その日は珍しく、朝から雨だった。
「ったく、お日柄よろしくねぇな」
 恨めしそうに空を見上げるのは、テムジンパイロットの藤崎賢一。P・パイロット時代は『青い弾丸』の二つ名を頂いた彼には、テムジンパイロットというだけあり、晴天が良く似合う。
「俺も雨はいややな。気分が湿っぽくなるわ」
 それに同意したのは『紫煙の毒蛇』瀧川一郎。今回の主役の一人だ。

 いよいよ第3戦を3日後に控えたこの日、極東の地から遠く離れた砂漠と石油の国、UAEと、『中国5000年の歴史』を誇り、旧世紀の巨大な国家体系を復権させたCHNへの旅立ちを向かえた。
 今回は単機出撃ということもあり、任官されたパイロットが一人、もしものことを考えサポートパイロットが一人、JPNに居残る緒方に代わって指令クラスの人間が一人、計三人がそれぞれの地域に旅立つ。
 その後、GRM地区で全員が合流。新システムMSBS5.2と、該当パイロットには新型機体が支給されるのだ。

「私たちはついて行かれないけど、何かあったら通信で連絡してね」
「本っ当心配だわ。しかも藤崎君と一緒なんて。染谷君もなんかぼんやりしてるし・・・・・・」
「あのなぁ。俺がついてるんやぞ。何も心配することあらへんやんか!」
 オペレーターの赤木香緒里、日向友紀の二人に反論する藤崎。
「だーかーら心配なのよ。おっちょこちょいが揃いも揃って。尚貴ちゃんに何かあったらあんたのせいよ!」
 先の戦いでは華麗なソード捌きを見せた(といっても、これには秘密があるのだが)竜崎千羽矢が藤崎を一喝した。
 当の本人である高森尚貴は、いつもの調子で困ったように汗かいて、ただただ笑っているだけだ。
「尚貴ちゃんも、いくら競馬やってるからって、馬券なんて買いに行っちゃだめよ!?」
「それは大丈夫だよ。UAEでは馬券は売っていないんだ」
「それならいいんだけどね」
 もうとっくにUKに配属になった同期に頼んであるよ。
 腹の中でそう思っているというのは、抜群に秘密である。
「特に向こうは乾燥しているから、口を開けたままで寝ないでね。加湿器があれば、必ず使うこと。判った?」
「はい」
「食事は出来るだけ向こうの食堂を使うこと。外食ばっかりしちゃだめよ」
「はい」
「あたしたちは先に向こうに行ってるから。何かあれば、TROで行くからね」
「ん、大丈夫」
 千羽矢が口にしたTROとは正式名称を「Teleremote Online System」と呼ばれる遠隔操作システムで、OMGの際に使用されたシステムが母体となっている。Blau Stellarはもちろん、施設のある程度整ったアーケードには非常時のことを考え、標準で配備されている。その頭文字をとってTRO、通称「トロ」と呼ばれることが多い。
「じゃぁROD。あとはお願いね。何かあったら責任取ってもらうからね!!」
 相変わらずの調子で千羽矢はキャリアーを後にし、香緒里もその後を追った。
「ユータ君。それじゃぁお願い。うちらはあっちゃんのキャリアーで向かうから」
「判った。何かあれば、敦司んとこに連絡する。おまえたちも気をつけろよ」
 8949旅団の幹部達にとって、友紀は妹のような存在だ。だからこそ、彼女の仲間達をも、大切に思う。
 樋口は立ち去った友紀の背中に、しばらく手を振っていた。
「さてと…… お客も帰ったか……」
「いやま、ほんまにうるさいやっちゃわ。女ってのはどうしてあぁお喋りなんやろな」
 藤崎に同意を求められた尚貴は、正直返答に困った。ぱっと見男性のような尚貴だが、その実は女性である。
 そして、彼女も十分お喋りなのだ。
「そんなことはどうでもいいさ。お喋りでもなんでも、きちんと仕事をしてくれればいい」
 実務経験が長いだけあり、樋口の言葉には重みを感じる。
「今回のルートを確認しようか」
 樋口は手馴れた手つきで、ブリーフィングルームのパネルに世界地図を展開させた。さらにJPN地区、本部周辺と地図を拡大させる。
「俺達が今いるのはここだ」
 地図上の赤いマーカーが点滅する。
 その地図を一気に引き伸ばし、CHN地区まで認識出来るくらいまでに縮尺を広げる。点滅しているマーカーを基点とし、大陸に向けてキャリアーのルートを示す線が引かれた。
「今回は兄貴と途中までは一緒だ。この地点で、兄貴たちと別れ、UAEまで一気に行く」
 広大な大陸を持つCHN地区。その中ほどで一つマーカーが点滅し、さらに地図が広がった。

 旧世紀時代は世界的な原油の原産国として富を築き、今もなお世界的な財力を誇る独立企業国家「GODLPHINE」のお膝元であるUAE。
 DN社、rn社とは独立した国家体制を持ちながらも、Blau Stellar設立時より様々な面で協力を惜しまず(特に財政的に)、軍施設配備の際にありがちな揉め事もなく、双方の関係は、非常に良いと言えよう。
 そして、何よりGODLPHINEの母体は、旧世紀より続いている競走馬の生産、育成に始まる。
 数多くの名馬を輩出し、数々の栄誉を手中に収め、旧世紀時代には圧倒的な存在を示した。
 その伝統は今もなお続き、GODLPHINEが主催となり、この時期に行われる「DUBAI WORLD CUP」も、旧世紀より続く伝統的なレースである。
 先ほど尚貴が千羽矢にたしなめられていた原因はこれだ。そして、藤崎がここへの派遣に立候補したのも、実はこれが理由である。

「当面はキャリアー内での生活になるが、不自由はないと思うぜ。地上に比べたら娯楽は少ないけどな」
「いや、とりあえず飯が食えて、風呂に入れて、それなりに暇がつぶせれば結構。特に何も必要ないですよ」
「俺が長いことここで仕事してるからな。短期滞在なら充分だろうよ」
「あ、ユータさん。後でメインシステムをチェックさせて下さい」
「判った…… けど、何するんだ?」
「中枢に入ります。パッチ当てとかないと、システムがリンクしないから」
「まぁ、その辺は勝手にやってくれて構わないよ」
 こういった会話をされると、旅団一の電脳師である今井寿を除いた四人は、既にちんぷんかんぷんであることは、抜群に秘密である。それは樋口も例外ではない。
「もうじき出立だ。今のうちに、地上の感触を確かめておけよ。しばらくは空の上だからな」
「「「了解」」」
「んじゃ、俺も降りるわ」
 先ほどまで藤崎と他愛もない話をしていた一郎が席を立った。
 彼はキャリアーでの移動はないが、いざと言う時は「特殊ユニットをつけたサイファーにぶら下がっていく」ような態勢を採る。
「お前も気をつけろや」
「俺の生き様よう見ときや」
「よく言うわ」
 軽口を叩き合い、一郎もキャリアーから降り立った。タラップの近くに置きっ放しにしていた基地内移動用のスクーターにまたがると、そのまま本部施設へと走り去った。


 CHN行きのキャリアー内。ここにはキャリアーの艦長である八神透、今回単機出撃の名誉を獲得した水無月淳、緒方の代理を勤める菊地哲、いざと言う時の淳のバックアップを務める土居二郎(DOI−2)が集結していた。
 ブリーフィングルームでは、DOI−2による単機出撃の心得を説いたレクチャーが行われており、八神と哲は、面白そうにそれを後ろから見ているだけである。
「これはどんな機体にも言える事だが、とにかく開幕のイニシアチブを取ることが、1対1の戦闘では重要だ」
「はい」
「特に我々の扱うSAVは、基本的に単機戦闘には向いていないが、決して出来ないという訳でもない。効果的な攻撃を要所に入れることで、相手にプレッシャーをかけることを心掛けるんだ」
「はい」
「特に、グリス=ボックは後ろダッシュミサイルやナパームといった武器に長けている。これらで攻撃するポイントを外さなければ、相手がどんなに強力だろうと、決して引けは取らない。自分のペースに持ち込めば、あとはこっちのものだ。
 ここで大切なのは、決して慌てたりしないこと。慌てるのが何においても一番良くないからな」
「はい」
 DOI−2の講義が続く中、八神と哲は、それを横目に談笑している。
 もともと重量級をメインに使う者同士ということもあるし、何より人間同士「馬が合う」かどうかがポイントだ。
 その点この二人は、OMG勃発時からの先輩後輩の間柄である。言うなれば、この二人もDOI−2と淳のような関係なのだ。
「若いっていいですよね〜」
「何言ってるんだよ。哲もまだまだ若いだろう」
「とんでもない。ここ近年のパイロットの若年化は進む一方ですよ。
 うちは特例が2人も入ったし、平均年齢がこれで一気に下がってますって」
「あははは。そりゃしょうがねぇなぁ」
 司令官5人のうち、3人が家庭を持っている8949旅団からすれば、9012隊は若い部隊の部類に入る。28歳の哲も、彼らから見れば、年の離れた弟のような感覚だ。
「で、向こうについたら食事に行くって話を聞いたんですけど、本当ですか?」
 制服の内ポケットからタバコを取り出し、火を付けながら哲が聞いた。
「緒方から聞いた?」
「まぁ」
「すぐに敵襲があれば、生還祝いでいいし、時間があるなら軽く景気付けのつもりなんだけどな」
 八神もタバコに火をつける。
「でも俺たちの財政火の車ですよ?」
「地球の英雄に払わせられるかよ。俺のおごり」
 その一言に、哲の顔が「ゴチになります」と語っていた。
「あと少しで時間だな。今のうちに忘れ物がないか、確認しとけよ」
「八神さん、いつまでも子ども扱いしないで下さいよ」
 流石の哲も、八神の前では形無しなのだった。



 O.D.A.第417ラボ。
 ここはKlosterfrauの父親であり、MSBSの開発に尽力を注いだ「瀧川一郎」の使っていたラボである。
 娘である彼女が、それをそのまま引き継いだのだ。
 また、ここはO.D.A.の関連施設にしては珍しく、地上に建設されている。当然ながら、O.D.A.の母体が存在する空間へは、自由に行き来可能だ。
 というより、この建物自体が地上にあるだけで、その内部が空間に直結している、と表現するのが正しいのかもしれない。

 黒塗りのロールスロイスが、ラボの敷地内に姿を見せた。
 正面玄関を素通りし、最も大きな建物の前まで乗りつける。左前方の運転席から運転手が姿を現し、後部座席のドアを開けた。
 まず、そこから降り立ったのは、17〜8歳ほどの一人の少女だ。O.D.A.の黒い制服に身を包んでいる。
 少女は運転手に軽く頭を下げると、早足で自分が下りたドアの反対側へと回り、そのドアを開けた。
「長い時間、大変御疲れ様でございました」
 そこから姿を見せたのは、長く艶やかな黒髪と、抜けるように白い肌を持った小柄な少女。Klosterfrauその人だ。
「貴女もね、三輪(みつわ)。私は今から『地下』に行きます。貴女はどうします?」
「私は一度、本部へ戻ります。今回の件をMeisterに報告しなければなりませんので」
「用が済んだら、すぐに帰ってきなさい」
「仰せのままに。我が君」
 三輪と呼ばれたその少女は、Klosterfrauが建物の中に姿を消すまで、見守るように背中を見つめていた。


 扉を開けた先には何もなかった。
 正確には「何も見えないほどの真っ黒な空間」が、そこに存在していた。
 Klosterfrauは中に浮かぶようにその空間に立つと、自らの姿をノイズへと変換させる。
 行き着いた先は、実験室だ。人が一人入れるほどの大きさのカプセルのようなものが、いくつも並んでいる。
 さらに奥に進むと、強化ガラスで作られたカプセルポッドのような培養槽が現れた。オレンジ色の液体に満たされた空の培養槽の中に、一つだけ、人の姿が見える。少年のような顔つきだが、身体は女性のそれだ。身体を横たわせ、短い髪が培養液に揺られている。
 Klosterfrauはモニターで培養槽の様子を確認した。特に異常はなかったのか、オレンジ色のボタンを押して、培養液を排出させる。
 くすんだブロンドと、白い肌。開いた瞳は深く澄んだ海の色だった。
「おはよう。ソア」
 Klosterfrauは起き上がった彼女に対して、優しく声をかけた。
「おはようございます。Klosterfrau。わざわざありがとうございました」
 差し出したタオルを受け取ると、ソアと呼ばれた女性は培養槽から出、身体を拭くと、脇に置いていた作業用のつなぎに着替えた。
「ソア・ファールズ伍長。今度の件、貴女に行って貰います」
「私、ですか……?」
 ソアは少々面食らった顔をした。
「そう。貴女の力は、まだまだ底を見せていない。今回は軽いデモンストレーションのつもりです。
 本来であれば廃棄処分されるはずだった貴女を、私はあえて育ててきました。そして、貴女は私の想像を遥かに超える能力を身につけた。
 先の襲撃で見せてくれた貴女の力は、ほんの僅かに過ぎない。
 だからもう少し、見せてあげてほしいの。貴女の力を」
 しばし沈黙の後、
「………判りました。出撃命令、謹んでお受けします」
「そうしてくれると嬉しいわ。
 出撃は3日後。場所はBlau StellarのUAE基地内エアポート。詳しいことは、追って三輪にでも連絡させます」
「了解です」
 Klosterfrauはその返答に、満足げに笑みを浮かべた。
「貴女には、もっともっと強くなってもらわなくてはならないの。私の為にも。お父様の為にも」
「私をここまでして下さったのは、他ならない。貴女です。私には、貴女に対して恩義を返す義務があります。
 どこまでやれるか判りませんが、今自分がやれることは、精一杯やるつもりです」
 少年のような表情を持つソアだが、この時ばかりは「戦士」としての表情になった。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
 腰掛けていた椅子から立ち上がり、その場を後にしようとするKlosterfrauだが、数歩歩いた後、一度だけ立ち止まった。
「そう、Meisterからの伝言です。今回は、とりあえず帰って来いとのことよ」
 ソアは再度面食らった表情をした。
「帰って来いとは……」
「貴女には、その価値があるからよ」
 今度こそ背を向けて、Klosterfrauはラボからノイズとなって立ち去った。
Meisterも判らないお方だ。私にいったい何の価値があるんだろう?」
 一人残されたソアは、首を傾げてその言葉の意味を理解しようとしたが、結局判らないので、とりあえず、自分もこの場を立ち去ることにした。



「上空、高度10000メートルまで異常なし!」
「フローティングキャリアーJOCX−8949、4番機並び5番機、発進準備!」
 移動空母の役割を果たすフローティングキャリアー。それが2機も停泊していれば、その迫力は只者ではない。
 そしていよいよ、それぞれの戦いの地へ、旅立つ時が来た。
「サブエンジン点火。発進まで、カウント20!」
 轟々と砂煙を上げて、キャリアーがゆっくりと浮上する。
 この様子は、全世界に生中継で配信され、街頭の大型ビジョン、ゲームセンターのモニターなどには、黒山の人だかりが出来ていた。
 浮上するキャリアーの姿に、人々が歓声を上げる。
「4番機並び5番機、上空停泊ポイント到達。発進まで、カウント10!」


「ねぇ、ROD君。本っ当に大丈夫なの?」
「大丈夫言うとろうが! ったくお前はがたがたうるさいやっちゃなぁ。染谷を見てみぃ。パイロットたるものあのくらいの平常心がなきゃあかんで」
「ブルーフォールより気持ち悪い……」
「ほんま大丈夫かいな?」

「思ったより大丈夫ですね」
「そ…そうか。俺はあまり大丈夫じゃないな」
「DOI−2さん、平気ですか?」
「流石のDOI−2様も、こればっかりは苦手なようだな」
「……口止め料は何が希望だ?」
「いやまぁ、今度おごって下されば結構でございますよ」


「メインエンジン点火、半径50km圏内、異常なし!」
「航路確認、オートパイロットシステム、オン!」

「4番機、CHN経由でUAEへ」

「5番機、CHN支部BJN基地へ」


「「発進!!」」



「行っちゃったか……」
 千羽矢は自分がこれから搭乗する1番機のデッキから、4番機と5番機が旅立つのを見守っていた。
『寂しい?』
「そうね。でもまぁ、あと3〜4日もすれば、向こうで合流だしね」
『生きてればな』
 デュオのその一言で、千羽矢の顔が一瞬険しくなった。
「誰に向かってそんな口利いてるのかしら? デュオ」
 声の芯が怖い。
『……………ごめん。俺が悪かった』
「判ればいいのよ」
 千羽矢は、尚貴がこんなところでやられるとは到底思っていない。尚貴と千羽矢はPパイロット時代から、数え切れないほどの対戦をこなしている。その中で、「向こうにあって、自分にないもの」を、おぼろげに感じていた。
 特に時折ほんの一瞬だけ見せる超人的なテクニック−攻撃であったり、防御であったり−は、それこそ脅威に感じることもあった。
 だから、相手がどれほどの力を持っていようと、自分の大切な親友は、絶対に負ける事はない。そう信じていた。
「尚貴ちゃんは、あたしなんかとは違う。本当は、こんなところでうろうろしてるようなレベルじゃないと思うの」
『それは“女の直感”ですか?』
「一郎なんかも気づいてるんじゃないかな。だから、赤木さんやお姉さんに反対されても、あの子の引き抜きに躍起になったんだと思う」
『へぇ〜』
「さ、あたし達もそろそろ出発ね。早く戻らないと」
 もうキャリアーの見えなくなった窓に背を向ける。
『ちぃ』
「? なぁに?」
『あのさ…… お前、俺と一緒にいて…… その……』
「やぁだ。またそのこと?」
『そのことって、お前な……』
「なっちゃったものは仕方ないでしょ。あたしは、これはこれで楽しんでるんだけどな」
 その回答に納得したのだろうか。デュオはそれ以降、しばらく千羽矢に口を利かなかった。



 表の世界の、ずっと、ずっと、ずっと奥。
 限りなく電脳虚数空間に近い世界。

 常に薄い闇に包まれたショットバーは、この時はいつもと違う空気が流れていた。


「きゃぁっ! もう、何するんですか!!」
 若い女性隊員が悲鳴にも近い声を上げる。
 O.D.A.本部施設の運営に関しては、主に非戦闘の所属員が務めている。もちろん、配属先に関しては本人の能力と希望を一応考慮しているが。
 で、今現在一体何が起きたかというと、とある男性隊員がウェイトレスをしている女性隊員の身体にタッチしたからなのだが、その場所が悪かったのだ。
「別にいいじゃん。減る訳じゃねぇんだからよ」
 タッチした当の本人は、全く悪気がない様子だ。
「そういう問題じゃありません!」
 普段は落ち着いた雰囲気のバーが、彼が姿を見せてからは大衆居酒屋と化している。
 この事件を起こした張本人は、カウンターではなくシートに腰掛けていた。
 板上二郎。O.D.A.が企業軍隊ではなく、企業国家の一部門程度の規模しかなかったころより在籍する、古参のバイパーUパイロットだ。
 特に何か特出した能力があるわけではないが、パイロットとしてのレベルは上である。
 しかし、あまりにも緊張感のない性格と、無類の女性好きが災いして、腕は認められているが、あまり出世していないのが、実際の所だ。
「いつ死ぬか判らねぇんだから、人生楽しまないと損よ?」
「楽しむのはいいが、あまり人様に迷惑をかけないようにな」
 その場に現れたのは、SklaveFurstの二人。板上をたしなめたのはSklaveの方だ。
「これはこれはお二人揃っておいでとは。この後二人で『お楽しみ』ですか?」
 O.D.A.の女性隊員の間では『セクハラ親父』として扱われている板上は、相手が誰であろうとマイペースを崩さない。
 板上の一言に、Furstの顔が一瞬強張った。Sklaveはそんな様子を見て、やれやれとため息をつく。
「俺に対してなら構わんが、あまりヴォルフをからかうなよ」
 自分が板上の隣に座り、その隣にFurstを座らせる。
「俺と違ってヴォルフは石頭だからな」
 その一言にFurstは何か言いたげな顔をしたが、きっと何を言ってもはぐらかされるに違いないと思ったのか、何も言わずにあてがわれた席に座った。
「ご注文は」
 このバーの責任者を務める初老のバーテンダーがオーダーを取りに来た。
「俺はバーボン。ヴォルフには…そうだな、カシスオレンジ。オレンジを少し多めに」
「かしこまりました」
 バーテンダーがその場を去った後、FurstSklaveに耳打ちする。
「ちょっとWAL。いくら僕が酒に弱いからって……」
「そう言って人のスコッチを一口飲んで、腰が抜けたのはどこの誰ですか?」
 至近距離で見るSklaveの顔は、何かをたくらんでいる子供のようにも見えた。
 ここはおとなしく引き下がるしかない。「VRに乗ること」以外、自分が彼に勝てるものは何もないのだ。
「で、お話とはなんでしょうか?」
 飲みかけのフォアローゼスで口を湿らす板上は、判っていてあえてこのように聞いた。
「判ってるだろう。あんたのことだ」
 Sklaveは単なる「優れたパイロット」よりも、性格的に一癖ある人間を好む。彼が板上に目をつけたのも、その性格とミスマッチのテクニックに惹かれたからだ。
「お待たせしました。カシスオレンジと、バーボンです。バーボンはストレートでよろしかったでしょうか?」
「そう。流石親父。よく覚えてるね」
「WAL様には常々ごひいきにして頂いてます故。
 それでは、ごゆっくり」
 バーテンダーは三人に対して深々と頭を下げると、再びカウンターに戻っていった。
「さて……」
 Sklaveは運ばれたバーボンを一口口にすると、ポケットから煙草を出した。それを見たFurstが、ジッポーで火をつけてやる。
−判っているとは言え、見せ付けてくれますね。
 SklaveFurstがこの時代の人間でないことは、板上も知っている。何より、この二人が親友以上の深い関係であることも、理解してる。
 戦うことにしか興味のないKönigin、そのKöniginにしか興味のないKavalierよりも、板上にはSklaveの人間性に興味を持ち、彼の下に仕えることを選んだ。
 それ故に、Sklaveの下に集まった人間には、主従関係というものは成立しない。あくまでも同じスタンスに立つもの同士、という関係にある。
「早速だが、出撃命令だ」
 ♪〜と、口笛を吹く板上。
「場所はJPN本部基地内のエアポート。場所はお前に任せるが、あまり辺鄙なところに行くなよ」
「お相手は?」
「お前もよく知っているだろう。『紫煙の毒蛇』だよ」
 紫煙の毒蛇。その言葉を聞いた板上の表情が一変した。今までの軽い感じから、憎しみすら伺える表情を浮かべている。
「ヤツとの間に何があったかは知らんが、今はしがらみ抜きにしてくれ。
 ……その方がやりがいがあるか」
 Sklaveは、全てではないが、この二人に何があったかは知っていた。だからこそ、あえてこのカードにぶつけたのだ。
「瀧川は、俺が生涯全力を持って倒すべき男だ。あいつさえいなければ、バイパーの後継機のテストパイロットは俺だったんだ。
 あいつの存在が、俺の人生を狂わせた。
 だから、あの男は、俺が絶対に倒す」
 膝に据えた拳が小刻みに震えている。板上がここまで感情を露にすることは珍しかった。
「それと、Meisterからの伝言だ。
 自爆は使うな、だとよ」
「……そう…ですか……」
 少々出し抜けを食らった感じだった。自爆攻撃は手も足も出なかったときの最後の手段として考えていたのだ。
 それを「使うな」となると、自分は一体どうすればいいのだろう。
「使うような状況にならなければいいだけの話だろう。あんたの実力は、俺が一番判っているつもりだ。
 世界トップクラスのバイパーパイロット、瀧川一郎。それを倒した男となったら、世界中の女が放っておかないぞ」
 Sklaveは下から這い上がろうとする人間には、惜しみなく手を差し伸べる。そういった人柄も、彼の魅力の一つだ。
「本当、あんたっておかしな人だよな……って、俺達もか」
 Sklaveは隣のFurstにもたれかかって笑っていた。
「WAL、重いってば」
 そうは言うものの、Furstは決して怒っている訳ではない。この状況下を楽しんでいるふしさえ感じる。
「俺たち二人は、この地上世界になんの名残もない。そもそも、この世界の人間じゃないからな。
 ヴォルフは、妹が生きることが出来なかった世界を生きるのが望みだ。そして、俺はヴォルフの下で、ヴォルフの為に生きることだけが望みだ。
 Meisterの下に集ったあんた達も、地上に怨恨があったり、ただの退屈しのぎだったり、正直いつ裏切られるかも判らないけど、今こうして、Meisterと、Aliceの下に集っている間は、同じ仲間だとは思う。
 あまり堅苦しくするのはやめようや。な、ヴォルフ」
 Sklaveが隣に目をやると、Furstは既にぼんやりとした表情を浮かべていた。
「あーあ、だから言わんこっちゃない。
 悪いな。そういうことだから。多分Meisterか誰かから話が来ると思うから。
 ヴォルフ! ったくしっかりしろよ!」
 Sklaveの呼びかけにも、いまいち反応が悪いFurst。金魚のように口をパクパクさせ、夢見心地な表情だ。
 グラスにまだ残っていたバーボンを一気飲みすると、SklaveFurstを抱きかかえてラウンジを後にした。
 その場に居合わせた女性隊員からは、ただため息が漏れるばかりだった。それだけ、あの二人は絵になるのだ(たとえそれが男同士だったとしても)。
 板上も氷が溶けて、薄まったフォアローゼスを一気に飲み干すと、おもむろに立ち上がってダーツの前に立った。的に刺さっていたダーツを3本引き抜くと、ラインまで下がって狙いを定める。
 がつっ!
 がつっ!
 がつっ!
 流石にプロではないので、ど真ん中と言うのはなかったが、バイパーUのパイロットらしく、決して的を外すような投擲はなかった。
 的を見つめる表情は、先ほどと同じく、どこか憎しみのこもった瞳をしていた。



 酔い潰れたFurstを連れ出し、ラウンジを出たSklaveは、自室に続く廊下でKavalierとすれ違った。
 体格差に多少の誤差はあるが、見事なまでに瓜二つな二人だった。
「見せ付けてくれるじゃん」
 身体をずらしてSklaveが通れる位のスペースを作る。
「お前は? 女王様は一緒じゃないのか?」
 Sklaveは軽くKavalierの身なりを見た。腰の下まで伸びたプラチナブロンドが少々乱れ、いつもはきちんと止められている制服の襟元も開きっぱなしだ。
「あ、悪ぃ。お帰りですか」
 確かに、KavalierからはいつもKöniginが使っているシャンプーの香りがした。
 抱きかかえたFurstの足がKavalierにぶつからないよう、身体をずらして通り過ぎる。
「なぁ」
「?」
「あんたは、もしそいつが俺らの誰かに殺されたら、どうするつもりだ?」
 しばしSklaveは、Kavalierの顔を見ると、表情を少しだけ変えた。
「お前はどうする?」
「俺?」
「そう」
「俺は……誰にも恋を殺させはしない。恋を傷つけたヤツは、俺がこの手で……」
 開いた手を、何かを潰すように握り締めた。
「殺す」
「俺も同じだ。それがたとえMeisterだろうと、お前だろうと、ヴォルフに指一本、誰にも触れさせはしない。
 ヴォルフの身の安全を確証してくれる限り、俺はMeisterの、Aliceの下に従わなければならない。
 でも、お前達は自由だ。何処へでも行くことが出来る」
「あんた、一体何を……」
「ただの独り言さ」
 そう言い残すと、Sklaveは何も言わずにその場を立ち去った。

 誰かに作られた月が、今日も眩しく輝いていた。


To Be Continued.