こんばんわ。「人を呪わば穴二つ」という言葉がありますが、今日はあれに似た経験をしました。松屋で生姜焼き定食を頼み、その日ちょっとむかっと来た事を思い返していました。こーいうのはよくありませんね本当は。ため込むという事。
そうすると、何故かライスが二つ出てきたんですよ。頼んでもいないのに。それでそのまま食って帰ったんですが、今現在、特に何事もありません。しかし、何か大きく運命の力が作用してすでに不幸の囚われの身となっているのかもしれませんね。ことわざは常に誤解と発展性を持つものですが、「運命の抜き差しならない状況」を「道徳」に置き換えてその日その日を生き抜くという言葉の知恵と考えると、大したもんじゃありませんか? まぁ、明日、お腹が痛くなったら笑ってやって下さい。
投稿一番乗りはまいむさんです。ありがとうございます。
投稿者:まいむさん とりあえず、ジョリーンのあの紐っぽい「能力」はスタンドなのか?ということを考えてみます。 スタンドである。
スタンドでない。
スタンドの定義 精神のビジョン、外見やその能力は本人の性格を反映する、基本的に一人一体(集合的に1体とみなすものもあり)、2重人格といっても2つもてるものではないらしい、スタンドが傷つくと本体も傷つく、スタンドの死は本体の死。逆も成立する。 スタンドの限界境界線
5部の終盤で登場したチャリオッツ・レクイエムの必殺技スタンド殺し(勝手に名前つけた)あれはおそらく全てのスタンドに有効でしょう。チャリオッツ・レクイエムの能力発動後。スタンド(精神)はPOWER UPしたが、肉体(精神の入れ物)はすこしずつ朽ち果てていった。そしてPOWER UPしたスタンド(精神)の後ろにはチャリオッツ・レクイエム・アイ(やはり勝手に名前をつけた)がはりついていた。 ちょっとマジメな話に戻しますが、『D.Q』の主役の『彼』は肉体をもたない精神、ほとんど本体抜きで自走するスタンド(能力・ぼやく)と化していました。肉体をもたない精神の有り様は生き物に触られただけでみずからのかたちを維持できないという恐ろしくもろいものでした。『精神の2つの顔』というのがスタンドのテーマであるとすれば、ご都合主義的二重人格者(主人格に都合のいいかたちでの精神の分業体制というぐらいの意味)ディアボロのあまりにも恐ろしい死によってスタンドの意義は終結したのでは、とも思います。そして肉体なき精神、寄る辺なきたましいの恐ろしさの一端が『D.Q』で描かれた今『その先』は、の前に肉体と精神の関係をちょっと整理。
A 肉体化された精神 いわゆるスタンドがやられれば本人もやられる、という現象はCとDが双方向に影響しあうよ、というもの。『D.Q』で示された恐怖、犬に触られて手がもげるというのはBの危機でしょう。本来幽霊だから肉体はないんだけどそんなようなもの、はある。そして『D.Q』におけるもう一つの恐怖、それは、『殺人衝動のない吉良』ではないでしょうか。中心的な価値を失い、みずからの精神のかたち(アイデンティティーとか生き方とかいうもの)をもてない人間。 予想編 (ここでいきなり口調が少し変わる)
A 肉体化された精神 っていうより
A 物質化した精神
まあ予想としては要するに、ジョリーンがジョースター家のたましいに目覚める過程、精神が物質化していくプロセスがおわれていくんじゃないかな。具体的にはいままでのJOJOのように、本性的にあるいは危機的状況のなかで直感的に正義のたましいに目覚めない。 (1)JOJO6は骨太な復讐ドラマになる。 (2)ジョリーンは精神的にも肉体的にも過酷な状態に追い込まれる。 (3)復讐が成就する度、彼女の体はどんどん紐化していく。 (4)ジョリーンの体が全部紐となる前に正義の心に目覚める(当たり前だ) 以上、予想が前ふりと例によってあんまり関係なかったけどこんなもんでひとつどうです?
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間黒男さんが「少年漫画の最高峰」と絶賛している「うしおととら」という漫画がありますが、ジョリーンの「紐」を紐化現象と考えると、うしおの獣化に似たものがありますね(読んでいない人、すまぬ)。私もこの漫画大好きなんですが、主人公が力を発揮し何かを憎み戦うとそれが己へ因果として帰ってくる、という事をスリリングに描いた好演出だと思います。何がスリリングなのかというと、「アイデンティティの喪失」ってやつですね。漫画の主人公はその考えやズバリ、キャラクター性そのもので存在している訳ですが、それが読者の前から忽然と姿を消しそうになる、すると物語の根幹が危うくなってくる訳ですよ。これは読んでいて傍観者のみが味わえる恐さです。
「復讐なんて阿呆のすることさ」というのはかの有名な映画「スティング」の台詞ですが、この台詞は話が実現するまで非常に軽い。もちろん、演出として主人公がのめり込もうとしている「復讐」というものを軽く扱う訳ですが、ビジュアルとしてみせると「紐」というのは格好の演出といえるのではないでしょうか? つまり、「スタンド」ではなく、ある種の「病気」。そう考えるとact.2のラストシーンもなんとなく理解できるのでは? 復讐が人を傷つけ、自分をすり減らしていく事を示す「紐」。ジョリーンが未完成の主人公であればあるほど、こういった展開が際立ってくるのではないでしょうか?
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