戦争と平和構築
2008年の記録



2008年は、
和平交渉が決裂し戦争が勃発
80万を超える避難民が出て、
通年にかけて
避難民救済を行いました。
さらに、戦争に
追い打ちをおかけるようにして
大洪水が起こり、
救済支援に動き
その結果、サイトの情報が多く
いっぺんに掲載する
ことが難しく
出来上がったところから
順次アップしていきます。
 

アレオサンで戦闘が起こり
越境してピキットに
難民が流れ込んでいる
アレオサンで戦闘が起こり、
数千の難民が
ピキットに越境しはじめた。
アレオサンは、
ピキットに隣接する行政区域だ。




戦闘の原因は、表向きは
町近郊に農地を持っている
クリスチャン系住民と、
周辺に追われたムスリム系住民の
衝突とも言われている。
豊かなクリスチャン系住民を
妬んだ反政府組織MILFが、
収穫時期をねらって
米を略奪しようとしているのだとも聞く。



マスコミでは
「イスラム反政府勢力が農民を殺害した」
という報道が流れているが、
イスラム教徒=残虐、と言う
ステレオタイプの報道を流すことで、
反イスラムの民意を形成しよう
と言う意図があるかもしれず、
背景を知らずに
報道を鵜呑みには出来ない



前後してDSWD(社会福祉局)
のグレイスさんから、
行政が農民に
武器を無償で手渡している、
それが戦闘を発生させている原因の一つ、
と言う話が伝わってきた。



つまり、農民に武器を渡すことによって、
住民が民兵として活動しているのは
こちらでは既成の事実で
戦闘の多くは、
民兵と反政府軍のいざこざが発端となる。

イスラム組織が農民を襲った
と言う報道は事実としても、
農民が武器を持って
民兵化しているという点も見逃せない
戦闘は、勃発するのではなく
周到に準備され作られ
世論となって拡大する、
と言う事も忘れてはならない。



今回の戦闘は、
背後に現在進行中の
イスラム自治区の拡大を含む
和平会議が陰を落としているから
なおさら複雑だ。













































































































































和平会議は、
マレーシアのクアラルンプールで行われ
フィリピン政府とMILFの交渉が
最終合意に達しているというが、
ミンダナオでは、
最終的な調印に
反対する勢力も根強く
ARMMの領有問題が
執行されるぐらいなら
戦闘も辞さない、という考えもある

アレオサンの戦闘音は、
ピキット市内でも
聞こえたと言う。


難民は、
国道沿いにも逃れてきているが、
前回も報告したように、
国道沿いは
ハウスベースの避難民が多い。
ハウスベースとは、知人や友人、
親戚などを頼って、
難民が民家に逃れてくるケースで、
雨露をしのぐ場所があるだけましだ。
当然、町や国道沿いに、
親戚や知人がいる人々のみ可能で、
国道沿いに家があるという事は、
土地持ちで極貧ではない。

私たちは、現地調査をした翌々日、
国道沿いのナラパアン村と
奥地に入ったダリガウィン村の
二手に分かれて
救済支援に向かった。
現状は、ダリガウィン村がひどい状態だ。

写真はすべて、ダリガウィン。
ここは、一般的に
ほとんど人の入らないへんぴな地域で、
4WDかダンプトラック無しでは、
到達することは出来ない。

このようなへんぴな地域に
逃れてくるのは、
100パーセントイスラム教徒で、
最も貧しい生活を
辺境で強いられている人々だ。
ご覧のように、
雨をしのぐための
ブルーシートも買えないか、

たとえ買えても、
とても雨露をしのぐ大きさのものは不可能だ。
文字通り戦闘で住む場所を失い、
彷徨っている人々だった。




ミンダナオは雨が多い
とりわけこの地域は、
前回お伝えした洪水地区からも近く、
水はけが悪い。
ご覧のように地面も泥だらけ
泥の上に、
椰子の葉を敷いて寝ている・・・

中には、屋根も椰子の葉を
かぶせただけの小屋がある
これでは、土砂降りになれば
雨に当たる

このような場所で寝起きしながら、
時には数ヶ月を
過ごさなければならないのだ。
赤子やお年寄りには、
とりわけ厳しい環境だ。


現地に到着すると、
私たちは早速、
支援活動を開始した

このような環境では
何よりも、
ビニールシートが必要
雨の多い地域なので
ずぶぬれになってしまう

貧しい家庭が多く
子どもたちの多くは素足だ

厳しい環境のなかで
最初は恐れ呆然と立ちすくんでいた
子どもたちだが
私たちの活動を理解するにつれて
だんだん、笑顔を取り戻す

活動の中心は、
ミンダナオ子ども図書館に住んでいる
スカラーたちだ!


ソーシャルワーカーのグレイスさん
ボードメンバーでイスラム教徒のホセイン氏
(スカラーで卒業生のアスレーさんの父親)
スタッフと多くのスカラーの協力で
支援活動を開始

しかし、活動の中心を担うのは
ミンダナオ子ども図書館の
皆さんがスカラシップ支援をしている
子どもたちや若者たちだ

私は、
彼らを誇りに思う
皆さんも誇りに思ってくださいね!

このような救済の現場に
スカラー(奨学生)達が
可能な限り同行するのも
ミンダナオ子ども図書館の特徴


同行させるというよりも、
前夜から若者たち自身が
自分たちで緊急の会議を開き
彼ら自身の発言と決断で
グループ別に行動計画を作り実行

クリスチャンの若者、
マノボ族の若者
そしてイスラム教徒の若者たちが
共に手を結んで、

不幸な状況に置かれている人々
とりわけ
子どもたちのために
活動を開始

こうした現場での、
彼らの行動は
怖くて現場に近寄ろうとしない
そこら辺のNGO関係者などよりも
はるかに頼もしく献身的だ!!!

この近辺からも
イスラム教徒のスカラー達が
来ているのも強みだ!



ミンダナオ子ども図書館で
徹夜の準備
彼らは本当に頼りになる
こうした経験を経て、
平和を作る
次世代の子たちが育っていく


祝日であるにもかかわらず
グレイスさんのおかげで用意された
市のダンプトラックに、
皆で協力して荷物を
積み込む

休日を返上して
参加してくださった
ダンプの運転手にも感謝!
ダンプに乗り込むと
早速現地に向かった
現地は、ダンプカーか
4WDしか入れない場所だ。

小雨の降りしきるなかを
現地に向かう若者たち

日本からの支援を
仰いでいる余裕が無いので、
緊急に市場でシートを購入。

1ロール100メートルのシートを
10本買い込んで、
若者たちが徹夜で
10メートルに切った。

全員同行は無理なので、
居残り組は、
早朝4時から起きて、
皆の弁当を用意してくれた。
こういう時の彼らは、
驚くべき事に、
3時起きでも
嫌な顔ひとつせずに準備する。
時には、景気づけに
みんなで歌を唱いながら・・・


現地に着くと、
早速支援活動が
開始された・・・
現地に着いて唖然とした!
二日前の下調査で
250家族だった難民が、
500家族ほども
急増しており、
道にあふれている。


少な目に
1世帯5名と見積もっても、
2500名の難民が
逃れてきている計算だ。


村長の話だと
難民の規模は、
2村から、
アレオサン全域の5村に
広がっているという。

ピキット市で、
急遽2ロール買い足したものの、
とても足りない。
そこで、10メートルのシートを
さらに半分に切って、
5メートルずつにして渡した。
多くの家族が
雨露をしのぐための窮余の策だ。




医薬品の
緊急支給も行われた。


洪水医療のために
購入した医薬品を、
難民のために流用した。
洪水医療に関しては、
この後に報告するが
そのために仕入れた医薬品が
思わぬ時に役立った形だ。

特に多いのは、
風邪の症状を
発している子どもたちだ。
ずぶぬれになるような
環境で生活し
泥のなかに寝ているような
状況なのだから当然だろう。

今回、洪水支援として
10万円を寄付してくださった
山本幸子さま
買い求めた医薬品の一部は、
難民支援に振り向けました!
子どもたちに代わって
感謝いたします。




ピキット地域の状況は
悪化の一途を
たどっている

装甲車に加えて
戦車までが導入され、
国道を西に向かっている。
政府軍とMILF軍とは、
本格的に戦闘を開始。
戦闘は、ピキットの
北西をほぼおおい、
南へと拡大している。
それにつれて難民は、
大量に市内近くに流れ込んでいる。

国道は閉鎖状態にたびたびなるが、
私たちはピキット市のDSWDからの
緊急のビニールシート支援の要請を受けて
軍のチェックを通過している。
私たちの活動を
普段から知っている
軍の警護要員も多いが・・・
ただ、状況を
常に現地と密に連絡を取り、
最大のチェックしながら活動している。

先日から、大雨がピキットを襲い
多くの難民がずぶぬれ状態で
寝られぬ夜を過ごしている

私もスタッフも
疲労が溜まってきているが
現地の子ども達の事を考えると
気持ちが千々に乱れる
熱帯雨林の雨は
半端ではない!


すでに寄付のあった
20万円分のシートは使い果たした。
慈照院 副住職の二之宮保育園 園長
村中祐邦
さまから、10万円。
小田原市のMIさまから、10万円
合計20万円が振り込まれたので、
その中の10万円で
10本分のシートを購入した。
(残りの10万は、様子見で、
医療か追加のシートかを決める予定)



1本100メートルで
20軒分×今までで30本=600軒、
一軒にほぼ約7人が
生活しているから
600軒×7=4200人が
救われている。





















































































































































































































ミンダナオ全体では
16万人の難民が出ている
と言う報告もあるが、

ピキットの現地では、
DSWDの計算だと約3万人。
3割がハウスベース、
5割が学校や倉庫、
2割が国道や野外と思える。
最も辛く大変なのが、
国道や野外に野宿している難民達だ。


倉庫に避難している
避難民達





野外の避難民の子ども達
ろくな屋根もなく

雨が降ると
ずぶぬれになる

病気やけがの子も
多く出てきた


慣れない難民生活で
大やけどをおった少女
緊急にキダパワンの病院に運び
治療を開始した。

病室でホッとしている
母さんと少女。
ミンダナオ子ども図書館では、
治療費や入院費以外に
付き添いの食事も面倒を見ている。



戦争が終わって、
この子は、奨学生になった。


軍用車にひかれて
頭部を骨折した少女
幸い今のところ良いようだ・・・


私たちの主治医をして
くださっている
モダンサ医師が、
給与返上で
治療に当たって
くださっている

今のところ、
緊急のビニールシート支援だけで
手一杯で


医療活動は緊急以外は
先延ばししている
あちらこちらから
風邪、熱、腹痛の症状の
訴えがあるが


私自身も、ダンプで雨に打たれたり
激しい活動で
熱があるが、
そうも言っていられない。

子ども達は
おなかもすかせている

幸い、難民キャンプで
ワールドフードの支援と
DSWDによる炊き出しが始まった
炊き出しを手伝っているのは
ミンダナオ子ども図書館の
スカラー達だ


下は、DSWDの人と共に
料理をしている
ナスロディン君
日本では中一だ

ミンダナオ子ども図書館の
スカラー達も、
かなりの数が
難民となっている。

学校は休校状態で、
学校自体が
難民収容所になっている。
そこにいるスカラー達が、
積極的に難民救済活動を
手伝ってくれている。


高校生が多いが、
彼らのパワーはたいしたものだ。
炊き出しから
ビニールシートの配布。
難民キャンプでの
病気の子ども達のチェックまで・・・・


自分自身も
難民生活を送っているから、
彼らの情報は
実に正確で役に立つ。
私たちは、彼らの判断を仰いで、
福祉局とも一歩距離を置きながら
独自に活動している。
古着の支援も開始した。
ブアランの私たちの
小学生のスカラーや、
保育所の子ども達も集まっていた。
遠い場所から、
着るものもとりあえず、
必死に逃げだしてきたものだから、
着るものも
持ち合わせていなかった。


皆さん、これから
長い難民生活がはじまります。
2000年、2002年の戦闘では、
3年近くも
難民生活が続きました。
古着の支援をお願いします。
シーツやタオルも有効です。

下は、古着の支援を求めて
並ぶ子ども達

ビニールシートの
緊急支援は
夜を徹して
続けられている



ビニールシートの
支援をしているのは、
今のところ、
ミンダナオ子ども図書館だけだ。




すでに4200人あまりを
完了したが、
まだまだ足りず、
明日はさらに10本、
1400人分ほどを届ける。




ミンダナオ子ども図書館の
小さな軽トラックを皆知っていて、
国道沿いの木組みの梁から
必死に手を振る



実際、国道や村道沿いには、
至る所に、
ミンダナオ子ども図書館が支援した
シートが並ぶ。




しかし、
新たに到着する
難民の数も多く、
明日から配る10本分に加えて
さらに必要になるだろう。
  
シートは、
1本4500ペソ、
およそ1万円で100メートル、
140人ぐらいが
雨に濡れずに
これからの長い難民生活を
乗り切っていけるのです!!!

こうして疲れ果てて
夜にかえって、
ニュースを作成している合間にも、
激しい雨が降り出した。
現地の子ども達は
どうしているのだろう。
 

屋根が出来て大喜び!

しかし、
次々と戦域が拡大している
これ以上、悲しみが
広がらない事を
願うのみだが・・・・

註:ピキット支援を振り込まれた方は、
お名前とご住所、金額をメールで
即刻にお知らせください!
日本事務局から経由して
連絡がくるまでに
日にちがかかります。
緊急支援として、
メールをいただき次第、
こちらで振り込まれたものとして、
現地の活動資金に計上し、
即行動に移したいと思います。

大変な状況になった、
戦闘は拡大し
2万4千を超す
難民が出ている

難民は、
アレオサンやミッドサヤフといった
近隣の市との境を超えて
大量にピキットに
流れ込んでいる


昼夜を問わず、
水牛などになけなしの
家財道具を積んだ難民が
市内に向かって
移動している。




戦闘は、ピキットの領域にも入り、
ラガイエン、タプドク、ブアラン、
クランボク、シリック、プノル、
カチラカン、ダマラサク、マナウラナン、パマリアン、
タキパン、ナラパアン、カラカカンに広がっている

市周辺の西側は
ほとんど避難して
ゴースト村化しはじめた。
軍の車にはねられた子は
頭部を打って、
緊急にミンダナオ子ども図書館で、
キダパワンの病院に運んだ。

絶えることのない、
難民の列に唖然とする。



前回の報告で、
大阪の千里ニュータウン・
カトリック教会にベースを置く
千里サンパギータの会から10万円、
多湖御夫妻から10万円の寄付があった。


現在、その全てを
ビニールシートに代えて、
約20-ロール
(一ロール約100メートルが
現地で約1万円)
を現地の福祉局(DSWD)
と協力しながら配っている。




ここでも、
ミンダナオ子ども図書館の
奨学生スカラー達が
活躍している。




ミンダナオ子ども図書館から
緊急配布されたシートを配っている
ボードメンバーの
グレイスさんも写っている




タキパンにも戦闘があり
政府側民兵2名が死んだ
公表されないが、
MILF側の死者はもっと多いだろう

各地で戦闘がひろがり、
現地では終始
砲声や機関銃の音が聞こえる

シートを届けるダンプの荷台で
大きな砲声を聞き
しばしば、頭を下げて荷台に隠れた

パイドプランギまで、
何とかたどり着いた。

途中の村は、
ゴーストタウン化しているが、
ここには難民が集まっていた。
行橋カトリック教会が建てた保育所も、
難民収容施設になっていた。

先日まで、
洪水で行かれなかったところだ。

一難去ってまた一難、
踏んだり蹴ったり。
子ども達は、
私の姿を見て喜んでくれたが、
可哀想にすっかり雨に打たれている。

写真は、パイドプランギの子ども達
車が止まると、
ビニールシートを求めて
多くの家族が駆け寄ってくる

決定的にビニールシートが足りない!
衣服もぐちゃぐちゃ
戦闘難民救済の予算が欠如している

緊急に、
井戸予算と車修理の予算を
難民救済に充てて
活動を開始したが、
この大量の難民を見ると
ミンダナオ子ども図書館の
懐が尽きるのも間がないだろう

難民は、
市内の穀物貯蔵倉庫にも
避難している
その数は、
数千を超えている
 





























急遽、難民センターとして
与えられた、穀物貯蔵庫
ここにも難民が殺到している
スカラーも避難している、


スカラーのマリアンさん
一人となりの男性は、ロニー君
父親が見あたらずに涙ぐんでいた

穀物倉庫の中は、
難民でごった返していた
むき出しのコンクリートの上に、
何日も寝なければならない

私たちは、
100メートルのビニールシートを
コンクリートの床に敷いた
これで、少なくとも、
汚れたコンクリートの上で
寝なくても良くなった

子ども達も
大人達も大喜びだ!

人々の表情には、
絶望の色が濃い
もう40年以上も
このような生活の繰り返しだ

今回こそは、
和平協定が締結されると
期待していただけに・・・
裏切られたと言う思いが
イスラム教徒の人々に根強い

こうした繰り返しが
より強力な抵抗運動へと
人々を駆り立てていく

私たちは、
千里サンパギータと
T夫妻によって送られた
ビニールシートを
穀物倉庫の床に敷いた



今後、さらに
ビニールシートの需要が増える
また、医療薬品が足りないので
前回の分に買い足すことを決定

この難民数だと
大量に医療薬が必要だ
雨に打たれる生活のために
病気が蔓延している

加えて、子どもや大人の衣服が足りない
なけなしの衣服しかなく
それもたちまち濡れて震えている


皆さん、
緊急支援をお願いします
古着の支援等も有効です
(シートは現地で買った方が良いと思います)
ミンダナオ和平問題について
外務省のサイトより(平成25年3月11日)

https://www.mofa.go.jp/mofaj/press
/release/25/3/n0311_04.html

 

(1)フィリピン政府とミンダナオを拠点とする
モロ・イスラム解放戦線(MILF)との和平プロセスは,
約40年にわたる武力衝突を経て,
2003年の停戦合意,
2004年からの国際監視団
(IMT:International Monitoring Team)
の活動により進展。

2008年8月,懸案の土地問題の解決をめぐる
国内調整に失敗して武力衝突が再燃したが,
2010年2月に和平交渉が再開された。
2011年8月には、
アキノ大統領とムラドMILF議長との
トップ同士による会談が
成田で行われたことを契機として
和平交渉が進展し、
2012年10月、フィリピン政府とMILFとは
ミンダナオ和平に関する
「枠組み合意」に署名するに至り、
2016年にバンサモロ自治政府を
創設することで一致した。

(2)日本政府は,ミンダナオ和平が
アジアの平和及び繁栄に
不可欠であるとの認識の下,
IMT社会経済開発部門への開発専門家派遣,
元紛争地域における経済協力の集中的実施,
和平交渉にオブザーバー参加して
助言を行う国際コンタクト・グループ
(International Contact Group:ICG)
への参加等を通じ,
ミンダナオ和平プロセスの進展

及びミンダナオ地域の
復興・開発に貢献してきている。
特に,我が国支援案件の総称「J-BIRD
(Japan-Bangsamoro Initiative for
Reconstruction and Development)」
(※Bangsamoroはミンダナオの
イスラム教徒を指す。)は,
ミンダナオの住民の間でも広く知られている。
 













2008年は、和平交渉が決裂し戦争が勃発
80万を超える避難民が出て、
通年にかけて避難民救済を行いました。
さらに、戦争に追い打ちをおかけるようにして
大洪水が起こり、救済支援に動き
その結果、サイトの情報が多く
いっぺんに掲載することが難しく
出来上がったところから
順次アップしていきます。

 


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