海・原野・開墾
    坂本ツルさんの生涯より
                       坂本ツル・語り 松居 友・文

      序

 これは、貧しい漁村に生まれ、幼くして家族から一人離れ、さまざまな苦労や不幸を経て、やがて画家であり登山家でもある坂本直行氏と出会い、日高の原野に開拓に入り、厳しくも美しい自然のなかで子どもを育てていった一人の女の物語である。


    一、鰊

 「マネがあがったー!」
 「マネがあがったぞー!」
 大声で叫んで歩く声でツルは目をさました。
 窓の外は夜明け前で、藍を流したような闇のなかから、歪んだ窓ガラスをとおしてかすかな乳色の光がしみ込んでくる。
 マネがあがった、とは鰊がとれたという意味だ。
 隣で寝ていた母さんは、子どもたちを起こさないように薄い布団をそっとはぐように起き上がると、床板をきしませながら狭い土間におり、浜にゆくしたくをはじめた。父さんは、すでに昨日の晩から徹夜で沖にでている。
 いよいよ来たんだ。鰊がやって来たんだ。
 ツルは、布団のなかで高鳴る胸をおさえた。うれしいような、恐いような。これから数日、嵐のように忙しい日々が続くだろう。
 北海道の浜で鰊が取れだすのは、春の彼岸すぎだ。
 お彼岸が近づく頃から、三十軒ほどしかない陸の孤島のような村がにわかに活気づく。東北の方からやん衆と呼ばれる出稼ぎの若者が大勢やってきて、親方の大きな番屋に泊まり込む。村じゅうが漁の準備で忙しくなる。大きな石をどけて舟道を整備したり、網を引き出して整えたり、女や子どもたちも山に入り葡萄づるをとっては番屋に運ぶ。番屋では、葡萄づるを使って大きなかごがつくられる。かごができると、中にいっぱい石を詰め込んで、舟で沖へもっていって沈める。網を固定するための錘になるのだ。
 今年は鰊のくるのが早かった。網おろしの祝いをしたのは、つい数日前だ。
 豊漁を願って、やん衆も親方もみんなで酒を酌み交わし、あんこの入った大きなお餅が五つもふるまわれた。最後にサンパという大きな船がでて、鰊の群れのきそうなところに網をたて、最後は親方を胴あげして祝いはおわった。
 ツルも今年はかご作りを手伝ったし、ご褒美にあんこのお餅をひとつもらった。米の飯だってめったに食べられないのだもの、あんこのお餅をもらったツルは大満足だった。
 こうして沖に網が設置されると、あとは鰊がくるのを待つばかりだ。
 そして今朝、とうとう鰊の群れがやってきたのだ。群れは、沖に張られたたて網に吸い寄せられるようにはいってくると、網はたちまちふくれあがる。
 沖合にさっと旗がたち。それを見て伝令が大声で叫びながら村の一本道を走る。
 「マネがあがったぞー!」
 やん衆の待ちにまっていた瞬間だ。
 やん衆たちは、鮨詰めになって寝ていた番屋の二段床から起きだすと、めいめい小舟にのって沖へでる。
 父ちゃんも沖へでたろうか。
 ツルの父ちゃんは、漁期になると親方に雇われて小舟の船頭をつとめるのだ。
 こうして沖へ出た男たちは、この日から毎日ほとんど徹夜で網をひく。賃金は魚の取れ高の歩合できまるから、やん衆たちも真剣だ。
 伝令が走るといっても、川沿いに三十軒ほどの家が一列に並んでいるだけの小さな村の道だから、あっというまに村外れになってしまうのだが、その声を聞きて飛び出してくるのはやん衆ばかりではない。かあちゃんもじいちゃんもばあちゃんも、働けるものはみな夜中でも浜にむかって飛び出していくのだ。
 「かあちゃん。」
 ツルは布団のなかから、土間で支度しているかあさんを小声で呼んだ。
 「しーっ、寝ておいで。母さんいぐから。みんな起きたら、ねえちゃんと朝飯つくって食え、いつものところに麦飯の残りあっから。それから弟の子守たのんだぞ。」
 「うん。」
 耳をすますと近所の人たちも家を出たらしく、表は変にざわざわしている。ツルの胸ももうどきどきして、目を閉じてもねむれない。
 浜の春はこうして鰊とともにやってくる。
 「今日から、学校休みだな。」
 ツルは布団のなかで考える。
 これから鰊漁の終わる五月の節句すぎまでは、浜の小学校は休みだ。村の稼ぎ時で、家族のものは総出で浜に出るものだから、炊事とか家事は残された子どもたちの仕事になる。まだ尋常小学校にあがったばかりのツルも、姉ちゃんの洗濯の手伝いをしたり、生まれたばかりの二番目の弟の子守をしたりしなければならない。
 ツルはそっと身を起こすと、もぬけの殻になった母さんのふとんの向こうのやなぎごおりをのぞいてみる。囲炉裏の焚火でいぶされてすっかり飴色になったやなぎごおりのなかでは、弟が小さな手をぎゅっとにぎったまますやすや眠っている。窓の外はこころもち明るくなり、乳色の光がさしこんできた。
 となりで寝ていた姉ちゃんも、どうやら目がさめていたらしい。ごそごそと起きだすと、綿入れを着こんで囲炉裏までいき、フウーフウーと昨夜の囲炉裏の残り火を吹きはじめた。姉ちゃんの吐く息は白い。春といっても、北海道の春はまだまだ寒い。
 しばらくするとおき火は赤くおこり、とつぜんぽっと柴に燃え移り、同時に煙がゆっくりと部屋に満ちていった。姉ちゃんは燃え上がった火のうえに、昨夜の燃え差しの薪をそっと置いた。炭などあるわけもないから、囲炉裏には山で集めた薪を燃やす。飯を炊くのも、暖をとるのも、風呂をたくのもみな薪だ。だから焚き木ひろいは子どもたちの大切な仕事のひとつだ。
 ツルの生まれた家は、家といっても柾葺きの粗末な漁師小屋で、ふた部屋の片方は居間けん台所で真ん中に囲炉裏が切ってあり、もうひとつは寝間である。もちろんガスも水道も電気もない。水は前の川から汲むし、明かりはランプで、電灯というものをツルはお話のなかでしかしらない。
 ツルは布団からぬけだすと、姉ちゃんのはたにいった。
 姉ちゃんは、囲炉裏の火が柴から薪に燃えついたのを確かめると、今度は土間におりてかまどの灰をかきながら言った。
 「かまどに火いれて、朝げのしたくすっから、ツルも手伝ってけれ。」
 「なしたらええ。」
 「そだな。味噌汁つくるから、水くんできて。」
 「ん。」
 ツルは土間におりると水汲み用の桶をとり、がらがらと引き戸をあけ裸足のまま外に飛び出した。山の端の雲には夜明けの陽があたり、川向こうの斜面に橙の光を流しこんでいた。
 いつも水を汲む淵におりていって、ツルが桶をひたすと、いつのまにか山の端の光はうるうると盛り上がり、村の谷間に流れこんだ。すると、対岸の野原に咲はじめたカタクリやエゾエンゴサクの花が、朝日をあびて赤紫に浮かび上がった。一瞬、ツルは手を止めて花の露の上で踊る光にみとれた。
 谷の見ると、奥の山々はまだ雪をまとって冬姿だ。それでも家の前の川は、春先の雪解け水を飛沫といっしょに吐き出して、ぐるぐる渦巻いて流れている。ちょっと恐いぐらいだ。
 ツルは、桶にいっぱい水を汲むと、両手でぶら下げるようにしながら、よろよろよろよろと家まで運んだ。
 幼い女の子には、水汲みはけっこうつらい労働だ。しかもツルの体は痩せていて、どうみても貧相で小柄なものだから、よろめくたびにバケツはゆれて水がこぼれて素足にかかる。それでも不平も弱音を吐かずに、言われたことを一心に為そうとする、それがツルの善いところだ。




    二、やん衆

 ツルの生まれたオクルケは、浜益郡浜益村つまり小樽から札幌をこえて海岸沿いにずっと北に上った石狩の国のはしのひなびた漁村だ。
背後は山々に囲まれ、谷をけずって一本の清流が流れこみ、家々は一方の川岸に身を寄せあうように並んでいた。浜も左右は切り立った断崖でふさがれ、道といえば浜沿いの斜面に七曲がりと呼ばれる小道が一本危なっかしげにかかっているだけで、これが隣村とオクルケを結ぶ唯一の道だ。
しかしこの踏み跡道も、冬がきて雪がつもるとたちまち消えて、村は陸の孤島と化してしまう。だから普段は舟が、他所への唯一の交通手段だ。
 村でいちばん大きな家は、親友のサキちゃんの家だった。サキちゃんの父さんは網元で、ヤマキチという屋号をもっていた。村にはヤマキチとマルシメという二軒の網元があって、父さんの遠い親戚だった関係もあって、漁期のときツルの父さんはヤマキチ親方の下で小舟の船頭をしていた。
 鰊の群れがくるのは彼岸過ぎだ。だからそのころになると、出稼ぎの人たちがぞくぞくと東北からやってくる。最盛期には番屋はやん衆たちでいっぱいになって、それはそれはにぎやかだ。
冬の間、吹き荒ぶ寒風と日本海の荒波のそばで、寒くかじかんでふるえている行き果ての漁村も、この時ばかりは別世界のように活気づいた。けれどそれも束の間で、漁期は三月の中ごろから四月の終わりごろまでだ。五月の声を聞くと後片付けもすべて終わって、出稼ぎの人たちは懐もあたたかかく、節句の土産を買いこんで故郷に帰っていく。だから村人にとってもやん衆たちにとっても、鰊はめでたい春告げ魚だった。
 もちろん漁期のあいだいつでも鰊がとれるわけではない。群れのことをクキと呼ぶけど、クキは数波にわかれてやってきた。大きなクキが何回も来た年は大漁だ。
 いったんクキがくると大忙しだ。けれど、準備をしながら待つときはのんびりしたもので、番屋の飯炊きをしているおばさんのところに遊びにいくと、手ぬぐいを肩からたらしたやん衆の兄ちゃんが、「ほら、じょうちゃん、飴玉やっから手だしな」などといって、呼び止めたりした。
 番屋にはいると入り口のあたりは広い土間で、上がったところには大きな囲炉裏がきられていた。やん衆たちはそのまわりであぐらをかいてキセル煙草をふかしたり、ごろんと寝そべって背中をあぶったり、おたがいの故郷の自慢をしたり。隅の方では車座になって何やら勝負事に熱中している人たちもいるし、壁側の二段になった床にうつぶせになって、ちびた鉛筆の先をなめながら故郷に残してきた家族に手紙を書いているらしい人もいた。
 でもそんなのんびりした雰囲気のなかにも、春風が福寿草をゆらすような期待と緊張感があって、やん衆たちの幾人かは、たえずこうたいで海に突き出たごろた石の突堤の先端にしつらえられた見張り小屋に張りこんで、じっと沖を見つめていた。鰊の群れが来るのを、見逃すまいと目を凝らしているのだ。また時には小舟が海に出て、網の様子をしらべもした。
 「マネがあがったぞ!」
 「クキがきたぞー!」
 見張り小屋から番屋に報せがとぶと、やん衆たちはいっせいに立ち上がり、ゴムの胴長に足をつっこみねじり鉢巻きをしめて番屋から飛び出していった。川沿いに建てられた家々からは、男も女も年寄たちも働けるものはみな持ち場に向かってかけて行く。いったんクキが来ると夜も昼もない。群遊している数日が勝負だからだ。しかも、賃金は歩合制だから、漁獲高の如何がそのまま取り分にも響いてくる。今年は地元のヤマキチが勝つか、マルシメが勝つか、それがいつも話題になった。
 ツルが桶を持ちながらふりかえると、ちょうどやん衆たちが、大声で互いに叫びあいながら声をかけ一気に舟を出すところだった。やん衆たちは、めいめい舟に乗り込むと沖に向かってこぎだした。朝日きらめく海原をめざし、小さい舟や大きい船がどっとくりだしていく様は壮観だ。もう網に着いている舟もいる。
 「父ちゃんもあのなかにいるんだな。あのなかの小舟のひとつを漕いでるはずだ。」
 網のあたりでは鰊が飛沫をあげて群遊し、泡立ち白濁した海面に朝日があたり黄金色に浮き上がった。海が白く泡立ったときは大漁だ。
 浜では女たちが、すでにモッコを担ぎ騒然としていた。ツルは、そんなやん衆や母ちゃんたちの姿が好きだ。子供は邪魔になるから出番はないけど、見ているだけでうきうきしてくる。ツルの目には祭りのように見えるのだ。
 やん衆たちは舟べりから身を乗り出し、掛け声にあわせて網を引きだした。無数の鰊が、黒光りし、ときどき銀の腹を見せてバチバチはねているのが見えた。やん衆たちのかけ声は、いつのまにか威勢のいい謡にかわり、船縁に寄せられた網のなかに大きなタモ網が突っ込まれると、すくいあげられた鰊はサンパと呼ばれる大きめの船の空いた生け簀にどっとあけられた。こうして鰊は生け簀にとんどん流し込まれていくのだ。
 「ツル、はやく水もってきて!」
 しまった、姉ちゃんの声だ。
 ほのかにだいだいを流した朝の光のなかで、日焼けしたやん衆たちが威勢よく漁をする様に見とれていたツルは、あわてて家のなかに入った。
 「朝飯がすんだら、浜まで行ってみよう。」
 麦ご飯と味噌汁をかきこんで家からでると、漁は真っ盛りだった。大量の鰊を生け簀に飲み込んで、重く沈んだサンパ船が、網から離れ次々と浜に向かってやってきた。浜ではモッコしょいの人たちが行列をなして、サンパ船の生け簀から小さめのタモ網ですくいあげられた鰊をモッコに受けて、休む間もなく丘に運び上げていた。
 モッコとは、背中にかつぐための縄のついた木箱で、鰊は船からそのままモッコに移され、モッコしょいは、それを鰊小屋まで運ぶ。こうした作業が、くりかえしくりかえし休む間もなく、網に入った鰊の群れが全部水揚げされるまで続く。
 モッコしょいは、大体が女たちの役割で、ツルの母ちゃんもモッコしょいだ。ツルが浜に行くと、船から今しがた受け取った鰊を重そうに運んでいく母ちゃんの姿が見えた。
 「母さん、あまり体丈夫でないのに、だいへんだな。」
 でも浜の女たちは、苦しそうな顔ひとつ見せずに、ときどき冗談さえとばしながら鰊を丘に運び上げ、三方を板で囲った屋根のしたに横ざまにざっと空ける。行く人、戻る人。こうした単純な作業が、だいたい二日ぐらいかかるのだが、それでも寝食を忘れ夜っぴいて行なわれるのだからゆるくない。
 「ツルちゃん!」
 振り向くと、サキちゃんだった。
 「番屋いってみよう。猫がこっこ生んだんだって。やん衆の兄ちゃんが教えてくれたんだ、土間のすみの箱で飼ってるから見てみれって。おっぱい飲んでるんだって。」
 サキちゃんとツルが番屋をのぞくと、土間の隅にいたいた、ちっちゃな豆粒ぐらいのまだ目の見えないあかちゃんが五匹、窓からもれる春の日差しのなかで無心に母さんのおっぱいを飲んでいた。
 二人がしゃがんで熱心に子猫たちと遊んでいると、背後からメシタキのおばさんが声かけた。
「おーや、サキちゃんとツルちゃんじゃないかい。手が空いてるようだね、二人でこの握り飯の箱、浜まで運んどくれよ!」
「よっしゃ、まかしな!」
サキちゃんが、やん衆の真似して答えると、おばさんはからから笑って、「ねえちゃん、頼りになるじゃないか。ほんじゃ、たのんだよ!」と、答えて土間続きの台所に入っていった。
 炊事がかりも大変だ。粘土で固めた大きなかまどに大釜を乗せて常時大量のご飯を炊く。炊き上がると片っ端から握り飯を握っては、箱に並べて浜まではこぶ。箱に詰められた握り飯は、結構な重さだ。ツルとサキはよろよろしながら、握り飯の入った箱を浜にはこんだ。
 「おーい、めしだめしだ!」
 「おー、ツルちゃんとサキちゃんじゃないかい。」
 「ありがとね!」
 「まだ、朝飯、食ってなかったもな。」
 「腹が空いてちゃ、運ぶものも運べないって。ほら、お前たちもくえくえ。」
 「熱い味噌汁の鍋も、後からくるって。」
 「おー、それはありがたい。」
 「たくあんも、たのむって言ってくれ。」
 「よっしゃ、まかしとけ!」
 サキちゃんは、またやん衆言葉を使った。母ちゃんたちは、モッコをしょいながらげらげら笑った。仕事はつらくても、浜の人たちの会話は明るい。
 正直にいって、鰊がとれはじめたらご飯を食べる暇もない。だからメシタキの人たちが握り飯をいっぱい作っては、箱に詰めたのをたくあんといっしょにあっちこっち置く。するとモッコしょいの人たちは、モッコをしょったまま握り飯を手につかんで歩きながら頬張るのだ。




春の日ざし

 鰊がとれだすと、男は沖で網を引き、女は浜でモッコを背負う日が続く。
 モッコで明けモッコで暮れる日々は、女や年寄りたちにとってはつらい労働だ。夜明け前から始まって夕暮れ遅く後かたづけが終わると、男も女も疲れきった顔をして、星明かり月明かりのなかを番屋や家路に向かう。
初日こそは浜もまだ初漁の喜びにわき返るが、漁も後半になり、群来も三波四波となるとさすがに疲れは隠せなかった。ツルの父ちゃん母ちゃんも、言葉もでないほどへとへとになって帰ってくる。母ちゃんは、父ちゃんより一足早く帰ってくると手早く着がえて、浜からもらってきた鰊を焼きはじめた。
「母ちゃん、飯炊いといたから。」
 姉ちゃんが言った。
 忙しいときは夕餉の下準備をするのは姉ちゃんだ。夕餉といっても三度三度の麦飯を炊いて、あとは春ならコゴミやアズキナといった山菜のおひたしを用意するくらだ。それにとれたての鰊。新鮮な鰊は、焼くと油がしたたって本当においしい。けれど毎度の晩飯まで鰊となると、さすがに勘弁してほしいという気にもなる。それでもたいそうなごちそうなのだから、文句は言えなかった。
夕餉のしたくが出来上がったころ、ガラガラっと玄関の戸を開ける音がして父ちゃんが入ってきた。父ちゃんは、体から引きはがすように胴長をぬぐと奥で着がえ、物もいわずに囲炉裏の端の横座にどっかりと腰を落とした。そこは絶対に子どもはすわってはならない場所だ。
「おい、酒だ!」
いつものように、父ちゃんは言った。
 母ちゃんは、土間のすみから焼酎の入ったビンを出すと、茶碗に酒をついでわたした。焼酎が切れているときはどぶろくだ。父ちゃんは、ものも言わずに一気に茶碗酒を飲みほすと、今度は自分でついで飲み始めた。父ちゃんが飲んでる間に母ちゃんは焼き魚を出し、土間に近いところに並んだ子どもたちの椀に麦飯をよそった。
漁期のあいだは父ちゃんも母ちゃんも疲れきっているものだから機嫌が悪いし、あまりものを言おうとしない。うっかりよけいなことを言おうものなら、酔った父ちゃんに怒鳴られるのが落ちだ。
 父ちゃんは、焼いた鰊を肴にして茶碗酒をしこたま飲むと酔いがまわり、最後にてんこ盛りによそった麦飯に汁をぶっかけてがががっとかき込むと、「寝るぞー」といったままふらふらと立ち上がり、そのまま寝床にたおれこんだ。そうでもなければ囲炉裏の端にごろんと横になったまま、ごおごおといびきをたてはじめるのだ。そんなとき母ちゃんが「ツル、父ちゃんに布団かけてやれ」と目くばせする。母ちゃんも泥のように疲れきっているから、時には食事を食べながら舟を漕いでいたりした。
「母ちゃん、もう休め。明日も早いから。」
姉ちゃんが言うと、母ちゃんは口の端にほっと笑顔を浮かべた。
「そうだ、後かたづけしとくから、寝れ寝れ。」ツルも言う。
 そんなわけで、後かたづけと兄弟たちを寝かしつけるのは、姉ちゃんとツルの仕事だ。
ツルは鍋に箸や茶碗をいれると、食器を洗いに外にでた。流れの音にさそわれるように川に下りると、星影が淀みにうつってゆれていた。見上げると、満天の星空。あれが学校でならった北斗星だな。今日は星たちもしばれてないな。冬の星たら、まるで氷のかけらのようだった。鰊がこれば春だもの。
それにしても母ちゃんは、大変だなあ。明日も夜明け前から起き出して一日モッコしょいだもの。でもモッコを背負うのも明日までだ。
 沖上げが終わりモッコしょいが一段落すると、それで作業が終わったわけではない。鰊をサカス仕事がまっていた。サカスというのは、鰊の腹を裂いて白子と数の子を取り出す作業のことで、内側だけ刺した手袋をはめてする。えらをつかむと親指を魚の腹につっこんで尾に向かってざっと裂く。裂かれた腹からは、雄ならば白子、雌ならば金色に輝く数の子がぬめりながら出て。それをそれぞれの箱に投げ入れた。
 腹を裂かれた鰊は、よった藁をえらに通してしばって、十数匹をまとめて鰊干し場に持っていく。えらに藁を通すときには竹筒を使った。これはよく工夫されていて、竹筒の中に藁の固くなったほうを入れ、竹筒の先をエラに通し、十匹か十二匹前後の束になったら竹をポンと抜いて藁の両側をしばる。こうして束ねられた鰊は、ナヤに運ばれつぎつぎと吊されていった。
ナヤといっても納屋とは違って屋根があるわけじゃない。露天に太い丸太が二段に組まれ、そこにさらに枝がわたされちょうどオダに大根が干されていく要領で鰊の束がかけられていくのだ。ところがなにしろ鰊の量たるや膨大なものだから、ナヤときたらまるで不思議な建物が浜にこつぜんとあらわれたようで、それが時々風に揺れる姿ときたらまるでムカデの化け物がはってるようだった。
ナヤの鰊があるていど乾いたら、今度は腹のところに切り込みを入れてミガキをつくる作業がはじまった。そして完全に乾いたら、腹の部分のササメをとって頭のついた鰊を束ねて出荷だ。これがいわゆる身欠き鰊で、ササメの方は自家用だ。
一方で活きの下がった鰊は、大釜に入れて煮た。こうして煮上がった鰊は、圧搾機にかけて油をしぼり、しぼりかすはムシロに干して肥料になった。鰊をサカシたり束ねたりするのは女の仕事で、高い場所の鰊かけや圧搾の仕事は男たち。漁の後もこうした作業が半月ほど続く。女たちは気のあったものが集まって、世間話をしながら一連の流れ作業を進めていく。ときどきそんな輪の中に手の空いている男が入ると「裂かれた鰊の色ときたら、姉ちゃんのあそこみたいで活きがいい」などと冗談を言って女たちを笑わせた。こんなところにも漁場の春の風が吹く。
 女たちは報酬を、賃金ではなくて鰊でもらった。何日働いたらモッコで何杯と決まっていて、鰊の山にそれぞれの名前の書かれた札が立ち、めいめい生の鰊を家に持って帰ってミガキにしたり糠漬けにした。そのほとんどが自家用で、一年間の保存食だ。
 いっぽう男たちは漁期が終わると賃金をもらう。賃金は歩合で決められていた。けど漁期自体が短いものだから年間の収入をまかなうほどではない。だから村の人たちも、五月半ばの桜が咲くころになると、札幌や石狩当別のほうへ田植えの出稼ぎにでていく。それでも節句が終わって鰊かすが乾くまでは骨休めの期間で、このころになると鰊ではいった現金収入を目当てに村にいろいろな人が訪れた。
 漁が終わってまずやってくるのが行商人だ。反物とか髪飾りとか、細々としたものをいっぱい箱に背負ってやってくると玄関先や辻端で店を広げる。ツルの家は子沢山であんまり豊かではなかったから、しょっちゅうは買ってはもらえなかったけども、見ているだけでも楽しかったし、たまたま父ちゃんが上機嫌でちょっとした髪飾りなどを買ってくれた時なんかは、小躍りするほどうれしかった。
 それから見逃せないのがお芝居とか、芸人たちだ。
 芸人や芝居が来ると、学校の坂からも赤とか青とか字の書いたノボリ旗がたつのが見えて、ああ今日は芝居が来ているなとすぐにわかった。教室に飛び込むと、いつもと違ってみんなの心が浮き浮きとしているのがわかる。
「ねえねえ、何来てんの。芝居、映画、浪花節?」
 子どもたちは居てもたってもいられない。村には芝居小屋はないけれど、大家さんの家が芝居小屋にかわった。
「芝居らしいわ。」
 「寛一お宮だって。」
「それ、去年映画でみたお話でしょ。あの弁士の人、すてきだったわ。」
「でも映画ったら、いいとこになるとチラチラするんだから。」
「ねえねえ、今年の主役はどんな人。」
みんなの目はチヨちゃんに向けられた。チヨちゃんは同級生で、大家さんの娘だから何でも知っている。
ツルも芸能は大好きだ。映画も浪花節も歌舞伎も芝居も民謡もききにいった。父と娘の旅芸人や、津軽のほうから目の見えない人が来て三味線で唄ったりすることもある。芝居旗が上がった日、ツルは学校が引けると大急ぎで帰った。といっても家にはお金がないし、父さんや母さんが木戸銭を出してくれるわけはなし。でもそこは友達のチヨちゃんの顔で、ツルやサキはお金もださないでしのびこむ。なによりも好きだったのは、役者がお化粧をするところを見ることだった。役者部屋をこっそりのぞくと、今までふつうの人だった役者たちが魔術をかけられたようにみるみる変わっていく。
節句のもう一つの楽しみはベコモチ作りだ。うるちまいともち米をうるかしてついて粉にしたのをふるいにかけて、こねて黒砂糖をいれたり食紅をいれたりして色をつける。それをまるで粘土細工を作るように、赤い花の形に作ったり顔を描いたりして、それを蒸すとあとは採ってきた笹に包んでできあがり。
漁期が終わって節句開けまでは骨休めで、ツルにとっても村の人たちにとっても盆と正月に負けない楽しい時期だ。
父さんの楽しみはお酒を飲むこと。母さんの楽しみはホオビキだった。ホオビキというのは勝負事で、細引のようなロープの束のどれか一本に八文銭という四角の穴の開いたお金を十個ぐらい付けたのを親になった人が隠し持つ。するとみんながいっぽんずつひっぱって、八文銭がついたのをとったひとが一銭なり二銭なり賭けたお金をもらう。母さんは、こういう勝負事がだれそれのところであるからといっては出かけていった。
 そんなことしか楽しみがないえばそれまでだが、その後経験した開墾の生活と比べれば、漁村の生活は楽しかったと晩年になってツルは思う。
漁の仕事はきびしかったけれども、隣近所が近くて共同でする作業も多かったから、そのには人との交わりがいつもあった。しかし、開拓地はほんとうに家が少ないし人も少ないから、人に会うこともないし話したくても話もできない。それに開拓の仕事はどこまでやっても区切りがなくて、いつまでも働かなければならないので、開拓に入った最初のころは本当にさびしかった。それに比べると漁村のほうがずっとにぎやかで、鰊もいつでもとれるわけじゃないから、仕事に区切りができるのだ。




かすり柄

五月の節句が終わり、鰊漁が嵐のように過ぎ去ると、木々がいっせいに若葉を広げ、北国の五月は怒濤のように押し寄せてきた。下草も日に日に緑を濃くし、小鳥たちは冬の厳しさから解放された歓びを、ノドの奥から蒼天にとどけとばかりにさえずり歌う。ウドなどをとりに山にはいると、シカたちが軽やかな姿で流れを渡り、時おり川沿いの砂の上に大きな親グマとそのまわりをまとわるようについていく小熊の可愛らしい足跡をみるのもこのころだ。 
 ツルは、家の前に流れる川にかけられた橋の上にすわって、足をぶらぶらさせながら、雪解けの水のいっぱいに満ちあふれた流れを見おろしていた。
 「父ちゃん、今朝、出稼ぎにいったんだな。」
 家はなんとなく普段と違ってひっそりとして、母ちゃんが、家の前で一人ミガキを束ねていた。
 五月の節句が終わったので、村の男も女も出稼ぎに出た。初夏なら田植えの出面、夏は草とり。お盆には帰ってきて一休みするけど、終わると今度は芋掘りや稲刈に行って十一月の末頃に帰ってくるのだ。だから夏の間じゅう両親はほとんど出稼ぎにでていて、子供の面倒はお爺さんやお婆さんが見る。そんなわけで、節句が開けると村には老人と子供だけが残るのだ。でもツルの母ちゃんは、あまり体が強くないので、ほとんど出稼ぎにでなかった
 父ちゃんは、節句が終わったので大きな鋸をもって木挽きに出た。冬の間に山から切り出された太い丸太を鋸でタテビキして、柱とか船の材料を製材するのだ。父ちゃんは手に技を持っているので、出稼ぎといっても隣村の親戚のところに行くぐらいで、出面にくらべると実入りも比較的いい方だった。
 父ちゃんがいないと、家の中はちょっぴり寂しい。でも母さんは少しほっとしているようだ。なにしろ父ちゃんはお酒を飲むと手がつけられない。お酒さえ飲まなければいい人なんだがねえ、と母ちゃんは良くこぼした。しかもここ数年、父ちゃんの荒れようはひどくなった。家にいると昼間からお酒を飲んで、大声で怒鳴りちらすものだから、ときどき母ちゃんは怖ろしくなって子供をばあちゃんのところに追いやった。
 なぜ荒れるのか、ツルには何となく思い当たるふしがある。あの怖ろしい出来事が起こったのは、一昨年の夏のことだ。
 その日、父ちゃんは出稼ぎにでていた。そこに隣村から伝令が来て、父ちゃんが怪我をしたという知らせが届いた。そこで、急きょ母ちゃんが看病にいくことになった。
 母ちゃんはツルを呼ぶと「父ちゃん怪我をしたらしいから、母ちゃん、姉ちゃんと親戚のところに行ぐからね。心配すっな。おまえは弟と、ばあちゃんのところに泊まることになってるから、弟をたのんだよ。」
 ツルは小さい弟の手を引いて母ちゃんを浜まで見送った。
「母ちゃんきいつけてな。おらたちのことは、心配しなぐていいから。」
 どんよりと今にも雨がふりそうな雲行きのなか、母ちゃんは一番下の妹をおぶい、姉ちゃんと親戚のおじさんの漕ぐ小舟に乗り込むとうねりにもまれながら岸を離れた。
「かあちゃーん、かあちゃーん、かあちゃーん!」
 小さい弟は、小舟にのって次第に遠ざかる母ちゃんの姿を見て、心細くなったのか激しく泣いた。
「しんぱいすっなー、父ちゃんすぐ良くなるだろうし。そしたら母ちゃん、すぐ帰ってくっからなー!」
突然泣きはじめた幼い一人息子の姿に、母ちゃんも切なくなったのか、目に涙を浮かべて叫んだ。しかし、小舟は湾を横切るとたちまち岬をまわって消えた。
 ツルが弟をつれてばあちゃんの家に行くと、ばあちゃんは弟の涙と鼻水がべっとりついた顔を腰の手ぬぐいでふきながら言った。
 「おやまあ、まあ。まだ赤ちゃんだねえ。さあさ、なかはいってスモモをおあがり。もいだばかりでうめえぞ。」
翌日ツルは、ばあちゃんにつれられて弟と従姉と畑に行った。
 畑といってもごく小さなもので、日々食べるぐらいの野菜がうわっている程度のものだが、それでも自給自足に近い村の生活に貴重な青物を提供してくれていた。
 畑は川向こうにあるものだから、ばあちゃんを先頭に子供たちは歌をうたいながら橋を渡った。橋といっても渡した丸太に横板を打ちつけた簡単なもので、すれ違うのがやっとといった幅しかない。大水がでるとよく流されるし、ところどころ腐った場所があったりして危なっかしい。
 「ほれ、気つけるんだよ。足もとよくみて渡れ。落ちたらいのちないぞ。」
確かに川は、泡をふいて渦巻き流れている。じっと見つめると目がくらくらするものだから、ツルはあわてて向こう岸に渡った。
「おまえたちは、草取り手伝わんでいいから、あっちでエンドウ摘んどくれ。」
 そういうと、ばあちゃんは畑の草取りをはじめた。ツルは弟の手をひっぱって、従姉といっしょにサヤエンドウの畝にいった。真っ白な花がまっさかりで、ときおり夏かぜにゆれている。
 「みっけた。ツルねえちゃん、エンジョウみっけ!」
弟が叫んだ。枯れ枝を地面に刺した支柱をのぞくと、緑の蔓のなかにサヤエンドウがのぞいている。よーく見ると、他にも沢山の実がついていた。
 「エンドウ豆さん、かくれんぼだね。」
 ツルが言うと、母ちゃんが行ってしまってすっかりしょげていた弟もやっと笑った。
 やっぱり男の子は可愛い、とツルは思う。それに得だ。父さんも母さんも目を細めて息子を見るし、ばあちゃんや近所の人からもかわいがられる。ツルの家では、姉ちゃんも去年生まれた赤ちゃんも女の子だし、わたしが生まれたときなんか、父ちゃんも母ちゃんも女の子でがっかりしたんじゃないだろか。
 「ツルねえちゃん、エンジョウあげる。」
 弟がサヤエンドウをちぎってツルにさしだした。
 「上手に取れたねー。」
 ツルは受け取ってかごに入れた。
 こうして午前中いっぱい畑で過ごすと、ばあちゃんが向こうからよんだ。
 「さあ、帰ってお昼のまんま食おう。」
ばあちゃんはツルたちがとったサヤエンドウと菜っぱの間引いたのをいっしょに背負いかごに入れると歩き出した。橋まで来ると、ばあちゃんが先頭にたち、ツルが続き、その後を弟が追い、数珠つなぎになって最後に従姉が渡りだした。
ところが橋の途中まで来たときだ。一番後ろを歩いていた従姉が、突然激しい悲鳴を上げた。ツルがふりかえると、後ろを付いてきたはずの弟の姿がない。
 次にばあちゃんの悲鳴が聞こえた。
見ると橋の横板はツルの後ろですっぽり抜け、その下の白く渦巻く急流に、かすりの着物が飲み込まれようとしていた。
 「だれかー、だれかー。子供が落ちたー!」
 ばあちゃんは、半狂乱になって叫んだ。 
「ツル、助けを呼べ!」
ばあちゃんに言われて、ツルは我に返ると、草履をかなぐり捨てて裸足で走った。家に飛び込むと、ちょうどおじさんが昼寝をしていた。ツルの話しに、おじさんは血相を変えて飛び出すと、着物のまま裏の川に飛び込んだ。しかし、昨日の雨で水量も多く水も濁り、いったん水中に飲み込まれた弟の姿はなかなか現れない。
村の人々もみな出てきて、総出で水に呑まれた弟を捜した。雪解けの水は冷たく、一刻の猶予も許されない。ばあちゃんは、気がふれたようになって、腰まで水につかりながら川を上ったり下ったりして弟の名前を呼んだ。次第に重苦しい雰囲気が漂い、結局それから数時間後、弟はおじさんの家からちょっとさがった、川を使うときに渡す洗い板に引っ掛かっているのが見つかった。
 それから後のことをツルは、なにも覚えていない。弟の葬式も覚えていない。両親の様子も覚えていない。ただこの事件の後から、父ちゃんの飲酒癖がさらにひどくなったような気がする。泥酔すると父ちゃんは「稼ぎもしない、役立たずの女ども!」とどなって母ちゃんに茶碗を投げつける。そんなとき母ちゃんは、あわてて子供たちを外に出した。
ツルは、橋の上に座って、白く泡立つ流れを見ながら思った。 なぜ自分が落ちずに、弟が落ちたんだろう。もしあの腐った平板をわたしが踏んでいたら、弟は今も元気で、やがて大きくなったらりっぱな漁師になって貧しい家計を支えたに違いない。
 神隠しにあったように消えた弟の、かすりの着物の柄だけがいつまでも目に焼きついて離れなかった


    父ちゃん

 父ちゃんは、よく酒を飲んだ。
酒といっても、ふだん飲むのは自家製のどぶろくで、木鉢の大きいのに米粥をといて、なかに麹をいれて発酵させたものだ。だから見た目も清酒とは違って、かすかに黄ばんでどろっとしていて、つんと鼻を突くすえた匂いに強い酒の香が混じる、といったものだ。
それにしても昔の人は、よく飲んだとツルは思う。
 とりわけ北海の漁師さんたちは、肌を咬むみぞれ混じりの寒風のなかでの出漁や、巨大な夕陽をうけての大漁帰港、うんともすんとも魚のかからない腐れ沢庵のような不漁など、大げさに言えば生死をかけた荒波が心身を激しくゆさぶるものだから、陸に上がるといっきに気持がゆるむらしく、父ちゃんも玄関から入って囲炉裏端にどっかと腰をすえると、手は自然と酒に向かって伸びているのだった。
 こうした寒村で男たちが酌み交わす酒は、演歌のように涙で飲むものでも、愚痴や憂さ晴らしで飲むものでもなかった。それは、怒濤のような春の目覚め、吹き抜ける夏風、派手な紅葉、たれこめた雪雲や風雪と同じものだった。酒は、湿った情緒を吹き飛ばし、寒さでかじかんだ体を一気にほぐし、凍えた神経をどっと溶かし、陸揚げを終えた舟の甲板にこびりついた魚の血を、バケツで汲んだ海水で一気に洗い流すようなものだったのだ。
 父ちゃんは、どぶろくをどんぶり茶碗になみなみとそそぎ、一息にあおって飲み干す。そんな姿を見ると、ツルは、なぜか断崖から飛び立つウミネコを思い出す。最初のいっぱいを飲み干すときの父ちゃんの顔は、とてもいい。しかし、問題はその後なのだ。
 飲んでは酔っぱらい、酔っぱらってはまた飲む。祝い事に呼ばれた時などは、ここぞとばかりにしこたま飲んで、べろんべろんになって帰ってきた。それですぐ寝てしまうのだったらまだしも、飲むほどに酒癖が悪くなり、あげくの果てに、どぶろくが切れたときなどは最悪だった。
 「酒、買ってこい」と言って怒鳴りだす。
 むろん、そんなお金があろうはずがない。母ちゃんがたしなめようものなら、茶碗でも薪でも、手当たり次第ものが飛んだ。そんなとき母ちゃんは、あわてて子供たちをつれて外に逃げ出す。すると、玄関先までふらふらと出た父ちゃんは、「テメーら、二度と敷居をまたぐんじゃねえ!」と怒鳴ったあげく、バチンと引き戸を閉めて、そのうえしんばり棒で戸が開かないようにしてしまうのだった。
母ちゃんは、夜露が降りた草端で、母鳥が雛を抱くように子供たちをかかえ、しばらくたたずんでいた。背後では川の音がし、星の間を羅紗のような薄い雲がながれ、草むらからは虫の声がした。ツルは、そっと母ちゃんの手を握った。家の中からは相変わらず、うめき声とも怒鳴り声ともつかない音が聞こえてくる。
 「母ちゃん、大家さんの所に泊めてもらおう。」
 母ちゃんは、うなずいた。こんな日には、大家さんのところに頼んで、泊めてもらうしかないのだ。
しかし、父ちゃんには優しいところもあった。東京で大地震があったとき、どこで聞いたのか、東京へ行ったら仕事があるんだ、といって父ちゃんは出稼ぎに出ていった。浜まで見送った日は快晴で、頭上をウミネコが飛び回って鳴いていた。
 父ちゃんにとっても、東京ははじめての世界だった。布団を入れた大風呂敷を背中に背負い、磯舟に乗り込む父ちゃん顔は昂揚を隠せない。父ちゃんは、目を細めて機嫌よく笑いながら、子供たちの頭を一つひとつ撫で、幼い一番下の弟を片手で軽々と抱き上げながら言った。
 「父ちゃん、いっぺえ働いて、おみやげどっさと買ってけるからな。」
「おみやげよりも、無事帰ってくだなさいな。」
母ちゃんが言った。なぜか母ちゃんも、うきうきしている。
 ツルは、父ちゃんが行く東京を想像した。電気というものがあって、夜でも煌々と明るいらしい。それだけでも想像を絶する事なのに、そのうえ汽車や自動車が走っていて、人々の服もハイカラで、団子や菓子がいつでも買える。ライスカレーという食べ物もあるらしい。映画や芝居も年中かかっていて、どうやら東京は、盆と正月が毎日いっぺんに来たような場所らしいのだ。
 ツルは、オクルケから一歩も出たことがなかった。寒村には電気もなく、ランプも油代がもったいないからすぐに消してしまう。だから、月明かりのない夜の村は、一寸先も見えないほど真っ暗だった。ツルは、牛や馬すら見たことがない。まして汽車や自動車なんて、旅回りの役者さんの話から想像するだけだ。オクルケには、豚もいなかったから、ほとんど肉というものを食べたことがなかった。肉と言えば、数年前の正月にあばさんのところでつぶして食べた犬の肉が最初で最後だ。だから、ライスカレーやスキヤキなどという食べ物は、想像もできないものだった。
 ツルにとって東京は、あこがれと言うよりも夢、夢と言うよりも幻想に近い。そんなところに父ちゃんが行くというのだ。想像しようにも、想像できないので、ツルは東京について考えるのをやめた。頭上では、相変わらずカモメが鳴いていた。
磯舟に乗り、沖合のぽんぽん蒸気に乗りうつると、船は岬をまわって消えた。出稼ぎに出た父ちゃんから、手紙が来ることはない。字が書けないからだ。父ちゃんは、突然出かけて、何の前触れもなく帰ってきた。
 ある晴れた春の昼下がり、学校が終わりツルがサキちゃんと外で遊んでいると、父ちゃんがふらっと現れた。ツルは、不思議なものを見るようにぽかんと父ちゃんの顔を見ていると、父ちゃんは、ニヤッと笑った。
 「父ちゃん!父ちゃんが帰ってきたよー!」
 ツルは我に返って叫ぶと、その声を聞いて母ちゃんがあわてた様子で家から飛び出してきた。姉ちゃんも弟を抱いて、かけよってきた。
 「おお、みんな元気か。」父ちゃんは、ちょっと照れたように言った。
 「うん。」
 「お前たち、いい子だったか。」
 「うん。」
 「みやげあるぞ。」
「わーい。」
 家にはいると、父ちゃんは、どっさと背中から大風呂敷を降ろした。
「やれやれ、ようやく帰ってきた。」
 父ちゃんはそういうと、大きくふくらんだ風呂敷包みをといた。姉ちゃんも母ちゃんもツルも、待ちきれないように父ちゃんもまわりを取り巻いている。父ちゃんは、おもむろになからざら紙でくるんだ包みを取りだした。
「これが、母ちゃんのだ。」
 「これが、姉ちゃん。」
 「ツル。」
 ツルは、ふっくらと柔らかい包みを受け取った。
 「あんた、こんなに奮発していいのかい。」
 隣で、母ちゃんのうわずった声がした。包みの中からは、このあたりではめったに見られないネルの着物が出てきたのだ。
 ツルも包みを開いてみると、すてきなマントが出てきた。ツルは言葉を失った。
 「ありがとう父ちゃん。」 同じマントをもらった姉ちゃんが、横で言った。
 ツルはマントを抱きしめて匂いをかいだ。かすかに甘い匂いがする。これが東京の匂いだろか・・・。
 後から小耳にはさんだ言葉では、父ちゃんは、どうやらたいした稼ぎもなく帰ってきたらしい。賭博で使い果たしてしまったようだ。でも、ツルにはそんなことはどうでもよかった。母ちゃんにしたって、そうだっただろう。すてきなマントを買ってきてくれたのだから。たくさんお金を稼いだって、寒村で贅沢な暮らしができるわけでなし。どうせ父ちゃんの酒代で消えてしまったことだろう。
 それからしばらくたつと、父さんは、今度は樺太にいくと言いはじめた。流送といって、山で切った材木を川に流し、河口まで運ぶ仕事のためだ。東京では都市化が進み、つぎつぎと新しい家屋が建てられていたから、それに使う木材が不足し、世は木材景気にわきたっていた。そんなわけで、近隣の村からもたくさんの男たちが流送の仕事をもとめて出稼ぎにわたった。父ちゃんも、そんな出稼ぎ組の一人だった。


旅立ち
 
 父ちゃんが、樺太に出稼ぎに行ってから半年が過ぎようとしていた。
 母ちゃんは、五人の子どもをかかえたまま、ほとほと困り果てていた。樺太に行った父ちゃんからは、なんの仕送りもなかったからだ。たくわえもつき、父ちゃんの後を追って出稼ぎに行きたくとも、五人のこどもをかかえたままではとうてい出られようはずもない。借りられるお金はみな借りたし、これ以上近所に迷惑もかけられなかった。
万策つきはてた母ちゃんに残された唯一の道は、父ちゃんの後を追って樺太に行くことだけだった。
 それにしても、五人も子どもをすべて連れて樺太に行けるだろうか。乳飲み子をかかえての道中も思いやられたが、たとえ樺太にたどり着いたとしても、ここより北での生活は、はるかに厳しいにちがいない。親戚もなく、稼ぎもままならないところで、五人も子どもを養うのは不安だった。オクルケですら精一杯の生活だというのに、樺太に行ったら、冬の間などひょっとしたら食べるものもなくなって家族が飢え死にするかも知れなかった。
 連れていく子どもはできるだけ少ない方が良い。母ちゃんがそう考えたとしても、当然だ。
 ある日のこと、学校から帰ったツルが玄関を開けると、母ちゃんは一番下の弟をおぶったまま、台所の窓からぼんやりと外を見ていた。
 「ただいま。」
 ツルは、囲炉裏端に風呂敷包みにはいった教科書を置くと母ちゃんをみた。最近の母ちゃんは、ぼんやりしている。ツルが帰ってきたのに、気がつかないのかしら。
母ちゃんは、ツルの方を見ようともせず、窓から外をながめたまま言った。
 「ツル。お前、帯広のおじさんのところさ行くのどうだ。」
 「えっ。」
 ツルは一瞬、母ちゃんが何を言ったのか理解しかねた。
 「あのなあ、ツル。母ちゃん、父ちゃんのいる、樺太さあ、行こうと思ってる。けどな、子どもたちみんなつれては、とっても行かんねえ。だからな、ツルは、帯広のおじさんとこ行ったらどうかと思ってな。おじさんも、子ども一人なら養ってやると言ってるし。」
母ちゃんが樺太に行くということも、自分が帯広に行くということも、あまりに突然の話しだった。ツルは何をどう考えて良いのやらわからなかった。以前、青森のおじさんのところに、養女にどうかという話がでたときは、母ちゃんはツルを手放そうとはしなかったのに。
黙ったまま土間に立っているツルを見て、母ちゃんは言葉をついだ。
 「父ちゃんからは仕送りこないし。食べ物を買うお金もないし、出稼ぎにも出らんない。父ちゃんたら、生きてるんだか死んでるんだか。」
 背中の赤ちゃんがむずかったので、母ちゃんは、背におぶっている乳飲み子をゆすった。目を覚ましかけた赤ちゃんは、背中でゆられてまた眠り込んでいくようだった。
母ちゃんは、深いため息をついた。
 ツルには、母ちゃんがほとほと困り果てているのがよくわかった。しかし、だからといって、オクルケから一歩も外の世界に出たことがないツルが、突然家を離れて帯広にいくだなんて。もし母ちゃんに言われたのではなく、帯広のおじさんが迎えに来たのだとしたら、ツルは泣いて嫌がったかもしれない。しかし、ツルの前には、困り果てた母ちゃんの顔があった。そこには、即座に嫌とは言えない空気がただよっていた。
 母ちゃんはまたため息をつくと、ぼんやりと外を見た。
それ以上母ちゃんは何も言わず、ツルも何も聞こうとしなかった。
 それから数日して、母ちゃんは、姉ちゃんと弟とツルの三人をおばさんの家にあずけると、ツルと弟がまだ眠っているうちに朝早く起き出して、まるで夜逃げでもするかのように、一番下の妹とまだ乳飲み子の弟を連れて樺太に旅だっていったのだ。
 ツルが旅立つ日は、それからさらに数日後にやってきた。
おばさんの話によると、隣村に村岡さんという人がいて、毎年秋になると帯広のおじさんのところに働きに出ているのだが、その人がちょうど用事で帯広に行くことになったから、ツルもいっしょに連れていってもらうことになったというのだ。
 村岡さんが来るという日の前日、少しでもこざっぱりさせて送り出したいという配慮からだろう、おばさんは浜で鰊を炊くときに使う鉄の大釜に水を張って湯をわかし五右衛門風呂を炊いてくれた。ツルは、まるで鰊のように、釜の中でこすられみがかれた。それでぴかぴかになれば良いのだが、やせっぽちのツルの姿は、磨いてもまるで泥つきゴボウだった。
 翌日の朝、外で大きな声がした。
 「おーい、むかえに来たぞー。」
その声は、磯舟こぎのおじさんの声だということは、ツルにもすぐにわかった。とうとうツルが村を離れる時が来たのだ。
 小樽行きのぽんぽん蒸気はオクルケの浜までは近寄れない。そこで、船が沖合に停泊すると、お客は磯舟に乗り込んで船まで送ってもらう。ツルの父ちゃんが、東京に出稼ぎに行ったときも、浜から磯舟にのって沖合に行き、そこで蒸気船に乗りうつったものだ。その磯舟をこぐおじさんが、今日は玄関までツルをむかえに来たのだ。
おばさんは、玄関先でおじさんに、蒸気船についたらツルを村岡さんという人にあずけるように頼んでいる。ツルは、自分がどこへ行くかはわかっていた。まだ会ったこともない、帯広のおじさんとおばさんのところに行くのだ。それが、親から離れることだということも理解できた。しかし、ツルには、なぜ自分だけが帯広に送られなければならないのか、その理由はわからなかった。
おばさんは、せかすようにツルを磯舟こぎのおじさんにわたした。姉も弟も家のなかでまだ眠っているのか、別れの挨拶をかわすことはなかった。まして、父ちゃんも母ちゃんも樺太に出ていて村にはいない。
 「元気でな。」
 おばさんから受け取ったこの言葉が、唯一の見送りの言葉だった。
 ツルは、おじさんに手を引かれると、浜へつづく道をおりていった。ふりかえったときには、もうおばさんの姿はなかった。
浜まで来ると、ツルはおじさんに抱っこされて磯舟に乗せられた。沖合では、すでにぽんぽん蒸気船が停泊していた。
 今日のお客はツルだけだった。おじさんは磯舟を押し出すと、小舟は静かに浜を離れた。空は薄曇りで、暑くもなく、雨も降らず、風も吹かず、まるで息を詰めたようにひっそりとしている。小舟は凪いだ海のうえを、かすかにゆれながら進んでいった。ぎいっぎいっと手漕ぎの櫓の音だけが海にひびく。
沖合に停泊中の小型蒸気船までくると、船縁には村岡さんらしい人が立っていた。ごま塩頭の無口なおじさんだ。
 磯舟は、蒸気船の横に着くと、船頭さんはツルを抱いて村岡さんに渡した。村岡さんは、ツルの手を取ると蒸気船の甲板に引き上げてくれた。
「ツルちゃんだね。」
 村岡さんは、ツルの手を離すと行った。
 「おじさんが、帯広のおじさんのところまで送っていってあげるからね。心配しなくてもいいよ。」
 ツルは、うなずいた。
「荷物は、何もないのかい。」
 ツルが、風呂敷包み一つ持たずに、着た切り雀で乗り込んできたので村岡さんはちょっと驚いた様子だった。船に乗り込んできたとき、ツルは何も持っていなかったし、また持たされてもいなかった。着替えの服も下着も、子どもの頃大切にしていた人形や思い出の品もなかった。おじさんへのみやげ物すらも持たされずに、着の身着のままで帯広に旅立とうとしている十歳の少女を見て、村岡さんは言葉に詰まった。誰が見ても、この子は口減らしとして家を出るのだと言うことが見て取れたからだ。
 そんな村岡さんの気持ちがわかろうはずもなく、ツルは乗船すると、村岡さんの横にちょこんと立った。一方の磯舟にはオクルケの人々が食べる味噌や醤油が積みこまれ、船頭のおじさんはツルに一言「元気でな。がんばれよ」というと、浜に向かって漕ぎだした。
 蒸気船が、出発の汽笛を鳴らすと、おじさんは振り返った。ツルが手を振ると、おじさんは手を振りかえした。
 蒸気船が沖に向かって走り始める。磯舟がどんどん小さくなる。そしてツルが生まれ育った村オクルケが遠ざかる。姉ちゃんと弟はどうしているだろう。
 ツルが乗り移った船は、ぽんぽん蒸気といって、おもに米とか味噌や醤油といった生活物資を運ぶ小樽がよいの小型蒸気船だ。見ると乗っているのは、出稼ぎに出る村岡さんの兄弟とツルと船長さんだけ。
 船は白い波しぶきをたてて進み、みるみるうちにオクルケ村は見えなくなった。
その時のツルの胸の内は、寂しさでもなく、悲しみでもなく、新たな世界への旅立ちへの期待でも不安でもなく、ツルはただ運命のなすがままに十歳の子どもらしく、そしてツルらしく、一人生まれ故郷を離れたのである。ツルには、帯広に送られた理由はわからなかった。ずっと後になって、母が歳をとってから聞いたところによると、ツルが帯広に送られた理由は純粋に経済的なものだった。父ちゃんの樺太での稼ぎは、案の定、酒と博打ですべて消えていたのだ。




       街の灯

 ツルがオクルケを離れたのは、八月のお盆を過ぎたころだ。
 手こぎの磯舟から小樽通いの蒸気船にうつったツルは、村岡さんの手に引かれて、船倉に降りていった。船といってもぽんぽん蒸気の船底は狭く、中には米俵にまじって醤油や味噌の樽、どこで仕入れたものか毛皮や干した魚や昆布の束が無造作に置かれていて、魚醤のような強烈な匂いが鼻を突く。
その日、客として乗っているのは村岡さんと村岡さんの弟、そしてツルだけだった。船底に降りると、一隅に小部屋があって、どうやら人はここに乗るらしい。床にはムシロがしいてあり、座るためのイスもベンチも見あたらない。小部屋の大きさは、大人なら七、八人がやっと、無理して詰め込んでも十人でいっぱいだ。船はどう見てもお客をのせるための乗合船には思えなかった。
 それもそのはずである。ツルが乗ったぽんぽん蒸気は、もともと小樽で米や醤油や味噌を積んで沿岸の村々に運んで届け、帰りには地域でとれた海産物などを積んで帰る、荷船だったのだ。
本来荷船に人を乗せることは許されていない。客はいったん船倉に降りると、船長の声がかかるまでは甲板にでることはできなかった。
 乗船客は狭い小部屋に閉じこめられたまま、絶え間ない上下の細かな振動と、ブランコにでも乗っているかのような左右の揺れから、船が外海に出て海上をゆるやかに進んでいることを感じるだけだ。
「お嬢ちゃん。きぶんわるくないかい。」
 村岡さんが、心配して聞いてくる。
 ツルは、かぶりをふった。
村岡さんは、ツルがこれから行く帯広のことを話し出した。町の様子、叔父さんの家の様子。叔母さんのこと、ハツさんという女学校に行っている娘さんのこと。
 ツルが心細いだろうと思って話しかけているのだが、ツルはほとんど聞いていない。無理もないと村岡さんは思った。町も電気も、牛馬すらも見たことない子だもの。都会の生活に関心を持ったことも憧れたこともない子だもの。村岡さんには、ツルが自分の置かれた状況を理解することすらやっとであることが良くわかった。
 ツルは、ほとんど言葉を口にすることもなく、ぼんやりと船底の小部屋に座っていた。けっして貝のように硬く心を閉ざしているわけではなかった。ただ、今まで想像もできなかったことが周囲で展開していくので、自分と現実の間に薄い幕がかかってしまったようで、まわりで起こっていることがまるで出来の悪い白黒の活動写真のように幕に映し出されては記憶の底に影も残すこともなく消えていく。ツルはそれをぼーっと眺めているような気持だった。
 村岡さんの弟さんは、まだ二十歳をこえてそこそこだろうか、お兄さん以上に口数の少ない実直そうな人だった。豆の収穫の時期が近づくと、兄さんと一緒に帯広に出て、叔父さんのところで住み込みで働いていた。ツルと目が合うと、弟さんは口のはしでかすかに微笑んだ。
 船壁の向こうからは、ザザッザザッと舳先が波を切る音が聞こえてくる。幸い風もなく、船はおだやかな日本海を南へと進んでいった。
 鯨の腹の中に飲み込まれてしまったような船底の小部屋では、なにもすることがない。一度、船が途中のどこかの港に停泊したような気がした。蒸気エンジンの音が低くなり、積み荷を載せる音と人の声がした。
 それからしばらくたって、再びぽんぽん蒸気の音がし始めると、船は揺れ、波を切る音に包まれて、ツルは深い眠りのなかに落ちていった。
 ツルが再び目覚めたのは、静寂の中だった。薄暗くて周囲がよく見えない。
心細くなって母さんを呼ぼうとした。そうだ、母さんは樺太に行ったはずだ。姉ちゃんはどこだろう。
 あたりを見まわすと、ツルは自分が見慣れない小部屋の中で、男物の着物を布団がわりにかけられて、かすかに上下に揺れながら寝ていることに気がついた。
「ここは、どこだろう。」
記憶の糸をたぐりよせる。そうだ、ぽんぽん蒸気のなかだ。
 でも、さっきまでやかましく鳴り響いていた蒸気エンジンの音はしない。
 小部屋は薄暗く静まり返り、船壁の外からは潮騒の音がかすかに聞こえてくる。
 どうやら停泊しているらしい。
天井の甲板らしいところで人の声がして、まもなく小部屋の戸が開き、村岡さんが顔を出した。
 「おきてらっしゃったかね。」
どうやらツルが布団がわりにかけていたのは、村岡さんの着物だった。村岡さんは着物をたたむと、側においてあった大きな風呂敷包みの口を開いて丹念にしまいこんだ。
 「さあ、おいでお嬢ちゃん、船をおりてもいい時間になったようだ。」
ツルは、立ち上がると小部屋を出た。いったい何時だろう。階段を上がって甲板に出ると、外はもうすっかり夕暮れだった。
西の空に群れて浮かぶ鰯雲が、沈んだ後の夕陽の残照をかすかにうけて血のように赤紫にそまっている。その水平線の左端から、真っ黒い影となった山がつづき・・・あれは、なんだろう!
ツルは、左手の真っ黒な山の影のしたに、宝石のように散らばるものを見て息をのんだ。
 なんてきれいなんだろう!
 あんなにキラキラと輝くものを、今までツルは一度も見たことがなかった。
 ツルの後ろに立っていた村岡さんの弟さんは、目をまんまろにして、不思議な光景に息をのんでいる少女に気がついて教えてくれた。
 「小樽の街だよ。」
  驚くのも無理はない、この少女は初めて電気を見たのだもの。自分だって生まれて初めてこの光景を見たときは、ひどく驚いたものだった。今でこそなれてしまったが、初めて見る町の灯は文明そのもの、未来そのものを美しく語っているように思えたものだ。
 でも村岡さんの弟には、町を知るにつれてその輝きが、心を誘い渦に巻きこむ妖艶な女のように見えてくるのだった。自分が少年時代に、生まれ育った村は、太陽の光と海のきらめきにつつまれて、夕暮れにはかすかに窓からもれる弱々しいランプの光。それは街の灯とはまたまったくちがっていたけど、なぜかこの少女のような別の輝きを放つものだった。
オクルケでは、電気がないからランプを使う。それも、ツルの家のような貧乏所帯では、油がもったいないから夕飯の時ぐらいですぐに消す。あとは、囲炉裏の焚き火の明かりが唯一だ。もちろん、おもては真っ暗な闇で、海のうえには一面の星空がまたたいて見える。
それに比べると、ツルが今まのあたりにしている小樽の街の灯は、月の光よりも、星の光よりも、ランプの火よりもはるかに強く、夜光虫のように群をなして輝いている。まるで宝石のようだ。
ツルにとって、それは美しいというよりも、恐いというよりも、ただただ不思議で幻想的な光景だった。
無許可で人を乗せているために、船は沖に停泊したまま、上陸を夕方まで遅らせたらしい。再び、船のエンジンが回り始めると、船はゆっくりと光の輝きの帯にむかって吸いこまれるかのように進んでいった。
ゆっくり小樽港を迂回する。
信じられないくらい大きな船。オクルケでは、大きく見えたぽんぽん蒸気が、ここではまるで磯舟のように見える。
蒸気船は港の一番端の桟橋に、隠れるように身を寄せると、もやい綱が投げられしっかりと係留された。ツルは村岡さんに手を引かれて陸に上がった。
あたりはとっぷりと夕暮れて、お月様も顔を出しているのだけれど、とにかく電気がきらきらしていてまるで昼間のようにツルには見えた。
 道をどこまでも照らす街灯は、石畳の上にまでこぼれ落ち、賑やかなカフェの灯りや家から漏れる電灯の光と路上で混じる。初めて見る灯、灯、灯。どこを見ても明るくって、まるで自分が穴の中からはい出て、お伽の国に迷い込んだようだ。
ツルがそう感じたのも無理はなかった。当時の小樽は、北海道経済の中心で、札幌よりもはるかに栄えた商業港だった。運河沿いには立派な倉庫が立ち並び、石畳の大通りの脇には軟石や煉瓦で建てられた銀行、新聞社、商社のビルが続き、北海道の文化的な活動はすべて小樽が中心になって動いていた。当然町での人の行き交いも多く、レストラン、カフェ、映画館、ダンスホール、バーなど商店街では夜も電気の灯りがたえなかった。
 もちろんツルは、レストランもカフェもその存在も名前すらも知らない。真っ暗なオクルケから出てきた少女には、ただただ想像をはるかにこえた光がめずらしかった。それだから、ツルの当時の小樽の思いでには光の記憶しかない。
 村岡さんは、風呂敷包みを肩に掛け、迷子にならないようにツルの手をとると駅に向かった。小樽駅から、帯広行きの夜汽車に乗らなければならない。当時、札幌から帯広までは約八時間。小樽からだとゆうに十時間ちかい道のりである。
まだ十一歳、寒村から一歩も出たことのない少女にとって、今日一日起こったことだけでも大変なはずだ。明日からは見たことも会ったこともない帯広の人たちの中での生活が始まろうとしている。次から次へと起こる出来事に圧倒されて疲れ果てたのか、小樽駅の待合室でにぎりめしを食べおわると、ツルは再び深い眠りに落ちていった。
帯広行きの列車が入ってくると、村岡さんは弟さんに自分の荷物を持たせ、ぐっすりと眠ってしまったツルを背中におぶい、改札を抜け、長いホームを歩いて客車にのりこんだ。
 幸い、席は比較的空いている。
 弟さんは、網棚に荷物を載せると、携えてきた板を座席にわたした。
 当時の座席は硬い板張りであったから、長距離を乗るのは決して楽ではない。しかも、夜汽車となると、とても座ったまま眠れるものではない。そこで、向かい合った席の合間にさらに持ってきた板を渡して板敷きとし、そこに寝る場所をつくったのである。
村岡さんは、ぐっすりと寝込んでいる少女を板の上にそっとおろし、いったん上げた自分の風呂敷を網棚から降ろし、なかから着物をとりだすと、汽車の窓のすき間から流れ込んでくる夜の冷えた風から守るようにツルにかけてやるのだった。
何列か先の座席からは、泣き出した赤子をあやす母親の子守歌が聞こえてくる。窓は二重になっているものの、夏の間はダルマストーブに火が入っていないのでけっこう冷える。ふとんがわりにウールのマントを羽織っている人もいた。
汽車は汽笛をピーッとならし、力強く煙をはいて動き出した。
連結器が、ガチャン、ガチャン、ガチャンと音を立てながら後ろに遠ざかっていく。
 夜汽車は、ゆっくりときしみながら走りだした。
 小樽の街の明かりは後方にすぐに消え去り、汽車は黒煙を吐きながら漆黒の闇の中に突入していった。


     帯広

「オビヒロー、オビヒロー、おびひろー」
 ガタンと汽車が停止し、ギリギリギリっと軋んだ後に、駅名を連呼する低くかすれた声にツルは目覚めた。
 「ツルちゃん。降りるべ。」村岡さんの声がした。
 ツルの頭はぼんやりとかすんだままだ。絶えず軋む車輪の音を子守歌にずいぶん長くゆられつづけていたのと、突然すべての音とゆれがやんだので、一瞬自分が宙に浮かんで静止しているような奇妙な錯覚におちいった。
 「おびひろー、おびひろー、帯広ー」
 そう、ここは汽車のなかだったんだ。帯広についたんだ。
 少しばかり痛む首と頭をかかえながら、ガラス窓から外を見やると、気の早い乗客はすでにあわただしく荷物を整理して客車から降り始めている。出迎えに駆け寄ってくる人々の姿。
 早く降りなくちゃ。
 ツルは、はっとすると体を起こして草履をさがした。下をのぞくと草履は木でできた座席の奥にまるで子猫のように縮こまっている。ツルはあわてて座席の下にもぐり込むと、ワラで編んだ草履をつかんだ。
 「そんなにあわてなくてもだいじょぶだ。ここは終点だからね。これ以上汽車はどこにも行かないよ。」
 座席の下から頭をだしたツルに向かって、村岡さんの弟さんが笑いながら言った。 
ツルは村岡さんのあとについて客車からおりた。
 あわただしい人の動き。石炭で薄汚れた客車。先頭の機関車はまだ蒸気を吐いている。びっくりすほど多くの人たち。
 大きな風呂敷包みを背負った行商姿のおばさんがゆっくり改札口に向かう横を、つぎはぎの作業服に真新しいハンチング帽だけ目立つお兄さんが駆けていく。赤子を抱いて疲れきった様子のもんぺ姿の母親。モダンなトランクを手にマントを羽織り、帽子をかぶりステッキをもった紳士風の人もいる。
 オクルケから一歩もでたことのないツルにとって、帯広は大きな街だった。人も建物もすべてが物珍しくうつる。
 村岡さんは、駅の大きな丸時計をみやった。
 「八時前だ。ちょっと遅れたな。」
朝の帯広の空はよく晴れていたし、空気もからっとしていて気持ちがよかった。オクルケや小樽のようなねっとりとした風が吹いてこないのは内陸で海が遠いせいだろう。
 ツルは、村岡さんの後をついてホームを横切り、混んでいる改札口をぬけて外にでた。
 なんて空が広いんだろう。
 これがツルの帯広の第一印象だった。一方は山に、一方は海に閉ざされたオクルケと比べると帯広の空は澄んでいてとても高く感じられる。息を吸い込むとつんと鼻を突く臭いが混じる。それが、馬の臭いであることに気づくのには時間がかからなかった。
駅前広場には荷馬車が数台並び、いかにも開拓者風の父親が、改札口からでてきた妻子や大きな荷物を荷台に積みこんでいる。駅前からは茶色くすすけた商店や問屋の建ち並ぶ中央通りが続き、人々は忙しく行き交い、その間を馬がガラガラと荷馬車を引きながら通っていく。車輪のしたから舞い上がるぽくぽくとした馬糞と土埃。
さらさらとした肌触りの夏の風が気持ちいい。光のなかでポプラの葉が、小魚の鱗のようにきらめく。彼方には山々の連なり。
あんなにどこまでもどこまでも続いているなんて。
 ツルにとって、山はすぐ間近に迫って見えるものだった。しかし、ここでは違う。山は大平原の遙かかなたに青くかすみながら連綿と地の果てまでも続いていた。日高山脈だった。そのときのツルには、十年後には自分がその南端の原野に入り、結婚して画家である坂本直行という名の夫とともに開墾の生活を始めるとは夢にも思われなかった。
ツルは村岡さんに連れられて大通りをぬけると、叔父さんの家に向かった。家は本通りから二丁ほど東よりの少し奥まった小路にあった。
 門前までくると村岡さんは身なりをただし、いささか緊張した面もちで玄関に立った。一瞬神妙な顔つきをして咳払いを一つ二つすると、そっと玄関の引き戸を開けて隙間から大きな声で到着を知らせた。
 「ツルお嬢様を、お連れしました。」
ツルは、こんな大きな声で自分のことを「お嬢様」と言われたのにびっくりしてうろたえた。自分の身なりを考えると、穴があったら入りたいような気持ちだった。
 すると、家のなかでは人の立つ音やふすまを開ける音がして、なかから四十がらみの細身の女がでてきた。縞のメイセンに黒い襟をかけた着物を着て髪をきちっと結い上げて、帯もきっちり締めている。
 「長旅ごくろうさんだったねえ。」
 女の人は、村岡さん兄弟にねぎらいの言葉をかけると、「この子がツルちゃんかい。よく来たねえ」といってツルを見た。
 ツルには、この人が義理の叔母さんだと言うことがすぐにわかった。
 それにしても母さんとはずいぶん違っている。体つきもほっそりしているし、あの髪型は確か流行のユクエフメイかニヒャクサンコウチのはずだ。
 ツルはついこのあいだサキちゃんと学校でうわさ話をしたのを思い出した。サキちゃんの姉さんが、町で髪結いさんに結ってもらってきた髪型のことだ。髪の毛をなかに入れて盛り上げて髪飾りのおヘラをなかに刺す。そうだ、ユクエフメイだ。
 叔母さんの着物も髪型も、オクルケだったらお正月でも着ないようなものだった。
 ツルのかあちゃんなら髪はヒキツメで、丸めて串をさした簡単なものだ。毎日浜で仕事をしなければならないから、普段も前掛けをしていて帯などしめたことはない。町の人は普段でもこんな着物を着るんだなあ。母さんとは違って、芝居にでも出てくる人のようだ。そう思っていると「あがっていったらどうだい」叔母さんは村岡さんに声をかけた。
「いや、あっしはカマド持ちですけ、女房も子供もまってます。これでしつれいしやす。」
 村岡さんは、ぺこりとお辞儀をすると弟を残してそそくさとでていった。
 「あんたにもお世話をかけたね。部屋へもどってお休み。」
 叔母さんは村岡さんの弟に言った。
「それじゃあ、お言葉どおり休ませていただきやっす。」
 律儀にそう言うと、弟さんは土間の反対側の使用人の部屋に入った。弟さんは独身で、他の三人の若い衆と住み込みで働いているのだ。
 「そんなところにつったっていないで、おあがりよ。」
 ツルは、草履をぬぐと家にあがった。
 叔母さんは座敷のガラス戸を開けはなった。その向こうはちょっとした庭になっていて花が植えてある。生け垣の向こうは小路だった。部屋のふすまは開け放たれていて、奥には六畳間と四畳半の部屋が二つ。手前にも六畳間が一つ。帯広界隈ではごく普通の住宅街だったが、ツルの生まれ育ったオクルケの掘っ建て小屋と比べたらなんという違いだったことだろう。
叔母さんは、あらためてツルを見ると言った。
「あれまあ、なんとも痩せた子だねえ。銭湯に行く用意をするから、待っておいで。着物も取りかえなくっちゃね。これじゃあ、外に出すのも恥ずかしい。とりあえずハツの幼いころの着物があるから、それでも着せてやろうかね。学校へ行くときの服は別にまた作らないといけないねえ。」
 叔母さんはそういうと、従姉妹のハツの小さい頃に着ていた着物を探しに奥の部屋へ入っていった。
ツルはどう答えていいかもわからず、座敷に座ってただぼんやりと庭の花をながめていた。


    ハツ姉ちゃん

 おばさんは奥の娘の部屋から、ハツが子どものころ着ていた着物を取り出してくるとツルを立たせ、背中から着物をあててみた。
 「ちょうどぴったりだね。とっておいてよかったよ。普段着はこれでよしとして、学校に着ていく着物は新しく作らないといけないねえ。」
 ハツ姉さんのお古だけでも、とても普段着とは思えない上等の着物にツルは思えた。オクルケではだれもが普段着で学校にかよっていたから、服を作るなどと言うことは想像できないことだった。
 「さあ銭湯にゆくよ。あれまあ、手ぬぐいもないんだねえ。」
 おばさんはふたたび奥にひっこむと、しばらくして木綿の風呂敷に、着がえと手ぬぐいと石鹸をつつんだものをさげて出てきた。そして鏡台の前に正座すると自分の着物の襟をきっちりあわせ、櫛で髪をねんいりにととのえはじめた。
 「もう銭湯が開くころだ。ぼちぼち出かけようかね。」
 通りに出ると、おばさんは後ろもふりかえらずに歩き出した。ツルはいっしょうけんめい後を追った。
おばさんがツルの手も引かずに歩き出したのにはわけがあった。口にこそ出さなかったが、ツルの着物からは漁師の家独特の魚臭いにおいがただよっていたからだ。なにごともこざっぱりしなければ気のすまないおばさんにとって、すえた魚の臭いはがまんのならないものだった。くわえて、みすぼらしいなりの少女が実の姪であることを、ご近所の人たちに知られたくないというみえもあった。
 さいわい朝の銭湯はすいていた。番台のおばあさんは見慣れぬ少女が、豆問屋のおかみさんにつれられて入ってくるのを見て、おやっという顔をした。
 番台に銭湯代をおくと、おばさんはツルが浜からきた姪っ子で、これから家の子として奉公することになったことを手短に語った。
 「ほう、ツルちゃんといいなさるかね。」
 番台のおばあさんは、痩せておとなしそうな少女をみると、人の良いほほえみを見せていった。
 「わたしも浜育ちでな、ちょうどおめえさんみたいな娘っこのころ、帯広さでてきたもんだ。ここは魚はとれないが、雪も少ないし良いところだよ。おやおや、銭湯ははじめてなんだね。そこにかごがあるだろう、脱いだ着物はね、そのかごのなかに入れなされ。」
 ツルは着物を脱ぐと見よう見まねでかごに入れた。
裸になったツルを見て、おばさんはいった。
「いやいや、なんとも痩せた子だねえ。痩せて黒くてがらがらで、こんなら恥ずかしくって、とっても人には見せられない。」
 確かにツルは、姉妹のなかでもこがらで痩せているほうだった。色も黒いしあばらも出ている。ツルは恥ずかしくなってうつむいたまま、おばさんの後にしたがって湯船の扉へ歩いていった。ちらっと番台を見やると、おばあさんはやせっぽちでゴボウのような少女を優しいまなざしで見ている。ツルはほっとして救われたような気持ちになった。
 長旅の後の湯は気持ちよかった。頭から耳の後ろまですっかりこすられ風呂からあがったツルは、ハツ姉さんのお古の着物を着せられて見違えるようになった。
 「馬子にも衣装とはこのことだね。」
ハツの幼いころを思い出したのか、おばさんは顔をほころばせた。
 ツルもあたらしい着物をもらって、ちょっぴりうれしい気持ちになった。
 午後になると、ハツ姉ちゃんが帰ってきた。おばさんは居間で髪結いさんに髪を結ってもらっていたが、ハツが帰ってきたのを見てほっとした様子でいった。
 「ツルちゃんが来たから、めんどう見ておやりよ。」
 ハツはツルにとっては従姉になる。十六歳で女学校の二年生。容姿は母さんに似ていて鼻が高く、すらっとした美人だ。性格はおだやかでおとなしく、姉御肌のおばさんとは正反対で、人好きのする近所でも評判の娘だった。
 ハツは、小さくてやせっぽちでおどおどした少女を見るとほほえんだ。 
 「ツルちゃんおいで。」
 ハツはツルに声をかけると、自分の部屋につれていった。
 「ここが、ツルちゃんの寝る部屋よ。私といっしょに寝るからさびしくないわね。困ったことがあったら、なんでも聞くのよ。」
 ツルはうなずいた。
 ハツはいたいけのない少女がたった一人で母親や家族から離れ、親戚といえども見も知らぬ人々のなかで生活を始めることが信じられなかった。十六歳の自分でも、親元から離れるのはなみたいていのことではない。ツルは、どんな気持ちでここにいるのだろう。ハツはじっとツルの目を見つめた。その目におびえた様子はなかった。無口でおとなしい少女だったけれども、ハツはツルのなかに女としての不思議な強さを感じた。
 ハツにとって何よりもうれしかったのは、妹ができたことだった。兄弟といえば兄さんが一人。その兄さんも今は札幌で仕事をしていてめったに家にはもどってこない。
 ハツは桐のタンスを開けると、奥から小さくなって今は着ることのなくなった着物を取り出した。
 「どれもきっとよく似合うわ。ためしに着せてあげるわね。みんなツルちゃんのものよ。でも学校に行くときの着物は、作らなくちゃね。そうだわ、わたしが縫ってあげる。わたしね、お裁縫は好きだし得意なの。」
 ハツに言われてツルは、ぼーっとなってしまった。ハツがあてがってくれた着物はどれも、ツルが一度も着たことのないほど豪華なものだった。
 タンスからは、ハツが子どものころ大事にしていた髪飾りもでてきた。
 「まあこれ、お祭りで買ってもらった髪飾りだわ。なつかしい。着けてあげる。」
 ハツは、ツルに髪飾りをつけてやった。ツルの胸はどきどきした。毎年お盆にオクルケにやって来る小間物やさんの荷物のなかにだって、こんなすてきな髪飾りはない。もちろん、買ってもらったこともないし、身につけたのもはじめてだった。いつもサキちゃんの髪飾りを見てあこがれたものだ。でもサキちゃんだって、こんなにすてきなのはもっていない。
 「よく似合ってよ。もうじき秋祭りがあって、川沿いに夜店がたつの。花火もあがるのよ。そのときは、この髪飾りつけていきましょう。」
 夜店に花火に髪飾り。ツルがぽっと頬をそめているのをみてハツもうれしかった。ハツには他愛もないものだったけれども、ツルには貴重なものに見えるのだ。
おじさんの家は、大豆や小豆の卸問屋をしている商家だった。とりわけ大きな店ではないが、十勝一帯の大豆や小豆を農家から仕入れては選別し俵につめて送るのが仕事だった。そのころ十勝は良質の豆の産地として全国に知られ始めていたから、おじさんの店も時期になると忙しく、出稼ぎの人もやとい商売は拡大していた。
 仕事場は家から多少離れたところに建っていたので、昼間家にいるのはおばさん以外におばあさんと女中さんが一人。おじさんは夕刻にならないと帰宅しない。
 おばさんは家事を女中さんにまかせ、普段はキセルタバコを吸いながらお客さんとお茶を飲んでおしゃべりしたりしていた。それでも手持ちぶさたになると、髪結いさんに髪をゆってもらったり、どこで習ったのか三味線をぽろぽろひくのだった。姉御肌で気っぷも気前も良かったから、使用人やお客さんには好かれているようだった。それにしても、化粧もせず木綿の着物に前掛けだけで帯もせず、ヒキツメのぎりぎり頭で毎日浜に出かけるかあちゃんとなんと違った生活だったことだろう。
帯広に着いたその日から、ツルの役割は拭き掃除や買い物、料理の手伝いや食器のあと片づけ、洗濯や洗い物や家のなかのこまごまとした仕事になった。おばさんはきれい好きだったから、うっかりするとよく小言が飛んだ。それでも水くみや薪集めなどといったオクルケの仕事とくらべたら、ツルにははるかに楽に思えた。
 ある日おばさんは、お客さんが来ると言った。
 「ツルちゃん、ちょっと近くのお菓子屋さんへいって、饅頭菓子を買っといで。」
 これにはツルも仰天した。お饅頭なんて、お彼岸にしか食べたことなかったのに。きがるにちょっと買いにいくなんて。
 ツルが玄関で下駄をはいていると、背後からおばさんの声がした。
「らんぼうな歩き方するんでないよ。下駄がへるからね。」
 ツルはオクルケでは、ほとんど下駄というものを履いたことはない。ふだんは草履で、友達のいく人かは下駄を履いていたけれど鼻緒は縄でなったもの。きれいな鼻緒をつけた下駄などめったに見るものではなかった。
 ところが帯広では、学校に行く年頃の少女たちはみなきれいな鼻緒の下駄を履くという。もうじき二学期が始まる。ツルも学校にいく。そんなわけで、ついこのあいだ新しい下駄を買ってもらったのだ。

 

柏小学校

「ツルちゃん!」
 早朝の玄関先で女の子の声がする。
 庭掃除をしていたツルは、箒をはく手をとめて垣根ごしに玄関をみやった。
 隣の家のテイちゃんがむかえに来てくれたんだ。今日は二学期が始まる日。ツルにとってははじめての帯広の小学校に行く日だった。
 「ツル、はやく庭掃除をしておしまい。テイちゃんがむかえに来たよ。」
 居間からおばさんの声がした。
 「拭き掃除の方は、ちゃんとしただろうね。」
 ツルの朝の仕事は、家の拭き掃除と庭を掃くことだった。
 「はい。」
 ツルは返事をして、竹箒で落ちた葉をちりとりに入れると、いそいで後かたづけをして部屋にもどった。
 部屋には、きのうのうちにハツ姉さんが縫ってくれたまっさらな着物がきちんとたたんでおいてある。昨夜ねるときに、大事にたたんで枕もとにおいておいた着物だ。それは花柄のはいったウールのメリンスの生地で出来ていて、オクルケだったら正月でしか着ないような美しい着物だった。
 「テイちゃんを待たせるんでないよ!」
 おばさんの声がした。
 「はーい。」
 ツルは急いで着がえると、風呂敷包みに帳面と筆入れをいれて、早足に玄関までいった。
 顔を真っ赤に上気させて小走りに現れたツルを見て、テイちゃんは細おもての顔をちょっとかたむけていった、
「あわてんで、だいじょうぶよ。学校は近いし、時間はまだ早いから。」
顔をかしげると、テイちゃんの腰まである長いお下げ髪がゆらゆらゆれた。テイちゃんは本当に美人だ。細おもてで、切れ長の目をしていて、顔はやさしくて女優さんみたいだ。髪は束ねてお下げにしているけど、長くて腰をこえてお尻のあたりにまでたれている。こんな子はオクルケにはいないな、とツルは会うたびにいつも思う。
 佐藤丁ちゃんは、ツルと同じ年でお隣の家にすんでいる少女だった。この界隈は借家が三軒並んでいて、テイちゃんの家は右隣。一人っ子で、目に入れても痛くないほど大事に育てられていることがすぐに見て取れる娘さんだった。性格もおとなしくて優しく、けっして意地悪なところがない。それに浜の言葉も良く理解できた。浜言葉というのは、北海道の沿岸地域でおもにヤン衆とよばれるニシン捕りの季節労働者が使う言葉で、東北のとりわけ津軽弁の影響が強い言葉である。
 叔母はツルが家にくると、すぐにテイちゃんをあわせた。帯広にきたのは夏休みももう終わりの頃だったから、二学期は目の前だ。家業に忙しい叔母はいつまでもツルにかまっていることは出来ないので、同じ年でお隣さんのテイちゃんだったら、きっとツルの面倒を見てくれるだろうと思ったのだ。そんな叔母のもくろみはみごと当たった。思いどおり、テイちゃんとツルはすぐに仲良くなった。
 始業の日、二人は風呂敷包みをかかえると、仲良く学校にむかった。学校は家から一町ほどのところでさほど遠くはない。柏小学校という名で、テイちゃんにさそわれて数日前に下見に行ったけど、外から見た姿は焦げ茶のタールで塗られた木造建てだ。教室がたくさんあって、二部屋しかないオクルケの小学校に比べたら信じられないような大きさの建物だった。
 校舎に近づくにつれて、たくさんの子どもたちがあちらこちらの辻から集まってきて、学校の門へと歩いていく。なんて綺麗な着物をきているのだろう。ツルはその華やかさにあっけにとられた。オクルケでは地味な着物に前掛けをして学校に行くのがあたりまえで、なかにはワラ縄を帯にしている男の子もいる。ところが帯広では、みなお祭りでしか着ないような服をきて学校にくる。しかも、それが普通の家庭の子供たちなのだ。
 テイちゃんに手を引かれるようにして校門をぬけ、玄関にいくと、何段にもなった下駄箱があり、そのすべての棚に綺麗な下駄が入っていた。
 ツルはおそるおそる教室に入って、さらに驚いた。女の子だけの教室がふた組もあって、一つの教室に四十人ぐらいの生徒がいたからである。
 ツルが通った学校は柏小学校とよばれており、帯広市内の中心に位置し、女子の教室だけで二クラス、男子を合わせると六クラスぐらいで比較的おおきな学校であった。
 当時の町の学校は、男子と女子は校舎はいっしょで、教室は別だ。休み時間に遊ぶときも別、運動会などの行事も別、教師の職員室さえも別であった。オクルケのような小規模な小学校では、男女混合の複式学級で教室も二つしかなかったから、ツルが華やかな着物をきた女子だけのクラスに入って驚いたのも無理はない。
カランカランカラン、用務員さんが廊下を歩きながらならす手鐘の音に、いっせいに生徒たちが席に着くと、しばらく間をおいてがらがらと教室の引き戸をあけて男の先生が入ってきた。
 「あの方が、阿部先生よ。」
 ツルはすっかり緊張してぼーっとしている。二十六ぐらいだろうか、若い先生だ。でもちょっと厳しそうに見える。
 「起立!」
 「礼!」
 級長らしき女の子の声で、皆いっせいに立ち上がって礼をする。
 「着席してください。」
先生の声にみな腰を下ろす。
 阿部先生は、これから始まる二学期の計画を説明した後にツルの方をむいていった。
 「今日は、皆さんに新しいお友だちを紹介しましょう。ツルさん立ってください。」
 ツルは緊張して立ち上がると、ちらっとテイちゃんの方をみた。テイちゃんは、少し離れた席にすわっている。先生は簡単にツルを紹介した後、一言あいさつするようにうながした。
 みなの視線が、いっせいにツルに注がれるのをツルは感じた。緊張して顔をまっ赤にしながらも、ツルは勇気をだして何かしゃべった。しかし、次の瞬間どっと笑いが広がって、それから後は、何をしゃべったのか今でも思い出せない。思い出せるのは、ツルが口を開くたびに、クラスじゅうに笑が渦巻いたことである。
理由はすぐにわかった。ツルは自分では一生懸命に標準語でしゃべったつもりであったのだが、帯広の子どもたちの耳にはひどく訛った浜言葉に聞こえたのだ。笑われるほどにツルはあわてて必死に標準語を話そうと試みた。しかし、どんなに気をつけてしゃべっても、他の子どもたちにはいわゆるズーズー弁にしか聞こえなかったのである。
 先生は子どもたちが笑うのを制したがもはや遅かった。
「ツルさん、ありがとう。着席してください。」
 ツルがすわっても、くすくす笑いはしばらく消えなかった。
その後も、言葉の問題はツルの胸を痛めた。休み時間になって、みんなが声をかけてくれるけど、何か言っては笑われた。自分では気をつけて普通に言ってるつもりでも、他の子どもたちにはおかしかったのだ。なにか言うたんびにあげ足を取れれて、わらわれる。
し、す、つ、ち、が全然区別が出来ない。トウキビがトウチミになる。ユキがズギになり、シュクダイがスグダイになる。学校が終わって、叔母さんに瓶を持たせられて「酢」を買いにやらされたときなども、道々くりかえし練習するのだけどもどうしても「酢」がいえない。いくら「ス」といってもお店の人には「シ」としか聞こえないのだ。
ツルは学校では、自然としゃべらなくなった。しゃべれなくなってしまったのだ。でも、そんな状態であったにもかかわらず、ツルは悲しいとは思わなかった。テイちゃんは、いつもいっしょに遊んでくれたし、生徒たちはツルの言葉を笑いはしても、けっしてそれは意地悪な気持ちからではないことがわかったし。いじめられて泣かされるほどのこともなかったからだ。
 ツルの心には、友だちが自分を笑うことを非難する気持ちはおこらなかった。けれども、自分は変なんだと思う気持ちがつらかった。ツルは何とか方言をなおしたいと思った。幸い学校へ行っても、教室では先生の話を聞いているだけで、当てられたり本を読みなさいと言われたことはない。読みなさいと言われたら大変なことになっただろう。先生がかばってくれたのだ。阿部先生は厳しいまじめな先生だったが、優しかった。
そんなわけで、学校ではツルはほとんどしゃべらず、ひたすらテイちゃんの後にくっついて行動していた。そればかりではなく、行き帰りもいつもテイちゃんといっしょだった。家に帰って遊ぶときも、おはじきやカルタをするときもいっしょ。お祭りに行くのもいっしょ。いつもまるで金魚の糞のようにくっついて歩いていた。
 それでも、テイちゃんは少しも嫌がらずに、優しくいつもツルの側にいてくれた。


   帯広の秋

オクルケの生活と違って、帯広の生活は物質面でははるかにゆたかだった。
学校では、言葉の問題で最初は嫌なおもいもしたが、子どもたちは、いくらからかってもツルが黙ってにこにこしているものだから、やがて何も言わなくなっていった。
 それにツルがどんなに嫌な目にあっても、テイちゃんはいつもツルの側にいてくれた。取り立ててツルをかばうでもなく、憐れむわけでもなく、厭うわけでもなく、大勢のときも二人で遊ぶときにも、にこにこしながら優しく側にいてくれるテイちゃんの存在に、ツルはどれほど救われたかしれない。
 学校では無口なツルも、テイちゃんと遊ぶときは気兼ねなく浜言葉を使えた。親元から離れ、不慣れな土地にたった一人で来ただけに、親友というのはこういう人のことを言うのだなとツルは思った。
 学校から帰ると、家の仕事がまっていた。ツルにあたえられた仕事は、おもに屋敷の掃除だった。早朝の雑巾がけからはじまって、家の埃をはたきではたいて落としたり箒で掃き出したり、庭の草むしりや落ち葉掃除、風呂場や便所の清掃、また近所へのちょっとした買い物や洗濯の手伝いなどもツルの仕事だった。
 叔母さんは、兄弟姉妹とおなじようにツルを扱ってくれたから、ツルにだけにつらく当たっているわけではなかったけれども、何しろ根が几帳面できれい好きだったから、ちょっとでも汚れたところがあるとすぐに小言が飛んだ。
 北国の秋は駆け足でやってくる。盆がすぎると涼やかな秋風が吹き、路地では無数の赤トンボが飛びかう。新しい環境になじむのに精一杯で、ふる里を懐かしく思い出すゆとりもなく日々が過ぎ、気がつくと遠く大雪や日高の山々の頂にはうっすらと初冠雪が見られるようになった。見ると麓は紅葉のまっさかりだ。
北海道の森は黄葉が主体で、シラカバやイタヤ、ダケカンバやポプラの黄色く透き通った葉が風にゆれ秋の光にきらめいている。そのなかに、点景としてモミジやウルシ、カツラなどの公用が炎のようにゆらめくのだが、その煽りを受けてか茶褐色のカシワやミズナラすらも燃えるようだ。
 山に囲まれたオクルケと違って、広大な原野に囲まれた十勝は、秋になると紅葉の大海原と化す。大波は日に日に山頂から麓へとうつり、やがて平野も彩りの波に呑まれて燃える。海辺の村と違って、十勝の秋は空気がさらっとしているせいかすがすがしい。天高く馬肥える秋とは、まさにこの地のために作られた言葉のようだ。
 しかし、そんな輝く秋も十日ほどで、突然訪れる氷雨まじりの強い風に枯葉は散り、気がつくと森はがらんとした寂しい季節に静かに足を踏み入れる。落ちた枯れ葉の上には、霜がうっすらと刷毛ではいたようにつき、枝越しに流れこむ朝日をあびてきらめく。見あげると大雪の山々は紺碧の空の下で真っ白に輝いている。
 朝の拭き掃除がつらくなり始めるのがこのころだ。
「ツルちゃん、起きよう」
 ハツ姉ちゃんが、枕元でよぶ。
ツルはふとんから抜けると、震えながら着物をきる。朝飯の前に雑巾がけをしなくちゃ。
 ハツは先に起きだすとすでに台所に立っていた。
 ツルは洗い場の井戸から水をくむと、さっそく雑巾がけにとりかかった。水は手が切るように冷たい。それでも川まで汲みに行ったオクルケにくらべると、生活ははるかに楽だ。
 やがて十二月も終わりになると、帯広にも根雪がやってくる。帯広は裏日本のように雪は多くないし、冬は晴れた日が多かった。しかし、寒さはオクルケよりもはるかに厳しい。連日マイナス二十度を超えることもざらで、そのような日は学校に行くのもつらい。風は大雪の山々を越えて、吹きっさらしに降ろしてくるから、体感温度はマイナス三十度を軽く越えるといっていい。
 昔の家は建てつけが悪いから内も外も変わらない寒さだ。ツルの手はすっかりあかぎれで膨れ、足もしもやけで腿まで腫れ、手甲や脚絆をつけても防ぐことはできなかった。
 早朝に雑巾がけをしていると、ときどき水が廊下にこぼれる。すると、みるみる水滴は凍った。いよいよ拭き掃除も終わり、これから学校に行こうとするとき、叔母さんが背後から呼び止めた。
 「ツル、ちゃんと凍ったシミをきれいにとってから学校にお行きよ!」
 「凍っていて、取れないんです」
 「そんなら、お湯を含ませた雑巾でふきゃあいいだろに」
「はい」
玄関先では、テイちゃんがまだかまだかと待っている。早くしないと学校に遅れてしまう。こんなとき、ツルはふと、母ちゃんだったらなあと思う。そんな気持ちが高ずるのが正月のときだ。
 帯広の正月は、オクルケの正月と全然違っていた。漁師や農家なら正月の前後は休みだが、商家では正月休みというものがない。特に女は休まれない。三ヵ日は掃除をしてはならないから、十日も前からいつもより念入りに拭き掃除やすす払いがなされる。
 晦日も夜遅くまで、叔母さんや若い人たちは豆の選別の仕事をしていた。やがて年取りの酒とご馳走が出され、除夜の鐘が鳴ったら神社にお参りするが、神社に行くのは男衆で、女達は帰ってくる男衆のために後片づけをして、新たな酒とお重をそろえ、朝のお雑煮とおせちの準備にあわただしい。
 正月は何しろ忙しい。男衆も床に入り、夜の三時も過ぎてようやくかたづけが終わり、一息入れてうとうとしたかと思うと、五時には起こされて朝の準備だ。
 しらじらと夜が明けるころ、ツルはあかぎれの手で洗い物をしながらふっとオクルケを思い出す。母ちゃん父ちゃん、姉ちゃんや妹や弟たちは、一年に一度の晴れ着をきて正月の三ヵ日は楽しく過ごしているにちがいない。めったに食べることのない鮭汁に、真っ白なお餅をいれて。貧しかったけれども、それでも家族で楽しかったオクルケのお正月。
帯広では、普段着も晴れ着のようだし、めったに食べられないものもたくさん出る。でも、貧しくても父ちゃん母ちゃんとの正月がいい、とそのときばかりはツルも思った。
「ツル、お酒をお出し!お客様がいらしたから、お酒は燗だよ」
 「はーい」
 「ついでに、空になったお重におせちをお詰め!」
 叔母さんの声にはっと我に返ったツルは、お重におせちを詰めなおし、お酒を入れた徳利を持って座敷に行く。年が明けると年始の人が来るから、三ヵ日は来ればかならず熱燗でもてなす。とりわけ問屋商売をしていると、取引先や仕入先、使用人の家族などが次から次へと挨拶にくるのでそのおもてなしに終始追われた。
どこぞの良いとこの娘さんなら、朝起きて両親にきちっと手をついて新年のご挨拶をし、お雑煮食べてお屠蘇を飲んで、綺麗に着飾って初詣して、きょうはどこぞのカルタとか明日は歌会とかに呼ばれていって遊ぶこともあったが、帯広にいるあいだにツルは正月に晴れ着をきたことも、初詣にいったことも、除夜の鐘すらも聞いた記憶がない。
普段はオクルケのことをあまり思い出さないツルだけれども、さすがに正月にはふる里が恋しくなった。カルタやおはじきをしていっしょに遊んだサキちゃんはどうしているだろう。母ちゃんや父ちゃんや姉弟たちは、ほっこり雪をかむった家のなかで、ぱちぱちはぜる囲炉裏をかこみ、餅など焼きながらみんなで楽しく語りあっているのだろうか。


    春の花見

正月が過ぎると、いよいよ雪の季節がやってくる。
帯広は日本海側のオクルケとは違って、寒さこそ厳しいものの晴れの日が多く、ときどきどか雪が降る以外は積雪はひかくてき少ない。
 晴天のもとで空がパーンと音を立てて凍りついたような日、長靴の下でキシキシ音を立てる新雪を踏みながら、ツルはサキちゃんと学校に向かった。見ると遠く日高の山々は、べったりと雪をつけ、まるで蒼氷のように輝いている。
「おや、学校かい。」
 いつも早朝注文を取りに来る、はんてんに黒いつばのある帽子を被った酒屋のご用聞きの若者が、スケートをはいて側を通りがてらに声をかける。スケートといっても、ゲタに縦の歯をつけたような粗末なものだが、これがけっこうしばれた雪の上ですべるのだ。
その後をしゃんしゃんしゃんと鈴の音をたてて馬そりが追い抜く。馬は鼻から真っ白な息を、まるで蒸気機関車のように吐き出して体をゆらしてかけてくる。ご用聞きの若者は、馬そりをちょいとやりすごすと、すいすいと後ろをすべって追いつき、空いた手で馬そりをつかむと、ちゃっかり引っ張ってもらいながら行ってしまった。
 豆を集荷する倉庫の入り口では馬が行き交い、荷夫さんたちが豆をおろして選別の機械にかけたり、なかをのぞくと女工さんたちが手作業で仕事をしたりしていた。こうした選別の作業も、しばれた冬の朝は寒くて大変だ。
十勝にどか雪が来るのは三月ごろだ。
 太平洋側に晴天をもたらした冬型の気圧配置がくずれ、南からきた低気圧が発達しながら抜けるとき、帯広平野をおおう空は一転にわかに荒れ模様となり、普段よりは少しばかりなま暖かい風が狂ったような音を立てて吹き出し、普段はあまり雪のない十勝平野に湿った雪をごっそりと降らせる。こうなると、一夜のうちに二メートルや三メートルの雪がつもる事も珍しくはない。そんな日が数日も続くと、人々は総出で屋根の雪下ろしだ。街の様子は一変し、家の周囲には、おろした雪がうずたかく積もり、馬そりの往来も困難になった。
 こうした日は、朝から学校も休みになることがあって、午後にわかに空が晴れたりすると、子どもたちは橇やスキーを持ち出して外に出た。雲間から顔を出したお日様が、雪嵐の後につもったふかふか雪をきらきら照らし、子どもたちは近所の公園の丘にのぼっては小さな橇や肥料袋ですべったり、スキーをしたりして楽しむのだ。とりわけ丘が近くにない町中の子どもたちにとっては、映画館の大屋根が格好のスキー場になった。
こうして、帯広の冬は楽しく過ぎていった。やがて雪がとけ、大地から蕗の薹や福寿草が咲き出す頃には、ツルもすっかり新しい家になれ学校生活にもとけ込んで、春風のような気持ちで新しい学年を迎えようとしていた。六年生になったツルは、もうすっかりあか抜けた帯広っ子だった。体つきも一回り大きくなり、来たときは貧相でがりがりだった体も、どことなく少しふっくらして娘らしい感じになった。
 北国の人々にとって、春の訪れほどうれしいものはない。林にカタクリやフクジュソウが咲き、やがて山桜があわいピンクの花を満開にする頃、春を待ちこがれていた人々は、浮き足立つようにして花見にでかける。
 ツルのいる家でも例外ではなかった。おじさんは番頭さんや職人さんの家族と一緒に、毎年芸者さんをたてて花見に出かけるのが習わしだった。良く晴れたうららかな日、八分咲きになった近くの公園で恒例の花見が行われた。朝から重箱にごちそうがたっぷりと作られ、清酒と焼酎が用意された。
 若衆は早々に陣取りにでかけ、旦那衆と婦女子は昼前あたりに、重箱や酒の入った風呂敷包みを手に手にかかえて公園に行く。華やかな芸者衆もいっしょだ。ツルたちが公園に着いてみると、すでにあちらこちらに寄り合いが出来ていて、すでに歌え踊れのほろ酔い気分、酒宴はなやかなグループもある。
ツルにとっては、帯広での初めての花見だ。オクルケでは決して着ることのないきれいなウールの着物を着せられて、ツルはうれしくてしかたがない。頬にやさしい春風をうけて、重箱のごちそうを広げてお酒を飲んで歌ったり。お重には蒲鉾や煮染め、お魚の焼いたのとかがぎっしり詰まっている。三味線まではないものの、若衆には津軽衆が多いものだから、手拍子でじょんがら節の一つもでてくる。
サキちゃんもいっしょだったから、ツルはうれしくてたまらなかった。近くの寄り合いに行くと、「嬢ちゃん、飴やろうか」と、めったに口にしたことのない飴をもらったり、風が吹くと空からはらはら落ちてくる桜の花びらを追いかけたり。夢中で走り回っているうちに、あっと思う間もなく、転んでしまった。その時だ、ビリッと音がして、せっかくの着物が破れた。
 「たいへん」ツルは青くなった。おじさんが、芸者さんも一緒だからツルにもちょっとは華やかなものを、といってわざわざ買ってくれた花模様のウールの新しい着物だった。「どうしよう」おばさんにこっぴどく怒られることはわかっていた。そこで、ツルは、そっと座ると、手に取ったにぎりめしのご飯粒で裂けた部分をくっつけようと試みた。しかし、そのようなことでごまかせるはずがない。すぐにおばさんに見破られて、こっぴどく叱られてしまった。それでも、このときの楽しかった花見は忘れられない。
 ところが、その晩から、おじさんが腹の不調を訴えだした。食べ物があたったのか、ひどくお腹が痛むと言い出したのだ。最初は、腹下しぐらいで、一晩過ぎれば直るだろうと本人もたかをくくっていたが、翌日になるとますます痛みがひどくなる。結局、数日後に医者に見せると盲腸から腹膜炎を起こしていると言われ、すぐに入院ということになった。
 それからしばらくして退院し、その後も同じ病院に通院していたが、このころはまさかこの腹痛が原因で、元気なおじが秋には亡くなるとは誰も想像しがたいことだったのだ。


    あいつぐ死

 叔父には、十八歳の息子と十五歳の娘がいた。姉さんのハツは、ツルより四歳としうえで帯広の女学校にかよっていたが、兄さんは札幌の工業高校を卒業して測量の仕事をしていたから、普段は家にいなかった。
 ツルにとって帯広での生活は楽しかった。困ることもずいぶんあったけれども、はじめて見るものがたくさんあった。花見の時には、芸者さんをあげてさわぐのもおどろきだったし、月のおわりには給料をもらう人がつぎつぎときて、もらい終わったら叔母の母親に残ったお金を両手ですくって「ほら、ばば」といって叔父が無造作にあげていたのにはびっくりした。すべてに関してなんとも大ざっぱな一家だった。
 ところがそんな太っ腹な叔父が、五月の下旬、芸者をあげての春の花見が終わった後に急激な腹の痛みを訴えた。
 「何か、悪いものでも食べたのかもしれないね。かかりつけのお医者様に見てもらいましょう。」
 あまりに苦しむので、叔母も黙っていられなくなって、しぶる叔父をかかりつけの医者に連れていくことになった。先生に見てもらうと、難しい顔をして、「たぶんこれは盲腸だと思うが、それにしても痛みが激しすぎるようだ。腹膜炎を起こしていなければ良いのだが。」とおっしゃった。
お医者様に帯広病院を紹介してもらって、すぐにそちらに行くことになった。診察によると、あんのじょう腹膜炎を起こしているという。まあしばらく入院すれば直るでしょう、ということでその場で入院することになった。
 当時の腹膜炎の治療と言えば前近代的で、手術というよりは暖めたり冷やしたりしながら「散らす」ということをした。叔父もしばらく入院し、体を休めたのが良かったのか、一ヶ月もすると少し元気になって家に帰ってきた。夏も近づき、仕事をそのまま放っておくことも出来なかったのだ。
その年の夏は、ツルにはことのほか楽しい日々だった。帯広の生活にもすっかり慣れて、夏の花火大会にはテイちゃんの家族に誘ってもらって、十勝川べりに花火を見に行った。川縁の土手にはたくさんのお店が並んでいる。こんなにたくさんの夜店が並んでいるのを見るのは、ツルにはもちろん初めてだ。たこ焼き屋さん、アイスクリームの屋台、飴屋さんではキャンディーもあったしラッキョアメも売っている。
 「ほら、あそこあそこ。」
 テイちゃんの指す方を見ると、夜空に光がしゅるしゅると上がり、今まで見たことがないような大きな花火がパッと開いた。ドンドンっと、あたりをゆるがすような音に二度びっくり。
 「まあ、きれいねえ。」
 一瞬に花咲く可憐で色とりどりの花火は、短い短い北国の夏を象徴している。生命が燃え立ついのちの季節は、北国ではつかの間の夢のようだ。草も花も、短い時をいっせいに燃え立たせては散っていく。
 「ねえねえ、ツルちゃん、アイスクリーム食べない。」
 テイちゃんの言葉に、ツルはいっしゅんボーっとなってしまった。アイスクリームなんてもちろん食べたことはなかったし、いつか機会があったらちょっとでもなめてみたいと思っていたけれども、自分で買えるものではとてもなかった。
「わたし、お金ないから。」
 「だいじょうぶ、父さんにお願いするわ。ツルちゃんの分も買ってあげてくださいって。」
 ツルには、言葉もなかった。テイちゃんは、お父さんの所にかけよっていって話していたが、すぐに小銭をにぎるともどってきて、二人は喜び走り出した。
 「ちょっとまって、アイスクリーム屋さーん。」
 テイちゃんは、屋台を引いてアイスクリームを売っているおじさんを呼び止めると、アイスを二つ注文した。おじさんは、三角カップにアイスクリームをのせて二人に一つずつわたしてくれた。そのアイスクリームのおいしかったこと。この世のなかにこんなにおいしいものがあるとは思わなかった。
 生まれて初めてサーカスを見に行ったのも、この年の夏のことだ。
 夏の終わりに、駒ヶ岳が噴火したが、そのころ、叔父さんの様態がふたたび悪くなり入院した。今度は、家人も心配そうだった。
 叔父が亡くなったのは、それから二ヶ月後の十一月のことだ。
 森の枯れ葉がすっかり落ちて、がらんとした木々のあいだを初雪が舞っていたある寒い日、叔父の様態は急に悪化して、あっけなく病院で息を引き取った。あんなに元気も良く、事業が軌道にのっていくのを楽しみにしていた矢先の死だっただけに、皆の驚きは大きかった。
普段は気丈で生意気だった叔母が、腰が抜けたようになってただただ泣くばかりで何にも出来ないので、帳場さんたちが取り仕切ってお葬式をした。葬儀は、雪の降る日に行われ、問屋さんの旦那衆を始めとして春の花見に参加した花柳界の芸者さんにいたるまで実に大勢の人々が葬式に来ていた。
 葬式の後、今後の事業をどうするかの親族会議が開かれたが、そのとき問屋さんなどにたくさんの借金があることが判明した。表面的には事業も順調だったので、強気だった叔父は、機械や設備にかなりの額の投資をしていたのだった。
 こうした噂は、あっという間に広がるもので、今まで腰を低くして来ていた取引先も主人が死んで事業が成り立たなくなると見るや、取り立てられるものはとっておこうと手のひらを返すような態度にかわった。余分な蓄えもなかったから、機械やなわムシロは、借金の肩代わりに問屋さんに引き取ってもらった。
 青森からも親類があつまって、このさいカンカンという秤も全部引き取ってもらって解散したらどうかという意見が出たが、叔母は石崎組を潰したくないとただただひとりでがんばって泣くばかりだった。そこで、結局親族は、叔母がそれまで言うんだったら、ハツ姉さんに養子を迎えて結婚させて、組を存続させたらどうかという話しになった。それから、数ヶ月後に、姉は使用人の中から叔母の気に入っていた人を養子に迎えることになった。
 もちろん、ハツには寝耳に水の話しで、そのとき姉さんは十八歳。泣いて拒んでも、事態が事態、親の言うことを聞かなければいけなかった。こうして、ハツの気持ちも無視したまま、結婚話が進んでいった。相手はツルをオクルケから連れてきてくれた村岡さんの弟さんで、隣村のメシャンベツからきたまじめな働き者の人だった
 結婚式の当日、ツルはそっとハツ姉さんのところに行った。ハツは泣いていた。華やかなお嫁さんの衣装を着るときも、お化粧もしているあいだも泣いて泣いて、花婿さんはまっているというのに引っ張っても立とうとしなかった。
 本当にかわいそうだなあ。泣いているハツを見て、ツルは心からの同情を禁じ得なかった。
 いざ結婚式の時も、お嫁さんの着物を着せられて角隠しもして座敷には婿さんが座っているから座らせようとしても、まだハツは泣いていた。それでも無理矢理結婚させられたのだ。ツルは後日、ハツ姉さんの口から、兄の友達で親には打ち明けていないものの結婚したい人がいたと言うことを聞く。
 こうして石橋組は、姉さん夫婦が中心となって、切り盛りしていくことになったのだが、それからも組はうまくいかなかった。村岡さんの弟さんは、荷造り専門の真面目で働き者の人ではあったけれども、大勢の人をまとめて組を納めて行く力はなかった。それに夫婦の間もしっくりいかず、こんな状態で家業が安定するわけはない。
 結局、半年もしないうちに行きずまってしまい、このままではどうしようもないから、こうなったらいっそ石橋組はだれかにゆずって、姉さんの夫はその下で働き、残った借金は一族で働いてかえそうということになった。
 借金返済のために家も売ってしまったから、文字通り一家離散で、兄はお菓子問屋の帳場の住みこみで働くことになり、姉夫婦は小さな家に引っ越して姉はお裁縫の仕事をしながら稼いで問屋に借金を返すことになった。叔母も肥料会社の寮の住みこみの飯炊きになったし、ツルも学校を途中でやめて、借金のある小間物屋に移ることになった。
 ツルが移った小間物屋は、一階が小さなお店で、二階には四人下宿人をおいていた。二件隣がお風呂やさんだったから、そこに来る浴客をおもに相手に、丸髷につける飾りとか石鹸、クリーム、櫛とかを秋払いのツケ売りでうっていたのだが、そこに叔母の借金があるからと住みこみで働らくことになったのだ。
 おかみさんのご亭主は、口頭結核にかかっていた。その頃すでに様態はかなりわるく、夫婦には一年生の女の子とおばあさんがいたが、旦那さんと奥さんは子どもたちから離れて別の部屋を借りてすんでいた。そんなわけで、小間物屋の四畳半にツルはおばあさんと女の子と生活することになったのだ。
昼のあいだ店番はおかみさんがやっていたから、ツルの仕事はおもに、掃除、手伝い、下宿人の食事や世話や後かたづけで、おばあさんや女の子の食事の世話もほとんどツルが一人でやっていたから、朝から晩まで働きづめだ。冬にはストーブのそばで座ることもなかったから手も足もしもやけがひどくなった。しかも収入は借金を返すために、全部叔母に仕送りしたから、ツルの手元には一銭の小遣いも残らなかった。
 しかし、ツルにとって一番さびしかったことは、テイちゃんにもハツ姉さんにも盆や正月以外は会えなくなったことだ。風の便りに聞くところによると、姉さんはなんどか子どもを連れて逃げ出したけど、結局子どもの養育のことを考えて戻ってきたという。
正月が過ぎたある夜のこと、ツルは異様な雰囲気でめがさめた。暗がりの中、ぼんやりとしながら横を見ると、おばあさんがひどく苦しがってうなっている。
 「おばあさん、どうしたの。だいじょうぶ。」
 ツルが聞くと、顔をゆがめながら、おばあさんはやっとのことで声をしぼりだした。
「ネコイラズを、飲んだんだよ。」
 おばあさんは、ひどく苦しがって身をよじっている。大変だ!ツルは起きあがると、寒い雪の夜の通りにかけだして、おかみさんを呼びにいった。
 おかみさんは、病気の亭主を置いて血相をかえながら飛んできた。
 「ばあちゃん、なしてそんなことしたの。ツル、はやくお医者様をよんどいで!」
 ツルは、お医者様のもとに走った。かすかに三日月の光が雪の上にさしこむ暗い夜だった。すべてが青白く、死んだように凍りついている。
 お医者様は来たものの、もはや手の施しようがなく、おばあさんはそのまま息を引き取った。息子の病状が絶望的だとわかって、もはや生きている望みもなくなったあげくの自殺だった。息子に先立たれるのがいやだったのだが、それから何ヶ月もしないうちにおかみさんのご主人も病気で息を引き取った。
 その後おかみさんはお店を売り払って、市場の廉売に小間物を持って、その二階に娘とツルと、下宿人を一人だけ置いて細々と暮らしはじめた。
 ところが、ある寒い日に、二階で炭火を焚いたまま、うとうとしていたおかみさんは、突然苦しくなって目を覚ました。ハッと気がついたときは、すでに一酸化炭素が体にまわっていて立つことが出来ない。気丈なおかみさんは、それでも必死にはうようにして部屋を出て、階段を下りようとしたのだが、そのまま気絶したのか、転げ落ちる大きな音がしたかと思うと、運悪く落ちたところにガラス戸があって、そのままそこに首を突っこんで亡くなった。廉売は狭くて階段が急で、意識がもうろうとしていたおかみさんは足を滑らせそのまま頭からガラスのなかに突っ込んだのだ。
 ツルがあわてて走り寄ったときには、おかみさんは血を流したまま事切れていた。


                 未完


2014年の活動報告