天空の山 総合入口

思い出日記 2002年9月分


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9月26日(木)
昨夜は、明け番で疲れている上に、とあるサイトにはまって遅くまで起きていたので、
今日は遅くまで寝ていたかった。どうせ11:30に家を出ればいいし。
しかし、眠い目をこすりながら06:00に起きなくてはならなかった。
今朝の06:30から、駅前駐輪場の新規申込みがあったからだ。

2月ほど前、tanaの最寄駅に近い、砂利敷きの無料駐輪場が閉鎖され、
そこがアスファルト舗装の上、10月から有料の駐輪場になるのだ。
止めていた駐輪場が閉鎖になってからは、駅まで歩いていたのだが、
朝の貴重な時間帯に、わずか10分ほどとはいえ余計に時間がかかる徒歩通勤はいささかつらい。
そこで、今まで無料だったものにお金を払う馬鹿馬鹿しさを抱きながらも、
背に腹は代えられぬと、有料駐輪場の申込みに行ってきたのだ。

告知看板に06:30受付開始と書いてあったので、早めに06:10頃行った。
20分も前に行けば、確実に先頭か、それに近い位置取りだろうと思って。
しかし、甘かった。
tanaがついた時刻には、既に長い列が。その数、目算で50名以上!
しかも、時間を繰り上げて受付を始めていたようだから、その前にももっと居たのだろう。
そして、tanaが並んだ後にも、次から次へと人が並んでいく。
息子の代理だと語るおばさんや、明らかにこれから出勤のサラリーマン、女子高生など。
寒い中、みんな、黙々と並んでいる。

無事自転車置き場を確保できた喜びよりも、
『世の中、自転車駐輪場の確保に、みんな必死なんだ』
と新たな感慨を持ったtanaだった。


9月25日(水)
一昨日、放送大学の10月1日から始まる来学期の印刷教材が届いたので、
今日は、早速、明け番で学習センターに行って、先取り学習。
学期が始まると、少しずつリアルタイムの放送日程から遅れていって、
最後の試験前になって苦しくなるのが、今までのパターンだったので、
今学期は先手必勝という事で、早めに始めておく事にした。
でもまあ、これでもすぐにリアルタイム放送に追いつかれるんだろうけど。

しかし、毎回思うことだが、新しい科目に接すると、とても新鮮な気持ちになる。
科目自身が自分にとって新鮮、というのもあるだろうけど、
それ以上に新鮮な気持ちになるのは、教科書(放送大学では印刷教材と言う)に拠るところが大きいだろう。
手垢の付いていない、パリッと張りのある新しい教科書を開く時のあの感動は、
そこから立ち上ってくる真新しい紙の匂いとあいまって、なんとも言えない、
強いて言えば、勉強することに対して、前向きな姿勢を作ってくれるような、
そんな気持ちを自分に与えてくれる。
そして、教科書が手垢に汚れ、しわが付いていくのと時を同じくして、
勉強に対するやる気、前向きさも失われていく(あくまでtanaの場合)。

ではどうすればいいのか。
教科書を汚さず、しわにしないようにすれば、
きっといつまでも真新しい教科書を開いた時の勉強に対する気持ちが失われないだろう。
しかし、真新しい状態を維持する、というのは、それを使わない、というのと同義であって、
それではいつまでたっても勉強は出来ない。
そんなこんなの挫折を繰り返しながら、tanaは今学期もまた、勤労学生の道を行くのである。


9月22日(日)
今朝、起きてみると、『ゆき』が冷たくなっていた。
06:50に息を引き取ったという。
一昨日あたりから、息も絶え絶えになり、
呼びかけても小さな反応を返すのがやっとになっていたので、覚悟はしていたのだが、
実際に触ってみると、まだ暖かくて、既に生き物でなくなっているというのが、
まったくといっていいほど、実感できなかった。

ただ、思っていたほど、悲嘆に暮れるような悲しみは襲ってこなかった。
時折、元気に跳ね回っている犬を見て、懐かしく思い、
出勤前に、習慣で犬小屋のほうを見やってしまい、寂しく思う。
そんな、小さな悲しみだけ。
涙の出るような悲しみがない分だけ、
きっとこれから長い間の毎日、小さな悲しみを抱きつづけるのだろう。

合掌。


9月21日(土)
最近になって、やっと職場にもパソコンが導入されたので、
今日のこの日記は、職場で書いている。

しかし、このIT真っ盛りの時代のど真ん中で、つい2〜3年前まで、
ほとんどすべての作業を帳面と赤鉛筆でこなしてきていたというのだから、
鉄道という職場も、恐るべきものがある。
きっと、新橋〜横浜に、初めて鉄道が開業したとき以来変わらぬ、
ある意味、美しく完成された『作業』が、長年にわって受け継がれてきたのだろう。

そんな鉄道業にも最近、一気にIT化の波が押し寄せつつある(古臭いいい方だ…)。
自動改札機・自動券売機・自動精算機の駅務自動化三種の神器から始まって、
プリペイド式乗車券(イオカード・パスネットカード・スルットkansai・Jスルーカードなど)対応機器や、
最近でいえば、ICカード式乗車券(Suica)、裏方なら駅収入管理機器群や(多発用)臨時券発行機など。
先ごろ、小田急電鉄やJR北海道札幌圏で運用を始めた、お忘れ物検索システムなども挙げられよう。

しかし、それを運用する、Human、Softの方の対応はどうだろうか。
お客様と我々鉄道との間の契約事項である、旅客営業規則やその関係規則類は、
いずれも、鉄道が初めて走った日以来、その考え方は大きく変えられたことはなく、
まさに化石のような規範である。
鉄道営業についての一般法である鉄道営業法は明治33年の法律だし、
その詳細を定めた規定である鉄道運輸規程は、昭和17年の鉄道省令第3号なのである。
どちらも、漢字カタカナ混じりのいかにも戦前という文章。
それらに定められた、過剰運賃の払戻禁止や、
定期券の払戻にかかわる期間の計算の不思議などの事柄は、
いつもお客様から苦情をいただく素でもある。も多い。

どんなに自動化、省力化、無人化を進めていったとしても、
最終的に鉄道を使うのは人間であり、機械ではない。
新しい機械を入れて、利用者が便利になるようにHard面を充実させるのであれば、
それに合わせて、運営する側(Human)の意識の改革と、
利用者を規定するもの(Soft)の改善を行っていかなければ、
結局、利用者は、最新鋭機器も宝の持ち腐れになってしまうような不満を抱くのである。

ふと仕事をしながら思ったことである。


9月16日(月)
昨日まで、何も食べようとしなかった『ゆき』であるが、今日は朝から元気一杯に食べ、
水をガブガブ飲み、何となく復調の兆し。

後ろ足が動かなくなってしまったのは、車椅子などで対応するとしても、
『ゆき』自身の元気がなくなってしまっていっては、
とてもこの先の長い犬生を生きていくことは出来ないだろうから、心配していたのだ。
とりあえず、ご飯を食べてくれるようになったのは、うれしいことである。


9月13日(金)
我が家には、『ゆき』というメス犬がいる。
3年ぐらい前の、雪が多かった冬に、街をさ迷い歩いていたところを人伝に貰ったのだ。
野良犬になる前は、室内で飼われていた犬らしく、
我が家に来た当初は、家の中に入りたがって仕方なかった。
前の飼い主の頃に、一応のしつけは受けていたらしく、ご飯を前に置くと『待て』が出来るが、
それ以外の時は、まさに気まぐれだった。
朝と夕方の2度の散歩が待ち遠しいくて、早く連れてけ連れてけとせがむくせに、
夏の盛りなど、歩き始めてモノの2分も立たないうちにギブアップし、
人間に引っ張られるようにして、『アチー、アチー』という感じを丸出しにして歩いていた。

その『ゆき』が、一昨日ぐらいから元気がなかった。
後ろ足に力が入らないようだった。
昨日、家の近所の獣医に連れて行くと『農薬か何かのかかったものを拾い食いしたのではないか』
とのことで、しばらく様子を見れば直る、ということだった。

夜、庭で寝ているはずの『ゆき』がゼイゼイハアハアと息苦しそうにし、
たまりかねた母が、翌朝一番で別の獣医に連れていった。
『腰椎損傷』とのことだった。
原因は不明。農薬ではないだろうとのこと。
人間で言う、椎間板ヘルニヤに近いもので、
下半身(後半身)が動くようになる確率はほぼ0パーセントだという。
直腸の筋肉も弛緩しっぱなしで、また、尻尾すら振ることが出来ない。
また、前足もすでに感覚が乏しい、との診断だった。
前足が動けるままで病状が止まるか、それとも四肢共に動かなくなるかは分からないと言う。
それに加えて、異常心音も聞こえるらしい。
狭心症の一種だろうということだったが、詳しくは分からない。

たまに水を飲んでいるようなだけで、何も食べようとせず、
尻尾を振ることさえ出来ず、動かない下半身を小屋の中に横たえて、
近寄って、頭をなでてやると、他に感情表現の途がないかのように目を細める。

道で、元気に走り回っている、よく似た犬を見ると、胸の奥が苦しくなる。
『ゆき』自身も、きっと苦しいであろう。
我が家と『ゆき』の闘いの日は、始まったばかりである。


9月9日(月)
今日は月曜日。
世間一般のサラリーマンの皆さんは、
週末の疲れを軽く肩に残しながら、既に出勤して行ったのであろうが、
今日のtanaは、遅泊まり勤務。
ということで、11:30くらいまでは、のんび〜り。

6月に担当が変わった直後は、
この出勤が遅くて、勤務終了も遅い『遅泊まり』という勤務が、あまり好きではなかったが、
慣れてしまうと、結構気分が良いものである。
朝、ゆっくり起きて、空いた電車に乗って出勤。
帰りも、ラッシュ時間帯の下り電車ほどではないが、
余裕で座れる電車の乗って帰宅。
ああ、一度慣れてしまうと、この楽さからは抜けられないかもしれない。

明日は普通に明け番の予定なので、昼前には帰宅できると思うのだが。
さて、どうだろう?

今日の更新は、『天使の歌』のリンクを『Maylily』に変更。
和葉さまが管理されている『天使の歌』にあった[マリア様]コンテンツが新設の『Maylily』に移動するので、
それに伴うリンクの変更。


9月8日(日)
久々の仕事。
別に、いつもの仕事と特に変わりはないのだが、
何とはなしに違和感を感じるのは、体に疲れが残っている証拠であろうか。

ほとんど定時に上がって、
今日は本屋さんに寄っただけで、大きな寄り道はせずに帰宅。
夕飯を食べて、すごく眠たいので、なにもしていないけど、寝よーっと。


9月7日(土)
今日の昼頃、郵便屋さんが1通の郵便物を運んできた。
それは、

差出人:放送大学学園
中身:平成14年度前期成績決定通知書
種別:親展

だったのだが、ペーパーナイフで開封し、中を眺めていると、
顔面から血がひいていくのがよーく分かった。
『現代社会と著作権('02):評語D
……不合格。

(他の大学に行った事がないので良く分からないが)放送大学は、
放送授業の試験結果を次の通り分類している。
A丸…試験結果100〜90点…合格
A……試験結果 89〜80点…合格
B……試験結果 79〜70点…合格
C……試験結果 69〜60点…合格
D……試験結果 50〜59点…不合格
E……試験結果 0 〜49点…不合格
改めて見てみると、この分類って、ものすごくいびつで、
どーでもいーよーな分け方がされているような気がするのは、
不合格になってしまった者のヒガミだろうか。

で、その『現著』の試験は記述式だった(と思う)のだが、
解答を書いている時は、とても悩みながら書いたけど、
不合格にされるような内容にまで、落ちた文章をかいた記憶はないんだが。
というか、すでにどんな問題だったかを詳しく思い出せないでいる時点で、
合格する気満万で、不合格になることなど夢にも思っていなかったtanaの楽天気質が露呈!。
あ〜あ、再試験か。

というか、そうなのだ。
放送大学は、職業人が多く通っているという特殊性から、
1回までなら、試験に不合格になったり、試験が受けられなくても、
次学期の同じ科目の試験を、無料で受けられるのだ。
しかし、それも全ては再試験が受けられればの話。

10月1日から始まる次学期の試験日は1月の末なのだが、
その頃の勤務予定と、試験実施日を勘案してみると、なんか上手くない。
少なくとも、休暇は確実に取らないと行けない。
あ〜あ。

少なくとも、次学期に受ける6科目についてはそういうな憂鬱な気分にならないように
勉強に励もうと心に決めた1日であった。


9月6日(金)
昨日、最後に記憶があったのは3時ごろだというのに、
7時の目覚ましがなる前にちゃんと起きれている自分。
やっぱり旅行中というのは、なにかが違う。

昨日風呂に入れないまま意識を喪失してしまったので、
そこそこの大きさのお風呂場で、ざっとシャワーを浴びて、
チェックアウト(とは言っても前金だったので、特にやること無し)のあと、
とぼとぼと、起きぬけ覚めやらぬ稚内の街を10分ほど歩いて、レンタカー屋へ。

で、久々のMT車!。
教習所卒業以来、1年半振りの再開。
とりあえずの第一関門は、レンタカー屋の敷地内(レンタカー屋のオジさん達の視線内)から
上手く発進できるかということであったが、ぎこちないがならもなんとかクリアー。
これくらいのぎこちなさならば、
『慣れないレンタカーで、クラッチの遊びが分からなかったんです〜』
くらいの言い訳でなんとかなるだろう。

さて、MT車教習よろしく、市街地の比較的車通りの多い箇所を、
左に曲がったり、右に曲がったりして、一応の感覚を取り戻してから、
山の上の記念碑群と、稚内市北方記念館へ。
『山の上』という事は、当然に坂道発進やら、低速ギアでの登り下りがあるわけで、
他の車にぶつからないかと、教習所の卒検のように緊張の一時だった。

それから、一路、宗谷岬へ。
市街地からは40kmくらい離れているのだが、それを15分ほどでついてしまう
北海道の一般道と言うのが恐ろしい(笑)。
こうなると、ATだろうが、MTだろうが、アクセル踏んだいるだけだからあまり変わらない。

宗谷岬で、3台のバスから下りて来た団体さんから逃れて、背後の宗谷丘陵地へ。
ここは一度着て見たかった場所。
『周氷河地形』とよばれる、とても貴重な光景が見られる。
なだらかな丘が波打つように連なり、とても北海道的な風景。
しかし、これが残っているのは、氷河に覆われて、
それが後退した北日本のうちでも、開発や侵食から逃れられたごく一部のみ。
そんな貴重な風景の中で、小一時間、車を移動させながら、
写真を撮ったり、胸いっぱい空気を吸ったりして、北海道を満喫する。

そのあと、再び戻って、稚内市内を横断して、今度はノシャップ岬へ。
昨日とはうってかわって雲が垂れ込めている利尻富士(やった!)をバックに写真撮影。
時間が押してきたので、もう1回、稚内市街地を横断して、14:00過ぎに稚内空港へ。

手荷物検査場は大混雑。
来た時と同じく、飛行機に乗り慣れていない団体さんがいるらしく、
1台しかないX線検査機と金属探知機は、ピンポンピンポンと警報の嵐。
離陸したかと思えば、こんどは関東地方豪雨の為、羽田着陸が15分遅れ、
しかも、帰りの電車、山手線は大雨による雨量規制値越えの為、15Km以下の警戒運転。
今回の旅行、それまで順調だったのに、最後の最後でトラブッたようだ(どれも実害はなかったけど)。

無事帰宅は、19:00過ぎ。
雨が降っているので、本格的な荷物の開梱は明日に回して、
とりあえず、溜まりに溜まったmailのチェックとBBSの巡回だけして、就寝。


9月5日(木)
今日も、03:30に起床。
ごそごそと、荷物をまとめたりして、04:00頃に自転車に乗って出発。
そう、今日は、自転車で利尻島1周の旅。

まず、最初の目的地は、YHから自転車で20分ぐらいの姫沼展望台。
前夜の検討の結果、この辺りが、朝焼けに染まる利尻岳の絶好のビューポイントだろうと。
05:00位に日が出てきて、まあ、期待したほどではなかったが、
それはそれなりに、きれいな利尻岳が見れて、写真に収められた。
で、それからズーっと島の海岸線に沿ってある周回道路を走る。
途中結構激しいアップダウンがあったりして、息絶え絶えになりながら自転車をこいでいたが、
熊笹ソフトクリームという、抹茶ソフトにも似た、そこそこいけるソフトクリームを食べたり、
道の途中に突然出てくる、麗峰泉水なる美味しい涌き水を飲んだり、
『ミルピス』という、前夜YHで教えてもらった、腐った牛乳カルピスのよ〜な味の飲料を出す、
名物おばさんのいるお店で休んだりしながら(どーでもいいが、食い物の話ばかりだ…)、
11:00過ぎ、YHの前に到達して、1周達成!。

で、そのまま通過して、鴛泊港へ。
フェリーターミナルで、名物だと言う『うに丼』を食べて、お土産を漁って、
予定を変更して、稚内に泊まることにしたので、今日の宿と、明日のレンタカーを電話で予約して、
港のすぐ横のペシ岬に登って、景色を堪能してから、14:00頃にYHに戻る。

YHのペアレントに、車で送ってもらい、16:00発の稚内行きのフェリーに乗る。
19:10に定刻通り稚内に着いて、YHから一緒だった大学生に別れを告げてから
昼間のうちに電話で予約を取った、とあるホテルへ。
しかし、この『ホテル』というのが、すごい代物だった…(詳略)。

チェックインを済ませて、夕飯を食べに稚内の街へと出たのだが、
20:00を前にほとんどの店はすでに閉店。
僅かにやっていた、駅前食堂でカニ飯を食べたあと、セイコーマート(!)で夜食を買って、
ホテルに戻って、あとはのんびり。
久々に見るテレビ(YHではテレビが点いていなかった)を横目に、いつしか眠りの世界へ。


9月4日(水)
03:30起床。
前夜のうちに打合せをしておいた同室の外国人さん・マットさんの目覚ましも鳴り、彼も起きる。
03:40過ぎに歩き出し、途中で親切な車の方に拾ってもらい、
艱難辛苦の果てに展望ゼロの山頂へ。

走るように下山してきて、登山口でYHに帰着の報告をしたのが12:00。
YHまでの道すがらにある温泉で替えがないにもかかわらず、
泥だらけになってしまったズボンの処置について悩みつつ、
のんびりゆったりくつろいで、心も体もリフレッシュしてYHへ。

以降は昨日と同じように、夕日に染まる利尻岳を写しにいったり、夕食を食べたりする。
で、今日は、登山中に大分服を汚してしまったので、コインランドリーで洗濯。
乾燥機が1回では上手く乾かなくて、2度目を回したりしている内に、又今日も22:00過ぎに。
明日は、利尻島自転車1周の旅の予定だが、早めに起きて、朝陽に染まる利尻岳を写しにいこう。

ところで、YHのそばにあるコンビニと言うのが『セイコーマート』というお店。
北海道ではよく見かけるのだが、本州では見たことがないので北海道限定なのかもしれない。
店の感じとしては、コンビニと言うよりもミニスーパーといった感じ。
ワインを売ってたり、野菜もあったような気がする。
そこで売っている、セイコーマートブランドのペットボトル飲料が、tanaの一押し。
まず値段が88円というのがいい。
それに(とくにお茶系なのだが)味が、サッパリしていて、
それでいて、商品名通りの味と香りがする。

そんなこんな(ペットボトル以外にもよかった点があるので)で、セイコーマートに惚れてしまったtana。
ああ、本州にもセイコーマートできないかなあ。
(と思っていたら、埼玉県にはある模様。でも近所にはないなぁ。)


9月3日(火)
今日は、仕事が終わった直後の電車(終業の2分後)に乗って、
羽田空港に行って飛行機に乗ったのだが、
仕事の最後の方で、幾つかのポカミスをしてしまった。
誤案内や、運賃誤収受未遂事件など。
やっぱり浮ついた気持ちで仕事をしてはいけないという事なのだろう。

なお、今日以下、北海道旅行中の詳しい出来事は、[大好き!北海道]の方をご覧下さい。

さて、飛行機で稚内に着くと、そのまま接続している、フェリーターミナル行きのバスに乗り、
これまたそのまま、接続する利尻島・鴛泊(オシドマリ)行き連絡フェリーに乗って、
利尻島の鴛泊港についたのは、定刻通りの17:10。
ここでもそのまま、迎えに来て下さっていたYHの車に乗って、
簡単な利尻島の案内を受けながら車で5分ほどの利尻グリーンヒルユースホステルへ。

同室は、他に3人。
どうやら外国人の方もいらっしゃるようだ。
近くの夕陽ケ丘展望台に夕日を見にいった帰りに、
近く(徒歩7分くらい)のコンビニに夕飯の買出しにいき(このYH夕食の提供をしていない)、
帰ってきて、夕飯を食べた後、お風呂にはいると、もう20:00。
ヘルパーさん(YHの管理人=ペアレントの助手として住み込みで働いているYH利用者の事)たちの
歌満載のミーティングや、利尻岳登山の説明を経て、皆が寝床に入り出したのは、22:30すぎ。
おやすみなさい。


9月2日(月)
今日は遅泊り。
家を出るのが11:30過ぎだから、のんびり…、
と行きたいところだが、そうは言っていられない。

明日の明け番、職場から直行で飛行機に乗って3泊4日の旅に出てしまうから、
荷物の準備をせねば。
本当は荷物の準備なぞ、前日までにやっておくのが常識なのだが、
どうせ明日は出発が遅いのだから、とそのまま寝てしまったのだ。

で、まあ今、なんとか一通りの準備を終えて、こうして日記を書いているのだが、
予想していたよりも荷物が少なめで、ちょっと拍子抜け。
今回から、37リットルの新しいザックを投入したのだが、予想以上に物が入った感じだ。
何か重要なものを忘れているような気もしないでもないが。
今回の山行はかなり余裕の日程で、天候不順時の予備日まで取ってあるから、
何かあっても、余程のことでない限りどうにかなると思うけど。

さて、今回の旅も、例によってPCを持っていって旅先からの更新が出来る様になっているが、
これまた例によって、更新されない可能性が高い。
帰京後の集中更新をお楽しみに、といったところか(楽しみにしている人っているのだろうか)。


9月1日(日)
9月1日。
今日は防災の日。
関東大地震による大震災の日だ。
あっちこっちで、訓練やら演習やらが行われ、テレビでも来る東海大地震の特集ばかり。
この日一日だけは、日本人は世界で一番防災意識の高い国民になれる。

だがしかし、明日になるとどうか。
訓練や演習は今日一日に集中して行われ、
学校(は、今年は違うかも)も企業も行政も、明日はまた、普段の平日に戻る。
テレビも、放送枠から漏れた情報番組がお茶を濁す程度の中身の番組を組むだけで、
いつもと同じ番組へと回帰する。
人々は『地震』『警戒宣言』という言葉の意味を忘れ、また1年を過ごすわけだ。
地震は、そんな人間の心の隙間を突いて発生する。
そして、人々が防災の意識を忘れ、日常に戻っていればいるほど、
地震は、単なる地震という自然現象を越え、『震災』へと成長して行くのだ。
『天災は忘れた頃にやってくる』とはよく言ったものだが、
いつも心のどこか片隅に、災害に対する恐怖感を持っておくことだけで、
きっと、被害は大きく軽減できると思う。
『後悔先に立たず』にならないよう、普段からの小さな積み重ねを心がけたいものである。


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