第3回 C-0 ヴラスウル全域


◆開拓民の里・ジュグラ
「枯れてしまいましたか」
 やはり里ではシュライラの育ちが悪い。新しく用意してもらった小屋の裏の畑で、枯れたシュライラを前にしてキュイが溜め息を吐いた。
「やはり森の中でないと駄目のようですね。しかし森に行けば里の皆さんが心配するし」
「若いの。何を育てとるんじゃ?」
 薪の束を両手に下げた老人が、にこにこしながら近寄ってくる。
「さぁ、あんたのぶんの薪だ」
「すみませんね」
 老人は、かがみ込むと枯れたシュライラの一本を引き抜いて手に取った。
「これは・・・・まさかとは思うが、シュライラかの?」
「ええ。森の中ではよく育ったんですが、こちらに下りてからはどうも土の性が合わないらしく、枯らしてばかりです」
「このような草など、枯れたほうが良いのじゃ」
 険のある口調で老人が呟いた。
「え?」
「枯れたほうが良いと言っておる。お主もこんな禍々しい草など育てるのは止めにせい」
 キュイは驚いて老人の顔を覗き込んだ。里の他の者とはどこか違う顔立ちをしている。黙っていても威を感じさせ、内には荒々しい気性を秘めている。そんな印象を受ける。
「シュライラの草の言い伝えは、もはや覚えている者も減ってしまったがな。お主は知っておけ。そして語り伝えよ」
「言い伝え、ですか?」
「うむ。森林蛮族と呼ばれる者たちの間に伝わる話よ。この草はな、遥か昔、闇の領域が今より更に人間たちの世界に迫った時に生まれた、言うならば畸形の草じゃ」
 黙っているキュイに構わず、老人は続けた。
「闇の力に近ければ近いほど、この草は勢いを増し、茂りはびこる。美しげな花はつけるが、その花の香りが魔族を引きつけるとも言われておるのじゃ」
「しかし」
 キュイが口を挟む。
「私はこの花が王宮の内庭に咲き誇っているのを見ました。それは清らかで、美しく花開いていたのを覚えています」
「王宮など」
 老人がキュイから視線を逸らし、吐き捨てるように言った。
「どんな化物やら魔物やらが潜んでおるか判りもせぬ。それはお主も承知しておるのではなかったか? 魔に魅入られた者の生命をも吸い取って、この草は花を咲かせ、実をつける。覚えておけ」
 老人はどさりと薪の束を下ろすと、そのまま立ち去ろうとした。
「待ってください」
 呼び止める。が、老人は足を止めようともしない。
「あなたは?」
 老人は振り返りもせずに言った。
「お主と同じだ。名など捨てた」
    *        *
 闇夜。里の外れ。寝静まった里から、人影が森へ急ぐ。
「待て」
 ふらりと別の人影がその前に立ちはだかる。
「どこへ行く気だ? ナジュマ」
「どこだっていいじゃない」
「また一人で森へ向かう気か?」
「邪魔するの? ユエシュロン?」
「邪魔せねば、お前を捨て殺しにすることになる」
「死にはしないよ。あたしは。退魔師なんだからね」
「ンギを追っ払うのとは訳が違うぞ」
「へぇ、怖いんだ。あんた」
「ああ、怖い。自分の力が及ぶ相手ではないと思うと、底冷えするような恐怖を覚える」
「臆病者は黙ってればいい」
「無鉄砲も誉められたことではない。あんな目に遭って、まだ懲りないのか?」
「あれは調子が良くなかったから!」
「調子が良くてもやめておけ。俺たちの術は急に出会った相手に効果を発揮するものじゃない。だから」
 ユエシュロンは目を閉じたまま静かに言う。
「ツァヴァルに手を貸してやってくれ。あいつが作ろうとしている薬は、きっと役に立つ」
「・・・・わかったよ。今晩のところは引き下がってあげる。でも、諦めたわけじゃないからね!」
 ナジュマがもと来た道を引き返す。
「何度でも止めるさ、こちらも。さて、まじないが途切れてしまったな。また最初からだ」
 ユエシュロンがぽつりと呟いた。
    *        *
「相変わらず貧乏臭い里だよな。こうして見ると」
 カムラは帰ってきた。この里へ。自分の腕で身を立ててみせる。そう誓って里を離れてから幾年経っただろう。「出世した」とは言えないが、一人前の傭兵として世の中を渡るすべは身に着けた。決して志半ばにして諦めたというわけではない。ふと故郷に帰りたくなった。なぜかは判らないが、無性に。
「あれ? カムラさん? カムラさんだろ?」
 若い女呪人が人なつっこい声でカムラを呼び止めた。
「お? おお、ツァヴァルか? でかくなったなぁ。この前までこんなだった癖によ」
「もう。何年経ったと思ってるの?」
 わはは、とカムラが豪快に笑い飛ばす。つられてツァヴァルも笑う。
「ところで、だ」
 カムラが尋ねた。
「どうだ? 里は何も変わっちゃいないか?」
「・・・うん・・・」
「どうした? 何かあったのか?」
 ツァヴァルがこれまで密林で持ち上がった騒動を語って聞かせる。
「盗賊とか蛮族とかは、おとなしくなったんだ。でも、森の中に魔族がうろつくようになって。それで、開拓もこれ以上進められないし、魔族が襲ってくるかも知れないって、みんな心配してる」
「おいおい。そりゃ只事じゃ無いな。何だか無闇と帰りたくなってよ、こうやって戻ってきたんだが、無駄足にならなくて良かったぜ」
「でさ、都から来た人たちなんかも集まって、魔族の様子とか調べたりしてるんだ。私も手伝ってるんだけど、カムラさん、どうする?」
「聞くまでもないぜ。得物一本で世間を渡ってる傭兵様の腕前ってのを見せてやろうじゃないか。案内してくれ」
「うん。こっち」
    *        *
 イルガが自分の小屋で荷物をまとめている。そろそろ気の赴くままにまたどこかの国に旅してみたくなった。
「あとは、手紙か。ツァヴァルさんには薬作ってもらったし、ほかにも色々世話になった人もいるしな」
 はた、と気がついた。
「俺、字書けないんだ」
 こりゃ困った。
「どうしよっかなー。こういうの代筆してもらったらバカみたいだし、何にも言わずに出てくのも気が引けるし・・・・」
    *        *
『今のところ、魔族が森を出てくる気配は無さそうだから』
 今は、ツァヴァルの占いを信じるほかない。里の民たちはみな自分たちが切り拓いたこの土地に愛着がある。そして何よりも、この里を捨てて行き場のある者などほんの一握りもいないのだから。
「さぁ。次はギュルニ(※1)だね。あっちの畑まで競争しようか!」
 草取り道具を持ったシュレイが、里の子供たちを引き連れ畦道を走ってゆく。ここに居着いて二月ばかりが過ぎ、すっかり里の者とも馴染みとなった彼女であるが、特に子供たちにはよく懐かれ、こうして共に農作業をしつつ日々を送っている。
「あれ?」
「ねーちゃん、あれ、誰だ?」
 子供らがギュルニ畑の端を指差す。旅芸人のなりをした二人組が、向こうに見える密林を指差して何やら話をしている。
「誰だろうね。わたしがちょっと聞いてくるよ。放っておくと森のほう行っちゃいそうだしね」
 シュレイは抜いた草を集めた籠をその場に置くと、二人に近づいた。
「あの、どうかされましたか?」
 くるり、と若い女が振り向いた。男物の装束とは釣り合わない、艶のある濡れたような唇。肌の色が白いだけに、ぞくっとする色気がある。
「この辺りの人?」
 やわらかい声で女が尋ねた。
「ええ」
「じゃ、聞いてみようよ」
 もう一人の少年が言った。うなずいて女が言う。
「ボクは『夢唄い』のジルダ。ハンムーの歌い手。こっちは」
「『形ある幻影』シャントン。踊り子だよ」
「私はシュレイって言うんだ。でもハンムーからわざわざこんなところに、どうして?」
「この辺りでは魔族のことが噂になってるんだってね」
「噂なんかじゃないよ。もう人も殺されてる」
 ジルダとシャントンの二人が顔を見合わせる。
「じゃ、森の奥まで行けば会えるのかな? 魔族と打ち解け合って、最後の神のことを尋ねてみようと思うんだ」
「やめて! そんなことしたら殺されちゃうよ!」
 シュレイが大声をあげた。さすがにジルダもたじろぐ。
「ど、どうかしたの?」
 シャントンが聞いた。
「この前もそんなこと考えて森の中に行った呪人がいたの。ナジュマさんって言って、まだこの里にいるわ。でもね、あんな連中に話が通じるなんて、そんなのは魔族のことを知らない人が都合よく考えてるだけなの。絶対、話なんかできっこないわ」
 シュレイがまくしたてるように言う。「でも、ンギぐらいだったらハンムーにもいるよ。何よりも歌や踊りがボクたちの武器だからね、これで魔族を説得してみせる」
 ジルダが言った。
「そんなのが武器だっていう人は」
 シュレイの声が怒鳴りつけるような口調に変わる。シャントンがびくっとしてジルダの後ろに逃げ込む。
「森の中に入らないでちょうだい! 傭兵や辺境軍の人が五、六人がかりで槍を振るって、ようやくこんなに太い大百足みたいな魔族を三匹倒せただけなのよ! そんな大百足みたいなのが歌を聴いてくれると思う? 一緒に話ができると思う? そういうお話はハンムーなら流行るでしょうけどね、こっちはお伽話どころじゃないんだから!」
 興奮していたシュレイが、はっと我に返り、申し訳無さそうに言った。
「ごめん・・・らしくないな・・・。私、なに偉そうなこと言ってるんだろ」
「いや、その、ボクらもちょっと考え無しだったかも知れない」
 ジルダも済まなさそうな顔で言う。
「でも、魔族についての話は聞いてみたいんだ。誰か、詳しい人を紹介してくれる?」
「それだったら」
 ようやくシュレイがいつもの笑顔を取り戻す。
「実際に戦った人たちもいるんだ。そういう人たちから話を聞くといいよ」

◆ジュグラの里・寄合小屋
「ようこそ辺境へ」
 ヘクトールが、優雅な物腰で立ち上がると、三人を出迎える。
「しばらく、世話になる」
 出迎えられたアイシャが言う。
「アイシャ・スキロイルだ。クゥリウ、ルナとともに視察に来た。先に書状が届いたと思うが、詳しい来意はそちらに記した通り」
「クゥリウです。アイシャとともに開拓地の視察に」
 若い男が、爽やかな笑みを浮かべつつ言う。最後に若い女文人が会釈して、言った。
「ルナと申します。国内の産業について、調査しています」
 卓についていたインカムが口を開いた。
「あなたは我々と同じ烈風会の同志だ。歓迎する」
「では、皆さん」
 司会のような役回りになったヘクトールが、来客たちの着席するのを確認して言う。
「定例の報告をお願いします。ご来客の皆さんも、何か有りましたら遠慮無く御発言下さい」
「まず、俺とタファン、レンセルだが、森林の周辺の盗賊と蛮族の調査は大方終わった」
 ソイウィルがさほどの感慨も無さげに言った。その後を受けてレンセルが言う。
「もう知っていると思うが、降伏してきた盗賊が総勢二十一人。里外れに天幕を張らせている。他の連中は大概逃げ散ったそうだ」
「俺の知った顔もいたぜ」
 メセルが言う。
「使い物になるのか?」
 シャーンの質問にタファンが答える。
「まぁ、多少はな。それから森の近くの集落には触れを出しておいた。最悪の場合、いつでも避難できるように」
「これは盗賊どもの話だが」
 ソイウィルが再び口を開く。
「密林蛮族はかなり早い時期に、砂漠のほうまで南下を始めていたらしい。『闇に住んでいると闇に取り込まれる』とか言ってたそうだ。どちらにせよもう密林でやつらの姿は見られるまい」
「そうか」
 ソルトムーンが腕組みをしつつ言う。
「俺たちの魔族討伐は、ほとんど空振りだ。ムベムバとメゼルの案内で、森の奥を目指したんだが」
 エスカイが続ける。
「さすがにな。イルシャンハも言ったが、広すぎる。この前はたまたま魔族とぶつかったが、掃討戦をやるには人数が足りない。この十倍以上用意して、大規模にやらないと意味が無い」
 ヘクトールが王都からの来客に向かって言う。
「ここはひとつ陛下に、魔族討伐のために軍を派遣して下さるよう、上奏していただけませんか?」
「そのためにも、実状を見たいのです」
 クゥリウが言う。
「すでに開拓済みの地域を回ってみましたが、それほどの危機感は感じられませんでした。しかし魔族の侵攻の危険が有るとなると、土地がどうこうなどと言っている場合では有りませんからね」
「ソイウィルよ」
「どうした?」
 イルシャンハが尋ねた。
「さっき言った、『闇に住んでいると闇に取り込まれる』ってのだがな。俺は前からずっと気になってるんだ」
 一同の顔を見回しながら続ける。
「森の奥まで入ってった時だがな、やけに暗くなるのが早いと思わないか? 里にいると気と比べて」
「闇、というのはそのことか? では、以前ツァヴァルが占ったのも、それを指していると見るべきか」
 インカムが言う。
「それよ。俺が聞いた話だが、クンカァンじゃやけに夜が長くなってるらしい。そいつと魔族がうろつくのとどうも関係が有りそうでよ」
「ここではクンカァンのことまでは判らんな。説として気には留めておくが」
 ソルトムーンが言う。
「ツァヴァルとクータルの首尾はどうだった?」
 インカムが尋ねるが、ツァヴァルが首を振る。
「森の奥に小屋とかかけて住んでた人たち、誰も残ってなかった。みんな逃げるか、殺されるかしちゃったみたい」
「薬のほうはどうだ?」
「魔族はあの一種類だけじゃないし、全部に効くって薬、すぐには作れそうにないよ」
 クータルがおもむろに言う。
「ンギが増えた。森の中はンギだらけだ。クァンの粉が多少は効くが、気休め程度にしかならない」
「辛気臭いこと言うなよ。お前ら。俺が帰ってきたからにはな、ぱーっと蹴散らしてやらぁ。魔族なんてな」
 カムラが豪傑笑いをしながら言う。
「あんたはまだ実際に戦っていない。どういう戦いになるか知れば、そうは言っていられなくなる」
 クータルが無表情に言った。
「ちょっと、いい?」
 シュレイが扉を開けて顔を覗かせる。
「魔族のことを知りたいって人と、なんだか都から急ぎの使者って人が来てるんだけど」

◆辺境の村にて
「やれやれ、この村もまた空振りか」
 クリルヴァが愛馬の鞍袋から筆を取り出し、地図に墨で印をつける。
「『探し物にはバサンの眼とデコウの鼻とファシャンの足』とは言うが、それより何より根気だな」
 あても無く開拓民の村を当たり続けてすでに十日以上が過ぎ、さすがに後悔の念が兆し始めていた。広げた地図の上に点在する開拓民の集落を一つづつしらみ潰しに当たるとなると、この数倍の日数を費やしてしまうに違いない。新たに開拓され、地図に載っていない集落を探し出してとなると、一体どれほどの時間がかかるか想像もつかない。
「ふぅ・・・・。今回ばかりは私の読み違いかな」
 今のところ、これはと思う相手にも行き当たらず、風聞すら耳にすることができない。こうなってはジュッタロッタで動いているイーオヴェが頼りだ。何か掴んでいてくれると良いのだが。
「弱音を吐いてばかりもいられないな。先を急ごう」
 墨が乾いたのを見計らって地図を丸め、筆とともに蔵袋にしまうと、クリルヴァは馬上の人となった。
「さぁ、夕方までには次の村に着こう。頑張ってくれよ」
 村を出てしばらく過ぎた。耕地と荒れ地とが混在する辺境の風景が広がっている。都育ちのクリルヴァにとって、初めのうちこそ物珍しく感じられたが、さすがにこうなると見飽きてきた。
「ク・・・ル・・・様・・・」
「ん?」
 風が誰かの声を運んできた。振り返るクリルヴァの眼に、こちらに急いでいるらしい一騎の姿が映る。どうやら騎乗しているのは女のようだ。
「クリルヴァ様ぁ!」
 女が呼びかける。
「イーオヴェ! どうした!」
 都で探索に当たっているはずの彼女が何故、と思うとともに、いつも冷静沈着な彼女が取り乱している様子が気にかかった。駆けてきたイーオヴェにクリルヴァが馬を寄せる。
「・・・クリルヴァ様・・・大変です・・・」
 イーオヴェが途切れ途切れに言う。長旅を続けてきたらしく整った顔もやつれ、装束も砂塵にまみれている。
「どうした。ほら、まずはこの酒でも一口飲め。落ち着いたらでいいから、順に話してくれ」
「済みません。はぁ・・・」
 クリルヴァから手渡された竹筒を口に当て、一口含んでからイーオヴェが大きな息を吐く。その竹筒をクリルヴァに返すと、話し始めた。
「・・・・摂政クテロップの屋敷ですが、さすがに警備が厳しく、探索できたのは一部だけです」
「だろうな。国きっての要人だ。そもそも無理な話だったかも知れない。しかし感づかれはしなかっただろうな?」
「それは心配有りませんが、例の資料らしいものは見当たりませんでした。あるいは調べられなかった場所には有るのかも知れませんが」
「それより、調査を打ち切ってここにまで来たのには理由が有るのだろう?」
「はい。その摂政ですが、先日王宮内で吐血して倒れ、屋敷に下がって療養に専念しています」
「なに!」
「見たところ回復の見込みは薄そうでした。まずそれをお伝えしたくて」
「お前の眼にそう映ったのなら偽装ということもあるまい。それで?」
「王室のかたがたと、地方に派遣されている役人の一部に召還命令が出されました。いずれクリルヴァ様にも正式な使者が参るかと」
「・・・・」
「それから、摂政の病気に関してなのですが・・・・」
 イーオヴェが口ごもる。
「どうした? 言いにくいことでもあるのか?」
「いえ。あの、ミカニカ陛下が」
「陛下が?」
「近頃ジュッタロッタで勢力を増しているネゴ神教という教団をご存知でしょうか?」
「ああ。名前ぐらいはな。『最後の神』などと称しているらしいが」
「その教主と会見され、摂政の病気平癒のための祈祷をご依頼になられました。回復の暁には王宮内に祈祷所を設け、王立の神殿を下賜されるとのことです」
「何だと! そのネゴ神とやらを国の守護神として崇めよとの仰せか!」
「いえ、もし一月経っても平癒しなかった場合には、教団ごと国外に追放するとの条件付きです。そしてその直後にネゴ神教の神殿が襲われました」
「裏に何かあるのか?」
「わかりません。襲ったのは街のごろつきらしいのですが」
 クリルヴァが腕を組み、考え込む。
「差し出がましいようですが、クリルヴァ様」
「何だ?」
「このような辺鄙な場所にいては、肝心の時に間に合わないかも知れず、一度都に戻られてはいかがでしょう?」
「そうだな。引きあげるとするか。あての無い探し物を続けたところで益は無いかも知れない」

◆セイロ近郊
 笛の音がする。
 一騎が、街道をゆく。
 馬上の男は手綱を手放している。が、馬は余程馴れているのだろう。歩幅を乱さず、男を揺らすこともなく、進む。
 男が、横笛を吹く。チナンの恩寵が注がれているのだろう。ハンムーの一流の笛吹きたちも裸足で逃げ出すほどの、美しい音色。しかし奏でる曲に馴染みが無いのか、畑にいた農夫たちが、怪訝そうな顔で男を眺めやる。男は構う様子も見せない。
 馬が、行く。
 辻で、その足が止まる。馬前に、もう一騎。見知った顔の赤毛の男。
「ケセラか? なぜ、ここに?」
「珍しいな。あなたとこうやって出会うとは」
「珍しいことはあるまい。俺はクトルトル家の出だ。このセイロにいて何がおかしい?」(※2)
「では尋ねよう。なぜ、その旋律を知っている?」
 カジフは驚きと共に、目の前の年若い近衛武人を見つめた。
「迂闊だよ、カジフ。一族にも旧臣にも、御家再興なんて夢物語より今の平安と栄達を求める者もいる」
「密告されるということか?」
「最悪、それを考えておいた方が良いだろう?」
「突き出すか? 俺を」
「いや。それより」
 ケセラが振り返ってセイロの街並みを指差す。
「落ち着いて、話をしよう」
「よかろう」
 二騎が、並んで進む。

◆セイロ・料理屋
「何だ、話とは」
「率直に聴こう。カジフ、何のために人を集めている?」
 ケセラが尋ねた。
「聞いていないのか? 陛下の近衛に、弓兵を加えることになった」
「そのために、一族や腹心の者を揃えるのか?」
「命令に忠実な者でなければ、いざと言う時に役に立つまい」
「疑われるぞ」
「なぜ?」
「先日の宮女のことだよ」
「陛下の寝所に侵入しようとした、あの女か」
「そう。あの女が何と名乗ったか知っているか?」
「いや。その話は」
「サキヤ家の者だ」
「・・・・そうか」
 ケセラがカジフの盃に酒を注ぐ。
「サキヤ家は、表向き我らの臣下の家柄となってはいるが」
「一族の者なら、みな知っているな。王家の者が何人も養子に入っている。扱いは親類並みだ」
「しかし」
 ケセラが言おうとした後を引き取ってカジフが続ける。
「そう。あの家はソジ王の時に取り潰された。当主をはじめ一族皆殺しだ」
「まさか生き残りがいるとは、私も思わなかった」
「その女、何か吐いたのか?」
「いや、近衛武人の身分をもってしても、尋問に立ち会わせてもらえなくなった。あるいはすでに責め殺されているのかも知れない」
「ふむ」
「摂政殿下ぐらいになれば、サキヤ家のことはご存知だろう。一族ということが判れば、我々への監視は厳しくなる」
「判った。ケセラ、俺が軽率だったかも知れん」
 カジフが言った。
「名簿を調べたみたんだが、他にサキヤ家の者が王宮に出入りしている様子は無い。あの宮女もおそらくは身分を隠していたのだとは思うが」
 ケセラがじっとカジフの目を見る。
「何が言いたい?」
「陛下をお守りし、国を平安に保ちたい。何か知っていたら教えてくれ。一族の者は、どこまで入り込んでいる?」
「・・・・知らん。いや、判らん」
「そうか」
「ケセラ。お前が一族に連なっているということも、今日初めて知った」
「信じよう。お互い、我らが家の名にかけて、欺くまい」

◆ジュグラの里・寄合小屋
「なに」
 椅子を鳴らしてインカムが立ち上がった。都からの急使の口上を聞いていた最中であった。
「摂政殿下が」
「はい。先日、王宮にて血を吐かれまして。医師の見立てでは相当衰弱なされているご様子。今は屋敷にて療養されておられます」
「それで?」
「以前のような執務は行いがたく、政務は陛下と重臣一同にて合議、また近衛軍も含め王軍の軍権は、殿下よりククルカン殿に委ねられました」
「あの盲目のククルカン殿か」
 インカムが尋ねた。
「左様にございます」
 使者が言葉を区切って言う。
「またクゥリウ様、アイシャ様、ルナ様には、至急ジュッタロッタに戻るようにとの陛下の仰せであります。」
「わかった。まだ調査は十分とは言えないが、そのような事態とあらば仕方があるまい」
 アイシャがうなづく。
「インカム様には特にご下命がございます。陛下におかれましては、ウラナング警護のための派兵をお考えにあらせられます。ついてはインカム様には辺境の健児を率い、ジュッタロッタにて王軍と合流するようにと」
「待ってくれませんか」
 ヘクトールが尋ねた。
「なぜウラナングに兵を? クンカァンと直接ぶつかっているカヤクタナならともかくとして」
 使者が悲しげな表情で答える。
「もはやカヤクタナはモロロット二世王を失い、滅亡寸前にございます。ウナレ王妃が必死の建て直しを図っているようにございますが、首都エレオロクがクンカァン軍に包囲されたとの噂も届いており、陥落か降伏か、良くてもクンカァン側有利にて停戦。いずれにせよ時間の問題でありましょう」
「カヤクタナが・・・・」
 ルナは都を発つ前に王宮で会った旅装のテララッハの姿を思い浮かべた。陛下に挨拶を済ませたら、カヤクタナに向かうと言っていた。何を好きこのんで戦場となっている国にと言いかけたのだが、彼には彼なりの考えがあるのだろう、とそのまま別れたのだった。
 立ち上がっていたインカムが再び椅子に腰掛け、一同を見回した。
「となると、残念だがここを離れないわけにもいくまい」
「兵はどうするんだ? 俺はもともとあんたに雇われた身だ。あんたに着いていくべきだとは思うが」
 シャーンが言う。
 「烈風会」。インカムの呼びかけによって結成されたそれは、辺境を拠点に勢力を築き、その気になれば五、六百からの兵士をかき集めることができるまでに成長した。資金の乏しさから武装こそ貧弱なものの、実質八千弱、対外的には一万と称するヴラスウル軍の内部では、もはや弱小とは呼べない一勢力である。しかし傭兵や王軍に籍を置くものであれば、インカムとともに都に向かったとしても支障は無いが、中にはクトルトル家に属する辺境軍の構成員なども含まれており、こと兵を動かすとなると、完全に会独自の行動ができるというわけでもない。
「各自の判断に任せよう」
 インカムが口を開いた。
「私は上官ではない。皆、同志だからな」
※1 蕪に似た植物。根の煮汁は甘く、料理の味付けに用いられる。
※2 クトルトル宗家はセイロを本拠地としており、その周辺の町や村にも分家が有る。

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