戦争と平和構築
2008年の記録から
(3)

   
カバカンの
避難民たちの一部が
集落にもどったとたん
108軒の家々と
学校が焼かれた
 
戦争は
治まる気配はなく
一年あまり続いた


住んでいた
家を放棄して

なけなしの家財道具を
牛車にのせて

町の近くに避難する
戦争避難民の人々


多くの人々が
湿原地帯の漁民だったり
大土地所有者のしたで働く
小作だったりする。


収穫が無ければ
日々の食べ物にも事欠き


着る物もあまりなく
裸足の子が多い。


このようなところで
これから数ヶ月
この年は一年ちかく
住まなくてはならなかった。


ヤシの葉を葺いて
何とか屋根を作ったものの
雨が降れば
ビショビショになる。


着る物もなく
食べるものも無く


お金が無いので
病気になっても
薬一つ買えない。


かわいそうなのは
何の罪も無い子どもたち。





親戚の家に
避難できた家族は
まだ良い方だ。


避難生活は、
子どもと


小さな
子どもを持った
母親たちと




お年寄りに
厳しい






湿地の向こうの
集落で
戦闘が勃発
私たちの家に
火がつけられた!







戦闘地に向かう
国軍兵士たち


政府側も反政府側も
極貧故に兵士に応募する
若者たちが多い


ゲリラにリクルートされれば
国軍の兵士並みの給与が
海外から入ってくる。


家族を助けるためならば
ぼくが、殺されても
がんばるよ。


こうして、
国軍側もゲリラ側も
ミンダナオ出身の貧しい若者たちが
先頭に立たされて
死んでいく。


格差社会から生まれてくる
貧困こそが
戦争を作る基盤。


東南アジア最大の湿原
といわれている
リグアサン湿原


この湿原地帯からは
膨大な石油と天然ガスの
湧出が確認されている。


その資源の
発掘権利を巡る
国際的な資本による争いが
戦争の原因だと
現地で聞いた。


海外資本から
莫大な資金が投入されて
ゲリラ側にも
武器を購入や
テロリストのリクルートの
資金源になっているのだそうだ。


「武器は、
米国製のものが多いけど
最近は、中国製も
性能が良くなっているよ。
日本製の銃も入ってくる。」


ぼくは、
「エッ」といったきり
開いた口がふさがらない。


武器商人にとっては
金儲けのチャンスなんだろうけれど


かわいそうなのは
最前線に立たされて
死んでいく若者たちと


罪も無い子どもたちだ。

ある村長さんが
こう言った。

世界がこの土地に
関心を持って
くれさえしなければ

ミンダナオは、
平和だったんだけどなあ・・・。

最初は、
何を言っているのか
わからなかったけれども


現地では
イスラム教徒とクリスチャンが
反目している様子もないし


ミンダナオ子ども図書館の役員にも
現地出身の福祉局の
ソーシャルワーカーが
二人いて


一人は
クリスチャンの女性
もう一人は、
パガルガンサイドの
イスラム教徒の男性で


クリスチャンのグレイスさんなど
カトリック教会のソーシャルワーカーも
勤めているけれども


医療スタッフが付き添い
イスラムの婦人たちと連携して
戦争が起こると
神父様といっしょに
爆弾の落ちる中を
命がけで
イスラムの子どもたちの救済に
駆け回っている。


下の写真で
紫の服を着ているのが
ミンダナオ子ども図書館の
役員で
ピキット市の福祉局の所長補佐。
そして、
カトリック教会の
ソーシャルワーカーの
グレイスさん。


こうした人たちと
一致団結して活動するので
安全に確実に
支援活動が可能なのです。









あいかわらず
毎日のように
湿原地帯から避難してくる人々


この広大な湿原地帯には
5000世帯と呼ばれている
漁民たちが住んで生活している


世界一大きなワニも
この湿地帯の出身だ!


この湿地帯を舞台にした
絵本を作りました。
よろしかったら
読んでみてくださいね。
「サダムとせかいいち大きなワニ」
(今人社)

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理由や原因は何であれ
とにかく
すべての戦争は嫌だ


しかし、
いったん子どもたちの
悲惨さを
見てしまったからには
放っておくことはできなかった。


それが、
ミンダナオ子ども図書館を
始めたきっかけだった。


しかし、
日本の隣の国で
このようなことが40年以上にわたり
起こっていることなど
日本の人々は、
全く知らされていない。


2000年初期の
120万の避難民が出たときなど
多くのマスコミが
取材に来たいと
連絡してきたけれども、
ぜんぶストップされたのには
驚いた。


日本は、
アジアの中で
引きこもっているように見えて
かなり不安にもなってきた。


そこで、2017年に
せめて、日本の青少年や
一般の人々にも伝えようと
17年ぶりに本を書いた。
「手とつなごうよ」(彩流社)


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ミンダナオ子ども図書館で
ビニールシートを切って
避難民支援を始める子どもたち


ミンダナオ子ども図書館のある
キダパワン市は、
戦争が起こり続けている
イスラム自治区のある
リグアサン湿原地帯と同じ
北コタバト州に属してはいるものの
クリスチャン圏と呼ばれていて
ダバオ地域に近い。


それゆえに
イスラムの過激派との
戦争に巻き込まれる事も少なく
比較的安全だといわれている。


フィリピンの最高峰
アポ山(2954m)の麓の
高原にあり
小さな大学も多い
学園都市になっています。


キダパワン市の地図へ
山には、NPAと呼ばれる
新人民軍の活動地域もあり、
コタバト市に向かって
一時間半ほど行くと
戦争が起こっている
イスラム地域に入ります。


そのような地域から来た
戦争孤児や貧困な先住民の
子どもたちをスカラシップでとり
(現在は340名ほど)

そのなかでも、
現地に放っておくことができない子たちは
本人と保護者の了解を得て
本部や下宿施設に
住み込んで
大学まで通えるようにしています。


現地は、
完全に安全であるとは
言えない地域なのですが、
現地の子供たちが
戦争や貧困で
困窮におちいると

こうした若者たちが
中心になって
読み語りや
戦争避難民の救済支援に
向かいます。

2000年より現在にいたるまで
続けている
現地法人のNGOです。



わたしたちは、
緊急のビニールシートを配った


戦争避難民たちは
このような状況のなかで
毎日を過ごしている。


いろいろな支援が
必要だけれど
まず何よりも
必要としているのは
寝られる場所を確保すること。


最初のうちは
屋根のあるドームや倉庫や
学校に避難できるけれど


あっという間に
いっぱいになり
国道沿いや
道から離れた空き地に
避難民たちがあふれていく。


2008年のこの時は
約80万人の
避難民だった。


けれでども
初めて見た2001年から2003年に
かけての避難民は
何と120万人を超えていた。


当時は、
ミンダナオ子ども図書館を
開始したばかりの頃で
あまりのひどさに
カメラを向けることもできなかった。


ただしその後は
子どもたちを助けてくださる
支援者への
真実の活動報告として


活動をなるべく
写真に記録して
サイトを通して
また、隔月にお送りしている
機関紙「ミンダナオの風」を通して


真実をご報告するように
スタッフたちと
努力することに決めた。


NGOに関する知識も
活動そのものにも
まったく関心もなかった
わたし(松居友)が、
子どもたちの悲惨さを
目の当たりにして
始めたので知識も何もない


けれど、
「NGOなんて言っているけど
文章だけで
本当はたいして
何もやっていないのでは?
そんなNGOがたくさんあるよ・・・。」


そんな話が耳に入ってきて
だったらなるべく絵本のように
文章と写真で
日々の活動を記録して
支援者の方々に報告しよう


そのためには
機関紙だけではなく
自らサイトを作って
記録をしっかり載せていこう


機関紙とサイトが
支援者への報告の
両輪だと思って開始したのが
サイト:「ミンダナオ子ども図書館だより」
でした。



戦争避難民たちに
ビニールシートをくばる
ミンダナオ子ども図書館の
若者たち


現地をよく知っている
奨学生たちが
主役だからこそ
こうした活動ができる。


自分も避難民生活を
小さいころから
体験してきた若者たち


だからこそ
相手の気持ちも
心の底から理解して


平和の活動に
自分のすべてを捧げられる


数か月すると
海外からの支援も来るようになった。
下は、UNHCRからおくられた
ビニールシート
UNCRは、現地を知った
良い支援をしているなあと感じた。


さすがに
質も大きさも素晴らしい。


そうした場所は
海外NGOに任せて
わたしたちは、
一般支援が行き届かない
奥の村へと移っていく。


下は、現地で生まれ育って
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生になったザイくん


極貧で父親は漁師で
なんとか食べてきたけれども
戦争で湿原から
避難しなくてはならなくなり
困窮しているのを見て
奨学生に採用した。
兄弟姉妹多く、
妹も二人が奨学生なり
上の子は今(2018年)に
スタッフになり結婚もした。
小学生だった妹も、
高校を卒業し
2018年現在は
大学生でMCLに住んでいる。



現地の子たちも
本当によく手伝ってくれる。




ビニールシートが
手に入っただけでも一安心。
これで、雨が降っても
だいじょうぶ。


持ってきたシートを
奨学生やスタッフたちが
避難民たちと一緒に
カットしていく。


穀物干し場の
コンクリートの上ならば
湿地の土の上で
寝るよりもいいので
おおぜいの家族や
避難民の人たちが
いっしょに寝られるように
大きなシートで屋根を作った。


土の上で寝る
人たちのためにも
シートをカットして渡していった。


湿原に近い土は
寝るのには
良くないけれども
ヤシやバナナの葉を敷いて寝る。


国際的なNGOが
支援活動を始めるのは
約一ヶ月から二ヶ月後。
一番厳しいのが、
避難してからの
一週間から一ヶ月。
何の支援もなく
寝る場所にも困る人々。


戦争から逃れるために
衣服も食器も
ときには、
家畜もおいて
逃げてきたひとびと。


シートはみな
ミンダナオ子ども図書館で
くばったものです。





子どもたちの中に
病気の子どもがいないか
何を必要としているかを
チェックしていく。


場合によって
親がいなかったり
戦争で死んだ子は


保護者と福祉局の
了解を得て
ミンダナオ子ども図書館にひきとる


厳しい状態の家族には
ミンダナオ子ども図書館を
避難場所として提供する。


ミンダナオ子ども図書館は、
避難民の救済場所としても
孤児施設としても
政府の認定を受けている


戦闘の起こっている
北コタバト州のNGOから
フィリピン全体を活動範囲とした
フィリピンNGOとなり
2018年には、
政府認定のNGOとなった。


同時に、
戦闘の起こっているピキット市
イスラム自治区のパガルガン市
そして、MCLのある
キダパワン市の福祉局とも
いつも連携をとりながら行動している。

支援活動は、夜も続く。

シートの下で寝られるなんて
思いもよらなかった!
ご飯も食べさせてもらって!
大喜びの子どもたち。


戦争が終わり帰ってみると
竹の家は、
腐ってこわれて
家畜もいなければ
残してきた衣服や鍋釜も
無くなっている。


このようなところで一年
時には2年近く
すごさなければならない。


かわいそうなのは、
幼い子どもたち。


なんで大人たちは
戦争なんて起こすのかしら。



戦争で親が死んだ
この子も奨学生に採用した。



私たちは
古着の支援もした。


古着を手にとって
子どもたちの体格に合わせて
選んでいるのは
ミンダナオ子ども図書館の若者たち


ミンダナオ子ども図書館支援方法

普段も穴だらけで
ボロボロの服を着ている
子どもたちにとって
たとえ古着であっても
信じられないプレゼントだ。


ほとんどの子たちが
古着どころか
靴も無い




ゴム草履がはければ
良い方で
それすら穴だらけ。





裸足が普通で
靴なんて
夢のまた夢










奨学生たちによる
読み語りがはじまった!


読み語りは
物やお金の
支援では無く
愛と友情の心の支援


大人たちは
最初は少しがっかりして
「何にもくれないの?」


でも、
子どもたちが
大喜びする姿を見て


親の気持ちも
明るくなり

落ちこんでいた
集落の人々の顔にも
笑顔がもどってくる。


村長さん曰く
「村人たちの顔が明るくなって
本当に良かった!
物の支援だけが良いとは
思わなくなったよ。」


子どもたちこそ未来だから
子どもたちが明るくなると
未来も明るい!



最後は
ミンダナオ子ども図書館の
若者たちが劇をする。


劇の題名は

「おおきなカサバイモ」


劇の元のお話は
絵本「おおきなカブ」だけれど
現地では、あまりカブは食べないから
よく食べるカサバイモで
子どもたちが劇を作った。




子どもたちと一緒に
大人たちも見ている


読み語りが終わったら
子どもたちは
絵本を手にとって見る。


終わって大喜びの
ミンダナオ子ども図書館の若者たち


また来てね
絶対に
また来てね



アルバちゃんにも
会った


避難生活が
長くなるにしたがって
病気の子たちが
増えてくる


下の子は
足が悪くて
歩いて学校に通えない


後日
避難生活が終わってから


日本の支援者から送られてきた
車いすをとどけた。


下の子は
緊急の手術が必要なので
ダバオ市の病院へ


こうした奇形が多いのも
劣化ウラン弾が
使われたせいだと
言われている。


下の子も手術した。

下の子も
ダバオで手術して
肛門からの排便が
可能になった。


下の子だけは
医師に見せたが
手術は不可能とのこと。
2003年の米軍による
テロリスト掃討作戦の時期に
空爆もあり
そのころに妊娠していた子に多い症状。


ヘアリップの子たちも
毎年チェックして
医療スタッフが付き添いで
年に一度、十数人まとめて
ダバオで手術をおこなう。



日がたつにつれて
食べるものが無く
体が弱って
病気の子が多くなっていった。




こうした子たちは
風邪薬すら
買うことが出来ない


本来ならば
死ななくて良い病気で
死んでいく





子どもの体力を
つけるために
食糧支援を始めた。
















戦争で
最もかわいそうなのは
子どもたち


ミンダナオ子ども図書館は
ひたすら
子どもたちの
事のみを考えて
行動する。





































この子たちも
ミンダナオ
子ども図書館の
奨学生になった






ミンダナオ子ども図書館支援方法




















みなさんも
支援者になってくださいね!

ここのような地域に、
訪問者は同行してません。
松居友とスタッフのみです。


道わきに避難する人々

雨よけのシートもなく
これでは、
雨が降ったらビショビショだ。


わずかばかりの着るものと
生活道具を荷車に積んで
命からがら
安全地帯に逃げてくる人々
荷車や馬がいれば豊かな方だ。。


子どもたちの
着替えの服もない



MNLFの集落に軍が入り、
つかの間の停戦が実現
避難民の一部は、
集落もどったが・・・


今回は、
DSWD福祉局と軍が
米の支給をしました。
しかし、下の写真のように
地元までは、
軍に送り届けられて帰ったものの、
家が奥地にあり
恐ろしくて帰れない人々もいます。

今回の状況調査で、
様々なことがわかってきました。
あまり詳細には語れませんが
なぜ、MNLFとMILFが対立したか・・・。

大土地所有者と多国籍プランテーション
無数の貧しい土地無し農民と
裕福な人々と・・・
現地では、
貧富の格差が、戦争が起こる
理由の一つだといわれている。

以下は、
村の中心部のヘルスセンターで
避難生活をしている人々


屋根のあるところに
避難できる人々は、幸運だ。


焼き払われた学校
焼かれた家々

なぜ学校が焼かれたのか
不思議に思っていたが、
大土地所有者が
土地を握っている
このような地域では、
有力者は、学校の誘致や
軍への支援要請もできる。

大土地所有者は、
かつての日本での荘園制度のように、
広大な土地を持っており、
多くの小作と私兵を抱えている。

こうした大土地所有者の庇護のもとで、
小作や日雇いの仕事を
あたえられている者たちは、
収入もあり、学校に通えるけれども、

その周囲に、さらに貧しい
土地のない人々や、
先住民族たちもいる。

今回の戦闘は、
大土地所有者を追い出して
アブラヤシを植えようと
したりしたところから始まったようだ。

この地域では数年前から、
住民の殺害などの事件が
起きていたそうだ。

108件の家々が、焼かれた。

次は、隣のMILF側の村を
DSWD福祉局と訪問します。
道がないので、
舟に乗らなければなりません。
両者の間に平和を実現するには、
どうしたらよいのだろうか

軍の駐留で、
今は戦闘が収まっているけれども・・・

皆さんからの戦闘に対する寄付は、
戦闘による被害者、
破壊された小学校や保育所
避難民の食料や物資などの支援、
平和構築に使っていきます。
ミンダナオ子ども図書館支援方法

避難民支援を開始
キダパワンとピキットの間の町カバカン。
USM南ミンダナオ州立大学もある
学園都市だけれども、
ムスリム地域とクリスチャン地域の
境界に位置していると同時に、
イスラムと先住民のマノボ族の
境界の町でもある。

その背後は、
道も無いプランギ川の上流地帯で、
ムスリムとマノボが混合している。
その地で、1月に戦闘が起こり、
100以上の家が焼かれた。

MCLでは、
地域の有力者同士のリドーと呼ばれる
地域紛争であると思い、
関与して来なかったのだが、

現地からの要請もあり、
子供たちを放っておけずに
支援に向かった。

意外と深い問題が
隠されていることがわかってきた。


根本にあるのは、
先祖伝来の土地の所有権と、
それに対する
近代における海外からの
農業や鉱業資源の
国際的な開発の問題なのだそうだ。


ミンダナオ子ども図書館の活動基盤は
子どもたちへの愛
それに基づいた友情と愛の支援なので
Non Politic, Non Religious sect
政治と特定の宗派の元では
活動しないことをポロシーにしている。

現地の政治的、経済的な問題にも
特別関心は、ないのだけれど、
多くの庶民から
さまざまな事が語られてくる。


読み語りが始まる

「読み語り」
日本で一般的にいわれている
「読み聞かせ」は、
ミンダナオ子ども図書館の
幹になる基幹の活動です。



ミンダナオ子ども図書館を始めた理由も
戦争避難民を見て
トラウマ状態の子どもたちに
ショックを受けて
絵本の読み語りをしてあげたら
元気になるかもしれないと
思ったからでした。
そのときのことは、
拙著:手をつなごうよ(彩流社)に
書きましたので
読んでごらになってください。

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祈りの後で
読み語りが始まった

読み語りは必ず
先住民、イスラム、クリスチャンの
祈りから始まる。
この村は、イスラム地域なので
まず最初に、イスラムの祈りから始める。

祈りの後は、
まずは景気づけの歌と踊り。
ロラロラレー!

カバカン地域は、
大学もあるので
学校教育が行き届いていると
思っていたけれども、

ほとんどの子たちが
タガログ語も知らず、
マギンダナオ族の母語である
マギンダナオ語を中心にして
読み語りが行われた。




普段は、
厳しい避難生活だけに
読み語りが
楽しくってしょうがない!


絵本など見たこともない
子たちにとって
読み語りは、
楽しい驚きの体験。


表情を失っていた顔に
次第に笑顔がもどってくる。

最後は、
絵本を手にとって
見ることができる。




子どもが幸せそうな事こそが
親にとっても
最大の幸せ!

読み語りの後の
炊き出しに並ぶ
子どもたち

読み語りの後には
必ず炊き出しや
おやつのパンの配布をする。

ミンダナオ子ども図書館支援方法

炊き出しは成功している。
米の支給だけだと
大きな大人や青年たちが
食べ尽くしてしまって、

小さな子どもたちに
十分回らない事も多い。

そのようなわけで、
ミンダナオ子ども図書館は、
17歳以下に限定した
炊き出しをすることにした。

ご飯を炊き、
おかずと一緒に
その場で子どもたちに
渡して食べさせる。

週に3回来て、
3週間続けて、計9回の
第一回炊き出し計画が完了した。


こうして、
確実に子どもたちに
栄養を補給し
基礎体力の維持を
可能にしている。


ミンダナオの情勢は
流動的だ。

カラカカンやパニコパン、
ダリガウインなどの国道沿いは
落ち着いていて、
山岳地域の反政府勢力も、
本格的な活動は開始していないと、
スカラーからは聞いている。

国道沿いで安全で
入りやすいところは、
様々なNGOも入って来ているし、
炊き出し支援も行われているから
そちらは、任せて
私たちは、他のNGOには入れない
より困難な地域へと向かう。
(地図では、上へ抜ける道沿い)

現在大変なのは、
ラガイエンやブアラン、
パイドプランギといった、
辺境地域だ。

戦闘が勃発し
難民が村から、
シリックの
村道沿いに
大量に
避難してきている。

避難民たちは
国道沿いの空き地に
寝る場所を作ろうとしているが
雨よけのシートがない。

とりあえず
現地では、寝るときにうわがけにする
布で屋根を作っている。

しかし、これでは
雨が降ったらびしょ濡れになってしまう。

なるべく
椰子の木やバナナの木のそばに
寝場所を作っている。

雨が降ったら
椰子やバナナの葉を屋根にするために。



これら村道は、最近になって、
ブルドーザーで
道の拡張整備が緊急に行われた。
おそらく、軍用車の走行を
より早く大量にするためだと
現地の人々はいっている。

すでに、40年間
大きな戦争は3年おきに
地域紛争は、毎年のように起こる。

わたしが、初めて見た戦争状況は
2001年だった。
そのときは、120万人の避難民。

バリカタンと呼ばれる
政府軍と米軍の軍事演習ではじまり
戦争は一年以上続き

さらに、その後の避難民が
まだ帰宅できないにもかかわらず
当時のブッシュ政権による
「テロリスト掃討作戦」が開始され

避難民は、130万人を超えたといわれた。
そのときには、米軍による空爆もあった。

しかし、その後あっというまに
米軍とNGOの見本市とまでいわれた
数々の国際NGOが
突然のように消えていった。

まだ避難民が大量にいるのに
驚いて理由をたずねると。

「マツイさん。
もう、ミンダナオじゃないですよ。
イラク、イラク・・・」

イラク戦争が勃発して、
米軍もNGOの見本市といわれたほどの
未だかつてないたくさんの国際NGOも
あっという間に消えていった。

残ったのは、
ミンダナオ子ども図書館と
コタバトのNGOがひとつだけ。

NGOや国際支援など
ぜんぜん関心もなく
ぐうぜんに現地に飛び込んだ
無知なぼくの心に、
ふっと浮かんだのが、
戦争ってなんだろう。
国際支援ってなんだろう。

ミンダナオ子ども図書館支援方法

私たちの
スカラーたちも
多く避難していた。



イスラムの祝日、
ラマダン明けに、
事態は悪い方へ
向かうと言われている・・・





ミンダナオ子ども図書館では、
第二回炊き出しを、
とりわけ困窮している
この地域で開始した。


この地域は
東南アジア最大の湿原
リグアサン湿原の近くでもあり
地面はいつもビショビショ



そのような湿った土の上に
良くてビニールシートをひいて、
貧しくてシートも買えない家族は、
椰子の葉やをおいて
何日も寝なければならない。

衛生状態も悪く
子どもたちにとっては
命がけの生活がはじまる。

現地の人々の状況を見て
さらに、現地出身の奨学生たちが
人々と話をして

本当に必要としているものを
確認して
支援を開始する。

支援物資を積んだ
ミンダナオ子ども図書館のトラックが
到着すると
人々は大喜びだ。

子どもたちも
以前に読み語りをしたりしているので
ミンダナオ子ども図書館を知っていて
手を振って迎えてくれたりする。

子どもたちこそ
私たちの未来の希望。

平和な世界になって欲しい
といつも思う。


毎回、避難民が出るたびに
現地をしっかりと観察して
行動に移す。


上は、
MCLの理事で市の福祉局
所長補佐のグレイスさん。
MCL代表の
妻のエープリルリン


グレイスさんは、
現地のカトリック教会の
福祉士もしているが
イスラムの女性たちと
婦人会も結成して助けあっている。


一昨日、私も調査して、
ブアランやラガイエンの
人々と話し。
医療と衣料、
欠乏している
ビニールシートを約束した。


ミンダナオのこの地域では、
40年間にわたって
戦争がしばしば起こされてきて
ここで会った
国連UNの方の話では
避難民の累計が世界一だそうだ。

難民は、
国境を越えて国外に移る人々だから
少しはお金のある人々だという。
避難民は、
貧しくて海外に出られない人々。

生まれてこの方
なんど避難生活をしてきたことか
こうして子どもを持っても
相変わらず避難生活が始まる。

それでも、どんなに苦しくても
決して生きることを諦めない。

11日、
土曜日の今日、
スカラーたちは、
この地域に
ビニールシートや
古着や古靴を届ける
活動を開始した

ミンダナオ子ども図書館は
戦闘地から1時間半ほど離れている
キダパワンという町で
戦地になることはほとんどない。

そこに住んでいる子どもたちが
戦争避難民救済に向かう。
上の写真の中央の子も
両親が目の前で殺された
イスラムの少年。

イスラム教徒、先住民、
クリスチャンの子たちが
宗教や部族が異なっても
協力し合って
避難民救済の準備をする。

こうした仕事を
嫌がる子は一人もいない。

どんなに大変な仕事でも
笑顔でやっていく姿がすばらしい。

彼らを見ていると感じられるのは
友情と愛こそが生きる力。

男の子も女の子も
小さな子も大きな子も
みんなで力を合わせて
ビニールシートを切り分けていく。

戦争避難民の救済など
現地語も何もわからない
日本人ひとりでは
何にもできない。

現地のスタッフたちもさることながら
大変な場所から
大変な経験をして
ミンダナオ子ども図書館に来た子たちこそ

自分たちの力で考えられるし
心の底から感じられるし
情熱をもって行動できるのだ。

この一枚のシートで
一つの家族が
雨に打たれずに寝られるね!

ぼくたちは、
日本から送られてきた靴を
年齢と男女にわけて
分別するね。

約束の
ビニールシートの
支援を開始

何とか竹を切って
骨組みを建てたけれども
どうやって屋根を作ったらよいのやら。

とりあえずヤシの葉を
屋根代わりに葺いて
寝る場所を作る。

このような場所に
数か月、時には一年以上たいざいして
生活をしなければならない。

どの家族も
平均して7人は子供たちがいる。
親族も合わせると
時には十数人の人が寝る。

ミンダナオ子ども図書館の若者が
ビニールシートをかけてあげる。





母親も子どもたちも大喜び。

毎日のように
ビニールシートを切っては届ける。

毎日のように
別のところに集まってくる
大量の避難民たち。

ボードメンバーで
市の福祉局の
ソーシャルワーカーをしている
グレイスさんの指示で動く
ミンダナオ子ども図書館の
イスラム教徒のスタッフたち。

クリスチャンのスタッフもいつもいっしょ。

先住民のスタッフもいっしょに。

ミンダナオ子ども図書館を知っている
現地の子供たちも
支援活動を手伝ってくれる。



平和な時も
彼らの村に
読み語りに行ったり
病気の子を治したり

保育所を建てて
あげたりしているので

子どもたちも親たちも
ミンダナオ子ども図書館を
よく知っていて
心から喜んでくれる。

しっかりと、
スタッフたちの動きを観察し
指示を出すのは
プレシデントのエープリルリン



ミンダナオ子ども図書館は
彼女が17歳の時に
現地法人資格を取った。
(2018年現在は、キタコトバト州から
フィリピン政府直轄の認定法人NGOに!)

イスラム教徒のサダム君は、
元奨学生で今はスタッフ

現地出身のイスラム教徒だけに
状況をよく把握している。

日本人スタッフの梓さんも
この時初めて参加した。

バイヤン君も
元奨学生でイスラム教徒。
同じ奨学生で
マノボ族のニナと結婚
2018年、現在は2児の父親。

トイレの周りにも
シートをまく。
女性が見られないように。

シートをもらって一安心。



みんなで分かち合い
助けあって生きていく。


雨がふってきたぞ。

でも
シートがあればだいじょうぶ。

特に子どもたちは
きびしい生活でも
おたがいに助けあい
はげましあって、

友情できりぬけていく
それこそが生きる力。

続いて
古着の支援を開始

服なんて、みんな家においてきたまま
取りに帰ることもできない。




NGOが入らない
本当にへんぴな地域に
避難している人たちのところにも
服を届ける。


こんなすてきな
服がもらえるなんて
夢みたい!


日本のみなさん
ありがとう。




初めての帽子



現地の子たちは
服といえば
古着屋さんの払い下げぐらいしか
着たことがない。





学校に避難していた
人たちにも
古着を渡した



わたし(まついとも)も
直接古着をわたしていく。


なかには、
読み語りで訪れているので
わたしの名前を
知っている子もいる。


日本の北海道
小樽から毎年送られてくる
靴も配った。


こうした地道な活動を
長年やることによって
真の交流が出来てくる。



奨学生たちの
尽力こそが
平和構築の第一歩だ。

ムスリム自治区
リグアサン湿原
カルボガン村での
読み語り

ARMMイスラム自治区は、
多くの問題を抱えた
地域でもあり、
支援がうまく行き届かない
場所でもある。

とりわけ、
ピキットと隣接している
イスラム自治区のリグアサン湿原側は、
MILFの活動地域。

この大湿原から、
膨大な天然ガスと石油の湧出が
確認されていて、
その利権をめぐる国際的な争いが
戦争の原因なのだという。

度重なる戦闘も、
ほぼこの地域が中心になっており
絶えず避難民化している
地域でもある。

政府よりのMNLFと
独立を目指すMILF。
ペンタゴンとの戦闘も
数日前に伝えられていて、
実に不幸な地域でもある。

ブリオクの小学校
この小学校は、
度々洪水で水没する

今回も、
奨学生たちが参加

下は卒業生でスタッフの
ノライダさんとアスレーさん。


JICAで建設した
吊り橋の下を行く


この橋は、対岸の
イスラミックセンターとセットで
JICAが建設。
建設したのは、
MCLがマカブアルの小学校を
建設した同年のことだ。

しかし今回、
保育所建設について話し合うために、
私が、ここを訪れたときには
この橋は、
吊り紐のロープがのびきっていて
一部水につかっている状態だった。

橋桁も、折れたり外れたり
洪水による被害のせいだろうが、
使われている様子はなく
廃物同然の姿・・・

それから、一週間後、
今回、私が再訪するという事で、
数日前に、
急いで修復したそうだ。
下の写真は修復後のもの。


とりあえず、綱がしっかりはられて、
橋の形態をとりもどしたものの
使用されていない理由は、
多くの家族や子どもたちが、
戦闘で、ここブリオクから、
MCLで保育所を建て
奨学生も採用している、
サパカンに引っ越していった事が大きい。

サパカンは、人口が急増し、
小学校が酷い状態で
修復増設が急務。

リグアサン湿原の左側の集落への
交通の要衝として、
平和構築には
重要な位置にあるのだが・・・

去年、JICAの草の根に
MCLで学校建設を応募したが
危険すぎるとして
ペンディングになっている。
(後に、MCLの要請で
日本政府のODAで学校を建てた。)

MCLでは、今後、
バロンギス、カルボガンの先生方、
村長さん方と連携をとり、
取り残されている、
リグアサン湿原地帯の集落に、
保育所を建設し
奨学生を採用していく事にしている。

吊り橋も、こうした現地での
地道で絶え間ない
努力を続けていけば、
子どもたちが、対岸から、
歌いながら渡る日がくるだろう。


(親のいない、右端の子は
ミンダナオ子ども図書館の奨学生になり
2018年には、高校生になり
MCLに住んで学校に通っています。)


湿原の奥、
舟でしか行けない
カルボガン村へ着く

カルボガン村の村長さん
小銃に加えて、
腰にはピストル


人情の厚い人で
わたしを守って
くださっているのだけれど。


わたしたちは
子どものことだけ考えて
活動している。
子どもたちは、
どこも変わらない。


読み語りと
古着の支援を開始


さっそくここで
奨学生たちが
読み語りを始めた。

この地では
学校に行けない子が多く
スカラシップの要望が
高いことがわかってきた。

読み語りの支援は、
絵本の読み語りだけではなく
歌って踊って

最後は「おおきなかぶ」を変えて
「おおきなカサバイモ」の劇をする。

うんとこしょ、どっこいしょ
それでも、カサバイモは、
ぬけません

最後は、ネズミが出てきて
おいもの周りを
コツコツ掘って

カサバイモは、
ぬけましたあああ!

ねずみのように
山の子たちは
カサバイモのまわりを
コツコツ掘って
お芋を抜くのだ。

子どもたちだけではなく
まわりの親たち
お年寄りたちも大喜び

こうして避難生活をしていた
人々の心に

愛と友情と
生きる希望がもどってくる。

読み語りが終わって
絵本を手にとって楽しむ
子どもたち。

本に対する興味が増して
学校が楽しくなってくるという。


読み語りの後
ここでも、
古着の支援を開始


読み語りが終わって
ここでも、
古着をくばった。

「わーい!
ミンダナオ子ども図書館が
来てくれた。
あっ、ともさんもいるよ!」

読み聞かせや医療
親のいない子を
奨学生に採用したり、

度重なる避難民救済で
何度も訪れているので

子どもたちも親たちも、
ミンダナオ子ども図書館を
よく知っている。







避難生活は
高齢者の方々にも
厳しい。

最後に
病気の子どもの
医療支援をした。

この子も、足を膿んでいたが
手術をしてあげた。
会いに来てくださった西川さま
ありがとうございます!
今は奨学生になって
将来は、
お医者様か看護師に
なりたいみたい。




足が化膿していた少年も治し
後に車いすを寄贈した。


毎年、数十人の
ヘアリップ(兎口)の子たちを
まとめてダバオ市に
連れて行き
手術を受けさせてあげている。



足をやけどした少女は
すっかり良くなった。



だいぶ良くなってきたね。
もう、
化膿することもないだろう。

ああ、私の力がもっとあり
多くの支援者を
見つけることが出来れば
平和への、
もっとおおきな貢献が
出来るであろうに。
微力でゴメンね。

ミンダナオ子ども図書館支援方法


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