2012年1月から4月


復活祭おめでとうございます。
MCLの天使たちを紹介します! 

4月22日up


MCLのある、マノンゴル村のカトリック教会から
「復活祭の夜明けのミサに、MCLの天使たちを招待したいのですが・・・」
という依頼があった。
小学校の子どもたち、特に女の子に白い服を着せて
ダンボールと紙で作った羽を作って背中につけて
ローソクを携えた村人が、マリアとともに庶民となり下から、
復活したイエスが、上から闇の中を教会に向かって進み
教会の中庭で出会い、マリアとイエスの出会いを通して
復活の喜びの寸劇をする。
天使たちの役割は、その場で輪になって踊りながら歌うこと。
復活祭の日曜日の夜明けのミサだ。

  そんな、MCLの天使たちに
町で真っ白な服を買い
段ボールで羽を作って着せた。
天使の歌をみんなで練習。
夜明け前の3時に起きて、
化粧をして教会に行く準備。



普段のお転婆も
いたずらっ子も
まるで本当の天使のよう?
いいえ、普段も本当の天使です。
極貧家庭から来て、
いつもは山で、
破れた服を着ていた天使たち。
靴もなく、裸足で山を
駆け回っていた天使たち。
三食たべられず、
毎日おなかをすかせて、
沢でカニやトカゲを捕って
食べていた天使たち。
父親や母親が
病気や戦闘で亡くなったり、
どこかに行ってしまったり、
極貧で異常をきたし
呆けてしまったあげく、
行き場所を失ってしまっていた
天使たち。
MCLで購入した
真っ白な服を着せると
そんな姿は想像できない。
でも、そんな困難や苦難の中で
かえって子どもらしい素直な心を
失わなかったからこそ、
天使のような姿なのかもしれない。
神様が作った天使たち。
 

確かに、極貧で、しかも不幸な環境から来た子供たちほど
本当の天使に近いようだ?
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これから教会に向かいます 
  
夜明け前のミサ
外は真っ暗で
星空のした
あちこちにホタルが
飛び交っている。

村の教会の鐘の音が
夜のとばりをふるわせるとき
MCLから、天使たちが
飛びたっていく
闇の中に
白い光を投げながら
 


教会に集まった天使たち。
復活祭の日曜日の夜明けのミサ。
復活祭では、金曜日にキリストが亡くなり
三日後の日曜日に復活する。
夜明けの太陽が昇るのと
イエスの復活が重なっている。
復活の朝、
天使たちが集まって
キリストの復活を喜び歌い
人々に知らせるのだ!
 
 

まずは、教会に集まって
その後、天使たちは教会の庭に出る。
 
すると、村の方から
夜の闇の中を、
たくさんのローソクの明かりが
教会に向かってくるのが見える。
 
  

村人たちが、イエスの復活を知って
マリアとともに
教会に集まってきたのだ。
天使たちは、教会の庭で
祈り歌う。




教会の前で、復活した
イエスに出会った
マリアと村人たち。
天使たちは、イエスとマリアを迎え
喜びの歌を歌う。
村人たちも、ローソクをともして
喜びの歌をうたう。

夜が明けてミサが終わり、MCLへ 


ミサが終わると
夜が明けている。
朝の光の中を家へ向かう。
そのさわやかさが、何ともいえない。
復活の喜びと、
朝のさわやかさ。
すがすがしい空気と
天使たちの笑い声。
 

訪問者も、思わぬ体験に
深く心を打たれたようだ。
素朴な子たちだからこそ
本当に天使のようだ。
つらい思いをしてきた子だからこそ
心から笑顔でわらうことができる?
そんな天使たちに
私もずいぶん救われている。
ありがとう!


MCLにもどってきた天使たち 

   

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もどってくると
すっかり夜が明けている。
どこからともなく、
鶏の声が聞こえてくる。 


  
天使の心を失うことなく
幸せに大人になっていってほしい。

羽を降ろして、
普段の天使にもどった天使たち 
    


天使たちの現実調査
 

天使たちのMCLでの表情は
思いのほか明るいので
天使たちの背景を
想像することすら不可能が事が多い。
四月五月と学年代わりの時期から
新学期の六月が始まるまでの夏休み
二ヶ月間をかけて、
徹底した天使たちの現地調査が始まる。

現地調査の目的は、
 1,小学校から高校、高校から大学に
   進学する奨学生たちのスクリーニング。
   一人一人、現地で面接して、
   進学可能か生活の状況を調査する。
 2,今年から、毎年支援者にお送りする
   日本語のプロフィールに、最新の家庭
   や学校での様子を文章か写真で報告。
   その状況調査も兼ねる。



 3,貧しい村や親の無い新たな子たちの
   スカラシップ採用調査。

応募してきた天使の数は限りなく
その中から、どうしても放っておけない
境遇の子たちや地域を優先して
スカラシップや里親候補としてあげていく。
平和構築の必要性や、
どうしても放っておけない子たちだけで
すでに、支援者の無い子たちが
130名を超える。

MCLのスカラシップは、
子供たちの救済が重要テーマで
支援者の数だけ子どもを
採用するようなスカラシップではない。

お父さんはいなくなり、お母さんは呆けてしまった
食べ物がなくなり、お腹をすかせた状況で突然絶望や戦闘が襲うと
精神に異常をきたしてしまう。
MCLにも、そうした親を持つ子が結構いる。
 

救済支援を必要としている子たちの場合は、MCLで、費用を出して学校に。
保護もかねて、MCLに住む子も多い。
山村僻地の親の無い子ばかりではなく、時にはストリートチルドレンもいるし、
チャイルドレイバーで、サトウキビ刈りや薪集め、草刈りや山菜集め、水くみから
ゴムの木の汁集めまで、ありとあらゆる労働に駆りだされ、
とても学習するような環境ではないのがあたりまえ。

そうした劣悪な環境のせいもあり、成績優秀とは言い難い子も多く、
そうした子は支援者に紹介せずに、MCLで面倒をみる。
支援者の無い子が130名を超えているが、そのなかの40名ありまりはそうした子たち。

MCLは、スカラシップだけではなく、子供たちの保護施設としての行政許可も得ている。
奨学生(スカラシップ)といっても、孤児施設のような側面も持つ。
DSWDからの依頼で孤児を引き受けることも多い。

そうした子たちの中でも、特に親の無い子や、
親族や地域で面倒を見ることの出来ない子は
ミンダナオ子ども図書館に住むことが出来る。
本人の希望と保護者の理解で住むことが出来るが、
翌年に村に帰りたくなれば、いつでも帰れる。
17歳以上でも住み込めるし、その意味では孤児施設では無いわけで、
いわば学校に行けない子たちの下宿施設を本部がになっているわけだ。

それでも、今年も本部のあるマノンゴル小学校、高校卒業生の、
最優秀者は皆、なんとMCLの子たちだった。
もちろん外部の学校でも表彰される子は多い・・・
せっかく学校に行かせてもらえるのだから、がんばらなくっちゃ!

本来は孤児であっても、孤児と言われるのは悲しいことで
その意味では、MCLの子たちは、孤児と呼ばれずスカラー(奨学生)と呼ばれる。
ミンダナオでは、スカラーというのは、とてもステータスが高い響きがあるから
本人もうれしいし、やる気が出るというものだ。
でも、校長先生などからは、
「MCLの子たちは、優秀な子もいるけど、全然だめな子もいますねえ。
変なスカラシップですねえ」などと、嫌みを言われることもある。
学校教育等というものは、概してエリート教育でそんなものだが、
私自身は、極貧のさらにマイナスから来た子が、
将来ごく普通の幸せを手にしてほしいと思っている。
文化や種族や宗教の違いを敬意を持って受け入れる気持ち、
親になったり先生になったり、いろいろな場で、次の世代に
「母さんは、子どもの頃、親がいなくてMCLで生活してたけど、
イスラムの子たちもいて、マノボの子たちもいて、とても楽しかったよ」と言えるように。

そんなわけで、経済的にはたえず火の車で、
皆さん方からの自由寄付も、読み聞かせや医療だけではなく、
支援者のいない子供たちの学費や食費にもまわす。
財政的に考えると無理をしているなあ、と自分でも思うが、
現地で親が死んだり、いなくなったりして
苦労している子を見るとどうしても放っておけない。
戦闘が繰り返される地域では、何とか平和を構築しなければならないとも思う。

そこまで無理をして、なぜ子供たちを採用するのか?
子供たちのために、お金を使いすぎているのでは?
と言われることがあるけれど・・・


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支援してくださる方メールください
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里親(小学)の支援額は、年間3万円
スカラシップ(高校大学)は6万です。
詳しくは支援方法をご覧ください

支援方法 

スカラシップととりわけ、小学生の里親支援が足りません。年間3万円。
里親支援で、支援してくれる里親(支援者)の無い子が100名を超えています
MCLですでに学校に行かせ、特に厳しい境遇の子はMCLに住んで生活し
食べられるようにしてあげていますが・・・
 

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どこから、どうやって、
こうした不幸な境遇や環境の子たちを
みつけてくるのですか、とよく聞かれる。

貧しい村があるという情報を聞くと、
積極的に村を訪れる。
時には歩き、馬に乗り・・・
ただ日本のように安全ではないので
コンタクトパーソン(仲介者)がいないと
村には入れない。
外国人が突然村を訪れたら、
人々は恐れをなすだろう。

始まった頃は、日本人というだけで
過去の悪い戦争イメージと、
ジャパユキの売春斡旋の
人買いのイメージが先に立ち
娘を預けるなど論外だったが、
今は、村人たちの方が、
積極的に子どもの未来のために、
子どもがMCLで生活することを希望したり
MCLが、やって来た!と言うだけで
大喜びで迎えてくれる。
電気も携帯も無くても、
こちらの口コミの力はものすごい、
信じられない遠くの山奥の人々まで
結構、MCLの事を知っている。

 
今は、MCLの奨学生たちがさらに、自分の村の不幸な子を奨学生にしてあげてほしいと推薦してくる。
下の子たちも、そうした子たちだ。
 

お母さんは病気で亡くなった。
お父さんは、足が悪くて引きづりながら
歩いているけど、ゴムの木の
汁をとる日雇い労働をしている。
生活は大変。
ぼくも父さんを手伝っているけど
仕事もしなくてはならないし
なかなか学校に行くお金がない。
学校が要求するプロジェクトの費用は
当然出せないし、
プロジェクトに参加しないと
成績をもらえない。
時にはエンピツ一本買えないし
お弁当も持って行けない。
下の写真が、ぼくの家。

わたしは、おばあちゃんと暮らしている。
母さんは、結婚前にわたしを産んで
父さんにあたる人は、いなくなった。
母さんはいるけど、
わたしを置いて、
別の男の人といっしょになったの。
おばあちゃんも年だし、仕事がないし。

放っておけないので、
ミンダナオ子ども図書館で
暮らしながら、学校に行くことになった。



一家族、平均して7人はいる。
避妊はしない。出来るはずもない。
コンドームや避妊薬など買えないし、
大勢の方が、大きくなって
草刈りなどの仕事も手伝ってくれる?
  

先進国から見ると、もっと避妊を進めるべきだ・・・と言う意見が出るだろう。
最初は、わたしもそんなことを思ったりもしたものだが、
村に行き、生活は大変なのだけれども、共同体の中で、互いに助け合いながら、
子供たちが、生き生きと遊んだり、親を助けてお手伝いをしている姿を見ていると
お金には換えられない幸せが感じられて
少子化政策の後にたどり着いた、日本の社会の寂しさや
(なんと田舎でも、子どもが遊んでいる姿がない)
家庭に子どもが少ないが故に、お互いに助け合う姿が無い
(たとえば、お姉ちゃんが、妹や弟の赤ちゃんをおんぶしたり世話をしたり・・・)
どちらの生活が良いのか、わからなくなってきた。

善し悪しは、上下と同様に、簡単に結論づけられないようだ。
右にいらっしゃる魔除けの猿さまに、聞いてみると
「どこにも良い点と問題が潜んでいて、協力し合って解決するのが一番良い」とのお言葉。
  

お金に余裕のある人は、
生活の厳しい人を助け
   生活が厳しくとも心が豊かな人たちは
お金があっても心が貧困状態の人々を
助ける?

隣国同士のフィリピンと日本
足して二で割れば良いのにといつも思う。


学校が夏休みの四月五月。
私たちは、MCLの奨学生がいる僻村を回って子供たちの調査をする。
特に、小学校を卒業する子と、高校を卒業する子が、
基本的な読み書きが出来るかどうかをテストする。

MCLは、成績優秀者を好んで採用するスカラシップではない。
極貧や戦闘で疲弊した地域のなかでも、特に子育てや生活に困っている家庭、

特に孤児や片親の子を優先してスカラシップに採用し
大学まで進学できるチャンスを与える。
こうした子たちは、成績の面でも困難に直面している子が多い。
高校や大学に進学したくても、
読み書きと言った基本が出来ていない子の場合は
専門学校や技術習得の短期コースを推薦する。
そのためにも、一人一人の状況を、
私も含めてスタッフが理解している必要がある。
それには、経費がかかっても村を巡って読書力のテストをしたり、相談に乗ったりする。

小学校から大学まで、奨学生の数は550名に達する。
学校や教会に選択や管理を依頼するスカラシップなら
自力で僻村をたずね、一人一人の調査を毎年幾度も繰り返すような
経費の無駄と言えるような努力は必要ないだろう。
巡っている村々も、イスラムの湿原地域からマノボ族の山岳地域まで80はくだらない。
危険度もさることながら、
往復6時間以上かかる山岳地帯もあり、ガソリン代だけでも大変だが
地元の人々と深い友情と信頼関係が生まれてくる。

時には、馬で行ったり、徒歩で数時間山道をあるく。
そのようなところにしばしば学用品を届けたり状況調査で訪れたり。
戦闘などがあれば、救済に命がけに向かうのだから
さすがに村人たちも、私たちを心から信用して迎えてくれるようになる。
「MCLは、他のNGOと違って、本気で私たちの事を考えてくれる」
とよく言われるが、「本気で子供たちを愛している」というのが本当だろう。
本気で愛せば、どんな困難も喜びに変わっていく。
特に、とりわけ困難な地域や、困難な状況の子たちを救済できて
その子たちが幸せそうになり、村の様子も喜びに満ち
MCLに来ても、明るい笑顔で庭を駆け回るようになると
どんな苦労も報われたような気持ちになる。
自己満足といわれるかもしれないけれど、心の底から深い満足に満たされる。
支援者の方々にも、少しでもその喜びを感じてほしいといつも思う。

支援方法
支援申し込み

感動した場面を写真に記録し
また、出来るだけ多くの子たちの姿を乗せて
支援者の方々に、現状をお伝えしようと
努力するのも、私自身が体験し
感じている深い感動や喜びを
多くの方々と分かち合いたいと思うが故だ。
小学校の子たちは、
今年は250名を超えるだろう。
そのなかの100名以上が
支援者が見つかっていない。
様子見で、推薦を控えている子も
3分の一を超える。
推薦する自信が無ければ
採用しなければ良いでしょうに、
と言われることもあるが、
親もなく困窮している子たちを見ると
自腹をはたいても何とかしたいと思うものだ



山の小学校の卒業式
 

ミンダナオ子ども図書館の奨学生は、今年は550名を超えると書いた。
小学生から大学生まで・・・
全員がMCLに住んでいるわけではない。
学校まで遠くて通えない子、家が極貧で兄弟姉妹も多く3食十分に食べられない子、
親のいない子や片親の子でMCLに住みたい子たちは、キダパワンの本部に住める。
その数は、現在86名。常住のスタッフを入れるとファミリーは、100名に達する。

ところが、山々で調査を重ねるにしたがって、
今年は、MCL本部に住みたい子たちが増えて、子供たちだけで100名を超えそうだ。
理由は、山岳地域の人々に、経済危機の打撃が大きく、
兄弟が多く、全員が学校に行くどころか食べるのも難しい家庭が増えたことが一つ。
もう一つは、去年あたりから、国軍がNPAの駆逐を理由に
山岳地帯に送り込まれていることから、住民が不安を覚えていることだろう。

イスラム地域も同様だが、若者たちの中で海外やダバオやマニラに出たがるものが
増えているのも脱出の姿に見えることがある。
逆に地元で踏ん張って、問題の解決に立ち向かおうとする
勇気ある若者たちもいるが・・・
戦闘の多くは、鉱物資源と農業資源の獲得に起因しているように思える。
そんなわけで、山の学校に通っている子たちの多くが、親の希望もあり
MCLなら身の安全も確保できるし
何よりも三食たべられるので、住み込みたいと思っているようだが、
  
こちらとしても際限なく受け入れられるわけでもないし
下宿小屋の子たちも入れると、すでに米の自給をはるかに上回っていて
食費だけでも馬鹿にならない。


小学校の里親支援の寄付は、年間3万円。(高校大学は6万円)
この経費は、まだ支援者のいない不幸な子たちの学用品
プロジェクト代に加えて、100人を超えるMCLでの子供たちの食費や生活費
炊き出しやお小遣いなどにもなっている。



奨学生の彼女が成績最優秀に
 
 

小学校を卒業するだけでも、経済的に本当に大変。
父親がいなければなおさら大変。
 
 
MCLの奨学生の卒業式は、
あちらこちらの学校で行われているので、
招待はされても、
とても総てに出席できない。
でも、山の学校には、
独特の感動がある。

あらかじめご連絡いただければ、
ご案内します。
ご自身が支援している子たちの
卒業式に参加するのも感動でしょうが、
子供たちは、
信じられないほど喜びますよ。

支援方法
支援申し込み
 


MCLのある
マノンゴル小学校の表彰式



野菜売りの姉妹の末娘

MCLの本部のあるマノンゴル村は、キダパワンの町はずれの小村で
小学校と高校、少し歩けば南ミンダナオ州立大学もある。
多くの奨学生たちは、地元に近い学校に通っているが、

5キロの山道を歩いて通うのは普通で、雨が降れば洪水で川も渡れない。
夜も暗闇で電気も無い。
お弁当を作るお金どころか、家に帰っても食べ物がないこともしばしばで、
平均しても7人兄弟姉妹だから、全員を学校に行かせることは不可能。
学校に行きたくても行けない子が多い理由だ。
加えて、孤児だったり、父親や母親がいない場合は
親戚をたらい回しになっていて、学校に行かせてもらえない。
野菜売りの姉妹の下から3番目
7人兄弟姉妹で父親は毒殺
谷沿いに小屋を建てて
朝早く母親と山菜や野菜を採り
子供たちが町に売りに行く。
右の写真は、当時の写真。
MCLに住んで学校に通っているが
夏休みの今頃になると家にもどって
毎日野菜を売り歩く。
それでも、卒業式前日の終業式では
表彰された。
隣に立っているのは、
母親役のスタッフ。


 

表彰式では、普通は親が出席して
母親や父親が子どもの胸に
表彰メダルなどを
つけたりかけたりするのだが
何しろ親がいなかったり
いても山で貧しく
町まで来るような交通費も
出せない子が多い。
その場合は、母親役のスタッフや
ともにMCLに住んでいる兄弟姉妹
友人や年上の奨学生が
メダルやリボンをつけてあげる。

左の彼女にリボンをつけているのは
母親役のスタッフ、テルマ母さん。
少女は、去年一年生を落第して
二度目の一年生だが、
何と今年は、最優秀で進級した。
私が彼女に
「もし進級できなかったら、
いつまでも一年生で
友達が大学に行っても
結婚しても、それでもまだ一年生だよ」
と言って聞かせたのが効果があった?
本人も自信が出てきて成長したようだ。
ゴミ捨て場の出身。
 
下の少女がお姉ちゃん。
でも、兄弟みんな、父親が違う。
右の少年は、父さんがいない。
お姉ちゃんがリボンをつけてくれた。
下の子たちも、山の僻村で
父親や両親がいずMCLに来た子たち。
ずいぶんしっかりしてきた。


支援申し込み

奨学生とともに写っている美女?は
母親役のスタッフの一人。
実は、3年前までは奨学生だった。
山のマノボ族でMCLのおかげで
大学を卒業。
MCLのスタッフとして子供たちの
面倒をよく見てくれる。
卒業生たちにとって
MCLのスタッフになるのは夢だ。
彼氏は、トライシクルドライバー
つきあいも長いし結婚も予定しているけど
お互いの兄弟姉妹の学校をまず
支援してから結婚する予定。

下の若者は、両親ともいず
兄弟姉妹が全員MCLに。
親がいないので、MCLの仲間が
彼にリボンをつけてくれた。
仲間同士の友情の様子がよくわかる。
今風の髪型をしているけれど
さまざまな場面で献身的に
他の子たちをサポートしてくれる。
籾殻を干したり、運んだりもしてくれる。
成績の方は?
優等生ではないけれど決して悪くない。


MCLの友人が、彼にリボンをつけてくれた 
 

特別な人にはならなくっても
ごく普通の家庭を築いても
MCLでの体験を生かして幸せになってほしい。


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小学校から高校へ
 
    
    

小学校を卒業して高校になるのは
子どもから一歩抜け出すような感じ!
お母さんが駆けつけてくれた子
親がいなくても
お姉ちゃん、お兄ちゃんと一緒の子
スタッフの民希さんも・・・
ソーシャルワーカーやスタッフも
みんな一つの家族のようだ。
彼らは、MCLをファミリーだと呼んでいる。
種族、宗教がことなっても、
みんな一つの家族だと。

おもしろいのは、MCLを
ミンダナオ子ども図書館の略ではなく
M=ムスリム
C=クリスチャン
L=ルマッド(先住民族)
の略称だと思っている人もいることだ。
 支援方法

支援申し込み

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卒業式の最後の歌
小学校を卒業して
6月から高校生になる子たち。
(フィリピンには、中学がない)
MCL本部のあるマノンゴル村では
小学校と同じ敷地に高校もある。

子供たちの中には
すでに支援者がいる子と
まだ支援者がいない子がいる。
支援者がいる子は
季刊誌に、お礼の手紙を書く。
そんなとき、まだ支援者のいない子は
少し寂しそうだ。
そこで、「パパ友(私の呼び名)が、
支援者だから、心配しないで」と話す。
支援者が見つかると、信じられないほどに
大喜びする。
 
   

イスラムのブアラン小学校の卒業式
 
   


学校建設もした
イスラム地域ブアランの小学校の卒業式。
ここは、12年かかって初めての卒業生を
一昨年出した。
と言うことは、6年間も子供たちは、
戦闘で避難民状態が続き
卒業できなかったと言う事なのだ。

先年は、陽が
今年はスタッフでマノボ族のアルベルトが
卒業記念講演に招かれて
マノボ族からのメッセージを伝えた。
彼も、MCLの奨学生で
大学でマスコミニケーションを学んだ。
  
この小学校にも、MCLの子供たち(うちの子たち、と呼んでいる)が30名近くいる。
クリスチャンとイスラムと断絶していたのだが、MCLと日本政府、国際停戦監視団の
協力で、両者が30年ぶりに和解し、同じ学校に通っている。
その事は前にも書いたが、先日の朝日新聞でも記事になったようだ。

 

高校を卒業して大学へ

  
 

こちらは本部のあるマノンゴル高校の卒業式
来年、大学に進学する
 
 
マノボ族の彼女は専門学校に

マンダヤ族と移民系クリスチャンの混血
の彼女は、、ダバオのミンダナオ大学で
ソーシャルワーカーのコースに 
 最優秀成績で表彰された
マノボ族で父親のいない彼は
ノートルダム大学で教育学を
    


最優秀で表彰された彼が
演台で特別講演をした。
マノボ族の差別や
貧しい境遇をいかにして乗り越えて
来たかを語った。
MCLに対する感謝の気持ちも・・・
 
 

陽が、ドキュメンタリーを制作中です

 
支援申し込み



洪水支援T
(ビニールシート600枚) 

3月28日up


まずチケットを渡す 

ミンダナオで最も困難な地域
と言われているリグアサン湿原の
イスラム自治区(ARMM)エリア。
国の自治も行き届かず、
ほとんど無法地帯だ。

くり返し戦闘と洪水に見舞われてきた
不幸な地域に、今回ビニールシートを
配布した。



この地には、読み聞かせも含めて
すでに数回足を運んでおり、
村人とも懇意になってきた。

ビニールシートは、腐った屋根のカバー
にもなるし、とりわけこの地域は
稲作が生命線なので
湿地帯のぬれた土壌の上に
ビニールシートを広げて、米を干すのに
重要な生活必需品なのだ。
今回の洪水支援は、前にも書いたが
生活立て直しを援助する、
生活収入支援とした。



いよいよMCLで、ビニールシートを
配ると聞いて人々が集まってきた。

このような場所に、
突然シートを持ってきても
奪い合いになったり、
混乱を来すだけだ。
そこで、まずは、本当に必要としている
家庭をチェックして、
チケットを配ることにした。
説明会に、婦人たちが集まってきた。
集会所になっているのは
湿原に建てられたモスク。
この地域は、三つの集落に分かれている。
今回は、現地の実地調査と
地域の不平等を無くすため
各地域を舟で回った。


ビニールシートは、写真のように
籾米を干すのに重要なツールだ。
生活に欠かすことの出来ない
必需品だが、貧しい彼らには
なかなか買うことが出来ない。

左のお年寄りは、100歳を遙かに
超えている。
目は見えないが、
家の壁が、シートであることからも
生活に必要であることがわかる。
 
 
   

この広大な湿原地帯に
なんと多くの人々が暮らしていることか。
来るたびに驚きを隠せない。
本来、地味は肥えていて
洪水さえなければ、稲作にはもってこいの
豊かな地域なのだ。
そのうえ、湿原からは
大小の魚が無尽蔵にとれる。

しかし、いったん洪水が襲うと
水は軒下まで到達し
家を腐らせ、傾かせ
生活そのものを脅かす。
今回の洪水でも
多くの子供たちが亡くなっている。

  
チケットを配り終わって
湿原地帯を去るとき
私たちは、
学校帰りの子供たちに出会った。
通学路はないから、
子供たちは、毎日
写真のように
小舟を自ら漕いで学校にかよう。
これだけでも数時間の道のりで
小さい子には、体力的にも無理で
その結果、学校に通うことを
あきらめてしまう子供が多い。

学校自体も、ニッパ椰子の葉で
屋根を葺いたもので
外壁も何もない。

MCLでかつてセニオマラウ集落に
初等小学校を建てたので
その話をすると
2教室でも良いから
ぜひぜひ教室を作ってほしいと言われた。
以下が、彼らの小学校だ!

ここが彼らが通っている小学校 
 

MCLでは、小学校は日本政府のODAに
依頼することが多い。コンクリートの7教室
恒久的な建物が良いという考えからだ。

  

この小学校は、6年生まであるが
たびかさなる戦争で住民が少なくなり
ようやく少しずつ家も建ち始めたが
非常に貧しい。
村長が教育に熱心で、学校を建てたものの
屋根はニッパ椰子の草葺きが限界だ。
これでは、3年もすれば
雨漏りで使えなくなるだろう。
MCLでは、どうようのケースに見かねて
ピキットサイドのセニオマラウ集落に
初等小学校の教室を2棟建てた経験がある。
(下の項目を参照)
MCLで建設している保育所2棟分の寄付で
建設し、大変喜ばれ、今も使われている。
基礎はコンクリートで
壁も半分までコンクリート。
そのため、すぐに痛むこともなく
上半分の竹編みも修理がきく。
屋根も鉄板が使われている。

 MCLが、かつて作った
セニオマラウの小学校

戦闘の絶えないピキットの丘陵地帯。セニオマラウに地元の強い要望で建設した小学校。
当時は、4学年までの初等小学校だったが、今は6学年になっている。
ここからも、多くの奨学生を採用している。
W21小田原と全国海外事情研究会が寄贈してくださった。

 
いよいよ
ビニールシートを配布 

いつものように、MCLの子たちが
協力して、ビニールシートを
5mの長さにカットした。

それを米袋に詰めこんで
車から小舟に移す。



小舟は、ジャングルの中を抜けて
湿原地帯に入っていく。
 

水深は浅く、
ときどき、船首にいる若者が
竹や木の棒で
川底を押して舟を進めていく。

   


舟は、ワニの出そうな
ジャングルを抜けると、
突然、広大な湿原地帯に
飛び出す。

  
    

湿原地帯のあちこちに
点々と家が建ち
ビニールシートを配布してくれると聞いて、
集まってきた。

数日前に配った
チケットと引き換えに
一人一人、シートを手渡ししていく。


チケットを受け取ると同時に
家族の名前も確認し
リストにチェックを入れる。
  


ビニールシートを皆、心から喜んでくれる
こうしたところから、
次の関係が生まれてくる。
この村からは、親のいない子など
スカラシップの子を採用した。
医療も行ったし
初等小学校の建設も喜ばれるだろう。
 

シートを受け取って、大喜びで帰ってく村人たち 
  

私たちが、今この地域に力を入れて
人々とのつながりを持とうと
しているのには、それなりの理由がある。

ミンダナオでも、最も複雑な地域
戦闘に常にさいなまれてきた人々。
不信感から、なかなか心を開かない
村人たち。
もともと、素朴な人々で
あったはずなのだが・・・

このリグアサン湿原からは
大量の天然ガスの湧出と
石油の埋蔵が確認され
その利権を巡る争いが
戦争の原因と言われてきた。

一見、今は落ち着いているようだが
ピーストークが決裂すれば
30年以上にわたる戦闘の
最終戦がミンダナオで
行われるという。

   
そのような事が起これば、この子たちはどうなるだろうか!



今、この地域に活動を展開している理由は
戦闘が起こったとき、難民化したとき
MCLですぐに救済しに来れる体制を、
平和な今のうちに作っておきたいからだ。


洪水よりももっと恐ろしい物は、戦争! 
 

津波よりももっと恐ろしい物は、原発!



洪水支援U
(漁網と舟) 


   

こちらは漁網の支援
カルボガンとブリオク村は
プランギ川沿いで絶え間ない戦闘の
影響を受けてきた、極貧地域だ。
絶え間ない洪水にも見舞われ
収入は、川や湿地の魚をとって
生活している。
今回の洪水で家が倒壊したり
破壊されたりした。
屋根が壁が、今でも腐ったまま
現金収入が少ないので修復も出来ない。


DSWD(福祉局)のグレイスさん
(下の写真、青い服)の発案もあり
カルボガン村の5集落と
ブリオク村の3集落に
大きな漁網と小舟を4艘
支援することにした。
かなり大きな物なので
集落単位で管理し
漁業利益は、分配する。
その一部は、保管して
漁網の修理代などに使う。

こうした管理作業をするのが
グレイスさん自身が関与している
集落の婦人会組織。
 
 

女性たちが中心になって
村の収益事業を立ち上げていく計画だ。
今回の漁網授与式にも多くの女性たちが集まって来た。

この最初のミィーティンクに関しては
前記事で紹介した。

 グレイスさんは、
MCLのボードメンバーでもある


各集落の女性代表たちが、さまざまな取り決めを書いた授与契約書にサインする
   

 漁網と組んで、小舟を支援
   

広大な湿原地帯では、舟が重要な移動手段となる。
漁業も舟なしでは、なりたたない。
干しあがった魚の干物を、町の市場に運ぶのも舟だ。
せっかくの大きな漁網も、舟が無くては湖水に張ることが出来ない。
その意味でも、漁網に加えて
多少大きめの漁舟は、必要だ。

そのために、今回の漁網支援に、木製の舟を加えた。
  
 

おいしい魚がたくさん捕れる。
こうした魚を干物にして市場に運ぶ。
こうした仕事に従事するのが
女と子供たちだ。

今回の企画のマネージメントは
こうした女性たちが中核となる。
 

立正佼正会の洪水支援で

MCLの舟も作った 
  今回の洪水支援のために
特別に立正佼正会から
寄付の一部を
乗合船の購入に使わせていただいた。
これで、道のない湿原地帯の内部にある
集落の支援も可能になった。

そればかりか、今後、湿原内部の
集落への読み聞かせや
学用品を届けたり
保育所建設の資材運び
病人や避難民の救済に活躍してくれる。

大人が30人まで搭乗可能。
MCLの舟だが、DSWD(福祉局)など
でも貸し出し使用できるようにする。
国際停戦監視団やUNHCRの方々
よろしかったらお貸しいたします。
 



 洪水支援V
(植林ゴムの木6000本)



こちらはリグアサン湿原の上流にあるアラカンの山岳地域。
マノボ族の住む地域で、MCLの奨学生たちもたくさんいる。
ごらんのように山の木がことごとく伐採されている。
もともとジャングルでラワンなどの巨木がはえていたが、
多くが1960年代から伐採され、大量に日本に輸出された。
その後も違法伐採が今でも続き、ごらんのように丸裸な草地になってしまった。
低地の住みやすい地域が、移民系の人々に買い占められ、
バナナなどのプランテーションになり
先住民族たちが、もともと住んでいた土地を追われて、こうした山に住むようになった。
山岳地を豪雨が襲うと、元々あった豊かな土は、土砂崩れとなって流れ出し
石ころ混じりの荒れ地が残った。
雨は、鉄砲水となって下流に流れ
森林伐採が、下の洪水の原因となっている。
    
   

MCLでは、このアラカンの地から5つの集落を選び出し
各集落に2ヘクタールのゴムの木を植えることを提案。
すでに村々で集会を開いて、それぞれの地域に合わせた方法で
植林を実行することに決定した。
キアタウ、ケロハス、ムヤス、カヨパトン、パコパコの集落で
ここから多くの奨学生たちを採用している。

ゴムを選んだ理由は、そこからあがる収益が村の人々の糧となり
貧困から不用意に土地を手放すような不具合を無くす力になるからだ。
土地は、個人の土地だとその後の問題になるので、
共同の所有地とするか、MCLで買い取って、MCLで管理する。
30%は、収穫の村の労働者に、収益となる70%は、共同体の収益となる。
MCLは、管理を担当するだけで、収益はすべて村にはいる。
同時に、学校が嫌いな若者でも、
ゴムのトッピングの技術を実地訓練する生きた学校となる。
また、最初は2ヘクタールでも、そこで落ちるゴムの種を分け合って
各家庭で苗を栽培し、その後は、自分の土地へ植えていくことによって
ゴムの林を無償で広げていくことが出来る。

ゴムの植林は、洪水から人々を守ると同時に、
貧しい山岳の先住民に経済的な支援を与え、
プランテーション化から土地を守るという、二重の価値がある。

 
 
貧困地域の村にとって
医療とスカラシップによる教育支援は
未来の人材を作る上で
非常に有意義だが、 
すべての子たちを
奨学生としてとることも出来ず
本来なら、現地の親たちが
自分たちの収入で食べさせ
医療も受けさせられ、
子供たちを学校に行かせることが
出来れば最高だ。

その意味でも、
こうした収入プロジェクトを
スカラシップの若者たちと
実行していくことの意味は大きい。

この企画は、現地で大変喜ばれ
今後も長く続けていきたい。
1ヘクタールで
   
 

 村人たち総出の草刈りが始まった


まずはキアタウ集落で
村総出の草刈りが始まった
  
  

大人たちだけではなく
子供たちも参加して
父さんたちの仕事を見つめる 


スカラシップの若者たちも参加した
他地域から来た奨学生たちも
こうした作業に加わることによって
他の部族や地域の現状を知る。

特に、洪水地域から来た
イスラム教徒の若者たちが
上流のマノボ族の貧困の状態を知り
自らの地域の洪水対策のために
クリスチャンやマノボ族の若者たちと
協働することの意味は大きい。

背景に立つ不思議なマンゴーの木。
一本の木から、赤と緑の葉が生えて
異なったものでも、一つになれるという
象徴のように見えてくる。
  
    
     
 

父さんたちの働いている
背中を見て育つ子供たち
  
  

帰ると母親と子供たちが、料理を準備して待っていた 
 

仕事を終えて
男の子たちと家路に向かう
男たち
 


料理を準備して待っている
女性たちと女の子たち
米や食費もMCLで支給する 
 



朝日新聞の記者が
国際停戦監視団の落合さんの紹介で
ブアランの小学校を訪問
 

   

建設中のバスケットボールコート 
 
Mの会寄贈のバスケットボールコートは
建設中だ。
政情が多少不安定だったために
建設が中断したが再び再会される。

行橋カトリック教会で支援している子にも
毎月食料を支給している。
ずいぶんしっかりしてきた。
もう大丈夫。
 
 






文化祭ムスリムデー
3月20日up


今年は、2月末の日曜日の学生総会(高校大学の全奨学生が集まる)で
恒例のムスリムデーを開催した。
イスラム教徒とキリスト教徒と先住民族、ミンダナオを構成する三つの文化宗教。
対立を無くし、互いを理解し合い、尊重し認め合いながら生活する。
MCLの基本理念を具現化しているのが、文化祭だ。

今年のテーマは、「葬儀」。
結婚式、通過儀礼、病魔払い、出産儀礼などと同様に
重要なコスモロジー(宇宙像)を秘めた儀式だ。

今年は、日本から6名の若者たちが参加した 
 

お茶の水大学の幼児教育科の常連4名に加えて
新たに二人の今年卒業する大学生たち
就職も決まっているらしい
「MCLに来て子供たちに会うと、笑顔が満開になる」
というのは、ご本人たちの言葉。
右は、茅野の支援者の湯沢さんの娘さん
子供の頃を中国で過ごした体験を持つ。


大野理実さんは、
去年2度、長期にわたり
MCLに滞在し、卒論を書き上げた。
ミンダナオにおける保育の現状分析。
すばらしい論文で掲載したいのだが
公的な論文集に掲載予定なので
著作権があって出せない。

文章力もあり、内容も豊かで
ぜひとも外務省やJICA
他のNGO関係者も目を通すと良いだろう。
今年から、修士過程に入り研究を続ける



8月あたりから半年間留学予定。
もちろん、MCLに滞在し
現地をまわる。
今回はマノボ地域における研究だったが
次回は、イスラム地域を考えている。

右は大野民希さん
上の理実さんの妹だが
一橋大学の卒論だけを残して
まずは一年間MCLのスタッフとして
体験を積む。
すでにスタッフとして
頼もしく活動してくれている。

文章も精緻で詩情もあり
活動的なお姉さんと全く対照的に
穏やかでおとなしい感じだが
ハングライダーで空を飛ぶ癖がある。
限界を遙かに超えてしまっている
私の事務的な、対日本業務を
サポートしてくれると同時に
マノボ族の昔話の翻訳なども担当。
文才もあるので、私は彼女の
絵本や昔話集の出版も視野に入れている。

さらに右のお嬢さんたち
学校や裁判所にこれから勤務のかたわら
毎年?何とか暇を見つけて
必ず、かーーならず!
MCLに来るという。
この出会いが、今後どのように
発展していくか楽しみだ。


北野生教育振興会
通称、北野財団の奨学生授与式 

北野生涯教育振興会http://www.kitanozaidan.or.jp/
 

北野生涯教育振興会は
トヨタ、日産、ホンダなどの
車の電気を製造している会社の財団。
http://www.kitanozaidan.or.jp/
 
  

アジアでもタイや中国に工場を持ち
その地の優秀な学生に奨学金を授与してきた。
ところが、フィリピンには工場はなく
MCLのような、成績よりも、孤児や片親で極貧の子を優先する
変わったスカラシップ?に、光栄なことに初めて
奨学金を12名に出してくださることに・・・

今回は、都合により、直前に訪問をキャンセルなされたが
予定通り卒業と新規奨学生の授与式を行った。
スカラシップだけではなく、下記に記事を載せたが
毎年2つの保育所を寄付してくださっている。

 

 3名の卒業生と4名の新規大学生(残念ですが、一人ストップして入れ替えになりました)

イスラムの葬儀 

拙著『沖縄の宇宙像』や『火の神の懐にて』でも書いたのだが、
葬儀にはこの世を超えた宇宙像が含まれている。
イスラム文化にも、キリスト教文化にも、
ミンダナオでは、もともと宗教が到来した以前の
先住民族の世界観が根強く生きているようだ。

今までは10年間、おもに貧困の問題
戦闘の問題、宗教や民族の違いの問題に
実践的に取り組んでくる過程で現地を理解するのが精一杯だったが
これからは時間を見つけて、以前行ってきたように、
文化の深層の宇宙像にも目を向けていきたい。

 
 

死者の死を悲しむ。
この時点で死者の魂は体から離れているはずで
どこにいるかが注視される。
頭はどちらの方向に?
 
 

真剣に見守る
クリスチャンや先住民族の
奨学生たち
 
   

特別な布にくるまれて
墓に運ばれる。

衣を脱がされて、遺体に水がかけられる。水は、下に流れるスピリットで、死と清めの儀式に必ず現れてくる。 
今回の葬儀は、MCLの奨学生で、本物のオスタージュ(伝道師)の若者が担当した。


死体には新たな白い布が着せられる。この世と他界の区別が示されている。
死んだ霊は、イスラムの場合は、どのような過程を踏んでどこへ行くのか興味深い。
墓の方向も気になるところだ。

 

死体を埋めるときに、上から布で風を送っている。
風は、魂と深い関係があると考えられる。
最後に、隅にたてられた棒の意味と方角なども調べる必要がある。




こうした葬儀などの深層を見ていくと
以外とイスラム教徒もクリスチャンも
仏教徒も神道も、深層でつながっているのがわかってくる。

  
   

イスラムの歌と踊り 


今回踊ってくれたのは、ピキットのマギンダナオ族ではなく
ダバオの海に張り出した貧困地域の、タウスグ族の奨学生




MCL的、保育所建設 
今回は、二月末日に2棟完成した北野生涯教育財団の建設報告を紹介しながら、
MCL流、保育所建設支援の実態を紹介しよう。
北野生涯教育振興会http://www.kitanozaidan.or.jp/
3月12日up


1月から5月までは、年度で最も忙しい日々だ。
4月がMCLの年度替わりで、一年の集計をするときだが、
スカラシップの子どもたちが新年度を迎えるのもこの時期。
支援者の方々には、3月にスナップ写真と子どもの手紙をお送りし
5月に成績表、7月にプロフィールをお送りしている。
先年は多少の綻びが出たので、徹底的に業務を見直し
今年は、より確実充実した対応体制を敷いたので、ご安心ください。

スナップ写真を撮りに行くだけでも大変だが、
その場で山の子どもたちの写真を撮り、現状を確認
なかには、サトウキビ労働に狩りだされたあげく、ストップした子などもいて、
その状況を調べて支援者にご報告。代わりの子の支援をお願いしたり・・・
新たなスカラシップや里親の子とたちの調査や選択。
その合間を縫って、洪水支援対策のための集落でのミーティングを行い、
保育所建設を同時に行う。とにかく忙しく、サイト更新もままならないほど・・・

保育所建設も、予算をそのままドンと村にわたすようなずさんなやり方では
どこにどう使われたかわからないので、
くり返し現地調査をして、村人と懇意になり村の現状を確認し。 
DSWDの行政機関と連携を持ち、責任の所在をはっきりさせた上で建設をする。
資材の購入もまかせっきりにすると、とんでもない使い方や、
偽領収書をつかませられるので
現在は、経理と会計、そしてスタッフのなかの選ばれた少数の者だけが
現金を扱うような体制にしている。
北コタバトやイスラム自治区などのNGOが多数活動し支援慣れしているところでは
いかに海外支援からお金をだましとるかのテクニックも進んでいて一筋縄ではない。
 

まずは、現地調査。僻地のなかでも、最も貧困度の高い場所を選ぶので
現地調査だけでも大変だ。4WD車で到達できる場所ならまだ良いが、時には何時間も歩き、山の集落に到着する。
今回の場所は、DSWDからの依頼もあるが、行政からの依頼でも、実は、有名な反政府組織の活動拠点。
反政府組織の活動拠点なのに、なぜ行政が?と不思議に思われるかもしれないが、
住んでいればわかるのだが、ここでは説明しきれないので、興味があればいらしてください。


 
  
今回の開所式の直前に、
北野財団の方から、
訪問予定取り止めの連絡が入った。
キダパワンの監獄に収監されていた
MILFの爆弾製造にたけたコマンダーを
脱獄させるために
 
MIFLの戦士たちが、NPAと共に
監獄を襲撃。
コマンダーの解放には失敗したが
市民も含め数名が死亡した。
コマンダーはマニラに移送されたが、
警護がほとんどいなかった等
奇妙な点も多く、はたして反政府勢力の
仕業か否かは、現地でも疑問が出ている。

ミンダナオの状況を、私は楽観していない。 
MILFと政府軍との最終戦争を起こし
NPAも含めて、ミンダナオを
戦場に仕立て上げようとする動きがある?
フィリピン政府も世界の先進国も
ミンダナオに信じられないほどの予算を
つぎ込んで、ばらまいている。
国際NGOもことごとく
コタバトに集結している。
戦闘が起こるとしたならば、
今年から来年にかけてだろう。
かつてない大規模な道路整備が完結し
来年の地方選挙をめどに勃発?
国際停戦監視団やUNHCRの皆さん
停戦よろしくお願いします。

かつてピキットの村長が
言った言葉が忘れられない。

戦闘の起こる予兆

1,道路が補修整備される

2,国際NGOや国際機関が
  世界から集結する

3,頻繁に爆弾事件や誘拐事件が
  起こされる
 
 生臭い話はさておいて
私たちは、森を抜けて
目的とする集落の近くにたどり着いた。
右は、アバカ。アバカとはマニラ麻のこと。
ちゃんと栽培されている。

この地域のバゴボ族は、
よくマニラ麻を生産し、
自分たちで手透きですいている。

マニラ麻は、戦前にダバオで
日系人たちが従事していた産業だ。
マキララのバゴボ族のなかには、
日系人、つまり自分の先祖が
日本人だった人が多い。

案の定、思った通り
この村の人々の何人かは
祖父や曾祖父は日本人だったと
語ってくれた。

 
 
    

こんな山奥に
よくもまあ、人が住んでいるものだ
戦後、日本人であることを
隠して生きてきた人々の末裔?
村の子どもたちや
人々の生活を調査 
 

保育所建設を決定する前に
事前に村の調査をする。
読み聞かせを実行して
村の子どもたちの状況も把握

私たちの活動を見て、ある日本の方が言われた。
「あの大きさの保育所だったら、30万円以下で、建設可能だと思ったのですが
いま、ようやくわかりました。
これだけくり返し事前調査をして、読み聞かせもして
村とのコミュニケーションを図った上で建設する。
時には、資材を運び上げるのに、大勢の人々や馬も出る。
4WDで山道を数時間行く時のガソリン代だけでも馬鹿にならないのに・・・
人件費も並大抵ではないでしょう。
私はてっきり、寄付のお金を現地の村にボンとおいて、
後はまかせるだけだと思っていたのだけれど、
資材購入から完成まで、MCLのスタッフが全部責任を持って行動する。
いやあ、驚きました。」
 
  
 
資材の購入を現地にまかせれば、
セメントの三分の一は、有力者の
懐に入るし、水増しの建設費と
偽造領収書で建設費は
あっという間に30万円を超えるだろう。

10年間現地に住んで
現地の習慣や様子を
失敗もくり返しながら理解していくと
次第次第に、最良の施策方法が
編み出されてくるものだ。

私自身は、人をすぐ信頼し
人にまかせて物事を行うという
あまーーい性格なのだが
妻のエープリルリンが
その点、実にしっかりしている。
危機になると、学校をストップして
MCLを立て直すのも彼女で、
たびたび学校を停止して
7年間かけて高校を卒業
今、大学の教育学部数学科だが
今回も半年休学し
10周年に向けた経理体制を
作り上げてくれた

MCLが資材を購入 
資材購入もすべてMCLで行い、公式な領収書を受け取る。

 

壁を竹で作る。
今回の保育所の壁作りは、彼にまかせた。
高校生で学業はストップして、家業を手伝っている青年。
ほとんど職人といえる技術と気質を持っている好青年だ。
 
 

こちらは、砂利とセメントでブロックを作っている現場
上の竹の仕事の隣で
青年の父親が作業をしている。
 

セメントやブロックの購入現場。ここでもすべての価格と個数をチェックし、領収書を確認する
 

資材購入表のチェックと労働者の給与支払いもMCLで直接行う 
資材を届ける困難

集めた資材を現地に届けるのも並大抵ではない
時には思わぬ困難が襲う

ダンプカーは、ドライバー付きで市行政が貸してくれた
ガソリン代は、MCLが負担する。
だが、そのダンプカーが・・・
 


覆わぬところでスタックした!

MCLの4WD
日産のナバラで引いてみたのだが
多少動いたかと思ったら
何重にもまいた太い縄が
プッツー−−−−−ン!

これでは無理だ。
山の中腹では
集落の人々が
資材を担ぎ上げるために
集まっているという連絡は入るし。

急きょ資材をナバラに積み替えて
往復することになった。

ダンプカーの方は
運転手が市長に連絡。
市のパワーショベルが
救援に来ることに決定した。

   ようやく約束の場に届いた
資材を車から降ろし
今度は、人力と馬で
運び上げる。
集落は、ここから
徒歩で歩いても2時間はかかる。

このようなことが、実にしばしば起こるので
自分でも興味深いことだが、
何が起こっても少しも驚かなくなった。

神様は必ず、よりよい解決を用意している。
終わりよければ総てよし!

人間が作った4WD車も入れないところを、神が作った4WD(馬)は、何の苦もなく入っていく。
「人間って、大したことないなあ・・・」


いよいよ建設が始まった 
 

 自分たちの村に、
念願の保育所が出来るので
子どもたちも村人も大喜びだ。
    

いよいよ念願の開所式 
    
 開所式には、読み聞かせもあるので
MCLの子どもたちも参加する。
皆この日を楽しみにしている。
彼らもこぞって荷物を運ぶ。

右の写真で運んでいるのは
豚の丸焼き。
MCLで寄贈して村人と食べる。

貧しい村では、
豚の丸焼きは滅多に食べられない。
米もあまり食べられないので
MCLで寄付する。

その代わり、村で特産の食事を
村総出で準備してくれているはず
なんと言っても特産は

1,カエルの竹筒煮込み
2,カサバイモの蒸かし
3,山芋の蒸かし
3,地鶏の丸焼き
 
 


今回は、日本から勇敢な
女子大生たちが参加。
皆、今年大学を卒業する。
すでに就職先も決まっているのだが

「これからも毎年
絶対に時間を見つけて来ます。
ぜーーーったい!」

 
  
 その中の一人、大野理実さんは、
修士課程に進級が決まっている。
彼女の卒論は、
ミンダナオにおける保育の現状分析だ。

今年修士にはいったら
ミンダナオ子ども図書館に滞在しながら
さらに研究を深める予定。
MCLジャパンのボードメンバーも
引き受けてくださった。

妹の民希さんは
MCLのスタッフとして活動し始める。
たいしたお嬢さん方だ。
  

いよいよ開所式が始まった 
  

マロンピーニ村は
最初は雲の中だった
ここからアポ山に登山できる 
    
  

子どもたちは
地鶏を焼いてくれた
 


北野生涯教育財団つうしょう
北野財団は、車のライトをおもに
制作しているスタンレー電気の財団

http://www.kitanozaidan.or.jp/
 
大学のスカラシップの子たちも
12名支援してくださっている
 

開所式では、リボンカットと同時に
サイン式が重要な意味を持っている
サインには、村長、保育所の先生
MCLの代表、ディレクターなどがサイン。

基本的には、MCLから村へ
正式に保育所を譲渡し
村で責任を持って管理すること。
土地は、個人のものでも
デッドオブドネーションで譲渡すること
保育所の先生の給与を保証すること。
先生は、責任を持って
子どもたちの面倒を見ること。

そうした事柄が書かれている。
 
 
開所式のあとに
読み聞かせが 
  
    

今回の読み聞かせには、日本の若者たちも参加した。
英語で読み聞かせをして、エープリルリンが訳しながら現地語で語る。
一緒に踊ったり歌ったり。

保育園の建物を建設することをきっかけに
村人たちとの交流を開始することが、貧しい僻村にとって重要と考えている。
その根幹になるのが、この読み聞かせ。
さらに、今回も、大学進学と高校のスカラシップの子を採用。
彼らが、コンタクトパーソンとなっていく。
そして、数名の小学校の子どもたちを里親として採用し、
彼らの成長を通して、村との関係が深まっていく。
病気の子がいる場合は、医療も、現地とMCLを結ぶ大きな力となる。
 
 
   

そして最後は、みんなで食事。
貧しい村なので、米があるわけでもない。
おかずも鳥の丸焼きで大変なごちそう。

そこで、村では、普段食べている。
カサバイモと里芋を用意してもらい。
おかずのカエルを煮てもらう。
右の竹に入っているのがカエル
竹筒煮込みで、ほのかに竹の香りもする。

その横にあるのが、豚の丸焼き。
お祝いには、必携の一品だが、
現地では無理なのでMCLで準備した。
こうして子どもたちも含めて
食事をして完成をお祝いする。
北野財団の方、是非後日
訪問されてください。
  

北野財団のもう一つの保育所の開所式 


北野財団の訪問に合わせて
2カ所の保育所を同時に建設した。
こちらは、パルソン集落。
マキララ地域のバゴボ族の村。

  
マキララのDSWDの依頼だが、
マロンピーニほど山奥にあるわけではない。
しかし、保育所の建物がない
下のような、休憩所で保育をしている。



開所式の日、
村の若者がヤシの木に登り
ヤシのジュースと実を
ふるまってくれた。

このどん詰まりの集落の裏は
山が続いている。
この保育所に
山の方からも先住民が通っている。


洗濯を川でした後
母さんと家へもどる少女。
家で着替えをして
開所式に参加してくれた。

こちらの子供たちは
親の苦労を見ているだけではなく
積極的に、母さんや父さんを
手伝ったり助けたりする。

学校に行きたい理由もほとんどが
親を助けたい
家族を助けたい

 
  

私も開所式の挨拶をした。
もっぱら子供たちに語った。


ヤシの林に囲まれた保育所。
お母さん方も参加して
とても喜んでくださった。
 


恒例のサイン式典。
MCLから村への
保育所の譲渡。
土地の所有権の放棄、
村での維持の責任。
保育所の先生の給与
そうした規定が書かれている。

 


最後にボードが打ち付けられる。
このボードの制作は
もと奨学生で車いす
今はスタッフのジョイが描いている

  
下の写真、
左に写っているのがジョイ。
両足義足で手も生まれつきの障害が
あるけれども、明るく、
MCLで高校と大学を卒業後
スタッフとして活躍している。


   
 

開所式の後の読み聞かせ 


開所式の後の読み聞かせ
子供たちにとっては
もちろんこっちの方が楽しみだ。
 

こうして楽しみながら
子供たちの笑顔を見るとき
保育所を建設したことの喜びが
しみじみと感じられてくる。
北野財団さんありがとう!
    


今回の開所式は平日だったため
奨学生の子供たちが参加できずに
スタッフたちで読み聞かせ。
大きなカブのドラマも彼らがした。


  


読み聞かせの後に
絵本を受け取り
絵本を見ることも重要。

まだ字が読めない年頃だけれど
こうした体験が、将来勉強への
好奇心に自然に発展していく。


こうした子たちが
さまざまな本を読み
社会の矛盾に疑問を持ち
自ら貧困などの問題に
取り組んでいってほしいと思う。


  野菜売りの
彼女たちも
元気です
 
 
 

 お父さんは、毒を飲まされて殺された。原因は、地主が彼らを追い出したかったから。
土地もなく、 川沿いの傾斜地にかろうじて家を建て、母親は年老いた祖父母と、7人の子供たちと暮らしていた。
子供たちが野菜を売って生活している。上は、MCLに野菜を売りにきた時の写真。
3人をMCLの奨学生に採用したが、真ん中の長女は、去年家にもどって、母親を助けて野菜売りにもどった。

 

家に戻って野菜売りを続けて、家族を助けている長女。
学校は停止したが、本人の希望?もあるので仕方がない。
しかし、こうやって野菜を売りにくるので
MCLでほとんど買ってあげている。

学校に行くだけが全てではないし
こうした子はこうした子で
今後も見守っていこうと思う。 

下の子も一度帰ったが、MCLに戻ることに
 
   


下の子も、今年から家に戻ることにしたが、
聞くと、学校を停止してしまっていた。
本人は、MCLに住んで学校に通いたい。
しかし、母親から、上の子は子供の面倒を
下の彼女が、野菜売りをするように言われたようだ。
隣にいるのは、弟。

早速、母親と相談して、MCLに戻れることになった。
でも、一年生をもう一度繰り返すことに。

 野菜の値段をパッパと答えていく。
そして、あっという間に合計を答える。
しかし、一年を落第しても、翌年には成績優秀で表彰された子もいる
ミンダナオ子ども図書館のスカラシップは、
優等生に出しているわけではないので、難しいところだ。

優等生を支援したい方は、その旨、お伝えください。
優等生で、困窮家庭の子を探します。



数日後、誕生日があり、夜明け前に皆で歌った

夜明け前に、その子の寝ている部屋の前にあつまり、誕生日の歌をうたう。
ハラナと呼ばれている習慣だ。4時に起きて歌うが、私は、欠席したことがない。

 
 

歌い始めるとき、外には星がまたたいているが、
歌い終わったときに、夜が白々と明けてくる。
最初は、眠くて億劫なのだが、夜明けと
歌ってもらっ子この笑顔をみると、心も白々とあけてくる。
    

子どもの自立には、遊びが一番 
   
 
子ども時代を思い出すと、私も学校の勉強はさておいて、本当によく遊んだ。
拙著『昔話と心の自立』でも繰り返し書いたが、自立に何よりも大切なのは遊びだと思う。
コンピューターも含めて、ゲームは、遊びではない。遊びは自由な発想から始まる。



ハッピー バレンタイン 
  

皆でチョコレートケーキを食べた。
めったにこんなの食べられない?
 
    
    

こういう笑顔を忘れずに、皆元気に育ってほしい。
それにしても、つい先日まで、子供だったのに、
あっという間に年頃になっていく。
とにかく、特別な人間にならなくてもよいから。
幸せになってほしい。

子どもが生まれたり、先生になったら
宗派や部族を認め合いながらも
心から友情を結び合った体験を
次の世代に語ってほしい。
すでに結婚して、誇らしげにわが子を抱いてくる子もいる。
ということは、私はおじいちゃん?

右は、かつてのロクサンちゃん
上の写真では、左から3番目の子。
極貧のマノボ族の村、カヨパトンの出身。

現在、これらの村に洪水対策もかねた収益事業として
ゴムの苗の植樹プランを推進する計画をたてている。
そのときは、この子達も植林作業に参加する予定。

植林は、5月からが植え時となり
参加したい方はご連絡を!


Mail
松居友へメール
 




洪水支援のための詳細な調査を完了

洪水直後の緊急支援を今まで行ってきたが、今回は、洪水で破壊された生活を立て直すための
実質的な生活支援を、長期的な視点から行うことにした。
生活立て直し支援がないと、被災者の実質的な定着が不可能になるばかりか、
ただただ支援を待っているような受け身的な状態になりかねないからだ。

今もしばしば浮草が増え
洪水の予兆が繰り返し襲っている
しかし、とりあえず水は引いた状態に
この広大な湿原の中に、何と多くの
人々が、漁業と稲やトウモロコシを
植えて生活しているかを見ると
驚きが隠せない。・
家々が破壊されても、
彼等は、土地を離れようとはせず
時には屋根裏に逃げ、
実にしたたかに生きていく。
この地は、洪水と戦闘さえ無ければ
驚くほど農業と漁業資源に満ちている。
それを知っている湿原の人々は、
決してここを去ろうとしないだろう。

また、先住民族とも異なって
イスラム教徒独特の
高いホコリとプライド
強い自意識が感じられる

洪水支援

さゆり・立正佼成会平和基金・岡部恵造・Mの会 山本幸子・芝本祐造、
カトリック千里ニュータウン教会・久野万里子・菊地知子・千里サンパギータ


今回の支援は、ビニールシート600枚、大漁網8枚、小舟4雙、植林支援ゴムの木の苗60000本の他
立正佼成会から、リグアサン湿原を航行するための大型と小型の乗合船を支援していただきました。
この舟は、今後、ミンダナオ子ども図書館のリグアサン湿原地域における保育所建設
読み聞かせ、緊急支援に役立てると同時に、
小型舟も湿原内の学校の奨学生に学用品等を届けたり医療患者を救済したりします。
また、この舟は、MCLだけではなく、ピキットの市のDSWD(福祉局)やワールドフードの
食料支援などにも使用する予定です。
IMT(国際停戦監視団)やUNHCRでもご使用なさりたければご連絡下さい。


今回の支援は、3月から6月にかけて長期に行っていきます
随時経過をサイトにてご報告いたします。


被害状況を詳細に現場調査
この地は、石油と天然ガスの資源が豊富で
国際的にも注目されている。
大量の避難民を出し続けている
30年にもわたる戦闘も、
反政府活動を行っている
これら地域の住民の排除と
関係があるのではと
現地の人々は言う。

私には、良くわからないし
MCLは、政治には関与しない
子どもたちのための組織だが、
家々を流す鉄砲水の原因が
上流のダムの開閉と関係していると
言われていて、日本政府が建設したダムを
掌握しているのは国軍であることから
人々は疑いの目を差し向けている事も事実。


ピキット市のDSWD(福祉局)と連携して
MCLでは、漁民のための漁網と小舟を
生活立て直し支援のために実行することに決めた


ごらんのように、ここの住民の生活基盤は漁業だ。
洪水の鉄砲水のために、漁網が破壊されたり
流された人々も多い。
今回の漁網は、かなり大きな物を
集落単位で、小舟とともに渡すことにした。

支援,活動が多いピキットのDSWDで所長補佐をしているソーシャルワーカーのグレイスさんの提案で
単なる一時的な物的支援ではなく、生活基盤を立て直し、収入を復活することによって
住民が自分の力とやる気で再建するタイプの支援を今回は採用した。
それが、大きな漁網の支援で、二つの村の8つの集落に漁網を渡し
組織されてきている女性グループが全体を管理することで収益を上げ
それを村で公平に分配していく方法を採っている。

グレイスさんは、MCLのボードメンバーでもある。(下の写真、右)


支援に関しては、慎重に地元の意見を聞き
長期的な視野に立って計画を詰める
今回の洪水支援は、総合的に、三つの部分に分けられている。

1,漁網と小舟の支援
2,ビニールシートの支援
3,上流のゴムの植林の支援

ビニールシートは、湿原地帯の水田中心の村に、500枚支援する。
こちらは、雨漏りと同時に、晴れの時は収穫した米を乾燥させるために有益
ゴムの緑林は、アラカンのマノボ地域に行う。
植林によって洪水を防ぐと同時に、収入がなく土地を手放しがちな
マノボ族に収益をもたらす、生活保護支援にもなる。

ただ生活支援をするだけではなく
医療やスカラシップ、読み聞かせを通して
村との長期的な友情関係を作っていく
こうした奇形の子が多いのもこの地域の特徴
ちょうど、2000年、2003年頃に生まれた子に多い
アメリカとフィリピン軍の合同演習と
テロリスト掃討作戦で空爆まで行われた時期。
私は、劣化ウランを疑っているのだが
この子たちの手術や将来を考えて
スカラシップも決定した。
このようなところからMCLとの心の関係が生まれてくる。

MCLは、この時期、ゆいいつこの地区にまで入り込んで活動していたNGOとして、現地でも知られている。
その時の一人が、下のアメラちゃんだ

アメラちゃんも奨学生に


2003年、MCLが出発したばかりの頃
赤ちゃんだったアメラちゃんの頬の手術をした。
今は、すっかり成長して小学生になった。

ARMMの最も危険な地域で
当時は、軍隊の検問も厳しく、MCLだけを通してくれた。
今思っても良くあんなところまで行った物だと思う。

2003年の戦闘時のアメラちゃん
Amera Zailon(7month)
イスラム教徒

生まれつきの瘤が急速に拡大。
CTスキャンの結果深く喉を圧迫しており、
このままでは死亡。
ダバオの病院で早急に手術を決定。
ダバオドクトル病院。
ガンの疑いもあるという事で、
医師団が慎重にチェック、
顔の脳に近いところであるので、
手術も難しかったのですが無事終了。


送っていってびっくり。イスラム地区のもっとも激戦地で多くの人が亡くなった場所。
今も厳重な監視体制がひかれていて、さらに行き止まりの家屋から大きな川を小舟で渡ったところでした。




保育所建設の調査


現在、保育所建設の場所の調査を行っています。
5月の年度替わりまでに、前年度分の保育所を逐次完成していきます。


藤本洋子・丹原美穂・小池文司 杉の子幼稚園・中本山實相院発菩提心の会
宮崎 朱美・前田 玉枝(徹生・容子)・前田 鶴呉(徹生・容子)・京都暁星高校
(財)北野生涯教育振興会
野村 裕子


一軒の保育所を建てるのも容易ではない。
車の乗り入れがしやすい場所で、保育所建設を望む村もあり
建てようによっては、経費も安く次々と建てられるのだが
MCLは、スカラシップ同様に、保育所も極貧で最も辺境にあり
見捨てられているような村を慎重に選んで検討する。
4WDで山道を何時間もかけて走り、
そこからさらに徒歩や馬、時には舟で行く場所も多い。
資材の運搬も容易ではない。繰り返し村との調整をおこなうために
何度も車で通い、ガソリン代も馬鹿にならない。
保育所建設も地域によっては命がけだ。



そのような地域から、保育所を建設する
だけではなく、奨学生を採用し、
そこから村との長いお付き合いが始まる。

家庭崩壊の結果、見捨てられ
それでも頑張って親戚の家で働いて
小学校を卒業する
成績も良いし、奨学生候補に





学生総会が終わった


学生総会では、さまざまな諸問題が話し合われる。
ミンダナオ子ども図書館の高校生と大学生の全奨学生が集まる。
学校での諸経費の支払いから、心身上の問題まで。

何しろ、親がいなかったり、保護者がいない子もいるし
親がいても、三食ろくに食べられない家庭の場合は
大学生の息子や娘に、食費の支援すら出来ないわけで・・・

そうした問題にスタッフが、ともに考え対策を出していく。


今回の決議で、大学生や高校生で下宿小屋で生活している子たちに、米の支援をすることを決定した。
何しろ、極貧過程で、親が支給できなかったり、孤児だったりするから、食費が大変
それと、総会を隔月にすることに決定した。
以下は、予定。文化祭を兼ねて、奇数月の最終日曜日に行っている。皆さん、どうぞ参加して下さい。

1月・ムスリムデー  3月・シンポジウム  5月・平和の祈り  7月・マノボデー  9月・ビサヤデー 11月・学生総会

ミンダナオ子ども図書館のスカラシップ・里親奨学制度に関しては、以下をクリック
http://www.edit.ne.jp/~mindanao/sukarasatooya.htm

MCLのスカラシップは、学生たちに授業料だけではなく、諸経費やお小遣いもわたし
最極貧の子や孤児でも、大学まで行けるようにしています。
また、平和教育、文化の分かち合いなど、学校教育では体験できない文化祭を独自に行っています。
また、学生たちは、地域の読み聞かせや時には戦闘時の救済支援などを自ら行っています





プランギ河沿いのイスラム教徒の子たちにも
学用品を届け、状況をチェック


イスラム地区は、
ミンダナオの母なる大河
プランギ川沿いに広がっている

戦争と洪水さえなければ
地味も肥えて豊かな場所

洪水避難民となっていた
子たちと出会い
病気を治したところから
彼等とのお付き合いが始まった。

緊急支援の後も
こうした地道な交流を続けていくのが
ミンダナオ子ども図書館の特徴

こうして、人々の心のつながりが生まれてくる


ノート一冊、鉛筆一本が買えなくて
学校を諦めて行く子も多い


親のいない子
崩壊家庭の子たちを同時に調査



学用品を届けたり、授業料の支払いをし写真を撮ったりする過程で
必ず、現地に親がいず、また崩壊家庭で苦労している子たちがいないか
先生や村長に聞き、地域の現状を把握すると同時に、次期の奨学生候補としていく。




2008年の戦闘で知り合った
アルバちゃんに、今もMの会で食料を支給している



アルバちゃんはどうしている?
元気かな?

ちょうどおばあちゃんに抱かれて
昼寝から目覚めたところだった


アルバちゃんは、14歳になった
目は見えないが、
私たちの声を聞いただけで
優しい笑顔が返ってくる

2008年の戦闘時期に難民キャンプで発見
その後、行橋カトリック教会とMの会が
ミルクや米を支援
私たちが定期的に今も届けている

4年前、出会った当時は
正直に言って、生き残れるとは思えなかった



別の小学校では
懐かしい少女に再会



同じ2008年
難民キャンプで
足に大やけどを負った少女

緊急に病院に運び治療
その後も極貧で
住居を転々とするなか
彼女を探し出して奨学生に!

私たちの顔を見たとたん
大喜びでかけてきた!

以下は、出会った時と治療後の写真

こういう、子どもたちとの出会いがあるから、
この仕事は辞められない!



ラナコランの下宿小屋の子たちも
元気だった




いつもながら、雄大で素晴らしい
展望が開けるアラカン
天然記念物の
フィリピンイーグルが迎えてくれた


河野優子さんと京都暁星高校が寄贈して下さった、下宿小屋


新しい小学生たちを、奨学生に採用したいが

今までの奨学生たちも元気だった。多くの6年生が、これから高校に進学する。
MCLに住みながら通う子も出てくるだろう。そうした希望をインタビューする時期だ。


支援者に絵手紙を描く子どもたち
左で子どもを抱いているのは
夫婦で下宿小屋のハウスペアレントを
して下さっているスタッフのジェイ夫妻

子どもたちの面倒を見ていると同時に
子どもたちと一緒に
まわりで食材用の野菜を栽培
ニワトリを飼っている




新たな地域から奨学生を選ぶために
まだ踏み込んでいない、貧しい村の
子どもたちの状況も調査



学校から非常に遠く、取り残されたマノボの村


実際に現地を見て
状況を把握していく。
最終的な奨学生の決定は
ディレクターにゆだねられる。


現状を把握すると同時に
読み聞かせ等の活動を計画し
後日、再び子どもたちが集まる機会を作り
その中で再び奨学生候補を
選んでゆく。

MCLの奨学生は、
学校に行きたいと同時に
孤児などの不遇な環境の子たちを
優先してる。



3月に皆さんにお送りする
子どもたちのスナップショットの撮影に
走り回っています


子どもたちが書いているのは
支援者への絵手紙
小学校の子たちは英語がまだ堪能ではないので
こうして絵手紙を描きます

マロゴン村の問題は、高校の校舎
なんと、下の写真が校舎!

マロゴン村の問題は、高校の校舎が以下のような現状であること
スナップショットは、私も同行、現地の子どもたちの状況を把握すると同時に、問題点を理解する良い機会になります




緊急支援
岡部恵造・水谷泰士・立正佼成会・ふりやかよこ・森田富二夫
バンクーバー あしざわのりこ・Mの会

物資支援
田中ひろか・久野万里子&六甲カトリック教会・麗和幼稚園 貫井円
同志社小学校・柿本るみ子・篠原真由美・北野生涯教育振興会




洪水で被害を受けた
イスラム自治区、
リグアサン湿原集落を訪ねた

1月14日


小さな小川のような運河が
現地への到達手段
この先に、300世帯近い
集落が有るとは考えられない

集落に到達するためには、ジャングルの湿地を抜けなければならない
ワニに出会っても少しも不思議ではない。
周囲のニッパヤシは、屋根を葺く原材料になる。
小舟に乗り、薪をあつめていた家族に出会った。
子どもたちが手伝っている。
小さな魚が舟に飛びこんできた。自然が豊かな証拠だ。
ここを油田に開発したら、これら自然は、ことごとく破壊され、
人々の生活は圧迫されるだろう。

集落を抜けると、とつぜん開けた湿原地帯に飛び出した
突然、開けた湿原地帯に出た。見渡す限り広大な湿原地帯に、集落が見える。
米を栽培している。本来は豊かな地なのだが、今年は5回の洪水に出会った。
そのたびに収穫までの苦労が水泡に帰した。
農業と漁業が見事に両立している豊かな地域なのだが、
繰り返し洪水と戦闘に見舞われている。
戦闘の理由は、この地域から膨大な量で湧出している石油と天然ガス資源が
国際的に注目されているからだと言われている。

有名な反政府組織のちいきでもあり
住民の顔は、最初強ばっていた。
村長の依頼で向かったのだが、
事前の連絡がついていなかったのだ。

私たちは、モスクに招き入れられた。
しかし、話を理解して下さり緊急の集会を開いて下さった。
話が進むにしたがって、顔がゆるみはじめる。
今年も5度、洪水に襲われている。
戦闘の時もひどい状況になる。
支援はまったくなく、かつて一人オースラトリア政府関係のNGOが訪れて
ポンプを置いて、逃げるように帰って行った冗談が出た。
その時約束していった保育所も、その後の支援も何もないという。
政府関係のNGOではない、と言うと、信用して下さった。
そのかわり、小さな事しかできないが、
スカラシップを通して長くお付き合いしたいと話した。
日本人を見るのはもちろん初めて。


洪水のために
家々がかなり被害を受けている
洪水被害の件をたずねると、
今年は、5回の洪水に見舞われている。
そのたびに屋根裏に避難するのだという。
その屋根も腐りがひどい。
今は、若干水は引いた状態だが、
天候は今も良くなく、
再び洪水が襲う可能性がある
長いお付き合いをはじめるために
28日に、MCLの奨学生と来て
読み聞かせと古着の支援をするが、
一番必要としているのは、
ビニールシートだそうだ。

ここに皆さんからの緊急支援を・・・

屋根や壁の腐り方を見ると、繰り返された洪水に被害がよくわかる。真ん中のは橋。


世帯数は、役300世帯
子どもたちも、
ほとんど学校に通っていない
陸伝いに道は無いからだ。
下宿小屋を建てられると良いのだが


保育所建設も考えたいと思っている
MCLは、一時的な緊急支援もするけれども
支援後、困窮した人がまだ沢山いるのに
逃げるように引いていく国際NGO等を
実に沢山現地で見ているので
禿鷲(註1)にだけは、なりたくない
と思った記憶がよみがえる


屋根のシートもボロボロだ。
個人の支援に頼っている
小さい組織MCLに
出来ることは限られているのだが
この子たちをそのまま
放っておくことは
出来ない

子どもたちこそ
未来だから
(註1)
大規模な戦闘の時にも、国際的なNGOの見本市と言われるほど、ピキットの地域に世界のNGOが集まった。
当時、NGOが現地で活動している様子を見ていたが、イラクやアフガニスタンで戦闘が起こると、たちまち消え去った。
まだ、避難民キャンプが多々あり、困窮している家族が沢山あるのに・・・
NGO活動者に話を聞くと「もう、ミンダナオではないですよ、イラクですよ・・・」
一瞬、NGOというのは、寄付を求めて金のために動く集団なのか、
それじゃまるで、死肉に集まってくる禿鷹(ハゲタカ)と同じだな・・・と思った。
911前後の事である。
戦争は、意図的に起こされて支援によって現地を作り替えようとする、飴と鞭の政策かと思ったのを覚えている。
今思うと、緊急支援のそれなりの意味はわかるのだが、
ミンダナオ子ども図書館は、現地に溶け込んで現地の人々と、
ゆっくりでも長くお付き合いしていきたいと思った理由だ。
今もNGO(現地ではFoundation)に関心があるわけではない、
子どもたちを救済する必要があるときに、法的資格を持たざるを得ないからだ。

最近、日本に行った折に『ショック ドクトリン』ナオミ クライン著 岩波書店を買って読んだが
わたしが、一九九九年からここで見てきたことが、世界レベルで書かれていて興味深い。
わたしは、まったくNGOにも、ボランティア活動にも関心がなく、ミンダナオ子ども図書館を始めた理由は、
ドンボスコ社の月刊誌『カトリック生活』に以下のように書いたので、一部引用しておこう。
ドンボスコ社発行:月刊誌『カトリック生活』より抜粋

 ミンダナオ子ども図書館を始めた直接的なきっかけは、キダパワンの司教館に泊めていただいていたとき、ロムロ・バリエス司教に誘われて、現地から一時間ほど西へ行ったイスラム地域、ピキットの避難民キャンプを見たときだ。
 現地は、国際停戦監視団でも容易には活動できない高度な危険地域。今でこそミンダナオ子ども図書館は、スタッフも僕も、連日のように現地に深く入り込んで活動をしているが、当時バリエス司教は、同行する外国人である僕たちに「絶対に車から離れないこと」を約束させて現地に向かって出発した。
 車が大湿原に流れ込む大河、プランギ河を越えたとたん、避難民が増え始めた。着の身着のままの姿で、テントどころか、木の枝を立てた上にヤシの葉を葺いた下で生活している。しかもその数が半端ではない。見渡す限り地平線まで避難民なのだ。
 2000年に米国とフィリピン軍との合同演習(バリカタン)という名の実戦で、数十万の避難民が出た上に、二〇〇三年テロリスト掃討作戦で空爆まで含む戦闘が起きた。死体を埋める暇も無く、河に流したという。それがこの膨大な避難民だった。
 さすがにショックだった。何故このような事が起こるのかという疑問もさることながら、何よりも悲しかったのは、快活なフィリピンの子どもたちが、まったく笑顔を失っているどころか、表情すらないことだった。(註2)
 いくらなんでも、これはあまりにもひどすぎる。何か僕に、出来ることはないだろうか。そう思ったときにとっさに浮かんできたのが「読み聞かせ」だったのだ。子どもたちを前に、絵本などの読み語りをすれば、トラウマも消え元気になれるはずだ。
さらに、避難民のキャンプに、病気の子どもがいたので、ポケットマネーでも良いから病院に運びたいと、現地の人に話したら、「どこのNGOに属しているのか?」と聞かれた。「どこにも属していない」と答えると、「NGOに属していない者はここでは活動できない」と言われた。強い、怒りがこみ上げてきた。目の前にいる子どもを助けることも許されない!イエスは、NGOに所属しながら、病人や貧者を救ったのだろうか!
 当時、五名の若者たちを学校に行かせてあげていたが、彼等に相談すると「私たちで、法人資格を取ってみる」と言って、当時高校生だった若者たちが半年で許可を取ってしまった。彼等は今、有能なスタッフとして活躍している。ボランティアなど全く関心がなかった僕が、NGOにはまってしまったのは、子どもたちへの愛からだった。





聖マーガレット幼稚園寄贈の
保育所ができた



とっても貧しい村ですが、
子どもたちは本当に可愛い。

場所は、マグペットの山の中、非常に貧しいマノボ族の村。
ここに行くには、山の中を1時間ほど歩くしかない。
資材も馬で運んだ。

実は、この保育所。わたしが日本に行った直後に完成し、開所式があった。
わたしは、慌ただしく日本に旅立った直後だったので
寄贈者のお名前を忘れてしまっていました。ゴメンナサイ
日本に滞在中、講演会にうかがったのに、ご報告できませんでした。
聖マーガレット幼稚園では、子どもたちにもお話ができて、とっても楽しい時間でした。
 幼稚園のサイトへ マーガレット幼稚園
いつか是非、来て下さい。ご案内します。




マカブアル小学校で
父親が事故で亡くなった子を奨学生に

1月12日


現在、支援者に送るための
奨学生たちのスナップショットを撮っている。
学校を訪ねては、一枚一枚撮るのだが
子どもたちの成長の様子と
問題点の確認、生活状況の把握ができる
大切なときだ。

今回は、マカブアルで、父親が亡くなり
学校を停止せざるを得ない状況の子たちに会った
成績は優秀、表彰もされているのだけれど、
60円が払えないで、ストップしている。


1年生の子だけ、学校にいた。右の写真。
3年生の子は、母さんと市場に干物を売りに。
6年生の子が家で弟の面倒をみていた。
右端の写真。l

今年から,スカラシップセクション担当の
アルベルト(元奨学生)が調査書を作成。

大学出マスコミにケーションを学んで
一時、FMラジオ局で
ボランティスタッフをしていただけに
インタビューはお手の物?


 Mail松居友へメール

小学生の奨学生たち。ほら、こんなに成長してきました。
もうじき高校生。支援者の方々、ありがとう。3月にスナップショットをお送りします。

セニオマラウの奨学生が、病気だったので
至急病院へ!



もう、2ヶ月もこの状態だった。
父親は亡くなっていて、母親が一人で面倒を見ているが
生活は大変だ。
すっかりやせ細っている。

私たちは、6月、9月、2月と
全奨学生を、足で歩いてチェックする。
写真を撮って、絵手紙を描いてもらう。

高校大学生は、総会でMCLに来るのだが、
小学生は、現地に向かう。
小学校に行くと言っても
日本の感覚とは異なっていて
今回のイスラム地域は、舟に乗り
マノボの山岳地域は、4WDで山を越えていく。

ともに、反政府組織の地域と呼ばれていて
一般の人々では、
なかなか入れない地域だけに緊張する。

今回の写真の子たちは、
みな、イスラム教徒の子たち。
リグアサン湿原の子もいる。

今後、マノボ地域とクリスチャン地域の
全員の子たち、290名ほどを
調査する。

支援して下さる方は、松居友までメールを

 Mail松居友へメール




洪水支援のその後
1月5日


今回の支援で、古着や寄付をお寄せ下さった方々のお名前を掲載させていただきました

大野理実さま、粟國良子さま、諏訪幼稚園さま、フリーヘルプさま、北野生涯教育振興会さま、
富高英徳さま、加藤亜弓さま、中村忠雄さま、たかのさとこさま、こどもの里さま、服部絵美子さま、


洪水があった後に
ビニールシートを支援しようとしたが
年末で銀行が休みに入り
シートを買うことができずに
年明けを迎えてしまった。

しかし、前掲の方々から届いていた
古着を30日と31日の
両日に届ける事ができたのは
幸いだった。
現地の方々も子どもたちも
とっても喜んでくれたし
MCLの子どもや若者たちも
頑張って手伝ってくれた。
心から感謝します。

その後、年開けて、銀行の開く
3日に再度訪問したが
小学校に避難民たちの姿は無かった。
ダムは満杯ではある物の
水は多少引いていたので
家に帰したとの事・・・
今回のダムの水の調整は
下にも被害が無かったし
かなりうまくいったようだ。
IMTが動いてくれた件も大きい?

3日に避難民を全員帰した理由だが
ミンダナオでは、3日から学校が始まるので
校庭を開放せざるを得なかったとか。
避難民たちの家は
まだかなり水に浸かっていて

膝まで来る泥の中を
家に戻ったと聞いているから
どうやらかなり強制的に
帰宅させた様子もある?
残念だったのは、元旦の休日が入り
あれほど皆望んでいた、
ビニールシートの支援が
できなかったことだ。

帰宅したとしても、
水に浸かった家や屋根の下
雨をよけながら眠るのも難しいし
シートは、非常に役に立ったはずだ。
それに、今年の気候状況と
7月から度重なる水害
ダムの満杯の様子からも
いつ再び避難民状態になるかわからない。
加えて、政府とMILFの交渉が決裂すれば
近く、かなり大規模な戦闘が
勃発する可能性もある。

寄付を下さった方々に心から感謝します。
ご安心下さい。
さっそくビニールシート購入し
次回はすぐに行動できるように
倉庫に保存しておきます。


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