第4回 C-1-3 首都ジュッタロッタ(その3)


◆クテロップ邸
 カヤクタナより戻ったアッカーンは、真っ先に摂政邸を訪れた。若さの割にかなり羽振りの良い商人としてヴラスウルでその名を知られるようになった彼ではあったが、それもクテロップの後ろ盾が有ってのことである。ここで摂政に死なれては今後の商売にも影響が出てくるであろう。現に、クテロップのいない王宮からは門前払いを食らったばかりである。ミカニカの即位後、この国を支えてきたクテロップの影響力の大きさを改めて思い知ることとなった。
「殿下、御無沙汰いたしました。アッカーン、罷り越してございます」
 病室に入ったアッカーンが、寝台の上で眠るやつれた摂政の姿に驚く。
「これは・・・・」
 アッカーンが摂政の使用人を振り向く。
「相当お悪いようですな」
「・・・・はい」
(もはや回復は望めぬかも知れないな。折角の元手であったが、惜しいことだ)
 ふたたびアッカーンが摂政の顔に視線を移す。クテロップには聞こえていないであろうが、自分の気持ちを整理するため、言った。
「殿下。また参ります。その時にはカヤクタナの土産話でもいたしましょう。元気を出されませ」
     *      *
「殿下の御病状は?」
 従者のイーオヴェを引き連れ、見舞いに訪れたクリルヴァ・スキロイルが屋敷の使用人に尋ねた。
「は、あまり芳しくはございません。この二、三日は意識が御戻りになることもまれでございまして」
「それ程か」
 クリルヴァがイーオヴェと目を見合わせる。そのような病状のクテロップから、一体何が聞き出せるだろうか。
(ともあれ、対面してからだ)
 摂政の休む病室に入ると、クリルヴァが目で使用人を退がらせる。
 寝台の上のクテロップは、もはや肌から生気が抜け、毛布の下の胸がかすかに上下していることだけが彼を生者と認めうる唯一の証しであった。
「殿下・・・・あなたには聞かねばならないことが有ったのですが」
 落胆したクリルヴァが小声で呟いた。
「もはやそれも叶いそうにありませぬな。殿下、一体何を隠しておられる?」
 クテロップの閉じられた瞼は、全く動く気配を見せない。
「先王陛下の崩御と現王陛下の御即位、そして御落胤の真相まで、闇に持ち去るおつもりか。私がそのことに気づかないとお思いなら、それはとんだ料簡違いというもの。大概のからくりは察しがついております、しかし」
 意識の戻らぬクテロップを見据えてクリルヴァが続けた。
「殿下の証言が無ければ、いかに私と言えども事を公にするわけには参りませぬ。しかし疑惑を捨て置けば、王室のみならずヴラスウル全土に波乱を呼ぶことになりましょうぞ」
 溜め息をつくクリルヴァに、イーオヴェが耳打ちした。
(クリルヴァ様、あの書棚に)
(何?)
 部屋の隅の棚に、数冊の書物が重ねて置かれている。
(ざっと目を通すぞ。重要なものが有れば持ち出せ)
(はい)
 主従が棚に近寄り、静かに書物を下ろす。しばらく病室の中にぱらぱらと頁をめくる音が続いた。
(クリルヴァ様! ここを)
 イーオヴェがある個所を指で示す。
「これは!」
 思わずクリルヴァが声を上げた。イーオヴェが咄嗟にクテロップの様子を見るが、目を覚ます気配は無い。
 書物はクテロップの日記であった。開かれた頁の日付は先王メグーサイ崩御の直後である。
「殿下も・・・・?」
「そのようですね」
 クリルヴァがその前後数頁を刀子でそっと切り取り、懐に収める。書物を元の場所に戻すと、手を打って使用人を呼び、退出して行った。
     *      *
「行ったか」
 横たわっていたクテロップが目を開き、使用人に助けられて上半身を起こす。
「ナハル」
「はい」
 ぎぃ、と奥の扉が開き、若い近衛武人が現れる。
「今の方が、クリルヴァ殿だ」
「王宮で何度かお見かけいたしました」
 クテロップが咳込み、ナハルが心配げな表情を浮かべる。心配無い、とクテロップが手を振る。
「・・・・先日より御落胤、御落胤と騒ぎ立てておる。まさかとは思うが」
「乱を・・・・畏れながら、簒奪を目論まれている、ということですか?」
「そうと決まったわけではないが・・・・想定してもおかしくはあるまい」
「しかし何故?」
「あの方は国祖ファトレオ陛下の甥御。血筋として相応しくないわけではない。溜まった膿が出始めたのかも知れぬ」
 たったこれだけの会話でも、相当堪えるのであろう。クテロップが肩を上下させ、ぜいぜいと息を吐く。
「殿下、お身体に障ります。お休みください」
「ナハル」
 クテロップが目を上げる。
「ミカニカ陛下と、ヴラスウルの御為に、命を捧げてくれるか?」
「はっ」
「・・・・わしが死ねば、クリルヴァ殿に限らず王位を窺う者が動き出すやも知れぬ。決して、決して陛下を裏切ってくれるな。忠を尽くして陛下をお守りし、お盛り立てせよ」
 クテロップの両眼に、涙の粒が浮かぶ。
「殿下。死ぬなどと不吉な」
「・・・・衛士長・・・・ダッシャアという者がおる・・・・今は・・・・お主ら・・・・頼り・・・・」
 咳込みながらクテロップが言う。
「もうお休みください、殿下」
「・・・・頼む・・・・」

◆王宮・軍議の間
 聖都ウラナングよりもたらされた詔勅は、早急な派兵を要請している。
「ティカンを守らずしてヴラスウルの面目を保てようや」
「国内の動静も油断ならぬ今、はるばるウラナングまで派兵するような浪費はできぬ」
 重臣たちの間でも、意見が真っ二つに割れている。摂政クテロップより采配を委ねられた新任の王軍総督ククルカンも、新任であるがゆえにやや遠慮し、独断を避けている気配であった。
 黙ったままのミカニカの前で議論が続き、弁の立つ王臣が立ち上がっては持論を述べる。
 ややあって、衛士が遠来の参加者の到来を告げた。
「インカム殿、ソルトムーン殿、御到着にございます」
 重臣たちがざわめく。衛士に案内されてインカムとソルトムーンが姿を現す。拝礼する二人に、ミカニカが直々に声をかけた。
「インカム、しばらくです。辺境では苦労でした」
「はっ。ありがたきお言葉」
「あなたの働きは存じています。早速ですがもう一働きしてもらわなくてはなりません」
 おお、と重臣たちがふたたび声をあげる。この言葉が、今まで発言しなかったミカニカの決断であった。
「よろしいか。おのおの方」
 ククルカンが立ち上がり、見えない目で一座の者を眺め渡す。
「御叡断により派兵と決した。御異論は、ありますまいな?」
 軍議の間が、しんと静まる。
「待たれよ」
 入ってきたばかりのソルトムーンが、席にも着かぬまま口を開いた。
「国の守りは、どうされるのです?」
「まさか一万の軍をすべて送るわけにはいくまい。ククルカン」
 ミカニカが促す。
「は」
 ククルカンが声のするほうを向く。
「派兵する人数は王軍一千五百。内訳は全て象兵(※1)にて六部隊。これにインカム、ソルトムーン麾下の烈風会の人数を加える。残りの王軍及び近衛軍、クトルトルをはじめとする諸家の辺境軍は残留、守備に当たるものとする」
 いかがか、といった風情でククルカンが再び一座を眺め回す。
「では、これにて軍議を終える。速やかに準備にかかられよ」
     *      *
「陛下」
 重臣たちが退出する中、インカムが一礼するとミカニカに向かって言う。
「申し上げたき儀がございます。お時間をいただいてよろしいでしょうか」
 ミカニカがちらりと脇に控えるダッシャアを見る。
「よろしいでしょう。謁見を願い出ている者たちも待たせてあります。ここに通しなさい」
「は」
 最小限の返事のみを残して部屋を出ていったダッシャアが、やがて数人の男女を引き連れて戻ってくる。
「皆、掛けなさい」
 ミカニカが一同に着席を促す。クテロップの計らいによって衛士長に昇進したダッシャアと、ククルカンらの推挙によって正規護民兵の部隊長に就任したマウカリカがそのすぐ後ろに侍立する。
「インカム、まずあなたの話を伺いましょう。派兵の件に関してですね」
「はい。御叡察、恐れ入ります」
「陛下、畏れながらそれについては私も」
 カヤクタナから帰ったばかりのテララッハがインカムを遮って発言する。
「先ほどの軍議にて、ウラナング派兵と決まったとのことですが、なにとぞもう一度お考え直しください」
「なぜですか」
 ミカニカが眉をひそめる。
「カヤクタナには余力がございます。クンカァンの兵を引付けて、まだ戦えましょう。我らヴラスウルが今急いで兵を出すことはございません」
 黙って聞いていたククルカンが、盲いた眼でテララッハを見る。
「戦の判らぬ文官は黙っておられよ」
 厳しい口調で続ける。
「カヤクタナにはもはやクンカァンの軍を支える力など残っておらぬ。王宮の中はこの期に及んで内紛を続け、モロロット二世はクンカァンに捕らえられ行方不明。主力の緑旗軍は先の会戦でほぼ壊滅しておる。残存兵力をかき集めても一千揃えるのがやっとだろう。そんな状態でどうして大魔軍を迎え撃てる?」
 ぐっ、とテララッハが詰まる。カヤクタナの内情を知っているのは自分ばかりと思っていたが、ククルカンも正確に情勢を掴んでいる。
 実際のところ、クテロップの作り上げた諜報網を引き継ぐこととなったククルカンとダッシャアは、その恐るべき情報収集力に驚いていた。日々、新しい情報が二人の耳に流れ込んでくる。
「ハンムーもネピニィニが死んだ今、どれほどの兵を送って来るか。それでなくとも南方蛮族の侵入により相当に疲弊していよう。そしてヴォジクだが」
 ククルカンが一旦言葉を切る。
「ここが最もあてにならぬ。間者の知らせによれば、王軍が大規模な軍事行動を起こす気配は無いということだ」
「では?」
「兵を出したとしても、やはり一千には満つるまい」
 重い雰囲気が座に満ちる。
「ウラナングをお守りするのは、セモネンドに代わってこの地を治めることをティカンによって定められたヴラスウルの務め。他の四国のうち一国が牙を剥いたとあらば、仮に三国が兵を出さぬとあっても、我らは盟約により兵を送ります」
 ミカニカが決然として言った。
「陛下、ククルカン殿、よろしいか」
 テララッハに発言を遮られたインカムに替わってソルトムーンが尋ねた。
「我らが兵を出したその隙に、大魔軍が矛先を転じ、手薄となったヴラスウルを襲うということが考えられる。その備えは如何に?」
「いかにクンカァン軍強大なりと言えど、二正面作戦は取るまい。そもそもソルトムーン殿、考えてみられよ。クルグラン王にとってティカンを抑えることと、兵を損じてまでヴラスウルを取ることと、どちらが利となるか。そもそも大魔軍、腐敗の軍団などと大仰な名乗りではあるが、その強さはカヤクタナ兵と互角、用兵の巧拙が勝敗を決したまで。十分な残留部隊を置けば、シクの山々を越えてまで噛みついてくることはあるまい」
 実戦経験と情報分析力についてはククルカンに一日の長がある。ここはその言に従うほか無い。
「もはや決まったことです。ソルトムーン、インカム、あなたたちの深慮は判りますが、あまりにクンカァンに脅えていても士気にかかわります」
「はっ」
「他には?」
 ルナが拝礼して立ち上がる。
「先に上奏いたしました報告書は、御叡覧に預かりましたでしょうか」
「目を通しました」
 ミカニカがルナに向き直る。
「ルナ。良いですか」
 突然向けられた厳しい言葉に、ルナがぎくりとする。
「何か不敬をいたしましたでしょうか?」
「定期市など、このジュッタロッタでは国祖ファトレオ陛下の代から行っております。何も目新しいことではありません」
「は、はい」
「クテロップが動けぬ今、あなたたちが動かないでどうするのです。テララッハ、あなたもです」
 二人が頭を下げる。
「私にその都度断ることはありません。草案を提出する手間は省き、実行して結果を出した後に、報告しなさい。戦争も政治も同じ事、机上で考えるばかりでは何もならないでしょう。辺境では、すでにクトルトルの者が帰順した賊を指導して屯田を始めたとのことです」
「はい。お言葉、胸に留めます」
 ルナとテララッハが頭を下げると、相変わらず男装のアイシャが立ち上がる。
「陛下、そのクテロップ殿の御病状についてなのですが、ネゴ神教の者に祈祷を依頼されたとのこと。真でありましょうか?」
「ええ」
「我らが祖神のお怒りが心懸りに存じます。そもそも摂政殿の病自体、あの者どもが呪いをかけて、とも考えられます」
「考えがあります。諫言はありがたく受けますが、今は彼らの動きを見る段です」
「叡慮あってのこととあらば、これ以上申しますまい。しかし、御油断だけはなされませぬよう」
「判りました」
 見慣れぬ顔が、一人。男はどうも居心地が悪いようで、時々ククルカンの顔を見たりなどしている。その様子にミカニカが気づく。
「あなたは?」
「は。天顔を拝し奉り、光栄に存じます。城下近くの村の者にて、メ・ブと申します」
「ああ、済まぬ」
 ククルカンがようやく気づいた様子でメ・ブを紹介する。
「なかなか馬の育てようが上手にございまして、王宮の厩舎も気に掛かる様子。何かのお役に立てればと思いお目通りさせました」
「馬を?」
 ミカニカが視線を移す。
「はい。王宮の種馬と私の飼い馬とを掛け合わせ、より良い軍馬を産ませとうございます。そのお許しをいただきに」
「面白そうですね。しかしメ・ブ。軍備は今すぐにせねばなりません。ティカン派兵が決まりました。あなたの馬が仔を産むのを待ってはおられません」
「確かに、そのようですな」
 ようやく緊張が解けたのか、メ・ブが苦笑する。
「それに、あいにくですが我が軍の主力は象部隊。厩舎にはさほどの名馬がいるわけでもありません」
「陛下、よろしいですか」
 ククルカンが口を挟む。
「だからこそ得難き人材かも知れませぬ。いずれは我が王軍も騎馬隊を充実させねばなりませぬが、その際にはメ・ブの力が大きな助けとなりましょう。司厩官の欠員もあることですし、王宮にて召し抱えてはと存じますが」
「ククルカン、軍備のことはあなたに任せます。メ・ブ」
「はい」
「あなたにも都合がありましょう。すぐに受けろとは言いません。司厩官の席は空けておきます。その気になったら王宮を訪ねなさい」
「はい」
 進言者が途切れたのを見計らうと、末座に控えていたカジフ・クトルトルが、ミカニカに目配せをする。
(陛下、人払いを)
 ミカニカがそれに気づいたらしく、不審げな顔をしながらも立ち上がる。
「ここまでにします。皆、退りなさい」
     *      *
「ククルカン殿、ダッシャア殿」
 インカムとソルトムーンが、王軍と近衛軍の中枢と言うべき二人に声をかける。
「少し詰めたい件が有る。よろしいか?」
「うむ。執務室へ参られよ」
 武人たちが退出すると、広い軍議の間に、カジフとミカニカ、そして女王にぴったりと近侍するマウカリカが残された。
「陛下、マウカリカ様にもこの場を外されたく」
 カジフが言う。その言葉を聞くと、マウカリカがカジフのほうを睨み付けた。
(陛下をお守りしなくちゃならないんだから!)
「マウカリカに聞かれては困ることなのですか?」
 ミカニカが言った。
「いえ。しかし、我がクトルトル家の内情にも関わりますことゆえ、できれば内々にてお耳に入れたく」
「カジフ殿、決して口外いたしません。私のことはお気になさらぬよう」
 マウカリカが表情を固くしたまま言う。
「マウカリカは私の親族であり、忠実なる臣下です。その彼女に聞かれたくないとは」
 ミカニカがカジフを見据え、冷たい口調で言った。
「讒言ですか」
「いえ、決してそのようなことは」
(ままよ・・・・!)
 意を決したカジフが、ミカニカに拝礼すると語り始めた。
「それでは申し上げます。先に摂政殿下を通してお許しをいただきました親衛隊の徴募、済みましてございます。腕の良い射手を揃えました」
「ご苦労でした。用件とはそのことですか?」
「いえ」
 カジフが少し言葉を切る。
「当家クトルトルのことでございますが、宗家の当主をはじめ長老連に、不満がわだかまっております」
「不満?」
「クトルトル家は中央より遠ざけられ、長年の間、辺境に逼塞する格好でございます。ウラナング派兵の間に、不測の動きをするやも知れません」
「クトルトルは自ら望んで辺境に居るはずですが。辺境にて力を蓄え、守りをより堅固にすることこそ、カジフ、あなたの家の務めでしょう」
「力が貯まれば欲も出ようというもの。その端に連なる私が言うのもおかしいこととは存じますが、もはやかつてのクトルトルではございません」
「証拠も無しにそのようなことを申すのですか。やはり讒言ではありませんか」
 ミカニカが鋭く叱責するが、カジフがひるまずに続ける。
「私の言葉が真か偽りか、いずれ判る時が参りましょう。陛下、私はその時のために親衛隊を組織いたしました。仮に」
 カジフの整った顔が、微笑を浮かべる。マウカリカの緊張が、その笑みを目にした途端、ふっと途切れる。
「クトルトル家の者全てが陛下に楯突きましたとしても、私は陛下のお側にて、お守り申し上げましょう」
 そういってカジフが拝礼する。
(あ・・・・なに?)
 胸がぎゅぅっと締め付けられるような感覚に、マウカリカが戸惑う。
(あんな笑顔・・・・初めて見た)
 はっと我に返ると、カジフが退出するところであった。その背中が、ククルカンやフルハラング、街で出会ったセタといった他の男より、頼もしげに映る。
(どうしちゃったんだろ・・・・私)
     *     *
「まずいな・・・・本気になりそうだ」
 王宮の門を出たカジフが、馬上で呟く。目の前の二人の少女が、凛としながらも儚げに見えた。心が、ンブツが踊る水面のように波立ち続けていた。
(イナよ・・・・これで、良かったのか?)
 心の中で尋ねてみるが、当然のことながら返事など有るわけがなかった。

◆王宮・軍総督執務室
「ククルカン殿、迷っている」
 インカムが率直に言った。
「何を迷われる?」
 ククルカンが尋ねる。
「我ら烈風会は、国土防衛のために結成したつもりだった。王命とは言え、国外に出兵するのはどうか、と」
「良く考えられよ。インカム殿」
 ククルカンが椅子に腰掛けたまま言う。
「先ほど御前にて申し上げた通り、今のヴラスウルは一千五百の兵を送るのが精一杯だ。それでもウラナングを守り切れるかどうか」
 ククルカンの後を受け、ダッシャアが言う。
「ウラナングが万一落ちた時のこと、考えられたか?」
 インカムが返事をする前にククルカンが口を開く。
「ウラナングが落ち、もしもクルグランが侵略の手を休めないようならば、いずれこのヴラスウルも戦場になる。クンカァンの腐敗の軍団は、戦死者を吸い取って膨れ上がるという。その大兵力を向こうに回して、勝てるか?」
 ククルカンがゆっくりと腕を組む。
「だからこそ、早いうちにクンカァンを叩いておかねばならぬ。時が過ぎれば過ぎるほど、我らは不利になる。今動かせる烈風会の五百、これは大きいのだ。それにな、お主らが辺境にとどまることを不安がる意見も出ておる。兵を揃え、謀反を企てるのではないかとな。ここはその疑いを晴らすためにも、兵を動かしたほうが良かろう」
「わかった」
 ソルトムーンがインカムに言う。
「出兵せざるを得まい。インカム」
「うむ」
 インカムもうなずいた。
「両人」
 ダッシャアが言う。
「気を付けられよ。クトルトルに」
「クトルトル?」
 インカムがダッシャアに向き直る。
「辺境より知らせが入っている」
 無口なダッシャアはそれ以上口を開こうとしない。ククルカンがインカムとソルトムーンに向かって言う。
「お主ら、辺境で徴募をしたな。かなり大々的にだ。当然、クトルトルと兵の取り合いになる。烈風会の抱える六百という兵員は、クトルトル側の打撃でもある。良く思われているわけがあるまい」
「確かに」
「先ほどの意見も、クトルトル側から出されたものだ。くれぐれも、気をつけろ。しかしクトルトルと事を構えるのも避けてもらわねばならん」
「承知した」
 ソルトムーンが言った。ギハ神殿に立ち寄った折りの占いでは、この度の派兵については吉とも凶とも出なかった。しかし、こうして王軍の重鎮たちとの繋がりができたことは、収穫と言うべきかも知れない。
「では、我らは退出しよう。インカム」
「そうだな。準備にかからねば」
 ククルカンが部屋を出て行こうとするインカムを呼び止め、懐から取り出した割符と書状を手渡す。
「軍の倉庫に立ち寄られよ。見たところ、烈風会の兵装はあまりに劣弱。軍備の手助けをしたい。いかに“不敗”の名を誇ろうとも、空拳徒手では何もできぬ」
「ククルカン殿、御配慮感謝する」
 インカムとソルトムーンが、盲目の新任総督に、素直に頭を下げた。

◆深夜・王宮付近
(警戒が・・・・厳重だ。暗殺騒ぎがあったからな。当然といえば当然だが)
 人影。女であろうか。少し離れたところから、衛士たちの守る城門を眺めている。
(王宮の牢獄が気になるが、とうていこの警備をすり抜けて、というわけには行かないな)
 女が踵を返す。
(今は、到底無理か。そもそも牢の場所も判らない。内応者が欲しいところだ)
 女の影が物陰に溶け込むように消えた。

◆クテロップ邸
 近衛兵と、新設の親衛隊に警護されたミカニカの象輿が進む。クテロップの邸宅前には、すでにネゴ神教の教主が到着している様子であった。
「陛下、油断なされぬよう」
 御者を買って出たマウカリカが、手綱を操りつつミカニカに言う。
「何をです?」
「得体の知れぬ輩でございますから」
「心配要りません。それともマウカリカ、私があの者たちに踊らされるとでも?」
「いえ、決してそんなつもりはありませんが」
 ちょうどマウカリカの頭上の空を、鷹が一羽、輪を描きながら飛んでいる。
(フークリ、何かあったら知らせてね)
「国王陛下の御到着である!」
 先頭の近衛兵が声を上げる。
「当主クテロップは大病のゆえをもって拝礼を免ずる。祈祷師アーシュ・ザクウスよ。前へ出ませい!」
「馬鹿者。救国の聖者にして最後の神、アーシュ・ザクウス様と呼べ」
 屋敷の門前に信者を従えた男が現れ、傲然とした態度で言う。
 その姿を認めて、だっと近衛兵の中から一人が剣を抜いて駆け出た。
「奸物! 我が剣の味を知れ!」
 信者たち、侍女たちが悲鳴を上げる。男が振り下ろす刃が光る。クールーの振るう剣もかくばかりかと思わせるほどの太刀筋は、とうてい文人あがりのアーシュが見切れるものではない。
「なに!」
 アーシュが必死で避けようとするが、刃が肩口から胸の辺りまで大きく切り裂く。たまらず倒れ臥すと、男は返り血もそのままにアーシュの身体を踏みつけた。
「妖人! まことの神ならば生き返ってみせろ!」
 男が足の下のアーシュを血走った目で見据えて言う。
「クゥリウ!」
 変事を目撃し、蒼白になった象の上のマウカリカが叫ぶ。血塗れた剣を持ち、虫の息のアーシュを踏みつけているのは、確かにスキロイル家の若者の一人、クゥリウであった。
「クゥリウ殿! 何を!」
「陛下をお守りせよ!」
 近衛兵がクゥリウを取り囲む。
「クゥリウ様、御無礼つかまつる!」
 メルクタナが棒を構え、包囲の輪の中からすっと進み出る。ひきつった表情を張り付かせたクゥリウが剣を手にしたまま向き直る。クゥリウが身構えるよりも早く、メルクタナの棒がその右手を打ち据える。高い音を立てて剣が地に落ちた。
「陛下!」
 我に返ったマウカリカが、ミカニカのほうを振り向く。意外なほどに表情が変わっていない。
「王宮へ戻ります。祈祷は無理でしょう。マウカリカ、急ぎなさい」
「え?・・・・は、はい」
 カジフの率いる親衛隊に守られて、ミカニカの象が王宮へと向きを変える。
(陛下・・・・なぜ、平気なのです? 目の前で、クゥリウが人を殺そうとしたというのに)
 マウカリカの耳が、ちゃらちゃらという小さな音を拾った。
(陛下?)
 そっと振り返ると、ミカニカが目を閉じ、両手で自身の身体を抱きしめて必死で震えを押さえようとしている。王冠に釣り下げられた歩揺が身体の震えに合わせ、音を立てる。耳を近づけることができたのなら、その奥歯が細かく鳴っている音も聞き取れたであろう。
「陛下」
 マウカリカが思わず声をかける。ミカニカが目を開く。
「陛下・・・・ミカニカ様。私がお支えします。心配なさらないで」
「ありがとう・・・・マウカリカ」
 マウカリカが手綱を引くと、象が歩き出す。親衛隊の先頭に立つカジフの背中が、軍議の間から退出する時と同じく、頼もしげに見える。
(カジフ、あなたも一緒に、ミカニカ様をお守りして)
「カジフ・・・・」
 マウカリカは、ミカニカが呟いた言葉にぎくりとする。
(え?)
 そっと振り返ると、ミカニカもその目でカジフの姿を追っている。
(どうして? まさか、ミカニカ様も?)
 愕然としたマウカリカは、手綱を放さないでいるのが精一杯であった。
 若者に率いられ、騎馬隊が進む。その後を、象が静かに行く。二人の少女を乗せて。

◆クテロップ邸
 王国の大黒柱が、ついに折れた。先王メグーサイの遺詔により摂政の職を拝してわずかに二年。激務に病んだクテロップが逝った。出兵の前ということもあり国葬は延期されたが、内々で王室の者や近親者たちが葬儀を執り行った。
 ジュッタロッタを発ち、ティカン防衛に向かう王軍と烈風会の部隊が陸続とその屋敷の前を通りすぎる。
 部将たちの表情は、来たるべきクンカァンの大魔軍との対決と、摂政亡き後のヴラスウルの行く末を思い、厳しく引き締まっている。
 勝たねばならない。勝ってこのジュッタロッタに凱旋し、国を守ってゆかねばならない。

※1 ヴラスウルのスキロイル家は、もともと前王朝であるセモネンド国の門閥貴族で、その先祖は象であると言います。ために王国では象を尊貴な動物とし、王軍も強力な象兵を主力として編成されています。ただし建国後さして間が無いため、国民が象を崇敬するような風潮はまだ一般的ではありません。
 ちなみに、門閥貴族でありましたから、セモネンドの滅亡以前にはスキロイル家から王室であるハトラ家に何度も輿入れが行われています(当然その逆のケースも有ります)。

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