国際交友の記録
2012年
 



スタジオが完成した


森田富二夫さま、和佐美佐子さま、
楠見尚己さま、阪本ゆきゑさま、
安達正子さま、能登美津子さま、
心から感謝いたします!



すでに、松居陽によって、
マノボ族の伝統音楽や
ドキュメンタリー映画の作成が始まっています。
今後、このスタジオの果たす、文化的、創造的役割は、
未来に向かって大きく展開していくでしょう。
是非いらしてください。


  
 無題 3  松居陽

聞こえるのは、波の音、風の音、ココヤシの音。
イヤホンはあっても、音楽を聴く気にはならない。
生と死の詰まった、潮のにおい。
砂が足をくすぐり、塩が肌にべたつく。
実体のない波も、銀河へ続く水平線も、
目を据わらせてはくれない。
宇宙という意識に溺れたひと時。
夢みたい。と、人は現実に目覚めたときに言うのだ、
とお父さんは言う。
概念上の世界を現実だと思い込むと、
自然界を夢のように感じるのだと。
人声が静まり返れば、宇宙が無言で語りかけてくる。
人と自然の間に境目はないはずなのに、
僕も感じる、夢みたいだと。
あと何時間見させてくれるだろう。
もうすぐ夜が明けて、人が起き出す。
地位、財産、業績、またこの太りすぎたシステムが、
ますます重い足を引きずって、ぎくしゃく走り始める。
空気を吸いつくし、水を飲みつくし、大地を踏みつくすまで。
それとも、奇跡が起こって、
みな名も言葉も忘れて目を覚ますかも。
こんな夜は、そう星に願う。
朝が来れば、僕らは新たな目で互いを見つめあい、
そこに表現しきれない愛を感じるだろう。
言葉が出ないもんだから、みんないっせいに笑い出し、
抱き合い、声高らかに浜辺へ駆け出して、
赤ん坊のようにピンクの水平線に見とれるだろう。
泣き出す者もいるかもしれない。次々と海に飛び込んで、
水が肌を撫でる快感にうめき、身をよじらせるだろう。
でも、僕らがしないことがある。
それは、それを海と呼ぶこと。
それを美しいと呼ぶこと。
それを僕らと呼ぶこと。
もう、誰の振りもしなくていいんだ。
もう、上にも、下にも、右にも、左にも、
中にも、外にも立たなくていいんだ。
人間くさい、裸、生きている、一緒に、生々しく。
自然体を恥じることはない。
体で感じる情熱を、好んで否定することはない。
死が自制心からの開放なら、
今罪深い本性をさらけ出して、生きながらの死を祝おう。
どうせ、いつか気づきざるを得ないことだ。
心は変えられても、血は変えられない。
知能が平等を望んでも、
本能は支配したがり、されたがる。
頭は、体を指示するのではなく、体に耳を傾け、
その声を忠実に表現するために、
生まれてきたのではないだろうか。
沖に、小船の光がちらつく。
漁夫が、網を引き上げているようだ。
フィリピンの海や山に生きる、たくましい人々を見ると、
どこかやるせない無力感に打たれる。
僕は、所詮今経済と呼ばれているシステムに取り入って、
姑息に生きている人間だ。
容赦ない自然界に生かされる術など、
ほとんど持ち合わせていない。
それだけに僕らは心の奥に不安を抱き続け、
それだけに彼らは自由なのかもしれない。
何もかもをなくしても、自然の情けに命を許されるのだ。
おなかがすけば、魚を捕り、
調理する法を、人は受け継いできた。
病気にかかれば、治療する方法も。
そうか、言葉はやっぱり必要なんだ。
じゃあ、何でこんなに嫌気が差すんだろう。
小うるさい人間のドラマに、空っぽの言葉に。
今なら、永久保証、お買い得、愛!
言霊の嘆きが聞こえるようだ。
問題は、言葉が表すはずの本質が
見失われているからかもしれない。
情報は増えても、
その根源がいつにも増してあやふやになってきている。
体内に残った全ての声を、海にぶちまけたい。
波よ、さらっていってくれ!
この他愛もないおしゃべりを!













  


ミンダナオ子ども図書館支援方法
上をクリックしてください

パンダノン村と
ウオーターフォールの子たちに
茅野市の北部中学と
小樽ワールドフレンズから送られた
バッグと靴を届けた


車に乗っているのは
すべて、
ミンダナオ子ども図書館の
子どもたち。
土曜、日曜日には、
こうしたボランティアに
積極的に参加する。
自分たちも極貧で
しかも、
孤児や片親の子たちだけに
いろいろな思いを
感じるようだ。


イスラムの子も
クリスチャンの子も
先住民の子たちも
それそれ異なった地域や村で
読み聞かせをしたり
鞄や衣服や靴を届けたり。
今回は、茅野市の
北部中学の子たちから
送られてきた
バッグや靴を中心に配った。
(多くの方々から
送られてくるので
全てをサイトで
紹介できずに残念です)


日本製のカバンや靴は、
丈夫で長持ちし
こちらのはすぐに壊れるので
地元の子どもたちは大喜び。
ランドセルも好評です。


小樽ワールドフレンズから
送られた靴!

 


茅野市
北部中学校のみなさん、
小樽ワールドフレンズ
のみなさん、
ありがとう!

いつかいらしてくださいね

小樽ワールドフレンズ
http://otaruwf.web.fc2.com/rireki.html
  
ウオーターフォールの
子どもたち。
この村の状況は、良くない。
収入が無い故に、
わずかばかりの土地を
手放したり、多くの家族が
サトウキビ刈りの労働に行く。
家族で行くと、
子どもたちも働かされ
学校が2ヶ月以上停止する。
この写真のなかにも、
多くのMCLの
スカラシップの子たちがいる。
小学生が多いが、
(上の子たちもその一人で
父親がいない)
チャイルドレイバーの結果
ストップする子が
後を絶たない。
保護するためには、
MCLに住むしかないが
100名を超えていっぱいだ。


   

丹原美保さんが、
協力者と共に寄贈された
二つの保育所の開所式 

 バト村の保育所
本当は、イスラム地域の
カバサランに
保育所を建設し、
そこで開所式をする
予定だったが、
戦闘で危険で近づけず
訪問予定の一週間前に
次期候補の
バト村に変更した。
そんな理由で、
建設途中での
開所式になってしまった。


カバサランの方は、
現在さらに戦闘が
激しくなりつつあり、
建設も止まったまま。
隣の集落のバロンギスは、
宮崎さまからの
寄贈で、すでに
完成しているのだが
こちらも危険で近づけず、
開所式が延期になっている。
今後さらに戦闘が激しくなり
本格的な戦争になると
言われているが、
空爆などで、破壊されたら
作り直さなければならない。
それでも、こうした
建設の過程で
地元の人々と
心を通わせているので
たとえ戦闘になっても
救済の時に、
役立つことは間違いない。
本当に、戦争は嫌だ。
子どもたちが可愛そうだ。
 
 










こちらは
ロカトン村の保育所
ここに住んでいるのは、
バゴボ族がほとんど
本来は、この上の山の斜面で
山岳農業を営み、
集落を作っていたが
地滑りで村が崩壊し、
ここに避難して
避難民集落を作っていた。
それを市が気遣って
市長の指示で、ここに
新しい集落が出来た。



今回は、
わざわざ市長も出席された
気さくで庶民的な市長だ

愛子さん、二度目の訪問 
愛子さん、
二度目の訪問
下は、我が子のような
アンジェリカちゃん
山の集落、
マロゴンからさらに
道無き道を実に
一時間も登ったところの
一軒家に、
アンジェリカちゃんは
住んでいる。
今回は、
ミンダナオ子ども図書館に
招待しデパートで洋服も
買ってあげた。
新しい服の
アンジェリカちゃんと
いっしょに。
前回も、山を登って
彼女を訪ねた。
MCLの子どもたちと
みんなで滝のある
ウオーターフォール村
にもいった。

 

子どもたちにとって、
支援してくださる方と
会えることは、
特別な意味を持っている。
特に、母親や父親の
いない子にとっては
まるで、未知の
親のような気持ちだ。
あしながおじさんのように・・・
子どもたちは、
しょっちゅう私に
自分の支援者は、どんな人?
と聞いてくる。
ものすごい関心を
持っているのが
痛いほどわかる。
まだ支援者のいない
子どもたちも多い。
彼らは、
さびしい気持ちを持つ。
だから、言う。
「パパ友(私のこと)が、
君たちの支援者なんだよ」 
 

愛子さんといっしょに
山に滝滑りにいった。
初めての子もいて
興奮気味だ。
  
 


お茶の水大学修士になった理実さん
MCLスタッフになった、民希さんも大活躍 
 


民希さんは、本当に頼もしい。
限界をはるかに超えていた、
対日本の支援者への対応を
一手に引き受けてくれている
立正佼正会が、
寄贈してくださった
いすゞの四輪トラック、
エルフも
通関に時間がかかったが、
とうとう活躍し始めた!
子どもたちを全員乗せて
読み聞かせに
また、保育所建設の
資材輸送に大活躍!


マノボ族とビラーン族の調査へ 
 

この村から、山を越えて
キダパワンの方へぬけられる
いつかそれを計画している。
村々の様子をしるためにも・・・

 
 民俗楽器にあわせて、
土着の歌をうたう少女
クリスマスの時期になると、
彼らはダバオにパマスコに行く
パマスコとは、家の前で歌い踊り
日銭を稼ぐ、物乞いの延長のような風習

 

ダバオからアラカンのミヨカンへ 

拡大するバナナプランテーション
アポ山の斜面を
取り囲むように広がっている
本来は、ダバオの平地だったが、
高原バナナのヒットで、
高地に広がっている

 
この村の子どもたちも
奨学生に採用する予定。
行くとすでに彼らは、
ミンダナオ子ども
図書館の事を
知っていて、大喜びだった。
   
 
この地域が、MCLの
活動範囲に入ることで、
ミンダナオ子ども図書館は、
ほぼアポ山を一周する領域に活動することになる。
村人たちは、どこから聞いたのか、
すでにMCLの事を知っていて
今回は、ダバオに行った帰りに
村々の様子をチェックしたのだが、
大喜びで迎えてくれた。
しかし、MCLのスカラシップ支援者は、
まだまだ足りないので来年になるだろう。
支援者を見つけるのは、私の役割なので大変だ。
今は、息子の陽や民希さんも
手伝ってくれるので助かるが
村の事もたちの様子を見ると、
どうしても放っておけない気持ちになる。
 
プランテーションで廃棄されたバナナを
彼らは拾ってきてこうして刻む。
豚のえさにして売るためだ
 これらのバナナは、
ほとんどが日本や中国に輸出されるが
輸出の際には、洗浄されるので
農薬の問題は解消されるのだというのだが・・・
洗浄にたずさわっている女性たちの事もきになる。
鶴見良行の名著「バナナと日本人」(岩波書店)に
詳しく書かれている。
先進国の発展のしたで、作られていく貧困
   

思いがけなく、
いろいろな事実を
聞かされた
単に、極貧の子たちを救い
学校に行かせて
あげたいだけの事だが
NGO関係者に圧力がかかり
殺されることもある。
アラカンのイタリア人
ファウスト神父も
その一人だろう。

ビラーン族の奨学生と 
 

拓くん、訪問記 
吉田拓郎から父親がとって
名前を拓也にしたという。
みんなの前で、
吉田拓郎の歌を
歌ってくれた。
学校を出て、自衛隊に入り
今はそこを出て
世界を旅している。
ひとりで、中国から
チベットをぬけて
インドへも行った。
中国の印象を聞くと
いろいろと興味深く
語ってくれた。
実際に旅をした人の話は、
マスコミや学問だけの
人間の報告とは
ことなり、中国人に
対する偏見もなく
むしろ敬意を感じさせた。
感情的に、
中国敵対をあおっている
口先だけの言葉とは違う。
こういう若者たちが
日本にまだいることに
救いを感じた。
自分の目で見て
偏見無く物事を判断して
事実と真実を
つかんでいこうとしている。
 
 
拓君からのメール

電気のないという
現代では希な状況のなかでの
キアタオでの生活は
貴重な体験でした。 
村に至るまでの風景も
村の丘からの風景も絶景で、
しかも村自体は
とてもよく整備されていて
綺麗だったので、
表向きには貧しい村だとは
あまり思えませんでした。 
本当に
ありがとうございました! 
是非また
尋ねさせてください。 
明日からタイに行き、
インドビザを取得し
それからインドに
向かうことにします。
 
    
    

リグアサン湿原地帯へ 
    
イスラム地域の
リグアサン湿原にも行った
現在は、戦闘が起きていて
とても入れない地域だ。
さすがに世界を
旅しているので
もちろん、
イスラム教徒に対する
偏見もない。
この地域には、
大量の石油と天然ガスが
眠っていて、
それが戦争の原因だ。

 
 
   
   
    
 

ゴムの植林が始まった
日本の若者も交えた
植林体験

6月13日UP
 

 ミンダナオ子ども図書館から、ゴムの苗をトラックに

ミンダナオ子ども図書館の
敷地で、
農業スタッフと子どもたちが
一体になって
育てたゴムの苗を
奨学生の子どもたちが
トラックに運ぶ。
この苗が、山岳地で育ち
土砂崩れや下流の
イスラム地域での
洪水の被害を少しでも
少なくすれば・・・。
そして、貧困から
土地を手放しがちな
先住民族に収入をもたらし
自らの手で、
村の子どもたちを
学校に行かせることが
できれば・・・


これが、MCLの敷地内で、
子どもたちが育てているゴムの苗床

MCL自体が苗床
子どもたちが育つ苗床
 
ミンダナオ子ども図書館の敷地で
ゴムの苗を、
子どもたちが育てはじめた。
ゴムの植林プランは、
海外のプランテーションや移民政策の土地所有で
もともと自分たちが住んでいた土地を
失って山岳地に追われていった
先住民族に収入を保証し、
これ以上、土地を受け渡す必要が
無いようにするために
最も有効な対策の一つ。
ずいぶん長く考えつづけてきた
生活支援プラン。
ゴムの農園は、この辺でも多く
そのほとんどが、大地主によるもの。
そこで働けるのも小作たちで
先住民族は良くて日雇い
技術がないから、日雇いにも選ばれない
場合が一般的だ。
でも、MCLでは、
村の共同農園といった形で、
地元の人々と会議を開き
協同組合的な組織を作り
村人たちとMCLとが
協働で管理する方式を選んだ。
収入の70%は、村へ。
村の発展に使われる。
30%は、労働者へ。
労働者は、村の極貧家庭の
親や若者が選ばれる。
MCLは、完全ボランティアでかかわる。
ゴムの苗を育てているのは
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる若者たち。
彼らが、休日、ボランティアで
野菜栽培の傍ら、ゴムを育てる。
この体験によって、
将来、地元に帰って
農業を始めたとしても
農業技術を受け継ぐ事ができる。
やはり、農業は、ミンダナオの基幹だからだ。
家庭収入や農場主の利益を得るための
過剰労働は、チャイルドレイバーだが、
こうしたお手伝いは、地元に利益を
還元していくことによって
子どもたちに、将来生きていく自信と
夢をあたえてくれる大切なプロジェクト。

むしろ心配なのは、
日本の子どもたちの方で、
「お手伝い」という考えを、
日本の家庭は、失った?
「お手伝いなんかしなくても良いから
部屋で、勉強してなさい!」
そういわれて、部屋に閉じこもり
机の引き出しから
電子ゲームを出して孤独に一人遊んでいる?
本来子どもたちに必要なことは、
家族が、みんなで助けあい、
生活のためにも協力し合う事だろう。
家族だけではなく、
村でも協力し合い支え合う。
貧困にあえぐ、マノボ族の村には
貧しくても、そのようなすばらしい
家族の愛や、人々のつながりが生きている。
先進国の人々は、現地を深く見ずに
子どもが親を助ける姿を見て
チャイルドレイバーで子どもをこき使っている
と言うことがあるが
問題は、そんなに単純ではない。

 
 
 
 
 

学校教育で教わることなんか、
たかがしれている部分もある
競争原理のエリート主義の限界だろう。
ともに汗を流し、協力し合い
助けあって生きていくことを
お手伝いと遊びから学ぶことが、
生活の基本を作る?

夕刻に、苗が現地についた 
MCL本部のある
キダパワンから
目的地までのアラカンは、
先月の大雨のために
山道の各地が土砂が崩れ
ダバオ経由でないと
到達できない。
目的地までは
5時間の道のり。
その日は、山で宿泊。
MCLの下宿小屋で
泊まった。
このアラカン地域にも
沢山の奨学生がいる。
彼らが、積極的に
今回の植林を支援している。
MCLで古着を
渡しているので
ちょっとオシャレだが
電気も無く、
本当に貧しい地域だ。
こうしたボランティアに
積極的に携わり
村を子どもたち自身が
活性化していく
そうした体験の
意味は大きい。
下の写真のスカラーは、
ザイノディン君
キダパワンのMCLの
下宿に住みながら
大学に通っている
イスラム教徒。
今回も、イスラム教徒の
若者たちが
積極的に参加してくれた。
このアラカンの山から
流れ出す泥流が
鉄砲水となって、彼らの住む
リグアサン湿原地帯をおそう
その根本的な原因を知り
自らその対策に
のり出す体験に
大きな意味があると思う。

  
 
もちろん、MCLの奨学生
たちだけではなく
作業の根幹をなすのは
地元の人たち。
その多くは、
奨学生たちのお父さん、
お母さん、お兄さんや
弟姉妹たち。
「親の背中を見て育つ」
と言う言葉が、
そのまま通じるような
場面に良く出会い感動する。
親が楽をするために、
子どもに過剰な
労働を押しつけるのは
かなり大きな問題があるが、
親を助けて、
一生懸命手伝おうとする
子どもたちの一途な姿には、
先進(?)諸国には
見られなくなった
発展途上(?)国の美しさと
感動がある。
子どもたちが、
MCLのスカラシップに
応募してくる理由の90%も、
将来、大学に行って
良い仕事について、
親を助けたい!
兄弟姉妹を学校に
行かせてあげたい!
どんなに貧しくとも
自分の家族を
常に思って頑張り
食べ物が無く、
電気も無い村の不便な
生活でも、
いつも故郷が懐かしい!
ここでは、故郷という言葉、
家族という言葉が
ちゃんと生きている。
否、言葉が
生きているのではない
故郷があり家族がある。
そのようなミンダナオの
良さを失いたくない
むしろそこから学びたい、
ミンダナオ子ども図書館を
施設とせず
村の共同体とつながった
一体となった運営をしようと
考えてきた理由だ。

  








写真は、
奨学生のお父さん、
お母さんたち。
MCLとつながることによって
彼らの顔も明るく
希望に満ちてきた。





いよいよ植林が始まる 
いよいよ植林がはじまった。
当日は、さらに
多くの奨学生たちが
参加した。
他の地域から来た、
イスラム教徒の子
クリスチャンの子たちが
このマノボ族の集落に
集まってきた。
このように、
ボランティアに参加しつつ
別の宗教、別の種族、
別の地域の
人々の生活状況を見て
ただ見るだけではなく、
生活支援に積極的に
関わる体験をする。
その事が、将来どのような
仕事につくにせよ
平和構築、生活構築にも
意味がある事だと
つくずく思う。
まず大切なのは、
友だちになること。
友だちになって、
相手のことを
自分の事のように
思えること!
そうした気持ちを育てることだ。
植林には、MCLの
若者たちだけではなく
地元の子どもたちも
日本からの訪問者の
若者たちも参加。
村には、保育所があり、
そこの子どもたちも
保育所の先生といっしょに
植林に参加した。


諏訪淑子せんせい
寄贈の保育所



上の写真は、保育所の先生
日本の保育園の子どもたちも
先生といっしょに
このような経験が出来ると良いのに!
自分たちの村を、
自分たちの手で作っていく体験を・・・


こうした子どもたちの姿は、感動的だ! 
 
彼らは、ほとんど裸足で
山の斜面を駆け回っている。
お父さんやお母さんが山で
仕事をしているときに
親や兄弟姉妹の洗濯も
みんなで川でする。
お父さん、お母さんの
お手伝いを
友だちといっしょに
することの喜び!
自分たちが、
役に立っていることの
深い満足感と誇り。
それが顔にも表れている。  
要所要所で、
大人が指示を出して
教えてくれる。
村全体が、一つの家族だ!

このすばらしい
子どもたちの様子を
松居陽がビデオに収め
ドキュメンタリーとして
まとめている
是非日本の人たち
特に子どもたちに
見せたい、と。

 
 
 
よろしかったら、
マノボ族の村に泊まって
あなたも是非
植林に参加してみてください。

600本近いゴムの苗が
あっと言うまに
植えられていく。
最後に土をかぶせるのは、
お父さんや
お兄ちゃんの役割。
肥料を加えて
根が傷まないように押さえて
土をかぶせていく。

ゴムが収穫できるように
なるには8年かかる
しかし、その間に、
バナナなどを植えられる。
いったん大きくなり始めると
50年は、収入が約束される。
さらにその間、
沢山の種が毎年落ち
それを拾って苗を育て
さらに、自分たちの
土地に移植し
ゴム林を増やしていける。
MCLが、苗だけではなく
輸送代、肥料代、食事代
ときには、共同農場の
購入や費用を支払う。








 
お父さんといっしょに

まだまだ、無限に植林を
していかなければならない。
まだまだ、無限に木を育て
子どもたちを育てて
行かなくてはならない。
皆さん植林支援
よろしくお願いします。
村人の食事代、ガソリン代、
肥料代含む

植林参加したい方は、
事前に教えていただければ
スケジュールを合わせます。
一生の想い出に
なることでしょう!

  



父親やおじさんに教えてもらいながら
ゴム植林の技術を学ぶ若者たち 

夕暮れて、みんなでMCLが準備した
ご飯をお腹いっぱい食べました 
    
 
植林では、
最後に村人たちの
全員の食事も用意する。
仕事が終わって
みんなで食べる
食事の美味しいこと
 
僕らもお手伝いしたんだよ!
8年後、この子たちも
大きく成長しているだろう

ゴムの植林のための穴を掘った 
5月30日UP
洪水対策支援は、下流における
リグアサン湿原の洪水被害対策と
上流のアラカン地域における、
マノボ族の植林対策にわかれている。
下流で直接洪水の被害をうけた、
イスラムのリグアサン湿原周辺。
水は、軒下まで達した。
現地は、政府関係者でもなかなか入れない、
反政府地域であるだけに
その被害の正確な報告は不可能だろう。
たとえば、スイレンなどの水草で家屋が倒壊した結果
子どもなどの死者も出たという。
2000年、2003年の戦闘による被害も、
報道されたものと、現地で聞いた、
「死者を埋めることも出来ずに川に流した」
と言う話には、大きな隔たりがある。
報道関係者も容易に入れない
地域だなだけに、致し方ない。
今回の洪水対策は、すでにご報告したように、
リグアサン湿原地帯では、生活再建支援を重視した。
ARMM(イスラム自治区)は、水田がおおいので
ビニールシートを配布した。
これは、草屋根が腐敗して穴があいた家が多く、
雨のときに雨よけと同時に
湿原地帯故に、乾燥した土地が皆無で、
収穫した米を干す場所がない。
そうした意味では、ビニールシートは、
米を乾燥させるためにもおおいに役立つ生活支援だ。
ピキットサイドは、集落単位で漁網をしえんした。
集落に大きな漁網を3つと、木の舟を2艘ずつ配布。
女性グループを組織して、
女性たちの責任と管理で、利益を分配する。
しかし、下流の生活支援だけでは、
洪水の抜本的対策にはならない。
洪水の起こる大きな理由は、上流地帯にある。

1900年中旬ごろの急速なジャングルの伐採。
ラワンなどの多くの木々が、先進国、
とりわけ高度成長期の日本に輸出された。
純粋な原生林であるジャングルは、
ミンダナオの9%と言われている。
今も、不法伐採は続いているのだが、
こうして裸になった斜面には
低地をおわれた先住民が多く住んでいる。
ここに、森林を回復させない限り、
洪水の抜本的問題は解決しない。
それが、上流のアラカン地域における
ゴムの植林プランだ。

 
植林をするにあたって、
木の種類を選ぶさいに、
かなり検討をした。
ゴムに関しては、
最初は、わたしは否定的だった。
農業作物ではなく、
輸出に依存した工業作物であること。
ゴムを固めるために、
多少の科学薬品を使うことなど・・・。
バナナプランテーションに
比べれば少ないが・・・
しかし、長年ゴムを育てて、
土地を守ってきた実績がある
マキララ地域を見て
ゴムの良さも見直すようになってきた。
 1,下草を過剰に刈る必要がなく、
  プランテーションバナナのように
  大量の除草剤をまかなくてもよい。
 2,大量の殺虫剤も必要ない。
 3,野生に近い地バナナや
   山芋などを平行して植えられる。
   ゴムの成長には8年かかるが、
   それまでの収入源になる。
 4,いったん成長すると、
   長い年月、安定した収入になる。
 5,トッピング(汁をとる)作業に、
   多くの人々が関われるので
   収入を分かち合える。
 6,種が毎年落ち、
   それを家庭で栽培して苗を作り
   さらに自分の土地に広げられることにより、
   ゴム林を拡張していけると同時に
   他の家の収入に拡大していける。
 7,果樹にくらべて腐敗せず、
   メンテナンスや出荷が
   山岳地域でも比較的容易である。
こうして、ゴム園を広げていくことによって、
土地から収益が上がり
マノボの人々も、容易に土地を、
町の金持ちに買収することが無くなり
マノボの人々の生活を守る結果にもなる。
さらに、自身の収入によって、
わが子を学校に行かせられるようになる。  
ゴムの植林は、皆さんからの
寄付によって進められています。
最初に、アラカンのキアタウ
(訪問者でこの村に
泊まれられた方も多いと思います)
その下のケロハス、そしてカヨパトンとパコパコ。
すべて非常に貧しいマノボ族の集落で、
ここから多くのMCLの奨学生たちが来ています。
すでに、草刈りが終わり
(そのようすは掲載)ました。
今回は、ゴムを植え付けるための
穴掘り作業が行われました。
いよいよ、6月初旬には、
MCLの奨学生をまじえて
ゴムの植林が始まります。
今は、ゴム以外にも
カカオ、コーヒーも視野にしれています。
植林支援は、1ヘクタール 6万円で可能です。
全作業代とガソリンや食費込み。 
郵便振替用紙に、「植林支援」と書いて、
振り込んでいただければ幸いです。
振り込まれた方には、
季刊誌をお送りしています。
郵便振替口座番号:00100 0 18057  
口座名:ミンダナオ子ども図書館



 
 
 

グマイでの読み語り 
    
   
山のマノボ族の地域グマイ村
キダパワン司教区の
ピーター神父の
指導により、
バナナプランテーション化から
自らを守ってきた地域だ。
この村の中心には
巨大なマンゴーの
大木がある。
その木の下での読み語り。
わたしたちは、この木を
トトロの木と呼んでいる。
この木にはトトロが
住んでいて
彼が、保育所を
寄贈してくれたから・・・
マンゴーの木は、
とても不思議だ。
下の写真のように
枝の一つの葉が
ピンク色になる。
まるで花が
咲いたように・・・。
 
 
 
おおきなマンゴーの木の
すぐそばの保育所。
この保育所を
寄贈してくださったのはトトロ。
この大きな木に住んでいる。
この木には、
トトロが住んでいる。

 
 大晦日の夜
みんなで観覧車に乗った!
 
左は、陽が
ドキュメントを撮影中の
ストリートチルドレンたち
  
 
 

あこがれの綿菓子を食べた! 
    
  

北原良夫さんと娘さんが来られた 
 

この山の向こうサリンシン集落で
国軍とNPAの戦闘が起こり、
マノボ族が避難民化している 


 

北原良夫さんの
娘さんも日本から参加。
ご主人は、牧師さんで、
支援活動に詳しい
 
ここは、貧しいマノボ族のアマベル村
まだ、生活はよい方だが、この奥に
極貧のサリンシン集落があり、
そこから120名ほどの避難民が来ている。
サリンシン村は、右の写真の奥に見える
山々の中にある。本当に小さな村だ。

ここに立つと、遠くの山奥から、
ドーーーン、ドドーーンと大砲の音が聞こえてくる。
ヘリコプターからの襲撃もあり、
国軍が入っているので、
ときどきバラバラバラと機銃掃射の音もする。
なんで、こんなへんぴな所で、
戦闘などが起こるのだろうかと、
不思議でならないが、反政府軍の掃討作戦だという。
サリンシン村からは、
ミンダナオ子ども図書館の奨学生も
採用しているので不安だ。
右の写真が、奨学生のインカル君。
マノボ族で、アマベル村に保育所を建設したときに、
彼が大きなバナナの袋を
頭に載せて来ている姿が印象的で声をかけた。
誠実で寡黙だけれど、一生懸命な姿が好感持てた。
「名前は?」と聞いてビックリした。
インカルという名字だった。
インカル家は、キダパワン市の
初代の市長の名前だ。
初代の市長は、マノボ族で、
ミンダナオ子ども図書館のあるマノンゴル村の首長。
MCLのある土地は、
インカル家の最後の土地だったのだ。
それを売ってくださったのは、
市長の娘のスーザン インカルさん。
とてもよい方で、ミンダナオ子ども図書館の
ボードメンバーをしてくださっていたが
数年前に亡くなった。
インカル家は、その後、どんどん土地を手放したり、
大学や学校に寄贈して、
一族は、山に山にと追いやられていった、話は聞いていた。
MCLのある、マノンゴル村では、
名前こそ名門だが、三食たべられないほど貧しく
子どもたちの数人は、
ミンダナオ子ども図書館で食べたり、
奨学生に採用したりしている。
話を聞くと、彼は、山に追われていった一族だった。
    
こうした集落に着くと、
必ず子どもたちの状況や
健康をチェックする。
 

至急、現状を調査し

上のサリンシン集落から、たくさんの家族が、
このアマベル村に逃げてきている。
ここには、親戚の家がある人や知人もいて
外で寝るような状態ではなく
ハウスベースといって、
親戚や知り合いの家に逃げ込んでいる。

しかし、親戚とても、
豊かであるはずもなく
一番困っているのが食料だ。
ただし、マグペット市の
福祉局に
事前に確認したところ、
とりあえず
副食の缶詰などを
渡すことがわかったので
ミンダナオ子ども図書館では
まずは古着と靴の支援を
することにした。
サリンシンの子どもたちは
極度に貧しく
しかも、置いてきた
古着などをとりに
村に戻ることも
許されていないので
着るものも大変だ。
まして、靴どころか
草履もない子が多い。

 
ミンダナオ子ども図書館では、
この村に保育所を建設しているし、
しばしば読み語りも行っている。
さらに山中のサリンシン集落には、
一時間以上かけて歩いて訪れ、
そこでも読み語りをしている。
人々は、MCLを良く知っていて、
それだけに救済支援に来てくれたことを、
心から喜んでくれた。
地元の福祉局が、
わずかな缶詰を支援しただけで、
こんなところに救済支援に来るのは、MCLだけだ。
しかし、奨学生もいるので
放っておくことはできない。


 
不平等な社会が原因で起こる貧困。
お金と利益を生むための資源を優先し
現地の状況を無視した開発が、力ずくで進む限り
こうした戦闘は、無くならないと感じてならない。
日本が戦後良かったのは、
教育の機会均等と、
農地解放による土地の配分の
均等化政策がとられたことが大きいと思う。
  

翌日 古着の支援をした
背後では、サリンシン集落に向かって撃たれる
砲弾の音が聞こえた
 
砲弾の音がする中、
子どもたちや親にも、
日本から贈られてきた
靴と古着を配った。
山奥のサリンシン村から、
150名ほどがこの村に
逃げてきている。
帰ることができず、
家畜も置き去りで
田畑も荒れたまま。
精神的にも、
落ち込んでいるが、
多くが親戚や
友人の家に滞在し、
たくましく生きている。
大砲におびえ、軍に脅されて
強い日照のなかに
2時間立たされても、
わずかばかり食物を採りに、
時給地に帰ろうとする。
数人は、死亡していている。
マグペット市の福祉局が唯一
缶詰などの支援を
しているが、足りない。
MCLが訪れたことで、
少しは元気に
なってくれたようだ。





















 
古着のはいった段ボール箱を
載せた4WDの後ろに
大勢の村人が集まってきた。
まず子どもたちを優先して、
一人一人古着を手渡していった。

こんなすてきな靴、
履いたことがない!

北原良夫さんの
娘さんも日本から参加。
ご主人は、牧師さんで、
支援活動に詳しい

すごい熱気が周囲を包む。
皆、大喜びだ!
  

こうした体験を、
多くの日本の若者や
中高年の人々と共有したい。
見ると聞くとは大違い。
実体験のすばらしさを、
毎回ひしひしと感じる。

MCLにテレビ東京が
撮影訪問

 1月4日の午後6時半、
『正月スペシャル・なぜここに日本人』
で4.50分放送された
なぜここに日本人
マノボ族の首長になった
日本人

映像を 見たい方は ここをクリック 
 映像を 見たい方は ここをクリック  
    
 
今回の取材は、本格的だった。
だいたいにおいて、
このような反政府地域の湿原や山岳地域に、
テレビカメラが入ること自体、初めてだろう。
今までも、取材は受けたが、
過去はほとんどが直前になって
ストップしていた。
理由は知らない。
協力しても、MCLの名前も出ない事もあったが・・・
長年テレビを見ていないし、
マスコミのことはわからないが、
ここまで取材するとは、驚きだった。
さすがに20カ国以上
取材してきたベテランだからだろう。
「20カ国以上取材してきたけど、
MCLのような暖かい歓迎の体験は初めてでした」
という言葉が忘れられない。
取材の途中で、涙を浮かべていた事も・・・
 
純粋なマノボの文化が、
テレビもない集落から
発信されるのも珍しい。
フィリピンでは
先住民族の文化が、
ショー化されて紹介されるのが
いつも不愉快だった。
文化は、
心と祈りと精霊たちに
満たされた世界だから。
 
 
マスコミの事は
わからないので、
記事は思い込みで
勝手に載せました。

戦時中に日本軍も司令部を置いた
ピキットの要塞跡で、初めての
平和の祈りの祭典を開催


  

MCLの若者たちによる、祭典が始まった  
 
  
戦争の絶えなかった
イスラム地域ピキット
その中央にそびえる
スペイン時代の要塞跡で、
平和の祈りをすることは、
長年の夢だった。
ここは、日本とも
深い関係のある要塞跡で、
第二次世界大戦の時に、
ここに日本軍の
司令部が置かれ
激戦が展開され、
多くの犠牲者を出した場所だ。
地下には、
防空壕が掘られているが、
未だに、調査は
されたことがないという。
この地で、私たちは、
子どもたちと一緒に
ミンダナオ、フィリピン
そして世界の平和を祈った。
カトリック(OMI)の司祭 マノボ族の首領 プロテスタントの牧師

ピキットの市長

ミンダナオ子ども図書館の若者たちが、
自らの手で企画した、
第六回平和の祈りの祭典!
ピキット市長、多くの村長、
そしてイスラムの聖職者、
マノボ族の首長たち、
プロテスタント教会の牧師、
地元カトリック教会、
オブレート会の神父も参加し
子どもたち若者たちと共に祈った。
スペイン軍が滞在した時代からはじまり、
第二次世界大戦のときの、
日本軍との激戦を経て、
さらにフィリピン政府軍と
イスラム反政府組織の
40年にわたる戦争で犠牲になった
多くの人々を想いながら祈った。

イスラムの踊りをおどった 
   
マノボ族の儀式もした 
  
   
  
 

みんなで平和の歌を歌って祈った 
    
 
りわけ戦闘の狭間で、死んでいった
子どもたちのために、心から祈った!
現在、フィリピン政府とMILF反政府勢力との
平和交渉が始まった事もあり、
本当の平和がくるように!
そして、隣国である日本や韓国、ロシアや中国、
インドネシアや東南アジア諸国と
平和のなかで隣人としての友情を結べるように、
さらに世界の人々と、平和のうちに
愛を分かち合えるように!
私は、集まった人々の前で、
日本人として日本軍が行った残虐な行為を、
心から謝罪した!
 
 

今回の平和の祈りに関して執筆した、季刊誌
ミンダナオの風37号を特別掲載しました。 ここをクリック(PDF)

季刊誌は、登録いただいた方に、自由寄付でお送りしています
 
 

イスラム地域、リグアサン湿原の村に
読み語りに行った

    
   

ちょうど結婚式に向かう舟に出会った 
 
テレビ東京のカメラが同行。
反政府組織の活動地域であるこの湿原に、
TVが入ること自体が初めてだろう。
少なくとも海外スタッフが・・・

 いよいよ、読み語りが始まった

「はらぺこあおむし」を
読むのではなく
語るのは、
イスラム教徒のアミンさん
 

妻のエープリルリンも語った 
 

最後にみんなで踊り、「おおきなかぶ」の劇をした 
   
 

建てたばかりの保育所がまぶしかった 
  
   

テレビ東京が同行して
アラカンのキアタウ集落で
マノボの収穫祭に酋長として参加 

 

ミンダナオ子ども図書館の奨学生たち

収穫祭の準備が始まった 

お祝いに欠かせない、豚の丸焼き
カエルもトカゲも沢ガニも、
とっても美味しい

周囲の村の酋長たちが
集まってきた
私もその一人

収穫祭の踊りが始まった 
   
    
 
    

収穫祭を祝っての食事 
    
    
  
    
 
普段は、ろくに
お米も食べられない
子どもたちだけに、大満足だ
 

収穫祭の前日
愛すべき村キアタウ 

  

繰り返し古着を
渡しているので
とても貧しいのだけれど
着ているものだけは、
とても良く見える
すべて、日本の方々からの
支援の古着だ。 
感謝!
 

前日、村人たちと一緒に、カサバイモを掘った  
村の酋長(首長)の一人で、
奨学生(右の子)のおじいちゃん
 
  

丸焼き用の豚 
   
   
 
私たちのために
パパイヤを採ってくれた
 
夜は、この村で泊まった。
希望者は、泊まれますよ!

 第3回自由都市・堺
平和貢献賞を受賞しました!

大賞がお二人、奨励賞が一人です
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_jinkenbu/heiwa_jyusyo3.html#shorei
詳細は、上をクリック
大賞

Daw Aung San Suu Kyi
(アウンサンスーチー氏)



1945年6月19日ヤンゴン市(旧ラングーン)生まれ。ミャンマー連邦共和国在住。
国民民主連盟中央執行委員会議長(中略)
同氏は、1945年、ビルマ(現ミャンマー)の国民的指導者アウンサン将軍の娘として生まれました。
1988年に民主化運動に参加、国民民主連盟(NLD)を結成し、総書記に就任しました。
しかし、1989年に国家防御法違反により自宅軟禁され、一時の中断を経て、2010年まで軟禁状態におかれました。
 このような中、同氏は1991年にアジア女性として初めてのノーベル平和賞を授賞されました。
 2012年4月には、議会補欠選挙の結果、アウンサンスーチー氏を含む関係者の政治参加が実現し、
ビルマ(現ミャンマー)では、民主化及び国民和解、持続的発展に向けた改革のきざしが見え始めてきました。
贈賞理由

同氏は、ビルマ(ミャンマー)の民主化運動を阻止しようとする軍事政権の圧力により、
1989年から長年にわたり、軟禁生活を強いられるという逆境にも屈せず、
自国の民主化、平和尊重に尽力してきました
2010年11月、同氏は解放され、本年、同国において選挙が行われるなど、
今後、同国の民主化への道筋の中で、重要な役割を果たすことが期待されています。
同国の民主化は、同国の人々の基本的な自由・権利の確保のみならず、
アジア地域全体の平和・安定にも寄与するものと考えられます。

台湾赤十字組織

1904年3月、上海万国紅十字会として設立、1933年、中華民国紅十字会と改称しました。
1949年、同団体は台湾に移り、1954年、台湾における法に基づく唯一の民間団体として、
現在も各国の赤十字と交流し、国内外の人道支援に尽力されています。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災においては、同団体は、台湾の人々から寄せられた支援金から、
ただちに約13億円を日本に送金、さらに約4億円を追加し、
合わせて約17億円が日本赤十字社を通じて被災地の緊急復旧作業の支援に充てられました。(後略)
贈賞理由

東日本大震災は、各地にかつてない甚大な被害をもたらし、今も避難生活を余議なくされる方も多く、
復興にはまだ多くの時間が必要な状況です。
 そのような中、我が国に対し、多くの国・地域から支援が寄せられました。
とりわけ台湾の人々からも、同団体を通じて多大な支援をいただき、
その規模はアジアの国や地域の中で最大のものでした。
 特に、同団体は、救援金を被災地の実情に即したきめ細かな支援に充てるため、
被災市町及び日本赤十字社と連携し、継続的な取り組みを続けています。
 これら同団体の活動は、被災地の復興はもちろんのこと、
今後の日台関係の発展、
及び広くアジア太平洋地域の平和・安定の構築に大きく寄与するものと高く評価します。


ミンダナオ子ども図書館は、奨励賞をいただきました! 
奨励賞

松居 友(まつい とも)氏

受賞者紹介

1953年3月2日東京生まれ。
フィリピン キダパワン市在住。
児童文学者、
ミンダナオ子ども図書館館長。

フィリピンでは、第二次世界大戦後、
南部のミンダナオ島で独自の文化・社会を築いてきた
モロ(イスラム教徒となった先住民族の総称)と
政府の対立が先鋭化し、
1970年には民族自決を掲げる
モロのゲリラと政府軍との戦闘がはじまり、
多くの犠牲者や避難民が生まれました。 
2003年には停戦合意がなされ、
断続的に和平交渉が続いてきましたが、
現在も不安定な状態が続いています。
2000年に偶然、ミンダナオ島を訪問した同氏は、
紛争により難民となり、
貧困により疲弊した子どもたちが、
笑みどころか表情を失っている光景を見て、
この子どもたちを救いたいという強い思いから、
島に残り、絵本の読み聞かせ活動を始めました。
2003年には、さらに活動を拡大するため
「ミンダナオ子ども図書館」を設立し、
小学校や保育所建設、医療支援、
奨学金の付与なども行っています。
現在も同図書館には、
貧困等で自宅からの通学が困難な、
言葉も宗教も違う約100人の
子どもたちが共同生活しており、
同図書館はこれまでに、
同図書館に居住する子どもたちも含め、
さまざまな事情を抱え、
学校に通うことが困難な約630人の
子どもたちに奨学金を付与してきました。
近年は、日本の不登校やひきこもり等の
課題のある青年たちを招き、
フィリピンの子どもたちとの交流を通じて、
生きる力をつけるための活動も行っています。

贈賞理由

宗教、民族間の争いが続くフィリピン、ミンダナオには、
貧困のため、十分な教育、医療を受けることができない
多数の子どもたちがいます。
同氏は、道路も十分整備されていない
山岳地帯などの村を訪ね、
絵本の読み聞かせ活動を通じ、子どもたちが、
自身の文化や民族の誇りを再認識する支援をするとともに、
訪問の際、医療が必要な子どもたちへの
きめ細かな支援を行っています。
また、同氏は、言葉や宗教の違う子どもたちが、
互いの文化を知り、違いを認め合い、
共同生活する同図書館運営などの中において、
一貫して民族、宗教の違いからくる対立の解消への取り組みを進めています。
同氏のこれらの取り組みは、個人の尊厳の回復、
同島における民族和解を促進し、
多様性を認め合う社会の実現に大きく寄与するものと評価します

授賞式は、10月25日、堺市で行われます。
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_jinkenbu/heiwa_jyusyo3.html#shorei
詳細は、上をクリック
ミンダナオ子ども図書館支援方法
上をクリックしてください

戦闘の合間をぬって
保育所の開所式を実施した


 
うっかり保育所の写真をスタッフが撮り忘れました。
保育所を支援してくださった、
中本山實相院発菩提心の会の
サンタクロースの皆さん、トトロの奥様
近いうちに保育所の写真を掲載すると同時に、
10月の季刊誌に同封して、写真をお送りします。
予定通り、ゆめポッケも配りました。
 
 
上記でピキットで戦闘が起き、
避難民が出た事を記した。
戦闘は、MCLが協力して建設した
ブアランと山岳部で始まったが、
MIFL側が、BIFFに、
政府との平和交渉の結果を待つように圧力をかけて
とりあえず治まっている、と書いた。
避難民が出始めたとき、MCLでは、
上の写真で載せたように、ビニールシートを届けた。
そのとき、ピキットで砲撃が始まり、戦車が向かい、
大砲の音が聞こえ始めた地域が
リグアサン湿原ぞいのこの地域だった。
まさに、二つの保育所を建設中だっただけに、
建設はストップし、状況次第となった。
実は、MCLでは、この地域が
戦火に近く見舞われることを予想して
カバサランとバロンギス集落に保育所を建設したのだった。
なぜ?と思われるかもしれないが、
今、戦火に見舞われそうなこの地域に保育所を建設し
いざ、大変な事態になり、
人々が困窮したときに駆けつけられるような信頼関係を
今のうちに築いておこうと思ったからだ。

 
事態は、思った以上に早く進展し、
まだ建設が終わっていないうちに戦闘が始まったが、
上記のような理由で
一時休戦といった状況に入った。
ピキットの福祉局や現地からの情報を集めた。
この休戦期間に、
ほとんど完成している保育所を建設し終えて
開所式を済ませられないだろうか・・・ 
イスラムのスタッフが動いた。
結果的に、保育所は完成し、
状況を見極めて、開所式を実行する日取りを決めた。
最悪の結果も考えて、
子供たちは同行させないことにして、
読み聞かせは、スタッフで簡単に行うことにした。
それと同時に、
たえず戦闘に見舞われているこの二つの村は
立正佼正会の方々から贈られてきた、
「ゆめポッケ」という
母親たちが、手縫いで作ったバッグに、
子供たちと選んだ学用品に
ぬいぐるみを加えたものを渡す予定を実行した。
http://www.ichijiki.org/does/goods/dream-bag/
(MCLは、non-rerigious sect
特定の宗派のもとで活動しないが、宗派を超えて
良い支援、心の籠もった支援のお手伝いは喜んでする。
ゆめポッケは、一つ一つ手作りで、
子供たちにとっても喜ばれている。)

今回もただ開所式のサインをするのではなく
子供たちに読み聞かせをすると同時に
ゆめポッケを配ることで、
子供たちがとっても喜んだ。
つい一週間前には、
砲撃音がしていた地域だけに
最初は、さすがに村人も
緊張した顔をしていたし
MILF側の警備も物々しかったが
学用品とおもちゃをもらって
子供たちが喜ぶ顔と、
読み聞かせでの歓声や笑い声で、
さすが村人たちも
つかの間の平和を感じていた。
ライフルを持った一人が曰く
「MCLは、他と違うなあ・・・」

 
 
 
 
 
カバサランとバロンギスに着いた 


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ここは、
軍は入れない地域だが
年月をかけて、
福祉局は入れる。
わたしたちも、
5年以上のお付き合いで
もちろん奨学生たちもいる。


わたしたちを
警護してくれているのは
MILFの人々だが、
いつも思うのは
いったい何から
守ってくれているのだろう?


川沿いに舟で行くと
子供たちも、
人々も最初はちょっと
緊張したような顔で見るが
MCLであることがわかると
大喜びで手をふってくれる。
下は、
奨学生たちもいる小学校、
子供たちも
MCLを知っている。


対岸は、
ARMMイスラム自治区で
同行した福祉局の職員たちも
緊張気味だが、
そこにもMCLの建てた
保育所もあり、奨学生もいて
人々が手をふるので、
あっけにとられている。
MCLは、
政府も反政府も関係なく
貧しく困難な状況にある
子供たちの所なら
どこにでも行く・・・
 
 



右は手の不自由な
奨学生のポールくん
大学で法律学を専攻し
弁護士になる
 

保育所の開所式
今回はスタッフが読み聞かせをした
 
 
渡辺さんご夫婦
ピーター ポールくん、
元気ですよ。
10月から、
ノートルダム大学に復帰して
弁護士をめざして、
法律の勉強を続けます。
大変困難な状況から来た
若者だけに
いろいろと迷いも
あったけれども
一歩一歩迷いながらも
しっかりと、
自分の人生を歩んでいく。
そうした成長の様子を
見ていくのも
この仕事の
楽しみの一つだろう。
 

かつて奨学生で、
大学で
マスコミュニケーションを
学んだアルベルト君。
京都暁星高校の皆さん
彼も元気で活躍しています。
ラジオ局の経験の後に
MCLにもどってきて
今は、役員もしています。


見事に、
「三びきのやぎのがらがらどん」
を語ります。
日本のみなさん、
日本語の絵本も
送ってください、
読めなくても、
自分でお話を作って
絵を見て語ることが出来る
想像力豊かな
子供たちだということが
わかってきました。


 
 

保育所のサイン式 

中本山實相院発菩提心の会の
サンタクロースの皆さん、トトロの奥様
10月の季刊誌に同封して、
写真をお送りします。

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立正佼正会から贈られてきた
ゆめポッケを渡した
    
  
右の二人の少女たちも
MCLの奨学生。
父親がいない子と
手が少し不自由な子。
でも、本当に
大喜びで駆けてきた。
ゆめポッケももらったし。


このリグアサン地域の出身で
舟に乗り慣れているはずの
スタッフのアミン君が
滑って川に落ちた?
実は、民希さんが
舟に乗るのを
手伝っているときに
民希さんが滑りそうになって
助けた瞬間
自分が川に落ちてしまった!



 



  
 

この地域は、
戦闘が絶えないだけではなく
本当に貧しい。
10月には、
本格的な戦争が
この地域で
起こると言われている。
戦争だけは
起こして欲しくない。
何よりも子供たちが
かわいそうだ

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もしも、こうした子供たちと、
日常的に出会い
長年にわたって
関係を持つことが無かったなら
戦争勃発に対して、
これほど神経質になり
トラウマ状態になったりはしないだろう。
我が子のように愛する子供たちが
半年から一年近く、
避難民生活を余儀なくされ
表情も失われていく過程を
見ているがゆえに
極度の悲しみから、
トラウマが起こりはじめる。
 
スタディーユニオン寄贈の
保育所開所式

3月17日


関 浩成さんと
立命館大学・同志社大学
の若者が参加

保育所が建つ村をしってもらうために奨学生の家を訪問


この家の子を奨学生にとっている


この家の子も奨学生に
同志社大学の若者は、
朝日新聞社に内定している、
ともに、将来有望な若者たち。
スタディーユニオンは、起業家も含め、
将来の日本を背負っていく
若者を独自に教育している。
若いときに、ミンダナオで様々な経験をし、
頭だけではなく、全身を使って
独自に物事を考える人間に成長してほしい


読み語りもした
スタディーユニオンの関さんは、
二度目の訪問
前回は、ボートで、勇敢にも
イスラム地域のナブンダスの
保育所を訪問された


同志社大学の青年は
朝日新聞への入社が
内定している
優秀なカメラマン

学用品を届けると同時に
小学校から高校への選考を開始

3月16日
小学校から高校に上がる
子たちの選考を開始

今度、高校に進学する子の
英語と国語の理解能力を調べる

ここスマヤホン小学校の子たちは、
皆合格、今度高校一年生に進学する
地震と津波の
ニュースに
子どもたちは
心を痛めています

地震と津波のニュースに、
子どもたちは心を痛めています。
支援者の人々は、大丈夫だったか?
津波のニュースを見て、泣き出す子たちも・・・
原発の爆発は、今後の日本を考える上で、
おおきな試練かもしれません。
でも、天災に対して、
一致団結できる日本人の良さを今こそ発揮して
コミュニティーをとりもどすために、全力をあげましょう。
フィリピンからも、子どもたち共々、応援します。

日本から荷物が届きました! 
ありがとう

同志社小学校 様 港ユネスコ協会 様
大沢 ミカ   様 鳥海 武夫 様
柿本 るみ子 様 Yuki Oguro 様
栗原 めぐみ 様 子どもの里 様
柿本 けい子 様 湯沢 正樹 様


送られてきたお人形が、大好評!
もう、うれしくてうれしくて・・・
引っ張りだこです

MCLに滞在した、
長谷山文香さん、
佐藤知美さん
からのお便り


長谷山 文香さんからの便り


友さん

こんばんわ。パソコンの調子が悪く、
連絡が遅れてしまい申し訳ありません。
2日前4人で集まって写真を見せていただきました。
膨大な量の写真の中から、
友さんやスタッフの方がカメラを向ける視点が
わたしたちのそれとは違ったり、
「あ、これ知らない!見ておきたかったー!」
と感想を漏らしたり
日本に帰ってきてからも新たな発見がありました。
写真鑑賞会とともに、
わたしたちの9泊10日を振り返りましたので、
うまく言葉にできていない部分がたくさんありますが、
以下に記します。
レクチャーを聞いた直後に友さんをおいかけ、
ミンダナオの場所さえわからないままに
訪問希望を申し出ました。
専門的な知識も見解ももたないわたしですが、
ゼロからのMCL滞在の珍しい1例として。
ほとんど衝動的に、訪問希望を申し出た
わたしたちですが、
正直不安でいっぱいでした
渡航情報やネットなどを見ても、
「渡航延期推奨」や「危険」の文字が。
また、経済的に子どもたちを支援できるわけでもなく、
子どもたちに何かを教える技術ももたずに訪問して、
果たして子どもたちは受け入れてくれるのか。
でも、そんな不安はMCL到着後すぐ、
子どもたちの歓迎で吹き飛びました。
わたしたちが無意識的に作ってきた壁を、
壊すのではなく、飛び越えてきてくれる感じ
「こっちもたのしいよ」と教えてくれるようでした。
一緒に絵本を読んだり、日本でいうと
「かごめかごめ」のような遊びをしたり、抱きついたり。
「アテアヤカー」と笑顔で話しかけてくれ、
可愛くって愛しくって、溶けてしまいそうでした。
思い出すと日記帳には書ききれないくらい、
たくさんの経験をさせていただきました。
キアタウという、標高の高い、
電気の通っていない小さな村で一泊したこと。
そこでホタルの木や白いペンキを
ぶちまけたような星を見たこと。
「日本人は星を見たことがないのか?」と驚かれたこと。
建設途中の保育所を見に、山登りをしたこと。
スタッフや子どもたちがナイトのように
わたしたちを気遣ってくれながらの頂上到着でした。
滞在半ばで具合が悪くなり部屋で寝ていると、
ふと目を開けた時に枕元で子どもたちが
心配してくれていたことに気づけたこと。
支援者である日本の財団、企業の方と日程が偶然重なり、
ピキットでの2つの保育所の開所式に
居合わすことができたこと。
最後の日は、学生が集まる総会が始める前から、
頭が真っ白になり涙が止まりませんでした。
泣かないって思ってたのに。
「わたしを忘れないように」と子どもたちがつけてくれた
指輪やブレスレットは、
日本では浮くくらい日に焼けた肌にキラキラしています。
ただ、楽しい滞在の中で、
行ってみて初めてわかる問題もたくさんありました。
移動中の車で、何度も
バナナのプランテーション農場の横を通りました。
バナナ以外の植物が一切生きていない裸の土壌。
農薬の恐ろしさ。
何年かすると土壌自体が使えなくなるとのこと。
そして、企業はそれを見越してか、
期間を設けて土地を借用するそうです。
今まで10円でも安いバナナを買い、
ときには腐らせてしまうこともあったわたしは
ただただ恥ずかしく思いました。
また、子どもたちの着ている服は、
ほとんどが古着ですが、
「ミンダナオは暑い」という先入観からか
(もちろんわたしもそう思ってました)、
Tシャツがほとんどのように感じられました。
標高の影響もあるのか、MCLの夜は少し冷え込みます。
シーツにくるまって寝、朝3時や4時に起きて
炊事や掃除を行う子どもたちが何度か
「寒い寒い」と言っているのを聞きました。
日本の保育の場では、保育園主催のバザーなどで
「集まりすぎるから古着は持ち込み不可」
など決められる場合もあるそうです。
それを子どもたちに回してあげられないか。
みんなに長袖を買ってあげることは
わたしたちには出来ないけれど、
アナウンスをして集めることなら可能ではないか。
就寝時間がきて、部屋に戻ると、
わたしたちの会議が始まります。
「いま、わたしたちに出来ることはなにか?」
保育学、教育学、社会学、
そして心理学といった異なる分野で
「子ども」を学ぶ4人で訪問できたからこそ、
とらえることが出来た部分も大きかったと思います。
えるだけではなく、行動にする。
これからのわたしたちの課題です。
また今回、3人中2人が「はじめまして」
からのMCL滞在だったため、
このような話を真剣に交わせる大事な
友だちが日本に増えたことも
MCL
で得た宝物となりました。
子どもたちと離れるのが、苦しくって、寂しくって、
本当は1番言いたかった「ありがとう」が
あまり伝えられなかったことが心残りでした。
今では次回訪れるときの宿題、
と都合のいい解釈をしていますが。
最後に、今までNGOの活動やボランティア、
国際情勢に足を踏み入れたこともなかったわたしが、
今回MCLを訪問したいという衝動にかられたのは、
友さんが見せてくださった子どもたちのスライドと、
こんな言葉がきっかけでした。
「子どもたちを助けようと思う前に、
まず子どもたちと友だちになってください。
友だちになれば、相手が必要としている
ものはわかってきます。」
「(日本の心の貧しさに触れて)
ぼくはMCLの子どもたちに、
『君たちが日本人をたすけてやってくれ』
って言ってるんですよ。」
本当にその通りになってしまいました。
日本に帰り、MCLを訪れた話をすると、
「ボランティアで?」
聞かれることが何度かありました。
そのたびに、
「こっちがボランティアされて
のこのこ帰ってきちゃいました。」
と苦笑している毎日です。
子どもたち、友さん、スタッフの方々、
本当に本当にありがとうございました。


長谷山文香


MCL
での記憶  
お茶の水女子大学 佐藤 知美


MCLでの10日間は
本当に毎日が楽しくてキラキラとしたものだった。

全力で子ども達との触れ合いを楽しみ、
見たり聞いたりした現実を深く考えた。

子ども達はどこまでも明るく
懐っこく又可愛かった。
こんなに日本で自分を解放できた事があるだろうか。
子ども達と共に心行くままに歌い踊り遊び大声で笑った。
MCLで過ごす間は、なるべく子ども達と
同じように過ごすよう心掛けた。
ご飯は手で食べ、
朝は早く起きココナッツの実で掃除をした。
中でも印象的だったのが、
井戸で洗濯をしている際に子ども達が寄ってきて
手伝ってくれた時の事だ。
初めは服を洗濯していたが、
しまいには私も丸ごと洗われてしまった。
太陽の下、服ごとの水浴びはなんとも気持ちが良かった。
5日目には電気のない村キアタウに一泊した。
夜6時には辺り一面真っ暗になり、
ただ蛍の光が木に宿り、満天の星空となる。
朝は太陽の光と木や葉、
家々が織り成す影はなんとも美しかった。
6日目の晩には、次の日の朝ご飯の手伝いを頼まれた。
いつももてなそうとしてくれる子ども達が
手伝ってと言ってきてくれた事が、
仲間として気を許し
認めてくれたような気がして本当に嬉しかった。
前日は夜遅く朝4時起きはきつかったが、
何がなんでも起きようと思った。
9日目は総会の後、送別会を開いてくれた。
子ども達に負けない満面の笑みでと思い、
歌い踊っていたが途中から堪えきれなくなった。
I miss you.’‘Come back again.
と泣き出す子ども達。
また必ず
MCLへと誓った。
この10日間、子ども達の純粋さに心癒され、
子ども達の屈託のない笑顔に幸せをもらった。
しかし、貧困や戦闘により暮らしが厳しい人々や
家庭環境で心に傷を負った子ども達、
家族の為学校へ行けない子ども達がいるというのも
また私達が見てきた現実である
フィリピンでは、保育園を出ないと
小学校に入れない規定が制定され
今後厳しくなっていく、という話も聞いた。
この年齢の子ども達に保育が重要だという以上に、
小学校への架け橋として保育園が必要となる。

今になって講演で松居さんが
おっしゃっていた言葉が蘇る…

「まずは友達になって、
それから出来ることを考えよう。」

10日間を通して、子ども達には多くのものをもらった。
これから大好きな友達に私達は何ができるだろうか。
最後になりますが、お忙しい中私達を迎い入れ、
多くを教え様々な経験をさせて頂いた松居さんを始め
スタッフの方々に感謝と敬意を表します。


北野財団が寄贈
マノボの山の村バンシランに
保育所が完成
開所式をした

3月7日(月)


可愛い子どもたちの
ためとは言え
モオー、人間どもは、
よくまあ
あんな山奥の村にモオー
保育所などを
たてるもんだモオー

保育所は、村人の尽力で見事完成していた


今年から、フィリピン政府は、
以前よりさらに厳しく
保育所卒業を
小学校入学の条件とした
その結果、こうした僻地の先住民は
さらに厳しい教育の
機会喪失に見舞われていく
ここでも、貧困と格差が
助長されていくのだろうか

開所式の読み語りと、セレモニー

そして、村人たちと共にお祝いの食事が振る舞われた
母親のいない
この子を
里親候補に
選んだ


開所式が終わり帰路をたどる
この日で村との関係が
終わるのではない
この日から、
この村の人々との
関係が始まる
保育所建設は、
このへんぴな
マノボ族の村との
関係の始まりなのだ。

2月のスカラシップ総会は
訪問者の
歓迎送別会となった

2月27日(日)


アルメックの役員の方々にインタビュー
こちらでの経験と印象を語っていただいた

北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/
アルメックhttp://www.armec.jp/の役員の方々、そして
お茶の水女子大と一橋大学の女子学生が訪問されていたので
その方々の紹介からスカラシップ学生総会が始まった。
訪問者の皆さんからの報告、現地での体験談は、
多くの若者たちを勇気づけ示唆をあたえた。
ミンダナオの子どもたち、若者たちは、
自分たちを遅れた途上国の貧しい人間として卑下している事が多い
また、日本の若者や人々は、
自分たちが先進国のより高度な文明社会を維持していると言う、誇りに
心を奪われて、閉塞状況に生きていることも多々ある。
共に交流することによって、お互いが保っているもの、
失ったものに気づき、真の尊敬と友情の輪が広がる。

イスラム・マギンダナオ族の踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が
披露された
訪問が、スカラシップ学生総会に当たり
みんなで歓迎と送別の気持ちをこめて
それぞれの宗教や部族に伝わる伝統を披露。
クリンタンの演奏に乗って、
イスラム・マギンダナオの踊り
マノボ族の歌
ビサヤ系クリスチャンの歌が披露された
マノボ族の衣装に身を包み
マノボ語で、
マノボの歌を歌う
学校では、
マノボ語を話すことは
禁じられていたりする。
また、ビサヤ語と
タガログ語が
一般に使われている地域で
マノボ語は、
恥ずかしい言葉
しかし、MCLでは、
読み語りなども
積極的に現地語を
使うことを奨励し
母語の大切さを日頃から
語っているので
彼等は、
臆することを知らない。
笑顔で、のびのびと
自分たちの文化を
表現している



こちらは、ビサヤ語の歌。
明るく、のんきで、愉快なのが
ビサヤの人々の特徴とされている

男子学生たちの愉快な踊りに触発されて
訪問者たちも踊った
どう見てもこの格好は、
マノボ族のモンキーダンスの系列だが?

こちらは、
伝統文化ではないが
現代的にアレンジされた
愉快なロックに触発されて
思わず
訪問者たちも
踊り出した
大喝采と笑いが
周囲を包む

北野生涯教育振興会の卒業生に
島村氏から、直接賞状が渡される
北野財団(北野生涯教育振興会)は、
トヨタや日産、ホンダの車の
ヘッドランプ等を作っている
スタンレー電気の財団
工場のある、中国、ベトナム、インドなどで
就職希望の優等生に
スカラシップ協力をしてきたが
ミンダナオ子ども図書館のようなタイプの
貧困の中でも極貧の子を支援するファンデーションに
協力するのは初めてだという。
毎年3名の大学生、2カ所の保育所を支援、
寄贈して下さっている
島村氏は、今回で二度目の訪問

今年の大学卒業生全員に
MCLから賞状
そして、卒業生たちの
後輩へのスピーチ
こちらは、MCLの今年の
大学卒業生たち
毎年、卒業生が増えていく
左のイスラムの二人の男性は
MCLのあるマノゴル村で
高校の先生見習いをしている。
小学校の頃から
すでに7年以上関わっている
子たちもいて
私も感慨深い



毎年、卒業生たちには
自分たちの経験を
後輩に発表して
もらっている
苦労話に
聞いている方も
涙ぐみことも

感動的だった最後のお別れ会

またお会いしましょう・・・MCLファミリー
スタンレー電気
北野財団が寄贈して下さった

保育所がプノルに完成
開所式に島村氏訪問


村長さんのサインをもらい
テープカットを行

北野財団
http://www.kitanozaidan.or.jp/

今回の白眉は、北野財団
島村さん主演の
おおきなカブだった

島村さんが、
おおきなカブになられた

こちらでは、
おおきなカサバイモだが、
猿もその大きさにビックリ
こちらは犬だ こっちはネズミ 村人たちの
ひさびさの大笑い?
ここは、絶えず戦闘に見舞われ
避難民化が絶えないイスラム地域
ピキットの奥だ

そんな村に、朗らかな笑い声が
みなぎった
このようなお付き合いを通して
村人たちの心が開かれ
MCLを愛し、信頼し

平和への想いが強まっていく

絵本は真の平和を作る!
北野財団http://www.kitanozaidan.or.jp/
アルメック寄贈の
保育所が完成
開所式に役員が参加

2月26日(土)
アルメックhttp://www.armec.jp/
こちらは、アルメックが
寄贈して下さった、保育所。
アルメックhttp://www.armec.jp/
到達するには、
さらに奥に行かなくてはならない。
船着き場から、乗合船に乗る。
対岸はイスラム自治区で、
絶えず戦闘に見舞われている地域だ。
市にも話を事前に通して、
DSWDのグレイスさん方も同行するが
軍や私兵も警護をしている姿が物々しい。
私たちだけで行くときは、
ここまで警護は無いが・・・

開所式の前に読み語りをした

この地域は、
イスラム地域で、
マギンダナオ族
マギンダナオ語が
話されている。
小さい子たちは、
マギンダナオ語しか
知らない子も多い


しかし、保育所では、
タガログ語が使われるので
スタッフが何語でお話ししようか、と聞くと
タガログ語!と言う言葉が返ってきた。
そこで私が、言った
「タガログ語は学校で習うけど、
マギンダナオ語は誰が教えてくれた?」
「お母さん、お父さん・・・!!!」
「そうだね、お祖父さんもその前のひいお祖父さんも・・・
だから、マギンダナオ語の方が、とっても大事なんだ。
MCLでは、読み語りの時に
その地の母語を優先する・・・」
この瞬間から、とりわけ周りの
お父さんお母さんの表情が変わった!


そして開所式が始まった
アルメックhttp://www.armec.jp/


アルメック
http://www.armec.jp/

古着の支援もした
思いがけない、古着の支援に大喜び
この地域の子たちは、
ピキットの町に出るだけでも遠い
戦闘でも、繰り返し避難民化している
対岸は、イスラム自治区のダトゥピアンだ。
今日は、なけなしのおしゃれをしてきているが
衣服がほとんど無いのは目に見えている
それだけに、大喜びだった。

祝日、ウオーターフォールに
遊びに行った

2月25日(金)


ウオーターフォール村の状況は良くない
男性も小学生の高学年の子たちも
時には家族総出で
サトウキビ刈りに駆り出され
村には小さな子どもと女しか残っていない

滝で遊んだ


訪問者の方々も
ファミリーの一員


つかの間の休日
みんなで滝に泳ぎに行った
リスター君のお兄さんも参加
すっかりMCLが
気に入った様子だ

村の子どもたちも一緒に
お昼を食べて
遊んだ


この村出身の奨学生も多い

村では、
3食たべられない家族も多い
肉や魚どころか
米のご飯も食べられない
それがわかっているので
村の子たちも皆呼んで一緒に食べ
一緒に遊んだ

北野財団の寄贈
カンポゴンの保育所を目指して

2月24日(木)


北野財団の寄贈して下さった
カンポゴンの保育所は馬で行く


馬でも歩けない場所は
ジャングルを徒歩で
登っていく


この村の小学生、高校生は
この道を毎日
通っているのだ

カンポゴンの村に着いた


ようやく、
山上の尾根にある
カンポゴンの村に着いた

建設中の保育所を目指して
最後の登り


資材を運び上げる困難から
開所式には
間に合わなかったが



一生忘れならない
想い出になった

みんなで昼食

ようやくラナコランの下宿小屋まで帰ってきた

あの山奥の子たちが
安全に通えるように
この下宿小屋を
使っている

高地マノボ族の村
キアタウに泊まった
2月23日(水)

キアタウの子どもたちと

翌日は、馬に乗り
保育所の開所式に出発

マキララを訪ねる
2月21日(月)

マキララの奥の小学校、
2年前に初等小学校から
6年生の小学校に・・・
この村は、5年ほど前までは、
NPAの拠点でもあり
戦闘が絶えなかった。
山麓に広がる、広大な
ドールのバナナ農園を抜けて、
山岳民族の集落を越えて
移民系のこの集落に達する道程は、
グローバル経済の抱えている矛盾を
目の前で理解できる。
ドールのバナナを覆っている
新聞紙は、日本の新聞
日本向けのバナナプランテーションが、
人々を追いやり
それに反対してNPAが
立ち上がり戦闘が起こった。
私が、来た2000年頃は
危険地域では入れなかったが
今は、この地から
多くの奨学生を取っているし
MCLの農場もある。
上記のイスラム地域と
同じ問題が、ここにもある。

この村で、今高校を建てようとしている。
はるか山麓にしか高校はないから・・・
MCLジャパンで、土地を寄贈、
今年の6月から
一年生のクラスが始まる。
右の掘っ立て小屋は何かというと
村人たちが、一生懸命出資して
小学校の子たちも、トウモロコシを栽培して
やっと建て始めた、高校の教室。
この掘っ立て小屋で
6月から授業が始まる。





こちらは、小学校。
かつては、屋根だけの
下で勉強していた
初等小学校だったが
2年ほど前に
教育省が
教室を作った

小学校の側にある、MCLファーム
MCLの農場を
守って下さっている
ピサンさん一家
子どもたちは、奨学生。
この地に、今、MCLは
下宿小屋を建て
ようとしている。
高校生たちが
下宿して通えると同時に
近隣の山岳地帯から
小学生たちが下宿をしながら
学校に通えるように・・・
この村には、JICAの支援で
給食事業が行われていたが
それが止まってから
学校に通えない子たちが
また増えてきたという。





ここに、高校生の下宿小屋を作り
農業をしながら勉強が出来るように
する予定だ。

リスター君の家を訪ねる
上のマノゴル村の生まれでありながら、
土地所有者に父親を殺されたリスター君一家。
まず、お兄ちゃんを迎えに行き、
一週間、MCLで生活してもらうことになった。


お昼のおかずの
芋を掘ってきた
お母さんもやってきた
この日、リスター君の
お兄ちゃんが
家族に一足先だって
MCLに来た。
3月に、姉妹が
学年を終えると
リスター君や
お母さんも含め
みんなでMCLに
引っ越す。
父親が殺された
家族たち
それでも、MCLに
来られることで
ずいぶん顔つきが
明るくなった。


犯罪心理学を学んでいる
学生もいる
何を感じているのだろうか

お茶の水大学の3人と
一橋大学の女子学生が

山上のマノボ集落を訪問

2月20日(日)

お茶の水大学の心理学を学んでいる3名と、
一橋大学で経済を学んでいる一人、
日本の若者たち4人の女性が、
ミンダナオ子ども図書館を訪れた。
きっかけは、私が、お茶の水大学で講演したこと。
学校と本で学んだことが、
初めて現地で子どもたちに出会い、
人々との交流で息を吹き返していく。
学校で見た若者たちが、時がたつたびに、
ここで息を吹き返したように
のびのびとしていく姿を見るのは、楽しい。

もともとキダパワンの市に近い、
山麓に住んでいたマノボ族が
プランテーションや
移民の土地所有に追われて
こんなにも高い尾根上に集落を作って、
住み着くことになった。
MCLに土地を譲って下さった名門のマノボ族
亡きスーザン・インカルさん
お父さんは、初代のキダパワン市長だったが、
土地を譲り、売り渡していった。
その親戚たちも、今は、低地の土地から追われ、
この村のさらに奥の集落に移っている。


自分たちの所有地は
ほとんど無く、
ホウキ草で箒を作っては
町に売りに行くのが、
唯一の収入源だ。


大事なのは、しっかりと見て受け止め
感じ取り、理解し
そして、何が出来るか考えること
この地から
高校生の奨学生を
一人選んだ。
成績も良いし
この村との
コンタクトパーソンとして
役割を果たして
くれるだろう。
家は非常に貧しいが
自ら野菜を売りながら
高校まで進学。
スカラシップが
決まったとたんに
泣き出した。


村を回って子どもたちを集める


村に着くと、読み語りの場所を決め
その後、村を回って
子どもたちを集める
そのとき、村の人々と話をし、
その地の生の声を聞き
現状を把握していく。


いよいよ読み語りが始まった

たとえ言葉が
通じなくても、
子どもたちの表情から
多くの事を
学ぶことが出来る

日本の若者たちが
ここから何を学んでいくのだろうか

その夜は、みんなに読み語りを

日本から届いた贈り物
こんにちは、・・
Excelくんに、
息子のお古ですが、学用品。
お母さんにバッグ、
皆さんに古着とぬいぐるみや
おもちゃを同封しました。
クリスマスカードと手紙を書きましたので、
Excelくんに渡して下さい。
皆さんが幸せなクリスマスと
お正月を迎えられますよう
心よりお祈りしています。
河田朋美さん、Excelくんは、MCLに住んでいます。
プレゼントをわたしました。
ちょっと恥ずかしがっていました
でも、すごく喜んでいましたよ。
横尾優子さん(福岡)、
北野財団からの荷物も届きました。


支援者の湯沢さんが帰られるので
エルマリーは泣いた!



彼女の姿を見ていると
この子たちにとって、支援者とは何かが理解できる



もくじINDEX 
ミンダナオ子ども図書館だより:サイトへGO!
現地日本人スタッフによる、
写真を交えた最新の活動報告です!
「0」ゼロに 立つための支援を ミンダナオ子ども図書館を 始めた理由
ミンダナオ子ども図書館日記(松居友制作)にGO!
松居による活動報告および
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