第4回 C-1-2 首都ジュッタロッタ(その2)


◆ネゴ神教本拠地
 ジュッタロッタでも上層の者たちが邸宅を構える区画。ネゴ神教の面々は、教主夫人の実家である広壮な屋敷に間借りし、活動を続けていた。先般の襲撃に懲りてか、信者たちが屋敷の周りを警護し、異様な雰囲気を漂わせている。
「シドンは見つかったの?」
 チューリン・ザクウスが、私室で鏡に向かって化粧をしながら言った。
「いえ、どこかに逃げたようで、まるっきり所在が掴めません」
 扉のところでリタが答えた。
「そう・・・・。見つからないなら見つからないで仕方ないけど。油断しないでね」
「はい。もう一度探してみます」
 チューリンが壷の中から紅を取り出す。じっと見ていたリタが口を開く。
「あの、チューリン様」
「なに?」
「どちらか、お出かけですか?」
「ククルカンのところよ。軍権を握ったって言うじゃない」
「はぁ」
「死にぞこないのクテロップじゃ、どうしようも無いわ。やっぱり実際に権力を持ってないと」
「で、また色仕掛けですか?」
「言葉が良くないわね。魅力の虜にする、と言いなさい」
「はぁ。でもチューリン様」
「どうしたの?」
「ククルカンって、目が見えないんですよ。戦争で怪我して」
「え?」
「ご存知じゃなかったんですか? もしかすると」
     *      *
「様子はどうだ」
 教主“紅の廃殿下”アーシュ・ザクウスが、重傷を負った騎士団長ガーラ・ナムイを見舞う。寝台に寝かされたガーラは、熱が引かないのであろう。苦しげな表情を浮かべ、油汗を流しながら眠っている。焼かれた神殿から逃げ出した時に傷口が大きく開いて出血し、翌日から意識を取り戻さない。つきっきりで看病しているセレスタが、やつれた顔で首を横に振る。
「そうか」
 アーシュが苦い顔をする。
「大事なときにガーラの力が無いというのは、辛いな。腕がもがれたようだ」
「アーシュ様、リタは?」
 セレスタが尋ねる。
「例の、シドンと言ったか? その男を探しに出ていたが」
「薬を取りに行って貰おうと思ったのですが」
「あの薬も効かぬな。医者を変えるか」
「・・・・いえ、やっぱり」
 セレスタが意を決した口調で言う。
「私が治します。ガーラの怪我は」
 アーシュがうなずく。
「お前がそうして看てくれるので助かっている。何か必要なものがあれば、遠慮無く言うんだ」
 アーシュが部屋を出て行く。セレスタは無言で立ち上がり、部屋の隅の棚から銀の香炉を取り上げ、白っぽい色の香を焚き始める。甘い香り煙が部屋に立ち込めると、今度は懐から小袋を取り出す。袋の口を少し広げると、その中の色砂で床に呪言と文様を描き始めた。
「それから・・・・」
 誰に言うでもなく呟いたセレスタが、ガーラに掛けられていた毛布をそっと取り除け、秘伝の生薬を口に含む。
 そのままガーラに寄り添うように寝台に上がったセレスタが、口の中で生薬を噛み砕く。独特の苦みが舌を刺す。
(飲みにくいと思うけど、我慢してね)
 セレスタの両手がガーラの頬を挟み、その唇に自らの唇を重ねあわせる。ガーラの喉が上下に動き、唾液とともに薬を飲み込んだのを確かめると、名残り惜しげに唇を離す。
(次は・・・・)
 セレスタがガーラの左腕に巻き付けられた包帯を解く。膏薬をべったりと貼られた傷口は、幸いに化膿することこそ免れたが、熱を持ち、真っ赤に腫れ上がっている。
(可哀そう・・・・痛いでしょ、ガーラ)
 今度は別の生薬を口に含み、膏薬を剥がすと、ぴちゃぴちゃと湿った音を立ててその傷口を舐め始めた。慈しむように優しく、時には生薬をすり込むようにやや強く、自在にセレスタの舌が動き回る。
(ふう・・・・あとは、私が暖めてあげるね)
 ぱさり、とセレスタの長衣が落ち、十八歳の若々しい曲線を備えた身体があらわになる。リタと喧しく言い合いをしている時の彼女からは想像もできないような、一種神々しいまでの肢体。
 左腕の傷口に障らないよう、注意深くガーラの身体に覆い被さる。セレスタの長い髪がふわっと敷布の上に広がる。ガーラの体温が伝わってくる。
(死なないでね、ガーラ。死んじゃだめ。私たち、これから頑張らなくちゃならないんだから)
     *      *
「ガーラ!」
 セレスタが歓声をあげた。不眠不休の看病の甲斐あって、ついにガーラの熱が下がり、意識を取り戻したのだ。
「良かった・・・・死んじゃうかと思った。ずっと・・・・目、覚まさないんだもん」
 セレスタが涙をぼろぼろとこぼしながら言う。
「ここ・・・・は・・・・?」
 意識がまだはっきりとはしないのだろう。寝かされたままのガーラが尋ねた。
「チューリン様の御実家」
「そうか・・・・警備はどうなっている?」
 セレスタが首を振る。
「信者が集まって警備してるだけなの。あなたの言った通り、王軍に頼んでみたんだけど『国王をも凌ぐと称する最後の神の教団が、なぜ軍に警護など依頼する』って突っぱねられて。チューリン様、随分怒ってらしたわ」
 ガーラが苦々しげに舌打ちする。
「シドンは?」
「リタが探し回ってるけど、見つからないの。手がかりも、まるで消えてなくなったみたいに」
「なんてことだ・・・・俺が動ければ・・・・」
 口惜しさの余りに唇を噛む。
「あんまり興奮しちゃだめよ。せっかく傷が塞がったのに」
「そうだな・・・・」
 ガーラがセレスタの疲れ果てた様子に気づく。
「セレスタ、ずっと看病してくれてたのか?」
「うん」
「心配かけた。もう少し休めば動ける」
「うん」
 胸が詰まって、涙が溢れて、セレスタにはもう何も言えなかった。

◆ジュッタロッタ・市場
「おい、見たか?」
「見た見た。大笑いだ」
 街頭で演じる中年の人形劇師が、近頃評判になっている。マンソイと名乗るその男の新作『最後の神が五万人』は、適度に効かせた風刺と、そこに描かれる滑稽な人物造形が大いに受け、彼が大荷物を背負って広場に現れるとあっという間に人だかりができるまでになった。
「アーシュなんとかってぇ奴の話が傑作だ。ネゴ神教とこの親玉だろ?」
「劇ん中じゃ大活躍だがよ、何だか大人しくなっちまったな。あいつら」
「誰だか怪我したとか言うし、神殿も焼かれちまった。大人しくもなるさ。しかし、あれだけ派手に勧誘とかやってやがったのがこう静かだと、アレだな」
「アレって?」
「拍子抜けするって言うか、淋しいような気もするな。女はみんな美人揃いだったしよ」
「そうかぁ? 俺はかえって不気味だと思うんだが」
「ところで、連中本当にクテロップ様の病気、治せるのかね?」
「どうかなぁ・・・・。だけどよ、見ものって言や、見ものだな。それも」
     *      *
 武具を買い求めに来る傭兵たちの数が増えた。大店の武具商には王宮からの注文が入り、今はかえってこういう小さな商いの行商人のところのほうが手に入りやすくなっているのだと言う。
「戦争、始まるんだねぇ・・・・」
 奴隷の少年とともに売り物の武具を磨きながらシャハナが呟く。
「シュナ、どうする? まだジュッタロッタに居ようか?」
 少年が顔を上げる。
「お考えの通りにしてください。ぼく、着いて行きますから」
「どうしようか・・・・」
 ネゴ神教の神殿を襲ったという“地獄の悪鬼”シドンを探し始めてしばらく経つが、どこへ消えたものやらまったく足取りが掴めない。
「・・・・ネゴ神教の連中が、万が一摂政の病気を治したりしようもんなら、ますます増長するに決まってるし」
 溜め息を吐きながら、磨き上げた槍を後ろの壁に立てかける。
「姉さん、景気、どう?」
 広場でたむろしているチンピラの一人、ニキがいつものように声をかける。一月前ぐらいから、ここに居着いてシャハナと軽口など交わす仲になっていた。どこにどういう繋がりがあるのか、街中のことに詳しく、シドンを探す際には手伝ったりもして貰った(残念ながら収穫は得られなかったが)
「売れてるよ。いつもの稼ぎの倍ほどもある」
「へぇ、じゃ、何か奢ってくれよ」
「そうはいくかい。奢ってほしけりゃシドンの居所を掴んでくるんだよ」
「無理だよ。こんなにすぱっと姿くらましちまう相手だぜ? そうそう尻尾を出すわけないじゃないか」
 ニキが笑いながら言う。
「とにかく、儲かってるなら良いことだよ。やっぱり、戦争始まるんだ」
「ま、ここがすぐ戦場になるわけじゃないってことだけどね。ウラナングまで行って、ティカン神殿をお守りするんだってさ」
「へーぇ。人数はどれぐらいなんだろ?」
「二千ぐらいって行ってたかなぁ。辺境のほうの人数も連れて行くらしいよ」
「二千? 気張ったねぇ」
「そりゃそうさ。ウラナングが攻め取られたなんて言ったら、ミカニカ様もケケレン様もバーブック様も、みんなして面目丸潰れだからね」
「ふーん」
「ニキ、あんたもいい歳していつまでもふらふらしてるんじゃなくて、傭兵でもやったらどうなんだい?」
「やだやだ。戦争なんてさ」
 ニキが笑いながら広場を離れる。
「・・・・あたしはそんなこと言ってられないんだよねぇ。何たって、飯の種なんだからさ」
 シュナにだけ聞こえるような声で、シャハナがぽつりと言った。

◆ジュッタロッタ・商店街
「ここか・・・・」
 ルヴァーニの目の前に、一軒の肉屋がある。人相描きと、住民からの聞き込みによって、例の娘・・・・ヒュルの店をようやく突き止めた。見たところどうということもない、商店が立ち並ぶ通りの中にある、普通の肉屋に見える。
「おい、そこの娘」
 後ろから呼び止める声がする。くるり、とルヴァーニが振り向く。
「その店に用事か?」
 護民兵の格好をした男が、ルヴァーニに不審気な視線を送る。
「俺はフルハラング。ここの住人をしょっ引きに来た。ちょっと荒事になるかも知れないからな、他所に行ってろ」
「捕まえるのか? 理由も聞かずに」
 ほう、とフルハラングが声を上げる。
「知ってるようだな。この中にどんなのが巣食ってやがるのか」
「まぁ、な」
「だったら退いていろ。凶悪犯だ」
 ルヴァーニが眉をひそめる。着慣れぬ街娘の装束など羽織ってきてしまったばっかりに、邪魔者扱いをされている。それが不満だった。
「こう見えても城下で武道場を開いている。“双刃の”ルヴァーニと言えば判ってもらえるか?」
 フルハラングがひゅうっと口笛を鳴らす。
「噂は聞いてる」
「だったら」
「それとこれとは別だぜ。こういうのは俺たちの仕事だ。子供にチャンバラ教えてる姉さんの出る幕じゃない」
「馬鹿にするな!」
 怒声を上げかけるルヴァーニを、フルハラングが制する。
「静かにしてくれ。感づかれると厄介だ」
 どうもこの男には調子を崩される。奇妙に苛立ちながらルヴァーニが言った。
「・・・・悪かった」
「何か聞いてるか? こいつのこと」
 フルハラングが親指で肉屋の構えを指差しながら尋ねる。
「ああ。近所の連中の言うことには、このところしばらく店を開いた気配も無いらしい」
「もう逃げやがったかな」
 そう言いながら入り口の戸を押し開けようとしたフルハラングが、舌打ちをして振り返る。
「鍵かかんぬきか、掛かってやがる」
「裏へ廻るか?」
「そうだな」
 フルハラングが肉屋の勝手口を蹴破る。
「観念しやがれ! 出てこい!」
 呼ばわるが、店の中はしんと静まり返り、何の反応も無い。
「誰もいないぞ。店の中には」
 神経を澄ませ、気配を探っていたルヴァーニが言う。
「またか! どうなってやがる!」
 フルハラングが吐き捨てるように言う。ここのところずっと凶悪犯の捜査に着いているのだが、ネゴ神教の神殿に押し込んだ“地獄の悪鬼”シドンや、近在のごろつきどもを集めているマラムディといった大物は、どちらも姿を消してしまった。因縁のあるヒュルとリララの二人組みはどうしても逮捕したかったのだが、この様子ではやはりすでに逃亡したのだろう。
「護民兵を舐めやがって!」
 激昂したフルハラングが、槍の石突きを振り下ろしてドンッと床を叩く。べきり、と音がして床板が割れた。
「?」
 その途端、腐臭が二人の鼻を突く。
「何だ?」
「剥がしてみたらどうだ」
 フルハラングが床の割れ目に手を掛け、引っ張りあげる。木釘が緩み、二枚ほどの板が外れた。二人が姿勢を低くして床下を覗き込む。
「!」
 白骨の山。いずれも一目で人間のものと判る頭蓋骨、それも子供と思われる小ぶりなものが大半を占めている。
「畜生!」
 フルハラングが、もう一度怒声を張り上げた。

◆深夜・王宮付近
(警戒が・・・・厳重だ。暗殺騒ぎがあったというからな。当然といえば当然だが)
 人影。女であろうか。少し離れたところから、衛士たちの守る城門を眺めている。
(王宮の牢獄が気になるが、とうていこの警備をすり抜けて、というわけには行かないな)
 女が踵を返す。
(今は、到底無理か。そもそも牢の場所も判らない。内応者が欲しいところだ)
 女の影が、物陰に溶け込むように消えた。

◆クテロップ邸
 近衛兵と、新設の親衛隊に警護されたミカニカの象輿が進む。クテロップの邸宅前には、すでにネゴ神教の教主が到着している様子であった。
「陛下、油断なされぬよう」
 御者を買って出たマウカリカが、手綱を操りつつミカニカに言う。
「何をです?」
「得体の知れぬ輩でございますから」
「心配要りません。それともマウカリカ、私があの者たちに踊らされるとでも?」
「いえ、決してそんなつもりはありませんが」
 ちょうどマウカリカの頭上の空を、鷹が一羽、輪を描きながら飛んでいる。
(フークリ、何かあったら知らせてね)
「国王陛下の御到着である!」
 先頭の近衛兵が声を上げる。
「当主クテロップは大病のゆえをもって拝礼を免ずる。祈祷師アーシュ・ザクウスよ。前へ出ませい!」
「馬鹿者。救国の聖者にして最後の神、アーシュ・ザクウス様と呼べ」
 屋敷の門前に信者を従えた男が現れ、傲然とした態度で言う。
 その姿を認めて、だっと近衛兵の中から一人が剣を抜いて駆け出た。
「奸物! 我が剣の味を知れ!」
 信者たち、侍女たちが悲鳴を上げる。男が振り下ろす刃が光る。クールーの振るう剣もかくばかりかと思わせるほどの太刀筋は、とうてい文人あがりのアーシュが見切れるものではない。
「なに!」
 アーシュが必死で避けようとするが、刃が肩口から胸の辺りまで大きく切り裂く。たまらず倒れ臥すと、男は返り血もそのままにアーシュの身体を踏みつけた。
「妖人! まことの神ならば生き返ってみせろ!」
 男が足の下のアーシュを血走った目で見据えて言う。
「クゥリウ!」
 変事を目撃し、蒼白になった象の上のマウカリカが叫ぶ。血塗れた剣を持ち、虫の息のアーシュを踏みつけているのは、確かにスキロイル家の若者の一人、クゥリウであった。
「クゥリウ殿! 何を!」
「陛下をお守りせよ!」
 近衛兵がクゥリウを取り囲む。
「クゥリウ様、御無礼つかまつる!」
 メルクタナが棒を構え、包囲の輪の中からすっと進み出る。ひきつった表情を張り付かせたクゥリウが剣を手にしたまま向き直る。クゥリウが身構えるよりも早く、メルクタナの棒がその右手を打ち据える。高い音を立てて剣が地に落ちた。
「陛下!」
 我に返ったマウカリカが、ミカニカのほうを振り向く。意外なほどに表情が変わっていない。
「王宮へ戻ります。祈祷は無理でしょう。マウカリカ、急ぎなさい」
「え?・・・・は、はい」
 カジフの率いる親衛隊に守られて、ミカニカの象が王宮へと向きを変える。
(陛下・・・・なぜ、平気なのです? 目の前で、クゥリウが人を殺そうとしたというのに)
 マウカリカの耳が、ちゃらちゃらという小さな音を拾った。
(陛下?)
 そっと振り返ると、ミカニカが目を閉じ、両手で自身の身体を抱きしめて必死で震えを押さえようとしている。王冠に釣り下げられた歩揺が身体の震えに合わせ、音を立てる。耳を近づけることができたのなら、その奥歯が細かく鳴っている音も聞き取れたであろう。
「陛下」
 マウカリカが思わず声をかける。ミカニカが目を開く。
「陛下・・・・ミカニカ様。私がお支えします。心配なさらないで」
「ありがとう・・・・マウカリカ」
 マウカリカが手綱を引くと、象が歩き出す。親衛隊の先頭に立つカジフの背中が、軍議の間から退出する時と同じく、頼もしげに見える。
(カジフ、あなたも一緒に、ミカニカ様をお守りして)
「カジフ・・・・」
 マウカリカは、ミカニカが呟いた言葉にぎくりとする。
(え?)
 そっと振り返ると、ミカニカもその目でカジフの姿を追っている。
(どうして? まさか、ミカニカ様も?)
 愕然としたマウカリカは、手綱を放さないでいるのが精一杯であった。
 若者に率いられ、騎馬隊が進む。その後を、象が静かに行く。二人の少女を乗せて。

◆クテロップ邸
 王国の大黒柱が、ついに折れた。先王メグーサイの遺詔により摂政の職を拝してわずかに二年。激務に病んだクテロップが逝った。出兵の前ということもあり国葬は延期されたが、内々で王室の者や近親者たちが葬儀を執り行った。
 ジュッタロッタを発ち、ティカン防衛に向かう王軍と烈風会の部隊が陸続とその屋敷の前を通りすぎる。
 部将たちの表情は、来たるべきクンカァンの大魔軍との対決と、摂政亡き後のヴラスウルの行く末を思い、厳しく引き締まっている。
 勝たねばならない。勝ってこのジュッタロッタに凱旋し、国を守ってゆかねばならない。

リアクションのページに戻る

目次に戻る