テレビに映る、V・P・Bの映像。
 『彼』はそれをただ見ていた。
 過去の栄光にすがるつもりはない。
 だが、自分を取り巻く環境が、それを嫌でも思い知らされる。
 無敵のゼロレンジファイター、『Kill=SlaydのTOKI』
 捨てたはずの名前が、今でも甦ってくる。



 CRAZE隊が非番になって、3日目になった。
 非番とはいえ、友紀と香緒里は中央司令塔での待機任務が待っている。情報処置官の辛いところだ。
 緒方も『司令官』という立場上、常に本部施設に拘束されることが多い。
 この日は、朝からずっと待機している。
 待っているのだ。『報告書』が来るのを……


 廊下を歩く女子隊員がざわめいた。
 『あの人』が来たのだ。
 少し長めのハニーブロンドにアイスブルーの目、眼鏡と白衣。完璧すぎるほどの美形だ。
「ドクター、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
 そう言って返した他愛もない挨拶と微笑み。
 それだけで充分その場にいた女子隊員を軽くノックアウト出来る。
 「ドクター」ことトウマ・ジーナスウィンドは、古くからD.N.A.に所属するVR技術開発者であったが、現在はr.n.a.に所属している。『Vフィールド理論』を世界的に提唱した研究者でもある。
 全てのVRを意のままに操るが、彼自身の愛機はテムジンで、現在は近々ロールアウト予定の新型テムジンに乗っている。
 特に近接攻撃のセンスは世界でもトップレベルで、『燕返し』を初めとする数々の特殊技を編み出したのも彼だ。
 緒方とはかなり古い頃からの付き合いだったようだが、2年ほど前から行動を共にすることが多くなり、昨年緒方がCRAZE隊中隊長に正式任命されたのをきっかけに、彼もCRAZE隊所属となっている。
 『緒方の片腕』との呼び名も高いトウマは、CRAZE隊所属になってからは、もっぱら緒方が処理しきれない雑務を引き受けている。
 今日もたくさんの書類をもって、緒方の元へやってくる。
「おはようございます、大佐」
「…………ぉぅ…………」
「また居眠りしてましたね。非番とはいえ、貴方はもっと自分の立場という物を……」
「お説教ならあとあと」
 ふぁぁぁ……と大きく伸びをし、首をこきこき鳴らす緒方。
「で、例の件どうなった?」
 どさっ、と執務室の机の上には書類の山が出来た。殆どトウマが処理した物で、緒方はそれに軽く目を通す。
「彼の辞任は受理されました」
「やれやれ、3日で音を上げるとは…… あの男もこれまでと言う訳か」
「ですが、彼は内外でも立派なパイロットです」
「立派だろうとなんだろうと、新人たかが一人教えられないでどうする? 新人教育も立派な仕事です」
「確かに……」
「で、後任は? あいつの返事は?」
 トウマが茶封筒から一枚の紙を出す。辞令書のコピーだ。
「どれどれ? 『上条時特務中尉 貴殿を新人研修特別講師に任命する』」
 丁寧に折りたたみトウマに返す。
「よく出来ました」
「ですが、よく彼が軍に復帰する気になりましたね」
 緒方は自分の頭をつんつん、とつついてから言った。
「自分であれ他人であれ、利用出来る物は利用しないとな」



「随分ここも変わったな…… 拓郎もいなくなっちまったみたいだし……」
 上条時(かみじょう・とき)は久方ぶりに訪れた基地を見て、思わず呟いた。
 彼がBlau Stellarを辞めたのは去年のことだ。自分には軍人は向いていないと、再びV・P・Bの世界に戻った。
 そんな自分に、軍の新人研修の講師をやって欲しいとの要請が来た。依頼主は緒方豊和。
 緒方は、自分が軍を辞めるときにとても世話になった。いわば恩人だ。その恩人からの要請が『四日だけ軍に戻ってこい』だった。しかも新人研修の講師として。
 時は一度は断った。それでも、緒方はねばり強く時を説得してきた。
 流石にそこまで言われれば、落ちない方がおかしい。時は「四日だけ」という条件でBlau Stellarに戻ってきた。
 実に一年振りの基地。入れ替わりの激しい軍隊という組織の中、時は誰も自分のことなど覚えていないだろう、と思っていた。
「あれ? もしかして時さん?」
 すれ違いざま声をかけられた。
「やっぱり時さんだ。久しぶり。どうしたの?」
 声をかけたのはCRAZE隊オペレーターの赤木香緒里だ。同じオペレーターの日向友紀と並んで東京本部施設の中では顔の広い香緒里だけに、知り合いは多い。
「あぁ、こんちは」
「最近調子いいみたいじゃない? 見たわよ、こないだの大会。尚貴ちゃんが偉く興奮してたわね」
 何となく恥ずかしそうな時。
「……にしても、どうしたの? こんな所で」
「四日間だけ戻って来いって言われたんで」
「四日?」
「なんでも、新人研修の講師をしてくれって話みたいで……」
 香緒里はしばらく考え、思いだしたかのように「あぁ」と言った。
「ごめんなさいね、うちの若い子がご迷惑をかけて」
「若い子? 迷惑?」
 時は何の事かさっぱり判らない。
「何かあったら言って。相談に乗るから」
「そんなに悪い訳!?」
「悪いって訳じゃないんだけど。どうも普通の人とは何かが違うみたい。
 でも、時さんなら気付いてくれると思うから」
 用事があるから、と香緒里はその場を後にした。
 時は何の事か、さっぱり判らなかった。
 自分が呼ばれたのは、特殊な新人のせい? だとしたら、前任が辞めたのも納得出来る。俺の手に負えた事じゃない……
 時は、緒方の言葉を思い出した。
『お前なら、『アレ』を立派に戦えるようにしてくれると思ってるから』
 『アレ』…『アレ』ってなんだ?
「緒方さん、あんた、何を考えてるんだ……?」


「よぅ、久しぶり」
「さっきも同じ事を赤木さんに言われました」
 へぇ、という顔をする緒方。
「でもまぁ、お前は軍辞めてからの方がいい感じみたいだけどな」
「否定しませんけど」
 時が苦笑いする。
「話は判ってるよな?」
「えぇ。なんでも、大層な問題児の特訓だとか」
 問題児、という言葉に緒方は顔をゆがめた。
「問題児は問題児なんだが…… 一般的な問題児とはまた違うんだよな」
 時がどうも納得出来ない様な顔をした。
「緒方さん、一体何を隠してるんですか?」
「いや、隠してはないんだが……」
 どうも上手く説明出来ないらしく、視線がトウマに向いている。
「判りました。私から説明します」
 トウマは書類棚から一冊のファイルを取り出し、あるページを開いた。
「今年入った新人の一人です。ちなみに、彼女はオペレーターの能力もあり、今年の中途採用に合格しています」
 渡されたファイルには沢山の新人の資料が収められている。その中の一人だ。
「搭乗VRはサイファーです。偵察要員としては一級の能力がありますが、戦闘要員となると、どうも上手く行かないようなのです」
「上手く行かない? だって、索敵能力とかは半端ないんだろ?」
 トウマはどうしたものかと緒方を見た。ここから先は言うべきか?
 緒方は特別嫌そうな顔はしていなかった。
「ですが、彼女は今のままだと確実に死にます」
「死ぬ!?」
 縁起でもねぇ。時は思った。何を根拠にこの人はそんなことを言うのか。
「某中隊の小隊長が、確実に彼女を狙っているのです」
 再び緒方を見る。その顔は「言ってもいいんじゃない?」と語っていた。
「瀧川一郎中佐が、彼女の引き抜きを狙っています」
「た……瀧川さんが!?」
 こいつは驚いた。瀧川さんがそこまで惚れ込む能力の持ち主なのに、何で俺が改めて特訓なんて?
「彼女の索敵を初めとした一般的な危険予知能力は、平均を遥かに上回っています。近年希に見る人材です。
 ですが、戦闘となると……言ってしまえば一般人の上位レベル、P・パイロットとしてはまぁ中堅に位置するでしょう。
 それが戦争で果たして通用するか、それが問題なのです」
 トウマはまた別のファイルを取り出した。
「ここ三日間の研修でのデータです。索敵は文句なし、攻撃もまぁまぁ手数は多めです。
 回避がいかんせん……」
 時もそれはすぐに納得した。相手をロックオンし、攻撃を確認してからの回避行動が、ほんの僅かに遅れているのだ。
「原因は何となく判っている。でもそれは確証じゃない」
「それを、俺に実証させろ、と言うことですね?」
「ご名答」
 時の返事に、緒方は拍手する。
「俺達が口出しする訳にはいかない。実際、現場に立った人間でないと、原因が実証出来ないからな。
 頼む。『アレ』を戦争で戦えるようにしてやって欲しい」
 緒方の真剣な眼差しが、時の心に一つの決断を出させた。
「……判りました。それが、あの時の約束ですから」
「済まないな。変な事押し付けて」
「いえ、貴方は俺の恩人でもある人です。自分が出来ることなら、いくらでもやりますよ」
「サンキュ。
 早速で申し訳ないんだけど、行ってくれないか? 場所はC棟の823シミュレーションルームだ」
「了解」
 時は足早に部屋を出た。
「本当に、これでよいのですか? わざわざ、こんな手間のかかることをなさらなくても……」
「いいんだよ。面白くないだろ? このくらいしないと。それに……」
「それに……?」
「あいつの残した『遺品』が、何処まで強くなるのか、この目で確かめたいんだよ」
 緒方の吐き出した紫煙が、部屋の空気を微かに煙らせた。



 高森尚貴はうんざりしていた。
 今日もまたあの男に怒鳴られるのか、と思うと、今すぐ逃げ出したくなった。
 確かに俺はとろい。それは認める。でもあんなにがみがみ怒鳴らなくたっていいじゃないか!!
 うんざり、と言うよりも、半分は怒りだ。
 あーやだやだ。それでも、この研修が終わらなくては、どうしようもないのだ。
 このままサボっちゃおうかな…… などと思った時。
「ねぇ、ちょっと」
 後ろから声をかけられた。
 一瞬自分じゃないなと思ったが、ここには自分と、声をかけた張本人しかいないことに気付いた。
「はぁ、なんでしょ?」
「C棟の823って何処か判る?」
 823!? これから俺が行こうとしている所じゃねぇか!?
 しかも、この顔…… でも、いやまさか!?
「ここ、真っ直ぐ行って、突き当たり右行って、3つ目の……」
「あぁ、この辺増設されたんだっけか…… どおりで見たことない訳だ。
 さんきゅ。助かったよ」
「あの!!」
 その場を立ち去ろうとした人物を、尚貴は思わず呼び止めた。
「ん?」
「あの、貴方前ここで最強の近接アファームド使いといわれていた、上条時さんじゃないんですか!?
 貴方は去年軍を退役して、V・P・Bに戻ったはず……」
 時は一瞬だけ顔をこわばらせた、が、すぐさまふふん、と笑った。
「あいつはまだV・P・Bにいるよ。
 ここにいるのは、ただの『上条時』だ」
「でも、貴方は『Kill=SlaydのTOKI』さんなんでしょう!?」
「誰と勘違いしてるのか知らないけど、俺はただの出戻り軍人で、Kill=SlaydのTOKIとは瓜二つの同姓同名だ」
 『上条時』と名乗ったその人は、足早に廊下を歩きだした。
 尚貴は、ただその背中を見つめるだけだった。
 −TOKIさん、あんたなんでここに戻ってきたの? もう、軍には戻らないって、言ったはずなのに……


 時が823シミュレーションルームに着いた頃には、数人の新人隊員達が集まっていた。
 時間まで、軽く野試合をする者、己の戦術について語り合う者。
 部屋にいた人間の大半が、時の顔を疑問を抱きながら見ていたが、一人のオペレーターが時に気付いた。
「おはようございます。上条…特務中尉でいらっしゃいますね?」
「あぁ…うん、そうだけど」
「短い間ですが、よろしくお願いします。
 早速なんですが、これが中尉に担当していただく新人のリストです。時間まで、目を通していただけると大変助かります」
 時は先程トウマに見せて貰った物と、同じファイルを受け取った。
「ここが教官卓です。中尉が使っていたVRは……」
「旧式アファームド」
「……ですね。データのコンバート、及びダウンロードは終了済みです。シミュレーションシートからの操縦で、通常通り動かすことが出来ます」
「判った」
 オペレーターは軽く頭を下げ、自分の持ち場へと帰っていった。
 渡されたファイルを見る為に、時はあてがわれた席に着く。顔と名前、搭乗VR、簡単な経歴だけを斜め読みしていった。
「結構、俺なんかよりいい成績残してるヤツもいるんだなぁ……」
 そして、時は先程と同じページで手を止めた。
「こいつか……
 ん? さっきのヤツか?」
 時は、このページの写真の主と、例の問題児が同一人物であることに、今初めて気が付いた。
「高森尚貴…… なんだ、女なんだ。生年月日…カッコ推定ってなんだよ。
 搭乗VRはサイファーか。V・P・B時代特に目立った大会への出場経験はなし。公式戦では第5回r.n.社杯でNGT地区予選準決勝進出が最高……
 a7年4月、情報処理要員として中途採用試験合格。結構頭はいいんだな……」
 また、緒方の言葉が頭をよぎる。
『お前なら、『アレ』を立派に戦えるようにしてくれると思ってるから』
「判っかんねーなぁ。あの人の考えていること……」
 ぴーんぽーんぱーんぽーん……
 開始を告げるチャイムが鳴った。
 時はまだ見ていないページに慌てて目を通した。


 突然の講師交替は、新人達を僅かに困惑させた。
 だが、新人の一人である尚貴は、心の中では安堵の色を隠せずにいた。
 これでいつもみたいな怒られ方をされずに済む。でも、TOKIさんが怒らないとは限らない…… むしろ、前のヤツの方がマシかもしれない。
 半分安心、半分不安。比率にして4:6と言ったところか。彼女的には若干分が悪い。
「固い挨拶は抜きにして、誰か軽く相手してくれないかな?」
 軽く自己紹介した時は、この所まともにVRに乗っていないから、と模擬戦を申し込んできた。
 隊員達がざわめきだった。かつて、最前線で戦っていたVR乗りと一戦交えるまたとない機会だからだ。
「そうだな……」
 側に置いていたファイルを掴んで開く。
「26番、高森尚貴」
 開いたページがたまたまそこだったのだ。
 時の発表に、何人かの新人は尚貴に対して羨望の視線を投げかけた。
 そして、当の本人ははめられた、とばかりな顔をしていた。
「運が悪かったと思って諦めてくれや」
 時は笑っていた。
「中尉、試合形式は80秒2本先取で……」
「甘いな。こいつらはこれから戦場に出るんだぜ。
 デスマッチに決まってるだろ?」
 その場にいた人間がざわめき、尚貴はつばを飲み込んだ。
 −……おい…… デスマッチだって!? 生きるか死ぬか、か…… まぁ、戦場じゃ当然だけどな。
「ステージだけど、何処かリクエストある?」
 あぁ、やっぱり格が違うと余裕なんだなぁ……
「アンダーシーとエアポートじゃなければ何処でも……」
「OK。じゃぁ、アンホーリーな」
 シミュレーションシートに腰かけ、シートベルトをつける。ヘッドアップディスプレイを下ろし、ハッチを閉める。
 一瞬真っ暗になったが、すぐに計器類に電源が入った。薄緑色のぼんやりとした明かりの中、スクリーンがオープンする。
 メインモニターには二機のVR、サイファーとアファームドが映し出された。
『聞こえるか〜?』
「インカムオールグリーン。武装類、全てフルチャージ。計器類に誤差の確認なし」
『そういうんじゃなくってさぁ〜 レンジだけど、オールでいいよね』
「構いません」
 その言葉を聞くと、時からの無線はとぎれた。
『シールドゲージ、フルチャージ』
『開幕距離、120に設定』
『仮想空間転移完了』

 GET READY

 先に仕掛けたのは時のアファームドだった。ショットガンが火を噴く。
 だが、尚貴は先読みでジャンプしてそれを回避。空中ダッシュからバーディカルターンへと移行。距離を離す。
 着地から即ジャンプレザーを繰り出すが、時アファームドはボムの爆風を壁に前ダッシュで距離を積めてくる。
 着地を取られ兼ねない尚貴サイファーは、旋回漕ぎでその場を離脱。着地と同時に2連ダガーを繰り出した。そのうちの2本が同時ヒットする。
「へぇ〜、結構やるじゃん」
 時は体勢を立て直し、再びダッシュ体勢に入った。横から前とターンし、左ターボバルカンを撃ってきたタイミングでソニックリングを出す。
 バルカンの弾道は僅かにそれ、変わりにソニックリングがサイファーを襲う。
「避け……」
 ジャンプでかわそうとレバーを開いた。だが、機体の反応が僅かに遅れ、リングが直撃する。
「なーるほどね。こういうことか…… でも、ここで見逃すほど俺も甘くないんだよね!」
 硬直のチャンスを逃すまいと、時が前ダッシュを仕掛けた。
 眼前に、アファームドが迫る!
「やっべ……!!」
 振り上げられたトンファーを目前にした尚貴の思考が数秒間途切れる。そして……
「ウソだろ!?」
 その出来事に驚愕したのは時の方だった。
 トンファーを振り下ろす瞬間、時はヒットを確信していた。しかし、サイファーはこれをガードした。そこまでなら普通の接近戦と同じだ。続くガードリバーサルも、予想の範囲と言えるだろう。
 だが、そこから続く高速ジャンプキャンセルと連続ガードリバーサルを、一体誰が予想出来ただろうか?
 しかも、ガードリバーサルを繰り出したのは「俺のサイファーにソードはない」と言い張る超遠距離主義者なのだ。

 その様子を、食堂からノートパソコンで見ている集団があった。
 藤崎賢一、瀧川一郎、飯田成一、菊地哲。そして、ノートの持ち主であるクレイス・アドルーバ。
「おーいおい、今のなんだよ!?」
 哲が思わず感嘆の声を上げた。
「成ちゃん、今何やったん?」
「ジャンプキャンセルからのガードリバーサルだよ。しかも並のリバーサルじゃないね。サイファーの最速リバーサルを連続すると、攻撃を当てても相手が転倒しないから、その分多段ヒットになりやすいんだ。
 それを返せるのはライデンやバトラーでファーストリバーサルを出すしかない。でも、ファーストリバーサルなんかそんなに出せるもんじゃないよ」
 さすがはBlau Stellar一の近接王、飯田成一。
 それに、少なくとも今のシステムじゃぁね、とも付け加えた。
「サイファーの生みの親として、どないや? 一郎先生?」
 返事がない。
「おいおい、おっさん。またシカトかい!」
「おっさん言うな!」
「で、どうよ? 今の」
 一郎はしばし考え込み、コーヒーを一口すすった。
「確かに、サイファーのガードリバーサルは早い。せやけど、俺がやった時はこないに早く出せへんかったで」
「一郎以上にサイファーを知り尽くしていると?」
「俺がサイファーのテストから離れて結構経つし、随分と改良も進んでると思うけど……」
 自分が考えている以上のサイファーのポテンシャルを引き出したパイロットは確かに多くいた。
 しかし、今回はその範疇をかなり上回っている。
「クレイスは? 自分と一緒にやってくであろう新人の戦いぶり」
「そう…ですね。今までの見てきて、危険探知とそれを踏まえての先読み攻撃は、凄いと思います。
 俺が言うのも難ですが、あとは回避ですね」
 五人は一斉に溜息をついた。
「そうだ。回避さえ……」
「回避さえ……」
「回避がもうちょいよけりゃぁ、文句なしなんやけどなぁ……」

「………ん…… 何…今の……」
 尚貴はようやく自分の思考を取り戻した。
 目の前の光景は、自分のサイファーが時アファームドに向かってソードを振っているものだった。
「おい! アファームド相手に近接やばいって!!」
 だが、ガードリバーサルは既に発動している為、キャンセル出来ない。
「……ったく、何やってんだよ、俺!!」
 尚貴は時がガードしないことを願った。願って……
 アファームドは転倒した。
「らっきー!」
 ダブルロックオンを外してレーザーで追い打ちを入れる。相手が立ち上がらないうちにダッシュで距離を離した。
「ちっくしょ…… やってくれるじゃねぇか!」
 ようやく立ち上がった時アファームドは、一度ジャンプキャンセルし、前方向へとターン、横スライディングナパームを放った。
 当然の様にジャンプで回避するサイファー。二段ジャンプで安全圏を確保し、漕ぎ旋回で相手を補足…しようとしたが、視界有効範囲内にアファームドの姿はない。
「しまった!」
 後ろに回られたことに気付き、180度ターボ旋回で右ターボダガーを蒔く。が、旋回している間に、また移動された。
 取りあえず、その場を離れて、かつ相手を見つけなければならない。視界の左隅にアファームドの姿を見つけ、急速漕ぎで右に回避する。
 ここまで来れば流石に追いついてこないだろう。そう思っていた。
 ビームトンファーの残像が見え、大きな衝撃に襲われる。
「どわっ!!」
 時のダッシュ近接が見事に決まった。更にトンファーで追い打ちを入れられ、バックダッシュされる。
「これで、さっきの借りは返したぜ」
 シートでにやり、と笑う時。なおも用心にナパームを投げ、攻めの体勢を崩さない。
 サイファーはようやく起きあがった。シールドゲージもかなり減らされている。
「……ったく、TOKIさんマジで本気だよ。これ……」
 ようやく立ち上がった尚貴サイファーは、歩きバルカンで牽制しながら、今一度反撃のチャンスをうかがっている。
 シールド残量の差は随分と開いた。でも、諦めた訳ではない。相手にもそれなりのダメージは行っているはずだ。大きな攻撃が当たれば、逆転だって考えられる。
 動いたのは時だ。球体の障害物越しにボムを投げ、サイファーが動いたところにショットガンを撃ち込む。サイファーはこれをダガーで相殺、移動しゃがみフォースビームで更に障害物越しから攻撃する。
 一進一退の攻防が続いた。時としては距離を詰めたい。尚貴としては離したい。互いの得意レンジの差が、長い戦闘時間となる。ここまで来れば、集中力も大きく関わってくるだろう。
 サイファーの右ターボホーミングボムが飛ぶ。直撃こそなかったが、爆風がアファームドのシールドを削った。横に逃げたところへ置きレーザー、これが見事に決まり、シールド差はほぼ互角となる。
「まじぃな。ここんとこ、試合も出てなかったし、ゲーセンも行ってなかったしでかなり鈍ってるワ」
 流石の時の顔にも、焦りの色が浮かんだ。
 尚貴の方は、多少ラッキーな面もあり、ここまで時と互角にやれているが、相手が時だけに、慎重に攻撃を加える。
 サイファーが飛んだ。バーディカルターンで相手を視界に捕らえ、前ダッシュからのバルカン、ホーミングと二段攻撃に入る……
 はずだった。
「やってねーよ!!」
 ソードを出し、空中で一回転する。空中ダッシュ近接。サイファーのみに許された技の一つだ。
 前ダッシュからのバルカンを撃つ時に、誤ってレバーを後ろに引いてしまったのだろう。先にトリガーを引いていれば良かったのかもしれないが、レバーを後ろに引いたのが先に認識されてしまったらしい。
 アファームドはその時、前方左前にいた。距離が足りていれば、確実に当たった攻撃だった。
 だが、当たらなければただの暴発に過ぎない。
 時が着地の隙を見逃すはずもなく、前ダッシュからのダッシュ近接を確実に決めた。
 サイファーのシールドゲージがその瞬間、なくなった。
 尚貴のスクリーンに「YOU LOSE」の文字が映る。
 全ての計器類の明かりが落ち、スクリーンシールドもクローズされ、ハッチが開かれる。
 終わった。自分は、負けたのだ。
 −やっちまったよ。また何言われるか判ったもんじゃねぇ。ったくさぁ、自分が同じ事やった時のこと考えて物言えっての。
 尚貴はブルーを通り越し、ブラック、いやダークの状態まで達していた。マウントヘッドディスプレイを外し、コックピットを降りる。
 いつもだったら聞こえるはずの嘲笑の声が、今日はなかった。むしろ、違う視線を感じる。
「ナイスファイト〜」
 拍手と共に、時が声をかけてきた。
「久しぶりだったからさ、勘が戻るまで時間かかっちまった。
 でもあそこまで追い詰められたのは久しぶりだったぜ」
 嘘だ。TOKIさんともあろう人がそんなはずがない。そんな言葉が親知らずまで出かかってくる。
「そーいやさ」
「はぁ……」
「お前、反応速度いくつまで上げてる?」
「は?」
「たまーに微妙に動きが遅れてるんだよな、お前。サイファーだし、もうちょっと上げても……」
「いじってません」
「はい!?」
「別に、いじる必要ないし。今までそれでやって来ました」
 時は驚いた。というか、呆れた。
 反応速度がノーマルということは、即ち一般人(ノーライセンスの人々)がゲームセンターでやっているのと同じ状態、ということだ。
 −ノーマルであそこまでやってた訳? だったら…ちょっと待てよ!!
 時はオペレーターから貰った、先程のシミュレーション時のサイファーのデータに目を通した。
 索敵は申し分なかった。攻撃もこのレベルならやっていけるだろう。
 回避が、幾分レバーからの命令が機体に届くのが遅れ気味ではある。それが原因で、サイファーなら回避出来るだろう攻撃を食らっていることもある。
 だが、これが機体反応さえ命令通りになっていれば……
「お前、今まで自分のレバーの動きと機体の動きがずれてるとか思ったことある?」
「あぁ、そんなのいつもです。仕方ないんで、止むを得ない場合は先読みで動いてます。テムジンなら、前ダッシュされた時とか」
「それが普通だと思ってたのか?」
「はぁ。当たったら、仕方ないです。自分が避けられなかっただけですから」
 尚貴はそれだけ言うと、自分の席に戻って行った。
 時も、教官卓へ上る。背後の黒板に、チョークで「反応速度」という文字を書いた。今日のテーマだ。
「今日のテーマはこれだ。いいか?そもそも……」


「という訳だ。今日は取りあえずここまで。お前らもいい機会だから、自分と機体の関係を見直しとけ。
 それと高森尚貴、お前はドッグだ。後で案内しろよ」

 −緒方さん。確かに、こいつ面白いよ。あんたの言うとおりな……

 新人研修四日目、終了。

ヤガ目の後書き