write 2002/07/10
特別企画号
「週感ジョジョンプ」第279.7号 特別企画
『MPD-PSYCHO/FAKE Movie Remix Edition』
上映イベント「決戦・天の川」レポート/FAKE
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★『MPD-PSYCHO/FAKE Movie Remix Edition』上映
19:00からのイベントという事で、18:45からの開場。時間にあわせて行くとおお、群がっているわサブカルっぽい皆様が!という訳でもなく私のような単なる映画・アニメオタも混じりロフトプスワンでよく見られる混沌とした客層。こういうのが生理的にアイタタな方はこの時点でノックダウンでしょう。
業界関係者っぽい人もいて同業界の人に会ったらヤダなーと首をすくめつつ読んでいた本がアニメージュ業書『戦争と平和』(富野由悠季、上野俊哉+大塚英志+サカキバラ・ゴウ)だったりしてすっかりアイタタサブカル小僧です。しかしこの本、富野が健全なビンラディン/麻原では、なんて話が出てきてなかなか興味深いです。古本屋で1,000円でしたけど。
入場してみるとキャンセルで14席、空席が。繰り上がりで立ち見民が着席することとなりました。MiLKMANさんは惜しくも座れませんでしたが、左手最前列に陣を構えるその気合の入り方、トークショーはかぶりつきに限るというセオリーを重視した漢気に小生も失禁(ウソ)。そのまま『MPD-PSYCHO/FAKE Movie Remix Edition』上映と相成りました。
さてこの『MPD-PSYCHO/FAKE』についておさらいついでに書いておきますと、原作者大塚英志によるまぁいわゆるディレクターズ・カットな訳です。もはや世界の(と思っているのは映画秘宝読者だけかもしれませんが)三池に単に漫画原作者が挑む、という事をしなかったのが大塚英志の計算高い所。そこにはおくゆかしい自覚があったのかもしれませんが、大塚が言う所の「シロウト」菊崎亮に編集をさせた次第。この菊崎亮氏については後のトークショーレビューにて追い追いご紹介していくことにしましょう。
素材が三池崇史、編集過程はMacで引きこもって製作という奇妙な過程を経て上映されたこの作品の判断は………という所で思い出しけど、あ、私TV版サイコ観ていないや(おいおい)。
いや、ホント言うと今回も『ほしのこえ』と『MPD-PSYCHO/FAKE』の三池監督の素材の残存具合に興味があったりして。今、もてはやされているコラボレーションという言葉が異才にどこまで通用するか、むしろどこまで通用しないかっつートコにも。
いちおう、漫画版原作は押さえているものの作品の出来はうむむむ、判断保留です。とにかく、ビデオ屋で借りてくるという課題を心にメモしたまま終了。
三池監督らしいカット、その臭いを消しきれない部分というのは十分にありましたね。後半のトークショーで編集人・菊崎氏の元漫画家らしいカット割が多数見受けられた、なんて話があったのですがスミマセン、そこまでは感じ取れませんでした。いじめられる医師役がジョジョ第五部のノベルズも書いていた大塚ギチだったような(意味無し)。
物語的には/FAKEという事で原作の否定(は、TV版もそうなのか)とTV版そのものの否定という流れのよーです。推測ね。興味ある方は特典映像が本編と同じくらいあるDVDで堪能してみてください。スクリーンで観る意味は特になし。Macで再生して観るのがベスト? まあ上映というイベントが重要であって「スクリーンで観る」という事に重きを置いていないので当然でしょうか。
「ほしのこえ」目当ての来場者がうとうとと落ちかける中、本編が終了。
笹山役の大杉漣がワンフェスでフィギュアを売るスタッフスクロールの後に突然出てきたのが有事立法のCM。
後に大塚英志が語る所によると「映像特典」ですと。大塚英志が最近、付き合っている有事立法関係の運動者との絡みによる、新規映像挿入ならびにCMを観て皆様、何を思ったのでしょうか。
★トークショー第一部決戦・荒井晴彦 vs 大塚英志
ここで10分の休憩。MiLKMANさんとちょっと話す。お互いTV版サイコを押さえていないことが解り微妙な感想。MiLKMANさん、「DVD Box余っているよ」と指摘。会場で物販やっていたのですよ、そういえば。
BGMもなくトークショーに突入、先日公開された『KT』(監督:阪本順治)脚本家にして『映画芸術』編集長の荒井晴彦と大塚英志が対談。これ以降は時系列があいまいなので、箇条書きで失礼。思いつく限り書いていきます。
- もともとは映画芸術誌上でのやりとりがきっかけでこの対談が決まったとか。映画『KT』において、阪本順治監督は荒井晴彦の脚本を大きく改変。大塚英志はそれを評価してちともめた………という話なのですが、確認できる機会があれば是非。
- ともあれ、その話は今回の『MPD-PSYCHO/FAKE』という改変として大塚英志にそのまま帰ってくる訳で、荒井晴彦は開口一番「いやー、わからないんだよね」と反撃のコメントをし場内の笑いをとってました。
- 荒井、昨日観たTV版サイコの感想を「悪魔のような5時間」と形容。もともと文脈の合わない監督同士なのでそれは当然といえば当然なのでは?
- 『MPD-PSYCHO/FAKE』の文脈に関する話で、荒井は『光の雨』(監督:高橋伴明)、『鬼畜大宴会』(監督:熊切和嘉)と同時に上映すれば面白いかも、と発言。映画に含まれる時代性というものはそこまでやらないと見えてこない、というコメントを『KT』の脚本家が言っている事に注目。
- 「あれは結局、悪い種子を刈る話なの?」「どうして(目玉に)バーコードの人がいっぱいいるの?」と荒井、大塚に続けて質問。連合赤軍の永田が革命戦士を作ろうとしていた事と「ルーシーに選ばれた子」を結び付けて言及。え、そーゆー話なのか?
- 大塚英志、悪いもの(意志)が人から人へ転移していく、という映画を直前に観て漫画版とは違うアイデアを投入したのだ、とか説明。元ネタ、皆様わかります?
- ルーシー・モノストーンを荒井が調子を合わせて実在のもののように話している所に大塚がツッコむ可笑しい一幕もあり。ルーシーで思い出しましたけど、最近観た『アイ・アム・サム』の主人公の女の子がルーシーって名前でしたね。親子がビートルズ・ファンで、『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド』からとった、って設定。ダイアモンドに対するモノストーンという対比。でも『ルーシー〜』の深い背景については私も知りません(勉強不足!)。
- 荒井、「終らない事(長い架空の昭和)を終らせる、っていうのはいいけどね、連合赤軍だけじゃないじゃん、昭和って」と指摘。何とか歴史観の話に持ち込もうとするも、やっぱり『MPD-PSYCHO/FAKE』ワカンナイネタに始終。外人の映画みたいに登場人物の顔が覚えられないよ、とぼやく荒井に大塚、「三池監督が出来上がったものを観てヨーロッパ映画みたいだ、といってましたよ。どこがだよ!と思ったけど」と話す。ホントに三池監督、そんなこと言ったのかな? だとしたら面白いですね。
- TV版放映時で問題になったのが、「グロい場面は引きになるから入れてくれ、でもモザイクはかけて欲しい」というTV局側の要請。大塚はそれに対して登場人物に「君が代」を歌わせるシーンを挿入。ところがこれが全く問題にならずに通ってしまったという。大塚自身、周囲のスタッフから「こんなの撮っていいんですか?」と言われたらしいのですが、問題が大きすぎると問題にならないという体制を指摘。
- そんな虚構の話やら何やらから、新しい角川映画としての『MPD-PSYCHO/FAKE』という話へ。『MPD-PSYCHO/FAKE』の上映については大塚英志が強引にやったような所があるようで、このBox東中野での公開も赤字が出たら全部大塚が被るとの事。プロデューサーとして角川に、たとえディレクターが逃げちゃっても筋を通すという話なのですが、良くも悪くもこれが大塚英志、なお話ですね。
- 荒井は1984年の角川映画『Wの悲劇』(監督:澤井信一郎)の脚本家の一人。当然、『Wの悲劇』は『MPD-PSYCHO/FAKE』に比べればマス・マーケットな映画なんですが、「タイトルだけ残して全部変えないとツマんなくてしょうがないからね」(ちなみに原作は夏樹静子)と話してまた場内に笑い。
- 『Wの悲劇』は読んでいることが前提、『サイコ』は原作を知っている人は知っているという所で従来の角川映画と大きく違う、という当たり前の話になっていましたが、そもそも「角川映画」なんて言葉まだあるのか?
- かいつまんで言うと、邦画が不特定多数の観客相手に成り立たないものになってきている、という事でしょうね(これは確か大塚が言葉にして言っていたような)。じゃあ洋画はどうなんだ、という時に9・11のテロを思い出してもらえば言い訳です。結局テロリスト達はハリウッド的な想像力のないテロしか行使できなかった(というと亡くなった方に失礼かもしれないけど)。あれで逆に一気にテロ許せない、アメリカ万歳!という動きになった訳です。
- 邦画は宮崎アニメを除くと、そんな広範囲の想像力を喚起させるものは今、ない。でも逆に言えば、そういった中から近代日本文学のような不気味な傑作が出てくる可能性が高いでしょうね。
- そういった荒井が脚本で行ってきたアレンジと今回の「FAKE」はやっぱり結びつくんではないか………という所で、『MPD-PSYCHO/FAKE』は「会員制の映画」であるという事でまとまる。ちょい前の言葉で言うと、「読者内在の映画」ですね。
- 荒井はBox東中野での上映形態に関しても言及し「中途半端な(公開の仕方が)のが一番敗北するんだよな」とコメント。わりきりが必要でしょ、当然こういう映画だと。
- それに乗じて大塚、「俺バージョンの映画を作ることがすごくやりやすくなってきた」と指摘。第二部トークショーに続ける部分で言うとリミックス技術の敷居が低くなってきた、という事ですね。
- そうなってくると、一つの作品に対する異なるアプローチというのはどんどん出てくるのでは、という話に。確かに、最近だとスター・ウォーズ EP1の出来に怒ったファンがリミックス版をどんどんネットで公開、なんて事もありました。
- ここで荒井、「その素材自体が気に入らない、って事になるんじゃあないの」と反論。大塚が確かここで「その時はデジカメでどんどん撮りゃあいい」、と指摘したような気がしますが、記憶違いかも。
- そこそこ盛り上がってきたと見える所で荒井は大塚のリミックス行為が「自らの脚本を改変される側」とたいして違わないことを看破してうなだれる。焦る大塚。面白がるスタッフ、という所で終了。
- このトークショーも後にひかえる「ほしのこえ」の前座ですから、と大塚が自虐に返す。
- うーん、作り手と受け手の距離が縮まり、「脳内リミックス」がやりやすい時代にどう作品を観るか、そういった時代のリミックス作品とは何なのか、という所まで突っ込んで話して欲しかったですね。しかしまぁ、第二部の前振りとしては楽しめました。
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