と交流を深められまし た。
キアタウ村では、一生忘れられないような
経験をさせていただきました。
またいつの日か、
子ども達とも約束したように
MCLに戻らさせていただきたいとおもいます。
その時は、どうぞよろしくお願いたします。


 

同志社大学 グローバル地域文化学部 1年

先日は、貴重な体験をご提供いただき、
誠にありがとうございました。
また、ゴムの木の植林、
古着の配布といった活動を
成し遂げることができ、
学生 団体としての職務を
果たすことができました。
6日間付き添ってくれたスタッフの皆さんに、
感謝申し上げます。

 

 
現地の若者や人たちと
一緒にゴムの苗を植える
 
   

若者たちは、キアタウからさらに
貧しいケロハス村に、古着を届けた

ケロハス村に古着を届けた 

一つの村を拠点にして、
その近隣のさらに貧しい村々に
交流と支援の輪を広げていく。
ケロハス村は、キアタウから
馬か徒歩でしか行けない。
しかし、MCLでは、
ここからもスカラーを採り
保育所も建てている。
 
    

最後に、
お別れの読み語りをした
 
 
また、絶対に帰ってきてね 



ブアランに避難民が出た
日本の若者たちと救済支援

8月12日

和平交渉が
軌道にのっているかのように
見えたところに
急に戦闘が次々に起こり始めた。
 
 
13歳の時、
家に帰ると戦争に巻きこまれ
恐怖のあまり、
痴呆状態になってしまった女性
今は、28歳だが、
MCLで治療を試みる予定です。
   
  

さっそくビニールシートを配る 
    
    
    
 
   

日本から来た若者と一緒に
子どもたちに古着や靴をわたした 

皆さんから送られてくる
古着や靴を届けています。
無限に必要とされています。
活動範囲が山深く広大なので。





高校生で初めての海外の琴美さん
お別れ会で、
子どもたちと泣いた 
 
17歳、高校3年生の琴美さん、
北海道から一人で、初めての海外
といっても、看護婦で
お忙しいお母様が、初日、
一泊してこられたが・・・
どうしても、どうしても、
どうしても、どうしても来たくって! 
来て良かった。
友だちがたくさん出来たのが、
何よりもうれしい。
  
   
松居さん、こんにちは!
鈴木琴美です。

昨日家につきました。
家に帰ってからも、
何回もMCLで撮った写真を見たり、
今頃みんな学校かなーとか、
ご飯の時間かなーとか考えちゃって、
すごく寂しいです。
すんごくMCLに戻りたいです(*_*)
初めて日本以外の国を、
自分の目で見て感じて、
町も車も匂いも生活も文化も、
全て日本と違うことにドキドキして
見るもの見るもの興味を感じました。
全部が忘れられない経験ですが、
1番頭の中に残ってるのが、
陽さんと何人かの子どもと、
クリスティーの家に行ったことです。
クリスティーが毎回毎回、
一緒に家行こうって
言いに来てくれたこともうれしかったです。
クリスティーの家まで、泥道を歩き、
川を渡り、バナナ農園を通り、
こんなとこに家あるのかと思いました。
でも子供たちがすんごい楽しそうに、
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら
ジャンプしたり、じゃれあったりして、
歩いたり走ったりしてるのを見て
私も楽しかったです。
たくましいなと思いました。
クリスティーの家族は、初めて会った私に、
すごく優しくしてくれました。
厳しい生活環境にいながら、
すごくあったかい家族だなって感じました。
クリスティーのお姉ちゃんっぷりを、
見ることもできました。
クリスティーの家族たちだけでなく、
MCLの近くにいる人も、
アンティパスやマロンゴンにいる人、
みんなすごく優しくて、あったかかったです。
見知らぬ私にフルーツくれたり、
話しかけてくれたり、笑いかけてくれたり、
すごいうれしかったです。
たくさんの人のあたたかさに、
触れることができました。
MCLの中もいっつも楽しかったです。
他のビジターやスタッフに比べたら、
全然英語しゃべれなくて
最初話すのが怖かったけど、
どんどん話してくうちに、
お腹痛くなるくらい笑ったりずっと話してたり、
会話力に乏しい私でも、
ここまで仲良くなれたと思って
すごい楽しかったしうれしかったです。
相手の言葉を聞こうって気持ちと、
言葉を伝えたいって気持ちと
あと笑顔があれば、
なんとかコミュニケーションとれることがわかりました。
大学にも行って、1日だけラマダンも経験して、
洗濯や子供たちと勉強したり、家のペンキ塗りや
車の中や外に、あんなにぎゅうぎゅうに
乗るのも初めてだったし
書ききれないくらいたくさんのこと経験して、
感じることができました。
ほんとに行ってよかったなって、思います。
ビサヤ語や生活のことやフィリピンのことなど
子供たちからいろんなことを教えてもらって、
わたしもちょっとは、日本語とか子供たちに教えたけど
それ以上に、教えてもらうことの方が多くて、
たくさんたくさんお世話になりました。
友さんやエイプリンや陽さん、
スタッフの人やビジターの人にも、
たくさんお世話になりました。
本当にありがとうございました。
またぜひMCLに行きたいです。
今の私の目標は、大学生になったら
MCLに泊まって、キダパワンの
USM大学に留学することです。
ビサヤ語や文化を学んでみたいと思ったし、
それ以上にもっとフィリピンの人たちと
話したり関わったりしてみたいなって、思いました。
長くなりましたが、本当にお世話になりました。
ありがとうございました!!




 ボランティアの最近の活動から

日本のボランティアの青年も
手伝ってゴムの苗を運ぶ 

ボランティアも手伝って、学用品を渡した 
 私、いったん就職したけど
どうしても来たくて。
父さんに言ったら、
言い出したら聞かない!
パッキャウの居るところだろ、
行ってこい!
今までも世界を
一人で旅したけど、
これからさらに、
世界中を回ります。
でも、ここは特別!
また帰ってきます。
ぼくは、高校時代は
引きこもりの不登校。
でも、自分で勉強して
資格を取って
大学に入って、
ボランティア活動を始めた。
フィリピンは数回来ているけど
ボランティアとは何か、
考えさせられた。
まずは、友だちになること、
なんですね。
それから、何が出来るか
考えれば良い。
 
ビジターで
一週間滞在された
若田尚里さん
短い滞在期間だったけど
とても充実していました。
また必ず来ます。

 

ボランティアも手伝って
保育所建設も進めている 
17歳、高校3年生の琴美さん
北海道から一人で、
初めての海外
どうしても、どうしても、
どうしても、
どうしても来たくって! 
来て良かった。
友だちがたくさん出来たのが
何よりもうれしい。


IMT国際停戦監視団の
中川さんを案内して
サパカン集落に行った 

上の写真の若者は久住君。
今回MCLのビジターで
訪問滞在している。
秋田国際教養大学で勉強中
現在、米国の大学に留学中。
休みを利用してMCLへ。
大学でフィリピン
支援活動を始めたが
ミンダナオは、
カガヤンデオロの
洪水支援についで二度目。 
「JICAは、僕のあこがれ
IMTの中川さんに
どうしてもお会いしたい」
と繰り返し言われ、
フィリピンの現状を
多少なりとも理解しているし、
同行を許可。
MCLでは、
特別な理由を除いて
訪問者を極度の
危険地域にはお連れしない

しかし、その熱心さに
負けて今回は同行。
中川さんにいくつも質問を重ね
中川さんも、
喜んで対応してくださり
気があったようだ。
かつて僕は引きこもりだった、
と自分の体験を語ってくれた。


日本の若者たちの
未来を考えて可能な限り、
訪問ボランティアを
受け入れますが、
規定をよくお読みください。
訪問希望
 
現地の人々からも、
またローカルLGOからも、
この学校を新築したい
という、要請が長年あり、
良い機会なので、
中川さんにそのお話をした。

MCLが担当する
わけではないが
実現すれば、
子どもたちも地域の人々も
心から喜ぶだろう
ここにも、MCLの
奨学生がたくさんいる
 

この日は、洪水とはいえず、
多少水かさが増した程度だった
 
 
教室近くに水が来ているが、
日常のことだ。
しかし、学校を作るとしたら
水が来ない位置に、
しかも、少し高くした土地に
建てる必要があるという結論に達した。
そうすれば、鉄砲水が来て、
家々が床上浸水したり家屋が倒壊しても
緊急の避難場所として機能する。
 
中川さんとは、初めての
本格的な出会いだったが
南米やアフリカの体験も多く、
地元に根ざした建設的な支援を
地元の特に貧しい人の立場に立ち、
純粋な心で見て
考えていることがわかり、好感を持てた。
それは、地元の人たちにも伝わった。

同じ敷地内でも、反対側は水をかぶっていない
そちら側に高台を作り学校を建てるのが良いと思う 

敷地の反対側では、
子どもたちが楽しく遊んでいる。
家々もたっていて、
水にかぶる率が低いことを証明している。
木々もたくさん茂っている。

  
 
上は、MCLで建てた保育所
水がかぶりにくい
場所を選んで
建てている。

 
  
   

J-Birdで建設中のバゴンイギッドの学校 
 
MCLが担当しているわけではないが
この水路の奥に小さな村があり、
MCLでは、複数の奨学生を採用し、
しばしば行っている場所。
6月の選挙後にこの奥で
殺害があり危険で、
最近は敬遠していたのだが
MCLの奨学生を含めた子たちのためにも、
学校が出来ることはうれしいことだ!


この村の本来学校がある場所に、
MCLで保育所を建設出来ないかという
要請が過去あり、
かなり時間をかけて検討したが、
小学校のグランド内に穀物干し場があり、
村の公共施設として使えば
子どもたちの運動場がなくなる事、
子どもたちが使えば村人が困るという点、
また、そのことを含めて、
村長との間に土地の問題が
あることがわかり断念していた。

その後、川沿いに
場所を変更したが、
どうか、という
再度の要請が来たが、
洪水などの問題も
あると予想して
保育所建設を決めるには、
状況が早い、
支援をスカラシップに
限定して
当面の様子を
見ることにしていた。
特に6月の選挙による
混乱を意識していたが
選挙後も関係者が
殺害されて躊躇していた。
ところが日本政府が
すでに学校建設を
始めていることを、
今回初めて知って、
中川さんに同行。
びっくりしたのは、
建てた場所で、
本格的な洪水でもないのに、
学校全体が
水の中に浮いている。
地元の担当者に
「このような場合は、
子どもたちは
どこを通って
学校に通うのですか?」
と聞くと
「このへんの子たちは
水があっても
舟で来るから大丈夫だよ」
という話であった。
その子どもたちの中には、
MCLの奨学生も
たくさんいるし、
彼らは湿原地帯から
舟で来るから大丈夫だろう。
とにかく、学校が
出来て良かった!








ミンダナオ子ども図書館での体験
子どもたちと一緒に

久住泰平
かつて僕は引きこもりだった、
と自分の体験を語ってくれた久住くん
 
 
7月4日から8月4までの1か月間、
MCL(ミンダナオ子ども図書館)に
滞在させて頂きました。
ミンダナオの山岳地域やイスラム地域での
MCLの様々な活動に参加させて頂いたり、
国際監視団の視察に
同行させて頂いたりしたのは
どれもとても貴重な経験をすることができました。
なかでもMCLの子どもたちとの
共同生活からはとても多くの事を学び、体験しました。
一緒に毎日ご飯を食べたり、
外で元気に遊んだり、
たらいで洗濯をしたり、
絵本を楽しんだ、子ども達に導かれました。
「仕事はあたえられるものじゃなくて、
自分で切り拓いていくもの。
できることを何でもやってみてください」
友さんの言葉に背中を押してもらって、
MCLのスタッフや他のビジターにも協力してもらって、
七夕の短冊を子どもたちみんなと書きました。
学校を修了して、将来は
先生になりたいたくさんの子どもたち。
ナースやお医者さんになって
多くのひとを助けたい子供たち。
家族や友達の幸せや
ミンダナオや世界中の平和を願う子ども達。
グアバの木の枝を彩った子どもたちの
七夕のお願い事は1つ1つどれも素敵なものばかりで、
子ども達の夢の実現を応援したいと思ったり、
そのために自分には
何ができるのかを自然と考えるようになりました。


ミンダナオ子ども図書館子どもたちの七夕のお願い事
2013年7月
 クリックしてPDFへ 

子ども達と友達になって、
同じ目線で一緒に遊んでいると
たくさんの発見をしました。
その1つが、表情豊かに絵本を読み
語る子ども達の表現力。
日本語の本でも
一度、英語で読み聞かせをしてあげると、
すぐほかの子ども達にビサヤ語で読み語ります。
声の抑揚や体をうまく使って、
読み語るので現地語のわからない僕も
たちまち周りの子どもたちと
一緒に物語の世界に惹きこまれていきました。
まず子ども達と一緒に絵本を楽しんでいると
いくつかの事に気が付きました。
言葉がわからなくても、子ども達は絵が美しく、
楽しい日本の絵本をみるのが大好きだということ。
そこで、日本の絵本を
英語に翻訳することを始めました。
子ども達と一緒に楽しく翻訳に取り組むなかで、
面白いアイディアを思い付きました。
僕が日本語の絵本を英語に訳した後に、
今度は子ども達がそれをビサヤ語に翻訳しました。
ストーリーを楽しみながら、子ども達と一緒に
わきあいあいと取り組む翻訳活動は
とても楽しいものでした。
週末の読み語りで子ども達が
堂々とこれらの絵本を読み語るのをみていると
子ども達との温かい時間を思い出し、
自然に笑顔になりました。
「子ども達と友達になって、
それから自分にできることをみつけよう」
友さんが日頃色々な場面でおっしゃっている
この言葉に出会って、
その時MCLに行くことを直感しました。












ピキットのMNLF山岳地域の状況がひどく
心配になり、まず小学校を訪ねた 
校長先生から、
特に大変な子たち
10人を紹介されていたが、
今のMCLの状況では
支援者のいない子が
200を超え、
申し訳ないが
小学校低学年の子、
3人に絞っていただいた。
父親が殺され、
母は出稼ぎ先を
探しに町へ出ている子。
両親とも出稼ぎで
遠くに行ってしまい、
おばさんがあずかってい子。
極貧で3食たべられない
家庭の子たちだ。
 
   
最近、父が殺された少女
母は、子どもたちを
食べさせるために
ダバオに出稼ぎに行ったまま
祖母のところで
暮らしている。
PHPの記事を
書いていらっしゃる
若林さんが、
里親になってくださった。
少女は、大喜び!

子どもたちと一緒に家を調査  
 
私たちは、
子どもを候補に選んでも
すぐには決定しない
必ず、
すんでいる家庭を
訪問する。
 
両親は遠く離れ一人、
おじさんおばさんの家から
学校に通っている少女
おじさんはクリスチャン
おばさんはイスラム教徒
クリスチャンのおじさんは、
我が子以外にも兄弟の
イスラム教徒の
子たちをあずかり
貧しいながらも
必死に学校に行かせている

ブグアク村は、非常に貧しく、MCLの奨学生も多いが
現在は特に厳しい状況

今回の戦闘の間に、
心労からスカラーの
お父さんが亡くなった。
スカラーはもう卒業しているのだが、
武器を持って
現地を案内してくれた。
痩せて心配だ。
この地は、
イスラム地域でも非常に貧しく
収入としてゴムの木を
植えることを考えることにした。
  
  
PHP派遣の若林さん、キアタウにも
 PHPの月刊誌の10月号に、
ミンダナオ子ども図書館の記事が掲載されます。
その取材に、3週間、若林さんがこられました。
仏教に深い造詣がおありになり、
『苦しまなくていいんだよ』PHPを編集された方です。

キアタウ周辺には
今もゴムを
植え続け居てます。
改めて植林を
報告しますので
支援者の方々、
ご安心ください
 
    

キアタウから向こうに見える丘
サーグ集落が麓にあり
山頂から下にかけて、
ゴムの木を植えている場所
 

ケロハスの村は,
キアタウから徒歩か
馬に乗ってしか行けない
山の中の小さな村
それだけに、
子どもたちの素朴な姿に出会える
 
左は、
ケロハスに作った
保育所
 

若林さん栄亮君も一緒に
イスラム地域で戦闘が勃発
避難民が出ているので緊急調査に向かった 

7月8日 
今回の戦闘の状況は
非常に良くない。
国軍が積極的に
介入している。
政府の対応いかんによって、
今後かなり大規模な戦争に
拡大する可能性を
秘めている。
毎年、大規模な戦闘は、
この地域から
勃発している。
パイドプランギから、
ブアラン、そして
ラガイェンに拡大し、
本格的な戦争が起こる。
時期的にも良くない。
毎年5年ごとに
大きな戦争が起こると
現地では言われているが、
2003年、
2008年そして
今年は2013年。
時期的にも、
ラマダン期間中にこのような
小規模な戦闘が各地で勃発。
すでにマタラムでの戦闘では
避難民が出て
MCLで救済支援に向かった。
ラマダンは、
8月9日までの一ヶ月。
この時期に、
爆弾事件が多発したり
誘拐事件が起こるのが、
戦争の前触れだ。
すでにダトゥピアンでも、
爆弾事件が
報告されているし、
誘拐を恐れて
オーストラリア、カナダ
そしてアメリカ政府は、
政府関係者の
ミンダナオ入りを禁止。
一般アメリカ市民にも
警戒警告を発した。
すでに何らかの情報を
得ての行動だろう。
ダバオからコタバトに
抜ける国道も
この時期に合わせたように
すっかり
セメント舗装されているし・・・


今回の戦闘を危惧するのは、
すでにかなりの国軍兵士が
現地に投入されている事実。
これは、この地域の戦闘が
単なるリドーと呼ばれる
地域における
対立ではないことが
明確であること・・・
さらに、国際的なNGO
つまり現地NGOだけではなく
海外のNGOが
積極的に入ってきている
現地の人々は、
それを大規模戦争の
兆候と見ている。
杞憂に過ぎなければ
良いのだが。
アキノ政権は、
和平を樹立するという
方向性を持っていたので
それを信じたいが、
2008年も、
直前までマレーシアでの
和平調印が口外されて
いたにもかかわらず
突然?
交渉が崩壊し
大規模戦闘となり
80万の避難民が出た。


現地の人々は、悲観的だ。
杞憂に過ぎなければ
良いのだが。
この地域には、
たくさんのMCLの
奨学生たちがいる。

 
  
すでに40年間、3年から5年おきに
戦闘が起こり、避難民化していく。
こうした戦闘の背景は、
背後の湿原地帯に眠る
膨大な天然ガスと石油資源だという。
しかし、東南アジア最大といわれる
リグアサン湿原には、沢山の魚が生息し
2000世帯は超えるという
漁民たちが生活している。
下流を加えると、どれだけ多くの人々が
自然の恩恵を受けて生活していることか。
開発によって、こうした人々の生活が
破壊されないように願うばかりだ。
 

早速、翌日にビニールシートの支援をした 
7月9日
   
   

ビニールシートをカットしていく 
 

 

すでに長い
お付き合いのある村人たち
MCLのこともよく理解して
喜んで迎えてくれる
 
 

日本から来た若者たちも
手伝ってくれた




7月5日 別の難民キャンプを調査
ミンダナオの状況は、
あまり良くない。
各地で小規模な
戦闘が起こり、
避難民が出ては
救済支援に向かう日々。
ラマダン期間中に、
爆弾事件や誘拐も
起こる可能性があり、
2003年、2008年のように、
ラマダン後に
本格的な戦争が
起こる気配が
無きにしも非ず。
MCLでは、
避難民救済を
開始しています。
 
   
   
腹痛や風邪、
皮膚疾患も多く見られ
薬による医療支援もした

 
  

7月6日 子どもたちと支援を開始

ミンダナオ子ども図書館では、
活動の中心を担うのは子どもたち
前夜のうちにシートを
5メートル置きにカットして
翌日、トラックに運んだ
 
ビニールシートと一緒に
日本から送られてきた
古着も積みこんだ。
   

避難民キャンプでの読み語り 
すでに避難生活を始めて2ヶ月が過ぎた

読み語り支援は、
本当に喜ばれる
心の支援だ。
物資だけでは、
何かが足りない?
 

2ヶ月も難民だった
子達の顔に
笑顔がもどってくる
 

小学校低学年の彼女
(女の子です)も
見事な読み語り。
野菜売りをしていた少女

 
 
読み語りだけではなく
歌と踊りで
ますます元気
  
 

どうして大人たちは
戦争なんか起こすのか
世界が、子どもたちの幸せを
第一に考えれば
戦争などは出来ないはずだ。
子どもたちこそが希望であり
未来なのだから

 
今年はじめて入った
大学生の奨学生も
早速劇に加わった
げきの名は「おおきなかぶ」
 
  

栄亮君も一緒に
雨よけのビニールシートを配った 

読み語りが終わった後に、ビニールシートを配った



これで雨が降っても大丈夫 
  
 
   

小学校に避難している人たちにも
パンと古着を配った 
  

こちらはまた別の
避難民収容場所で
小学校が避難場所になっている
ここに、古着をくばった
学校でも、
昼間は授業があるので
外に居なければならないので
後日、日よけと雨よけの
ビニールシートを届けた
 

避難民にとって、
誰かが見ていてくれるのは
大きな安心と喜びだ
 
 
   




井上幼稚園の先生二人と
チエさんが訪れてくださった

     
     
井上幼稚園のサイトへGo!  
井上幼稚園の先生たちと
キアタウでクリスマス
12月25日、26日。
電気なし、水なしの寒村、
キアタウの民家で過ごした
井上幼稚園の先生お二人。
山・川・洞窟の大自然と
たくさんの無垢な子ども達に歓迎され、
いつもとはひと味もふた味も
違うクリスマスに
心打たれた様子だった。
夜、ふと見上げると、
そこには満天の星空。
それは思わずみんなが
言葉を忘れるほどの美しさ。
キアタウでは、無機質に
町を彩るイルミネーションのかわりに、
手が届きそうなほどの
近さで輝く無限の星々が
聖なる日の夜を飾っていた。


三浦 有紀先生

南 茉友子先生
雨が降ったら水浴びをし、
日が暮れるまで遊び。
「みんな
人なつっこいですね。
日本の子ども達も
かわいいけれど、
ここの子ども達の
笑顔は本当にかわいい。
辛いことも多いはずなのに
それを忘れて
しまうくらい。」
一日の最後には、
三浦先生と南先生の
お別れ会。
みんなで歌った
マノボ語の歌が
夕暮れの空に
元気に響いた。
翌日、子ども達と一緒に
神秘的な川と洞窟へ

一夜明け、26日の朝。
前日の雨で道はぬかるみ、
子ども達に手を貸して
もらいながら獣道を進むこと数十分。
妖精の住処のように澄んだ川、
吸い込まれそうなほど深い洞窟
 

ラウィタン村へ
保育所調査に向かった

 
 
ラウィタン村までは、
車を降りてから
約一時間半の道のりを
ひたすらに歩く。
現地は、ロハス州と
ブキッドノン州の狭間で
イスラム地域と
先住民族の地域
そしてクリスチャン地域の
狭間として
1980年代から、
数々の戦闘に侵されて
村人たちは、繰り返し繰り返
避難民生活を強制され
避難民になって逃げるときに
お金もないので
土地を抵当にして、
お金を銀行から借りて
町の方へと避難した。
ところが、帰ってきても
資金があるわけではなく、
貧しいままで
土地は抵当に入ったまま
取り返すすべもなく
放棄したまま、
金持ちに土地を買収され
故郷を離れて、
町で乞食になるか
山に逃げるしかなかった。
アメリカインディアンと
騎兵隊と
大農場主の物語と同じ事が
現代でも起こっている。
しかし、この村は、
それでもかろうじて
もどっていた人々の村で、
イスラム教徒と先住民と
クリスチャンが
協力して生活している。



 
 

プランギ河の上流を渡航 

村に着くまでに、
プランギ河を
渡らなければならない。
湿原地帯に流れ込む、
母なる川の上流地帯。
いつかここをカヌーで下り、
東南アジア最大の
大湿原に入りたいなあ。


もちろん、
危険地域でもあるので
現地の人々が
護衛してくれた。
いつものことだが・・・

 

船頭さんの娘さん。
高校生だが、
学校まで遠くて通えない。
高校までは、
少なくとも3時間以上は歩くだろう。

 
まさか、こんな経験ができるとは!!!
幼稚園の先生方も、
子どものように大はしゃぎ

川を越えてから、
さらに急斜面を登って
村を目指して歩いて行く。
下を見ると、漁師さんたちが、
網で魚を捕っている。
このようなところに、
外国人が来るのは
もちろん初めて。

 

遠く、ブキッドノン州が
見渡せる。
この一体には、
爆弾も数多く落とされた。



ラウィタン集落に到達した
     
 
この村の最も大きな
問題は、教育だろう。
この村に住み、
高校を卒業できる子はいない。
学校に行きたくても遠すぎるから。
親戚のある子は、
親戚のところに住みこんで、
学校に通えるけれども・・・
小学校でさえも、
3時間近く歩かなければならない。
 

村の初等小学校 

それでも、村人たちは
力を合わせて
自分たちで、
初等小学校を建てた。
ここで、三年生までは、
学校に通える。


そんなわけで、
小学校3年までの
子どもは多いが
これ以上は、ほんの数人。


保育所2件分の費用で
初等小学校も建
設できるので
MCLで考えてみようと思う。


ラウィタン村の保育所 
保育所の方は、
さらにひどい状態だった。
これでも、皆で作ったのだが。


しかし、先生もいるし、
教育に対する姿勢も
しっかりとしている。
先生は、MCLの奨学生の
おばさんだった。
まずは、保育所建設を
ここに決めた。
セメントを運び、砂利は
村人が川から採り
村中で協力することになった。

親がいず苦労している子に絞って
スカラシップ、里子候補を選んだ 

長くつながりを持ち、
集落を支えていくためにも
数名の奨学生をとり、
彼らが村を作って
いかなければならない。

親がいない子も結構いて
それでも、がんばって
学校に行きたい。
どなたか、支援して
くださいませんか。

下流から舟に乗り
船着き場に向かった。
ここを下っていくと
MCLで保育所も建てている
イスラムの反政府地域
リグアサン湿原達する。


河岸の家から
子どもたちが手を振って
見送ってくれた
この集落とも、
長いおつきあいが
始まろうとしている。

  

お父さんと、漁をしている少年
学校には、行けない
かもしれないけど
こうした生活も、
素朴で良いと思う。


とくにここは、
土地も肥えているし
魚も捕れるし

友達と一緒に遊べるし
戦争さえなければ
良いところだと思う。
 

クリスマスツリーを作った
ミンダナオのクリスマスは、
9月から準備が始まる。
9月、September 「・・・ber」のつく
時期が始まると、
クリスマスのイルミネーションが
道々に飾り始められる。
ソリに乗ったサンタクロースや雪だるま。
華やかで楽しい気分が、
ちまたに満ちてくる。
もともと、心底のお祝い好きで
明るく表現力豊かな国民性?
貧しく落ちこんだような
粗末な小屋に住みながら
それゆえに、落ちこみを
吹き飛ばすようなお祝い好き?
かつて、日本も、
お祭り騒ぎが大好きだった。
年に何度も、収穫祭や
盆踊りといったお祭りで
庶民が活気に満ちあふれたのに
お祭りと宗教性は、一つのようだ。
クリスチャンもイスラムも、
精霊崇拝の先住民も
形だけのお祭りではなく
心底楽しむ気分に満ちている。
クリスマスの一週間前から
夜明け前のミサに、3時、4時から
教会もカテドラルも
いっぱいになるのだから、驚きだ!
クリスマスのために生きているみたい!
 



ミンダナオにモミの木が
生えているわけではないので、
クリスマスツリーは、こうして作る

イルミネーションで
夜は本当に輝いている
クリスマスツリー

   

クリスマスパーティーが始まった 

クリスマスプレゼントを
買うための
お小遣いをもらって、
それぞれ、決まった
人のために
町でプレゼントを買ってきて
歌ったり、踊ったりした後に
プレゼント交換をする


クリスマスの時期は、
親や親戚の元に、村に
帰る子たちが多いので
親のいない子たちにとっては
とっても寂しい時期になる。
それだけに、楽しく過ごす
事に気を遣う


みんなで歌って踊って、
楽しんで・・・
普段の遊びの延長だけど
クリスマスは特別


上の写真に実子の
アイカ(藍花)も
混じっている
いつもみんなと一緒に育つ
本当に子育てが楽というか、
「子育て」という言葉が、
元々変で当てはまらない
「子育つ」というべきで
基本的に、放っておいても
子どもは育つ!

 
親が亡くなって
親戚の家を転々としながら
説明できない理由で
逃げ出して
福祉局に保護された少女も。
ミンダナオ子ども図書館に
先日来たが
本当にほっとして
安心できる場所
そして、悲しくなく
友情に満たされた場所。
日本から来られた方々も
よく言われるのが
「ミンダナオ子ども図書館は
施設という感じが
しないですね」
子どもたちも私も
ここは施設だと思っていない。
家族だと思っているから

たとえ、親に見放されても
いなくなっても、
彼らにとって、MCLは、
安心して、育つことができ、
大学まで行ける
我が家なのだ。




支援しているスカラーに会いに 
   

支援している子の場所には、
危険で行けなかったが
スカラーにお父さんと来てもらい、
会うことができた。

自分たちの少年、
少女時代を思い出した
かもしれない。
 
日本もかつて貧しかった、
でも幸せは、
お金では買えない?

籾米を乾燥させる
干し場を作った

前田さんご夫妻
寄付をありがとうございます!

 
籾米を干すための
干し場(ドライヤー)が必要だった。
普通、職人に工事を頼めば、
100万ぐらいはかかるはずが
30万でできあがった!
100万!そんなお金は、とても出せないし、
それだけあれば、
多くの子どもたちを救えるし。
寄付は、毎年あるものの
すべて子どもたちの学費や医療費、
活動費に使っているので、
食費や生活費は、つねに火の車。
特に今年は、アベのミックスによる
円安誘導のおかげで
600万が消し飛んだ!
だからこそ、自分たちでドライヤーを作り
田んぼの米で自給率を上げる
努力をしているのだが・・・
 
 
   
何しろ、200人近い子どもや
若者たちを養っているので
一日100キロ近い米が消えていく!!!!
しかし、子どもたちは、
ただ食べさせてもらって
いるのではない。
自分たちで、米を干し、
自分たちで料理も作る!
僕の方が、
食べさせてもらっている。
 

それでも田んぼが
まだ足りない
自給率は、70パーセント

米の値上がりが激しくて
7年前の2倍になった
貧しいものは、
さらに貧しく・・・?


今後も自給率を
あげるためにも、
農業は文化とともに
MCLの基盤と考えている
   
台湾赤十字社も
そのことを理解して
田んぼの購入費を
出してくださる予定だが
一部でまだまだ、
田んぼが足りない!
ぶつぶつぶつ



速報:フィリピンを襲った台風に関して
フィリピンのレイテ島およびサマール島、
タクロバン市などを巨大な台風が直撃し、
家屋が倒壊、流されて、多数の死傷者が出ています。
フィリピンでは、極貧の家庭は特に、土地を買うことが出来ずに、
川沿いや海に張り出した地域に家を建てて生活しているので、今回の高潮は、
そのような貧しい人々の家々を襲ったものと思われます。
推計で1万を超える死者が出たとも言われています。
犠牲者の多くが、貧しい人々であることは間違いないと思われます。

私の元にも、心配の電話やメールが多数寄せられましたが、
ミンダナオこども図書館のあるミンダナオは、
強風はあったものの被害はありませんでした。
ご安心ください。

現地スタッフから新たに連絡が入り、
赤十字から共同して現地に向かえないかと言う依頼が来ました。
堺市の平和賞受賞式で知り合った、
台湾赤十字もフィリピンに向かう旨の連絡も受け
11月26日から七月3日に第一回救済支援を開始、サイトに報告します。
4WDトラック(立正佼成会より寄贈)に食料と古着など支援物資を積んで
現地OMIの賛助支援も受けつつ、ミンダナオ子ども図書館のスタッフ自らが、
福祉局おより赤十字、OMIと共に現地に乗り込み、
直接現場で支援活動を行うことになりました。

政府機関である福祉局DSWDとも連携して、
今回の台風で親を失ったり、身寄りが無くなった子を
ミンダナオこども図書館に受け入れる相談もしていきます。

古着などを、MCL宛てに送っていただければ、
赤十字と協力して現地に届けられるように手配します。
赤十字社と共同はするものの、活動経費は
ミンダナオ子ども図書館自体が負担することになりました。
現地へのトラックでの輸送費、支援物資代、
宿泊や食料支給、子どもたちの保護などなど、
円安にくわえ授業料の値上がりなど、MCLも厳しい財政状況なのですが、
レイテの子どもたちを放っておくことは出来ません。
よろしければ、緊急支援をお願いします!!!
振込用紙の通信欄に「レイテ支援」または「台風支援」と書いてください。
寄付は、現地救済のために使います。
活動報告は、常に写真入りでネット上に掲載していきます。


郵便振替口座番号:00100 0 18057
口座名:ミンダナオ子ども図書館

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