O.D.A.は決して所属員が多い企業軍隊ではない。
 少数精鋭、そんな言葉が彼らには適している。

 決して狭くはないコンピュータルームに、二つの人影。
 灰色のボブカットの女性と、緑色のワイルドカットの男性。どちらもO.D.A.の黒い制服に身を包んでいる。
 膨大な量の情報に目を通し、自ら探している物を探索する。気の遠くなるような情報量だが、彼らはそれを止めようとしない。
「一息入れないか? ヒルダ」
 端末に向かう女性を気遣うように、青年がマグカップを差し出す。
「ありがとう、ロル。切りもいいし、ちょっと休むことにするわ」
 湯気の立つ白いマグカップを受け取る。立ち上る紅茶の香りが、疲れた心を癒す。
「…で、見つかったのか? 例の件は」
「決定的なものはまだね。でも、この理論は決して間違っていないわ」
「…にしても、WAL様も無茶を言うな」
 ロルと呼ばれた青年が、空いていた椅子に腰掛ける。
「でも、この事実が立証されれば、私達にも非常に有益だわ。
 『宇宙に存在する全ての星に、クリスタルが存在する』なんて、とんでもない話だもの」
 フォートナム&メイスンのロイヤルブレンドは、懐かしい故郷の味がした。
「ムーンクリスタル、アースクリスタルの他に、とりあえずマーズクリスタルとジュピタークリスタルの存在が確認出来たわ。
 少なくとも、この太陽系の惑星には、クリスタルが存在するのかもしれない」
Meisterはそれすらも自らの手中に治めようとするのか……」
 青年が顔をゆがめる。
 ローレンス=ラッセルとヒルデガルド=ローゼンハイム。彼らは自らの目的の為、O.D.A.に身を寄せている。決して地球に恨みがある訳ではないが、彼らには彼らの理由がある。
「ヒルダ」
 彼女は何も言わなかった。その声を聞くだけで、ローレンスが何を思っているのかを痛いほど判っているから。
「僕は、戦うことに意味がないとは思わない。
 ただ、無益な戦いだけはしたくない」
 かつてBlau Stellarと対戦し、敗れたpolche、佐藤敬次郎の両名は、兄弟のいなかったローレンスにとって、本当の弟に等しい存在であった。
 二人は自らの力量を試されるかのように出撃し、そのまま戻ってこなかった。時同じくして出撃した他の二名も、帰還していない。
 そして、この戦いが始まってから、O.D.A.のパイロットの間には、ある噂がまことしやかに流れ始めていたのだ。
 戦いに敗れた者は、二度と帰ることがない、と。
 先陣を務めたライム=マイスナー、真理子=K、弓月司の三名も、現在未帰還となっている(一部の人間は、弓月の帰還を目撃したというが、信憑性は定かではない)。
 エアポートに出撃したネイ=ウィズ=小夜曲、板上二郎も未帰還ではあったが、Klosterfrau配下のソア=ファールズは、大きなダメージを受けながらも帰還を果たした。
 それ故に、この噂が真実なのかどうか、パイロットの間では常に話題に事欠かない。
「僕達Section Virtualoidは、決して仲間を見捨てたりはしない。
 高い契約金で僕たちを『雇って』もらっている身分ではあるが、このことばかりは、僕は断じて許すことが出来ない」
 ローレンスは喜怒哀楽がはっきりしているとは言い切れないが、決して感情を表に出さない訳ではない。
 ヒルダには、この一件でローレンスが非常に怒りを感じていることが切々と伝わっているのだ。
「今回のことは、私も同感よ。ロル」
 マグカップを机の上に置き、ヒルダも内に秘めた怒りを露わにする。
「でも今はまだ時ではないわ。ここは、私たちが想像していた以上の組織。今ここで事を公にしては、全てが水の泡だもの」
 ローレンスは再度顔をしかめたが、ヒルダの発言に納得し、小さくうなずいた。
 ピーッ
 外から呼び出しがかかる。ヒルダがインターホンに出る。
「はい、ローゼンハイムです」
『俺だ』
「WAL(ヴァル)殿ですね。今開けます」
 ヒルダの返答と同時に、ローレンスがドアに歩み寄り、ロックを解除する。
 外に立っていたのはSklave。脱色したストロベリーブロンドを肩まで切りそろえた軍服姿で現れた。
 彼の身につけているのは、彼がかつて所属していた軍組織の物だと言う。年代を感じさせるブルーグレーの上着には、所々に赤が退化したようなしみが付いている。見ればそれが血液であることはすぐに判る。
 隊員はそれを気味悪がり、指定の制服を勧めたものの、Sklaveは断固としてそれを身に着けることを拒んだ。
 聞けば、その制服が彼らが内戦で戦った敵国の物にそっくりだからという(同じ理由でFurstもそれに袖を通そうとはしない)。
 それを聞いてから、誰一人として二人に新しい制服を勧めなくなったという。
「わざわざ起こし頂き、ありがとうございます」
 ローレンスが頭を下げる。
「首尾はどうだ?」
「先日の報告と殆ど変わりはありませんが、マーズクリスタルとジュピタークリスタルについては、やはり存在しているようです」
 ヒルダの報告に、Sklaveはうなずいた。その回答に満足しているかどうかは、表情からはうかがい知ることは出来ない。
Meisterも欲張りだよな。あの人は、きっと全てのクリスタルを手に入れるだろう。Aliceの力すら手にして、」
 そんなことが本当に出来るのか。Sklaveの発言に、二人は戸惑いを隠せなかった。
「君達には引続き、この件に関して調査をしてもらう。今現在の時点では出撃の予定はない。あればこちらから連絡する」
「御意」
 Sklaveがその場に放り出されていた資料に目をやる。書かれていた文字は、彼が親しんだ国の言葉であった。
 GRM地区がかつてドイツと呼ばれていた頃、隣接していた小国で生まれたSklaveFurst。彼らがどこから来て、どうしてMeisterに組しているのか、その真意は誰も知らない。
「ローゼンハイム大尉」
「はい」
「君の故郷はどこだ?」
 不思議なことを聞くものだ。ヒルダは思ったが、その質問には素直に答えた。
「BLR地区ですが」
「……ベルリンか……」
 その目は、まるで母国に思いを馳せる様な色をしていた。
「それが、何か……」
「いや、何でもない。
 私の故郷では、君の故郷は敵国だった。時代は変わったものだな……」
 旧世紀、GRMがJPN、ITLと共に、世界に戦争を仕掛けたという話は、子供の頃に習った歴史の授業で聞いたことがある。
 しかし、Sklaveの口から聞く話は、夢物語の様に聞こえた。実感がない、と言うのもあるが、それ以上に、旧世紀の事実を知る人間の存在の方が、信じられなかった。ましてや、それが目の前にいるなんて。
「作業中邪魔して悪かった。続けてくれ」
「いえ……」
 手にした資料をその場に置くと、Sklaveはそのまま部屋を出て行った。
「不思議な人ね……」
 背中を見送り、ヒルダがこぼした。
「世捨て人、という言葉があるが、まさにあの人の為の言葉だな」
 ヒルダとローレンスは目を合わせてため息を一つつくと、再び端末に向かった。


 Sklaveは灰皿のある一角で立ち止まると、上着の胸ポケットからマルボロライトを取り出した。いつもならFurstがビンテージ物のジッポーで火を点けてくれるのだが、今は一人故、手持ちの安いライターで火を点ける。
 先ほど見せた無表情さとは違い、愁いに満ちた目で宙を見つめた。
Meisterは俺達が何を考えているのか、とっくにお見通しさ。お前達の本当の素性もな」
 吐き出した紫煙が、空気を曇らせる。
「それでも、俺達を使っているんだ。利用出来れば、陰で何をしていようと何も言わない。使えなくなったら捨てるだけ」
 自嘲気味に笑う。
「でも、俺達だって、あの人を利用しているんだぜ。お互い様だよなぁ。
 ヴォルフを守る為なら、俺だって何でも利用してやるぜ。仲間の命だろうとなんだろうとな……」
 半分以上残っているマルボロライトをもみ消すと、愛する人の元へ踵を返した。
 先程とは違う、優しさに満ちた表情をしていた。



 これほどの数のキャリアーは見たことがない!
 9012隊がプラントに向けて出撃する為に、彼らのVRを搬送するフローティングキャリアーが各地からGRM地区本部に帰還した。
 その中には、搬送数最大を誇り、唯一の水空両用艦「ポルトパラディーソ」も含まれている。そして、この艦を指揮するのは、バル=バス=バウの世界的パイロットでもあり、バルシリーズのメインテストパイロットを務めた8949旅団の今井寿(いまい・ひさし)中将である。
 その他にも、かつてエアポートに出撃する際に彼等をサポートした樋口豊、八神透指揮下のキャリアーも、その巨大な姿をしばし休めている。
 何より圧巻だったのは、リリン=プラジナー所持の「リヴィエラ」と、8949旅団長櫻井敦司(さくらい・あつし)中将指揮下の「ジュピター」であった。
 この二艦はVRだけでなく、戦闘機も同時に搬送出来る。また、フルチャージであれば半年は帰還しなくても各地を周遊することも可能だ。世界を又にかけるリリンにとって、リヴィエラは自分の家とも等しい存在だ。


 自分のVRが搬送されたのを確認すると、土居二郎−DOI−2は一先ずキャリアーにあてがわれた自室に戻ることにした。
 彼自身、大きな戦役はOMGに次いでこれで二回目の経験になる。しかし、OMGは秘密裏の作戦だった為、これほどまでに大々的な出撃ではなかった。全員がコントロールルームに集められ、現地突入している重戦闘大隊のサポートの下、オンラインでの戦闘を行った。
 今回はどうか? 逐一TV中継が入り、先日も雑誌のインタビューを受けた。これではPパイロットの世界戦ではないか。
 DOI−2は正直うんざりしていた。それは毎度のことだったが、彼が根っからの職業軍人なせいか、他の隊員と比べて華やかな場に慣れていない。
 皆はそのうち慣れると笑っていたが、果たしてどうだか……
 浮かない気持ちで自室へと戻る。
 キャリアー内では他の隊員が前日に積み込んだ荷物をほどいていた。しばらくはキャリアーでの生活が続く為、少しでも快適に過ごそうと必死である。
 VRという兵器は基地にいながらにして、現地で戦うのと同じレスポンスで戦うことが出来る。故に実際にどこかに出撃して長期滞在、というのはあまり経験がない。
 彼自身、そのようなことは問題ないのだが、唯一気にかけているのは、長期に渡り女性隊員と寝食を共にすることだ。
 ベルグドルという古い世代のVRに乗りながら、対戦を苦手とする機体はないと豪語するDOI−2でも、女性だけは唯一の弱点である。
 これまで、男ばかりの部隊にいたというのもあるのだろうが、今回の異動に関して、彼が一番懸念していたのはこの部分なのだ。
 自室に入り、しわ一つないベッドに身体を預ける。
 あれから八年が経つが、まるでOMGが昨日のことのように思えてきた。
 地球圏最大の兵器と言われた太陽砲の暴走。もし、発動すれば地球上の人類の大半が滅びるとまで称されていた。
 その危機は、彼らによって回避されたのだが、その後月面基地は閉鎖され、何人も入れない、廃墟同然となった。
 O.D.A.がこの月面基地を占拠した理由は何か? クリスタルの発掘ラインは既に閉鎖されていたはずだった。
 DOI−2はしばしそのことを考えていたが、自分が考えても仕方ないと言うことに思い至り、出発式典の集合時間までうたた寝をすることにした。

 つい寝過ごしてしまい、集合時間ぎりぎりにやってきたのは、抜群に秘密である。



 表の世界の、ずっと、ずっと、ずっと奥。
 限りなく電脳虚数空間に近い世界。

 二人の若者が剣術の稽古をしていた。稽古と言っても使用しているのが木刀である以外は、実践と何ら変わりはない。
 カーン! カーン!
 木刀がぶつかり合うたびに、乾いた音が道場に響く。
 北辰一刀流と天然理心流と呼ばれる流派。どちらも旧世紀の古い時代に成立した剣術の流派だ。
 それを見守るのは彼女らの上官であるFurst。柔和な表情の中の視線は厳しいものがある。
 Furstはかつて、自分の故郷で「イェーガー」と呼ばれる人型兵器を操っていた。スペイン内乱と呼ばれる戦役に於いて、大きな戦果を上げた(この内乱に参加したSklaveも司令補佐として戦果を上げている)。
 これが評価され、Furstはイェーガーの原型とも言える「ウービルト」(彼らの母国の言葉でまさに「原型」を意味する)を拝領することとなった。
 彼の操るウービルト「チュルヴィング」は格闘戦に重点を置いた機体であり、射撃戦よりも近接を得意としたFurstにとっては、自分の手足の様な機体であった。
 それだけに、自分の配下の隊員にも大きな期待を懸ける。
 それが、うたたかの夢だとしても……

 一進一退の攻防が続いたが、片方の剣が相手の胴を捉えた。
「そこまで!!」
 Furstの声が道場に響く。二人の動きが止まった。一瞬の静寂。
 やがて二人は剣を持ち直すと、立ち位置に戻り、相手の健闘を称え頭を下げた。
「ふぅ……」
 無造作に置かれたタオルを手に取り、流れ落ちる汗を拭う。先ほどの打ち合いで乱れた胴着の襟元を正す。
「アオイは強いな」
 側で汗を拭っていた少年が話しかける。
「そんなことないさ。季寧(としみ)だって強いじゃないか」
 アオイと呼ばれた少女−一見すると少年の様にも見えるのだが−は、伏目がちに言った。

 少女の名はゼファー=W=アオイ。彼女の両親はVプロジェクト発足時よりVRに関わっている。5年前にD.N.A.よりr.n.社の前身企業に移籍し、4年前に正式にr.n.a.に所属を移す。
 実はその頃よりO.D.A.総帥Meister Oと接触があり、先の大襲撃前、O.D.A.移籍を前提ににr.n.a.を脱退した。なし崩しに彼女もO.D.A.に在籍しているのである。
 父親はアファームド(現存するシリーズはほぼ操作が可能である。飯田成一のサブとして、バトラー開発にも参加した)、母親がテムジンの使い手であり、共に近接攻撃を主体とするパイロットだ。
 アオイもそのセンスを受け継ぎ、サイファーパイロットとしては珍しく、武装のエネルギーを(フォースレーザーを除いて)全てビームソードに回し、ダブルロックオン距離、ソードのリーチ、出力と通常のサイファーをはるかに上回る。
 現在では殆ど存在しない、近接特化型のサイファーだ。

「二人ともお疲れ。いいものを見せてもらったよ」
 Furstが二人に歩み寄った。アオイと、季寧と呼ばれた少年は一瞬身体を緊張させ、深々と頭を下げた。
「日本の古武術というものは素晴らしい。僕も、昔の仲間にたくさん日本人がいたけど、彼らの中にもたくさんの使い手がいたよ」
 無造作に置かれていた木刀を手に取り、見様見真似で型を決める。その姿には、一部の隙もない。
「アオイ軍曹」
 その声が、急に厳しくなる。
「はい!」
「次の出撃、君に出てもらうことになった」
「俺…ですか?」
「出撃場所は相手のフローティングキャリアー。他にあと三人が同行する。我々が有利とは言え、既に相手は何人もの同胞を撃破している。
 あの『女王陛下』でさえ、手を焼いた相手だ。油断するな」
「心得ました」
 その言葉を聞くと、Furstはテムジンが相手を切り払うように、手にした木刀を振るった。
「だが君は強い。君なら、帰ってくると信じているよ」
 アオイを見つめたその顔は、妹を見守るような優しい笑みを浮かべていた。



 彼はいつも孤独だった。
 何故に彼が孤独なのか、彼自身見当がつかない。
 しかし、彼の中に潜む『彼』だけは、その理由を知っていた……

 O.D.A.は地上のBlau Stellarに匹敵する施設を持つという。当然の如く、食堂施設も充実している。
 彼−赤井衛角はいつも一人で食事をしていた。
 彼の周りにあるのは沢山の食器のみで、半径3m以内に人はいない。
 カツ丼を食べれば、一緒に親子丼と天丼も食べ、とんかつを食べれば、160gのかつを三枚に加え、キャベツはどんぶりで盛られてくる。
 正直言って、とんでもない食欲だ。
 赤井には食欲と同じくらい、VRに対する知識にも自信がある。自身の愛機であるライデンも、自らで整備を施し、依頼があれば他人の整備も面倒を見る(当然のようにクレジットは取る)。
 何より彼が他の隊員から疎まれているのは、彼自身が気づいていない『秘密』にある。
 戦闘中、ある条件下に入ると、その間の記憶が全くないのだ。
 目の前にあるのは、無残に破壊されたVRの群れ。全てコックピットが潰されている。当然、パイロットの殆どは生きていなかった。
 どうしてそのような現象が起きるのか、一度だけ精神鑑定を受けたことがあるが、その際にも特に異常はなく、鑑定医も全く判らないとさじを投げた。
 結局は、この訳の判らない「何か」と共存していかねばならないと覚悟を決めた。
 でもパイロットを諦めることは出来ず、かと言ってD.N.A.にもr.n.a.にも組することが出来ない赤井は、当時無差別に優秀なパイロットに声をかけているという、O.D.A.に接触した。
 O.D.A.関係者は快く接触に応じ、テスト対戦を数回受けた後、正式に契約交渉となった。
 その時、赤井は冗談半分で、契約金を十万クレジットで提示した。すると契約担当者は、その契約書を百万クレジットに訂正し、新たに提示してきた。
 赤井はその金額に目をむいた。自分がD.N.A.にいた頃では考えられない金額だったのだ。しかもライデンの整備にかかる費用や、彼自身の生活費は全てO.D.A.で負担してくれるという。
 とんでもない話ではあったが、赤井は契約に応じ、現在に至っている。

 先の大襲撃の際、彼は第3プラント、ムーニーバレーに出撃した、彼は駐留するグリス=ボック一個中隊を単機で迎え撃つことになった。
 その時、彼の記憶が消えた。正確には、相手に取り囲まれ、一斉射撃を受ける直前、脳に直接響く様な声が聞こえ、自分の意識が何かに吸い込まれるように希薄になった。
 気づいた時、目の前には、コックピットを潰された二十機ほどのグリス=ボックの残骸が転がっていた。
 後から救援に来たO.D.A.の兵士達も、流石にこれには気味悪がり、以降赤井は以前と同じ様に、味方からも疎まれるようになったのだ。

 赤井が一人食事をしているところに、ある人物がやってきた。プラチナブロンドを太ももまで伸ばし、バンダナを巻いた長身の男。Kavalier Sである。
 本来赤井はKavalierではなく、Königin Rの配下にある。が、彼女はあの性格なので、部下への連絡なども、Kavalierがやっているのだ。
 赤井が食事中なのを見ると、Kavalierは近くにあった椅子に腰掛けた。食事中の人間がいるのを気遣い、流石にタバコは吸わなかったが。
「食事中申し訳ない。我等が主より、出撃の命が出た」
 我等が主。ここではMeisterを指す。しかしながら、純粋にMeisterに忠誠を誓っているのは下士官ばかりで、幹部でMeisterに忠誠を誓っているのは恐らくDoktor Tのみくらいだろう。
 かくいうKavalierも、誠に仕えているのはKöniginであると宣言しているのだから。
「俺ですか?」
「出撃先はフローティングキャリアー。設置地点は当日追って連絡する。敵は恐らく二体。適当にあしらって、帰ってきて構わない」
「は?」
「こういう言い方しか出来なくて申し訳ないが、あんたには万一の場合、ムーンゲートに出撃してもらうことになる。ここで死なれては困るんだよ」
「そう…ですか……」
「それと、くれぐれも『やり過ぎ』ないでくれ。連中も大事な『糧』だ」
 そのことを言われるのが、赤井は一番辛い。何しろ、そのことについて全く記憶がないのだから。
「食事中邪魔したな」
 Kavalierは時計を見ると、足早に席を立った。
「どちらか行かれるんですか?」
「今度は俺の仕事。一度しくじった任務の尻拭い」
 赤井は少々驚いた。与えられた任務は100%遂行すると噂のKavalierが、一体何を失敗したのか?
 そんな赤井を尻目に、Kavalierは悪戯に失敗した少年のような笑みを浮かべながら、食堂を後にした。



 今から三年前。この地球圏に『時空嵐』と名づけられた異常現象が発生した。
 原因は不明だが、虚数空間に何らかの負荷がかかり、時空の軸が正常に働かなくなったのが、専らの説である。
 『時空嵐』に巻き込まれ、旧世紀の少年が四人、この世界に入り込んでしまった。超常現象がそれほど珍しい事ではなくなった電脳歴ではあるが(その筆頭がバーチャロン現象だろう)、『他の時空から人間がやってきた』となれば、話は別だ。
 偶然にもD.N.A.がこの少年達を保護し、無事に元の世界に帰したという経緯があった。
 しかし、この『作戦』は外部はもちろん、D.N.A.内部にも極秘になっていた。
 どのようにして彼らがこの『事実』を知ったのかは、全く持って不明である。


「久しぶりね。リリン」
 来客が絶えないD.N.A.総帥、リリン=プラジナーの元に、珍しい来客がやってきた。
「メアリ!」
 リリンは表情に驚愕の色を隠せなかった。
 やって来たのはメリーウェザー=オーバーランド。若輩ながらDN社最高幹部の一人である。Blau Stellarに籍そのものは置いていないが、相談役として度々顔を出している。
 年齢的には二十歳そこそこの外見だが、本当の年齢は誰も知らない(リリンを除いては)。160cmに満たない身長だが、その立ち振る舞いは威風さを感じさせる。
「珍しいわね。用もないのに貴女がここに来るなんて」
「とんでもない。用があるからここに来たのよ」
 リリンの側に控えていた秘書は、軽く一礼すると部屋を立ち去った。
「で、その御用とは何かしら?」
「大したことじゃないわ。
 それにしても、貴女がご執心のあの部隊、なかなかやるみたいね」
「彼等は、それだけの実力があるわ。だから私は彼等に地球の命運を託したまで」
 手際よく二人分のティーセットを用意し、フォションのスペシャルブレンドを入れる。
 ソファーに腰掛けるメリーウェザー。ポニーテールにしたハニーブロンドが揺れる。
「判ってるの? リリン。彼らが負ければ、それでお終いなのよ!? 軍単位の部隊に、たったあれだけの部隊を遣すなんて……」
「確かに、相手の戦力がどのくらいあるかは判らないわ。ただ、考えるに主力として使える戦力はそう多くない。それに……」
「それに……?」
「彼等は負けない。何があってもね。私はそう信じてるから」
 リリンの一言に、メリーウェザーも諦めるしかなかった。差し出された紅茶を口にする。
「で、用事って何よ」
 待ってましたとばかりに、メリーウェザーはティーカップをテーブルに置く。
「面白いことがあったのよ。この間」
「この間?」
「そう。私としたことが、少々情にほだされていたようね」
 リリンは首をかしげた。
「覚えてる? 三年前のあの事件」
「三年前…もしかして『時空嵐』?」
「そう。その時、旧世紀の少年達がこっちの世界に投げ込まれて大変だったじゃない」
「あったわね、そんなことも」
「その内の一人に会ったわ」
「そうなの……って、メアリ。今なんて言ったの?」
「会ったのよ。あの連中の一人に」
「なんですって!? それじゃぁ一大事……」
 メリーウェザーは驚愕するリリンの言葉をさえぎった。
「雛山要って覚えてる? あの連中じゃぁ一番子供だったわ。でもパイロットとしては非常に能力が高かった。こっちの人間なら、すぐにスターパイロットになれたわね」
 思い出話をするかのように話をするメリーウェザー。彼女はDN社系列のPパイロットの統括も行っており、彼女自身がスカウトに出ることも多い。
「仕事の合間に時間があったから、息抜きに街に出たの。アーケードに入ったら、テムジンが連勝記録中でね。面白くなって思わず乱入したの。
 それが、要だった」
「それで?」
「それで?って?」
「勝ったんでしょう?」
「当然じゃない。
 その後裏に呼び出されてね。笑っちゃうわ。なんて言ったと思う?」


「メアリ、俺と付き合ってくれ」
「はぁ!?」
 三年ぶりの再会に突然の告白。メリーウェザーは面食らった気分だった。
「どうしたの? 貴方私のことが嫌いじゃなかったの?」
「つーかよ、はずかしかったんだよ。俺だって……」
 そう言って頬を赤らめる少年−雛山要。
「俺、自分の世界に戻ってから、ずっとあんたのことばかり考えていたんだ。三年間、メアリのことを考えない日はなかった。
 会いたくて会いたくて、ずっと願っていたら、奇跡が起きた」
 三年ぶりに再会した『友人』は、あの時と何も変わっていなかった。時間の流れが違うのだろうか?
 そして、メリーウェザーを見つめる要の目に、彼女は少々心が揺らいだ。
「何馬鹿なこと言ってるの。私がそういう冗談が嫌いなのは知ってるでしょう?」
「冗談なんかじゃない。俺は本気だ。俺はこの世界で生きていくことを決めた。
 メアリ、君が好きだ」
 要がメリーウェザーに近づく。メリーウェザーは柄にもなく、自分の体温が熱くなっているのを感じた。
「だから、VRに乗るのはもう止めてくれ……」
「どういうこと?」
「俺がメアリを守る。俺はまだまだひよっ子かもしれないけど、メアリの為に、誰よりも強くなる」
「要……」
「だってさ、この世界に『最強』を名乗る『女王』は一人で充分なんだって……」
 様子がおかしい。メリーウェザーはこの「雛山要」を名乗るこの少年に、怪しげな殺気に近いものを感じた。
「貴方、何者?」
「何者って、俺は要だよ。メアリと一緒に素晴らしい世界に生きる為に、ある方に拾ってもらったんだ」
「ある方?」
「そう、O.D.A.の幹部でもいらっしゃる、Kavalier S様に」
「『要』」
「何?」
「貴方、何を吹き込まれたの? O.D.A.がどういう組織だか判ってるの!?」
「別に。俺はメアリと一緒にいられれば、後はどうなったって構わないだけさ」
「貴方、要じゃない」
 その言葉に、相手はただ不敵に笑うだけ。
「世界の救済を謳い文句に、破壊の限りを尽くす連中に、本当の『雛山要』なら組するはずないわ!!」
「何を証拠にそんな事言うの? 俺はここにいるのに……」
 じゃきん! 「雛山要」の右手から、何かが飛び出した。それは刃渡り30cm程の仕込み刀だった。
 その顔は、憂いに満ちた瞳をしていた。
「じゃぁやっぱりKavalier様の言う通り、殺すしかないか。あ、でも本当に殺したらその後の楽しみがなくなっちゃう」
 メリーウェザーは半歩後ずさった。足元に何かが当たる。
「楽しみ?」
「そう、君の身体をそっくりそのまま作り変えるんだ。O.D.A.じゃそのくらい簡単に出来るんだって。だから、殺さない程度にいたぶってあげるよ」
「作り変えてどうするつもり!?」
「俺の言うことを何でも聞いてくれるようにしてもらうんだよ!!」
 「雛山要」がメリーウェザーに飛び掛かる。
 メリーウェザーも足に当たった何か、1m程の金属の棒で応戦せざるを得なかった。


 リリンはその話を聞いて、困惑気味の色を隠せなかった。
「私も知れた存在になったものね。向こうから命を狙われるという事は、何か恨みを買うことでもしたかしら?」
 リリンとは対照的に、メリーウェザーはころころと笑う。
「でも無事で良かったわ…… 貴女が捕らえられたら、それはそれで一大事ですもの」
「ご心配なく。あの程度なら、丸腰でも大丈夫よ」
 そんなメリーウェザーの様子を見ても、リリンは不安を隠せない。何か、別の事に怯えているような。
「それじゃぁ、お邪魔したわね。何かいい『ネタ』があれば、また持ってくるわ」
 リリンは声もかけずメリーウェザーを一瞥したが、声をかけることはしなかった。
−やれやれ、この娘さんの心配性も、本当困ったものね。
 メリーウェザーはそのまま部屋を出た。

 明日は自分が狙われるかもしれない。
 リリンはソファに腰掛けたまま、自分の身体を抱きしめることしか出来なかった。



 真っ暗な部屋に、大型のモニターが煌々と輝いている。モニターは一機のテムジンを映し出し、それを食い入るように見ている一人の「少年」がいた。
 映像のテムジンは、僚機のバル=バス=バウと共に、サイファーと戦っていた。一度は窮地に立たされたものの、渾身のレーザーでテムジンはサイファーを撃破する。
 それを確認すると、少年は映像を止め、部屋の明かりを点けた。今まで暗い部屋にいたので、急に明るくなったことで一瞬視界が白ける。
 目が慣れた頃、入り口に誰かが立っていた。
Kavalier様!」
 よぅ、という感じに片手を上げて、近づいてくる。
「首尾はいかがかな? 「雛山要」君」
「ばっちり! この程度ならあと何回か見れば完璧ですよ!」
「それは頼もしいな。この間のことは基本的にお咎めなしだが、俺の手前もある。次は失敗しないでくれ」
 この間のこと。メリーウェザー=オーバーランド暗殺計画は、Kavalierが企てたものである。
 表の世界では、メリーウェザーは優れたパイロットであり、軍人ではないにしろ『女帝』という名でその強さを称えられていた。
 Kavalierはそれが気に入らず、彼女を抹殺しようとした。
 理由はただ一つ。Königin Rの存在があるからだ。
 その際、D.N.A.のコンピュータに潜入し(実際潜入したのはKönigin配下の四門だったが)、ちょっとした事件を扱っていたのを発見。それを利用して、メリーウェザーをおびき出し、抹殺しようとしたのだが、あの結果である。
 Meisterは今回のことは全く関与しておらず、失敗しても特になんとも思っていないらしい。
 しかし、それだけの為に人員を割く事は出来ず、当然ながら「雛山要」も戦いに借り出されることになった。
 そんな事を簡単に認めてしまうMeisterも、なかなかの人物だ。そうでなければ、この集団を取り仕切ることなど出来ないだろうが。
 そして、パイロットとしては決してトップクラスとは言えない彼だが、Kavalierがこの少年を使おうと思った理由は、彼自身の特殊な能力にある。
 他のパイロットの動きを、そっくりそのままコピーすることが出来るのだ。それがどんなパイロットであろうとも。映像さえあれば、細かい癖まで完璧に再現出来る。
「それにしてもあのメリーウェザーとかいうの、まさか武術まで嗜んでいたとはな。流石と言うべきか、なんというか……」
 眉間にしわを寄せ、整った顔を少々歪ませる。
「どっちにしても、Aliceが復活すれば、あんなガキは消滅するんだ。ほっとけばいいか。
 それよりも……」
 Kavalierは机に放り出されていた雑誌を手に取った。表紙は先ほどまで「雛山要」が見ていたビデオに映し出されていたテムジンが飾っている。
Meisterrがヤツらの実力をどこまでのものと考えているのかだ。俺もヤツらの力は正直見くびっていたけど、まさかな……」
 Kavalierが思い出したのは、先日の出撃のことだった。「世界最強」と謳われ、これまでに敵う者は存在しないとまで称えられたKönigin R。彼女が苦戦を強いられ、結局は仕留めることが出来なかった相手。
 Meisterは一体何を知っているのか? 何を隠しているのか?
 Kavalierは裏V・P・Bと称される『パンクラチオン』で連勝記録を生み出していた時、Meisterの目に止まり、声をかけられた。
『お前の力が欲しい。力を貸せば、お前の願いを叶えてやる』
 甘い誘惑だと思った。そんなこと、あるはずがない。
 しかし、彼の願いは叶った。目の前で消えてしまった愛しい人を、取り戻したいという願いが。愛する人が、全ての記憶を失うという代償と引き換えに。
 それ以外の人間も、表の世界にいづらくなってしまったり、何か恨みを持って参加しているものが殆どである。
 彼、「雛山要」も才能がありながら、それが認められずにいたところを、Kavalierの目に留まり、今日に至る。
 どんな形でも良かった。自分の力を、世界に知らしめる事が出来るのなら……



 「場末の酒場」とはよく言ったものである。まさにその様な場所で半年前に彼等は出会った。
 彼はありとあらゆるパイロットの動きを、ほぼそのままコピーすることが出来た。故に世界中にスターパイロットの様々なテクニックを模倣し、それを自分の物とすることに喜びを感じていた。
 コピーすることが強さにつながると、信じていた。
 しかし、あるパイロットに「お前の戦いには『魂』がない。所詮はただのイミテーションに過ぎない」と批判された。
 その一言が彼の自尊心をいたく傷つけることになり、そのまま表の世界から姿を消した。
 それでも、VRに乗って戦うことをどうしても止めたくなかった彼は、裏の世界に足を踏み入れた。
 コピーとは言え、それは基礎的な才能がなければ模倣することすら適わない。彼の評判は、裏の世界にもすぐに広まった。
 だが、彼の心は満たされることはなく、戦いと酒におぼれる日々が続いていた。本来18歳という年齢のはずが、これまで受けた精神的苦痛なども重なり、正直歳相応の姿からはかけ離れてしまっていた。
 この噂を聞きつけたのがO.D.A.であり、中でもKavalier Sはこの才能にいたく惚れ込んだ。噂を聞き、しばらくしてKavalierは彼に会いに酒場に向かった。
 幸運にもその場に居合わせた人間は、全て圧倒された。何に、と言われればKavalierの持つ存在感である。何者も恐れない、神や死すらも彼の前にはひれ伏してしまうだろう存在感が、その場を包んだ。
 Kavalierは脇目も振らず彼の座るテーブルに歩み寄った。黙って向かいの椅子に腰掛ける。手近の灰皿を引き寄せ、イヴ=サン=ローランの長いタバコに火をつける。
「話は聞いた」
 突然切り出され、彼は何のことだか理解が出来なかった。
「あんたの力が欲しい。可能な限り、あんたの希望は叶える」
 それは仕事の依頼だった。ある人物になりすまし、ターゲットをおびき出して欲しいというのがその内容だった。
 またスケープゴートの仕事か…… 心の中で彼は諦めたようにつぶやく。
 一枚の写真が差し出された。そこに映っていた人物を見て、彼は肝を潰した。それはDN者の最高幹部の一人にして、世界最強と誉れ高いエンジェランパイロットだった。
「地球圏に最強の名を持つ存在は一人で結構だ。我が主こそがその名に相応しい。それ以外の人間が最強を名乗るのが、俺は一番許せなくってね。
 うまいことおびき出して、ブッ殺してくれても構わない。半殺しで済めば、俺がコネ使ってセクサドールに作り変えてやってもいいぜ」
 人一人の命のやり取りを、まるでゲームを楽しむかのような雰囲気さえ漂わせる。
「俺はこの世界がどうなろうと構わない。正直言えば、Meisterの信念とやらにも興味はない。好きな女と、ずっと一緒に過ごせればそれでいいんだ」
 そう言うと、上着の内ポケットから、一枚の紙切れを取り出した。
 それはただの紙切れなどではなかった。額にして百万クレジットが書かれた小切手だった。
 彼は驚愕した。こんな額、一生ただのPパイロットをやっていては絶対に稼げる額ではない。
「これはただの前金だ。正式に契約するというなら、残りの九割を即金で渡す」
 九割! すなわち総額一千万クレジットの支払をするということだ。地方自治体の予算並みの金額を、たった一人に払うというのだから、彼は目に前にいる人物が誰だか疑わざるを得なかった。
「疑ってるだろ? 俺のこと」
 Kavalierは悪戯を思いついた少年のような笑みを浮かべた。その実Kavalierも彼とあまり歳が変わらないのを、彼自身は全く知らない。
「まぁ別にいいさ。俺はあんたがきちんと『仕事』をこなしてくれさえすればそれでいいんだ」
 小切手を目の前にして、彼は自問自答を繰り返していた。この額を受け取れば、これまでの道には戻れなくなる気がしていた。しかし……
「判った。俺の力を認めてくれるというのなら、話を受ける」
 彼の返事に、Kavalierは目を細めた。今度は上着のポケットから、一枚の折りたたまれた紙切れを出す。彼がそれを広げると、そこにはここの近辺の地図と、何かが書かれていた。その中には一枚の少年の写真が。この地形には見覚えがあり、彼の記憶が確かならば、印のつけられていた場所にあるのは整形外科のはず。
「一先ずそこに行ってくれ。『仕事』をしてもらうには、その顔じゃちょっとまずいんでね。
 『シーラの紹介で来た』と言えば、話は通るようにしてある」
「金は!?」
「そんなくだらないことを心配する必要はない。とっくに前金で支払済みだ。
 事が済んだら、そこに書いてある場所に来てくれ」
 書かれていた何か、とはメトロの乗り場と時間の指定だった。
「それじゃぁ、今度会うのを楽しみにしてるぜ」
 Kavalierは長い金髪をなびかせながら、その場を立ち去った。

 彼は訳が判らぬまま、後日指定された場所に赴いた。確かにそこで『シーラの紹介で来た』と言うと、全て話が通った。初老の人の良さそうな医師が彼の執刀を担当するという。この医師も「Meister」という単語を口にしていた。恐らく、自分も仕えるであろう人間の名前であることは、薄々感じていた。
「しばらく眠っていなさい。次に目が覚めた時、君はもうこれまでの君ではない」
 医師の言葉は本当だった。目が覚めて鏡を見ると、そこにいたのはこれまでの自分ではない。自分が持っていた写真の少年だった。
「君もKavalier様の『遊び』に付き合うことになるのか。せいぜい命を大切にするんだな。
 まぁ、Aliceが復活すれば、そんなものは関係なくなるがの」
 優しげだが、どこが自分を哀れんでいるような気配するらする医師の言葉に、彼は疑問を抱きつつも、指定された日に、指定された駅から、指定されたホームに時間通りに到着したメトロに乗り込んだ。
 不思議なことに、そのメトロには誰一人乗っていなかった。そしてどこにも途中停車せず、目的地にたどり着いた。
 薄暗い駅だった。物陰に誰かが潜んでいそうな気配すらあった。一つしかない出口を抜け(駅員の一人も存在しなかった)、その先に続いている道を歩くと、やがて人影が見えた。
「よぉ」
 片手を上げて挨拶したのはKavalierだった。
「見事な変身ぶりだな。さすがあのジィさんは腕が立つ。金に汚いのが良くないけどな」
 Kavalierに促されるまま、彼はその後をついた。案内されたのは、ワンルームの部屋だった。
「今日からここがあんたの家だ。気兼ねなく使ってくれ。
 それと、その体型を一日も早く何とかしてくれ。顔を作り変えても、身体がそのまんまじゃ、すぐに偽者だってばれちまうからな」
 酒に溺れていた身体は、ややたるみを帯びていたので、彼には特別プログラムのトレーニングが課せられることになった。加えてこの少年の戦い方、性格など、全てをコピーし、完全に少年になりきる。加えて仕込み刀を使った、体術の訓練も受けた。今回の任務にも必要なのだが、己の肉体を戦いに慣れさせることは、その動きが自然とVRの戦闘にも役に立つ。
 彼が今までやってきた、ただのコピーなどとは違う。己を否定してでも、完全なる『複写』を求められた。
 過酷なトレーニングが続いたが、彼は決して泣き言一ついうことはなかった。持ち前の根性が、彼を鍛え上げていく。これまで認められることが出来なかったその能力を、ようやく本物であると認めてくれる存在が現れたのだ。それに報いる為には、この程度で根を上げていられなかった。
 数ヶ月後、彼は少年の姿そのままになった。身長は幾分高かったが、既に年月も経っていることもあり、さほど気にしないことにした。
「見事な変身ぶりだな」
 目の前に現れたのは、黒い制服を身にまとった少年だった。希望を失わない、強い意志を持った瞳。
「雛山要軍曹」
 「雛山要」。それが彼に与えられた名前だった。この瞬間より、彼は雛山要として生きていく。
「貴官の任務はDN社最高幹部、メリーウェザー=オーバーランドの抹殺である」
 すると部屋が暗くなり、スクリーンが下りてきた。そこに一人の女性が映し出される。
「この地球上で『最強』の名を冠するに相応しいのは、我が主Königin Rのみ。それ以外の存在を我等は認めない」
 そう語るKavalierの顔は、今まで話をしていたKavalierとは全く別物だった。少年の面影は全くなく、そこにあるのは一人の男だ。
「そこで君には、ターゲットと接触してもらい、その存在を抹殺することにある。半死状態でこちらにつれてきても構わない。こちらにはマシンチャイルドを製造する高い技術を持つ科学者もいる。報酬ついでにくれてやってもよいけどな」
 「雛山要」は手に汗をかいていくのを感じた。ここはただの企業軍隊ではない! たった一人暗殺するだけで、ここまで大げさにするものなのか。
 だが、もう引き返せないことも判っていた。そのつもりであの報酬を受け取ったのだから。
「今回の作戦については以上だ。何か質問は?」
「ターゲットの出現先は……」
「ヤツもなかなか姿を現さないからな。すでに調査は開始済みだ。見つけ次第、こちらで指示を出す。
 他には?」
「特には……」
「ありません」
 Kavalierはその返答に満足そうにうなずく。
「これで君は、晴れてO.D.A.「DUNKEL WELT」の一員だ。
 我々に必要なのは勝利のみ。勝利こそが最大の名誉であり、強さの証だ。それを、くれぐれも忘れないで欲しい」
「了解です」


 それからしばらくして、メリーウェザーの目撃証言を元に、「雛山要」に出撃命令が下った。
 「雛山要」は善戦したものの、相手はやはり伊達に最強の名を与えられていなかった。ある程度あしらわれて、結局はKavalierの撤退命令によって帰還したのだ。
「それと、俺が思うに、あの女反乱世代のマシンチャイルドだな。生き残りがいたのか……
 まぁいっか。あんまり俺が動くと恋が怒るからな。いざとなったら、あいつが自分で始末するだろうからな。そうすれば、誰が一番強いのかはっきりする」
 そういうKavalierの表情が、一番楽しそうに見える。それほどまでに、彼は己の主を愛し、忠誠を誓っているのだ。
「で、俺は今度は誰と戦えばいいんですか?」
 「雛山要」も、正直言えばVRで戦うことに生きがいを持つ人間だ。今回の出撃は、己の能力を誠に認められてから初めてのことになる。これまで、力を持て余し気味だった彼にとって、真の力を発揮出来ると言えるだろう。
「好きなのとやってくれ。俺たちも、正直ヤツらがどんな感じに出るのか判らないんでね。
 俺達からは四人出撃するから、自由に決めて構わねぇよ」
 Kavalierは新しいタバコに火を点ける。表の世界でモデルをしているKavalierは、全てにおいて隙がないほどに美しかった。
「出来れば、さっきのテムジンとやりたいです」
 さっきのテムジンとは、「雛山要」がビデオを見てテムジン。つまり、Blau Stellarの藤崎賢一のことである。
 藤崎が民間人ながら、OMGに参戦し、ムーンゲート突入に成功したのはあまりに有名な話であり、そのことは全てのテムジンパイロット、特に十代の若いパイロットにとって彼は羨望の的である。「雛山要」も、藤崎に憧れる一人だ。
「ヤツはこの地球圏でも確実に五本の指に入る遣い手だ。ヤツを仕留めることが出来れば、お前の評価も上がる。俺たちにとって、これ以上ないチャンスだ」
 「雛山要」を見るKavalierの目は、彼に対する期待と、それ以外の何かに満ちていた。しかし「雛山要」にそれが何かを感じる術はない。
「じきに正式に出撃命令が下るだろう。準備はしておいてくれ」
「了解しました!!」
 Kavalierはじゃぁな、と一言残し、部屋を後にした。
 「雛山要」は一人、残された部屋でこれから始まる戦いに、一人心を熱くさせていた。



 よくありがちな、殺風景な研究室。平机に数脚のパイプ椅子が転がっていた。
 顔を並べているのはKlosterfrau、八部衆が一人三輪、そしてソア=ファールズの三人。
「ソア、貴女にはまた出撃してもらうことになったわ」
 ミントスモークをくゆらしながら、Klosterfrauが静かに命令を出す。
「また…ですか?」
「いや?」
「そうではなく……」
 前回の戦いをソアは思い出していた。相手が思った以上の遣い手で、正直自分も苦戦した。半ば命からがら撤退命令によって帰還したのだ。
 そんな自分に、再び出撃命令が下されようとは……
「この間の出撃で、貴女はこれまで以上の経験を積んだはず。その成果を発揮してちょうだい」
「わ…判りました……」
 その返事にKlosterfrauは満足そうにうなずいた。
「ソア」
 あまり話をすることがない三輪も声をかける。カップを持つ手に力が入った。
「あのサイファーが恐らく出撃するでしょう。再戦するチャンス。今一度、貴方の力を見せて差し上げなさい」
 三輪には、他の八部衆にはない能力があった。簡単ではあるが、未来予知じみた事が出来るという。こうして相手の出撃などを予測し、それがMeisterに認められるようになったのは、比較的最近のことである。
「きっと貴女と同じ、経験を積むほどに力を付けるタイプなのでしょう。なれば早めにそれを摘み取る必要があるわ。
 いいこと? あなたはお父様が生み出した、最後の希望。例えれば私達は姉妹にも等しい。出来れば生きて帰ってきて欲しいわ」
「はい……」
 Klosterfrauは滅多に他人を信用しない。しかしながら、一度心を許せば彼女は誠心誠意尽くしてくれるという。
 その対象になっているのは、O.D.A.内部では数えるほどしかいない。ソアや三輪もその一人であり、異父兄妹であるKavalier Sとは表向きには「何もない」ことになっている。
 ミントスモークをくゆらすKlosterfrauは、十三歳という年齢を感じさせないほどに大人びている。父親譲りの頭脳も相まって、O.D.A.ではすでになくてはならない人間の一人だ。
Meisterが何を企んでいるのかなんかどうでもいいわ。お父様が生み出したM.S.B.S.が、どれほど素晴らしいものか、知らしめる事が出来れば……」
 そんなKlosterfrauを、三輪は母親のように、ソアは不安を込めて見つめていた。

 To be continued.