トップ 新規 一覧 検索 ヘルプ RSS ログイン

第零話の変更点

  • 追加された行はこのように表示されます。
  • 削除された行はこのように表示されます。
「夕霧姐さん。今日も大成功でやんしたねぇ」
太鼓持ちと思しき男が、夕霧と呼ぶ芸者に向かって楽しそうに話す。
夜も更けた四ツ半。今日の座敷を終え、芸者衆は帰路に向かっている。
「明日は確か、お昼から電視(テレビ)に出る予定だったかしら。皆さん、遅れない様にね」
夕霧は気風のいい辰巳芸者として知られているが、普段の物腰は、座敷での威風が嘘の様に見える程、普通に振舞っている。
「へい。全員、それは承知しておりますよ!」
歩みを進めながら、そういったやりとりが続く。
辰巳大路に面した、夕霧が住む長家から遠くない丁字路より、一行の進路を塞ぐ様に一人の男が現われ、歩みが止まる。夕霧は、たじろぐ様に後ろへと下がり、代わりに太鼓持ちが前へ出る。
頭巾は被っているが、羽織っている着物や袴から見るに、そこそこの身分の武家だろう。間違い無く、夕霧に用事が有るのだろう。太鼓持ちは、そう考えながら頭巾の男に近寄る。
「お武家様、夜分に御苦労様です。姐さんに用が有るんでしたらあっしがお伺い・・」
そこまで言った途端、いきなり刀で斬り付けられる。
「あ、あんたがた・・」
と、言葉にならない声を発しながら太鼓持ちは倒れ、その直後、他の芸者や付き人達は蜘蛛の子を散らす様に逃げてしまう。
残されたのは、夕霧ただ一人。
頭巾の男は、ゆっくりと夕霧に近付く。恐怖のあまりに声も出ず、その場を動く事すら出来ない夕霧。
「夕霧ぃ、儂のものにならなかった事を、あの世で後悔するがいい。泣いて許しを乞うても、もう許さんからな・・死ねぃ!」
頭巾の男が上段に構え、夕霧に斬り掛かろうとしたその瞬間、何処からともなく防火桶が飛んで来る。そして、それは男の頭に当たり、その場へ倒れ込む。
男は何が起こったのか判らない様相だったが、すぐに起き上がり怒鳴り散らす。
「くぅ・・何奴じゃ、姿を見せぃ!」
それに呼応するかの様に、側の路地から声がする。
「宵闇に紛れ、賊現る。吾、虚ろより現れ、一輪の可憐な華を守らん」
その言葉の発せられた方から、何処に潜んでいたのか、一人の男が登場する。
「武蔵(たけぞう)さん・・」
夕霧は、その武蔵と呼んだ男を見届けると、頭巾の男から隠れる様に武蔵の背中へ駆け寄る。
武蔵の出立ちは、身に着けているのは多くのサムライが愛用する安袴だが、腰に差した刀にはサムライの証である特殊な鍔が付けられている。そして、何より目を引くのが、背中に差した大太刀である。
「えぇい、サムライの分際で儂を賊扱いする上に、邪魔立てするか!」
頭巾を被った男が、対面に位置する武蔵に向かって怒鳴る。
「いやねぇ、この夕霧姐さんを守るのが俺の役目だからさ。それにねぇ・・」
武蔵は、頭を掻きながら少し面倒臭そうな表情で言い、そして言葉を続ける。
「『芸は売っても体は売らない』のが芸者だろ?あんた、なびいてくれないからといって斬ろうなんざ、逆恨みにも程があるぜ」
この言葉が障ったのか、頭巾の男は再び怒鳴る。
「えぇい、無礼者めが!夕霧の前に、貴様を切り捨ててくれるわ!!」
そして、右手に持った刀を構え直す。
「やぁれやれ、問答無用か・・姐さん、下がっていなよ」
武蔵がそう言うと、夕霧は少し離れた場所へ下がる。その後、背負った大太刀の柄に右手を添え、左手を袖の下に入れ、何かを取り出そうとする。そして、今まで面倒臭そうだった表情は真剣な顔つきに変化する。
「あんたには勿体無いが、まぁ折角だ。とくと、この武蔵さんの太刀を拝んでいきなよ」
武蔵が言う間、頭巾の男は上段に構え、臨戦体制を整えていた。
「ふん。儂の生涯無敵流に、その様ななまくらが通じると思うか」
「まぁ、お代は見てのお帰り・・とでも言っておこうかね」
頭巾の男は挑発するが、武蔵は相変わらずの口調で返す。
暫時、睨み合った二人だが、先に動いたのは頭巾の男だった。
「にょわぁぁぁぁぁ!」
大太刀の苦手とする間合いに一気に詰め寄ろうとし、奇声を発しながら武蔵に接近する。
刹那、武蔵の右手が背中の大太刀を引き抜く。
大太刀を振るう瞬間、左手は袖の下から取り出した剣術弾を柄に装填し、すぐさま柄を握る。直後、頭巾の男に向かって袈裟斬り、返す刀で左から右へと真一文字に振るう。その太刀筋は、刀身の長さからは考えられない程に早く、正に神速と呼ぶに相応しいものだ。
斬り掛かる余裕すら与えられなかった頭巾の男は、上段に構えたまま、どうと仰向けに倒れる。
「・・秘剣、燕(つばくろ)落とし。と、拝む暇も無かったかね」
武蔵は呟き、大太刀を鞘に納め、そして夕霧の方へ振り向く。
「姐さん、恐かっただろ?もう大じょ・・」
武蔵は声をかけるのだが、言い終わる前に夕霧が嗚咽を漏らしながら抱き着いてくる。今まで堪えていたものが、一気に噴出したのだろう。
武蔵は、右手で頭を掻きつつ左手で夕霧の背中を優しく摩りながら、暫くは夕霧の思うままにさせようと考えていた。

睦月の宵、月明かりは二人だけを照らす。