◆ジュッタロッタ郊外 花よ 咲き誇れ そは ミトゥンの恩寵 恵みあれ 幸いあれ ミトゥンの子らに 花よ 散るなかれ そは ミトゥンの恩寵 恵みあれ 幸いあれ ミトゥンの子らに 歌姫のミリムナとオヴュナが、花畑で唄う。その歌声に合わせて、子供たちも唄う。乾期の最後に開く花々が、歌詞の通りに誇らしげに咲いている。 「さぁ、みんな。遊んでおいで」 ルヴァナが声をかけると、孤児院の子らがわぁっと声をあげ、思い思いに花畑の中に散る。 「どうでした。ミリムナさん。滝の様子は?」 ルヴァナが敷物に腰を下ろすように勧めながら尋ねる。 「例の『鼓声』についての手がかりは、まだ見つかっていません。シーッツァさんたちは調査を続けてます」 「そうですか・・・・。とは言っても、こちらで新しくどうこういうようなことは。ただ、ンニンリが」 「ンニンリが?」 「祖父の名前を覚えているらしいのですが、人には教えられないと言って」 「言いたがらないものを無理に聞いてもいけませんね」 ミリムナが顔を上げて、他の子供たちと遊んでいるンニンリの姿を追う。ハーデヴァが相手をしているらしい。 「ルヴァナさん」 巫女の衣装をまとった神人エルクガリオンが言う。 「考えてもらえましたか?」 ルヴァナの表情が曇る。 「ケセラさんの言う通り、もしもンニンリが狙われているのなら、やはり都に置いておくのは危ないでしょう」 「どこに避難させる? ミュラー家の庇護よりも安全な場所があるのなら、考えるよ」 「それについての神託を得ようと祈ってみたのですが、ミトゥン様からはかばかしい答えは得られませんでした」 「なら」 「しかし、このままでよろしいか、という問いにもミトゥン様からの返事はありません。現実的に見て、都はやはり危険が多い」 ルヴァナが黙り込む。 「ケセラさんはお若いが、色々と顔が広い様子。どこか心当たりがあるのかも知れません」 ◆ミトゥン神殿・孤児院・夕刻 「では、決めた通りに」 「カヤクタナ国境まで、舟ね」 「そう。それからチョラ湖迂回は中止。あの辺り、内戦か何か起こっているようだから、子供たちを近づかせるわけにはいかない」 旅装のケセラとミニャム、ルヴァナ、、ミリムナ、ハーデヴァ、エルクガリオンらが、子供たちを幌付きの馬車に乗せる。 「では、後を頼むよ。シュリ、ルヴァーニ、モンジャ」 「任せて!」 シュリが腕まくりをして答える。 「酒盛りやってるからさ。ルヴァーニさんと。モンジャはすぐに気分悪くなるから、ズン茶でもね」 「あれは甘すぎて・・・・」 「じゃ、お酒飲む?」 「それも、ちょっと」 ルヴァーニが呆れたように言う。 「油断しないほうが良いと思うのだがな・・・・」 「まーたまた。固いんだから。お婿の来てが無くなるよ!」 ルヴァーニがむっとした表情でシュリを睨むが、一向に気にする気配が無い。 「ともかく、留守中何が起こるか分かりません。気を付けて」 「そっちこそね。みんな、良い子にしてるんだよ!」 ルヴァナが馬上の人になる。ケセラとハーデヴァが御者台に座り、後の面々が馬車に乗り込む。 「行って来る」 「気を付けてねー!」 * * 月のない夜。ネタニ川の渡しを筏でカヤクタナ国境まで馬車ごと下り、今度は川沿いの脇街道を馬車で引き返す。筏には充分な礼金をやってそのままカヤクタナ方面に下ってもらった。 「ンニンリ」 御者台のケセラが、手綱を取りつつ振り向いて声をかける。 「起きているかい?」 「うん」 ミニャムに寄りかかるようにしていたンニンリが、はっきりとした声で答える。 「お祖父さんのこと、察しが付いたよ」 「え?」 「勘が正しければ、ンニンリとケセラ兄ちゃんは、親戚同士だ」 「そうなの? でも、かかさまは」 「みんな死んだって言ってたろ?」 「うん」 「そう言っておかないと都合の悪いことがあったんだ。かかさまも嘘をつきたくてついたんじゃない」 「・・・・」 「ンニンリ」 「うん」 「聞いて欲しいことがある」 「なに?」 「ンニンリは、この国にとって大事な人なんだ。まだ、わからないかな」 「・・・・うん。よくわかんない・・・・」 「でもね、この国もミカニカ女王も、ンニンリ、君にしか救えないかも知れない」 「え、ちょっとまって!」 黙って聞いていたミニャムが、思わず声をあげた。 「しーっ」 ミリムナが、横で静かに寝息をたてているオヴュナの顔を見ながら言う。 「ご、ごめん。でも、何だか話が大事になってて。どういうこと、一体?」 「すまない。ミニャム。これ以上は口にさせないでくれ。信用しているけど、勘弁してくれないか」 ケセラが前に向き直り、こちらを見ずに言った。 「・・・・じゃ、聞かないけど」 ミニャムがやや不満を残した口振りで言う。 「ケセラ。ンニンリや、子供たちを怖い目には遭わさないでね。それだけはお願い。わたしだって、信用してるんだから」 ケセラがやはり振り返らずに、黙ってうなずく。 「ンニンリ」 ケセラの隣で手綱を握っていたハーデヴァが振り返る。 「心配するな。お前が守って欲しいのなら、俺が味方してやる」 「ケセラ兄ちゃんも、楯になってやる。誓ってもいい」 ケセラも再び振り返ると、言った。 「でもな、ンニンリ」 厳しい口調になったハーデヴァが続けた。 「俺も、お前と同じように身寄りがなかった。でも、頑張って立派な武人になろうと思った。武人になったから、こうやってお前たちを守ってやることができる」 普段、どことなく優しげなハーデヴァだけに、改まった態度で口にする言葉には重みがあった。 「お前の祖父さんとか、親戚とか、色々としがらみがあるかも知れんが、これからどうするかは、お前がちゃんと考えるんだぞ。いつまでもみんなに甘えてちゃ、だめだ。男の子だからな」 思わずミリムナが吹き出す。 「どうした?」 ハーデヴァが尋ねる。 「いえ、あの。いかにもシーッツァさんか、ンパラナさんが言いそうなことなのにな、と思ったので」 ハーデヴァが「一緒にするな」とでも言いたげな面持ちで舌打ちをする。 「それにしても」 荷台の隅にいたエルクガリオンがぽつりと言う。 「シーッツァさんは滝にいるとして、ンパラナさんはどうしたんでしょうか。クタにお戻りになったのか・・・・」 「ンパラナにも都合があるのよ。長いこと自分のお店、空けてたみたいだし」 「そうですね・・・・」 馬車は揺れながら街道を進む。月の光の無い、星が照らす街道を進む。一路、ジュグラへ。 ◆ミトゥン神殿・孤児院・深夜 「酒は飲め飲め〜」 いい気分で酒樽に柄杓を突っ込むシュリ。ルヴァーニは先ほどから呆れながらちびちびと杯の中の酒を飲んでいる。モンジャはといえば、最初に無理矢理シュリに飲まされた酒で完全に参ってしまい、台所の隅でひっくり返っている。 どがん。 玄関のあたりで、大きな音がした。 「おい、シュリ」 「な〜に〜?」 「お前の予想が当たったぞ。誰か来た。手荒い挨拶だ」 「そ〜なの〜? せっかく来たんだから〜、飲んで貰わなくちゃ〜」 シュリがルヴァーニの杯をひったくると、ふらりと立ち上がる。 「馬鹿! 裏口から外に出るぞ! モンジャ、起きるんだ!」 ルヴァーニがモンジャを揺り起こす。 「うぅ・・・・」 吐くだけ吐いて胃の中が空っぽになったモンジャだったが、揺り起こされたせいで再び吐き気を催す。 「ちっ」 舌打ちをしたルヴァーニがモンジャの身体を肩に担ぎ、シュリの襟首を掴むと裏口の扉を蹴破る。 「探せ!」 玄関辺りから、若い女の声と数人が駆け込んでくる足音が聞こえる。 「まずいな・・・・」 ミトゥン神殿を囲む塀には表門一つしか出入りできる場所がない。表門まで回るとなると、どうしても賊の入ってきた玄関のすぐ前を通らざるを得ない。 「ンニンリって子供だ! 人相は昼間言った通り!」 建物の中から賊の女の声がする。 (ンニンリを? 何者だ?) 「誰もいねぇ!」 「いねぇぜ!」 賊らしい男たちの声。 「逃げたか? 追うんだ!」 女の声がする。 (急がないと!) ルヴァーニが、二人を連れて走る。玄関を突っ切るまで、あともう十歩も無い。 (何とかなってくれ!) 玄関から人影が飛び出す。星明かりの下でもそれとわかる、白装束。顔は同じく白服面に覆われ、抜き身の短剣がその右手に光る。 「逃がさない。大人しくしないと、殺すよ」 女が低い声で言った。 (やるしかないか。ミトゥン様、お守りください!) 担いでいたモンジャをどさりと降ろし、シュリの襟を放す。 「シュリ、隙があったらモンジャを連れて逃げるんだ」 「え? え〜? もっと飲む〜!」 「馬鹿!」 相手にしていられない。 「双刃のルヴァーニ。相手する」 ルヴァーニが両の腰に差した二振りの短刀をすらりと抜き、身構える。 ごろつきたちらしい賊は、ルヴァナか誰かの部屋に置いたままの金品を見つけたのだろう。獲物の取り合いでもしているような怒鳴り声が聞こえてくる。白装束の人影が舌打ちをする。 「所詮はごろつきどもか・・・・」 「行くぞ!」 ルヴァーニが隙を突いて大きく踏み込み、闇を裂いて刃が走る。人影が横に体を開いてそれを避け、低い位置から短剣を突き込む。 「く・・・・!」 死角からの攻撃を、ルヴァーニがかろうじて身を捻ってかわす。突き込まれた剣が、そのままルヴァーニの避けた方向に振り上げられる。再び身を捻る。短剣の刃が、ルヴァーニの髪をまとめていた飾り紐を切り裂き、ふぁさりと腰まで届く長い髪が広がった。 (まともな剣技ではない・・・・暗殺者の剣か!) 始末に負えない相手かも知れない。今まで立ち会った中でも一、二を争う難剣の使い手ということだけは間違い無さそうだ。 再び距離を取る。二刀を使う利点を生かすには、相手の最初の打ち込みを殺さなければならないが、どこから打ち込んでくるのか判らない使い手が相手では、一瞬の遅れが命取りになる。 人影が無言で動いた。さっと距離を縮める。 (突いてくる! 左脇!) 咄嗟の勘で、左手が動く。突いてきた短剣を払い、がら空きになった相手の右半身を目がけて短刀を振るう。布を切り裂く手応え。 (浅かった!?) ルヴァーニの打ち込みは、相手の覆面を切り裂いただけだった。はらりと覆面が剥がれ、女の顔があらわになる。 「やっぱりここか、胡乱者め! 護民兵様のおでましだぜ!」 門の辺りで声がすると同時に、いくつもの松明が掲げられた。 「フルハラング!」 ルヴァーニが思わず声をあげた。 「あ? ルヴァーニか?」 「押し込みだ! この女!」 女は身を翻すと、短剣を握ったまま、固められている門にそのまま突っ込んでいく。 「なんだと! おい!」 思いがけない女の行動に、護民兵たちの反応が一瞬遅れた。助走を付けた女が、そのまま兵の一人に体当たりをする。 「!」 兵士がよろめく脇を、するりと女が駆け抜ける。 「追え! 逃がすな!」 フルハラングの指示に、二人の兵たちが駆け出す。 「中にもいるんだ!」 ルヴァーニが叫ぶ。 「よーし、引っ捕らえろ!」 残りの兵に命令すると、フルハラングがルヴァーニに歩み寄る。 「助かった。礼を言う」 ルヴァーニが荒い息の下から言う。 「仕事だからな」 「どうして判った?」 「昼間な、ごろつきを一人しょっぴいて、マラムディの居所を聞いた。そうしたら、マラムディじゃないが神殿街で何か騒ぎを起こそうしてる奴がいるってんでな、ここいら辺りを夜回りしてたのさ」 「そうか・・・・」 「あの女、心当たりは?」 「いや」 間もなく、フルハラング配下の兵が三人のごろつきを縛り上げて建物から出てくる。 「ま、こいつら締め上げれば判るかも知れんな。それから、悪いが明日あたり詰所に来てくれ。あの女の似せ絵を作る」「わかった」 「今度こそとっ捕まえてやるぜ。こう好き勝手にジュッタロッタで暴れてもらっちゃ、護民兵の面目が丸潰れだ」 ◆クリネベシンの娼館 このジュッタロッタという街は、女たちにひどく受けが悪い。それはそうだろう。ボルグロニを除けば、ウラナング5国のうちで最も貧しいのがこのヴラスウルだ。いかに発展著しいとはいえ、まだまだウラナングやハンムーの華やかさには及びもつかないのが実状である。 ウラナングの美食に慣れた女たちは、ヴラスウルの田舎料理の味を嫌い、ウランング風の味付けのできる料理人を探し出して連れてくるだけでも一苦労だった。おまけに戦時下ということで夜間の外出も制限され、せっかく移転開業したと言うのに、客の入りもさっぱりである。 「参った参った。ミィミキプよ、せっかくウチに来てもらったが、これじゃな」 クリネベシンが溜め息を吐きつつ、長煙管をくゆらすミィミキプに目をやる。「あら。わたしたちは骨休みができて、ありがたいけど?」 「皮肉を言うな」 「ふふ」 ミィミキプが艶然たる微笑を浮かべる。ウラナングでも随一とされるこの妓女を抱えていながら、こんなどうしようもない田舎まで来てしまったのが間違いだったのか。所詮田舎者にはミィミキプの身に備わる気品や粋というものは理解できないのか・・・・自分が入れ揚げただけに、ミィミキプをかばう理由だけはいくらも思い付くクリネベシンであった。 「御主人」 使用人が部屋の外から声をかけた。 「王宮よりお返事でございます」 「おお。どうだった?」 「断られましてございます」 「なに?」 「あの、ウラナングが陥ちるや否やという重大時に、のん気に遊女屋風情と会っている暇は無いとのことで。献金も突き返されましてございます」 「まったく・・・・国民が無粋なら宮廷も粋というものが判らん。頑固にもほどがあろうに」 ぶつぶつと毒づくクリネベシンを横目で見ながら、ミィミキプが声を掛けた。 「ねぇ、御主人?」 「何だ?」 「ヴラスウルには、まともに商売する気でいらしたんです?」 「どういうことだ?」 「だって、一番の稼ぎになるっていう時に、ウラナングを離れるんですもの」 「・・・・? 戦争だぞ。お前たちが巻き込まれたら一大事だ。」 「あら」 「なんだ、その目は」 「御主人を買いかぶっていましたよ」 「何だと?」 「わたしたちはみな下ウラナング生まれの下ウラナング育ち、粋と色事のなんたるかは、十分承知してございます」 普段の妖艶さに加え、凄みを増したミィミキプが蔑むような視線でクリネベシンを見る。 「槍やら剣やらが怖くちゃ、遊女なんてやってはおられませんよ。戦場に出てきた兵隊衆を慰めるのも遊女の務め。ましてわたしたちのウラナングを守るために命を懸けてらっしゃる方々、御慰めするのが当然じゃありませんか」 「・・・・むぅ」 クリネベシンが押し黙る。店の女たちがふてくされ気味なのも、もしかするとその辺に理由が有るのかも知れない。 「わかった。もう言うな」 「わかって下さったんなら」 ミィミキプの表情に張り付いていた険がふっと掻き消える。 「もう申しませんよ。御主人」 ◆王宮・内庭 「例の花」の在処を捜していたカジフ・クトルトルとシノーが、困惑していた。 「これは・・・・」 荒れ放題の花畑の、一体どこにその花が生えているのかまるで見当がつかない。親衛隊用兵舎建設の許可はおりたものの、これでは計画が滞る。 「カジフ、あそこに」 シノーが庭番らしい老人を見つけた。 「聞いてみるしかないか」 やる気無さげに、眠ったような目をしながら年寄りが庭石の一つに腰掛けている。 「ものを尋ねるが」 カジフが声をかける。 「なんですかの?」 老人が顔を上げる。 「この庭のどこかに、シュライラという花は生えていないか?」 「さて・・・・シュライラ? ああ、シュライラと言えば」 老人が続ける。 「ソジ王のお好みなさった花ですな。どうでしたかの、あの花は随分と前に刈ってしもうた気がしますが」 「刈った?」 「そうですじゃ。先王陛下の代の末頃にですな、ソジ王の好んだ草花など縁起が悪いと仰せで。綺麗に咲いておったのですが」 「どこだ?」 「さぁ・・・・あの左の角辺りでしたかの」 シノーとカジフは老人の指差す方を向くが、何か雑草然とした草が生えているばかりである。 「前の陛下も今の陛下も、庭には興味をお持ちでないようですじゃ。おかげでろくに予算も出ず、ソジ王苦心の折角の名庭もこの有り様で・・・・」 愚痴をこぼし始めた老人を置いて、二人が雑草の生い茂る中に踏み込む。 「それらしい花は・・・・無いな」 「そのようだ」 「では、魔は王宮を去っているということか?」 「シュライラをはびこらせるほど強力なものは、な」 「う・・・・?」 突然、カジフが額を押さえる。 「どうした?」 「いや、目眩だ。草いきれのせいか」 二人が、もう一度雑草を見回す。一部には人の背の高さに届くまでに生育したものがある。 荒れ果てた庭園。しかし、ここだけがジュッタロッタ王宮にて、セモネンド時代を偲ばせる場所である。ソジ王が、偏執的なまでに国力を注ぎ込み、造り上げた大庭園。セモネンド亡国の主、ソジ王を出したハトラ王家の血筋は、この庭園と同じく雑草の中に埋もれようとしているのかも知れない。 |