第8回 C-1 首都ジュッタロッタ


◆ジュッタロッタ
 闇、である。
 首都の空を覆うのは、日増しに濃くなる闇である。初めは薄曇り程度だったものが、やがて真昼でも黄昏時より明るくなることはなくなり、今ではまるでたちの悪い雨雲が垂れ込めてでもいるような暗さが、ジュッタロッタに覆い被さっていた。
 怯える民は、西方の親族縁者を頼っての避難を考え、貴顕たちも寄り集まっては国の行方に対する不安を洩らし合うばかりであった。
 それに加えて先日の大火である。「この国はもういけない」という漠然とした雰囲気のようなものが、国民たちの間に流れていた。サシャと名乗る歌姫が連日街に立ち、人々の不安を取り除くべく自慢の喉も枯れよとばかりに歌い続けたが、現実と言うものは一人の歌声でどうにかなるほどに容赦のあるものではない。ひどい恐れと苛立ちが、既に人々の心中に住みついてしまっているのだ。
 中でも、国を離れることの難しい王族たちの危機感は強かった。キサナが私財を投じて炊き出しを行い、マウカリカも難民受け入れの為に用意した資材設備を急遽罹災者のために振り分け、救済にあたっていた。
 全ての国民が唯一の頼みとしていたのが、たった一人の少女の言動というのは、何と残酷な事実であったろう。後の世にヴラスウルの国史を編む者があれば、その王の年齢、性別に関しての記録が誤っているものと推測するであろう。まさかたった十二歳の少女である国主一人にこれほどの重荷を背負わせることはあるまい・・・・、と。
 客観的に見て、それほどまでにヴラスウルの王臣は無能であった。闇の領域が迫ると判っていながら、何の対策も立てようとしなかったのだ。通常の災害と変わらぬ救済措置のみで済むはずが無いことは明白であったにもかかわらず。

◆カハァラン・スキロイル別邸
「御苦労でした。手狭ですが、とりあえずこの屋敷に入ってください。本邸が焼けていなければ良かったのですが」
 女王の許しを得たカハァランの行動は迅速である。そしてイーバの滝の呪人たちを、速やかにジュッタロッタに移すことができたのはイルイラム、チアジの尽力であった。特に、チアジが仲間の舟人たちに働きかけて多数の舟を出させたのが大きい。
「チアジさん、あなたのお蔭で随分の人が救えました。このお礼はどう言っていいのか・・・・」
 カハァランの喜びようは、チアジのほうが気恥ずかしくなるほどであった。
「いや、いいんだ。あいつらだってどうせイーバの近くにはいられやしねぇ。どっちみち下流に逃げて来るしかなかったんだからよ」
「それでも、チアジさんが舟人のみなさんに呪人のかたがたも運んでくれるよう説得してもらえなかったら、果たしてどうなっていたか」
「いいんだよ。な、もうこの話はおしまいだ。これからのことを考えなくちゃならねぇだろ?」
 チアジの言葉にカハァランがうなずく。・・・・目の前に黙って立っているイルイラム、そしてチアジがそれぞれ両目と右腕を失っていることが、少なからず彼の負い目になっていた。
「闇を止めるための決め手が無い。それが我々の泣き所」
 イルイラムがぽつりと言う。
「まじないでできる限りのことはするにしても」
 昼とは思えぬほどの暗い天。イルイラムの光を失った目では見ようもないが、仰ぎ見るように上空を仰ぐ。
「そう・・・・できる限りのこと。一つ魔を払えば、一つ命が助かる」

◆影
 徒労であった。
 まさかこれほどまで、この国が女王一人に凭れ掛かっているとは思わなかった。クテロップの死後、若年のミカニカが親政するにあたってほとんど重臣たちの間に抵抗が無かったのが、象徴的である。
 既に数家をあたってみたが、女王に対する不満などかけらほども窺うことはできなかった。それどころか、国内の情勢不安を話題にすると「この国難を救うためにきっと女王が何とかしてくださる」などと言い出す者がいる始末である。
「・・・・だからこそ」
 巫女の装束をまとった影が呟く。
「我が君の理想が、実現されなければならない」

◆王宮・女王の私室
「カジフを呼びなさい」
 ミカニカが侍女に命じた。
「カジフ様、このところしばらく参内されておりません」
 侍女が申し訳無さそうな表情で答える。
「私の親衛隊長ですよ? 何かの間違いではないのですか?」
「いえ・・・・あの、副隊長のシノー様をお呼びいたしましょうか?」
「呼びなさい」
 間無しに、シノーが姿を現す。
「お呼びですか。陛下」
「カジフは? 参内していないということですが」
「はい。実は少々、暇をいただいております」
「クリルヴァを追っているのですか?」
「・・・・いえ」
「先日の事件、私の親衛隊長として大失態なのですよ。自分の立場を判っているのですか、カジフは」
「・・・・」
 ミカニカが苛立ったように言う。
「親衛隊は解散、カジフとあなたの職は解きます。二度と参内することは許しません。兵をダッシャァに任せ、直ちに国外に退去しなさい」
「陛下!」
 シノーが食い下がろうとするが、ミカニカは冷たい目で侍女を促す。
「シノー様、王命でございます。お下がりくださいませ」
     *      *
「陛下、本日はお願いがあって参上いたしました」
 ハーデヴァが深々と一礼する。
「何か?」
「暇を、いただきたく」
「近衛武人の職を辞すというのですか」
「はい。・・・・陛下ではないことが、判りましたので」
「?」
「不忠の臣をお許しください」
「・・・・去るのですか。ヴラスウルを見捨てて」
「護らなければならないものを見つけました。陛下をお護りしようという者は、いくらもおりましょう。私は、私が護らねば誰も護ろうとしない、そのものを護るつもりでおります」
「・・・・判りました。暇を出します。あなたの思うようにしなさい」
「ありがたきお言葉」
「しかしハーデヴァ」
 ミカニカが無表情のまま言う。
「私が、護られているだけだと思うのですか?」
「・・・・」
「私は、ヴラスウルを護らねばならないのです。私以外に護りようのない、この国を」
     *      *
「お呼びでございますか」
 ランハドゥが、女王の前で一礼する。
「烈風会がカヤクタナに兵を動かしたそうですが、聞き及んでいますか」
「は・・・・、実は」
 ランハドゥが言葉を切る。
「逆賊クリルヴァ、国外に逃亡しクンカァンに投じたとの報を得、それを追ったものかと存じまするが」
「クリルヴァが。確かですか」
「いえ・・・・。それゆえ、陛下からククルカンに、国内に潜伏していた際の対応をお命じ願いたく」
「あなたに言われるまでもありません。国内の探査は厳命しています」
「これは無礼を申しました」
 ミカニカがふと額を押さえる。
「陛下?」
「疲れました。当分の間、朝議と謁見は長老が私の名代として取り仕切りなさい。しばらく誰にも会いたくありません」
「は。では・・・・くれぐれも玉体をお大事にしてくだされ」

 ところで、そのクリルヴァであったが。

◆焼け跡・旧クリルヴァ邸
「おい・・・・、あれ」
「まさか・・・・?」
 屋敷跡の焼け残った柱に馬を繋ぎ、数人の従者を指揮して炊き出しの準備をさせているのは、紛れもなくクリルヴァ・スキロイルであった。女王に逆賊と名指しされながら、このジュッタロッタに姿を現すとは尋常一様の大胆さではない。
 従者たちは周囲で見守る罹災民に、近寄って炊き出しを受けるように勧めるが、さすがに関わり合いになるのを恐れ、近づこうとする者はいない。
「皆、聞いてくれ」
 クリルヴァが威厳に満ち、張りのある声で群衆に呼び掛けた。
「私は潔白だ。逆賊として追討される身である私が、なぜジュッタロッタを離れず、こうしていると思う? 私に何も恥じることが無いからだ」
 遠巻きにしていた群衆が顔を見合わせる。やはり反応が悪い。クリルヴァが心の中で舌打ちをする。流民たちを金で雇い、彼の言葉に同調するよう言い含めたのであるが、その連中は金だけ騙し取って逃げたらしい。彼は知らなかったが、ジュッタロッタの裏社会ではもはや彼の名前は鬼門であった。護民兵たちの捜査が尋常でない厳しさで、以前彼に関わった者たちも次々に連行されていたのだ。
 しかしクリルヴァとしては言葉を続けざるを得ない。
「この度の大火は、皆に評判の良い私を宮廷から、都から追おうという、他の王族や重臣たちの陰謀だ。皆の家々を焼いたのは、彼らの仕業だ。私とともに立ってくれ。この国を作り直すのだ。我が伯父ファトレオが目指した理想の国に」
 クリルヴァがそう言って遠巻きにしていた民衆を眺め渡す。
「いやはや何とも呆れ果てたる愚人。仁慈聡明の人と聞き及びたる噂も、当てにはならぬものですな。なぜ王族や重臣の方々が、兵も何も持たぬ貴殿を追うために、都の半分を焼くような大火を起こすような必要がありましょうや」
 薄汚れた巫覡の衣を纏った男が、ゆっくりと、しかし確かな足取りで群衆の中から進み出た。
「何者か」
 クリルヴァが見咎める。
「かつてミトゥン様に仕えた神人。しかし今は」
 男が組んでいた腕を解く。
「ラノート様の使者と思し召されよ。社を焼かれた神々の怒り、肉親を失った民の恨み、お教えつかまつる!」
 男がだっと駆け出し、袖から取り出した短刀で突きかかった。
「!」
 クリルヴァも一通りは武術を習った身である。咄嗟に身を捻って躱し、帯びていた短剣を引き抜く。
「何を!」
 神人は短刀など握ったことすらなかったのであろう。最初の一太刀こそ不意を突かれて狼狽したものの、クリルヴァの目から見れば彼には隙が多すぎた。
「慮外者め!」
 再び突きかって来た神人の刃を避け、気合いとともに短剣を斬りおろす。
「・・・・うぁ!」
 斬り込まれた肩口を押さえ、神人が地面に転がる。
(ほう・・・・あの程度だぜ)
(だな。やるか)
 群衆を掻き分けるようにして、大柄な男たちが手に手に槍やら棒やらを持ち、前に出て来る。
「クリルヴァ、あんたの首はもらうぜ」
「へへ。てめぇの首を持って王宮に出向きゃ、賞金をいただけるうえにお取り立てだぜ」
「覚悟しろや」
 流れの傭兵たちであろうか。どう見ても自分より場数をこなしているのは間違いなさそうである。
「ちっ!」
 クリルヴァが舌打ちし、身を翻す。辺り一帯は焼け跡で、身を隠すに適した場所などどこにもありはしない。
(馬!)
 クリルヴァが、繋いであった馬にばっと飛び乗り、鞭を一当てする。
「どけ!」
 人垣の薄そうな部分に突っ込む。群衆がわっと散り、進路が開ける。
「追え!」
「向こうだ! 逃がさねぇぜ」
 その時、
「待て待てぃ! 護民兵様のお出ましだぜ! 逆賊クリルヴァ、観念してお縄を受けやがれ!」
 動かせる限りの部下を率い、近衛武人ダッシャァからの資金援助もあって手懐けることのできた結構な数のごろつきたちをも引き連れた護民兵副長・フルハラングが、一団の先頭に立って大声を張り上げる。
「クリルヴァ!」
 そのフルハラングと共同で捜査をする形になったアイシャ・スキロイルが、逃げ去ろうとするクリルヴァの背に向かって言う。
「先王とミカニカ様の御恩を忘れた暴挙、決して許さない!」
 フルハラングが振り返って命じる。
「おい、騎馬の組は二手に別れて奴の前に廻り込め。足留めだ。ここいらは焼け野原になっちまってる。奴が飛ばして逃げようったって無駄なこった。残りは奴を取り囲め。二重三重に囲むんだ。いいか、ぬかるなよ!」
「応!」
「へい!」
 フルハラングの指揮のもと、護民兵とごろつきの混成集団がクリルヴァを追って動く。
「弓! 奴の馬を射るんだ!」
 フルハラングが叫ぶ。数人が短弓に矢をつがえ、引きしぼる。弓弦の音が響き、ひょうっ、と矢が飛んだ。
「やったぜ!」
 護民兵の一人が歓声をあげる。彼の放った矢が、吸い込まれるようにクリルヴァの乗馬の横腹に突き立ったのだ。かなりの速度で飛ばしていたクリルヴァが、馬ごとどうっと横倒しになる。放り出されたクリルヴァに騎馬組の護民兵が殺到する。
「ざまぁ見やがれ!」
 部下たちが槍衾を作る中に、フルハラングが割って入る。
 胸から横腹の辺りを強く打ち、呼吸の苦しい中から、クリルヴァが近寄って来るフルハラングを見上げ、睨みつける。
(神よ、助けてくれ! 私はまだ死ぬわけにはいかないのだ!)
 心の中での絶叫であった。
《すまぬのう。どうしてもおぬしには手を貸せぬのだ》
 その叫びに応ずるがごとく、クリルヴァの耳に何者かの声が届く。
《ミトゥンがひどい腹立ちでな。あやつ、生命を司どることになっとる癖に、おぬしなぞ殺されても構わぬと息巻いておるわ。あやつがこれほどに怒ったのは久々だわい》
 他人事(まさにその神にとっては他人事にすぎないのだが)のようにそう言い残すと、声は遠ざかった。
「立て、おらっ!」
 丈夫そうな縄を持った護民兵が近づき、手荒くクリルヴァを縛り上げる。
「よーし。お前ら、御苦労だった。今夜は俺が奢ってやるぜ。褒美の金が入るからな、好きなだけ飲めや」
 フルハラングが周りを見回して言う。
「そうこなくっちゃな!」
「恩にきやすぜ、旦那!」
 それもやはり薄闇の下でのできごとであった。謀叛人が捕らえられようと、逃げおおせようと、関わりなく闇は無情に広がる続けるのだ。

◆シャーンの下宿
「おぬしか。キュイとやらは。ランハドゥじゃ」
 王族の長老ランハドゥが、後ろ手に縛り上げられた男を従者に担がせてキュイの部屋を訪ねた。
「私ですが。・・・・御老人自ら、この私に何の御用事ですか?」
「この男」
 ランハドゥが、従者の担いでいた男をどんと突き飛ばす。男がいやな倒れかたで床に伏せる。
「おぬしの連れだそうだの。不敬にも王宮に忍び込もうとしてな、衛士たちに捕まって拷問を受けておったが、わしが拾って来た」
「シャーン?」
 鞭の跡や打撲の跡が痛々しいシャーンが、倒れ伏して苦しげな息をしている。
「この男、闇の領域について、陛下にお尋ねしたいことがあると言うた。・・・・しかし陛下は、おそらく何も御存知ない」
「でしょう・・・・。考えてみればわずか十二歳のお方」
「左様。陛下の英明はつとに臣民の知るところであるが、わずかに十二年では学び得ることも限られておる」
「御老人」
「うむ」
「あなたは、ご存知なのですね」
「いや。わしとて全てを知るわけではない。が、幸いにも我が老父母は健在。書状にて尋ねてみた」
「何と?」
「クマリ・・・・初代クマリのンナカー様を闇に差し出した、いや、差し出すというのは決して正しくはない。良く聞け」
「・・・・」
 ランハドゥが懐から書状を取り出し、静かに広げる。
「百年前には、既に光の儀式を行うことは難しくなっておったらしい。ウラナング同盟の五国王は合議の末、古くからの言い伝えに従って闇の領域を押し止めるための生け贄を捧げることにしたのじゃ。闇を払い除けることはできぬにしても、当分の間は伸張することのできぬようにな。その生け贄には、気高く美しい処女が必要であった」
「それが、ンナカーその人ですか」
「そうじゃ。時のクンカァン国王エンドル・オロサスの提示したその案を他の国王たちも認め、この男の故郷」
 ようやく意識を取り戻したシャーンに目をやる。
「闇に没したテガーナの地に祠を設け、ンナカー様をその中にお入れした。光の儀式以来各王家に伝えられておった逸物の武具と一緒にな。更に当時最高の呪人のまじないと神人の祈祷により、厳重な封印を施した。それによって、祠のある限りンナカー様は闇の領域を去れず、ンナカー様が亡くなったその亡骸の最後の塵芥が失くなるまで、闇の領域の広がりを食い止めるはずであったのじゃ」
「そうですか・・・・。そんなことが」
「うむ」
 ランハドゥがうなずく。
「スキロイルの一族でも、この事を知る者は、史官家より嫁いだ我が母のほか、死に絶えたとのことじゃ」

◆ルヴァナ・ミュラー別邸
「・・・・ルヴァナさん、こいつぁ」
 シーッツァが長い他出を終えて戻ってみると、世話になったミトゥン神殿も、自ら手掛けた孤児院も、ともに跡形も無く焼亡していた。その二つの建物を、ジュッタロッタの地と自分を繋ぐ絆のようにさえ感じていただけに、彼の落胆はひとかたならぬものがあった。
「手狭だけど、今はこの屋敷を使ってもらうしか無い。ミュラー家の本邸も焼けてしまったから」
 あまり眠っていないのであろう。疲れた顔でルヴァナが言う。
「・・・・申し訳ありやせん、あっしが出かけてなけりゃ」
 シーッツァの言葉に、ルヴァナが首を振る。
「幸い、神殿の子供たちも大人にも怪我人が出なかった。ミトゥン様の御加護があったんだと思う。誰も恨まないことにしたいんだ」
     *      *
 孤児院の面々である。
 モンジャはクリルヴァに変装して街をうろついていたところ、あっという間に護民兵に連行され拷問を受けていた。今でもその傷が痛んで、宛てがわれた部屋の寝台でウンウン唸っている。なぜそのような愚かしいことをしたのかと問うても、苦しい息の中から「奴をおびき出して殺そうと思った」と答えるばかりであった。
 エルクガリオンはといえば、急遽シーッツァが刻んで作ったミトゥンの木彫りの神像に祈りを捧げていた。
(ミトゥン様・・・・)
 しかしその祈りは、空しく虚空に吸い込まれるばかりであった。ミトゥン神は彼の前に姿を現さないばかりか、その声すらも聞こえてこなかった。
 物騒にもクールーに祈っていたンパラナも同様である。神の声は、闇に呑まれ汚れた地には届かないものであるのか。はたこの一大事に出くわしながら神助ばかりをあてにする姿勢が気に食わないのか、気まぐれな神のこととて、人には測りようのないことであった。
 シュリはシュリで不機嫌であった。謁見を申し込んだものの女王は所労ということで断られ、あえなく門前払いを喰らっていた。
「まったく!」
 ふくれっ面のシュリの相手になってやっているのはミニャムであった。
「でも、シュリが言おうと思ってたようなことは大体やってくれてるんじゃないの? ミカニカ様も」
「そりゃそうだけど」
 国中から流れ込む避難民のために、焼け跡に天幕がいくつも立てられていた。食料や医薬品も国庫を開いての下賜があり、一応は行き渡っているようであった。
「せっかく腕が振るえると思ったのに」
 シュリが残念そうに言う。
「あ」
 ミニャムが振り向き、足音の主に声をかける。
「大丈夫なの? 歩いて」
 神人が微笑を浮かべて静かにうなずく。
「シュリさんのお手当のおかげで、痛みはだいぶ」
 肩口に刀傷を負った神人が運び込まれて来たのは数日前のことであった。神人はその傷について何も言わなかったが、神人がクリルヴァに斬りつけたことはすぐに街の人々の噂に上り、皆の知るところとなった。
「ここにいたのか」
 門から入って来たのは、しばらくぶりに顔を見せたルヴァーニであった。
「探した。ルヴァナがこっちに屋敷を持っているとは知らなかったからな」
 神人に気づき、ルヴァーニが済まなさそうに言う。
「クリルヴァと斬り合ったそうだな」
「これは」
 神人が動くほうの腕で頭を掻く。
「ルヴァーニさんのお耳にも入っておりましたか。いや、お恥ずかしい」
「クリルヴァのこと・・・・かつての同志として悔やんでいる。もっと早くに手が打てていれば、こんなことにはならなかっただろうに」
 神人が目をつぶる。
「二度とこのようなことがあってはなりません。迫る闇のせいで、ただでさえ人々の心は不安におののいています。今我々にできることは、人々の心を静謐に保たせるのみです。それぐらいのことしかできぬにせよ、せめては」
「そうだね」
 ミニャムがうなずいて立ち上がる。
「あたしは、子供たちを見てくるよ」
     *      *
「こちらにンパラナ殿と申される方はおられまいか」
 ルヴァナの別邸を訪れたのは、女王の侍臣の一人であった。従者とおぼしき男に大きな長持のような箱を持たせている。
「ンパラナに?」
 庭で、よく馴れた白狼のジュウナと子供たちを遊ばせていたルヴァナが声に気付き、応対に出る。
「これは、ルヴァナ様。御在宅とは知らず無礼を致しました」
「いや。気にしなくていい」
「実は、陛下よりンパラナ殿に御依頼あり、その品を預かって参りました」
「・・・・ともあれ、本人を呼ぶよ。屋敷に入って」
 邸内の客間に、主人ルヴァナと並んでンパラナ、向かい合うように侍臣が腰を下ろす。
「早速ですが、ンパラナ殿、陛下の御依頼をお受け願いたく」
「武具師のあたしにかい?」
 ンパラナが不審げな表情をする。
「いや、お疑いはもっとも。確かに王宮にも抱えておる武具職人はいないでもない。されどクタにて高名の武具師“朱の息吹”が、先よりこの都に移られたこと、陛下のお耳にもお入りです。この度は女王陛下たってのお願いにて伺ったもの。お頼みしたいのは、これなる品の修繕にございます。おい」
 従者が卓の上に長持を置き、包んでいた布を解いて蓋を開く。
「これは!」
 ルヴァナが声をあげる。
「さよう」
 侍臣がうなずく。
「国祖ファトレオ陛下が、当時王太子であられた御幼少の先王メグーサイ陛下のため、クマリより拝領した具足にございます。この具足をこちらに記したる寸法に仕立て直し、」
 懐から何事か書き付けた紙を取り出しつつ侍臣が言う。
「また革の部分は我がヴラスウルの尊ぶ赤色にて染めていただきたい。ンパラナ殿、女王陛下にはできる限り急ぎにて、との仰せでございます。お受けいただけますや否や?」
 ンパラナの目が、その具足に惹きつけられる。ほれぼれするような出来の具足であった。金に糸目をつけず、革の部分には結び紐の一本一本にいたるまで銀糸金糸の縫い取りが施され、胸から胴にかけては貴重な鍛鉄の小片を重ねるように縫い付けている。鉄片の一つ一つにはやはり金銀の箔が貼られ、その上に様々な戦神たちの姿が浮き彫りにされているが、これほどの装飾を施すためには一体どれほどの手間がかかったのであろうか。華やかでありながらも丈夫で軽い材料が選んで使われているのは、体力的に成人に及ばない若年の者のため特に誂えられたからであろう。
「これほどの具足・・・・扱わせてもらえるってぇだけで光栄だが」
「おぉ、お受けいただけますか」
 侍臣が喜色を浮かべる。
「待って」
 ルヴァナが言葉を遮る。
「この具足を仕立て直すということは、女王陛下がこれを身に付けられる、そういうことか?」
「いえ。我らには何も」
 侍臣が首を振る。
「そうとしか思えないじゃないか! 陛下は何を考えておられる!?」
「ルヴァナ様、我ら臣下の者は陛下の大御心に従うまででございましょう。では、ンパラナ殿、何とぞ宜しくお願い申し上げる」
 侍臣が去った後の客間で、ルヴァナがンパラナに向かって呟く。
「女王陛下は、兵を動かされるおつもりかも知れない。陛下自ら軍を率い・・・・どこに兵を進められる気でおられる?」
「そいつぁ・・・・わからねぇけど」
 具足をちらりと見、ンパラナが言う。
「あたしはこの具足を仕上げなくちゃならねぇよ。あたしの仕事が、陛下を守るんだよ。職人として、この仕事に打ち込まなくちゃならねぇ」
     *      *
 浮かぬ顔でいるルヴァナにシーッツァが声をかける。
「ルヴァナさん、悪いがちっとこいつを見てくれねぇか?」
 数日の間、宛てがわれた部屋に籠もっていたシーッツァが手にしていたのは、一枚の図面であった。
「家を焼け出されちまったり、闇やら魔族に追われて来たりした衆らによ、せめて雨風だけでもしのげる小屋を作ってやりてぇと思うんだ」
「シーッツァ」
 ルヴァナが沈鬱な表情で言う。
「戦争が起こるかもしれない。女王陛下自ら兵を率いて」
「戦争?」
「・・・・」
「戦争なんかやってる場合なのかよ! 国が滅びるかどうかって時なんだぜ! いざとなったら国を離れなくちゃならねぇ事態だってのに!」
 シーッツァが図面を広げる。
「見てくれよ、もし万が一、みんなで他所の国に逃げなくちゃならねぇって時のために、組み上げたり動かしたりが簡単なように工夫したんだぜ! 王様ってのはおいらたち国民のことを第一に考えるんじゃねぇのかよ!」
「シーッツァ。陛下を謗るのは止めてくれないか」
「す、済まねぇ。けどよ」
「陛下は」
 ルヴァナが暗い表情で言う。
「何か、深いお考えがあってのことだと思う。ヴラスウルの窮状、最も骨身に染みておられるのはミカニカ陛下。まさか自暴自棄になって戦争を起こされるとは、思えないんだ」
「ルヴァナさん・・・・」
「陛下は、きっと何かお考えだ。朝議にもお姿をお見せにならないのは、ひたすら何かお考えなんだ」

◆王宮・内庭
「これは・・・・」
 ケセラが思わず驚きの声をあげた。庭番の老爺の言葉に従って内庭に出てみたのだが、荒れ果てた内庭の一隅を中心に生い茂る植物は、紛れもなく目的のシュライラであった。
(早目に動けて良かった・・・・)
 手早く兵に刈り取りを指示する。
(ほかは?)
 辺りを見廻すが、庭の外にまで生え出しているような気配は無さそうであった。
 女王への面会は所労の為として断られたが、代わって会った重臣たちもケセラの説明を聞いて震え上がり、即座に刈り取りと廃棄に許可を出した。
(この闇を)
 ところどころ濃い灰色の闇が顔を覗かせる曇り空を仰ぐ。
(払わねば、ヴラスウルに未来は無い)
「ケセラ様、馬車三両、引いて参りました!」
 兵の一人が大声で報告する。
「よし、積み込め! 目的地はカヤクタナ領メルレス、全ての魔花を国外に棄てる!」

◆王宮・王座の間
 女王が私室に引き籠もって十数日。緊急の参内の触れが回され、漏刻の目盛りをいくつか過ごした頃。ジュッタロッタの主だった王臣たちが続々と集まって来ていた。
「陛下直々のお言葉であるそうだ」
「しばらくお姿を見ておらなんだが、もしやお身体に何か」
「この国難の折りにそれはいかぬの」
「わしの所領ももはや闇に呑まれたとのことじゃ。まったくどうしたものか」
 当然ながら重臣たちは闇に対して有効な策など持ち合わせていない。日々集まって来る悲報凶報に憂い顔を突き合わせているばかりであった。
 数日ぶりに群臣の前に姿を現したミカニカが、憔悴しきった顔で口を開いた。
「棄国救世」
 一瞬、何のことか判らずに重臣連がぽかんとした表情をする。
「国を棄て、世を救う・・・・ウラナングに親征します。全軍を挙げるのみならず、全国民に刀槍を握らせ、ウラナングを目指すのです。ウラナングにはびこる魔族、それを従え率いるクルグランを討てば、闇は退くかも知れません」
「ぜ、全国民ですと!?」
 髭の重臣が、辛うじて驚愕の声をあげた。他の重臣たちは、驚きのあまり声もあげられぬといった面持ちでつっ立っている。
 ミカニカが小さくうなずいた。
「へ、陛下、御冗談が過ぎましょうぞ。このヴラスウルは国祖ファトレオ陛下のお骨折りにより建国され」
「その建国をお認めになったウラナングが魔と闇に蹂躙され、クマリの御行方も知れません。今こそ、我らヴラスウルが聖都を奪還し、大恩に報いる時ではありませんか?」
「それは・・・・」
「このままでは、国が闇に呑まれ、座して滅びを待つのみです。その前に、何らかの手を打たねばなりません。私とて、棄てたくて棄てるものですか。民にも迷惑をかけることになるというのも判っています。しかし、このまま国に留まり、闇に呑まれ、魔族に踏みにじられることを思いなさい」
 ミカニカが、静かに、しかし意を決した者だけが持ちうる情念を込めて続ける。
「近くは旧クンカァンのゴニク・オロサス、セモネンドのソジ・ハトラ。亡国の主は数有れど、自ら国を棄てようという王は・・・・私が初めてでしょう。軍兵だけでなく民草すらも戦に駆りたてたミカニカ・スキロイルを、後世の史家は暗愚の幼主と謗るかも知れません」
 その口調は、年齢に似合わない自嘲の思いを帯びたものであった。
「陛下・・・・」
「すでにクタ太守、またセイロよりクタに移ったクトルトル家当主ヘクトールには国境で合流する旨、書状を送ってあります。今頃は届いている頃でしょう」
 ミカニカが思いを断ち切ろうとでもするかのように、しばらく目を閉じた。再び目を見開くと、すぐ横に控えている最も信任篤い衛士長に声をかける。
「ダッシャァ。カジフの親衛隊長職は罷免し、王宮を去らせました。衛士にその人数を併せて、ウラナングまでの道程、また戦場での私の警護を命じます」
 寡黙な武人が黙ってうなずく。
「ククルカン」
 ミカニカが王軍総督に目を移す。
「エレオロク周辺ではすでにカヤクタナとクンカァンが衝突していることでしょう。多少の小競り合いは仕方の無いこととしても、我が軍の損耗は極力避けねばなりません。カヤクタナを見殺しにするのも忍びないですが、大事の前の小事。セドからはエレオロクに向かわず、そのまま脇街道を西進します」
「はっ」
「先の敗戦の恥を雪ぐはこの時です。引き続き、全軍の采配を預けます」
「は、はっ」
「カハァラン。いますか」
「はい。御前に」
「イーバからの人数、あなたが率いなさい。呪人たちの警護も任せます」
 カハァランが一礼する。
「メ・ブ、ナハル」
「ははっ」
「はい」
「急な出兵になりましたが、騎馬の兵、揃っておりますか」
「幾らかは」
 ミカニカがうなずく。
「フルハラング」
「は。これに」
 初めて参内を許された護民兵の副長がいささか緊張した声で返事をすると、ミカニカが声の主に目をやる。
「あなたですか。逆賊クリルヴァを捕らえるなど、近来の働きは聞いております。全ての護民兵を使い、できる限り急いでジュッタロッタ及び近隣の住民をまとめなさい」
 末座に控えていたマウカリカが、ミカニカの言葉を反芻する。
(陛下・・・・ミカニカ様、まさか・・・・死ぬおつもり? ヴラスウルにお帰りにならないおつもりなの?)
 ふと、一つの推測がマウカリカの胸を過ぎる。
(カジフを王宮から追ったのは、そのため・・・・? 勝ち目のあるかどうか判らない戦争の巻き添えにしないように?)
 ざわめきが広間を支配する中、ミカニカが次々と王臣たちに遠征の役職を割り振る。
 その時、慌ただしげな足音を響かせ、衛士や侍女ら数人ととも軍装の男が駆け込んで来た。
「も、申し上げますッ!!」
 石の床に平伏した男が言上する。砂塵にまみれた装束は近隣の村里の巡視にあたっている兵士のものであるらしかった。
「闇の領域、退いておりますッ! 原因は不明なれど、首都近辺にて認められた闇は、全て東方にッ!」
「なんと!」
「闇が!?」
 重臣たちが声を上げる。
「取り残されたンギなど弱小の魔族こそあれ、天にはかつてのごとき青空、広がっておりますッ!」
「陛下、ジュッタロッタの空も」
 侍女らが信じられないといった表情で言う。
「曇り空ゆえしかとは判りませんでしたが、ただ今は雲の切れ目より青空が見えています!」
「おお!」
「これで、我が国も安泰!」
「陛下の御徳よ! スキロイルよ永遠なれ! ヴラスウルよ永遠なれ!」
 年甲斐も無く、重臣たちが無邪気にはしゃいだ声をあげる。中には危機が去った安堵感のあまり涙声になっている者さえいる。
 そして。
 王座の間全体が喜びの声に包まれたその時である。
「陛下!」
 滅多に大声をあげないダッシャアが叫んだ。
 王座の前に立っていたミカニカが、床に崩れ落ちている。
「陛下、陛下!」
「侍医を!」
 ダッシャアが細心の注意を払いつつ、女王の細い身体を助け起こす。
「・・・・大丈夫・・・・です・・・・」
「気が緩まれたのみ。お喋りあるな。すぐ侍医が参り申す」
 ミカニカがうなずく。
 急いで駆け付けた侍医が脈を取り、侍女たちが指示に従って女王の小柄な身体を移動式の寝台に載せ、運び出す。
「お静かに、お静かに。心配はございませぬ。多少お疲れが溜まっておられるのみ。しばらくお休みになれば」
 侍医が騒然となった群臣に説明する。再び安堵の溜め息が聞こえ、やがて静かな談笑に変わっていった。

◆王座の間
「クリルヴァ」
 血色の良くないミカニカが、囚人の粗末な衣服を着せられ床に引き据えられた男に冷たい声をかける。
「国王として、逆賊にかける慈悲は持ち合わせておりません」
 クリルヴァは無言である。
「しかしあなたは我が一族にして、先王陛下の従弟。特に死一等を減じます」
 重臣たちが異見を挟む。
「陛下、恐れながら先例によれば大逆は斬刑と定まっており申す。今後のためにも厳しき処断を」
「クリルヴァ殿には、改悛の情みられず、再び叛意を抱かぬとも限りませぬ」
 ミカニカが、それらを聞き流して冷静な口調で続ける。
「クリルヴァ、あなたの目、耳、舌を奪います。無明無音の苦しみを自らの罪業と知りなさい。二度とヴラスウルの地を踏むことはなりません」
「ミカニカ」
 ゆっくりと顔を上げたクリルヴァが初めて口を開いた。
「・・・・」
「・・・・」
 女王と叛逆者が、しばし睨みあう。クリルヴァが何か言いかけようとしたが、再び口をつぐんだ。
「退がらせなさい」
「はっ」

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