第6回 C-0 ヴラスウル全域


◆セイロ・クトルトル宗家
「当主は都に向かったのでな、我らが話を伺おう」
 クトルトル宗家の客間。前当主のクィヒリと、家宰のギンヌワが並んで腰掛けている。
 目の前に座ったレンセルが、一礼して口上を述べる。
「東部密林に跳梁する魔族討伐のため、兵をお貸し願いたい」
「兵を」
「はい。今、魔族を討てば、クトルトルは名声、民の支持、背後の安全を選られるのです。ためらわれることは無いと存じます」
「ふむ。ギンヌワ、どう考える?」
「は。レンセル殿の申されよう、もっともとは存じますが、当主様が五百を率いて都へお上りになり、五百も援軍のため用意しておくようにとの仰せでございました」
「そうであったな」
「当主様にはヴラスウルの臣として何よりもウラナングの動静が御心配な様子。魔族は近頃なりを潜めており、その討伐に兵は割けぬとお考えでは」
「しかし」
「レンセル殿、だったか」
 レンセルの言葉を遮って、クィヒリが言う。
「我らが実際に動かせる兵の数は、ご存知か?」
「・・・・」
「とうていあの広い大密林で、慣れぬ魔族相手の掃討戦などできる数ではない。むろん、魔族が民の暮らしを脅かしておるのならば、それは我ら麾下の辺境軍を動かそう。しかし聞くところでは、被害に遭ったのは森に入り込んだ者たちだけだということであった。森を避けて暮らせば済むことでは無いかな?」
 クィヒリが歴戦の猛将の威厳をたたえつつ言う。決して魔族に臆しているのではないというのはレンセルにも判った。
「兵は、軽々しくは動かせぬ。民を守るために動かしたつもりが、民を苦しめることにもなりかねん。我らは、慎重でありたい。もちろん当主に諮りはする。今日のところは引き取られよ」
 クィヒリが立ち上がったレンセルの手を取る。
「カガトの槍術を伝える若者と話が出来たのは愉快であった。いつでも、辺境軍に参じられれよ。その折には当主に言って、将の席を用意させよう」
「お心づかい、ありがたく」
 レンセルが出ていくのと入れかわりに、シノーが客間に姿を現した。
「ギンヌワ、こちらは?」
「は。カジフ様の御友人にて、女王陛下の親衛隊副隊長を務められますシノー殿にございます」
「そうか。カジフは元気か?」
「は。カジフよりの書状を預かっております」
 ギンヌワがシノーの手から書状を受け取る。
「このたびは、ヘクトール様の家督相続、つつがなく執り行われまして祝着至極に存じます」
「うむ」
「またカジフも改めて挨拶に伺うと申しております」
「そうか。まぁ元気でやっておればそれで良い。余分なことをせねば、だがな」
「・・・・カジフには、女王陛下の親衛隊長として過分の信頼をいただいております。若輩にございますが、今後とも宗家よりお見守り下されたい、とのことでございます」
「我らに嘴を入れて欲しくないと、そういうわけか」
「・・・・いえ、決して」
「ふん。その辺りは当主の決めることよ。わしのような隠居がどうこう言うことではない」
「女王陛下には、クトルトル家と事を構えるおつもりは無い様子にございます。今後、両家の絆を深めるためにも、縁組みをお考えになっては、とも申しておりました」
「ふん。ギンヌワ、言うものよな」
「私としては何とも・・・・」
「シノーとやら」
「は」
「クトルトルを甘く見るな。カジフの讒言、逐一耳に入っておる。それほど女王に取り入りたいか。一族の面汚しめが。知らぬふりをして尻尾を振ってみせるあたりが薄汚いの。変節の血を引くだけのことはある」
「それはあまりなお言葉」
 シノーが顔色を変える。
「そもそもだ、そのような話を我らにしたところでどうともならぬ。全ては当主のヘクトールに話を通せ。わかったか」
「・・・・」
 クィヒリが立ち上がる。
「客人がお帰りだ」
 シノーが追い立てられるようにして部屋を後にすると、また別の客が一礼して入ってくる。
「エルクガリオンと申します」
 巫女の衣をまとったエルクガリオンの姿を見て、クィヒリ、ギンヌワの二人が顔を顰める。
「この衣はお気になされますな」
「・・・・」
「辺境軍の方々に御相談したい事がございまして、まかり越しました」
「何をじゃ?」
「ティカン神殿へ赴き、闇の領域を押し返した初代クマリ、ンナカーの事跡を調べとう存じます。それについての辺境軍のご助力を願いたく」
 クィヒリが呆れた表情で言う。
「おかど違いも良いところじゃ。話にならぬ。勝手にすればよかろう。そもそも当主は都に行って不在じゃ。馬鹿らしい」
 クィヒリがさっと立ち上がり、部屋を出ていく。ギンヌワもその後を追うように部屋を立ち去って行った。

◆ジュグラの里
 にぎやかである。ジュッタロッタより疎開してきた孤児たちがこの里で暮らすようになって、はや一月が過ぎようとしていた。
「ユエシュロンおじちゃん、また何か御馳走して。ね、ね」
「おじちゃん、目、開かないの?」
 ユエシュロンの小屋には、なぜか奇妙になついた子らが集まっていた。
「おじちゃんじゃないの。ユエシュロン兄ちゃんって呼ばなきゃ駄目じゃない」
 子供たちの世話をしているミニャムが叱る。
「ミニャムおばちゃんが怒ったー!」
「おばちゃんじゃないっ!」
 ユエシュロンがにこにこしながらミニャムに言う。
「じゃあ、そういうことだ。里にいる間、仕事の手伝い・・・・得意なことがあればそれでもいいが、礼金代わりに働いてくれ」
「うん。わかった。みんなにも言っておくよ。わたしは狩人なんだけど、ユエシュロンさん、この辺りで良い猟場とか、知ってる?」
「・・・・いや。あいにくだが。そういうことには疎い」
「そっか。じゃ、自分で探してみる」
「牛飼いのクランギという男がいる。このあたりのことなら、彼に聞くのが一番だろう」
「ふーん」
「それから」
 ユエシュロンが表情を曇らせていう。怪訝な顔でミニャムが尋ねる。
「なに?」
「森には、近寄るな。都でも評判になっていたかも知れないが、闇が迫っているらしい。どのあたりまで来ているかはわからんが、魔族がうろついていたこともあった。近づかないほうが無難だ」
「・・・・うん。子供の足で行けるところじゃないけど、一応みんなにも言っておいたほうが、いいかな」
「そうだな」
     *      *
「馬鹿なことを言うな」
 珍しくハーデヴァが声を荒げた。
「正気か? ケセラ」
「正気だよ」
「辺境の様子も判らないのに、蛮族に会いに行くだと? ンニンリを連れて? ふざけるな! 万が一のことがあったらどうするんだ!」
「大丈夫。烈風会から兵を借りてる」
「そういう問題じゃないだろう! もし逆に兵を率いていったのが裏目に出たらどうする?」
「裏目?」
「そうだ。相手が敵愾心を抱くかも知れん。蛮族相手に立ち回りでもやらかすつもりか?」
「・・・・」
 おろおろと二人の言い合いを見守っているのは、ハンムーから来た二人の芸人、ジルダとシャントンだった。
「大丈夫。向こうに行って遊ぼうね」
 二人が孤児たちを連れてその場を離れると、再びケセラが口を開いた。
「蛮族の中に、ソジ王に仕えた将軍の生き残りがいると聞いた。その子にンニンリを合わせて、身元を確かめたい」
「確かめて、どうするつもりだ?」
「・・・・今は口にしたくはない。けれど、決して思い付きで言っているわけじゃない。わかってくれないか?」
「何を言い合ってるんだ?」
 南方から帰ったばかりのタファンが、声をかけた。
「喧嘩は勘弁してくれ。子供たちの教育にも良くないだろう」
 タファンが大真面目な顔をして言う。その口調に毒気を抜かれ、とりあえずは二人とも舌鋒を下ろした。
「蛮族がどうこう言ってなかったか?」
「タファンさん、あなたは南から戻ってきたばかりだと言うことだったけど」
 ケセラが尋ねた。
「ああ」
「ソジ王の、もとの将軍という人に面識は?」
「ん。ウキさんか。来てるぜ。里に」
「本当!?」
 ケセラが血相を変えて詰め寄る。
「な、何だよ。来てるって。道中危ないからってんでな、俺たちを送ってきてくれたんだよ」
「会わせてくれないか!?」
「ちょ、ちょっと待て。何だ? あの人に何の用事だよ」
「ソジ王の・・・・血を引いているかも知れない子がいる。確かめてもらいたいんだ」
「何だと? ソジの?」
「そうだ。その、ウキという人のところで、いきさつを話そう」
     *      *
 ウキの小屋。
「ふーむ。その子か」
 ウキ老人が、ンニンリを抱き上げる。ンニンリは初対面の老人に警戒心を抱いているのだろう。おどおどとした表情で、今にも泣き出さんばかりである。
「ンニンリ」
 ケセラが声をかける。
「そのお爺ちゃんは、ンニンリのお爺ちゃんの知り合いの人だからね、心配しなくていいよ」
 ウキは、しばらく抱き上げたンニンリの顔をためつ、すがめつ眺めていたが、やがて抱え下ろし、言った。
「目元は、確かに王に似ておられる。直系の御子かどうかはともかく、血を引いておられるのは間違いなさそうじゃ」
「そうですか。やはり」
 ケセラが安堵したように言う。
「ソジ王の、妾腹の子ということですね」
「かも知れん」
「一つお聞きしてよろしいですか?」
「何をだ」
「ソジ王が手をつけられたのは、どの家の出の女性です?」
「どの家でもない。庶人の娘よ。ジュッタロッタの商家のな」
「・・・・そうですか」
「それより、ケセラとやら」
「はい」
「この御子を、どうするつもりだ」
「ハトラと、スキロイルを繋ぐ絆に。そのためにも、御老にぜひとも後見人になっていただきたい」
「断る」
 強い調子でウキが言った。
「ンニンリ、行こう」
 黙って聞いていたハーデヴァが、ンニンリを連れて小屋を出ていく。
「それを横目で見ながら、ケセラが言う。
「先王メグーサイ陛下もその事を考えておられた様子。是非とも、婚姻にて両家の血を一つにしたいと考えるのです」
「その話は、すでに聞いたが」
 ウキが咳払いをして続ける。
「あの御子の顔を見たら、ますますその気が失せた。お主、あの御子を道具にするつもりか」
「それは」
「そうであろう。ハトラ家の遺族や遺臣を宥めるための人身御供にしようというのではないのか? あの御子の一生は、それで決まるのだぞ。王宮に入れば、亡国の遺児よ、政略結婚の道具よと陰口を叩かれるのは目に見えておろうが」
「しかし、両家が和合すれば、国内は静まりましょう」
「馬鹿な。今のヴラスウルが揺らぐか? セモネンドが滅びてより三十年、どこでハトラの遺臣がお家再興の旗を揚げた? ハトラの遺児たちが兵を起こしたか?」
「・・・・それは、確かに」
「巧緻なまでのファトレオの策略よ。陛下の悪事のみを喧伝して、自分はいかにも良い子、陛下には愛想尽きたという顔でウラナングに走りおった。そして正義を振りかざしてセモネンドを攻める。誰にも叛徒と言わせずにの」
 ケセラが黙り込む。
「ハトラ家の処分も巧妙じゃった。ソジ王の直系の御子らこそウラナングの命により処刑はしたが、御一族、ほとんどの者は内々で逃がしておる」
 思い当たる節がある。そもそもケセラ自身がここにこうしていること自体が、その証明にほかならない。
「ヴラスウル、いや旧セモネンドの民、一人としてハトラ家の血を慕うことの無いよう、スキロイルを恨まぬようにな、手を尽くしておる。見事なものよ」
 ケセラがじっとウキの目を見る。
「良いか。ケセラ。確かにスキロイルがハトラ家と縁組みをしようなどというのは、己の仕出かしたことに対する罪滅ぼしのつもりかも知れん。が、それはスキロイルの自己満足に過ぎぬ」
「そうでしょうか」
「そうだ。誰が喜ぶ。誰も喜ばぬ。悲しむ者、不幸になる者もおらぬかも知れぬが・・・・いや、不幸になる者がいたな」
「誰です?」
「あの御子よ」
 ウキが立ち上がり、小屋の戸を開ける。
「出て行け。長話が過ぎた。わしはとうに世を捨てた。もう、二度と訪ねて来るな。あの御子のことは、忘れろ。それこそがあの御子のためになる」
     *      *
「ね、どうなったんです?」
 シャントンが小屋を出てきたハーデヴァに尋ねる。
「難しい話をし始めたんでな、逃げてきた」
「へぇ」
「それより、この子をちょっと鍛えてやろうと思うんだ。手伝ってくれないか?」
「いいよ!」
 ハーデヴァは、まずンニンリに体力をつけさせるつもりらしい。ジルダ、シャントンに自分を加えた三人で毬を投げ合い、それをンニンリに奪わせる、という遊びにも似た鍛練法を考えついた。
「じゃ、行くよー」
 ジルダがぽんと放り投げた毬を追って、ンニンリが走る。ンニンリが拾う前にハーデヴァが拾い、今度はシャントンに投げる。
「あー、遊んでるぅ!」
「入れてよぉ」
 ミニャムと、他の孤児たちもそれを見て駆けて来る。
「じゃ、みんなで遊ぼうね。これが終わったらお兄ちゃんが唄を教えてあげるよ」
 ジルダが笑いかける。
「いっくぞー!」
 毬を受け取ったミニャムが、ぽん、とそれを放り投げる。歓声をあげてそれを追う子供たち。
 とりあえずは、孤児たちも辺境の暮らしに慣れてきているようであった。

◆セイロ・クトルトル宗家
「ギンヌワを呼べ」
 前当主の私室。クィヒリが、室外に控えているのであろう下女に声を掛けた。
「ギンヌワ様は御不在にございます」
 女の声。
「おらぬ? 先刻までは・・・・」
 クィヒリの言葉が終わる前に、ぎぃ、と扉が開く。血まみれの白装束を着た女が部屋に入ってくる。
「ええ。先刻までは。今はラノート様の御前に」
 クィヒリの眉がびくりと動く。
「女、どこの手の者だ」
 白覆面の下で、女の口が動いた。
「因果応報とは貴公のことね。・・・・死んでもらう!」
 クィヒリが、だっと椅子から立ちあがる。その眉間を目掛けて女の手から投げ刃が飛んだ。
「ふんっ・・・・!」
 わずかに首を振ってその刃を躱す。
「女、良い度胸だ。ギンヌワを倒すとは、腕のほうも悪くはないな」
「・・・・」
 今度は無言で女が短刀を引き抜いた。
「面白い。このクィヒリ、殺せるものなら殺してみよ」
 クィヒリは短剣を手にした女を前にしながら、腰に吊るした剣を抜く素振りも見せない。
(毒はギンヌワを殺す時にだいぶ落ちてしまった・・・・致命傷を与えなくては)
 女がさっと間合いを詰める。クィヒリは足を踏みかえるだけで、身体を開いたまま向き合っている。刺客の目からすれば隙だらけであった。
「死ね!」
 女がクィヒリの懐に飛び込み、クールーに祈りつつ右手の短剣を一閃して首筋を狙う。
(!)
 手応えはあった。が、それはクィヒリが突き出した左腕を貫いたに過ぎない。クィヒリが短剣に貫かれたままの左腕を、捻る。ごりり、と骨を削る嫌な感触が、柄を握る女の手に伝わる。
(この男・・・・!)
 クィヒリの腕に刺さった短剣はすぐに引きぬけそうにはない。咄嗟に一歩引き下がろうとするが、それより先にクィヒリが右肩から女の体に突っ込んだ。
「っぐ・・・・!」
 女が姿勢を崩され、肩から壁に叩き付けられる。側頭部を激しく壁に打ちつける衝撃に、目が眩み、膝の力が抜ける。前に倒れ込むのを踏みとどまるのが精一杯であったが、そこに更にクィヒリが踏み込んだ。
「所詮、刺客の剣よな。我ら戦場仕込みの者にしてみれば、児戯よ」
 覆面に包まれた女の顎をクィヒリの膝が捉えた。蹴り上げられた女の頭部が、再び壁に打ち付けられる。
「顎を潰しておかねばな。舌を噛まんで死なれては証人にならぬ」
 女は気を失ったのか、床に倒れ臥した。クィヒリは顔を顰めながら左腕に刺さった短剣を引き抜く。途端に傷口から鮮血が吹き出る。
「小娘が」
 クィヒリがうつぶせに倒れている女の覆面を剥ぐと、その右腕を取り、肘を外側に反らす。そのまま肘に自分の膝を乗せ、体重をかける。
「ぐぁ・・・・っ、ああっ!」
 激痛に、失神していた女がうめく。クィヒリは関節を破壊すべく全体重を女の右肘に乗せる。
 ごきり。
「あ・・・・くぁぁぁっ!」
 女が叫び声をあげる。肘が本来ならば曲がるはずの無い方向に折れ曲がった。
「さて」
 クィヒリが部屋を見回す。飲みかけの寝酒が卓の上に置かれている。
「傷口を洗うか・・・・」
 右手で瓶を掴むと、左手の傷に酒を注ぐ。かなりの疼痛が有るはずだが、クィヒリは表情も変えない。
 途端。
《やれやれ。厄介なことよの》
 床に滴り落ち、水溜まりになった酒の中から、輪郭のはっきりしない赤ら顔の老人が姿を現した。
「な・・・・!」
 老人は、事態を把握できずぎょっとしているクィヒリにニヤリと笑いかけると、その顔に酒臭い唾液混じりの息を吐きかけた。
「うぉっ! これは!」
 ふたたびクィヒリが目を開けたとき、床に横たわっていたはずの女の姿は、老人とともに消え去っていた。
「何と・・・・、あれは・・・・神か?」
 クィヒリが床に転がっていた短剣に目を留め、それを拾い上げる。
「ふん。証拠の品、か。無いよりはましであるが・・・・」
 しばらく思案していたクィヒリが口を開く。
「馬、引け! 都へ上るぞ」
 騒ぎを知って、部屋に駆けつけた数人の使用人たちがクィヒリの言葉にさっと頭を下げる。
「・・・・いや、待て」
 クィヒリが再び思案顔をする。
「ここは当主の判断に任せよう。わしはもはや隠居であるからな。筆の用意。それから早馬を一頭だ」
「はっ」
「ナハルが戻っていたな。すぐに呼べ」
「はっ」
 しばらくして、ナハルが姿を見せる。
「お呼びでございますか」
「うむ。都に上り、当主に伝えよ。身辺に気を配り、闇討ちなどに遭わぬようにせよとな。兵が不足ならいつでも送る。それから、カジフの動きに目を離すな。ウラナングへ向かっても、気の利いた者を都に残して置け、とな」
「はい」
「詳しいことは書状にして、後程送らせよう。お主は今すぐに都へ向かえ」
「はっ」

◆ヴラスウル西部・クタ周辺
「従え! さもなくば死ね!」
 “地獄の悪鬼”シドンが咆哮する。手下のごろつきたちが叫び声を上げて集落に駆け込んでいく。
「来やがったな!」
「迎え撃て!」
 自警団の男たちが、手に手に武器を取って飛び出してくる。
「上等だ!」
「囲め! 数は少ないぞ!」
 盗賊や匪賊化した難民相手の戦闘に慣れた自警団の面々は、手下のごろつきたちよりはるかに戦術を知っていた。ごろつきたちは無思慮に暴れまわってはいたが、やがて一人づつ囲まれては討ち取られてゆく。
「ちッ」
 シドンは舌打ちした。もはやシドンの馬の周りにも、声を上げて自警団の連中が斬りかかって来ている。
 なたがみを振り回しながらシドンが命ずる。
「退け! 今日のところは、退け!」
 もはやその命を耳にすることのできたごろつきたちは、シドンの周りの数人にまで討ち減らされていた。
「畜生! 覚えてやがれ!」
 馬首を返すシドンの目に、背後から迫っている軍勢の姿が飛び込んできた。
「何だと!」
 自警団員たちが歓声を上げる。
「太守様だ!」
「太守様の兵だ!」

 クタの駐留軍らしい軍勢は、もはや数人となったシドンの手勢ではとうてい支えきれそうにもない人数である。
「てめぇら、勝手に逃げろ!」
 シドンがごろつきに怒鳴りつけると、我勝ちに駆け出していく。
「一騎討ちをよ、やってやろうじゃねぇか」
 シドンがまたがる青毛の馬に鞭をくれ、軍勢の前に駆け出して行く。
「大将は誰だ! “地獄の悪鬼”シドンが相手をしてやる! 出て来い!」
 ただ一騎で立ちふさがるシドンの姿に、軍勢がどよめく。
 やがて一騎、槍を構えた中年の武人を乗せた馬が、軍勢の中から駆け出てくる。
「クタ太守自ら相手しよう。シドンとやら、覚悟!」
 武人が大きく伸び上がり、馬腹を両足で固く締めながらシドンに突きかかる。
「応!」
 シドンもなたがみを頭上で振り回し、馬を走らせる。
 金属音。
 武人の突きをシドンが身体を捻ってかわす。その体勢から振り下ろされるシドンの重い打ち込みを、武人が槍で左に払う。その動作が終わらぬうちに馬ごとシドンに激突する。
 両者ぐらりと体勢を崩し、馳せ違う。
「使えるな!」
 武人が言う。
「ふん」
 早くも馬首をめぐらしたシドンが、今度は先手を取って、横殴りになたがみを振るう。槍では避けにくい角度からの打ち込みである。咄嗟に武人が石突きで受け止めようとするが、シドンのなたがみの刃は槍の柄を両断し、武人の肩に食い込んだ。
「ぐぅあっ!」
 たまらず武人が落馬する。
「太守様!」
「太守様をお助けしろ!」
 軍勢が陣形を崩して迫ってくるのを目にしたシドンがにやりと笑う。
「止まれぇ!」
 シドンが叫んだ。
「それ以上近寄ってみろ。こいつを殺すぞ!」
 軍勢の足がぴたりと止まる。落馬した武人は打ち所が悪かったらしく、まだ地面に臥せたままうめいている。
「よーし。道を開けろ!」
 ざっ、と軍勢が左右に分かれる。
「はぁー!」
 シドンが、馬に鞭をくれ、その間を全速力で駆け抜ける。追ってくる気配は無い。
「太守様!」
「太守様! お怪我は?」
 ようやく武人が助け起こされる。
「ああ。大丈夫だ。・・・・それにしても、あのシドンという男、大した使い手だ。盗賊風情と侮ったのがまずかったな」

◆マダニャック山塊
「着いたぞ! 山頂だ!」
 汗みどろのミルコルクが、ぜいぜいと荒い息をつきながら登ってきた。
「着きましたか。はぁ」
 食料やら何やら、大荷物を背負わされた従者のマナマラマがさすがにぐったりした表情で後に続く。
「・・・・しかし・・・・」
 やや平らになった山頂は、見渡してみても荒涼たる岩地である。
「何だ、何も無いではないか」
「あの、御主人」
 マナマラマが言う。
「あの話は、もう何百年も前のことでしょ? 仮にソイカが残ってても、食べられる状態じゃないと思うんですが」
「食えぬと?」
「きっと、痛んでますよ」
「大丈夫だ」
「何でです?」
「お前が毒味をするからじゃ」
「ええ〜?」
「そんなことより、まずは探すのじゃ。この山頂のどこかにあるに違いない」
 そう言った時。
「む?」
 眉根を寄せるミルコルク。
「どうかなさいましたか?」
「胸騒ぎがする」
「え?」
「クータル様と、アルチェラのことが気にかかるのう」
「そう言えば。何か私も」
「真似をするでない。ともかく、荷物を担げ」
「え?」
 マナマラマが意外そうな顔をする。
「山を下りるぞ。クータル様を探しに行く」
「はぁ」
 老人の我が侭には慣れっこのマナマラマであった。

◆東部大密林
 クータルとアルチェラの二人組が森に分け入って何日過ぎたであろうか。十日目ぐらいまでは覚えていたが、それ以後何日過ぎたか、もはや二人とも記憶してはいない。
「クータル様」
 アルチェラが声をかける。
「私、思っていたのですが」
「何をだ?」
 クータルが振り返る。フードの奥で、金色の髪が揺れた。
「闇の領域で、無人の国を探すと言われましても、この通り、どこまで行っても人なんかいませんよ。どこもかしこも無人です」
「・・・・」
 疲労が、二人にのしかかっていた。二人で運べる食料には限界がある。闇に汚染された森の中では、果実すらも口に入れるのがはばかられるのだ。
「そこをピトリ王国の故地だと言いたてて、何になるんです? どうやって国を再興しようとおっしゃるんです?」
「アルチェラ。身分をわきまえろ」
「・・・・クータル様が行きたがっておられるのだからと思って、今まで言うのを止めておりましたが」
「何だ」
「あらかじめ施したまじないでは、そのような国の跡地の気配など、微塵も感じられませんでした」
「・・・・」
「もう、満足なされましたね。さぁ、引き返しましょう」
 アルチェラがやや強引にクータルの手を引く。
「離せ!」
 クータルがその手を振り解こうとするが、アルチェラはがっしりと掴まえて離そうとしない。
「クータル様をこのような危険な地に入れたのが、そもそも私の落ち度でした。ミルコルク様に何と言われるか」
 実際、これまでにも何度かンギなど小型の魔族に襲われていた。そこそこ腕の立つ二人であったからよかったものの、迷い込んだ木樵や狩人などであったらとっくの昔に殺されていたであろう。
「さ、戻りましょう」
 その時。
 木々の向こうで、三本足の何かが、真ん中にぶらさがるような太い胴部を揺らしながら、こちらに近づいてくるのが見えた。
「!?」
 がさりという音。見れば、左側にも同じ魔族がもう一匹。二人の背丈より、頭二つほども大きい。
「逃げましょう!」
 アルチェラがクータルの手を引いて全速力で駆け出す。しかし魔族も大型の割には奇妙に動きが素早い。二匹が木々の間を擦り抜け、象の鼻に似た長い触手のような器官を振り回しながら迫ってくる。
「食い止めます! クータル様、お逃げ下さい!」
 追いつかれるのを悟ったアルチェラが、クータルを行く手に突き飛ばしておいてから、向き直る。
「アルチェラ!」
 二頭の魔族が、鼻のような触手を伸ばしてアルチェラに襲いかかる。
「グドゥラ様! 御加護を!」
 アルチェラの得物が一閃する。魔族の胴部に刃が食い込み、緑灰色の体液が噴き出る。痛苦に激した魔族が、触手を伸ばしてアルチェラの胴に巻きつける。
「が・・・あぁ!」
 ぎりぎりと胴が締め付けられ、肋骨が軋む。アルチェラが苦し紛れに振り回した得物が、側の木に突き刺さり、抜けなくなる。
 もう一匹の魔族が、アルチェラの脳を食らうべく触手を伸ばし、先端についた口を大きく開ける。アルチェラの目が、その口の中の歯並び、たれ落ちる涎までもを捉える。
(クァン神よ・・・・せめて我が主人、クータル様だけは)
《世話を焼かせるな。馬鹿者が》
 胴の締め付けが強まり、意識を失う寸前にそんな声を聞いた気がした。
《これに懲りたら、考えも無しに闇には近寄るな。愚か、全く愚かとしか言いようが無い》
 アルチェラの意識は、そこで一度途切れた。次に目が覚めた時には、ヴラスウル辺境の里の外れで倒れていた。
「クータル様」
 がばっと跳ね起きたアルチェラが辺りを見回し、大きな安堵の溜め息を吐く。
 同じく気絶して、彼の隣に倒れていたのが、他ならぬ主人、クータルであった。

◆リダイ川河原・夜
 男が、二人。互いに槍を構えつつ、睨み合っている。族長の大年増の娘をめぐる決闘の夜。集落から大分離れていることも有り、立会人として例の通訳がいるほかは、他に誰の姿も見えない。
「・・・・!」
 立会人が何事か一声叫ぶ。それを合図に、一方の男が槍の柄に付いていた房飾りを引きちぎり、投げ捨てると、甲高い声で雄叫びを上げた。
 もう一方の男も、両手で槍を構え直すと、大音声で名乗りをあげた。
「辺境軍武人、エスカイ、参る!」
 二人が駆ける。すれ違いざまに勝負はついた。蛮族の男が突き出した槍を払いながら伸ばしたエスカイの槍は、男の喉に吸い込まれるように突き立つ。前に進もうとする慣性が、男の喉を切り裂いた。鮮血を撒き散らしながら男がよろめき、重いものを地面に叩き付けるような音を立てつつ倒れ込んだ。
「・・・・お前の、・・・・勝ち」
 立会人の男がたどたどしいカナン語で言った。エスカイが大きな息を吐く。
「お前、これで・・・・あの女の夫。でも、こいつの子供・・・・三人。殺すか、育てるか、族長・・・・決める」
 エスカイが「判った」と言うように手を振る。
 ・・・・・・・・とりあえず、第一歩。

◆南部辺境
 ルナが指導する開拓地。およそ五、六百人ほどの難民が収容されてはいるが、実際に働き手となる者はその三分の一もいない。当然と言えば当然であった。難民の多くは戦火に焼け出された女子供や老人たちである。多少なりとも労働力となりそうな若者は、ハンムー駐留中のヴォジク軍が行った大規模かつ好条件の募兵に応じてしまったとの報も入っていた。
「そもそも、こんな辺境まで難民を送り込むだけでも無理が有ったかも・・・・」
 このごろルナは気弱である。ジュッタロッタ近辺で募集した難民たちであったが、実際に現地に送られる途中で、あまりの過酷な環境に耐えかねて逃亡する例が相次いだ。ハンムーやウラナングで都ぶりの暮らしをしていた者たちにとっては、辺境の暮らしは想像以上に辛いものだったのであろう。
 しかし、真面目に働いている者も決していないわけではない。難民の中に、手足となって働いてくれる技術者たちがいたのは幸いであった。
「今は、とにかくできる事をしましょう」
 自分にそう言い聞かせながら、今日もルナは現場に立つのであった。

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