目が覚めると、列車はクマザサに被われた大地の中を北に向かって走り続けていた。
メガネをかけて、窓の外を見る。天気は曇…雨が降っていないだけマシだが、せっかく窓際、しかも海側の席なのに、残念…
急行《利尻》が走っている〔宗谷本線〕は、そのほとんどが山の中を縫うように右に左に曲がりくねりながら走っている。しかし、終点の稚内の2つ手前の抜海駅の辺りでほんの一瞬だけ海岸線と併走する部分があり、そこでは突然開けたサロベツ原野の向こうに朝日を浴びて輝く秀峰、利尻富士が見える……はずなのだが、気象条件が厳しくて1年に数日しか見られないらしく、毎日のように乗っている車掌さんでも滅多にお目にかかれないそうだ。
晴れた日には列車が少し速度を落として通るという、利尻富士が最もよく見える(であろう)場所に立てられた線路脇の標柱がちょっぴり寂しい。
今日も列車は定刻通り。午前6時ちょうどに稚内に到着した。
思えば遠くへ来たもんだ
根室は本当の意味で最東端ではなかったが、ここはまぎれもなく最も北の果てにある駅だ。
ちょっと肌寒かったので、バッグの中の長袖のシャツに着替える。昨日の納沙布岬では半袖でも別に平気だったのになぁ。ちょっと(?)北に移動しただけなのに。
着替えたついでに、さしあたって必要なものだけショルダーバッグに移して残りをコインロッカーへ放り込む。
例によって列車の中でおにぎりを食べてはいたものの、ちょっと物足りないのと、急行《利尻》の到着に合わせて早朝から営業している定食屋さんがあるらしいので、フェリー乗り場へ行くついでに探してみることにした。
駅の立ち食い蕎麦が、細いうどんのような変わった蕎麦だったのでちょっとそそられたが、とりあえず駅の外へ。
桟橋のほうへ歩いていくと、おじいさんに声をかけられた。
時刻表で調べた時には判らなかったが、日帰りで礼文島と利尻島の両方を回れるらしい。
朝食を食べさせてくれると言うので中に入ると、炉端の席に通された。奥の壁にかかった柱時計の振り子の音だけが部屋の中に響く。
おじいさんが食事の準備をしていると、ここに泊まっている人がやって来て「昨日はサハリン(樺太)が見えたよ」と言っていた。あらら、それは残念…
待つことしばし、甘エビの刺し身が付いた、結構豪華な食事が出てきた。暖かい御飯に味噌汁、う〜ん、久々にまとも?な食事をしているような気がする。
しかし悲劇はこの後やってきた。食べ終わって会計を済ませようとすると……せ、1300円?!
やはり何時如何なる場合でも、『客引き』には気を付けねばなるまい。
5分ほど歩いてフェリー乗り場に行くと、既に乗船できるようになっていた。券売機で2等の乗船券を買ってタラップを登って行くと、船内に足を踏み入れた直後に「乗船名簿は?」と訊ねられた。乗船名簿?戻って記入して来ないといけないのかな、と思ったら、係員から細長い紙を手渡された。住所・氏名・年齢…そうか、もし万が一この船が沈んだ時は、この紙だけが私が乗っていた証しになるということか。そう思うと、この小さな紙切れがとても重要なものに感じられる。
出港間近だったので、船室はすでに満員。船室といっても、2等は靴を脱いで上がる畳やカーペット敷きの床がある程度なのだが、東京を出発してから列車の座席以外では寝ていないので、横になって寝られるのは大きい。が、空いていないのは仕方がないので、デッキに出てしばらく海を眺めていることにした。
舫が解かれ、汽笛を大きく響かせて船は岸壁を離れた。稚内港を出て、前方の宗谷岬に向かっていた船は大きく左に舵を取り、ノシャップ岬を左手に見ながら約50km離れた礼文島を目指す。
そういえば、納沙布岬の時ほど潮の香りがしない。確か、昨日の《のさっぷ号》のガイドさんが「オホーツク海はシベリアからアムール川の水が多く流れ込んでいて、表層は塩分が少ないので凍って流氷ができる」と言っていたのを思い出した。なるほどねぇ。
徐々に天気は良くなってきているけれど、相変わらず利尻富士の山頂付近には雲がかかっている。
実際には2000m足らずしかないこの山は、小さな島の上にあるので裾野が狭く、専門家の人に言わせると3000m級の山と同じくらい難しいそうで、それを知らずに軽装で登る人が毎年何人も遭難しているということらしい。
フェリー乗り場の窓口で定期観光バスの乗車券を購入。ここは昨日のようなマイクロバスではなくて、ちゃんとした(?)大型の観光バスが待っていた。
バスの中は昨日乗った《のさっぷ号》よりもずっと平均年齢が高くて、自分が一番年下のようだ。
バスはまず、島の北西にある澄海(すかい)岬へと向かった。
東の海岸沿いから島の北部の小高い山を登り、島にある唯一の湖と牧場の側を通って島の西側へ。途中、島内の街灯のデザインのもとになっている『レブンアツモリソウ』の群生地を抜ける時に聞いたバスガイドさんの案内によると、レブンアツモリソウは盗掘によって一時は絶滅の危機にあったが、現在では群生地の周囲に柵を設け、24時間体制で監視しているとのことだった。
バスは小さな湾に面した漁村に着いた。
斜面に設けられた階段を登って岬の上に立つと、穏やかで青く澄んだ海が遠くまで続いているのが見えた。
続いて島の最北端、スコトン岬へ。
「日本最北限の地」という碑が立っているが、宗谷岬の方がほんの僅かに北に位置しているので「最北端」ではなく「最北限」という表記になっているようだ。
沖合に浮かぶ「トド島(トド岩)」には冬になると本当にトドの群れがやって来るとのことだったが、澄海岬の辺りと違い海流が複雑にぶつかり合っているので舟で近づくのも困難らしく、泳いでいこうものならまず間違いなく帰って来られないと言っていた。
島の西側は車の走れる道路が南部まで繋がっていないので、今来た道を香深港の辺りまで戻り、トンネルをくぐって再び島の西側へと抜けて地蔵岩へ。
この辺りは「めのう海岸」と呼ばれていて、波打ち際をよく探すと瑪瑙が拾えるとのことだが、既に拾いつくされている(?)ため、めったにお目にかかれないらしい。
パンフレットのお薦めコースでは、次の船で利尻島へ渡って再び定期観光バスを利用した後に稚内へ戻るとなっていた。
利尻島行きの船が出るまで40分ほどあったので、昼食にすることにした。
礼文島の名物といえば、昆布とウニ。せっかくここまで来たんだから、ということで、フェリー乗り場から少し歩いて、定期観光バスの半券の裏が割引券になっていた【酒壷】というお店へ向かう。
店の中にはお客が1組だけ。8月下旬でシーズンもそろそろ終わりだからだろう。席についてウニ丼を注文。5分くらいで、ラーメンの丼くらいの大きさの器に入ったウニ丼が出てきた。うーん、確かにおいしいけど、あまり大量に食べるものじゃないなぁ。これならめのう海岸の売店で売っていたミニサイズ(でも1000円)くらいの量でよかったかも。
フェリー乗り場へ戻ると、運悪く利尻島行きの船がちょうど岸壁を離れた所だった。
ということは、次の稚内行きが来るまで2時間半、ここで待つのか…さて、何をしよう?
何もすることがないので、港の中をうろうろしてみたり、ワンダーに電話をしてみたり。忘れないうちに乗船名簿を書いて、待合室のベンチで横になって少し休むことにしたら……
…どうやら眠ってしまったようだ。待合室の時計を見ると、16時25分…16時25分?うわ、稚内行きが出る5分前!
慌てて飛び起ききっぷを買って、乗船口へ急ぐ。危ない危ない、これを逃したらまた1時間以上待たなければいけなくなるところだった。
船が岸壁を離れると、ユースホステルの「お見送り」が始まった。
この前に出た利尻島行きの船を見送った時には10人近くいた見送りも、今回は3人。
出迎え/見送りは泊まり客も参加する「きまり」のはずなので、今回はほとんどの人が見送られる側になったのだろう。
フェリーが稚内に着く頃には、辺りは薄暗くなっていた。時間があったら稚内公園に行ってみようと思っていたが、時間がないのでパスどころかノシャップ岬にも行けそうにない。とりあえず一旦駅に帰ってコインロッカーから着替えを取り出し、駅前からバスに乗って日本最北の温泉【稚内温泉 童夢】へ向かうことにした。
バスに揺られて20分程で【童夢】に到着。礼文島には銭湯はあったが、天然の温泉ではここが日本で最も北にあるらしい。帰りのバスまで約1時間あるのでゆっくりできそうだ。
入浴料(600円)を払って中へ…とても豪華な作りで、これなら人気が出て当たり前。体を洗って露天風呂へ行くと、既に日は沈んでしまったが海と夜空が混じり合う辺りがうっすらと赤くなっているのが見えた。
再びバスで駅に戻って、駅前の食堂で夕食。
ほっけの塩焼きやカニの足が入った味噌汁の付いた定食が850円だというのでそれを注文。おいしいので御飯をお代わりしたら、またしても会計のときに泣きを見た。
「1100円です」…お代わり1杯250円?確かにおいしかったんだけど、何か釈然としないなぁ…
札幌行きの急行《利尻》は、昨日とはうって変わって席はガラガラ。
今日は静かに眠れそうだ。