学校建設の記録から |
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gaku1 学業を 断念する子が増えて もうすぐ 今年度の卒業式が近づいています。 しかし、ここに来て、 今年は高校4年生で 学業を断念する子が増えて、 支援者の方々をガッカリさせています。 学業を断念した子たちの ほとんどの理由は、 働いて家族を支えること。 1, 物価高で家族の生活が 厳しくなってきていること。 米なども、4,5年前の倍の価格。 貧富の格差が激しくなってきて、 山の子たちは大変。 2, 高校が今までの4年制から、 今年から6年制に変わったこと。 これが大きい原因です。 高卒まで、 さらに2年間が加わったことで、 18歳で卒業。 大学卒業は22歳。 これは日本と同じなのですが、 15,6歳で結婚することも多い山では、 18歳だけでもかなりな年齢。 もはや家庭で両親や 妹弟を助ける年齢なのです。 そんなわけで、今年から 突然高校卒業まで2年増えて、 特に今年卒業の子たちがショックを受けて、 学業を停止することを選びました。 おそらく親からも プレッシャーがかかっているようです。 停止の理由の殆どが、 「仕事を見つけて、家族を助けたい」でした。 MCLに住んで通うことを 提案したのですが、 親が子に、働いてほしいと言う 要求がつよい場合もあり、 引き留めることの出来ない子もいました。 何と答えて良いのやら。 頑張ってね、 としか言えない。 ただし、前も都会に行かされて
gaku11 キダパワンでデモ 3人殺害される MCLのあるキダパワンが、少し不安定ですね。 干害が激しく、農民が食べられず、怒り。 政府の支援が届くはずが届かず。 デモをして、 3人が殺され、 けが人がたくさん出ました。 下の写真は、 MCLのスタッフの従兄弟で、 撃たれて亡くなりました。 この一家は、アラカンで殺害された、 ファウスト神父さまとも繋がりがあって、 高校まで ファウスト神父さまの奨学生でした。 ファウスト神父さまは、本当に優しい方で、 イタリア人の神父で、 40年間にわたって 先住民を支援してきましたが、 新人民軍の仲間と疑われて、 シスターの話ですと、 政府の送ってきた刺客に殺されました。 そのときの悲しみは、 ドンボスコ社の 「カトリック生活」に以前書きました。 MCLの田んぼは、 いまのところ灌漑用水があり、収穫があり、 200人の子ども、若者たちを養っていますが、 干害が続くとどうなることやら・・・ いま、とりわけ貧困が厳しい 山岳地帯の状況を調査しています。 食べられない家族が多く、 場所によっては 炊き出しなどの支援もしたいのですが、 円安以降財政が厳しく、 よろしければ緊急の支援をお願いします。 日本で私も、講演をこなし、 本の印税も全て送って頑張っているのですが・・ 一人ではなかなか。 MCLは、ほとんどが個人支援なので! 以下は、記事です。
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gaku25 小学校建設の 打ち合わせ 今年の3月に日本大使館で正式にサインした後、 大統領選後の6,7,8月あたりから 政情を確認しながら進める予定の パガルガン地域に 小学校建設のつめの話をしに行きました。 ミンダナオ子ども図書館の提案で、 イスラム自治区のカルボガン村に、 日本政府の支援で 小学校を建設する予定です。 この地域一帯は、 ミンダナオの戦闘地域のなかでも、 最も不安的で 微妙な場所であるだけに、 逆に、和平構築に重要な場所でもあるのです。 3月に、日本大使館で 私がサインすることになっていますが、 様々な不安要因もあり、 現地で最終的なつめをしました。 先日、イスラム自治区で、 市長代理、エンジニア、カルボガン村長、校長先生、 そして、MCLのイスラムのスタッフ4名と、 代表の妻と私とで、 小学校建設に関する詰めの会議をしたのですが、 戦争は別として、 不安事例としてあがったのは、 前にMCLが日本大使館に推奨して、 その後の責任は、 現地の自治体に与えられ建設した、 サパカンの小学校が、 危険地域であるがためか マニラに本部のある業者のチェックがあまりなく、 建設後も土台が良くないという 学校の校長からの指摘があり、 MCLには直接責任はないのですが、 一日本人としても恥ずかしく、 現地のエンジニアと話し合って 3月はじめまでには完璧に修理し、 修理後も、MCLのスタッフが チェックすることになりました。 イスラム地域での建設は、 過去の経験からも難しい部分があり、 資材の盗難や 手抜き工事などもあり、 下の写真は、 途中で屋根の建材が行方不明になって 建設が中途でストップした 教育省の建物です。 今回は会議を開き、 業者の選択も含めて、エンジニア、村長、校長、 市と密接に協力しながら、 MCLのイスラムスタッフがたえず同行して、 資材の調達、運搬、 そして建設のための 現地の村の職人の選択、 資材の紛失などの避けるために 管理を強化することで一致しました。 MCLとしては、 全くボランティアで活動しますが (皆さんの支援金の一部を使いますが、 現地の子どもたちのためです! 奨学生もいます。) 現地の子どもたちとの繋がりを考えると、 不完全なまま放置されている 海外支援の建設物が多い地域だけに、 現地の人々の日本への信頼を構築する 重要な仕事ととらえています。 IMTの中川さん、 サパカン心配ないので安心してください。 床を上げたことは大正解です! 洪水の時の避難場所にもなりますし、 喜ばれています。 ただ、置き土の固める経験がなかったことが ベランダに亀裂がはいる原因となったようです。 3月上旬には、 全面修理がなされます。 今回、私もサパカンの小学校をチェックし、 カルボガンも舟で行こうと思ったのですが、 ピキットサイドのタリタイとラジャムダで 選挙関係のリドーがあり、 危険で入れませんでした。 gaku26 小学校建設の調印式 コタバトで カルボガンの小学校建設の調印式。 MCLから、副代表のベビン、スタッフのサダム。 そして、現地のエンジニア、村長、 市長代理が出席。 大使館の職員とエンジニア、村長が握手 現地でもしっかりと 取り組んでもらうためにも こうした計らいが重要 いつもマニラで調印式を行うが、 今回は、大使の意向で 初めてミンダナオのイスラム地域 コタバトで調印式が行われた。 イスラムのバンサモロBDAの拠点であるだけに 現地でも親しく、迎えられた。 2006年いらい、 和平交渉における日本の役割は大きい。 マレーシア、インドネシアと共同して IMT国際停戦監視団を形成し 和平に貢献してきた。 MCLは、直接携わってきたわけではない。 特定の政治団体の下 または、宗教団体の下では、 活動しない定款をもっている。 Non politic Non religioussect 子どもたちへの愛だけで活動する! しかし、どのような国家や宗教団体であれ 子どもたちにとって良い企画であれば 心の底から協働する。 MCLは、15年間 現地の最も複雑で、 戦闘や対立が絶えない地域に入り 奨学生をとり、保育所を建て、 さらに小学校を建てられないかという きびしい地域からの要望で、 個人の支援でほぼ成り立っているMCLでは、 自力で学校を建てるほどの資金は無いので、 日本政府に応募して学校を建ててきた。 最初に建てたのはマカブアル村。 道も無く、反政府ゲリラの拠点がある 危険な地域だったが、 学校が建ってから道も出来 村も明るくなり人々も帰ってきた。 次に建てたのがブアラン村。 こちらは、40年間丘の上のクリスチャンと 丘の下のイスラム教徒が対立し 殺し合いが続いてきた 最も複雑で危険な地域。 それが、学校建設を条件に 和平交渉を現地で行い、 クリスチャンとイスラムの村人たちが共同して、 かつてあった道を切りひらき、 イスラムとクリスチャンの両者が、 同じ学校に通えることを条件に 建設した。 今は、すっかり平和になっている。 そのときの活動と様子を 映像であげました。 以下をクリックして、ご覧ください。 IMT国際停戦監視団で活動し 今回の提案にも お声がけをしてくださった中川さん いよいよ これからが本番で大変です! gaku27 カルボガンの 学校建設を視察 MCLの法人資格が、 現地の若者たちの手で取得されて、 公的に活動が開始されたのが 2003年の8月のこと。 元々のきっかけは、 2001年に キダパワンのバリエス司教につれられて イスラム地区の戦争を見て、 その避難民の状態のひどさ、 特に笑顔を失った子どもの姿を見てから、 ここで読み聞かせ、医療、奨学制度が出来る NGOを作らなければと思ったからだ。 そのことは、 拙著『手をつなごうよ』(彩流社)で、 青少年向けに書いた。 それから13年、 ミンダナオに足を踏み入れて 15年の歳月がん流れた。 その後も 2002、3年の米軍による テロリスト掃討作戦で、 120万の避難民。 さらに2005年にも、戦争が勃発。 リドーと呼ばれる 小さな戦闘にいたっては、 毎年のように起こり、 2006年の 日本政府による和平交渉以降も、 2008年には、和平交渉決裂により 80万の避難民が出る戦争になった。 今年も 小さな戦闘がしばしば起こり、 そのたびに避難民救済に駆け回って あっという間の13年! ミンダナオの全ての学校には、 上の写真のような番号が、書かれている。 これは、学校が 避難所として指定されており ドローンによる空爆防止のためです! 2008年の戦争の時にも、軍の兵士が リグアサン湿原の上を指して言った。 「ほら、あそこにフワフワ飛んでいる 飛行機が見えるかい! あれは、米軍の無人偵察爆撃機だよ。」 すると、そこから爆弾が、 ドーンと落とされた。 爆弾を落とす引き金を引くのは 戦場から遠いアメリカ軍のオフィスにいて、 コンピューターながめている 司令官なのだという。 そのしたに、 どれほど多くの避難民の子供たちが、 なけなしのシートのしたに 避難しているのか、 解っているのだろうか? gaku28 戦争がある度に、 逃げてきた 子たちを支援 そんな爆弾が落とされていた地域。 とても入れない と思っていた反政府地域。 東南アジア最大の湿原と呼ばれている リグアサン湿原のイスラム自治区にも、 戦争がある度に、 逃げてきた子たちを支援し、 親が殺された子たちを、 奨学生に採り。 読み語りをし、保育所を建て 10年間にわたる交流を続けてきた。 その結果、現地の人々は心を開き MCLを信頼し、 受け入れてくれるようになった。 和平構築は、 ヒナイニナイ バスタ カヌナイ (MCLの合い言葉で、 ゆっくりゆっくり でも絶えることなく) 友情と愛のお付き合いをしていくなかで 培われていくものだと、感じている。 一時的に巨額な支援をしても、 現地の人は簡単に信じてくれない。 「何を下心に支援するの・・・??? 目的は、リグアサンに眠っている 膨大な石油と天然ガスの資源を奪うこと?」 事実、ここで40年間にわかって 起こされてきた戦争の原因は 国際的な天然資源の 奪い合いだと聞いている。 ミンダナオ子ども図書館の活動は、 政治目的でも無く、 宗教目的でも無い。 子供たちへ愛と友情だけが行動規範だ。 それを理解してくれるから、彼等は言う。 「MCLは、他のNGOと違っているね・・・」 その結果、今回のような、 一般では外国人が入れないような 非常に難しい場所にも、 学校建設が可能になった。 ただ、こうした活動に 妬みを持ったり、あるいは逆に妨害して 戦争を起こすきっかけにしたい動きも 過去見ている。 たとえば、中東でのイスラム国による 日本人誘拐殺害のように ぼくを誘拐殺害して、 あるいは、今の大統領を殺害して、 イスラム国の仕業と大々的に報道して、 一挙に政府軍、アメリカ軍。 そして集団的自衛権と憲法改正を利用して 日本軍(現地では自衛隊では無く 日本軍と呼んでいる) まで、ミンダナオのイスラム地域に攻め込んで、 軍隊を駐留させて、 リグアサン湿原の石油と天然ガス、 そして、山岳地たちの希少金属の 資源の発掘の基盤にするのではないか? 皆さん! 戦争を起こすための口実に ぼくが、誘拐され、殺されても、 決してこの地のイスラムの人々を 悪く思わないで欲しいです。 ぼくは、この地のイスラムの子供たち、 とりわけ、戦争で親が殺された子たちを 心から愛し、また、地域の人々を 友人だと思っているのでお願いします。 戦争を起こすために行われるのが、 誘拐と殺害、 爆弾事件であることは、 過去何回も見てきています。 それでも、 この子たちのためならば、 ぼくは、殺されていってもかまわない・・・ そんな思いで、活動しています。 gaku29 物的支援を 始めた理由 ミンダナオ子ども図書館の 根幹の支援は、読み語りで、 いわゆる物的支援ではない。 貧しい村を訪れると、 しばしば村長さんから、 「お宅のNGOは、何の支援をしてくださるの?」 と聞かれて、 「私たちの支援は、 子どもたちへの愛と友情、 絵本の読み語りです!」 そう答えると、驚いた顔をして、 「えっ!それだけですか? 何も持ってきてくれないの?」とがっかりされる。 それでも、子どもたちが驚くほど喜び 寂しかった村が明るくなり、 親や村のお年寄りたちも喜ぶ顔を見て、 最後には、とても喜ばれる! MCLの活動の根幹は、 絵本の読み語り! 子どもたちと 歌ったり踊ったり劇をしたり! 愛と友情の支援なのだ! けれども、 貧しくって食べ物もない子たちを見ると 放っておけず、 最後にパンを配ったり、 着るものも靴もない子たちのために、 日本から送ってもらった 古着や靴を持っていく。 また、薬も買えない村で、 病気の子たちを見ると放っておけず、 手術に至るまでの医療支援を始めた。 そして、極度の極貧で学校にも通えない子や 親が戦争で殺されたり、 崩壊家庭の子たちがいると、 奨学生に採用して、 現地では、 小学校卒業も大変なのに、 中高から大学まで通えるようにした。 大学など、ほとんどの子が 通えない地域だ。 それに平行して、 福祉局からの強い要望にあわせて 保育所支援、学校建設支援などの 可能な限り物的支援もはじめた。 保育所支援を始めた理由は、 フィリピン政府が幼稚園で ABCを学ばなければ小学校に入れない、 という制度を作ったからだ。 けれど、文科省に属する幼稚園は、 小学校に並列されて作られるだけで、 貧しい山や湿原の子たちは、 村の中心に設置されている学校まで、 4,5キロもジャングルを超えて歩いたり 湿原を舟に乗って行かざるをえず、 極貧の幼い子たちにそれが 出来るわけがない。 そこで、集落単位で保育所を作って、 そこで学ぶのも良いことになった。 しかし、極貧の村々の人々は、 自分の家すら小さな竹小屋で、 保育所なんか作る費用が集まらない。 下は奨学生の家族の家だが、 子どもたちが12人も住んでいる! そこで、保育所を管轄している福祉局から 「何とか、簡易保育所でも良いから MCLで建てられないか」 という、要請依頼が来て、 始めたのが、保育所支援だ。 すでに、70棟ほど建てたけれど、 契約では建てるまでがMCLの責任で、 その後の維持管理は、村に任せられる。 けれど、5年もたつと修理が必要になって来る。 しかし、極貧の村で修理が出来るわけもなく、 ほったらかしの保育所が増えた。 それを見ていたたまれず、 子どもたちの事を考えて、 2020年から、 保育所の修理もしていくことにした。 次に来たのが学校建設の要請だ! 保育所までは、日本からの個人寄付で 何とか建てられるものの、 学校までは無理。 そこで、JICAを通して、 日本政府のODAに提案して、 マカブアル村に続いてブアランに建設。 その後も、サパカンやマカブアルにも! gaku30 物的支援の難しさ 前回は、国際停戦監視団IMTに JICAから派遣されている、中川さんから 「どこに建てたら良いか、推薦して欲しい」 といわれて、 MCLの責任ではないが、 イスラム自治区下のカルボガン市の責任で、 サパカンに学校を建てた。 しかし、マニラの業者からの調査も無く 現地でも、 洪水を避けて避難するための場所としても 機能するように考えて設計した 床上げの技術が初めてで、 床上げした床に、ひびが入り始めた! 本来修復は、請け負った業者の責任で、 地方自治体が経費を出して、 修復の手はずを整えるはずなのだが、 そのような経費は無いという・・・ MCLとしては、 建設場所を提案した手前もあり、 MCLで独自に調査し 行政とMCLのエンジニアと話し合い、 修復を完了した。 長年現地で活動していると、 海外支援の良いところと並行して、 問題点をも見せつけられる事が多い。 公に言いにくいのだが、USAIDやEU、 日本のODAやフィリピン政府で建設した、 コミュニティーセンターなどの建物や橋が、 資材の盗用や技術の未熟で 建設途中でストップしたまま放置されていたり。 さらに多いのが、 現地の有力者の個人所有に なってしまっている例も多い。 MCLの保育所も、 建設後に個人の物にされてしまっていたり、 セメントなどの資材を横領されて、 建設が中途でストップしたり。 手抜き工事で、壊れたり・・・ 現地では、公的支援という物は、 金銭も含め関係した有力者の 懐を埋める物という考え方が常識で、 特に選挙前に行われる。 ただし、MCLの場合は、 その後のフォローも続けていくので 一目置かれているけれど 悲しい・・・ そういう経緯をいくつも見ているので、 今回コタバトで調印式があった カルボガンの小学校は、 サイン会を一年延ばして、 大統領選挙後に着工することにした。 この村では、 フィリピン政府が建設しようとした 校舎の一部も、 セメントで壁を作ったところで 屋根も張らずにストップしており、 反政府地域の複雑で難しい場所の一つだ。 MCLでは、完璧に校舎を作るために 現地出身のMCLのイスラム卒業生を 建設現場に常駐させ、 資材調達には、 イスラムのスタッフを 常に同行させることにした。 gaku31 支援というのは 支援というのは、 戦争の時の支援もそうだが、 「支援」という美名の元で入ってくるのは 良いのだけれど、 現地NGOに任せっきりにすると、 たいしたこともせずに支援金を得て 去っていくNGOも結構多い。 あるNGOでは、 日本からの支援団体の要請で、 学校の子どもたち全員に 色鉛筆を買って配布したけれど、 現地で見たのは、 24色の色鉛筆を買ってきて、 一本づつ子どもたちに渡しただけだった。 写真では、子ども一人に一箱の色鉛筆を わたしているのだけれど・・・ 特に、2002年のブッシュ政権時代の アメリカ軍による「テロリスト掃討作戦」時など NGOの見本市と呼ばれるほど 国道沿いに欧米のNGOが入りお店を出して、 テレビのカメラの前で 「これを買っていただければ、 利益が支援に回されます」 などと宣伝をしていたけれども、 周囲にいる子どもたちを中に入れて、 支援物資をわたすだけで、 ほとんど危険な外には出ずに、 やがて、イラク戦争が勃発すると、 次々に消えていった。 「こんなに避難民がまだ沢山いるのに なぜ、去っていくのですか」と聞くと 「もうミンダナオじゃない、イラク、イラク! ここにいても支援金は、落とされないしね!」 といって、あっという間にいなくなり、 コタバトの一つのNGOとMCLだけが残った。 当時のイギリスに本部を置く国際NGOも、 沢山井戸を掘ったけれど 数ヶ月後に、ほとんど壊れていた。 無経験のぼくには、 近著の「手をつなごうよ」(彩流社)にも 当時のことを書いたけれど、 支援活動に関する無知ゆえに? 支援というのは、体のいいビジネスで、 NGOというのは、 死体に集まる、ハゲタカのようだと思った。 その後、国際NGOには、 それなりの行動規範があることが 見えてきました。 それと並行して、MCLは、 蚤のように小さな現地NGOならではの 独自の活動をしていこう と考えるようになりました(笑) 私は、著者印税も講演の収入も、 MCLの子どもたちと一緒に 生きていくための経費にしています。 300人近い子たちやスタッフたちも すべてを分かち合う、 一つの家族ですから! NGOの資金も、 実際に携わっている方々から、 支援団体の本部のある国のスタッフの 給与が大変で6割から、 時には7割消えていくという。 現地NGOでは、この仕事は、 給料が良くて、 楽な仕事といわれている。 その話をきっかけにMCLでは、 日本事務局は、 送金を中心としたボランティアで、 日本で時に活動しなければならない、 私と梓さん(2022年度には奈々子さん) そして、妻でプレシデントのエープリルリンに、 日本に戻っても最低限の生活ができるように 月々6万円の給与が支払われることにした。 (2022年現在は、物価の上昇もあり10万) しかし、現地の給与も、 梓さんとエープリルリンには、 他のスタッフの中間ぐらいの 8000ペソ(一万六千円ほど)出して、 現地での生活が、できるようにした。 海外ボランティアの長かった梓さん曰く 「MCLは、現地では、食事、住居、年金、 医療、そして子供が生まれたら、 教育が大学まで保証されている。 そして、現地での給与の他、 日本の給与6万円(2022年より10万)は、 毎月使うことも無く貯蓄できる。 日本で働くと、貯蓄することだけでも大変よ! でもここは子ども達と毎日楽しいし、 本当に幸せ!」 gaku32 学校建設の記録から リグアサン湿原のカルボガン村は、 湿原地帯を舟で かなり行かねばならないと同時に、 戦争がくり返し勃発してきた 活動が、 最も困難な地域の一つだ! しかし、それだけに 村も極貧で取り残されており、 学校も戦闘で壁が破壊されたり、 竹壁と土の床で非常に粗末なものだった。 私たちも、 最初はこんな奥の地域にまで 行くとは思わなかったのだが、 読み語りや医療や奨学生の採用、 そして、保育所支援の噂が広がるにつれて、 しだいに、奥へ奥へと導かれ、 声がかかるようになってきた。 カルボガン村も、 最初は、読み語りで訪れて、 戦争で親が殺されたりして 学校にもいけない子たちを奨学生に採用! とりわけ、現地に置いておけない子たちは、 保護者と本人の希望で、 MCLの本部に来て見てもらったのちに、 本人が望めば、MCLに住むんで生活し、 近くの学校に通えるようにした。 (両親を失った下の子もお兄さんも 2020年には大学を卒業!妹は大学生!) カルボガン村からも、 最初は、7人ほどの奨学生を採用し、 数年後には、兄弟姉妹を含めて、 12人ほどが採用されて、 その中の7人ほどが、 本部に住むことになった。 奨学生の採用が、 その後の現地での活動展開に 大きな影響を与えるのは、 とりわけ、 MCLに住むようになった子たちが、 休みになるとふる里に帰り、 村人たちに、 MCLがどんなところで、 宗教や部族が違っていても いかに楽しく 幸せに生活できるかを語ることで、 村人たちの信用が高まることだ! しかもMCLは、 いったん関係を持った集落とは、 その後も読み語りで何度も訪れ、 医療を必要な子がいると、 手術までめんどうを見る! 「うちの村にもMCLが来てくれて良かった! 子どもたちも学校に行けるようになったし、 病気になっても、 あそこに行けば救ってくれる!」 しかし、その後現地を知るにつけて、 その村の子たちが通う学校が 壁は竹で、床は土で、 さらに銃痕跡があったり、 爆弾で破壊されかかっていたり・・・ ひどい状態なのがわかって、 私たちの方から、日本政府へ 学校建設支援をお願いした。 そして、本当にうれしいことに、 それが認められたのだ。 しかも、この地域は、 毎年最低でも5,6回は、 大規模な洪水に襲われる場所だ! 湿原の中なので丘陵地帯も無く、 洪水に襲われると、 避難する場所が無くなってしまう。 そこで、今回建設する学校は、 床を高くして、 洪水の避難場所になるように 設計することにした。 設計者は、パガルガン市が推薦した 信頼できる方で、 その方の見方では、 土台は土盛りにするのではなく、 鉄筋コンクリートで、 しっかりと足を付けて 水は、下を通り抜けるように した方が良いとことだった。 そして、村人たちからの要請もあり、 床は、ツルツルする塗装仕上げにしないで、 ラフなセメントのままで 残してほしいとの事だった。 そうしないと、 床が水で濡れると滑りやすくなって、 子どもたちが 危険だからということだ。 その後、早速建設が始まった。 土台が大切なので、 強い針金とセメントの柱で 絶えず設計者が指導して出来ていった。 gaku33 マニラ新聞の 記者が来られた! 建設が始まった カルボガン村の学校を取材しに マニラ新聞の記者が来られた! 護衛も万全を期すために、 役所はもとより、 現地の村長や村々にも 事前に話を付けておいた。 しっかりと 警備の民兵さんたちが、 鉄砲を持って護衛して下さった。 現地では、 政府側も反政府側にも 事前に報告が行き 両者で安全を確保してくれる・・・ しかも、何と 取材に来られたすみれ子さんは、 若い女性だったので驚いた。 湿原の川を下って、 カルボガン村に到着した。 かなり大手の新聞やメディアが、 取材を希望しながら、 危険度が高いがゆえに ストップしてきたことを考えると、 本当に来られたのにはビックリ! 村の人々を中心にして、 工事は、 着実に実行されて来ていた。 すみれ子さんは、 さらに現地の校舎も取材! 一時的に木材で建っている校舎と、 セメント壁の校舎も 中は床が剥げて土になっているのにビックリ! 度重なる戦争と洪水が原因! でも、子どもたちは 困難な中でも明るく元気に 学校に通っている。 校長先生にも取材し、 その後、 MCLの奨学生にも取材した。 下は、 今回の設計に関与した エンジニアの方。 gaku34 いよいよ壁が 出来上がっていく ミンダナオ子ども図書館の学校建設支援では、 建設が始まった後からが本番で、 その後もスタッフたちが、 出来る限り毎日のように、 建設が順調に行われているか! 資材は、ちゃんと届いているか! 技術その他に問題はないか! そうしたことをチェックしていく。 スタッフたちも、 近隣の集落から奨学生となり、 大学を卒業して、 MCLのスタッフになった子たちで、 危険度も含めて情報を持っている。 建設中に良く起こるのが、 資材の盗難や手抜き工事。 それを、 可能な限り防止するためだけれど・・・ また、 スカラシップの子の支援物資を届けたり、 医療などの調査も含めて、 スタッフたちが、 みんなで視察に来ることもある。 下の写真では、 村長も建設技師も同行している。 gaku35 屋根の建設へ向けて 資材を搬送! 土台が完成し、 いよいよ最後に、 屋根の設置に向けての工事が始まった。 外壁は、 すでにセメントで塗られた。 あとは、内壁を完成させることだ。 そして、いよいよ 屋根が設置されれば、 ペンキも塗られて、工事は完成性! 子どもたちも、 自分たちの学校が出来る その喜びを隠せない! gaku36 洪水が襲ってきた ミンダナオのイスラム地域には、 東南アジア最大の湿原と呼ばれている リグアサン湿原が広がっている。 ここには、 多くの魚類が生息しており、 巨大な鯉やナマズ、雷魚やフナや 7mを超えるウナギもいると聞いている。 驚くほどの魚介類に恵まれた地域で、 4000世帯を超える漁師さんたちが、 家族で湿原内の島や陸地沿いに 竹やヤシ材で家を建てて住んでいる。 移動は、小さな舟が普通。 しかし、子どもたちは、 時には頭に荷物を載せて泳いでわたったり、 水牛にまたがって湿原地帯を移動していく。 しかし、数十年前から この湿原地帯を 年に5,6回も 大洪水が襲うようになった。 現地は、それほど雨が降っていなくても、 上流の山岳地帯や 高原地帯に雨が降ると、 いっきにこの湿原に流れ込んでくるのが原因だ! その濁流の強さが半端ではない、 原因は、 上流地帯の原生林の伐採だという。 プランテーションの開発により、 原生林がことごとく切られてしまい、 保水力を失った大地を 雨水が疾走するのだ。 今回の洪水は、 建設中の カルボガンの小学校も襲った。 小学校は、洪水を避けて人々が避難できる 避難場所となるように、 床をあげて建設されているが、 今回の洪水は、 教室の内部にも多少流れ込んだ。 gaku37 滑らない工夫を しなければならない この状況を通して、 村人たちや村長さんから 提案が出来てきた。 それは、 教室の階段と室内のコンクリートの床を 普段ならば、 削り磨いて平らにした上に ペンキを塗って仕上げるのだけれど、 避難場所として、 また大雨が降ったりすると 湿原ゆえに教室内も水が入り、 床が滑りやすくなる。 そうなると、子どもたちも 滑ってひっくり返ったりして危険なので できれば床は、仕上げで磨かないで、 多少の凸凹があっても現状のまま ラフなコンクリートのまま 完成させてくれないかという事だった。 現地を知る設計技師や、 わたしもしばしば洪水難民救済支援で 学校に行くと、 教室やポーチの床がツルツル滑り、 こけそうになって 不安になる経験をしているので 村人や校長先生や村長さんの言う事が なっとくできた。 そこで、壁はペンキを塗るけれども、 床と階段はペンキを塗らず、 平らに仕上げるために 削ることもしないことにした。 ただ、滑らないために セメントラフで完成したが、 見た目がいまいちだ。 gaku38 家具を搬送 学校の外壁と 内壁の仕上げとペンキ塗り、 ミンダナオでは、珍しい、 水洗トイレも完了して、 黒板の設置も終わり、 教室内にイスや机が 運び込まれることになった。 しかし、道路もない湿原地帯では、 こうした家具も資材同様に、 舟に乗せて運び込む以外に 方法がない。 MCLのトラックに家具を載せて 村にできるだけ近くまで行っている 道路を走って 湿原沿いにまで運び、 MCLの奨学生や 現地の村の若者たちも手伝って、 岸辺から家具を舟に積みこんで 東南アジア最大の湿原 リグアサンから流れ出す、 プランギ河を下っていく。 到着すると、 子どもたちは、 待ってましたとばかりに大喜び! 自分たちも手伝って、 みんなでイスを 自分の教室に運び込む! 「こんな素敵な学校で、 勉強が出来るなんて夢みたい!」 ミンダナオ子ども図書館が提案し 日本政府のODA 「草の根・人間の安全保障無償資金」で イスラム自治区に建設された小学校! 下の左側にMCLのロゴが付いています! gaku39 カルボガン小学校の 最終チェック カルボガンは、 ARMM(イスラム自治区)のなかでも、 戦闘が多く 最もデリケートと言われていた地域だ。 東南アジア最大と言われている リグアサン湿原の 内部に位置していて 反政府ゲリラの巣窟と名指しされていた。 ミンダナオ子ども図書館(MCL)では、 2000年初期の戦争で 150万の避難民が出て、 3年近く実家に帰れない日々が続いたときから、 医療、読み語り、スカラシップ、 保育所建設支援を通して こうした最もデリケートな地域の子どもたちも助け 村の人々と繋がりを持ち活動し続けてきた。 今回は、 この地からの強い要望で建設を決めた 小学校の最終チェックをしに向かった。 MCLでは、この地から 親のいない子などを奨学生に採用し 本部にも数人住んで学校に通っている。 MCLの奨学生も一緒にふる里へ送りとどけた 冬休みに入るので、 その子もいっしょに舟で村まで送った。 下の男の子がその子。 日本の支援者から送られてきたジャケットを着て、 おみやげに、支援者の方々から送られてきた 古着などを持って故郷に。 親はいなくても、 やはりふる里は懐かしの我が家! ワニの出没する湿原を抜けて、 先端のカルボガン集落に着く。 子どもたちを送り届けた後、 私たちは、 建設が終了した学校に向かった。 ご覧のように、 校舎は床が底上げされている。 毎年数回おそってくる洪水。 そのたびに人々は、避難場所を探し回る。 今回の学校は、 授業を受ける場所であると同時に 洪水のさいの緊急避難場所として 活用できる場にするためだ。 サパカンでの学校のように、 土盛りでは無く、柱で底上げされているのは、 洪水でおそってくる水流を床下に流して、 家を倒す 水草などから 建造物を転倒崩壊から守るため。 gaku40 ラフなまま、 完成とされた教室? ミンダナオ子ども図書館のスタッフは、 ほぼ2週間に一度現地に行き、 作業の状況と流れを調査してきた。 実は、この地域は、 ODAでは 最も難しいと言われている地域で、 多くが、完成しないまま放置されたり、 完成しても、 コミュニティーセンターとして作られたものが、 現地の有力者によって 私物化したりしている。 資材の盗難は、日常茶飯事。 MCLでも、保育所建設で 同様の経験がいくつかある。 下は、材木置き場と化した保育所。 MCLでは、今まで2棟の学校を、 ピキット市サイドに建ててきたが、 つくづく、建物や物資の支援の難しさを 感じ続けてきた。 なかでも、今回のカルボガンは、 教育省が建てた学校すら 土台と壁がコンクリートで建てられた後に 屋根も無く、窓も無く、 そのまま現地に放置されている。 それでも、 現地の子どもたちが通う 小学校の状態や ひどさを見る度に放っておけず、 度重なる分離派とのリドー(戦闘)で、 取り残されたように 疲弊している地域の子どもたちを見て いたたまれず、 困難な地域の中でも、 和平構築に最も重要な地点として 支援活動を続けてきた。 今回も、2週間ごとのチェックを継続して 最終チェックを迎えたが 一つ気になっていたのは、 床がスムーズな仕上げをされていない事だった。 しかし、これは 資材の盗用や手抜きのせいではなく、 洪水時の避難場所として活かすためには、 床が濡れでも滑らないように、 多少凸凹があって見た目は悪くても、 ラフに仕上げてほしいという、 村長や校長をはじめとする 村人たちからの要請だった! しかし、 見た目を気にする日本政府としては、 受け入れられないのでは ないだろうか? gaku41 住民の意見と、 大使館の意見の 狭間に立たされ しかし、 床がラフのままで完成した写真を マニラの日本大使館に送ると、 予想したとおりに、 「これでは未完成ですね! 床をもっと平らに削って仕上げ、 ペンキを塗ってください!」 という、返事が返ってきた。 洪水で避難したとしても、 滑らないように、 ラフのままのセメント床にして、 ペンキは塗らないで欲しいという 現地からの要請を伝えたけれど、 大使館の理解は得られなかった! 現地の住民の意見と、 大使館の意見の狭間に立たされて 悩んだエンジニアが、 ダバオから建設会社の担当者を呼んで 最終的に出した結論が、 ラフな床に、 多少凸凹を残してもそのままに、 厚めのペンキを塗ることだった。 確かにペンキを塗ると、 見た目ははるかに良くなるが、 ただ、水分は吸収されにくいので、 むき出しの床よりは滑りやすい。 しかし、あえて床のデコボコは残ってあるし、 ペンキも厚めなので スムースな床よりは滑らないのだという。 gaku42 床をラフのままに して欲しいと、 提案したのは 最終的な仕上げを なぜラフなままにしたのかを、 現地の村長を始めとする村人にたずねると・・・ 意外な背景がわかってきた。 教室の床を、 ラフのままにして欲しいと、 エンジニアに提案したのは住民たち、 村長、村人、コミュニティーだった。 理由は、スムーズな床は滑りやすく、 子どもが転倒してケガをする。 とりわけ、 この建物の目的の一つが、 洪水の時の避難場所にも使うこと である事を考えると、 水や泥の多い湿原地帯では スムースな床は、 転倒の危険があって危ない! と言うものであった。 現地で、人々が話すのを聞いて、 私自身はすぐに納得した。 戦争避難民が大量に出て、その救済に行くと 多くの場合、学校内に大量に避難している。 学校の教室は、一般的には スムースと呼ばれる仕上げがなされていて、 先生に言われて、毎日のように子どもたちが、 ヤシの実の殻を半分に切ったものを 足で滑らしながら磨きをかけている。 しかし、正直に言って、 このような湿原地帯で、 しかも滑りのある泥の地面であるが故に 私自身も、教室に足を踏み入れたとたん、 何度か滑って転倒しそうになった経験を持つ。 それを思いだすと、 最も転倒を避けられるのは、 確かに村人やエンジニアが言うように、 むき出しのコンクリートのラフな床である。 むき出しだと、 吸水力もあって滑りにくい。 しかし、上記の写真で見てもわかるように、 いかにも不完全なままに放置された感じがする。 gaku43 ペンキを塗って そこで、相談を重ねて、 床を磨かないで、 ラフなままの床に 厚くペンキを塗ることにした。 ただし、下の写真のように、 階段だけは、 ペンキは塗らずに、 完全にラフなままに残されていた。 子どもたちが階段から滑り落ちて、 落差のある地面に転がり落ちたら 危ないからだ! ペンキも、 粘性のある厚手のペンキを使ったので、 他の学校のペンキよりも 多少赤いペンキを使わざるを得なかった。 仕上がりを見て、 校長、村長も村人たちも なっとくしたけれども、 大使館では気に入らないようだ。 gaku44 校長先生は、 仕上げになっとく 私自身ここから学んだことは、 やはり現地の住民の視点に立たないと なかなか深層までは、 理解できないという事。 そして、現地の住民との率直な意見交換が 出来るようになるためには、 現地の人々との壁を取り去った信頼関係が、 長年の交流によって作られていないと 不信感が先に立ってしまうという 自身を交えての反省事項だった。 支援する側とされる側が 同じ目線に立てる場所が 住民との友情 そして、子どもたちへの愛だ。 今回のこの学校は、 この湿原地域に最適な建物のモデルになるだろう。 今後もこうした学校を、 子どもたちのために建てていきたい。 gaku45 サダムと せかいいち大きなワニ 私が文を書き、 ダバオの画家ペレスさん描いた絵本 「サダムとせかいいち大きなワニ」(今人社) に出てくる主人公のサダムとノルミアは、 ここの村の出身の子たち。 (二人とも奨学生でした!) 父親が戦争で殺されて、 学校を止めて漁師をしながら 母さんと妹たちを助けている少年と、 隣で学校に行けている幼なじみの少女。 しかし、洪水が起こって 家がながされそうになり、 勇敢な少年は、水牛にまたがって、 母親と妹たちと、 さらに 隣で助けを求めている 幼なじみの少女の家族を助け、 濁流の中を 必死で避難場所の学校に向かいます! 村人たちが避難している学校が、 見えてきた! この学校が、 今回、私たちが提案して 日本政府がカルボガンに建てた学校なのです! ところが、サダムたちが崖を登って 学校に避難しようとしたとき、 とつぜん後ろから、 世界一大きなワニが、 水牛に襲いかかってきたのです! 「みんな来てー!水牛君を助けてあげてー!」 そして、みんなの力で 水牛を土手の上にひっぱり上げました! 「ばんざーい、やったーーー!」 「みんなで 力を あわせれば、 なにがあっても こわくない! gaku46 事実、 世界一大きなワニは 事実、 世界一大きなワニは、 ミンダナオのリグアサン湿原に住んでいると ギネスブックに書かれています。 実際のワニは、 ダバオで飼われていたのが、 7mある世界一大きなワニ! しかし、 リグアサン湿原には、 はるかに巨大な8mを超えるワニが、 住んでいると言われています。 しかし、この地域一帯は、 高度な危険地域なので、 調査はされたことが無いそうです。 見たことのある人は、たくさん居るのですが! 私も一度だけ、橋の下を 大きなワニが泳いでいるのを 見たことがありますよ! 絵本「サダムとせかいいち大きなワニ」は、 まさにこのミンダナオにある 東南アジア最大の湿原が舞台です! リグアサン湿原と 日本政府のODAで作られた学校も出てきます。 日本の子たちが、 小さいときにこの絵本読んでもらって、 イスラム教徒に対する 偏見が広がっているときだけに、 イスラムの子たちって、 たくさんいい子たちがいるんだよ! そんな気持ちを失わずに、 大人になってほしくて、 「サダムとせかいいち大きなワニ」を書きました! お楽しみに! |
現地日本人スタッフによる、 写真を交えた最新の活動報告です! |
ミンダナオ子ども図書館 若者の友情:日記 訪問等でMCLと出会った若者たちの想いです! |
松居友による活動報告および 製作映像や想いを載せた自由日記です! |
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