第4回 C-1-1 首都ジュッタロッタ(その1)


◆ミトゥン神殿・孤児院
「いい? わたしがすること、みんな今からちゃんと見てるのよ」
 またモンジャが孤児院の子供たちを集め、何やら始めている。いつもは止めに入るシーッツァたちが、どこやら出かけているために邪魔が入る恐れはない。
「・・・・もしもし神よ神様よ。カナンのうちで貴方ほどそんなに偉い者はない。どうしてそんなに偉いのか・・・・」
 モンジャは節を付けて神降ろしの歌を唄い、髪を振り乱しながら上半身を激しく揺する。暗示によって強い興奮状態に陥り、視界がぼやける。
(ああ、何か見えてきた・・・・わたしの神さま!)
 暗転。
『おぉ・・・・どうしてこのようなことに。闇の血を受けた子らが難に遭います・・・・』
『知るか。哀れだからと言って産ませたのはお前ではないか』
『あなたが何も忠告してくださらなかったから』
『お前はすぐそうだ。闇、闇とみんな責任を俺たちに押し付けようとするがな、あの闇は俺の産む闇とも、アウブのやつが醸す闇とも全く違うんだ』
『でも、闇は闇でしょう?』
『ええぃ、わからんやつだ。俺がいつ、どうやってあの闇を押し寄せさせた! できることならとっくの昔に追っ払っている!』
『ならば、今すぐ押し返してくださいませ。さぁ』
『! だから俺の力でもどうにもならんんと言っているだろうが。・・・・まったくどうしてこんな物判りの悪いやつを妻にしてしまったものやら・・・・己れを呪いたくなるな』
(誰・・・・? ミトゥン様と・・・・ラノート様? 夫婦喧嘩してらっしゃる・・・・)
「姉ちゃん、モンジャ姉ちゃん!」
 がくがくと肩をゆすぶられ、モンジャが神憑りの状態から我にかえる。
「み、みんな、今、見てた? ラノート様とミトゥン様が、御夫婦でいらっしゃったよね?」
 子供たちは無情にも首を横に振る。
「見えなかったの? わたしにはちゃんと見えたのに」
 途端に強い吐き気。
「・・・・うぅ・・・・」
「モンジャ姉ちゃん!」
 子供たちに背中をさすられながら、モンジャは孤児院の病室に戻った。確かに神々の姿を見た、という満足感に似たもの、それから神を目にすることのできない子供たちへの哀れみを、その胸に抱きながら。

◆ジュッタロッタ・市場
「おい、見たか?」
「見た見た。大笑いだ」
 街頭で演じる中年の人形劇師が、近頃評判になっている。マンソイと名乗るその男の新作『最後の神が五万人』は、適度に効かせた風刺と、そこに描かれる滑稽な人物造形が大いに受け、彼が大荷物を背負って広場に現れると、あっという間に人だかりができるまでになった。
「アーシュなんとかってぇ奴の話が傑作だ。ネゴ神とこの親玉だろ?」
「劇ん中じゃ大活躍だがよ、何だか大人しくなっちまったな。あいつら」
「あれだけ派手に勧誘とかやってやがったのが、こう静かだと、アレだな」
「アレって?」
「拍子抜けするって言うか、淋しいような気もするな。女はみんな美人揃いだったしよ」
「そうかぁ? 俺はかえって不気味だと思うんだが」
「本当にクテロップ様の病気、治せるのかね?」
「どうかなぁ・・・・見ものって言や、見ものだな。それも」
     *      *
 武具を買い求めに来る傭兵たちの数が増えた。大店の武具商は王宮に商品を納めてしまい、かえってこういう小さな商いの行商人のところのほうが手に入りやすくなっているのだと言う。
「戦争、始まるんだねぇ・・・・」
 奴隷の少年とともに売り物の武具を磨きながらシャハナが呟く。
「シュナ、どうする? まだジュッタロッタに居ようか?」
 少年が顔を上げる。
「お考えの通りにしてください。ぼく、着いて行きますから」
「どうしようか・・・・」
 ネゴ神教の神殿を襲ったという“地獄の悪鬼”シドンを探し始めてしばらく経つが、どこへ消えたものやらまったく足取りが掴めない。
「・・・・ネゴ神教の連中が、万が一摂政の病気を治したりしようもんなら、ますます増長するに決まってるし」
 溜め息を吐きながら、磨き上げた槍を後ろの壁に立てかける。
「姉さん、景気、どう?」
 広場でたむろしているチンピラの独り、ニキがいつものように声をかける。一月前ぐらいから、ここに居着いてシャハナと軽口など交わす仲になっていた。どこにどういう繋がりがあるのか、街中のことに詳しく、シドンを探す際には手伝ったりもして貰った(残念ながら収穫は得られなかったが)
「売れてるよ。いつもの稼ぎの倍ほどもある」
「へぇ、じゃ、何か奢ってくれよ」
「そうはいくかい。奢ってほしけりゃシドンの居所を掴んでくるんだよ」
「無理だよ。こんなにすぱっと姿くらましちまう相手だぜ? そうそう尻尾を出すわけないじゃないか」
 ニキが笑いながら言う。
「とにかく、儲かってるなら良いことだよ。やっぱり、戦争始まるんだ」
「ま、ここがすぐ戦場になるわけじゃないってことだけどね。ウラナングまで行って、ティカン神殿をお守りするんだってさ」
「へーぇ。人数はどれぐらいなんだろ?」
「二千ぐらいって行ってたかなぁ。辺境のほうの人数も連れて行くらしいよ」
「二千? 気張ったねぇ」
「そりゃそうさ。ウラナングが攻め取られたなんて言ったら、ミカニカ様もケケレン様もバーブック様も、みんな面目丸潰れだからね」
「ふーん」
「ニキ、あんたもいい歳していつまでもふらふらしてるんじゃなくて、傭兵でもやったらどうなんだい?」
「やだやだ。戦争なんてさ」
 ニキが笑いながら広場を離れる。
「あたしはそんなこと言ってられないんだよねぇ。何たって飯の種なんだからさ」
 シュナにだけ聞こえるような声で、シャハナがぽつりと言った。

◆ミトゥン神殿・本殿
「ミトゥンよ・・・・我らヴラスウルの民にこれから歩むべき道を示し給え。我らミトゥンの子らに・・・・」
 若い神人エルクガリオンが、敬虔に祈りを捧げる。しん、としたミトゥン神殿の奥には慈愛の面持ちで手を差し伸べる女神の像が据えられている。
(ネゴ神の神殿が襲われたというが・・・・ここは大丈夫だろうか)
 跪いていた神人の後頭部に、こつんと何かが当たる。
「やったぁ! 当たった!」
 弾けるように笑う子供たちの声。
 エルクガリオンが振り向くと、すぐそこの床に先を布で巻いた稽古矢が落ちている。本殿の入り口辺りでは、小さな弓矢を手にした子供らが転げまわって笑っている。
(平和なことだ・・・・)
 不思議と怒る気にはならなかったが、彼がさっと裾を払って立ち上がると、子供たちが歓声を上げて逃げ出した。
「こらぁっ! また悪戯してたな!」
 本殿の外で、元気な女の声がする。
「にゃ?」
 エレクガリオンが本殿を出ると、歳若い狩人らしい女と目が合う。子供たちが持っていた弓矢と同じ物を持っている。
「元気で、良いことです。叱らないでやってください」
 エルクガリオンが微笑しながら言う。狩人は相手の格好の異様さ・・・・なぜ巫女の衣装を着ているのだろう・・・・に驚いて口をきけずにいる。
「あぁ。これは失礼。神人のエルクガリオンと申します。お祈りをさせていただきました。こちらの方ですか?」
「え? う、うん。あたしはミニャム。ここの孤児院に世話になりながら働かせてもらってる」
「ミニャム〜、お客さん? ふぁ〜」
 シュリが眠たげな顔を覗かせる。例の人拐い騒ぎから、ずっと夜の間の不寝番を買って出ているために、昼間はいつもこんな調子だ。
「どうしたの? シュリ?」
「う〜ん。こっちもお客さん。なんだかさ、ヌシキさん探してるんだって」
 シュリに連れられて、行商人のなりをした大柄な中年男と、その部下らしい数人の男たちが現れる。
「へぇ。ごめんなせぇよ。ここいらに腕の良いお医者がいると聞きやして」
 愛想良く男が言うが、物腰や口調はどうみても商人のものではない。
「ウチの坊主がひどい病にかかって目ェ覚まさないんでさ。そのお医者の方に来ていただいて、治していただこうと思ったんで。息子のためなら、なんだってやります。ぜひともそのお医者を紹介してくだせぇ」
 ミニャムが不審気な面持ちをしながらも、言う。
「ごめんなさい。ヌシキさん、今ここにはいないの。ちょっと前に出ちゃって」
「どちらに行かれたんで?」
 男が尋ねる。
「確か、イーバの滝とか」
 途端、男が銅鑼声を張り上げた。
「こうしちゃいられねぇ! おい、野郎ども! すぐにイーバに向かって出立だ! ぐずぐずしてんじゃねぇぞ!」
 言うが早いか、男は担いでいた天秤棒を放り出して駆け出した。
「ま、待ってくだせぇよ! 親分!」
「親分〜!」
 部下の男たちも後に続く。
 ぽかん、とした顔で取り残されるシュリ、エルクガリオン、ミニャムの三人。
「・・・・何? 今の」
「さぁ・・・・」

◆ジュッタロッタ・商店街
「ここか・・・・」
 ルヴァーニの目の前に、一軒の肉屋がある。人相描きと、住民からの聞き込みによって、例の娘・・・・ヒュルの店をようやく突き止めた。見たところどうということもない、商店が立ち並ぶ通りの中にある、普通の肉屋に見える。
「おい、そこの娘」
 後ろから呼び止める声がする。くるり、とルヴァーニが振り向く。
「その店に用事か?」
 護民兵の格好をした男が、ルヴァーニに不審気な視線を送る。
「俺はフルハラング。ここの主人をしょっ引きに来た。ちょっと荒事になるかも知れないからな、他所に行ってろ」
「捕まえるのか? 理由も聞かずに」
 ほう、とフルハラングが声を上げる。
「知ってるようだな。この中にどんなのが巣食ってやがるのか」
「まぁ、な」
「だったら退いていろ。凶悪犯だ」
 ルヴァーニが眉をひそめる。着慣れぬ街娘の装束など羽織ってきてしまったばっかりに、邪魔者扱いをされている。それが不満だった。
「こう見えても城下で武道場を開いている。“双刃の”ルヴァーニと言えば判ってもらえるか?」
 フルハラングがひゅうっと口笛を鳴らす。
「噂は聞いてる」
「だったら」
「それとこれとは別だぜ。こういうのは俺たちの仕事だ。子供にチャンバラ教えてる姉さんの出る幕じゃない」
「馬鹿にするな!」
 怒声を上げかけるルヴァーニを、フルハラングが制する。
「静かにしてくれ。感づかれると厄介だ」
 どうもこの男には調子を崩される。奇妙に苛立ちながらルヴァーニが言った。
「・・・・悪かった」
「何か聞いてるか? こいつのこと」
 フルハラングが親指で肉屋の構えを指差しながら尋ねる。
「ああ。近所の連中の言うことには、このところしばらく店を開いた気配も無いらしい」
「もう逃げやがったかな」
 そう言いながら入り口の戸を押し開けようとしたフルハラングが、舌打ちをして振り返る。
「鍵かかんぬきか、掛かってやがる」
「裏へ廻るか?」
「そうだな」
 フルハラングが肉屋の勝手口を蹴破る。
「観念しやがれ! 出てこい!」
 呼ばわるが、店の中はしんと静まり返り、何の反応も無い。
「誰もいないぞ。店の中には」
 神経を澄ませ、気配を探っていたルヴァーニが言う。
「またか! どうなってやがる!」
 フルハラングが吐き捨てるように言う。ここのところずっと凶悪犯の捜査に着いているのだが、ネゴ神教の神殿に押し込んだ“地獄の悪鬼”シドンや、近在のごろつきどもを集めているマラムディといった大物は、どちらも姿を消してしまった。因縁のあるヒュルとリララの二人組みはどうしても逮捕したかったのだが、この様子ではやはりすでに逃亡したのだろう。
「護民兵を舐めやがって!」
 激昂したフルハラングが、槍の石突きを振り下ろしてドンッと床を叩く。べきり、と音がして床板が割れた。
「?」
 その途端、腐臭が二人の鼻を突く。
「何だ?」
「剥がしてみたらどうだ」
 フルハラングが床の割れ目に手を掛け、引っ張りあげる。木釘が緩み、二枚ほどの板が外れた。二人が姿勢を低くして床下を覗き込む。
「!」
 白骨の山。いずれも一目で人間のものと判る頭蓋骨、それも子供と思われる小ぶりなものが大半を占めている。
「畜生!」
 フルハラングが、もう一度怒声を張り上げた。

◆ミトゥン神殿・孤児院
「ルヴァナさん」
 珍しい客が、孤児院を訪れた。
「ケセラ? 何か用事?」
 鉢植えの花を手にした近衛武人のケセラが、子供たちと遊んでいたルヴァナ・ミュラーに近寄ってくる。
「ミトゥン様にお参りに来たついでに寄らせて貰った」
 歳はケセラのほうが五つばかり下になるが、少年臭さの抜けないルヴァナとではさして違わなく見える。
「ハーデヴァ、あなたもいたのか」
 同僚の近衛武人の姿を見つけて、ケセラが声をかける。
「ンパラナ、ちょっと頼む」
 ハーデヴァと呼ばれた若者が、一緒に遊んでいた子供をンパラナと呼ばれた娘に預け、立ちあがるとケセラに向かって言った。
「辺境に行っていたそうだな。向こうの具合はどうだ?」
「セイロの辺りは平和だよ。魔族魔族と大騒ぎしているのは大密林のあたりだけみたいだ」
「そうか」
 ケセラが遊んでいる子供たちを見回す。先ほどの娘が、七、八歳の男の子の相手をしてやっていた。ほかの子供たちとどうも馴染んでいないらしい。
「ルヴァナさん。話がある」
「話?」
「ンニンリという子のことだ」
 ルヴァナが黙る。ンパラナが、遊んでいた子を引き寄せてケセラのほうを向く。
「その子とも話をしたい」
「・・・・事情が有るみたいだね。中へ入ろう」
「同席して、構わないか?」
 ハーデヴァが言った。しばらく前から孤児院に姿を現すようになり、ルヴァナと同じく不思議とンニンリに懐かれているようであった。
「・・・・外に漏らして貰うと困ることもある。同僚として信用しているが、決して口外しないと誓ってくれ」
 ケセラが言った。
「判った」
 ハーデヴァがうなずく。
「ここでいいね」
 ルヴァナが四人を一室に招き入れる。最後にンニンリを連れたンパラナが、ばたんと部屋の戸を閉めた。
「まず、その子の素性を聞かなくちゃならない」
 ケセラがおもむろに言った。ルヴァナがうなずくと、ンニンリに尋ねる。
「ンニンリ、父さんや母さんのこと、何か覚えてる?」
 ンニンリはこの場の雰囲気に異常なものを感じたのか、いつもにも増しておどおどした様子である。
「何でもいいんだ。お祖父さんや、お祖母さん、兄弟のことでもいい」
 ルヴァナが優しく言う。
「・・・・とうさまも、かあさまも、みんな死んじゃった。かかさまが育ててくれた」
 ンニンリがようやく口を開いた。
「かかさまは、字とか、礼儀とか、教えてくれた。でも、周りの子と遊ぶなって言ってた」
 ンパラナがいつもの男言葉を和らげて尋ねた。
「かかさまは、どこにいるんだい?」
 ンニンリは首を振ると、泣きそうな表情になる。
「かかさまも、病気で死んじゃった」
「この子を育てたのが、かかさま・・・・乳母と言う事は」
 黙って聞いていたケセラが口を開いた。
「それなりの身分の出か」
 ルヴァナがうなずく。
「宮廷でしか習わないような文字まで教わっているみたいだからね」
「ルヴァナさん」
 ケセラが改まった口調で切り出した。
「この子は、オロサス家とスキロイル家の間に産まれた子じゃないかと思う。国内にいたら、きっと事件に巻き込まれる。できれば、国外に連れ出したい」
「証拠は」
 白子のルヴァナが、赤い光を放つ目でケセラを見据える。
「スキロイルがオロサスと縁組みをしたことは一度も無いよ。憶測で物を言わないほうがいい」
「しかし」
「そうやって事件に巻き込もうとしているのは、ケセラ、君じゃないか。国外に連れ出すって言うけど、当てはあるの?」
 ケセラが黙り込む。
「ンニンリがどういう素性の子でも、ここにいればミュラー家の力で守ってあげられるからね」
 ルヴァナが優しい目に戻ると、ンニンリの頭を撫でながら言った。
「花が咲いたら、みんなでお花見に行こうか」
 目の前で交わされるやりとりに、おどおどしていたンニンリがほっとしたようにうなずいた。
「あ、ルヴァナ兄ちゃん」
 何かを思い出したように、ルヴァナが口を開いた。
「かかさまが、死んじゃう時に教えてくれたんだ」
「何を?」
「じいさまの名前」
 ハーデヴァが尋ねた。
「何て言うんだい?」
「・・・・あ・・・・でも」
 ンニンリが口ごもる。
「・・・・かかさま、その時言ったんだ。絶対、人に教えたらだめですよって。もし教えたら、ンニンリまでじいさまと同じように、殺されちゃうって」

◆クテロップ邸
 近衛兵と、新設の親衛隊に警護されたミカニカの象輿が進む。クテロップの邸宅前には、すでにネゴ神教の教主が到着している様子であった。
「陛下、油断なされぬよう」
 御者を買って出たマウカリカが、手綱を操りつつミカニカに言う。
「何をです?」
「得体の知れぬ輩でございますから」
「心配要りません。それともマウカリカ、私があの者たちに踊らされるとでも?」
「いえ、決してそんなつもりはありませんが」
 ちょうどマウカリカの頭上の空を、鷹が一羽、輪を描きながら飛んでいる。
(フークリ、何かあったら知らせてね)
「国王陛下の御到着である!」
 先頭の近衛兵が声を上げる。
「当主クテロップは大病のゆえをもって拝礼を免ずる。祈祷師アーシュ・ザクウスよ。前へ出ませい!」
「馬鹿者。救国の聖者にして最後の神、アーシュ・ザクウス様と呼べ」
 屋敷の門前に信者を従えた男が現れ、傲然とした態度で言う。
 その姿を認めて、だっと近衛兵の中から一人が剣を抜いて駆け出た。
「奸物! 我が剣の味を知れ!」
 信者たち、侍女たちが悲鳴を上げる。男が振り下ろす刃が光る。クールーの振るう剣もかくばかりかと思わせるほどの太刀筋は、とうてい文人あがりのアーシュが見切れるものではない。
「なに!」
 アーシュが必死で避けようとするが、刃が肩口から胸の辺りまで大きく切り裂く。たまらず倒れ臥すと、男は返り血もそのままにアーシュの身体を踏みつけた。
「妖人! まことの神ならば生き返ってみせろ!」
 男が足の下のアーシュを血走った目で見据えて言う。
「クゥリウ!」
 変事を目撃し、蒼白になった象の上のマウカリカが叫ぶ。血塗れた剣を持ち、虫の息のアーシュを踏みつけているのは、確かにスキロイル家の若者の一人、クゥリウであった。
「クゥリウ殿! 何を!」
「陛下をお守りせよ!」
 近衛兵がクゥリウを取り囲む。
「クゥリウ様、御無礼つかまつる!」
 メルクタナが棒を構え、包囲の輪の中からすっと進み出る。ひきつった表情を張り付かせたクゥリウが剣を手にしたまま向き直る。クゥリウが身構えるよりも早く、メルクタナの棒がその右手を打ち据える。高い音を立てて剣が地に落ちた。
「陛下!」
 我に返ったマウカリカが、ミカニカのほうを振り向く。意外なほどに表情が変わっていない。
「王宮へ戻ります。祈祷は無理でしょう。マウカリカ、急ぎなさい」
「え?・・・・は、はい」
 カジフの率いる親衛隊に守られて、ミカニカの象が王宮へと向きを変える。
(陛下・・・・なぜ、平気なのです? 目の前で、クゥリウが人を殺そうとしたというのに)

◆クテロップ邸
 王国の大黒柱が、ついに折れた。先王メグーサイの遺詔により摂政の職を拝してわずかに二年。激務に病んだクテロップが逝った。出兵の前ということもあり国葬は延期されたが、内々で王室の者や近親者たちが葬儀を執り行った。
 ジュッタロッタを発ち、ティカン防衛に向かう王軍と烈風会の部隊が陸続とその屋敷の前を通りすぎる。
 部将たちの表情は、来たるべきクンカァンの大魔軍との対決と、摂政亡き後のヴラスウルの行く末を思い、厳しく引き締まっている。
 勝たねばならない。勝ってこのジュッタロッタに凱旋し、国を守ってゆかねばならない。

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