春、本来ならどこの世界も新しい顔(フレッシュマン)が続々とデビューする時だ。
 しかし、競馬の世界は既に栄冠に向けて熾烈な争いが繰り広げられている。

 3年前にこの世に生を受けた「Thoroughbred」達は、早ければ2歳の夏に各地(HKDのHAKエリアやSPRエリア、FKOのKKRエリアなど)でデビューする。12月には牡馬、せん馬(去勢された牡馬のこと)を対象にした「フューチュリティーステークス」、牝馬を対象にした「ジュベナイルフィリーズ」と言ったGrade Tレースが開催される。
 明けた3歳には、春から秋までにわたって開催される、3歳レースの最高峰「CLASSIC」が開催される。
 全てのサラブレッドは、この栄冠を目指して、日々調教、そしてレースを続けるのである。
 3歳になってデビューするThoroughbredももちろんいる。生まれたのが遅かったり、体質が弱かったり、様々な理由でデビューが遅れることもある。だが、その中から偉大なる名馬が生まれることもあり、デビューが遅いからと言って、軽視は出来ない。

 Blau Stellarでも熾烈な入軍試験を勝ち抜いた精鋭達が顔をそろえた春。
 季節は既に、日本の牝馬クラシック第1戦Grade T「桜花賞」の季節を迎えていた。


 第9012特殊攻撃部隊(通称CRAZE隊)の面子の中で、競馬をやっているのは藤崎賢一(ROD)、緒方豊和の2名。今年からはそれに高森尚貴を加えた3名が、年末の大一番「有馬記念」までを共に過ごす事になる。
 地方競馬では平日開催もあるが(特に南関東の大井では「トゥインクル」という愛称で、ナイター競馬も行われている)、中央競馬は基本的に土日の開催になる。
 RODと緒方の2人は、週末になると度々競馬場や場外馬券売り場(通称ウィンズ)に出向き、馬券を買っては損した得したと、忙しく過ごしている。
 その反面、尚貴の方は、朝から最終まで全てのレースを買うという事はしない。平場や特別レースといったものは、好きな馬が出ている時に単勝を1クレジット分買う程度で(いわゆる「応援馬券」というものである)、ほとんどがGradeレースのみの購入である(GradeレースにはT〜Vのランク分けがされており、最高峰はもちろんGrade Tである。)。
 そんな時に現れた、1頭の栗毛。
 後に「スピードの向こう側を知る馬」と言われる、伝説を築く1頭なのだが、それはまだ先の話である。


 土曜日のいつものミーティングルーム。普通の部隊なら、異常事態でなければどこも無人のはずだが、ここは違う。
 大型モニターに映るのは全力疾走するThoroughbred達。それに向かって叫ぶRODと緒方。
「HUNTER! 逃げろ! そのまま!!」
「GLASS差せー!! んなとこで負けんなや!!」
 机の上には馬券が無造作に置かれ(そのほとんどが外れなのだが)、印や書き込みの入った新聞を握り締め、一心不乱に叫んでいる。
 ゴール前の叩き合いが一番面白いと、二人は言うのだ。だからこそ、叫ぶ声にも力が入る。
 残りあと100m。GLASS WONDERが逃げるSILENT HUNTERを捕らえ、勝利は目の前と思われたが……
「「誰だおまえ〜!!」」
 直線大外から矢のように飛んできた1頭。黄色地に黒の縦縞、黒い袖の勝負服。牝馬ながら切れ味は現役でもトップクラスと言われるSTINGER。GLASS WONDERを首差制してゴール板を一番に駆け抜けた。
「HUNTER〜(T_T)」
 うなだれる緒方。逃げ馬不在、スローペースを読んで単騎で楽にハナを切れる展開で、逃げ切りを期待していたのだ。
「とりあえず、馬連は獲ったな。せやけど馬単がな〜 結構ついたんやけどな〜」
 自分の持っている馬券を確認するROD。ちなみに、馬連の正式名称は「馬番連勝複式」、馬単は「馬番連勝単式」。馬連は1着と2着になる馬を当てるだけだが、馬単は1着2着の順番を正しく当てなければならない。当然、的中率も馬単の方が低いが、配当は馬連よりも高い。当然、100倍配当も続出し、時には1000倍配当も出ることもある。
 RODが的中させたのは馬連で、馬単は惜しくもGLASS WONDERが2着だった為(1着GLASS、2着STINGERの馬単だったのだ)、外してしまったのだ。
「くっそー、そろそろ内の馬場も荒れてきたかなぁ?」
 緒方は携帯電話を使い、現在の馬場状況をチェックする。その昔は馬場状態は、良・やや重・重・不良の単純に4通りしかなかったのだが、現在ではコース取りごとの馬場の荒れ具合なども、詳細に判るようになっている。もちろん、これも馬券攻略には欠かせない情報の1つである。
 今2人が見ていたのは3歳C−2クラス。デビュー戦や未勝利戦を勝ち上がったばかりのクラスのレースだ。

 現在の競馬のクラス分けは、デビュー前や未勝利馬が在席するC−3クラス、未勝利を勝ち上がったばかりやそれ以降勝ち上がれない馬が在席するC−2クラス、続いてC−1、B、A、特Aと続くのである。
 昔は獲得賞金別に500万円下、1000万円下(さらに昔は900万円下と言われていた)、1600万円下と上がっていき、最終的にはオープンクラスを目標に現役を続けるのである。
 ちなみに、C−1は1000万円下相当、Bクラスは1600万円下相当、Aクラスでオープン馬となり、特Aは獲得本賞金が100万クレジットに達した、トップクラスのThoroughbredのクラスで、多くの名馬たちがこのランクに所属している。
 また、特Aになるとオープンクラスのレースの中でも、高いGradeにのみ出走が許され、下級のレースに出走する場合は負担重量が格段に増える。
 あまりの酷量はThoroughbredにとって大きな負担となる。時には命に関わる骨折の発生も懸念され、医療技術が発達した現在でも、やはり極端な負担重量を科せられるレースには、出走を控えるのが当然なのだ。

「ねぇ、誰かウィンズ行く?」
 ミーティングルームの扉が開き、高森尚貴が姿を現した。その手には何枚かの馬券があった。
「なんや、買いに行くんか? 今日は重賞あらへんやろ?」
 RODは早くも次のレースのパドックを見ながら、出走各馬の様子をチェックしている。パドックとは「下見所」の意味どおり、レースに出走する馬の様子を下見する場所である。馬券攻略には最も重要なファクターだ。
「違うの。この間当たったヤツを換金しに行きたいの」
「うそ、何当てたの?」
「『TKY NEWS CAP』」
「「え゛っ!?」」
 思わず声を上げたRODと緒方。
「で、いくら買ったん?」
「10クレだよ。あそこのウィンズなんで10クレからな訳? 困るんだよねぇ。1クレとかって頼まないと買えないし。
 今までの損失、これで補填したからいいけど」
 緒方は傍らにあった自分の手帳をぱらぱらとめくり、RODの肩をバンバンと叩く。
「いってーな、おがっち」
 緒方に抗議しながらも、差し出された手帳に書かれたレースの配当を見て、RODは大きな目をさらに大きく見開いた。
 2週間ほど前に開催された『TKY NEWS CAP』は、悪天候の為馬場はドロドロになり(ダートは言うまでもなく、芝も)、くわえて有力どころが58kg、59kgとハンデを背負わされた。
 おかげでレースは混戦となり、終始好位を走り、直線鋭く抜け出した8番人気のADMIRE COZZEENEが、3年4ヶ月ぶりの勝利を手に入れた。その時の鞍上は、EAST AREA所属の騎手ではここ数年リーディング争いに加わっているHIROKI GOTO。派手なパフォーマンスで人気を集めているトップジョッキーの1人だ。
 また、2着には同じく人気薄のDIVAINE LIGHTが入り、馬単は2000倍近い超高配当、馬連も450倍を付け、大波乱のレースとなった。
 旧世紀の言葉でいうところの「万馬券」が出たのである。
 緒方もRODもこのレースを買っていたが、それぞれ共に軸馬が重馬場に足を取られ、切れ味を殺される結果となった。緒方が3着に入った3番人気のDERBY REGNOからのワイド総流しを持っており、かろうじてプラス収支に持ち込んだものの、RODは散々な結果となった、曰く付のレースである。
 恐ろしい、と二人は思った。あんな混戦、当たらないほうが普通である。DERBY REGNOからのワイドでも、緒方のように総流しで初めて取れるような馬券だ。
「ちょっと見せてみ?」
「あ、うん……」
 尚貴は手にしていた数枚の馬券から、2枚の馬券をRODに手渡した。
 1枚はADMIRE COZZEENEとDIVEINE LIGHTの馬連、もう1枚はDERBY REGNOからのワイドが5点。当然、その中には連対した2頭も含まれている。
「ねぇ、尚ちゃん」
「はい……」
「君は何でそんな馬券買えるのかなぁ?」
 そんなことを言われても困るのだ。あからさまに「えーっ!?」というような顔をした。
「だって、買えるじゃん。NISHINO FLOWERは59kg、EAGLE CAFEも59kgでしょ? ハンデ戦なんて軽めの馬から買うのが鉄則だよ。DIVAINEはおととしの宮記念で世話になったし、COZZEENEだってごっちゃんならやってくれる気がしたし。
 ま、REGNOのワイドはひでちゃんへのご祝儀みたいなもんだけど」
 「ひでちゃん」とは、DERBY REGNOの主戦騎手、HIDEAKI MIYUKIのことだ。若手ジョッキーの中でも人気、実力共にトップランクなのだが、未だにGrade Tの勝ち鞍がない。それも時間の問題だとは言われている。
 ちなみに、余談だが、尚貴はMIYUKIとは知り合いらしい。
 この的中のおかげで、尚貴は去年の夏のHKDシリーズからの負けを補填したというのだ。
「でもなんでそんなに負けてるの? 当たってるんでしょ?」
 緒方もRODも納得出来ない。なぜなら、目の前にいる万券ハンターは、昨年末の大レース、Grade T「有馬記念」を、優勝したMANHATTAN CAFEの単勝と、3着TO THE VICTORYへのワイドを抑えており、なおかつ「今年は1番人気は連対しない」宣言を見事予言したのである。
「それで負けてるなんてさぁ、許せないよなぁ」
 釈然としない緒方。RODもそれに同意する。
「何言ってんの!? 俺結構負けてるのよ!? 特に去年の夏からはずーっと負けてるし、未勝利勝てないし……」
 何で勝てないかなぁとこぼし、手元の1枚の単勝を見た。緒方とRODも覗き込む。
 単勝馬券には「SILENCE SUZUKA」と名前が刻まれていた。
「今日も半端に逃げたから捕まったんだよ。うえちゃん下手だよ。中館さんが乗ってくれればなぁ……」
 かつて伝説ともいえる大逃げを打ち、多くのファンを魅了したTWIN TURBO。そのときの鞍上が名手EIJI NAKADATE。逃げ馬に乗せれば天下一品といわれるベテランジョッキーだ。ここ近年は最強牝馬の声も高いHISHI AMAZONで活躍を見せている。
「SUZUKAかぁ……」
「SUZUKAかぁ……」
 緒方もRODもそのレースはモニターでチェックしていた。
 確かに、SUZUKAはいい馬だと思う。尚貴の言う通り、やはり鞍上だろう。
 いいジョッキーに巡り会うまでは、しばらく辛抱するしかない。
「……で、明日のレースなんやけどな……」
 RODが専門の週刊誌を広げ、明日のGradeレースの展望に入った。予想会は夜まで続き、夕飯になっても戻らないので心配した日向友紀に、3人とも怒られるハメになるのは、抜群に秘密である。



 数週間後、とんでもない情報が3人に飛び込んできた。
 あのSILENCE SUZUKAの鞍上に、日本が誇る天才ジョッキーYUTAKA TAKEが騎乗するというのだ。
 YUTAKA TAKEといえば、デビューした年に20勝を挙げ、翌年は平地Grade Tへの出走条件である31勝をクリア、デビューから3年目の天皇賞・春、INARI ONEで念願のGrade T制覇を達成。一躍日本のトップジョッキーの座に踊り出た天才である。
 そのYUTAKA TAKEが今回SILENCE SUZUKAの手綱を取るという。
 もともと、SUZUKAに高い素質を感じていたTAKEだったが、他の馬との騎乗の折り合いもあり、これまでずっと調教でしか手綱を取ることがなかった。
 それが今回、他の有力馬の騎乗を断ってでも、SUZUKAに騎乗するというのだ。
 場所はTKY RACE COURSE。開催3回の8日目、朝の1レースに出走するという。
 尚貴は当然見に行きたかった。しかし、自分の立場を考えると、いくら緒方にも言い出せない。
 −−SUZUKAが出るのに……
 まだBlau Stellarに所属する前、デビュー戦を見たくて一人HKDのSPR地区にある競馬場に行ったこともあった。
 輝く栗毛の馬体、メッシュのメンコからのぞく四白流星。それだけでもSUZUKAのファンは多かった。
 手帳に忍ばせた写真を見つめ、一人さびしくため息をつくだけしか出来なかった。

 土曜日。いつものごとく非番であるCRAZE隊は、おのおのが週末を迎えていた。
 当然、3人はミーティングルームでレース観戦である。
 この日は先週の負けを取り戻すかのように、緒方の予想が連続で的中。勝負に出た馬単1点勝負でも、見事に高配当を手にし、笑いが止まらない状態だった。
 RODはいつも通り当たったり外れたりを繰り返し、尚貴は翌日を控えてか、この日の馬券は一切回避していた。
 そして、緒方の予想はメインの11レースまでなんだかんだと連続で的中し、いよいよ最終の12レースを残すのみとなった。
 12レースは4歳以上のC−3クラス、牝馬限定の芝1600m。緒方の予想はWEST AREAからの遠征組、海外Grade Tレースを数多く勝利し、世界でもトップクラスの成績を誇るHIDEYUKI MORI STABLE所属のAIR TOLEが本命だ。3歳時には桜花賞の最有力候補として注目されていたが、出遅れにより惨敗。その後体調不良などからレースを消化できず、4歳の暮れ、明け5歳になってから、ようやく復調の兆しが見えてきつつある。
 緒方は常日頃「俺の心の桜花賞馬はこいつだ」と言っており、母はフランスのマイルレース、Grade Tの「ムーランドロンシャン」賞、日本でも芝の1400mGrade Uレース「KEIO SPURING CAP」の覇者であるSKI PARADISE。母の弟(叔父)は海外へのシャトル種牡馬としても人気を集めているSKI CAPTAIN。父はITLエリアDERBYを制したTONYBIN。血統的には何ら問題はない。
 特にTONYBINの産駒は、TKY RACE COURSEでは圧倒的な力を見せており、JPN DERBYを制したWINNING TICKET、牝馬ながら圧倒的な力で天皇賞・秋を制したAIR GROOVEなどがいる。
 当然、TOLEにもコース適正はある。特にマイル戦が一番ベストだと判断した緒方は、TOLEを軸とした馬連総流しで勝負に出た。
 意外と紛れの多いこの距離は、Grade Tの安田記念では毎年波乱のレース決着となり、特に昨年は馬連で1200倍、馬単では5000倍もの超高配当、ワイドでも最低金額75倍と、大波乱のレースとなった。
 それゆえに、力が拮抗している条件クラスではさらに展開が読めず、緒方は馬連、ワイド総流しと、馬単を何点か購入。さらにTOLEの単複まで抑え、万全の体制を整えた。
 ファンファーレが鳴り、各馬がゲートインする。
 緒方、生涯初のパーフェクト達成なるか?


 本日の最終12レースは、C−3クラス、牝馬限定の芝1600m。出走馬16頭で争われます。
 まず奇数番…ゲートインを始めました。GAIRY FUNKYちょっとゲートインを嫌がっておりますが、誘導されて今ゲートに入りました。
 続いて偶数番です。人気のSAIKO KIRARA、SILK PRIMA DONNA、ゲートに収まります。
 全馬ゲートイン完了…スタートしました! おっと! AIR TOLEが一完歩程遅れました。それ以外はまずまずのスタートです。
 まず先行争いですが…F.T. BILSADとEISHIN RUDENCEがハナを切ります。それから1馬身ほど間をおいて、緑の帽子はMAYANO MAY BE、その外に人気の1頭、SILK PRIMA DONNAがいます。その間をついてPRINCESS CARA、中ほどにSAIKO KIRARA控えております。その後方今日は差す競馬を試みるというTENNESSEE GIRL、BRYAN'S EVE、KITASAN OCEANと続きます。
 1000m通過タイムは60秒弱、やや速いペースか。先頭はF.T. BILSADとEISHIN RUDENCE変わらず。3コーナーを過ぎて、ケヤキの向こうを行きますが…ここで大外、出遅れたAIR TOLEが仕掛けた! 今日の鞍上はYUTAKA TAKE。今年のフェブラリーステークスでは3コーナーからまくり気味に上がって行き、KUROFUNEにドバイへの手土産を持たせましたが、今日も3コーナーと4コーナーの中間から外に持ち出し、仕掛けております。
 AIR TOLEが仕掛けたことで、一斉にペースが上がりました。後方からUMENO FIBERもあがっていきます。BROAD APPEALも自慢の末足でこのレースに加わっていきます。
 4コーナーを立ち上がって各馬直線に入りました。先頭は現在MAYANO MAY BE、SILK PRIMA DONNAも直線仕掛けます。中を割ってMEJIRO DOVEL上がって行く! 大外からAIR TOLE!! AIR TOLEだ!! YUTAKAマジックは今日も炸裂するか!? 2番手に最後方からCHARISMA SUN OPERA!! BROAD APPEAL!! SAIKO KIRARAは伸びないか!? 先頭完全にAIR TOLE!! 1馬身、2馬身ちぎって今ゴールイン!! 2着争いは4頭、CHARISMA SUN OPERA、BROAD APPEAL、好意粘ったPRINCESS CARAとBUTTER MILK SKY。
 なおこの競争は審議となっております。勝ち馬が確定するまで、お手持ちの投票券はお捨てにならないよう、お願いします。

 ……お知らせいたします。ただいまの競争は、最後の直線走路で、10番、YAMAKATSU SUZURAN号がつまづいた事について審議を致します……


「い〜よっしゃぁぁぁっっっっ!!」
 緒方の力強い雄たけびが部屋に響いた。
 このレースの的中は、今の時点で単勝、複勝、馬連、ワイド2点。到達順位次第だが、馬単にも十分チャンスがある。
「すっげ〜! おがっち!! 天才だ〜!!」
「神様を超えたで!! こりゃぁ!!」
 3人は手を取って、今起きた現実を喜び合った。
 緒方にしても、競馬を始めてこの方、パーフェクトなんか決めたことはない。3人とも異常に興奮し、ここが職場であることをすっかり忘れてしまっている。
「もう、まじで!? 信じらんない!!」
 緒方は完全に興奮し、どうしようを連発している。
 ちなみに、締切の時点で緒方の本命AIR TOLEは7番人気。1番人気のSAIKO KIRARAに人気が集中していたので、それ以下の配当はかなり離されている。7番人気でも、単勝オッズは30〜40倍ほどを示しており、かなり「美味しい」配当だ。
 レースは審議となっているが、つまづいたYAMAKATSU SUZURANとAIR TOLEの位置取りはかなり離れており、審議の対象ではない。2着争いの4頭も互いにばらばらの位置取りだ。もし、万一どれか1頭が審議に引っかかり、降着や失格になったとしても、緒方的には何ら問題はない。
 審議はしばらく続いたが、やがて場内アナウンスが放送された。

 ……お知らせいたします。ただいまの競争、最後の直線走路で、10番、YAMAKATSU SUZURAN号がつまづいた事について審議を致しておりましたが、同馬は、他馬に関係なくつまづいた模様です。
 2着以下の写真判定は、もうしばらくお待ちください……


 結局、その日の緒方は数か月分の給料と概ね同額を稼ぎ(Bパイロットは華やかに見えるが、Pパイロットに比べるとその実は意外と安月給なのである)、非番をいい事に、他のメンバーには内緒で3人で飲みに行った(当然緒方のおごりだ)。
 その後、ほろ酔い気分でゲームセンターに行き、それぞれがそれぞれなりの対戦成績を残し、この日は最良とも言える1日となった。
 本部に帰り、寮に入る前に、緒方がこう言い残した。
「明日、0730に駐輪場に集合な。デジカメは持ってきてくれよ」
 尚貴は何のことだか判らず終いだったが、薄暗い街頭の下、緒方とRODがいたずらっぽく顔を見合わせたことも、結局の所、気が付かなかったのである。



 翌朝、0730。
 尚貴は同僚に何とか拝み倒して朝の当番を代わってもらい(条件として、3日分の午後のお茶をおごらされることになった)、定刻通り、駐輪場にやってきた。
 そこにいたのは緒方とROD。ただし2人とも、いつもの見慣れた制服ではなく、緒方はTシャツにGパン、RODもシャツにレザーパンツと、ラフな格好だった。
「おいおい、制服着てきちゃったのかよ!?」
 駐輪場に現れた尚貴を見た、緒方の第一声である。
「えぇやん。このことは内緒やったんやし」
 自慢のバイクにまたがり、RODはにこにこと笑っている。
 −−はめられた……
 尚貴はそう思わざるを得なかった。
 この状態からして既におかしかったのだ。二人が私服なのに対し、何も知らない(知る訳もない)自分は制服で、なおかつ待ち合わせた駐輪場には2台のバイク。明らかに、どこかに出かける態勢だ。
「デジカメは?」
「あ、これ……」
 尚貴は制服の胸ポケットに入っていた黒の巾着(なにやらシルバーで妖しいロゴマークが入っている)を出し、その中身を2人に見せた。
「なら、それはOKな。んじゃ行くか」
「せやな」
 エンジン音もけたたましく、RODがアクセルを入れた。
「おまえは俺の後ろな。これメット」
 緒方からおもむろにヘルメット(もちろんバイク用のだ)を受け取った。
 それでも、今から何が起こるのか、どうも見当がつかない。ヘルメットを受け取っても、何となく戸惑ってしまう。
「何やってんだよ! 早く行くぞ!!」
 そんな風に急かされると、事態がいまいち飲み込めなくても急いで支度しなければならない。尚貴は慌ててヘルメットをかぶり、緒方のバイクの後部に座った。
「ROD、どうやって行く?」
「せやなぁ、2ケツしとるから超高速は使えへんし、この時間なら一般道でも空いてるやろ。馬運車と一緒に競馬場入りも、シャレとるしな」
「府中まで、ちょっくら行きますか」
 −−府中!?
 尚貴はここで、やっと事態を理解した。
 自分達は、今からTKY RACE COURSEへ行く。その目的は、おそらく1レース。SILENCE SUZUKAが出走する未出走戦を見に。
 だが、今は感慨に浸っている暇はない。
 何しろ、二人の出すスピードが、200mを10秒(用語で言うなら1ハロンを10秒)切るくらいの速さなので、緒方の背中にしっかりとしがみついているのがやっとの状態なのだから。



 本部を出てから約1時間。3人は警察に捕まることもなく(何と言っても二人の速度は明らかに法律違反なのだから)、無事に目的地に着いた。
 入場時間は0900。時間があったので、近所のファーストフードで朝食を取ることにした。
 さらに近くの新聞スタンドで今日の新聞を買う。
 1レース、3歳未出走戦。芝2000m。出走18頭のフルゲート。
 ここを勝てば、何とか春の大目標、JPN DERBYには間に合うかもしれない。陣営は密かな期待を抱き、若駒を出走させる。
 特にこの日の未出走戦は、ダートで行われるのが多い中、数少ない芝のレース。しかも使用コースはJPN DERBYと同じ舞台。距離こそ400m短いが、直線の坂越えを経験させるには持ってこいだ。
 出走馬も豪華である。一昨年のJPN OAKSを征し、牝馬ながら菊花賞では一番人気の支持を受けたDANCE PARTNERの弟DANCE IN THE DARK、母と祖母がそれぞれクラシックホースであるAGNES FLIGHT、秋の天皇賞が3200mで行われていた時代(現在は2000m)、並み居る強豪たちを7馬身後方に追いやった快速牝馬PRETTY CASTを近親に持つSTEAL CAST、偉大なる3冠馬SHINBORI RUDOLFを父に持つTOKAI TEIOHなど、良血自慢が一堂に集まった。
 去年の夏のデビューから、いまいち勝ちきれないレースの続くSILENCE SUZUKAも、彼らに見劣りしない血統の持ち主だ。
 父はUSA地区の年度代表馬となり、種牡馬入り後は日本で数多くの重賞ウィナーを輩出、産駒デビュー後からリーディングサイヤー(最高種牡馬)の座を守りつづけているSUNDAY SILENCE(ちなみにDANCE IN THE DARKやAGNES FLIGHTも同じ父を持つ)。母は父にUSAのGrade Tレースを数多く征したMISWAKIを持ち、自身もGrade TウィナーであるWAKIA。
 血統だけ見れば、今までの惨敗や惜敗が嘘のようにも思えてくる。
 それほどまでに、SILENE SUZUKAは周囲の期待を一身に受けている1頭なのだ。

 緒方とRODの会話は、尚貴にとっては既にどうでもいいことになっていた。
 日本でも有名なPAPER OWNER GAME(架空の馬主となり、持ち馬の成績をポイントなどで競うゲーム。2歳馬デビュー時期から翌年のDERBY終了まで行うのが一般的)のサイトを開いた時、真っ先に目に飛び込んできたのが、この栗毛の牡馬だった。
 血統も優秀なので、応募が殺到すると思ったのだが、今年はそれ以外にも良血馬が揃い、参加者の投票が分散されたので、尚貴は何とかこの馬のPAPER OWNERとなることが出来た。
 今まで競馬をやってきて(それでもまだ2〜3年ほどだが)、こんなに1頭に入れ込んだのは初めてだった。
 ずずっ…とオレンジジュースをすすり、新聞の馬柱(過去3〜5走の成績が凝縮されたもの。これを読めるようになって初めて一人前)の上の記者予想を見ながら、SUZUKAに会える期待と、今日のレースに対する不安が入り混じった気分になった。
「あー食った食った。そろそろ行こかー」
 RODは朝からセットメニューを2人前平らげて(いつもRODは朝ご飯をしっかり食べる人なのだが)、すっかり競馬モードに入っている。
「行っとくけど、このレースが終わったら帰るからな」
「やだよ。最終までいるよ」
「んなこと出来る訳ねぇだろ!? 自分の立場ってものを考えろよ!」
 内部では異端児扱いを受けている緒方だが、さすがにそこは分別をわきまえている。その辺は、RODや一郎の方が勝手気ままと言えるだろう。
 ぶつぶつ言いながら、RODは店を出て入場門の開き待ちの列の方へ走っていった。
 やれやれ、と思いながら、緒方も店を出ようとしたのだが……
「……尚ちゃん?」
 新聞を見つめたまま、微動だにしなかった尚貴が心配だったのか、RODを先に行かせた後、緒方は思わず声をかけてしまった。
「……あ…うん、大丈夫。そろそろ開門だもんね」
 慌てて残っていたチキンナゲットを口に入れ、トレイを片付けた。
「ごめんね。お待たせしました」
 さっき見た空っぽの顔(のように緒方には見えた)とは違い、彼に向けられたのはいつものにこやかな顔だった。
 既にRODは西門開きの列の先頭に並び、人数分の回数券を用意していたところで、さすがに重賞のない日曜日は人がいなくていいなぁ、と緒方は思う次第なのである。


 この日のTKY RACE COURSEは、前日にGradeVレースが行われた関係で、メインレースはAクラスの特別レースが行われる。
 その代わり、KYT RACE COURSEではGradeU「KYT NEWS CAP」が行われる。JPN DERBY出走をかけたトライアルレースで、このレースの3着までに入れば、賞金が例え足りなくても、優先的に出走出来る権利を得ることが出来る。
 しかし、3人にとってのメインレースは1レース。まだ人もまばらなパドックに、出走する各馬が周回を始めていた。
 1レースの出走時刻は0950。時間もあまりないので、入場してすぐにマークシートを書いた。誰がどの馬をいくら買うのかは、暗黙の了解で秘密になっている。
 馬券販売機の上部モニターには、1レースのオッズが絶えず表示されている。さすがに「遅れてきた大物」が多く出走しているだけあって、人気は割れている。
 0915の時点での1番人気はAGNES FLIGHTが4.6倍。続いてDANCE IN THE DARKが5.3倍。7頭あまりが単勝10倍を切る人気となっている。
 注目のSILENCE SUZUKAは今までの敗戦がやはり嫌われているのか、19.6倍の10番人気に甘んじていた。
 しかし、尚貴にとって人気などはあまり関係なく、むしろ人気薄歓迎と言ったところである。
 朝の投票券発売開始は0910頃なので、その間にパドックの場所取りをし、マークシートを書く。
 通信端末が旧世紀に比べ発達しているこの時代に、マークシートを書くという古典的な投票方法は、レトロ嗜好なファンには非常に好まれており、今でも根強く残っている。
 かく言う彼ら3人もマークシート愛好家だ。単勝馬券は馬の名前が入っているので記念にもなり、特に名馬と呼ばれる馬の馬券はオークションなどで高値で取引されている(しかも、それがデビュー戦などの古い物ほど好まれる)。
 以前緒方はRODのコレクションを見せてもらったことがあったのだが、どこで手に入れたのか、旧世紀の馬券を数枚持っており、それはそれで大変驚いたことがあった。
 そのRODはパドックの柵に寄りかかり、携帯電話で予想サイトを見て回る。本当なら最終までいたいところだが、これが終わってすぐに本部に帰らなくてはならないので、今日の馬券は全て今のうちに買っておかなければならない。
 尚貴は持ってきたデジカメで写真を撮っている。競馬場でのフラッシュ撮影禁止は、旧世紀からのお約束。当然、フラッシュはオフになっている。
 写真を撮影している人間の中には、ライデンのバズーカのような望遠をつけたカメラを持参していたりして、馬券だけではない、競馬の楽しみ方を満喫しているようだ。
『ただいまから、1レースの発売を開始します』
 アナウンスの後でアナログな音のベルがけたたましく鳴り響いた。
 パドックはしばらくの間、閑散としたものとなる。
「写真撮っててあげるからさ、馬券買って来てよ」
 緒方が尚貴にマークシート数枚と、IDカードを手渡した。
「あ。俺もー!」
 RODの方は、かなりの枚数のマークシートを手渡した。10枚以上はあるだろうか。
「はーい」
 渡されたマークシートが一緒にならないようにして、尚貴はスタンドの方へ小走りに向かっていった。
 しばらくその姿を見送っていたRODだったが、携帯の通信を切っておもむろに立ち上がる。
「どういうつもりやねん、おがっち」
「何が?」
「しらばっくれやがって。普通ならこんな朝早いレース、しかも生で見に行こうなんて言わへんやんか!」
「そのこと?」
 Gパンのポケットから煙草を取り出して、火を付けずにくわえる緒方。その目には明らかに「企み」が浮かんでいた(様にRODには見えた)。
「別に何もないよ。いいんじゃないの? たまには健康的で」
「うそつけ。どうせあれやろ!? SILENCE SUZUKA。あの子があれだけ1頭に執着するのなんか、珍しいもんな」
 お互い知り合った時には、既に競馬をやっていたのを知っていたので、その頃から一緒に馬券を勝ったり、レースを見ていたりもしていた。
 それでも、馬券を買う時は過去のデータ重視、パドックはおまけ程度にしか見ていなかった彼女が、何故ここまで1頭の馬に執着するのか、不思議でならなかった。
「俺もあの馬には興味あるよ。特に今日はTAKEが騎乗するだろ? あの天才が劣等生のレッテルを貼られそうな良血馬をどう乗りこなすか、結構見ものだしね」
 デジカメのズームをうまく使いこなし、次々とベストショットを撮影する緒方。そんな緒方を見て、いまいち釈然としない気持ちがRODの中にはあった。
−−どうもおがっちって、時々何考えてるか判らへんわ……
「ただいまー。買って来たよ〜」
 片手に馬券、片手にアイスを持って尚貴が帰って来た。
「はい、これがおがっちのね。こっちがROD君の。額面とか間違ってないか確認してね」
 二人に馬券を渡すや否や、手元に残った自分の馬券を隠すようにして胸ポケットにしまった。カメラを受け取り、再び撮影に戻ると思ったが、買って来たアイスを先に食べることにした。後はジョッキーが騎乗してから写真を撮るらしい。
 緒方はRODに目配せし、自分の買った馬券を1枚見せた。額面は他の馬券で隠して。
 RODは一瞬怪訝そうな顔をしたが、自分の馬券も同じようにして見せた。
「な〜んだ、お前も買ってるじゃん」
「そういうそっちは何やねん」
 二人の間で無言の会話が交わされる。
 出走時刻15分ほど前になった頃、
「とま〜れ〜」
 という号令が入った。パドックを周回していた馬たちがその場に止まる。
 ジョッキーが検量室から続々と姿を現し、一列に並ぶ。全員が揃って一礼した後、それぞれが自分の騎乗する馬に向かって走っていく。
 SILENCE SUZUKAに騎乗するYUTAKA TAKEは、緑、黄色袖緑一本輪の勝負服を着ている。
 基本的に勝負服とは、遠くからでもそれぞれの馬が判別出来るように派手な色合いになっている。それは馬主ごとに違う勝負服が設定されている。
 また、JPNの各エリアには、地区ごとに公営競馬が開設されており、そこでは騎手ごとに勝負服が設定されている。
 特に有力場を持つ馬主の勝負服は、一種の神聖な物として扱われることが多く、JPN調教馬で初めて海外GTを勝ったTAIKI SHUTTLEを包するTAIKI RACING TEAM(JPNを代表する企業国家、TAIKI HORSE FARMが経営する共同馬主会)の勝負服(緑に白星散らし、緑に白縦縞)は、全てのジョッキーの憧れの勝負服とされている。
 ジョッキーの勝負服とは、VRパイロットにとってのバーチャロイドのような物だ。
 出走する各馬も、ジョッキーが跨ったことによって、レースに臨む心構えをする。「馬と言う生き物は、自然のままに生きるのが一番だ」と自然保護団体は常々訴えているようだが、やはり人を背にした時の馬ほど美しい生き物はいない。
 電脳歴と言う、デジタルに囲まれた時代の中で、数少ないアナログを感じさせてくれるもの。それが競馬なのだ。
「前へ〜!」
 号令の後、先頭に立った白馬の誘導馬がゆっくりと歩みを進める。それに続いて、馬番ごとに並んだ各馬がパドックを周回し、本馬場へと向かうのだ。
 尚貴は夢中でシャッターを押す。このレースには、TAKEの他にも関西のトップジョッキーが多数騎乗しているのだ。
 AGNES FLIGHTに騎乗するのは、今年この馬で悲願のDERBYを征してCLASSIC完全制覇を狙うHIROSHI KAWACHI。TAKEと共にWEST AREAに所属し、天才の名を二分しているSEIKI TABARAがTOUKAI TEIOHに、昨年FUSAICHI CONCOLDで悲願のDERBY制覇を成し遂げたSHINJI FUJITAがDANCE IN THE DARKにそれぞれ騎乗している。
 EAST AREAからはかつてPRETTY CASTで伝説を築いたMASATO SHIBATAがSTEAL CASTに、毎年TAKEと全国リーディングを争っているMASAYOSHI EBINAがBUBBLEGUM FAEROEに騎乗。
 ただの未出走戦とは思えない面子が揃った。
 今回SUZUKAは大外枠の18番ゲートからのスタート。逃げを信条とするこの馬には、少々厳しい枠と言えるかもしれない。
 ぎりぎりまでシャッターを押しつづけ、SUZUKAが地下馬道に入ったのを確認し、尚貴は半ば慌ててスタンドへ走って行った。
 場内放送は、各馬の入場を告げる軽快なマーチを流していた。


 皆様、おはようございます。
 東京競馬第3回、8日目。第1競争、THOROUGHBRED系3歳未出走戦は芝2000m、出走馬18頭で争われます。
 1番、FELICITAL。桜花賞2着TWINCOUL BRIDEの仔です。470kg。HIROFUMI SHII、54kgの騎乗です。
 2番、LADY MUSE。SHINKOU LOVELYの仔です。442kg、前走から変わらず。YUKIO OKABE、52kgの騎乗です。
 3番、GLORIOUSS DAUGHTER。FRENCH GLORY産駒の牝馬です。436kg。JUNICHI KOBAYASHI、52kg。
 4番、AGNES FLIGHT。SUNDAY SILENCEと桜花賞馬AGNES FLORAの仔です。468kg。鞍上はHIROSHI KAWACHI、54kg。
 5番、BUBBLEGUM FAEROE。SUNDAY SILENCE産駒。492kg。MASAYOSHI EBINA騎乗、54kgです。
 6番、STEAL CAST、MAGNITUDE産駒。500kgちょうど。MASATO SHIBATA騎手騎乗、54kgです。
 7番、SHINBORI RUDOLF産駒、TOKAI TEIOHです。458kg。鞍上SEIKI TABARA、54kg。
 8番、GRASS EIKO OH。 FRENCH DEPUTY産駒の外国産馬です。462kg、前走から−8kg。ISSEI MURATA、54kgの騎乗です。
 9番、KING HALO、昨年亡くなったDANCING BRAVE産駒。484kg。鞍上YOSHITOMI SHIBATA、54kg。
 10番…馬場入りが遅れているようです。
 11番はCOSMIC RUNAWAY、TONYBIN産駒です。396kg。HIROKI HASHIMOTO、52kg。
 10番、ただいま馬場入りしました。GOLD TIARA、SEEKING THE GOLD産駒、牝の外国産馬です。470kg。YUTAKA YOSHIDA、52kg。
 12番、NARITA KISEKI BOY、FUJIKISEKI産駒です。馬体重は436kg。TERUO EDA、54kg。
 13番、SUNDAY SILENCEの仔。昨年のOAKS馬、DANCE PARTNERの弟、DANCE IN THE DARKです。480kg。SHINJI FUJITA、54kgです。
 14番、MIRACLE OPERA、OPERA HOUSE産駒。442kg。TAKANORI KIKUZAWA、54kgの騎乗です。
 15番、PIN OF THE MONTH、PIN COLLECTOR産駒。468kg。MASAKI KATSUURA、54kg。
 16番、ROLIEはMEJIRO MCQUEEN産駒。380kg。HIROKI GOTO騎乗、52kg。
 17番、AIR JIHAD、SAKURA YUTAKA OH産駒です。490kg。鞍上はNORIHIRO YOKOYAMA、54kgです。
 最後になりました。18番、SILENCE SUZUKA。SUNDAY SILENCE産駒です。470kgは前走から−10kg。鞍上はYUTAKA TAKE、54kgでの騎乗となります。
 それでは皆様、本日も最終レースまでごゆっくりお楽しみ下さい。


 今のが「返し馬」と呼ばれるものであり、本馬場入場とも呼ばれている。各馬の調子を見る、最後の場所である。電話投票を使っている人は、この返し馬を見て、最終的に判断する場合もあり、人にも拠るが馬券攻略のファクターの1つである。
 出走馬が本馬場に入ってから、スターターが台に上がるまでは、概ね10分ほどの間があり、投票の締め切りは、スタート予定時刻の2分前なので、発券所はこの時間にも混雑することも多い。
 もし、騎手が落馬などしたら、スタート時刻は遅れることになる。特に馬が1人で勝手に走ってしまった場合(「放馬」という)、さらにその馬の馬体検査などがあるので、各騎手はこの返し馬もレース同様、慎重に行うのである。
 この返し馬からスタートまでの時間が結構暇なもので、GTならその間に過去のレースのハイライトや、出走全馬の馬番のテロップがターフビジョン(直線に設置されたオーロラビジョンの名称)に映し出されるのだが、さすがに平場の、しかも未出走戦ではせいぜい輪乗り(スタート地点の近くで出走馬が輪になって歩いていること)が映し出される程度だ。
 さすがの3人も暇を持て余し、RODは大口を開けてあくびをする始末だ。
「今日買ったんだろ?」
 緒方に唐突にそんなことを言われ、尚貴は呆気にとられた。
「へ!?」
「だって今日買ったんだろ? 馬券」
「何が!?」
「しらばっくれるなよ。SILENCE SUZUKAの馬券だよ!! 買ったんだろ?」
 緒方は要するに、この娘さん(?)がSUZUKAの馬券をいくら買ったかを知りたいのだ。
「やだよ! 秘密だよ!!」
「いいじゃん! 俺たちだって教えるからさ! なぁ? ROD!!」
「俺だってやだよ」
 RODにまで嫌がられ、緒方は仕方なく、自分の財布から馬券を数枚取り出し、その中の1枚を一番上にした。
 『SILENCE SUZUKA』と名前の印字された単勝馬券。購入金額は50クレジット。
 続いてRODも自分の馬券を出した。『SILENCE SUZUKA』の単勝、購入額50クレジット。
 ここまで見せられては自分も出さない訳にはいかない。尚貴は胸のポケットから1枚の馬券を取り出した。
 『SILENCE SUZUKA』の単勝、購入額は……
「100!? うそやろ!?」
 RODが大きな声を出したので、周りの観客がこっちを向いた。ばか!と緒方がRODの頭をはたく。
 尚貴はあからさまに「だから見せたくなかったのに」と言う顔をした。
「100ってお前…… いくらこの間万券獲ったからってさぁ……」
「うるさいなぁ。SUZUKAの馬券はデビューの頃からいつものこの額だよ!」
「あ、だから夏から負けてた訳ね……」
 緒方、納得。
「つーかお前、給料少ないのに……」
「いいじゃんよ! 俺の勝手だろ!?」
 RODは完全にご機嫌を損ねさせてしまった。これは今日のティータイムはおごってあげなければこれからに支障が出るだろう。
 ターフビジョンが『1レース 間もなく発走』という文字を映し出した。ベージュのジャケットを着たスターターが台に上がり、スタート時刻を示す赤旗を振った。

 ♪ぱららら〜(じゃかじゃん) ぱららら〜(じゃかじゃん) ぱららら〜(じゃじゃじゃ)ぱ〜(じゃじゃじゃ)ぱ〜ん♪

 この日最初のファンファーレ。TKY RACE開催3回8日目、開幕。

 ターフビジョンには、各馬のゲートインが映し出されている。まず奇数番、次に偶数番。未出走戦あたりだとゲートインでごねる馬もいるのだが、このレースはそのような馬もなく、以前にゲート入りを嫌がり危険防止で外枠発走にもなったSUZUKAも、今日はおとなしくゲートに入る。
「出ろ〜!!」
 かこん!!
 スターターの合図と共にゲートが開いた。

 真っ先にとび出したのは8枠18番のSILENCE SUZUKA。大外から一気に内ラチにコースを取り、後続を2馬身、3馬身と引き離す。2コーナーの立ち上がりでは既に5馬身をつけていた。
 2番手につけたのは芦毛の馬体、最内のFELICITAL。続いてGLORIOUSS DAUGHTERとLADY MUSE。人気どころは中団から後方に待機している。
 バックストレッチに入り、7馬身前を走っているSILENCE SUZUKAだったが、急に口を割る仕草を見せた。TAKEがオーバースピード気味のペースを抑えようとしたのだろうか。しかし、すぐに手綱を緩め、SUZUKA本来の走りをさせる。7馬身あった差はみるみる広がり、ついには後続を10馬身以上引き離すことになった。
 そんなオーバーペースには見向きもせず、1番人気のDANCE IN THE DARKやAGNES FLIGHTたちは、後方で足を溜め、最後の直線勝負に出る構えを見せた。
 今までのSUZUKAのレースなら、直線で必ず失速するはずだ、とふんでいるのだ。
 しかし、今日乗っているのは今までの騎手とは違う。あの天才YUTAKA TAKE。どんなに気性の悪い馬も、やる気のない馬も、彼の手にかかれば一流の競走馬に姿を変えた。まして、今日のパートナーは潜在能力は3歳の中でも1、2を争うと彼自身が絶賛したSILENCE SUZUKAだ。YUTAKAがこれまで通りのレースをするはずがない。
 それに真っ先に気付いたのがSTEAL CASTに騎乗したMASATO SHIBATA。かつて、秋の天皇賞がTKY RACE COURSEの3200mで行われていた時、彼は類希なスピードとスタミナを兼ね備えたPRETTY CASTという牝馬で出走した。変幻自在のスピードで、後続のペース配分を完全に惑わし、7馬身差という圧勝劇を敢行。見事に無名の牝馬を一躍スターダムにのし上げた。
 しかし、あの時と今回はペースは全く違う。SUZUKAの作るペースは前半の1000mを55秒7で走る、とんでもないオーバーペースだったが(通常2000mのレースなら1000mを1分切るか切らないか)、MASATOはSUZUKAの走りに、かつての相棒だった牝馬の姿を重ね始めていた。
「KAWACHI! 悪いが先に行かせてもらう! これ以上、あの若造だけに見せ場は作らせん!!」
 中団で併走していたAGNES FLIGHT騎乗のHIROSHI KAWACHIに向かってMASATOは叫んだ。
 先頭は既にバックストレッチから3コーナーにかかろうとしている。いくらSUZUKAのペースが速すぎるとはいえ、このままでは自分たちの脚も殺されてしまう。そう思ったMASATOは、今日のパートナーが伝説を完遂した牝馬の甥っ子であることを信じ、一気にペースを上げた。
「MASATO! 正気か!?」
 最後の直線勝負に賭けていたKAWACHIは一瞬仕掛けを躊躇し、最後方に置いていかれた。
 いや、自分以外の馬のペースが急激に上がった、と言った方が正しいだろう。
 先ほどまでFLIGHTの1馬身後ろを走っていたDANCE IN THE DARKが既に1馬身、TABARAの乗るTOUKAI TEIOHまでもがもう3馬身先を走っているのだ。
「惑わされたか!?」
 後方集団のペースが上がっても、KAWACHIはFLIGHTに直線勝負をさせるため、急激なペースアップをさせなかった。EBINA騎乗のBUBBLEGUM FAEROEの後方につき、その機会をずっとうかがう。
 一方、先頭を自分のペースで走るSILENCE SUZUKA。TAKEはこの馬の持つ、絶対的なスピードに酔っていた。まさか、ここまでの能力を持っているとは。内馬場にそびえるケヤキの側を通る時、既に彼はこのレースの勝利を確信し始めた。
 だが、そうはさせまいと後続が一気にペースを上げる。ようやく3コーナーの中ほどに差し掛かった、後続集団の先頭を行くLADY MUSEがまず仕掛ける。続いて終始好位を追走していたPIN OF THE MONTH、COSMIC RUNAWAYがその後を追い、スタート後最後方にいたKING HALOまでもが集団の先頭に立とうとしている。
 4コーナーを回り、直線に向かう。
 あとはただ、SILENCE SUZUKAがいかに強い馬であるかを見せつける為の、彼らに用意されたショータイムが始まった。

 ウィナーズサークルの一番いいところに陣取った3人。
 それはまさしく、SILENCE SUZUKAの勝利を確信しているも同じだった。
 尚貴は強引に柵に乗りあがり、4コーナーから立ち上がってくる影を見た。
 緑色のメッシュのメンコ、緑と黄色の勝負服、栗毛の馬体、四白流星の顔。
 間違いない。その姿はSILENCE SUZUKAそのものだった。
 スタンドにざわめきが走る。後続はまだ追いつけない。このままでは……
「SUZUKAぁー!! 逃げろ!! そのままぁー!!」
 叫んでしまった。意図的ではなく、その姿を見た瞬間、何かに取り付かれたかのように。
「TAKE〜! そのままぶっちぎれや〜!!」
「誰も来んじゃね〜!!」
 緒方も、RODも、一緒になって叫んでいた。
 しかし、先頭を行くのは10番人気の伏兵の1頭だ。そう簡単に安々と逃げ切れるはずが…というのが、ほとんどの人間の思惑だった。
 残り400m。後続集団が猛然と追走を見せ始めた。まずSTEAL CASTがコースの中ほどから、そしてAGNES FLIGHTが大外から。他の馬のほとんどは先ほどの急激なペースアップで脚を使い、既に追走する力は残っていない。
 スタンドがうなる。わずかな望みを賭けて。
 残り300m。道中10馬身以上あった差は、さすがに7馬身ほどに迫っていた。だが、それでもSUZUKAの脚色は衰えない。鞍上のTAKEも全くステッキを抜く様子もなく、彼の自由に走らせている。
 スタンドからの声が激しさを増した。己の信じた馬の名を叫ぶ。しかし、その叫びのほとんどが空しく響く。
 残り200m。TAKEが動いた。手綱を引いて、むしろそのスピードを落とそうとした。後ろを一瞬だけ振り返り、後続との差を確認する。まだ大丈夫。彼のスピードには誰も追いつけない。
 残り150m。坂の途中から追いすがるCASTとFLIGHT。わずかな勝機を信じて、パートナーを激励する。まだ追いつける。CASTなら。FLIGHTなら。先頭を行く栗毛の背中はもう少しだ。
 残り100m。3人の前を緑の風が駆け抜けた。朝の光を受けて輝く栗色の身体。
「SUZUKAぁ〜!!」
 走り去る背中に、その声は届いたのだろうか。ただ1頭、悠然と、まるで神に選ばれた者であるかのように、スローモーションの世界から走り去る。
 SUZUKAがゴール板を駆け抜けた。2着のSTEAL CASTに5馬身差をつけて、3着のAGNES FLIGHTにはさらに首差を追加して。
 風が、音が、時が、一瞬だけ止まっていた。
 掲示板が点滅を始める。一番上に18、その次に6、3番目に4。4着以下は写真判定となったが、早々に1着から3着の着順が確定した放送が入る。

 1レース、3歳未出走戦芝2000m。優勝はSILENCE SUZUKAとYUTAKA TAKE。
 SUZUKAは、ようやく自分の能力を認め、この世界に知らしめてくれるパートナーと出会うことになった。


 ……東京競馬、第1レースの払い戻しをお知らせします。
 単勝、18番、20.9倍。複勝、18番、5.1倍。6番、2.1倍。4番、1.5倍。
 枠番連勝、3−8、11倍。馬番連勝複式、24倍。馬番連勝単式、56.7倍。ワイド……


「あーしくじったなぁ。これやったら馬単総流しすりゃよかったわ〜」
 コピーサービスの列に並びながら、RODがぼやいた。
 当たった馬券を換金したい、でも馬券は手元に残しておきたい、と言う人の為、実費で馬券をカラーコピー(しかもほぼ馬券大の大きさのカードに)してくれるサービス。それがコピーサービスだ。
 朝から会心の的中をした3人だが、RODは馬単の配当が結構ついたことに対し、自分の馬券の買い方を悔やんでいた。
「まぁ、当たればいいのよ。当たれば」
 緒方、これで前日の1レースから未だパーフェクト状態。2日連続パーフェクトを狙っているのだろうか。
「でもなぁ、表彰式、アレはさすがに恥ずかしかったで」
「だって〜(T_T)」
 RODが何故恥ずかしかったのかと言うと、表彰式でSILENCE SUZUKAがTAKEを背にウィナーズサークルに現れた時、尚貴が大泣きしたからだ。
 あまりにも大声で泣いて、しかもBlau Stellarの制服を着ていたので、周りの人間が振り返るのだ。それだけならよかったのだが、表彰式に出ていたTAKEや、愛馬のレースを生で見に来ていたオーナーにまで見られてしまい、RODはいたく恥ずかしい思いをしたそうだ。
「でもよかったじゃん。いいものもらえてさ」
 まだ目を赤く腫らした尚貴の左手には、先ほどまでSUZUKAに付けられていたゼッケンが握られていた。



「もう! どこにいるのよあの3人は!!」
「しかもおがっちもいないなんて。どうかしてるわ!!」
 時刻は1100。竜崎千羽矢、赤木香織里、日向友紀の3人は、朝っぱらから行方の判らない3人(競馬場にいったあの3人であることは言うまでもない)を探し、基地中を走り回っていた。
 散々探し回り、一郎達も朝から叩き起こして、総動員で探したにもかかわらず、未だに発見されていない。
 止む無く駐車場に来てみたら、二人のバイクだけがない。これは怪しいと思い、とりあえず帰ってくるのを待っているのである。
 そこへやって来た2台のバイク。その内1台は2人乗りだった。
「あ! 帰って来た!!」
 千羽矢が指を差す。
 帰って来た張本人たちは、非常にばつが悪そうな顔をした(フルフェイスではないので、その表情がありありと判る)。
「あは〜(^^;)」
「ただいま〜(^^;)」
「ただいま、じゃないのよ! 一体どこに行ってたのよ!!」
 友紀がすごい剣幕で2人に詰め寄る。さすがの2人もこれにはたじたじで、結局お縄になり、そのまま食堂に連れて行かれることになる。
「で、尚貴ちゃん? あなたもどこに行ってたのかしら?」
 詰め寄る千羽矢と、目をそらす尚貴。
「あ゛ー…… ごめん。今日のお昼おごるよ」
「そういう問題じゃぁないでしょう? おがっちとRODと3人で、どこ行ってたのよ!」
「それは男同士の約束で……」
「そういう問題でもないのよ。いい? あなたはもっと自分の立場ってものを理解して……」
 色々と小言を言われたが、今日は何を言われても仕方ないし、何も怒る気にもならない。
 だって今日は、競馬をやってきて、最高の日なのだから。


「SUZUKAは絶対、GTを勝てる馬だから……」


INTERMISSION 1
−BEHIND THE OVER SPEED−
END