「やばくねぇか?」
「なんで?」
「女王様会心の前ダッシュターボサイズをまがりになりも回避したんだぜ。プライドが銀河系を突き抜けるあの人のことだ。このままじゃ……」
「Meisterのシナリオが崩れるとでも?」
SklaveはFurstの前に人差し指を軽く突きつけた。「その通り」と言わんばかりに。
「だからと言って、俺たちがどうこうする事も出来ない。全ては、Meisterの意のままだからな……」
その言葉を聞いて、Furstは表情を曇らせた。自分の立場を改めて思っているのだろう。
そんなFurstを見て、SklaveはFurstの頭を自分に抱き寄せた。
「大丈夫だよ。俺が、そんなことさせない……」
「WAL……」
ダビドフの香りが鼻孔をくすぐる。非常事態に不謹慎なのは判っていても、唯一残された大切な「友人」に、Furstはつい心を許してしまうのだった。
サイファーとスペシネフ、テムジンとフェイ=イェン。
アイザーマンブランドの2機と、プラジナーブランドの2機。ある種因縁の対決とも言える組み合わせとなった。
片やO.D.A.に身を置く者、片やそれを抜け出した者(デュオに関しては少々意味合いが違うかもしれないが)。それぞれが思い思いの決意を胸に、戦いに身を投じている。
「死ね!!」
「うるせぇ!!」
二葉の操るテムジンがラジカルザッパーからレーザーを放てば、神座のサイファーはジャンプで交わし、ダガー(RTLW)を発射する。
それぞれの機体に於いて、最強の座を争う実力を持つ二人。それだけに、戦い方も一味違う。
全くのミスも許されない。油断すれば、命取りになり兼ねない。予想だにしなかったこのカードは、急遽組まれた中継の中でも、一番の視聴率を記録した。
「Zauber、何故に我らを裏切った!? 貴様ともあろう者が、まさか情にほだされた訳ではあるまいな!?」
神座は答えなかった。しばらく答えなかったが、やがて鼓膜が突き破れるくらいの笑い声が、二葉の耳に届いた。
「何がおかしい!?」
普段は冷静な二葉も、神座のこの態度には流石に腹に据えかねたようだ。
そんな二葉の感情を煽るかのように、神座が答える。
「裏切るだ!? ふざけるな! 裏切るってのは双方に信頼関係があって、初めて成立する言葉だ。
俺とお前らに、少しでも信頼関係があったとでも言うのかよ!!
それともあれか? 冷酷無比で有名な女王陛下の八部衆も、人の子だとでも言いたいのか!?」
二葉は神座の言葉を反芻すると、軽くあしらうかのように鼻で笑った。
「全くその通りだ。完璧に理解したつもりだったが、公用語というのは難しいな。
貴様と我々に、信頼関係などある訳がない。仮にあったとしても、我らに歯向かうなら、身の程を命を持って思い知らせてやる!!」
テムジンが前方へのショートダッシュから前ダッシュライフルを放つ。神座はぎりぎりでそれを回避すると、ジャンプキャンセルでテムジンを補足、フォースレーザーからダガーへ連携し、前ダッシュで距離を詰めた。
炎の赤を思わせる神座のサイファーと、かつて0プラントで生産されたと言われる伝説のVR「SHADOW」を彷彿とさせる二葉のテムジン。
その戦いぶりは、既に芸術と言っても過言ではなかった。
天使と死神、といえばエンジェランとスペシネフが真っ先に思い出される。
しかし、死神の心を持った天使という表現は、四門のフェイ=イェンにふさわしい。
先ほどデュオに見せた力はフロックではなく、そしてデュオもまた、己に秘めた力を解放させた。
デュオはスペシネフの高い機動力と攻撃力を駆使し、零距離戦最適化システムを要所に使い、四門のフェイ=イェンを沈黙させようとしていた。
対する四門も機動力で相手を翻弄、じわじわとではあるが、デュオにダメージを与えている。
「さすが陛下が認めただけの事はありますわね。でも、貴方の力はそんなものではないはず。私に遠慮しているのなら、構うことはなくってよ」
「俺が本気出したら、あんたの体が持たないだろ!?」
「もうちょっと、言葉使いを考えなさい!!」
スペシネフがエネルギーボールを連射する。それをフェイ=イェンがソードウェーブで相殺し、今度はハンドビームで牽制する。
『デュオ、楽しそうね』
「まぁつまらなくはねぇな」
戦闘中も軽口を叩くのはいつものことだ。デュオは根っから戦うことが好きなのだろう。千羽矢はデュオのこういった面はいつも半ば感心し、半ばあきれていた。
四門も、元々は戦闘用マシンチャイルドだ。マインドフォーマットは、自分の生活環境によって学習される。本来の戦闘的な性格に加え、冷静に戦場を見極める目と、Königinが持つ享楽的な性格も持ち合わせている。
同じく索敵能力に秀でた五目は、マシンチャイルドとはいえ、控えめで比較的大人しい性格だ。彼女はSklaveの下で育ったせいか、決して出しゃばったりせず、相手の一歩後を歩く「大和撫子」のようだととある隊員は言う。
好戦的なKöniginに影響されても、絶対に自分を見失うことのない四門は、まさにマシンチャイルドの完成形に近いと言ってもいいだろう。
連射されたクロスライフル(RTRW)の間を縫って歩き、ハンドビームでスペシネフの動きを制限させる。
それでも、デュオも一歩も引かず距離を詰めようとする。
「うぉりゃぁっ!!」
デュオは隙あるごとに零距離戦最適化システムで一気に蹴りをつけようと試みるが、四門もそうは行かすまいとする。しかも、四門には賢者の盲愛にエネルギーフィールドを発生させるシールドを展開させることが出来る。おまけに、機動力は通常のフェイ=イェンに比べ、格段に高い。
かと言ってデュオが不利な訳ではなく、お互いに攻撃が当たらないのだ。スペシネフもMSBSが5.2になり、漕ぎを使った高速移動が更に加速するなど、目に見える範囲でバージョンアップがされている。
まさに不毛な対戦になりつつあった。しかし、この均衡を破ったのはデュオだった。
渾身の力を込めたターボサイズがフェイ=イェンにヒット。この攻撃で、フェイ=イェンはハイパー化を余儀なくされた。
だが、これを逆手に取った四門のハートビームもスペシネフにヒットする。
残りシールド残量はほぼ互角。神座と二葉の方も、一進一退の攻防を展開していた。
「一気に肩をつける!」
「これで終わりですわ!」
「死ね!!」
「やられるか!!」
四人が最後の攻撃態勢に入った。その時……
『作戦終了、総員撤退せよ』
誰の声ともつかない通信が、二葉と四門、Kavalierの元に届いた。
「「Meister!?」」
二葉と四門が同時に声を上げる。
「どういうことですか!? Meister。ファイユーヴは……」
『たった今データを入手した。これ以上の長居は無用だ。早急に撤退せよ』
ワイプを通して二葉と四門、割り込んできたKavalierが顔を見合わせた。
彼女達は突然の作戦終了を不審に思いつつも、一抹の不安も感じていた。
心配しているのだ。自らの主のことを。恐らく、Meisterの声など聞こえていない。
「仕方ねぇな」
Kavalierは獲物を目前にしてハイエナに横取りされたような虎の如く声を出した。
「四門、二葉。撤退するぞ」
「「Kavalier殿!」」
「うるせぇ! 撤退っつったら撤退なんだよ!!」
そう言い捨てた後、一方的に通信をきられた。
明らかにいつものKavalierとは違う。感情をむき出しにし、己が本能のまま生きる野生動物にも思える。その様は、Königinにも似ていた。
「どうします?」
「Meisterの命令だ。我らの立場、判っているだろう?
マックス、Zauber、命拾いしたな。だが、次会う時は本当にその命はないと思え!!」
踵を返して四門を促す。
「マックス」
フェイ=イェンがスペシネフに近寄る。
「まだ、私を満足させることは出来ないようね。
精進なさい」
そう言うと、サイファーの頭上をジャンプして飛び越え、動けなくなった仲間の元へと行く。まずは六道のバトラーを、続いて八重にバル=バドスをいずこかへと転送させた。
二機の姿がこの場から消えたことを確認すると、二葉のテムジンが先に飛び立つ。それを追うかのように、四門のフェイ=イェンも残像を残しながら飛び立った。
しばし呆然とその姿を追うデュオと神座。
やがて神座のサイファーがスペシネフに歩み寄った。
「大丈夫か?」
「……うん、ありがとう……」
千羽矢はこの隙を見て、デュオと入れ替わったのだ(本来は千羽矢の体なので、入れ替わったという表現はあまり適切ではないのだが)。
「そっか……」
神座の方も、いつもの穏やかな性格に戻ったようだ。パイロットの性質として、スロットルを握るとやはり人格が替わってしまうらしい。
「ひろくん」
「?」
「さっきの話、本当?」
「さっきの話?」
「だって、あいつらの事知ってたじゃない? 昔仲間だったとか……?」
千羽矢は正直、神座がO.D.A.にかつて在籍していたことが信じられなかったのだ。
「それは本当だ。正直、親父にむかついていたんだよ。無責任にVRなんか作って、自分はどこかにいなくなりやがって。
でもそんなことしたって、何の意味もないのにな。
若かったんだよ。俺も」
自嘲気味に笑った。若さゆえの過ちというのは、誰もあまり認めたくはないのだから。
「ひろくん……」
「?」
「……んん、何でもない。また戻るんでしょ?」
「そうだな。多分もう追いかけられることもないだろうし」
「判った。気をつけてね。応援してる」
「お前達もな」
高高度にジャンプすると、モータースラッシャーに変形し、神座のサイファーは遥かかなたに飛び去った。千羽矢はその機体を、モニターでも確認出来なくなるまで見送った。
『なぁ、ちぃ』
「なぁに?」
『あのさ…いや、なんでもねぇ。
久しぶりに働いたから疲れたよ。しばらく寝るわ』
「そっか。おやすみ」
さて、このまま味方を迎えに行くか、それともこのまま待機するか。スペシネフは近くにあった障害物に腰を下ろし、とりあえずは緒方からの伝達を待つことにした。
これがキャリアの違いなのか。
深夜は正直だめだと思い始めていた。
リンのテクニックは、近接はもちろん、ミドルからショートにかけての通常攻撃も凄まじく、深夜に付け入る隙を与えない。
サポートOSのテムジンのバックアップもあり、なんとかここまで食らい付いては来たが、自分はテムジンの専属ではない。やはり所々にエンジェランでの癖が出てしまう。
致命傷はないものの、じわじわとダメージを受けていき、残りのシールドゲージも30%に近い。
『お姉ちゃん……』
深夜は少々の覚悟を決めた。止む無い。この技がエンジェラン以外の機体に乗っていても出来るかどうか。心配だが、やってみるしかない。
「テム」
『なぁに?』
「少しだけ静かにしていてね」
何のことだろう?とテムジンは思ったが、大人しく深夜に従うことにした。
深夜は時々、エンジェランのプレートディフェンダーを相手にぶつけ、粉々になった時に発生する余剰エネルギーをシールドエネルギーとして吸収させる技を使っていた。正直、こういった外部からのエネルギーを自らに取り込むことは至難の業である。深夜はエンジェランでターボ攻撃によるシールド吸引を多用しており、プレートディフェンダーを使ったこの技も、至近距離で使うことにより、ターボ攻撃との併用しか使ったことはない。
まさに一か八かの賭けである。
たまたま近くにあった障害物に向き合った。誰が何の為に作ったのか、今となってはもう判らない旧世紀の遺産。
「ごめんね」
深夜はボムを展開させると、建物に向かって小さく謝った。そして、そのボムをおもむろに投げつける!
「何を!?」
『お姉ちゃん!』
リンもテムジンも、深夜の取った行動に一瞬あっけに取られた。
しかし、深夜は発生した爆風の中に身を躍らせた。そして、自らの精神を解放し、MSBSとぎりぎりまで接続する。
無限とも言える深さまで吸い込まれる感覚。正に「持って行かれる」寸前の状況だ。
「くっ……」
正直、いつやってもこの感覚には慣れない。自分の体の中から何かが吸い取られるような、嫌な感覚だ。
この吸い取られるような感覚が、自分の身体の芯に到達した時、この感覚は芯から突き上げるような、熱い感覚へと変化した。
何かが解放される様な感覚に襲われ、それがピークに達した時……
「な………っ!?」
フェイ=イェンのハイパー化ほどではないが、テムジンの機体がブルーの光に包まれた。一瞬だけ強く輝いた後、その光はテムジンに吸い込まれるかの様に急速に消えた。
深夜はモニター上の自機のシールドゲージを確認した。30%近くまで減らされていた数値は、全快こそ出来なかったものの、60%近くにまで回復している。
「出来た……」
深夜は一瞬安堵の表情を浮かべると、改めてリンのテムジンに向き合った。額に汗が浮かぶ。頭痛がひどいが、今はそんなことは言っていられない。
「お待たせしました。始めましょう」
いったい彼女は何をやったのか? 見た目からは全く判らないが、今の現状で何らかの変化があったのは間違いない。
リンは全ての神経を集中させた。相手は自分の雇い主であるMeister Oが一目置いている実力の持ち主だ。僅かな油断が、命取りとなる。
二機は同時に駆け出した。ライフルを構え、発射する。
しかし二機とも驚異的な回避力を見せた。ここまで完璧な回避を見せるVRが果たして存在しただろうか、と思わせるほどに。
深夜がボムを放った。リンは一瞬爆風に視界を塞がれたが、すぐさま抜け出す。歩きライフルで牽制し、距離を詰めようとした。
それを知ってか知らずか、深夜の方もソードウェーブを出しつつも、少しずつ距離を詰めている。
まず動いたのは深夜だった。一直線に走り出し、ダッシュ近接を繰り出す。
「てやぁぁぁぁぁっっ!!」
渾身の力を込めてソードを振り上げる。出来ることなら、この一撃で終わって欲しい!
「甘い!!」
リンはその軌道を完全に見切っていた。機体を僅かに旋回させ、深夜と正面を向き合うと、ソードをガードした。
深夜もここで引き下がる訳ではなく、ソードを右手に持ち直し、その腕を水平に後ろに引く。
「まだまだ!」
そのまま前に突き出した。零距離戦最適化システムType Sの「ストラトスロー」と呼ばれる技だ。
この技はある程度の距離を保ちながら、ダメージを与えると同時に相手のガードを崩すことが出来る。加えて至近距離で当たりが入れば確定で打撃投げ判定となり、ソード部分が相手機体を貫通、上に持ち上げられた後地面に叩きつけられる。
当たり所によってはVコンバーターに直接ダメージが行くことも考えられるのだ。
しかも、この技がかつて旧世紀時代に使われていた時は、フィールド際で使うことにより、至近距離での打撃投げ判定から相手をリングアウトさせる使い手もいたという。
例えば、フローティングキャリアーのデッキ部でこの技を使った場合、場合によっては高度何百、何千メートル上空から叩き落される可能性もある訳だ。
深夜の繰り出したストラトスローは、打撃投げこそならなかったが、リンのガードは崩すことに成功した。
このストラトスローの利点は、隙が少ないので連続して技を繰り出すことが可能なのだ。深夜は今度こそ打撃投げ判定に持ち込もうと、再度技を出す。
流石のリンもそう簡単に食らうはずがなく、クイックステップでこれを回避、そのまま攻撃態勢に入った。
「もらった!!」
クイックステップで背後に回られた為、相手を軸に捕らえて移動する8WAY RUNにも移行出来ず、リンのソードが深夜のテムジンにヒットする。
「きゃぁぁぁぁっっ!!」
『お姉ちゃん!』
テムジンの機体が緑の森に横たわる。リンはこの隙を逃さず、更に追い討ちを入れようとソードを持った右腕を引いた。
−だれかがあぶない……
彼女は戦場に程近いところにいた。全ての状況が判る訳ではなかったが、その場の空気が、彼女に「何か」を察知させた。
「いくしかないわね」
緑の森を走る。やがて開けた視界には、二機のテムジンが対峙していた。しかし、今まさに追い討ちが入ろうとしていた。
「!!!」
彼女、フェイ=イェンは久しく口にしていなかった「魔法」を唱えた。
「メタモルフォーゼ!!」
ピンクの光がフェイ=イェンを中心に広がっていく……
倒れた深夜のテムジンのソードを突き刺そうとするリンのテムジン。
二人の視界に、ピンク色の眩い光が飛び込んできた。その光はやがて何かの「形」を形成する。
「な……っ……!?」
二人は目に映った物を一瞬疑った。いや、疑わない人間はまずいないだろう。
光の中から現れたのは、一機のVRだった。しかし、それはただのVRなどではない。何もない空間から突如現れたのだから(と、二人の目には見えたのだ)。
そのフェイ=イェンは、現在Blau Stellarで使用されている物に近いフォルムをしていた。
しかし、どこか「違う」のは、そのフェイ=イェンがどこか肉感的な印象があった。「少女」というよりは「女性」の肌に近い質感。
幼い表情の中に、どこか色気も感じさせる不思議な存在だ。
フェイ=イェンはリンのテムジンに向き合うと、胸の前で手を合わせた。その手を離すと、ピンクのエネルギーのような物が出現し、少しずつ大きさを増していった。
深夜もリンも、その光景から目を離すことが出来なかった。
「エモーショナル……」
フェイ=イェンが両手を広げた。それに呼応するように、胸の前のエネルギーボールも巨大化する。
「アターック!!」
伝説のオリジナルVR、フェイ=イェン。VRと人間の姿を自由自在に変換させ、D.N.A.からの追っ手すら、全てねじ伏せた。
武装を一切持たないと言われるオリジナルフェイ=イェンがどうしてD.N.A.から逃れることが出来たのか?
その秘密は、「エモーショナル・アタック」にある。
この攻撃を受けたパイロットは、強制的にMSBSとの接続を断絶され、VRの操縦が一時的に不可能になる。
ただし、この攻撃は「男性パイロット」のみ有効である。故に、この場合、標的となるのは強制的にリンに絞られることになる。
ピンクの光に包まれたリンは、一瞬不思議な感覚を味わった。高速エスカレーターで階下へ降りる時の落下感のようなものを感じた後、自分の神経の一部が何かによって強引に切り離されるような激しい不快感が彼を襲う。
「な…何だこれは………」
激しい吐き気と頭痛。これは通常の人間に耐えられる感覚ではない。
かつてオリジナルフェイ=イェンにエモーショナル・アタックを仕掛けられたパイロットは、その時の感覚を「VRも人間もメロメロになっちまう」と表現した。
しかし、この感覚は「メロメロ」と言う言葉で表せるような、生易しいものではない。精神的拷問と言っても良いだろう。
「はやく!」
フェイ=イェンは深夜のテムジンに手を差し伸べた。
「え……!?」
エモーショナル・アタックの有効範囲の中にはいるが、影響下にはない深夜は、一瞬何のことか理解出来ずにいた。
「いまのうちににげるのよ!」
「逃げるって、どこに……」
「いいから! あたしについてきて!!」
差し伸べた手を更に伸ばす。深夜は訳も判らずその手を取った。
「てをはなしちゃだめよ!」
フェイ=イェンに引っ張られるようにして立ち上がったテムジンは、そのままフェイ=イェンに抱きしめられた。
「ちょ…ちょっと!!」
「あたしからはなれたら、にどとこのせかいにもどってこれないわよ!!」
『何それ!?』
そんなことを言われたものだから、テムジンは素っ頓狂な声を上げ、深夜もびっくりして思わずフェイ=イェンに抱きついた。
「いいわね!? それじゃぁいくわよ!」
「行くって、どこよ!?」
「いけいけごーごー だーいぶ!!」
リンは朦朧とする意識の中、見えた光景にその目を疑った。
光の中、フェイ=イェンと深夜のテムジンがノイズと化し、その姿を消したのだ。まるで、電脳虚数空間に身を躍らせるかの如く。
フェイ=イェンが姿を消したことに呼応したのか、エモーショナル・アタックの光は少しずつその力を失い、リンはようやく拷問から解放された。
しかし、すぐに回復する訳がなく、しばらくは何も考えられずにいた。
やがてヘルメットのヘッドフォンから軽いノイズと共に、エフェクターにかけられた歪んだ声が聞こえる。
『よくやった。ファイユーヴのデータは無事こちらで採取した。直ちに帰還せよ』
「……帰還…ですか……」
『捕獲の必要はない。向こうから現れたのは渡りに船だ。他の人間にはこちらから連絡する。
長居は無用だ。早急に帰還せよ』
通信は一方的に切られ、ヘッドフォンからはまた静寂が流れてきた。
「帰還か……」
Meisterからの突然の帰還命令に、リンは正直戸惑ったが、戦う相手もおらず、かといって一人で帰還する訳にもいかない。
先程のダメージを癒すことも考え、障害物を背もたれにし、リンはしばし休息を取ることにした。
「あのパイロット、何か……」
まだ僅かに朦朧とする意識の中、リンは自分の目の前で消え去ったパイロットのことを考えていた。
Meisterからは「くれぐれも殺すな」と強く言われていた。正直、誰一人としてそんな命令を覚えているとは思えなかった。Kavalier(と恐らくリン)を除いては。
決して手を抜いている訳でもなかった。本気は出していなかったが、それなりの力は出していたつもりだ。
自分はKönigin程の力はない。彼女のように微妙な力のコントロールも正直苦手だ。
だからこそ、ある程度の力を持って戦える相手が欲しかった。それが目の前のライデンだ。
決して「強い」とは言い切れないが、それを感じさせる素質は見せていた。確定どころで外さないレーザー、攻撃の相殺、全てにおいてライデンをパートナーにするに相応しかった。
Königinほど戦い好き、という訳ではないが、それなりのパイロットと対戦することは、彼も望むところだ。
だからこそ、このパイロットに巡り会えたのは、彼にとって幸運だった。
「おりゃぁっ!!」
ラジカルザッパーからテムジンがレーザーを発射する。ライデンはグランドナパームを放り投げ、横ダッシュでその場を回避する。
ライデンは横スライディングバズーカでテムジンを迎撃したが、テムジンはそれを難なく回避すると続いてソードカッターで応戦する。
一進一退の攻防。テムジンが圧倒的有利という訳でも、ライデンが不利という訳でもない。
Kavalierは久しぶりに精神が高揚するのを感じた。
−こいつが欲しい……!
まだ荒削りではあるが、鍛えれば相当の使い手になるだろう。
距離を一気に詰め、ダッシュ近接の体勢に入った。ライデンもそれを感じ、同時にダッシュする。
がきぃぃぃぃん!!
ソードとバズーカが触れ合い、物凄い反発力を生んだ。これには流石のKavalierもバランスを崩した。そういった点では、上手いことテムジンを視角に捉えているライデンの方が安定性は上ということだろう。
Kavalierは愉快で堪らなかった。どうしてもこいつが欲しい。その気持ちを抑えることが出来ない。
「お前、俺んとこに来ないか?」
ずっと呼びかけたかった、禁断の言葉。
その言葉を聞いたライデンは、戸惑っているかのようにその場に立ちすくむ。
「お前には、俺達と共に戦うのに相応しい力がある。Meisterには俺の方から話といてやる」
テムジンは誘うようにライデンに手を差し伸べた。
「俺と来い。世界を、俺達の手で変えるんだ」
僅かにライデンが後ずさりしたように見えた。
「……ゃ………」
「え…!?」
Kavalierは聞こえてきた声に耳を疑った。
「お前、今何て……」
「…いや…だめ…… だめ……」
今度ははっきりと聞こえた。
−女… 子供……!? んな馬鹿な!!
「そんなのだめ。クリスタルが泣いてる。だめ……」
ライデンのパイロット、アリッサの声を聞く度、Kavalierは表現し難い感情に襲われた。未だかつて感じたことのない高揚感と恐怖。
「なんだよ。クリスタルが泣いてるって……」
聞き慣れない言葉。クリスタルが泣いている?
「だめ…… クリスタルを起こさないで……」
「クリスタルを起こすな? どういうことなんだ……」
「だめ…… だめ……」
近寄るテムジン。それから逃げるように後ずさるライデン。
ライデンの両肩が光る。その光は半端ではない。
「やべ……」
彼を守るシールドは、先ほど機動力を確保する為に置き去ってしまった。
「だめーっ!!!!」
両肩から発せられたスパイラルレーザーは、一般射出モードの出力を遙かに上回るものだった。
ライデンを巡る全ての空間が白い光に包まれる。
「な……っ!!」
「どうなってるの!?」
司令室でこの戦いを見守っていた緒方と友紀が息を飲んだ。
「ありえないわ……」
香緒里は送られてくるデータをモニターしながら、この状況が信じられずにいた。
「どう見たってライデンの最高出力を遙かに越えているもの。いくらレーザーが旧型を搭載しているからって……」
三人は顔を見合わせた。
そして、別室のミーティングルームに控えていた男子一同は、何がなんだか判らず、ただただ呆然とこの様子を観戦していた。
視界が少しずつ回復する。
全てのものを焼き尽くさんとした雷神の光は、解放した力を消滅させるのに、しばらくの時間を要した。
「……………」
アリッサ自身、これほどまでの出力でレーザーが照射出来るとは思わなかったので、これがTROを介したオンライン戦闘でなければ、自分自身も危ないところだった。
拓けた視界に、黒い「何か」が目に入る。それは少しずつ形となり、ようやくシールドであることが判った。
間一髪、Kavalierのテムジンはたまたま足下にシールドが放置されていたことにより、ライデンのレーザーから身を守ることが出来たのだ。
だが、そのシールドも常識を越えた出力により、無惨に変形し、表面は殆ど「溶けかかって」いた。
「危なかったな……」
安全を確認したKavalierは、シールドの陰からその身を現した。
しかし、そのシールドは完全にテムジンを守ることが出来ず、肩の部分にダメージが見える。
「女だとは思わなかったよ。俺んとこのライデンは殆ど男だからな。でもまぁ、エンジェラン以外ならパイロットが男だろうと女だろうと関係ないもんな」
決して無傷ではないKavalierのテムジンが立ち上がった。改めて臨戦態勢に入ろうというのか?
アリッサがいつでもバズーカを発射出来るように、トリガーに手を置く。
『作戦終了、総員撤退せよ』
突如Kavalierの通信に誰かが割り込んできた。
「なんだって!? どういうことだ! Meister!!」
誰の声とも付かないものだったが、それはO.D.A.総帥、Meister Oのものだった。
『たった今データを入手した。これ以上の長居は無用だ。早急に撤退せよ』
一方的とも言える通信は、その一言を最後に切断された。
仕方なく、ワイプを通して別の場所で戦っている八部衆の様子を伺う。二葉も八重も、戸惑いを隠せない。
「仕方ねぇな」
命令とあれば、従わない訳には行かない。
そして、何よりも自らの主が心配だ。Meisterの通信など、恐らく聞いてはいないだろうから。
「四門、二葉。撤退するぞ」
「「Kavalier殿!」」
「うるせぇ! 撤退っつったら撤退なんだよ!!」
一方的に通信を切断する。
腹の中の怒りが収まらない。殺すなとは言われていたが、どうしてもこいつは決着を付けたかった。
「おい!」
その声に、アリッサは身を縮み込ませた。戦っている間も、彼女の内気な性格は変わらないのだ。
「今度会う時は、絶対お前を俺のものにしてやるからな!!」
正直、自分の口からこんな言葉が出て来たことに、Kavalier自信も驚いていた。それほどまでに、彼女の存在は、Kavalierに異常なまでの執着心を芽生えさせていたのだ。
しかし、それは戦う者同士の執着心である。彼にとって「男」として執着しているのはKöniginのみであり、たとえ彼の前に彼女以上の美しさを持った人物が現れたとしても、Kavalierの心が変わることはない。
KöniginはKavalierの全てだ。心も、体も、そして命も、全てをKöniginに捧げたのだから。
殆ど使い物にならなくなったシールドを背負い、マインドブースターを吹かせて上空に飛び上がると、Kavalierのテムジンはいずこかへと飛び去った。恐らく、Königinの元へと行ったのだろう。
『今度会う時は、絶対お前を俺のものにしてやるからな!!』
最後に自分に向けられた言葉を、アリッサは何度も何度も繰り返していた。
アイフリーサーを振り下ろしたままのKöniginのスペシネフ。片膝を付いたままの尚貴のバル=バドス。
睨み合いのような、不気味な間が生まれる。どちらも、全く動こうとしない。
その静寂をKöniginが破った。振り下ろしたままのアイフリーサーを構え直す。しかし、バル=バドスは一向に動こうとしない。
「お前、ナニモンや……?」
問いかけにも答えない相手に、苛立ちを感じる。
ヴン…とモード・サイズを展開させる。それを見て、バル=バドスもようやく立ち上がった。
「この世界に『最強』は二人も必要ない。それは俺だけでいい。
お前は、目障りや!!」
アイフリーサーを握りしめ、スペシネフが向かってくる。バル=バドスもレーザーブレードを展開させ、向かってくるスペシネフに対峙する。
バル=バドスが大きく飛び上がった。スペシネフは一瞬迷ったものの、直ぐさま反応して迎え撃つ。
しかし、上空のバル=バドスが大きくバランスを崩し、緑の大地に落下した。
その原因は、傍らに落ちた、大破しかけたシールド。
「シーラ!!」
Königinが視線をやった先には、一機のテムジン。その後方には別のテムジンとフェイ=イェンが。
「恋!!」
傍らに降り立つテムジン。
「なんやお前。その肩!」
Königinは側にいるKavalierのテムジンを見て、肩が熱に溶かされた様になっているのを見逃さなかった。
「こんなの大したことじゃねぇよ。それより、お前なんだよ。その傷……」
Kavalierにしてみれば、Königinのスペシネフが「被弾している」事が信じられなかったのだ。
「こいつや」
アイフリーサーでよろよろと起き上がったバル=バドスを指す。
「とんでもねぇ野郎だぜ。おかしな近接してくるわ、俺のターボサイズも避けるわ……」
「なんだって!?」
Kavalierは声を上げた。二人の通信を聞いていた二葉と四門も信じられないと言う顔をする。
「むかつくからブッ殺してやろうと思ってよ」
−あぁ、やっぱりな……
この人の耳にはMeisterの撤退命令など聞こえていなかったのだ。
「残念だが、それは無理だ」
「なんでや!?」
「Meisterから撤退命令が出た。ファイユーヴが出現したらしい。データを取ったとかなんかで、捕獲の必要はなくなったんだと」
「じゃぁ!」
「撤退だ。残念だけどな」
Königinは目を大きく見開いた後、苦虫を噛んだような顔をして、こう言い放った。
「お前!! 今度会ったら、ただじゃ済まねぇぞ!!」
「うるせぇ、ばーか」
「なんやと!!」
小さく漏らした尚貴の言葉が、Königinの耳に入ったらしい。今にもまた殴りかかろうとするスペシネフを、二葉のテムジンと四門のフェイ=イェンがなんとか抑える。
「そーいやお前ら」
押さえつけられたことで自分を取り戻したKöniginが、周りを見回しながら言った。
「六道と八重はどうした!?」
「二人はマックスにやられました。申し訳ありません……」
「私が先に撤退させました。特に六道は……」
「あいつ、やっぱりマックスやったんか。それじゃぁお前らが勝てる訳がねぇわ」
離せと言わんばかりに二人の制止を振りほどいた。かつて自分が下に置いていた人間が、自分等の敵として現れたのだ。もともとその実力を認めていた存在だ。このような結果になっても、何分驚くこともない。
そして、いつの間にか立っていた、別のテムジンに気付く。それは深夜との対戦を、オリジナルフェイ=イェンによって中断させられたリンのテムジンだった。
「なんや。ミスターやんか。いつからおったん?」
「今し方です。俺の所にファイユーヴが現れたんですよ。あれの攻撃はとんでもない。かつてD.N.A.が全く歯が立たなかった理由も判ります」
「で、相手はどないしたん?」
「ファイユーヴがどこかに連れていきました」
「ほんならほんまにここはもう用済みっちゅーことかい」
吐き捨てるように、でもどこか残念そうにKöniginは言い放った。
「帰るぞ。こないなとこにおっても、時間の無駄や」
他を促すかのようにその場を離れると、一人機体をノイズへと変換し、姿を消した。やがて残された機体も、尚貴のバル=バドスを一人残して次々と姿を消した。
『尚貴はん……』
バルが心配そうに声をかける。
「いなくなってくれたよ。よかったね。あんなの、俺一人じゃ到底相手出来……」
今度は尚貴の目の前に、不思議な空間が発生した。そこからノイズが発生し、何かを形取る。
現れたのは、深夜のテムジンだった。それも一人。
「神宮寺さん!」
「尚貴君か。よかった。変な所に出て来たらどうしようかと思ったよ」
「それより! どこから来たんだよ。一体……」
「まぁ、それについては長くなるから後で……」
深夜が辺りを見回す。他のメンバーはいないらしいが……
『全員無事か?』
ラジオから聞こえてきたのは緒方の声だった。
『皆よく頑張った。どういう了見で奴らが来たのかはこの際どうでもいいや。
全員モードをオートにして、システムを終了してくれ。お疲れ』
TROを介してVRを操縦している為、基地への帰還はオートパイロットモードで済ませることが出来る。
安全性が確保されているとは言え、オンライン戦闘はやはりパイロットに危険が伴う。一刻も早く切断させたいというのが、緒方の考えなのだ。
「皆無事? 大丈夫?」
「こっちは大丈夫〜」
千羽矢の元気そうな声がする。
「……はい……」
消え入りそうなアリッサの声は、まぁいつもの事なので心配ない。
慣れた手つきで尚貴がモードの切り替えを行う。
「了解。全員MSBS切断後、自動でオートモードに入ります。お疲れ様」
「「お疲れ様〜」」
コックピットから出てきた顔を見合わせて、全員が無事であることを確かめ合う。
この時が、一番安心する時間。
「帰る前にケーキ食べていこうよ」
「またぁ? でもそれもいいかな」
「あたしもちょっとおなか空いたかも」
「そーいや、フェイ=イェンどうしたの?」
「うん、それがね……」
コックピットを離れれば、いつもと変わらない会話が始まるのだ。
どんなに過酷な戦いに身を投じていても、その心は普通の少女(というにはいささか年齢が上かもしれないが)と何も変わりないのだから。
「ねぇねぇ、あれ、どうしたの?」
「あれ?」
翌日、久しぶりに平穏な訪れた昼下がり。
千羽矢と尚貴はいつものようにカフェテリアでお茶を楽しんでした。
「ほらぁ、フラットランチャーシステムだってば」
「あぁ、あれかぁ」
GRM本部のカフェテリアは、ケーキが絶品であることで世界的にも有名で、隊員以外にも一部解放されている(解放されているのは当然ながら基地施設外だが)。
隊員は格安でこのケーキを食べ放題で楽しむことが出来るのだが、9012隊はリリン・プラジナーからの勅命により、無料でこの恩恵に預かることが出来るのだ。
その恩恵は女子隊員、特にこの二人が一番預かっているのは、言うまでもない。
「実はちょっと考えてるんだ……」
「何を?」
「搭載するかどうするか」
「え!? なんで!?」
正直、予想外の回答に千羽矢は声を上げざるを得なかった。
「だって、JOEも使ってるからって、自分も使うとか言ってたじゃない!」
「ん〜、まぁね……」
視線を逸らして紅茶をひとすすりする。
「それのことで、今からドッグに行こうかと思うんだ。相談したいことがあって」
「そっかぁ……」
しばし甘い一時を過ごした後、千羽矢はルームに戻り、尚貴はドッグヤードへと足を運んだ。
MSBSの載せ替えに当たり、全体的なオーバーホールも行われるということで、9012隊所属機全機がドッグに集められている。
先駆けて出撃したアリッサのライデンを除き、リバースコンバートし直されたVRは、研磨されたかのように光を反射している。
尚貴はその足元を、見上げるように歩いた。
「あ、若さん!」
一人の整備士が尚貴の姿を見つけ、声を上げた。「若さん」というのは彼女のあだ名なのだが、何故にそのように呼ばれているのか、本人も全く持って謎だ。
どこに行ってもそう呼ばれ、すっかり慣れっこになっているので、声のした方に向かって手を振る。
「若さん、ちょうどいいところに来てくれたよ。前から話していた件なんだがな……」
「あぁ、うん。そのことでちょっと話が……」
「なんだい、納期の前倒しかい? そんなの心配しなくても今すぐに……」
「いや、そうじゃないんだ。お願いがあるんだ」
「お願い?」
「実は……」
顔を寄せ合う。別にそれほど内緒話にする必要はないのだが。
……
……
……
「「「えぇ〜っ!?」」」
その場に居合わせた三人の整備士が、三人ともその「お願い」に抗議じみた声を上げた。
「若さん! そりゃ本当かい!?」
「俺達の苦労はなんだったんだ〜!!」
「そりゃないぜ! いくら若さんだからって!!」
次々に抗議の声を上げる三人に、尚貴は両手を合わせて「ごめん!」と謝る。
「皆が俺のために一生懸命やってくれてるのはよく判ってる。でも、今回はどうしてもあっちの方を試したいんだよ!!」
三人はどうする?といった感じで顔を見合わせると、やれやれと言った顔をして、諦めたかのように笑いの表情を浮かべた。
「仕方ねぇさ。若さんの頼みだ」
「そうそう。この地球の未来を背負って立つ、明日の司令官様のためだもんな」
「『コイツ』は、いつか出番のある時まで、俺達がしっかりと保管しておくぜ」
「本当、マジごめん」
「いいってことよ。若さんは、下っ端の俺達に誰にも出来ない仕事を与えてくれた。俺達はその恩義に報いる義務があるってもんよ」
「若さんが偉くなったら、若さんのVRは俺達が責任を持って、面倒を見させてもらうぜ」
「俺達の総司令様万歳!!」
先ほどの落胆ぶりはどこ吹く風。三人の若い整備士はすっかりご機嫌だ。
「尚貴ちゃん!!」
自分を呼ぶ声がした。それもかなりの緊急を要する声だ。尚貴は声のした方に顔を向ける。
「どうしたの!? そんなに焦って!」
やって来たのは千羽矢だった。血相を変えて、という表現が正にぴったりの顔だ。
「大変なの! 変なメールが来て、ロックがかかってるから全然開けなくて…… ウイルスだったらどうしようとか……」
「判った。戻るよ。
ごめん。後のこと……」
「俺達のことは気にしなさんな」
「早く行って下さいよ!」
「地球の明日を頼んます!!」
ちょっと大げさな見送りに、尚貴は小さく手を振ると、千羽矢に腕を引っ張られるかのように、ミーティングルームへと走っていった。
「おい! なんとかなんねぇのかよ!!」
「そんなことを俺に言わないで下さいよ! 正直俺には管轄外ですよ!」
「あーもう!! 役に立たねぇなぁ!!」
ミーティングルームでは、届いたメールのロックを開けようと、全体員が一丸(?)となってあぁでもない、こうでもないと議論している。
「お待たせ! 連れてきたわよ!!」
ぷしっ、というエアー音と共にドアが開き、千羽矢に連れられて尚貴も飛び込んできた。
「どうしたっていうのさ?」
「これよ」
友紀は尚貴に席を譲ると、アクティブになっているウィンドウを見せた。
一通のメールがあるが、パスワードを求めてくるダイアログボックスが開いている。このパスワードを通過させなければ、中に書かれているメールを読むことが出来ない。
尚貴は椅子に座るとおもむろに腕組みし、しばしその画面を見ていたが……
「ちょ…ちょっと!」
「まずいんじゃないの!? 今の!!」
隊員達が呆気にとられる。
彼女は一体何をやったのか? まず、パスワードを求めてくるダイアログボックスをEscキーで消し去った。当然メールは開けない。そこへ内ポケットから取り出したCD−ROMファイルの中から一枚のCDを取り出し、端末に装填させる。このCD−ROMにはいろいろなプログラムソフトが書き込まれており、尚貴はその中から一つのプログラムを起動させた。黒い画面に白い文字が高速で羅列される。文字の羅列が止まったところで、いくつかキーボードを叩くと、エンターキーを押してプログラムを再度作動させる。
そのプログラムが終了し、黒いウィンドウが閉じられた後、尚貴は送られてきたメールを「返信」し、何も書かずにそのまま「送信」してしまったのだ。
これには全員が驚いた。本来であれば驚いた、等という言葉で現せられるものではないのだが。
「ウィルスメールなんかじゃなかったよ。多分、事を大げさにする為にわざとロックをかけていたんじゃないかな?
多分、この返信に気付けば向こうからやってくるよ」
彼女は「電脳師」だ。ネットワークの管理から、果てはデータベースへのハッキングまで、情報社会のありとあらゆるものを糧に出来る。
そして、彼女の言うことは正しかった。司令席後方に下げられたスクリーンと、天井から吊されているいくつものテレビモニターが突然砂嵐を映し出した。砂嵐の中に、少しずつ人の姿が形取られる。
『見事だ。本来であればこのメールは送り返すことも出来ないのだが、地球の諸君はよほど腕の良い電脳師を味方に付けたようだな』
その声は、いつ聞いてもどこか耳障りで、男なのか女なのかも全く判らない。
だからこそ、余計に聞く者の神経をいらつかせる。
『突然の襲撃、大変申し訳ない。しかし君達のこと、当然反撃は予想していたがな』
Meister(と思われる)人物の声に、全員が顔をしかめる。
『早速だが、次のカードのお知らせだ』
砂嵐の画面が消え、世界地図が姿を見せる。
『次のポイントは、ここだ』
ポイントマーカーが太平洋の真ん中を指し示す。一つしかないと思っていたマーカーは、やがて分裂を見せ、移動を始めた。
『まず第一の場所は、人魚姫の眠る海底の戦場「Undersea Plant」。君達の新型機の実力、楽しみにしている』
新型機、恐らくバル=シリーズの水中仕様、バル=バロスのことだろう。ODAでは既に大襲撃の際バル=シリーズが投入されていたが、Blau Stellarではこの度の対戦が初陣だった。
パイロットの泉水優輝が掌をぎゅっと握りしめる。
『さて、もう一つの場所だが、こちらから少々提案をさせて欲しい』
「なんだ?」
『この戦い、もし君達が勝てば、我々が先の襲撃で捕獲したフローティングキャリアーを全機お返ししよう。
だが、我々が勝てば……』
全員の視線が、モニターに釘付けになる。
『諸君らの持つ最強艦、「リヴィエラ」を戴く』
「なんやと!?」
「ふざけやがって! いいかげんにせいや!!」
瀧川一郎と藤崎賢一が立ち上がった。
だが無理もない。それはかなり無茶な話だ。立ち上がりこそしなかったがDOI−2も言葉が出かかっていた。立ち上がらなかったのは、自分より先に抗議した者がいたからに過ぎない。誰もいなければ、彼が抗議していた。
しかし、画面上のMeisterはそんな抗議も気にせず笑っていた(様に感じた。なんせ画面がノイズだらけなのだから)。
『何、そんなに躍起になることもなかろう? 諸君らが勝てば、何の問題もないのだから』
それも真実だった。リヴィエラを渡したくなければ、自分達が勝てばよい。それだけの話だ。
「……で、日時は?」
緒方が重い口を開いた。
『さすが司令殿は話が判る。本日より三日後、こちらのキャリアー艦隊が出迎えに伺う。諸君らはポイント付近で待機してくれればよい』
「海底は?」
『こちらの艦隊と合流後、出撃してくれればよい。サプライズドアタック等という下らない真似だけは止めるように徹底させて頂く』
「それはありがたいことで……」
『それと、先の戦いは非常に見応えのあるものだった。
出撃した者は、こちらでも腕の立つ者ばかり。当然全ての力は出し切ってはいないが、彼らをあそこまで追いつめたのは、称賛に値する。
やはり、諸君らは私が認めた唯一の存在だ。
次の戦いも、楽しみにしている……』
声が消えたのと同時に画面のノイズが薄まり、ホワイトアウトしたかと思うと、全てのモニターの電源が落ちた。
残されたのは、やり場のない感情によって生み出された静寂。
「さて……」
緒方が立ち上がる。その顔は、既に司令官としてのものだった。
「今回から、どうやら二手に分かれなければならなくなりそうだ。正直、これまでのように出撃しない方は待機、ということが出来なくなる。おまけに俺の体も一つだ。どちらかにしかつけない。
それでも、俺達はどんな状況下にあっても、絶対に勝てると思っている。不安なのは判る。でも、俺達が一番強いと言うことだけは、忘れないで欲しい」
自信に満ちた緒方の語りは、全ての者の不安を取り除くには充分だった。
「RODと一郎はキャリアーの方へ、成ちゃんと哲は海底へ。今後もこのチーム分けで戦ってもらうことになる。
俺は成ちゃんと哲の方へつく。ドクター、俺のいない間、代理としての任務を頼む」
「御意」
ドクターは静かに頭を下げた。
「それならあたし達はもう決まりね。あたしは成ちゃんの方に行くわ」
と友紀が言えば
「私は一郎さんの方に」
香緒里が続く。
「一郎、頼むで」
「何言うとんのや。俺と組むからには、無様な戦いだけはごめん被るがな」
この二人の悪態はいつものこと。むしろ、これが二人の円滑なコミュニケーションになる。
「成ちゃん、バックは俺達に任せてな」
「頼むよ」
哲の言葉を、成一は全面的に信頼している。むしろ、彼らのバックアップがなければ、一人で最前線に立つことなど出来ないのだから。
「赤木さん、尚貴ちゃんをお願いね」
千羽矢はまさかこういったチーム分けをされるとは思わなかったから、正直心配でならない。今まで自分が面倒を見ていたが、これからはどうすればよいのだ? 頼れるのは、同行する赤木香緒里のみ。もちろん、藤崎の指揮下にいる深夜のことを信頼していない訳ではないが、いかんせんまだ付き合いがあっても日が短い。
「大丈夫。きちんと毎日連絡するわ」
「出撃までは一緒にいられるけど、それを過ぎたらいつ一緒になれるか判らないもの。
正直一郎には任せられないし……」
「もう、心配しすぎ。俺なら大丈夫だって。何だったら毎日連絡するよ」
自分が心配性なのは、自分が一番判っている。しかし、それでも心配なのだ。
『愛だねぇ』
そんなやりとりを、デュオが笑って見守る。
まるで修学旅行に行く前の学生のような空気が流れる。
しかし、彼らが赴くのは紛れもない戦地。
そして、彼らが身を置くのは、間違いなく戦争なのだ。