第7回 C-1 首都ジュッタロッタ


◆王宮・広間
「メルレスよりの使者であるとか。面を上げよ」
 王座に腰掛けたミカニカが、目の前の男に声を掛けた。ラウドと名乗る中年男が、ゆっくり顔を上げる。
「いえ。正しくは、シクの」
 ラウドが唇を歪めて言う。
「また、クマリの密勅もお預かりしております」
 重臣たちがざわめく。
「クマリにおかれましては、貴国とクンカァン、当シクとの三国による同盟をお望みにございます」
 重臣たちのざわめきが一段と大きくなった。禿の重臣が進み出て言う。
「クンカァンと結べと? いかにクマリの命といえど、それは承知しかねる」
「さよう、密勅と言うが、まことにクマリの勅書であるのか?」
 にやにやとラウドが不敵に笑いながら言う。
「重臣がたは左様に仰せでございますが、陛下。貴女には荷の重すぎる決断ですかな?」
 ミカニカが側に控えるダッシャアに何事か囁いた。しばらくすると一度退出したダッシャアが、筒のようなものを持って再び姿を現した。
「ラウドとやら」
 ミカニカが言う。
「ここに、ウラナングへの派兵をお命じになった詔勅がある。そのほうの持つ密勅とやら、見せてみよ。この詔勅と比べ合わせよう」
 ラウドが狡猾な笑みを浮かべる。
「これなる密勅は、我が主君ユクレフに賜ったもの。いかに女王陛下のお求めとはいえ、軽々とお見せするわけには参りませぬ」
「そうか。ならばそのユクレフに帰って告げよ。クマリをお救いしたのならば、すぐに聖都奪還の兵を挙げよ。我らヴラスウルは、こそこそ領地を掠め取る流賊風情と手を結ぶつもりは毛頭無い。正々堂々の兵を挙げるのであらば、ともに戦うこともできようがな」

◆王宮・女王の私室
「失礼いたします」
 非番の日には日課のようにこの部屋を訪れるマウカリカとアイシャが、一礼すると入室する。
「今日は何の用事ですか」
 ミカニカの機嫌は、ウラナング失陥の報が届いて以来、非常に良くない。もっとも、原因はそれだけではない。一族の者が女王と諸侯との離間を謀っていたという事実。これが女王の神経をいたく逆撫でしていた。
「親衛隊長の、カジフの件です」
「カジフ?」
 ミカニカの表情が変わる。
「マウカリカ、あなたは私の前で口を開くと、二言目にはカジフ、カジフですね。あの者と何かあったのですか?」
「い、いえ。そういうことではなくて」
「では、何ですか?」
「あの、カジフが、その・・・・クトルトルの一族の方を讒言したとか、そういう噂を耳にしましたもので」
「ああ。本人は讒言ではないと断りましたが、聞く者によってはそうも取れたでしょう」
「では、確かにそういうことがあったのですね?」
「カジフと先代の当主クィヒリとの仲はあまり良くなかったと聞いていますが、今は当主も替わりました。クリルヴァの件もあります。これ以上、クトルトルを刺激したくありません。マウカリカ」
「はい」
「その話は、あなたの胸にしまっておきなさい」
「・・・・わかりました」
「陛下」
「アイシャ、まだ何かあるのですか」
「お願いがございます」
「何です?」
「その・・・・閉門中のクリルヴァのことです。今、王宮の衛士が警備に当たっていますが、陛下の親衛隊に替えさせてはいかがでしょう? 差し手がましいとは思いますが、設置以来さしたる働きがあるというわけでもなく、百近くの兵が死に数になっているのはどうかと存じます」
 ミカニカは黙ったまま聞いている。マウカリカがアイシャの言葉を引き継ぐ。
「陛下の親衛隊は、陛下の御意志によって用いられるべきです。今のままではカジフの私兵を王宮で飼っているなどとの陰口も叩くも出て参りましょう」
「わかりました。考えておきます」
「それから、フルハラングという男をご存知でしょうか?」
「あなたの報告書によく出る名前ですね。有能な男ですか?」
「はい。城下の護民兵の中では出色の人材かと。私が推挙いたします。彼を護民兵の副長に抜擢していただけませんでしょうか?」
「何か失態があれば、責めはあなたにも回ってきますよ」
「わかっています。・・・・陛下、我々護民兵に、クリルヴァ邸の家宅捜査をお許しください。ミカニカ様を欺くなんて許せない!」
 じっ、と女王がマウカリカの目を見つめる。
「なりません」
「なぜです?」
「クリルヴァは、仮にも我らが一族、先王陛下の従弟にあたります。謀叛の企みがあったにせよ、軽々しく護民兵の手に委ねて良い身分ではありません。取り調べは」
 ミカニカが少し言葉を切る。
「国王自らが指揮します。マウカリカ、アイシャ、退りなさい」
     *      *
「お呼びでございますか。陛下」
 カジフ・クトルトルがやや緊張した面持ちで女王に拝礼する。
「親衛隊の出動を命じます」
 女王が、感情を無理に押し殺したような素っ気無い口振りで言う。
「衛士たちに替わり、クリルヴァの屋敷を警備しなさい。手抜かりの無いように」
「陛下」
 カジフが顔をあげる。
「何か?」
「・・・・申し上げねばならないことがございます」
「手短に」
 瞬間、かっとカジフの頭に血がのぼる。
「ミカニカ!・・・・いや、ミカニカ様・・・・私は・・・・」
 カジフのただならぬ形相を見たミカニカが、そばの侍女に目配せする。それを察した侍女が退出していった。
「私は・・・・クトルトルの生まれではありますが、母方よりハトラの血を引いております。今まで隠しておりましたこと、お詫び申しあげます」
「それだけですか」
 拍子抜けのする返事であった。
「い・・・・いえ」
「それがどうかしたのです? カジフ、国王という身分はできの良くない冗談に付き合っていられるほど暇ではありません。近頃ハトラの血、ハトラの血と騒ぐ者がいるようですが、スキロイルの家譜を辿れば、私にも幾分かはハトラ家の血が流れています。その血を引くことがそれほどやましいことなのですか?」
「・・・・いえ、決して」
「他には?」
 女王の声に幾分苛立ちの色が混ざる。
「・・・・はい。・・・・今、同志の者と大魔軍を迎え撃つに当たっての策を練っております」
「大魔軍を」
「我がヴラスウルに近いカヤクタナの国境付近、メルレスにて」
「メルレス?」
「知る辺の者がすでに動いております」
「わかりました。カヤクタナとのこともあります。我が国から直接に助力するわけにはいきませんが、あなたの裁量内で進めるように」
「はい。申し上げることは、以上でございます」
「では改めて王命を下します。親衛隊を率い、クリルヴァの邸の警備に向かいなさい」
     *      *
「失礼いたします。セレスにございます」
 若い女性が一礼して入室する。
「陛下、先日お届けした“古の刃”よりの書状の件でございますが」
 ミカニカが静かに言う。
「セレス」
「はい」
「ヴラスウルに、他国の内紛にまで嘴を突っ込ませるつもりですか?」
「いえ、そういうつもりは」
「我が国のために働くでもない、そのような者どもになぜ我らが荷担せねばなりません?」
「・・・・」
「聞きましたか。メシナルの件は」
「え?」
「ダッシャアのもとに知らせが入りました。旧メシナル軍にハンムー王軍の一部を加えた軍勢に攻められ、陥落したそうですよ。“古の刃”はメシナルを失いました」
「・・・・ハンムー王軍が?」
「この話は、なかったことにしなさい。、今は国内のことで手一杯です」

◆ジュッタロッタ・貧民街
 ジュッタロッタの治安を司る護民兵。その副長として実質上の指揮権を委ねられたフルハラングは、今日も捜査に余念が無い。
「どうだ、おい」
 流民やごろつきたちの頭を買収し、白装束の女の行方を捜しているのであるが、やはり先月以上の手がかりは得られない。
「やっぱり、クリルヴァの野郎の屋敷の中だな、こりゃ。・・・・しかしお偉いさんの屋敷にゃさすがの護民兵様も手が出せん。どうしたもんかな」
 報告に来た部下が言う。
「副長、例の短剣ですが」
「どうだった?」
「どうにも・・・・これだけでは手がかりにはなりません」
「畜生め。犯人の居所は判ってんだが!」
 フルハラングが、憎々しげに東の高級住宅街を眺めやる。

◆ジュッタロッタ・大通り
「フハハハハ。我は帰って来た!」
 ネゴ神教幹部の面々を乗せた象が、多数の信者たちを従えて通りを進んで行く。先頭を行くアーシュ、チューリン夫妻を乗せた象は、女王の御座する象もかくやと思わせるほどに派手に飾り付けられ、異様な迫力を辺りに振りまいている。
「ガーラ、あんたもクマリのこと、可愛かったと思うかい?」
 後ろの象に乗ったリタが、御者台のガーラに声を掛ける。
「・・・・」
「返事ぐらいしたっていいじゃないのさ」
「リタ、あなたよくそんな余裕あるわね。あー、もう戦争はこりごり」
 同じく象の背に揺られているセレスタが言った
「我らはクマリに認められ、その御前にて祈祷を行った! この度の戦争の被害が最小限で食い止められたのは、ネゴ神の力にほかならぬ!」
 アーシュの演説が始まった。しかし信者を除けば沿道の人々の反応は良くない。当然と言えば当然であったろう。勝ち戦ならばまだしも、負け戦を「負けが込まなかった」という理由で祝うことができるほど、ジュッタロッタの住民はのん気ではない。付け加えるならば聖都防衛のため派兵した諸国の中で、クンカァン軍と最も激戦を繰り広げたのはヴラスウル軍である。戦死者の数も夥しい。この行列を眺めている住民たちの中にも、知人や縁者を亡くしたという者がかなりの数で含まれているはずであった。

◆ジュッタロッタ・貴族の邸宅街
「これは?」
 ルヴァーニが驚きの声をあげた。
 訪ねようとしたクリルヴァの屋敷は、女王の親衛兵たちが厳重に警備し、ただごとならぬものものしい雰囲気に包まれていた。
「どうしたのだ、これは?」
 手近な兵士を一人捕まえ、ルヴァーニが勢い込んで聞く。
「知らなかったのか? 謀叛の疑いでな、閉門だよ」
「謀叛!?」
「ああ。クトルトルと王家の仲を裂こうと企んでいたんだとよ」
「そんな・・・・」
 愕然としたルヴァーニが、固く閉じられた門を見つめる。
「誰が取り調べた!? クリルヴァは何と言ってるんだ!?」
「おいおい、何だってんだよ。あんたこいつの知り合いか?」
「そんなことはどうでもいい! 誰が取り調べたんだ!?」
「女王陛下だ。証拠も揃ってて、ほぼ間違い無いだろうってよ」

◆王宮・会議の間
「ククルカン様、インカム様、ソルトムーン様、参上されましてございます」
 侍臣の一人が告げる。
「すぐに通しなさい」
 女王が言う。間もなく、戦場帰りの三人の武将が姿を現した。
「苦労でした」
 女王が、一言だけ声を掛けた。
「は・・・・、王軍を預かりながら、この度の敗戦。陛下にお見せする顔もございません。この責めはいかようにも」
 ククルカンが、沈痛な表情で深々と頭を下げる。
「ヴラスウルの武名を汚さず、我らのクマリに対する忠誠心をあらわすことができただけでも、よく働いたと言えます。今は先の戦を考えねばなりません」
「陛下、殿軍を務めつつクンカァン軍の動きを観察して参りましたが、追撃の気配は無いものと存じます」
「大魔軍、不敗の軍団を除くクンカァン本軍も、聖都攻略のために相当な打撃を受けているはず。しばらくは派手な作戦行動も取れぬかと」
 ソルトムーンとインカムが言う。
「すぐに重臣たちと、王族の中で手の空いている者を参集させます。引き続き、軍議を行います」
     *      *
 クテロップ亡き後のヴラスウルは、女王ミカニカの持つ求心力でのみ保っていると言っても良かった。髭、白髪、禿、赤ら顔の重臣連は揃って凡庸で、国政や軍の采配を任せうるに足る切れ者は見当たらない。女王に近づく若手の王臣たちには、才能の片鱗を覗かせる者もいないではない。しかしすぐにクテロップの後を引き継ぐ器と言えるだけの人材は、目に付かないのが実状である。
 前摂政のクテロップも、決して神算鬼謀の人ではなかった。彼の取ってきた内政策、外交策をみても、奇手奇策と呼べるようなものは一つとして無い。しかし、クテロップの異才は、その先見性にあった。将来破綻するであろう部分、故障の生じそうな個所を予見し、厳しい国家財政をやりくりして、地味ではあるが遺漏の無い対策を施してきた。
 例えば彼の設けた諜報網である。今でこそ内乱の続くハンムー、クンカァン軍に占拠されその厳しい統制下にあるウラナングの二箇所からは報告が届きにくくなっているものの、かつては国内のみならず、ほぼカナン全土にクテロップの息のかかった間者が潜み、掴んだ情報は間断無く彼のもとに集まってきていた。彼はそれを冷静に分析し、素早い処断を下した。摂政となったのはミカニカ女王の即位後であったが、先王メグーサイの治世から執政官としての彼の実力はカナンの政治家たちの間で注目を浴びていた。
 才略と胆力に秀でほぼ万能人とも言うべき初代ファトレオ王と並んで、ファトレオ王が打ち立てたヴラスウルの基盤を固めたクテロップの力は高く評価されていたのである。
 ヴォジクのバーブック王、ハンムーのネピニィニ王妃といった謀略家たちにも一目置かれた実務家クテロップの存在が、ヴラスウルの国名に重みを加えていたことは間違いない。
     *      *
「では、今後の方針について忌憚無く意見を述べられよ」
 議長役を申し付けられた髭の重臣が、おごそかに言った。
「申し上げます」
 インカムが口火を切って発言する。
「我が国にほど近いカヤクタナ領内メルレスに、叛徒が拠っているとのことでありますが、まずはこれを追い、カヤクタナ本国と結ぶのが宜しいかと。クンカァン軍の侵攻路は北から、つまりカヤクタナ領内を通過するものと思われます。何よりも、その脅威を取り除くべきと存じます」
「カヤクタナと結ぶ案、賛成にございます。クンカァン軍を我が国に入れず、できることならばカヤクタナ領内で食い止めることができれば、それが最良かと」
 インカムの意見にククルカンが同調する。
「待て待て」
 老人の声でそれを遮る意見があがった。王族の一人、ランハドゥである。隠居の身ではあったが、長老格ということで特に王宮へ召されていた。スキロイル家の中でも長命な家系で、すでに九十近い歳になる両親も郊外の所領で未だ健在、ヴラスウルの生き字引きとでも言うべき老人であった。
「早まってはならぬ。若い者は元気が良いが、落ち着きも大切じゃぞ」
 ククルカンが苦い顔をする。この年寄りにかかっては、歴戦の勇将もかたなしである。
「陛下、このランハドゥが考えまするに、むしろメルレスに立て篭る叛徒とやらは、盾として利用すべきではございませぬかな? その叛徒を討つとなるとどうしても兵を損ずることとなりましょうぞ。今は一兵でも惜しい時でもあり、無闇と兵を起こすのはいかがかと存じまするが」
 ランハドゥが一同を見回す。
「今は我が軍も痛手を受けておりまするゆえ、戦よりも再編成が肝要ではありますまいかな? 騎兵と弓兵、この二つが我が軍には不足しておるように感ずるが」
「いかにも」
 ソルトムーンが発言した。
「確かに、聖都防衛のような戦では象兵の威力は無視できませぬ。しかし小回りが利き、足力に物を言わせることのできる騎兵は、野戦において不可欠」
「御老、ソルトムーン」
 ミカニカが言う。
「得難い意見でした。メ・ブ、おりますか?」
「は」
 軍職に連なる者として末座に控えていたメ・ブが答える。
「聞いての通りです。急ごしらえになるかも知れませんが、騎馬を揃えておきなさい」
「はい」
 メ・ブが頭を下げる。
「陛下」
 アッカーンががたりと椅子を鳴らして立ち上がる。
「クンカァンの各軍に対する対策にございます。まず本軍に対しては、守りに徹して領内に引き込み、その補給線を断つのが上策かと。大魔軍に対しては奇策が必要です。何らかの大規模な罠、たとえば落とし穴ですが、そういったものを用意し、混乱したところを弓、投石器を用いて討ち減らします。不敗の軍団については、先ほどより論議になっております騎兵を用いて撹乱、その後に突撃して各個撃破するのが最良かと」
 流れるような調子でアッカーンが自策を披瀝する。
「児戯児戯。机の上しか見えておらぬようじゃのう」
 ランハドゥが口を挟む。
「御老人、それは余りなお言葉でございましょう」
 むっとした顔でアッカーンが言う。
「そうかの。しかし考えてみよ。お主の言った策、一々もっともに聞こえはするが、さてそれを実行するとなるとどれほどの兵がいる? 王軍に、ヘクトール率いる辺境軍の人数を合わせても動かせるのは五千には満たぬじゃろう。お主の案ではそれを三つに分けねばならぬ。魔族やら腐敗の軍団やら、いくらでも補充の利く大軍が相手では、それこそ各個に撃破されるのが落ちじゃ。先ほどの意見を翻すことになるのかも知れぬが、ことここに至ってはもはや戦術などという小細工は通ぜぬかも知れぬな」
 ミカニカがうなずくと、口を開く。
「他国といかに結ぶかが問題です。特に我が国に向かうクンカァン軍の進路となるであろうカヤクタナの件。聖都が落ちた今モロロット王に本気でクンカァンと戦う気が有るのかどうかわかりません。アッカーン」
「はい」
「私の使者として立ちなさい。ともにクンカァンに対抗すべく、モロロット王、ウナレ王妃を動かすのです。余力が有れば、ユクレフとやらの拠るメルレスの様子も確認しなさい。あのラウドという男の言葉も気にならないわけではない」
「王命とあらば」
「良い知らせを期待しています。ククルカン、メ・ブとともに騎兵の編成を監督しなさい。インカム、ソルトムーン、王軍の訓練は怠りなく続けなさい。いつでも兵を出せるように」
「はっ」
「軍議はこれまでで、よろしいですかな」
 髭の重臣が言う。
「では、国内の諸問題について、思うところが有れば述べられよ」
「クリルヴァと言い、クゥリウと言い、一族の不始末が目立ちまするな」
 ランハドゥが苦り切った表情で言う。
「クゥリウについては、反省の色も見え、戦場にて働きもした様子。そろそろお許しになってはと考えまするが」
 ソルトムーンもそれに同調する。
「クゥリウ様は、援軍として我らとともに働かれました。その功に免じ、何とぞ寛大なご処置を」
「ソルトムーン、王族がたの事情もある。僭越であろう。同じ“烈風会”の同志とて、庇いだてするか?」
 髭の重臣が叱責するが、それを遮ってミカニカが言った。
「良いでしょう。クゥリウの身分を復させなさい。ただし、二度とこのようなことを起こさないよう、固く言いつけるように」
「は」
 髭の重臣が答える。
「クリルヴァのほうは、どうしたものですかのう。諸侯と王家との離間を謀ったのが事実であれば、それこそ大逆の罪にあたりまするな。いやはや、困ったことをしでかしてくれたものじゃ」
 ランハドゥが言う。
「自分なりの忠義のつもりであったかも知れぬが、しかし解せぬ。辺境軍の勢力を削って何をしようと企んでおったのか」
「クリルヴァは、当分監視しておきます」
 ミカニカが言った。
「何か企てがあるのならば、必ず動くでしょう。同調者を見出す必要があります」
 インカム、ソルトムーン、メ・ブといった“烈風会”の面々は、無言である。
「インカム」
 ミカニカが冷えた声音で言った。
「今回のこと、“烈風会”の盟主であるあなたは何も知らされていなかったのですか。それとも、黙認していたのですか」
「知らされては・・・・おりませんでした」
「“烈風会”は、まだクリルヴァを同志として認めるのですか。ならばあなたがたにも同様の嫌疑がかかるということは言うまでもないでしょう」
「いえ、決して・・・・」
「早々に、処置しなさい」
「・・・・は」

◆王宮・廊下
 ダッシャアが退出するインカムらを呼び止めた。
「無事の帰還、重畳」
 相変わらず言葉少なに言う。
「軍議でも出たと思うが、大事が持ち上がっている。“烈風会”としての存念をお聞かせ願おう」
「クリルヴァ殿のことか」
 無言でダッシャアがうなずく。
「陛下からも釘を刺された。我々としても、会の統制を乱す行為を放っておくわけにはいかない」
「ならば」
「しかし・・・・クリルヴァ殿の腹が判らない。なぜ、あのような挙に出たのか」
「罪は罪。果断な処置を取るのも、盟主としての務め」
「うむ・・・・」

◆王宮・女王の私室
「陛下、御無沙汰をしております」
 長いことイーバの滝に赴いていたカハァラン・スキロイルである。以前にくらべ、若干日焼けした顔が印象的であった。
「イーバは、いかがでした?」
 女王が静かに言う。
「北から、おそらくはクンカァンの手の者だと思いますが、侵入していたらしい形跡がありました。今は、とりあえず平穏のようです」
「そうですか。苦労でした」
「それで、陛下」
「何か?」
「以前、書状にて差し上げました際には、聖都への派兵のため援助はしていただけぬというお話でしたが」
「その件ですか」
 渋い表情を作って、女王が言う。
「呪人は、必要無いのですか?」
 カハァランが意外そうな面持ちで聞いた。
「好んで人里離れた滝に赴き、己の術を磨くことだけを望んで修行に明け暮れている者たちを、国費を投じてまで保護せねばならないのですか? あの滝の呪人が、一度でもヴラスウルのために働いたということが有りましたか?」
「しかし陛下、陰徳を積むのも王者の務め。いつかきっと彼らの助力が必要となることがありましょう」
「・・・・具体的に、どうせよと言うのですか?」
「滝を守る者に、王軍の兵士たち程度に俸禄を支給したく存じます。また呪人たちの中でも、ジュッタロッタへの移住を希望する者がいるかも知れません。そのような者には宅地を賜りたく」
「わかりました。あなたに任せます」
「お聞き届けいただけますか」
 カハァランがにこりと微笑む。
「ありがとうございます」
 一礼したカハァランが、静かに退出していった。
     *      *
「陛下、謁見を願い出ておる者がございますが」
 赤ら顔の重臣が、額に噴き出た汗を拭いながら言う。
「ルヴァナ殿の紹介状を持っております。いかがいたしましょうや?」
「ルヴァナの? 通しなさい」
「は。おい」
 重臣が、侍女に申し付ける。しばらくすると侍女に導かれてシュリ・トゥルブトゥルが姿を見せた。
「控えよ。御前である」
 重臣が拝礼するように促され、シュリが慌てて礼をする。
「ルヴァナの知人とのことですが、私に何か用事ですか?」
 ミカニカが油断の無い目つきでシュリを見つめる。
「大慰問際を開きたいの。陛下のお力で、商人に働きかけてお金を出させてもらえない?」
「これ!」
 重臣がたしなめるが、意に介する風でもなくシュリが続ける。
「皆で、クマリの奇跡が起こるようにお祈りをするの」
「それで?」
「陛下には、お祭りの中心で祈ってくれない? 今が正念場だよ、さぁ、どうする!?」
 完全に興味を失った目をして、ミカニカが重臣に向かって言った。
「くだらない。退がらせなさい」
 重臣が、部屋の外に控えていたメルクタナを呼ぶ。
「ちょっと!」
 シュリがつっかかる。
「そのような祭りなど、この期に及んで内輪もめをする余裕のあるハンムーでもどこにも行ってやるが良い。ヴラスウルが続くか、いや、聖ウラナング同盟が続くかどうかの瀬戸際に、遊んでいられるほどヴラスウル人はのん気ではない」
「待ってよ! ちょっと、離して!」
     *      *
「何か、騒がしい来客のようでございましたが」
 つまみ出されたシュリと入れ違いに、キュイとシャーンが拝礼して部屋に入る。
「陛下には、致仕以来のお目通りになります。御無沙汰をいたしました」
「久しいですね、キュイ」
「この度は、陛下にお伺いしたいことがあって罷り越しました」
「どうかしたのですか?」
「百年前の策をお聞きしたいのです」
「百年前?」
 ミカニカがいぶかしげな表情をする。
「闇を退ける策についてです。セモネンドの古い資料をあたったところ、百年前にクマリを闇に差し出し、それによって闇の領域を退けたという記述がありました。なぜ、それによって闇が退いたのか、陛下がご存知でありましたらお聞かせ願いませんか?」
「もう一度言いなさい。キュイ」
 女王の声が低まる。
「クマリを差し出した? そのような話は聞いたことがありません。何かの間違いではないのですか?」
「いえ。・・・・しかし陛下がご存知でないとあれば、お伺いしても詮の無いことでした。御無礼をお許し下さい」
「キュイ。待ちなさい。百年前に、誰がクマリを差し出したのです?」
「・・・・当時の、ウラナング五国の王たちでございます」
「陛下」
 それまで黙っていたシャーンが、口を開く。
「初めてお目にかかります。キュイの知人にて、シャーンと申します」
 ミカニカが視線をシャーンに移す。
「テガーナの王家、スグナの裔にございます。キュイと同じく、無礼を承知でお聞きしたいのです」
「初代クマリ、ンナカーを闇に差し出したのは、如何なる理由があってのことでしょうか。またクマリと闇との関わりは」
「知りません」
 ミカニカが緊張しきった表情で言う。
「先王陛下からも、何もお聞きしていません。そもそも、時の五国といえばハンムー、クンカァン、ヴォジク、モダ、そしてセモネンド。我らスキロイルの者が、なぜ知っているのです?」
「・・・・陛下」
 キュイが困ったような表情で言った。
「その・・・・百年前にクマリを闇に差し出すべく動いていたのは、セモネンドの王臣であられた御当家スキロイルのお血筋の方々。本当に、聞き及ばれていることはございませんか?」
「伝わってはおりません。そのような話など」
 ミカニカの顔が青ざめる。
「知らないのです」

◆ジュッタロッタ・貴族の邸宅街
「異常、無いな?」
 雨季の晴れ間、たまにこんな日がある。西の風が強く、妙に気温が低い。そんな日のことであった。カジフが親衛兵たちに声をかけてまわる。新衛兵たちが初めて体験する実務といって良い。やや緊張気味の兵の姿が目立つ。
「陛下直々に命じられた仕事だ。しっかり務めてくれ」
 ふと顔を上げたカジフが、屋敷の様子を窺っていた眼帯の若者の姿に気づく。
「何者だ?」
 カジフに声を掛けられ、槍を担いだ若者が悪びれる風もなく返事をした。
「辺境軍の将、レンセルという。クトルトルの隠居と家宰を襲ったという賊の女を探している」
「クトルトルの・・・・?」
「そうだ。この屋敷の使用人で、イーオヴェとかいう女だと聞いた」
「・・・・そうか。しかしこの屋敷の主人は閉門中だ。食物と水の差し入れのほか、出入りは許されん」
 レンセルが嘆息して言う。
「ならば、しかたが無い。・・・・その女が中にいる気配は?」
「いや、我々も引き継いだばかりだ。使用人のほとんどは解雇したと聞いているが、実際に中の様子まではわからん」
「隊長!」
 突然、部下の親衛兵が叫んだ。
「どうした!?」
「火事です! 近所の屋敷から火が出ました!」
「なに!」
「火の周りが速い! 付け火かも知れません!」
 レンセルとカジフは一緒に駆け出していた。
 すでに火は二三軒の屋敷を包み込み、更に燃え広がる気配であった。
「水を!」
「無理です! この勢いでは、消し止められません!」
「何てことだ!」
 カジフが舌打ちする。
「逃げたぞ!」
「そっちだ!」
 手薄になった屋敷の裏口を破り、クリルヴァとおぼしき男が脱出を図ったのはその時であった。どこに潜んでいたのか、数名の部下とおぼしき人数が彼を守り、囲みを突き破った。
「クリルヴァ! 逃げるか!」
 カジフが兵を率いて駆け出す。
「手伝う!」
 レンセルがその後に続く。
「追え! 決して逃すな!」
 クリルヴァの逃げ出した方角に駆けていたカジフたちの前に、突然脇手の道から現れた数名の騎馬の衛士が立ちふさがる。
「謀叛人が逃げ出すかも知れん。この道は、封鎖する」
 衛士の長と思われる人物が言った。
「何だと! 我々はクリルヴァ邸を監視していた者だ! そこを退け! クリルヴァがこの先に逃げた!」
「退くわけにはいかない。そう偽って逃げ道を確保しようという賊の一味かも知れんからな」
「親衛隊長のカジフだ! 王命により警備を仰せつかった! 空けろ!」
 レンセルが気づいた。
「カジフ、そいつだ! 女だ!」
「何!?」
 レンセルが叫ぶ。カジフが咄嗟に腰の短剣に手をやるが、それより先に衛士の長が馬に鞭をくれ、カジフたちの中に突っ込んだ。
「ちッ!」
 カジフがさんざんに追い散らされた兵を立て直す間もなく、女たちはいずこかに姿をくらました。
「クリルヴァ! 何を企んでいる!」

◆ジュッタロッタ大火
 セモネンド以来のジュッタロッタの都は、ヴラスウルの国祖ファトレオが大改修を加え、王宮と市街全体を囲む城壁のみは石造であった。しかし街中の多くの建物は木造であり、クリルヴァの一味が放ったと見られる火は、強い西風に煽られて瞬く間に邸宅街を嘗め尽くし、ジュッタロッタ市街東部に燃え広がった。神殿街を飲み込み、貧民街を飲み込み、多くの人命を奪い、家財を焼いた。
「何て・・・・こと!」
 急を聞き、重臣たちと王宮の高楼から大火の様子を見ていたミカニカが真っ青な顔で震えながら呟いた。
「ダッシャア! ククルカン!」
「・・・・は」
「逆賊クリルヴァに、追討令を出します。生死は問いません。必ず、宮門の前に引き据えなさい」
「承知、つかまつりました」
「許しません・・・・クリルヴァ。この私に弓引くつもりですか」
 ジュッタロッタの市民五万のうち、死者は六千を数えた。伯父ファトレオがジュッタロッタを築き、甥クリルヴァが同じ街を焼いた。ジュッタロッタでは人気のあったクリルヴァであったが、この日を境に民たちは彼をこう呼んだ。
 “闇の御前”と。

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