「遺伝圏の深層現象学」

ソンディテストを解釈する前の予備知識
読むだけで面白い衝動病理学・臨床心理学の基礎知識
記号で学ぶ運命分析・精神分析の基礎知識

要約
S:愛と死 ---- 性衝動遺伝圏
P:善と悪 ---- 感動発作遺伝圏
Sch:所有と存在 ---- 自我衝動遺伝圏
C:鬱と躁 ---- 接触衝動遺伝圏


S:愛と死 ---- 性衝動遺伝圏

富樫 橋

人はだれでも遺伝圏に属している

さて,読者はすでに10回法のテストを施行して,自分がいま所属している遺伝圏はどこか,確認していると思われるので,それぞれの遺伝圏の特徴を,分かりやすく解説してゆくことにしよう.だがその前に遺伝趨性(すうせい)ということを知らねばならぬ.趨性(トロピスム)というのは,「おもむく勢いをもった性質」という意味で,たとえば植物などを寝かしておくと,日光の差す方向へ曲がって自然に伸びてくるが,それを向日趨性という.その方向におもむく傾向が趨勢で,その趨勢を帯びた性質を趨性というのである.

「こころの構造」の項の表1〜表5で見るように,人間は誰でも4種類の遺伝圏のどれかに,細かく分けると8種の下位遺伝圏,からに+と−の方向に分けられるから16種類のサブ遺伝圏のどれかに属している.実際はこの16種が互いに関連しあって亜種を形成しているから,非常に多くの順列組み合わせになるのだが,ここでは基本的な4類16種をまず説明しておくことにしよう.

人間であれば誰でも,誕生時に,父と母の遺伝圏のうち,どちらか優勢な遺伝子の方の遺伝趨性(趨勢)を前面に表現しながら生まれてくる.そして実際に,その遺伝趨性のおもむくままに生育し,無意識的に進路を選び,職業や結婚対象を選択し,友情を育て,趣味を養い,疾患を選択し,死亡形式さえ選択してゆくのである.結局その総計が運命にほかならない.

保育園や幼稚園の先生や小学校低学年の先生たち,先生の前で良い子を演じ,悪い面を安心して見せる養護の先生たちは,多くの子供に愛情をもって接し長時間を一緒に過ごし,それぞれの子どもの性質の違いを毎日のように見ているから,この遺伝趨性を身体中で充分に感じているのである.だからこの方たちがソンディ学を読むと,たいていの方が「その通り」と納得される.

まだ自我が完全に形成されていな幼児−若年期でも,自我が発育して青年−成人期になっても,同じ遺伝圏,対立し補い合う性質の遺伝子の異性や同性に引きつけられ,引き寄せられる.それが典型的な遺伝趨性の存在の証明である.その力は驚くほど強力である.また状況によっては逆に猛烈に反発しあうこともある.なぜこの遺伝趨性は,特別な職業に人を誘い,状況によって人生行路における運命的失敗を誘うのであろうか.それは遺伝趨性の原因,遺伝子親和性の力なのである.

遺伝子親和性(遺伝子近親性)

遺伝子の親和性(ゲノム・フエルバントシャフト)という性質は,簡単にいうと,「同じ遺伝圏に属する人たちは,互いに引きつけられる」ということ,その普遍的な現象をよく説明する.しかもその牽引力の強さは,場合によって,強く反発しあい,憎しみ殺しあうところまでゆく.他人同士でも,強く関係している遺伝圏の趨勢性質は,親兄弟や近親の間にあるような,愛と憎しみが表裏一体となって人々を動かすのである.これは日頃あまりにも当然なので,かえって気が着きにくいかも知れないが,職業の領域で観察すればよく理解できる.

例えばテレビなどで,証券取引所の映像や,病院,会社,官庁,国会など,多様な業界の映像が現われるが,そこに登場する人々の顔を注意して観察すると,それぞれの領域に特有な人格があるということに気づくことがある.ある領域の人たちは,そこの雰囲気と人柄に染まっていることを自ずと表現しており,またそのような人々がそこに集まっているということがわかる.看護婦さんは白衣のせいだけでなく,実際にナイチンゲールによく似た人格の,患者の無理にいやな顔ひとつしない,奉仕的な看護婦さんらしい人柄が集まっている.それは衝動のsマイナスタイプの遺伝圏に属している.スチュワーデスもサービス(献身・奉仕)の遺伝圏の型であり,実際に,その遺伝圏に属している人でなければその仕事は長く続かないのである.証券マンは遺伝圏の型であるというように,この遺伝子親和力(遺伝子近親性ともいう)が,恋愛趨性や結婚趨性,職業趨性などを全部まとめた「遺伝趨性(ゲノトロピスムス)」の力である.もっと広く考えて運命的に考えれば,「運命趨性」といっても間違いではない.一般にこの趨性の運命支配力は非常に強制的な影響力をもっているが,その力と方向性は,はっきりと異なっているのである.


愛と死
エロスh タナトスs
性衝動遺伝圏

人間が初めて抽象的な思考法を獲得したのは「死」という極めて現実的かつ抽象的な,解り難い内的事実を目の前にした時だといわれている.我々がまだ原始人だった頃,言葉というシンボル体系が脳に発生した時期のことである.そのような抽象思考の獲得を,現代人の場合にあてはめて見よう.人が初めて「自分の愛」という極めて抽象的で具体的な心的内容を感じたとき,どんな概念が浮かぶのだろうか.原始人に比べ,どれほど深く「愛」の内容を理解しているのだろうか.はなはだ心もとないことではある.

男女のあいだに発生する情愛と親子の間に通い合う情愛は,同じ愛という言葉を使うが質がちがう.それは異性愛が性行為を前提としているからで,それに比べると親子愛は,より純粋な愛であるかのようである.では友情というのはどんな情愛か.さらに祖国や故郷に対する愛情や,偉大な宗教家たちの人類愛もある.愛は,考えれば考えるほど捕らえ難い.だが,ソンディが愛hの本質「人と人を相互に引きつけ,結合する力」と規定したおかげで,きわめて解りやすくなったのである.

もしテストの結果において,性衝動h+s+ならば,個人愛が積極性を伴って,いつでも行動に移れる準備の整った正常な男性的性欲である.反対に,女性的な性衝動は受動的な愛情であり,h−s−で表現される.しかし,現代のキャリア・ウーマンたちは,h−s+のように,複数の対象を攻撃できる極めて男性的な性衝動を示す人が少なくない.またh−s−のような犠牲的な博愛主義の女性は,献身的な人類愛をもつ人である.

この例で解るように、情愛欲求がいくら強くh+!ても,それだけでは性欲が起きない.つまり対象をアタック(攻撃)する欲求s+や受身的に行動しようとするs−の欲求が伴わなければ,具体的な性的欲求にならないのである.これ以外の記号は,衝動解釈辞典をひもといて確認すればよい.+!−!のようにのついた記号は,その欲求が非常に強く高まっていることの表現であるから,は「異常に強い」,+!!は,「病的なまでに高まった」というふうに形容して解釈すればよい.

ふつうの人,精神的に健康な正常範囲内にあると思われる人,健常−適応者は,+と−のあいだを緩やかに動いており,ある一つのパターンに凝り固まってしまうことは余りない.しかしあまり激しく変化するのは問題である.例えばh+!が十回テストのうち6回も出てエロス欲求が硬直している人もいる.当然この人の衝動構造式(所属遺伝圏を決める数式)には,分母の根本ファクタにh+!が現れ,明らかに「性衝動遺伝圏のh+!の範疇(はんちゅう=グループ)に属する人」であることがわかる.

この範疇に属する人々は,一般に愛情生活において失敗しやすい種族である.

メイン範疇 Sh

ホテル業,デパート業,服飾・音楽・舞踊関係,産婦人科医師で成功する範疇
エロスの範疇:愛情における失敗の範疇

この主範疇−Sh,エロスの範疇の人々は,充足されない愛情と,充足されない両性愛の,2つの衝動危険性が潜在的に存在し,生涯を通じて不都合に作用する.彼らは今まで情愛を注いでいた対象を失うと,暴力的にその損失を埋めようと試みる.この欲求は当然,平凡な人間的欲求である.両性愛は,あらゆる人間の内部に,性欲の個体発生的基礎として潜在している.この危険な力は,正常人の場合は男らしさや活動性−攻撃性を過度に強調することが,安全弁として役に立つ.この衝動を社会化した人では騎士道的な,自己犠牲的な性格傾向を示し,病的な人は,2つの危険性から脱出するためにヒステリー型,癲癇型の偏執性発作の非常口を何度も用いようとするのである.このShの部族は,さらに下位のサブ範疇,h+範疇と,h−範疇の,2つの種族に分かれる.先ずh+範疇の種族から観察してゆこう.

サブ範疇 h+
潜在的両性愛および幼児的粗暴の範疇

h+の種族は,暖かく軟らかい母性的性格である.情愛はもともと母性的なもので,優しく女らしい太陽のような心,すべての生き物を育てあげる慈しみの心である.だが,h+!h+!!h+!!!になると,ユングの太母(グレート・マザー)のような,自分の腹から生まれた子供を食べてしまう恐ろしさが迫ってくる.だが平均的なh+は,豊かな愛を惜しみなく与える一方で,贈り物を受けたいという無邪気な願望も持っている.自分や他人の容姿を美しくケアしたい,美容や化粧でいつも身だしなみのよい性格である.そんな女性が驚き呆れるほどお洒落なピアスつき男性もh+またはh+!の種族であり,小鳥や猫が身づくろいしたり毛づくろいするのと同じ源から発する動物的な遺伝子の方向への働きである.

この種族は一般に感傷的で,時には軽跳浮薄(けいちょうふはく)である.客観的に物事を眺めることができず,つねに主観的に本能の赴くままに生きる.一般にあまり人の言うことは聞かず,知性より感性,外界に対する反応は感覚的であるから暗示にかかりやすく,小児のような信頼感を抱き,滅多に人を疑わない.しかし,一般にあまり人の言うことを聞き入れるほうではない.涙もろく,クラシックも演歌も好み,リリック(叙情的)な趣味に溺れやすい.

h+の種族は自分だけでなく,他人を美しくする職業に向いている.美容師−エステティシャン,理髪師,他者のボデイに触れて美しく世話するサービス業は,まさに情愛エロスの職業である.香水や化粧品や宝石・貴金属を一番目立つ売り場に設定して,そのエレガントな香りと豪華な贅沢さを顕示するデパートは,情愛産業の代表格である.ホテル,レストランなど接客業もこの範疇にはいる.ランジェリー(肌着)やボディ・スーツなどのファッション産業にたずさわる人々も,女らしい心使いのh+範疇の人でなければ,とても長くは続かないのである.下着メーカーやデパートの経営者など,様々なサービス業で成功した人は,祖先の遺伝負因h+を職業によって,社会化させた遺伝負因昇華成功者である.

このh+範疇の人が,無意識的に選ぶ結婚対象は,同じS遺伝圏のh−,s+,s−の範疇の人である.遺伝子親和性(ゲノトロビスムス)が互いに引きつけ合い牽きつけあうからである.もしh+範疇のあなたが,結婚するときに,祖先の誰かが,かつて演じた不都合な結婚運命を,今まさに反復しつつある,という危険を感じたら,心を鬼にして他の遺伝圏の対象を選択すべきである.この判断基準の基礎は,ソンディが初期に研究した「結婚分析」にあるが,とくに「衝動教育としての結婚」の項目が役に立つであろう.

当然なことであるが,遺伝子それ自体は,良くなろうなどという意志を持っている筈はなく,単に,つねに元の状態へ回帰しようとするだけである.それが欲求の充足ということであり,価値観などを持ってはいない.それを規制し,精神的存在の理想と物質的所有の理想で,愛情の行方をコントロールするのは,無意識的な自我がと意識的な自我の役割なのである.したがって,いくら性衝動が,この対象と結ばれたいと主張しても,一流大学出身でないから駄目とか,貧乏だから愛すべきでないという否定自我の人であれば,お宮のように愛の「規制緩和」が発動しないのである.

もしh+の人が,祖先の「潜在的両性愛および幼児的粗暴の範疇」のままに,満たされない情愛欲求を,職業によって社会化し,結婚や精神活動によって人間化することができなかったらどうなるであろうか? 生涯にわたって愛の対象,自分と結びつく相手を探し求めて放浪することになる.だから,h+範疇に属する人々はしばしばd+範疇も合わせ持っているのである.

h+の人は,原始対象−一般には母親であるが,母という旧い対象を失ったあと,極度に孤独な憂鬱状態に陥る.彼らは苦しみと不安のなかで情愛欲求を満たすため,暴力的にその損失を埋め合わそうとして新しい対象を探し求める.だが,彼らは新たな対象探求に際して非常に粗暴に行動するために,s+反応がみられる.例えば女子学生にたいして片思いの情愛を注いでいた警官が,住民調査に事よせて彼女のアパートを訪ね,拒否された瞬間に暴力がほとばしり出て殺害したケースがある.健康な人は新しい対象を発見してh+範疇を放棄するが,病人は生涯,情愛対象を発見できない人間になる.一般に人間がh+範疇にとどまる正常な年齢期は次ぎのようである.5〜6才の幼児,19〜20才の青年,41〜60才の更年期にある成人,70〜90才の高齢者である(リンネ式表1e,Rublik 2を参照).

この範疇に属する人々の病的な運命可能性は,苦悶と不安の日々を過ごす人生,および徘徊狂と放浪である.また窃盗,とくに少年や青年では失った愛情にたいする補償としての万引き行為である.さらに犯罪および殺人,癲癇,場合によりヒステリー癲癇.偏執病的欝病.妄想型分裂病,場合によりシゾマニー,嗜癖,同性愛などである.以上のように,この人々は情愛対象喪失後に攻撃的となる.そしてその攻撃性が自分に向けられた場合に病気となり,同胞に向けられた場合に犯罪を犯す.そして,とくに選ばれた人たちだけが,「聖職」例えば牧師,尼僧,あるいは批評家のようなサド・ヒューマニズム的な職業のような回り道をして,孤独や情愛の喪失を昇華することができるのである.

それぞれの年齢期のほぼ半分がこのh+の衝動範疇に属するという統計は,根源的な理由による.専門的な表現では,をこのh遺伝子hのファクタ(遺伝素因=素質)というが,とくには,個体発生学的に古い両性愛の欲求を意味する.そして,人間にとって生涯不充足のままに留まらざるを得ないこの両性愛欲求は,多くの人々をして,古い範疇h+であることを放棄できないことを惹起するのである.このしたたかな範疇を放棄するためには,他の衝動欲求が,両性愛欲求よりもさらに強く,力動的に不充足でなければならない.に対抗できる強い欲求は一般に,しがみつこうとする衝動である.それゆえ,h+範疇のほかにCm+範疇が,正常人において最も密集して現われるのである(衝動範疇および構造式の年齢による変化を参照).

この種族の死亡形式の選択は,個人的な情愛の充足完成を志向する耽美的な同意心中であり,最も優れた昇華形態は,ノーベル賞作家のような文学的ヒューマニストあるいは文化ヒューマニストの世界であるが,授賞後間もなく自殺した作家の例は,S±+!からS0−!へと,「衝動舞台における回転」が急に起きたのである.

サブ範疇 h−
積極的,戦闘的な人道主義者の人々

h−の人々の情愛欲求は,特定の個人に向けられたものではない.民族全体や人類全体へ,さらに宇宙の彼方に住む異性人へと限りなく広がる.だからh−範疇の種族の性格は観念的であるのが特徴である.人間だけが対象なのではなく,動物や植物,熱帯雨林や砂漠も情愛の対象である.帰りなんいざ,故郷の山河を愛する詩人の心をもっている.およそ生きとし生けるものすべてに結びつこうとする文化的なヒューマニスト,人道主義者であり,とくに高遠な思想や理屈だけでなく,時代劇や寅さん映画のような大衆的文芸を愛する人でもある.人類愛に燃える博愛主義者の代表はナイチンゲールであろう.敵味方の区別なく,傷ついた兵士を看護して万国赤十字社の基礎を作った.花を賞(め)で,バードウォッチングするh−範疇の人は正義の人でもある.だから時として戦闘的になる.国情の違いも考えず,自国の勝手な基準に基いて他国へ押し掛け,鯨などの動物虐待に抗議する動物愛護団体はまさにh−範疇の集団である.生命の危険を恐れず異国で伝道した宣教師の海上版であろう.受難迫害を恐れず説法をした日連もh−範疇の戦闘的なヒューマニストなのであった.

h−人間の結婚対象はなかなか考えにくい.個人ではなく複数の人間と,できれば人類全体と結びつきたいのであるから.強いていうなら,現実的価値と精神的理想を同時に求める権力自我k+p+の人が望ましい.博愛主義者の職業は,彼らが一切の「人道的なこと」にたいしての保護者であり,その使命が,戦闘的人道主義(デイ・フマニタス・ミリタンス)であるから,まず宣教師,伝道医師,伝道看護婦,僧侶である.またカウンセラーやケースワーカーのような福祉的職業は,豊かな同胞愛がなければできない仕事である.社会福祉関係,老人ホーム,保育園の経営はh−の社会化された職業分野であり,多くの赤ちゃんをとりあげる助産婦や産婦人科医,性病科医,衛生学者,心理学者,精神医学者,精神衛生学者などを挙げることができる.文化的なヒューマニストの典型的職業は人道主義的な文学者で,大衆文芸作家,SF作家,雑誌記者,ルポライター,シナリオ作家などがそれに続いて,マスコミ界に自らの教義を伝道するのである.

しかし,h−の欲求が危険なほどに高まり,h−!h−!!h−!!!になると意味は全く変わってくる.彼らは異常なほどに性欲を抑圧しているのである.だからh−の人が,作家や心理学者,精神科医などの職業,新興宗教や健康食品の伝道要員や宗教パンフレット配布者として欲求を社会化できないときは,パラノイア(偏執病)や膨張的(自我拡大的)な神経症,鬱病になるのである.少年においては浮浪児が問題になる.また,病気にならない場合は同性愛,変装狂,詐欺,密輸業者など犯罪運命の可能性があり,博愛主義が昂じて売春者にもなり得る.

死亡形式は耽美(たんび)的な同意心中や無理心中である.
昇華形態は,文化−福祉−環境保護的ヒューマニストの世界である.


メイン範疇 Ss

外科医,建設開発関係,彫刻,歯科,動物,体育関係で成功する範疇
サディストおよびマゾヒストの範疇

一般にSsメイン範疇の人々は,サディストおよびマゾヒストの集団である.このSs遺伝圏に属する人々の運命は,充足されない男性的欲求,攻撃性によって規定されている.この範疇の人々は本質的に,かつて母親と結びついていた頃のように,相手と分離されることのない融合状態,つまり「二者一体(ドゥアルウニオン)」の関係を形成したいという欲求をもつのである.そのような結合関係において,彼らはある時はサディストの役割(s+)を演じ,またある時はマゾヒストの役割(s−)を演じる.したがってこの二者一体の相手との関係は,互いにつねにサドマゾヒズム的な性質を帯びるのである.彼らは互いに死に至るまで悩ませ,しかも別れることができない.彼らは断ち切ることの出来ない絆によって結ばれている.この人々は,一次的に容易にCm−範疇かCd+範疇に移行,場合によってはPe+範疇に移行する.かくして彼らは軽躁病的ないし抑欝的となり,あるいは清教徒となる.彼らの衝動疾患の素質は大きい.このSsの国には2つのサブ範疇,s+s−の2種族が住んでいる.まずs+の種族の行動パターンから探検することにしよう.

サブ範疇 s+
「小羊のような柔和さを装った絞刑吏」の人々

この子羊云々は,ヨーロッパ的でかえって解りにくいと思い,「ニッコリ笑って人を刺す冷たいサディストのタイプ」と表現したことがあるが,やはりs+範疇の種族を一言で言い現わすのにぴったりであったと思う.多少やくざ映画的ではあるが.s−は冷たく硬く男らしい筋肉質の性格である.h+h−が母性であるのに対して,父性的である.ギリシャ語のタナトス,英語の発音サナソスは死であり,あらゆるものを破壊する根源的な力である.子供が昆虫や小動物を捕らえ,残忍に手足を引き裂く暴力はこのs+攻撃欲求の発現である.そこにはいささかの愛情(エロス)もない.女性にもこの残忍さがある.漢の高祖劉邦の妻呂后(りょこう)は,夫の愛人の手足を切り落し,目玉をえぐり取って人豚とあざけったという.だが権力者でないs+の人々は,扇動者や幻惑者として,他者を戦略的に迂回攻撃するのである.またs+範疇の人々に,われわれはは多くの性的未成熟な人を見いだす.彼らはスポーツに熱中する.

しかしこのs+は,人間が世界に向かって建設しようとするすべての活動性,積極性の源泉である.強情な父性タナトスは企業欲として競争相手を倒す.そのために対象を冷静に客観的に眺め,つねに批判的である.このs+攻撃遺伝子がこの世になかったら,地球上に分解,解体,破壊,苦悩,死,殺人,自殺は発生しないであろう.そして,工学,技術,土木,設計,道路,架橋,住宅,工場,建設,土地開発などの文明的社会も発生しなかったであろう.

s+範疇の人々はサディストである.刃物やナイフ,ピストルや猟銃が好きである.シーズンになると狩りに出かける.でなければ皮革細工の趣味をもつ.鋭く光る刃の先で動物の皮を切り刻み,獣の匂いが立つときにs+人間のタナトス欲求が充足するのである.s+範疇の職業は刃物屋という直接的なものでなくても肉屋,魚屋がある.大工や石工も刃物の仕事,外科や整形外科医とその看護婦,病理解剖学者などは,の種族でなければ貧血を起して倒れてしまうであろう.芸術家なら彫刻,歯科技工も靴も革製品の製造販売も,ともに攻撃欲求を社会化する職業である.動物関係では獣医,鳥獣の剥製,調教師,畜殺業者がある.急進左翼の職業的扇動者,職業的革命家もs+範疇で,あまり本を読まないで相撲やプロレス,スポーツに熱狂する平凡人にもサディズムが隠されている.土木業者や建設業,職業軍人や警官,スポーツ選手,ボクサーはs+を最も社会適応させる職域である.

s+の人々の結婚対象マゾヒストs−範疇であることが多い.これは余りにも近接し過ぎる選択である.無意識のうちに撰び合ってやがて不幸な破局を見る可能性が大である.祖先の結婚趨性に反逆して,自分独自の未来を設計しようとする人は,良心の検察力の強いe+範疇で,抑制自我(Sch−+)の人が望ましいと思われる.

s+!の範疇種族は革命期や政治変動期に社会の全面に躍り出る.ヒトラーがその典型例で,国家・民族レベルの大量殺人工場を建設させて,自分のs+!の破壊能力を全世界に示しただけでなく,人類史上に永遠に消えることのないs+!の足跡を残した.その教訓にもかかわらず,彼の後継者たちは元気で,いまや21世紀の扉が開きかけているというのに民族や宗教の抗争を続け,無名のサディストとして大量虐殺を行い,自分の衝動欲求を日常的に解放している.世界にはまだ全体主義国家が残っており,当然その国には秘密警察や憲兵隊の長官が存在している.彼らも潜在的な超破壊者として,次の舞台での出番を待つているのである.

s+種族の自殺の形式は,切腹やピストルによる.三島由起夫が私設軍隊を作り切腹したのは,タナトス遺伝子の働きなくしては考えられない.軍隊はs+,切腹はs−と,衝動の鏡像回転が起こったのである.この危険性を昇華する最高の領域は,科学技術文明に貢献する分野と,新しい時代に向かって国家を導いて行くような英雄的な指導者の世界である.

サブ範疇 s−
二者一体,マゾヒスト,メタトロピストの人々

s−の人々は,一般に攻撃欲求sをつねに自分に向ける(s−),自己犠牲的な人間である.この範疇に属する人々は,女性だけでなく男性においても「男になりたい」という根源的な欲求が,充足されないで無意識の奥深く横たわっているのである.その充足されない男らしさの欲求,攻撃欲求が,いろいろな運命危険性を引き起こす.この範疇に属する人々の性的態度の感じは中性体質である.女性の場合には,からだに男性的な特徴や幼児的な現象が見られ,医師の診察でも半陰陽的な徴し(陰茎陰核)が見られることがある.男性の場合も中性的な身体的特徴を示す.それほどはっきりした身体特徴を示さなくても,性格は一見受け身的で,献身的で自己犠牲的な感じがする.実際に,男でも女でも相手から征服されたい,暴行されたいという衝動を感じている.だが,それは奥に隠された攻撃欲求,男になりたい欲求の強い抑圧が,表面的な性格傾向として逆に現われているに過ぎない.だから相手からの攻撃が自分に向けられないと,今度は自分が攻撃的になって手を出し,相手のサディズムを誘い出そうとする.この状態をサドマゾヒズムという.例えば相手をわざと怒らせ殴らせるように仕向ける.それは「自分の男らしさを,殴られる痛みを耐えながら実感している」かのような被虐性である.彼らはこのような相手がすぐ近くに存在しないと働く気力もなくなり,生きてゆくことができない.そして無気力になり,怠惰になり,自己サボタージュの状態になる.相手が自分の手の届くところに居いてくれるだけでもいいのである.相手さえいれば献身的に貢ぎ,相手を美しく装わせたいと願い,何くれとなく奉仕する.だから彼らを「二者一体者(ドゥアルウニオニスト)」と呼ぶのである.

彼らはこのサドマゾヒズム的な二者一体関係が崩壊すると,抑圧されていた攻撃性が背景から前景に現われてくる(s−範疇に変わる).そして女たちは執念深い女丈夫やニンフォマニア(女子渇性),男の場合は同性愛を伴う媚態という形で軽躁病的になり,せかせかと対象を探す.だからs−範疇と,m−範疇はきわめて密接な関係がある.また二者一体関係の相手を失ったm−範疇の人々は,極端な飲酒,大食,饒舌,喫煙などの口唇的マゾヒズムの形で埋め合せをしようと試みる.さらに麻薬中毒などの嗜癖になる.他の人々は肛門愛的な手段(例えば肛門オナニー,儀式的な形式での肛門潅腸)を用いる.その時期の後で「清教徒,清浄化」の範疇であるe+範疇に移行する.だが彼らは,自分にふさわしい二者一体結合の相手を発見すると,直ちにサドマゾヒズムの範疇に帰るのである.

この二者一体関係の背後には,しばしば近親相姦的衝動欲求や潜在的同性愛が隠れている.それは彼らが隷属している友人や先生に対する熱狂,心酔という形で現われる.また,女性に対して互いの役割の交換を欲求するメタトロピストの男性となる.

s−範疇の人々の接触運命は,二者一体の欲求によって規定されているため,その欲求を職業で社会化できればその人は健全であり得る.だがこの人は幹に巻き付く蔦のように仕事にしがみつき,雇い主や指導者にしがみ着くのである.彼らはつねに自分達を弾圧し,屈辱を与え,暴力を加えるような,攻撃的な,がむしゃらな雇主を,しばしば主人に選ぶのである(接触像はC−+).したがって職業により衝動危険性が社会化される方向も,教師や幼稚園の保母のような,子供の世話をやくような教育者の世界であり,ソーシャルワーカー,小児科医,児童心理学者,児童精神医学者,治療教育家など,およそ子供のことを心配するあらゆる被虐的領域が,衝動昇華の方向である.その理由は,二者一体関係から追放された彼らが,かつての不誠実な二者一体関係の相手によって悩まされたと同じように,再び子供によって悩まされたいからである.彼らはまた,踊り子,歌手,音楽家のような露出症的な職業をも選択する.

s−範疇人の結婚は,当然s+の人を選びたがるのが結婚趨性である.二者一体関係に縛られていた祖先の運命を再び自演したくはない,と思う人は,良心の力e+で制御された権力自我Sch++の相手によってリードされる方向が望ましいと思われる.

病的な運命可能性は,強迫神経症,偏執病的神経症,ニンフォマニア,軽躁病,不感症,陰萎,肛門愛への素質,最も重症の場合には妄想型分裂病,シゾマニーである.死亡形式は,犠牲的な自殺や自分を罰する形式を選ぶ.道具はナイフ,剃刀などの刃物および全身打撲的なマゾヒズム,投身破壊自殺である.世間を騒がせて申し訳ない,だから死んでお詫びするという,我々の祖先がもっていた切腹欲求マゾヒズムは,二者一体関係にあった上司の身代りになりたい中間管理職として,現代でもよく汚職事件の渦中にその姿を現わすのである.