第4回 C-2 イーバの滝


◆森
「迷ったな。セタ」
 ユンフェイが振り返る。
「お前、道はわからんのか?」
 セタが黙って首を左右に振る。
「いいよ。歩いてりゃどうせ着くだろ?」
 ナッフがさして心配してもいなさそうな声で言い、辺りを眺める。ききっと鳴き声がして、木の上にいたニア(※)がどこかへ逃げていった。
「懐かしいような、なんだか変な気分がするなぁ。この辺り」
「ナッフ殿、疲れておらんか?」
 ロディヌンが声をかける。露骨に迷惑そうな顔をしてその顔を見る。
「べたべたうるさいなぁ。この前のぐらいで恩に着せられちゃ叶わないんだよ。それともおっさん、稚児の趣味でもあるのか?」
「な、な・・・・稚児?」
 ロディヌンが目を白黒させる。
「戯れ口はその辺までにしときな。誰か来やがったぜ」
 ユンフェイがなたがみを取り直す。くん、とセタが鼻を鳴らす。
「人だ・・・・、人の匂い」
 セタが声を上げた。
「人が一番油断ならんの」
 ユンフェイの示す方向に注意を払いつつ、オジャがナッフとセタをかばうように位置を変える。
 木々の間に、動く人影が見える。数は同じぐらいか。
「見つけたよ! 悪戯坊主!」
 聞き覚えのある声に、ナッフが「仕方ないな」という表情をする。がさり、と茂みを掻き分け、ジーソー、ファルコ、パイシェ、クァグヴァルの四人が姿を現す。
「何だ、お前ら?」
 ユンフェイが鋭い目で先頭のジーソーを睨み付ける。
「その子の縁者さ」
「ナッフ!」
 パイシェとファルコが、頭領の姿を見つけて思わず声を上げる。
「探したよ! どうして」
 不意に、ユンフェイが動いた。ぶん、と唸りをあげ、なたがみの刃がジーソーを襲う。
「ひぇっ」
 どすん、とジーソーが尻餅をつく。空を切ったなたがみが、第二撃を送るためふたたび振り上げられる。
「婆さん!」
「危ないぞ」
 駆け出そうとするナッフの肩を、ロディヌンが掴む。
「ユンフェイ殿!」
 オジャが叫ぶ。
「何をなさる!」
「その小僧は餌だ。吊るしておけば獲物が集まる」
 振り返りもせずに、ユンフェイが言った。
「き、気違いだよ、こいつ。狂犬だ」
 尻餅をついたままのジーソーが、自分のことを棚に上げ、震えながら言う。
「ユンフェイと言ったか?」
 クァグヴァルが短刀を引き抜きつつ、前に出た。
「人を斬りたければ、戦場に行け。迷惑だ」
 ユンフェイのなたがみが、向きを変える。短刀を手にしたまま、クァグヴァルがさっと間合いを詰める。この距離になれば短刀のほうが有利だ。内懐に入られては、なたがみではどうにもできない。
「おおかた、怖じ気づいて戦場になど行けんのだろう。辻斬り程度が似合いだ」
「何だと!」
 ユンフェイが怒号する。
「やめろ!」
 その怒号をもかき消すように、ナッフが絶叫した。
(何・・・・?)
(これは!?)
 ユンフェイとクァグヴァルが、とてつもない暴風を全身に浴びたような衝撃を受け、その場に膝をつく。目が眩む。手足はじんじんと痺れる。全身の筋という筋が凍り付いたようで、とうてい立っていられない。二人だけではない。やや離れていたファルコも、同じように崩れ落ちた。
(ナッフ・・・・!? 何だ・・・・これ?)
「あ・・・・? おいら・・・・」
 一番当惑しているのが、絶叫した当の本人だった。

◆滝壷近辺
「もうすぐ、来るんですね」
「だと思うんだけどな」
 カハァランが、ナージャに話し掛けた。ドドドド、という滝の音が響く。
「迎えに出ましょうか?」
「そこまでするこたぁ、無いな」
 槍を担いだチアジが言う。
「来たな。あれだろう」
 数人の姿が見える。
「森を出てきやがったな。すぐにこっちに気がつくだろうさ」
「イルイラム?」
 ナージャが振り返ると、イルイラムはじっと滝壷を見つめて何やら考えている風情である。
「放っておけ。やつは客人に興味が無いんだろう」
 イコンが、相変わらずつまらなそうな態度で言った。
 向こうに見えた人影が、だんだんこちらに近づいてくる。が、その足取りは遅い。何人か、動けない者がいるのだろう。
     *      *
「まったく使いものにならん連中だねぇ。ナッフに怒鳴られたぐらいで腰抜かしちまうなんてさ」
 ジーソーが言う。症状の軽かったユンフェイは、やがて自力で立ち上がったが、クァグヴァルとファルコは意識を取り戻す気配が無い。例の荷物持ちの舟人とパイシェが、二人を背負って行く。
「ナッフ」
 パイシェが尋ねた。
「ファルコが、ずっと気にしてた。どうして俺たちを置いて、って」
 背負ったファルコの顔をちらりと見る。
「帰って来ないとは言ってなかっただろ? 用事が済めば戻ってくるつもりだった」
「親父さんたちが引き止めてもか」
 ナッフが黙り込む。
「ほい、親父さんといえば」
 ジーソーが思い出したように声を上げた。
「あんたは違ったんだ。オジャ」
 獣骨の冠をかぶった頭を左右に振り、オジャが否定する。
「わしは川風の囁きに導かれて、ナッフ殿のお供をすることになったまで」
「へぇ」
 先刻の事件以来、むすっとした顔つきのユンフェイが前方を見ながら言った。
「着いたぜ。イーバの滝だ。・・・・ん? 誰かいるぜ」
     *      *
「ナッフって子、どこ?」
 ナージャが飛び出す。
「もてるねぇ、ナッフ」
 ジーソーがにやにやと笑いながらからかう。ぷい、とパイシェが横を向く。
「ナッフってのはお前さんか」
 イコンがずい、と前に出る。
「両親を探してるんだってな」
 ナッフが黙ってうなずく。
「死んだぜ。山賊に襲われてな。会いたきゃ、ほら、そこの滝壷の中だ。沈んでやがる」
 槍の柄で指し示しながら、イコンが言った。
「待たれよ」
 オジャがナッフの前に立つ。
「・・・・死んじゃったのか・・・・親父、おふくろも」
 ナッフがぽつりと呟いた。
「ナッフ、あんたはね、親父さんもおふくろさんもいなくても、この婆の孫なんだよ。ファルコもモップもだ」
 ジーソーが声をかける。
「俺の話が途中だ」
 イコンが不機嫌そうな顔で続けた。
「ナッフよ。お前はオロサス家の忘れ形見だ。受け取れ」
 ごそごそと懐を探り、金の小箱を取り出すと、ナッフにそれを手渡す。
「で、だ。俺はお前を証拠付きでクンカァンに突き出す。一儲けさせてもらうぜ」
「何だって!」
 パイシェが叫んだ。
「させないよ」
 ジーソーがナッフの襟首を掴み、引き剥がすように自分の後ろに隠した。
「渡すもんかい。ナッフはあたしの大事な孫だし、この子たちの頭領だよ」
 パイシェがいつの間にか短刀を引き抜き、イコンとの間合いを計っている。
「冗談だ」
 イコンが言った。
「悪趣味だったがな、試させてもらった。こいつの運命に巻き込まれる気があるのかどうか」
「ごめんね、ナッフ」
 ナージャが、すっとナッフの前に歩み寄る。
「大丈夫、私たちも守ってあげるからね」
 ぎゅっ、とナッフを抱きしめる。
「そりゃどうでもいいんだが」
 黙っていたチアジがジーソーたちに視線を投げかける。
「俺の仲間が世話になっちまってるようだな。あんたらのとこで」
「ああ、あの子かい」
 ジーソーが荷物持ちの舟人のほうを振り返る。ジーソー一行の大荷物を持たされたうえに、クァグヴァルまで背負わされて歩いてきた舟人は、その場にへたりこんでいる。
「世話になったのはこっちのほうだけどねぇ。どっちかって言うと」
 がちゃりと音を立てて、舟人の前に重そうな袋が投げ落とされた。
「船賃と、人足料。足りるだろ」
 袋を投げてよこしたナッフが言う。
「物判りが良いねぇ。さすがに王子様だ」
 チアジがからかうような口調で言う。ナッフがじろりとチアジを睨みつける。
「ナッフは、ウラナング一、いやカナンで一の盗賊だぜ。オロサスなんて関係ねぇよ!」
 ようやく立ち上がれるようになったらしいファルコが、ナッフに代わって言い返した。
「怖い怖い」
 チアジがにやにや笑いを浮かべて言う。
「そのカナン一の盗賊様とやらは、お婆ちゃんにおしめ替えてもらってるのかい? お漏らしするんじゃねぇぞ」
 パイシェが、なおもつっかかろうとするファルコを宥める。
「相手にしなくていい」
 剣呑になってきた雰囲気を察して、カハァランが言った。
「皆さんの泊まる場所は、用意していただきました。といっても空き家になっている小屋ですが」
「贅沢は言わないよ。ねぇ、ナッフ」
 ジーソーがナッフに声をかけるが、そのナッフは心ここにあらず、と言った感じで滝壷を見つめている。
「・・・・オロサスの王子・・・・おいらが?」
「ナッフ」
「音、何かの音・・・・歌?」
「ナッフ!」
 ジーソーが大声をあげる。
「聞いてるのかい!?」
「そうだ!」
 ナッフが何かに気づいたように、声をあげた。
「親父じゃない。子供のふりをしてろって、言ってた。ティカンに着くまでって」
「おい」
 様子を見ていたロディヌンがオジャに小声で耳打ちする。
「ナッフ殿、おかしくなってしまったのではあるまいな」
「わからぬ。我らにできるのはただ一つ。ナッフ殿の言葉を聞き逃さぬことよ」
 ロディヌンがうなずく。
「音・・・・何か、打ち鳴らすような・・・・」 ナッフが、懸命に記憶の糸を手繰る。傍らには誰もいないかのように、ただ流れ落ちる滝の水を凝視し、滝の音に聞き入っている。
「それから、歌・・・・そうだ。『王は魚なり、臣は澪なり』って・・・・」

◆イーバの滝・呪人の集落
「行くのかの」
 この集落の呪人たちの長老、プキモが見送りに来た。
「ええ。心強い連れが揃いました。ようやく調査にかかれます」
 カハァランが答える。イルイラムたちのほか、どうしても行くと言い出したナッフと、そのお守り役を買って出たロディヌンに、セタ、パイシェ、ファルコ、クァグヴァル。なたがみを振り回したい一心で同行することを決めたユンフェイ。さらに大密林に詳しいというムベムバという野伏、カムラという傭兵を加え、十三人になる。
「留守番してるからね。気を付けて」
 ナージャが声をかける。
「ええ。行ってきます」
 カハァランが笑顔で答える。
     *      *
 数日が過ぎた。滝の向こうの崖を越えて、相当な距離を進んでいる。
「やはり、こちらからだったようだな」
 イルイラムが言う。
「押し通った跡が続いている。結構な人数だ」
「呪人ですら立ち寄らないと聞いているのですが」
「カハァラン」
 イルイラムが向き直る。
「この連中、どこから来ていると思う?」
「北、ですか」
「そうだ」
「ここより北と言えば、流れに沿って行ったところにあるモロイラク湖」
 ムベムバが珍しく口を開いた。
「闇の領域にほど近い。魔族・・・・いや、クンカァン絡みと想像するのが妥当だろう」
「確かにな、湖を押し渡ってくれば、密林を抜けるよりも手っ取り早い」
 ロディヌンが言った。ナッフに着いて行きたくて志願したのであるが、その膂力は道中随分と役に立っている。
 一行を先導しているのは、セタであった。
「どこから来てる?」
 現れる獣たちに声をかけ、手懐けると道案内をしてもらう。おかげで、深い密林の中でも山賊の通った痕跡を見失わずに辿ることができている。そのセタを先導していた野犬が、急に脅え始めた。
「どうしたの?」
 セタが声をかける。途端、周囲から耳障りな羽音が聞こえてくる。
「・・・・ぶぶぶぶぶ・・・・」
「ンギだ!」
 ユンフェイが叫んだ。
「なんと、こんな数とは!?」
 ロディヌンが叫ぶ。百近く、いやそれ以上であろうか。大小のンギが、厭らしい羽音を立てつつ包囲の輪を縮めてくる。人間に比べればはるかに無力とはいえ、これだけの数が集まるとなると話は別である。
「まずいな。片っ端から、やるか?」
「応」
 カムラが待ってましたとばかりになたがみを振るう。一振りで二匹のをンギを叩き潰す。ぐちゃ、と体液が飛び、カムラの顔にかかる。
「畜生!」
 それを合図にでもしたかのように、一斉にンギが輪を縮めた。
「ナッフ! 下がれ!」
 ファルコが斧を振るう。パイシェも短刀で切り払うが、とうてい追いつかない。「イルイラムさん!」
 カハァランが、槍でンギを追い払いながら声をかける。
 イルイラムがうなずいてンギ除けの呪言を唱え始めるが、今からではとうてい間に合いそうもない。
「きりが無いぜ! こいつら!」
 チアジが槍を振るいながら叫ぶ。まるで密林の木の葉すべてがンギに変じたように、後から後から現れるのだ。
「森の中では・・・・火も使えぬ!」
 ムベムバが山刀をよこざまに薙ぐ。一匹のンギがその刃にかかるが、また別のンギがその手に噛み付く。
「うぉ!」
 ユンフェイとロディヌンが背中合わせになって得物を振るうが、斬り払える数はたかが知れている。
「ちぃッ!」
 クァグヴァルが舌打ちをする。短刀を躱したンギが、肩のあたりの肉に噛み付き、ひきちぎる。
「セタ!」
 ナッフが声をあげる。ンギに飛び掛かっていたセタの背中に別のンギが張り付き、卵を産みつけようと腹部をいやらしく蠢かせる。その尻から産卵管が伸びた。
「散・・・・れ・・・・ぇ!」
 ナッフが叫んだ。
「う、うぁ!」
「がぁっ!」
 絶叫。ナッフの叫びと同時に、ンギがその動きを止めた。宙を舞っていたものもぼたりぼたりと地面に落ち、ぴくりともしない。
 動けなくなったのはンギばかりではない。ユンフェイ、クァグヴァル、ファルコ、チアジ、イコン、イルイラムの六人が、やはりナッフの叫びと同時に地面に崩れ落ち、倒れ伏した。
(畜生・・・・これで二度目だ。あの小僧・・・・一体・・・・どういう力が使える?)
 ユンフェイの意識が薄れてゆく。
(なたがみだ・・・・俺の・・・・こいつが、雷にでも打たれたみたいに・・・・)
「ナッフ!」
 セタが驚いて顔を上げた。
「どういうこと? この前もだった」
 ナッフが、呆けたような顔で座り込む。
「判らねぇよ。どういうことか・・・・おいらにだって・・・・」
 蒼白な顔色のナッフが、げぇっと胃の中のものを吐き出す。
「ナッフ!」
 セタが助け起こす。
「熱だよ。ほら、こんなに」
 うっすらと汗を浮かべたナッフの額に、パイシェがそっと手を当てる。ナッフの熱い体温が、掌を通して伝わってくる。
「引き返そう」
 パイシェの言葉に、カハァランがうなずく。賊の足取りが掴めた今、戦力が激減させてまで無理に前進する事はない。
「そうしましょう。滝の人たちにも、このことを伝えませんと」

◆滝壷
「眠れよ〜眠れ〜ミトゥン様のゆりかご〜転げ落ちたら〜バチがあたるよ〜」
 ナッフたちが調査に出て以来、ジーソーは滝壷に向かってずっと子守り歌を唄っている。気味悪げな顔をしながらオジャが近づく。
「ジーソー殿と言うたか。ナッフ殿のこと、お聞かせ願えぬか?」
 ジーソーが泣き腫らした目をしてオジャを振り返る。その形相にオジャもぎょっとなるが、何とか堪えて話を続けた。
「ウラナング以来の縁と聞いた。ナッフ殿の小さかった頃の話、お話しいただきたい」
「知らないんだよ。小っさい頃はね。あたしたちも」
「と申されると」
「あの子が現れたのはね、ほんの一年ぐらい前だ」
「一年前?」
「そうさ。ちょうど世間が『最後の神』の噂で騒ぎ始めた頃だよ。あたしの孫どもの仲間に加わったと思ったら、あっという間にみんなをまとめあげた」
「ほう。・・・・しかし、最後の神とな」
 オジャが考え込む。
「ジーソー殿」
「なんだい?」
「わしは、神の声を耳にすることができる。ナッフ殿のことも、神の導きによって知った」
「難しい話は止めておくれよ」
「いや。その声がな、近頃聞こえぬのじゃ。ちょうどナッフ殿と出会った時を最後にの」
「あたしにゃ」
 ジーソーが吐き捨てるように言う。
「判らないよ」
 そのまま、元のように滝壷を見つめる。
「早く、無事に帰っておいでよ、ナッフ。ファルコ、パイシェ、クァグヴァル、しっかり守ってやるんだよ」
「オジャ殿よ」
 背後から別の声がかかる。
「おお、プキモ殿」
「我ら呪人ゆえ神人のなさりようは存ぜぬが、我らの流儀で祭壇を設けておいた」
「ありがたい」
「夜、と言われたか。自由に使われよ」
     *      *
「遠かったですねぇ。イーバって」
 オヴュナの手を引きつつ、ミリムナが言う。
「まったくだ。しかし手がかりはここにありそうだからなぁ。来てみるしかあるめぇ」
 シーッツアが振り返って言った。大オオカミを連れたヌシキもうなずく。
「アシュールさんも、付き合わせちまって悪かったぜ。おかげで助かったぁな。森を抜けなくちゃならなかったしよ」
「お互い様だって」
 途中で食料が乏しくなった時、アシュールの仕掛けた罠が役に立った。多少時間を取ったが、飢え死ぬよりもはるかにましであったろう。
「聞こえてきたね。滝だよ」
 ジュッタロッタの船着き場で行き合った、呪人のカビタンが声をあげる。
「ここには昔の修行仲間だった女がいるんだ」
 正直、ヌシキ、アシュール、ミリムナはこのカビタンという、呪人を警戒していた。敵意を感じるというわけではなく、女性としての本能からである。にじみ出る人徳というものがあるのならば、このカビタンからは好色さと軽薄さがそれと同様ににじみ出ている。
「会って話をしたいなぁ。久々にさ」
「好きにすりゃいいぜ。止めやしねぇよ」
 シーッツアが突き放すように言った。
「誰か、いるね」
 ミリムナが言う。
「年寄り連中だな。みんなここの長老かなんかか?」
     *
「ほう? 滝を調べに」
 シーッツァの話を聞いたプキモが言う。
「それはまたどうしてかの」
「鼓だ」
「鼓?」
「この滝によ、鼓みてぇな音がするとかそういう場所はねぇかな?」
「わしもここには長いが、聞かぬ話よの」
「滝の裏側に洞窟みたいなのとか、有りません?」
 ミリムナが尋ねるが、プキモが首を振る。
「修行者が近寄ることはあるが、そういう話は聞かぬのぅ。もしもそんな穴があるのなら、とうの昔に調べているはずじゃが」
「それもそうよね・・・・」
「プキモさん?」
 今度はカビタンが尋ねた。
「御存じないですか? 私の友人で・・・・」
 ヌシキとミリムナが呆れた、というように目を見合わせる。カビタンはぬけぬけと情婦である女呪人のことを聞き始めたのだ。
「・・・・あいにくだが、若いの」
 プキモが沈鬱な表情で言った。
「その娘はな、山賊に殺されてしもうた。おるとすれば、ほれ」
 滝壷を指差す。
「山賊どもが投げ込んでいった。この滝壷の底じゃ」
「え・・・・?」
 カビタンが愕然として膝をつく。多情ではあるが、それぞれに対する情も深いのだろう。
 その脇で、シーッツァがおもむろに服を脱ぎ出す。
「な、何するんだい?」
 アシュールが慌てて聞く。
「知れたことよ。覗いてくらぁ。滝壷の底をよ」
「私も」
 先ほどからめそめそといじけていたカビタンが、涙を拭くと立ち上がる。
「参ります」
 そう言って上着を脱ぐと、呪人特有の刺青を施した白い肌が露になる。やがて下帯一本になった二人が、ざぶん、と水音を立てて滝壷に飛び込む。呆気に取られているプキモたちを残して。

◆滝壷の底
(息がどれほど続くか・・・・)
 カビタンがシーッツァとともに潜りながら思う。
(深い・・・・しかし流れはさほどではない。水の落ちるすぐ下まで行けば別だろうが・・・・)
 この辺りでも、人の背丈の七、八倍はあるだろうか。滝壷の底は、蒼く深い色の水に閉ざされてはっきりと見ることもできない。
(だめだ、息が続かない)
 シーッツァに、浮かび上がるように仕草で伝える。シーッツァも息が続かなくなったのだろう。うなずいて上に向かって水を掻き始める。
「ぷぁっ」
「ふぅーっ」
 二人が水面に顔を出す。
「どうだったー?」
 ヌシキが声をかける。
「無理だ。深すぎらぁ。ンブツ様でも何でも、水の神様にに助けてでも貰わなくちゃ、とうてい潜れやしねぇぜ。こりゃ」

◆夜
「アウブよ・・・・夜を司り給う闇よ・・・・何とぞ、このオジャにお声をかけ給え・・・・」
 オジャが、俄造りの祭壇の前で祈りを捧げる。
「・・・・我が声を聞き給え。我にお声を聞かせ給え・・・・」
《・・・・忙しいのう・・・・》
 聞こえた。
《・・・・誰じゃ・・・・》
(アウブ様、オジャと申しまする)
《・・・・返事は、したぞ・・・・ではな・・・・》
 慌ててオジャが引き止める。
(お待ちくだされ)
《・・・・何か用事か・・・・》
(用事が無ければお呼び出したりいたしませぬ)
《・・・・手早くせぬか・・・・》
(ははっ)
〈何をしておる。アウブ〉
《・・・・ブリュヘか・・・・》
〈宴に、急ごうぞ〉
《・・・・待て、ブリュヘ。この男、酒を捧げておる・・・・お主が相手をせい・・・・》
〈酒、とな〉
《・・・・そうだ・・・・宴の酒は、お主の分までわしが頂いておく・・・・》
〈待て、待たぬか、アウブ〉
 沈黙。
〈行ってしもうたか。まったく。・・・・お主か、わしに用事とは〉
(さようで)
〈捧げ物が有るのでは、聞かずばなるまい。申せ〉
(いえ)
〈どうした〉
(何でも良いのです、お言葉をお聞かせ願えたら)
〈さんざん話をしておる。用事は済んだな〉
(お待ちください!)
〈なんだ〉
(わしをここイーバまでお導きくださった神がおられるはず。是非とも、お言葉を聞かせていただきたく)
〈そんなものはわしは知らぬ〉
 いい加減オジャも腹が立ってきた。
(ナッフ殿とセタ殿をお導きになった神ですぞ!)
〈ナッフか。その名は耳にしたような気がするの〉
(おお!)
〈聞きたいか〉
(ぜひとも)
〈しかし、覚い出せぬ。いつ聞いたものか〉
(・・・・)
〈怒るな〉
(堪えまする。思い出して下されよ)
〈そうは言ってもな〉
(ブリュヘ様!)
〈ああ、思い出したわ。ティカンでな、いつだったか聞いた。そう、五年ほど昔になる〉
(ティカンにて、でございますか)
〈ああ〉
(それで、どのようなご事情でありましたか)
〈そこまではな・・・・おお、もはやこのような時間ではないか。宴の酒がすべてアウブに飲まれてしまう。オジャとやら、さらばじゃ〉
(ブリュヘ様!)
 再び、沈黙。祭壇に供えられた酒は、一滴も残さず空になっていた。

※ 大型の原猿の一種。カナンでは普通に見られます。

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