第10回 C-0 C-1 ヴラスウル全域 ジュッタロッタ


■イーバ滝
 スンデレ(※1)らしい大柄な男が、ぶつぶつと何事か呟きながら大斧を振るっている。斧の分厚い刃が幹に食い込む度に、木の皮がちぎれ飛び、よく通る音が森にこだまする。
「わしが……わしが、終生三人のことを語り続けていきますぞ!」
     *      *
 数日後。男の苦心の甲斐有って、滝のほとりに小さなグヒン(※2)ができあがった。
「……ぬう」
 グヒンの中では、どすんとカンダリ座り(※3)をしたロディヌンが、刀子を片手に木片と格闘している。
「うまくゆかぬものよ」
 木屑に膝まで埋もれながら、言う。決してロディヌンは手先が器用なほうでは無い。一抱えもあるような材木を刻み始めたのであるが、いつのまにやら拳ほどの大きさになってしまった。
「これではいかぬ。次の材木を切り出して参ろう」
     *      *
 さらに数日後。
「まぁ……きりもないからな。これでよしとしようぞ」
 そう自分に言い聞かせたロディヌンの目の前には、辛うじて人の形と判る三体の木彫りの像が置かれている。大きな二つの像は、狂王クルグランに挑んだティカス、キカァウのグァティエン兄弟、そして、残る小さな一つはナッフ少年のつもりである。
 ロディヌンが咳払いをする。
「……ともかく、」
 そう言って、懐を探ると一かけらの石ころを取り出す。
「これは最後の神の……ナッフ殿であった巨人の残骸。これと、キカァウ殿の槍、ティカス殿の剣と共にお祀りしよう。グヒナンヂとして、このロディヌンが廟をお守り致す。安らかに眠られよ」

■ジュグラ
『帰って来たら……話したいことがあるんだ』
 タファンはそう言い残し、戦場となっているのであろうジュッタロッタへと赴いた。タファンだけではない。里の男たちの中にも、辺境諸侯の旗頭であるクトルトル家当主ヘクトールの陣触れに応じて都へ向かった者が少なくない。
 この国を、暮らしを守る。しかしそれは戦場に向かった男たちが雄々しく戦うということだけではない。里に残った者たちにも、せねばならない仕事は山と積まれている。そう、それこそ嫌と言うほどにだ。
「井戸のほうはどう?」
 隣の里から帰って来たツァヴァルが、里の女たちに声をかける。
「ああ。大丈夫だよ。あんたが出かけてる間に水も入れ替えたしね」
「男衆がいなくても、あたしらだけで充分だよ。ヴラスウル女の腕っぷしってやつさね」
 そう言って中年女が笑い合う。
「ところで、ツァヴァル」
 笑っていた中年女が言う。
「あなた、タファンのことどう思ってんだい?」
「え、ええ?」
 急に向けられた話に、ツァヴァルが目を白黒させる。
「あんたに気があるってのは、脇で見てりゃ判るさ。ありゃいい若い衆だよ。祝言とか、考えちゃいないのかい?」
「わ、私は」
 あははは、と中年女たちが笑い声をあげる。
「ま、いいさね。タファンが帰って来たら、ゆっくり話をしてみるんだね」

■セイロ
 いかに南方とはいえ、セイロの街も夜更けともなれば相当に冷え込む。
 その闇の中、ばしゃっという水音。
 当主をはじめ、クトルトル家の主だった者たちは、辺境軍の部将として、その所領から徴募した兵たちを率い、都へ向かっていた。そして首邑セイロの留守を預かるという大役を委ねられたのは、“瑞穂の娘”シュレイであった。当主ヘクトールの欠けがえのない腹心であるとはいえ、わずかに十七歳の彼女にとって、この大きな街をとりまとめるということは、あまりに大任であった。
 そして彼女にはもう一つ、やらねばならない大切な仕事があった。
 再び、水音。
 クトルトル屋敷の裏の井戸。月の女神ア・ンザの降らせる白きたおやけき光が、上衣を脱いだシュレイの姿を照らし出していた。解いた髪から、ぽたりぽたりと雫が地面に落ちる。
「当主様……ヘクトール様をお守りください……神様」
 シュレイの手が、井戸水を汲んだ桶に伸びる。
 ざばり。
「神様!」
 冷たい水がシュレイの肌を流れ落ちる。
《……心配いらぬ……娘よ》
「え?」
《……青衣の兵どもに……もはや戦う力は無い……河を下ることすら……おぼつかぬであろうよ……》
「それは……?」
《……安心せよと言うておる……“ベクェイクトの嗣子”(※4)が……この程度の戦で命を落とすなど……ありえぬわい……》
「じゃ、ヘクトール様は、無事にお戻りになるんですね!」
《……左様……戻れば……労ってやるのだな……》
「!」
 シュレイが、脱ぎ捨てた上衣を掴み、思わず立ち上がる。
「私……!」

■南方開拓地
「馬鹿にしている!!」
 人当たりの良いメ・ブが、珍しく声を荒げた。
「大事な馬たちをこんなところで育てろと、本気で言っておられるのか!」
 メ・ブの怒声にルナがびくっと震える。それに構わずメ・ブが続ける。
「設備が良くないことは覚悟していたが、あまりに酷過ぎる。こんな枯れ草など飼料になりはしない!」
 メ・ブが枯れたギュルニの株を引き抜き、地面に叩きつけた。
「ルナさん、あなたは私より出仕の時期も早い。王臣として、言わば先輩だが、敢えて苦言を申し上げる。あなたは思い付きだけで私を呼ばれたのか?」
 ルナは無言である。
「私がハンムーで買い付けて来たのは、実戦にこそ出ていないものの、コルモロックで鍛えられた選りすぐりの名馬たち、このカナンのどこに出しても恥ずかしくない駿足揃いだ。それを……柵もろくに無い、石ころだらけの馬場で飼おうなどと……。第一、こんな辺鄙な場所では良質の飼い葉すら手に入らない。良馬を育てるためには、しかるべき飼料を与えねば。そこらに生えてる雑草を刈り取ってくれば良いというものではないのです! 私は……私は、馬たちに許しを請わねばならない! このようなことなら再開されたコルモロックで走り回っていたほうがはるかに幸せだったろうに!」
「だ……、大丈夫だと……思って……。それに、期間も……一月しか無かったんです……」」
 ルナがようやくそれだけ口にした。
「大丈夫ですって!」
 再び大声をあげかけたメ・ブが、ふぅ、と溜め息を吐き、首を力無く左右に振る。
「……やはり、私がヴラスウルに仕官したのは、バハシレ様のお導きだったようですね。私が司厩官として面倒を見てやらなくては、この国の馬たちは不幸になるばかりだ……。ルナさん、今より後、馬たちのことは全て私に一任していただきたい。よろしいかな?」
 すっかりしょげた様子のルナが、がっくりとうなずく。
「…ルナさん」
 メ・ブが慰めるような調子で、言葉を継いだ。
「厳しいことを言ったかも知れません。けれども、私は信じている。あなたの建てた計画が、このヴラスウルを救うことを。でなければ、女王陛下もお許しになるはずはありません。あなたは…まだお若い」
 ルナが、顔を上げる。
「一度や二度のつまずきは、いつでも取り返せます。そうではありませんか? 開拓民たちは、みなあなたを頼りにしています。あなたは、彼らの期待…そして陛下の御期待に応えねばなりません。落ち込んでいる暇など無いでしょう?」
「そうですね、メ・ブ。…ありがとう」
「いえ」
「大丈夫です。大丈夫」
 ごしごし、と目のあたりを袖で拭ったルナが、広大な荒れ地を眺めやる。
「…仕事を、続けます」
「ええ」

■ジュッタロッタ・色街
 戦らしい戦は、まだ起こっていない。が、色街にはさすがに普段の賑わいはなくなっていた。それでも客はいる。家に居場所の無い余程の暇人か、目当ての妓女の顔を一目でも見ないと心安く眠れないという色好みか。今、この通りをうろついているのはおおかたそういう人種であった。
 そんな通りの一角。賭博場にその男の姿があった。
「なんだなんだ! おい、これぐらいの戦に怖じ気づいてやがんのか? それでもヴラスウルの男かよ! えぇ!?」
 片腕の男が、使用人以外に人影の無い賭博場の中で毒づく。
「まぁ、仕方が無いさ。チアジ、あんたみたいに戦になったところで何も無くすものが無いって奴ばかりじゃないんだ」
「そうは言ってもよ、」
 チアジが声を掛けて来た店主に振り返る。
「誰も来ねぇってのは、どういうこったい? じゃあおやじさんよ、あんたでいいや。この戦、どっちが勝つか賭けようじゃねぇか」
 店主がかぶりを振る。
「賭けにはならんよ。聞いたところじゃ、バーブック様が殺されたそうだ。王様が死んじまった兵隊が強かったためしがあるかい?」
「……ま、それもそうだな……」
 酒を満たした盃を傾けながら、チアジがぶつぶつと呟く。
「さ、チアジよ。それを飲んだら帰ってくれ。あんたの肝っ玉の太さは、このおれが確かに見届けたんだ。戦が終わったら、せいぜい言いふらしてやるさ」

■夜の王宮・寝室
「ここか……」
 男が、静かに扉を開いた。その足下には不寝番の衛士が倒れている。
 寝台の上。物音に気づいたのか、小さな人影が身を起こす気配であった。
「静かに」
 低い、殺気を含んだ声で、男が制した。
「我が兄セセラギではなく、このヒバナ自身の口上として申し上げる。女王陛下には、クンカァンと結ばれる気はおありか?」
 寝台の上の小さな人影は、反応を見せない。
「もう一度お伺いしよう。クンカァンに従われる気は、おありか?」
 初めて、人影が口を開いた。
「正気ですか」
 ヒバナが鼻白む。
「正気か……だと?」
「今のクンカァンに、このヴラスウルを従わせる力があるのですか。自国の存続すら危ういクンカァンが、どうして我らを従わせられます?」
「……」
「カヤクタナの温情で、生き長らえさせてもらったというのが、判らないのですか。そなたの兄…ウラナング執政セセラギは切れる男だと聞いていましたが、弟御ともなると随分質が落ちるようですね」
「何を……!」
「衛士、衛士!」
 寝台の上の少女が、突然叫んだ。
「ちッ!」
 ヒバナが身を翻し、部屋を駆け出る。
「……ふぅ」
 少女が、大きく息を吐き、奥の扉に向かって声をかけた。
「陛下、陛下? もう大丈夫です」
 扉が開き、寝間着をまとったミカニカが、侍女に付き添われて姿を現した。心なしか、いつもより表情が明るく見える。
「苦労でした。マウカリカ。あなたの予想が当たりましたね」
「ええ。私には…これぐらいしかできないし…。でも、……本当は凄く怖かったんです」
 気丈とはいえ、マウカリカもわずか十五歳の少女に過ぎない。気が緩むと、その両目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「ありがとう、ありがとう。マウカリカ。私は、あなたのような族姉を持ったとことを嬉しく思います。これからも……私を守って、支えてください」

■重臣の屋敷
「お帰り下され。陛下の御堪気はまだ解けたわけではございませぬぞ」
 アイシャに対する重臣たちの対応は、冷たいものであった。確かに彼女の訪問は、彼らにしてみれば迷惑以外の何物でもなかっただろう。籠城戦の準備の最中である。男も女も、戦える者は戎衣をまとい、甲冑を身につけている。
 ヴラスウルという国の地力は決して大きいものではない。ゆえにファトレオ王、メグーサイ王の二代の間は、国外に兵を動かすということにひどく慎重であった。が、一たび国を守るということになれば、皆がまとまり得る要因は充分にある。セモネンド時代から今日に至るまで、不毛の荒れ地を耕し、深い森を拓いて国を作ってきたのは自分たちだという自負。特に、重臣たちの多くはセモネンド建国以来、長年にわたって開拓を指導してきた入植者たちの子孫という家柄である。自らの切り拓いた国をむざむざ失ってなるものか、という思いがある。
 そして開拓者の荒々しい気質も、決して失われているわけではない。自分の土地を守れない者は、臆病者として罵られ、嘲られる。戦場での勇猛さや潔さには非常にうるさい。この時期、たとえ僅かであろうともかき集めた郎党たちを率い、いつでも出陣できる状態にしておかなければ、不覚悟、怠慢と、何を言われるか判ったものではないのだ。
「アイシャ殿」
 怒り狂うカンダリの姿を彫った青銅の籠手の皮紐を結わえながら、髭の重臣が言う。
「陛下を都からお落としするとは、我が軍が敗れるということか?」
「……いや」
 アイシャが口ごもる。籠手を着け終えた重臣が、自慢の髭をしごきつつ続ける。
「慎まれよ。そのようなことを言っておる暇があるならば、ご自身、甲冑を着けられい」
「……」
「貴女は以前より武術を修められたと聞いているが、ならばこの国を守るため、戦われてはいかがか。その働き、腕の冴えが陛下の御目に留まれば、お許しがいただけるかも知れぬ」
 しばしの沈黙の後、アイシャが口を開いた。
「……承知した。…陣の端に加えていただく」
「うむ、それでこそアイシャ殿。喜んでお迎えしよう。さ、まずは戦支度を整えられよ。おい、アイシャ殿を奥の小部屋へお通しせよ!」
 従者に導かれ、アイシャが重臣邸の廊下を歩んでゆく。
(陛下…私も…貴方を…お守りする…いつまでも…どこまでも…。…貴方を…失いたくない…)

■衛士長の執務室
「間者の知らせをお伝えする」
 アッカーン、キュイ、そして長老ランハドゥを前にしてダッシャアが書状を読み上げる。
「バーブック王の崩御。これはまず間違いの無いものと存ずる。ヴォジク及びハンムーはこれにより大きく動揺することは必定。敵将ソイウィルが、我がヴラスウルにとどまればとどまるほど、彼の立場は微妙となろう。彼が正気であるのならば、おそらく兵を退く」
 ランハドゥが頷く。
「ダッシャア。苦労である」
「とすると」
 キュイが難しげな顔をする。
「先に申し上げました流言飛語の案ですが、修正が必要ですね。バーブック王が死んだとなると」
 顎を撫でながら、ランハドゥが言う。
「いかにソイウィルがヴォジク随一の将軍とはいえ、さすがにこれを知った兵どもを抑えきることはできまい。我らがいちいち噂を振り撒かずとも、勝手に広まるであろうしな」
「念のため、今晩にも敵陣に間者を入れる所存」
「ほ。手固いの、ダッシャア」
「……故摂政殿下ならば、必ずやそうなされたかと存ずる。敵陣の動揺を見て、城外のククルカン殿の軍、ヘクトール殿の軍、インカム殿の手勢と挟撃すれば、戦の行く末は自ずと明らか。ともあれ、自分が戦場に立つようなことが無ければ、我が軍の勝ちにござろう」
「ふむ。今は巧遅より拙速よな。各部署に連絡を急げ」
「は」
「よろしいですか、長老?」
 アッカーンが発言する。
「赤の商館の周囲を調べましたが、どうも商人たちにはかえってこの事態に混乱している様子が見られます。城外と連絡しているような気配はありません」
「やはりか……。籠城となれば商館の商人たちは我らの人質も同然。監視されていることは承知しておろうが……」
「とりあえず、我が手の者……“紅の乙女”に、固めさせておきます」
「お任せする」
 ダッシャアが短く言った。
「ダッシャア」
 ランハドゥが話題を変える。
「ヒバナの逃亡の件……。おぬしら衛士の落ち度であるぞ」
「まこと左様。反省つかまつる」
「マウカリカの用心のおかげで事無く済んだものの、一つ間違えておれば、恐れながら陛下のお命にも関わりかねぬ。このような時期でもある。警備をより厳重にな」
「……は」
 頭を上げたダッシャアが、言う。
「ここで、長老に申し上げたい。いかに陛下直々の仰せとはいえ、衛士長の職、この身には重荷に存ずる。この戦が終わり次第」
「ならぬ」
 ダッシャアの言葉を遮ったランハドゥが、ちらり、とアッカーンとキュイに目をやる。
「ダッシャア。確かにおぬしには内向きの仕事は合わぬかも知れぬ。しかしな、摂政が没してより後、陛下の心を安んじられる武人は、おぬししかおらぬのだ。いずれは、おぬしの荷も軽くなる時が来る。わしのような老骨の時代は終わろうが、やがて若い王臣が、おぬしの負うたものを代わりに負うようになろう」
「は」
 ダッシャア、そしてアッカーン、キュイが長老の言葉に頭を下げた。
「わしは…この戦が終われば所領に戻るつもりでおる。我が老父母のこともあるゆえな。わしが去った後、ヴラスウルの舵取りを…くれぐれも、頼む」
 そう言うと、ランハドゥがしばし目を閉じる。シクの乱以来、ランハドゥが見てきたのはヴラスウルという国が生まれ、そして歩み始める姿そのものであったと言えるだろう。一度は致仕したヴラスウルの王宮に再びその身を運ぶこととなったのは、まだその歩みが拙いがゆえに、ランハドゥに手を引かせようというスキロイル家の祖神の計らいであったかも知れない。

■孤児院
「ルヴァーニさん…」
 ミニャムが、声をかけた。ここ、ルヴァナの別邸には、焼け出された孤児たちが引き取られている。数人の使用人たちはいるものの、もし万が一、ヴォジク軍が城内に乱入するようなことがあれば、彼女ら二人でこの孤児たちを守らねばならないかも知れない。
「…大丈夫かな?」
「判らない」
 ぽつりと、ルヴァーニが言った。
「判らないが、守らなくてはならない。それだけは、はっきりしている」
「…うん」
 自分の弓矢は、生きるために覚えたはず。その弓矢で、まさか人を射らなくてはならない時が来るなんて。そう思うと、頭の奥のほうがひどく重く感じられる。
 切れ切れに聞こえる、遠くからの喚声。
 びくっとして、ミニャムが顔を上げる。
「ルヴァーニさん、あれ…」
「む。始まったな」
 ルヴァーニがこくりとうなずき、唇を噛む。ぎゅっ、とその腰に吊るした短刀の柄を握り締める。
「ハーデヴァさん、大丈夫かな?」
「大丈夫さ」
 孤児たちと共に暮らした仲間の一人、ハーデヴァは、「ンニンリを頼む」と言い残し、武器をとって城門の警備に加わっている。ルヴァーニ門下の剣士たちも、ある者は志願して王軍に加わり、またある者は自警団に身を投じてこの都を守ろうとしている。
 守るための戦い。守るために人を傷つけ、人を殺す。守るためだと判っていても、やはりミニャムの心は晴れない。
 功名のために、戦場を駆ける武人たちがいる。どうしてそんなことができるんだろう。狩人の娘として育てられたミニャムには、それが疑問でならない。

■宮門前
「何よー! 入れてくれったっていいじゃない! もう!」
 宮門の前。衛士に追い返されたシュリが、手製のベナハン(※5)を振り回しつつ毒づいている。いざ開戦ともなれば警備も混乱しているかと思ったのだが、王宮を守る衛士たちの数はいつもより多いくらいであった。何とか王宮内に潜り込めるところが無いかと門外をうろついてみたが、巡視の衛士たちにうさん臭げな目で睨まれるだけで、通用門の一つとして手薄な場所はありはしなかった。
「うわ!」
 突然、そのシュリの肩を何者かが掴んだ。
『じっとしておれ』
 その何かが、奇妙に甲高い声で言った。
「え! え!?」
 両の肩をがしりと掴まれたシュリの身体が、ばさりという羽ばたきの音ともに宙に浮いた。
『暴れるでないぞ。落ちて死にたくなければな』
 衛士たちがぽかんと見上げる中、羽を持つ何かはシュリをぶら下げたままぐんぐんと高度を上げて行く。
「も、もしかして」
 シュリが恐る恐る自分を掴み上げている何かを見上げる。
 鷲であった。今までに見たことも無いほどに大きく、立派な翼を持った鷲が、力強く羽ばたいている。
「バサン……バサン様!?」
『暴れるでないと言っておろうが』
 やがてシュリを連れたバサンは、王宮の建物の中でも最も高い楼の上に舞いおりた。どさり、とシュリの身体がその塔の屋上に放り出される。バサンも翼を下ろし、その脇に舞い降りた。
「うっわー! すごーい! こんな高いの? あれがヴォジクの陣地で、あれが……」
 シュリが興奮しきった声で叫ぶ。
『見守ろうではないか。この戦を』
 大鷲の姿をしたバサンが、嘴を動かして言った。
『されど、あまり馬鹿騒ぎをするでないぞ。衛士どもはお主がわしに拐われたと思っておろう。ここに居ると判れば、捕らえにくるに違いない』
「うん」
 シュリが答え、神妙な面持ちで座り直す。
「バサン様、ナン豆、食べる?」
 シュリが思い出したように言い、懐から炒ったナン豆の包みを取り出した。
『おお。貰おう。では、礼と言ってはなんだが、我が眼力を特に授けよう。今だけではあるがな』
 途端、シュリの視界がひどく明るく、広くなった。バサンは広げた包みの上のナン豆を嘴でつっつく。
「見て! バサン様!」
 シュリが声をあげる。
 ヴォジクの陣からイデン(※6)の音が鳴り響いたと思うと、一斉に兵が動き出した。
「退いてく!」
 シュリの言うとおり、ヴォジク兵たちは包囲網の切れ目、つまり西を目掛けて動き出した。
『退くか……』
 バサンが顔を上げた。
「他の兵隊は動かない……、逃がすつもり?」
『兵の命が惜しいのだ。両軍ともな』
「あ、でも!」
 その時であった。川沿いに繁る森の陰から、別の軍勢が姿を現し、ヴォジク兵の退路を断ったのである。
「挟み撃ち!?」
『おお……』
 シュリとバサンが固唾を飲んで見守る中、両軍が衝突した。
「……?」
 戦については素人のシュリが見ても不審なほどに、ヴォジク軍の動きに精彩が無い。
「崩れる……!」
 そうシュリが叫び声を上げかけた時であった。
 すぐそばで、奇妙な泣き声がする。
 シュリがぎょっとして脇のバサンを振り返る。
 鷲が、泣いていた。無表情な鳥の瞳から、ボロボロと涙をこぼしながら。
『ソジの子よ……わが裔(すえ)よ……』
 バサンの嘴から、絞り出すような声。
『……見捨てようと思うた。……我ら神を裏切った者の血など……地上に残らずとも良い、とな……。されど……やはりわが裔はわが裔よ……。わしは、ソジの子を救うのではない。ハトラの裔を……わが血を引く裔を救うのだ……』
 そう苦しげに言うと、バサンが翼を広げる。
「バサン様!」
 シュリが引き止める間もなく、大きく羽ばたいたバサンが空中に身を乗り出す。
『豆は、うまかったぞ! “女モドキ”よ!』
 大鷲が滑空する。見る間に小さくなったその姿が、両軍の交戦する辺りで掻き消えた。
 はっと我に返ったシュリが、高楼の上に一人取り残された自分に気づく。
「バサン様! ちょっとー! わたし、ここからどうやって降りればいいのよー!」

■旧神殿街
 戦が、終わった。いつまで続くかは判らないが、ヴラスウルにとりあえずの平安が戻った。そしてその平安の訪れともに、シーッツア率いる工人たちの槌音が響き始めた。
「盛んなもんだな、シーッツア」
 若い工人の危なっかしい手付きを怒鳴りつけていたシーッツァの背中に、ハーデヴァが声をかけた。
「お、こりゃハーデヴァさん。ンニンリも一緒か」
「うん」
 いつの間にやら、ハーデヴァを兄のごとく慕うようになったンニンリがうなずく。
「大した人数だ。何人ぐらいだ?」
「当ててご覧なせえ」
「…そうだな」
 ハーデヴァが、ざっとあたりを見渡す。板を削り出す者、穴を掘る者、ある者たちはハーデヴァの聞いたことの無い訛りで、早口に何やら打ち合わせている。
「百に欠けるか欠けないかってところか」
「御名答」
 シーッツアが満足そうにうなずく。
「同門か何かか?」
「伝手がありやしてね」
 そう言って、シーッツアがふっと不機嫌そうな顔をする。
「ん? 何かまずいことでも言ったか?」
「いや、ハーデヴァさんのせいじゃねぇんだ。こっちの話で」
「ま、込み入った事情でもあるのなら聞かないでおくが」
「すいやせん」
 シーッツアが頭を下げる。
「ンニンリ」
 老工人のすぐそばに座り込んで、その鮮やかな手付きを覗き込んでいたンニンリに、ハーデヴァが呼びかける。
「行こうか」
 立ち上がったンニンリがうなずく。
「ミトゥン様の新しい神殿ができ上がったらまた寄らせてもらう。頑張ってくれ」
「へい。ミトゥン様とヘズベス様のは一番に建てる予定で」
 ハーデヴァたちが去ると、シーッツアが一つ大きな溜め息を吐き、一人ごちた。
「俺たちゃ、俺たちの仕事に命を賭けるべきだよなぁ。政治だ戦争だとかってのに近寄っちゃいけねぇよ。…連中にゃ悪いが、“物部”からは抜けさせて貰わなくちゃならねぇな…」
「シーッツア!」
 腕組みして考え込んでいた彼の耳に、怒鳴り声が飛び込んで来る。
「なんでぃ!?」
 シーッツアが反射的に叫び返す。
「ここの柱の仕上げはどうすんだ!? まさか白木の丸太ン棒立てとくわけにもいかねぇだろ!」
「ちょいと待ちやがれ! 今行くぜ!」
 雑念を振り払うように、一つ盛大に手鼻をかむと、シーッツアが駆け出す。その背中からは、頼り甲斐のある棟梁の貫禄がにじむようになっていた。

■ミトゥン仮神殿
 シーッツアたちの響かせる槌音と競うかのように、ここ仮神殿ではモンジャが大声を張り上げている。
『ミトゥン様の御加護でどんな人でも縁結びが!』
 そういう触れ込みで、男女の出会いの場としてこの仮神殿を開放したのだ。「城内の風紀に悪い影響がありませんでしょうか…」と気弱な心配をした神人は、「私はミトゥン様のお声を直々にお聞きしたのです!」と一喝し、黙らせた。もはやこの仮神殿内はミトゥン神の意思によりモンジャの秩序が支配する一つの小宇宙と言うべきであった。
 そしてモンジャの精励の甲斐あって、毎日毎日幾組もの男女がこの神殿で出会い、そして後日に結ばれるに至ったのである。
「ふぅー」
 ようやくその日の営業(?)を終えたモンジャが、疲れた身体をひきずるようにして仮神殿の奥の間に戻って来た。
 どさり、とその身体を寝台に投げ出す。
「空しい…」
 モンジャが呟いた。
「みんな…目の前でくっついてるのに…」
 しばらく、無言。そして突然、もそりとモンジャが起き上がった。
「なんで…私には…」
 モンジャの怒りは爆発寸前。
「男なんてぇ〜〜っ!」
 遠くで犬の声がした。

■王宮へ
 女王は、やや不機嫌である。ルヴァナの連れて来た孤児たちに通り一遍の言葉をかけ、先に退出させると、口を開いた。
「ルヴァナ」
「はい」
 神妙な面持ちで、ルヴァナが答える。
「私は…気の長い仕事になると言ったはずです」
「…はい」
「一ヶ月や二ヶ月で答えを出そうという話ではありません。十年、二十年先の話をしたつもりです」
「ですが陛下…」
「いいですか。ルヴァナ」
 厳しい目付きで、ルヴァナを正面から身据えたミカニカが言う。
「あの孤児たちをいきなり王宮に入れることが、本当に最善の策であるか、もう一度お考えなさい」
「……それは、私も心配しておりました。が、我がミュラー家が後見として」
「なるほど、あなたの見立てた子には確かに才能があるかも知れません。しかしその孤児たちは王宮での作法も何も知らない、庶人出身の者たちです。仮にいくらあなたの後ろ盾があったとしても、王宮の学問所で浮き上がることは目に見えています」
「…はい」
「だから、あなたの学問所を、時間をかけて『名門』と呼ばれるほどに育てて欲しいのです。あなたの学問所で出色と認められれば、貴族の子弟たちも一目置かねばならないような、そういう下地が欲しいのです」
「申し訳ありません」
 ルヴァナが頭を下げる。
「…頼みます、ルヴァナ。あなたの仕事は、ヴラスウルの礎となる仕事です。決して、私を嘆かせるような結果は出さないで下さい」
「はい。必ずや、陛下の御期待にお答えいたします」

※1 旅の放浪神人をいう。「ズンデレ」と濁ると乞食坊主・糞坊主といったニュアンスの罵り文句になる。
※2 ヴラスウル方言で死者を祀る廟のこと。「グヒナンヂ」は廟守りを指す。
※3 胡座をかくこと。ちなみに「テツバル立ち」と言えば仁王立ちのこと。
※4 クトルトル家の宗主が代々襲名する通称。陣触れなどには本名を署名せず、この名を用いる。
※5 薄い板や木の皮などを丸めてつくるメガホンのような拡声器。もとは軍用であったらしいが、コルモロックの応援など一般にも用いられている。
※6 ヴォジク軍が戦陣で用いる、大巻貝を加工したラッパ。法螺貝のようなもの。これを吹き鳴らすことによって水の神々の助力を得ることができると信じられている。

○マスターより
 清吉です。紆余曲折がありましたが、こうしてACG2が終わることとなりました。しかし、わざと「最終回」臭い終わり方は避けようと努力しました。色々と御意見はあるかと思いますが、プレイヤーの皆さんの、それからマスターである清吉の手を離れた後も、キャラクターたちの人生は続くはずですから。彼の、彼女の「今後」を尊重する意味でも、ここで「ケリ」を付けてしまうのにはちょっと抵抗があるのです。これから、キャラクターたちがどういう未来を歩んで行くのか、それはキャラクターたちに任せましょう。我々が見守れるのはここまでなのです。
 それぞれのキャラクターに清吉が伝えたいことは、だいたいリアクションの中に描写するという形で伝えたつもりでいます。が、せっかくですのでここで最後に一言づつ。
●キュイさん。隠遁生活から引っ張り出したのは迷惑だったですか?
●モンジャさん。これからは自分の幸せを探してください。
●シュレイさん。出世、なんでしょうかね? 当主様を大事にしてください。
●アイシャさん。女王陛下はノンケですわい。
●ハーデヴァさん。ンニンリを頼みます。
●マウカリカさん。数奇な運命と言うか何と言うか。これからも恋敵をお守りしてください。
●チアジさん。何か物凄いことに巻き込んでしまったようで。傷、お大事に。
●ルナさん。開拓地をお任せします。安寧なうちに立派な耕地に変えてください。
●ツァヴァルさん。タファンさんの思いは伝わっておりましたでしょうか?
●シーッツアさん。いやぁ、色々恰好良かったですね。滝壷に飛び込むとか。ヘズベス様もびっくり。
●アッカーンさん。摂政/執政の椅子、目指してください。故摂政も見守っています。
●ルヴァーニさん。ようやく道場再開ですね。剣の道を極めてください。
●ダッシャアさん。摂政没後は大忙しで。権力中枢にいるとなかなか無口ではおれませんな。
●シュリさん。こんなもん、でしょうか。バサン様は薄情ですね。身内には甘いくせに。
●ルヴァナさん。一族の屋台骨として期待されてます。ガンバレ。
●ミニャムさん。これから孤児たちの親代わりですね。忙しくなりそうです。
●ヒバナさん。クンカァンの立て直しには時間がかかりそうです。兄上を補佐して下さい。
●ロディヌンさん。グァティェン兄弟も浮かばれることでしょう。ナッフはまだこの世にいるらしいですが。
●メ・ブさん。「名馬の産地ヴラスウル」と謳われる日が来るのは、あなたの双肩にかかっております。
●ランハドゥさん。老骨に鞭打ち本当に御苦労様でした。ゆっくり隠居暮らしを楽しんでください。
 それでは、また次の機会に。

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