第2回 C-0-1 ヴラスウル全域(イーバの滝)


◆ジュッタロッタ北郊・ネタニ川
 先日、大量の死体が流れついた渡し場に、一人の男が立っている。
「あなたがチアジさんですか。死体を最初に見つけられた」
 旅装束の赤毛の男は、持っていた手槍ををそっと地面に置き、渡し守らしい男に丁寧に話し掛ける。渡し守は舟に何やら積み込んでいたが、その声を聞くと顔を上げた。
「誰だい。あんた?」
「カハァランと申します。ちょっと伺いたいことがありまして。お時間、よろしいですか?」
「またにしてくれ。今、忙しいんだよ」
「では一つだけ。このネタニ川に沿って東に向かえばイーバの滝ですね。途中に難所などは?」
 チアジはじろりと男を上から下まで眺め回す。身分有りげな様子だ。多少は金を持っているかも知れない。
「イーバに行くのか?」
「そのつもりです。すでに摂政殿下には許可をいただいております」
「あんた、お役人か何かかい? ま、いいけどな」
 チアジが岸の方にちらりと目をやった。
「あそこに繋いである馬。あれ、あんたのだろう」
「ええ」
「馬や歩きじゃ行けねぇよ。イーバにゃ」
「そうなんですか? じゃ、水路で行くしかないんですね」
 チアジが舟縁を蹴り、ひらりと岸に飛び移る。
「そういうこった。空でも飛べるってんでなけりゃ、な。イーバってのは、人里離れてるから偏屈揃いの連中の溜まり場になったんだろうよ。ま、何だったら俺が連れてってやらんでもねぇ。」
「それは助かります。路銀や船賃のほうは心配ありません。こちらに」
 カハァランが内懐から重そうな絹の袋を取り出すと、言葉を続けた。(この人・・・・チアジさんの助力は必要だ。イナ様、お力をお貸しください。《イナ・親和+10》)
「では、早速ですが出発の日取りを決めませんか? お互い、今すぐというわけにはいかないでしょうし」
「そうだな。明後日あたりでどうだ?」
 このカハァランと名乗る男、ただの良いとこの坊ちゃんかと思ったが、飄々とした喋り方に何か不思議な魅力がある。
「わかりました。では明後日の夜明けに。この渡し場で。それから」
「何だい?」
「大きめの舟を用意して貰えませんか?連れができるかも知れない」
 翌々日の払暁。ハンムーからやってくる連結大筏が、幾本もの帆柱に上げられた帆に風を孕み、ゆっくりと沖を進んで行く。朝食の準備をしているらしく、筏のあちこちから煙が上がっている。少し上流にジュッタロッタの河港がある。今日、そこに着岸してまた大きな商いをするのだろう。
 渡し場には四人の影があった。一人はカハァラン。呪人の装束を身につけた若い男女と、もう一人大柄な男が長槍を担いでいる。
「イルイラムさん、ナージャさん。感謝しますよ。あなたがたのような呪人の手助けが得られれば心強い。イコンさんも済みません、用心棒を引き受けていただいて」
 一昨日チアジと別れた後、カハァランはジュッタロッタの城下に戻り、イーバへの同行者を募ったのだが、それに応じたのがこの三人である。
 イルイラムとナージャは同じバザーで知合った仲で、先の風聞を耳にしてイーバ行きを考えていたという。
「イーバの近くにさ、わたしを育ててくれた父さんが住んでるんだ。やっぱり心配だしね。一人旅はちょっとって思ってたところだから、ちょうど良かったよ」
「私も昔イーバで少々修業をしたことがあるのでな。その時の仲間の身も案じられる。それに」
「それに?」
 カハァランが訪ねる。
「やはり原因が気にかかる。イコンさんの話によれば大密林に魔族が現れたということだが、それと関わり合いの有ることなのか・・・・」
 イルイラムは腕を組んで考える風情であったが、顔を上げた。
「もしも魔族の仕業であったのならば、私にどれほどのことができるだろう?」
「何言ってんのー。『悪魔祓い、憑きもの落とし、よろず承ろう』とかさぁ、威勢の良いこと言ってたじゃない」
 ナージャが元気づけるようにどやしつけたが、イコンが無精髭の生えた口を歪め、イルイラムの言葉を受けるように皮肉っぽく呟いた。
「わからねえぞ。この事件はほんの序の口かもな」
 イコンは先日まで東部の盗賊団討伐に赴いていたのだが、盗賊たちの中に密林で魔族を目撃した者がいるという情報を都に伝えるため、とりあえずの報酬を貰って戻って来たと言う。
「おーい!」
 下流から川舟が帆を上げてやってくる。
「カハァランさんかい? チアジだ!」
「来たようですね」
 7、8人は乗り込めるであろう平底舟が渡し場に着けられ、チアジともう一人背の高い若者が降りてくる。
「待たせちまった。途中で人を待ってたんでな」
 鷹を肩に乗せた若い傭兵風の男が口を開いた。
「俺はドヴンだ。同行させてくれ」
「カハァランです。よろしくお願いしますよ」
「イルイラムだ。退魔師をしている」
「わたしはナージャっていうの。呪薬とか、そういうの作ってる」
 イコンはドヴンと名乗った若者に自分と同じ匂いを認め、にやりと笑ってみせた。
「よーし、早いとこ乗り込んでくれ。イーバに向かって船出だ」
 チアジは船首に立つと、肌脱ぎになる。ネタニ川に住むという神々の姿が一面に彫り込まれた、透き通るように色の白い背中。それらの神々に航行の安全を祈る呪文を朗々と詠唱し、さらに順風を請うためバサンへの祈りも捧げる。チアジの祝詞は、イルイラム、ナージャの二人の呪人も感心するほど堂に入ったものであった。
 祝詞をあげ終えると、慣れた手つきで綱を解き、水棹を操る。静かな水面を滑るように、舟が岸を離れた。
「これからこの舟の中じゃ俺が頭(かしら)ってことになる。言うことが聞けねぇてんなら川ン中叩き込んで神様のお供えにしちまうからな」
 チアジが水棹を操りながら他の五人に言う。カハァランがうなずく。
 ところで、とドヴンが口を開いた。
「俺はイーバに刺青を彫って貰いに行くつもりだったんだが、それどころじゃなくなってるみたいだな。詳しい話は知らないんだ。聞かせてくれないか?」
「聞かせるも何も」
 カハァランが答える。
「我々だって正直言って何もわからないようなものなんです。お頭・・・・チアジさんが川にいくつも死体が流れついてるのを見つけて、それがおそらくイーバ滝のあたりにいる呪人のものではないかって推測がついているだけで」
「死体は水死じゃなかったぜ。みんな刃物か何かで斬りつけられたんだろう。大きな傷口があった」
「爪で切り裂いたとか、牙で噛み切ったとかいう傷じゃなかったんだな?」
 黙っていたイコンが、チアジに聞いた。
「獣かもしれないってこと?」
 ナージャが聞き返す。
「獣なら川に投げ捨てるってことまではしないだろう。イコンさんが考えているのはもうちょっと良くない事態だった場合だ。違いますか?」
 イルイラムの言葉にイコンがうなずく。この六人の中で、彼ほど命のやりとりの場数を踏んでいる者はいない。その彼が一種冷酷そうにも見える鋭い目つきのまま、言った。
「良い読みだ。軍師でやってけるかも知れねぇぜ、お前。・・・・こういう話がある。以前俺が聞いたところによれば、だがな」
 その鋭い視線を、穏やかな川面に移して続ける。
「魔族ってのはあまり武器を使わんらしい。そういう連中がイーバ辺りまで出張って来てるとなると、この話は厄介になりそうだぜ。何せイーバからジュッタロッタまではこのネタニ川を下って来るだけだからな、攻める気になればあっという間だ」
 チアジが今度は船尾にまわり、帆と舵の具合を直しながら言う。
「死体が古過ぎだ。イーバからここまで流れてきてるんだからな、まぁ四、五日かかっているんじゃねぇか? 傷も腐りかけだった」
 きりきりと帆を巻上げた綱を結びつけながら続ける。
「ともあれだ、イーバに着いてからだな。詮索は」

◆ネタニ川支流の渓谷
 ヴラスウルを貫くように流れるネタニ川の支流。両岸がだんだんと高さを増し、渓谷の様相を見せはじめる。ジュッタロッタを出て五日ほども経ったであろうか。今のところは順調な旅が続いている。
 最初のうちこそ船に酔ったりはしたものの、一行はいまのところ無事である。あまりにのんびりとした船の旅に、ともすればこれから何をしに行くのかも忘れそうなことすらあった。しかし船が上流に行くにつれ、切り立った崖や岩場が目に付くようになり、川の流れも速くなってきた。
 横風に煽られて、ぐらりと船が揺れる。
「そろそろだな」
 チアジが舵を取りながら言う。
「風がおかしな吹き方をしやがるようになったぜ。川幅はあるが、もう谷底だ。流れもずいぶん早くなってきてやがる」
 チアジが船尾にまわり、帆を少し降ろす。
「この先に、舟をつけなくちゃならねぇ。そこから先は歩きだ」
「見覚えがあるな。この辺りは」
 イルイラムが崖を見上げながらつぶやいた。
 チアジが崖に刻まれた目印に従い、舟を岸に寄せて行く。一行の目に、断崖に作られた長い石の階段が見えてくる。階段は崖を這う蛇か何かのように、折れ曲がりながら上へと続いている。
「よし、降りるぞ」
 チアジが岸に舟を着け、打ち込まれた杭に綱を結びつける。
「長かったですね。やっぱり」
 やれやれ、といった表情でカハァランが言う。
「でもさ、まだあるんだよ。ここから歩いても二日はかかるし」
 ナージャが荷物を降ろしながら言った。槍と自分の手荷物を担いだイコンが大きなあくびをする。チアジも手槍を掴み、舟を降りる。
「俺が案内してやれるのはここまでだぜ。ここから先は呪人のあんたたちに任せる。来たことがあるんだろう?」

◆イーバの聖地・大滝壷
 ナージャとイルイラムに先導された一行が、まばらな林の中の小道を辿りつづけて二昼夜が過ぎた。一日目の夜更け、数頭の野犬が一行の天幕を襲ったが、チアジ、イコン、ドヴンが槍を振るい、何なく追い返した。
「まだ着かないのか?」
 ドヴンがナージャに尋ねた。
「聞こえないの? 近づいてるんだけどな」
 ナージャが答える。ドヴンをはじめカハァラン、チアジ、イコンが耳を澄ます。
 どどどど、という微かではあるが確かな音が、下腹を震わせるようにして聞こえてくる。
「この音が、イーバの滝音というわけか」
 ナージャがうなずく。
「わたしにとってはさ、子守り歌みたいなものなの。ずっとここで育ててもらったから」
 日が傾き始める頃、林が開ける。滝音が轟き、隣の者と話をするのも困難にになる。遮るもののなくなった一行の前に、滝が姿を現す。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・! ・・・・・・? ・・・・・・・・・・。・・・・・・・・?」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・。・・・・・・」
「・・・・・・・・!」
 まるで駄目だ、という顔をしてカハァランが林を指差す。一行はうなずき、一度林に戻る。
「いや、凄い音ですね。まるで声が聞こえない」
「久しぶりに聞いた。あい変わらず心が和むな。澄み渡るようだ」
 満足げな口振りでイルイラムが言う。ナージャがうなずく。
「こんなに喧しくてよく修行なんかできるもんだな。呪人ってのは」
 呆れたような口振りでチアジが言った。
「これに慣れるのも修行だ」
 イコンが言う。
「ところでな、あんたらの仲間の呪人とやら、どこにもいないじゃねぇか。どうしたんだ?」
「わたしもそれが心配なの」
 ナージャが表情を曇らせる。
「とうさんたち、どうしたんだろ」
「探してみるべきだな。この林のところどころに呪人の集落がある。手近なところから当たってみよう」

◆呪人の集落にて
 日がとっぷりと暮れかかる頃、一行はようやく林の奥まったところで人の気配のある集落に辿り着いた。それまでにもいくつか集落は見つけていたのだが、どれもこれも最近まで人が住んでいた様子こそ有るものの、動くものの姿が全く見当たらず、あるいは、という不吉な推測が全員の脳裏に過ぎり始めていた矢先であった。
「すみません!」
 カハァランが声をかける。
 明かりのついていた小屋から、腰の曲がった年寄りが杖をつきつつ出てくる。
「どなたかの」
 年寄りが窪んだ目を光らせながら一行を見つめ、尋ねた。
「おじいちゃん! わたしのとうさん、無事?」
 ナージャが駆け寄る。
「お? おぉ、ナージャか? 大きくなったの」
 老呪人が目を細める。
「お前の養父もここに逃れてきておる。まぁ、まずは中に入って休め。あんたたちも」
 老呪人が視線を移す。
「その様子だと、事件のことを調べに来たようじゃの。さ、早う入られよ」

◆呪人の小屋にて
「名乗ってはおらんかったな。プキモと申す」
 長老格らしい先ほどの老呪人が名乗る。
「イルイラム、ナージャ。すっかり一人前になったようだの」
 それはいいからよ、とチアジが口を挟む。
「ネタニ川を流れてきた呪人の死体、ありゃどういうことだ? 何があった?このイーバで」
「そうです。我々はそれを調べに」
 イルイラムが言う。老呪人が咳払いをする。
「順を追って話そうかの。あの晩のことを」
 老呪人が目を閉じたまま語り出した。
「最初に襲われたのは、滝壷のそばの集落じゃった。あの滝壷のまわりは普通の者たちでは声も通らんほどの水音がしておる。それで足音が消せると思ったんじゃろうな。襲った連中は」
「どういう奴らだったんだい。爺さん」
 ドヴンが勢い込んで尋ねる。
「まぁ、順を追って聞け。若いの」
 老呪人が続ける。
「山賊のような連中じゃったよ。滝壷に秘宝が沈んでおるという風聞が立ったことがあったそうじゃが、その時以来ということになるんじゃろうの。あんなに大人数で襲われたのは」
「その秘宝ってのは初耳だな」
 イコンがあまり興味も無さそうな顔で言う。
「大昔の話じゃ。セモネンド国の時代と伝えられておる。戦争に負けて窮地に立たされたセモネンド国王が、イーバの滝壷にある秘宝を手に入れて起死回生の策を打とうとしたということじゃ。しかし」
 少し間を置いて老呪人が続けた。
「その秘宝の話は根も葉もない噂じゃった。悪事に呪術を用いてこのイーバを追われた呪人がの、もとの仲間を陥れようとして流したのじゃ。しかし王はその話を信じ込み、大軍を催してこの滝を襲った」
 イルイラム、ナージャも初めて聞く話に耳をそばだてる。
「結果、多くの呪人たちが拷問にかけられ、殺された。秘宝など出てこずじまい。セモネンド国は呪人たちの恨みを買い、ますます国勢を失った。そのためもあってな、後にシクの乱が起こった時にも、セモネンドの肩を持った呪人はおらぬのじゃ。そういう話がある」
 チアジが苛立ったような表情で言う。
「昔話はいいんだよ。爺さん。その連中の話を続けてくれ」
「おぅ。そうじゃった。その山賊ども、大勢で集落を取り巻いての、大人は殺し、子供たちを連れ去ったのじゃ。幸いにして、姿を消すまじないを心得ておった者がその場を逃れて、異変を伝えた」
「だからとうさんたちは助かったんだ」
 ナージャが言う。
「そうじゃ。わしらは報せを聞いて、それぞれの集落に触れを出した。間に合わなかったいくつかの集落は哀れにも連中の餌食になったが、他の者は林の奥に逃げ込んで無事じゃった」
「なるほど」
 カハァランが思案顔で老呪人に尋ねる。
「プキモさん、イーバの皆さんを襲ったのは山賊風の連中だった。これは確かなんですね」
 うむ、と老呪人がうなずく。
「俺が東の密林のあたりで聞いた話じゃあな」
 イコンが口を開く。
「密林の奥に魔族がうろつきだしたって話だ。密林でも北のほうを根城にしていた盗賊どもは、その魔族に追われてどこかに動いたらしい。南下した連中もいるだろうが」
「森を出た連中が、ここを襲ったということですか」
 イルイラムがイコンの言葉を受ける。
「そうだ。俺はそのあたりの線だと読むが」
「魔族が直接襲ったということは考えられませんか? プキモさん。どうですか?」
「いや。あれは人であったの。少なくともわしらが知っておる魔族は、たいがいが人とはまるきり違う格好をしておる。魔族とは考えにくいの」
 黙っていたナージャが言う。
「ちょっとひっかかるところが有るんだけど。プキモのおじいちゃん」
「何かの?」
「こういうと何だけどさ、ここに住んでる呪人ってそんなに数も多くないしさ、お金なんかちょっとしか持ってないよ」
 一同を見回しながらナージャが続ける。
「どうして、ここを襲ったの? 山賊だったら。森の近くにだって開拓民の村とかあるじゃない。ああいう所に行く商人とか狙ったほうがいいと思うんだけど」
「それはそうですね」
 カハァランがうなずく。
「子供を連れ去ったというのも気になります。プキモさん。だいたい年の頃でいうとどれぐらいの子供たちなんです?」
「ふむ」
 プキモが口を開く。
「だいたい十歳前後かの。それより幼い者、赤ん坊などはやはり殺されておる」
「それがどうかしたのかよ?」
 イコンが不審な表情で聞く。
「何かの手がかりになるかも知れませんよ。これが」
 ドヴンがうなずく。
「そうだな。拐って奴隷にするってんなら歳は関係ないだろう。もっとも一人前の呪人を奴隷になんぞしたりすりゃ、却って呪い殺されちまうかも知れんが」
「そういうことです」
 カハァランが続ける。
「その襲った連中が、どちらに逃げたかはわかりまんか?」
「わからぬな。そこまでは。先ほども言ったが、わしらは林の奥に逃げ込んでおった。やつらが滝のほうから来たのは間違いないが、どこに逃げたかまでは、な」
「そのあたりを調べなくちゃなりませんね。腰を落ち着けて」

リアクションのページに戻る

目次に戻る