第5回 C-1-3 首都ジュッタロッタ(その3)


◆王宮・宮門前
「通るぞ」
 一人の男を先頭に、5人ほどの男女が衛士の前を堂々と通りすぎようとする。
「待て! 待たんか!」
 衛士が慌てて槍を握り、男に突きつける。
「無礼者。この私に槍を向けるとは」
 男が落ち着いた声で言う。
「教主様、この人、教主様の顔を知らないんですよ。知ってたらこんな真似は、ねぇ?」
 髪を三つ編みにした女が言った。
「そうだな。リタ」
「教主・・・・? あ・・・・あ、あんた、ネゴ神教の?」
「フハハハハ。ようやく判ったか」
「まさか・・・・重傷だって聞いてたのに」
 ジュッタロッタでは、ネゴ神教の教主が、王族の一人クゥリウに斬られ生死の狭間を彷徨う重傷という噂が専らであった。しかし、目の前に現れた教主アーシュ・ザクウスは、以前と変わりなく平然と身動きしている。
「し、しかしネゴ神教教主およびその幹部は国外追放のはず! 王宮に近づくなど、まかりならん! 下がれ!」
 衛士が勇を振るってアーシュを怒鳴りつける。
「それを今から談判するのよ。おい」
 アーシュが神聖騎士団長のガーラに声をかける。ガーラが長い口笛で合図をすると。辺りを通行していた住民たちの中から一人二人とこちらに集まってくる。
「フハハハハ。どうだ」
 アーシュが高らかに笑う。背後には500人は越えようかというネゴ神教の信者たち。
 衛士は青い顔をしたまま、槍を引く。高笑いをするアーシュを先頭に、一行がそのまま宮門をくぐって行った。
     *      *
「陛下! 陛下!」
 会議の間に、侍臣が駆け込んでくる。
「何ですか。騒々しい」
 ミカニカが会議を一旦中止し、侍臣の報告を聞く。
「ネ、ネゴ神教の教主と幹部たちが、面会を所望しております。ひどい剣幕でございまして」
 禿の重臣が口を開く。
「お会いすることなどありませぬ。そもそも連中は国外退去を命ぜられた身、まだジュッタロッタをうろついているとは不届き千万」
 髭の重臣が言う。
「左様。そう何度も軽々しくお会いになっては、恐れながら国王の権威が疑われようというもの。先月我々の申しました通り、あの者どもにはちと痛い目をみせるべきにございます」
 白髪の重臣が続ける。
「こういう面倒が起こる前に、理由を付けて処刑してしまいなされと申し上げたではありませぬか。陛下」
「推参!」
 侍臣の制止を振り切って会議の間に押し入ったアーシュが大声で怒鳴る。
「あがが・・・・が・・・・!」
 その威に打たれでもしたように、禿の重臣が黙り込む。いや、黙っているのではない。口を大きく開け、声を絞り出そうともがいているのだ。
「声が出ぬか。ふん、神罰よ。しばらくそうしておると良いわ。フハハハハ」
 言い捨てるとアーシュがミカニカに向き直る。
「ねぇ、ミカニカ様」
 教主夫人のチューリンがまず口を開いた。
「この前の処分の件ですけど、考え直していただけないかしら?」
「ば、馬鹿者! 一旦陛下がお決めになったことを曲げられるか!」
 髭の重臣が怒鳴りつける。
「あなたにいってるんじゃにのよ。ミカニカ様、下手人のクゥリウって王族の方だそうね? 陛下はクゥリウがまさか祈祷に当たる教主様を斬ろうとしていること、本当にご存知なかったのかしら?」
「無礼な!」
 白髪の重臣が怒鳴る。
「だいたいね、あんたたちがしっかり警備の指図をしてくれなかったからこういうことになったんじゃないの! 何やってんだよ! 摂政を治せるのはアーシュ様だけだったのに、もっと丁重に扱うべきだろ!」
 リタが威勢良く言い放つ。
「そうよそうよ。祈祷もさせてくれなかったくせに、国外退去だなんてひどすぎる! もし教主様が祈祷できたらきっとクテロップ様の病気だって治ったのに! 教主様に斬りかかって祈祷できなくさせたクゥリウってのが一番悪いのよ! あいつこそ国外退去よ!」
 セレスタもリタに負けじと大声でまくしたてる。ネゴ神教の幹部たちの勢いに圧され、たじたじとなった髭の重臣と白髪の重臣が、救いを求めるようにミカニカの顔を見る。禿の重臣は、口を開きすぎてとうとう顎が外れてしまったらしく、よだれをだらだらと垂らしながら衛士に付き添われて会議の間を出て行くところであった。
「言い分はわかった。確かに非はクゥリウにあり、理はネゴ神教にある」
 ミカニカの意外な言葉に二人の重臣がぎょっとなる。
「陛下!」
 何事か言いかける髭の重臣を手で制し、ミカニカが落ち着いた声音で続ける。
「事情を考慮せずに、一方的に処分を行ったのはこちらの誤り。国外退去処分は取り消す。今まで通り、ジュッタロッタで布教を行って構わぬ」
 アーシュが満足そうな笑みを浮かべる。ミカニカはそのまま続けた。
「ただし、摂政の病が快癒した際の約束であった神殿の下賜と祈祷所の設立は行わぬ。理由はどうあれ、目の前に現れた刺客一人をどうにもできぬ神を国の守護神として崇めることはできぬ。アーシュ・ザクウス、判ったか? 早々に立ち去れ。会議の途中だ」

◆ジュッタロッタ郊外
 花よ 咲き誇れ
 そは ミトゥンの恩寵
 恵みあれ 幸いあれ
 ミトゥンの子らに

 花よ 散るなかれ
 そは ミトゥンの恩寵
 恵みあれ 幸いあれ
 ミトゥンの子らに

 歌姫のミリムナとオヴュナが、花畑で唄う。その歌声に合わせて、子供たちも唄う。乾期の最後に開く花々が、歌詞の通りに誇らしげに咲いている。
「さぁ、みんな。遊んでおいで」
 ルヴァナが声をかけると、孤児院の子らがわぁっと声をあげ、思い思いに花畑の中に散る。
「どうでした。ミリムナさん。滝の様子は?」
 ルヴァナが敷物に腰を下ろすように勧めながら尋ねる。
「例の『鼓声』についての手がかりは、まだ見つかっていません。シーッツァさんたちは調査を続けてます」
「そうですか・・・・。とは言っても、こちらで新しくどうこういうようなことは。ただ、ンニンリが」
「ンニンリが?」
「祖父の名前を覚えているらしいのですが、人には教えられないと言って」
「言いたがらないものを無理に聞いてもいけませんね」
 ミリムナが顔を上げて、他の子供たちと遊んでいるンニンリの姿を追う。ハーデヴァが相手をしているらしい。
「ルヴァナさん」
 巫女の衣装をまとった神人エルクガリオンが言う。
「考えてもらえましたか?」
 ルヴァナの表情が曇る。
「ケセラさんの言う通り、もしもンニンリが狙われているのなら、やはり都に置いておくのは危ないでしょう」
「どこに避難させる? ミュラー家の庇護よりも安全な場所があるのなら、考えるよ」
「それについての神託を得ようと祈ってみたのですが、ミトゥン様からはかばかしい答えは得られませんでした」
「なら」
「しかし、このままでよろしいか、という問いにもミトゥン様からの返事はありません。現実的に見て、都はやはり危険が多い」
 ルヴァナが黙り込む。
「ケセラさんはお若いが、色々と顔が広い様子。どこか心当たりがあるのかも知れません」

◆王宮・牢獄
「出られよ。クゥリウ殿」
 衛士が錠前を外す。
「まったく、お主のおかげでひどい目に遭ったわい。あの糞いまいましいネゴ神教の連中はねじ込んで来おるし」
 禿の重臣が顎を撫でながら言う。
「私の処分は、決まったのですか?」
「決まった。決まったわ」
「・・・・で?」
「お主の王族の資格は、剥奪じゃ。今日を限りに庶人に落とし、出仕も差し止める。よいか、お主は国の大罪人じゃ。陛下のお慈悲でこの程度の罰で済んでおるのだぞ。感謝せよ!」
「何ですって!」
「陛下の御判断に、不満でもあるのか?」
 禿の重臣の額にびくりと血管が浮く。
「私は陛下に近づく奸物を斬ったまで!」 クゥリウが叫ぶが、禿の重臣も負けずに怒鳴り返す。
「お主が斬りつけた相手の立場を判っておるのか!? 陛下が直々に故摂政殿下の快癒祈願を依頼された祈祷師であるぞ。お主のしでかしたことは大逆も同然、陛下の御威厳を著しく傷つけた。場合によっては死を賜ってもおかしくないのだぞ」 クゥリウが黙り込んだのを見て、禿の重臣は続けた。
「それに、いまいましいがネゴ神教の連中には斬りつけられる理由が無い。得体が知れんのは確かだが、何か悪謀を企てているという証拠も無い。神殿の焼き討ちの事件、それからお主の引き起こした事件のおかげでな、ダッシャアめなどから逆に連中に同情する意見も出ておるくらいだ。判ったか。判ったら自邸で頭を冷やしておれ!」

◆ミトゥン神殿・孤児院・夕刻
「では、決めた通りに」
「カヤクタナ国境まで、舟ね」
「そう。それからチョラ湖迂回は中止。あの辺り、内戦か何か起こっているようだから、子供たちを近づかせるわけにはいかない」
 旅装のケセラとミニャム、ルヴァナ、、ミリムナ、ハーデヴァ、エルクガリオンらが、子供たちを幌付きの馬車に乗せる。
「では、後を頼むよ。シュリ、ルヴァーニ、モンジャ」
「任せて!」
 シュリが腕まくりをして答える。
「酒盛りやってるからさ。ルヴァーニさんと。モンジャはすぐに気分悪くなるから、ズン茶でもね」
「あれは甘すぎて・・・・」
「じゃ、お酒飲む?」
「それも、ちょっと」
 ルヴァーニが呆れたように言う。
「油断しないほうが良いと思うのだがな・・・・」
「まーたまた。固いんだから。お婿の来てが無くなるよ!」
 ルヴァーニがむっとした表情でシュリを睨むが、一向に気にする気配が無い。
「ともかく、留守中何が起こるか分かりません。気を付けて」
「そっちこそね。みんな、良い子にしてるんだよ!」
 ルヴァナが馬上の人になる。ケセラとハーデヴァが御者台に座り、後の面々が馬車に乗り込む。
「行って来る」
「気を付けてねー!」

◆ミトゥン神殿・孤児院・深夜
「酒は飲め飲め〜」
 いい気分で酒樽に柄杓を突っ込むシュリ。ルヴァーニは先ほどから呆れながらちびちびと杯の中の酒を飲んでいる。モンジャはといえば、最初に無理矢理シュリに飲まされた酒で完全に参ってしまい、台所の隅でひっくり返っている。
 どがん。
 玄関のあたりで、大きな音がした。
「おい、シュリ」
「な〜に〜?」
「お前の予想が当たったぞ。誰か来た。手荒い挨拶だ」
「そ〜なの〜? せっかく来たんだから〜、飲んで貰わなくちゃ〜」
 シュリがルヴァーニの杯をひったくると、ふらりと立ち上がる。
「馬鹿! 裏口から外に出るぞ! モンジャ、起きるんだ!」
 ルヴァーニがモンジャを揺り起こす。
「うぅ・・・・」
 吐くだけ吐いて胃の中が空っぽになったモンジャだったが、揺り起こされたせいで再び吐き気を催す。
「ちっ」
 舌打ちをしたルヴァーニがモンジャの身体を肩に担ぎ、シュリの襟首を掴むと裏口の扉を蹴破る。
「探せ!」
 玄関辺りから、若い女の声と数人が駆け込んでくる足音が聞こえる。
「まずいな・・・・」
 ミトゥン神殿を囲む塀には表門一つしか出入りできる場所がない。表門まで回るとなると、どうしても賊の入ってきた玄関のすぐ前を通らざるを得ない。
「ンニンリって子供だ! 人相は昼間言った通り!」
 建物の中から賊の女の声がする。
(ンニンリを? 何者だ?)
「誰もいねぇ!」
「いねぇぜ!」
 賊らしい男たちの声。
「逃げたか? 追うんだ!」
 女の声がする。
(急がないと!)
 ルヴァーニが、二人を連れて走る。玄関を突っ切るまで、あともう十歩も無い。
(何とかなってくれ!)
 玄関から人影が飛び出す。星明かりの下でもそれとわかる、白装束。顔は同じく白服面に覆われ、抜き身の短剣がその右手に光る。
「逃がさない。大人しくしないと、殺すよ」
 女が低い声で言った。
(やるしかないか。ミトゥン様、お守りください!)
 担いでいたモンジャをどさりと降ろし、シュリの襟を放す。
「シュリ、隙があったらモンジャを連れて逃げるんだ」
「え? え〜? もっと飲む〜!」
「馬鹿!」
 相手にしていられない。
「双刃のルヴァーニ。相手する」
 ルヴァーニが両の腰に差した二振りの短刀をすらりと抜き、身構える。
 ごろつきたちらしい賊は、ルヴァナか誰かの部屋に置いたままの金品を見つけたのだろう。獲物の取り合いでもしているような怒鳴り声が聞こえてくる。白装束の人影が舌打ちをする。
「所詮はごろつきどもか・・・・」
「行くぞ!」
 ルヴァーニが隙を突いて大きく踏み込み、闇を裂いて刃が走る。人影が横に体を開いてそれを避け、低い位置から短剣を突き込む。
「く・・・・!」
 死角からの攻撃を、ルヴァーニがかろうじて身を捻ってかわす。突き込まれた剣が、そのままルヴァーニの避けた方向に振り上げられる。再び身を捻る。短剣の刃が、ルヴァーニの髪をまとめていた飾り紐を切り裂き、ふぁさりと腰まで届く長い髪が広がった。
(まともな剣技ではない・・・・暗殺者の剣か!)
 始末に負えない相手かも知れない。今まで立ち会った中でも一、二を争う難剣の使い手ということだけは間違い無さそうだ。
 再び距離を取る。二刀を使う利点を生かすには、相手の最初の打ち込みを殺さなければならないが、どこから打ち込んでくるのか判らない使い手が相手では、一瞬の遅れが命取りになる。
 人影が無言で動いた。さっと距離を縮める。
(突いてくる! 左脇!)
 咄嗟の勘で、左手が動く。突いてきた短剣を払い、がら空きになった相手の右半身を目がけて短刀を振るう。布を切り裂く手応え。
(浅かった!?)
 ルヴァーニの打ち込みは、相手の覆面を切り裂いただけだった。はらりと覆面が剥がれ、女の顔があらわになる。
「やっぱりここか、胡乱者め! 護民兵様のおでましだぜ!」
 門の辺りで声がすると同時に、いくつもの松明が掲げられた。
「フルハラング!」
 ルヴァーニが思わず声をあげた。
「あ? ルヴァーニか?」
「押し込みだ! この女!」
 女は身を翻すと、短剣を握ったまま、固められている門にそのまま突っ込んでいく。
「なんだと! おい!」
 思いがけない女の行動に、護民兵たちの反応が一瞬遅れた。助走を付けた女が、そのまま兵の一人に体当たりをする。
「!」
 兵士がよろめく脇を、するりと女が駆け抜ける。
「追え! 逃がすな!」
 フルハラングの指示に、二人の兵たちが駆け出す。
「中にもいるんだ!」
 ルヴァーニが叫ぶ。
「よーし、引っ捕らえろ!」
 残りの兵に命令すると、フルハラングがルヴァーニに歩み寄る。
「助かった。礼を言う」
 ルヴァーニが荒い息の下から言う。
「仕事だからな」
「どうして判った?」
「昼間な、ごろつきを一人しょっぴいて、マラムディの居所を聞いた。そうしたら、マラムディじゃないが神殿街で何か騒ぎを起こそうしてる奴がいるってんでな、ここいら辺りを夜回りしてたのさ」
「そうか・・・・」
「あの女、心当たりは?」
「いや」
 間もなく、フルハラング配下の兵が三人のごろつきを縛り上げて建物から出てくる。
「ま、こいつら締め上げれば判るかも知れんな。それから、悪いが明日あたり詰所に来てくれ。あの女の似せ絵を作る」「わかった」
「今度こそとっ捕まえてやるぜ。こう好き勝手にジュッタロッタで暴れてもらっちゃ、護民兵の面目が丸潰れだ」

◆王宮・内庭
 「例の花」の在処を捜していたカジフ・クトルトルとシノーが、困惑していた。
「これは・・・・」
 荒れ放題の花畑の、一体どこにその花が生えているのかまるで見当がつかない。親衛隊用兵舎建設の許可はおりたものの、これでは計画が滞る。
「カジフ、あそこに」
 シノーが庭番らしい老人を見つけた。
「聞いてみるしかないか」
 やる気無さげに、眠ったような目をしながら年寄りが庭石の一つに腰掛けている。
「ものを尋ねるが」
 カジフが声をかける。
「なんですかの?」
 老人が顔を上げる。
「この庭のどこかに、シュライラという花は生えていないか?」
「さて・・・・シュライラ? ああ、シュライラと言えば」
 老人が続ける。
「ソジ王のお好みなさった花ですな。どうでしたかの、あの花は随分と前に刈ってしもうた気がしますが」
「刈った?」
「そうですじゃ。先王陛下の代の末頃にですな、ソジ王の好んだ草花など縁起が悪いと仰せで。綺麗に咲いておったのですが」
「どこだ?」
「さぁ・・・・あの左の角辺りでしたかの」
 シノーとカジフは老人の指差す方を向くが、何か雑草然とした草が生えているばかりである。
「前の陛下も今の陛下も、庭には興味をお持ちでないようですじゃ。おかげでろくに予算も出ず、ソジ王苦心の折角の名庭もこの有り様で・・・・」
 愚痴をこぼし始めた老人を置いて、二人が雑草の生い茂る中に踏み込む。
「それらしい花は・・・・無いな」
「そのようだ」
「では、魔は王宮を去っているということか?」
「シュライラをはびこらせるほど強力なものは、な」
「う・・・・?」
 突然、カジフが額を押さえる。
「どうした?」
「いや、目眩だ。草いきれのせいか」
 二人が、もう一度雑草を見回す。一部には人の背の高さに届くまでに生育したものがある。
 荒れ果てた庭園。しかし、ここだけがジュッタロッタ王宮にて、セモネンド時代を偲ばせる場所である。ソジ王が、偏執的なまでに国力を注ぎ込み、造り上げた大庭園。セモネンド亡国の主、ソジ王を出したハトラ王家の血筋は、この庭園と同じく雑草の中に埋もれようとしているのかも知れない。

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