第9回 C-1 首都ジュッタロッタ


◆王宮・女王の寝室
 気配。
「しっ」
 寝台の上の起き出した影を、もう一人の影が制する。
「お別れに‥‥参りました」
「‥‥」
「無位無官の身にて、無礼なるお目通りをいたします。しかし、これだけはお伝えせねばならないと思いまして」
 若い男の声。
「臣が陛下のため良かれと思ってした事が、逆に陛下をお悩ませしていたとは不忠の極み。伏してお許しを請います」
「‥‥用件は」
 寝台の上。少女の声。
「この度の一連の大乱は、すべてセモネンド王ソジ・ハトラの愚挙に由来するもの。同じハトラの血を引く者として、お詫び申し上げます。その大乱もクンカァンの狂王の戦死により遠からず収束いたすことと存じます。我が陛下におかれましては、これよりヴラスウルの復興のため大いにその手腕を揮われることと拝察申し上げますが、臣の微力をそのために用いていただけぬこと、我が身より出た錆とはいえ心残りでなりません」
 少女は無言である。
「‥‥臣は、これより発ちます。されど国を離れたとて常に陛下に忠実でありましょう。異国にて、陛下のため尽力する所存」
 若い男の影が、少女に背を向ける。
「では、これにて。ヴラスウルに栄え有らんこと、祈っております」
 少女が、口を開く。立ち去ろうとする男の背に向け、届くか届かないかの小声で呟いた。
「‥‥身体に、気を付けなさい。いつか帰参を許すこともあるかも知れません。‥‥それまでは」
     *      *
 寝室を滑るように抜け出た影が、王宮の暗闇を足早に抜けてゆく。
 内庭。ケセラが刈り取った跡には、今のところ再びあの魔花が生え出す気配はない。
 ぴたりと足を止めた男の影が、王の寝室のある石造りの棟を振り返る。
「マウカリカ‥‥すまん。ミカニカ様を頼む‥‥」
 懐を探っていた手が、一本の横笛を取り出し、吹口を唇に寄せる。
 静かに、旋律が流れる。
 近衛兵の兵舎の窓。その旋律に応ずるように、もう一本の笛の音。
     *      *
 兵舎の窓から外を見つめてていた、もう一人の男が、庭からの音色が途絶えたのに気づいて笛を唇から離した。
「‥‥奴には、いつも先を越される。私はもう少し、道化を演じよう」
 赤毛の男が、ぽつりと呟いた。

◆ジュッタロッタ城市西方
「進軍!」
 号令一下、整然と歩を進めてゆくのはヘクトール・クトルトル麾下の辺境軍である。当主自ら率いる歩兵一千、副将レンセル・カガトの預かる騎馬勢四百が、聖都奪還の先陣として出立する。
 国祖ファトレオが、建国後の最初の事業として手掛けた石造の城壁の上で、ミカニカ以下の王族と重臣たち、そして護衛の近衛兵たちがその歩みを見送っている。
 貧しい貧しいと言われるヴラスウルではあったが、この石組みの城壁だけは諸国の首都に引けを取らない。いや、それどころかその堅牢さは他に例を見ないほどのものである。ハンムーの都城壁にも石造りの部分は有るが、都市全体をぐるりと巡るまでには至っていない。
 思えば、先に薨去した摂政クテロップがファトレオに見出されたのもこの築城工事であった。作業に従事する住民の動員に手腕を発揮したことが評価され、以後ヴラスウルに無くてはならない行政官、ファトレオ王の若き右腕と呼ばれるに至った。そして次代メグーサイ王の治世下には、門閥以外からの叩き上げの宰相として王と国民の信頼を一身に集めたのである。
 ヴラスウルにとっては、言うならば運命的な建造物であったろうか。

■王宮・女王の私室
「流民、難民を周辺の街へですか」
 女王を前にして、ケセラとマウカリカが復興策の進言中であった。
「重臣たちの領地に応じて、という形でも良いでしょう。最初は移住のための費用が負担となりましょうが、国が一部を負担すると言って納得させましょう。長期的に見れば領民が増え、彼らの利益にも繋がるのですから」
 武人であるケセラにはあまり期待していなかった風の女王であったが、ケセラが申し述べ始めた案には説得力があった。女王は幾度かうなずきながら聞いている。
 負けてはならじとばかりにマウカリカも用意して来た計画書を卓の上に開き、熱弁した。
「ジュッタロッタ復興のためには、人手が必要になりますよね。近場の村からだったら働きに来れると思います。焼け出されたり、戦争から逃げて来た人は仕事が無くて困ってましたけど、そういう人たちも工事現場なんかで働くことができます。それから、焼けてしまった東地区ですが、神殿街と邸宅街の再建の際には、ネタニ川から水路を引きましょう。火災に対する備えになるとともに、ネタニ川の神ヘズベス様の御加護を得られると思います。大路には街路樹を植えて‥‥」
 ミカニカが微笑してその発言を遮る。
「面白い案ですが、随分時間がかかりますね。老臣たちはその屋敷に入れるかどうか判りませんよ。ランハドゥは長生きの家系ですから大丈夫でしょうけど」
 マウカリカが心の内で安堵の吐息をつく。冗談を言えるくらいなら、女王は大分回復しているのであろう。
「いいですか、陛下?」
 まだ何事か述べたそうなマウカリカが尋ねる。
「‥‥貧民街なんですが、やっぱり完全に整理して、別に長屋を下賜しましょう。護民兵を預かってみて判ったのですが、やっぱりあの辺りではいざこざが多くて。みんなまっとうな職に就ければ、貧民街はいらなくなると思います。」
「マウカリカ」
「はい?」
「あなたと一緒に働いているフルハラングですが、彼が不自由しますよ」
「え?」
 不審げな表情を浮かべるマウカリカに構わず、さっと女王が立ち上がる。
「この計画書は、預かっておきます。この通りとはいかないかも知れませんが、大いに参考になるでしょう。長い話になるのは当然ですが‥‥何よりもその監督を任せうる文官たちを揃えなくてはなりません。今の所は志願してきたアッカーンに担当させていますが、一人ではできることも限られていますからね。それからケセラ、あなたの案によって私も考えがまとまりました。移住の事は早々に進めさせます」
     *      *
「失礼いたします」
 ルヴァナが深々と頭を下げ、入室する。その後ろに二人の男女が続く。男は一通の書状の様なものを、の方は鎧匱を大事そうに抱えて持っている。
「‥‥あなたの設けた孤児院も、焼けてしまったと聞いています。残念なことでしたね」
 椅子に腰掛けた女王が向き直り、しかしあまり表情を変えずに声をかける。
「はい‥‥。今は当家の別邸にて子供たちを移しています。が、あまりに手狭のため、お願いに参上しました」
 ルヴァナが後ろを振り向き、緊張した面持ちで立っている男を紹介する。
「“眉引きの”シーッツァという、私の友人です。ラハリクの流れを引き継ぐ宮大工で、以前より力になってもらっています」
「シーッツァ、ですか」
 女王が視線を移す。
「お目にかかることができやして、光栄でございやす」
 シーッツァがぺこんと頭を下げる。
「ルヴァナさんと一緒に、神殿街と孤児院を建て直すつもりでおりやす。何とぞ陛下からもお力添えを願いてぇんでさ。働いてくれる大工を百人、すでに集めてありやす。こいつぁその計画書で」
「百人」
 女王が感心したように言い、シーッツァの差し出す書状を広げる。文盲(※)のシーッツァのためにルヴァナが清書したのであろう。王宮内の学問所でともに学んだ時期のある女王にとっては、懐かしい文字である。
「ルヴァナ」
 書状に目を落としていた女王が顔を上げる。
「はい」
「私の方からも、あなたを呼ぶつもりでした。頼みたいことがあります」
「何でございましょう」
「神殿は、神殿として。孤児院は孤児院として別個に建てなさい。そのための土地は、市内に与えます。‥‥その孤児院に付設して学問所を建て、あなたに主宰して貰いたいのです」
「学問所‥‥ですか?」
「孤児だけでなく、商家や農民の子など、習いたいという者に読み書きを授けなさい。見込みのありそうな子供には、その親に名目だけでも王臣の資格を与え、王宮の学問所で学ばせようと思います」
 女王がルヴァナとシーッツァの顔を交互に見つめる。
「クテロップが死んでよく判りました。我が臣下の者たちは、任せられた仕事はよくこなしてくれています。しかし摂政のように外戚や門閥の出の者をも抑え得る臣下のたばねと呼べる者、私を補佐し、私の手の届かない所に手を伸ばしてくれる者、そういった者はまだ見当たらないのです。私は摂政の働きを見、わずかですが学ぶことがありましたが、私の代がいつまで続くかは判りません。次に立つ王にとってのクテロップを、用意しておきたいのです」
「‥‥なるほど」
「マウカリカが言ってきました。貧民街を整理し、長屋を建ててそこにもとの住民を入れよと。しかし貧民街というものは、当然ですが作ろうと思って作るものではなく、無くそうと思って無くせるものでもないと考えます。貧民が一人もいない国‥‥それは理想でしょうが、今は到底無理な話です。あなたたちのように現実を見て、綻びを繕ってくれる者が必要なのです」
「承知いたしました。陛下の仰せとあれば、力を尽くしましょう」
「土地の場所が決まれば、使いを出します。長い工事に、いえ、学問所のことはもっと気の長いことになるでしょうが、宜しく頼みます。長い話になればこそ、老臣たちでなく、若いあなたたちにお願いするのです」
「はっ」
「謹んで、承りやす」
 ルヴァナとシーッツァが頭を下げる。鎧匱を抱えていた女が、一緒に頭を下げるものかどうか戸惑ったような表情を浮かべる。
「あなたが‥‥“朱の気吹”、ンパラナですね」
「預った具足、仕上がったんで持って来たんでさ」
「ンパラナ。言葉遣いに気を付けてくれないか」
 ぶっきらぼうな口調で言う彼女を、ルヴァナがたしなめる。
「仕事だからな。まぁ悪いできじゃねぇはずだぜ。注文通り、な」
 それを一向に意に介した風でもなく、ンパラナが言う。
「苦労でした。‥‥ここで、見せて貰えますか?」
「構わねぇよ」
 卓の上にドンと鎧匱を据えると、ンパラナが紐を解く。上蓋をのけ、具足を取り出す。
「見事です」
 ミカニカの目が具足に惹きつけられる。シーッツァの、分野は違うとはいえ同じ職人の目から見ても、感嘆するに足る仕上がりであった。
 革の部分は、むらなくヴラスウルの国色である鮮やかな赤色に染め上げられ、金糸銀糸の輝きもまばゆい。鉄の小札も、緩みなく胴に縫いつけられ、磨き直された鍍金の艶も真新しい。
「まぁ、色々とあったようだがよ、あんたはこの国にゃ大事な人なんだ。‥‥この具足を着なくちゃならん時もあるかも知れねぇが、その時はきっと国が立ちゆくかどうかって時だ。あんたが一番踏ん張らなくちゃならねぇ時ってことだな。こいつを着るときは、そのことを思い出してくれや。」
「‥‥判りました。覚えておきます」
 ンパラナが、女王のその言葉に大きくうなずいた。

■ジュッタロッタ・市場
「ンナカーの祠だぁ?」
「そうだ。何でもいい、聞いたことはないか?」
「‥‥そうさなぁ。ま、これは人づてに聞いた話だがよ」
「うむ」
「もとのテガーナの国、今はクンカァンになっちまってるんだろうけどよ、その国のどこだかにな、なんだか随分古い祠が有ったってことだ」
「なるほど」
「でもよ、罰当たりにもそいつをぶっ壊した連中がいたんだとよ。そしたら、その中からなんだかわけの判らんもんが飛び出て来て、そいつが闇を広げたってことだぜ」
「本当なのか?」
「さぁなぁ。俺に聞かれても」
「‥‥まあいい。それから、その祠には色々と武器が納めてあったってことなんだが、その武器がどこに行ったかはどうだ? まだその祠の中にあるのか?」
「知らねぇなぁ。まぁ祠がぶっ壊されたんなら、そのぶっ壊した連中が持ってったんじゃねぇのか?」
「‥‥」
「でもな、この前死んだっていうクルグラン、あいつが闇の奥深くから持ち出したって武器のことならな、知らんこともないぜ」
「それは」
「おっと。声が大きい。何を隠そう、ここにな、こうして並べてあるのがそれだぜ。兄さんにだったら特別に安く譲ってやろう。どうだい? それからな、こいつはクルグランの頭蓋骨だ。見てくれよこのでかいことでかいこと。俺の頭がまるごと入っちまうぜ。それからこっちはクルグランと一緒に死んだマセなんとかいう奴の腰の骨、あそこに吊るしてあるのがブレギンリの干し肝だ。あっちのほうによく効くぜ。ひひひ」
「‥‥‥‥」
「おい、兄さん、どこ行くんだよ! 安くしとくってばよ! おーい!」
     *      *
「護衛で、ございますか‥‥うーん、呪人の方を‥‥」
 酒商人らしい男と掛け合っているのは、イルイラムであった。
「役に立つぞ」
「‥‥いや‥‥護衛には‥‥やはり傭兵の方でありますとか、そういう力持ちの方でありませんと。荷の積み下ろしも仕事のうちでございますよ」
「‥‥そうか」
「護衛よりも、お願いしたいことがあるのですよ。呪人の方々には」
「何かな?」
「さるお役人の方に頼まれまして、酒を輸出することになったのです。しかしいささか仕込みの期間が短うございまして、味にうるさいお方には物足りないできなのでございますよ」
「で?」
「まじないのお力で、なんとか良い風味を付けていただく、と。そういうわけには参りませんか?」
「ほう。その程度ならばできないことではない」
「おお、ありがたい。結構な量がございますが、大丈夫でございましょうか?」
「イーバの呪人たちが総出でやってやろう。心配無い」
「これは心強い。では、よろしくお願いいたします」

■娼館街
 嬌声。管弦の音色。ジュッタロッタのどこか田舎臭い色街も、ようやく賑わいを取り戻しつつあった。そんな妓院の一つ。片腕の男が、格子戸の向こうでしなを作る女たちに下卑た声をかけつつ、今夜の相手を物色していた。
「右手がねぇと独りでやんのにも不自由なんでね。ねえさん、どうだい?」
「御指名? 嬉しいわぁ」
「あーら、あたしは?」
「色白のにいさん、あたしはどぉ
?」
 にやにやと好色そうな笑みを浮かべた男が、三人を見比べる。
「おい、チアジ。探したぞ」
「ん?」
 見知った顔。仲間内でも年嵩の、ここら辺りの舟人の兄貴株の男だ。
「こりゃ、あにさん。御無沙汰です」
「ああ、どこへ行ってた? 長いこと留守にしてたじゃねぇか。それになんだお前、右の腕ぇ、どうした?」
「しばらく上(かみ)のほうに行って、ちょっとばかりヘマ踏んだんで」
「まぁいい。その店に入れ。俺が奢ってやる」
「いいんですかい?」
「気になることがある。ちょっと話に付き合え」
     *      *
「大筏ぁ?」
 女たちを侍らせた、白粉臭い部屋の中。チアジが男に聞き返す。
「そうだ。尋常な数じゃねぇ筏がハンムーのあたりから遡って来てやがる。その筏に付かず離れず川岸を進んでる兵隊らしい連中もいるってことだ」
「兵隊‥‥ですかい? 例の前のクマリが言った『クンカァンを討て』ってのに応じたんじゃねえんで?」
「それが、ウラナングを通り越してネタニ川に入ったらしい」
「そいつぁ、どういうことなんで?」
「はっきりとは判らんが、ネタニ川に入った以上はカヤクタナの南か、このジュッタロッタを狙ってるのか、どっちかだろう」
「そりゃまた大事になりそうじゃねぇですか」
「だろう? どうするよ、お前は」
「‥‥って言われてもなぁ」
「まぁ好きにしろ。俺たちゃもし戦になるようだったらチョラ湖のほうに逃げるつもりだ。つまらねぇ戦に巻き込まれて死んじまうほど馬鹿らしいことはねぇからな」

■王宮・女王の私室
「アイシャ、話とは」
 人払いされた私室。椅子に腰掛けたミカニカと、常に男装に身を包んだ一族の少女が卓を挟んで向かい合っている。
「陛下‥‥」
 突然、アイシャがだっと女王に駆け寄り、その小柄で細い身体を抱きしめる。
「アイシャ! 何の真似です!」
 ミカニカがアイシャの腕を振りほどこうともがく。その腕を封じ、アイシャがミカニカの小さな耳に向かって、熱っぽく囁く。
「私の想いが迷惑なのは判っていますが、お慕いしています、ミカニカ様」
「アイシャ、冗談は止めなさい! アイシャ!」
 アイシャが、言葉を封じるべく唇をミカニカのそれに寄せる。
「‥‥!」
 ミカニカが激しく首を振ってそれを避ける。
「誰か! 衛士! 衛士!!」
 ミカニカが目に涙を浮かべ、絶叫する。
「陛下!」
 がたん、と扉が押し開かれ、二人の衛士が飛び込んで来る。
「アイシャ様、これは!?」
「陛下より、お離れください。さもなければ御連枝の方といえ、力ずくでも」
 衛士が油断なく身構え、じりっと近寄る。
 アイシャが、我に返ったようにミカニカの腕を離す。
「‥‥これは‥‥無礼を」
「アイシャ」
 がたがたと震えながらも、ミカニカが気丈に言う。
「‥‥クリルヴァのこともあります。これ以上身内の恥を晒したくは無いのですが、当分はあなたの顔も見たくありません。参内を差し止めます‥‥。判りましたか」
「‥‥は‥‥はい」

■ミュラー家別邸・孤児院
「ミカニカ様がそう言ったの?」
 ミニャムがルヴァナに尋ねる。
「ああ。孤児院を作る土地を下賜してくださるって。神殿とは別に」
「教わりたい子供たちに読み書きを教えてあげるってのも、本当?」
 うなずいたルヴァナが、ハーデヴァに言う。
「ハーデヴァ」
「‥‥」
「これまで通り、孤児たちへの教授を頼みたい。武芸と読み書きができる君の助力は必要なんだ」
「‥‥断る理由は無いが」
 庭からルヴァーニの声が聞こえて来る。
孤児たちと、街の希望者を集めて武芸の指南をしているのだろう。
「じゃ、お願いするよ。これからちょっと忙しくなっちゃうと思う。ンニンリや、孤児たちのこと、よろしく頼む」
「ああ」

■饒舌
「陛下」
 ダッシャアが口を開いた。彼の操る象の後ろに乗り、市内の巡視を続けるミカニカに対してである。
「野心はお有りか?」
 ダッシャァが、振り返りもせずに女王に向かって続けた。
「?」
 ミカニカが不審そうな表情を浮かべる。
「他国を切り取り、それをもって国益とする‥‥我が国の軍勢は、そのために民に養わせているものであるのか、陛下の御存念は?」
「まさか。我がヴラスウルに、そこまでの力はありません。ネタニ川、コレルの森といった天険を利して、国土を守るのみです」
「左様。また国祖陛下、先王陛下、そして故摂政殿下が国を守ってこられたのは、武力をあてにしていたからではござらぬ。ヴラスウルが力を蓄えている、そう他国に印象付けていたからこそ」
 ダッシャアが手綱と鞭を操って象の向きを変えさせ、角を曲がる。
「‥‥しかし今だけは動かれよ。ヴォジクとハンムーは、もはや一国となりかねぬ情勢。ヴラスウルが孤立せぬためにも、カヤクタナと結び、力の均衡を守る意味も含めて。聖都を奪い返す戦には、それに付随してせねばならぬことが山ほどござろう」
「ダッシャア」
「出過ぎた進言とは承知の上。クリルヴァの扇動に応じる者が国内にはおらぬ模様なれば、陛下が国を離れられても不安は少なかろうと存ずる」
「忠言、心に留めます」

■王宮・アッカーンの執務室
「まぁ、なかなかの味だ」
 アッカーンが、盃を唇から離す。
 故摂政の在世中に進言しておいた酒の増産が、ようやく形になって来た。今年一番の酒を試してみたところである。
「もう少し、寝かしたほうが良いかもしれないが、まずは仮に出荷して反応をみるとしよう」
 アッカーンが部下を呼びつける。
「大筏を所有する舟頭数人、見繕うように命じたはずだが、どうなっている?」
「は、それが‥‥」
「どうした?」
「舟人たちが、一斉に都を離れておりまして、所在が掴めません」
「ん? どういうことだ、それは?」
「さて‥‥原因が判りません」
「『赤の商館』に問い合わせてみたのか?」
「はっ‥‥しかし先方も首をかしげるばかりでございまして‥‥」

■祝祭
 ささやかではあった。
 しかし、祭りである。
 闇がこの地より去った。再びジュッタロッタに活気が戻りつつあった。収穫祭の時期にはやや早かったが、民たちが広場に集まり、歌い、踊っている。
「さぁー! みんな、飲んで飲んで! 飲んだら歌って、踊るの!」
 一同の音頭を取っているのは、さんざん飲んだくれているシュリであった。
「仕方がありませんね‥‥」
 苦笑いしながら、キュイがそれを見守っている。
 シュリが、呂律の回らない舌で、即興の歌をがなりたてる。

  歌え 踊れ
  めでたや人よ
  カナンについに「あれ」が来た

 歌詞の意味は不明なものの、集まった人々は軽妙な節回しに乗せられ、先導するシュリに従って、どこかへ行進していく。
「ちょっとシュリさん、どこへ行くつもりです?」
「陛下のとこよ! この歌と踊りを見せてあげるんだから」
 頭にかぶった花冠を揺らしながら、シュリが答える。
「王宮ですか? 衛士たちに叱られない程度にしてくださいね」

■旧神殿街
「できましたね。シーッツァ」
「ああ。急拵えだがな」
「充分立派ですよ」
「なぁに、まだまだこんなもんじゃねぇぞ。もっともっと立派で、神さんが驚くようなやつを建ててやらぁな」
 仮神殿の建設が、そこここで始まっていた。カナンに生を受けた者であれば、神々に居場所の無い現在のジュッタロッタの状態にひどい不安を感じるのは当然であった。
 シーッツァとエルクガリオンが、できたばかりの仮神殿を見上げながら話をしている。
「で、孤児院なんですが、女王陛下のお話ではこことは別に作られるとか」
「ああ。ルヴァナさんが仰せつかったんだ。学問所もつけてな、神殿の敷地内に間借りするんじゃなくてよ、もっと大きいやつを作れってな」
「ふむ」
「できたのね!」
 女の声。
 振り向いたエルクガリオンとシーッツァが見たのは、何か大きな決断をしたような表情のモンジャだった。
「モンジャさんか」
「どいて!」
 モンジャが二人を押し退け、神殿の玄関に向かって歩き出す。
「おい、どうしたんでぇ?」
 くるり、とモンジャが振り返る。
「私は‥‥魔女!」
「は?」
 シーッツァとエルクガリオンが顔を見合わせる。
「ミトゥン様のお怒りを代行するのは、この私です! 魔族だろうと逆賊だろうと、この世に害なす輩は、全て私が倒します!」
「‥‥はぁ?」
 そう言うと、モンジャは何事か呟きだした。
「ミトゥンよ、母神よ、私に力を!」
《モンジャ、モンジャ。聞こえますね。私の声が》
(は、はい! ミトゥン様!)
《あなたは、誰と戦わずとも、何も倒さなくて良いのです》
(え‥‥では?)
《今は‥‥命を増やすことこそ、あなたの‥‥女たちの仕事。良いですか、あなたの務めは、子を孕み、無事に産むことです。私の祝福は、その時にこそ与えられましょう。判りますか?》
「ミトゥン様、それって、それって!」
 虚空に向かって叫ぶモンジャの姿に、再び呆れたような顔を見合わせる二人であった。

■大広間
 広間には武官たちが顔を揃え、女王の前でレシマの檄に応じてのウラナング出兵が合議されていた。
「なぜククルカン殿がおられぬのだ!」
 重臣の一人が苛立った表情で言う。
「王軍の総督たる者がこのような大事の際に所在を知らせぬとは、不覚悟も良いところであろう」
「先の敗戦の責めもある。陛下、ひとつ後任のこともここで定められてはいかがでございましょう?」
 ミカニカは苦い顔である。
「総督の所在は探させています。知らせを待ちなさい。‥‥これは故摂政の定めた人事、私に変えるつもりはありません。どうしてもとあれば、私がククルカンに代わって采配をとります」
「それは‥‥」
 女王にこう出られては、重臣一同といえどやむなく引き下がらざるを得ない。
「いえ。実際の采配はククルカンがとるにせよ、親征は思案していたことです。前クマリといえどレシマ様の檄をいただいた以上、ヴラスウル国王は大恩あるウラナングのために戦います。カヤクタナと兵を併せ、東からウラナングを突くのです。聞けば城壁も神殿も破壊され、ウラナング市中は籠城軍に利ある状況ではないとのこと」
「陛下、恐れながら申し上げます」
 ナハルが進み出、一礼して言う。
「陛下の玉体は、陛下お一人のものではございませぬ。万が一のことが起こってからでは遅過ぎます。また陛下の留守を狙い、謀叛を企む輩が現れぬとは限りませぬ。何とぞ親征のことは御再考を」
「心配は、ありがたく受けます。しかし闇が去ってよりこのかた、気分は良く、体調も回復しました」
 女王はそう言うと背後に侍立するダッシャァにちらりと目をやり、続ける。
「謀叛のことですが、逆心を抱く者がいるのであるならば、必ずクリルヴァと結んで動いたはずです。その動きが見られなかった以上、国内に不安はないでしょう。以前、辺境軍の動静を不安がる意見もありましたが、彼らの忠節は、先陣を引き受けすでに国を発ったことからも明らかでしょう」
「‥‥は」
「ナハル。私の身体に万が一のこととは、近衛武人であるあなたが口にすべき言葉ではないでしょう。あなたも従軍し、私を守って貰わねばなりません」
「は、はい」
 ミカニカが、頭を下げるナハルから目を移す。女王が目をやったのは、一同の上座に特別に椅子を与えられ、腰掛けているランハドゥである。
「長老」
「ははっ」
 難しげな顔をしていたランハドゥが、思い付いたようにミカニカに向き直る。
「私が留守にする間、監国の職に就いてください。一族の長老を追い使うのは心苦しい限りですが、私の代理人として国事を任せます」
「陛下の御意とあらば」
 ランハドゥが立ち上がって拝礼する。うなずいた女王が、居並ぶ王臣たちに向かって口を開く。
「ウラナングを占拠するセセラギとやらが送って来たヒバナという男、一同も知っての通り牢に繋いであります。出陣の日には、あの男を我が祖神と戦神たちへの犠牲とします」
 おぉ、という声があがる。
「‥‥しかし、メルレスに拠る者どもが厄介ですな。どうしたものか。帰路を断たれぬためにも先に踏み潰しておくか、せめて兵の一部を割いて張り付かせてでもおかねばならんですぞ」
 ランハドゥが重々しく言う。
「それについては、クタ太守にお命じになられてはいかがか」
「いや、クタは遠かろう」
 重臣たちが再び合議を再開した時であった。広間の扉の外で、何者かが衛士と問答する声が聞こえた。

■急使
「何事です」
 広間の扉が開かれ、一人の軍装の男が衛士とともに駆け込んで来る。
「申し上げます! ヘクトール様率いる辺境軍一千四百、コレル森北西のネタニ川河畔にて、川を遡る所属国不明の軍勢と交戦、残念ながら敗走いたしましてございます!」
 平伏した男が大声で言上した。
「先陣が!?」
 ミカニカが叫ぶように言う。軍職の重臣たちが口々に戦神の無慈悲を嘆く。
「その軍勢の正体は? クンカァンの残党ですか?」
「いえ、敵兵の言葉の訛りはヴォジクのものにございました。水兵、騎兵、弓兵を併せ、その数は五千をくだらぬものと思われます。また軍装については青衣を着る者多く、かの国の正規軍とも考えられます」
「ヘクトールは、無事ですか?」
「敗兵をまとめて落ち延びられ、臣を陛下への使者に立てましてございます。すでにクタの北辺りには到着される頃かと。ただ副将レンセル様には、ヘクトール様をお逃しするため殿軍を引き受けられ‥‥生死の程は今もって判りませぬ」
「その後、敵軍の動きは?」
「はい、引き続きネタニ川を遡り、カヤクタナ領に上陸せぬところから、おそらくはジュッタロッタを目指しているものかと」
 ミカニカの顔色が青ざめる。
「‥‥苦労でした。退がって、休むように」
 先日、同じ広間で受けた急使は、闇の後退を告げる祝福すべき使者であった。そして再びの、予期せぬ使者の到来。
「首都周辺の王軍に召集命令を出します。都を離れている部将たちにも、至急の帰還を命じなさい。今より首都防衛の軍議に切り換えます。それから護民兵のフルハラングを呼びなさい。セタはまだ王宮に滞在中でしたか? 彼にも事の次第を告げるのです」
     *      *
「市内の王軍は?」
「五百弱にございます。敵軍が都に至るまでには、周辺よりもう一千程は集められましょう」
「御命令の通りネタニ川を封鎖する旨の使者を出しましてございます。明日には封鎖できようかと思われますが、相手がヴォジク水兵とあってはどれほどの効果がが期待できるものか‥‥」
 連絡のために侍臣たちが走り回る広間に、フルハラングが姿を現した。重臣たちのほとんどは分担された任務のために退出した後であった。
「フルハラング、お召しにより参上いたしました」
「事情は聞いての通りです。市民の動揺を防ぐのは勿論ですが、間者、内応者の摘発を急ぎなさい」
「はっ。‥‥実は、都民の名簿を作成していた最中にございました。特に国外より流入して都に滞在している者は、有志の協力を得てその身分を洗い出しています。何分、多数であるため完全ではありませんが、大半については」
「では、すぐにヴォジクと繋がりのありそうな者を監視しなさい」
「は、また区画ごとに住民の中で責任者を出させ、自警団を作らせています。怪しい動きをする者がいれば突き出されて参りましょう」
 そう言って一礼するフルハラング。
「‥‥それにしても」
 ミカニカが、頭を上げたフルハラングの顔を見つめる。
「陛下?」
 フルハラングが尋ねる。
「あなたの働きに、感心していたのです。マウカリカの推挙に間違いはなかったようですね」
「日夜、戦ってます。護民兵の副長を任せられるとなると責任重大で」
 フルハラングが、襟に付けている副長の徽章を指先で撫でながら言った。
「では、仕事にかかります」
 爽やかな微笑みを浮かべ、もう一度女王に会釈をするとフルハラングが退出する。その後ろ姿は、市内の犯罪者たちを震え上がらせている男には到底見えぬほどに華奢であった。
「陛下、私も」
 女王の前に進み出たのは、すでに具足を身につけた王族のキサナであった。
「護民兵に協力し、市内の巡視を行いたく存じます。何とぞ御許可を」
「許します。あなたの手勢だけで足りなければ、近衛軍に申し出なさい」
「はい」
 キサナが急ぎ足で退出し、入れ替わるようにセタがその姿を現した。
「ミカニカ」
「セタ、困ったことになりました。あなたはすぐに森に戻ってください。戦にならないうちに。このジュッタロッタは国祖ファトレオ陛下が築かれた堅城です。多少の籠城で陥ちることはないと思いますが、敵軍に包囲されては城壁の外に出ることも難しくなります」
 いささか自嘲気味に、気弱そうな表情になったミカニカが続ける。
「森の果物は、美味しくいただきました。せっかく開拓を許してもらったというのに、またしばらくはそれどころではなくなりそうです」
「ミカニカ、困ってるんだね」
「‥‥」
「ぼくら、友だちでしょ? だったら、困った時は助け合うもんだよ。ぼくにできることがあれば」
「あなたにまで迷惑はかけられません。友人の忠告として聞いてください。あなたを戦に巻き込みたくないのです」
「陛下、よろしいですか?」
 女王に、遠慮がちに声をかける男がいた。帰り新参のキュイである。
「お話し中、申し訳ございません。兵糧のことなのですが。軍費捻出のため売却した分などがございまして、意外に少ないのです。現在の備蓄ではまぁ市民と軍勢が籠城したとしておよそ一月半、切り詰めて二月といったところでしょう」
 キュイが木簡に書き付けた数字を説明しながら続ける。
「先にお許しをいただきました食料品の輸入の件ですが、そのうちの一部は支払いも済んでおりますので程なく国庫に引き渡されましょう。これを加えても三月程度」
「それで?」
「厄介なのは、敵軍が我が国の穀倉である首都周辺の集落を掠奪し、収穫間際の作物を奪うことです。刈り取りを急がせ、領民ともども城内に入れるのが得策と思案いたします。城内の備蓄を増し、敵軍に兵糧を渡さないためにも」
「なるほど。よく判りました。必要な人数を与えます。国庫の割り符を受け取ったら、すぐに実行しなさい」
「はっ」
 キュイが一礼して御前を退く。
「ミカニカ」
「は?」
「そうしてると、偉い人みたいだね」
 セタが感心したような顔で言う。
「‥‥そうですか? ともかくセタ、あなたの仲間が心配するでしょう。今のうちにジュッタロッタを離れてください。私を困らせないで」
「‥‥うん。ミカニカが困るって言うんなら。仕方ないけど」
 セタが、振り返り、振り返り広間を出て行く。
「あれは、狼どもの頭領でしたかな」
 赤ら顔の重臣が額に吹き出た汗を拭いつつ言う。
「‥‥あやつの率いる狼どもを用いて、敵軍の背後を撹乱するというわけには参りませぬかな。上策かと存じまするが」
「私とて‥‥それは考えぬでもありません。しかし‥‥人の戦です。森に暮らす獣まで巻き込んでは、ウヌヴァヌルヴァ様がお怒りになりましょう」
 女王が床に落としていた目を上げる。
「それよりも、カヤクタナです。かの国も疲弊しておりましょう。無理にとは言えませんが、頼むだけは援軍を頼んでみなさい。モロロット王、ウナレ妃‥‥特にウナレ妃は勢力地図の塗り替えには敏感です。ヴォジクが二国を併呑すれば、次の目標はカヤクタナであると察するでしょう」
「は、はっ」

■敵勢
「現れました!」
 城壁に立つ歩哨が、大声で叫ぶ。
「青衣です、ヴォジクの兵です! ‥‥その数‥‥およそ五千!」

※ 決して珍しいことではありません。カナンの人口のほとんどは文盲です。
ルール上は、貴人、文人のほかは「経歴」に「02高貴な血筋」「03私生児」「04地方の名士」「05滅亡王家の血筋」「15教育熱心な親」のいずれかが無いと読み書きができません。

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