日本人(外国人)
を受け入れるにための準備
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今まで、ミンダナオ子ども図書館は、
その活動においては、
現地の人々のことしか視野に入れずに
プロジェクトを推進してきた。
しかし、今年度から日本の、
特に若者たち同士の交流をも視野に入れることを考え
「Mの会」の力で、ゲストハウスを作ることになった。
しかし現地と日本では、思い描いている以上に、
文化的、生活的ギャップがあることも確かであり、
しかも、フィリピン法人として、プレシデント、
バイスプレシデントを始め、執行役員はすべて現地人。
彼らが実質的にマネージメントし発言権も有している。
確かに私は、エキゼクティブ ダイレクターで
ファウンダー(創立者)という地位なのだが、
ダイレクターの役割は、フィリピンと日本をつなぐことが主で、
フィリピン国内での実質的な権限はなく
現地での運営はフィリピンサイドが責任を背負って行っており、
私の意見がすべて通るわけもなく、合議制で進めている。
日本人達は、私がすべてをコントロールしているかのように
思っているかもしれないが、
彼らが、現地側の意見として、否定的な見解を出してこれば、
私も折れて受け入れざるを得ない。
というより、私は必ず彼らにアドバイスを求め、
その判断を尊重して事を進めている。
日本人は、
「寄付をしているのは我々で、出資者のようなものだ」から、
「支援者の意見を現地は当然ながら尊重し、受け入れるべきだ」
と思っている場合がある。
それが時には、知らず知らずのうちに傲慢で
独善的な態度となって現れる(事もあろう)。
自分たちが先進国であり、経済的、文化的後進国の人は、
我々のようになるのが憧れだろうから
我々の意見を受け入れて当然だという、
多少思い上がった考えを持ちやすい。
しかし、彼らのプライドは、当然ながら高く、
そうした気持ちが摩擦を生み出す事が多い。
私自身は、彼らに、先進国の生活はたいしたことはなく
こちらの方がよっぽど心豊かだという話をするが・・・
しかし、門戸を開くと決めたからには、
皆さん方にもそれなりの理解をお願いしたい
そこでこの際、私自身の失敗や経験をも率直披露しながら、
皆さんが、こちらで生活したり交流したりするための
予備知識を提供することに決めた。
まずは日常生活から・・・
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郷にいれば郷に従う
事ができますか? |
まずはトイレから
ビジターにとって、これが一番、
悩みの種のようだ!!! |
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これがトイレだ。
日本のように蓋がない。
直接陶器の部分にお尻をのせてする。
日本的な感じでは、
おしっこがかかっているのではないかと、
衛生上不安になる。
どうしても座る気になれないだろう |
そこで、
日本人用に
蓋を置くことにした。
普段は乗っていないから
自分で置いて欲しい |
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一番の問題は、
トイレットペーパー
ここでは、
トイレットペーパー等、
高くて買えない人が多い
山では売っていない。
そこで、お尻をきれいに
するのに手を使う。
写真の水くみを、
便器に座ったままの姿勢で
背後からお尻にかけて
手の指でウンコを洗い落とす。
もちろん手に付くが
それも最後に
きれいに洗い流す
街のデパートでは、トイレットペーパーを
売っているので、それを使っても良いが、
トイレが詰まらないように、ビニールに入れて
ゴミ箱に捨てること |
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使用方法、まずは便器を水で流す。
大概は清潔なのだが、
おしっこがついている不安があれば
洗う方がよい。 |
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手動式水洗便所だから、
ウンコは写真のように水で流す。
そのさい、便器ごと水をかける。 |
最後には、
周りのタイルにも水を流して
便所自体を
きれいにして終わる |
私は、もちろん現地式でトイレを使っている。
聞くところによると、
インドや東南アジアでは同じスタイルだという。
今では、日本の便座で、
使用後水をザバザバかけない便座の方が
不潔に感じるぐらいだ。
お尻も水で洗わず紙だけだと、
ウンコが残っている気がする。
ウオッシュレットなら良いのだが、
ミンダナオ式の方が清潔感がある。
良く聞かれるのが、水でお尻を洗った後、
どうやって乾かすの?
答えは簡単
濡れたまんまパンツをはく。
暑いから自然に乾く・・・・
ハンカチなどという、高級なものを持って
生活している子はほとんどいない
アジアなどを旅した人は問題ないが、
欧米様式の生活に慣れた人は躊躇するようだ。
私は、北海道時代に山に登り、
アイヌの人々とも自然のなかで生活したので
こちらの山の、トイレの無い生活も問題がない。
水がなければ、木の葉で拭く。
ミンダナオで何よりも助かったのは、
自然の中で生活できる体験を
北海道でしていた事だった? |
《郷に入れば郷に従え》 山元 眞 しんぷ(Mの会)
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2005年11月末に
初めてミンダナオ子ども図書館を訪ねた。
今でもはっきりと思い出す。
初めてトイレを見て、
松居さんから「使用方法」を聞いたとき
《郷に入れば郷に従え》という
諺が思い浮かんだこと…。
「マニュアル・ウオッシュレットで最高だ、これ」
とたぶん声を出して叫んだ?と思う。
すべてがマニュアル、アナログの世界で、
自分の幼少時代に
タイムスリップした気がして懐かしくもあった。
不便であることが自然。
自然は身体にも心にもいい。
今は廻りを見渡すと人工のものばかり
温かいものがあまりない。
ミンダナオには、きれいな空気。
土の温かさ、肌にフィットする風がある。
《生きた心地》がする。
新しいものがいい、新製品は
それまでのものよりもいい…
という価値観がひっくり返った。
同時に「経済のシステム」に人間は
振り回されていることにも気づいた。
人々を犠牲にして、一部の人が富を得る。
果たして「便利」なものは本当に
人間にとって「いいもの」なのか…
という疑問も湧いてきた。
科学の発展やモノの進化は、
本当に人間の成長に役立っているのか
疑問に思えてきた。
人間をだんだんと怠慢にしていく…。
できることができなくなる…。
気をつけないと「退化」してしまう。
幼稚園では、自然のもの、
本物を大切にしている。
人間の成長発達段階は、
どんなに科学が発展しても、
いつの時代も変わらない。
時代が進んだからといって
赤ちゃんは以前よりも成長して
誕生してくるだろうか。
かつて6歳になってできることが、
今では2歳でできるようになっただろうか。
人間の動作。つかむ。つまむ。ねじる。
まわす。たたく。押す。
ひっぱる。さらには、歩く、走る、跳ぶ
などの動作はすぐにできるものではない。
それぞれの成長発達段階に応じて、
繰り返しながら、少しずつ身につけていくもの。
今、中学生になっても、
先のような動作が的確にできない若者が
増えているように思えてしかたがない。
このような神経、筋肉の発達にともなう
感情や感性の発達も
十分でないような気がする。
そのような人間の基本能力が
身についていないと、
人のことを思いやるなど
人間の《高度な力》は育たない。
ミンダナオ(子ども図書館)を訪ねるたびに
息を吹き返すような気分になる。
足の裏から《なつかしさ》を感じる。
4回目の今回は手洗いで洗濯もした。
手押しポンプで水をたらいに汲んで…。
靴も洗った。草取りもした。
自分の身体がとっても喜んでいるように感じた。
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写真は、山元撮影 |
次に洗濯と水浴び |
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以前は、洗濯も水浴びも、
蛇口でしていた。
しかし、若者たちは、
川での洗濯に
なれているのか、
はたまた、とにかく
洗濯好きの性格か
蛇口の栓を閉じることなく、
水が常時出しっぱなしで
大量に使われる。
これにはほとほと
参ってしまった。 |
水道では大変な金額になるので、
早速水道は料理用に限定した。
キダパワンはアポ山に近く、
水道は飲み水として問題はないが、
キッチンの蛇口の水のみを使用してください。
洗濯と水浴びが大量に水を使う原因なので、
そのために井戸を掘った。
二つ掘ったが、
最初は電動ポンプで蛇口とつないだせいで
相変わらず開きっぱなしの蛇口から
大量に水が使われて、
手堀の井戸がすぐに干上がって使えなくなり、
ポンプも壊れた!
さすがに頭に来て、蛇口はひねる形式から、
押すと自然に戻るものに代えて、
洗濯と水浴びに使えなくした。
深井戸をドリリングで掘ることも計画にあるが
難民が出たりで予算が付かない、
ほとほと困り果てて最後に打った手段が
昔ながらの手漕ぎのポンプ!!!
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水浴中のロザリナ
水浴びは、
服を着たままするのが普通だ。
石けんを使って、
服の下の体を洗い、
最後に水をかぶって流す
井戸水だとそれほど冷たくないが・・・・ |
山では、
川縁の泉で
同じ光景に出会う
小さい子たちは、
素っ裸で水浴する
川で洗濯して、
最後に水浴びをして
お仕舞いというケースが
一般的 |
手堀の井戸は、男女を分けて
今は、女の子用を二つ、
男の子用を一つ掘って、使っている。
これだと水が出しっぱなしになることなく、
合理的で節約できる。
洗濯物干しも、各々の井戸に近く別にしている
日本という先進国から来た者として
何も知らない現地の若者に
彼らがあこがれているだろう、
「文明生活」を学ばせたい
大きくなって海外に出てもいっぱしの
文明人として役にも立つだろう
そんな思い高ぶった事を当初は考えたが、
その思惑は、この5年間の共同生活で
ことごとく崩れてしまった
今は、井戸端風景の無い日本
スイッチを押せば全部洗濯機が
全自動でしてくれる先進国の生活が
ひどく味気ないものに感じられる
ただし、ビジターは井戸端でなくとも右の写真のような
シャワー個室で水浴びが出来るからご心配なく
せっかくミンダナオに来たのなら、
若者たちと一緒に井戸端で洗濯し
水浴びをすることを、お薦めしますが・・・・
結局、こちらでの生活は、
どこにでもある村の風景に戻っていた。
昔ながらが一番。
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来客は、
右側のシャワー室で
水を浴びられる
もちろん、
お湯などは出ない |
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洗濯は最高の
ストレス解消作業
襟元など、汚れやい部分は
特別に石けんを
つけてゴシゴシ洗う。
頭に来ているときは
特に思いっきり力を入れて
汚れを落とす(冗談)
私も良くやったが、
今は忙しくて
洗濯の暇もない。
その分、ストレスが激しい。
洗濯は、数人の
気のあった仲間と
わいわいお喋りしたり
手伝いながら
やるのがふつう。
ここでのコミュニケーションは
日課の一部 |
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洗濯風景のあるところに
喧嘩はない?
何とものどかな風景だ
体力も付く
結構集中力も必要だし
力のいる作業だから
その分、
よけいな事は忘れられる |
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洗濯物が
ミンダナオの風と日差しを浴びて、
喜んで息をしている!!!!
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炊事はどうするの?
ご飯の食べ方は? |
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日々の食卓の野菜つみ
野菜は、スカラー達が
自分たちで畑を作って植えている。
少しでも自立した生活を
したいという気持ちから・・・
豆やオクラ、芋やピーナツなど
自分たちの山で植えているような野菜を作っている
ただ、焼き畑的な移動農業で、
私の目には全部が雑草に見える!
どこに野菜があるのか探すのが大変。
これから農地を広げて、
仕事がないマノボの家族や
卒業生達の農業指導場として展開していく予定。
農業指導員がいてくれたらと、良く思う。
ただし、農薬と化学肥料をベースにした
日本式農業が、どこまで通用するかは不明だが
結局、現地式に
戻っていくのかもしれない?????
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ドジョウインゲン
ウナギインゲンと
名付けた方が
良いほど長い |
オクラは、
こちらでもオクラという |
私には、
雑草にしか見えないのだが
雑草の中に
野菜が混じっている |
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日本では
ハトウリと呼ぶのでは?
こちらではオポ |
アナリンが
キノコを見つけた
これは自然のものだが、
食べられる |
こちらの大根は小さい
日本に行って
まず驚くのが大根の太さ
住んでいる人々の
足に比例する? |
農業はまず自給から |
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山羊の飼育を始めた
寄生虫を警戒して
家屋形式で育てている
山羊はスペースも
取らずミンダナオには
合っている
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最初は、肉用の山羊から
食べるのは可哀想?
バプテストルーラル
ライフセンターで
飼育方法を学びながら
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美しい庭も
若者たちで造園した
さぞかし高価
だっただろうって?
経費はゼロ。
近所から頂いた株分けで
芝生すべても
増やしていった
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5ヘクタールの米の収穫
2期作だが、
食べ盛りの子たちなので
半年しか持たない |
籾米を干すのも
スカラーの若者
たちの仕事だ
今は、学校に行っている |
全部雑草に見えるが
れっきとした野菜畑だ
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アジア学院の元副校長の
長嶋ご夫妻が来られたときに、
「農業は、自給をまず基本にして、
現地の市場に出荷するような方向で、
地元に根ざした展開をするのが良いように思う」
と言われた。
当時、そんな儲けがわずかしかない現地消費よりも、
日本に輸出すれば大きな利益があがるはずだ、
ミンダナオのような狭い場所で、
小規模のみみっちい利益の仕事を
苦労して熱心に進めるよりも、
海外消費を視野に入れた世界規模のトレードの方が、
貧しい人々の経済を潤すはずだ、
と考えたのを思い出す。
しかし、今は、人々がトレードに収益を頼るのではなく、
地元に根ざした経済圏のなかで、
金持ちにならなくても、少なくとも三食たべ、
子どもの病気を治し、
学校に行かせられるような社会を作ることが
大切だと考えるようになった。
確かに、日本はトレードで経済発展をさせてきたが、
自給をおろそかにしたつけが、
これから回ってくるのではないか?
アメリカに製品を買ってもらっていた頃は良いにしても、
トレードに頼った社会が、いかに不安定かを、
これから体験するのではないか。
ミンダナオに来て良かった、と思う。
若者たちに教えることより、若者たちから学ぶことの方が多い。
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料理は、最初はちゃんとした、
二階のキッチンでしていた。
ガスレンジも冷蔵庫も置いたし、
一通り料理道具もそろえたが、手狭で効率が悪く、
急きょ見かねて一階に、
こちら式の薪でやる台所を作った。
こちらでは、ダーティーキッチンと卑下して呼ぶが、
いつの間にか、全部こちらで料理するようになった。
70人分の料理を、子どもたちだけで
チームを組んで、効率よく料理していく。
いや間違えました。効率よりも、
お喋りしながら楽しく料理していく、
と表現した方がよい。
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魚の解体は、内臓を取り
大事に卵を別にして・・・ |
その後、勇んで買った
文明の利器
冷蔵庫やレンジは
どうなったか。
ほとんど使われずに
崩れてしまい
古物商に売ってしまった。
ガスレンジも壊れて
使い物にならず
すべては、薪に代わった。
オーブンは今も
使用は出来るのだが、
誰も使おうとはしない。
食べ残し置き場となっていた。
唯一使っているのが、
電気釜と冷凍庫だけ。 |
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最初の頃は、電気もない山育ちで、
家電製品も使ったことのない、哀れな子たちに
せめて電化製品の使い方を教えてあげたいと
思ってそろえていたのだが、
今思うと、得意げになっていた
自分がみっともなく思える!
文明の利器は、それから、次から次へと壊れていき、
彼らが元に戻していく山での炊事スタイルの方が、
よっぽど効率的で経済的、料理もおいしいことが分かり、
今は、先進国カゼ、金持ち国カゼを吹かせていた
自分を深く恥じている。
生活スタイルは、時を経るにしたがって、
逆にこちら式になっていった。
Back to Nature!!
先進国の文明が、いかに脆くはかないものか、
つくづく感じるこの頃。
私は、この子達との生活を誇りに思い、
彼らに養われていることを、心から感謝している。 |
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ガスレンジやオーブンも
使えるが
誰も使おうとしない
残りご飯の
置き場になっている |
電気釜は生きている
大量に
ご飯を炊くからだが、
薪でも十分だ |
唯一
役に立っているのが
冷凍庫
魚を冷凍して
保存しておく |
ご飯の食べ方 |
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お皿一つが一人前。
粗食だが・・・上は二人前
ご飯は好きなだけ
お皿にとって食べる
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私も子どもたちと
一緒に、
一緒のものを
食べて生活している
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特別扱いされなくなったら、
心に壁が少し消えた証拠。 |
フィリピンではよく、金持ちは、
家族は使用人と別のテーブルで別の食事をしたり、
客人は、客人専用の食事を豪華に用意、
使用人にも階級があったりする。
おそらく植民地時代の風習の残りだろう。
客人をもてなすのは習慣だが、
貧しい家では、みんなで食卓を囲んで分かち合う。
ミンダナオ子ども図書館では、みんな一緒に、
一緒の粗末な食事を食べる。
ただ、それとなくビジターには、
一皿余分におかずが置いてあったりして・・・
子どもたちは、外国人が珍しいし、
とにかくお客が大好きで、サービス精神を旺盛に寄ってくる
だいたい寄っていく子は決まっていて、
「ああまた同じ調子でやっているな」と、
見ているが
すっかり舞い上がって、
自分が特別に好かれている?
等と思い上がってゆく、客人も多い(ように見える)。
くっついてくることをせずに、
自然に接するようになったら、
慣れて受け入れてくれた証拠
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とにかく
ご飯をたくさん食べて
お腹を満たす |
おかずが足りないときは、
醤油をかける |
一汁一菜が基本
汁物は、
必ずご飯にかけて
食べるのが普通。 |
とにかくよく食べる。
家では、三食たべられない
家庭の子たちだから。
朝食べてから、
昼前に焼きバナナの
おやつを食べて、昼食。
午後帰ってきてから、
残りご飯か掘ってきたお芋を食べて、
その後に夕食。
さらに、寝る前に残りご飯を食べる。
一日何と、五食か六食!
50キロの米袋が、
一日で消費される生活だ。
日本人の目には、おかずが少ないので、
繰り返し「これでよいのか」とたずねたが、
答えはいつも、
「これだけあれば充分過ぎる。
だって、三食米が食べられるんだもの」
最初の頃は、せめて魚一匹尾
まるごと焼いたのを喰いたい!
サンマが食いたい!
トンカツ一枚ペロリと喰いたい!
と夢にまで思ったが・・・・
今は、すっかりなれてしまって、
夢にも見ない。
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スカラー達が作った合い言葉
Eat together, sharing one another
みんなで一つのテーブルを囲んで食べる
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食器の使い方 |
逆に、日本に行くと、
フィリピンでご飯をたくさん
腹に詰め込む習慣に加えて、
何しろ一人分のおかずが、
こちらの一家十名のおかずに
匹敵する分量だったりして
たちまち食い過ぎて太ってしまう。
興味深いことに、
私たちの目には粗食だが、彼らにとっては、
毎日腹一杯食べれるだけでも幸せで
あれだけ痩せて小柄だった子たちが、
三ヶ月ぐらいからふっくらとし始めて、
一年後ぐらいから、急速に背が伸び始める。
食堂などでは、スプーンとフォークで食べるが、
一般的に家では、手で食べる。
ミンダナオ子ども図書館では、
最初スプーンとフォークを用意して食べさせていたが、
全体のミィーティングや帰省の時期になると
あっという間にスプーンとフォークの数が減っていく
(家や下宿に持ち帰ってしまう)
怒ったハウスキーパーのテルマさん、
「スプーンはもう出さない!
スプーンで食べたかったら、
自分の小遣いで買いなさい!!!」
それ以来、スプーンは出さないことになった。
その後、みんな町にスプーンを
買いに出かけたかって?
とんでもない、家と同じで、手で食べています。
スプーンを買うぐらいだったら、
焼きバナナを買った方が良い???
訪問者には、ちゃんとスプーンとフォークを
出しますのでご心配なく。
こっち式で、手で食べてみるのも良いですが・・・
私はときどき手で食べます。 |
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こちらの食べ方の悪いところは、少し残すこと。
残すのが礼儀という見方もあり、
残すことによって他の人がおこぼれに預かれる。
または家畜や動物がおこぼれに預かる。
これは、アイヌの人々と同じ考えかと思われるが、
子どもたちには、米一粒も残しては駄目だよ、
と話す。日本式。
お米さん一粒にも、仏さんがいるのだから、
と言っていた、京都生まれの
祖母の言葉が耳に残って離れない。
熱心な浄土真宗で、毎朝おつとめを欠かさなかった。
仏像の横に、イエス・キリストの絵も
ちょこっと置いたまま、あなかしこー あなかしこー |
イスラム教徒とキリスト教徒の子たちで
相談して作った食前の祈り |
Bless us oh Lord and these are gifts,
which we are about
to receive as a goodness
through our God!
Amen
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食前の祈り
スタイルはそれぞれ自由だ |
イスラム式のお祈り
最後に顔を撫でる |
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トレードよりも
小さな雑貨屋から始めよう |
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ミンダナオに来たときに、
孤児施設のハウスオブジョイの烏山さんが、
「卒業生が経済的に自立するためにも
サリサリストアを建ててあげたい」と言ったのを覚えている。
サリサリストアとは、小さな小さな雑貨屋。
それを聞いて「そんな小さな事をするよりも、
ファエトレードみたいにして、
ちょっとしたものでも日本で売れば
こちらでは大きなお金になるのに、
何でそんな現地的なみみっちい事を考えるのか」
と思ったものだ。
実際その通りで、日本でちょっと稼げば、
こちらでは大きなお金になる。
こうして、多くの人々が海外出稼ぎに出る。
それで幸せになれば良いのですがね。
ただひたすら海外に頼ることしか
考えられない性格になっていく。
本当のミンダナオの良さも可能性も見えずに。
あれから6年がたち、私はいま、烏山さん同様に、
卒業生の仕事の一つに、農場と平行して
小さな雑貨屋を作ることを考えている。
将来、小さな大衆食堂を平行させて作り、
いつかパンを焼いて村で販売する。
「パンデサール、パンデサール。
焼きたての朝のパンだよー。」
そういって、自転車にパンを乗せたり、
子どもたちが手提げにパンを入れて売りにくるのは、
ダバオの朝の風物詩。
どんなに儲かっても、フェアトレードよりも
優先すべき重要な企画だと思う。
現地で、現地に根ざして、
現地の人々のために仕事をすることで、
若者たちが生きていくこと・・・
フェアトレードを否定しているのではない。
海外出稼ぎが悪いと言っているのでもない。
トレードで生きていくのは、
最終的なプラスαのおまけの部分に過ぎないと言うこと。
自分の生きている地方の良さを意識せずに、
ただひたすら海外に頼ることしか
考えられない性格になっている
中産階級のフィリピン人をたくさん知っている。
そういう人々の心情を見透かした、海外派遣業もさかんだ。
しかし、どんなに豊かになっても、
自分たちの国の良さも文化も
可能性も見えずに、自国を否定し
海外に目を向けている国の人々の心は
寒々としてはいないか?
今の日本が寒々としているように?
今私は、当時雑貨屋を馬鹿にして、
「日本で売れば儲かる、
こちらの人々に簡単に高額なお金が入る」
と考えたこと自体を恥ずかしく思う。
外国人としての傲慢が有ったような気がして。
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