国際交友の記録:
2014年




訪問者の記録2014年
Happy New Year 2014
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年あけて海に行った。
子どもたちにとって、
最大の楽しみの一つ。
一月の海水浴など、
日本では考えられない!


日本からの
若者たちも一緒に
海で泳いだ 
親のいない子、
いても別の人といっしょになっていて帰れない子、
いろいろな問題があって帰りたくない子
そうした子がミンダナオ子ども図書館の奨学生に多くいて、
本人の希望と、保護者の承諾を得てMCLに住んでいる。
もちろん、完全に見捨てられた子や、
福祉局から要請があって来た孤児もいる。
親を失って、知人や親戚を転々とする場合、
もっとも多いケースが、
レイプビクティムや町の場合は強制売春。
男の子の場合は、肉体労働あたりですむが、
女の子が大変で、小学校1年や2年生の被害者の子もいて
MCLに引き取って生活している子も結構いる。
山で三食たべられない家庭の子の場合は
休暇の時には家に帰れるが・・・
親が居る子の場合は、
できるだけ親が育てるように話し、
親元から学校に通うように、説得するが、
12歳を超えると、食べ盛りになってくるし、
14歳ぐらいで、親に言われて
町に働きに出されるか、結婚を強要されるケースが多い。
親が居るという理由で、
福祉局の指導で家に帰した子もいるのだが
その多くは、スカラシップを出していても学業を中断。
学校が遠いこともあるのだが、
要するに年頃になると食べる量も多いし、
親も養いきれないから
学校になど行かないで、町に働きに出て稼ぐか、
結婚を強要される。
頭で考えた理論では、
たとえ貧しくとも、
親が子どもを責任を持って育てることが大切で
安易に受け入れるのはまずいのでは・・・
確かにそれも、頭の理論では理解できるが、
現実の生活は、学者の理論とは、雲泥の差があり
理論に従って家に帰したあげく、
学校はストップし、町で大変な状況に落ちていく子や
泣いてMCLにもどりたいという子たちに会うと、
机上の理論と現実の格差に愕然とする。
ただ、親に言われて結婚した子もいて、
幸せになってくれればそれもよいのだが・・・

 
町に働きに行く場合、
仕事は、食堂の給仕やまかないか、
家では子守や洗濯、家事手伝いで
食べさせてもらっているだけで、
仕事はきつく、給料もほとんど無いに等しい。
雇い主が善良であれば良いが、
犯されたあげく、売春を強要されたり、
雇い主の子を産んで放り出された子もいる。
MCLに助けを求めて、
ここ住んで奨学生となったケースもいくつかあるが、
その多くが、孤児や片親の子たちだ。
(正月明けそうそう、重い記事を書く気になったのも
実は、こうしたケースの背景を年明け早々に
ソーシャルワーカーのスタッフと調査しているから・・・
どの子かはいえないけれども)
町に出て、つらい仕事を強要されて
あげくのはてに逃げ出して、
親元にもいられないから、
MCLに住まわせてほしいと、
舞い戻ってきた子も多い。
貧しい家庭の子どもにとって、
貧困もさることながら、
保護者が居ないという事は、
命がけの事なのだ。
現在、奨学生は600名強いるが、
そのなかの120名ほどがMCLに住んで
近くの学校に通っている。
普通の奨学生と異なっていて、MCLの奨学金は、
優等生に与えると言うよりも、
貧困家庭のなかでも、特に親の居ない子や
崩壊家庭の子たちを優先している。
クリスマスやお正月、夏休みといった時期は、
そういう子たちが特に寂しくなる時期だ。
子どもたちが寂しがらないように、
いろいろなプロジェクトを考えるが、
海水浴もそのひとつ。
 
ふっと寂しくなる
ときがあっても
安心して暮らせる
ところがあって
しかも、ちゃんと
見守ってくれている人が
身近にいること
そして、いろいろな異なった
環境や種族、
異なった宗教でも
心を通じ合える
仲間が居ること。
血のつながりがなくても
家族であり、
兄弟姉妹であると
感じられること。
そして、お互いに
助け合って生きていけること。
しかも、小学校を
卒業するだけでも
難しいのに、
頑張れば
大学まで行けるという
夢を持てること・・・
そんな彼らを見ていると
こちらが元気をもらえる。

ボランティアスタッフの
杉菜さんと史子さんも一緒
日本から来た若者たちにとっても、
ここはパラダイス。
南国だからというよりも、
愛に満ちた子どもたちがいるから。
 

砂で遊んだ

夕方になった 



いっしょに食べて、
いっしょに寝る。



 

料理も子どもたち、
若者たちが自分で作る

ダバオ市の海岸沿いの
焼け出されたイスラムの人々を
皆で救済支援


かなり広範囲の地域が全焼した。
避難生活をする人々。
ダバオ市の海に張り出す
イスラムの人々が多く住む
貧民街が焼けた。
去年は、MCLの奨学生がいる
ササ地域が焼けた。
焼け出された、イスラム教徒
バジャウ族の人々は、
避難生活を余儀なくされた。
MCLでは、
その実態に心を痛め
早速古着などの
救済支援をした。
しかし、
駆けつけた消防隊員が
あえて、あまり
火を消そうとしなかった
と言う理由で、
イスラムの人が怒って
その場で殺害したり、
立ち退きを強制するために
意図的に火を放ったとも、
言われている。
行政に対する反発も強く
この日も、場所によっては
近づくことが出来なかった。


すぐに読み語りと
古着の支援に向かった 

読み聞かせをすることで
子どもたちは元気に!
上の子は、治療を約束。

上の写真の奨学生
左はイスラムの子
男の子はクリスチャン
MCLでは、兄弟姉妹。

古着の支援もした
レイテの台風支援は一段落したようなので、
残存している物資をこちらの方にまわしました。
レイテ支援で親のいない高校生が、
MCLに住んで学校に通い始めました。



全員で食べられる食堂が出来た!
開所式には、支援者も訪問


子どもたちの数が100人を超し、
三棟に分かれて食事をしなければならなくなり
それが寂しかったことと、福祉局の認定を得るためにも
規格にあった食堂と台所、
宿舎作りをしなければならず困っていたが
皆さんの助けで念願の食堂を作る事が出来ました。
全員がいっしょに食べられる、食堂と台所と宿舎も出来た!
念願の120名全員が一緒に食べられる
食堂が出来ました。
伴野正夫さま、佐藤浩市さま、亜矢様、前田ご夫妻
小倉ライオンズクラブ、鹿児島日本語学校などの
多くの方々のおかげです。
開所式当日は、お越しになり
子どもたちと一緒にお祝いしました。
当日は、MCL日本窓口の前田容子さんも、
桃山学院学長をなさっているご主人と参加。
楽しい時を過ごされました。
食堂は、フィリピン政府の福祉局の基準に合わせた設計で、
すでに法人資格はとっているのですが、
これから順次福祉局の認定基準を満たし、
認定法人にしていくための一歩です。
食堂の二階は子どもたちの宿舎です。
宿舎を寄贈してくださったのは、磯綾子さま、
佐藤浩市さまと奥様の亜矢さん。
亜矢さんは、ミンダナオ子ども図書館を訪問され、
奨学生を支援してくださってます。
息子さんの栄介くんも数カ月滞在。
しばしば原宿でチャリティーイベントを開いて
MCLを助けてくださっています。
「Leela」という名のお店を恵比寿でなさっています。
行ってみたら?
ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは、
採用の基準は成績ではなく、
親のいない孤児や片親の子、崩壊家庭の子、
親はいても兄弟姉妹が多く、自給地もなく、
3食たべるのも難しいような貧困家庭の子どもたちです。
現在スカラシップの子どもたちは、620名。
中には戦闘で両親を殺されたり。
アビューズの対象になっていたりする子も多く、
現地に置いておけない子どもたちは、
MCLの本部に住めるようにしてあげています。
その数が、100名強。
大勢ですが、一つの家族として一緒に食事をしたがります。
そのご飯を作る台所を寄贈してくださったのが、
北九州小倉ライオンズクラブの方々、
そして土肥基さま 大久保一興さま、 濱田博さま。
皆さん本当にありがとうございます!
 

神父さまに来ていただいて、祝福していただいた 

神父様に来ていただき
祝別式をした。

祝福をしていただかないと
子どもたちは怖がる。
だって、
変な妖精が
来るかもしれないから!!






祝別式の後、みんなでお祝いした 

お祝いのケーキを顔につけ合って遊ぶ子どもたち




アポ山に
二度登った


頂上付近は意外と複雑で
いくつかのピークに
わかれている。
夜はかなり寒くなる。
至る所にブルーベリーが
実っていて
食べながら歩く。

初回は、
ミンダナオ子ども図書館の
食堂を寄付してくださった
伴野正夫さまと
いっしょに登った。
68歳にもかかわらず
まだまだお元気でびっくり、
3泊4日の旅は、
日本の山とは違って
道なき道、
ジャングルを行く旅。

二回目は、
日本の若者たちと、
MCLの奨学生たちが・・・
ウオーファーフォール村から
3泊の旅が始まる


日本から訪問してきた若者たちと  
アポ山(2950m)に登った。
4月5月は、ミンダナオの夏休み。
この時期に、奨学生の高校生と大学生を中心に、
フィリピンの最高峰、アポ山に登ることにしている。
ジャングルに囲まれているアポ山は、
3千メートル弱のフィリピンの最高峰だが、
日本の高山のようにアプローチや山道が
整備されているわけでもないので、
ガイドとポーターを雇って、三泊二日で頂上をきわめる。
今回も、ガイド役になってくださったのは、
マノボ族の奨学生のお父さんたち。
日本の若者二人を含めて、一八人の精鋭?部隊。
アポ山は、図書館の裏山なのだが、
人々にとって神々の庭、神聖な山で、
若者たちの強い憧れ。
若い時に一度でも、
フィリピン最高峰に登ったという体験は、
生涯彼らの自信と誇りとなるだろう。
そのこともあり、毎年計画している。
日本から来た彼女たち(写真左)は、
ほとんど山を登った体験のない若者たちで、
最初はちょっと心配したけど、
MCLの若者たちが助け、
時にはおんぶして川を渡り、
荷物も喜んで運び上げ、
最後はすっかり仲良しになって、
曰く。
「すっかり山登り(MCL?)に、はまってしまった。
また絶対来るからね!」

 
 

アポ山の妖精たち

頂上直下には、湿原がある。
神秘的な山、アポ山には、
世界からも登山者が絶えない
山のお店で、
お父さんお母さんを手伝う子どもたち 

夜明け
   

ジャングルの下山

最後の下りで谷を渡る



わたし、ダバオで生まれたの!
七〇年ぶりの故郷を訪ねて!



カリナンの日系人博物館で、
70年前の自分が写っている
写真を発見!


娘さんの琴子さんから、メールをいただいた。
「母は、ダバオの生まれです。
7歳のころまでダバオの日本人小学校に行き、
第二次世界大戦のとき、
妹とダバオから離れカリナンに疎開しました。
その後、戦闘が拡大し、日本軍とともに、
さらにタコナン村に逃げました。
そして、ジャングルの中を逃げ惑い、
最後に投降して、日本に帰されました。
それから70年、一度もフィリピンに
足を踏み入れたことはありません。
今回、意を決して母の妹と、
バプテストの牧師の夫とわたしたち息子と娘。
さらに孫たちをつれて、回想の旅を計画しました。
受け入れていただけますか?」
総勢10人、大学生やまだ中学の孫もいっしょ。
どれだけお役にたてるかわからないけれども、
実行を約束した。
まずは生まれたダバオの地域にホテルを予約。
その地は、思い出の場所ではあるが、
すっかり都会化していた。
その後、カリナンの日系人博物館を訪問。
なんとアルバムに古い自分の写真がのっていた!
 
 
 

カリナンの市場を歩いた 
ミンタルの日系人墓地に詣で、
その後カリナンの博物館を訪ねた。
自分の写真を見つけたり、アバカ(マニラ麻
)などの工場や収穫など懐かしい思い出が
よみがえってくる。博物館を出て、
カリナンの街の市場を案内した。
ダバオと異なって、ここにはまだ昔ながらの
雰囲気は風景が残っている。
ご当人の心には、
過去がすごい勢いでよみがえってくる。
魚屋、米屋、お菓子屋など、ぼくにとっても、
子ども時代に、荻窪の市場で見た風景。
裸電球の下で「いらっしゃい!いらっしゃーい!」
「生きが良いよ。安くしておくよ!」
ここで、待望のドリアンを買ったり、
マンゴスティンを食べた。
懐かしい想い出の熱帯フルーツたちが、
「お帰り、お帰りなさい!」と、叫んでいる?
 

訪問者とタコナンを訪ねた
日本語を話す、混血の老人に会った
軍人だった父は、戦後日本に帰り
バゴボ族だった母と私たちは
ミンダナオに残りました。
ジャングルをさまよった後
自分が日本人の子であることを
ひたすら隠して生きてきました。
日本の軍隊は、日本人と先住民の
あいの子にも厳しかった。
裏切るのではないかと、
いじめられた人もいました。
バゴボ族、マノボ族のなかには、
殺されたり、生き埋めにされた人も
かなりいたようだ。
辺見庸のノンフィクション「もの食う人びと」
には、当時山に立て籠もった敗残兵たちが
原住民を襲って食べた、という
現地での聞き取りが書かれている。


カリナンから、さらに訪問者たちが逃げた
ジャングルの村が、
タコナンという集落だった事を聞き、
ぼくたちは、事前にタコナン集落が
どこにあるかを探した。
現在、タコナンと言われるところに行き、
食堂のあるじに聞くと、
この先の山の集落に、
今でも日本語を話す、
日系人がいると教えてくれた。
ぼくたちは、その集落へ早速向かった。
そこの主は、日系人で、父親が日本人、
母親がバゴボ族。奥様も同様だった。
「戦後、父親たちは、家族をおいて日本に帰り、
自分たちはここに残った。
日本人であることを隠すために、
現地の名前を、名乗って来ました。」
驚いたことに、本当のタコナン村はここだった。
そこで、訪問者たちを、
ここにお連れすることに決めた。
今は、創価学会会員として、平和を願っていると言う。
 
 

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訪問者は、自分の子ども時代の体験を語ってくださった。
戦闘は、敗戦の色を濃くし、日系人たちは、
カリナンにもいられなくなり日本軍とともに
ジャングルに逃げ込んだ。
山芋を掘って食べたり、困難な生活が続く。
「現地の人たちも助けてくれた。
むしろ日本軍のほうが、
私たち子どもの目から見ると怖かったです。
わずかしかない塩などを、
むりやり取っていってしまうのです。」
ぼくも、現地の人々からも聞いた話が多々あるが、
人によっては、
「日本軍があの丘に滞在していたけど、
良い人たちだったよ・・・」
と言ってくれる人もいる。
結局は、司令官の資質によって、
現地での命令の形態が変わったようだ。
 
 

第二次大戦で亡くなった
日系人を祀った記念碑に詣でた 
とにかく、ぼくは、戦争が嫌だ。
子どもたちや庶民が、最大の犠牲者になる。
これは、現在勃発する戦闘を見ても
まったく同様だ。
戦争そのものを憎む必要がある???
聖書には、
「剣を持つものは、剣で滅びる」
と書いてある。
武器を持ったとたん、人格が変わる?
人が、人で無くなる?

ミンダナオの人々は、アジアでは比較的
日本人を良く言ってくれる。
戦前の日系人との交流があったせいだろう。
しかし、子どもが寝ないと
「日本人が来るから、早く寝なさい!」
と言って、寝かせる言葉が
今でも生きている。

支援しているイスラムの子に会えた
自分が支援している奨学生に会いたい。
それも今回の目的の一つだった。
しかし、リグアサン湿原沿いの集落で
最近も戦闘が起こり難民が出て、
MCLで救済に向かった地域。
ここのところ、若干おだやかだが、
情報を収集しても
とても村までは危険で行けない。
そこで、先生に連絡を取り
近くの安全な場所で会うことになった。
イスラムの湿原地域の彼女。
片手が萎えているが、とてもよい子だ。
彼女の集落までは行けなかったが、
先生が、安全な集落まで
連れてきてくださった。
下のこといっしょに今年度から、
MCLに住むことになった。

 

ミンダナオ子ども図書館にもどってきた 

思い出深いジャングルに入った

ジャングルに逃げた頃の想い出から
もう一度ジャングルを見てみたい。
その希望を聞いて、
アラカンの山にご案内した。


この地域が、日本軍と
米軍の決戦場になった

この奥に、
たびたび日本の
訪問者が滞在する
キアタウ村や
ケロハス村が有り
多くの奨学生を取り
保育所も建設している。

MCLの下宿小屋がある目の前の丘。
この丘の上に日本軍が陣を張っていた
ミンダナオ子ども図書館の
アラカンの下宿小屋で
スタッフのジケロ君から
日系人を話を聞いた。
ジケロ君は、
名字をタカといって
おじいさんが日本人だが
証明することが出来ない。
ジャングルを
逃げ惑った家族の
その苦労が
いかほどであったことか!
ミンダナオ子ども図書館には
数人の日系人の
奨学生がいる。
 
訪問者のご主人は、
バプテストの牧師さん
新築間もない、
バプテスト教会の前で
地元の牧師さんと
いっしょに写真を撮った。

最後にダバオの
イスラム地域を訪ねた

つねに、子どもたちを中心に
考える社会を作りたいと、
つくづく思う。


日本から訪問した
杉菜さんも一緒に
スカラーたちの卒業式


 
奨学生たちの卒業式は、大きな喜び。
あの小さかった子たちが、こんなに大きくなって・・・

特に、親の居ない子たちや、
いても行方がわからない子たちには、
ハウスペアレントや友人がつきそう。
寂しくなることもあるかもしれないけれど、
「ぼくらは、MCLファミリーだから!!!」
ミンダナオ子ども図書館が、
安心して子ども時代を送れ、
のびのびと思春期を迎えて、大学まで行き
将来の可能性を開くための
舞台になってくれれば良いと、いつもおもう。
 
 

小学校から高校に

ミンダナオでは、
小学校六年から高校四年間、
そして大学だったが
近年制度が変わり、
高校が6年制となり、
4年間がジュニアハイスクール
その後に2年間シニアハイスクールが出来て、
その後大学になった。
結果的に日本同様に、
小学校から高卒まで12年間となり
二年間増えたが、
経済的に高校を卒業するための親の負担が
さらに厳しくなったといえる。
大学卒業は、ミンダナオでは、
2割に満たないと思うのだが、
さらに大学まで行ける子が少なくなった?
授業料の値上がりも厳しい。
 
  僕の付き添いは、
日本人スタッフの
杉菜さん!!!
 
パパ、ママは居ないけど
いとこが駆けつけてくれたの!

親や兄弟が
駆けつけてくれる子たちは
わずかしかいない。
それでも、寂しさを
吹き飛ばすように
子どもたちは元気に歌う。
やはり卒業はうれしい。
今年は、
小学生から高校生に!
大学は、先生のコース
私は、看護師になりたい
僕は、エンジニア
いよいよ夢は膨らんでいく。
支援者の皆さん、ありがとう。
これからも
よろしくお願いします。
支援者は、私たちの
お母さん、お父さん。
皆さんの子、いますか?
私たちの付き添いは、ハウスペアレントの
アカイさんとローズマリーさん
右端の付き添い、ローズマリーも
奨学生だったが、今は立派なスタッフだ。
 
アカイさんが、
私の母さん役
杉菜さん、ありがとう。  スタッフのタビタさん、
ありがとう
 
大学の奨学生の
姉ちゃんといっしょに
 
ハウスペアレントの
ダゴルさんと
 
 ハウスペアレントの
ロース姉ちゃんと

小学校の終業式
こちらは、
終業式の奨学生たち。
進級していきます。
みんなでいっしょに
歌ったり踊ったり・・

まだ小さかったはずの子たちが、
どんどん大きくなっていく
みな、MCLに住んでいる子たち。


イスラムの貧しい山の保育所の卒業式に
日本の若者たちと一緒に訪れた
こちらは、戦闘地域の
貧しいイスラム集落
非常に厳しい地域だが、
卒業生も出て
平和のために活躍している。
左の写真で、
先頭にたっているのは
今大学生の子。
MCLがなければ、
高校にも行けなかっただろう。

右は、卒業して現地で
活躍している旧奨学生、
真ん中はいま大学生、
教育学を学んで先生になる。
 

日本からの訪問者、
あんだんての皆さんもいっしょに
右から二人目が大澤君
 

両親のいない彼女は、
今年からMCLに住むことになった。

アンダンテの皆さんが
寄贈してくれたハーモニカ
アンダンテの皆さんによって
贈られたおもちゃに大喜び。

イスラム自治区、
サパカン村の小学校と
保育園の卒業式



マノボ族の蒔き付け儀式


  Ritual Ceremonya
 ボランティアスタッフ 野田 杉菜


「明日キアタウで焼畑にお米の種を植える、
年に一度の儀式があるので行きませんか?」
2014年2月18日早朝、
友さんの一言で寝ぼけ眼を擦りつつ、
急遽キアタウ村へお米を植える儀式を見に行った。
マノボ族の調査をしておられる
訪問者の方と現地スタッフと共に、
舗装されていない山道をガタゴトと進んでゆく。
バナナのプランテーションを通り過ぎ、
急斜面にあるトウモロコシ畑を横切りると、
アラカンの広大な山岳地帯が広がった。
3時間かけてたどり着いたのは皆様お馴染み、
ミンダナオの山岳地帯に
隠れるように存在するキアタウ村だ。
MCLはこの村からもスカラーをたくさん採用している。
キアタウ村に着くと
「明日はご馳走でバボイ(豚)が出るよ!」と
子ども達が嬉しそうに話しかけてきた。
普段はカサバ芋やバナナを蒸したものを食べているので、
豚はとっておきのご馳走なのである。
マノボ族がほとんどのこの村は、
昔ながらの伝統が生きている。
今回の儀式、その名も「リトワル・セレモニア」。
題名に記したものが現地語だ。
年に一度の伝統行事で、
友さんも見たことが無いと言っていた。 
そんなところに無知な私がお邪魔して、素人の目線で
貴重な文化に触れることを可能にするところ、MCL。
私の見たマノボの儀式の様子を読むことで、
隣国の風に触れていただければ!…と、
偉そうなことを言ってみたり。
しばしお付き合い頂ければ幸いである。

〝急斜面を駆ける〟
2月19日、早朝6時。山の人々の朝は早い。
早々に朝食を済まし、焼畑のある場所まで歩いて行く。
キアタウの子どもたちに先導され、
まだ朝露で滑る斜面を下っていく。
朝焼けで光る断崖絶壁の丘を下り、
まだ小さなバナナの生える畑を下ると、
木々が生い茂る森へ行き当たる。
キアタウの子どもたちは転げるように
急斜面を走り下ってゆく。
そのスピードといったら大人はとてもついて行けない。
よたよたと進む私たちを時々チラチラと見て、
少し行ったところで待っていてくれる。
急斜面を下るのに必死な私たちを尻目に、子どもたちは
焼畑までの道のりを遊びながら進んで行く。
パチンコにそこらへんの石ころを掴んで
鳥を射ち落とそうとしたり、鳥の鳴き真似をしたり、
歌を大声で歌ったり…
そこにある物を何でも遊びに変えてしまう。

〝川でお風呂〟
どんどんと森を下っていくと
川の近くにたき木の火が見え、
村の男衆がそこに集まっていた。
その手前の急斜面で私は一回転して転げ落ちた。
幸い擦り傷だけで済んだが、これがさっきまでの
何も生えていない断崖絶壁だったら
死んでいたと思うと肝が冷えた。
泥だらけになって川のそばまで辿り着くと、
透き通った水が流れるそばで、
大きな豚一匹が既に解体され横たわっていた。
ここまで豚を連れてきて潰したのだろうか…
近くの大きな岩には真新しい血の痕が残っていた。
すぐに出発するかと思いきや、後からやって来た女衆と
子どもたちが川で水浴びを始める。
「杉菜も入りな!」と誘われるので、
私も川で頭を洗った。
山で生活する人々にとって水は貴重品だ。
そんな水を好きなだけ使うことのできる
川でのお風呂は「待ってました!」と
云わんばかりの張りきり具合である。大人もしかり。

〝焼畑へ〟
思う存分身体を洗った後、やっと焼畑へと向かいだす。
男衆は豚や薪を持ち、
女衆と子どもはそれに続いて急斜面を登っていく。
木の根をつたい、竹のゲートをくぐると、
焼かれた土が見え始めた。 
森を抜けたところ、急斜面に扇状に広がる
広大な焼畑が現れた。
テニスコート優に6個分はある。
あまりの広さに「何日かかって焼いたの?」と聞くと、
「1日だよ。村の大きい男64人全員で
焼いたんだ」と返ってきた。 
こっちの人は度々、人数にものをいわせて
途方も無い作業をやりこなしてしまう。
その忍耐とやら凄まじいといつも思う。
続々と集まる村の人々は、
一度焼畑の傍に建てられた小屋に集まる。
そこで衣装や道具を纏い、ダトゥ達(酋長)が集まると、
儀式の用意がされている焼畑の下部に下りていき、
そこで儀式が始まった。

〝白いにわとり〟
コの字に集まり内側にダトゥと男衆、
その外側に女衆と子どもが並んでいた。
最初にダトゥが神様(スピリット)に呼びかける。
良いスピリットをカヤッグと呼び、
畑が良いスピリットに見守って
もらえるように呼びかけるのだ。
次にマノック(にわとり)を捧げる。
マノボ族の伝統で儀式の際は、スピリットに必ず
白いにわとりを捧げるしきたりになっている。
マノックは祈りを捧げた後、
動脈を切りその血を後から蒔くバンゲ(種もみ)や
その他の儀式の道具に垂らしていく。
これは悪い虫や鳥に、蒔いた種が
狙われないようにするおまじないである。
次に、種まきに参加する全員が
マノックの血を手の平につけてもらいに来る。
その後、女衆はトードソック(バンゲを入れるかご)に
バンゲを入れてもらい、
男衆は竹や木の槍で一斉に土に穴を開け始めた。
穴を開ける様子は舞を舞っているようだし、
種を蒔く姿もとてもリズミカルだ。
種を蒔いたあとは素足で踏んで土を被せていた。
穴を開ける道具で竹の棒をパガパックと呼び、
それを振り下ろすたびカラカラと
音が鳴る仕組みだ。
単調な農作業に楽しさを見出そうとしているようで、
小さな工夫に笑みがこぼれた。

〝ご馳走にありつくまで〟
大人が儀式を行っている間、
大きい子どもたちはお昼ご飯の準備をしていた。
かまど作りやバボイをさばく作業など、
力仕事は男の子が。
バナナの皮でお皿を作ったり、小さい子の子守、
おかずの盛り付けなどは女の子が行っていた。
それより小さい子どもたちは
儀式の様子を高台からじっと見ていた。
焼畑なので、時折風に吹かれて灰が舞う。
目を擦る姿がとても愛らしいと感じた。
太陽が真上まで昇った頃に一度作業を辞め、
全員でお昼ご飯の準備に取り掛かる。
日本の様に、すでに切り分けられた肉は出てこない。
大きなお鍋でマノックを煮たり、
バボイの骨は男衆が力いっぱい包丁を振りかざし、
肉片を飛ばしながら切り分けていく。
みんな朝ごはんを食べずに
準備や農作業をしているので、
お腹はぺこぺこのはずなのに、
みんながご馳走を食べれるように
準備に没頭しているようだった。
ミンダナオに居ると、“動物の肉をいただく”
ということがリアルに感じられる。
こちらの人々はご飯を食べる前に必ず祈りを捧げる。
命を頂くことに関してのリアルを知っているだけに、
頂く命には常に敬意をはらうことを忘れない。
これはミンダナオで守っていくべき
極めて大切な文化じゃないかと勝手に思っていたりする。
ようやくご飯を食べ出し、ご馳走に舌鼓をうつ。
おしゃべりに花を咲かせ、お昼寝をし、
また種蒔きを繰り返す。
作業は夕方まで続き、
帰りは馬に乗せてもらい村まで帰った。
今回蒔いたお米は7月に収穫予定だ。
キアタウ村の人々が無事に
お米を食べることができるよう、
私もひっそりとカヤッグにお祈りした。

〝ダトゥのお家にて〟
儀式が無事に済んだ夜、キアタウ村の
ダトゥの家に泊まらせてもらった。
そこでダトゥとたくさんお話した中で印象的なものがある。
あるスタッフの奥さんが
グワパ(美人)だという話をしている時、
ふとダトゥが「グワパ(美人)とパンギット (不細工)、
何が違うんだい?一緒だろ?」と呟いた。
続けて「一番大事なのは心だ。違うかい?」
と付け加えた。
一瞬キョトンとしてしまったが、「ああ、そうかも…」と
なぜかすんなり腑に落ちた気がした。
よくミンダナオの人は
「目に見えないもの、心が一番大事」と言う。
それはそうだが、私にも好みがある!
と反発する心があった。
しかし、こちらで他人の本心を見抜くことは
日本より難しいことだと、
7ヶ月間の短い滞在期間だがわかる。
表面上ではホスピタリティー溢れるフィリピン人だが、
決して簡単に心の内には入れてくれないのが現実だ。
それでも彼らと向き合っていこうと
思うのはなぜなんだろう…
一生答えが出なくても良いが、
その周りをよたよたとキアタウの急斜面を
歩くように廻り続けていくことに意義があるんだと、
自分に言い聞かせている。
あとの4ヶ月、私はこれからもよたよたと近寄ったり、
離れたり、歩いてゆく。

 


陸稲の種まき儀式に関して
アイヌと沖縄の宇宙観の視点から


今回の企画を実現させたのは、増田和彦氏。
焼き畑を中心に、日本と東南アジアの
神事・芸能・演劇を調査し続けてきた専門家だ。
今回も、執念のようにMCLを通して、
マノボ族の首長とコンタクトをとり
アラカン地域の大首長の了解をもとに、
キアタウで本格的な焼き畑神事を実現された。
長年の研究をまとめた大著を、
最近出版されているので、是非お読みいただきたい。
ただし、相当高度な研究書だ。
増田和彦著
『山と街の芸能史
ー日本と東南アジアの神事・芸能・演劇ー』


焼き畑は、日本では縄文文化に起源を発し、
いわゆる人類の根源である狩猟採集文化と
農耕文化の堺に位置している。
その根源が、ミンダナオの先住民族社会に、
そのまま生きているのには驚いた。
ミンダナオで生涯を捧げることを決定した、
一つの要因だ。
その意味でも、こうした調査は、とても歓迎出来る。
戦闘などが起こり、平和と貧困の問題が、
子どもを直撃しているのを見かねてこの十年、
文化の宝庫を目の前にしながら、
心を向ける時間が無かった。
今も変わらず忙しいだけに、
研究者や専門家をはじめとして著作家や児童文学者、
絵本作家、ドキュメンタリー映画作家などなど
来ていただいてこうした文化を保存し、
新たな創造を試みたり、次世代に伝えて欲しいと思う。

いつでも来てください。誠心誠意協力しますよ!
ここは、先住民族もイスラム文化も・・・・
国立民族博物館も驚くべき場所で、
しかも、危険という事で、来たくても入れない人々が多く、
MCLだけが入れる場所が、たくさんあります!


今回のキアタウも、初めての調査が入った場所だ。
僕は同行しなかったけれども、
日本人ボランティアスタッフの杉菜さんが同行。
彼女は、絵本で育ち、絵も描けるので、
ゆくゆくはキアタウなどを舞台に僕が編集して、
まずはMCLから絵本などを出そうと思っているので
そのことを話すと、大喜びで同行。
上の記事は、そのことを書いた物。
右の写真は、村人といっしょに水浴びする杉菜さん。
神事の前の水浴びは、
おそらく禊ぎ(みそぎ)と関連する習慣だろう。
僕もかつて、アイヌ文化の沖縄文化の本を書いた。
上智大学の独文科で、
木村直司教授のもとでゲーテを学びその根底にある、
中世錬金術の宇宙像に関心を持ってから
人類の根底にやどる狩猟採集文化に
惹かれていき現代の科学技術文化の
問題を解決する方針として、
人類の基本の宇宙像を明らかにしようと思い、
(その思いは、『昔話の死と誕生』(教文館)で語られている)
北海道に移住したときに、
アイヌのおばあちゃんに会って話をまとめさらに、
沖縄の宮古、池間島で、
古老から話を聞き死生観宇宙観をまとめた。


 
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ミンダナオに惹かれた理由は、戦闘で困窮している
子どもたちとの出会いがきっかけだったが、
同時に、マノボ族の世界に、
イタリア人のピーター神父に誘われて、
入っていったことにもある。
当時、土地を奪われて戦闘が起こった地域で、
マノボ族の集会があり酋長をはじめとする
多くのマノボの人々が集まり、
山の集落で徹夜で集会をしたのだが、
そこに連れて行ってもらった。
何も知らずについて行ったのだが、
驚いたこと、驚いたこと・・・
午後遅くから、殺された家族に関する
事実告白が行われたのでこれは、
裁判に出すための準備かと思いきや夕食後、
酋長たちが前に集まって語り始めた・・・
というよりは、やがて一人の酋長が立ち上がり
四角形に左回りに歩き出し、
手をさしのべて、片手の小指と親指を
開き鳥のようにひらひらさせながら、語り始めた。
要するにスピリットがついて、
様々な霊の言葉で語り出したのだ。


東北の恐山の巫女なども同じなのだが、
沖縄やアイヌ、シベリアのシャマニズムを
学んでいた僕にはすぐにこれが、
シャーマンであることが理解できた。
四角に左に回る方向は、盆踊りで
櫓を軸に左に回るのと同様に沖縄の家同様に、
ナカバラである中心の柱が天につながり、
神木を左に回ることによって天界に向かい、
そこで神々と会うという方向を意味している。
シャマニズムに関しては、読んでいたものの
本物のシャーマンが生きている世界に
飛び込むとは思わなかった。しかもその後、
驚くべき事に、参加している全ての人々が
右手を高くかざして、シャーマンと同じように
ひらひらさせ何事かをつぶやき叫び始めたことだ。


結局、沖縄同様に最高神の太陽神が、
集会の最後に酋長に憑き結論として、
「神によって造られた世界が、
木や草、動物なども種類は異なっていても
一体となって存在して、単体として
宇宙を形成しているように人類も、種族、
宗教の違いを超えて、調和して
生きて行くように」と太陽神が語っている、
と言うことで平和が大事だという結論が出た。
夜明け前のことだ。
そのときの酋長とは、今も友達でいる。

 

白い鶏は、生け贄として捧げられる。
人類は、動物や植物を殺して
食べることによって生かされている。
自分たちが殺すことによって、生きられること
その罪の許しと感謝を、
生け贄の儀式は象徴的に表現していると同時に
送られるスピリットが天界で村人の感謝の心を告げ
天界のスピリットが、喜んで地上に再び訪れ、
この世に豊穣が訪れるように祈願する

  
 
アイヌのカムイノミを彷彿とさせる祈り
いつかウタリ協会と共同で祈りを捧げたいですね
萱野志朗さん、どうですか?
ワシントンに招かれて、アイヌ文化のシンポジウムに
いっしょに参加したのが懐かしいですね。
そのときの本「First fish first people」
 

こちらは、日本のアイヌのイナウ 
   

血と肉を捧げるのは、
人類の根源的な祈りのあり方
アイヌでは、熊の血と肉を捧げる。
沖縄では、豚。
こちらのお祝いの豚の丸焼きも同じ系譜?
中東では、羊で、血を飲み肉を食べるが
それが、パンと葡萄酒、御神酒と餅などになって
祈りの場に伝えられている。
イエスが、自分の血と肉を
パンと葡萄酒にたとえたように。

こうした儀式を軽蔑してはならないと思う。
アイヌのおばあちゃんから言われたことだが、
皆さんがスーパーで買っている鶏肉も、
豚肉も、魚介類も、穀類から野菜も
全て自分の肉体を差し出して、
死に向かった者(カムイ)たちで
死の現場も見ずに、感謝もせずに
食べている都市の人々こそが、
少し常識から離れた異常な世界に
生きているように、ここにいると思えてくる。

そういえば、黒い鶏で悪霊を
追い出す事もあると聞いているが、
MCLのスカラーの少女に、霊が憑いて大騒ぎになり
声も変わり、考えられない力が出るのだが
しっかりと受け止めて、
本来の心(スピリット)を呼び戻すという
考えられない体験も数回した!
神父さんや恐山の巫女ではあるまいし、
本当にこんな事があるとは思わなかったが
人を救うという事は、一筋縄ではいかない物だ!




野菜売りの少女たち、その後

エミリーとギンギンが、休学したので家を訪ねた 
家は、焼けてしまったので
家族は、
元の場所に戻っていた。
まだ屋根も
完成していないので
シートを渡してあげた。


いわゆる貧困でも
成績優秀の子だけでは無く
むしろ家庭に
多くの問題を抱えた子を
MCLは、優先して
選んでいくので
しばしば、
休学してしまうことがある。
理由はいろいろだが、
兄弟が多く、
家族が苦労しているので
自分だけが、
学校に通っていくことに
後ろめたい気持ちを
持つようだ。
たとえ親が望んだとしても。


子どもたちが休学するたびに
私たちは調査に訪れる。
今回の原因も、
家が焼けてしまい
兄弟姉妹や母さんが
野菜売りで
苦労しているのを見かねて
働きに出ようとしたのが原因。
一度は、母親の薦めで
知り合いの子守に
ギンギンはなったが
辛くて辞めてしまった。
それで野菜売りに
もどろうとしたが・・・
食べるのも苦しい毎日。


やはり学校に戻りたいが
飛び出しただけに
もどる勇気も無く
そのときに
私たちが訪ねて
ほっとしたのか、
MCLにもどることになった。




こちらの方でも、
家族の置かれている
状況を鑑みて
土日は、家族を助けるために
家に帰って野菜売りを
手伝うことを許可した。


福祉局の指導では、
こうしたことは、児童労働
チャイルドレイバーに当たり
許容できないことに
なっているのだが、
現実は、そんなに
単純では無い!
働くのか学校に行くのか、
あるいは、働きながら
学校にも行くのかは、
本人たちが自分で決める!


いろいろな状況を体験しなが
子どもたちは、成長していく
下のキティンは、継父の娘で
MCLにすんでいたのだが、
家族を助けるために
家に戻り
そこから小学校に通っている


右で妹を抱いている
インダイは、
自ら進学をストップして
母さんを手伝ったり
幼い妹や弟の
面倒を見るために
家に戻った。
それはそれで良いと思う。
学校だけが
全てでは無いのだから!


エミリーは、彼らの親戚で
父親が無くなり、
母親も居ないけど、
ギンギンと大学まで
行くことに決心した。
そして将来、
遠くに住んで居る
母親と兄弟を助けたい。






妹が、小さい頃の
クリスティンそっくりになった!
下は、奨学生のジョイジョイ
成績は優秀で表彰された。

 




1月26日
ムスリムデー

 



司会の2人。
進行もスカラーたちで!
 1月26日晴天の中、
2ヶ月に一度の学生総会が催された。
今回の学生総会は「ムスリムデー」。
マギンダナオ族の文化を
中心とした祭典となった。

全ての大学生・高校生スカラー
総勢200人強が
ミンダナオ子ども図書館に一堂に会した。
ミンダナオ子ども図書館には、
「ルマド(先住民族)」、
「バンサモロ(ムスリム)」、
「ビサヤ(移民)」と
大きく分けて3つの民族が暮らしている。
学生総会は、それぞれの文化や伝統の
再認識・保存・共有・相互理解を
目的としている。
毎回民族の特色を活かした
出し物をスタッフや学生が考え、
進行も自分たちで行う。
さぁ、ムスリムデーの始まり始まり…!



国歌斉唱をマギンダナオ語で!
  会場はMCL内にテントを張る
今回のテーマは「伝統的な遊び」と「舞踊」!
ムスリムの一日を劇にした。
 
伝統的な遊びで
思いっきり遊ぶ!

みんな大はしゃぎ! 



マギンダナオ族の伝統舞踊「パマロンダンス」
インサイダーのムスリム3人娘。
3人とも普段から仲良し。
メイクも衣装もばっちり決まってる!
この日のために、夜な夜な練習してきた3人。
とっても美しい舞だった。

 
おやおや、
なぜか外が騒がしい…?
獅子舞(!?)が来た!
 


支援者の方が
スカラーに会いに
来て下さった。
ちょっと恥ずかしい…
でも本当はとっても嬉しい!
 「クリンタン」という楽器。
不思議な音が…
 ムスリム料理の盛り合わせ。
 Sukran!!!




ボランティアスタッフと一緒に
アラカン地域の
スカラーの調査


 
アラカンの山岳地域は、
低地を追われた先住民たちがこもった地域で
貧しさもさることながら、
樹木はことごとく伐採されて生活が困難な地域でもある。
ミンダナオ子ども図書館は、すでに長く
この地域と関わり奨学生も多く採って来た。
キアタウ集落など、しばしば訪問者の滞在で
サイトでも取り上げられる。
今回は、この場所の集落にもどって
学校に通い始めた奨学生を調査した。
彼らは、極貧故にミンダナオ子ども図書館に住んで
学校に通っていたのだが、
マニラから来た講師がダバオで講義をし、
それに参加するように言われて
スタッフが参加し、そこで
「親のいる子はなるべく集落に返し、
親の責任で育てるべきだ。」という
もっともらしい話を聞かされ、
去年、ミンダナオ子ども図書館からあえて
親元に帰した子たちのその後を追うために行った。
というのも、スカラシップは継続しているにもかかわらず、
その子たちが、ことごとく学校をストップしていったからだ。
原因としては、成績が伸びずに
学業に関心が無くなったのではないか
それゆえに、町に仕事を探しに行ったのではないか、
というのがスタッフの推測だった。
ただし、直接本人や家族に会って、
真実を聞かなくてはいけないと思い、
僕自身が決断して、赴いたのだ。


 

まずは極貧のカヨパトン集落へ 
 

確かにミンダナオ子ども図書館の奨学金は、
勉強のできる子よりも
親が居なかったり、
生活が極端に厳しい子たちを選んでいるので
勉学に関心が無くなることもあるだろう。
しかし、十数人親元に帰して、
ほぼ全部が学業を停止して
町に職を探しに行き、そのなかの8割以上が
町の生活にたえられずに、
何とか戻れないかと泣きこんできている。
しかも、親元に帰るのではなく、
ミンダナオ子ども図書館に帰りたいと・・・
このことは、親が子育てに責任を持つべきだ
とする意見には同意する物の
実態はそう簡単ではない事を意味している。
すでに僕は、スタッフの行政的な意見を聞いたときに
「建前上はわかるが、
そう簡単ではない」と思っていただけに
真実を確かめなければならないと思った。
帰った子たちのなかには、
学校が好きだった子たちも多い。
なぜ学業を停止して、町に出たのか・・・
町に出て何を見て、何を感じたのか・・・
何故に、もどりたいと懇願し、家ではなく、
MCLにもどりたいと泣きついてきたのか・・・

 

さらにパコパコ集落へ 
ストップした理由を
調べるために
本人の村をたずね、
親に会って
親のサイドからも話を聞いた。
そこから見えてきたのは、
想像以上に
貧困の現状が厳しい
山の村々の状況だった。


今ダバオは、
次々とモールと呼ばれる
デパートが建ったり、
建設ラッシュ
そして、道路の補修で
国道が整備されている。
人々の生活が
豊かになった
わけでもないのに
どこからお金が
落ちてくるのかと思いきや
詳しい知人が曰く
「海外の投資マネーが
大量に落ちている
引き上げたときが大変だね!」
海外からの投資資金が
建設会社に落ちるのだが、
その会社自身が、
海外の物だという。
先進国と、先進国の
企業と結びついた
資産家だけが肥え太り
貧しい者は、ますます
貧しくなる仕組み?
実際に見ていると、
米を始め、物価だけが
どんどん上がり
庶民の生活自体は、
物価高のせいで
ますます厳しくなっている。
まして、山の貧困地域の
現状は悲惨で
塩や生活必需品や
文具などが
どんどん値上がりし
ただでさえも
現金収入が無いのに
たとえMCLが学用品や
学校の諸経費を
支払ったとしても
子どもを学校に
行かせることなど
できない状況になっている。


子どもたちは子どもたちで
親から、口減らしを強要された
わけでもないが、
親が苦労しているのを
見ていたたまれず
親としては、学校に
行って欲しいにもかかわらず
自分自身の判断で
学業をストップ
町に出て、仕事を探し
自分が犠牲になって
妹や弟を学校に
行かせようと考えた。
特に、高校一年生に
なる子の場合
学校までは遠くなるし
自分は、少なくとも
小学校を卒業したから
まだ小学生の弟や妹のために
自分は、スカラシップを
断念してでも
働きに出ようと決心して
ダバオなどの
町にでたのだが・・・。
しかし、そこで見るのは
劣悪な労働条件だけではなく
レイプや売春!


しかし、だからといって
実家に帰ると親に負担を
かけるばかり故に
なんとか、
ミンダナオ子ども図書館に
戻して欲しいと、言ってきた。
スタッフとしては、
政府の指導で
親の居る子を実家に
返したのだが
現実的には、
そのことによって
売春などの
さらに不幸な環境に
思春期の子たちを
置くことになり
愕然としている。


結果的に、
ミンダナオ子ども図書館で
三食たべられ、
学校に行けるということが
どれほど、幸せで、
守られているかが
わかってきて、
ソーシャルワーカーも
はじめとして
やはり、独自にしっかりと
実情を見極めて
一人一人の境遇に合わせて
判断すべきだ
という結論に達し
六月の新学期から、
再びもどってくる子が
多くなった。
やれやれ、食費だけでも
大変なのに!!!


今後の方策としては
まず第一に、
水田を買い足して
自給率を
上げなくてはならない。
それによって、現在、
200名の子たちの
米をまかなっているが
米だけでは、
まだまだ足りない。
自給できるだけではなく
余剰米を売って
少なくとも最低の食材を
買えるように
しなければならない。
下は、ラナコランの
下宿小屋で
ここは女子寮、
ここに遠くて通えない子や
たべられない子たちが
20名以上いるが
下宿している子たちに
聞いても
生活は非常に厳しいとのこと。
男子寮はマロゴンにあって
土地も広く
農作業も幾分活発だが
それでも、塩や醤油や
油を買うまでには
とてもじゃないが至らない
13,14歳になると
食べる量も多いし、
普段でさえも、
米は食べられず
ヤマノイモを一日二食で
沢ガニがおかず。
子どもが働いて、
おかずを探して
くれれば良いけど・・・
学校に持たせるお弁当など、
作れるはずはない!
もちろん、我が子を
愛しているから
口減らしに出て行ってくれ
とは言えないけど
思わず、
愚痴がこぼれることも・・・
13,14歳になったら
結婚するのも
悪くはないし・・・
結婚を希望されて、
逃げ出した奨学生も!
しかし、町に逃げて
仕事を探しても
女中や食堂やバーが関の山で
給料は、月に3000円もないし
朝の3時に起きて、
夜の11時まで働かされる
その実態を見て、
MCLに逃げ込んできた。
 
 
 
 

今回、上の子たちが
パコパコの実家に案内してくれた
顔は知っていたので
奨学生かと思ったのだが
高校一年生になって
前にMCLの下宿小屋に
住まわせてもらってた子たちで
MCLでも、米の自給率がまだ低く
米の値上がりが厳しくて
「住むのは良いけど、
奨学生ではないので米までは与えられない」
と決断してしまい
結果、MCLに住めず、
かといって学校までは遠くて通えず
途中の友達の家に住みこんで
通っていることがわかった。
しかし、たべるのも厳しく
高校一年を何とか過ごしたが
もうこれ以上は無理だという。
右の子は、母親が継母で
自分の家も上のように焼けてしまった。

監獄を逃げた犯罪者が
燃やしていったのだという。

下の子の場合も
学校の先生が、スカラシップを出して
学校に行かせてくれていたのだが
その先生が突然亡くなられて
スカラシップもなくなり
二人とも成績は良いし
学校にすごく行きたいのだけれど
もう不可能だという。


今回行って良かった!
早速スタッフで下宿小屋の管理をしている
ジケロ君に、彼らを下宿小屋にもどし
米も支給してあげるように話した。
大喜びで、早速日曜日には、
MCLの下宿小屋に移るという。
今年の六月から、奨学生候補にして
スカラシップを出そうと決めたが
まだ、200人近く支援者が
見つかっていないのに
また背負い込んでしまった。


ラナコランの下宿小屋に
 
下宿小屋そのものも、
かなり老朽化してきたので、
壁を中心に張り直し、
塗り直さなければならないが、
米は支給している物の副食の野菜などは、
親が支給するように話しているのだが
その親自身が、野菜すら
供給できない状態になっている。
親とて子だくさんで、
自分たちが食べるだけで精一杯で、
自分たちの米すら食べられないのだから。
子どもたちには、野菜の種を支給して、
スタッフといっしょに畑を
作るようにしているのだが、
なかなか学業との両立は難しく、
20人以上の毎日の総菜を
自給するまでにはとうてい至らない。
結局、水田を増やして米を売り、
子どもたちの育てる野菜に多少なりとも
調味料や魚の干物などの
総菜を加えてあげないと、
下宿生活は難しいことがわかってきた。
親も自分たち家族の事で精一杯なのだ。

 
さらに厳しいのは、大学生の若者たちだ。
大学は、町にしかないから、
町で下宿しなければならない。
キダパワンやカバカン、アラカンの町に
住んで大学に通うのだが、
町での生活は大変だ。
下宿代は、月に350ペソを出し、
キダパワンの大学の子たちには、
下宿小屋を作って
下宿料は無し、米も支給しているのだが・・・
さらに、高校生は、月400ペソ、
大学生は800ペソのお小遣いをだしてはいる。
それでも、お小遣いは、大学の授業の
コピー代や諸経費に消えていき
副食のおかず代にもならず、
ご飯に醤油をかけて食べているような状態だ。
ミンダナオ子ども図書館に
住んでいる子なら良いのだが・・・
2月に一回ある総会では、
みんな集まり、お小遣いを渡し
昼は、栄養補給もかねて
たらふく食べさせているのだが・・・
大学生は、町で生活する代わりに
アルバイトもOKで、アルバイトしながら
就職活動に結びつけるように話しているが
MCLの子たちは、学費も下宿も
スカラシップで出しているから良いようなものの
キダパワンやダバオでは、夜になると、
ホテルやロッジのそばに
明らかに大学生とみられる年齢と様子の
女の子たちが立っていて、売春客をとっている。
大学を出たいがために、売春までする少女たちだ。
大学を出て両親や家族、
兄弟姉妹を助けたいがために・・・
そうしたことを見ても、MCLの場合は、
女子は、本部に住まわせて
身の安全も含めて、面倒を見ることにしているのだが、
キダパワンに住む子は良いが、
アラカンやカバカンの下宿の子たちは多少心配だ。
しかし、お小遣いまで出しているし、
MCLで下宿も選定し、MCLの仲間や友達同士で
助け合って暮らしているので、変な話は聞こえてこない。
しかし、最近の物価高は異常で
町の下宿の子たちからも、悲鳴に近い声が聞こえてくる。
このことを考慮しても、
少なくとも下宿している子たちの場合も
米だけでも支給しなければならないだろう。
アラカンやカバカンにも、下宿を作る必要もある。

しかし、卒業して結婚し、幸せになった子にも出会った。
とにかく、幸せになってくれさえしたら、それで十分。


自分の家庭も厳しく
ここに下宿している
一人の子の母親は
夜逃げしてしまい
家庭崩壊し、その姉妹は
下宿生活も続けられずに
六月から、MCLの本部に
住むことになった。
崩壊家庭が起こるのも
経済格差が生み出す
貧困状況ゆえではないか






キアタウの病気の子を迎えに
母が居なくなった子も調査 

私がくると、
キアタウに住んでいる
初等小学校の子たちが
大喜びで迎えてくれた。


先日まで肥えていた
双子の兄弟
両方とも病気で
すっかり痩せている。
早速車にのせて、
MCLに向かった。
とにかく病院で検査を受けて
対応を考える。
医療費も逼迫している。
年間140名近くの子を
治療しているが、
どこまで今後も可能だろうか。

彼女も奨学生だが、
最近母親がいなくなってしまい。
父親も村を離れ、
祖母の家に一人残された。
今後は、ミンダナオ子ども図書館に
住んで生活することに・・・
下の子たちも、MCLの奨学生だが、
なんとかキアタウで生活している。




MCLの子どもたち
わたしたちは、一つの家族!


   
 

基本的に、男の子は、
小学校以上になると、
大学生と同じ寮に移るように 
福祉局の指導で
決められている。
本部は、小学校の男女と、
日本で言えば中高の女子。
大学生は、下宿に出て、
旅立ちの用意をする。
しかし、数名、
力仕事をするために、
MCLに残っている子もいる。
スタッフたちも、
『仕事人』というよりは、
家族の一員

子どもたちは、
わたしたちのことを、
「パパ とも」
「ママ エープリル」と
呼んで、抱きついてくる。







秘密の白い浜を見つけた
ここで26日から3泊で
子供たちと海水浴をする予定

ここに行くには、
小さな素朴な漁村を
いくつもこえていく。
 
  

真っ白な
粉のような砂浜

素朴な浜の子供たち
今回は、スタッフのクリスマス会をした。
26日から、MCLに残っている
子供たちと3泊ここでする。
MCLの海の家を作って、
日本の若者たちとの
交流の場にする計画もある。
 
日本から来た
若者も一緒に
お正月を浜で過ごした
 
クリスマスに、ちょっと過労がたたってかダウン。
数日入院。
ミンダナオ和平交渉への不安、
2016年の選挙の年に大規模な戦争が起こる不安。
日本の集団的自衛権の行使への不安。
それに加えて、突然の円安で、
MCLの経済情勢も楽ではないので
出版や執筆で、どう日本の若者たちを
支援したら良いのか・・・
受け入れ体制はどうしたら良いのか・・・
支援者のいない子の支援者をさがさなくっちゃ
などなど、一昨年あたりからの心労が重なってダウン?
円安による経済情勢が厳しいので、
学生総会も子どもたちと相談して、年四回にしました。
3月末の日曜日がイスラムデー、
6月末の日曜日がマノボデー(先住民の日)
9月末の日曜日が、クリスチャンデー
(島外移民のクリスチャンの日)
そして、12月の第一日曜日がスカラーズデー
(奨学生が、卒業したスカラーと会う日)
また、日本の若者たちと交流するためには、
ダバオ州が良いのだがと言う、大学などからの希望で
海の白浜に、交流のための浜を考えていましたが、
見つけました。
それが、今回子どもたちと正月を過ごした浜です。
MCLからも、ダバオからも二時間半ほど。
週末に子どもたちと、泳ぎにこれますし
真っ白な浜で、リゾート化されていないで
本当に自然で素朴な村人たちと、友だちになれる浜です。
場所は、ディゴスの奥のサンタマリア市から
四輪駆動で入っていくところ。
サンタマリア市近郊には、
名の知られたリゾートビーチもあるのですが、
そういうリゾートは、地元の人々の生活から、
かけ離れて変な感じがして、
まったく好きになれないので、
ここの浜を見つけたときは大喜び。
村でも、読み聞かせをし、保育所を建てることにしました。
学校にも貧しくて行けない子も多い村です。
どこあるかは、秘密です。
開発が入って欲しくないから・・・








対岸には、
フィリピンの最高峰
アポ山も見える!

秘密の浜に着いた!

 村に到着 村の子どもたち  MCLの子どもたち 

日本から訪問した
若者と子どもたち
 

現地でも、これだけ
きめが細かくて
真っ白な砂は珍しい
地元の子どもたちといっしょに
遊ぶこともできて、
その交流が素晴らしい。
日本の若者たちがきたら
漁師さんたちの家に民宿して
いっしょに漁を体験するのも、
良いかも。
 


 

2015年の初日の出


椰子の林の中に
漁師さんたちの家々がある
 

浜で遊ぶMCLの子どもたち

     



海辺の村に保育所建設を約束 

この村では、
クリスチャンと先住民、
そしてイスラム教徒が
平和に共生している。
まるで、MCLのような村
 

 
     

保育所の先生と
左が仮設保育所
もう少し大きく、
しっかりした
保育所が必要

ほぼ、100%漁民だが、生活は厳しい。
特に、医療と教育は大変。
 

読み語りと劇もした
   

絵本も見たことのない
地元の子どもたち
読み語りも初体験。
真剣な目に、感動。
 
 

スナップショット
皆さんの支援している子はいますか?
正月に残っている子たちは、
家に帰れない子たち。
でも海で、友だちと幸せ。

 

妻のエープリルリンが
高校生の子たちといっしょに
料理を担当。
   
 
最後に、日本人スタッフの梓さんも交えて
みんなで、「大きなカブ(カサバイモ)」の劇をした。
この浜は、ダバオ州に属し、
政府の指定する危険度も低く
日本の人々、若者たちが、
訪れるのも(行政的に)容易。

日本から、大学や法人から、
ミンダナオ子ども図書館と交流したいが
北コタバト州は、
高度の危険地域にしていされていて
訪問しにくいので、
ダバオ州に海のMCLを作れないか・・・
そこがあれば、訪問も交流も可能なのだが。
という、意見や寄付の申し出がでていた。
日本の若者が、
現地の若者や子どもたちと交流し
精神的に開かれていくケースも、
しばしば目にしていることもあり、
また、組織や団体としての、
訪問希望が増えるにつけて
かつてからの夢。
海のMCLを、実現する時期にきたと思った。

 山の方は、マノボ族やイスラム教徒の
マギンダナオ族との交流が深くなったが
海の方は、交流が今までほとんどなかった。
今回、ここで出会ったのが、
海のイスラム教徒のバジャウ族、

海の先住民テサロニケ族、
そして海沿いのクリスチャンたち。
ここでは、皆が、
MCLのように平和に共存している。
しかも、素朴な漁師の文化も、興味深い。
マノボ族のキアタウ村は、
山での体験のために宿泊が可能で、
村の子どもたちや先住民との交流が可能だが、
ここがあれば、海の人々の家に泊まり
漁師の人々の暮らしを知り、
いっしょに漁もできるだろう。
子どもたちも本当に素朴でかわいい。

日本の若者たちとの
(もちろん中高年でもかまわないが)
新たな交友ができる気がする。
                         










琴平ロータリークラブの方々が
米を寄贈してくださった

MCLの子たちと、お米を干した
     
 
 
アラカンの山奥を巡ってダバオへ
 

奨学生のいる極貧の村へ行くと
奨学生の一人が、
病気だった 病
院長で医師のロータリーの方が
その場で診断し、薬をくださった。
父親はいないけど、母と当人は大喜び。
     
 

 
夕暮れの、電気も無い、
マノボ族の集落 でも子どもたちは、
学校鞄をおくと みんな家から飛び出してきて
ゆうぐれまで、なかよく遊ぶ。
伝統的なハンカチおとしや、おにごっこ
後ろの正面、だーーーれ!
バスケットだって、ただのボール遊びさ。
学校の体育館やコートでする、サッカーや野球は
大人が作ったルールのなかで
勝ち負けを競い合うゲームにすぎない。
遊びは、楽しみながら友情をつちかうもの。
学校でも幼稚園や保育園でも無く、
野原や森や路地裏といった、 家や学校の壁や垣根の外側の
ちまたと呼ばれる場所でするものさ。
そここそが、ぼくたちの自由な空間!
こうした場所でこそ、ぼくらの心は解放されて
競争原理からも自由になって 家庭や教育からも解き放たれて
真の友情と社会性を培う心が養われる。
友情と愛こそが生きる力!
子ども時代に、ちまたでの友愛体験を持てずに、
勝つことばかり考えて、育った大人は恐ろしい?
日本では、ちまたで遊ぶ
子どもたちの姿を 見なくなって久しい。
ミンダナオの子どもたちと、 日本の子どもを比較すると、
ちまたでの遊びの欠如、真の友愛体験の欠如が
生きる力を喪失させて、自殺と引きこもりを
生んでいるように思えてならない。
お金と物は豊かでも、日本の子供たちがかわいそう!
日本の子どもや若者たち、
中高年の方々とのかけはしを作る試み  
MCLが現地法人の資格をとって10年間というもの、
ミンダナオの子どもたちの事のみを
視野に入れて活動してきました。
しかし、最近になって、日本の若者たち、
中高年の方々が、MCLを訪れ、感動され、
生きる勇気をえて帰られる姿をみると同時に、
自殺や引きこもりの多い日本の
子どもたちの心の現状をしるにつけ、
さすがに日本の子たちを
放っておけない気持ちが強まりました。
日本の方々の想いに答えるためにも、
貧しくとも生きる力にみちあふれ、
明るい笑顔のミンダナオの子どもたちの姿をつたえ、
語り皆様方とともに考えることによって、
微力ながらも何か出来ないかと考えるようになりました。  
日本の人々を受けいれる以外に、
何ができるだろうかと考えたときに、
思いいたった一つの可能性は、
絵本をはじめとして、
児童文学や文化論の執筆をふたたび始めること。
そして、かつてのように絵本や昔話の話に、
さらにミンダナオの子どもたちから学んだ、
遊びやちまたの大切さ、
妖精や見えないものとの交流の重要性を加えて、
新たな気持ちで講演を再開することでした。
本当は日本にいるとさびしくて、
常時MCLに滞在したいのですが・・・
  現地ボランティアスタッフの
宮木 梓さんの記事から抜粋
10月に、山の村に読み語り行くのに
連れて行ってもらった。
お話を語る高校生の奨学生たちにとって、
ものすごく楽しいことらしく、
絵本を選んだり、晩御飯のあと、
歌や劇の練習をしたりと大騒ぎだった。  
最初は恥ずかしがって、
家に隠れていた山の村の子どもたちだけれど、
奨学生がお話を語りだすと、
みんな身を乗り出して聴いていた。  
語るのがとても上手な女の子がいて、
普段一緒に過ごしているのに
気が付かなかった一面を見せてもらえた。
私たちは図書館に住んでいるけれど、
様々なお話を運んでいく奨学生や、
その前でワクワクしている小さな子どもたちを見ていて、
私たち自身がまるで図書館のようだと思った。  
高校生の女の子たちが、
先月号の季刊誌を出す封筒に
切手を貼るのを手伝ってくれていたとき、
「私の、ミンダナオ子ども図書館での
一番楽しかった思い出の一つは、
読み語りに行ったこと」と話しているのを聞いた。
親を亡くしていたり、見捨てられていたり、
満足に食べらなかったり、
事情があってここに来た子どもたちだけれど、
ここは孤児院ではなくて、図書館だ。  
両親や家族と過ごせるのが一番だけど、図書館で
みんなと一緒に暮らすのも楽しかった、
と感じてもらえればうれしい。   
私は、図書館に住んでいるって、
何て素敵なことかしら、と思っている。
現地ボランティアスタッフの
秀島 彩女さんの記事から抜粋
もうひとつここにきていいなと気づいたこと、
それは「停電」。
ここMCLがあるKidapawan はよく停電する。
お昼、夜、短い間停電することもあれば
3~4時間停電することも。
夜停電した時はとりあえず真っ暗。 
初めは嫌だなと思っていた停電、
母に「また停電で大変だったよっ」と伝えると、
「停電で困るのってパソコン使えなくなる
あやめちゃんだけじゃない??」 と言われて、
確かに・・・図星だった。  
その日から私は停電した時は、いつもしないこと、
停電したからこそしかできないことをやろう、
子どもたちはどんなことをしているのか見てみることにした。  
わかったこと、停電した瞬間は
みんなキャーキャー言っているけど、
少し時間がたつと暗さにも慣れてきて、
いつも感じることができない感覚を
感じることができるのだ。  
あたりは虫、動物の鳴き声、自然の音、
ホタルのひかりと星の光だけ。
地面に寝転がって、満点の星空をみんなでただただ眺める。
時々大きな流れ星が目の前を通り過ぎていく。  
こんなにただ星を眺めるのが素敵なことだったとは!
これほどすがすがしい気持ちになれる瞬間は
日本ではなかなかないな、と思った。  
そしてもうひとつ停電のいいところそれは、
キャンドルをともして、
いつも話せない子とゆっくり話ができること。
家族の話や将来の夢、不安なこと、
これまで聞けなかったこと知らなかったことも、
二人で同じ時間を共有することで知ることができるのだ。  
これからも自分のことを知ってもらうのと同時に、
もっともっと子どもたち
ひとりひとりのことを知っていきたい。
日本にいると感じることのない気持ちや世界観を感じる日々、
一日一日を大切に過ごしていこうと思う。

日本の子どもミンダナオの子ども         
松居友

比較することは、
あまり好きでは無いのだけれども、
日本の子どもたちとミンダナオの子どもたちを比べてみると、
生きる力は圧倒的に
ミンダナオの子どもたちが優っている。
 
生きる力って、何だろう。
厳しい競争に勝ち抜くこと?  
他人をけおとしてでも、自己実現を成就すること?
 
リーダーになって人の上に立ち、指導力を発揮すること?   

ミンダナオの子どもたちは貧しくて、
三食たべることすら大変で、
場合によっては小学校を卒業することも困難だから、
社会的に高い地位について、
指導力を発揮しようと夢見ているようにも思えないし、
他人をけおとしてでも競争に勝ち抜いて、
自己実現しようとしているようにも思えない。  
早朝に、父さんと母さんが、山に仕事にでかけるときには、
長男は親につきそって、力仕事にいっしょにいくし、
長女は末の赤ちゃんを背に抱いて、終日子守。
次女は、料理と家の掃除。
三女や次男やその下の子たちは、
水くみや森での薪探し。
それがおわると子どもたちは協力して、
タライのなかにたくさんの洗濯物をいれて、
はるかしたの川や沢にまでおりていって、
洗濯したりしてすごす。  
そんなわけで、学校に行けるのは、兄弟姉妹のなかでも、
5番目ぐらいの妹が多く(男の子たちは力仕事)、
家族みんなで働いて、
一人でも小学校を卒業させようとこころみる。  
そんなこともあって、
MCLのスカラシップに応募しようとする子たちの、
応募理由の99パーセントは、
「自分が学校にいって、少しでも良い仕事について、
両親を助けたい。
妹や弟を、学校にいかせてあげたい・・・。」  
そんな貧困状況なら、人生に夢も希望もなく、
さぞかし気持ちが暗いだろうとおもうと、
それが全く逆で、 訪問した日本の若者たちも
びっくりするほど、表情はゆたかで明るいのだ。  
川に洗濯にいくときは、村の他の子たちもみないっしょ。
おしゃべりしながら楽しくやるし、
干しおわったら川に飛びこんで遊びながら自分を洗濯!  
料理も、蛙をとったり煮こんだり、
ごちそうの鶏をつぶすことから、
芋掘りもおしゃべりしながら楽しくやる。  
MCLでも、料理をするのは子どもたち。
朝4時半には起きだして、みんなで楽しく食事をつくり、
その後は、掃除や洗濯、
庭いじりから野菜そだてまで、みんなで楽しくやっている。  
そのような子どもたちの姿を目のあたりにして、
日本から訪れた人々は驚く。
「孤児だったり、問題家庭の子たちだったり、
戦争やアビューズなど、
背景をきくと想像を絶する状況からきた子たちなのに、
なんでこんなに明るいの?」  
ミンダナオの子たちの特徴は、
困難におちいっても、家庭が崩壊しても、
親が戦争で殺されたり、貧困で家族が崩壊して
たとえストリートチルドレンになったとしても、
自殺したり引きこもったりすることなく、
笑顔をわすれずに生きていくこと。

逆に日本では、子どもや若者の自殺や
引きこもりがまんえんしている。
 
子どもだけではなく、大人や老人の自殺や孤独死もおおい。
講演会で日本にゆくたびに、
人々の顔が暗くけわしくなるばかりか、
東京ではたえず電車が停車して、人身事故が報告される。
理由はなんと、飛び込み自殺!
 

地方は地方で商店街は閉鎖して、街に人通りがまったくない。
公園ですら子どもが遊んでいるようすもなく、
本当にさびしい世界になってしまった。  
急速に子どもの数がへったということは、
少子化政策が成功したという事だろうけど、
結婚した大人の視点からみるならば、
子どもを産んだとしても、
保育所にあずけて育ててもらうのがせいぜいで、
我が子が幸せに成長できる環境が、
ちまたにないことが実感されて、
生まない方がましだと考えているせいだろう。
結婚を望まない若者たちも激増している。
さらに追い打ちをかけているのが、
教育費と医療費の高騰だ。  
子どもが幸せに成長できない社会、
楽しくそだっていく事ができない国に未来はない。
なぜなら、子どもこそ未来だから!  
ミンダナオは、たしかに貧困率が高いし、
戦争などの問題もあるのだが、
子どもにかんしていうならば、町でも山でも農村でも、
子どもを見ない場所はないし、
しかも明るく生き生きとしている。
この違いはいったいどこからくるのだろう。
ミンダナオに足をふみいれてから15年、
MCLを設立してから11年(2014年の時点で)。
戦争や作られた貧困のなかで、
あえぐ家族や子どもたちを見ていたたまれずに、
読み語りと同時に、教育、医療の活動をおこなってきたが、
それにつけても近年気になりはじめたのが、
日本の子どもや若者たちの心の病や、
子育てに悩み苦しむ母親たちの切実な告白。
精神疾患の問題は、子どもや若者たちだけではなく、
出社できない中高年から、
一人暮らしの老人たち、ひいては
貧困の中に取り残された母子家庭にまでおよんでいる。

かつてやっていた絵本や童話や評論の執筆も、
ミンダナオの子どもたちとの出会いと感動に圧倒されて、
この一〇年ほど、ほとんどせずに過ごしてきたが、
その間の日本人の心の変わりようには
唖然とせざるをえない。 
今考えているのは、
「どうしたら日本の子どもたちに、
ミンダナオから救いの風をおくれるか!」という事。

ミンダナオで再婚し、
小学校の4年と5年の実の娘を育てているが、
MCLで、親のいない子や崩壊家庭の孤児たち
90名あまりと いっしょに暮らしてきているせいか、
娘たちは放っておいても実にのびのびとそだっている。  
MCLにいると、「子育て」という言葉がへんに感じる。
「子育つ」というのが本当で、
ちまたで遊び友情をはぐくむ体験があれば、
子どもたちは自然にそだっていくものなのだ。
「子育ての責任は、家庭にある。
特に母親の役割は大きい」 などという言葉に、
違和感を感じるのはぼくだけだろうか。
子育ての責任が親や家庭にあるばあい、
親がいなくなったり家庭が崩壊した子どもたちは、
どのように育ったら良いのだろうか。  
また、子育ての責任は、保育者や学校の先生にもある、
という考え方も ここでは奇妙に感じられる。
もしそうだとしたら、保育園にも学校にもいけず、
教育もうけられない僻村の子たちは、
育てられなかった子たちなのか!
 
先日、アジアの孤児施設をめぐっている
日本の人たちが、MCLを訪れた。
曰く「ここの子どもたちは、本当に
他の施設の子どもたちとちがいますねえ。
施設にいながら、こんな明るい子どもたちを
みるのは初めてです。
なぜこんなに明るいのかなあ?」  
ぼく答えた。
「ここは孤児施設ではないからですよ。」
 
ぼくは孤児院をつくろうとも、
施設を運営しようともおもったことは無いし、
他の施設をほとんど知らない。
ただ、困難な状況にある一人一人の
子どもたちをみるにつけて、
放っておけない、何とかしたい・・・。
そんな思いで活動してきたら、
自然とこんな形になってしまった。
もちろんここには、母親役のスタッフたちもいるが、
彼らとてもとは奨学生で、
必要なときには助言や指示をあたえるものの、
不必要な干渉はしない。  
子どもたちのとって大切なのは、愛をもって見まもり、
ときどき抱いてあげたり
愛情のある言葉をかけてあげること。
そしてなによりも大切なのは、
自由にのびのびと遊べる環境をととのえてあげ、
将来の夢をもてるように、
導いてあげることだとつくづく思う。  
まるで機関車が煙を噴いて走りぬけるように、
高度成長期をひたすら走りつづけてきた人々は、
成長期がとまり、老齢化して、
自分の事は自分で出来なくなり始めると、
落ちこむどころか精神的にパニックをおこしはじめる。  
「日本で自殺が多いのは、
個人主義が行き過ぎたからでは無いだろうか」と、
マニラの修道士が話してくれた。  
「個人が尊重され過ぎる競争優先の社会では、
協調の心がうしなわれて、孤独な人が増えていく」  
自分の力で走れなくなった老人は、
施設のベッドにしばりつけられたまま
死をまつ以外に方法はないのだという。
それもお金があればの話で、
一人暮らしの孤独死も多いのだそうだ。

ミンダナオでは、MCLでも同様だが、
上のお姉ちゃんが下の子に、
「ねえ、そこのお店でお塩をかってきてちょうだい」といえば、
たとえ夢中で遊んでいる最中でも、
下の子はさっとたちあがり、
明るい笑顔で、「はい」といって買いにでかける。
 
お姉ちゃんがいったことに、下の子たちは笑顔でこたえ、
ちっともいやな顔をしないのは驚きだ。
そのかわり、お姉ちゃんは、
きちんと下の子の世話をしてめんどうをみる。  
もちろん、お年寄りを一人
孤独にほうっておくなど、考えられない。
妻のエープリルリンのおじいさんもおばあさんも、
当時まだ小学生だった彼女の膝のうえで亡くなった。
「自分の力できりぬけろ」という言葉への、
現地の子どもたちの返答は、
「でも自分の力なんてたかがしれている、
みんなでやるほうが、楽しいよ。」
「自分のことは自分でやれ」への返答は
「一人で出来ないことなんて山ほどあるよ。
みんなで力をあわせるほうが大事だよ。」
「日本では、自殺する人が多いんだよ」というと、
子どもたちはびっくりして
「なんで自殺するの?あんな豊かな国なのに!」
「孤独で死ぬんだよ」というとさらに驚く。
「孤独で死ぬってどういうこと?」  
MCLの子たちは、親がいなくなって
一人取り残されても死のうとしない。
どこかで誰かが助けてくれるから!
一人ストリートチルドレンになっても、
必ず別のストリートチルドレンがやってきて言葉をかける。
「俺たちの仲間になれよ。」
日本では、孤独な母子家庭がふえている、という話をすると、
「近くの人たちといっしょに住んで、
いっしょに食べたら良いのに、なぜしないの?」
子どもの貧困が増えている話をすると、
「自分の家によんで、自分の子にしたら良いのに。
MCLみたいに!」
こういった言葉が自然にポンポン飛びだしてくる。  

経済的な貧困で大変なのが、医療と教育。
でも日本もMCLのように、
医療と教育を無償にして生活を保障すれば、
子どもをたくさん産んでも、何の問題もないはずだ。
それどころか、生活の喜びが倍増し、
地方も活性化するだろう。
 
ミンダナオのように、子どもが学校を引けたら、
親の職場に直行し、
職員もお客も大喜びで子どもに声をかけてむかえたら、
親も子育てが楽しくなる。  
MCLみたいに(地方都市の役所や銀行でもそうだが)、
職場に子どもたちがはいってきたら、
「・・・ちゃん。おかえりなさーい」といって、
母親の仕事机の横に、ござをひいて昼寝をさせたり、
工場の修理工の後ろでも、木の長椅子をおいて、
そこで妊娠中の奥さんが、ごろ寝をしている風景があれば、
仕事場と家庭の壁もくずれて、
社会は生き生きとしてくるだろう。  
個人と社会、家庭と会社、保育園や幼稚園、学校と家にしか、
意識が向かない思考は閉じこもりの壁型思考だ。
その中間に存在する曖昧な場所、
「ちまた」こそが壁をときはなち、
人々の心を解放し孤独から救う場所。
ちまたで、子どもたちがおおぜい生き生きと
遊んでいる姿をみることがない国は、本当にさびしい。  
個人と個人の間に存在しつつ、
人をささえるのが愛だとすれば、
ちまたこそ愛と友情の空間。  
妖精のように存在していても見えない、友情と愛の力こそが、
人々を幸せにし、生きる力をあたえてくれる。






日本の若者たちが見た
ミンダナオ子ども図書館の活動報告

当時ボランティアスタッフの
宮木梓さんと秀島彩女さんが
自分の写真と文でつづって
作ったサイトです。
宮木梓さんは、
現在正規のスタッフです。


11月の学生総会
  
こんにちは。
ボランティアスタッフの
宮木 梓です。
11月30日に行われた、
今年最後の
学生総会の様子を
ご紹介します。

  
 

奨学生の日
  
11月の学生総会は、
奨学生みんなが主役。
テーマは、
「Working Together, Success is the Fruit of Sacrifice」

 
竹とビニールシートで
作った手作りの会場
 
クリスチャン・ムスリム・マノボ
3種類のお祈りから
始まります。
 
2か月ぶりに集まった
500人程の高校・大学生の
奨学生たち

学生生活で起こる
様々な問題を、
分かち合います。
 
一人だけで悩まず、
みんなで考えます。
 
スタッフの子どもたちも
お母さんの膝の上に
座って参加
 
支援者の方々から
届いたお便りも、
学生総会で手渡されます。

 
お手紙がもらえるのは、
とても
うれしいことです。
 
小さなプレゼントが
届くことも
あります。

   
 
今回のゲストスピーカーも、
元ミンダナオ子ども図書館
の奨学生。
学校の先生として、
活躍しています。


先輩のことばを
真剣に聞きます。
自分も卒業するまで
あきらめないぞ。
 
 
友さんと、エイプリルさん
からもお話。
円安で厳しいけれど、
心配せずに
勉強に集中してください。
  
お話の後は、各学校ごとの出し物
イスラムの女の子たちが、歌っています。

こちらは、
ギターに合わせての歌
 
 
男の子たちのダンス!

照れずにまじめに踊ります。
 
流行りの歌にのせて、
コメディ風のラブストーリーを
演じます。
 
ケータイのテキストメイトから
恋人を見つけたけど、
(観客は大喜び!)

妊娠して泣いちゃった・・・ 
男の子たちが
慰めている様子
 
ダンス!ダンス!ダンス!
 
みんな踊るのが
大好き!


自分たちで作詞作曲した
歌をギターにのせて
歌います。


マギンダナオ(ムスリム)
のダンス
 
 
彩女さんと私は
奨学生じゃないけど、
日本の歌を歌いました。

 
ミンダナオ子ども図書館
に住む高校生たちも、
ずっと練習してきた
ダンスを披露
  
出し物の次は、成績の優秀な学生の表彰
     
 
総会の前日・・・
日本から届いた支援物資を
仕分けしています。
 
クリスマスが近いので、
奨学生一人ひとりに
古着のプレゼント
 
新しい服は
なかなか買えないので、
とてもうれしい。
 
これは、弟にぴったりだな。
 
大事に着よう。
 
物資を送ってくださった
支援者の皆様、
本当にありがとうございます。
 
総会の後は、お昼ご飯!
 
鶏や魚などのご馳走です。
 
思い思いの場所で
いただきます。
  
違う民族の友達。
奨学生になっていなかったら、
出会えてなかったかもしれない。

 
うれしい久しぶりの再開
 
学生総会って
楽しいな。
僕たちも高校生になったら、
参加するんだ!

 みなさんこんにちは。
ミンダナオ子ども図書館ボランティアスタッフ秀島彩女です。


 日本はだんだんと
寒さが増してきた頃でしょうか?
お身体にお気をつけてお過ごしください。
ミンダナオは相変わらず
穏やかな風とさんさんの太陽に
照らされて暖かい日々です。
寒さが苦手な人には
天国のような場所ですね^^
早くも12月、2014年最後の月になりました。
ほんとうに時間がたつのはあっという間、
一日一日を大事に過ごしていきたいものです。
  

MCLで迎える誕生日  
今日お話ししようと思うのは
MCLで迎える誕生日について!
私がMCLの習慣のなかでも
特にいいなあと思う
日本では体験出来ない
素敵な習慣。
   
 明日は○○ちゃんの
誕生日だね~どきどき!
早起きしなくっちゃ!
 
誕生日の日 
朝4時半ごろから
みんな起きだします。
あたりはまだ真っ暗。
みんなぞろぞろとお誕生日の子の
部屋の前に集まります。

早起きなんて
へっちゃらだよ~!!
 
 
何が始まるのかな~??
さあみんなで
歌を歌って○○ちゃんを
起こそう!! 
そうなんです、
MCLでは誕生日の日には
その子の部屋の前で
朝4時30分ごろから
誕生日ソングやMCLソング、
いろんな歌を
誕生日の子のために
みんで歌うんです^^
 
部屋の外の
椅子に座ってみんなから
歌のプレゼントをもらう女の子
   
たくさんの歌を歌います。
だいたい30分くらい??かな。
みんなほんとに歌が大好き!!
みんなにお祝いしてもらって
誕生日の子もとても嬉しそうです。
 
だんだんと空が
明るくなってきました。
 
   
○○ちゃん喜んでくれてよかったね!! 
これからもみんな仲良く家族でいようね!!^^

はいチーズ!^^
 
いえ~い!!
 
誕生日おめでと~う!!
  
楽しかったなあ。
さあそろそろ
学校に行く準備しなくっちゃ!

     
  
早く早く~遅刻しちゃうよ!!
子どもたち今日も
元気に学校へ行きます。
勉強頑張るぞ~!!


いってらっしゃい
いつも仲良しお姉ちゃんと弟^^
 
 
お金で買った物ではなく
「愛」がたくさん詰まった誕生日プレゼント
とっても嬉しいですね。
きっとみんな大きくなっても
忘れることはないでしょう。
ちなみにともさんの誕生日の日は
子どもたちさらに
いつも以上に気合いが入ります!!
前日からそわそわ!!
明日パパともの誕生日だよ!!
早起きするよ!!
っという子どもたち。
今年も楽しみ。
こんな誕生日
一度は経験したいと思いませんか??^^
ぜひぜひMCLに
遊びにいらしてくださいね。

ゴムの木の植林
  
こんにちは。
ボランティアスタッフの宮木 梓です。
ミンダナオ子ども図書館の活動のひとつに、
ゴムの木の植林があります


 
生活の自立と、洪水対策のために
  
イスラム地域では、
毎年のように洪水があります。
それは、上流の山々の木を
切ってしまったからです。
ジャングルの木々の多くは、
高度成長期の日本に輸出されていきました。

 
ゴムの苗は、
ミンダナオ子ども図書館の
敷地内で育てられています。


10月1日(水)
みんなのリレーで、
苗をトラックに
積み込みます。
 

イスラム地域のピキットへ、
1000本の苗木を
運びます。
 
図書館から、車で約2時間。
山道をトラックが
入られるのは、
ここまで。
 
歩いて苗木を運びます。
 
植林場所に、着きました。
 
きつい斜面を
登っていきます。
 
今は、
木が1本もありません。
 
土はとても固く、
穴をあけるのも一苦労です。
 
ミンダナオ図書館のスタッフも
 
地元のおじさんも、

護衛の兵隊さんも、
 
みんなで木を植えます。
 
今日、1000本全ての苗木を
植えられなかったので、
 
残りは地元の人々に
植えてもらいます。

この先、植えた苗木を
育てるのは、
ミンダナオ子ども図書館
ではなく、
地元の人たちです。

今はまだ細いゴムの木だけど、
大きくなると50年は収入が約束されます。
植林は、洪水対策だけでなく、
プランテーション開発で
土地を追われた先住民族の、
生活を守るためでもあります。
 
武器を苗木に持ち替えて、

 
未来の平和ために、
木を植えます。

学生総会
  
こんにちは。
ボランティアスタッフの宮木 梓です。
ミンダナオ子ども図書館では、2ヶ月に1度
奨学生の高校生・大学生がみんなで集まります。



9月の集会は、ビサヤの文化祭  
  
2014年9月28日(日)
ビサヤ(移民系クリスチャン)の文化祭
ミンダナオ子ども図書館には、
先住民族やクリスチャン・イスラムの子どもたちが
一緒に暮らしています。
今日の主役は、私たち、ビサヤ。


500人以上の学生が
集まるので、
竹でテントを建てました。

家の遠い子どもたちは、
前日から泊まり込みで
参加します。
 
司会の2人が、
上手にみんなを盛り上げます。

代表の
エイプリルリンさんからお話が
ありました。


支援者の方から届いた
お手紙やプレゼントも、
総会で本人へ手渡されます。

 
 
学校生活で起こる
それぞれの問題を、
みんなで出し合い
話し合います。
 
ともさんからも、お話がありました。
コンピューターばかりでなく、
友達と遊ぶことが大切なんだよ。


さあ、遊ぼう!  
 
ビサヤの伝統的な遊び
 
ビーチサンダルを使います。

うわぁ、上手!
 
次は、
何して遊ぶ?
 
フォークダンス!
 
踊ったあとは、歌いましょう。
弟のギターにのせて、
お姉さんが歌います。
 
歌の披露が続きます。
  
タガログ語でもなく、英語でもなく、
私たちのことば、ビサヤ語で歌います。
 
近くにいるけど知らなかった、
お互いの民族や文化・宗教。
今日は、ビサヤのこと、紹介してくれて
ありがとう。
 
次の総会は11月。
また会うときまで、
お互いに
勉強がんばろうな。
  
学生総会は、奇数月の最終日曜日です。
ぜひ、皆さまも参加してみて下さいね!

  
カルボガンの小学校
こんにちは。
ボランティアスタッフの宮木 梓です。
この秋、
イスラム地域の
カルボガン集落にある小学校に、
ミンダナオ図書館の責任で
新しい校舎を建てる計画を、
日本政府に提出します。  
 
日本大使館の中川さんと、小学校に行く

カルボガン集落は、反政府地域の
リグアサン湿原というところにあります。 

10月30日(木)
図書館から2時間くらい車で
走って、小舟に乗り換え。
 

このリグアサン湿原にも、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生がたくさんいます。
でも、
フィリピン政府とモロ・イスラム解放戦線の
和平交渉が
2016年までにうまくいかなかった場合、
戦場になってしまうもしれません。

小舟で1時間、
小学校に到着。


川の水があふれて、校舎まで来ています。

6年生の教室も水の上です。
戦争が起こる前に、
カルボガンの人たちと、ミンダナオ子ども図書館で、
力をあわせて新しい校舎が建ったらいいな。
村の人たちと仲良くなれば、
もし戦闘が起こっても
子どもたちを助けに集落に入れてもらえます。

リグアサン湿原にある集落のひとつ、サパカンにも、
もうすぐ、ミンダナオ子ども図書館が 
地方政府に提案した小学校が、
日本大使館の支援で完成します。
中川さんの提案で、洪水のときの避難所にもなる、
しっかりした校舎です。

JICAから、
IMT国際停戦監視団に
派遣されている
中川さん

向かって左にいる、
カルボガンの村長さんと
ごあいさつ
前の村長さんと、
今の村長さんが
けんかの仲直りしたので、
新しい校舎の建設を
提案できます。
 
工事の責任者と、
校舎を建設する場所を
相談しています。
イスラム地域の小学校なので、
黒板の上には、
ローマ字とアラビア語の
アルファベットが
貼ってあります。
 
校長先生は、
イスラムのベールをかぶった
女の人です。
中川さんは、
たくさんの質問をします。
生徒はみんなで何人ですか?
新しい校舎に教室は、
いくつ必要ですか?

話し合いでお腹もペコペコになったので、
お昼ご飯です。
よく洪水になる大きな川だけど、
おいしいお魚がたくさんとれます。  

こうして、
カルボガンに
新しい校舎を建てる
話し合いは
終わりました。

計画は、この後、
フィリピンの首都のマニラと、
東京で相談されて、
来年、日本政府から返事がきます。
 ひとつひとつ
個性ある素敵な絵たち
 
こんにちは!
ボランティアスタッフの秀島彩女です。
日本はそろそろ肌寒くなって
きているころでしょうか?
ミンダナオは相変わず
暖かで穏やかな風が吹いています。
みなさまお身体に
お気をつけてお過ごしください。
今回は子どもたちが好きなことについて!
MCLの子どもたち特に女の子、
絵を描くのがとても大好き!!
そして上手!!
色鮮やかに繊細に、そして
それぞれの個性が溢れる絵を描きます!^^
物資支援をして下さった
支援者のみなさんに
お送りしている絵葉書も
子どもたちが描いてくれています。
このどれかが皆さんにも届くかも?^^
 


   
 みんな真剣にお絵かき

ほんとに鉛筆、色鉛筆、紙の消費が早い早い!!
物資支援続々お待ちしております!! 
よろしくお願いいたします!!
   
子どもたちの作品の数々 
   
   
 
     
     
 床に這いつくばって一生懸命描く子どもたち
   素敵な小さな贈り物 
 子どもたちとともにお絵かきを楽しむ

日本にいるときはお絵かきをするという時間は全くなかったのですが、
MCLにきてから私も時々子ども達とお絵かきをするようになりました。
改めてお絵かきって楽しいなと気づけて嬉しいです。
少しですが紹介させていただきたいと思います!^^
  
   
 
これからも子どもたちと
楽しんで絵を描いていきたいと思います。
  

絵本の読み語り
  
皆さまこんにちは。
9月からボランティアとして
働かせていただいている
宮木 梓です。
ミンダナオ子ども図書館の
活動のひとつに、
村々を訪ねての
読み語りがあります。
 
10月25日(土) マグペットでの読み語り 
 
ミンダナオ子ども図書館から、
マグペットの村へ。
川に水没した道を渡って・・・

山を登って・・・


2時間くらいで着きました。
 
何が始まるんだろう?
 
お話、聴きたい?
 
聴きたい!
 
ギターの上手な
奨学生の演奏に
合わせて、

まずは歌から!
こんにちは、
ミンダナオ子ども図書館です!
 
私が選んだのは、
この絵本!
 
「14匹のおひっこし」
ビサヤ語でお話します。
 
語るのは、
ミンダナオ子ども図書館に住んでいる
奨学生たち
 
「おおきなかぶ」を
キャッサバに変えての劇
おじいさんがキャッサバを
植えます。
 
キャッサバは
なかなか抜けません。
おじいさんはおばあさんを
呼びに行き・・・
おばあさんは息子を
呼びに行き・・・
 
犬はネコを
呼びに行き、
ネコはネズミを
呼んできて、
ようやくキャッサバは
抜けました。

お話のあとは、おやつの時間!
 
 
語ってくれた奨学生たち。
準備や練習、
お疲れさまでした。

ばいばい、またね。
 

子どもたちの帰省に密着 
みなさまこんにちは
ボランティアスタッフの秀島彩女です。
10月19日。
子どもたちの帰省に同行!
 
 
セメスターブレイクで
1週間学校がお休みの子どもたち。
長期休暇の際
MCLで家族がいる子どもたちは、
だいたい家族の待つ
それぞれの遠くの村や町へ帰っていく。
いつも子どもたちの歌ったり遊んだり、
毎日とてもにぎやかなMCLが静かなのは
なんだか寂しくて変な感じ
  
半年ぶりや1年ぶりの故郷、
そして家族に会えるからか、
朝からとても嬉しそうな子どもたち、
車の荷台に乗って準備万端!
何事かと見に来た私に
「oban ka??(一緒に来る??)」って、
満面の笑みで聞いてくる子どもたち
思わず私も
「Oo oban ko!!(うん私も行く!!)」
と答えてしまった。
かなり遠いとは聞いてたが
この子達が来た所、住んでる場所を
一度は見てみたいと
思っていたから嬉しい機会。
まあ3時間くらい
かかるかなと覚悟はしていた・・・・
まさか丸一日かけた旅になるとは・・。
MCLを出発して
2時間くらい車で走ったところで山道に入った、
もうそろそろ着くかなと思いきや
そこからが長かった。
石だらけの道を
がたがた揺られながら進み、
2つの川を渡り、
道と言っていいのかわからない道を
どんどんどんどん山奥に入っていく、
一秒たりとも平らな道はなかった。
始終体が上下に飛び跳ねていた。




 
   
嬉しそうに帰っていく子どもたち。 
家族との幸せな時間が過ごせますように!!

もう少しで家につくとすごく嬉しそうな彼。すごく疲れてたけど彼の嬉しそうな顔を見て私も元気になった

車で川を渡るなんて!!
最初はほんとに
びっくりしてしまった。
山の上に住む子どもたち 
 
MCLを出たのが朝8時30分、
お昼休憩を挟んで
やっと目的地が見えてきた。
すでに15時30分ごろ、。
お見送りを終えたころには
日が暮れかけていた。
家に帰るのがこんなに大変なんて・・・!
 お昼休憩後走ること約1時間30分、
遠くに何か見えてきた・・・!!
「え?山の頂上の頂上の頂上に村???
えっなんでこんなとこに村が!!」
見える景色に唖然とする私。
ついに彼の故郷に!!
正直こんなところに
人が住んでるのかと思ってしまった
はにかんだ笑顔が可愛い 村の子どもたち
ここで生まれここで育ち、
一生を終える子どもたちがいる。
これまでの私には到底想像できなかった。
豊かな自然とともに生き、
機械やものに頼らない、生活。
携帯やパソコンに頼らない
人間同士の深い付合い。
ここで育った子どもたちの想像力、
感性は計り知れない
のだろうと確信します。 
 子どもたちとしばしお別れ
   
さあもう少しで家につく!
車を降りて「Bye! Ate Ayame!」っといって
私にぎゅーっとはぐをする彼とそのお姉ちゃん。
そして彼らは嬉しそうに歩き出した。
見えなくなるまで私に手を振りながら。
彼らの嬉しそうな顔を見れてうれしい反面、
たった一週間という短い間だが離れるのが
とても寂しく感じた私でした
元気に帰っていく
子どもたち
また来週
会おうね~!!
 
もう少しで家にかえれるよ~
!!わくわく!!
無事にお見送りを
終えたころには
もう日が暮れかけていた。
とても疲れていたがPhilippineの
きれいな夕焼けを見ることが出来た。
 

私はこの夕焼けが大好きだ。
MCLでもきれいな
夕焼けをよく見ることが出来る。

とても疲れたし、
こんなに大変な旅になるとは、
思ってもいなかったが
日頃私を笑顔にしてくれる
大好きな子どもたちの
故郷を訪れることが
出来てとても嬉しかった。
今日も MCLで残っている
子どもたちとともに
子どもたちの帰りを
楽しみに待っている

 

子どもたちの日常
~食べれることに感謝~
 
みなさまこんにちは 
はじめて記事を書かせていただきます。
9月から日本人ボランティアスタッフ
をしています秀島彩女です。
私は主にMCLの子どもたちの日々の姿を
みなさまにお伝えすることが
でればいいなと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
そこで今日お伝えしたいと思うことは
子どもたちの食について!
子どもたちが日々どんな食事をしているか
みなさんご存知ですか?^^


もりもり食べるぞ!!
   
 にんじん、インゲン豆、
キャベツ、ウリ、
鶏肉の野菜スープ
玉子とレバー
子どもたちの食事は基本3食のみ、
おやつは各自その辺になってる
果物ゲットできたらラッキー!
みたいな感じです。
ごはんもそれぞれ給食当番
があって自分たちで作ります。
朝は4時に目覚まし時計をならして
頑張って起きてごはんを作ってる
子どもたち、偉い!!
野菜、魚が中心で時々鶏肉のおかず。
「おかず一品にごはん大盛り」
のような感じです。
食べ盛りの子どもたち
みんな3杯でも普通に
食べてしまいます!
一見この食事、「えっスープでごはん?
魚一匹でごはん3杯もたべるの??」
と思われる方もいるでしょう。
私も初めはそう感じました。
ですが、予想以上に
MCLのおかずはたくさん
ごはんが進むんです!^^
少量のおかずでご飯を
たくさん食べれるように
おかずやスープの味は濃いめに
してあるようです。
味付けはとても良いです!!
確かに質素なおかずであることは
変わりありませんが、
毎食たくさん食べる子どもたち
子どもたちにとって
「3食のごはんをしっかり食べれること」
は本当に嬉しいことなのだ。
という事がわかります。
日本では食べたい時に
食べたいものが手に入る生活
をしている人がほとんど
どれだけ自分が恵まれていて
贅沢してたのかを考えさせられます。
ここでの生活を通して、
子どもたちと同じものを食べ
生活することで三食しっかり食べることが
できればそれで十分だ。と感じます。
そんなMCLの子どもたち
ごはんを食べる前には必ずお祈りをします。
そのお祈りはイスラム教の子も
キリスト教の子も一緒に
お祈りができるように
つくられているそうです。
日本にいても、どこにいても
日々食べられることに感謝することは
とても大切なことですね。
どんな時も、どこにいても
忘れないようにしたいものです。
これからも子どもたちがたくさん食べて
すくすく成長していくことを願います。
支援者の皆様日々暖かいご支援
ほんとうにありがとうございます。








   
 
 
支援者の方からの
嬉しいお便り
こんにちは
ボランティアスタッフの秀島彩女です。
この度スカラシップ支援をして
頂いている支援者の方から
嬉しいお便りを頂きました。
ホームページへの公表の承諾頂きましたので
ご紹介させていただきたいと思います!!
いつもほんとにありがとうございます。


 
支援者さまより
訪問を期に読みかえしました。
10年近く支援させて頂きいていますが
支援してるだけというのが現状でした。
私もその間は子育て真っ最中でしたし
訪問するまで支援していることを
家族には言ってませんでした。
海外から手紙が来てるなぁと
思っているくらいでした。
読みかえしてみて四人の子と
かかわっていたんだと再認識しました。
Jocelynさんも少女から女性に成長し、
訪問して彼女に会えてとても嬉しかったです。
彼女が大学を卒業する時はぜひ、
オーストラリアに留学している娘と訪問し
一緒にお祝いしたいなぁと思っています。
訪問したことでMCLの子供達の
顔がわかるようになったので
広報ミンダナオの風が届くの
以前に増して楽しみになりました。
あの子がでてる、元気そうだなぁ
と思いながら癒されてます。
ミンダナオの風はすべて保存してますし、
訪問の際に子供達が書いてくれた絵、
支援した子供達の手紙は
私の宝物になっています。



全ての支援者のみなさま、
いつもあたたかい
ご支援ありがとうございます。
ほとんどの子どもたちたちが
自分の支援者の方の
名前をちゃんと憶えていて
日々感謝の気持ちを
忘れずに過ごしてます。
これからもそんな子どもたちを
どうぞよろしくお願いいたします。
みなさまの心温かいご支援が
子どもたちの未来を
明るいものにしています。


 
 
 
  


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