第10回 B-1 エレオロク


「長き戦の終わりに」


 さあさあ、寄っといで!
 昔々のお話しがはじまるよ!
 高貴で聡明な王妃と勇敢な王を巡る、英雄、貴族、将軍、舞姫、反逆者、暗殺者、道場主、巡礼、そして勇気ある女性たちの伝説が……!


(ムトジューア(※1)の『旅行記』より) “漆黒の”ソヴァ、“虎殺し”ジャラルの両将軍は、ウラナング防衛のためカヤクタナの主力部隊をもって聖都に留まった。シク方面の平定を急ぎたいところだが、神聖ウラナングへの忠義を旨とするカヤクタナは、クマリとウラナングの無事を優先したのである。
 わずかな軍勢と共に一足先に王都エレオロクへと戻った私を待っていたのは、反逆者サーディクの処刑であった。
 ウラナング解放の後、突如、寡兵でエレオロクを攻めて敗れ、捕縛された男だ。かつて、クンカァン通過を巡る軍議で乱心、ティカン神殿預かりになっていたが、それでも彼はカヤクタナ王国武人の身である。明らかに反逆行為であり、弁解の余地なく死刑となるところだが、サーディクはムングィトウチ(※2)を強く望み、モロロット二世はこれを許した。
 カヤクタナのムングィトウチにペラゴロ神が裁きを下すのは自明の理であるから、刑罰が軽減されることはない。しかし、記録を許されてその場にいた私には、サーディクがムングィトウチを望んだのは自らの行為の意義を訴えるためとしか思えなかった。
 彼は自分が滅亡したクトーの王族であり、神聖ウラナング五王国の侵略に対する復讐を行ったのだと主張した(ならばハンムーにするのが筋だと思うが)。また、現体制を非難する持論も展開したが、王も王妃も反論はしなかった。反駁しても無意味と悟っていたからだ。
 ただ、最後に彼が「王は民の為にある。民を守れなかった王の贖罪は、再興しかない」と述べたときだけ、モロロット二世が即座にそれを否定した。「クトー滅亡の経緯は詳しくは知らぬ。だが、真に民の為にあった王の国が滅びたなら、民の側から再興を望む声が自ずと湧き起こるものだ。王自身が再興を望むなど、乱世の奸雄の抱く野心と大差ない」
 これを聞いたサーディクは、大声で笑い出した。刑場に引き出され刑が執行されるまで、彼の笑い声は響き続けていた。
 ……数日前の文章の推敲をしていたムトジューアは、自分に向けられた視線に気づいて顔を上げた。
 今では、常連客となった小さな食堂の隅で書き物をする彼女に好奇の目を向ける者はまずいないはずなのに。
 こちらを見つめていた、きまじめそうな神人の青年が透き通った声で言った。
「驚いた、エレオロクにいたとは!」
「あなたは?」
「ほら、ルシェですよ。別れたときは東へ行くって……」
 向かいの席に腰を下ろした見知らぬ青年は、怪訝そうに彼女を見上げた。
「ムトジューヌさん……ですよね?」
「姉さんのことを知っているの!?」
「お、お姉さん?」
「どこで会ったの? 教えて頂戴!」
 ムトジューアの見幕に驚いたルシェは、カヤクタナの各地を巡っている途中で、彼女にそっくりの女性に会ったことを慌てて話した。ムトジューヌ(※3)は、カヤクタナ方面に撤退したセセラギ将軍の軍勢と別れてセドへと来たらしい。
「そして東へ……」
 ムトジューアがつぶやくと、ルシェは自分がシムサオ神(※4)に仕えていて、神託による聖地を探すべく、いずれは東へと旅立つつもりなのだと告げた。
「こうして会ったのも、シムサオ神の導きでしょう。お姉さんの居場所を占って差し上げます」
 彼はムング札(※5)を取り出すと、縦横に四枚ずつ札を四角く並べた。
「おや、おちにプカプカ(※6)の札が出ましたよ。これは面白……あっ!」
 声を上げたのはルシェだけではなかった。二人が札をのぞき込んだとたん、最後の札に描かれたプカプカの絵が、まるで生きているかのように動き出したのだ。彼女はにっこり笑うと言った。
<ルシェよ、その者と旅をなさい。互いの求めるものは共に見つかります>
「ああ、シムサオ様、感謝致します……」 神に祈ると、ルシェは札を収めた。
「あなたは姉上を探して旅に出るのでしょう? ならば、私も同道させて下さい。さあ、今すぐにでも!」
 今度はムトジューアが慌てる番だ。
「待って、行きたいのは勿論だし、一緒に行くのも構わないけど、もう少しここでしなければならないことがあるのよ」



(ムトジューアの『旅行記』より) 
 ルシェには、旅立つときがきたら知らせると約束して納得してもらったが、彼との出会いが故郷での出来事を綴る章が終わりに近づいたことを教えてくれた。
 内緒で王妃に頼まれ、押しかけて教えていたウドゥンの読み書きも上達したし、あとはこの章を書き上げ、写本を完成させるだけだ。まあ、いくつかの義理も残していたが。
 そう、この日は縁起の良いアコシュク(※7)の中、友人のアシュールの婚儀が行われたのだ。
 マイカ(※8)の契りをイシュ神に誓い、ウヌバヌルヴァ神に報告する(※9)ものである。儀式は、できたばかりの彼らの槍道場(※10)で行われた。
 花嫁と花婿が奉納試合をするイシュ神の婚儀は、さして珍しく無いが、その後のウヌバヌルヴァ神の婚儀は、人里離れて暮らす野人(特に狩人)の間でしか見られぬ非常に興味深いものだっ……

 ムトジューアは筆を休めて二人を見守ることにした。
「ほ、本当にこんなことすんのか?」
 花婿のニル・グリュクルが不安げな声を上げる。
「だから無理しないでいいって言ったでしょ。私だってもう狩りで暮らすわけじゃないんだし……べつにいいのよ」
 アシュールが困ったように言うと、ニルは胸を張って言った。
「いや、大丈夫だ。さ、やるぞ」
「ありがとう……嬉しい」
「俺だって」
「うん」
 うなずいたアシュールは、感激して涙ぐんだ。愛する人とこの式を挙げるのが夢だった、少女の頃を思い出す。
 ウヌバヌルヴァ神の婚儀……厳かに互いの手を取り合った花嫁と花婿は、マイカになったことを牙の神に告げるため、血が出るまで相手の腕に噛みつくのだ。
 ニルの嬉しい悲鳴が、道場に響いた。



 トゥエラルヴァの胡弓の先端にある、つんとすました骨製の猫の像が動きを止めると、“華の間(※11)”を満たしていた優雅な調べは、はかない余韻を残して終わった。
「また、こうして舞を楽しめるなんて」
「私なぞ、お酒も久しぶり」
「イシュターノ、素晴らしい舞でしたわ」「ええ、とっても素敵」
「そうそう、なにやら深みが増してよ」
 七色の舞を終えたイシュターノに、奥方たちが口々に称賛の声を浴びせる。
 まだ戦の火種はあちこちでくすぶっていたし、戦火の爪痕が癒えたとは言い難かったが、貴人や将軍の奥方たちが王都に戻れるくらいには、平穏な日々が続いていた。だからこそ、クマリ(レシマ)がウラナングへと旅立つと、“華の間”の集まりはすぐに復活したのだ。
 貴族たちの動向を探る意味もあるが、それ以上に王妃は心を許せる女友達との再会を喜んだ。奥方たちとて気持ちは同じである。いや、むしろ彼女たちの方が喜びは大きかったかもしれない。
 彼女たちは、夫が王妃の悪い噂を口にする度に歯痒い思いをしてきた。だが、戦が起こってウナレ王妃の評価がすっかり変わったのだ。奥方勢は「それみたことか」と息巻いたのである。
 そのせいか、ここ数日の“華の間”での話題は、各人がいかにして夫をやり込めたかの報告と、クマリ滞在の様子を王妃から聞くことに終始していた。
「王妃様は……?」
 奥方たちの輪に加わり、酒杯を受け取ったイシュターノが辺りを見回す。
「なんでも、新顔のお披露目だとか」
「将軍の奥方になられる方ですって」
「楽しみですわね」
「でも……」とイシュターノ。
「大丈夫、ウドゥンがついてる」
 トゥエラルヴァがささやくのと同時に、戸口のシュサが左右に開いた。シュサを持ち上げていた“粘り腰の”ウドゥンが、後ろの二人に道を譲る。
 高貴な顔だちの女性を中へと促し、王妃は奥方たちに言った。
「“虎殺しの”ジャラル将軍の奥方、ナグァを紹介するわ」
 華やいだ雰囲気に呑まれたか、ナグァはぎこちなく挨拶した。
 カヤクタナの将軍の奥方となる身ではあるが、この手の集まりに自分は不向きなのではないか……彼女は勝手に思い込んで萎縮していたが、しばらくすると、すっかり皆と打ち解け、人気者になっていた。なにしろ彼女は「夫を尻に敷く話」には事欠かなかったし(※12)、奥方たちは彼女の呪いにも並々ならぬ関心を持っていたからだ。
「何か呪いを見せて欲しいわ」
「そう、恋の呪いとか」
「あら素敵」
「何卒ご容赦を。ただ今、私の生涯で最後となるやも知れぬ大呪術の儀式が途上ゆえ、他の呪いは行いませぬ……」
「まあ、どんな?」
「はあ、“偶然”にて御身を守るとでも申しましょうか……」
 熱心に呪いの話をするナグァを優しく見守っていたウナレは、不意に目を細め、小声でトゥエラルヴァに尋ねた。
「アルマの件、進展はあらぬか」
「いいえ、まだ何も。用心して」
 声を耳にした奥方の一人が、何事かと振り返った。すかさずイシュターノが、王妃の杯を手にして声を上げる。
「まあ、空ではございませぬか。王妃様に御酒を! チャンになさいます?」
「いや、今宵は酒はいらぬ。わらわにはパクュ水(※13)をたもれ」
 宮廷医師に言われたことを思い出し、ウナレはそう答えた。



 ほどよく茹でたノクラ(※14)のほんのりとした甘味と、じっくり焙った香ばしいフリヒワ(※15)の塩味を交互に楽しみ、たっぷりのクムン(※16)にミル(※17)の汁物、さらに果物も……。
 朝食には少々乱暴な献立に、細身のイシュターノは驚いていたが、ウナレは気にせずに王の食べっぷりを楽しんでいた。激務にあるとき、彼が驚くべき健啖家と化すのは承知している。
「妃よ、具合でも悪いのか」
 手を休め、モロロット二世が言った。彼女は魚の粥と果物を口にしただけで、食事を終えていたのだ。
「いいえ、我が君」
「ならばよいが」
「シオンの申した件、お考えくださいましたか?」
「うむ。ヴェニゲが交易を行うためには他国との交渉は必要なことであろうが……独立されてはカヤクタナの一枚岩を剥がすことにもなってしまう。そこで自由貿易の権限を与えることとした。貿易に関してはヴェニゲで独自に交渉し決定して構わぬとな」
「良き判断にございます。ところで、昨晩のウラナングの使者はなんと?」
「当面の危機は去ったが油断はできぬと。あとはシクの統治を急ぐばかりだが……クマリたちの無事が確保できるまでは、ソヴァとジャラルが聖都を離れるわけには参らんな」
 主力軍を派遣しているエロオロクは丸裸同然だったが、すぐにも戦が起こる気配はなかった。ヴォジクに攻められたヴラスウルには援軍を送ったし、クンカァンも、セセラギの撤退にオロサス家の二人が同行して一応の解決を見たはずだ。
 ウドゥンが、足早に入ってきたのはそのときだった。
「失礼いたします」
「何事じゃ?」
 そう問いながらも、彼の目を見たウナレは何か悪い知らせと悟り、黙して先を促した。
「イシュルーカ将軍が火急の報せで、陛下にお目通りを願っております」
「構わぬ。通せ」
 王の言葉にうなずいたウドゥンは、シュサ越しにイシュルーカに声をかけた。
「将軍、入られよ」
「ははっ」
 将軍が人形芝居のように進み出た。
 イシュルーカは、傭兵の身から将軍の地位にまでなったヴラスウル人だ(※18)。今は王都の守備を担っているが、作法が苦手で宮中にはあまり近寄らないと聞く。そんな彼の緊張ぶりは笑いを誘ったが、ウナレは顔を曇らせた。そのイシュルーカがわざわざ顔を出すなど、よほどのことだ。何が起きたというのか……。
「大将、じゃなかった陛下、大変、じゃねえや、その……一大事にございます」
「そうかしこまるな。陣中と思って、気楽に話せ」
 モロロット二世が笑って言うと、イシュルーカは、ほっとした様子で続けた。
「はっ、では遠慮なく……ゴレガミラ軍が街道を来ます。今日明日にはカライ城に着くと……」
「血迷ったか」
 王の言葉にウナレはうなずいた。クンカァン本国に残った魔軍の将がゴレガミラに壁を築いて籠城したとは聞いたが、単独でカヤクタナに攻め入るほどの兵力は残っていないはずだ。
 ウドゥンが言った。
「闇は去ったのだぞ、白昼に会戦すれば魔賊とて倒すのは容易だというのに」
「数は?」とモロロット王。
「それだ、俺も耳を疑ったが、物見の報告では魔賊と人間の軍勢が合わせて五千はいると」
「馬鹿な!? 将軍、ゴレガミラは都でもないし、戦の疲弊も激しい土地だ。兵士をかき集め、魔軍と合わせても、千と五百が精々であろう」
「ウドゥンの申す通りだ。なにかの間違いではないのか」
「しかし……」
 イシュルーカは折れなかった。カライ城を守るライアティア将軍から届いた、信頼できる情報なのだ。圧倒的に数の多い敵は、恐らくクルグランのときと同様、カライ城を避けて通るのではないか。
 千五百を五千に……ウナレは、敵のからくりがわかったような気がした。
「我が君、かの街には、いかほどの民が暮らしておりますや」
「なるほど。いや、しかしまさか、そなたの言う意味はわかる。だが……」
 ゴレガミラの全ての民を兵に仕立てたとすれば可能な数字なのだ。では、到底戦えない、女子供や老人までが行軍を強いられているというのか……。
 無茶な手だが、数の差が広がったのは確かだった。こちらの主力部隊が不在の今なら、街道を進んで一気にエレオロクに迫ることも可能な兵力。途中の守備が甘い分、進撃もクルグランのときより早い。クンカァンに向かったオロサス家の者たちの安否も気遣われた。
 集められる兵数を概算し、王は唸った。「とても無理だ、ウラナングの部隊を呼び戻さねばならん。間に合うだろうか」
「我が君、されば時を稼ぎましょうぞ」
「……ヴェニゲですな」
 さすがにウドゥンは察しが良かった。
「おお、心強い味方がおったな」
「はい。わらわがトニに宛てて文を書き送りますれば……」
「ではソヴァたちには、ぎりぎりまでクマリをお守りしろと伝えよう。イシュルーカ、お主は万一に備えて王都に残った兵をまとめよ」
「ははっ」



 小さな紙片に必要な事項をしたため、トニ宛の手紙を書き終えると、ウナレは筆をおいた。フラマロにもたれ、紙片をかざして推敲する。ヴェニゲが期待に応えてくれると信じていたので、不安はなかった。
 と、背後に気配を感じ、おやっと思う。イシュターノはパクュ水を取り寄せに退出していたはずだ。
「楽士殿、戻られたか?」
 トゥエラルヴァかと振り仰ぐなり、手紙をのぞき込んでいたウドゥンが慌てて背を反らした。はずみで懐から舞扇が落ちる。イシュターノの扇だ。
 わずかに眉を持ち上げはしたが、すぐに問いただしたりはしない。ウナレは面白そうに尋ねた。
「いかがしたのじゃ、ウドゥン」
「ご無礼をお許しくだされ。私、手紙の作法を知らぬもので、ついその」
 ウドゥンと二人きりなのは、随分と久しぶりな気がする。ついこの間までは何年もそれが続いていたというのにだ。
「ムトジューアには、手紙の書き様は教わらなんだか」
「はあ……あっ、何故手習いのことご存じなので?!」
「トゥエラルヴァといい、そなたの手習いの師匠は若い女子ばかり。とんだウラノイ(※19)じゃの。次は舞の手習いかや」
 ウナレは、ちらっと扇に目をやる。
「いや、これは違います。預かっただけでして……」
「のう、そなたも嫁を娶り、落ち着いては……と、世話のかかる王妃の言えた義理ではあらぬか」
「何をおっしゃいます、ウナレ様は良き王妃になられました。まぶしいほどに」
 ウドゥンは、そう言いながら、なぜか寂しげな顔をした。



 僅かなアコシュクは市場の臭気を際立たせる。川魚の匂い、揚げ物の匂い、泥や汗の匂い……待っている間に、そうしたものが体に染み付いてしまいそうだ。
 と、雨を避けて軒先に立つ彼を見つけ、少女が、するすると近寄って来た。
「どういうつもり?」
 上目使いに彼を見上げた少女は、油断なく得物を構えて聞く。
「あの女を見かけてな」
「あらそう」
 使いをやって呼び出した宮廷楽士の少女が、まるでこちらを信用していないのに気づき、ナサール・ナンハバシクは何だか寂しくなった。そして彼は、自分が覚えた感情に驚き、これもあの忌ま忌ましい王妃のせいなのだと小さな怒りの炎を燃やしかける。
 炎はすぐに消えた。そう、自分は方針を変えたのだ。
「我がことは成らず……私はそう悟った。今のところは、国と民を守るために努めている。お前を呼んだのは謀(はかりごと)ではない」
「『今のところは』か、正直ね。なるほど信用できそうだ」
 トゥエラルヴァはそう言って笑った。
 アコシュクがやむと、ナサールは彼女を連れて雑踏を離れ、路地に入って奥へと進んだ。
「この辺りなの?」
「ああ」
 ナサールは路地の向かいにある小さな宿を指さした。舞い戻ったあの少女は、王宮の面々や衛兵には注意を払っていたが、彼には無警戒だったのだ。
「もうすぐ出てくる。手勢はいるのか?」
「ええ。ウドゥンに借りた衛兵が」
 トゥエラルヴァが合図すると、数人の兵士が路地を塞ぐ。
 “微笑みの”アルマが戸口に現れたのは、その直後だった。
「動くな!」
 道に出るまで待ってから、トゥエラルヴァが飛び出して得物を突き付ける。ナサールも剣を抜いて近づいた。
 兵士たちも詰め寄せてくる。
 不意をつかれたアルマは驚きはしたが、無理と悟ったか抵抗はしなかった。彼女が口を開いたのは、後ろ手にされ、針金と縄で手足を拘束されてからだ。
「ふっ、殺さないの? 後悔するわよ」
「王妃様の命令なんでね。もっと厳重に縛って、この女は油断がならないわ」
 兵士に指示を出すトゥエラルヴァ。
「ふん。これで、王妃にとって不安の芽が一つ摘み取られたことになるな」
「違うわ、不安の種が増えたのよ。まったく、王妃様も会って話たいだなんて……ウドゥンの気持ちがわかるわ」
 宮廷楽士が苦笑して答える。
 ナサールは、縛られたアルマが不気味な笑みを浮かべたような気がしたが、それは彼女が常に絶やさぬ微笑みに紛れてしまい、判然とはしなかった。



 明くる日になってアルマが連行されたと知った王妃は、早速、彼女との体面を望んだ。
「なりません。あやつは危険すぎます」
 ウドゥンは頑強に反対した。
 ただし、王妃と共にアルマのいる部屋へと廊下を進みながらだったが。
「会うてみなければわからぬではないか」
「まあ王妃様、あの娘が姿を見せたときは、いつもお命が危なかったではありませんか」
 今度ばかりは、イシュターノもウドゥンの味方だった。
「何ゆえ、ご自分の命を狙う殺し屋を構うのです?」とウドゥン。
「わらわを殺す理由が知りたい。さしたるわけがないように見えたが、もしそうなら不憫でならぬ。ハンムーの絶えることのない謀政の渦が、ああした娘を生んだのならば、わらわにも責はあろう」
「不憫ですと? 理由がないなら、ますますけしからんではありませんか。危険な暗殺者です。排除なさればよろしい」
「改心させよう、救ってやろう、などと思い上がりはせぬ。だが不憫だと感じたならば、利よりもまずその心に素直に生きるべきではあらぬか」
 ウドゥンの論が道理なのは解っている。しかし、計算づくで生きるのは嫌だった。理屈や機知や駆け引きの術は、他者を思う心を存分に活かしてより良く生きるための、手段に過ぎない。駆け引きのための駆け引きは何も生みはしないのだ。
「いや、しかしですな、万一のことがあっては……」
 部屋の前でウドゥンが最後の説得をしていると、中からトゥエラルヴァの声がした。
「王妃様、弟子の言う通りよ。会うなら縛ったままでなきゃだめ。でないと入る前にこいつをラノート神に渡すわ!」
 ウナレがため息まじりにつぶやく。
「さすがに楽士殿。弟子よりは、ずんと駆け引きがお上手じゃ」
「さようで」
 真面目に受け答えするウドゥンの口調に、イシュターノは思わず微笑んだ。しかし、緊張はほぐれそうになかった。命をかけても王妃を守る決意だったから。

「すっかり宮廷楽士気取りね。所詮は殺し屋のくせに」
 アルマは、手足を縛られフラマロに座らされたままの姿勢で、まんまと自分を運んでくれた同業者を嘲笑して言った。
 トゥエラルヴァがスクスを構える。
「ここには私の居場所があった、それだけさ。四六時中あの世に他人を押しのけてなきゃこの世に自分の居場所を作れないあんたとは違うんだ。ハンムーでの酷い噂は知ってるよ」
 アルマは声を立てて笑った。うまいことを言う。たしかに、それが自分の居場所だ。それも極めて居心地のいい……。
 王妃とその取り巻きの近づいてくる足音が聞こえてくる。トゥエラルヴァに不意を突かれ、武器の用意はできなかったが平気だ。それでも奥の手がある。
 アルマは凍りついた微笑を浮かべ、王妃の甘さをせせら笑った。



 一月がかりの儀式を終えたナグァは、ほうっと息を吐いた。
 毎晩の水ごりと詠唱、呪いの品々の配置……何より堪えたのは、儀式の合間に“華の間”に顔を出すことだった……無論、ついつい長居しそうになることがだ。「これでいい……呪いは成った」
 神がそばにきたのはそのときだった。
<“巫女くずれの”ナグァ……この世の中に、都合のよい偶然を起こす仕掛けを造ったな。わしの許しもなくだ>
 姿は見えない。だが、相手が偶然の神パパパギなのはわかっていた。
「生涯で最後の呪いです。パパパギ様、どうかお許しを」
<最後でなくともよい。許す。おまえの呪いこそが見事な偶然だわい。あの小生意気な必然の神すら黙らせたわ>
 上機嫌のムングサ(※20)は、現れたときと同じく唐突に消えうせた。
「まさか、もうお二人に危険が……!?何が起こったというのか?」



 王妃の言いたいことは理解できた。トゥエラルヴァのと同じような説教だったから。十年前に聞いていれば、自分にもそうした居場所が見つけられたかも知れない。遅すぎたのだ。
 それにしても……と、アルマは思った。今の自分にそんな話が解るのは変だ。もう私は魔賊なのに。
 彼女は笑って答えた。
「あなたの言うことは無意味です。私はもう……戻れないのですから」
 言葉が終わるやいなや、彼女の体が一回り大きくなり、手足を縛っていた縄が弾けとんだかと思うと、全身に無数の目が現れ、同時に髪の毛が触手と化してウドゥンとトゥエラルヴァをやすやすと締め上げて二人の血を飲み干す、と同時に少女から奪ったスクスを振り上げ、まずは王妃を庇って身を投げ出したイシュターノの首を切り落とし、最後に自分の愚かさに今さら気づいて命乞いをする王妃めがけ、せせら笑いとともに刃を叩きつける……!
 そのはずだった。
 が、しかし。
「何故だ!? どうして!? 嘘だ! 私は魔賊になったはずなのに!」
 床の上でもがきながらアルマは叫んだ。捕まって油断させ、魔賊の力で襲うつもりだったのに、何も起こらないのだ。
 人のままで縛られている……!

 ハンムーからエレオロクへ向かった彼女は“偶然”にも、歌いながらウラナングを西へと下る象たち、“古の獣”の大群とすれ違っていた。
 彼らの歌声は、闇の魔賊を追い払い、人々を魔に陥れている闇の因子を消し去るのだ(※21)。魔賊化した彼女とて、その例外ではなかった。
 これこそが、悪意ある攻撃から王と王妃が“偶然”によって守られる、ナグァの呪いの成果であった。
 トゥエラルヴァがつぶやいた。
「どうやら、あんたはこれから、人を殺さずに生きられる居場所を本気で探すしかないみたいね……」



(ムトジューアの『旅行記』より)
 王妃が報せを送った数日後、ゴレガミラ軍の侵攻が防がれたことが、自ら飛来したヴェニゲより伝えられた。
 己がもともとあった窪地で敵を待ち受けたヴェニゲは、あの四つの楽器の一つである笛と古の獣の歌声とで魔軍を混乱させたのだ。数千に及ぶ住民軍は、魔賊から解放され、四方に散ったという。
 魔軍が奔走し、気の毒な住民が再び駆り集められたとしても、その頃にはウラナングにいたカヤクタナ軍も戻っており、先日ヴォジク派遣軍を殲滅したヴラスウルの加勢も得られよう。
 性急な動きは全て終息したのだ。
 少なくとも王都周辺では。
 旅立ちの時が近づいていた。
 この『旅行記』を献上に城を訪れた今、イシュターノから、あの“粘り腰の”ウドゥンがウナレ王妃の元を去りハンムーに発ったと聞いて、王妃の御前でこうして最後の章を書き直してはいるが……。
 さて、一つの戦の終わりはエレオロクの章の終わり。
 教訓めいたことの一つも記すとしよう。
 この長い長い戦(※22)で、国体を維持し得た国はカヤクタナとヴラスウルのみである。私は、勝った祖国ではなく、存続した祖国を誇りに思う。カヤクタナが、いかに最善を尽くし、いかに守るべきものを守ったかを。
 クマリをお守りすべく努めたことで神の加護を得たか、新興国ゆえの活力と人の努力によるのか、はたまた歴史の必然か……私にはわからない。
 ただ、他の古王国が変遷を余儀なくされたこともまた事実なのだ。
 この旅を終えたとき、カヤクタナは、エレオロクは、再び私を迎えてくれることだろう(※23)。



「拙者の女神は飛び立ってしまった……これでよい。ハルシャ王子(※24)を助け、近衛武人として良く生きればそれでいいのだ、拙者はな」
 埃っぽい街道を進むウドゥンは、空を見上げてつぶやいた。都を出てからというもの、二十五度目の繰り言だ。
 トゥエラルヴァが、鐙(あぶみ)の上で背伸びし、馬の背から乗り出した。
「ははん、もう次の女神を見つけてるくせによく言うよ」
「な、なななにを申すか、拙者の王妃への想いはだな、然様に容易に割り切れるものではない。御年こそ近うござったが、己が娘のごとく拙者はだな……」
「どうせネピニィニ王妃のときもそうだったんでしょ。次から次へ自分の女神を飛び立たせちゃあ旅立って、そんなだからマイカがいないのよ」
「なんだと、お主のような小娘に言われる筋合は……」
「ほら、落ちたわよ。次の女神の餞別が」
 含み笑いをしながら、トゥエラルヴァは舞扇を手渡した。
「ば、馬鹿を申すな。ええい、お主のような者を連れにしたのは拙者の間違いであったわ。先が思いやられるわい」
 そっぽを向いて馬のを歩を速めたウドゥンの背中を見つめ、トゥエラルヴァはつぶやいた。
「全然わかってない。この、鈍感……」



 その日の朝早く飛来したヴェニゲは、城の窓からも見ることができた。
 朝食の後、自室に引き上げたウナレは、窓際のフラマロに腰を下ろして飛行都市を眺めていた。
 傍らの『旅行記写本』と二通のレンカ(※25)を手にとり、これからの為すべきことに思いを馳せる。
 「為すべきことでなく、為したいことをなす」がネピニィニ伯母の口癖だった。今ならば、わらわは伯母上を論破できるやも知れぬと思った。我が君のためカヤクタナのために為すべきことが、すなわち自分の為したいことなのだと。
 ムトジューアの記した通り、カヤクタナは存続したことに意義がある。
 じっと耐えた代償がシクの領有だ。イシュターノのためにも、かの地の安寧に努めねばなるまい。“華の間”で知り得た貴人たちの動向は、論功行賞に悩む我が君の助けとなるはず。ズウェイは将軍の椅子を拒むであろうか?
 三勢力に分かれて争いの続くクンカァンに対しては、オロサスの二人を支援する。ただし、慎重にだ。クンカァンの民にオロサスがカヤクタナの傀儡と思われては、何より我が君が心外であろうから。
 ヴォジクは崩壊した。ドゴンドッチのマセウスが、南下したときのみ懸念すればよい。しばらくは、あの国に鰐の王に匹敵する傑物は現れまい。バーブックの一生とは、一つ一つその芽を摘んで歩いていたようなものなのだから。
 ミカニカが統治するヴラスウルは信頼に値する国だ。ウラナングの、クマリの権威を守るためにも、足並みを揃えてゆきたい。そのためにも一度、女王をエレオロクにお招きしてはどうか。そう、例えばヴェニゲを迎えに……彼女は二通のレンカのうちの一通を開いた。
 今朝方、トニから届いた便りだ。
 ヴェニゲは交易都市としてどこへでも飛んで行く。カヤクタナの地力をつけるためには、この都市の協力が不可欠だ。
 そのヴェニゲの太守が、自分に心酔していることが面映(おもは)ゆかった。ネピニィニ伯母が、他のハンムーの貴人のように、駆け引きのための駆け引きを楽しんでいると知って少なからぬ失望を味わった身だ。トニに同じ思いをさせぬよう、せいぜい努めねばなるまい。
 そして、ネピニィニ伯母亡き後のハンムー……彼女は二通めの、ウドゥンの置き手紙を読み返した。母国滅亡の危機に心痛を覚えぬのかと叱責しているかのような文面に苦笑する。従兄弟のハルシャのことはよく知らぬが、ウドゥンならば、あのラノートの渦を泳ぎ切るのではないか。そんな気がした。
「王妃様、陛下がお見えになられました」
 イシュターノの声に我に返る。
 いつからいたのか、王はフラマロにもたれてこちらを見つめていた。
「いかがされたのです?」
「カヤクタナの未来を占う、そなたに見とれておった」
「まあ」
「ウドゥンのこと、残念であったな」
「片腕を失うた心地にございます」
「私では役不足か」
「心臓と片腕では、役が違いますれば」
 微笑みあうと心が暖かくなってくる。
「占いの吉凶は、どう出た」
「我らが仲良う生きれば、必ずや吉と」
「それには大いに自信がある。すると、後は世継ぎか」
「むろん、最善を尽くしております」
 王妃は嬉しそうに目配せした。

 ポーカイ、ナンナン。
 お話はこれでおしまい。

《伊豆版『カナンの歩き方』》
※1:エレオロク出身の女流作家。各地を放浪し『旅行記』を書いた。作中で引用されているのは、“故郷の章”の文である。
※2:神に罪を問うカナンにおける最高位の裁判方法。探湯(くがだち)。カヤクタナでの国の裁きは守護神のペラゴロに問うのが普通。どの神が裁くかで判決が異なるため、本来はどの神に聞くかが実質の争議となる。
※3:ムトジューアの生き別れの姉。
※4:マンガの神。マンガはカナン全域の森林に生息する小さな昆虫で、これをつぶしてできる黒い液体は、画材や筆記用の墨として使用される。高級品。転じて紙芝居の神でもある。
※5:神人や呪人が占いや神事に使うときは「ムングの絵札」ということもある。いろいろな神が描かれた小さな四角い紙片。賭け事や遊戯にも使われる。
※6:神々の絵をスケッチするためだけに神と出会い続け、ムング札を作った伝説の女絵師。シムサオとも縁深い。ムング札では、ジョーカー的な存在。
※7:天気雨のこと。雨季の終わりを告げる文学的な季節表現でもある。
※8:カナン語で夫婦の意。
※9:カナンの結婚は、神に夫婦となったことを報告するのが一般的。いわゆる「お堅い」神は、夫婦の絆を誓わせる。ウヌバヌルヴァが前者なら、イシュは後者である。
※10:神はどこにでも現れるので、結婚の儀式は神殿で行わねばならないという風習はない。
※11:王妃が城内に作った男子禁制の社交場。カヤクタナの貴人の奥方たちのサロンで、原則として女性でも未婚者は入場できなかった。
※12:後の彼女の二つ名“虎殺し殺し”はこの華の間でつけられたという。
※13:柑橘系の果物の汁を絞り、蜜や水を加えたもの。ジュース。普通アルコールは混ぜない。
※14:ズッキーニのような食感の野菜。滋養があるとされている。
※15:猪の肉を、大きな塊のまま塩漬けにしたもの。塊のまま時間をかけて焙るのは、かなり贅沢な食し方。
※16:米のご飯のこと。
※17:シジミに似た二枚貝。乳白色のものが上等とされる。
※18:ヴラスウル人はヴォジク人と異なり、移住先でその国に溶け込んでしまう特徴がある。
※19:ハンムーの伝説の名宰相、“ノツシュの”ヨニムニの配下の武将『ヨニムニ八門衆』の一人、“斑の紐”ウラノイのこと。ハンムーにおける、プレイボーイの代名詞。
※20:神の気配のこと。忍び寄る神そのものを指すこともある。
※21:魔の血により両性具有として生まれたツニルヴァ団のナヘラルカーも、この象の歌声で魔の因子を消されている。
※22:クルグランの侵攻を皮切りに始まった一連の戦役のこと。
※23:後にムトジューアはルシェと東へと旅立った。詳しくは『旅行記』参照。
※24:後世に伝わるウドゥン自身の著述によれば、彼がハンムーに着いたのは、ハルシャ王子が暗殺された後だったらしい。
※25:ジグザグに折り畳んだ紙を二枚の薄い板で挟み、革紐などで止めて収納する道具。主に手紙を入れる。書簡。

《伊豆1より》
 どうも、伊豆です。
 最終回だというのに、世界全体の流れが強くて、終わりらしい終わりにできない物語でした。十年後を、と要求しておきながら、うまく活かせなかった点は済まなく思っています。
 実際のところ、物語としての構成を考えるならば最後の神が生まれる部分がラストかラスト前くらいに来るべきなのですが、『カナン/最後の神』は「お話を見せながら進めるゲーム」なので、ゲーム性が優先されたわけです。
 しかしながら、「人生は、あらかじめ計算された物語よりは、先のわからないゲームに似ている」と信じる私は、PCの人生を味わうにはこの方が面白かったのではないかとも思っています。
 注釈での後世の視点から見た未来のカナン世界に関する考察は「もし現代世界の過去がカナン世界だったら」という特殊な視点からの言動です。ですから、コメントはカナン世界に暮らす私がしていたことになります。今回のゲームでは、関連記事(例えば『小さな神話』とか)なども含め、一貫してこの視点で書くように試みてみました。感覚の妙を味わって頂けていたならば幸いです。
○ルシェさん、ちなみに今回の執筆時は『横山満輝・三国志』アニメの音楽集を聞き通しでした。
○イシュターノさん、こちらこそどうも。
○ウドゥンさん、ハンムー側ではそういう展開(注釈参照)らしいです。どうなってしまうのでしょうね。
○トゥエラルヴァさん、ウドゥンへのセリフが意味するところは、これで良かったでしょうか? う〜む。
○ナグァさん、偶然の神の台詞ではありませんが、まさに絶妙なアクションでした。
○アルマさん、魔賊化したとしても王妃を守る人が多かったから成功したかどうかは疑問でした。といって、返り討ちにしようって人もいなかったので、ああした結果になりましたが……。
○ムトジューアさん、こちらこそありがとう。あまり状況説明的な文章を地の文で書きたくない私にとって、『旅行記』は助かる存在でした。
○アシュールさん、ニルさん、手の傷を治して、どうかお幸せに。
○シオンさん、カヤクタナにヴェニゲの独立を認めさせるのは難しいです。トリュガル家はカヤクタナ国内にも領土があるわけですし。

 ではでは、ACG3でお会いできることを祈りつつ。

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