瀬尾先生の第43弾

「これが・・例の薬なんだがね・…」
宝条は気味の悪い笑みを漏らしながら、来客にテーブル上の怪しげなカプセル剤の束を見せた。それらには通常薬に付いているはずの製品番号記載が一切無く、透明なカプセルからはただ白い粉だけが窺い知れた。

「…本当に効くのか…?」
低い、人目をはばかるような声。宝条からテーブルを挟んだ向かいにの一人の男が姿を現した。白いスーツ。金色の髪が薄暗がりの実験室内でも一際明るく輝きを放つ。
「副作用は無いんだろうな…」
囁くように声を紡ぐ。内密の訪れである。ここに来ることは誰にも告げてはいない。例え愛するものにですら。その隠された後ろめたさが宝条の心を擽った。
「まだ動物実験の段階だが…なんせ私は薬学は専門ではないのでね。」
無責任な言動が返る。しかし、そんなことは両者とも十分承知の上だった。知った上で、それでも必要だからこそ、ルーファウスはここを訪れているのだから。
「まぁ…いいだろう。君を信用することにしよう…はなはだ不安が残るが…」
言いながら、薬は内ポケットにしまわれた。その白い指の動きを眼鏡の奥からじっと観察しながら、宝条は骨張った手を顎の下で組みかえる。
「…しかし…そんな薬、何に使うのかね…開発中の筋弛緩剤など…」
「…君には関係ない。」
「ほう…確かに。まぁ、感覚と言語感覚保持可能な弛緩剤など、使い道によってはこれほど便利なものはないがね…」
ぴしゃりとはねつけられた質問に気を悪くした様子もなく、のんびりと答える。実際、薬の特性からして使い道はほぼ推測されるだろう。問題はそれをいかに使うか、ではなくて誰に使うか、だった。
「で…何分くらいで効いてくるものなんだ?」
「まぁ、一分もすれば…かなり即効だがね…使ってみればすぐわかる…」
「それは都合がいい。…それで報酬だが…」
ルーファウスが向きなおった。これはあくまでもビジネスだとその目が語る。欲しいものは金か地位か。
それとも自分、か。それらのいずれを選択してもルーファウスは応じるだろう。その割り切った態度に、宝条は小気味良さすら感じた。
「そうだな…ちょうどお茶の時間だ。一人で飲むのも味気ない…だから一緒に、ということではどうかね…?」
天井を向きながら何気なく申し出てみる。ルーファウスの片眉がぴくりとあがった。
「……それだけでいいのか?」
「…他に何を期待していたのかね…?それとも何か予定があるのか…」
「いや…構わないが…」
意外そうな顔がまた興をそそる。何も知らない無垢なる子供…宝条の眼が細められた。
「そうか…良かった…隣の部屋にお茶の用意がしてある…いこうか…」
狡猾な白衣の獣は音も無く立ち上がった。


「君にこういう趣味が合ったとはね…」
苺のミルフィーユと紅茶を前にルーファウスは呆れたような声を上げた。一目見ただけでこれはミッドガルでかなり有名な店のケーキである。もっとも、それを即座に見抜く人間というのもあまりいないと思うのだが・・
「…本当はレモンメレンゲパイかフルーツがレットのほうが好みだったんだが…生憎季節を外してしまってね…」
こぽこぽと、軽い音を立てながら紅茶を入れるその手つきには慣れが見える。熱い湯気が上がるのを、ルーファウスの前に差し出した。
「…君は隠し事が多いな…」 
それでも嬉しそうに紅茶に手を伸ばす。香りと味を確かめてから一緒に差し出されたミルクと砂糖をたっぷりと入れ、ゆっくりかき混ぜると新たなる芳香が立ち上った。
「…実験で疲れた脳を活性化させるには糖質が一番だというのでね…」
自分も砂糖を一つ二つと入れ、宝条は腰を下ろした。眼鏡を白い湯気が霞め、一瞬視界を遮断する。次に景色が現れたとき、ルーファウスはソファの上にくずおれる様に横たわっていた。
「な…」
青い目が宝条を睨む。無意識のうちに体をかばうような姿勢を取っているのを、宝条はそっと仰向けに直した。支えを失った首が後ろに倒れそうになるのを支え、ついでに軽い口付けを与える。
「だから、使ってみればすぐわかるといっただろう?」
楽しげな声と共に服が一枚一枚脱がされてゆく。全身の筋肉が弛緩してはいるが感覚は残っている。受容器から脳への伝達には関与せず、脊髄からの伝達のみを遮断するという夢のような薬は見事にその役割を果たしていた。
「…それが目的なら最初からそうと言え…」
胸の筋肉を使わずに発音しているせいで微かに掠れたルーファウスの声が異論を唱える。その具合が声色に微妙な艶を与えていた。
「…残念だが、これだけではないのでね…」
隠し持っていた注射器とアンプルを取り出し、薄く黄色づいた液体を吸い上げる。細い腕を取り上げようとして一瞬考え直し、露になった大腿を割り広げた。柔らかく引き締まった肌を滑る感触に、ルーファウスは息を呑む。
「普通に抱いてみたところで、君は感じやしない…私はね、君が本気で乱れる様子を見たくて見たくてしょうがなかったのだよ…」
張りのある腿に糸のような針先が吸い込まれてゆく。ゆっくりと液体が減って行き、やがて全てが注入された。
「つ…」
針を抜き取った跡に、小さな赤い球体が膨れ上がる。それを舌で舐め取り、なぞる。自分の体を弄ぶ醜悪なマッドサイエンティストに向けられたルーファウスの表情には嫌悪がありありと浮かんでいた。
「…好きにするがいい…君に僕を本気にさせるなど、出来るはずがない…」
今までもこれからも、自分を本気で乱れさせることが出来るのはツォンだけだ。何もかもを忘れてただ快楽のみを与えてくれる…ルーファウスの顔に勝利の確信が現れる。
「だから、あきらめろ…君が惨めな思いをするだけだ…」
「それは、どうかな…そろそろ効いて来る頃なんだが…」
宝条が含み笑いをもらした。同時に熱い感触が体内を駆け巡り、ルーファウスを苛み始めた。粘りつく手が全身を愛撫しているような感触に襲われ、下半身に強烈な飢えを感じはじめた。
「あ…っ!?」
「…これも即効性の催淫剤でね…マウスに使ってみたところ、数分で悶えながら遂には発狂していたようだったが…」
喉の奥で笑いながら触れるか触れないかの刺激をルーファウス自身に与える。耐え切れずに漏らす声が耳に心地よく響く。
「これから逃れる方法はただ一つ…さぁ…私が楽にしてあげるよ…抱いて、と一言お願いするだけで君は救われるんだ…さぁ…」
息のかかるくらい側で、甘いささやきを繰り返す。ルーファウスは固く唇を噛み、それを拒む。額に薄く汗がにじみ始めた。
「・・強情だね…意外に…」
鼻じろんだ様子で呟く。もっとたやすく落ちるものだと思っていたが、外見ほど甘い性格ではないらしい。長丁場になることを予測して、宝条は椅子に腰を下ろし、冷めかけた紅茶を飲み干した。ポットから二杯目を注ぎ、無意識のうちにミルクに手を伸ばして苦笑いする。
「しまった・・これに薬を入れたんだったな…まぁ、いい…直にどうしようもなくなる……私は気長に待たせてもらうよ…・」

「まったく、隠し事の多いのはどっちだか…」
宝条は気を失って横たわるルーファウスを見て、痩せた肩を落とした。あれから数時間。結局ルーファウスは宝条に屈することなく、意識を失った。
「それにしても…複数の男に抱かれているはずなのだが…擦れていないものだな…不感症か…?」
それとも、それほどあのタークスの男と出来ているということなのか。
自分らしくない思慮に宝条はふと苦笑した。仮眠室から毛布を一枚持ってきてしなやかな裸体の上にふわりとかけてやる。
いずれにしても、この若い支配者は自分には無いものを持ち合わせている。真実の愛と、決して心まで他人に屈することのない強さと。
暗い闇の中で眠りに付く、想い人の顔がふと脳裏に浮かんだ。広く空虚な世界の中でただ一人…自分の孤独を癒してくれるはずの人間の顔が…・・

心の中を、冷たい風が吹きぬけていった…・


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