write 1999/03/14
ジャンプ第16号予想
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「週感ジョジョンプ」第177号

PAGE5・ゆうこさんより

Hermit Purple attack JUMP No.16!


 こんばんわ。5PAGE目がゆうこさんです。「Xデイはあと2回か?」と言われているジョジョですが、まーその日まで何とか頑張りましょう。スコリッピがべらべらべらーっとスタンド能力を話していたのは気にかかるのですが………。
 あ、見直して修正したはずですが訂正部分、なおってなかったらごめんなさい。

投稿者:ゆうこさん

 15号なんですが、読み終わったあと、妙に哀しくなってしまいました。
 ストーリー展開がはやすぎるんです。
 やっぱり5部はあと2・3週で終わるんじゃないんでしょうか(下手するとジョジョ自体かなあ)。こりゃあ、いよいよ腹くくるしかないかなあって感じです。

 ふと、想ったんですが、このエピローグって、現在(といっても本編時間で)コロッセオで、ブチャの死体を目の前にしたミスタが、過去に起こったこと(物語の発端)をジョルノとトリッシュに語っている、これを私達もジョルノ達と一緒に体験してるんじゃないでしょうか。最終回(やだな)は、語り終えたミスタとジョルノに話が戻り、これからブチャの遺志を受け継いだジョルノはじゃあどうするのか、彼自身の未来の運命や夢に対する想いを描いてほしいなあ。

 第5部の「ジョジョ」は「ブルーノ ・ブチャラティの奇妙な冒険」でした。本当の「ジョジョ」つまり「ジョルノ・ジョルバーナの奇妙な冒険」は第5部が終わってからはじめて始まるんですよね。

 さて、今週私がびっくらこいたのが、「ミケランジェロ」が若い彫刻家の名前ではなくミケランジェロ自身として使われたこと。私はティツアーノみたいに登場人物の名前で使われるだろうと予想していたのですが、そうではありませんでした。

 それからもうひとつ私が「うっへえええ、大将、参りました」と思ったのが、(同じことを思った方もいらっしゃるんだろうなあ)432Pでブチャ石にかぶさって彫刻がでてきましたよね。あれって、みけらんじぇろの「瀕死の奴隷(Dying slave)」という題名の彫刻なんです。このDying slave が現しているのは、まさにブチャの「運命の形」そのままなんですよね。

 また、みけらんじぇろは「奴隷」シリーズの彫像をいくつか残していますが、全ては残念ながら完成には至らずに終わっています。その前にページにあるように、半分石のままであるのもあります。尚、この彫刻の名前がわからなくて調べたんですが、本によると 「目覚める奴隷(Awaking slave)」という名前なのだそうです。これはつまり「運命の奴隷」であるということに覚醒しかけたという意味なんでしょうか。

 で、「奴隷」シリーズなんですが、「瀕死の奴隷」の他に彫刻としてほとんど完成されたのは一つしかなく、しかもそれは「死んでいく」とは対の意味をなしています。その彫像は「抵抗する奴隷(Rebelling slave」と題されているのですがこれが来週あたりのキーポイントになってくるんじゃないでしょうか。

 ブチャの生き方なんですが、私はずっと「「死」を告げる運命など、乗り越えてかえてみせる」ということを生命力が尽きた後も、タフな精神力を持って意志表示していると思ってました。つまりそれがゾンビ化だと思っていたのですが、どうやらそうではないようですね(何か自分がオロカで はづかしいなあ)。

 彼は来週自分の「石」を見て、いずれ近いうちにこうやって「死ぬ」ことを悟る。たぶんここで己が「運命の奴隷」であることに気付いて、自分の身体はこの石が形作るままに死んでいくであろうということを受け入れるんでしょう。だが、「石」に触って安らかに死ぬことは拒否するはず。

 例え与えられた時間が限られても、逆にそれだからこそ一生懸命生きて何かを達成してやろうと決意するんじゃないかなあ。それがつまり「反逆する奴隷」であり、その奴隷は解放され、そして意志は受け継がれ完全なる勝利へと結びついていくんでしょうね。(こういう生き方もあるんでしょうね。でもせつないよ)来週このブチャの決意と共に、この彫像は一旦消滅するか、かたちを変えるんじゃないかなあ。(意志の力で石が変わるってことかなあ??でも、洒落やないんやし・・・)

 そしてブチャラティーが自分が信じられる生きる糧を探そうとしていたときに、ジョルノと出会うのではないでしょうか。(ひょっとしたら同時期にアバッキオとナランチャのところにも石が現われている?)

 又、ブチャ石の「胸」に穴をあけられていますが、私にはこれがボスがキンクリを初めて発現したときにやられたものなのか、それともミスタによってあけられたものなのか今一つよくわからないんです。(なんか変な書き方ですが穴の大きさがどっちともいえるような・・・)

 もし前者であるのならば、ブチャのゾンビ化はまさしく「天がちょっぴり許してくれた時間」ということになる。ブチャラティーはボス戦で敗北し瀕死の重傷を負いましたが、まだ「ボスを倒す」という使命を達成していない思いと、ジョルノの「神がかった」能力が天を動かしたと解釈できるんじゃないでしょうか。そして、もし後者だとしたら、ボス戦で殺られそうになっても、まだ終わりではなく、ここで死ぬわけではないという信念がブチャのゾンビ化を呼び起こしたことになります。でも話の流れから察するに、前者なんでしょうか?

 で、話が又いきなりぶっ飛んじゃうんですが、ミケランジェロでふとルネッサンスのことを考えてみました。あの時代のテーマって、個々の人間性の復活であり、人間賛歌でもあったわけで、これって第5部のテーマでもあり又「ジョジョ」そのままのテーマに通じるものがあるんじゃないか、と思うんです。

 ルネッサンス前の時代は、領主や神を称えこれらへの絶対的忠誠と服従が美徳とされましたが、ここに一人の人間としての個は存在しない(兵士はなにも考えない)という意味で、暗黒時代といえるかどうかはわからないけど、眠れる時代であったといえるかもしれません。ルネッサンスではそういう絶対支配に恐れず、人間であることの賛美と、自分と神あるいは自分と他人や自然の関わり合いを表現すべくたくさんの人達が現われました。

 ジョジョ第5部において、ジョルノという人間は、能力的にも人間ばなれしていましたが、性格的にも全く異質な人間でした。彼は自分を主張をすることを恐れないし、上に対しても堂々と批判さえも行っています。つまり、ジョルノはブチャ達を新しい時代に目覚めさせようとする啓蒙者であり、またガイド役でもあったわけです。ブチャやアバッキオ達にとってはわずか1週間ばかりの旅行でしたが、彼らはまさに精神的に人間として生き返っています。

 また、ブチャチームや暗殺者チームは、忠誠を誓っていたディアボロ(まさかとは思うが、絶対的な教会権力を皮肉ってつけた名前だったとか?)の実体を知ることにより、彼そして組織そのものに失望し、これを裏切ります。この彼ら自身の認識を優先させた行動は、例え困難な道になろうともそして人々から非難を浴びようとも自分たちの表現や思想を主張しようしていた、ルネッサンス時代の芸術家、哲学者あるいは科学者達の姿に通ずるものがあるのではないでしょうか。

 フーゴはそういう人間達が理解できないのでしょう。「地球は動いている」という科学的論拠と元にした主張に、そんな馬鹿な、そんなことは本にも辞典にも載ってないし教えられてないと憤慨しこれを「社会悪」とした人達と同じなのでしょうか。彼の生き方は間違ってはいないかもしれないし、不幸でもないかもしれないが、目を瞑っているだけでは真実に到達できることはとうてい不可能といったところじゃないのかなあ(なんか、G.E.R.がディアボロに与えた罰っぽいなあ)。

 そうか………私は「ミケランジェロ」とあったとき、また蘊蓄がらみなんだろうなぁ………でもまてよ、ジョルノ出ていないぞ?などと混乱したのですが、フツーにあの彫刻家が語ってくれました。
 それにしても、あの彫刻にそんな意味があったとは、奥深いですねぇ。勉強になりました。次週、ブチャラティの葛藤があるかと思うのですが、その前に何らかの形であのスタンドの信憑性が証明されるかと思います。その後、ブチャラティがどう動くかは、解りませんか………。

 ディアボロの「真実に到達しない」ってのは、「そんなんだったら一生真実には到達できないぜ! 結果ばっかり求めていると!」という事かもしれませんね。今の他のジャンプ連載陣、特に若手に向けて送っている言葉とも捕らえられますが………。


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