カナン風俗点描・カナンの絵画


 カナンにおける絵師の立場と言うのは決して低いものではない。特に宮廷お抱えの絵師ともなれば、その権勢はなまなまか官人の及ぶところではない。というよりも、ハンムー等文化の程度の高い国にあっては、一通りの書画を修めぬうちは一人前の貴族としては認められないのだ。多くの貴族を弟子に持つ絵師が政治を壟断した例すらある。
 民間でも、人口の多くを占める文盲の者のために絵図が盛んに用いられ、絵師の需要は高い。地方地方を旅して回る紙芝居師たちも、技術はどうあれ量産画家としての側面をもっている。ここではそんな絵師たちの中から、特に高名な二人の男を紹介することにしよう。
 まずはドゴンドッチのルミナスの話。四つの頃から神童と讃えられた彼の画才は、イナにその尋常ならざることを愛されたとも言い、特に肖像画に長じ、十一歳の頃にはハンムー王宮に召され、並み居る古株たちを尻目に筆頭絵師に任ぜられた。公達も姫君も、ルミナスに多大な贈物をしてより美しく描かれることを願い、彼の屋敷が金銀宝玉に埋もれることもしばしばであった。彼の描く肖像は、描かれた本人よりも本人に似ているとされたのである。万が一、ルミナスの気まぐれで醜く描かれた肖像が他人の目に触れれば、それは本人が「醜い」ことになってしまうのだ。
 同僚の絵師たちの中にはそんな彼を妬み、憎む者もいないではなかったが、ルミナスは巧みに権力者に取り入って敵対者の口を封じてきた。最初は保身のために権力に擦り寄ったルミナスであったが、やがて不遜の企てを抱くようになったのも自然の流れ。時の国王の庇護のもと、宰相すらも凌ぐ権力を握ったルミナスは、ハンムー一国を好きなように切り回すことを望んだ。しかしこと宮廷内の暗闘となっては本職の貴族たちにかなうはずもない。ルミナスは王に対して不敬があったとされ、やがてあっけないほど簡単に宮廷を追われ、その最期も知られていない。しかしその腕は伝説となり、今でもドゴン地方にはルミナスの画法を継ぐと称する絵師たちの流れが残っている。
 さてもう一人はかつての大国クリルズイルが生んだ風景画の大家ウラァ。若い頃は傭兵として戦場に身を投じたこともあるという、絵師としては一風変わった経歴を持つ彼は、希代の人間嫌い、偏屈者としても有名であるが、その後半生を大冒険画家として送ったのはそれ以上によく知られている。危険な東部大密林に棲む蛮族の集落や、カナン海に浮かぶ島嶼を訪ねて廻り、その地の風俗を絹布の上に描き残したのである。しかし彼の事跡はそれのみではない。ウラァがカナンに残した最大の恩恵は、冒険した先々の詳細な絵地図を製作したことであった。ウラァの冒険旅行によって、それまでは口碑伝承にのみ登場していた土地が一体カナンのどこに位置するのかを特定することができるようになったのである。
 ウラァは冒険を重ねる中で鳥の神バサンと親しくなり、その猛禽の視力を分け与えられたと伝えられている。ウラァの目は対象物との距離を誤ることなく捉え、それによって初めて訪れる場所であっても道に迷うことがなかった。彼の描く絵地図も、それまでの距離感のあいまいなものと比べて格段に正確さを増しており、旅に赴く者たちにとっての福音となったことは言うまでもない。また画中に奥行きをもたせるという描画法を考案したのもウラァである。彼はバサン神と長い問答の末、より生き生きとした風景を絹布のうちに取り込むために遠近法を考え出したと言われている。風景画を手掛ける者たちの間に伝えられる「ウラァの目」の技は、実際に彼が編み出したものであるかどうかは定かではないが、彼の視力にあやかろうとする絵師たちの願いがその名に込められているのは間違いないことである。


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