第10回 Z-0 ジュッタロッタ城西の戦い


ジュッタロッタ城西の戦い

■城壁
 ジュッタロッタ城の西大門は、固く固く閉ざされ、その西の“桑の原”に陣を敷いたヴォジク軍と対峙していた。
「東門の様子は?」
 象兵を指揮するケセラが伝令の兵士に尋ねる。
「は、特に眼の良い者を櫓に登らせておりますが、未だヴォジクの別動隊などの姿は見えませぬ」
 象の上のケセラが小さくうなずく。
「必ず、力攻めをして来るはずだ。油断するな。長陣は奴らにとって利にはならない」
「は」
 一礼した兵士が、馬に飛び乗ると、再び東大門に向かって駆け出した。
「?」
 向こうで押し問答をしている数人の声に、ケセラの眉が動く。
「どうした!?」
「は、見て参ります」
 近衛兵の一人が走り、人だかりの様子を確認すると駆け戻って来る。
「どうやら城門の外に出たがっている市民たちのようにございます。護民兵副長のフルハラング殿が説得にあたっておられますが、いかがいたしましょう?」
「私も行こう」

 うんざりした顔のフルハラングが、さっきから何度も繰り返した言葉を、陳情者たちにもう一度言って聞かせる。
「だーかーら、な、今は外に出て貰っちゃ困るんだ。外にゃヴォジクの連中が槍ぃ構えて待ってるんだから、な?」
「そのヴォジク軍との戦いに、ぜひとも我々も加えていただきたい。まじないで、できる限りのことをしたいんだ。この…ヴラスウルを守るために」
 イーバの呪人たちを率いるイルイラムが言った。
「私も、私のできることをしたいのです。ネタニ川の神、ヘズベス様のお情けを賜ることのできるよう、河原で祈ろうと思います」
 女ものの神衣をまとったエルクガリオンも、いつになく真摯な表情で言う。
「とにかく」
 フルハラングが、むっとした調子で言う。
「今は誰も外に出さんし、誰も中には入れん。これ以上ごちゃごちゃ言いやがると、お前ら、内通者ってことでとっ捕まえなくちゃならんが、それでもいいんだな?」
 そうフルハラングに言い渡されると、さすがに呪人たちの表情に途惑いが浮かぶ。この新任の副長が、城内のゴロツキたちをすっかり手懐け、多少の荒事も平気でやってのけるというのは既に評判であった。今この瞬間にも、フルハラングの目となり耳となったゴロツキたちが彼らを監視しているに間違いはなかった。ここでもめ事を起こせば、どのような目に遇わされるか判ったものではない。
「イルイラムさん…」
 中年の呪人が、彼の衣の袖を引く。
「ここは出直しましょう。兵士の皆さんに迷惑がかかっては…」
「…そうですね」
 イルイラムが、悔しそうに唇を噛む。
 これ以上言っても無駄だ、と悟ったエルクガリオンが、ぷぃ、と踵を巡らして市街に向かって歩き出す。
(私は、私の思うとおりにしよう。ここで頑張ってみようと決めたのだ…川には遠いが、城内で祈るしかないか…)
 ふぅ、とフルハラングが大きな息を吐き、ぼりぼりと頭を掻きつつ呟いた。
「判ってくれよなぁ。死んでもらっちゃ困るんだよ」
「フルハラング」
 象輿の上からやり取りを眺めていたケセラが、声をかけた。
「御苦労だな」
「まぁな」
 フルハラングがケセラを見上げる。
 どすどすと大きな足音を立てて、ケセラの象がフルハラングに寄る。
「おっと、気をつけてくれよ。踏んづけられちゃたまらん」
「ああ」
「そうだ」
 急に思いついたような顔をして、フルハラングがケセラに尋ねた。
「聞きたいことがあるんだけどな」
「何だ?」
「ミカニカって初潮(※1)来てんの?」
「なにぃ?」
 面食らったケセラには、そう聞き返すのが精一杯だった。
「知らんか?」
「知らん!!」
 憤然とした表情のケセラが言い捨て、ぷいと横を向く。
 その視線の先に、一頭の白い象。
 白象の上には、ミカニカと、御者を務めるダッシャアの姿があった。おそらくは市中の巡察の途中か何かであろうか。
「へ、陛下…」
「やべっ!」
 フルハラングが、こそこそと護民兵の中に隠れる。ケセラが口にすべき言葉を探しているうちに、ダッシャアが手綱を操り、ミカニカの御座象は方向を変えて歩き始めていた。
「なんてことだ…!」
 取り残される格好になったケセラが、一言呻いた。

■赤旗
 城門の西に陣を敷いた、ソイウィル将軍麾下五千弱のヴォジク軍。そのヴォジクの陣を囲むように、東南にはククルカン将軍率いる二千弱のヴラスウル王軍、西南にはヘクトール・クトルトルを主将と戴く、やはり二千弱の辺境軍が布陣した。これに城内に籠もる近衛軍と王軍の一部を加えれば兵力の上でもヴォジク軍と対等以上であり、さらに堅城を擁する利を考え合わせれば、いかに勇将ソイウィルとはいえ、奇策を以てせねばヴラスウル軍を破るのは難しかろうと思われた。
「しかし、油断はならぬ」
 居並ぶ諸将を戒めるように、王軍総督ククルカンが申し渡した。
「数に勝る軍が敗れた例は枚挙にいとまが無い」
「うむ」
 セイロから急ぎ駆けつけたソルトムーンが、口髭を撫でつけつつ同意した。
「ヴォジク軍…いや、ソイウィルの手勢は言わば孤軍。援軍も、補給も無い。しかし、それだけに血迷って何をしでかすか判らぬ怖さがあるが、だ」
「そうだ」
 インカムが口を開く。
「ヴォジクの実権は、もはやウドック家には無い。ヴォジクに降った魔将マセウス…遅かれ早かれ、彼があの国を牛耳る。バーブック王の後ろ盾を失ったソイウィルはまさに迷子も同然」
「ヴォジクのこともソイウィルのこともどうでもいいんだ! 要はジュッタロッタが、ヴラスウルが守れるかどうかだよ!」
 辺境南部から急行して参陣した最年少のオビュハラが、まだ稚気の抜けない声で発言した。
「一生懸命戦うんだ! みんなが住んでるこの国を守るんだからね!」
 戦功不足のこともあって希望していた象部隊の指揮は任せられなかったのではあるが、オビュハラはそれを不満に思う様子も見せない。
「敵兵を城門に近づけないのは当然として、我らは機を見て突出すべきか、否か。意見を伺おう」
 ククルカンの言葉を受けて、インカムが言う。
「ソイウィルは確かに将才もあり、他国の出ではあるがよくヴォジク兵を手懐けていると聞いている。やつ直属の騎兵には迂闊に手を出すべきではないだろう。しかし、弓兵、水兵を率いる部将は小粒だ。そこを狙う」
「騎兵はぼくが蹴散らすよっ!」
 オビュハラが言った。
「オビュハラ」
 たしなめるようにククルカンが言う。
「戦は元気だけでは転がらぬぞ。謀りごとの神ギンパパを知っているか?」
「うん」
「ギンパパは、ものを言わず、足音を立てず、馬も嘶かせなかったと聞く。しかし戦には敗れなかった。静かに、息をひそめるようにして潮時を待つのも戦陣の教えと知るのだ」
「…うん」
 オビュハラが素直にうなずく。
「ともかくだ、ヴォジク兵が動き始めた時が勝負になる。攻めかかるか、退くのかは判らんが、後の先を制してその出鼻を挫くべきだ」
 そう言ったインカムの言葉に、ソルトムーンが首を傾げる。
「確かに、静から動へ移るその瞬間を撃つのは理に叶っている。それがソイウィルの手かも知れんが…」
「迷うことはあるまい。俺の知っている“紫雷将”は、もうちょっと気持ちの良い男だったぞ」
 珍しく笑みを浮かべたエスカイが、茶化すように言葉をかけた。
「それもそうだな」
 ソルトムーンが言う。ククルカンが、うむ、とうなずくと言い渡した。
「では、諸将に伝える。ヴォジク兵の動き出すその折りを逃さず、一斉攻撃を行うゆえ、その機を逃さぬよう物見を怠らぬように。特に、夜だ。奇策は夜と相場が決まっている」
「うむ」
「判ったよ!」
 一つ大きくうなずいたククルカンが、伝令騎兵に声をかけた。
「よいか、その旨、急ぎヘクトール卿にお伝えせよ!」

「ククルカン殿はそのように仰せか」
 腕組みをしつつ、ヘクトールが言う。
「あい判ったとお伝えしてくれ。かつて直々に御教授いただいた槍の冴え、ご覧に入れるとな」
「はっ」
 伝令の騎兵が天幕を駆け出ると、そばに控えていたレンセルが口を開く。
「では、かねての打ち合わせ通り、俺とムベムバは王城を迂回して川原に出る。明日の夜、だ」
 レンセルの瞳が冷たい光を放つ。魔の血を受けた証であるその瞳を隠していた眼帯は、今は外されている。後に彼は、その瞳の輝きを“暗夜の宝玉”と称され、カガト流槍術中興の祖として武人たちの尊敬を得るに至るのであるが、それはまた別の話である。
「王軍を出し抜くような形になるのが気になる」
 むすっとした様子のムベムバが呟いた。
「これは戦だ」
 ヘクトールが言う。
「判ってはいるが」
「ムベムバ」
 何か言いかけようとしたムベムバをおさえて、タファンが言った。
「気持ちは判るよ。あまり気持ち良いものじゃないが、功に逸っての抜け駆けじゃないんだ。この戦、できるだけ犠牲を少なく抑えて勝たなくちゃならない」
「うむ」
 クトルトル家の当主…“ベクェイクトの嗣子”としての貫禄を身につけ始めたヘクトールがうなずいて言う。
「ムベムバ、レンセル。この奇襲の目的はヴォジク軍の戦意を削ぐことにある。彼らが陣を退けば我々の勝ちだ。できるならば、ソイウィルを捕らえて尋問したいが、それは欲の張り過ぎかも知れん」
「判った」
 ムベムバがうなずく。
「奇襲が成功すれば、このヘクトールの名で降伏勧告の使者を出すつもりでいる。時を移さず、な」
「任せる」
 レンセルが短く言うと、一礼して天幕を出て行く。
「では」
 ムベムバもその後を追う。
「タファン」
 天幕の中に残ったヘクトールが、タファンに声をかけた。
「養父上が、いつだったかレンセルに仰ったそうだ。『兵は、軽々しくは動かせぬ。民を守るために動かしたつもりが、民を苦しめることにもなりかねぬ』と」
「まこと、その通りかと存じます」
「このヘクトールも、“ベクェイクトの嗣子”の名を継いだ以上、そのお言葉を大事にしたいと思う。敵兵とはいえ、一人でも救いたいものだ」

■青旗
「退く」
 ソイウィルの、考え抜いた末の決断である。
 「まさかこれだけの兵が残留し、これだけの堅城が築かれているとは思いもしなかった。この遠征、誤りだった」
 ヴラスウル各地から続々と王城目指して集結してくる敵兵は、もはや自軍を上回るかも知れない。そして目の前に立ち塞がるのは、堅牢極まるジュッタロッタの石壁。ソイウィルは自分の読み違いを素直に認めた。
「承知」
 ソイウィルに心服している配下の諸将が一斉にうなずいた。
「将軍の命ずるままに」
 『わずか二百に過ぎない兵を率いて聖都に赴き、クンカァンの大魔軍と対峙した』
 ソイウィルのその勇名が、彼ら諸将の信頼を繋ぎとめていた。この将軍について行きさえすれば間違いはない、コレル森でのあざやかな指揮ぶりを見よ、ヴォジクのどこを探してもこれだけの将星は見当たらない──戦況は自軍にとって日に日に不利になっているにも関わらず、諸将のソイウィルへの全幅の信頼が、全軍の士気の低下を防いでいた。
「必ず、ヴォジクへ連れ帰る。そのためにはヴラスウルに頭を下げることも辞さぬ。俺を信じてついて来てくれ」
 信頼する将軍が、自らの恥辱を覚悟してまでも自分たちを救おうとしている。その覚悟が、諸将の胸をうった。
「応ッ!」
「我が槍は将軍と共に!」
  諸将が、迷い無く即座に答えた。その呼声が収まると、軍師格の老将が口を開く。
「よろしいかな、将軍」
「うむ」
 ソイウィルがうなずく。
「王が崩御なされたという噂、すでに陣中に広まってございます。おそらくヴラスウルの計略かと思われますが、兵たちの動揺を鎮めるためにも、ぜひ将軍よりお言葉を」
「俺も考えていた」
 そう言って、ソイウィルが床几から立ち上がる。大股に天幕の出入口に歩み始めたが、そこでくるりと振り返った。
「軍師、ヴラスウルに──ミカニカ女王に和を講う使者に立ってくれ。危険な役目だが、頼む」
「承知」
「マセウス将軍にも書信を。ヴォジクに帰還し次第、このソイウィル、五千の兵を率いて合流するとな」
「はっ」
 軍師の返事にうなずいたソイウィルは、入り口に垂らされていた布を捲り上げた。
 歯車の狂い。定規の歪み。直後、ソイウィルは身をもってその恐ろしさを思い知ることになる。

 夕刻であった。陣中には、兵士たちにとっては懐かしいヴォジクの民謡を歌い、ヴォジクの海女の舞を踊る女たちが訪れていた。“砂の舞姫”フーシャに率いられた彼女たちは、敗軍を見越して芸人たちの寄りつかぬヴォジク軍に歓迎され、兵たちに愛想を振りまきつつ数々の芸を披露する。
 そして彼女の投げ上げたパレ(※2)が、ある重大な意味を持っていることに誰も気づかなかったのも、ソイウィルとヴォジク軍に降り掛かった「歯車の狂い」であったろう。どのようなからくり師でも直すことのできないような手ひどい歪み。夕闇に紛れ、息を殺してヴォジクの陣中を急ぐ覆面の女──“鮮血の流星”ジャヌァラこそが、その歪みであった。

「貴様…ッ!」
 ジャヌァラの握る短刀が、布を捲り上げて外に出たソイウィルを襲った。白刃が、吸い込まれるようにソイウィルの脇腹に突き込まれる。
(何もかも、無くなるのは良いことね)
 ジャヌァラは覆面の下でそう呟きつつ、抉りながら短刀を引き抜き、崩れ落ちるソイウィルを尻目に全速力で駆け出した。
「将軍?」
 がくりと膝を折ったソイウィルの様子を不審に思った軍師が、天幕の中から声をかけた。
「どうかなされましたか?」
 そう言いつつ、天幕の垂れ布をはね上げた諸将が見たものは、鮮血の噴き出る脇腹を押さえつつ地面に倒れ伏すソイウィルの姿であった。
「しょ、将軍ッ!!」
「ヴラスウルの間者かッ! 探せッ! 遠くには行っておるまいぞッ!!」
 諸将の怒号に、兵たちが混乱する。
「ソイウィル将軍が!?」
「まさかッ!?」
「女、どけッ!!」
 兵士たちが、舞踊を中断した踊り子たちを押し退け、本営の天幕に向かって駆け出した。
(長居は無用。逃げるよっ!)
 フーシャが配下の踊り子たちに目配せすると、兵たちとは反対の方向に駆け出した。
(栄光が、ヴォジクの皆さまと共にありますように)
 美しい唇を皮肉に歪ませながら、フーシャがそう呟いた。

 後世、ヴラスウルの武人が耐えがたい恥辱とすることになる“桑の原の夕闇”事件(※3)は、こうしてヴラスウル軍とは何の関わりもない“紅の刃”の暗殺者の一人ジャヌァラの手によって行われたのである。しかしこの事件の真相は、その名の通り夕闇に紛れてしまったが如く、遂に明らかにされることはなかった。
 しかし、突然に主将を失うこととなったヴォジク兵団は、結果として“ネタニ河畔の大崩れ”と呼ばれる壊滅を喫することとなる。それだけは、動かしようのない事実であった。

「将軍ッ! しっかりしてください!」
 そう叫びつつ、慌ててソイウィルを助け起こそうとした部将を軍師が押しとどめる。
「無闇に動かしてはならぬッ! まずは薬師を呼ぶのだ!」
「は、はッ」
 あたふたと駆けつけた薬師が、ソイウィルの脈を取り、脇腹の傷口を改める。
「毒を用いた様子はありませぬ。急所はわずかに外れておりますゆえ、お命は取り留めましょうぞ」
「そうか」
「されど…できる限り安静を保たねばなりませぬ」
「我らの指揮は…!?」
 部将たちが当惑した顔を見合わせる。彼らの心をまとめていた、一本の大きな柱が不意に外されたのである。無理からぬことであったろう。
「仕方があるまい。将軍のご指図通り、陣を退く」
 軍師が言った。
「将軍の傷も心配である。明日まで様子を見、将軍の容体の安定を確認した後だ。各々、よろしいかな」
「お、応ッ」

■退陣
 翌日、である。
「インカム」
 ヴォジクの陣形を眺めていたソルトムーンが、振り返ってインカムに声をかけた。
「敵陣の様子が変だ」
「なに?」
 不審げな表情のインカムが、ソルトムーンのすぐ脇に立つ。
「見てみろ」
「ふむ」
 インカムが目を凝らす。戦塵の中に身を晒した者だけが感じ得る兵気とでも言うべきであろうか、ヴォジクの陣の雰囲気が昨日とは何か違って感じられる。
「何だと思う?」
「判らん」
「俺もだ」
 自慢の口髭を捻りつつ、ソルトムーンが続けた。
「しかしな、何か…殺気が…削がれたような気がする。陣中で何かあったのかも知れん」
「ソイウィルの擬態とも考えられる」
 インカムが慎重な口振りで言う。
「それも有り得るな。しかし」
「うむ」
「奴らは、何かしら動きを見せるに違いない。その機を逃してはならん」
「その通りだ」
 インカムが敵陣を睨みつける。
「抜かり無くな」
「おう」

「動いた!」
 タファンが叫んだ。ヴォジクの兵が、一斉に西に向かって退き始めたのだ。
「出ます!」
 後方のヘクトールの陣に向かってそう叫びつつ、タファンが天に向かって槍を突き上げる。
「行くぞ! 辺境軍の骨の硬さを思い知らせてやるんだッ!」
 おぉーっという喚声が上がり、タファン率いる歩兵部隊が動き出す。
「レンセルとムベムバは間に合わなかったな。さぞや悔しがるだろう」
 陣中に床几を据え、タファン隊の進軍をじっと眺めていたヘクトールがぽつりと言い、立ち上がった。
「進軍だ! ソイウィルの軍から離されるな! 敵陣が崩れたら一斉にかかれッ!」
 先代クィヒリ愛用の槍で前方を指し示す。
「ヘクトール様、馬を」
 ギンヌワの遺児である少年が、ヘクトールの愛馬を引き出して来る。
「うむ」
 ヘクトールが具足の革紐を確かめ、首にかけたツヌヴァラヴァの守り袋をぎゅっと握り締めると、配下の兵を励ますべく声をかける。
「もはやヴォジクに奇策無しッ! 恐れるなッ!」

「出よッ!」
 ククルカンの号令一下、王軍、烈風会の諸将も一斉に出撃してゆく。
「我にニヂウの鍛えたる“竜炎”ありッ! 一番槍は“不敗の”インカムがいただくッ!」
 そう言って馬に鞭をくれるインカムを横目に、槍斧“紫雷”を構えたソルトムーンも声を上げる。
「ソイウィルの軍を叩き潰すぞッ! 赤旗とともに進めーッ!」
 ソルトムーン隊に加わっている“迅雷の白”エスカイも、その声とともに馬を乗り出す。
(一人でも多く殺してやる…それがヴラスウルへの恩返しだ…)
 エスカイの騎乗した馬が、戦場の興奮に浮かされたように一声嘶いた。
(この戦が済めば…俺は…ジュッタンリとして生きる…)
「行くぞッ!」
 そう叫ぶと、エスカイが猛烈な速度で馬を駆け出させた。
「遅れるな!」
 騎馬隊と比べると速度でどうしても劣る歩兵を率いるオビュハラも、果敢に駆け出した。
 後詰を務める総督ククルカンが、配下の部将を呼び寄せ、耳打ちする。
「よいか、この戦では何があってもヘクトール卿に死なれてはならぬ。卿をお守りせよ」
「はっ!」

「動いたのかッ!」
 レンセルとムベムバが「ヴォジク兵退く」の報に触れたのはジュッタロッタ城よりわずかに上流のネタニ川の川原であった。
「間に合うのか!?」
 レンセルが舌打ちする。
「判らんが、急ぐしかない」
 ムベムバが答える。
「川原を行こう。ヴォジク兵は必ず川に向かい、水兵と合流する。そこを撃つしかない」
「よしッ」
 レンセルが、カガト家伝来の名槍“グレイバル”を掻い込み、配下の兵に向かって大声で叫んだ。
「足を止めるなッ! 一気に距離を詰めるぞッ!」
 駆け出すレンセルの騎兵隊を追うように、ムベムバ預かる弓兵も動き出す。
「いつでも遠矢を撃てるようにしておけッ! 我らにフウブウの加護あり! 届くと見たら遠慮せず撃ちこむのだッ、判ったかッ!」
 フウブウ神の護符を握りしめた拳を突き上げ、ムベムバが叫んだ。
「おうッ!」
「行くぞッ!」

[ヴォジク正規軍]
●総指揮:将軍ソイウィル(負傷により指揮不能)
[ヴォジク王軍]
第1騎兵部隊 指揮:ソイウィル(負傷により指揮不能)
第2騎兵部隊
第1歩兵(水兵)部隊
第2歩兵(水兵)部隊
第1弓兵部隊
第2弓兵部隊
第3弓兵部隊(1/2)

[ヴラスウル正規軍]
●城内 総指揮:衛士長ダッシャア
[ヴラスウル近衛軍](ケセラ指揮下)
第1象兵部隊 指揮:ケセラ
第2象兵部隊
[ヴラスウル王軍](ダッシャア指揮下)
第1象兵部隊
第1騎兵部隊
第1歩兵部隊
[同護民兵]
護民兵部隊(1/2) 指揮:フルハラング
●城外 総指揮:王軍総督ククルカン
[ヴラスウル王軍](ククルカン指揮下)
第1象兵部隊 指揮:ククルカン
第1騎兵部隊 指揮:ソルトムーン 騎兵としてエスカイが参加
第1歩兵部隊 指揮:オビュハラ
第1弓兵部隊(1/2)
[ヴラスウル辺境軍](ヘクトール・クトルトル指揮下)
第1歩兵部隊 指揮:ヘクトール・クトルトル
第1騎兵部隊 指揮:レンセル・カガト(別動中)
第1弓兵部隊 指揮:ムベムバ・グァル(別動中)
・イルイラムのまじない、エルクガリオンの祈祷の効果による修正あり

■挟撃
「退いたか!」
 城門の脇に建てられた櫓の上で、ケセラが叫んだ。
(撃って出るべきか?)
 自問自答してみるが、皮肉な事実がその解答を出す。
 城門の外側は、ケセラの指示によって掘り返され、そこに水を注いで泥沼同然にしてある。ケセラの率いる象兵では、そこに足を取られて進退もままならないことは明白であった。
「ちぃッ!」
 悔しげに、ケセラが唇を噛む。
「防備、怠るな!」
 城壁の下で、フルハラングが怒鳴っている。再び城外に目をやったケセラが見たのは、挟撃されるヴォジク兵の姿であった。
「何だ!? あの兵は」
 ケセラが目を見張る。追いかけていたのは我がヴラスウル軍である。では、ヴォジク兵の退路を断つがごとく、川沿いの森から湧くようにに現れた兵たちは、一体どこのものなのであろう。

 ひそかにネタニ川を渡って南岸に上陸し、前夜の内に筏を守っていたわずかなヴォジク兵を河中に追い落していたのは、赤い仮面の騎士に率いられた歩兵一千であった。
 その赤い仮面の騎士が、後ろを振り返るともう一人の仮面の騎士に声をかける。
「来るぞ、カジフ! ヴォジクの本隊だ!」
「カジフは止めろ、今は副隊長だ」
「そうだったな」
 仮面の男が言い直す。
「では、行くぞ。副隊長!」
「おぅッ!」

 突如、であった。まっすぐに河原に向かっていたヴォジク兵の前に、森から駆け出た所属不明の歩兵たちが立ち塞がる。
「挟み撃ちだッ!」
「謀られたッ!」
 兵たちの間から、悲鳴のような叫び声が上がる。
「どこの軍だッ!」
 混乱する兵士を鎮めつつ、部将たちが叫ぶ。その間に、所属不明の歩兵たちが一気に距離を詰め、乱戦が始まった。
「“盲信の”カフカ、参るぞッ!」
 投げ刃をかざした仮面の騎士が、馬に鞭をくれ、一線にヴォジク兵たちに駆け向かう。彼を守るように、赤衣を着た仮面の男が朱槍を振り回しつつ従う。
「ソイウィルッ! ソイウィル・ハトラッ! どこだッ!」
 カフカと名乗った男が怒号した。

「突っ込めッ!」
 インカム、ソルトムーンらの騎兵部隊が、急に速度の落ちたヴォジク兵を捕捉すると突撃を敢行した。
「雑魚め、どけぃッ!」
「ソイウィル、一騎打ちを所望!」
 タファン、オビュハラの歩兵部隊もそれに続く。指揮官が倒れ、どうしようもないほどに士気の落ちたヴォジク兵は、あっという間に潰乱した。ヴラスウル軍の一方的な殺戮戦であった。
「将軍をお落としせよッ!」
 老軍師が、悲痛な声で怒鳴る。輿に乗せられたソイウィルがわずかな兵に守られて川岸を目指す。
「ぬぅッ…必ず、必ず戻って来る…我が父の地…セモネンドよッ! 我が祖神…バサンの名に賭けて…誓う、…誓うぞッ!」
 輿の上で、身動きもままならないソイウィルが、血を吐くような思いで呟く。
「防げッ! 防げぇーッ!!」
 軍師が声を枯らして防戦に務めるが、兵たちは次々に現れるヴラスウル軍の新手に討ち取られてゆく。
「名ある将と見たッ! この“紫雷将”ソルトムーンと槍を交えよッ!」
 そう言って、ソルトムーンが老軍師に馬を寄せる。
「ちッ!」
 老軍師が馬首を巡らし、輿を追って川岸に向かおうとする。
「その老い首、惜しいかッ! さても勘定高きヴォジクの商人兵よ! 皆、笑え、笑ってやれぃッ!」
 ソルトムーン配下の兵がどっと囃す。
「ぬぅぅッ!」
 我慢ならぬといった形相で、軍師が手綱を引く。
「将軍、ご無事でッ!」
 ソイウィルの輿に向かってそう言い残すと、軍師はソルトムーンと槍を交えるべく、再び馬首を巡らした。
「お主こそ、“肥溜めの蓋”(※4)とは面白き名乗りよッ! ラノートも鼻を曲げようわいッ!」
 突きかかる軍師の槍が、ソルトムーンの槍斧に跳ね飛ばされる。間髪を入れず、空中で一回転した槍斧が、軍師の肩口に叩き込まれる。
「ぐぅぁっ!!」
 絶叫が上がり、軍師が落馬する。
「追えッ! あの輿だッ!」
 ソルトムーンが、まだ軍師の血がしたたり落ちる槍斧を突き出し、兵たちを率いて再び駆け出した。

「どこの兵だ!?」
 後方で戦況把握に務めていたククルカンのもとには、所属不明の歩兵部隊がヴォジク軍の退路を断ったという情報が飛び込んで来ていた。
「カヤクタナよりの援兵とのことにございます!」
「将の名は?」
「カシノー、と」
「聞かぬ名だ」
「そのカシノー殿より、これなる書状を預かっております」
「読んでみよ」
「では」
 伝令の騎兵が書状の封を切り、盲目のククルカンのためにその内容を読んで聞かせる。
「ユクレフ? ユクレフだと!? メルレスに拠るという、あのユクレフの手の者なのか!?」
 ククルカンが聞き直す。
「はっ、ユクレフ殿には、カヤクタナとヴラスウルに敵対せぬ証しとして、この度の援兵を行うものであるとか」
「……」
「カジフ・クトルトル殿の口添えもあってのこととも記してございます。また『裏で糸を引く“古の刃”には、くれぐれもご注意あらせられるよう、ご忠告申し上げる』とも」
「…メルレスのユクレフ…カジフ…か」
 ククルカンが一声唸った。

「カジフだな」
 馬上のヘクトールが、わずかに笑みを浮かべた。
「このたびの働き、苦労である、と伝えてくれ。女王陛下の御勘気が解けるよう、折りをみてこのヘクトールも奏上しよう、とな」
 伝令の騎兵が駆け出すと、ヘクトールも馬に鞭を当てる。
「我々も追うぞ! 降る者には構うな!」

■敗走
 殺戮の場と化したジュッタロッタ城西“桑の原”を逃れることができたヴォジク兵は、ほんの一握りであった。暗殺者の刃によって傷つき、輿に乗せられて戦場を落ち延びたソイウィルも、運良く残っていた筏に運び込まれ、ネタニ川を下っていた。
 その筏の舳先で物見をしていた兵が歓声を上げた。
「ヴォジクの旗だ!」
「友軍だ!」
 下流から、流れを遡ってやってくる大筏には、確かにヴォジクとハンムーの二旒の旗が翻っている。
「おーいッ!」
 ソイウィルの兵が呼びかける。
「ソイウィル将軍の軍かあっ!」
「そうだあッ! 助けてくれえッ!」
 兵がそう叫んだ途端、大筏に乗っていた兵士たちが一斉に弓に矢をつがえ、狙いをソイウィルの筏に定めた。
「撃つなッ! 撃つなあッ! 友軍だッ、友軍だぞッ! ソイウィル将軍も乗っておられる!」
「それは好都合」
 大筏の上で、大槍を掴んで兵たちを指揮していた若い男が怒鳴り返した。
「ソイウィルに伝えよ。ラノートに代わって“骨の槍”セタヴが迎えに来たとな」
 “骨の槍”セタヴ・ラケイセア。わずか十五歳ではあるが、戦場で大槍を揮う彼の名は既に喧伝されて久しい。ハンムー、ヴォジクの混成軍が組織されてより、軍中にその名を知らぬ者はいないと言ってよい。
「ソ、ソイウィル将軍は、負傷され、退却されたのだッ! 頼む、撃つなッ!」
「負傷だと!」
 ソイウィルの筏がセタヴの命令によって川岸に着けられたのはそれから間もなくであった。
「ソイウィル」
 横たえられたソイウィルに、セタヴが声をかけた。傷口が破れ、輿の上で大出血を起こし、気を失ったソイウィルの目は閉ざされたままである。
「一軍の兵権を恣(ほしいまま)にして私欲を果たさんとする事、誠に許しがたい…が」
 セタヴが言葉を切る。
「このセタヴ、傷ついた者にさらに刃を加えるような真似はできぬ」
 セタヴが、配下の兵たちのほうを振り返る。
「ソイウィルを収容しろ。傷に響かぬようにな」
「はっ」
「戻るぞ」
「はっ」

■腥風
「ひどいもんだ」
 戦は終わった。王城ジュッタロッタは──ヴラスウルは、守られた。ヴォジク兵の半ば近くは死傷し、残った者たちも逃げ散るか降伏した。残されたものは、“桑の原”に散らばる両軍兵士の屍体であった。
 その“桑の原”に、武具師ンパラナの姿があった。。
 結局のところ、戦らしい戦は一日で終わってしまい、彼女が心配したような武具の不足は起こらなかったのであるが、戦場の様子が気になって、こうして歩いていた。
「因果な商売だよ。武具師ってのも」
 散切れ飛んだのであろう、革製の垂れを拾い上げながら、ンパラナが呟いた。
「戦が起こったら…あたいたちは逃げるわけにはいかねぇ。あたいらは、武具が必要な場所にいなくちゃならないんだ」
 乾期の、本来ならば気持ちが良いはずの風が野を渡ってゆく。しかしその風は、腐臭を含み、ジュッタロッタに吹いてゆく。
「でも、それがあたいらの戦いだ…。あたいらが良い武具を作れば、それだけ命が助かるんだよ」
 そう言うと、ンパラナはしばしその場に佇んでいた。
「いいかい、覚えておくんだ」
 ンパラナが振り返る。ミトゥン神殿で出会い、ンパラナの弟子となった一人の孤児が、そこにいた。
「この惨たらしい様子を、決して忘れちゃいけねぇよ。仕事のたびに、思い出すんだ。判ったかい?」

※1 ミリ神の娘である二枚貝の神ビャラカグネが、人間の娘に「一人前の女になった」と認めた印として与える祝福が初潮であるといわれている。
※2 スカーフや腰布のような、身に巻きつける衣類の一種。
※3 ミカニカ女王は、後世の歴史家によって「奸智に長けた策謀の人」とされるが、その説はこの事件を最大の根拠とする。
※4 ご存知カナン語「ソルトムーン」の日本語訳。

○マスターより
 清吉です。紆余曲折がありましたが、こうしてACG2が終わることとなりました。最後の最後に来て、派手な(しかし一方的な)戦争の様子を書くことになりましたが、いかがだったでしょう?
 ところで、今回はわざとこの戦争の論功行賞を省きました。「最終回」を「総決算」にしないために。色々と御意見はあるかと思いますが、プレイヤーの皆さんの、それからマスターである清吉の手を離れた後も、キャラクターたちの人生は続くはずですから。彼の、彼女の「今後」を尊重する意味でも、ここで「ケリ」を付けてしまうのにはちょっと抵抗があるのです。これから、キャラクターたちがどういう未来を歩んで行くのか、それはキャラクターたちに任せましょう。我々が見守れるのはここまでなのです。
 それぞれのキャラクターに清吉が伝えたいことは、だいたいリアクションの中に描写するという形で伝えたつもりでいます。が、せっかくですのでここで最後に一言づつ。
●ンパラナさん。というわけで弟子ができました。“朱の気吹”の名を継げるように、鍛えてやってください。
●ソルトムーンさん。戦闘力の合計が最大だったので、特に派手に一騎討ちをしてもらいました。
●ヘクトールさん。大族の宗主というのは苦労が絶えないと思います。早いとこ身を固めてください。
●レンセルさん。今回はちょっと出遅れることになりましたが、戦闘に加わってはいます。さぞやその槍の冴えを見せたことでしょう。
●セタヴさん。「義」というのは様々な形があるでしょうね。敗れたソイウィルさんを救ってやるのも「義」であると思います。
●エスカイさん。戦が終わりました。ジュッタンリたちとの暮らしが始まりますね。
●フルハラングさん。あの後どうなったんでしょうね?
●タファンさん。さて、次はツァヴァルさんなんですが…難敵かも知れませんよ。
●インカムさん。忠義の人でしたね。ところで「烈風会」ってフウブウ様と何か関わりがあるんですか?
●イルイラムさん。呪人たちを率いることになりました。闇も退きましたし、イーバに戻りますか?
●シノーさん。メルレスとパイプがあったとは…。カジフさんを支えてやってください。大望のある身でしょうから。
●エルクガリオンさん。川のそばでこれだけの大流血をしてヘズベス様の機嫌を損ねずに済んだのは、祈祷があったればこそでしょう。
●ケセラさん。ヴラスウルのこれからを考えると…あまりに複雑な立場ですね。まだ苦労もあるかと思いますが、頑張ってください。
●カジフさん。あなたもです。堂々と帰参できるようになってください。ヘクトールさんも心配しておられます。
●ソイウィルさん。最後に来てヴラスウルは非常に面白くなりました。まさかそういう伏線とは思いませんでしたよ。
●ククルカンさん。総督の重職、御苦労様でした。次の総督も育てておかないとならないですね。
●ムベムバさん。わずかに出遅れましたが、レンセルさんと同様戦場には間に合っています。この戦功で野伏将軍の誕生でしょう。
●オビュハラさん。戦が終わりました。心おきなく南方開拓地で農業に励んでください。
●フーシャさん。今回は使用神カードが強力でした。これではヴォジク軍もなすすべがありません。
●ジャヌァラさん。数値上は暗殺に成功していますが、ソイウィルさんには神の介入があったため、このような結果になりました。

 それでは、また次の機会に。


○マスターより(追加)
 最終回が遅れに遅れてしまいました。もはやお詫びの言葉もありません。ゲムルの活動が凍結状態ですので、とりあえず伊豆平成一号マスターと清吉が、それぞれの担当リアクションを発送します。本当に、お待たせして申し訳ありません。
 今後ゲムルがどうなるか、一介の雇われマスターに過ぎない清吉にはちょっと予想がつきません。また改めて『ゲムレ+』の最終号をお送りできるかも知れませんが、その時期も未定です。何とぞ御容赦の程を。
 しかし、こうして自分の分だけでもお届けできてほっとしています。この6月から、清吉は他社の新しいPBMにマスターとして参加しますが、どうしてもその前に形にしておきたかったもので。
 では、これでお別れです。皆々さまに多謝いたします。どうも、おつかれさま。

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