Blau Stellar、GRM地区本部。
 EURエリアはは大陸の広大な敷地を生かし、多くのフローティングキャリアーの停泊出来る基地が点在するが、特にGRM地区本部は最大級のキャリアーを四台停泊させることが可能だ。
 今回の出撃に当たり、以前に搬送を担当した第8949旅団所有のキャリアー五機が再度担当。リリン=プラジナー所有艦「リヴィエラ」も待機することとなる。
 その中には、水陸空兼用艦「ポルト・パラディーソ」も含まれており、今回の出撃の規模の程がうかがえる。


 交戦指定日二日前。9012隊全隊員がフローティングキャリアー「ジュピター」に集合した。
 この「ジュピター」は空母としての機能よりも、生活空間の充実を図っている。それは当然ながら、艦長の意向によるものだ。それでも収容出来る戦闘機、VRの数は世界中に点在するキャリアーの中でもトップクラスを誇る。
「お久しぶりです。櫻井さん」
「……おぅ……」
 彼は第8949旅団を束ねる若き旅団長、櫻井敦司中将。長く艶やかな黒髪と、白い肌。何より彼は「目」が印象的だ。全てを見抜くようなその鋭い眼光は、見る者を圧倒する存在感を放つ。
「今回は、ありがとうございました」
「……あぁ……」
 この間と部屋に漂う空気が、その場にいる者を余計に緊張させる。特にアリッサは瞬きも出来ないほどだ。
 しかしながら、緒方は櫻井に臆する様子もなく、堂々としたものである。
 一郎と藤崎は、櫻井ではなく、その背後に控える女性次官に目を奪われた。どれもトップクラスのモデルと言っても過言ではないほどの美しさを持っている。実際モデルとして活躍している者もいるのだが。
「……で、誰来るの?」
 聞いただけではやる気のないような話し方だが、もともとそういう話し方なだけで、かつてOMGに出撃した時の姿は、今の様子からは想像も出来ない程にアグレッシブだった(それはとても良い言い方であり、その時の状況はとても酷いものだったらしいのだが)。藤崎は今でもその事を覚えている。
「櫻井さんの所にはRODと神宮寺がお世話になります。あとはこっちで振り分けます」
 気だるそうに椅子に座った櫻井が、藤崎を見た。
「……変わらないねぇ……」
 にやり、と笑った櫻井の顔を見て、藤崎の背中に何かが走った。
 普段やる気のなさそうな櫻井は、前線に出た時『真の姿』を見せるのだ。その姿を一度見ているだけに、藤崎は櫻井をありとあらゆる意味で一目置いている。
「お…お世話になります!」
 怖い、訳ではないのだが、あの姿を見ているだけに、どうも藤崎は櫻井が苦手なのだ。
「……また飲もうぜ……」
 藤崎を見て、またにやり、と笑う。当の藤崎は蛇に睨まれた何とやらの如く、ただただ顔を引きつらせていた。
 櫻井の視線は、藤崎の隣にいた深夜に向けられた。
「……君が、藤崎君の相棒?」
「は…はい……」
 深夜は自分が「品定め」の視線を向けられているのに気づいた。それがどのような「品定め」なのかは判らなかったが。
「……君、沖田つかさの所のか?」
 これは驚いた。まさかそんなことまで判ってしまうとは。
「そうです。天使隊では沖田さんにお世話になってました」
 その返事に、櫻井は興味深げな視線を投げてよこした。
「……じゃぁ安心だな。頑張れ……」
「はい。ありがとうございます」
 不思議な空気が流れた。この人は、沖田さんの何を知っているのだろう? なんで、それなら大丈夫だと思うんだろう? 疑問が頭を巡る。
 ふと、櫻井の深夜を見る視線が柔らかくなった。まるで、家族を見守るような、そんな視線。
「……今日は夜に前祝いをやるつもりだ。楽しんでってくれ」
「お心遣い、感謝致します」
「……友紀が世話になってるからな。お礼のつもりだよ。遠慮しないでくれ。キャリアーでも、自分の家と同じにリラックスしてくれよ」
 9012隊専属オペレーターの日向友紀は、彼らの妹分に当たるような存在だ。随分と長い付き合いで、9012隊配属前は8949旅団にも所属していた。
「それじゃぁ俺達は失礼します。他の方々にも挨拶しないとならないので」
「……おぅ、気をつけて。
 それと今井は多分いないと思う。待ってればすぐに来ると思うから」
 随分とアバウトな発言を残し、櫻井は次官を引き連れてその場を立ち去った。その背中を見送って、緒方がポケットからメモを取り出す。
「さっきも話したけど、改めて割り振りを言います。
 RODと神宮寺は櫻井さん、一郎とクレイスはヒデさん、染谷と尚貴はユータさん、DOI−2は八神さんの所に。成ちゃんと哲の班は今井さんの所に全員行って下さい。
 あと俺は成ちゃん達の方に行くので、代理としてドクターを一郎達につけます。で、赤木さんは一郎達に、友紀は成ちゃん達に、それぞれ分かれて下さい。
 その後はRODと一郎の班はムーニーバレー、成ちゃんと哲の班はトランスヴァールでの行動になります」
 ここから先はしばらく別行動となり、TSCドランメンで改めて合流となるのだ。
「一人も欠けることなく、TSCでまた会おう。全員に月と、タングラムの加護があるように」
 緒方の言葉に、全員が自分達の存在を改めて確信した。
 自分達は、地球を守る為に、戦いに出るのだと。

 空には夕焼けの赤と、夜の青が美しく彩り、五機のキャリアーが大空へと舞い上がった。



 フローティングキャリアー「ヒロイン」。この艦には瀧川一郎とクレイス=アドルーバが登場することになる。
 艦長は星野英彦少将。彼もOMGに出撃し、テムジンを駆って活躍した。決して派手ではないが、堅実な戦い方に、時折Pパイロット講習の実技教官として呼び出されることもある。「基本に忠実」ではあるが、決してマニュアル戦闘ではない、時折繰り出す大胆なダッシュ攻撃も見事なものだ。
 彼らの前に姿を現した星野は、髪をブルーに染め、制服をラフに着こなしていた。この姿にクレイスは少々面食らっていたようだ。
「びっくりしたか? まさか艦長がこんな姿だとはなぁ」
「…いえ、そういうことでは……」
 しどろもどろになるクレイス。前回、エアポートでの戦いでは星野とは顔を合わせていない為、この対面が初めてになるのだ(樋口豊少将と八神透中将とは、一度顔を合わせている)。
「最初やから言うとくけどな、ヒデさんは優しそうに見えて、敵には容赦ない人なんやで。OMGの時に『ほふった』VRの数は数知れず。RODはヒデさんがおらんかったら基地の内部にも突入出来へんかったんやで」
「何言ってるんだ瀧川君。そんなの昔の話だろう」
 星野は一郎の言葉に、困ったように笑い返した。
「改めて挨拶しようか。
 第8949混成旅団第3斥候大隊隊長、星野英彦です」
「9012隊陸戦部隊A班所属、クレイス=アドルーバです。ストライカーに乗っています」
 握手を交わす二人。ふと、星野が思い出したかのように言った。
「あ、もしかして君か。コンテストで入選したの」
「いや…… 大したことでは……」
「すごいね。尊敬するな」
 星野は今回の論文コンテストでクレイスが優秀な成績を修めたことを知っていた。何故なら、星野もこの審査員の一人だったから。そのことをクレイス本人が知るわけないのだが。
「君みたいな子が司令として成長してくれれば、Blau Stellarも安泰だね」
「そんなことないです……」
 流石にここまで誉められてしまっては、クレイスでなくても気恥ずかしい。
「今日はささやかだけど、出撃の無事を祝って皆で集まるから…って、うちは誰もお祝い好きだから、どこでもやるんじゃないの」
 星野は自分も含めて、8949旅団の人間は皆お祭好きだと言った。それは9012隊もあまり変わりなく、何かにつけて皆で集まるのが好きだったりする。
「そうそう、瀧川君はあれ積んでるの?」
「あれ?」
「ほら、新しいシステム」
「零距離のこと? 俺は積んでへんわ。RODは載せてるみたいやけどな。見た目派手やし。その辺は重要な所やな」
「アドルーバ君は?」
「俺も載せてないです。近接は性に合っていないと言うか…… 俺はそこまで巧みじゃないので」
「あれは確かに使い手を選びそうだよね。俺自身は興味あるけど」
 その言葉に、一郎はいたく驚いた顔をした。
「ヒデさんが近接するなんてあまり聞かへんけどな」
「そりゃまぁ確定どころじゃないとしないよ。でも面白そうじゃないか。そういうのも」
 星野は中距離からの攻撃を得意としている。前ダッシュライフルを主軸としているが、ボムで相手の視界を塞ぎ、距離を詰める「ボムハメ」系も得意だ。それ故に、ダブルロックオンレンジや密接距離からの攻撃には、零距離戦最適化システムは有効だと考えているのだ。
「まだ出来たばかりだし、不具合とかも考えられますからね。投入を慎重に考えている人も多いですよ」
「RODとかはああいうおもろいの好きやもんな……」
 元々民間(Pパイロット)出身の彼らだが、「戦う」ことには人一倍のこだわりを持っている。
 いや、Pパイロット出身だからこそ、見る人を大いに楽しませると言うスタイルにこだわりを持っているのだろう。だからこそ、藤崎も一郎も、己のスタイルには確固たる自信を持っている。
「あーあ、俺もたまには前線出たいなぁ……」
 星野の発言に、一郎もクレイスも一瞬ドキッとした。そんなことをされてはこちらの見せ場を全部持って行かれてしまう。それほどまでに、星野の技術は卓越しているのだ。
「……なんてね。うそうそ」
 少年のような屈託のない笑顔を浮かべる星野に、二人は安堵のため息をつく。
「ヒデさん! 冗談が過ぎますわ!!」
 抗議の声を上げる一郎に、苦笑いを浮かべるクレイス。
 出撃前夜、コントロールルームは何時までも笑い声が響いていた。



 フローティングキャリアー「ムーンライト」に搭乗するのは染谷博和と高森尚貴のちぐはぐコンビ。この辞令が緒方から出された時、周りが凍りついたほどだったが、それほど本人達は気にせず、尚貴も素直に拝領した。
 しかも今回のキャリアーの艦長は樋口豊少将。以前のエアポート戦でも世話になっているだけに、知らない間柄でないので他の乗組員も気楽なものだ。
「ユータさん、またお世話になります」
「久しぶりだなぁ。この間の対戦は本当良かったぞ。新入りであそこまで戦えるのは大したものだ」
 樋口はエアポートでの戦いを見て、尚貴のことを非常に買うようになった。瀧川一郎譲りのアグレッシブな戦いと、窮地に陥っても己を見失わない冷静さ。火力支援大隊を率いる樋口の目にも、その姿は頼もしく見えたものだ。
「今回俺はサポートに回るつもりです。わざわざ俺が前に出る必要もないですからね」
 嫌味なのか、それとも素直に染谷の実力を認めているのか、その発言からはうかがい知る事は出来ない。
「どうする? 先輩。言われっぱなしじゃないか」
「まぁ別にいいっすよ。あとは命令次第ですから」
 染谷のマイペースぶりにも、樋口は苦笑する。
 しかしながらこの二人、以前よりも関係は良くなっている。というのも、エアポートや前回のフェイ=イェンがらみの作戦において見せた戦いぶりが、非常に評判が良いのだ。その内容はもちろん染谷も認めるところであり、特に零距離戦最適化システムを使った前回の戦いは評価が高い。
 染谷自身、元々VRを操縦する能力が高く、どんな機体でもそつなくこなすものの、特に「これ」といったセールスポイントがない。どのVRも同じ様に操る実力は認められているが、何か特筆したものに欠けるのだ。
 反面、尚貴はサイファー(バイパーU)に操作はほぼ固定されている。中量級もテムジンなら最低限のレベルは動かせるが、アファームド系になると、近接の要素が必要になり全く持ってその正能を使いこなすことが出来ない(ストライカーなら何とかなるらしいが)。また重量級は最も苦手とするものであり、同じ軽量級でもエンジェランやスペシネフなど、癖のある機体も苦手である。
 特に乗り心地に癖のあるバルシリーズをあのように乗りこなしたことは、彼女自身の評価を上げるのには充分なくらいであり、かつ零距離戦最適化システムという新しいシステムを使いこなしたことも、更に評価を高めるものとなっている。
 言うならば、敵軍の最強とも言える使い手相手に一歩も引かなかったことが(いくら相手が力をセーブしていたとは言え)、一番の評価対象なのだが、その辺は本人はあまり気にしていない。
「当たり前のことだけど、やっぱり実戦と対戦は別物ですからね。気を抜いたら自分が死ぬし、俺が相手を殺してしまう可能性もある。その辺はきちんとわきまえているつもりですよ」
 確かに当たり前なのだが、長いことこの仕事についていると、ついつい忘れがちになってしまうことだ。樋口はこの尚貴の発言に頷きながらも、常にそう思っていることが大切なのだと付け加えた。
「今はオンライン戦闘も安全性が高くなり、『持っていかれる』事は殆どなくなった。だけど俺達がしていることが『戦争』、命のやり取りであることに変わりはない。
 お前達には、この戦争が、ただの命の奪い合いでなく、もっと意味のあるものだという事を、常に判っていて欲しい」
 尚貴も染谷も、樋口の言葉を真剣に受け止める。戦争に身を投じる者として、人間として。
「でもまぁ、時代も良くなったものだよ。旧世紀は大量破壊兵器なんかがまかり通っていたくらいだしな。だからこそ、電脳歴になって取締りが強化され、グリス=ボック開発後、ICBMの使用も厳しく制限されたんだ。
 ヤツらが復活させようとしているAliceとやらが、どんなに素晴らしい物かは知らないけど、少なくとも俺は今のこの世界に不満はない。
 前に進むだけがいいことじゃない。立ち止まったり、振り返ったりすることも、俺は大事だと思うな……」
 樋口は人前ではあまり多くは語らないが、だからこそ、その言葉一つ一つに重みを感じる。
 「ヒロイン」とは対極的に、「ムーンライト」は静に夜がふけていった。



 フローティングキャリアー「ハイパーラブ」は、八神透中将が管理する艦である。乗り込むのは名誉ある単機出撃を拝領したDOI−2こと土居二郎。OMGを成功に導いた英雄に与えられた、新たな伝説を築く絶好の機会だ。
 前回のエアポート出撃の時も、彼等はCHNエリアを受け持った水無月淳に同行した。それに以前より知らない仲ではないので、アルコールも手伝って、出撃前だと言うのに既に「いい気分」だ。
「あれからもう8年も経つのか…… 俺も歳を取ったもんです」
「何言ってるんだ。まだまだこれからじゃないか。俺からすれば、お前なんかまだ若造だ」
 八神は当年とって三十代半ば。しかしながらバイタリティあふれる人柄で、多くの隊員に慕われている。また重量級を手足の様に操る技術は、星野と共に度々Pパイロットの技術講習に呼び出されるほどだ。
「でもまさか、こんな時代が来るとは思わなかった。rn社が台頭してきた時も、さほど揉めなかったのに。企業軍隊間戦争とはな……」
 正直、Blau Stellarが結成されてから「戦争」らしいものは起きていなかった。地域紛争や、ファクトリーの襲撃などは日常茶飯事だった時期があったものの、それは少数の部隊で沈静させることが出来たし、OMG以降に世界的な戦役は起きていなかった。
「この地球が、それほどまでに価値のあるものなのか、正直俺は微妙なんだけどな」
 ブランデーで喉を潤しながら、八神がこぼした。
「八神殿は外惑星開拓派ですか?」
 外惑星開拓派。それは地球より外の惑星−火星や木星など−に人々の暮らしを求める一派であり、地球と月のみに活動を限定しているDN社、rn社を痛烈に批判する団体である(団体なのは、まだ企業国家と言えるほどの力がないからだ)。
「まさか。俺はこう見えても親地球派だぜ。でもなんか、そこまでして手に入れたいものなのか、と思ってね」
「確かに。
 でも考えてみて下さいよ。よく子供向けのアニメでもあるじゃないですが。太陽系のずっと向こうから地球を狙ってやってくる連中の話。その狙いの殆どは、地球そのものに宝石みたいな価値があって、それを手にしたものは全宇宙を支配出来るって。
 そんな感じなんですかね」
「さぁなぁ」
 タバコをくゆらしながら、思いをめぐらせる八神。
「俺達には判らんよ。今はお前達に頑張ってもらうしかない。俺はその手助けしか出来ん」
「全ては、俺達次第と言うことですか」
「そういうこった」
 DOI−2の、そして全員の幸運を祈るかのように、二人はグラスを打ち鳴らした。



 藤崎賢一は、この上ない恐怖に襲われていた。神宮寺深夜は、そんな藤崎を見て小首をかしげることしか出来ない。
「一体どうしたんですか? さっきといい、今といい。
 ……櫻井さんって、そんなに怖い方なんですか?」
 何の気なしの深夜の様子に、藤崎は完全に顔を青ざめてさせていた。
「あのな、櫻井敦司と言う人は、俺がこの世界で怖い物にあげる中で五本の指に確実に入るお人やねん。
 あの人の真の姿は、戦場でないと見ることが出来へんねや。それを思い出しただけでも……」
 全身をガタガタさせて、震える藤崎が、深夜には滑稽に見えて仕方なかった。
「櫻井さんがスペシネフに乗り換えたって聞いて、俺は行くべきところに機体が回ったと思うたわ。
 多分Blau Stellarでも、おがっちも入れて確実に五本の指には入る使い手やで」
 ちなみに、深夜は櫻井が戦っている姿というのは見たことがない。OMGの時は8949隊は本体のサポートであったので、TVには殆ど映っていないのだ。
「お前なんか、あっという間に食われちまうぞ」
 あー怖い怖いと言いながら、藤崎は風呂に入る為にブリーフィングルームを出た。深夜もしばらくして、部屋を出ることにした。

 フローティングキャリアー「ジュピター」は、乗組員の部屋だけでも三桁後半に届く規模を持つ。それ以外にも、レセプションルーム三部屋、食堂、娯楽施設など、長期間艦内で暮らしていくには充分位の規模である。
 藤崎と深夜にもそれぞれのプライベートルームが与えられ、且つ二人が顔を合わせやすいように、小さな(と言っても、二十人は裕に入れるのだが)ブリーフィングルームもある。
 こんな様子なのでBlau Stellarは世界一裕福な企業軍隊との噂もあるが、それはあくまでも噂にしか過ぎないことを、読者の皆さんにはお知らせしておこう。


 寝るにはまだ時間も早く、どうしようかと思っていた深夜だったが、たまたまラウンジの前を通りかかった。
 そこには偶然にも、櫻井が一人で座っていた。
「お隣、いいですか?」
 櫻井は特に何も言わなかった。別に不機嫌な様子もなかったので(と、深夜には見えた)、そのままカウンターの隣の席に座る。
「ストロベリーダイキリで」
 バーテンは静かに頭を下げると、深夜の為のカクテルを作り始めた。戦艦にバーテンというのは、今の時代あまり珍しいものではない。この艦にはライセンスを受けたカジノのディーラーもいるくらいである。
 しばらくすると、深夜の前に一杯のカクテルが差し出された。ピンク色の綺麗なカクテル。深夜はそれを一口口にすると、おいし、と思わずこぼした。
「お聞きしたいことがあるんです」
 櫻井は顔色一つ変えなかった。相当のポーカーフェイスなのだろうか。敵は手ごわいな…深夜は正直そう思った。
「沖田さんのことなんです」
 そのことには、流石の櫻井も反応した。それでも、表情自体はあまり変わっていないのだが。
「なんで、私が沖田さんの下にいたのをご存知だったんですか? お二人はどういう……」
「…あいつは…俺の妹だよ」
 この発言に、深夜は驚きを隠せなかった。深夜が覚えている限り、彼女の元上官である沖田つかさは、明るく快活で、今目の前にいる櫻井敦司とは正反対の人間に思えた。そんな二人が兄妹だとは、この世の不思議と言っても過言ではない。
「妹と言っても、完全に血がつながっている訳じゃない。父親が違うんだよ。他にも兄弟はいるが、そんなもんでお互い顔も見たことがないのが殆どだ。
 あいつと会えたのは、偶然だと思う……」
 櫻井が言うには、つかさと初めて顔を合わせたのは、天使隊結成の際のレセプションらしい。二人の母親はD.N.A.の医療部門で名を馳せた衛生兵だったそうで、それが判って兄妹だと認識したそうだ(その後遺伝子鑑定の結果、きちんと兄妹であることまで判っている)。
 それからつかさは櫻井に多大なる信頼を寄せ、何かにつけては櫻井に色々相談事を持ちかけていたらしい。
 もちろん、つかさが深夜を9012隊への異動を推薦させるに当たっても、相談を受けていたという。
「つかさは、君を異動させることを正直迷っていた。何度も俺のところに来たよ」
「何か、言ったんですか?」
「いや『そうすることが必要なら、それでいいんじゃないのか?』って。
 君が他の部隊で行動することで、パイロットとしての成長することを、あいつは期待したんだろう。
 言っていたよ。君は、将来あの部隊を引っ張っていく存在でなければならないとね」
 それは、出立前にも天使隊参謀、山南敬子にも言われていた。行く行くは、司令近藤克己の後継となって欲しいと。
 自分にかけられた期待は、どれ程なのだろう。深夜は改めて、自分が9012隊へ異動になったことに対し、大きなプレッシャーを感じた。
「出来るでしょうか? 私に……」
 深夜の心細い疑問に、櫻井は笑ってこういった。
「仲間が君を信頼してくれれば、気がつけば君は一人前の司令になってると思う。
 誰も最初から完璧に任務をこなせる訳じゃない。失敗することもある。俺もそうだった。それでも、仲間は俺を信じ、ついてきてくれた。俺もそんな仲間に応えたいと思った。
 一人で頑張るものじゃない。仲間と一緒に成長する。そんなもんさ。自分が成長したかどうかは、結果がついてくる」
 その顔は、とても優しげな顔だった。他人にこんな表情を見せるのは、一年に一度あるかないかといわれている彼だ。
 自分の妹が、命に代えてでも守りたかった後輩は、櫻井にとっても妹に等しい。
「先ずはこの戦いを生き残ることだ。死んでしまっては何も始まらない。生き残ってこそ、限定戦争は意味がある。
 生き残れ。どんな手段を使ってでも」
 OMGという戦役を生き残った櫻井の言葉には、とても重みがあった。
−私には、生き残らなければならない『理由』があるんだ……
 ストロベリーダイキリを飲み干しながら、深夜は自分の立場を再確認せざるを得なかった。



 翌日。GRM地区を出立した六機のフローティングキャリアーは、太平洋上空に到達した。
 各艦のブリッジ、「ポルト・パラディーソ」のブリーフィングルームには、既に準備を終え、VRに乗り込むだけとなった隊員達、メインスタッフ達が顔を揃えている。
『ポルト・パラディーソ、ポイント上空到達』
 先頭を飛んでいた今井寿中将が艦長を務める水陸空兼用艦「ポルト・パラディーソ」が各艦に交信する。それに応えるかのように、併走する各艦も速度を落とし、ポイントに滞空した。
 上空1000メートル近い高度。強化ガラスの窓からは雲を突き破るように横切っていくのが見える。キャリアーのデッキ部分で戦う部隊は、この高さに足を震わせた。
「……了解。ポルト・パラディーソは降下。着水後は緒方大佐の指示を仰ぐように」
 「ジュピター」艦長、櫻井敦司中将が指示を出す。その姿は旅団長に相応しい気品に溢れている。伊達に数百人を率いる旅団筆頭に選ばれていない。
『ポルト・パラディーソ、降下開始。その前に全員安全ベルト装着!』
 艦のあちこちで笑い声が起こる。「ポルト・パラディーソ」艦長の今井寿中将は、OMGにおいて活躍したバル=バス=バウパイロットであり、世界的にも高名な電脳師だ。能力は非常に高く、彼を慕う隊員は多いのだが、少々性格が「抜けている」部分があるらしい。致命的ではないのだが、ちょっとしたことが抜けているようで、補佐官が頭痛薬を手放せない理由である。
 「ポルト・パラディーソ」はゆっくりと降下を始めた。高速エレベーターのように少しずつ速度を上げ、やがて海面に大波を立てて着水する姿がモニターに映し出される。
『さて、ここから先の作戦行動は別になります。当面は私が大佐の代わりを務めさせていただきますので、よろしくお願いしますよ』
 八神率いる「ハイパーラブ」に乗艦しているドクター、トウマ=ジーナスウィンドより通信が入る。
『皆さんにはこれより搭乗、出撃体勢に入ってもらいます。その後全員キャリアー甲板部にて待機、先方と接触後即座に迎撃体勢に入って下さい。
 遂行時の行動はこれまでどおりですが、今回から待機部隊による支援はありません。他部隊への支援を依頼することも不可能ではありませんが……』
 ドクターは語尾を濁した。要するに「自分達とは力の劣る部隊なので、充分な支援を期待出来るか判らない」という事を言いたいのだ。彼が言いたいことは、全員が充分理解出来た。
『体制的には、恐らく一対二が基本になると思われますが、土居少将のみ、単機でお願いします。まぁ貴方なら相手に出遅れを取ることはないでしょう。
 ここからが正念場です。全てのプラントを取り返し、月面基地への道を開く。皆さんにかかっています。
 勝利を、我等に……』
 ドクターの言葉に一同力強く頷き、全員がヘルメットを片手にドッグへと向かう。
 その姿をTVカメラが追った。全面的に中継が入っているこの限定戦争だが、流石にブリーフィング等の様子を撮影することは許可されておらず、カメラは常にそれ以外の場所に待機している。どこの中継局かは知らないが、限定戦争公司やバーチャロン・ニュース・ネットワーク(VNN)等ではなさそうである。パイロットが姿を見せるまで場をつなぐレポーター、カメラスタッフなどクルーの数も少なくはない。恐らく、開戦前にMeister Oがセッティングすると言っていたスタッフなのだろう。
 ちなみに、O.D.A.がどこの企業軍隊なのか、未だ明らかになっていない。全てが謎に包まれたまま、彼等は戦いを続けているのだ。

「皆、どうか無事で……」
 「ヒロイン」に同乗した赤木香緒里は、いるはずもない神に無事を祈るしか出来なかった。

 To be continued.