◆イーバ滝 「ユンフェイ殿、ユンフェイ殿!」 ロディヌンが野太い声でユンフェイを呼び止める。 「ユンフェイ殿、それがしともう一度、手合わせを!」 ユンフェイが呆れた顔で振り向く。 「馬鹿か? てめぇ」 「左様、それがしも己を馬鹿だと思い申す。しかし納得のいかぬことは突き詰めてみねばならぬ性分にて」 「相手にならないんだよ」 「そう言われるな。何とぞ、何とぞ!」 「付き合いきれねぇ」 ユンフェィはロディヌンを相手にせず、立ち去ろうとする。 「ユンフェイ殿!」 ユンフェイがぴたりと足を止め、振り返る。 「お前ら、ナッフが大切なのか?」 「は?」 「大切なら、こんなところにいつまでもうろついているな。目に付きすぎる」 それだけ言い残すと、ユンフェイは足早にその場を離れた。 「そう申されても・・・・」 取り残されたロディヌンが呟く。 ◆呪人の小屋 寝台に寝かされたナッフを、ナージャ、ファルコ、パイシェ、オジャが取り囲んでいる。 「いい? じゃ、始めるからね」 ナージャが薬草の粉を振り巻き、呪文を唱える。神妙な顔をしてそれに聞き入るパイシェとファルコの二人。徐々に眠気が込み上げてくる。 「力を抜いて。ナッフにだけ集中するのじゃ。ナッフの心に、自分の心を溶け込ませよ。余分なことを考えてはならぬ」 術に加わらないオジャが注意する。ナッフに今後の身の振りようを問いに来たのであるが、意識が無い状態では問いただしようもない。 呪文が途切れ。ナージャが呟く。 「眠気に逆らわないで。そのまま身体を任せて。ゆっくり・・・・」 暗転。 (ここ・・・・?) (パイシェ! ナージャ!) (ナッフは?) (真っ暗・・・・) (どうしてこんなに暗いんだよ!) (・・・・) (ナッフ、返事をして!) (ナッフ! 俺だよ! ファルコだ!) (ナッフ・・・・) (ナージャ、どうなってるんだ!?) (私だってわからないわ。とにかく、今のナッフは何も考えてないってことなのよ。心の中が、空っぽ・・・・) (どうしたら元に戻せるんだ?) (わからない・・・・) (ナージャ、呪人だろ!? 何とかならないのかよ!) (興奮しないで! 何がナッフの心を壊しちゃうかもわからないの) (・・・・) (・・・・) (どこにも、明かりがない・・・・音もしない。どうなってるの? これがナッフなの? まるで何かの入れ物だったみたい) (どういうこと?) (ナッフの中に有ったものが、みんな消えちゃってるような感じなの。記憶や、感情や、そんなものまで) (じゃ、俺のことも、パイシェのことも、モップのことも、みんな忘れちゃってるのかよ!) (・・・・) (そんなのないだろ! ナッフ、返事をしてくれよ! ナッフ!) (待って!) (・・・・) (どこか、別の場所にいる・・・・そんな気配もするの。記憶や感情は、消滅しちゃったんじゃなくて、どこかに抜け出してるのかも知れない) (本当かよ! どこだよ! ナッフはどこにいるんだよ) (わからないの! それが確実かどうかも。どこにいるかなんて・・・・) (イルイラムの結界と、何か関わり合いはないのか?) (え?) (イルイラムが強い結界を張ったってことだったけど、ナッフの魂がそれによって弾き飛ばされたとか) (・・・・わからない・・・・) (ファルコ、どう思う?) (ナッフがおかしくなったのは北の林に入ってからだ。結界は関係無さそうな気がするぜ) (でも、この前まではうわごとでも何か言ったりしてた。イルイラムが結界を張ったのは、その後) (・・・・) (あ!) (ナージャ、どうした?) (術が・・・・もう保たない!) 我に返り、がくりと膝をつくナージャ。ファルコとパイシェの二人も、大きく息を吐く。 「大丈夫だったか?」 オジャが訊ねる。 「パイシェ、さっきの話」 「待て」 床に崩れ落ち、冷や汗を流しているナージャをパイシェが助け起こす。 「君のことは好きじゃないけど、今回ばかりは礼を言わなくちゃならない。ナッフを元に戻す手がかりに、少しでも近づけた気がする」 「いいの・・・・それより、休ませて」 オジャがナージャを抱え上げ、予備の寝台に寝かせる。 「さっきの話だけど、僕も確証はない。魂がとか、呪術とか、手の届かない話だしね。でも、考えてみてもいいと思う」 「・・・・そうか。・・・・ジーソーの婆さんが、ウラナングに帰ろうって言ってた。ウラナングなら、その辺りのことに詳しい人もいるかも知れない」 ファルコの言葉にパイシェがうなずく。 「どっちみち、イルイラムの結界が原因ならここにいても何にもならないんだ。ウラナングに戻ろうか」 「あ、でも。戦争やってるんだってさ」 「戦争?」 「クンカァンと、他の国が。ウラナングでさ」 「迷惑だね。でも、僕らのあの隠れ家なら早々は見つからないと思う」 「そうだな。モップたちとも合流しなくちゃならないし」 ナッフは、寝台の上で穏やかな寝息を立てている。 「ナッフ、待ってろよ。俺たちが、きっと元に戻してやるからな」 ◆呪人の集落 「終わりましたか?」 祭壇を片づけているイルイラムに、カハァラン・スキロイルが声をかけた。 「カハァランさんか」 「術の具合はどうです?」 イルイラムが盲いた目をカハァランに向けながら答える。 「私がつきっきりになれば、この結界は維持できると思う。問題は魔族でない連中が侵入して来た時」 心配そうな顔つきのイルイラムを励ますように、カハァランが言う。 「客人ですよ」 「はーっはっはっ、よう。イルイラム」 「ドヴン?」 「よく判ったな。そうだ。ドヴンだ」 「久しぶり」 「そうだな。三月ぶりぐらいか?」 「ドヴンさん、兵士を五十人連れて来て下さったんですよ。滝の周りの魔族を倒すつもりだったらしいんですが」 「もういないんだってな。お前さんの結界で」 にこりとイルイラムが笑う。 「手間を掛けさせたかな」 「いや。俺の人数で役に立つことが有れば行ってくれ。ジュッタロッタに送ってやってもいいぜ」 「・・・・」 「イルイラムさん」 カハァランが声の調子を変えて言った。 「あなたのその術は、誰かこの滝の呪人の方に引き継いでもらうというわけにはいきませんか?」 「どういう意味です?」 「ここを離れることも考えるべきだと思います。ジュッタロッタは聖都へ派兵しているために、こちらに送る兵はないとのことです。そもそも陛下や重臣たちがどれぐらい本気で考えてくれているのか怪しいものですが」 少し言葉を切り、イルイラムの顔を見ながら続ける。 「誰かに術が引き継いでもらえるのなら、一度ここを離れて、別の角度からこの一件を見るのも良いかと思います」 「・・・・」 「どうですか?」 「判りました・・・・が」 「?」 「このイーバは私の修行した地。見捨てて行くわけには」 カハァランがドヴンと目を見合わせる。 「そうですか・・・・。しかし、そういう手段も考えておいて下さい」 「無理すんなよ」 ◆ンブツの祠 「・・・・」 カビタンが自分でこの祠を作り、その前に座り込んで数日が過ぎた。呪人たちが心配して置いてくれる食物にこそ口を付けてはいるが、雨季に入り頻繁にやってくる強烈なニーカリ(通り雨)の中でも立ち去ろうとしない。 「ぅぅぅっ、私には、これしかできません・・・・」 ぶつぶつと何事か呟きながら、愛人の遺骨の入った骨壷と遺品の髪飾りを懐に抱き、神人の修行時代に覚えた鎮魂の賦を口中で唱える。 昼も。 そして夜も。 深夜に至っても。 《呪人よ》 誰かがカビタンに呼びかける。 《呪人よ》 「はい」 カビタンが慌ててやつれきった顔を上げる。 《もうよい。余り強い思いは、死人の魂を迷わせる。わしの手から抜け落ちてしまう》 「ラノート、様?」 《誰でもよい。もう嘆くのはよせ。》 「はい」 カビタンがうなだれる。 《それよりも。死んだでもない魂が、この辺りから彷徨い出た。今はここを離れ、どこへ行ったかも判らぬ。それを探せ》 「え?」 《よいか。探すのだ》 誰のものとも知れない声が、強い調子で命じた。 「は、はい」 《よし。急げ。魂が戻る前にその者の身体が損なわれるような事がれば・・・・おそらく、死ぬぞ》 「わかりました。しかし、何か手がかりは?」 《無い》 「は?」 《無い。それもお主が探せ。まだ死ぬはずのない、幼い魂としか、判らぬ》 「そんな」 《探すのだぞ》 声はすぅっと消えた。困惑した表情のカビタンが一人。 ◆夜 がばり。 ファルコが毛布を跳ね除けて起き上がった。 「・・・・どうした?」 隣で寝ていたパイシェが尋ねる。 「うん・・・・。何か寝付けないんだ」 「寝ておかないと、大変だぞ。明日はナッフたちとウラナングへ出発するんだからな」 「うん」 「寝よう」 「そうする」 ファルコが再び寝床にもぐる。 (ナッフ・・・・) ◆イーバ滝下流・ネタニ川河原 血に染まった河原に倒れ臥していたその男をを見つけたのは、近辺に居を構える舟人であった。周りには、ナッフの着ていた服と、血に汚れた二本の槍。 いや、槍のうち一本は、穂先が失われていた・・・・と言うよりも、木っ端微塵に砕け散っていた。 男は、右腕だけが奇妙に焼け爛れ、もはや二度と使い物にはなりそうにない。 ともあれ、舟人は男を抱え起こし、自分の小屋へと運んでいった。その間も、男は苦しげにうめくばかりで気を取り戻す気配は無い。 寝台に寝かされ、膏薬を荒っぽく擦り込まれる。 「ぐぅっ、がっ!」 激痛に、男が目を見開いた。 「ひどい怪我だな、何が有ったんだ?」 舟人が、寝かされた男の顔を覗き込んで、言う。 「チアジさんだろ? あんた。何が有ったのか、俺で良かったら話してみな」 そして。 その朝から、ナッフとジーソーの姿がイーバから消えた。ファルコとパイシェを置き去りにして。 ◆イーバ滝・滝壷 シーッツァが、ヌシキを連れて戻ってきた。ジェゾたちは祭壇の準備に余念が無い。 「ジェゾ、今日で良かったんだぁな?」 「はい。そのつもりで準備をしてました」 「そうかい。舟のほうはなぁ、何せ作るの初めてだからよ、色々と詰まっちまってる。ヌシキさんが暇だっていうから手伝ってもらってるけどよ、一体いつになることか、なぁ」 「そうですね」 ヌシキが苦笑する。 「それにしても、マラムディの野郎もどっか行っちまったし、チアジさんも姿が見えねぇ。どうなってやがんだ?」 「ナッフとジーソーさんもいないそうなんですが・・・・」 ヌシキが心配そうな口振りで言う。 「まぁ、連中みんな丈夫そうだからいいけどよ。どっかでくたばるようなこともあるめぇ。それより」 シーッツァがジェゾに言う。 「こっちのお二人は、どこのどなたで?」 「ああ、こっちはクタラナ。踊り子でね、神に捧げる踊りを踊ってくれる」 「よろしく。一生懸命踊るから」 「で、アプルーヴァ。一緒に祈ることになってるんだ」 「とにかく、頑張るでの」 女が会釈する。 「でな、ジェゾさんよ。ちっとばかり気になってることがあるんだが」 「何ですか?」 「お前さんの言ってた、例の旋律ってやつだ。ナッフの言ってたあれだがよ、引っかかってなんねぇんだ。ありゃ、単にひっくり返した言葉を並べただけじゃねぇのか?」 「・・・・」 「お前さんが信じ込んじまってるからよ、今まで言うのも悪いと思ってたが、ありゃ節でもなんでもねぇぜ、きっと。あれでどうやって太鼓叩こうってんだ?」 ジェゾが詰まる。確かハンムーの宮殿でも同じことを言われた。 「それにの」 アプルーヴァが口を挟んだ。 「わしも何か嫌な気がするのじゃ。間違った旋律で太鼓を叩いては、良くないことがおこるのではないかのう」 「だけど」 ジェゾが言う。 「だけど、何かしないと。慎重になりすぎて機を失うのが一番怖いんです」 「お前さんがその気だってんなら、止めはしねぇ。協力するがよ、万が一ってこともある。その時の覚悟はしとけよ」 シーッツアが厳然たる調子で言う。 「はい」 ジェゾが深くうなずく。 「始めましょう」 アプルーヴァが、馬頭琴を奏でつつ、神々を礼賛する詩を唱える。その音色に合わせてクタラナが優雅に踊る。ジェゾが緊張した面持ちで太鼓のバチを握る。 ぱすん。ぽすん。 気の抜けた音。シーッツァが顔を顰めて言う。 「ジェゾ、真面目にやらねぇか」 「違うんです! この太鼓、鳴らない」 「なんだって?」 シーッツァがジェゾの手からひったくるように太鼓を取る。 「そんなわけねぇじゃねぇか。こんなに皮が張ってるんだぜ? お前さんが真面目に叩いてねぇんだろ」 シーッツァがジェゾの手からバチも奪い取る。 「ものはついでだ。試してぇことがあったんだよ。あのナッフの言葉に関わりが有るんだが、な。ちょっと節を叩いて、それを逆さにして叩いてみらぁ」 ばすん。ぼすっ。ぼすっ。ばすん。 「何だぁ?」 シーッツァが目を丸くする。 「鳴らないでしょう?」 ジェゾが困惑した表情で言う。踊りを止めたクタラナと、馬頭琴の弓を下ろしたアプルーヴァも太鼓を覗き込む。 「鳴らないんなら、わしの危惧は逸れたの。正しい旋律しか受け付けないのじゃ。きっと」 「正しい旋律・・・・」 シーッツァが腕を組んで考え始める。 「誰か、来たよ」 クタラナがジェゾの袖を引く。振り返ると、五匹の猫を連れた旅装の若者がこちらに歩いて来ている。 「誰だ? 見ねぇ顔だな」 シーッツァが胡散くさげな視線をやる。近づいてきた若者が、一礼した。 「ここ、イーバの滝ですよね。こちらにナッフという子供がいると聞いて来たのですが」 「ナッフに?」 若者がほんわかした口調で続けた。 「ええ。噂に聞くところでは、私とその子は同郷だってことですから。故郷のお話でもしようかと思って」 「同郷・・・・、じゃ、クンカァンの?」 「ええ。申し遅れました。私はヴィルメル。それから、こっちは仲間たちです」 「み〜」 「にぃ」 「なご」 「みゃー」 「にゃお」 「ちっと待ってくれよ、・・・・ヴィルメルって、確かカハァランさんが何か言ってたぁな」 「何か知っておるのか? シーッツァ」 アプールヴァが怪訝そうに聞く。 「確か、ナッフが言ってたらしいぜ。うわごとでな。同じ・・・・一族とか」 「じゃ?」 「ヴィルメルさん、あなたはナッフのことをどこまでご存知です?」 ジェゾが尋ねる。 「え? そう言われましても・・・・同郷としか」 「いや、ナッフの一族ってことなら・・・・オロサス家にご縁のあるお方でやしょ?」 シーッツァが口調を改めて尋ねる。ヴィルメルは困った顔をしていたが、やがて口を開いた。 「はい。ヴィルメル・オロサス。それが私の真の名です」 「旋律について、何か知りませんか!?」 勢い込んでジェゾが尋ねる。 「ちょっと待って下さい。そう急に次から次へと聞かれても。私はナッフに会いに来ただけです。まず、ナッフに会わせてもらえませんか?」 「それが・・・・」 今まで黙ってやりとりを聞いていたヌシキが言う。 「ここにはいないんです。どこか行ってしまったようで」 「え?」 「まぁまぁ。待ちねぇ。な、その辺の話をよ、じっくりしようじゃねぇか?」 シーッツァが間に入り、顎でしゃくって小屋を指し示した。 ◆小屋 「そうですか・・・・。そんなことが」 以前からこの集落にいたヌシキとシーッツァが、ヴィルメルにこれまでのいきさつを語って聞かせる。 「一族の子供たちがどうなったかは、亡国の際の混乱でほとんど伝わっていませんでした。もちろん、ナッフという子のことも」 「ナッフが言った、『ヴィルメルも、ムンディアも、みんな知ってる。同じ一族』というのは、ヴィルメルさんたちオロサス家のことと考えてよかろうの」 アプルーヴァが聞く。 「はい。ムンディアという名には聞き覚えが有ります」 「では、旋律は?」 ジェゾが尋ねる。 「私は笛で覚えていますが、分家によって楽器の種類は違います。鐘や、琴の家も有ります。笛にも横笛の家と縦笛の家がありました」 「そうですかぃ。ジェゾ、それじゃ、そのオロサス家に伝わってる旋律に間違いは無さそうだな」 「そうですね」 「ヴィルメルさん、ご存知のその旋律、太鼓で鳴らせるように直せますかぃ?」 「・・・・できないことはないと思います。もともと音階に変化が少なくて、笛で吹くにはちょっと向いていないものでしたから」 シーッツァがうなずく。 「さっそく、叩いてみるのじゃ」 アプルーヴァが椅子を引いて立ち上がる。 「ちょっと待って下さい」 ヴィルメルが制した。 「この旋律・・・・鳴らして良いものか、まだ判りません。何か、良くない力を呼び寄せるものであるとか、そういうものであったら・・・・。その辺りを、ナッフに聞こうと思ったのですが」 「そうね」 クタラナが言った。 「ジェゾ、悪いことが起こらないという保証は無いんじゃない?」 「それはそうですが・・・・」 「待ちねぇ。ナッフはその旋律について、テイカン神殿の誰とかっていう人について習ったんだろ? 鳴らしてまずいものをそういう人が教えるか?」 「・・・・」 「鳴らしてみようぜ。ヴィルメルさん、頼んますっ」 シーッツァが深々と頭を下げる。 ◆滝壷 先ほどの面々にヴィルメルを加え、再び儀式を始める。ヴィルメルがしばらく考えた末に、旋律を紙に書きつけ、彼自身が太鼓を打つことになった。 「太鼓、叩けなくて残念であろ?」 アプルーヴァが慰めているのか判らないような調子でジェゾに言った。 「でもヴィルメルさんが一番旋律に詳しいから、仕方がないです。我々がうっかり旋律を間違えたりするのも心配ですし」 「うむ。一緒に見守るのじゃ」 ヴィルメルが緊張した面持ちで太鼓のバチを握る。アプルーヴァが詠唱を始め、それに合わせてクタラナが踊る。 ぱすん、ぼす、ぼす。ぼすん。 「だめか!」 ジェゾが悔しげに顔を歪める。 「鳴らぬの」 アプルーヴァが気落ちした表情で言う。 「待て」 シーッツァが言った。 「ナッフがうわごとで言った詩だ。『王は魚なり、臣は澪なり。謁は杖なり、罪は蜜なり。されば節は師父なり』ってな。これが引っかかってならなかったんだがよ、こいつだ。ヴィルメルさんら、オロサスの御一族は、確かに旋律をご存知だ。しかしよ、ナッフは『これは一人』って言ったんだぜ」 「で?」 ジェゾが続きを促す。 「ナッフは、旋律を知ってたんじゃねぇ。旋律の秘密を知ってたんだ。つまりだ、ひっくり返すのさ。旋律をよ。ヴィルメルさん、今の旋律をよ、済まねぇがもう一度、今度は逆から鳴らしてみておくんなせぇ」 シーッツァの言葉に、ヴィルメルがうなずく。すぅ、と息を吸い込み、ブルガの太鼓に向かう。ジェゾとアプルーヴァが祈り、クタラナが踊る。 どん、とんとん、とん。どん、とん。 軽妙な節回しで、太鼓が鳴った。 とーん、とん、どん。どどん。とん。 「鳴った!」 思わずジェゾが叫ぶ。 「確かに、鳴ったの」 アプールヴァが頷く。 クタラナも踊りを止め、太鼓を鳴らしているヴィルメルの姿を見詰める。 《シーッツァよ》 (は?) 《シーッツァ》 (ヘ、ヘズベス様ですかい?) 《いかにも》 (こりゃ、どうも) 《鳴ったのう。太鼓が》 (へい、御蔭さんで) 《わしも約束が果たせたわい》 (はぁ) 《ウラナングへ、行け》 (?) 《音色を奏でるには、それに相応しい場所がある。わしの寝床で鳴らされても、喧しいばかりじゃ》 (こりゃ、恐れ入りやす) 「シーッツァ、どうしたの?」 ぼーっとしていたシーッツァに、ヌシキが声を掛ける。シーッツァがはっと我に返る。 「あ、いや。何でもねぇ」 旋律を奏で終えたヴィルメルが、ふぅっと大きな息を吐いてバチを下ろす。 「何か・・・・変化は?」 心配そうな表情で、ヴィルメルが尋ねた。 「今のところ」 ジェゾが言う。 「いや。有ったぜ」 シーッツァが言った。 「この滝壷に住んでおられる神様・・・・ヘズベス様っておっしゃるんだが、その神様がよ、『ウラナングへ行け。音色を奏でるにはそれに相応しい場所がある』ってな、言ったんだ。ここは神様の言う通りにしたほうが良かぁねぇか?」 ジェゾが大きくうなずく。 「導きとあらば」 「行くかの。ウラナングに」 アプルーヴァの言葉に、クタラナもうなずく。 「到着するまで、持ちこたえてくれりゃ、いいんだがな」 シーッツァがふと口にする。 一同の表情が曇る。音色を鳴らして何が起こるのかは判らないが、クンカァン・・・・いや、クルグランにティカン神殿が制圧されてからでは、遅すぎるのかも知れない。 ◆プキモの小屋 「プキモさんよ」 「うん? またお主か」 「聞きたいことが有るんだ」 「いつもいつも、勉強熱心だの」 「茶化さないでくれ」 「はっはっ。まぁ座れ」 「そうさせてもらうぜ」 「で、何じゃ? 聞きたいこととは」 「魔族のことだ」 「魔族?」 「ここいら辺にうろついてた、ンギとかじゃなくてな、もっととんでもなく、そんな連中が逃げ去っちまうような強い魔族ってのは、いるのかい?」 「さてのぅ・・・・わしもンギ以外の魔族は見たことがないのでな」 「文献で残っているものでもいい。何か、判らないか?」 「ワラチュイや、ブフグーといった怪物がおるそうじゃが、詳しいことはな」 「そうかい」 「役に立てなかったの」 「いや」 「もう一つ。まじないでそういう連中を呼び寄せるってのは、できるのか?」 「また物騒な話じゃの」 「できるのか、できないのか?」 「できるとも言いきれんが、術のかけようによってはできぬこともないかも知れぬな。よほど強い呪力が必要であろうし、考えられぬほど恐ろしい神罰が下ろう」 「そうか」 「そんなことを聞いてどうする。傭兵のお主が」 「いや、いいんだ」 「何か、おかしなことを考えてはおるまいな」 「・・・・」 「な、何をする!」 絶叫と血しぶき。 「俺を憎め! その方が、これから戦い易いだろ! 憎め!」 男が、あおむけに床に転がったプキモの屍を蹴りつける。心臓の辺りに、刃でえぐった傷が一つ。 「あばよ」 男は、血にまみれた短剣を一舐めすると鞘に収めた。そして足早に小屋を立ち去っていく。 残されたのは、血塗れの死体が一つ。 ◆声 あぁ。久しぶりだなぁ。血だよ。血。なんだかこの前からよ、痺れるような嫌な感触がしてたんだがよ、これで元気が出たぜ。さぁ、どこへ行こうか。クンカァンか? 殺し合いをやってるウラナングもいいな。闇に行くか? それでもいいぜ。へへ。お前の好きなようにしろよ。どこまでもつきあってやるからよ。俺は、お前の相棒だもんな。 |