THE GHOST TOWN 幽霊の出る町


 イノグウグは、パガルガン マギンダナオの村のひとつです。そこは、パガルガン町から遠く離れた平和な村でした。パガルガンの人々は、ほとんどがイスラム教徒です。イノグウグで戦闘が起こり、人々が町に強制的に避難させられてからというもの、人々は武装した兵士同士の戦争を避けて畑を離れざるをえませんでした。昼間だけこわごわ畑の様子を見に出かけて、夜には避難場所に帰るという生活です。
 私は、ジプディンという名の
難民と話しました。彼の言葉によると、この地で戦闘が始まったのは、2000年に政府軍とモスリム部隊がイノグウグで出会ったのがきっかけでした。
 それまでは、村にはたくさんの家が建っていました。しかし、攻撃によって家は焼け、学校も焼けてしまいました。誰が火をつけたのかという事に関しては、政府軍もモスリム部隊も相手がたに罪をなすりつけるだけで、何の責任をとろうともしません。人々は、なすすべもなく畑を離れ、弾丸や爆弾のこない安全な場所に避難するいがいありませんでした。一年のうちに何度も戦闘があると、難民キャンプから出ることが出来なくなり、けっきょく自分の家を放棄する以外に道がなくなります。町の近くに土地を探し、比較的安全な場所に家を建てざるをえなくなるのです。
 私たちは、イノグウグに2003年の4月9日に行きました。私はその地の広大で広々とした様子にびっくりしました。いろいろな植物が植えられています。しかし、よく見るとココナツの幹が弾丸で裂けていました。私は、イノグウグの人々の協力で建てられたという学校も見ました。しかし、翌日にもどってみると、その学校が9日の夜に焼けたというニュースを耳にして愕然としました。再び戦闘がはじまったのです。学校は、政府軍とモスリム部隊の戦闘の影響で勉強が続けられなくなった子どもたちのために特に建てられたものでした。その学校が燃やされてしまったのです。
 戦闘はイノグウグの村だけではなく、パガルガンの別の村でも起こりました。そこでは、武装した兵士の姿も見られました。それ以来、人々はこのあたりを「幽霊の出る地域」と呼んでいます。なぜならこの地のことなった村で断続的に戦闘が起こるからです。人々は武装した兵士がとつぜん起こす戦闘をひどく恐れています。それは、まるで夜突然に、えたいのしれない幽霊があらわれるのと似ているからです。
 人々が自分の住んでいる地域に幽霊が出るというのは、ふつう戦闘が夜に始まるからです。人々は同時多発的に起こる爆発を聞き、家も動物も大切な持ち物も置き去りにして避難しなければなりません。最も大切なのは自分や子供たちの命なのですから。
 戦闘がある限り、彼らは避難所で難民生活を送らなければなりません。安全な地域の学校に転校しなければなりません。政府機関もキダパワン司教区も援助の手をさしのべています。しかし、
あまりにも多い難民が、いろいろな地域に散らばっているため、食料援助は不足しがちで、人によってはビニールシートをかぶせた小さなテントで寝るのがようやくで、けっして安全とはいえません。とりわけ赤ちゃんがいたり病気の人は大変です。難民たちは、食料やシェルターや薬を必要としているばかりではありません、何よりも平和を求めているのです。自分たちの村にもどれること、不安や恐れもないふつうの生活を願っているのです。しかし、政府軍とモスリム部隊の時と場所を選ばぬ散発的な戦闘があちこちで起こる限りは、ふつうの生活に戻ることが出来ません。どうやって平和を見いだしたら良いのでしょう。こんなにも長い間求め続けている平和を。私たちは、政府機関の人々が、早急にこの問題を解決してくれることを切に希望します。また私たちは、心ある皆様方が、彼らを支援し平和に向けて絶えず祈ってくださることを願います。


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