フラッデッドシティの戦いから2日後、9012特殊攻撃部隊司令の緒方豊和(おがた とよかず)は、航空戦術部隊所属の新人、高森尚貴(たかもり なをき)の腕の怪我の経過を見る為、Blau Stellar本部の医療棟を訪れていた。
 「単機出撃命令を出して欲しい」
 彼女の願いは、今日の診察に全てがかかっている。完治出来ていればもちろん出撃可能だ。しかし……
「ではレントゲン写真が出来るまで、しばらくお待ち下さい」
 整形外科部門の看護婦に入り口で見送られ、尚貴が診察室から出てきた。ひびの入った右腕のレントゲンを撮っていたので、いつも着ている紫色の派手な制服(9012隊の制服は比較的派手目ではあるが)を小脇に抱え、白いシャツを二の腕までたくし上げた姿だ。
「お待たせ」
 袖のボタンを留めながら、尚貴は緒方の横に腰掛けた。
「どう?」
「うん、レントゲン待ち。俺的にはなんの問題もなかったんだけど」
 上着に袖を通し、中に入ってしまった長い後ろ髪をよいしょと外へ出す。
「しばらく吊ったままだったからね。どうも感覚がおかしいや」
 あははと緒方が笑った。腰掛けておもむろにジャブを繰り出したりしていれば、端から見れば誰でもおかしいだろうが。
 しばしの雑談の後、尚貴は自分の名前を看護婦に呼ばれたので、慌てて席を立った。緒方もそれに続く。
 診察室の謄写版には尚貴のレントゲン写真が数枚挟まっている。一枚は医師が手に持ち、それを光に当てながら見ていた。
「やれやれ、驚いたよ」
 医師の顔は少し呆れ気味だった。
 尚貴は訳が分からず、緒方と顔を見合わせた。緒方も同じ様な顔をしていた。
「とんでもない回復力だね。5日くらいで完治していたようだよ」
 医師は最初に撮ったレントゲンと、先程撮影したレントゲンを見比べさせた。
「ほら、ここ。白く線が入ってるだろ? ここが問題の箇所だ」
 確かに、コンクリートに入った亀裂のようなものが映っている。
「こっちがさっき撮ったばかりのだ。何にもないんだよ。まるでリバースコンバートし直したVRの様にね」
 カルテに書き込みながら、医師は驚いたを繰り返すばかりだった。
「これならいつでも現場に復帰出来るよ。単機出撃なんだろう? パイロットの誉れじゃないか。
 頑張ってきなさい」
 伊達に数々のパイロットの面倒を見ている医師ではなかった。完璧な治療だった。緒方も尚貴も、安堵の息をついた。
「ありがとうございました」
「だが次はあまり無茶をするんじゃない。まだ若いから大丈夫だろうけど、クセになるとその箇所ばかり折れやすくなるからね」
「はい」
「じゃぁ、もう帰っていいよ」
 尚貴は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。緒方も軽く会釈すると、尚貴を伴って診察室を出た。

「快気祝いにどこか食べにでも行こうか」
 緒方の誘いにぱぁっと明るい表情を浮かべた尚貴だったが、それもつかの間。すぐに浮かない顔をした。
「ん? どうした?」
 携帯電話を手早く操作し、尚貴は自分の預金口座を確認し、さらにため息をついた。
「俺さぁ、この間ルナ・マティーニのスーツ買っちゃったんだよね……」
「ルナマ!?」
 ルナ・マティーニといえば、この時代ファッションに敏感な若者なら知らない者はいないくらいの、超高級ブランドだ。多くの芸能人やアイドルパイロットも愛用している。なんと言ってもハンカチ一枚で20クレジットはくだらないのだから、その高級振りが伺えるだろう。
「給料入ったばかりだったから、現金で一括しちゃってさ。もう今月かなりピンチなんだ」
 この時分の年代は、それこそおしゃれには気を使う。たかだか街のゲームセンターにバーチャロンをやりに行くだけで、それこそパーティにでも行くような格好で出かけることもあるのだから。
 それがあまりにも哀れで、緒方は思わず
「いいよ。せっかくだし、おごるよ」
 と言ったのだが……
「あらぁ、お揃いで何なさってるの?」
 声をかけてきたのは、フラッデッドシティ戦いでの戦い振りで人気急上昇中のフェイ=イェンパイロット、竜崎千羽矢(りゅうざき ちはや)
 彼女がいると言うことは、オペレーターとしてパイロットを支える赤城香緒里(あかぎかおり)日向友紀(ひゅうが ゆき)の二人も揃っている。今回は珍しく、千羽矢と同じく先の戦いに出撃した神宮寺深夜(じんぐうじ みや)も一緒だ。
「おがっちに診察つき合ってもらってたんだ。それで…むぐぐ……」
「なんでもねぇよ。男同士の大事な話だよ。な!?」
 緒方に羽交い締めにされるように口を塞がれた尚貴は、緒方のその言葉に対して黙って首を縦に振るしかない。
「俺達は次の作戦について大事な話し合いがあるんだ。悪いが、お茶につき合うのはまた今度にしてくれ」
 尚貴をずるずる引きずりながら、緒方は逃げるようにその場を立ち去った。
「変なおがっち」
「でもまぁ、あの人はいつもあんなだからね」
 友紀は諦めたようにつぶやいた。
「そうなんですか?」
 9012隊に入ってまだ日の浅い深夜は、いまいちそれが判らない。
 だが、そんなことをいちいち考えても仕方ない。緒方には緒方のやり方があり、9012隊は今までそれで無事にやって来れたのだ。
 集まった女性陣は、行きつけのティーサロンでのお茶の話へと、話題を切り替えた。


 で、先程なんとか逃げ出しは二人は……
「あ゛〜苦しかった」
 後ろからあんな事をされたのでは、正直堪ったもんではない。食堂に着いた頃には既に顔も真っ赤で、尚貴はあわや窒息寸前と言うところだったのだ。
「悪ぃ悪ぃ。だってあいつら沸いたように出て来るんだぜ」
 緒方も実は結構焦っていたのだ。「おごる」の一言を聞かれたら、彼女らのことだ。ハイエナのように食いついてくるに違いない。
「で、おがっちはこれからどうするの?」
「ここで水無月と待ち合わせなんだ。午後はあいつの検診につき合うから」
「大変だね」
 セルフのトレイには親子丼とコーンサラダ、メロンソーダ、キーライムパイが乗せられ、緒方はサンマ定食と、ウーロン茶を選んだ。
「まぁ、それが役目ったら役目だからな」
 会計を済ませ、空いている席に適当に座る。まだ時刻も1200前なので、人もまばらだ。これならすぐに見つけられるだろう。
 しばらくすると、緒方が手を振った。尚貴には背後になるので、口いっぱいにほおばりながら、体の向きを変えた。
 待ち合わせの主、水無月淳(みなづき じゅん)がやってきたのだ。
「お待たせしました」
 空いていた尚貴の隣に座る。
「おぅ、お疲れ。飯は?」
「DOI−2さんと済ませてきました」
「そっか。じゃぁ俺が終わるまで待っててくれ」
「はい」
 昼時特有のざわめきが、食堂に広がってきた。テレビでは他愛もないニュースが流れ、今地球圏が瀕している危機なんか、感じさせないほどの穏やかな空気がそこにはある。
「高森さん、腕は……」
 このところ、利き手の右腕を吊って、左手で何をするにも不便そうにしていた尚貴を、淳も知らない訳ではなかった。隣の人は、もう右で器用に箸を使っていた。
「俺? 俺はもう全然平気。この通り」
 箸を持つ右手をぶんぶんと振って、完治振りをアピールした。
「俺は先に単機出撃決まったから。あとは君だね。俺は大丈夫だと思うよ」
 決まってしまえば気楽なものだ。ちなみに、彼女はJPNから遙か遠い砂漠の国、UAEへの出撃がこれで決まった。
「君はどっち希望?」
「俺は、特に決めてないです」
「あ〜、でも一郎さんがここ希望してたから、多分君はCHNじゃないかな。でもあそこは『中国5000年の歴史』で料理は美味いらしいよ」
 なんでまぁこの人はこういう情報がぽんぽん飛びだして来るんだろうか。淳は半ば呆れ気味に話を聞いていた。
「UAEはあの時期はあれだろ、『DUBAI WORLD CUP』」
「そうそう、見られるか判らないけどね。WING ARROWが出るから出来れば見に行きたいなぁ」
 これに藤崎がいれば、すぐさま競馬の話になるだろう。流石に四六時中競馬のことばかり考えている3人ではないのだけれど。
「んじゃ、ごちそうさま。おがっち、今日はありがとう」
 他人のおごりの食事ほど美味しいものはない。尚貴は満足げな顔で立ち上がり、トレイを返却口へ持っていった。
 その背中に緒方はひらひらと手を振った。
「お前、本当に何も食わなくていいの?」
「えぇ、さっきDOI−2さんのおごりで、散々食わされました」
 淳は少々げんなり気な顔をした。相当食わされたに違いない。DOI−2は見かけによらず、かなりの大食漢なのだ(パイロットという職業の者は、得てしてそういう傾向に多いのだが)。
 昼も30分を過ぎると、流石に食堂も混んでくる。緒方はトレイを持って立ち上がり、淳もそれに付いていった。


 CTスキャンと脳波の測定で、検診は終わった。あとは結果を待つだけだ。
「緒方さん」
「ん?」
「戦争って、なんなんでしょう?」
 緒方は正直この質問には面食らった。
 自分たちは軍人ではあるが、この時代のカラーを考えると、一概にそうも言えない部分もある。事実特別招待という形でパーチャロイド・パフォーマンス・バトルに参戦することもある。それ以外にも、様々な媒体を通して「営業」を行っている人間もいるくらいだ。
 そんな平和な世の中に慣れすぎた人間達に降って沸いたように起きた「危機」。
「あの時、相手に『あんた達の魂が選ばれる訳がない』と言われました。彼らが何を望んで、どうして戦いを仕掛けてくるのか、どうしても判らないんです」
 緒方はその問いに対してしばらく考えると、思いついたように言った。
「じゃぁさ、お前はどうして戦ってる訳?」
「俺ですか?」
「そ」
「俺は……」
 淳は言葉に詰まりながらも、しっかりとこう言った。
「俺は、彼らのような高尚な望みは持っていません。ただ、自分が暮らしている、この世界だけは、軍人である以上は護らなくてはならないと思う。その為に与えられた力です。
 自分の為に戦うことが、結果、誰かの為になる訳ですから……」
「俺達は、目指している信念はバラバラだと思う。だが、その信念を貫く為には、この世界があってこそだ。
 世界平和なんて、聖人君子な事は思わなくていい。俺は喧嘩を売られたから買ったまでだ。誰の為でもない。強いていえば、俺自身の為だ。
 ヤツらにも目指しているものがある。それが異なるだけだ。ついでに、それは絶対阻止しなくてはいけない。俺達の命にも関わることだからな」
「はい」
「あまり難しく考えるなよ。悩むとはげるぞ」
 緒方は淳の頭をくしゃくしゃとしたのと、淳の名前が看護婦に呼ばれたのはほぼ同時だった。いそいそと診察室へと向かう。
 医師はしばらく結果を見ていたが、
「問題ないですね。出撃してもいいですよ」
 と、ゴーサインが出た。緒方は、淳の表情が僅かに変化したのを見逃さなかった。
「おぅ、よかったな! これで全員出撃可能だ! 先生、ありがとうございました」
「君もあまり新人に無茶させるんじゃないよ」
 初老の医師は、Blau Stellarが結成される前から、DN社専属の医師として働いてきた人物だ。当然、緒方とも顔なじみである。
「今回の単機出撃は全員本人の意思だからな。俺はやばくなったらきちんと援軍を出しますよ」
「君達のことだ。その辺は大丈夫だろう。気をつけて行ってきなさい」
「はい」
 医師は孫にも等しい彼らの無事を、祈って止まなかった。


 ほぼ同時刻。ヨーロッパはSWS地区にあるBlau Stellarのメインファクトリー。旧世紀の頃は「精密機械の国」としてうたわれたこの地域一帯は、現在でもVRの整備や修理、開発までを一手に担う重要な地点として存在する。
 そしてこの日も、先日の戦いに参戦した8台のVRが次々と運ばれてくる。
「班長!! 報告通り、8台全部到着しました!」
 管制塔から、搬入されたVRをチェックされ、放送で報告が入った。
 班長と呼ばれた、長髪を一つに束ねたつなぎの男が、VRが運ばれたハンガーへと走ってくる。
「台数は間違いないな?」
「もちろんですさぁ! 大破のストライカーが1機、中破のテムジン、他の機体も酷く破損してますさぁ」
 手渡された報告書と、実際のVRを確認する。破損状態、作業内容、その他諸々。
「全機リバースコンバートを解除しろ。まずはストライカーからだ。スケルトンシステムから直さないとまずいからな」
「あいさぁ」
「テムジンとフェイは解除後、Vコンバーターユニットを排除しろ。『新型』はもう来てるんだろ?」
「3機とも搬入されてますさぁ。既にライデンは作業に入ってますさぁ」
「ライデンの進み具合は?」
 装着されたヘッドセットで別の部署へと通信を取る。
「現在5.2の上書きフォーマット中です。昨日から初めてやっと半分ですか。やっぱり新システムは少し時間がかかりますね」
「判った。フォーマット終了後、ユニットをスケルトンシステムへ再充填させろ。コンバートデータは届いてるか?」
「もちろんです。我々の威信に懸けて、これまでと全く同じカラーリングにして見せますよ」
 突然乱入してきた他部署の担当は、自信満々に言った。男も、これには少々苦笑いする。
「その辺はあんたらに任せる。
 で、残りも全部再フォーマット作業に入ってくれ。特にストライカーはなるべく早く頼む」
「班長の頼みですからね。何とかしますよ」
 この男、若いが腕と信頼はなかなかの様だ。
「全員作業開始だ!! 久々の大仕事だ、ヘマすんじゃねぇぞ!!」
 館内中に響きわたる男の声に、作業員が各々応えた。
「グラウスト班長、例のシステムの件ですが……」
「? 何かバグでも出たか?」
 振り返った男の視線で、報告書を持ってきたシステム系の女性整備員が、一瞬身を固めた。
「いえ、そうではなく…… 先日本部より別口で送られてきたスペシネフに搭載、同時に5.2への再フォーマットをするように依頼が来まして……」
「あのシステムか?」
「はい。なるべく早く、出来れば3週間のうちに全ての作業を終わらせるように、とのことなんですが……」
 男はしばらく考え込むと、カーゴのポケットからPDAを取り出し、いくつか操作をする。
「3週間ってのが気になるな…… でもまぁ、上の指示だ。俺達は納期に間に合うように作業するだけだ」
 男はポケットから取り出した超小型端末を起動させ、いくつかの操作をする。
「そのスペシネフについては、今ラインに乗せるように指示した。あと30分くらいで作業が始まるだろう。再フォーマットはともかく、例のシステムに関しては搭載出来るか判らねぇけどな」
「難しいんでしょうか?」
「まっさらなコンバーターディスクにインストールするのは問題ない。既に使われているディスクは、パイロットの癖や残留思念があるからな。プログラムそのものを受け付けないこともあるのさ」
「結構面倒なんですね」
「それを何とかするのが俺達の仕事だ。
 この件はお前に全て任せる。何か問題が起きた時だけ報告してくれ」
「了解です」
 女性整備員は一礼すると、きびすを返して持ち場に戻って行った。
「やれやれ。新型機の開発から解放されたと思ったら、今度はこれかい」
 イントレの足場に腰を下ろし、人がいないのをいいことにタバコに火をつけた。真っ白な煙を吐き出し、中空を見上げる。
『セイ、お前がパイロットでなく、整備士としての道を選んだことに、俺は何も言わない。
 ただ、これだけは覚えていて欲しい。いついかなる時も、俺達が仲間であったことだけは……』
 かつて、彼がB・パイロットとしてグリス=ボックに搭乗していた頃、隊長だった人間が部隊を去る自分に対して向けた言葉だった。
 彼−セイ・グラウストが唯一心を開いた人物。かの人は、現在MV−03に出向中で、O.D.A.襲撃の際も、前線にいたという話だけは聞いている。無事かどうかは判らなかったが。
「隊長、俺は自分で選んだ道を後悔しちゃいないぜ。
 あんたらパイロットの命は、俺達と共にある。機体を100%万全にして、戦場に送り込む。それが俺の求めたものだからな」
 半分程まで燃え尽きたタバコをイントレの床でもみ消し、セイはインカムをつけ直すと、立ち上がって現場へと階段を駆け下りた。
「あと1週間でまた3機届くからな! ここでとろとろ作業すんじゃねぇぞ!!」
 自分のプライドに懸けて、Blau StellarのVRは常に万全の状態で戦場に送り出す。
 セイ・グラウストは今日も、己の存在意義を確認する為、現場に立っている。



 開戦4日前。UAE、CHNへと旅立つ2機のVRが、それぞれの行き先へと向かうキャリアーに搬入された。
 今回2機を運ぶキャリアーは、OMGに於いてDOI−2の所属していた部隊と並び、ムーンゲート突入に大いに貢献した第8949小隊のパイロットが艦長を務める(現在は8949旅団へと再編され、彼らは現在指揮官として所属している))。
 旅団でありながら5機のキャリアーを持つ為、部隊としての機動力はBlau Stellarでも随一だ。時には今回のように、他部隊の搬出を担うこともある。
 9012隊はこの8949隊の後輩ということもあり、今回は本人達から機体搬出を申し出たそうだ。

「ユータさん、今回はよろしくお願いします」
「中東地域は俺の管轄だしね。あそこならすぐに行けるよ。
 ……にしても、新人で2戦目にして単機出撃かぁ。勇気あるなぁ」
 UAE地区戦へ参戦する尚貴のサイファーを搬出するのは、ベルグドルのパイロットとしてOMGに参戦した樋口豊少将。パイロット時代は職人のような支援攻撃を信条とし、バーディブレイドシャフトでの対ライデン戦は、OMGの名バトルには必ず挙げられるほどだ。
 樋口は運び込まれたサイファーと尚貴の顔をかわるがわる見た。
「ユータさんはDOI−2達がいなければ、本当はエース部隊に迎えられるくらいの腕前を持ったベルグドルのパイロットなんだぜ」
 緒方に紹介を受け、尚貴は固くなった体をますます固くした。
「おいおい、やめてくれよ緒方君。もう昔話じゃないか。それに、俺はもうパイロットは引退したんだ。こっちの方が性に合ってるよ」
 樋口は8949旅団所属の火力支援大隊長という肩書きを持つ。規模としては他の大隊よりは小さいが、パイロットはこれまた職人級の腕前を持つ者ばかりだ。
「何かあれば、うちの部隊もすぐに出せるようになってる。安心して戦って来な」
「……はい………」
 尚貴はそう応えるのがやっとだった。
「その辺は俺達の方も手を打ってある。一応頭を乗せないといけないんで、それはRODに頼んであるし、バックアップは染谷に来てもらうことになってるから」
 その言葉に、すぐさま尚貴が反応した。
「ちょっとおがっち! ROD君はともかく、なんであいつと遠距離はるばるしなきゃなんない訳!?」
「仕方ないだろう。アリッサのライデンは既にファクトリー送りだし、哲はCHNに決まったし……」
「くじ引きで、でしょ?」
 ぎっくぅ!
「とにかく、俺は絶対あいつとなんか嫌。本当は顔も見たくないもの」
 こうなるともう手に負えないのだ。理由が誰にも判らない(話そうとしない)、だからどうしようもない。このことには緒方もお手上げ状態なのだ。
「スイマセン、ユータさん。そういう訳なんでよろしくお願いします」
 困ったあげく、とりあえず樋口に挨拶することでその場を脱しようとする緒方。話題の転換はいつものことなのだが。
「OK。あとは兄貴んとこに話してあるんだろ?」
「はい。八神さんがあっちの方担当ですよね」
「俺達は旅団とは言え、本体を残して殆ど動いてるからな。今後の移動のことは、何かあったら俺達に言ってくれればいつでも動くぜ」
「ありがとうございます。
 ほら、お前も挨拶しろ」
「は〜い。ユータさん、よろしくお願いします。色々教えて下さい」
「君のことは友紀から色々聞いてるから。ま、よろしくな」
 緒方は尚貴を連れ立って、樋口のキャリアーを出ると、今度は淳と共に、別のキャリアーへと挨拶に行った。

「こんにちは。八神さん。今回はお世話になります」
「おぉ! 緒方!! 久しぶり!! しばらく会わないうちにおまえも出世したなぁ」
 淳のグリス=ボックが搬入されたキャリアーは、重量級を多数抱える重火力戦術連隊の専用キャリアーだ。
 その連隊長とこのキャリアーの艦長を勤めるのが、Blau Stellarでも古参のパイロットである、八神透中将。
 彼と先述の樋口少将は兄弟である。
「まさか今回俺を指名してくるとはな」
「極東地域は八神さんの庭ですからね。たいした距離じゃないですけど」
「たまにはこういうことがあってもいいさ。
 この戦いに勝てば、お前らは地球圏最大の英雄だ。OMGなんか比じゃねぇ。まさに地球の運命はお前らにかかってるんだからな」
 八神の言葉を聞いて、淳は単機出撃の重大な役目を、改めて認識した。
「でも俺はお前らが負けるとは思っちゃいないさ。向こうに着いたら美味い飯でも食いに行こう。腹が減っては戦は出来ぬってな」
 OMGという戦役を体験している余裕なのだろうか。八神にも藤崎が持っているような独特のゆとりが感じられる。
 八神と樋口は、VR開発時よりDN社に所属している古参の兄弟パイロットだ。五人一組という独特の戦術を持つ8949隊に於いて支援攻撃を担う、いわば部隊の屋台骨のような存在だった。
 ちなみに、二人ともすでに家庭を持つ父親でもある。極東地域担当の八神は短期休暇の度に家に帰ってはいるが、中東・アフリカ地域を担当とする樋口はそう簡単に帰ることは出来ず、単身赴任状態で任務についている。
「・・・といっても、あそこは広いぞ。支部だけでも数え切れないほどある。やっこさんはどこを指示してきたんだ?」
「それはまだです。あらかじめ通信が入るのか、それとも・・・・・・」
「その辺は友紀と香緒里ちゃんが頼りだな。
 あの新入りも単機で出るんだろ? その辺はあいつが強いみたいだけど」
「本人の希望ですからね」
「俺たちでもフォローくらいなら出来る。その辺は情報をやり取りしよう」
「お願いします」
「少年、がんばれよ」
「はい・・・・・・」
 さすがに淳も緊張気味だ。返事をするのがやっとの状態だ。
 緒方は八神のキャリアーを出ると、今度はミーティングルームに戻る。本当今日は忙しい。
 ルームの回線をつなぎ、YKS支部、通称「ヨコスカ基地」へと回した。
『こちらヨコスカ基地です』
「9012の緒方です」
『これは大佐。ご機嫌よろしゅう』
「松本中将につないでくれ」
『了解しました。少しお待ちください』
 モニター回線でつないでいるので、保留になると同時に画面も保留待ちとなった。サイケデリックなグラフィックが広がる。
 やがてグラフィックがすーっと薄くなり、画面には赤ともピンクともつかないような色の髪をした、派手な男が現れた。
「お久しぶりです、秀さん」
『緒方ちゃん、生きてたんだ・・・・・・』
「人を勝手に殺さないで下さい」
 緒方も思わず苦笑いを浮かべるこの人は、ヨコスカ基地の最高責任者である松本秀人中将。見た目は軽そうではあるが、OMGの際に、月面基地にて無人VRの撃破数でトップに立った人物だ。
「今回は一郎が出ることになりました。ですけど、まだどこに飛ぶかは判りません。とりあえず、移動の件だけお願いします」
『国内じゃキャリアー使うほどじゃないもんな。サイファーに搬送用ユニットをくっつけて、それで持って行かせるよ』
「ポイントのフォローはこちらでします。まだ、どこでやるかは判らないんで、ぎりぎりになるかと思いますが」
『奇襲にも対応出来るようにしておく。全国のネット使えば何とかなるだろ』
「お願い出来ますか?」
『当然。
 一郎はどうした?』
「さぁ? お互いに干渉はし合っていないんで」
『そういうところ、ドライなんだな。結構』
 緒方は肩をすくめて笑って見せた。
『まぁいいや。お呼びがあれば、うちの待機部隊も一斉投入させる』
「お心遣い、感謝します」
『じゃぁな』
 回線が断線され、画面がすぅっと暗くなる。
「これで根回しはよし、と」
 今度の対戦に向けて、移動や索敵の依頼を終了させた緒方は、ポケットから携帯を取り出し、どこかへと電話をかける。
「俺だ。
 今日は、家に帰るよ」



 円卓に、全員が集まったのはいつ以来だろうか?
 O.D.A.「円卓の騎士」による円卓会議が、地球圏襲撃以来久しぶりに行われた。
 その時はモノリスから出席したKlosterfrauも、今日は顔を出している。
 同じテーブルについているものの、誰一人として互いに声をかけようとしない。時折かすかな話し声と、くすくす笑う声が聞こえる程度だ。
 やがて一つの席にノイズが発生し、それが人の形をとる。
「待たせたな」
「遅いで、Meister。女を待たせるたぁ男として失格やぞ」
 Königin Rは決して機嫌が悪い訳ではない。彼女はいつもこんな感じなのだ。
「そう怒るな。とりあえず、お前にはお土産だ」
 机の上を小さな箱が滑る。それを絶妙なタイミングでKöniginがキャッチした。
「なんやこれ」
「今度出る新商品だ。まだ市場には出ていない」
 箱から出てきたのはリップスティックだ。淡いブラウン。
「ご機嫌取りか?」
 影が動く。肩をすくめたように見えた。
「ま、これはありがたくいただいとくわ」
 まんざらでもないのだろう。むしろ嬉しそうな感じさえする。
「さて・・・・・・」
 Meisterの声色が変わる。空気が静まり返った。
「次の戦闘は1対1。通常の戦闘瀬あればこちらが圧倒的に有利ではあるが、相手は一枚も二枚も違う。今後の戦局を占う点で、重要なファクターではある」
「それでは、私はこの者を推薦します」
 Klosterfrauの座っている位置から、Meisterの座っている位置に向けて、書類が滑る。
「下士官ながら、先の襲撃においても大きな働きをしてくれましたわ。人間の視線だけでなく、俯瞰の視点から戦況を判断し、的確な指示が出来る。
 今回は単機出撃態勢ですけど、今後の為にも、一度彼女の戦いを見ていただきたいんですの」
 Klosterfrauの説明の間、Meisterは受け取った書類をずっと見ていた。
「新型・・・か・・・・・・」
「いえ、突然変異ですわ。
 製作過程途中の染色体配合時に、これまでとは違う配合が発生しましたの。
 本来であれば廃棄にするはずだったんですが、私があえて、製作を進めさせ、誕生したマシンチャイルドですわ」
 パイロットの名前はソア・ファールズ。あどけない少年のような表情をしているが、れっきとした女性である。
 パイロットそのものの力は決して上位ではないが、確実な索敵と、相手に常にプレッシャーを与え続ける攻撃が特徴だ。
「・・・・・・・・・・・・判った。こいつはUAEに行かせよう」
「お心遣い、感謝いたしますわ」
 Klosterfrauの物腰は、13歳とは思えないほど大人びている。何事にも動じない精神力と、他を圧倒する知識。
 何よりも、彼女が自分の父親の為だけに「Operation Alice」に協力していることが、Meisterは何とも愉快でならなかった。
 だからMeisterは彼女を最高幹部の一員に選出した。望むだけの環境を与えてやれば、彼女は喜んで、自らの知識を地球への復讐に向けるだろう。
「それとCHNに派遣する一人だが、Jungfrauの推薦通り、あのエンジェランに行ってもらうことにした。
 それぞれ伝達を頼む」
 Jungfrauは顔色一つ変えず、ただ席に座っているようだ。首から下げているアミュレットの石が、鈍く白い光を放っている。
「問題は残り一つの椅子だ。JPNは他の2ヶ所に比べて厄介なパイロットが出てくる」
「あの黒いバイパーUのことか?」
「そうだ。あれの戦闘力は他の2機を遥かに凌ぐ。甘く見ていると、我々の方が痛い目を見るだろう」
 円卓が一瞬沈黙に包まれた。
「ならばうってつけのがいる」
 静寂を破ったのはSklaveだ。先ほど同様、書類が机を滑る。
「板上二郎。Meisterもよく知っている、あのバイパーパイロットだ。
 性格はアレだが、腕は確かだ。瀧川・・・と言ったな。瞬間的な能力では、ヤツをも上回るはずだ。
 それに、板上には切り札的攻撃がある」
「なんだそれは」
「自爆能力さ」
 誰一人として声を発しなかったが、その空気が一瞬だけ冷ややかになったのは確かだ。
「俺も実際に見たことはない。あくまで本人の申告によるものだ。
 相手に組み付き、自らを起爆の核として大爆発を起こす。『神風特攻』的な戦い方だ」
 その発言に、Doktor Tが訝しげな顔をした。
Sklave殿。この限定戦争自体、何を意味しているのかお判りか?」
「判っているさ。その為の回収プログラムだ。爆破と同時に作動させれば、何の問題もない。今まで全てそうしてきたはずだ」
「しかし・・・・・・」
「待て、二人とも」
 Meisterが二人を制す。
「ヤツの戦闘力に関しては、俺も保証する。
 それに、相手が『紫煙の毒蛇』なら、不足はないだろ。サイファーを生んだ、天才カリスマパイロットだ」
 再び書類に目を通し、赤いペンで何かを書き込む。それをMeisterSklaveに返した。
「だが自爆は良くないな。あくまでも、通常戦闘で行ってくれ。
 使い道は、いくらでもある」
 あぁ、やっぱりな。
 Meisterの言葉に、一同がなんとなく納得した。この人はそういう人だ。使えるからこそ、手元に置いているだけなのだ。
 使えないと判ったら、誰であろうと切り捨てる。恐らく、自分自身をも。
「これで・・・・・・決まったな。
 時間はそんなにない。彼らが新型機や新しいOSを導入してくるのも時間の問題だ。
 ただ、これがあくまで『限定戦争』であることだけは忘れるな。戦えばいいものではない。彼らはその辺も判っている。ほとんどがパフォーマー出身だからな。
 見る者を魅了してこそ、真の『限定戦争』だ」

 Meisterの言葉の裏に隠された真意は、誰一人として、判っていないのだけれど。



 そこは隔離された空間だった。
 絵本に出てくるような、白い家と、広い庭。外の空間と何ら変わりはない。
 ガーデニングによって彩られた庭。白い翼を持った天使のオブジェ。
 昼間は青空から太陽が降り注ぎ、時折恵みの雨が降る。そして、夜は満点の星の中に大きな月が浮かぶ。

 ここはJungfrauが自ら集めた少女パイロット達を囲う空間だ。
 フォーマットされたVコンバーターの性質なのか、エンジェランは男性の搭乗を頑なに拒否する。
 それ故に、エンジェランは女性のみが操ることの出来る、唯一の機体だ。
 特にO.D.A.では、エンジェランは「Erzengelの加護を受けた機体」として、尊重されてきている。
 Erzengelと唯一コンタクトを取ることが出来るJungfrauが、彼女達の面倒を見ているのだ。

 芝生にシートを敷いて、三人の少女が語らっている。その横のテーブルでは紅茶をすすっている少女が一人。
 彼女らは、全員O.D.A.に所属するエンジェランのパイロットだ。この中には、マシンチャイルドも存在する。
 少数精鋭を謳うO.D.A.に於いて、エンジェランパイロットの数は少ない部類に入る。その中でも、この四人はJungfrauだけでなく、Meisterもその能力を認めている。パイロットとしての能力は折紙付きだ。
 見た限りは、外界の少女たちと何ら変わりはない。談笑し、手作りのお菓子をほおばる。
 そんな空間に、ふさわしくないノイズが発生した。発生したノイズはやがて人の形をとる。
「お母様!!」
 金髪の少女が駆け寄った。その人物はJungfrauその人だ。
「皆、いい子にしていましたか?」
 語りかける表情は、母親のそれだ。これまでの無表情さからは想像も出来ない。
「お帰りなさいませ。お母様」
 日本人形を思わせる艶やかな黒髪の少女が出迎えた。その目は閉じられている。
 少女は盲目だった。
 そして、金髪の少女は感情が欠落している。開かれた目は赤く、髪や肌の色は全く色素を持たない。典型的な白子(アルピノ)の特徴だ。
 しかし、それは「天使の加護」として受け入れられ、パイロットとしての能力には何ら問題はない。むしろ、中級レベルのパイロット相手なら、その能力を上回る。
「今日はもう帰りましょう。マリア、九遠。帰りますよ」
「はい。お母様」
 九遠と呼ばれた少女は、バスケットにティーセットを収め、広げたシートをたたむと、足早にJungfrauの後を追った。マリアと呼ばれた少女も一番最後を歩く。
 彼女達が暮らす住居空間も、普通の家と何ら変わりはない。これもまた、絵本に出てきそうなインテリアの家だ。
 だがそれは、パイロットが暮らす空間とは思えない生活感が溢れている。
 ダイニングに置かれた大きなテーブルにはカントリー調のテーブルクロスが敷かれ、その上の花瓶には、この空間で摘まれた花が生けてある。
 その上には各々のティーカップ。
 まるっきり戦争とはかけ離れた空間だけに、その違和感は並大抵のものではない。
 ぱたり、とドアが閉じられる。そのドアにもラタンとドライフラワーで作られたドアリースが飾られていた。
「さて、いよいよMeisterからお話がありました」
 Jungfrauの言葉に、その場の空気が前線のブリーフィングルームのそれへと変わる。
「先の襲撃に於ける皆の働きを、Meisterはとても評価して下さいました。
 そして今回、名誉ある単機出撃の命を頂きました」
 視線が金髪の少女へと向けられる。
「ネイ・ウィズ・小夜曲(セレナーデ)伍長、貴女にCHN地区への単機出撃を命じます」
 ネイと呼ばれた少女は一瞬顔を強張らせたが、席から立ち上がり、Jungfrauに対し、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。Meister、お母様のご期待を裏切らないよう、精一杯がんばります」
 その言葉にJungfrauは満足げな笑みを浮かべた。
「今回はネイのみの出撃ですが、今後の戦局次第ではいくらでもチャンスはあります。綺羅、マリア、九遠。貴女方も必ずやMeisterの御為に働いてくれると、信じていますよ」
 慈悲深さを感じるJungfrauの笑み。

 だが、その隠された本当の顔を知る者は、もう既に存在しなかった。


 To Be Continued.