ビリビリと空気のように水が振動する。さすがのバル=バロスを持ってしても、来夢のサイファーから放たれたエネルギーの放射は水中での軽快な移動すら妨げる。
「一体どうなってんだよ!」
 二人のパイロットはいち早くこの異変に気付いていた。それは背筋が冷たくなる程の重圧。そして高エネルギー反応。
「もう、何がなんだか訳判んない!」
 優輝は次々に起こる予測不能な自体に、少々パニック気味だ。おまけに、グレンデルが発する精神ノイズによる不具合も、だんだんと他のエリアに影響を及ぼし始めている。Vポジティブ値の高い優輝には、だんだん不利な状況になってきた。
 しかし、水中という視界が不確かな状況は、彼にとって好都合ではあった。閃光弾による目眩ましからの攪乱攻撃は、優輝の最も得意とする所である。距離がある時はマインとリングレーザーのコンビネーション、距離が近い時は、大胆に近接に持ち込む事もある。
 相手の橋立も優輝を意識しているのか、割と似通った戦闘スタイルで優輝を軽くいらつかせる。確定所の攻撃が当たらなかったりと、ミスも目立ってきた。まだ若さ故のメンタル的な弱さが表れ始めたのである。
『泉水、とりあえず焦るな』
「判ってるよぉ!」
 緒方からの注意にも、半分切れ気味である。自分が戦っている相手だけではなく、他のエリアからのプレッシャーも、彼にのしかかってくる。本来なら「格下」相手にこんなに苦戦するはずはない。
 自分は天才だ。世界一のパイロットにもなった。それは「奢り」ではなく、自分自身に対する「自信」である。どんな相手にも立ち向かえる、勇気を与えてくれるもの。
「うわぁっ!!」
 避け切れなかったフローティングマインがヒットする。バル=シリーズは決して装甲値が高い訳ではない。サイファーやバイパーUに次ぐジャンプ力、漕ぎを利用した機動力を生かし、回避しながら攻撃を仕込む。それがバル=シリーズの戦い方だ。優輝は何とか自分のスタイルに持ち込まんと、今は防戦に回るしかない。
 反面、橋立は今まで足元にも及ばなかった相手に互角に戦っている事に、少しばかり酔っていた。グレンデルから発生する精神ノイズは、予め防護フィルターがかかっているので全く影響がない。
「凄い…… これが本当のバルの力……」
 VRの雛形バル=バス=バウの後継機であり、本来VRが持つべき電脳虚数空間突入能力に長けた「バル=ケロス」に変換出来るバル=シリーズ。橋立はVRの真の姿はバル=シリーズに他ならないと確信し、自分の選択が間違っていなかった事を改めて強く感じた。
「俺だってやれば出来るんだ!」
 脚部ERLを巧みに仕込み、属性を変化させる。揺らめく水にERLの姿が溶け込み、相手から補足されにくい。だが相手にも同様の利点があるので、自分も気をつけなければならないのだが。
『橋立、聞こえるか? 二葉だ』
「大尉!」
 インカムから聞こえてきた声は、八部衆筆頭の一人、二葉だ。
『いいか、よく聞け。今のうちに決着を付けろ。時間が経つと恐らくこちらが不利になる』
「どうしてですか?」
『こいつらはそういうヤツだからさ。早くケリを付けないと、お前も死ぬぞ』
 通信は一方的に切られた。
 橋立はふと、あるパイロットの事を思い出していた。Königin Rに仕え、彼女の先兵として出撃し、未帰還となった男を。
「死ぬもんか。俺が、ライムさんの分まで戦うって決めたんだ。ライムさんの無念は、俺が晴らすんだ!!」
 「Operation Alice」緒戦。菊地哲・高森尚貴組に敗北を期したライム=マイスナーは、橋立にとって兄のような存在だった。O.D.A.に後から所属した橋立に、兵士としての心構えや戦い方を、全て伝授してくれた。同じKönigin Rの配下として、常に期待をかけられていたマイスナーが、何故死ななければならなかったのか。橋立は只、マイスナーの仇を討ち、彼の為にKöniginに認められ、彼女の片腕となるべく、その腕を磨いてきたのだ。
「二葉大尉がそこまで言うなら…… 俺は鬼になって、絶対に勝つ!!」
 橋立はフローティングマインを五発展開させると、時期の周りを周回させた。
「何だよ! 自爆でもするの!?」
 優輝は相手の行動が理解出来ない。バル=シリーズにはフェイ=イェンやアファームドのようなハイパー化能力も、ライデンのようにアーマーブレイクからの機動力確保も、そんな能力は持ち合わせていない。
「見てろ…俺の力…… 俺だって…俺だって……!」
 狂気にも似た意志に反応し、高速回転していたマインが次々に爆発した。爆発の衝撃が橋立のバル=バロスを襲う。
「うぅぅっっ………」
 爆発の衝撃に混じって、MSBSからの強い干渉を受ける。体の芯に火が灯り、燃えているように熱い。
 爆発はやがて光となり、バル=バロスを包んだ。目も眩む程の強い光を放った後、急速に光が消えた。

「うそ…… マジで……」
 優輝はパイロット人生において、これほどの恐怖を感じた事はなかった。
 逃げるつもりは更々ない。だが、レバーを握る手が、いつの間にか震えていた。


「友紀」
「なによ」
「俺のスペシネフ、持ってきてるよな」
「そりゃぁあるけど…… まさか!!」
 緒方は端末を叩くと、自機の状態を確認した。乗っていない間の整備も怠っていない。今すぐにでも出撃出来る状態だ。
「精神ノイズはEVLバインダーでそんな気にならんが、ブランクがな……」
 やれやれ、と言うような顔をした緒方。返す刀でアリッサと水無月が対峙しているサイファーの分析を続けた。
「最悪、俺も出るかな……」





−尚貴ちゃん、ゴメン。私もしかしたら……
 千羽矢は覚悟を決めた。あの時−デュオと融合したあの作戦で、千羽矢は一度だけ死線を越える思いをした。パイロットという職業柄、負傷などは日常的であるし、軍人である異常、死ぬという事も常に危険をはらんでいる。Bパイロットは不測の事態に備え、年一回遺言状の作成、もしくは更新が義務づけられている。
−とりあえず、実家の犬は大丈夫だし、口座の事は軍にお任せだし……
 飛んでくるアイスショットを買わしながら、こんな事が考えられる自分を、千早は器用だと思った。やっとの思いで反撃するも回避され、自分は相手の攻撃を回避する事で精一杯。
 それは寮機の蒼我も同じで、ジャンプターボサイズすら回避されてしまう機動力に、完全に閉口していた。
 幸いこのエリアは、哲と成一が戦っているエリアから一番遠く、精神ノイズの影響は全くと言っていい程受けていない。
 しかし、相手の格が違いすぎる。これまで戦ってきた相手とは、比べものにもならない。
−止むないな……
 蒼我はエンジェランを中心軸とし、周回するように動き始めた。クリーキングは効果的ではないが、時折姿を消す事で、相手に対しルーチンワーク的攻撃をさせない事を期待した。あわよくば、一発を狙う事も出来るはずだ。
「下らん。また同じ手を使うか!」
 フェイ=イェンのソードハートをプレートディフェンダーで弾き返し、返し様にブレス龍を召還したエンジェラン。それにスペシネフの相手をさせると、自分はフェイ=イェンとの戦闘に集中した。
 マリアの召還したブレス龍は、左右非対称の動きをする双龍と同じ、一般的なブレス龍ではない。召還有効時間が長いのだ。しかも、通常であればスペシネフのエネルギーボールに触れれば召還するのも無効化されている。
「やっかいだな……」
 エネルギーボールを挟み、ブレス龍の召還と同時にエンジェランに攻撃する当てが外れた。なまじ下手に攻撃すると回避がおそろかになり、自分も危ない(熱光学迷彩の為、蒼我のスペシネフはサイファー以下の装甲しか持っていない)。
「一か八か……」
 ブレス龍と真正面に対峙したと同時に、スペシネフが透明化した。するとどうだろう。あれほど執拗にスペシネフを追い回していたブレス龍が、突然標的を見失ったような動きを見せ、天を向いてそのまま帰還したのだ。恐らく、クリスタル部分の発光に反応するようになっているのではないだろうか、と蒼我は推測した。
 しかしながら、これで僅かでも対抗策が出来た訳であり、仮にブレス龍がフェイ=イェンを狙ったとしても、今度は自分がエンジェランと戦う事が出来る。基本の戦闘力だけならスペシネフに分があるが、いかんせん相手のパイロットはそこが未知数だ。一分の油断も許されない。
 一方、ブレス龍対策を見つけられ、形成が再び二対一になったマリアであったが、焦りの色は全く見られない。彼女にとって、ブレス龍は自分のサポートであり、やはり主力は自分自身なのだ。
「思ったよりはやるな……」
 マリアは相手の意外な奮闘に感心しつつも、自分の状況を冷静に判断する。そして、どちらかと言えば、やっかいなのはスペシネフであると判断した。クリーキング能力でブレス龍は効果的ではない。障害物やプレートディフェンダーを貫通するターボサイズも侮れない攻撃だ。
−久々にやるか……
 エンジェランはバックダッシュで距離を取ると、双龍を召還した。呼び掛けによって姿を現した龍は、先程のものよりは少々細く、全長も長い。だが、動きが左右対称であるのが判ると、蒼我が龍の前に出て動きを引きつけた。

 だが、これこそマリアが狙っていた行動であり、蒼我はその思惑にまんまとはまってしまったのだ。

 龍はゆっくりと周回する。スペシネフのダッシュで明らかに回避出来るかと思われた。
「アイザーマンの遺産よ。我に屈せよ……」
 翼に浮かぶヤガランデ・アイが強い輝きを見せる。それに呼応するように、龍はスピードを上げ宙を舞った。


「なんだ……」
 モニターの様子に、緒方もさすがに不信を抱いた。
 この動き、どこかで見たような気がしてならない。
「蒼我」
『はい』
「そいつに絶対捕まるな。いいか? どんな事があったも絶対に逃げ切れ」


 突然の緒方からの指示に、蒼我も警戒を強めた。龍はまだ上空を滞空している。
 が、急激に高度を落とし、スペシネフに向かって降下した。手前1mほどで交差し、後ろに回り込もうとする。
「そういうことか……」
 アイフリーサーを振り上げ、龍の頭を狙ってサイズを放った。狙いは寸分違わず頭部にヒットした。が、龍はその障壁をすり抜けると、スペシネフに絡みつくように動きを狭めた。


「あの馬鹿……!」
 緒方が舌打ちする。
 突破口は失われてしまった。あとは、運を天に任せるしかない。
「今井さん」
「……出るの?」
 フローティングキャリアー「ポルトパラディーゾ」艦長・今井寿が顔色を変える。
「準備だけ、お願いします」
「……判った。
 俺だ。ドックに残ってるスペシネフ、ロック解除。いつでも出せるようにしておけ」
 がちゃん、と音を立てて艦内通信用の受話器を置いた。さすがに、今井にも焦りの色が見える。
「おがっち、私も……」
「友紀はここに残れ。皆いなくなったら、誰もフォロー出来ないだろ」
「でも……」
 友紀はこう見えて、アーケードではバトラーを駆り、大会でも上位常連だった程の腕前の持ち主だ。緊急時に出撃出来る特別ライセンスを持ち、最悪の事態になった場合は、彼女もパイロットとして前線に立てるのだ。
「まぁ、賭けるしかねぇな。俺達が出なくてもいいように」


 サイズによる龍の消滅が出来ず、蒼我はひとまずその場を離脱しようとした。スペシネフのダッシュ速度なら、龍を振り切れると誰もが思っていた。

「裁きの龍よ。神の名の下に、彼の者に審判を……」

 電脳公用語とは違う言葉で、マリアが龍を制御する。その声に従い、龍の目が赤く輝いた。まるで螺旋を描くようにスペシネフの周りを回り出す。
 この光景を見て、蒼我はかつて同じような場面を見たのを思い出した。このOperation Aliceが開戦して間もない頃、CHN地区での戦闘。氷の龍がグリス=ボックを絡め取ったのを。
 龍の目が強く輝き、更に動きを狭めた。スペシネフは高度が出ないながらもジャンプでそれを回避しようとしたが、龍がそれを逃がすはずがない。更に螺旋を描くように上昇し、スペシネフを追う。
 これが最後の抵抗手段だ。アイフリーサーが刃を展開する。振り上げてそのまま叩き付けた……

キィィィン……

 僅かに表面の氷が削れただけで、その導体を切断する事が出来なかった。完全に思惑が外れた。
 蒼我が次の思考を巡らせるより早く、龍がスペシネフに絡みつき、締め上げた。コックピットがみしっ、と嫌な音を立てる。
「蒼我さん!」
『ちぃ! よそ見すんな!』
 エンジェランに防戦一方だったフェイ=イェンが、視線を一瞬逸らせた。
「未熟……」
 マリアはその僅かな隙を見逃さなかった。デュオが入れ替わろうとするも、時既に遅く。
「きゃぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
 氷を身に纏ったエンジェランが、フェイ=イェンに体当たりした。ゲージ残量が50%に近かったフェイ=イェンは、金色の光を一瞬放つと、爆炎を上げてそのまま機動を停止した。
「やれ! アイザーマンの遺産に死を!!}
 スペシネフを拘束していた龍は、マリアの命に従い、数十メートル離れた海底岩に向かい、一直線に加速した。
「死ね! 裏切り者が!!」
 龍はここが海底である事が信じられない程のスピードを出し、スペシネフを道連れにそのまま海底岩に体当たりした。
「ぐっっぅ……」
 龍は粉々に砕け散り、スペシネフはVアーマーを弾けさせて岩に叩き付けられた。ずるり、と機体が滑り落ちる。
『蒼我! 千羽矢! 状況報告!』
 緒方の怒鳴り声がインカムに響く。
「ごめん…活動限界……」
 強いショックを受け、パイロット、機体共に限界状態の千羽矢。
「Vコンバータ不具合発生。これ以上の戦闘行動不能……」
 スペシネフは激突した際の姿勢が適切でなかった為(あの状態で被弾体勢を取れというのも無理な話ではあるが)、Vコンバータにダメージを受けていた。破損はしていないがショックにより安全機構が働き、今のスペシネフは戦闘行動を行う事が出来ない。
 戦闘不能となった二機を見て、マリアは自分の任務を全うした事に、満足そうにほくそ笑んだ。
「やはり私が出るまでもない」
『素晴らしい出来です。マリア』
「お母様!」
『これならMeisterもご満足されるでしょう。もう貴方の役目は終わりです。戻ってきなさい』
「ですがお母様。こやつらの魂を……」
『戻ってくるのです』
 Jungfrauの声は穏やかであるが故に、畏怖じみた威圧感も感じる。マリアはこれ以上Jungfrauに対して何も言えなくなってしまった。
 これがO.D.A.で製造されたマシンチャイルドに搭載されている「パブロフシステム」と呼ばれるものである。過去に発生したマシンチャイルドによる反乱の再現を恐れ、Meister Oが命じ、開発させたマシンチャイルドの制御用プログラムだ(Klosterfrauが開発責任者となっている)。
 O.D.A.は八部衆を初め、マシンチャイルドを多く保有しているが、このシステムがどれほどに搭載されているかは定かではない。そして、設定された主人が一体誰なのかも。全てはMeisterのみが知る所である。
『これだけのパフォーマンスを見せてくれれば充分です。数ヶ月は動きを止められるでしょう。今回の功績、Meisterには私から進言しておきます』
 インカムの音声が切れた。マリアもこれ以上ここに留まる事は無意味だと理解し、帰還体勢を取った。足下にヤガランデ・アイを出現させ、機体をノイズへと変換させる。
「…なんだと……!?」
 マリアの視界に、スケルトンシステムだけとなり、もはや機動不能であったはずのフェイ=イェンが、愚者の慈愛を支えに立ち上がろうとしている姿が目に入った。
 当然ながら、先程行動不能になったはずの機体だ。それが再起動するなど、あり得ない話だ。それが何故、こうして動いているのか。
「……出来損ないが!!」
 エンジェランは聖域を壊滅させた時と同じように、左手にエネルギーを集中させると、その固まりをフェイ=イェンに向けて放った。爆発と共にフェイ=イェンは再度爆炎を上げ、今度こそ機動を停止した。
 マリアは倒れたフェイ=イェンを見つめ、今まで感じた事のない「何か」を味わいながら、虚数空間へと姿を消した。


 アンダーシープラント 勝利者 マリア=ジョリー=L=ショパルズ(対戦機行動不能により)





「くそっ! 相手が強すぎる!」
 緒方が思わずコンソールを殴った。
「友紀!」
「判ってる!」
 互いに苛立ちを隠せない。百戦錬磨と言われたCRAZE隊始まって以来と言っても良い敗北だ。
 友紀は未だに精神ノイズからの対処策が見つからないまま。既に数百のアーカイブをチェックしているが、有効なものが見つからない。
「もう、一体どうすれば……」

「これ、よかったら使って。何かの時に役に立つかも知れないから」

「……あ……」
 友紀が足下に置いてあるバッグからディスクケースを引っ張り出すと、大急ぎでページをめくり、一枚のディスクを端末にインサートした。
「?」
 緒方は友紀の慌てた様子を、自分も作業しながら見守っている。その目には不安と期待すら込めて。
「……ったく、こんな大事なもの持ってるの、すっかり忘れてたわ!」
 自嘲気味に笑う友紀、認識されたディスクに書き込まれた100近いアーカイブ。友紀はその中に、自分が探しているものが絶対あると確信し、一つ一つをチェックした。そして……
「あった!!」
 『MNBS−Mind Noise Blocking System−』と名付けられたアーカイブ。そのフォルダを開くと……
「これよ! これこれ!! ……っとにあの子ったらいつの間にこんな物を……」
 「Read Me」という名前のテキストファイルを斜め読みすると、「Setup.exe」を起動させた。防護プログラムのインストールが始まる。
「成ちゃん! 哲君! あともう少しだけ我慢して!!」


「あと少しったって……」
 激しい頭痛、それから併発する目眩や吐き気。成一と哲は長い事精神ノイズからの弊害に晒されている。成一は既に立ち上がれない状態で、意識を保っているのがやっとだ。
「つまんねェなァ。もうマグロかよ!!」
 グレンデルの操る蒼いドルドレイが、横たわった成一のバトラーを蹴りつける。哀れバトラーは抵抗する術もなく、海底に転がされた。
「うぅっっ……」
 苦悶の表情を浮かべる成一。何度も意識を手放しそうになりながらも、持ち前の根性で立ち上がろうとする。しかし精神の随まで痛めつけられた状態では、片膝を付く事すら出来ない。並のパイロットであれば、既に精神崩壊しているだろう。
「成ちゃん!」
 哲も成一程ではないが、通常では考えられない程のダメージを受けている。Vポジティブ値の低さが幸いし、只一人グレンデルに立ち向かっているが、未だ決定打を与える事が出来ない。
 蒼いドルドレイが、器用にクローでバトラーを掴み上げる。
「雑魚が……」
 一瞬ノイズと化したドルドレイ。デジタルの帯がその周りを包み、再構築される。その姿を見て、さすがの哲も絶句した。
「……んだよ……こいつ………」
 ドルドレイ特有の能力である「巨大化」。哲も度々恩恵にあずかっているし、派手な見た目からPパイロットにも魅せ技として多用されている。
 しかし、グレンデルのドルドレイは、その常識を遙かに超えていた。巨大化したドルドレイよりも、更に一回り以上大きい。まるでジグラッドのような、要塞と言ってもおかしくない大きさだ。
「くそっ、こいつ!!」
 捕らえられた仲間を助けるべく、哲がドリル特攻で背後から相手に突撃した。が……
「効かねェなァ…… そんなチンケなヤツじゃァよォ……」
 グレンデルのドルドレイは左に90度振り返ると、ドリル特攻を左足で受け止めた。哲のドリルは虚しく火花を散らし、これ以上先に進めない。
「手前ェは後ですり切れる位相手にしてやんぜ。まずはその前に……」
 バトラーを掴み上げたクローに力を込める。
「この色男から先にイかせてやるよ!!」
 少しずつ、少しずつ、クローに力を加えていく。みしみしとスケルトンシステムが軋みを上げているのが判る。
「うぅぅぅゥゥゥゥんんっっっ………」
 身体中にバトラーが軋んでいく感覚が伝わってくる。その感覚が身体の深い芯を刺激し、グレンデルは思わず身をよじった。
「あぁぁぁっっ…… すげェよコイツ…… 今までの男で一番気持ちいいぜ……」
 ツインスティックから脳天を突き破る程の感覚がグレンデルを襲う。「YOSHIWARA」の客相手では絶対に味わう事の出来ない快楽だ。
「半殺しにしてもぜってー連れて帰ってやる…… 改造して俺のオモチャだ……」
 恍惚の表情を浮かべるグレンデル。さすがMeisterが選んだオトコ。溺れる程の快楽に、もう並にパイロットでは満足出来ない。
 更に少しずつ締め付けられる機体。いつ一思いに潰されてもおかしくない。バトラーのコックピットに赤いパトランプが点灯し、スクリーン一面に危険を示すアラートが表示されている。
「友紀……」
 キャリアーで自分達を助けようとしている仲間を呼ぶ。このまま為す術もなく、自分は倒されるのか。かつて大量に生産され、捨てられていった愛玩用の使役獣の様に。もう、ツインスティックを握る力すら入らない。意識が遠のき、目の前が白く霞む。

「!!」

 今まで聞いた事もない言葉が聞こえた。耳ではなく、直接脳に。
 すると、潮が引いていくように、今まで自分を苦しめていた苦痛が消えて行ったのだ。それだけではない。まるで脳を入れ替えたかのような、清々しい感覚さえ覚える。
 もう自分を苦しめる物は何もない。成一は目の前のドルドレイを見据えると、力強くツインスティックを握り直し、意識を奥へと沈めた。
「何だ……?」
 グレンデルはこの「異変」に気が付いた。そしてバトラーのダブルスリットの輝きを見ると、そこから不思議な力が沸いてくるのを感じた。
「友紀、遅いっつの」
 哲もようやく責め苦から解放された。息をするのがやっとの状態が嘘のようだ。
『ごめんっ!』
 ワイプから両手を合わせ、謝罪する仲間の姿が見える。
『でも、お礼は私じゃなくって……』
 紅のドルドレイがドリルの回転数を上げた。バトラーも自分を捕らえているクローから抜け出そうとする。
『上に言ってちょうだい』
「何ィィィィィッッッ!?」
 哲のドルドレイが、グレンデルのドルドレイを押しやった。その拍子にグレンデルは大きくバランスを崩す。
「こ  の  野  郎ッッッ!!」
 まだ足下にいるドルドレイを踏みつぶそうとする。しかし、ようやく本来の力を取り戻した哲は、ドルドレイ離れしたスピードで、赤い光となり急速にその場から離脱する。
「クソったれ!!」
 せめてバトラーだけでも…… クローに一気に力を込め、バトラーを握り潰そうとする。この際、パイロットの生死は関係ない。マシンチャイルド技術でいくらでも組成が出来るし、身体が多少潰れていても、生体機械(ネットワーク)技術でいくらでも作り直す事が出来る。
 しかし、グレンデルは予想もしない事態に、全身から汗が噴き出た。それは快楽の汗ではない。
「なッ…… なんだお前!!!」
 クローが少しずつこじ開けられていくのが判った。グレンデルも意識をクローに集中し反撃する。これまで、彼女のクローに挟まれて、無事であったVRはいない。先の大襲撃でも、第6プラントサッチェル・マウスに出撃し、防衛に当たっていたVRの殆どを握りつぶし、グリス=ボックの腕すら引きちぎった。
 パワーには絶対の自信がある。それは「母」であるKönigin Rも認める所であり、O.D.A.では一目置かれる存在だった。
 だが、今その自慢のパワーが押し返されている。彼女にとって許し難い事であり、万一負けたりでもしたら、屈辱以外の何物でもない。
「この…人間風情がァァァッッ!!」
 グレンデルのドルドレイが昇り立つ霧の様なオーラに包まれる。成一のバトラーも負けじと白い光に包まれた。

「死ねェェェェェェッッッッ!!」

「うぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁっっっ!!」

 凄まじいまでの力と力がぶつかり合う。もはや、哲は只それを黙って見ているしか出来ない。神聖とも言える二人の戦い。哲はその気迫に圧倒された。
 今まで二人を襲っていた、あの拷問の様な精神ノイズの悪影響はない。成一は苦痛からようやく解放され、本来の力を発揮出来る様になった。意識を只、このクローから抜け出す事だけに集中する。深く、深く、まるで自分がバトラーと解け合っている様な、この現実空間にはもう自分の身体はなくなっている様な、そんな一体感。
−すげぇ…… 俺にまだこんな力が……
 徐々にクローを押しやっていくのが判る。自分にこれほどの力があったのか。底知れない力に、他人事の様に驚きを隠せない。
「くそッ…… 何でコイツ急に……」
 まるでこれまでと別人の様なバトラーの力に、グレンデルは戸惑いを隠せない。今までいい様にあしらってきたが、このままでは自分が危ない。
「人間ごときにヤられてたまるか!! 俺は…俺はァァァァッッッ!!」
 グレンデルの発したエネルギーに呼応したのか、ドルドレイを中心に竜巻の様な激流が生まれた。水中でハリケーンでも発生した様な力だ。哲はその流れに飲まれない様に、重心を下げて必死に耐える。
「成ちゃん!」
 白い渦で中の様子まで伺い知る事が出来ない。成一は大丈夫だろうか。こうなっては、哲は成一の身を案じる事しか出来ない。
「くっそ…… この馬鹿力野郎……」
 成一も戦っていた。底知れない相手の力。だが、自分を信じ、相棒を信じ、意識をより深く奥へと集中させる。
 すると、不意に意識が吸い込まれる様に、急激に深い所に落ちていくのが判った。どこまでも、どこまでも、まるで何かに導かれる様に。その感覚は無限にも続く様で、不安すら覚える。
 不意に、意識が何かに触れた。成一は一瞬「それ」に触れるのをためらったが、力を欲する気持ちが恐怖心を上回った。その瞬間、全身が炎に包まれた様な熱を感じ、まるで全身がバラバラに引き千切られる様な、芯から力が爆発していく……
「うぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!!」
 真っ白な光が、目を開けていられない程大きく広がった。バトラーの腕が、ドルドレイのクローをこじ開けていく。
「うぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!!」
 再度成一が吠えた。じりっ、じりっとバトラーが自由を取り戻そうとしていく。
「こいつ…… こんな力……」
 グレンデルも反撃するが、成一の力が少しずつグレンデルを凌駕する。グレンデルが奥歯を噛んだ。
 均衡が、少しずつ崩れていく。成一が見せるパワーに、気迫に、グレンデルが圧倒されていく……
ガキーン!!
 クローが完全にこじ開けられ、成一のバトラーが自由を取り戻した。返す刀で見事な回し蹴りをドルドレイにお見舞いする。
「ぐァァァッッ!!」
 大きく転倒する蒼いドルドレイ。Vアーマーが派手に飛び散った。
「くそッ…… やってくれるじゃねェか……」
 グレンデルにはまだ余裕の笑みが浮かんでいる。彼女にとって、只無抵抗にやられる相手では面白くない。相手が自分に反発したり、反抗したりする程、彼女は燃えるのだ。だから「YOSHIWARA」の客を相手にするだけでは、身体は満足しない。思想犯、政治犯、果ては軽度の窃盗犯等を集め、本人の意志を無視して「商売」させられている非合法の店に入り浸り、そこで自分の欲求を満たしているし、バーチャロンの対戦でも、常に最大限の力を誇示し、それに必死に抵抗する相手と戦う事に、悦びを感じている。そんな相手が一番力を発揮出来るのだ。
 だから、クローから抜け出し、自分に一矢報いた成一に、グレンデルはこれまでにない戦う悦びを感じていた。持てる力でねじ伏せ、自分の力を誇示し、相手を完全に屈服させる。それこそが彼女の最大の悦びであり、存在意義なのだ。
「はン! あんだけ俺の中で出しまくって、まだそんなに元気あるんだな!!」
「何言ってんだ。俺相手に散々×××で愉しんでたみたいだけど、これからは俺とてっちゃんの二人相手にしてもらうよ!!」
「せ…成ちゃん……!」
 哲が成一の挑発にまた頭を抱えた。完全に相手のペースに流されてしまっている。
「ほォ…… 俺に×××××させようってェのか!? 俺なら二人一緒にブッ込まれても、×××でもいいんだぜェ?」
「へぇ…×××もOKなんだ…… でも俺はその可愛い口で×××して欲しいけどね!」
「手前ェのブッとい×××突っ込んで、××かせられたらしてやんよ!!」
 その言葉を合図に、成一がナパームを放ち、グレンデルはファイヤーボールで応戦した。海底が瞬く間に火の海と化す。
「ま…これなら大丈夫かな」
 哲はすっかりいつもの調子を取り戻した成一に安心すると、速度を上げグレンデルに近づき、成一を援護した。

 戦いは仕切り直しとなった。三人(?)の戦いが、ようやく始まる。


 To be continued.