■コレルの森・野営地 天幕の中。二人の男が向かい合って座っている。 「この戦いで決着をつける」 クトルトルの精鋭を率いる、当主のヘクトールとその副将を務めるレンセルであった。 「雨季の最中であったならな、ネタニ川の流れは今より早かったはずだ。もう一日は早く着けたかも知れない」 「まぁ、そう焦るな。ヘクトール」 レンセルがなだめるように言う。 「今は鋭気を養え。聖都に着いてからだぞ。暴れるのは」 ■河畔にて 駐屯中のハンムーを出て幾日経ったであろう。王命を待たず、配下の全軍を率い、ある限りの兵糧を持ち出して来たのである。王が彼を追わせているのならば、その使者はとうに着いているはずであった。 が、問責の使者は来ない。つまりは、王がこの行動を黙認した、ということになるのであろうか。 「ソイウィル将軍、このままネタニ川を遡れば、明日にはコレルの森に入ります。森に入れば近辺に集落も無く、補給も困難になりましょう。本日はこの辺りにて野営地を探されては?」 「よし。全軍に触れを出せ。進軍を停止し、野営の準備にかかれとな。それから斥候隊を普段の倍は出しておけ。森を根城にする流賊どもに気を付けさせろ」 「はっ」 伝令の騎馬が、弓兵と騎兵の進む河畔を走り回り、水上を行く水兵と荷駄を積んだ筏のために狼煙が上げられる。 * * 「申し上げます!」 将軍の天幕。斥候に出ていた士官の一人が戻って来た。 「どうした?」 「コレル森の外れに、軍勢らしき人数が野営しておりました。その数千から二千程度」 「流賊にしては数が多いな」 「おそらくは、ヴラスウルの正規軍か、それに準ずる部隊かと思われます」 「なに」 ソイウィルの目が冷たく光る。 「いかがいたしましょう?」 「そうか‥‥だとすれば、ウラナングに向かう途中だな。やりすごすのが最良だろうが、こちらは大軍だ。そう軽々とは動けん。よし、翌朝その軍勢が森を出たところで包囲できるように伏兵だ。弓兵は左右から、水兵は沖から遠矢で援護させる。奴らの荷駄の筏があれば、それを奪え」 「はっ。早速に伝えまする」 ■奇襲 翌日。密林を貫いて流れるネタニ川の河原。ヘクトールの命令一下、ヴラスウル辺境軍一千四百の兵が進軍を開始した。補給物資を積んだ筏が川面を行く。 「コレルの森ももうすぐ抜けるな」 ヘクトールが馬首を並べて進むレンセルに声をかける。 「ああ。ようやく半分だ」 そして、森の切れ目。 「ヘクトール様!」 先行していた騎馬の兵が、中軍まで大慌ての様相で駆け戻って来た。 「どうした?」 兵が驚愕の表情を張り付かせて叫ぶ。 「も、森の外に、伏兵が! およそ五千から六千!」 「な、なに!?」 「どこの軍だ? クンカァンか?」 レンセルが冷静に尋ねる。 「そ、それが、青衣を着ている者が多く、おそらくはヴォジクの正規軍かと思われます」 「ヴォジク!?」 さすがのレンセルも驚きの声をあげる。 「なぜだ? なぜヴォジク兵が! ここはカヤクタナ領だぞ!」 「し、臣には判りかねます。ヘクトール様、いかがいたしましょう?」 「突破‥‥できるか?」 レンセルが首を左右に振る。 「できない話ではないだろうが、討ち減らされた残兵がウラナングに辿り着いたところで、何もできまい」 「‥‥退くしかないのか!」 ヘクトールが悔しげに唇を噛む。 前方から喚声。戦端が開かれたのであろう。 「ヘクトール! 兵をまとめろ!」 ■今回の戦備 [ヴォジク正規軍] 第1騎兵部隊(ソイウィル) 第2騎兵部隊 第3騎兵部隊 第1水兵部隊 第2水兵部隊 第1弓兵部隊 第2弓兵部隊 第3弓兵部隊 [ヴラスウル辺境軍] 歩兵部隊(ヘクトール) 第1騎兵部隊(レンセル) 第2騎兵部隊 第3騎兵部隊 第4騎兵部隊 ■屍山血河 「かかれ!」 ソイウィルの手が振り下ろされる。 途端、左右に展開した弓兵が、ヴラスウル兵に向かって引き絞った弓弦を離す。雨あられと降りそそぐ矢に、ばたばたと兵たちが倒れる。脆くも崩れたった先頭の歩兵集団に向かって、ソイウィル将軍自ら率いるヴォジク騎兵が突っ込んだ。 「いかん!」 中軍から、潰走しかける歩兵を掻き分けるようにレンセル麾下の辺境軍騎兵が走り出ようとする。 「レンセル!」 「ヘクトール、お前は逃げろ。俺が死んだところで誰も困りはしないが、お前は違う。待ってくれている人もいるんだろう?」 「しかし!」 「早く行け! 完全に包囲されたらどうにもならんぞ。ジュッタロッタとセイロにも変事を伝えるんだ!」 「‥‥済まん!」 ヘクトールが、崩れかけた兵をまとめるため、必死に叱咤する。 川からも悲鳴が聞こえた。水面を自在に動き回るヴォジクの筏が辺境軍の荷駄の筏に漕ぎ寄せ、荒くれた海賊あがりの兵士たちが抜き身の刀を振り回して斬り込んで行く。 「行くぞ! 当主を逃すための時間稼ぎだ! 累代の恩はこの戦で返せ!」 レンセルがそう叫び、右目の眼帯を引きちぎる。その下から現れたのは、妖しく色を変える魔の瞳。 「かかれ!!」 レンセルが愛槍グレイバルを振りかざし、突撃を命じた。 ■邂逅 「敵の主将は!?」 混戦の中、レンセルが群がる敵兵を槍で薙ぎなぎ払いつつ、馬上で伸び上がる。 「奴か!」 戦棒を小脇に抱え、騎兵を指揮する敵将の姿。 (‥‥?) 見覚えがある、気がする。 「ええぃ! 散れ! 邪魔をするな!」 レンセルが馬に鞭をくれ、配下の兵を率いて前進する。 「奴の部隊を崩せ! あいつが指揮官だ!」 槍を突き出し、襲い掛かってくる敵兵に、ソイウィルも気づいた。 「小癪な! 迎え撃て!」 青衣と赤衣の騎兵たちが入り交じる。一騎づつの力はほぼ互角であろう。 「我らにベクェイクトの加護あり! 辺境軍の名を辱めるな!」 レンセルが突き掛かって来たソイウィルの護衛兵の槍を躱し、馬を寄せる。 「ソイウィル! やはりお前か!」 「‥‥レンセル。久しぶりだな」 「なぜだ! なぜ我らと兵を交える!」 「ふん!」 ソイウィルがそれには答えず、馬腹を足で絞り、大きく振りかぶった棒を打ち下ろす。 「‥‥っ!」 紙一重でそれを避けたレンセルが、体勢を立て直して槍をしごく。 「ならば、遠慮せずに行くぞ!」 「来い! 俺の戦棒の冴え、見せてやろう」 「ほざくな! イシュの加護あるカガトの槍、受けよ!」 気合いとともに、レンセルの角度を変えた二段突きがソイウィルの首筋を狙って伸びる。 「はぁぁっ!」 ソイウィルの棒がその槍に絡む。 「はまったな、レンセル!」 「‥‥!」 棒一本のはずである。しかしレンセルが槍を引こうとしても、ソイウィルの棒はそれに巧妙にまとわりつき、力を奪ってゆく。膂力で勝るソイウィルが、ぐいぐいとレンセルの槍を抑え込む。 「たかが棒きれと甘くみたか? こういう具合の技も無ければな、棒使いが戦場なんかにゃ出て来ないぜ」 「副将殿をお助けしろ!」 「おおぉっ!」 ヴラスウルの騎兵が喚声をあげて殺到する。気がつけば、ソイウィルはヴラスウル軍の騎兵に足留めされたヴォジク騎兵から孤立し、敵軍に包囲されていた。 「ここまでだ! レンセル!」 ばっと勢いをつけて槍を外したソイウィルの棒が、彼の手元に吸い込まれるように消えた。次の瞬間、先ほどのレンセルの突きに勝るとも劣らぬ速度で棒が繰り出される。 右肩に、信じられない衝撃。思わず、レンセルが槍を取り落とす。師父に槍を学んで以来、初めて受ける恥辱であった。 「どけ!」 それを尻目に、ソイウィルが棒を振り回しつつ騎兵の群れに突っ込む。 「頭骸をかち割られたい奴、出ろ!」 ソイウィルが怒鳴りつけると、敢えて斬り掛かろうする者は出て来なかった。 「はぁーっ!」 鞭を入れられたソイウィルの馬が兵の切れ目を走り抜け、ヴォジク騎兵に合流する。 「俺の腕が‥‥奴に劣るというのか!」 普段はひどく冷静なレンセルの額に、珍しく青筋が浮かんでいた。 「副将殿! もはや保ち堪えられませぬ! こうなっては我らの務めは当主様をお守りすることのみ!」 クトルトル家譜代の者なのであろう、年嵩の騎兵がレンセルに呼びかけた。はっと我に返ったレンセルが言う。 「‥‥判った。追撃を食い止めつつ、退くぞ!」 * * 「将軍! 御無事で!」 包囲を抜け出たソイウィルを、ヴォジク騎兵が守るように取り囲む。 「大した槍だ。戦神の加護だったかも知れんな」 ソイウィルが、汗を拭いつつ呟いた。 「将軍、されど大勢は決してございます。敵軍は敗走中、追撃はいかがいたしましょう?」 「森に逃げ込まれては大軍のほうがは動きにくいだろう。無理な深追いは避け、それよりも予定通りの進軍を心掛けろ。判ったか」 「はっ」 ■ヴラスウル・クタ北方 敗走から数日。討ち減らされた辺境軍が、ようやくコレルの森を抜けてヴラスウル領内に逃げ込んだ。 「ヘクトール殿!」 百騎ほどの兵を率いたクタ太守が、彼らを出迎える。 「御使者の口上、聞きましたぞ。ヴォジクの兵と一戦交えられたとのこと。お怪我は?」 「‥‥私は無事だが、副将のレンセルの消息が判らない。それにしても、面目無い。このような姿を見せることになろうとは‥‥」 「クールーと戦えばイシュも常に勝てるとは限りませぬ。五倍近い大軍の奇襲を受ければ、いかな名将といえど戦らしい戦にはできますまいぞ」 「心配は、ヴォジク軍の狙いだ。ジュッタロッタにも使者を立てたが、間に合うかどうか」 「念の為と思い、このクタよりも使者を出してござる」 「かたじけない‥‥。兵たちを休ませてやってくれ」 * * 翌々日。二百に満たない騎兵を引き連れたレンセルが、クタ城に辿り着いた。河原を進むヴォジク軍の足留めのため、数度の夜襲を行ったという。 「無事で、何よりだ。すぐにセイロに知らせる」 そう言って出迎えた親友に向かって、レンセルが言う。 「‥‥ヘクトール。ヴォジクの主将が判った。覚えているか。棒使いのソイウィルという男を」 「ソイウィル? ジュグラにいた、あの男が?」 「そうだ。奴だ。ヴォジクで将軍に取り立てられたという噂は耳にしていたが‥‥」 ■上陸 ジュッタロッタの北西。ネタニ川から上陸した水兵と合流したヴォジク軍が、歩を進める。 「あれだな」 馬上のソイウィルが、ジュッタロッタの都城を眺めた。 「‥‥?」 一瞬、その眉が曇る。 「なんだ、この城壁は?」 厳然と聳え立つその城壁は、ムチリジノトル、ウラナング、ハンムーといった都を囲む木造のものとは全く様相が違う。堅固そのものといった印象を与える石組が、彼らの前に立ちはだかっているのだ。 「将軍、これは‥‥?」 「石か、石の城壁なのか?」 部下の将兵たちも口々に驚きの声をあげる。 ジュッタロッタの城門は、当然堅く閉ざされている。城壁の上で動いているのは、哨戒兵たちの姿であろう。 「将軍!」 斥候に出ていた騎兵が駆け戻って来る。 「大火があったと聞いていた東門付近ですが、城壁にはまるで損壊した部分が見当たりません!」 ソイウィルが舌打ちをする。 「石造ではな、仕方があるまい」 「将軍」 部下たちが彼の言葉を待つ。 「補給物資は余分に有る。問題は籠城している敵の兵数だ。攻め潰せる数なのか‥‥」 「降伏を呼びかける使者は、どうしましょうか?」 「‥‥これだけの堅城を擁しているのではな、やすやすと降るとは思えん。出すだけ無駄だろう。使者に立った兵が殺されるまでだ」 ソイウィルが腕を組む。 「申し上げます」 近隣の集落を偵察に出ていた兵が報告する。 「田畑は既に刈り取られ、住民の姿も見当たりません。おそらくは城内に収容されたものと思われます」 「そうか‥‥」 一旦黙り込んだソイウィルが、再び口を開く。 「コレルで蹴散らした兵が一千強。ヴラスウル全軍の動員力は八千そこそこだ。城内にどれほどいるか‥‥。ともかく、この城壁がある限り力押しは無理だろう。包囲か、奇策か。どちらかだな」 |