「遺伝圏の深層現象学」

ソンディテストを解釈する前の予備知識
読むだけで面白い衝動病理学・臨床心理学の基礎知識
記号で学ぶ運命分析・精神分析の基礎知識

要約
S:愛と死 ---- 性衝動遺伝圏
P:善と悪 ---- 感動発作遺伝圏
Sch:所有と存在 ---- 自我衝動遺伝圏
C:鬱と躁 ---- 接触衝動遺伝圏


Sch:所有と存在 ---- 自我衝動遺伝圏

富樫 橋

Sch
所有と存在
カタトニkとパラノp
自我衝動の遺伝圏

m+ 生まれ落ちてすぐ母親の胸にしがみつき
m+ 母親が自分の身体の一部であると感じながら
d+ 乳を吸い生長する人間は
m− 離乳したあと、学校や社会で
d+ 知識を蓄積し、生きる智恵をみがく
m− 自立への欲求が高まれば
m− 母や父から離別し
d+ 生きるための食物や精神価値を獲得し
h+ 異性への愛を
s+ 積極的に求めて結婚し、子供をつくる

いままでのべてきた、これらの過程は性衝動Sと接触衝動Cの領域における生命現象であった。またこれらの衝動の役割は個人の人格の辺縁にあって、主として生命の維持と子孫を殖やす動物的な生活を導くのである。そして、その営みの中で、外界から迫って来る危険から自分を守るだけでなく、自分の内部から発生する危険な欲求から自らを防衛するために

e− 怒ったり憎んだり妬いたり
hy− 嘘を吐いたり空想界に逃避したり
hy+ いばったり見せびらかしたり
e− 殺したり復讐したり
e+ 謝ったり神に祈ったりして 生きてきたのである。

ここまでは、言棄のあるなしや文化や文明の有無にも関係なく、人間も動物とまったく同質の遺伝子的営みをしてきたのである。極端に言うと、人間が、どれほど偉そうな顔をして、倫理や道徳を守っていたとしても、動物だって黙って無意識的に守っているのである。彼らの生存競争は、発情期に限られるが、人間とくに文明人は、一刻も止むことがない。ゆりかごから墓場に至るまで常に競争し続け、動物よりも節度をわきまえない金銭獲得競争者が毎日のようにテレビや新聞に登場する。キリストも言っている。「汝ら空の鳥を見よ、撒かず、刈らず、全然競争しないではないか」と。他人よりも、余計にいい思いをしようとするから、競争が地上に横行するである。動物は棲み分けをやっていて各自のテリトリーを確保する智恵がある。そしてうまく食べていっている。しかし、これでは、あまりにも人間が哀れではないか。

それでは、恐らく動物が持っていないと思われる、特別注文の遺伝子にご登場願うことにしよう。こに紹介する自我衝動、それを形成するk遺伝子とp遺伝子は、進化の過程で人類が育てあげてきた、まさに人間を人間らしくする遺伝子なのである。だが、イルカや象や鯨も、我々に劣らない自我衝動を持っている可能性があるかも知れない。

例えば、もしある人の情愛欲求が高まってh+!になり、古い対象から離れm−、新しい対象を獲得する欲求が高まりd+!になるとする。もしこの人に妻かあれば、これは確実に浮気の信号である。

もしこの人が、これでは生活を破壊すると思えば自我が−+となり、浮気欲求を制止できるのである(下表)。彼は別の欲求解放策を実行するであろう。

     S       P       Sch      C
   h  s   e  hy   k  p   d  m
---------------------------------------
   +!  +                     +!  −    辺縁=新しい性的対象の探求
            +  −   −  +               核心=良心と自制による防衛
            −! +   +! −               核心=殺意を伴う自己中心者

しかし、もし自我が、Sch+!−であればどうか。p−!は、浮気をするのは俺が悪いのではない、妻が悪いからだと責任を他者に転嫁する投影欲求であり、k+!で浮気を肯定するのである。このとき、e−!hy+であったらどうなるか。これは殺意の感情だから、新しい対象を獲得するためならどんな悪いことをしてもよいということになる。これに攻撃性s+が加わったらナイフが飛び出すであろう.この人の自我は自己中心的責任転嫁自我であるから、自己コントロールができない。

健康な自我は、他の危険な欲求を制御する機能を持っている。k−は願望意識を無意識の深奥部に抑圧する検察官であるが、p+は無意識的な危険性を意識化する検察官で、8個の遣伝子のうち唯一つの意識化できる窓口なのである。

さて,次に結婚対象について考えよう。h+エロス人間の、運命を変える結婚相手は、なぜ「hy−をもったSch++人間」が良いのか。h+人間は、自己と他者を結びつけようとするエネルギーが強い人である。情愛の豊かな人は自分のエロスを隠さない。あらゆる生命あるものの根源である母なるエロスは、堂々と人の前で子供に授乳するために胸を露出する。そこにはいささかの恥はない。ところがhy−人間は情愛を穏そうとする恥の欲求を持っているから、結婚生活をしてゆくうちに、知らず知らずのうちに影響を与えてゆく。おおらかに放出するエロスに恥ずかしさを教えるのである。結婚は、お互いに無意識的な衝動教育をする場なのである。

しかし、典型的なhy−人間では、あまりにも空想逃避的であるから、10回のテストで自我像にSch++が数回出現するような、現実的な所有欲をしっかりと持った人が望ましいのである。p+はhy−の欠点を補足し、カバーするのである。興味を持った方は、s+人間の結婚対象として、なぜ、「e+をもった、Sch−+人間が良い」かを自分で考えてみると良い。そして自分の周囲の多様な夫婦関係を、無意織の衝動影響力と衝動教育力の観点から見れば、さらに深い運命的洞察を得るであろう。

このように、私たち人間は、他の動物と違って、すばらしい自己調節遺伝子を持っている。あまりにも強すぎる辺縁衝動の危険性を抑える自我収縮遺伝子kと、あまりにも弱すぎる危険性を元気づける自我拡大遺伝子、この両者の合成力が自我機能である。自我は、心の中の検察官で、S、P、Cの動きをいつも見守っている。しかし、検察官も人によって才能も人柄もちがい、kが非常に強くて自己中心的、あるいはpが強くて誇大妄想的というふうにさまざまである。k−!は、何でも否定し、拒絶し、自らを殺すまでに縮小するし、p+!は、自分が神になったと思い込むまでに膨張拡大してしまって、手がつけられない。こうなったら、自動抑制や自動促進どころではない、バランスを崩した自我そのものが暴走をはじめ、他の衝動を引きずって破滅へ向かって暴走する。終着点は狂気である。この、人間だけが到達できる自我世界を知るために、まず、k+人間の世界から型通り追ってみることにしよう。この範疇の国には、k+自己愛的ナルシズムの種族と、k−白昼夢的種族の2つの下位範疇が存在する。そこで先ずナルシスト族の遺伝圏から探検調査してゆくことにしよう。

k+遺伝圏

教師、教授、軍人、技術者、批評家、出版、農業などで成功する範疇
kプラス人間:自己愛者および権勢人の範疇

k+範疇の人々は欲張りで頑固、思いやりのないナルシストである。内気で内向的な人てある。いっも自分の殻の中に閉じ込もり、何事かを考えている。その考えは機械のように冷たく理知的である。形式的な論理を重んじる。杓子定規である。頭の中にあるのと同じように、現実場面でも、理論や決まりからはずれたような例外を認めることができない。だからk人間は冷淡な自己愛者であり、秩序を強制する合理主義人間であり、権勢欲が強く欲張りである。ロ数は少ない。極端に現実的であり、それが合理主義と結びつくと、自分のエネルギー消費を最小にして、最大の効果を挙げようとする能率至上主義が生まれる。いつも他人をけしかけて何事かをやらせる。自分は何もやらないくせに、うまく行けば自分がやったような顔をして、貪欲に成果をむさばる。その態度は謹厳実直である。うまく行きそうにないと、降りて梯子を外してしまう。後に残された連中はひどい目にあうが、この場合、k+人間は何もしない癖に、俺の理論通りにやらぬから失敗するのだと思う。しかし決してロには出さない。他者に対する冷酷な自己中心性が、物言えば唇寒しということをよく知っているからである。それほどまでに知的で合理性がある。もちろん、これらはすべてk+人間の無意識内部での動きである。これを意識してやるような人は、いかさま師であるから、これ以上読まないで戴きたい。運命分析を学び、悪用されては困るのである。

k+人間は無愛想で頑固な変わり者と見られるうちはいいが、彼は理屈ばかり言う人だと思われるようになると、ますます内向的になり、自閉的になる。融通性が欠け、変身できないのである。情熱より知識、精神価値より物質価値を所有したいのである。自分の合理的思考を強化するような知識の獲得と所有に努力するから、ますます衒学的な言辞を弄する。彼にとっては、知識も言葉も思想も物質の一種に過ぎない。そして、それらの物的価値を無意識内部にとり入れ、投入し、自分という人間株式会社の資本にしてゆくのである。だから、k+人間は所有を肯定する人である。このk+所有理想欲求は、現実的な財産や物質的な価値を求め、専門的な知識や技術的な能力を能率的に求める欲求である。このように外界と内界のすべての価値を所有しようとする欲求を万有欲求という。

しかし、この欲求がなかったら人類は、あらゆる知的思考や論理的思考の芸術的業績、数学から自然科学にいたる知的な芸術的財産のすべてを決して生み出せなかったであろう。このk+所有欲求がなければ、資本主義から共産主義に至る、すべての政治経済理論や思想、主義、秩序や体制、それに基づく経済的物質的財産のすべて、能率と貨幣、職業と物質的生きがいのすべてを生み出せなかったに違いない。

だからk+人間は計算が得意であり、考え方や、ものの観方が科学的である。古今の書を読み、人類の文化遺産を疑うことなく吸収する。誰でも客観的に捉えられること、普遍的な事物しか信じない。その最も凝縮されたものはダイヤモンドである。我思う故に我ありと言ったデカルトの子孫でもある。確実な今日の食事と明日の幸福の糧である金銭を信じ、自分の金銭獲得能力とそれを支える現実社会を確信する、物質的理想追求人間なのである。だから、k+人間は気圧計つきデジタル時計や携帯電話、手のひらパソコンなどが大好きである。彼らにはそれらがまるで「知」を凝縮した宝石のように感じる。そして「知的生活の方法」が大好きであり、自分の肉体を知的生産会社と見なす。あらゆる情報を集めて光ディスクに記録し、インデックスを作成し、拡大再生産と金銭価値的転換を計る。彼にとって知識そのものは重要でなく、どこで知識が入手できるかという索引情報があれば良いのである。

k+人間は、祖先の体験記録をそのまま肯定同化し、先人の言葉を引用し、自らは何も創造せず物的所有を追求する職業人間である。こうして、k+人間は職業そのものになり切ろうとする。では、所有欲求が極度に高まり、k+!になったらどうなるであろうか。本質的に自己中心的な自己愛人間、他に奉仕することを知らず、自分だけに奉仕するk+人間は、知的で理論的、形式的で物質的な所有欲をつのらせるあまり、傲慢な偽善者となり、強情で頑固、冷酷で無情、残忍で酷薄なk+!人間に変貌する。

だから彼らは、そうなる前に適当な職業に就いて、その危険性を無害なものに解除するのである。とくに選ばれる職業は、教授、冷たい理論家、理論数学者、理論物理学者、峻厳な倫理家、形式的な思想家、および美学者、[精神なき]精神医学者および心理学者、スパルタ主義の教育家、軍人警察官、党首等である。

要するに、ある知識をもとに組み立てた思想や論理、物質的な配分や効率を追求する経済や、社会的な学問や思想、イデオロギーなど、一切の思考的芸術に関する職業である。これらの専門家は、創造的な先人が開拓した知識を啓蒙の道具として引用し、人々に伝達する職業である。だから、これらの学間領域であっても、まったく独創的な発想で新しく創造する人々はp+人間のほうに入るのである。哲学、倫理道徳、美学、形而上学もまた、知的で理論的な思考芸術である。ここで、思考的芸術と創造的芸術とは違うのだということを理解されたい。

k+人間の職業はそのほか、あらゆる自然科学に関する技術、それを現実界に再生産する技師、マィクロエレクトロニクスから巨大エネルギーにいたる全ての機械技術の技師、コンピュータ・プログラマ、知識材を複製する出版、印刷業等てある。てして、自らは創造せず、他者の創造した作品を批判することによって自らを語る芸術評論家、主ある言葉や他人の知的発想財産を自らに投入し、巧みな言語で再生産する各種啓蒙的解説者もまたk+範疇に属する所有(ハーベン)職業なのである。

筆者はソンディ先生から真顔で言われたことがある。「私の著書を翻訳した人や、したいという人がいるが、みなk+。お前だけはp+で翻訳して欲しい」。その時は事務局長シュルヒ氏も一緒であった。私事で恐縮だが事実だから仕方がない。このような場所に記録しておかないと、時間の彼方に消え去ってしまう。このあと本格的にドイツ語を学び、既にかなりの年月を費やしている。病気のため、まだいくらも訳せていないのが心残りである。

さて、農業もまた、地球に投資して再生産を繰り返す代表的なk+職業であり、そのほか、あらゆる職業的人間もまた、自分の身体を土地として、給料を刈りとる農業的職業のk+人間なのである。所有遺伝子が、別名、職業の遺伝子といわれるゆえんである。さらにk+らしい職業として、知的生産に関する職業、書籍、文房具、事務機関係、経済に関する経理事務、書記、速記、各種情報産業関係などがある。

k+!人間の運命:日常的な職業生活や知的職業で、所有欲求を充分に社会化できない人々は、どのような運命を歩むであろうか。

この範疇に属する人々の衝動危険性は、自我狭搾、自我収縮の欲求が、充足されていないことによって、また潜在的に存在する自我収縮的、類緊張病的欲求によって規定されている。彼らは自己を密閉して外界から遮断し、つねに自我の牢獄の中で、放蕩者のようにk+!欲求を浪費しようとし、職業のような自然な形で解放することが出来ないのである。その代わりに彼らは、自己愛、貪欲、離人症、疎外、緘黙者などの非常口を用いるか、あるいは偏執病傾向を伴った躁欝病的なマントの陰に隠れるのである。彼らは大抵の場合、息子と父親、娘と母親、場合により同性の兄弟や姉妹の間の近親的結合(二者一体関係)を見出す。この近親的結合が正常な自己同一性(アィデンティティ)の確立を妨げるのである。この側道にそれた同一視は、彼らを変わり者や孤独生活者、自己愛者および沈黙者にさせる。この範疇に属する正常人は、しばしば自己愛的偽善者やいかさま師である。

彼らの運命の危険性は、あまりにも強い所有欲求によって、極端な自己中心性、利己主義、白己愛者となり、自閉症へと収縮埋没する。この段階でも、冷たい論理家、理論数学者や物理学者、「精神なき」精神医学者および心理学者、スパルタ主義の教育家、軍人、警察官などの職業で適応する。彼らは病人として、サディズム、マゾヒズム、露出症、自己愛ナルシズム、分裂病などの、自閉的な倒錯的症候を示す。満たされない所有欲の典型的な表現は、異性の靴や下着を収集する拝物愛である。

死亡形式は、自己を愛するあまり、死体を人に見せないような形態を選ぶ。雪の深い山奥や深山で白骨化するような自殺、外国や海上その他で行方不明になるような自殺である。

kハーベン遺伝子は、8個の遺伝子のうち、最も教育困難な遺伝子である。ソンディは、これを[鉄筋コンクリート要因」と呼んでいる。従って、k+人間と結ばれて、夫婦一身同体の姿においてバランスのとれた生活ができる結婚対象は、自我像にSch−±が比較的多く出る人がよいと思われる。

k−遺伝圏

kマィナス人間:ロ数が少なく非社交的、あらゆる価値を否定するタイプ

k−人間は、どんなことでもあっさりと、すぐにあきらめる適応人間である。あきらめるといっても、あれか、これかと熟慮して、やっと断念するというよりは、あっそう、という感しで、まるで幼児が、今まで心を奪われていたのに、他のことに関心が向いてポィと玩具を放り出すような調子で投げ出す。自己中心性ならではである。k−人間ははにかみやである。だから自分の意見を述べなければならないような、自分の思考内容を喋るような状況に身を置くことを好まない。非社交的で幼児的なのである。

彼や彼女らは絶対に大人になりたくない人間である。いつまでも幼児のままで居たい、永遠にゆりかごの中に留まりたい人である。だから、どうしても人前に出なければならないようなときは、気心の知れた同僚や肉親に頼んで代わって貰ったり、仮病を使って逃げる人である。それを無理に押して出るように奨めると、始めのうちは恥ずかしそうな感しで、はにかみながら遠慮するが、しまいに全身を緊張にふるわせて拒否する。ところが、ひとたび会議やミーティングに出席すると、にわかにエキサィトして、他人の提案をことごとく否定し拒絶する。その態度はかなり破壊的で、自分の知っている、あらゆる知的理論と、合理的思考を総動員して激しく拒否するから、始めて同席する人は、たいていびっくりする。ふだんはあんなに温和しく、引込み思案な人なのに、どうして? と思うのである。k−人間は、しぱしばSch−±の自我像を示す。これは嫉妬と猜疑、離人症と自己疎外の自我である。激しい拒絶は、この嫉妬と猜疑のエネルギーが、陽性に爆発したのである。しかし、ほかの人から見れば、この人がなぜこうも激しく否定するのか、さっばりわからない。拒否理由は知的な理論のすじが通っているし、いつも控え目のk−適応人間だから、きっと確かな根拠があると思ってしまう。もちろん、本人自身も、無意識の中にある嫉妬が自分をつき動かしたなどとは思わない。しかし、こういった場面が過ぎると、k−人間は、間もなく自己を疎外し始める。ほかの人から見ると、何となくよそよそしくなったと思うような状態で、かなり自分を抑えたような、周囲に適応しようという様子が感じられる。本当はそうではない。閉鎖的で陰性な、非現実界に入ったのである。

幼年期や少年期のk−人間は、学校で先生に質ねられても答えようとしないか、あるいは答えることができない。非現実的な夢の世界に生活しているからである。

だが彼らは年月の経過につれて、夢の世界から出て、転換ヒステリー症状を示すか、あるいは外見上の循環性躁欝状態を示す。欝期には彼らは偏執病的な人嫌いになり、躁期には大言壮語して落ちつきがない。

この種の人を更に詳しく分析すると、彼らは大人になっても自昼夢の夢想家のままであることがわかる。はにかみやで、隠遁者のような、臆病な子供のように、生活において隠れ場所を探すが、それは空しい努力である。彼や彼女は何週間も自分の部屋に閉じ込もり、寝床やベッドの中で過ごす。そして、完全に幼児的な非現実的な夢を見続ける。彼らは子供のように、自分のことを気にかけてくれる人だけにしがみつく。臨床家はしばしば欝病という診断を下すが、彼らは決して循環性の欝病患者ではない。彼らは「見せかけのうつ病状態」を示しているに過ぎない。彼らは現実の生活で満たすことのできない、あらゆる幼児的なk−拒絶欲求を、充足させることができるのは空想の世界だけであるから、そこに自閉的に閉じ込もっているのである。

しかし、彼らは希に、分裂状態や強迫神経症になることがある。つまり、ある一定の時期を過ぎると、彼らはベッドを離れ、再び現実界に戻ってくる。まるで躁状態のように興奮し、大言壮語する。白昼夢から現実界に戻って来たのである。人と会い、仕事をし、金を儲け、しばしば大きなビジネスを遂行する。

しかし、また時期が過ぎると、いままで、せかせかと駆けずりまわっていた現実の世界が、突然異質なものに感じられる。それは外界だけではない。自分自身の身体や、忙しく走りまわっていた以前の自己が、まるで他人のように思われるのである。彼らは離人症的な別の世界に引き込み、日常の雑踏や騒音から遠く離れて、空想的な、自閉的な、異質的な生活を更に続けるようになる。

このように、社会に適応しているタイプのk−人間は、他の人々には非常に理解し難い行動様式を示す。自分のなかに、ごく自然に発生してくる大人っぽいエロス欲求や攻撃欲求、ごく人間的な日常生活の欲求、成人し、生殖し、成熟することを、まるで自らの自己保存をおびやかすような欲求として拒絶し、抑圧するのである。それは、生長するものを否定する、恐ろしく不自然な欲求である。

これこそ、人間を他の動物と明確に区別する遺伝子の一つであるkが発する欲求である。生まれてからこのかた、獲得した経験や知識、意識した理想や欲求を、ある理由の下に否定し、無意識の最下辺に押し込め、絶対に再び出て来ないように鍵をかける機能でありエネルギーなのである。このk−反所有欲求があるから、人間は動物の知らない嫉妬と、同族を嫌悪する人間嫌い、離人症の欲求を抱くことができ、動物には絶対にできない自殺行為が出来るのである。k所有遣伝子は、自我である自分自身を殺すまでに自己否定ができるのである。自殺の過程は、自分をとりまく世界のあらゆる価値を無価値にする偶像破壊期と、次に現われる自己破壊期に分けられる。こうして、k−人間は、危険なk−!の領域に足を踏み入れる。

k−人間の職業選択は、k+人間のそれとほぽ同じであるが、いくらかhy−人間の水に関する職業、およびhエロス人間の職業が加昧される。俳優や教師、軍人や病院関係、ホテルのようなサービス的業種の経営者を好むのである。これらの職業は、k−人間にとって、自己愛的な所有欲を満足させる可能性があるからである。

k−!人間の運命の危険性は、労働拒否と放浪癖、自昼夢、あらゆる価値の破壊者、自己破壊者、離人症である。

一般に彼らの性衝動は幼児的で、k−!男性は好んで母性的な保護者の役割を演じ、k−!女性は、可愛い少女といったタイプであることが多い。両者ともに共通な点は、周囲の人の性的関係を観察したいという、子供っぽい好奇心があることである。性的な覗き見は、彼らを満足させるのである。これを「興味人」という。

k−!の若い女性は、しばしば金持の老人と結婚し、自分を愛してくれる若者に貢ぐ傾向がある。また、k−!男性は、しばしば売春婦的な女性と結ばれるが、夫ある女性と三角関係を結ぶような恋愛運命を辿る。彼らは離人症の時期に、自分は発狂するのではないかという不安をもつ。k−!人間の精神的な病気の危険性は、労働することができないほどひどい心気症、転換ヒステリー、偽性躁病、反社会的な空想虚言、窃盗癖、緊張病、癲癇、激情殺人、強盗殺人である。

死亡形式はヒステリー型自殺、アルコール中毒的自己破壊、餓死などである。k−人間の結婚対象は、二人揃って始めて完全な統合人格を形成するSch+±人間、 幼児的なk−に、確かな所有理想を教えることができる、大人っぽい母性的な人が良いと思われる。


p+遺伝圏

発明家、詩人、心理学者、神秘家、探検家、音楽家、薬剤関係で成功する範疇

pプラス人間:ごう慢で熱狂的、理想の高い誇大妄想的タィプ

p+人間は外向的で情熱的な人である。いつも自己の精神が燃えあがるようなもの、熱狂できるようなテーマを探し求めている。知性より感性、冷静より情熱、物質より心、自分をつねに外界に向かって拡大し、自己の影響範囲を膨張させ、テリトリー環境を拡張させたい人である。自分はこの世で一番優れた人間だと思っている人である。自己自らを拡大するだけでなく、他者の精神も拡大させようとする。自己の精神的価値を他者にも波及させたいのである。だからp+人間は支配欲が強い。自分の精神的な理想にとり憑かれる人間なのである。

その点において、p+人間は、他の人から見ると片輪者のように見える。対抗意識が強くて、他人を見下す高慢な人間、自己偉大的な人間と思われ、除け者にされやすいのである。この世に尊敬できる人間は、自分以外に誰ひとり居ないのである。文学や心理学、哲学や宗教など、およそ他人が創造した精神的価値はすべてどこかが間違っており、自分が創造したもののはうが絶対に正しいと信じる精神的な権力人なのである。だからp+人間は読書が好きで物質的価値を軽蔑し、書物の中身にしか興味がないから、本を買ってもカバーは捨ててしまう。人間は何を持つために生きるか(所有)という、k+人間の問いとはまったく異質な考え、人間はいかに生きるか(存在)ということを問い続けるのである。

心理学の本を読破し、書いてある実例と自分を比較し、人間の精神構造はどうなっているか、自分のそれはどうかと偏執的に学習する。ゲーテやシェークスピアの作品を読み、T。S。エリオットやランボオの詩に熱狂し、彼らが到達した精神的レベルの高みに思いをはせ、自らを憑りつかせる。p+人間にとって、ポエジー(詩)は、原始人のトーテムと同じ熱狂対象なのである。ゴッホゃゴーギャンが、どのように高度な精神の段階に達したか、モーッァルトやピンク・フロィドが人間の実存について、何を語っているのか、それら精神的な価値を情熱をもって追求し続ける。それは死に至るまで統く。聖書や経典を読み、宗教に関心をもつ。信仰がどのような精神レベルに自分を連れて行ってくれるかが、p+人間の関心事なのである。そして、キリストや仏陀、親鸞や空海を自らに擬し、人生の最終期において、彼らが到達したであろう精神的段階を超えたいとさえ熱望するのである。ところが、これが高じる、人生の終末においてなどとは生ぬるい、生きているうちに仏になり、生きながらにして神になりたいと思う。自分自身がトーテムそのものになろうとするのである。こうして、p+人間は教祖となり、挫折して病人となり廃人となる。p+人間の本質は、精神的な何かにとり憑かれること、憑依することに尽きる。

p+存在(ザイン)遺伝子は、人間と動物を最も明確に区別する遺伝子であり、風にそよぐ葦である人間を神に、人を超越者に限りなく近づけようとする恐るべき遺伝子である。もはや、p+人間にとってこの地上には恐るべきもの、ひれ伏さなければならぬ対象は居ない。いや地球どころか何億光年の宇宙の彼方にいたるまで恐怖の対象は存在しない。これを万能欲求という。もはや神は居ない。だからこそ、ニーチエは「神々は死んだ」と言い、神に死刑を宣告したのである。極限におけるp+は、有限である肉体を超越し、永遠そのもの、光そのものになろうとするのであり、実際また、そうなるのである。p+人間から見れば、k+人間は、吹けば飛ぶようなものに見える。k+所有理想など、風に吹かれて霧散するスプーン1杯の砂金、一かけらのダイヤモンドが理想限界ではないか。我々は風で飛ぶようなものにこだわらず風さえも無視する。そして我々には光があると宣言する。p+人間は、人間の精神の最も高みのところにある光、理論でなく直観を、予測でなく予知を、他人の経験でなく自分の体験を、引用でなく創造を、現実でなく理想を、人を人と思わぬイデオロギーでなく、人を尊重する信仰を、有限存在でなく永遠存在を、おが屑で詰まった脳髄でなくシナプスの密な頭脳を、より価値高きものと信じるのである。

p+人間は、風にそよぐ葦であることを拒否する。人間の実存を3次元存在と見ないで4次元存在と信じ、肉体を機械でなく自然そのものと見る。彼にとって死はすでに克服されている。だから、吹けば飛ぶような知識でなく、永遠に輝く智恵を、金塊でなくそれ自身が光である悟りを求めるのである。風よりも光。これがp+人間の存在理想の本質なのである。ここで再び、ソンディの原典から離れることにしよう。

というのは、ソンディの自我心理学は、ソンディ自身の体験と洞察が基礎にあり、しかも難解な深層心理学的用語で記述構成されている。その一部を解説してここまできたが、いくら初心者向きに噛み砕いても、とても伝えることは難しいのである。第一、噛み砕くことができない。むりに演繹すれば、変形と逸脱に落ち込む。第二に専門用語を理解してもらうのに時間がかかる。それを待っていたのでは、せっかくの運命分析学の真髄を伝えるのに、何年もかかってしまう。

そこで各所に、あまり学術的ではないかも知れぬ表現を使用せざるを得なかったのである。これを更に一歩進める事にしよう。それは、k遺伝子、p遺伝子の生い立ちについてである。多少は概念がつかめると思う。

なぜ人間だけにk所有遺伝子とp存在遺伝子があるのか。

恐らくこれは、われわれ人類の遠い祖先が、まだ猿類とそれほど区別のつかない頃に発生したのではなかろうか。誕生と生殖と死、これを数限りなく繰り返しつつあった祖先が、ある日一匹の子を産んだ。この児は何かいつもぶつぶつと口を動かし、二本の足でときどき立つような子猿に成長したのである。ほかの猿から見ればまさに狂猿である。気がついてみると、あちこちに、この種のおかしな猿が産まれていた。ぶつぶつと口を動かし、直立歩行する狂った猿たちは仲間から疎外され、自然と集まり群れをなし、別な地域に棲むようになっていった。進化論を超えた今西錦司の棲みわけ定向進化論を筆者なりに解釈するとこうなるのである。言葉らしいものを喋り、直立歩行しはじめた狂猿たちは、人類と猿類の共通の祖先であるドリオピテカスが、ラマピテカスになった頃ではないかと思う。今から千四百万年前のことである。まだ、完全には、直立二足歩行したという化石による立証はなされていないが、狂った猿たちは、言葉を喋るという狂気を完全に自分のものとして定着させ、安定させて人類という新種に固定したのであろう。種として固定するというこは、もう雑種ができないということである。一代雑種はできるかも知れない。

とにかく遠い昔、言葉が発生した頃に、k所有遺伝子はeを父、hyを母として生まれ、p存在遺伝子は、hyを父、eを母として発生したのではないかと思われる。

読者は、eが内部的な感動爆発であり、kが内部的な収縮の機能であることを想い起こされるであろう。さらに、hyが外部的に自己をひろげ顕示するもの、pが自己の存在を外界に拡大する機能であることも覚えておられるだろう。祖先が言語を獲得したときに、所有と存在、もつことと、あることの認識が、極めて原始的な形で発生したのである。恐らく、まだ体毛がふさふさと生えていたわれわれの祖先が、この頃に、肉体と精神の違和感を、まったく顕微鏡的に微小な感覚で知覚し始めたのである。これが、「人間とはなにか?」という問い、自我発生の根源なのであった。私はどこから来て、どこヘ行くのか? 私はなにを知り、なにを感じるのか? 知性k、感性pの発生である。まだ、「何のために生きるのか」の問いはなくても、親や先輩の経験を言葉によって知り、自らの有限存在を知り、自分の独自の体験によって論理と直感を認識する。言語を獲得したサルは、こうして、所有と存在の個人と集団をつくりあげて来たのであった。

          所有と存在の遺伝子起源的差異およびそれら概念群の比較
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遺伝子  幼児期     機能    価値/象徴   審判者   超越現象 職業/教育
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 k  原始自己愛  無意識化  物質/所有   普遍性     風    知的職業
      知覚界形成  自我収縮  思想/宝石  経験(引用) (無)  教育非常に困難
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 p  原始投影    意識化    精神/存在   特殊性     光   精神的職業
      根源的関与  自我拡大  信仰/トーテム  体験(独創)  (空)  教育かなり困難
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さて、本題に戻って、p+存在欲求が極度にに高まり、p+!になったらどうなるであろうか。すでに述べたとおり、本質的に自己拡大的な万能欲求は、同時的な二重存在の欲求であるから、母であると同時に子であり、動物であると同時に人間であり、造物主であると同時に被造物であるような、権力的な絶対存在者になるのである。この性格は傲慢である。だから彼らは、そうなる前に適当な職業に就いて、その危険性を無害なものに社会化する必要がある。

p+人間の、果てしない存在欲求の危倹性を日常的に解放する職業は、精神に関する職業である。どのような閃きが襲ったのかと、誰でも驚くような創造をするエジソンのような発明家、詩人、作家、文学者をはじめ、精神そのものを研究する深層心理学者、精神医学者、人間の精神の遠い祖先を研究する神話学者や神秘家、考古学者、地資学者、コンラッド・ローレンッのような生物学者などである。また、理論ではなく直感の職業。宗教伝道家、探険家、精神や物質の探険家である音楽家や化学者、また、数学や物理学、哲学のようなk的な職業でも、アィンシュタィンのように、創造的に真理を探険する方向の研究者、例えばクオークや色の粒子を直観的に認識追求してゆく素粒子領域の理論物理学者などはp+の職業である。ヴィトゲンシュタィンやゲーデルのような学者もp+人間である。また人間の存在に関する職業、弁護士、家裁の判事、探偵、人事や結婚相談の専門家、各種の企画プランナー、オルガニザトール(組織者)、そして運命に関する専門家もまた人間の存在を研究する職業である。これらはみな、ある種の閃きがなければできない職業である。光の職業。

p+!人間の運命:日常的な生活や、精神的職業で存在欲求を社会化することができないp+!人間は、どんな運命を選択するであろうか。子供の場合を考えてみる。自ら万能でありたいというp+!欲求の子供は、子供であると同時に母でありたいという二重存在の欲求をもつ。m+!のように、母の胸にしがみつくのとは違って、p+!の子供は自分自身が同時的に母にもなり得るのである。このとき、彼は乳首ではなく自分の指をしやぶる。指は、かつてしがみついた母そのものであり、その代用物である。彼にとってもはや実際の母親は必要ない。これがp+!人間の運命の原型なのである。これは当然オナニへと発展する。オナニにおいては、快楽を与えるものは彼自身であり、快楽を受けとるものも彼自身である。このとき彼は、始めて自我が二倍に拡大された体験をするのである。これが若年期のp+!運命をつくる。

成人期のp+!人間は、ほとんどすべて反家庭的、非社会的、反社会的である。家庭や社会階級の枠の中に適応することは全くできない。彼らは、つねに家族が自分の才能の発展を妨害していると考え、憎むのである。嫉妬や傷つけられた自己愛、失恋などの感情、誰かが妨害しているのではないかという妄想から、カイン欲求や復讐が生じる。そのため、しばしば喧嘩口論を伴うヒステリー型の奇妙な態度を呈し、時にはもうろう状態に陥る。

このタイプのp+!人間の運命構造簡略式は、e/pである。k/epタイプの人間は、一般にナィフのように鋭い論理的思考の持主で、しばしば天才人の印象を与える。そして、計算、音楽、絵画などで、見せかけの才能を示す。だが、時々狂乱し、憎悪、憤怒、殺人などの発作を起こし、精神病院行きの運命をたどる。p+!人間はしばしば性的成熟が遅く、過度なオナニまたは肛門サディズムや同性愛を示す。また、性犯罪の運命可能性が強い。p+!人間の感動生活はカイン欲求に支配されている。息子は父を、娘は母を殺してやりたいと思っているのである。

しかし、自殺、殺人、偏執病の運命を逃れることのできた人は、ニ十代、四十代になって、若い頃に殺してやりたいと思っていた家族に対し、極端な情愛を持つことがしばしばある。一般に、自分の自我の偉大さにとり憑かれているp+!人間は、他者と接触することが不可能となっている。彼は、自らの自我が自らの牢獄なのである。病的な運命は、このほか、熊沢天皇のように、自分が天皇であると思うような誇大妄想狂、妄想型分裂病、好訴症、詐欺師、麻薬中毒である。

死亡形式は、首つり、服毒自殺、鉄道飛込自殺などである。原因は復讐と嫉妬である。p+!人間の結婚対象は、その危倹性を補なう自我Sch±−人間がよいと思われる。

p−遺伝圏

pマイナス人間:俺は悪くない、あいつが悪い、責任を転嫁する人々

この種族の人々は、孤独で淋しい人間である。いつも小型のラジオやテープレコーダを持ち歩き、耳にイヤホンを差し込んでいる。ヘッドフォンをかけているからといって、必ずしも語学の勉強をしているわけではない。暇さえあればテレビにかじりついている。番組はニュース、娯楽番組、スポーツ、ドラマ、概して何でも良い。知的な教育番組は嫌いである。感覚的な番組がよい。だから、とくに注目して見ていなくても、部屋の中でテレビがついていればいい。感覚的な人間だから、家の中で映像が動き、音が鳴っていれば淋しくないのである。

p−人間は自分を過小評価する傾向がある。すべてにおいて慎重で、何かあると、くよくよと、自らを責めさいなむ傾向がある。だから、社会人としては、無害な適応人間といえよう。しかし、ともすると、自分のみじめさが他者不信に変わり、なんでこんなにみじめでいなければならないのか、と人を恨むようになる。そのとき、p−人間は比較的争いを好み過敏になる。

p−人間は孤独に耐えられない。いつも誰かが自分のことを気にかけていて貰いたい人である。いつも、何かと関わりをもちたい、関与したい人間である。彼らは現実の社会生活や家庭生活で、このp−関与欲求が、充分に満たされていない人である。そこでいつもラジオを聞き、ステレオを鳴らし、テレビを年中つけている。これらのメディアは、我慢強い母親のようにp−人間のデリケートな感性をマッサージし、音や映像で優しく愛撫し包んでくれる母親の代用物である。教養番組という母乳が気に入らなければ、プロ野球という飲物を、歌謡番組という積み木に飽きたら、ホームドラマという縫いぐるみをつねに用意する。そして永遠に自分に関心をもってもらいたいp−人間の目と耳をなで、さすり、あやす。だが、もはや双方向メディアでなければ人々の関与欲求が充足しない時代となった。

未開の原始人においても、このような母親代用品がある。部族や氏族の血縁であると信じるトーテム動物や、トーテム自然物がそれである。奇怪な顔をいくつも刻みつけたトーテムポールは永遠の母の代理であり、それといつまでも関与して、安全に生きてゆきたいという自然人のp−関与欲求の対象である。母親と共に、楽園にまどろむような合一存在になりたい願望の象徴なのである。したがって、現代人にとってはテレビやラジオは未開人のトーテムと同じである。この場合p+と違い、トーテムを崇拝し憑依して、自らの存在を膨張拡大するのではない。ただ、ひたすらトーテムにすがりつき保護されたいのである。だから、トーテムやテレビは、常に一定の場所にあればよく、光と音を発していれば安心なのである。

自動車も立派なトーテムである。抱き癖のついた赤ん坊は、ちょっと手を離すとすぐ泣く。むずかる。いつもかまってやらないと気嫌が悪い。この構造は次のようになっている。赤ん坊が存在しているということは、いつも誰かと関わっていることである。だから関わりが消失すると、存在の危機が訪れる。私はここに存在しており、ずっと存在し続けようとしているのに、関わりだけが消えてしまった。私はちっとも悪くないのに、関与が消えてゆくのはひどいではないか、といって泣くのである。このように私は悪くない、相手が悪いというのを、責任を他者に移転する投影欲求という。これは関与したい欲求の裏返しであり、深層心理学的には、全く同一の欲求なのである。これは、赤ん坊だけの専門欲求ではない。自分が勉強できないのは、周りが悪いからだ、私が不幸なのは親の遺伝のせいなのだというのが、投影欲求p−人間のつねなのである。人々が不幸なのは、政治が悪いせいだといって、ハィジャックする人も、サリンを撒く人も、立派なp−!投影関与人間である。だからp−!人間は他罰的で、いつも自分以外の者を悪いと決めつけ、罰したがる。そしてあいつは悪い、こんなにひどい奴だと宣伝する。こういうのを好訴症という。バブルがはじけたのは銀行のせいではないと、大銀行のトップが言って国民を呆れさせたが、こういった「私は悪くない、あいつが悪い」という他罰欲求は、状況によってマスコミにも伝染し、旗を振って世論をけしかけ、犠牲者を生み出すことがよくある。それは、人々の潜在的被害妄想願望p−につけこむ「悪者の仕事」なのである。

アフリカのランバレネにアルバート・シュバイツアー博士か創設した、未開人を救済する病院があるが、そこで、ジャングルに住む26人の原住民にソンディ・テストをやった結果、ほとんどがp−!、p−!!、p−!!!人間であったという報告がある。彼らは、自分たちのトーテムに対して、一生涯強く関与し続け、保護されていたいことが明かになった。未開人のこの関与を、文明人は原始的、神秘的関与というが、我々だって、アイデンティティ(自我同一性)とか、根源的信頼という心理学的問題をかかえてうろうろしている。結構原始的である。どちらもp−関与欲求がつくり出したものにほかならない。現代社会にしても、昔なつかしいトーテムに対する儀式や礼拝といった関与文化が、携帯電話やインターネットや自動車という代用関与文化に変わったに過ぎない。本質は原始人と全く変わりない。マスコミやメーカーは、日々、巨大なエネルギーを費やして各種トーテム物質を製造し、多くのp−人間の頭上にふり注いでいるのである。

では、p−関与・投影欲求が極皮に高まり、p−!になったらどうなるであろうか。テレビや車の代用関与物ではおさまらないほどの超文明人は、孤独な存在にもはや耐えることができない。そこで彼らは自ら作り出した幻影に関与しようとする。あるいは自ら創造した幻影に保護してもらおうとするのである。これが、被害妄想をはしめとする、偏執病的な妄想形成である。偏執とは、他人の言うことを一切聞きいれないで、自分の考えに偏って執着し、こり固まる状態である。それは誰かが私に被害をおよぼすのではないかという被害妄想であり、誰かが私を付け狙っているのではないかという迫跡妄想であり、どこかで冷たい眼が、いつも私をジーッと見つめているように感じる注察妄想である。この背後には「私が偉いから狙われているのだ」というような自己偉大感や優位感が隠されている。これらの妄想は、ひどくなると幻覚をともなう。例えば「天井裏に盗聴用の隠しマイクがある」と確信する。この状態が高じると、確実に精神分裂病になるのである。

だから、p−!人間は、そうなる前に、適当な職業につくことによって、関与投影欲求を日常的に解放しなければならない。その職業は、p+!人間と同し職域である。それらは全て精神的な関与欲求を満足させるものであることがわかるであろう。人の言うことを聞いていたのではできないような、偏執的な職業である。もし、心理学者や精神病理学者が、患者や他人の意見を信じたら、研究や治療はできないであろう。探倹家は、家から一歩も出ることができず、弁護士は法廷で負け、生物学者は進化論を批判できず、考古学者は、人類祖先の骨を豚の骨と間違えるであろう。凡庸な人間の言うことを聞かず、より大きな精神的トーテムに関与し、保護されようという職業、これがp−人間の、運命危険性を無害にする職業なのである。すでに述べたように、職業や日常生活で解放できないp−人間は、偏執的な妄想型分裂病になる危険がある。普段は、強迫的なノイローゼや、ヒステリー的暴発で、できるだけ偏執病的な渦巻から脱出しようとしているが、しばしばもうろう状態になる。でなければ犯罪的な逃避で脱出を試みる。

死亡形式は、私が死ぬのはあなたが悪いからです、よく死にざまを見てくださいといった、他罰的な首つり自殺や服毒自殺、俺が死ぬのは世の中が悪い、だから迷惑をかけてもいいと思うのか、鉄道飛込自殺が選ばれる。

結婚対象は、相手の関与欲求をがっちりと受けとめるトーテム的な人、いつでも側にいてくれてよく働く人、自我Sch±+人間が望まれる。

以上、性、接触、感情発作、自我の各遺伝圏の特性を概観してきたが、ここで注意すべきことは、第1に、各遺伝圏に属している個人の遺伝素質が二重に設計されていること、すなわち精神疾患のような、運命的マイナスの方向を目指していると同時に、高度な精神活動で自己実現するような、プラス方向をも目指しているということである。第2に、人は永久に一つの遺伝圏に固定されているわけではなく、時の経過とともに所属遺伝圏が変わり得るのである。そして、それを意識的、計画的に変えようとする技法を伝えることが、本書の最も実用的な目的なのである。したがって、テストの結果、すなわち判定した個人の所属遺伝圏を、宿命的なもの、変更不可能な条件であると考えてはならない。

所属遺伝圏は、10回のソンデイテストを実施し、その結果を集計して作られる運命構造式(衝動構造式)と潜在比によって判定される。その集計の手順と解釈の方法は、「目に見える運命構造」(運命の診断手順)において記述されている。