思いつ記
〜04年02月〜
前月分・次月分
2月29日(日)
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今日は、本来は公休なのだが、公出で夜から出勤。
18時過ぎ、混みあった下り電車を尻目に、空いた上り電車に乗っていく。
19:55から勤務に入り、あっという間に終電。
かなり楽な公出だった。
ところで、今日2月29には4年に一回の閏日であり、第五日曜日である。
ニュースで言っていたのだが、最も短い2月で日曜日が5回来るというのは、
なんと26年ぶりの珍事なのだという。
そして、次回、第五日曜日が来るのも(簡単な計算で分かるが)26年後。
今日は、そこらの晴れの特異日より、よっぽど貴重な日曜日だったのだ。
特に何も特異なことは起こらなかったが。
2月28日(土)
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今日のメインは、なんと言っても夕方からの同期会である。
ちょうど今春、就職する者が1名、大学院に進学する者が1名いたので、
そのお祝いを名目に、国分寺高校山岳部(KAC)の時の同期5名(ほか欠席1名)で集まったのだ。
ちなみに、その他には社会人5年目(tana自身)、社会人1年目、大学新3年生、新4年生各1名と、
同じ年に卒業したにもかかわらず、今現在の状況がまるでばらばらなのが面白い。
さて、18:00に中央線国分寺駅改札口付近、という事で集合をかけたにもかかわらず、
まったくもっていつものように定時に揃わず、
そうなるであろう事を見越して、18:30からの予約にしておいたtanaの見込みは正しかったのであった。
1名などは、集合場所を通り越して、いきなり会場で待ってたし。
宴会そのものは、『しゃぶしゃぶ』なのになかなか出てこない肉にブーイングをたれたり、
全然減らないビールの生樽の行き場に困って、床に転がしたり、
tanaが勢いあまって、飲みかけのグラスをこぼして女の子の上にかけてしまったり(ごめんなさい!)
知らず知らずのうちにそこそこに盛り上がった。
が、ここからが、ほかの呑み会とは違う、KAC同期会。
普通、1次会が終われば、2次会としてカラオケボックスに雪崩れ込んだり、別の店で飲み直したりするが、
1次会でも呑み放題を頼んで、元が取れなかったグループなので、そうはならず、
結局、近くのファミレスにしけこんで、3時間近く話に花を咲かせることになった。
就職の話とか、3月に予定している草津旅行の話とか。
そんなこんなで、ほかの呑み会では有り得ないマッタリ感を醸し出しながら、
終電車の怪しくなった23時20分過ぎに解散した。
tana以外の皆は電車で来ていたのでそこで分かれて、tanaは自転車で帰宅した。
で、この話には続きがある。
明日が夜からの泊まり勤務で、急いで寝る必要もなかったので、家でくつろいでいたのだが、
1時過ぎ、突如、家の玄関ドアをノックする音がした。
こんな時間になんだろう、と思いながら、面倒くさかったので無視していると、
なおも続いてドアをノックする音が聞こえる。
やれやれ一体こんな時間に誰かいな、と思いながら出てみると、
なんとそこにいたのは、国分寺で分かれて、電車に乗って帰ったはずの友人2名だった。
家の最寄まで帰れる電車に、目の前で出られてしまい、途中で降りたついでにうちまで来てみた、という。
呑み会で興味を示していたtanaの家の中を見学した後、2人は再び歩いて帰っていった。
本当は車で送ってあげたかったが、tanaも友人もアルコールをかなり摂取していたので、飲酒運転はまずい。
そんなわけで、深夜の訪問者を送り出した後、2時過ぎにコタツについた(←『床に就いた』のコタツ版)。
2月27日(金)
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11時に仕事が終わって、昼過ぎに家に帰ってきた。
家に帰ってきても、何もやる気が起きなくて、
最近の明け番の例に漏れず、コタツに入って寝てしまった。
ここまでは、普段の明け番と、そう変わらなかった。
そして、そのまま夜まで寝倒してしまった。
気がついたら、外は真っ暗。
時計は19時半を指していた。
で、それから起きて活動したならば、それこそ普段の明け番と変わりない。
今日がすごいのは、ここからだった。
あまりの空腹に耐えかねて、チョコレートを2つほど口に含んで、
一時、空腹感を紛らわせると、
そのまま、また寝てしまった。
そいで、起きたのが、翌朝の8時。
都合………何時間寝たんだ(笑)?
2月26日(木)
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今日は、遅い泊まり勤務。
家を出るのは、11時半でいいので、
それまで、昨日買ってきたR.O.DのDVDを見ていた。
一度テレビで見た内容なのだが、やはり改めて見ても良かった。
全9巻のうちの昨日買ってきたのが第5巻なので、やっと半分来たわけだが、
後半もこのクオリティーでいってくれるとうれしいなぁ。
さて、そろそろ家を出るか。
2月25日(水)
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昨日は仕事帰りに神保町に寄ったが、
今日は秋葉原に寄って、今日発売のDVDとCDを買ってから帰る予定だった。
が、突発的に先輩と呑み会をすることになったので、
仕方なく、仕事が終わり次第、先輩と一旦別れて秋葉原によって、
用事を済ませてから、大急ぎで新宿で呑んでいた先輩たちに合流した。
で、呑み会に合流したのが19:30頃。
解散したのが24:00。
4時間半も『和民』の狭いテーブルを4人で(途中で1人減ったが)囲んで、
延々とダベっていたのだった。
ずーっと座っていたので、立ち上がるときに足が痛かったが。
そろそろ終電も気になる24時頃に解散して、
それから大急ぎで帰宅。
なんせ25時から、何が何でも見なければならない番組があったので、
なんとしてでもそれまでには帰宅しなければならなかったのだ。
ぎりぎり10分前には家に着くことができて、
飲み慣れない酒(tanaは元々酒が大して呑めないのだ)で眠たい頭を押しきって、
番組を最後まで見ることができた。
なかなか楽しかったし。
その後、26:28からのR.O.D theTVも
何となくリアルタイムで見てしまい(ビデオ予約録画もしていたのだが)、
眠たい眠たいと言いつつも寝たのは27時過ぎだった。
ふう、明日は泊まり勤務。
でも出勤は昼過ぎでいいし。
2月24日(火)
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突然だが、tanaはいわゆる『下町』ちっくな街が好きだ。
本当の意味の下町にはこだわらないのだが、
何となくごちゃごちゃしていて、薄汚れていて、暗い、
そういう街の方が、整然とした明るい街よりも楽しいのだ。
今日仕事帰りに寄った神保町という街も、tanaにとっての楽しい街のひとつである。
神保町と言えば、まず書店街が思い浮かぶかと思うが、
確かに本屋さん巡りをするのも楽しいのだが、それだけに留まらず、
それ以外の、いろんな専門店が軒を並べていて、見ていて決して飽きることはない。
加えて、一歩裏通りに入れば、古くからやっていそうな食堂やバー、
或いは洒落たムードの喫茶店など、何となく大人の雰囲気も漂っている。
神保町は本当に楽しい街である。
で、今日は、明日発売の本の早売りを手にするべく神保町に行ったのだが、
帰りがけに、夕食をとった食堂が印象的だった。
(その筋の方には有名らしいのだが)キッチン南海というその食堂は、
靖国通りから一本南に下ったすずらん通りの、白山通りとの交差点近くにあり、
カウンター席が7〜8席、2人掛けのテーブル席も4つくらいしかないという、小さな街場の食堂である。
しかし、19時半過ぎに見たときには、店の外まで並んでいる長蛇の列で、
運良く店内には入れても、相席は当たり前、カウンターならラッキーという雰囲気である。
出される料理も、カレーと揚げ物を中心に簡潔で、
しかも、700円くらいのリーズナブルな値段ながら、大盛に盛られたキャベツの千切りとか、
しっかりと味の染込んだ生姜焼きとか、本当に美味しかった。
その上、今時絶滅しかかっている『キッチン』の名称。
まったくもって、tana好みのお店だった。
そんなこんなで、自分の好きな街、神保町に寄って、
そして、目的のものちゃんと入手してから帰宅したのだった。
変則シフト期間なので、珍しく明日も続いて日勤。
2月23日(月)
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最近、すっかり定着した週一回のスーパー銭湯通いだが、
いつも同じところだと飽きるので、今日は新規開拓ということで
車で1時間ほど離れた、三芳町の『真名井の湯』に行ってみた。
本当はもっと早くに着く予定だったのだが、夕方の渋滞に巻き込まれてしまって、
結局、着いたのは18時過ぎになってしまった。
で、着いてみてびっくり。
平日の夕方だというのに、駐車場に車がいっぱい。
中に入ってみても、やはり、人がたくさん。
かなり流行っているようであった。
お風呂そのものは、シャワーの出てくる時間がやけに短い、とか
カランからお湯がビチョビチョ出ているのがあった、とか、
細かいことを言えばキリがないが、
露天風呂はかなり大きいし、安い(500円)し、なかなかのものだと思う。
ルートと時間帯さえ上手くすれば、往復の時間短縮は可能な気がするので、
これからもちょくちょく行こうと思う。
2月22日(日)
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今日は風の強い一日だった。
昨日から夜干ししている洗濯物の横に、今朝洗った洗濯物を干したのが、08:00過ぎ。
掃除機をかけ、台所周りの片付けをし、
ふとを外を見ると、洗濯物が竿の周りで踊っているではないか。
風対策で、ハンガーを竿に洗濯バサミで固定していたにもかかわらず、
あまりの強風で、竿の周りをグルングルン回っているのだ。
10時過ぎに、飛ばされてしまう危険性を感じて、夜干ししていた洗濯物を取り込んだ。
この時は、朝干したのは、まだ生渇きの状態だった。
で、そのあとも風は弱くなることはなく、逆に強くなったくらいで、
次に洗濯物の様子を見た11時には、朝干したものもほとんどがカラカラに乾いていた。
干してから、わずか3時間あまりで乾いてしまったわけだ。
いくら、冬の乾燥した状況だとは言っても、普段は午後までかかるのが普通だ。
強い風のお陰で早くに取り込まなくてはいけなくなったが、
逆に、強い風のお陰で早くに乾いたともいえよう。
明日も公休。
2月21日(土)
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09:00に仕事が終わったあと、ちょっとだけ上司のところに顔を出して、
そのあと、渋谷の本屋さんによって、家に帰ってきたのが、13:00過ぎ。
洗濯物の溜まり具合から、今日は洗濯機を2回回そうと思っていたのだが、
時間的に2回回している余裕と日中に乾きそうもなかったので、
一回だけ洗濯機を回して、それも夜干しにし、残りは明日へ回す。
夕方、実家から電話があって、夕飯をおごってくれるという。
というのも、先日、自分が昔使っていたPCを実家の父親用に手直ししてあげたので、そのお礼である。
なんだか、すごく肉が食べたい気分だったのと、
貧乏生活をしていると、焼肉屋というものに行く機会なんて滅多になかったので、
久しぶりに焼肉屋に行った。
あの、独特の匂いを体に染み付けながら、良い気分で帰宅した。
明日、あさっては、久々に何もない公休である。
2月20日(金)
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今朝、家を出ると結構な風が吹いていた。
あまり風が強いと、列車の運行にも影響が出てきてしまう。
強風の直接の影響による速度規制もあるし、
強風にあおられた飛来物が、架線に引っかかって列車を止めてしまうこともある。
だから、あまり強い風が吹いている日というのは、あまり好きではないのだ。
運のいいことに、今日は、自分の働いている線区では大きな事故はなかったが、
終電車がいくまで、ちょっと気が気ではなかった。
明日はふつうに明け番、かな。
2月19日(木)
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今日は、何だか暖かかった。
東京の最高気温は、13.6度。
これは、一月先の3月中旬の平均気温とほぼ等しいという。
天気も穏やかで、とても気持ちのいい一日だった。
明日も泊まり勤務。
2月18日(水)
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山口県で行われていた、鳥インフルエンザによる移動制限が今夜解除された。
これで食肉の安全性騒動の一つに片がついたわけだ。
かと思ったら、今度は大分県でチャボから鳥インフルエンザが検出されたらしい。
大分と山口とでは、隣接していないばかりか、かなりの距離があるので、
直接の原因ではないと思うが、こうも散発的に続いてくると、
他のところもどうなんだろう、と疑りたくなってくるのは当然である。
きっと、生物学的には安全は安全なのだろうが、
食肉というのは直接口に入れるものだけに、
食べる人間自身が心から『安心』出来ることが重要だと思うのだ。
そういえば、アメリカのBSE騒動について、どこかの社長だったか、コメンテーターだったか忘れたが、
『安全であれば充分であり、日本人は安心を求めすぎている』と言うような発言をしていた記憶があるが、
この発言は、上のような消費者の心理を理解していないと言えるのではないだろうか。
食べ物を巡る話というのは、とてもデリケートな話である。
心から安心して口に出来るものを、ちゃんと口にできる世の中が早く戻ってくればいいものである。
2月17日(火)
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一昨日、15日の未明の話だが、洋菓子チェーン、不二家の埼玉県内の店舗で、
立て続けに10店舗も盗難の被害にあったという。
実際に現金を盗られたのは4店舗だけらしいが、警察の推定によると、
どうやら、バレンタインデーの売上目当ての同一犯による犯行ではないか、という。
それにしても、まったく笑える話である。
当日の駆け込み需要を期待しての犯行だったのだろが、
もともと、不二家で売っているチョコレートだのケーキだのは単価が安いし、
当日というのは、えてして投げ売りの特売になっているものであり、
いくら販売個数が多くても、それほど現金はなかっただろう。
事実、最も被害金額が多い店舗でも、80万円だったらしい。
盗みに入る時は、もっとよく考えてからやりましょう、という見本である。
2月16日(月)
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夕方16時頃、おもむろに行動開始。
家の最寄駅でもらったパンフレットに載っていた秩父の日帰り温泉を目指して、
そして、久々に車を本格的に動かしたやりたくて、
車で一路、秩父路へ。
地図を見ると家から60kmくらいだったので、18時入浴を目標に家を出たのだが、
抜け道を駆使して回避したはずの渋滞に引っかかってしまい、
暗い山道を、後ろからせっつかれながら非力な660ccの軽自動車でひた走って、
やっとのことで、18時半過ぎに秩父湯元・武甲温泉に到着。
月曜日の夕方だというのに、温泉には結構な人がいた。
お風呂の種類そのものは、スーパー銭湯と比べると見劣りするが、
硫黄の香りのする天然温泉の、庭園風の大きな露天風呂は気持ちよい。
一つ難点を挙げるとするならば、露天風呂が、全て屋根で覆われていて
星空を眺めながらの露天温泉を楽しめないことだろうか。
それでも、tana好みのいいお湯加減だった。
お湯から上がって、恒例の瓶コーヒー牛乳を飲んだあと、
20時に家に向かって出発。
すっかり車の少なくなった山道を戻る。
そして、帰り道も『時間的に言ってもう大丈夫だろう』と思っていた渋滞につかまってしまい、
21時少し前に無事帰宅。
本当に久々に、長距離を気持ちよく走ることが出来た。
頻繁に行くことは出来ないけれど、また行きたい温泉になった。
2月15日(日)
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今日は公休。
昨日に続いて面接授業。
今日は、昨日作った酢酸ビニル・ポリマーを加水分解してポリビニルアルコールにして、
そこから、スライムというゴムの様な弾力のおもちゃを作った。
ポリビニルアルコールは洗濯用洗剤の主成分にもなっている物質で、
洗濯用洗剤からスライムを作っている人もいた。
実験が終わったあと、先生からポリマーの将来的なお話を伺った。
ノーベル賞を受賞した白河博士の研究(導電性高分子)のお話だったのだが、
昨日、今日の実験と講義のおかげか、なんとなくながらも理解できた(ような気がした)。
本当は、きっともっと複雑な事情があるのだろうが、
ノーベル賞物の研究の一端を覗けたような気分になれて嬉しかった。
明日も公休。
2月14日(土)
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先週に引き続いて、今週も、この土日に放送大学の面接授業がある。
今回は、ポリマー(有機高分子)に関する実験が中心の面接授業だった。
酢酸ビニル・モノマーから酢酸ビニル・ポリマーを作ったり、
ヘキサメチレンジアミンからナイロン6・6を合成したり。
何だか久々に本格的に『実験』をした気分だ。
tanaは高校の頃、本人は文型の適性が強いにもかかわらず、
物理、化学をすべて履修し、2年生、3年生は実験漬けの毎日だった。
なんだかそのころのことを思い出すかのようだった。
明日も今日の続きの授業がある。
とても楽しみである。
家に帰ってきて、車で吉祥寺方面へ。
最近ちょっとハマっている漫画本を探しに、古本屋さんを梯子する。
3軒回って、目的の本をすべて入手。
家に帰って、コタツで寝転がりながら読もう。
2月13日(金)
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今日はこれから泊まり勤務なのだが、
明日の明け番で、そのまま面接授業なので、その準備もして家を出る。
ノートやら、バインダーやら、参考書やら、筆記用具やら。
高校時代は毎日準備していたはずのものなのだが、
学業から離れて4年も経つと、その当たり前だったはずの準備すらも、なんだか懐かしい。
こういう懐かしさも、仕事をしながら学校へ通っている一因なのだろう。
2月12日(木)
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明け番で家に帰って、速攻で洗濯をする。
ちょっと溜まってしまっているのと、
あさっての明け番は今学期2回目の面接授業がある関係で家に帰ってこれないので、
今日のうちに、やっつけておかなくてはいけないからだ。
計画では、洗濯機を2回回して、その間に掃除をして、台所周りを片付ける予定だった。
が、予定とは、常に未定のこと。
洗濯機を回し始めて、安心してしまったのか、そのままコタツで寝入ってしまった。
気が付くと、既に西日が差し込み始める時間になっており、
洗濯機はとうの昔に回転を終え、(きっと洗濯終了のブザーは鳴ったのだろうが)静かに止まっていた。
この時間になって、掃除機をかけるわけにもいかない(安アパートなので隣近所の迷惑なのだ)ので、
台所周りの片付けをし、部屋の目に付く大きなごみだけ拾ってお茶を濁すことにした。
ああ、また今日も掃除機をかけられなかった。
2月11日(水)
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今日は遅い泊まり勤務だったので、11時半に家を出た。
そして電車に乗って、ふと辺りを見回してみて気が付いた。
中高生くらいの女の子の姿がやけに多いのである。
それも、制服ならまだしも、ほとんどが私服姿。
はて、今日は何かあったかな、と不思議に思って手帳を見てみると、
なんと、なんと、今日は祝日だった(笑)。
この仕事は、本当に曜日感覚がなくなってしまって困る。
2月10日(火)
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なんだか、すごく眠たい。
昨晩の睡眠時間が少なかったのもあるが、
『春眠暁を覚えず』の季節が近づいているのも原因だろうか。
日勤が終わって、家に帰り着いて、そのままバタンキュー。
おやすみなさ〜い。
2月9日(月)
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何日か前から行動不能になっていた関西学院大学ワンダーフォーゲル(WV)部の学生たちが、
今日の昼過ぎには全員救出されたようだ。
低体温症や凍傷にかかっている者がいるようだが、まずは全員が救出されたことを喜びたい。
そして、今後噴出してくるであろう『無謀登山』の誹りに対して、
どのように説明するのか、そのあたりのことを見守りたい。
tanaも、高校では団体登山をやっていたわけだし、
関学の4年生には親友(と勝手に思っている)が在籍していることから、
何となく人事には思えず、件のの関学WVのWebサイトをのぞいてみた。
見たところ、とてもしっかりとした活動をしているようだった。
まもなく創部50周年を迎えるということで、技術と精神を受け継ぐ、部の縦の関係も良好のようであった。
つまり関学WVは、最近流行の『高齢者俄か造り未熟者パーティ』とは、
技量も、知識も、経験もまったく別次元の、正統派山岳パーティなのである。
その彼らが、何ゆえ、雪中ビバークをせねばならなかったのか
或いは何ゆえ、荒天の中、行程を強行したのか。
関学WVの説明が待たれるところだが、手っ取り早く、この事故からは2つの教訓が挙げられる。
一つは、正しく知識と技術を身につけた者の強さ。
部のしっかりとした教育を受けた彼らであったからこそ、
(事故の端緒を作った責任は別にあるが)行動不能になってから3日も雪中で耐えることが出来たのである。
二つ目は、装備品の重要性。
適切な装備と、特に非常用を充分に考慮に入れた食料品・飲料水の携行が
遭難・行動不能時に生還を呼ぶことは明白である。
詳しい事故原因の究明は、これから時間をかけて行われるのだろうが、
イチ山ヤとしては、今回の事故を決して他人事視せず、得られる教訓を充分に生かして生きたいところだ。
2月8日(日)
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昨日に引き続いて、今日も、朝から面接授業だった。
職場の近くの学習センターで10:00から。
忘れ物をしてギリギリになってしまったが、
何とか滑り込みで(とは言っても10分くらい余裕があったが)間に合った。
今日は、農業と水に関するお話を午前中に、
午後は水の化学的・物理的組成に関するお話とレポートだった。
さすがに今日は明け番ではなかったので、昨日ほど眠たくはならなかったが、
時々寄せてくる眠気の波に打ち勝つのはなかなかしんどかった。
でも、南太平洋のフィージーで行われているという小規模完結型農業の話はかなり興味深かった。
15時過ぎに面接授業を終え、その足で新宿のヨドバシカメラへ。
あと2週間ほどで、今使っているヴィールス対策ソフトの期限が切れるので、それを買いに。
ここ数日、ヴィールス付きのメールが多く来ているので、対策は怠りなくしておかないと。
夕方家に帰り着いて、グテーッと、おやすみなさい。
2月7日(土)
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今日は、09:00明けだったのだが、勤務終了と同時に職場を出て、そのまま近くの学習センターへ。
10:00から、面接授業があるのだ。
放送大学は、テレビ・ラジオによる放送授業のほかに、
学習センターなどで行われる、講師の先生との対面型の、ごく普通の授業、
『面接授業』を受けないと卒業の単位が得られない。
この面接授業、みな仕事を持った学生なので、土日の講義は希望が集中して結構な人気になる。
しかも、tanaのような不定休だとなおさらである。
今回の面接授業もやっとのことで取れた第2希望の授業なのである。
ところが辛いことが一つあって。
普通、授業というと1コマ45分、或いは大学だと90分というのが相場だが、
放送大学の面接授業は、なんと1コマ135分なのである(それを5回で、一つの講座・1単位とされている)。
明け番の眠たいところにもってきて、2時間15分も座りっぱなしで講義を聴くというのは、
はっきり言えば、苦痛以外の何物でもない。
そんなわけで、今日もなかなかに苦痛であった。
10:00から始まった午前中は何とかなったものの、お昼を挟んだ午後は、ひっちゃかめっちゃか。
講義の始めにレジュメをもらっていて、それと平行して講義のノートをとっていたのだが、
途中から、レジュメの内容と、ノートの内容が合わなくなってきて(←意識が飛んでいるから)、
結局最後は、ノートをとるのを諦めざるを得なくなってしまった。
まあそれでも、お話が面白かったのもあって、
何とか講義の大意がつかめる程度には意識を保てたので、よしとしよう。
今日は全5コマの内の3コマだった。
明日は残りの2コマ。
2月6日(金)
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担架、というものがある。
2本の棒の間に布を渡し、そこへ人を寝かせて運ぶ、医療用の器具である。
駅や工場などのたいていの職場では、構内に担架箱があり、そこに収納されている。
しかし、しょっちゅう使うものでもない。
そのしょっちゅう使うものでもない担架を、今日は久々に使った。
列車内で気を失った人が居るということで、先輩と2人で、担架を持って急行した。
そして、その急病の方を担架に乗せて、2人で持ち上げた、…というか、持ち上げようとした。
が、一発では持ち上がらなかった。
大人一人の体重を担架に乗っけて2人で運ぶのには、なかなか重たかった。
気合一発、何とか持ち上げて、ホームを進む。
しばらく行くと、階段があった。
……これはどう考えても、二人では無理だった。
普通に持ち上げるだけでもやっとなのに、高低差をつけて持ち上げるなど、とても不可能。
やむなく、その具合の悪いお客様を担架から下ろして、肩を支えながら降ろした。
よく考えてみると、野球やサッカーなどでも、怪我をした選手を運び出す担架は4人で持っている。
2人で持ち上げるということの方がおかしいのだろう。
めったに使わないから、そんな簡単なことも忘れて、担架で運ぼうとしてしまった。
今日は偶然、担架だったが、きっと他にも、使い方を忘れてしまっている器具があるのだろう。
もう一度、職場にある器具の使い方をおさらいしておかなければ。
2月5日(木)
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今週の末に、大学の面接授業がある。
そこで指定されている参考図書を探しに、明け番の眠たい中を、本屋さんの梯子をした。
2冊必要で、そのうちの1冊は、放送大学大学院の教科書(印刷教材)なのだが、
これがなかなか見つからなかった。
もともと放送大学のテキストを扱っている本屋さんと言うのは、きわめて限られてしまうので、
在りそうなところを目星をつけて巡っていったのだが、
大学院のテキストはその中でも置いているところが少なく(学部のテキストはすぐに見つかった)、
結局、4軒目の、新宿・紀伊国屋書店本店でやっと見つけたのだった。
そんなこんなで、14時過ぎに家に帰り着き、今度は車で買い物へ。
最近、ちょっとハマりかけの漫画を探して古本屋さんの梯子をし(またか(笑))、
そのあと、別の店で、取り置いておいてもらった物を引き取り、
遅いお昼を食べながら帰宅。
家に帰り着いてからは、いつものようにコタツでごろごろし、
昨日の夜に録画しておいた、R.O.Dのビデオを見ながら、コタツで意識が途切れる。
2月4日(水)
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昨日の節分に続いて、今日は立春。
要は、今日から春、ということなのだが、まだまだそんな感じはしない。
特に、東京だと、春の大雪と言うパターンが多いから、これからが冬本番、という感じすらする。
今日は泊まり勤務。
2月3日(火)
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今日は日勤だったのだが、tanaの後から出勤してきた先輩が、小袋に入った煎り豆を持っていた。
そう、今日は世間一般で言うところの節分である。
tanaは、一昨日、実家で節分豆まきを済ませてしまっているので、そんな気分はしないが、
夕方見たテレビなどでも、どこぞの神社で芸能人が豆まきをした、といったニュースを流していた。
そういえば、最近急速に『恵方巻き』というのが全国レベルで市民権を得てきた。
つい数年前までは、関西地方など西日本でしか見られなかった風習なのだが。
tanaが初めてこの言葉を耳にしたのは、兵庫県西宮市に住んでいた小学生の頃。
その年の恵方を向いて、太巻きを笑いながら食べるなどという風習があることを聞いて、
前に住んでいた東京では聞いたことがなかったものだから、大笑いをしたものである。
しかし、テレビの報道のお陰で、いまや全国区に。
まあ、確かに家の内外で豆をまくよりは、よほど話題性があり、面白い行事だが、
急速に広まったこの『恵方巻き』の謂れや正式なやり方などについて疑問に思っている人も
(東日本を中心に)結構多いのではないだろうか(tanaもその一人だが)。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら、ご教示いただきたい。
2月2日(月)
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朝、8時に電話がなった。
コタツから手を伸ばして受話器をとると、職場からだった。
一瞬、すごくドキッとした。
今日は公休だったはずだが、遅刻したか、と思ったのだ。
少し前にも、職場からの電話で起こされた遅刻があったので、なおさらだ。
電話口から聞こえてきたのは、よく知った上司からだったのだが、内容は遅刻ではなかった。
一つ上の先輩が風邪でダウンしたので、急遽、今日の泊まり勤務をやってほしい、というものだった。
当日の朝になっても、まだ補充者が見つかっていない、というのはかなり切迫した状況であるし、
電話をかけてこられた上司には、とてもお世話になってもいる。
しかも、運良く(運悪く?)今日は、何も予定がなかったので、代務に入ることを了承した。
鉄道に限らないが、シフト制の仕事というのは、
自分の責任範囲が、出務時間帯に限られる、という良い面がある一方、
誰かが休めばそこの穴埋めのために、公休でも出なければならないし、
また、遅刻や突発休の時には、他の人に迷惑をかけてしまう、という欠点もある。
場合によっては、今日のように、当日の朝になって、急遽出勤してくれ、と言われることもある。
今日は偶然、自分が穴埋めに入る側だったが、
いつか、自分が誰か他の人に迷惑をかけないように気をつけねば。
2月1日(日)
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あさっては節分だが、tanaは一足先に実家で豆まきをしてきた。
が、この豆まき。世間一般で行われているのとちょっと違う。
煎った大豆を家の内外に向けて、『鬼は外、福は内』の例の文句を言いながらまくのが普通だが、
tanaの実家は、さらに実用性(?)に富んだ豆まきである。
その方法は、まず始めに障害物の何もない部屋の、雨戸などを全て閉め、真っ暗な閉鎖環境を作る。
そして、その真っ暗な部屋の中で、殻付きピーナッツや飴、チョコレート、キャラメルなどをまいて、
床に落ちているピーナッツなどの内、拾った分だけが自分のものになる、と言うものである。
家族と一緒に、ぶつかり、押し合いしながら、お菓子をかき集めるわけだ。
最近では、このピーナッツなどの中に、ティッシュペーパーに包んだ硬貨をおひねりよろしく混ぜ込んで、
菓子集めバトルにより一層緊張感を持たせる試みもなされている(←すでに豆まきの精神はどこへやら(笑))。
この奇特な豆まきを導入した父によれば、父方の実家の伝統行事だったということだが、
伯母たちに聞いても知らないと言うことだから、或いは菓子好きの父が考案したものかもしれない。
でも、まいたまんま、鳩に食われてしまうのがオチの普通の豆まきに比べれば、
全然楽しいし、実益(笑)もある。
どなたか世間に広めてくれないかしら。
