それはよく晴れた日のことだった。
 前の日は眠れなかった。その前も、その前の前も、その前の前の前も、殆ど眠れない日が続いていた。
 彼女にとって、今日は運命の日だった。
 生まれた時の記憶も、生まれて来た理由も判らず、ただただがむしゃらに生きてきた毎日。
 決して「つまらない」人生ではなかったけれど、何か物足りなかった。
 自分が「生きている」理由が欲しくて、冗談半分に受けたD.N.A.、r.n.a.VR連合軍『Blau Stellar』の入隊試験。
 その前に受けたオペレーターの中途採用は奇跡的に合格した。
 別にバーチャロイドに乗ることに命を懸けたかった訳じゃない。
 ただ、「バーチャロイドに乗らなければいけない」自分がいただけだ。
 死ぬまで戦っていれば、いつかその理由が判るかも知れない。
 だから、運命の日も、その分岐点に過ぎなかった、彼女にとっては……


 寝不足の身体に日の光が痛い程突き刺してくる。
 彼女−高森尚貴(たかもり・なをき)−は親友である竜崎千羽矢(りゅうざき・ちはや)を伴い、ある場所へと向かっていた。
「ふぁぁぁぁぁ〜」
 ジャガイモが飛び込んできたら、そのまますっぽり入ってしまいそうな口を隠そうともせず、尚貴は歩きながら大あくびをした。
「尚貴ちゃん、また徹夜で通信対戦してたんでしょ?」
 通信対戦とは、家庭用ゲーム機のソフトで発売された「バーチャロン」の売りの一つである。通信回線を通じて、ゲームセンターに行かなくても、世界中のプレイヤーとの勝負が楽しめる機能だ。
「うんにゃ。俺対戦はゲーセンでしかやらんし」
「じゃぁ、何!? そのあくびは!」
 眠い目をこすりながら、眠気覚ましにとタバコをくわえて火を付ける。
「なーんかね。寝られないのよ、ここんとこ」
「寝られない?」
「そ」
 白い煙を吐き出しながら、先程よりは小さめのあくびをする(それでも端から見たら大あくびには変わりないのだが)。
「熟睡出来ないっての? あーいう感じなん。うつらうつらがずっと続いててさぁ……」
 千羽矢が、ぷっ、と吹き出した。
「やーだ。尚貴ちゃん緊張してたの?」
「そんなんちゃうん!」
 その言葉に無気になる尚貴。
「別に、そういう訳じゃ……」
「はいはい、そういうことにしておきましょ〜ね〜」
「あ! 信じてないでしょ!? ひっどー!」
 なんでぇなんでぇと拗ねながら、入り口近くに備え付けられていた灰皿でタバコを揉み消し、尚貴はそのままゲームセンターへと吸い込まれるように入っていった。
「あ! こら! 合格発表見るまでは対戦しないんじゃなかったの〜!?」
 後を追いかける様に、千羽矢も店の中へと入っていった。

 様々なゲームの筐体が並ぶフロアの中でも、特にバーチャロンの筐体が置かれている一帯は、ある種異様とも言える空気に包まれている。
 それは世界中何処へ行っても言えることで、例え町の中の小さなゲーセンであってもそれは変わらない。
 とくに、彼女らが足を踏み入れたこの店は、地上3フロア地下1フロアの全てがバーチャロンで埋め尽くされている『バーチャロン専用ゲームセンター』なのだ。
 尚貴は、空きの筐体をチェックする為にパソコンの置かれているカウンターへと真っ先に向かった。
「あ、尚貴ちゃんいらっしゃい。竜崎さんも」
 カウンターにいた店員の少女が尚貴と千羽矢に声をかけた。
「なんだ、美和ちゃんか。久しぶり」
「やっほ〜★」
 美和と呼ばれた店員の少女は、それまで暇だったのだろうか、尚貴が使い始めたパソコンをカウンターから覗き込んだ。
「あれ? 今日は確か……」
「あー、いいのいいの。まだ時間あるし、暇やし」
 最後まで美和が言い終わるのを待たずに、尚貴が口を開いた。
「あ・い・て・る・の・は・ど・こ・か・な〜?」
 空いていれば何処でもいいという訳ではなく、腐っても尚貴はP(パフォーマンス)・パイロットの一人。あくまでも「モニター台」にこだわっている。
「ねぇねぇ、竜崎さん」
「?」
「今日って……」
「合格発表だけど……」
「いいの? 遊んでて」
「発表3時だから、まだ2時間は時間あるし。ここ本部すぐだしね」
「尚貴ちゃん、落ちたらどうするの?」
「司令部の中途採用は決まってるし、そっち行くんじゃない? やりながらでもP・パイロットは続けられるし……」
「あーった!!」
 意気揚々とした声を出し、尚貴が満足のいくポジションの筐体を見つけた。
「美和ちゃん、外のマルチ全面モードにしてよ」
「えーっ!?」
「いいじゃん、やってよ」
「……もう、しょうがないなぁ」
「よーっしゃ!」
 モニターに映った尚貴が目星をつけた筐体のナンバーを指で軽く触れ、カードスロットルに自分のライセンスを入れると、「RESERVED」という文字が現れた。
「んじゃ、お願いねー!!」
 走り去った尚貴の背中を見ながら、やれやれといった面持ちで、美和は店の外にある16面マルチスクリーンを切り替えた。
 16個のモニターが一瞬ブラックアウトしたが、すぐに全面デモ画面に切り替わる。
 バーチャロン設置店でのモニター常設は今や当然のこと。ここの様に大規模な店舗では、店の外からも観戦出来るようにと、街頭用のマルチモニターを設置している。
 この店では1階フロアの16台を街頭モニターとリンクさせているのだが、事もあろうに尚貴はその16モニターをフルに使って自分の試合を映し出そうとしているのだ。
「どうする? 竜崎さん」
「あたしは尚貴ちゃんとこ行く」
 千羽矢は尚貴の後を追い、美和は店員用のモニターを尚貴が確保した筐体、1F−016(即ち1階フロアの16番台)へリンクさせた。

 1F−016番筐体。尚貴はすでにそのシートに着座していた。
「ふぅ、やっと追いついた」
 千羽矢も遅れて到着する。
 レバーを軽く動かし、レスポンスを確認する。
「さすが、レバーメンテはここが最高だよね」
 レバー状態に満足したのか、筐体のカードスロットルに先程のライセンスを認識させた。
 ここの店の筐体は、全て強制乱入設定がされている。故にゲームをスタートさせると、すぐに機体選択画面になる。
 が、今回はそうはならない。何もないハッチが映し出されるだけだ。
 その秘密は、自らのライセンスを認識させることによって、自分が普段使っている機体をゲーム上でも使用することが出来る為だ(これはP・パイロットライセンスでもB・パイロットライセンスでも変わらない)。実際の機体のデータをコンバートする間、このCGが映し出される。
 ハッチの床がスライドし、下からブラックパープルにカラーリングされた尚貴のサイファーがせり上がってくる。このシーンはライセンス所持者に与えられた、いわば「特権」の様なものである。
 『RVR−42 CYPHER EDITION NUMBER N.T.−0119 これでよろしいですか?』
 画面の表示を確認し、トリガーを引く。これで尚貴が普段使っているサイファーがゲーム用の機体としてコンバートされた。
 あとはいつもと同じ発進シーンが流れる。
「時間になったら絶対やめてね」
 千羽矢が忠告する。
「わーってるって」
「そう言って、いっつもやめないのは何処の誰ですか?」
「判ってる。今日は本当にやめるから」
 画面が切り替わり、バトルステージと相手のバーチャロイドが表示される。
 場所は「アンホーリーカテドラル」、相手はHBV−10−B・DORKASだ。
「ドルカスかぁ。ライデンやバトラーじゃなくてよかったかな」
 改めてレバーを握る。ゲームとは言え、緊張する瞬間だ。
 シールドゲージがMAXになり、「READY」の文字が表示される。
 試合開始。
 ドルカスの開幕ファイヤーボールを難なく避ける尚貴サイファー。バーディカルターンで距離を離し、全速ジャンプから右ターボダガーを放つ。
 「HIT!」の文字が出るも、相手ドルカスもファランクスで着地際を狙おうとする。続いて繰り出されるファイヤーボール。明らかに着地際の隙を狙った攻撃パターンだ。
「ちっ…くしょ…… そっちがその気なら、こっちだって……!」
 空中ダッシュをキャンセル、漕ぎながら旋回してドルカスを補足。完全に相手の背後に回り込んだ。着地してしゃがみフォースビーム左ハーフを発射、硬直をダッシュでキャンセルして全速ジャンプ。
 だが、ジャンプした先をドルカスのハンマーが捕らえた。
「何!?」
 空中前ダッシュでかわそうとするも、ハンマーの動きの方が早く、サイファーのシールドゲージがみるみる減ってゆく。
「こ・の・や・ろ〜!」
 レバガチャで素早く起きあがり、無限ダガーで弾幕を張る。横、前、横とバーディカルターン。障害物の少ないアンホーリーカテドラルでは、よく使うパターンだ。
 相手との距離を離したところでジャンプキャンセル、そのまましゃがみ右ターボホーミング。現れる「HIT!」の文字。
「よっしゃぁっ!!」
 右ターボレーザー3発を発射。2発目が入って転倒し、3発目できちんと追い打ちを入れる。これで彼女なりに先程のしゃがみハンマーの分は返したと言えよう。
 残り時間50/80秒。シールド残量ではサイファーの方が若干少ないが、Vアーマー値は上回っている。だが、サイファーにはあまりVアーマーで攻撃を弾くという事は期待すべきではないので、残り時間で「とにかく避けて当てる」事を意識しなくてはならない。
 ドルカスは装甲の薄いサイファーに多大なダメージを与えようと、かなりの大技を頻繁に仕掛けてくるようになった。
 しかし、それは攻撃後の硬直を狙われやすくなる危険性もある。
 尚貴は、まず避けて安全を確保し、硬直を狙って確実に攻撃をヒットさせる戦法に出た。
 左ターボバルカン、通称こかしバルカンの応酬だ。
 左ターボはフォースビームを撃つ時ぐらいしか実はあまり使わない尚貴だが、最近は確実に転倒から追い打ちを入れる為、練習を重ねてきたのだ。
 相手が攻撃を仕掛けてきたら、回避してこかしバルカン。勿論、それだけではパターンを読まれてしまうので、時折スライディング攻撃(硬直が怖いので、あまりダッシュ攻撃は使わない)やジャンプ攻撃を混ぜる。
 ドルカスが思うように攻撃出来ない反面、サイファーは微弱ながらも少しずつダメージを与えている。
「そろそろ死んで下さーい!」
 相手のシールドゲージが50%を切った。残り20秒。変形で逃げるにはかなり長い。故に壁に入りたいが、アンホーリーカテドラルには壁はないも同然。
 だが、相手の動きは明らかにおかしくなっている。このまま攻めきるチャンスとばかり、攻撃の手をゆるめずに相手を追い詰める。
 後ろで見ていた千羽矢は相手が哀れでならなかった。大型モニターで自分のバトルが流れている時、尚貴の勝率は異常とも言えるほど高いのだ。
(なのに、何で大会には弱いのかなぁ?)
 千羽矢はこれまた不思議でならなかった。
 残り10秒。
 ウェポンゲージに目をやると、全てブルーになっている。サイファーは飛んでいた。横、前、横、前とターンして……
 予想通りのS.L.C.ダイブ!
 それを撃墜させようとドルカスも攻撃してくるが、いまいち攻撃が決まらない。完全に自分の動きを見失っていた。
 このままS.L.C.で逃げ切るかと思われたサイファーだが、この人がこれで終わるはずがないのだ。
 明らかに、ヒットを狙った旋回を続けている。
 残り3秒。軌道の先に、ドルカスの背中を捕らえる。
「あーばよ!!」
 「HIT!」の文字と、爆炎を上げるドルカスが画面の隅に見えた。
 ぱちぱちぱちぱち……
 千羽矢がその勝利に拍手を送る。
「さすが、S.L.C.職人。いつもみたいに逃げるかと思ったけど」
「え? 逃げ? もうやらねぇ。これからは壊して壊して撃破しまくるぜ!!」
「あーらま、どういう風の吹き回しですこと?」
「逃げてる訳じゃないのに『逃げ』って言われんのが一番むかつくからね。なら、逃げずにシールドの0.1%まで削り取ってやろうと思ってさ」
 千羽矢が記憶している限り、尚貴は開幕S.L.C.を決めて、その後(70秒以上は確実に)逃げ、もしくは壁に入っていたことがあった。
 そのスタイルは一時賛否両論となり、そのことに腹を立てた尚貴は(彼女の言うところの)「自分のスタイルにケチつけたヤツ」相手に、逃げ、壁一切無しの超攻め特攻スタイルで全て撃破したこともある。
 P・パイロットなりたての頃は、回避しない…というか、攻めのみで「絶対バイパーUを止めるべきだ」と言われていたことも知っているだけに、千羽矢としてはどうも不安を隠しきれないのだ。
 何も知らないのは本人ばかり。
 迎えた2ラウンド目。
 完全に動揺しているドルカスと、絶好調のサイファーとでは、勝負の行方は誰が見てもただ一つだった。
 開幕30秒パーフェクト勝利。
「へへーん、だ!」
 尚貴は完全に調子づいていた。
 「NEXT CHALLENGER APPROCHING 対戦しますか?」の表示を待たずに、スタートボタンを連打。
 続いての対戦者はRVR−87 SPECINEFF。ステージはアンダーシープラント。
「勝った」
 尚貴は戦う前に、自らの勝利を宣言した。

 あれから2時間近くは確実にプレイしていた。
 どうしたことか、今日の尚貴は絶好調に更に輪をかけて好調で、最初のドルカスから数えること35連勝を決めるという、自分も「信じられない」記録を叩き出した。
「尚貴ちゃん、今日凄かったね」
 千羽矢が半分感心して、半分呆れて言った。
「俺が聞きたいって、それ」
 自分でもよく判っていないのだ。
「この分だと、受験の方も合格確定かな?」
「それはそれ。受験は受験。あの時は今日ほど調子良くなかったからね。学科はともかく、実技結構不安なんだよね」
 ジャンプキャンセルの後のターボレーザーが失敗してバルカンに化けたことや、デスパラシュートをしようとして旋回で回りすぎてロックオンが外れたことなどが、脳裏に甦ってくる。
「そうそう、今日夕飯お姉さん呼んだよ」
「…ってこたぁ、赤木さんも来る訳?」
「そ。当然」
 うが、という表情をする尚貴。明らかにばつが悪い、といった感じだ。
「もし、俺がパイロット試験受けたのバレたらどうなるかなぁ?」
「ってーか、ばれてるでしょ」
 うがうが。
「ま……まだ受かった訳じゃないしね」
「どうかなぁ? あたしが受かったぐらいだしね」
 千羽矢は去年、B・パイロットの試験を受験し、毎度毎度の高倍率を見事に突破。今では第9012特殊攻撃部隊、通称CRAZE隊の一員として、最前線で戦っている。
「運も実力のうちって言うじゃん? あたしなんかかなり運に助けられてるようなもんだし」
『そのせいで俺と一緒になっちまったって訳? ついてないよなぁ、ちーは』
「それはそれ。デュオは黙ってて」
「へ? 今なんか言った?」
 え!? という表情を見せる千羽矢。何でもない何でもないと慌てて誤魔化すが、尚貴は何となく釈然としない表情を見せた。
「でもなぁ、俺が本気で受かったとしても、ちゃんとやってけるのかなぁ?」
 そっちの方が心配だ、と、どことなく不安を隠しきれないでいる。
「うーん、こればっかりはどうとも言えないなぁ。災害救助なら何とかなるけど、対テロとかだと死人出るみたいだし……」
 うがうがうが。
「ま、それは受かってから考えようよ! ね?」
 ぽん、と肩を叩かれ、二人は目的地へと足を踏み入れた。
 D.N.A.、r.n.a.VR連合軍『Blau Stellar』東京基地本部へと。



 『Blau Stellar』東京基地本部。
 千羽矢が所属するCRAZE隊の駐屯地であり、司令部の中途採用がすでに決まっている尚貴の新しい職場だ。
 そして、ここはBlau Stellar全てを統括する最高幹部会が設置されている。正にBlau Stellarの中枢とも言える場所だ。
 時刻は午後3時6分。3時からの合格発表は既に始まっている時間だ。
 電光掲示板へと進む足取りが、明らかに重い。
「どうしたの!? いつもらしくもない!!」
「いや、だってさ……」
「だってもへったくれもないの! いい!? 落ちても誰も攻めたりしないんだから! 尚貴ちゃんが自分で出来る事をやった上での結果なんだから!!」
「それって、落ちたらやっぱ俺が悪いんじゃん」
『それって、落ちたらこいつのせいって事じゃん?』
 2つの声が同時に耳に入る。
「うるさーい!!」
 びくっ! となる尚貴。
「もう! つべこべ言わない!! 受かってるか落ちてるかで人間の価値が決まる訳じゃないんだから!
 物事には結果が出るのは当然なの! その結果を見ないであれこれ言うんじゃありません!!」
 教師を目指していた千羽矢らしい言葉だ。
「さ、行くわよ!」
 千羽矢は尚貴の手を取った。それに引っ張られるようにして尚貴は歩く。
 途中、千羽矢の顔なじみの人間に多く遭遇した。さすがは駐屯地である。
「あ、竜崎さん。誰それ?」
 という質問に、
「旦那でーす」
 と答える。
 当然、相手は「へ?」という表情をし、尚貴の方を見る。
 その出で立ちや、一見高そうな(実際高いのだが)黒のスーツにシルバーのサテンシャツ、淡いカーキ色のスプリングコートにシルバーのアクセサリー、長く伸びた茶髪(殆ど金髪に近いのだが)を一つに束ね、『繁華街にいそうなお水系』もしくは『ビジュアル系のバンドマン』と言った感がある。
 相手は「旦那までは行かなくても彼氏なんだろう」と信じ、何も言わずににっこり笑って立ち去っていく。
 向こうは完全に信じてしまったのだ。尚貴が「男」であると。
「千羽矢さん、俺の事何か変な風に取られたくさいんですが」
 先程の相手の背中を、尚貴は苦笑いしながら見送った。
「俺の事何か吹き込んだでしょ!?」
「べっつに〜」
 千羽矢は素知らぬ顔である。
 またもやはぐらかされた様な感じの尚貴だが、千羽矢相手に口で勝てないのは百も承知なので、ここは大人しくしていることにした。
 真実はいつは明らかにされるのだ。尚貴流の世渡り術である。
 二人が行き着いた所は、本部施設の建物の中でも群を抜いて大きい総司令本部。そこの1階のメインエントランスフロアだ。
 既に合格発表は始まっており、合格に歓喜する者、不合格に落胆する者、多種多様な人間模様が描かれている。
 スーツの胸ポケットから受験票を取り出した。受験番号100033。
 この番号があるか無いかは、もう運を天に任せるしかない。
「ここで、待っててくれるかな?」
「ひとりでいくの?」
 こくり。
「大丈夫?」
 こくり。
「やることはやった。悔いがないって言ったらウソだけど、自分が出来ることは全部やったつもりだ。
 もう、あとは自分の目で結果を見るしかない」
 千羽矢は、自分の身長より10cmは高い尚貴の頭を優しく撫でた。
「いってらっしゃい」
 千羽矢の笑顔に後押しされ、尚貴は電光掲示板へと歩いていく。
 −大丈夫だよ。だって、尚貴ちゃんあんなに頑張ったじゃない。
  それに、実技試験の時に尚貴ちゃんが倒したフェイ、あたしなんだよ?

 色々な表情の人とすれ違った。
 合格の余りの嬉し泣き、不合格への悔し泣き、来年こそは合格を誓った決意。
 自分は、どうなるんだろう?
 当然ながら、今は不安だ。
『合格者の方は、受験票を持って受付803番で入隊手続きの書類を受け取って下さい……』
 場内放送が不安を煽る。
「もう! 何弱気になってんだよ!!」
 顔をぴしゃぴしゃと叩いて活を入れる。そのまま、脇目も振らずに進んだ。
 受験番号100033番。それがあればいいのだ。
 点灯する掲示板を近くで見ようと、人を避けながら前に進む。
 その間にも、自分の番号は探していた。
 何万人者受験者で、合格者はほんの僅か。
 無くて当然。ある方がおかしいと、尚貴は思っていた。
 流れていた視線が一瞬止まる。
「?」
 立ち止まって、もう一度、確認する。
「え!?」
 そして、自分の受験票を取り出し、それと見比べた。
「……!」
 その行為をもう一回する。
 しばらく呆然となったが、慌てて人混みを抜けようとし、誰かにぶつかった。
「す…スイマセンっ!」
 下げた頭をあげるや否や、尚貴はコートの裾をはためかせて走り出した。
 高い靴音がエントランスに響く。
 千羽矢がその音に気付いて、座っていたベンチから立ち上がった。
 走ってくる人。笑っている様な、泣いている様な、どっちとも言えない顔で。
 その人は自分に飛び込んできた。受け止めて、送り出した時と同じ様に、優しく頭を撫でてやる。
「おめでとう。
 お疲れ様」



「あ、もしもし? お姉さん?」
 昼間にいたゲームセンターとはまた別の(勿論尚貴行きつけの)店の中から千羽矢が電話する。
 手には尚貴のコートと、『Blau Stellar入隊手続き書』と書かれた封筒を持っている。
「今暇ー? うちらミュージックミュージアムにいるんだけど」
 ミュージックミュージアム。様々な音楽ゲームを一同に集めたアミューズメントパークだ。
 尚貴は、今ダンスシミュレーションゲーム『舞踏革命』のプレイ真っ最中である。
「あ、今ミーティング中? じゃぁ……」
「サイアク! この靴滑る!!」
 電話中の千羽矢の声が、プレイ中の尚貴の声にかき消された。
 周りは筐体から流れるBGMで騒がしいのは勿論だ。だがそれにも増して、千羽矢の声は大きく、尚貴の声はそれをかき消している。
「なら夕飯は?」
「ウソ! コンボ失敗した! 今までの最高だったのに!!」
 五月蠅いことこの上ない。
「じゃぁ、6時に美和ちゃんのお店の前で待ってるね」
「がーん! ショック!! 最低!!」
 千羽矢は電話を切ると、後ろを振り返ってこう言った。
「尚貴ちゃん五月蠅い!!」
「んなこと言うても。だって聞いてよ! 『誇大妄想狂』初めてまともに出来たのにコンボつながらなくって……」
「だってもへったくれもない! 人が電話してるんだから静かにして!」
「んなとこで電話せんでも、外ですりゃえぇやん!」
 この程度の小競り合いは毎度のことだ。だが端から見るには珍しいらしく、順番待ちをしている人々が物珍しそうに見ていたりする。
「あ、あの子……」
 尚貴が『舞踏革命』の筐体に目をやった。
「よく来てるんだよね。どっかのチームの人みたいで凄い上手いんだよ」
 筐体の上には小さな少女が立っていた。長い黒髪と、はっきりした目鼻立ちの顔が印象的だ。
「時々バーチャロンもやってるんだよ。エンジェランなのに近接上手くてね」
 千羽矢は「エンジェランなのに近接が上手い」という言葉に反応した。
「どの人?」
「ほら、2番台の。帽子かぶってる子」
 開店の際に少しだけ見えた顔に、千羽矢は覚えがあった。
「あれ? あの人……」
「知ってるの?」
「多分。あたしの勘が正しければ、Blau Stellarの人」
「うそ!?」
「多分。それに、あの人あたしらより年上だよ。結構D.N.A.じゃ古い人だった気がする……」
「うっそ……」
 呆気に取られた尚貴を余所に、千羽矢はしばし考えていた。
「エンジェランで近接好き。ということは、天使隊かなぁ。でも他にもそういう人多いし…… 少なくとも、うちにいた人は漕ぎエンジェだったから違うし……」
 その思考を遮断する様な拍手。2番筐体で踊っていた噂の彼女が筐体のベストスコアを塗り替え、今日1日のトータルランギングを変動させたのだ。
「すっげ〜! いつ見ても凄いけど、今日はいつにも増してすげぇ!!」
 尚貴はあまりに感動し、言葉を失い、3番筐体に目をやってまた言葉を失った。
「あの兄ちゃん何者!? また塗り替えて行きやがった!!」
「また?」
「あの兄ちゃんもよく来るんだよ。どっかのチームの人だね。やっぱバーチャロンと同じでチームの人ってのは違うね!」
 赤茶けた長髪に全身黒い服、ちょっと女性っぽい顔つきの男性がネームエントリーをしている。隣から話しかける先程のエンジェ使い(推定)。友達、というかライバルなのだろうか。かなり親しげな感じだ。
「そーいや、あの兄ちゃんもバーチャロンやってたな。フェイ使ってるときもあるし、バトラーの時もあるし」
「ふぅん……」
 こっちの方は千羽矢は見覚えがないらしい。しばらく二人のやり取りを見て、時計に目を移した。
「あ! もうこんな時間! お姉さん達来ちゃうよ」
 ♪ぱららぱ〜らら〜ら〜ら〜ぱら〜ららら〜ぱららら〜ら〜♪
「『お姉さん達来てるよ』だって」
「誰?」
「美和ちゃん」
 尚貴は千羽矢から渡されたコートに袖を通し、書類袋を受け取って足早に目的地へと足を運んだ。
『ちー、どうした?』
「いや、あの二人、これから先どこかで会いそうな気がする」
 ちろ、とあの二人を見て、千羽矢もその後を追った。



「「「かんぱーい!」」」
「ドールドレーイ!」
 多国籍風居酒屋の客席の一角。モンゴルチックなテントの中。
 集まったのは千羽矢、尚貴、二人の姉的存在であるBlau Stellarオペレーターの赤木香緒里(あかぎ・かおり)、日向友紀(ひゅうが・ゆき)の4人。
 今日の宴会の名目は、当然「尚貴のBlau Stellar入隊試験合格祝い」だ。
 テーブルには既に空きのグラスと、空の皿が作られている。
「なにはともあれ、尚貴ちゃん、入隊おめでとう」
 香緒里がねぎらいの言葉をかける。
「ちーちゃんに続いて尚ちゃんもか。あたし的には身内がこうぽこぽこ来るのはちょっとね……」
 友紀がグラスを空けながら言う。
「それは私も同じだけどね。二人とも自分で選んだことなんだし、おめでたいことには変わりないんだし」
「それに、止めても素直に聞く尚貴ちゃんじゃないって」
 最後の千羽矢の一言に、がくっ、とうなだれる尚貴。何か言い返そうとしたが、食べ物が口いっぱいに詰まっているのでもごもごとしか話せない。
 急いで噛み砕いて一気に飲み込む。
「まぁ、今ならそれは否定しませんけどね。受ける前に何らかの形で説得されれば……」
「聞くっていうの?」
「……どうだろ?」
「聞かないでしょ?」
「……多分」
「ほーら、ごらんなさい!」
 さも全てお見通しだったような顔をして、千羽矢が言った。
「だって尚貴ちゃん、一度決めたらてこでも動かないんだもん。そんな人がちょっと説得したからって『はいそーですか』って聞くとでも思う?」
 ごもっとも、とうなずいて、一口二口残っていたあんずサワーを一気飲みする。
「ま、こればっかりはね」
「でもなんで急に試験受けようなんて思ったの?」
「あ、それあたしも知りたい!」
「そうね…… 確かに言われてみれば……」
 この面子で集まった場合、一番立場が弱いのは尚貴だ。その三人からこう言われては、拒否しようものなら何と言われるか判ったものではない。
「……って言われてもね……」
 考えながら、海老の春巻をかじった。
「なんか、俺的に思ったのよ。『受けよう』……ってーか、『受けなきゃ』って」
「そんだけ?」
「そんだけよ。
 こう言っちゃ悪いけど、高尚な志なんてありませんからね。ただ、何となく……」
「それで受かっちゃったって訳!?」
「そんな言い方しないでよ! こっちだって結構必死だったんだから! 試合の出場数だって今までよりも減らしたんだし」
 まぁまぁ、と香緒里が宥める。
「理由は何であれ、受かったことはいいことなんだから。ね。今日は尚貴ちゃんの新たな人生の出発の日なんだし」
 香緒里が気を利かせて料理を追加オーダーする。
「そういや尚ちゃん。今回は何で受かったの?」
 友紀の質問に一瞬怪訝そうな顔をした。
「前に尚ちゃん『乗り換える』とか言ってたじゃない? どうしたかなって」
「あぁ、それですか。現状維持ですよ。変えたところで一からやり直しなんだから」
「じゃぁ……」
「サイファーで合格しました」
「「何ですって!?」」
 香緒里と友紀、ほぼ同時に声を上げた。
「のわっ!?」
 尚貴が頬張っていた鳥の唐揚げを喉に詰まらせそうになる。慌てて千羽矢が水を飲ませ、その場の難は去った。
「どうしたの? 二人ともそんな声あげて」
 千羽矢も突然の出来事に目を白黒させる。
「だって、ねぇ? 友紀さん」
「ねぇ? 赤木さん」
 『あのこと、絶対喋っちゃダメよ』『了解』というようなアイコンタクトが二人の間で交わされた。
「で、相変わらず遠距離主体なの?」
 香緒里が半ばはぐらかすかのように話題を変えた。
「そりゃぁ、まぁ、高い高いじゃないと。何の為のサイファーなんだか」
「最近はあんまり『逃げ』じゃないよね?」
 千羽矢が一応フォローする。
「ってーか、こかしバルカンなんか元々使わない人だし、俺。最近は結構使ってるけど、そーすると逆に向こうに補足されやすくなるからダメ。
 仕方ないね。元々染みついたクセとかはそう簡単に治らないし」
 ごちそうさま、と手を合わせて唐揚げの皿が空になる。
「近接は? 新人研修でもプログラム組まれてるけど」
「もっとダメ。相手補足した時にダブルロックオンして、なおかつ相手の後ろを取ったなら、ソード出すことも考える」
「相変わらずの『遠距離至上主義』なのね……」
「ひゃっておりぇ、だっしゅひんしぇつできにゃいもん」
 訳すると「だって俺、ダッシュ近接出来ないもん」になる。
 はぁ、と残りの三人が溜息をついた。
「近接、楽しいよ」
「そりゃ千羽矢ちゃんはフェイだもん。フェイ近接強いし、尻サイアクだし」
 『尻サイアク』という単語を聞いて、千羽矢は苦笑いする。
「別にいいよ、近接は。俺には向かないから」
 再び、友紀と香緒里が目を合わす。状況が判らない千羽矢。食べ続ける尚貴。
「ごちそうさま。おなかいっぱいです。本当にご馳走になっていいの?」
「いいのよ。今日はそういう日なんだから」
「デザートいいですか?」
「はいはい」
「んじゃ、いつものケーキ屋さんに行ってます」
 尚貴はとっとと支度して、とっとと出ていった。千羽矢がそれを追いかけた。
 残された香緒里と友紀。
「赤木さん……」
「友紀さん。何としても、一郎ちゃんを新人研修に参加させちゃダメよ!
 一郎ちゃんだけじゃないわね。成ちゃんも、哲君も、藤崎君もよ」
「おがっちは?」
「おがっちは…大丈夫だと思うけど…… 念の為。
 いい? 尚貴ちゃんを、うちに入れちゃダメよ!」
「判ってる」
 友紀と香緒里による「尚貴CRAZE隊入隊阻止作戦」は、現時刻を持って発動した。
 そんなこととはつゆ知らず。尚貴と千羽矢は行きつけのケーキ屋のウィンドーで、あれこれ物色していた。

 V.C.a7年度Blau Stellar新人入隊式まで、あと3日。

ヤガ目の後書き